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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

昨日、ある女性経営者にお会いしました。
70歳代ですが、全くもって元気。

色々と良いお話を聞かせて頂いたので、今回はそれを抜粋。



その1.ピンチはチャンスである。

よく言われる言葉であるが、どういう意味かと言えば、これは受け止め方の問題である。ピンチとは機会であり、それを変えることは可能なのである。つまり、変えようという発想の問題であり、これこそ本質である。



その2.仕事を依頼されることの意味。

野村克也氏もそうだったが、仕事を依頼されるということは、その人にしか語れない見方や、内容が存在しているという意味である。
しかし気を付けなければいけないのは、それは1つの真実だが、事実では無い、という点である。その人が言っていることがある見方に立った真実なのか、あるいは事実かは聞いた本人が調査することが必ず必要である。



その3.夢を持つこと。

夢を持つということは、自分自身に対して暗示をかけることである。つまり、自分を信じるということだ。
自分は出来るという暗示をかけることが、自分を信じることに繋がる。



その4.決断力とは何か。

決断力に必要なことは、情報を取捨選択する判断力である。
そして、決断した事象に対して忍耐を持って行動すること(=行動力)である。
しかるに人が決断できないのは、判断力が無いか、行動力が無いかの何れかである。



その5.夢を叶えるために必要なこと。

夢は叶えられる程度から少し大きいぐらいが、丁度良い。
階段を上るかのように、少しずつ1階から2階に上がっていくことが良い、いきなり、は無理なのだ。なぜか? それは積み重ねが大切だからである。
積み重ねとは何か? それは、とりあえず「やってみる」姿勢である。いきなり1階から2階へ上がることは、正直言って辛くしんどい。
しかし小さな階段を上るだけなら、とりあえず「やってみれば」達成できるかもしれない。その挑むことが、知識となって身になり血となる。
やがて、積み重ねが増えることで、大きな階段を登れるようになる。



その6.1つの成功体験が信念を生む。

信念とは、諦めないこと。
松下幸之助が諦めなかったのも、それが信念だからである。
そして諦めないと自分自身に念じることが、積み重ねとなって成功となる。



その7.笑顔と大きな声。

笑顔。大きな声。
誰にでも出来ることを、やり続けることは非常に難しい。
特にお金の掛からないこの2つは、やり続けることが難しい。



その8.名を残す。

権力とは、執行責任を有するということ。
つまり結果において成果が上がれば、自然と権力者の名が残る。



その9.商慣習の違いについて。

日本のルールやマナーは、世界で通用しない。
だからと言って、守る必要はない、ということではない。
商慣習の違いがあれど、信頼や信用で成り立つ世界であることには変わりがなく、この根底を失ってはいけない。



その10.失敗という機会。

失敗という機会を、次にどのように活かすか。
その機会に乗じて、必ず何か知り得たものがある。知識、経験がある。
これに興味を持ち、次の機会に活かすことで、その機会を「ピンチ」ではなく「チャンス」と思ってみる。



その11.マイナスをプラスに変えるためには。

自ら意識して、プラスの発言をする。
これが間違いなく、マイナス想念をプラスに変える。なぜならプラスの発言が、行動、考え方に現れてくるからである。
しかし気を付けなければいけないのは、これが行動や考え方までプラスに良いように捉えてはいけないのである。



その12.成功への架け橋。

妬まない。
怒らない。
愚痴らない。
これが人に好かれ、懐に入り込めるための要因。



その13.自分自身は、誰が変えてくれるのか。

自分は自分が変えることが出来る。
自分こそ、自分を変えられる。
しかしこれは非常に苦しく、苦難である。どうしても楽をしてしまいたい。



その14.頭を下げる。

実るほど、頭を垂れる 稲穂かな。
実るとは成長する、ということである。
稲穂が自分自身1人で成長したわけでは無いように、人間だれしもが周囲のお陰で成長出来る。
だからこそ、成長すればするほど、謙虚である必要がある。



その15.環境が人を変える。

環境とは組織風土だけではない、役職も同等である。
役職が人を良くも悪くも変えてしまう。
だからこそ、一般職に役職者が育てられることがあるのである。人は役職を上がれば上がるほど、下から教わることは無いと思ってしまう。
しかし環境が変われば、誰もが「新人」である。誰からも教わるという姿勢が、人を本当の意味で「変える」のだ。



その16.今日やる必要があることを書く。

やろうと思えば、何でも挑戦すること。
やる。実行する。成果を出す。
そのために苦労や努力、我慢が必要になる。しかし、得られる成果は、必ず山のようにある。



その17.社員を育成するということ。

社員を育てるというのは、至難の業である。
なぜなら社員を愛するということは、憎むということになってしまうからである。
しかし愛することで必ず、愛される。
人に対して良いね良いねとオベッカを言うだけでなく、誰もが持つ自負心を擽ることで、仕事を仕向けることが今は出来ている。
だから誉めようが、叱ろうが、自負心が相手にはあるんだ、愛することで愛されるんだと思えば、必ず相手は育ってくれる。



その18.自分が笑顔であれ

自分が笑顔であれば、周囲も笑顔になる。
決して自己限定しない。
先延ばししない。



その19.成功者と失敗者の違い

成功する人間は、チャンスに注目する。
堕落する人間は、出来ない理由に固執する。
様々な失敗の上に、経験に基づいた行動がある。
成功の反対は失敗ではなく、堕落である。



その20.過去と未来

過去を消すことは出来ない。
しかし、未来を創ることは出来る。
ただ、時間が経つのは足元を過ぎるが如く、早いものである。
あっという間に未来は過去になる。
だから、直ぐの行動が求められる。
4月3日。
今週も1週間、お疲れ様でした。

新卒は入社3日目、社会人になって初めての週末です。
彼らは何を考えながら休むのか、ちょっと気になります。


ところで、気になったことを1つ。
自分の勤める会社では、日報を提出してから帰宅するのですが、新卒が日報を提出してからも仕事をしていたので注意してしまいました。

そもそも日報は労働時間の管理のために行っているのであり、監督労基署にも監査時には提出しているはずです。
これでは「サービス残業」になってしまう。



「日報出してから仕事するな」
「6時になったら日報を出すんじゃない。仕事を終えたら日報を出すんや」
「6時になっても仕事を終えていないということは、残業しかない。しかし、君らの残業は悪や。利益が無い。利益を生まない残業は悪でしかない」
「つまり仕事の段取りが悪いっちゅうことや」



ここまで言って、視線を感じました。
残業が常態化している事業部の視線でした……。

しかし、言っていることは本質だと思います。
本来は1時間で終える仕事を、1時間を超えてしているということは、仕事の進め方が悪いということなんです。

決められた時間内に、求められる成果を上げること。
それが社会人にとって求められることです。



しかし、時にして、社内の良いベテランがそれが出来ていない場合があります。
残業の恒久化は、案外、そこに原因があったりするものです。



組織とは、自然と組織の人間と組織にはいない人間に分けてしまうものです。
組織に所属しているのなら、尚更です。

それが結果的に、組織内のルールと組織外のルールのずれを生みます。
そして大抵、組織外のルールは常識と呼ばれ、組織内のルールは非常識と呼ばれます。


もちろん、成果を上げれば常識だろうが非常識だろうが、問題はありません。
しかし往々にして、成果を上げるためには常識に則ったルールが欠かせないのではないでしょうか。

組織内部のあの人がやっている、そんな言い訳が通用しているようでしたら、それは完全に間違いなく危険な兆候です。
マネジメントを携わる人間が、絶対に大声で静止しないと、組織は暴走を始めます。



組織の暴走は、暴走させる人間が悪いのではないと思います。
暴走を許す人間、止めない風土に問題があります。

そして、その暴走を当たり前と、何の疑いもなく受け入れる人間こそ、諸悪の根源だと思っています。
結局、考えることが大切だと。
新入社員がやってきました。
昨日は、歓迎会でした。

みんな、口々に「早く戦力になるように頑張ります!」と言っていました。
基本的に新卒で戦力になるのは楽天のマー君のような逸材で、よっぽど人材に困っていなければ育成こそ中心の仕事になります。

とは言いつつ、新入社員はそんなことを思っていない訳で、そのギャップをどうやって埋めようか悩んでいたのですが上長が、
「君たちを戦力だとは思っていない」
とぶちかましてくれたので、大分、楽になりました。



さておき、学生の皆さんにとっては社会人生活に期待を抱いていると思います。
しかし実際は成果を出すことが何よりも求められる訳で、現実を知っても、是非その心意気だけは忘れないでほしいなと思うのです。

基本的に成果を出さなければいけないのですが、大切なのはどうやって成果を出すか、考える事だと思っています。



最近はマネジメントの仕事が多く、如何にして成果を生むかが考え所なのですが、いつも行き着く結論は「どんな成果を生むか」ではなく「どんなプロセスを経るか」という点です。

基本的に成果を出すことは当たり前です。
出発点があって、目的がある。

大切なことは、どういったフローを経るか、という点です。


例えば月間利益600万が目標だったとして、支出を減らすか、売上を伸ばすか、何れかを選択することになるでしょう。仮に支出を減らすことで月間利益600万を生み出すことが可能になれば、次は支出を減らすという目的のために、色んなフローを経ることになります。

では、どういうフローを経れば良いのか。
ここが考え所です。



最も良い、ベストと思えるフローを経るための工程を考え、部下がそれを経て成果を出し、自分に自信を持ち、成長出来る環境を生み出す。

これこそ、大切なことだと思うのです。
そんために「考えて仕事をする」ことこそ、求められます。


考えて仕事をする、すなわちもっと上手くなりたい、成果を出したい、という気持ちが、「考える」作業を生み出すと僕は思います。
現在、原辰徳氏の株価が急上昇中である。

長嶋・王・野村を戦後直ぐに活躍した第2世代だとすれば、原氏は第2世代が監督としてグラウンドに立っていた頃に薫陶を受けた第4世代とでも言うべきか。
言うまでもなく、第3世代は打倒・第2世代でアイデンティティーを揺るぎないものにした星野氏や田淵氏等である。


原辰徳氏の評価はおそらく今後の歴史が判断するだろうが、V2としての評価、或いはWBCで見せた柔軟な姿勢は間違いなく高評価の対象となる。
そこには、既成概念にとらわれることなく、何を目標とし、何を成果とし、何に価値を置き、何を貴ぶか、その姿勢を窺い知ることが出来る。



原氏の評価がどうしても解れてしまうのは、彼が巨人軍の監督だからである。
あれほどの戦略がいるからこそ勝てて同然(WBCも当然、そうであろう)、負けたら罵倒どころか、権力者から人事異動と評して地位すら奪われてしまう。

しかし、組織の管理者として原氏の評価はやはり、高く見ることは出来る。


WBCにしてもそうだし、或いはV2での若手戦力の抜擢にも見て取れる、状況に即した柔軟な采配と人材の配置。
かつグラウンドに立つ選手が主役であり、監督の仕事は主役の能力を如何に引き出すかという管理職の立場を理解した采配。

原氏自身のブログを見ても、それが見て取れる。



原氏自身は恐らく彼自身が気付いているか解らないが、管理職としての理想を備えている。
それはすなわち選手はスペシャリスト、監督はマネジメントとして身を立てる、ということである。

よく「名選手、名監督足り得ず」としたり顔で話す解説者がいるが、彼らは彼ら自身、その理由が理解出来ていないはずだ。
しかしドラッカーの組織論をもってすれば、スペシャリストがスペシャリストとして組織を率いるからこそ、名監督足り得ないと私は結論付けている。


ただ、原氏はその点を弁えている。
何故か? それは周囲の人間は否定するかもしれないが、原氏の言動の節々から「野村克也氏の影響」を見て取ることが出来る。

原氏自身、野村氏の教育を受けてはいない。
野村氏の采配を、原氏自身は体験していない。

しかし、原氏は野村氏の著書を巨人軍の寮に置くほど、彼に心酔している。



それはおそらく、1つの理由があると見ている。

野村氏の評論家時代、原氏の打撃上の欠点を見抜き、週刊誌上でそれを披露し、原氏に決起を促したことがある。
原氏は素直であり、若大将の名に恥じない天真爛漫で闊達な人物である。彼からすれば、野村氏のような、根暗でブツクサ言いながら、欠点をズバズバ見抜き、選手を監督の理論と戦術に基付いて導く人物は初めて出会ったのではないか。

そこで感銘を受けたのではないか。
事実、原氏がNHKの評論家時代、97年のヤクルト優勝時、原氏は「弱者の戦略」を強調し、考える野球について熱く語っていた。



巨人軍と「考える野球」は全く当て嵌まらないかもしれないが、原氏は少なくともこうは思ったはずだ。

「巨人軍ほど、外部からの積極的な補強で成り立つ組織は無い。現状を変えないのであれば、外部からの人材に打ち勝つしかドラフト組には方法は残されていない。ドラフト組と移籍組にチャンスを与える時、ドラフト組はどうすれば移籍組に勝てることが出来るか? 考えて勝つ方法を生み出すしかない。では監督は何をするべきか? ドラフト組に対してチャンスを与え、勝つための方法を考えたプロセスを如何に評価し、勝ち残った選手を如何に登用するか、ではないか」



どちらかと言えば、原氏は王氏や長嶋氏のような調子の良い人物を登用し、ひたすら勝ち続けることを目指すより藤田氏のような勝つことを目標にし、そこに至るプロセスを管理したがるタイプではあるまいか。

自然とプロセス重視の野村学派にシンパシーを感じたとしても、不思議ではない。



今年の原監督の、残した結果に注目したい。
彼は絶対に口に出す筈である。

考えて野球をしなければいけない、と。
どのようなプロジェクトにも、技術的な課題は付き物である。
大抵のプロジェクトは、技術的にという接頭尾を付ければ、ある程度の説得力を持つ。

それはすなわち、マネジメント不足が原因なのではなく、エンジニアの技量の問題である。
技術的に優れない人間が集まった場合、どれ程マネジメント担当者が優秀だったとしても、世間の度肝を抜く製品は誕生しないのではないだろうか。


例えば、チェーン展開している居酒屋。
マニュアルは豊富かもしれないが、それでも開店当初は大抵、他店からのヘルプが入る。

それは人手が足りないのでは無く、経験不足を補うためである。
マニュアルは経験不足の人間を助けるが、それでも経験を付与することは出来ないだろう。



何度も繰り返すことになるが、組織とは目的を持った1つの集団である。
ここで気を付けなければいけないのは、集団の構成が述べられていないことである。

優れた技術を持っていても、或いはズブの素人でも、目的を持って集まっていたとしたら、組織となる。



現在、製造業では団塊の世代が大量引退することで、技術継承の危機を迎えているという。
これもまた、組織ならではの問題である。

例えば、9人の人間がいる。
彼らはある目的を持って集まった集団であり、組織となって常に問題解決に当たってきた。

9人中、2人はベテランである。
残り7人は素人である。

7人のうち、3人は20代、3人は30代、1人は50代である。
ベテランの2人は70代であり、遅かれ早かれ引退することが決まっている。

マネージャーである貴方は、どのような戦略を持って、この組織の「問題解決」に当たるべきか?



様々な考え方がある。

50代の素人をクッションに置き、20代、30代に技術継承を促す。
或いは20代3人と30代3人にそれぞれ1人ずつベテランを配置し、技術継承を促す。もちろん、50代の素人は先を見ても短いので解雇する。

ただ、ここでどうしても考えなければいけない事は、マネジメントである貴方自身が、恐らく人数に含まれなかったことである。
マネジメントである貴方自身が、なぜベテラン―スペシャリストである70代の2人から教えを乞うことを考えなかったのか。ここにマネジメントとスペシャリストの違いが出てくる。



スペシャリストは、グラウンドで活躍する存在である。
長嶋茂雄のように天真爛漫で、溌溂としたプレーをし、時に全員が息を飲むような闊達な動きを見せる。

スペシャリストに、マネジメントが勝る点はあまりないかも知れない。
しかし、スペシャリストはマネジメントを行う人間の下に配置される。

長嶋茂雄の上には、川上哲治が存在した。
では川上氏は長嶋氏にとってどんな存在であったのか?


判断と指示を行なう存在だったのではないか。
長嶋氏にベストパフォーマンスを求める、管理者だった。

つまり、スペシャリストとは専門的な知識・技術を使う仕事に従事する人間を指し、マネジメント(マネージャー)とは判断と指示を行なう管理の仕事に従事する人間を指す。



スペシャリストは、マネジメントされる側の人間である。
そして、マネジメントはスペシャリストによって成果を生んで貰う存在である。

そう定義すれば、プロジェクトマネジメントにおいて、如何にしてスペシャリストを扱えば良いかは一目瞭然である。


少数精鋭で、技術力に乏しい組織ほど、スペシャリストを重宝する。
その時起きてしまうのが、マネジメントがスペシャリストに管理すら移管してしまうケースである。


しかし、こういった場合、大抵は良い結果を生まない。
判断と指示を行う系統と、知識と技術を使う系統は、違うからである。

従って、スペシャリストが意見したとしても、マネジメント層がそれに従う場合、それは追従ではなく、自身の判断と責任で決断を下さなければいけない。