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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

ハゲタカシリーズで、真山氏が描いているのは「現状を受け入れようとしない旧態依然の日本人」vs「現状を受け入れるために自らの手で変えようとする日本人」vs「現状を受け入れない日本人に匕首を突きつける日本人」という三者三様の姿ではないか?と思います。



改革の全ての原点は、現状を変え、正しい方向へ導くことだと思います。
では、出発点はどこか?

それは、自分自身の足元だと思います。
こんなはずじゃない、こんな現実は違う、そんな出発点からの改革は絶対に成功しない。



赤字の原因を確かにする。
停滞感のある組織の理由を明らかにする。
低迷の原因をはっきりさせる。

日本人は、こういうことが嫌いだと思います。
なぁなぁで済ましてしまう。仕方がないじゃないか、で終えてしまう。


しかし、そこに待ち受けているのは、ハゲタカで描かれているような、現状を受け入れようとしない旧態依然の日本人であり、その姿は鏡に映ったあなたです。



どんなに辛くても、どんなに厳しくても、何かを変えるためには、それなりの血は流れます。
しかし、それはよく考えれば新陳代謝だと思うのです。

何かを犠牲にしなければ、何かを掴むことは出来ない。
それでも、人は何かに挑戦しなければいけない。



なぜなら、時代は変わるからです。
人間、システム、関係性―時代に併せて、それらも変わっていくのです。

変わらずに生き続けるためには、変わり続けなければいけません。
変わり続けるためには、変わろうとする意志を持たなければいけません。
変わろうとする意志を持つためには、今この現状に甘んじる訳にはいきません。
この現状に甘んじないためには、もっと上をもっと上をという挑戦心が欠かせません。
挑戦心を持ち続けるためには、常に「不満」を持ち続けなければいけません。


こんなはずじゃない!
これぐらいじゃ満足できない!


そういう「良い意味での不満」を心に宿すことが、挑戦心に繋がります。


どうせ無理だ。
やったって仕方がない。


そういう「悪い意味での不満」が心に宿った状態で、挑戦出来ますか?



まずは現状を見て下さい。
この現状。

目の前に広がる現状から目を逸らすことなく、それを受け入れることが、改革の第一歩だと思います。
突然ですが、皆さま、誇りを持って仕事をしていますか?

僕自身、常々思っているのですが、誇りを持って仕事をするということ、つまりプライドを持って仕事をするということは自分自身の仕事に対して責任を持つということに繋がる、と思っています。

すなわち結果責任を負うことだと思っています。
エンジニアであれば成果物に対しての責任を負うことこそ、仕事に対する誇りの証明だと思います。

例えば、陶芸やっている人が、創った陶器をお客様に販売し終わった後に「まぁ、あれは駄作やから、直ぐに壊れるでしょ」なんて言ったら、仕事に誇りを持っているなんて言えますかね?

それと同じことです。



そう言う意味で、2001年以降の景気拡大の中で、企業の業績が伸びた背景に、派遣・請負の人がいたからだと言われていますが、結局は売上は伸びたけどプライドは折れた、というのは言い得て妙だと思います。

製造業は、プライドをお金に交換した、と。



よく暖簾や名誉が、金になるのか!と言います。
松下電器も、90年代後半は名誉だけで飯を食ってきたと言われています。

しかし、それとこれとは話が別で、行き詰った企業と、培われてきた技術力は別だと思います。



例えば、凄腕のギタリストがいたとします。
A交響楽団で1番の実力者だとします。

しかし、A交響楽団自体は赤字です。
その赤字をてっとり早く解消するためにはどうすれば良いか?

A交響楽団で一番の実力者を解雇することです。
或いはクラウン・ジュエルではないですが、B交響楽団に売り飛ばし、A交響楽団自体は解散することです。


ああなたならどうしますか?
A交響楽団には200名を超える人間が働いています。

ここで解散すれば、200人が路頭に迷います。
しかしA交響楽団で1番の実力者を売り飛ばせば、その金でしばらくは過ごせますが、それでも一瞬の出来事でしかないでしょう。



僕ならまず、赤字の根本原因を探ります。

チケットが売れていないのか、人件費が高いのか、収支に見合ったコンサートを開けていないのか。
そこからさらに、あるべき理想像を掲げます。

そうですね・・・…例えば、日本一の交響楽団を目指す。
そしてA交響楽団で実力ナンバー1の人に指揮を執って貰い、そのビジョン達成のために全力を出して貰います。

もしかしたら、その厳しさについてこれないかもしれません。
しかし、ナンバー1を目指すということは、その分野の頂点を目指すということですから、厳しいのは当然と、辞表だって受理します。


でも、僕は彼らに問いかけるでしょう。

「何のために働いているのか?」

「給料をもらうためなのか?」

「他の彼らは、日本で1番の交響楽団になるために、働いてる」

「金は、仕事で成果を出したから貰っているんじゃない。皆に仕事を引き受けてもらうために、その謝礼として払っているんだ」

「金が不満なら、他にいけば良い。しかし日本で1番の交響楽団を目指している楽団はどこにあるかな?」

「金のために働くか?夢を掴むために働くか?」

「金のために働くか、自分のために働くか、なんだ」



仕事とは、皆さんにとっての仕事とは何ですか?

その仕事に誇りを持てますか?

ついに社内の技術屋と喧嘩しました。

「みんなは言い訳ばっかりが上手くなったなぁ。本当のエンジニアは、出来る理由を探すんじゃないのか?出来ない理由を探すのがエンジニアなら、そんな人いらん!」

と言ってみました。



なんでこんなことになったかと言えば、今、僕は会社の中期経営戦略を練っているのですが、そこで戦略に基づいた技術新開発をしないといけないので、

「こういう状況であれば、こういう新開発が必要ではないか?」

と言ったんですね。そうしたら、

「経験者がいないから無理!」

の一言。確かに経験者がいないから無理かもしれないですが、100%無理という訳ではない。
何よりもそういう全くリスクを取らない、拒絶した姿勢に少し腹が立って、

「無理も何も、やらないことには話が始まらないでしょう」

と言うと、

「僕は前から経験者が必要だと言ってきた。それでも会社はそういう人を採らないんだ」

という返事。
つまりロジックとしては、

新開発は経験者じゃないと無理=自分は担当しない

という訳なんです。
しかし、その人は会社で1番の高給取りで、何よりも技術経験の豊富さで採用された人です。

あんた、何のためにこの会社いるんだ!と叫びそうになりながら、

「これだけ人数がいるんですよ。いつまでも同じことやっても仕方がないでしょう」

と反論。

「人数の問題じゃない。経験の問題」

「じゃあ、1からやりましょうよ」

「3年は掛かる」

「そんなことないですよ。どういう根拠あるんですか?」

「優秀な技術者になるには、最低3年」

「そんな優著なこと言っていたら、会社潰れちゃいますよ。どこかでリスク覚悟で挑戦しないと」

「だから、だったら人採れって話ですよ」

と、ここまできて、冒頭の発言です。



つまり、技術屋さんのスタンスとしては、


1.リスクは嫌だ
2.自分の持っている技術と、新しく取り組む技術は趣が違う
3.自分はやるだけのことはやった


この3点なのですが、社内の多くのエンジニアが、これと同じようなことを言います。

「そんなリスク背負って、誰が責任取るんですか」
「僕が出来るのはこれこれであり、それこれは出来ません」
「やれるだけのことはやったし、それでも周囲は動かないんだから、それはそいつが悪い」

つまり、現状のままでいたいし、自分の知らないことは「新しいことへの挑戦」ではなく「知らない分野での失敗を防ぐ」意味で反対するし、だからこそ自分の机の範囲でしか仕事はしない、と。


非常に嫌です。
腹が立ちます。



ドラッカーの本に出る、3人の煉瓦職人の話があったと思います。

その中でも、2番目の煉瓦職人ばかりが社内にいます。
しかもプライドや意地だけは高いのに、誇りは0の煉瓦職人。

堕落したエンジニアです。

共通項としては、



・自分の知っていることは、周囲も知っていないとおかしい
・技術のことが知らないなら、勉強してから話し掛けてこい
・自分は職人気質だから、仕事は教わるのでなく盗め



この3点でしょうか。

この前も、後輩の営業社員が技術的なことで悩んでいたら、丁寧に解り易く教えるのかな、と思ったら、さらに小難しい技術用語を並べて解説するから、はっきり言って驚きです。

「そんな難しいこと言ったって、しゃあーないでしょう」

と言うと、

「だったら調べたらいい」

のひとこと。
それが出来ないから、てめぇに聞いてきたんだろうが、と胸倉掴みたくなりましたが。



さぁ、これからどうしますかね。
堀江氏がホリエモンとして脚光を浴びていた頃。
つまりライブドアの経営者として華やかな人生を歩んでいるように見えた頃。

そして現在の堀江氏。


いずれも同じ人間なのに、どうしても違う人間のように見えるのは、あの頃は主な情報源が堀江氏にバイアスを掛けたメディアだったのに対して、現在は堀江氏のスタンスに共鳴するメディアからの情報が多いからでしょうか。

ただ、所謂、対検察、対国家権力という静かなバイアスが堀江氏の周囲を囲んでいるように見えて、少し気がかりではあります。

恐らくは佐藤優氏のような生き方を、このままだとしたらされるのかなぁ、と思っています。
ただ堀江氏の語る宇宙ビジネスは非常に面白いですし、ぜひ民間人でも気軽に宇宙に行ける世の中になればなぁと思ったりもします。



ただ、気になるのは、知らず知らずのうちに、堀江氏が佐藤氏が完全に嵌ったロジックに陥らないか、という点です。

基本的に、僕もベンチャー企業で働いているので何となく解るのですが、ビジネスはルールを作った人間が勝つと思います。
そのルール内で優位に戦うことこそ、ビジネスで勝利へと近付くポイントだと僕は思っています。


だから最近の佐藤氏の場合だと、あらゆる出版社で本を出版し、小林よしのり氏との騒動に見えるような、自分への批判を封じ込めるために、あえて右翼・左翼とのウィングを広げ、自分批判を許さないというルールを作った―僕はそう理解しています。

堀江氏も、いわゆる規制改革派として鳴らした―少なくとも、近鉄球団買収騒動、ニッポン放送買収と通じて、日本に巣食う老人外人集団を駆逐する若手という構図がそこにありましたし、堀江氏はその構図に乗っかったようにも見えます。

つまり、堀江氏は既存の日本を覆う政治―官僚―日経連という鉄のトライアングルというルールを壊す側の人間であり、また同時に、新しいルールを構築しようとしていたのではないか?と推測します。



ルール対ルールという構造で面白いのは、何れも「自らの正義」を主張することです。

小泉改革でも同様ですが、片方の正義が片方の正義を「守旧派」と詰るように、何れにも正義がある時こそ、僕は最も面白いビジネスゲームだと考えます。

堀江氏も恐らくそう思っていたからこそ、小泉郵政選挙に立候補したのではないでしょうか?



ただ、堀江氏にとって意外というか、悔しいというか、あの鉄のトライアングルに含まれる官僚に、法務省が存在して、検察庁―裁判所という、いわゆるUMLで言う「include」的存在があったことは、本当に最大の読み違いだと思います。

結果として、堀江氏は負けたと僕は認識しています。
ルール対ルールの競争で大切なのは、正しいか正しくないか、ではなく、勝つか負けるか、だと思います。

どんなに正義を主張しても、負ければ終わりです。
そうやって堀江氏はベンチャービジネスを成功されたと思うのです。



そう言う意味で、最近の堀江氏の主張の中に、自身の正当性が主張されていることは、正しいと思っています。

堀江氏は裁判というルールの中で、無罪を勝ち取らなければいけないからです。
そのために自身の正当性は幾らでも主張しなければいけないでしょう。



ただ、彼の周囲にいる支持者はそれをどこまで理解しているのか―だけ解りません。

堀江氏にとって、法律的な部分での無罪か有罪かという正当性の証明は必要だと思うのですが、ビジネス的な意味合いでのルールに勝っていた負けていた、という部分での説明は、どうかな……と思ってしまいます。

堀江氏自身は非常に頭が切れるので、恐らく理解されていると思うのですが、ルールに挑むということは正しいか間違っているかが大切なのではなく負けたか勝ったかが大切だと思います。


ビジネスの世界で、負けた人間に正当性があろうと、勝っている人間が正当性を確保されるのは間違いないです。
いわんや戦争をや。

もし、堀江氏が裁判での正当性を確保するという意味で、自身の一連の容疑を晴らすために自分の正義を真実を語るのであればぜひ応援するのですが、それがいつの日かビジネス的な意味合いを含めて「あれは間違っていなかった」と言い出したら、僕は非常に残念だと思います。



放送と通信の融合という錦の御旗で既存ルールへの破壊と新しいルールの構築を目指して、フジグループへの買収を仕掛けたと思うのですが、それが結局は既存ルール側が勝ってしまった。

であれば、今度は違う角度で「既存ルールへの破壊」という挑戦をした方が、面白いと思います。
やっぱり放送と通信の融合は間違いないんだ、あれは正しいと、このビジネス分野に再挑戦して成功している企業はどれほどいるでしょうか?

Gyaoは赤字だしなぁ……。
ニコ動も、ビジネス的に成功していると言えるんでしょうか。



とにかく、宇宙ビジネス頑張って欲しいと思います。
今回は簡潔に。



組織のリーダーを入れ替えることで期待出来る効果は2つだけ。

雰囲気を変える。
危機感を抱かせる。

横浜首脳陣は、悪い流れを断ち切るためと説明したが、その流れを作っているのは大矢監督だけではなく、選手でありコーチであり、そしてフロントである。

大矢監督1人のせいにしたとしても、その責任を選手やフロントが感じなければ、横浜はこれからも強くならない。



なぜか?

人間は、自ら変わろうと思わない限り、変わらないからだ。
大矢監督1人が途中休養したぐらいで本当に選手が危機感を抱くのだろうか?

1999年~2001年に阪神タイガースの監督を務めた野村克也氏が良い例だ。
この時代の選手は、結局、誰も変われなかった。

しかし時代を経て、色んな経験を積み、矢野、桧山らが「考え方を変えた」。
その結果、何れも40代にしてグラウンドに立ち続けている。



大矢監督にとっては、間違いなく憂鬱だろう。
あれこそ、中間管理職の悲哀だと思う。

選手はいないのに、成果を求められる。
勝ちに拘りたいのに、気持ちが選手に届かない。

その結果が、フロントからの解任通告。



しかし、誰がいつ、大矢監督と同じ道を歩まないとも限らない。
大矢監督の失敗から、僕らは何かを学ばなければいけない。

それは停滞する組織を上昇させるための切っ掛けは何か?というものである。
しかも、リーダーを交代させること以外で。


そうすると、やはり2つの施策しか考えられない。


1.雰囲気を変える
  今までとは違う雰囲気を感じて貰う。やり方を変える、考え方を変える。
  とにかく、組織の人間に「今ままでと同じではダメなんだ」と痛感させる。
2.危機感を抱かせる
  「このままだとダメかもしれない」と思わせる。
  変わらないといけないと1人でも思えば、後は自然と伝染する。


つまり、大矢監督を休養させるという選択肢を取らなくても、組織は変われたと僕は思うのだ。

大矢監督が変化を拒んだなら、別だが。
どうしても僕には、大矢監督がスケープゴートにされたとしか思えない。