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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

自分の机の範囲でしか仕事をせず、出来ない理由ばかりを並べ、技術的リスクに発狂し、少しでも進捗が悪くなるのであれば「だから止めておけば良かったんだ!」と喚く人間―僕はこれを技術屋と呼んでいます。

生息地は主に大企業ですが、時たま技術的スキルが高くて周囲が誰も口を挟めない環境になった場合に、中小企業でも生息することがあります。


うちの会社では、エンジニア20数名の中でも15名ぐらいが技術屋です。
驚くべきことに技術屋でないのは僕のような文系エンジニアばかり。

どちらかと言えば、技術的スキルが高く、何でも直ぐに出来てしまいそうな人ほど、技術屋の傾向があるようです。



僕自身、彼らが技術者から技術屋になってしまう傾向は解らなくもありません。

まずは上から無理難題の問題が降られて、しかも短納期で開発しろと言われる。
出来なかったら怒られるし、仕方無くやるけど、結果は低品質・バグだらけで最悪の商品。

だから言ったのに、と技術者は言うけど、お上はそんなこと関係なく「何だこの体たらくは!」と怒鳴り散らす。
そこで「こんな短期間では無理です!」と言い返す。

「それをするのがエンジニアの仕事だ!」
「出来ないんだから仕方がないでしょう!」

このやりとりの繰り返しで、いつしか技術者は自己保身と責任逃れの技術屋に成り下がってしまう。
非常に最悪のパターンです。



で、そんな人間が会社の約80%~90%を占めると。
仕事がしにくくて仕方がない(笑。

最近は非常に厄介で、何が厄介かって新卒2年目までがそういった毒毛に侵されていること。
この前も10月からの経営戦略の一環でローカルアプリを製造するという方針が決まると、すぐに技術屋が陰で「あれだけローカルアプリは大変だから、それ専門のエンジニアを雇えって言っているのに……それもしないで、何がローカルアプリなんだよ。ふざけんなよ」って言い出す。

すると新卒2年目が「そうですよね、ローカルアプリって結構、セキュリティ上ちゃんとやらないといけないですよね」と同調する始末。


さすがにマズいなと思って「お客様がそれを望んでいるんだから。どうせコーディングするなら、誰も望んでいないものより、お客様が望んでいるものをつくりたいやろ?」と声を掛けました。

すると、横から先輩社員が割って入ってきて「ローカルアプリは技術的にリスク高いって前から言ってるのに。出来もしないんだから、そんな経営戦略言ったって仕方がないでしょ」と言い出した。


さすがに、これには僕もプチンときれて「やると言ったらやるの!決めたの!なんや、あんたは。リスク、リスクうるさいなぁ!責任は俺が取るの!出来なかった場合に責任を負うのは君らやない、俺や!それで十分でしょ!」と叫びました。

それでも、まだ何か云いたそうな顔をしていましたが、僕がギッと睨むと、口をつぐみましたが……。



何が悲しいかって、こんな悲観的な発言をするのは、社内で一番技術力が高いエンジニアですからね。
本当に悲しいです。

次に同じようなことを言ってきたら、「お前ら、何もしてない癖に、出来ひん理由ばっかり集めやがって!技術者やったらどう工夫すれば出来るか、その理由を集めてこい!その情報で決断を下すのは、俺じゃ!」とでも叫びましょうかね。



確かに、エンジニアとして腕が良いというのは、素晴らしいことです。
しかしどんなに優れたバットであっても、打者が打席に立たなければただのバットです。

エンジニアの腕は誰のために用意されているのか?
それは、システム開発の恩恵を預かるべき顧客であるべきです。


顧客の要望を解決するためのエンジニアの腕が、いつしか組織の停滞をはかるために使われている。
そんな技術屋をどうすれば良いのか?



それが最近の悩みどころです。
7つの大罪と言えば、キリスト用語の1つですが、その内容を読んでみると、なかなか示唆に富んでいて面白い物があると思います。

傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
人間を罪に導く可能性があると見られてきた欲望や感情のことを指すそうです。

何が面白いかと言えば、人間は「欲望や感情」によって罪に導かれる、という姿勢です。
罪を生むのは人間であり、なおかつ人間の欲望や感情が罪を生むと言っている。



欲望は必ずしも、否定されるものでは無いと思っています。
マズローの欲求にもあるように、最終的には自己実現こそが「人間が生きている理由を最も体験出来る」であろうと僕は思うからです。

ピアノを上手くなりたい、水泳のタイムを縮めたい、仕事を成功させたい。
そんな欲望や感情が時に成功を生み、人間を幸せにするのだと思うのです。



しかし、そこに嫉妬や強欲、傲慢などが人間を支配してしまうと、セーブが出来なくなってしまう。

ピアノがあの子よりも上手くなれないなら、いっそあの子がピアノを弾けないようにしてしまおう。
水泳のタイムをより縮めるようになるなら、筋肉増強剤だって飲んでしまおう。
仕事を成功するためだったら、法律を破ってしまおう。

人間の心が、本当の意味で「7つの大罪」に染まってしまった時。
人間は自分の意志で生きているように見えて、罪の力によって生かされている―僕は、そう思います。



人間の欲望。

こいつほど、厄介で面倒な存在は無いのでしょう。
ずっと悩んでいました。

管理職になるかなるまいか、精一杯努力した方が良いのか。
ドラッカーが言っているように、本当に大切なことは「正しいか、間違っているか」ではなく「やるか、やらないか」であるというのに、どうしても自分の物差しで物事を見てしまい「それは間違っている!」と言う人がいる環境で、果たして上手くやれるのか。


しかし、まぁ……誰かがやらなければ、いけないのでしょう。

恐らく大切なことは、7つの大罪に対して背を向けることではなく、7つの大罪と向き合うことでしょう。
そして自分の心に「嫉妬」や「怠惰」が目覚めた時に、それを受け入れ、克服することこそが、大切なのだと思うようになりました。


それが「強くなること」なのだと思うのです。



僕は強くなりたいです。
踊らされるのではなく、周囲が奏でるメロディーにノッて踊りたい。

そのために、7つの大罪と共に踊るのではなく、7つの大罪と対峙しながら踊り、相手が誘惑するのを断ち切りながら、踊り続けたいと思います。
管理職への就任を承諾しようと思ったら、びっくりするぐらい下らない理由で僕の管理職就任が夢になっていたことが発覚しました。
その理由は、

「あいつはコーディングが出来ない」

下らないし、非常に情けない。
どうやらコーディングが出来ない人間は、管理職になれないそうです。

システム設計をして、営業折衝をして、モデリングする。
さらに部下のスケジュール管理だってしているんですけどね。

コーディングが出来ない、という理由だけで管理職になれない会社なんて、辞めましょうかね。
ほんと。



でも、そんな下らない理由で却下する会社なので、俄然と燃えてきました。

下らない価値観の中でしか生きられない会社に、仕事は成果で評価されることを知って頂きます。
って、おれはマッカーサーか。



だって、そうでしょう?

彼らが縛られているのは過去であり、何も出来ない他人と恨んでいる姿。
でも僕は未来しか見ない。

僕が変えられるのは未来。
そして、なおかつ変えられるのは自分だけ。

他人を変えられる、なんてさらさら思っていない。
人間は自分自身でしか変えられない。



なおかつ、組織は人間で構成されるから、人間が変わらないと組織は変わらない。
色々と難しいですが……挑戦していこうと思います。
管理職の決断、そろそろ迫っています。
が、まだ迷っています。

待遇が悪すぎるのです。
一般職から、管理職にはなりたくないという声が上がるぐらい、仕事量は多いし、残業時間は22時23時は当たり前になっている、しかもスキルアップは望めない、ときた。

一瞬、ブラック企業か?と思えてしまいます。
が実は僕の勤めている会社、そこそこ有名な会社なんですよね。


つまり、IT系企業の日常ってこんな感じなんだろう、というのが僕の率直な感想です。



だからこそ問いたいのですが、皆さんは何故、今働いている企業に勤めているのでしょうか?
特にIT企業で働いている社員の皆さん。その企業でなければいけない理由はあるのでしょうか。

朝起きて会社行ってコード書いて昼飯食べてコード書いて事務職が帰ってコード書いて眠くなったから家に帰って寝て朝起きて会社行ってコード書いて……。

ドラッカーが描いた知識労働者の姿は、IT業界にこそふさわしい筈なのに、なんですか。
この現実は。

僕は、悲惨なこの現状を「絶望工場」と呼んでいます。
プログラマがコーディングしているのは、ソフトウェアではなく絶望だと僕は思うのです。



なぜ、こういう状態に陥るかと言えば、企業にとって人材が替えの利く状態だからだと思うのです。
つまり今日書いているコードが、別に違う人間が書いたとしてもソフトウェアは動くにお金になる―経営者がそう判断しているケースが多いからです(本当は違うのですが)。

つまり、正社員という名前が付いているにも関わらず、実際は請負の存在と変わらない。
育成のための投資がされないし、替えの利く人間だからそもそも投資をしようとも思っていない。



この状況を改善するためには、どうすれば良いのか。

正直、僕の中で答えは見つかっていません。
こういう状況に満足している経営者が経営者なら、こういう状況になっても何も文句を言わないエンジニアもエンジニアではないか?とも思います。

結局、やらないといけないことは、

■エンジニアがスペシャリストとして活躍出来る環境作り
 ⇒「この人にしか出来ない仕事」を生み出す

■スペシャリストが生み出した仕事の普遍化
 ⇒この人にしか出来ない仕事を、誰もが出来るようにマニュアル化してその他の人の成長を促す

■仕事に対して責任を持てる環境作り
 ⇒スペシャリストとしての能力を持たせることで、仕事への誇りを持たせる、それが成果への責任となる

■スペシャリスト育成のためのお金作り
 ⇒金を生むのは事業では無い、金を生むのは人である。だからこそ、人のためにこそ金を使うべきである


この4点かな、なんて思っています。
先日、管理職になる打診を受けました。
社内では最年少の管理職になりそうで、それはつまり僕より年上の人が一般職という状況な訳で受諾するか凄く迷っています。


ただ、そんな僕の肩を押しているのは、ある同期の一言です。

同期には夢があります。
聞いてみると、下らない、とてつもなく馬鹿らしい夢ですが、彼は本気です。

そんな彼が言いました。


「俺には夢があんねん。その夢をかなえるために、今の会社に入社した。せやけど、今の会社では、とても夢なんて叶えられそうにない」


その言葉が胸に刺さりました。



彼は朝起きて会社に来て仕事をして会社を出て家に着いて寝て―単純に、自分自身の時間の切り売りをしているにしか過ぎないことを承知の上で、今の会社に勤めている。

生きるために。
衣食住のために。

そんな環境で、働くことが果たして本当に良いのか。
そしてそれは僕自身にも当てはまることなんですよね。



いつからか、働くことは「生きるため」であり、「国際競争力を高める」ことの名の下に、働くプライドは消え去ってしまったような気がします。

皆さん、働くときにプライド持って仕事されていますか?
仕事に対する誇りを持っていますか?



日本が築いた高度経済成長、それは何よりも「働く」ことに対する誇りとプライドを持ったビジネスマンが居たからではないか?と僕は思っています。

金じゃなく、働くことに対する自分自身のプライド。
それを壊したはいったい誰なのでしょうか。



僕は、挑戦したいと思っています。

管理職という立場に立って、僕は一般職だけでなく社内の人間に対して、仕事に対する誇りとプライドの再起動を促さないといけないのではないか―そんな使命感が、急に胸を締め付けています。


ソースコード書くだけ。
自分がしなくてもよい仕事を、自分の時間を切り売りして担っているだけ。

そんな環境で、仕事に対して誇りを持てと言う方が間違っているのかも知れません。



自分の仕事に自信と誇りを持つということは、自分自身に自信と誇りを持つことと同意義だと思うのです。
そのためだけに、僕は管理職になっても良いかな、と最近は思うようになっています。