王貞治氏という人間を、長嶋茂雄と比較して「孤高の天才」「暗い真面目」と評する人が多いようです。
確かに何百本ものホームランを打っていますし、本数はプロ野球で一番多いです。
誰が見ても、天才だと言うかもしれません。
しかし王貞治の同僚は、彼を「努力の人」と言って惜しみません。
努力、努力、努力、そしてさらに努力。
そこまで努力したからこそ、彼はホームラン王になれた。
これはホームラン本数が王貞治氏の次に多い、野村克也氏が言っていました。
常人では考えられないほどの努力をすると、大抵の人間は「彼は努力の天才だからね」と決め付けます。
あたかも天才と決めれば、惜しみない尋常ではない量の努力は「彼が特別だから」出来るのであって、自分には出来ないよと決めつけるかのような口調で。
努力が出来ない理由を正当化するために、最も大切なことは何だろう?
そう考えた時に、自分ではとても追い付けないという言い訳が成り立つ大きな壁を、自分より少しだけ優れた人の前に置くことだと思います。
「彼は天才だからね!」
その一言は自分を卑下するわけでもなく、また相手を尊敬していない訳では無いでしょう。
しかし彼に努力して近付こう、或いは彼を追い越そうという努力は諦めています。
自分の身の回りを見て下さい。
凄い人、いませんか?
頑張っている人、いませんか?
成果を出している人、いませんか?
近付きたいと思いませんか?
追い越したいと思いませんか?
その人を思って下さい。
彼は「天才」ですか?
努力し、実力を身に付け、結果を出している人ではないですか。
どんなに絶望的で、圧倒的な差のある壁でも。
どんなに距離が離れていても。
その人は、その道を歩き、その足で遠く離れ、その手を壁を乗り越えてきたと思うのです。
出来ます。絶対に、出来ます。
同じ人間です。
諦めずに、出来るという気持ちこそが、努力し続ける気持になる。
最近、そう思います。