さぁ、また1週間が始まりました。
100年に1度の大不況、何が飛び出すか解らない経済状況。
倒産は悲惨、父さん母さん一家離散。
……なんて。
会社は役員と社員で構成されているのなら、ある意味で生き物ですよね。
会社は生きている。
だとしたら、どれくらいの寿命があるんでしょうか。
上場企業12年説なんてありますが、果たして本当でしょうかね。
誰か教えてください。
どうすれば、会社を活性化させ、停滞気味の組織を再生させることで出来るのでしょうか?
僕はハゲタカの「芝野」になりたい。
会社に夢と希望を持ちたい。
会社に勤める社員の、勤勉さと高い能力に賭けてみたい。
そのためには、選択と集中、そしてモチベーションの向上、さらに将来への投資が不可欠だと思っています。
1.選択と集中について
いわゆるBSのための「選択と集中」ではなく、企業にとって必要な事業、不必要な事業を選択し、人員をそこに集中させることだと考えます。
ジャック・ウェルチも、ナンバーワンとナンバーツー以外はいらないと、様々な企業をバッサバッサ切り捨てていきましたね。それに近いものがあります。
つまり、会社の利益源泉に人員を投下するだけでなく、会社のコア・コンピタンスを見極め、誰に必要とされている事業か見直したうえで、その分野で利益を出せるのであれば、お金を注ぎ込むべきだと思います。
2.モチベーションの向上について
会社は人で構成されます。人のいない会社は存在しない。
そして、人はどれほど理性を保っていたとしても、感情に左右される生き物だと思います。
従って、モチベーションを高めることは欠かせないと思います。
もしかしたら生産性も向上するかもしれません。
しかし、人間の気持に頼った生産性は危険ですから、直ぐに生産性を向上可能な販売・生産の仕組みを考えなければならないでしょう。
3.将来への投資
コア・コンピタンスへの投資といえども、諸行無常の世の中、いずれ衰退してしまう産業です。
ウェブの時代になって、ソフトもハードも、勃興と衰退のサイクルは異常なまでに早いと思うのです。
だからこそ、将来の「金のなる木」のために、投資が必要だと思います。
けどなぁ。
これじゃ、何かが足りないんだよなぁ。
なんだろう。
頭がはげそうだ……。
ハゲタカを見てきました。
柴田さん演じる、芝野がアカマ自動車社長に対して進言する、「こんな時代だからこそ、夢や希望を語るリーダーが必要なんです!」というセリフは、胸が震えてしまい、号泣しました。
ハゲタカは、サブタイトルに「ROAD TO REBIRTH」と銘打たれています。
つまり再生への道、復活への道―日本企業がどうやって再生、復活するのか?
そして、人間は再生することが出来るのか?
一度堕落した人間が、復活できるのか?
そこに焦点が当てらてた物語だと思います。
僕自身、まだ答えが出ている訳では無いのですが、この映画を見て「日本人は何をしているんだろう?」と思ってしまいました。それは日本を卑下しているのではなく、劇中で芝野が「日本人はまだまだやれる」という激動に近いものがあります。
技術力がある。
製品開発力がある。
それなのに、台頭する中国に媚を売り、アメリカに媚を売り、まるでプライドを失った、自信の無い子供と一緒じゃないですか―なんて思います。
日本人にとって、働くって何だったのでしょうか。
小泉・竹中両氏が悪い、なんて思いません。
少なくとも、この2人が何かしらの影響を与えたのでしょうが、日本の行く末がだらしがないのを、政治家のせいには出来ません。
一番悪いのは、何かダメなことが起きた時に、直ぐに他人のせいにしてしまう自分自身ではないでしょうか。
映画「ハゲタカ」でも、金融コングロマリネットを目指す古谷社長は業績が悪い理由を言い訳しています。
つまり、何時の間に日本の経営者は自分の会社の業績が悪くなった理由を、為政者のせいにするようになってきたのでしょうか?
そして日本人各個人も、あれが悪かった、これが悪かった、あれはあいつのせいだ、これはあいつのせいだ―それで本当に明日を切り開くことが出来るのでしょうか?
働くとは何かを考えるということは、生きるとは何かを考えることだと思います。
生きるために働くのではなく、働くために生きるんです。
つまり、働くとは生き甲斐―自己実現のためなのではないでしょうか?
プライドよ、再び―そう思います。
政治家のせいにしない。
経営者のせいにしない。
上司のせいにしない。
日本が復活するためには、まずは腐った自分自身が復活しなければいけない。
そして腐った自分自身が復活するためには、その理由を受け入れないといけない。
目を背けている場合じゃない。
柴田さん演じる、芝野がアカマ自動車社長に対して進言する、「こんな時代だからこそ、夢や希望を語るリーダーが必要なんです!」というセリフは、胸が震えてしまい、号泣しました。
ハゲタカは、サブタイトルに「ROAD TO REBIRTH」と銘打たれています。
つまり再生への道、復活への道―日本企業がどうやって再生、復活するのか?
そして、人間は再生することが出来るのか?
一度堕落した人間が、復活できるのか?
そこに焦点が当てらてた物語だと思います。
僕自身、まだ答えが出ている訳では無いのですが、この映画を見て「日本人は何をしているんだろう?」と思ってしまいました。それは日本を卑下しているのではなく、劇中で芝野が「日本人はまだまだやれる」という激動に近いものがあります。
技術力がある。
製品開発力がある。
それなのに、台頭する中国に媚を売り、アメリカに媚を売り、まるでプライドを失った、自信の無い子供と一緒じゃないですか―なんて思います。
日本人にとって、働くって何だったのでしょうか。
小泉・竹中両氏が悪い、なんて思いません。
少なくとも、この2人が何かしらの影響を与えたのでしょうが、日本の行く末がだらしがないのを、政治家のせいには出来ません。
一番悪いのは、何かダメなことが起きた時に、直ぐに他人のせいにしてしまう自分自身ではないでしょうか。
映画「ハゲタカ」でも、金融コングロマリネットを目指す古谷社長は業績が悪い理由を言い訳しています。
つまり、何時の間に日本の経営者は自分の会社の業績が悪くなった理由を、為政者のせいにするようになってきたのでしょうか?
そして日本人各個人も、あれが悪かった、これが悪かった、あれはあいつのせいだ、これはあいつのせいだ―それで本当に明日を切り開くことが出来るのでしょうか?
働くとは何かを考えるということは、生きるとは何かを考えることだと思います。
生きるために働くのではなく、働くために生きるんです。
つまり、働くとは生き甲斐―自己実現のためなのではないでしょうか?
プライドよ、再び―そう思います。
政治家のせいにしない。
経営者のせいにしない。
上司のせいにしない。
日本が復活するためには、まずは腐った自分自身が復活しなければいけない。
そして腐った自分自身が復活するためには、その理由を受け入れないといけない。
目を背けている場合じゃない。
最近、思うことがあります。
リーダーに大切なことは、その人間の器だって聞きますが、おいおいそれって本当か?
そもそも、人間の器ってなんでしょうか。
その器に肉じゃがでも入れて、飯でも食いますか?
リーダーってぇのは、人の頭の上に足を乗っけるんでしょ。
役割が違うだけで、どんな人にだって「器」は必要でしょう?
器に囚われている限りは、その器から出られないんじゃないでしょうかねぇ。
最近、そう思います。
リーダーに大切なことは、その人間の器だって聞きますが、おいおいそれって本当か?
そもそも、人間の器ってなんでしょうか。
その器に肉じゃがでも入れて、飯でも食いますか?
リーダーってぇのは、人の頭の上に足を乗っけるんでしょ。
役割が違うだけで、どんな人にだって「器」は必要でしょう?
器に囚われている限りは、その器から出られないんじゃないでしょうかねぇ。
最近、そう思います。
仕事で一番、大切なこと。
責任を持つこと。
皆さん、今やっている仕事に、どれくらい責任が持てますか?
確かにバグ無しでリリース出来たら最高です。
しかし、どうしてもミスはあります。
ミスしてしまうのは仕方がありません。
しかし、ミスを放置してしまうのは仕方がありません。
例えばバグ。コーディングミス。
仕様バグと知っていながら、それを放置するなんて、トイレに行ってウンコ流さないのといっしょです。
はっきり言って、迷惑です。
誰が好き好んで、バグだらけのソフトウェアの製品の改修を行うというのですか?
誰がそんな、バグだらけのソフトウェアの改修をして責任と誇りを持てるというのですか?
ミスを修正しない。
放置する。
それは、全てのエンジニアの誇りを奪うに等しい。
お聞きします。
皆さんは今、自分のしている仕事に、誇りを持てますか?
放置されたコーディングミス。
改修されない仕様バグ。
迫る納期。
売上死守の声。
業務改善の要望。
長時間労働。
疲労。
手を抜きたい。
そんな時、悪魔は囁きます。
目の前に、インタフェイスの出来た成果物があるじゃないか。
仕方ないよね。
だって、もともとバグっているんだから。
これじゃ、負の連鎖。
誇りを奪われた貴方が、
誰かの誇りを奪っていませんか?
その負の連鎖、
そろそろやめにしませんか。
確かに、バグっているものは仕方がない。
それを放置した、バグを生んだ人は確かに憎い。
しかし、そんなことはお客様に関係ない。
バグだらけ、不良だらけの今立っているその場所からは、絶対に逃げられない。
劇的に変わることは、難しい。
確かに誇りで飯は食えません。
誇りで業績は上がりません。
しかし、自分の仕事に誇りを持てない人は、その成果物も誰にも誇れないものになっているはず。
額に汗する、だけで勝てる時代じゃない。
楽して勝つ。
如何にして利益を出すか。
それを必死に考えないといけない。
しかし不思議なことに、その利益を生む担い手は、金はしょせん紙だって解っている。
紙で自分の心が満たされないと解っている。
だったら、自分の心を満たすために、何をしないといけないか。
確かに現実はそんなに簡単じゃない。
しかし、その現実にどれくらいの人が一生懸命向き合ってますか?
俺には関係ない。
きっと、誰かが、なんとかしてくれる。
皆さんは、そんな人と一緒に働きたいですか?
さぁ、まずは一歩を踏み出しましょう。
責任を持つこと。
皆さん、今やっている仕事に、どれくらい責任が持てますか?
確かにバグ無しでリリース出来たら最高です。
しかし、どうしてもミスはあります。
ミスしてしまうのは仕方がありません。
しかし、ミスを放置してしまうのは仕方がありません。
例えばバグ。コーディングミス。
仕様バグと知っていながら、それを放置するなんて、トイレに行ってウンコ流さないのといっしょです。
はっきり言って、迷惑です。
誰が好き好んで、バグだらけのソフトウェアの製品の改修を行うというのですか?
誰がそんな、バグだらけのソフトウェアの改修をして責任と誇りを持てるというのですか?
ミスを修正しない。
放置する。
それは、全てのエンジニアの誇りを奪うに等しい。
お聞きします。
皆さんは今、自分のしている仕事に、誇りを持てますか?
放置されたコーディングミス。
改修されない仕様バグ。
迫る納期。
売上死守の声。
業務改善の要望。
長時間労働。
疲労。
手を抜きたい。
そんな時、悪魔は囁きます。
目の前に、インタフェイスの出来た成果物があるじゃないか。
仕方ないよね。
だって、もともとバグっているんだから。
これじゃ、負の連鎖。
誇りを奪われた貴方が、
誰かの誇りを奪っていませんか?
その負の連鎖、
そろそろやめにしませんか。
確かに、バグっているものは仕方がない。
それを放置した、バグを生んだ人は確かに憎い。
しかし、そんなことはお客様に関係ない。
バグだらけ、不良だらけの今立っているその場所からは、絶対に逃げられない。
劇的に変わることは、難しい。
確かに誇りで飯は食えません。
誇りで業績は上がりません。
しかし、自分の仕事に誇りを持てない人は、その成果物も誰にも誇れないものになっているはず。
額に汗する、だけで勝てる時代じゃない。
楽して勝つ。
如何にして利益を出すか。
それを必死に考えないといけない。
しかし不思議なことに、その利益を生む担い手は、金はしょせん紙だって解っている。
紙で自分の心が満たされないと解っている。
だったら、自分の心を満たすために、何をしないといけないか。
確かに現実はそんなに簡単じゃない。
しかし、その現実にどれくらいの人が一生懸命向き合ってますか?
俺には関係ない。
きっと、誰かが、なんとかしてくれる。
皆さんは、そんな人と一緒に働きたいですか?
さぁ、まずは一歩を踏み出しましょう。
松下電器に「破壊と創造」のマインドを持ち込み、見事に松下電器を復活させた中村邦夫氏。
彼の実績を前に、あらゆるジャーナリストは「破壊と創造は、本来の選択と集中の枠を超えた」と言っていますが、本来、中村氏が「破壊と創造」をマーケティング的要素を持って発言していたのか、解りません。
恐らく中村氏は旧態依然とした松下電器に染み付いている「慢心や安泰、奢り」を破壊し、「生産者としての挑戦心や誇り」を想像することを念頭に置いて、破壊と創造と言ったのではないか?とすら思います。
実際、彼が50代はいらないと言っていたのも、50歳を超えて今までの自分を破壊し、想像するという新陳代謝は行えないからだろう……と思ったからではないか?と推測しています。
実は東京に出張しました。
完全に頭を叩かれました。
今まで僕は、曲がりなりにも技術者だと思っていました。
プロダクトを技術開発―テクノロジーデヴェロップメントし、世の中に価値を提供しているものだと思っていました。
しかし、東京で見たのは本物の「テクノロジー」でした。
これぞ技術でした。
僕がしていることは、技術開発ではなく、単なるお遊び開発作業。
土方のように、力技で体力使って、家を建てているだけ。
そこにテクノロジー要素は無い。
当然、斬新な思想や、イノベーションは無い。
僕はただ、有り触れた開発言語と、有り触れた開発環境、有り触れた開発内容で、
いつの間にか「凄いことをしているんだ」と思い込んでいたようです。
上には上がいる。
それなのに、安定した収入があって、安定した環境があれば、いつの間にか挑戦心なんて無くなってしまい、慢心が僕自身を、そして組織をむしばんでいる。
本当に情けないです。
本当に恥ずかしいです。
プロフェッショナルの心構えを持たないといけないのに、とりあえず過去の人間が悪いと言っておけば、それが許されてしまう。
もう、そんなことは止めないといけない。
絶対に過去からは逃げられない。過去の結果が現在であり、現在の積み重ねが未来になる。
であれば、現在の結果を受け止め、素晴らしい将来を迎えるために、今を変えていくしかない。
それしか生き残るチャンスはない。
変わらないといけない。
今までのままだと、破滅してしまう。
東京出張―いろんなものを得ることが出来ました。
彼の実績を前に、あらゆるジャーナリストは「破壊と創造は、本来の選択と集中の枠を超えた」と言っていますが、本来、中村氏が「破壊と創造」をマーケティング的要素を持って発言していたのか、解りません。
恐らく中村氏は旧態依然とした松下電器に染み付いている「慢心や安泰、奢り」を破壊し、「生産者としての挑戦心や誇り」を想像することを念頭に置いて、破壊と創造と言ったのではないか?とすら思います。
実際、彼が50代はいらないと言っていたのも、50歳を超えて今までの自分を破壊し、想像するという新陳代謝は行えないからだろう……と思ったからではないか?と推測しています。
実は東京に出張しました。
完全に頭を叩かれました。
今まで僕は、曲がりなりにも技術者だと思っていました。
プロダクトを技術開発―テクノロジーデヴェロップメントし、世の中に価値を提供しているものだと思っていました。
しかし、東京で見たのは本物の「テクノロジー」でした。
これぞ技術でした。
僕がしていることは、技術開発ではなく、単なるお遊び開発作業。
土方のように、力技で体力使って、家を建てているだけ。
そこにテクノロジー要素は無い。
当然、斬新な思想や、イノベーションは無い。
僕はただ、有り触れた開発言語と、有り触れた開発環境、有り触れた開発内容で、
いつの間にか「凄いことをしているんだ」と思い込んでいたようです。
上には上がいる。
それなのに、安定した収入があって、安定した環境があれば、いつの間にか挑戦心なんて無くなってしまい、慢心が僕自身を、そして組織をむしばんでいる。
本当に情けないです。
本当に恥ずかしいです。
プロフェッショナルの心構えを持たないといけないのに、とりあえず過去の人間が悪いと言っておけば、それが許されてしまう。
もう、そんなことは止めないといけない。
絶対に過去からは逃げられない。過去の結果が現在であり、現在の積み重ねが未来になる。
であれば、現在の結果を受け止め、素晴らしい将来を迎えるために、今を変えていくしかない。
それしか生き残るチャンスはない。
変わらないといけない。
今までのままだと、破滅してしまう。
東京出張―いろんなものを得ることが出来ました。