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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

いやぁ、引き受けてしまいました。
管理職でもなければ、一般職でも無い、チーフ職という意味不明な役職に。

そもそも役員の口から「怠けかもしれへんけど、現場も見ないといけない、でも役員の仕事もしないといけない、数字も顧客も追わないといけない。大変なんよ」という暴言が出るような会社の役職に就いて何になるねん、なんて思ってしまいますが、まぁ……そういう組織を強くしていくことに遣り甲斐を感じる人間なんですね。僕は。

恐らく、なんか訳の解らん役職に就いたとしても、何も変わらないでしょうから、具体的に僕からアクションを起こさないといけないでしょう。



チーム員の構成を見てみると、そんなに内容は悪くないとは思うのです。

伸び盛りの若手、少し経験を積んで仕事の面白さに気付けた中堅。
しかし厄介なのがベテランがいない点、そして4番打者がいない点、エースがいない点。

請負という形で在籍している方はいらっしゃるのですが、雇われ外国人みたいなもので、バース級の実力はあるのにそれを活かしきれない状態―いわば中日ドラゴンズにいた頃のブライアントみたいなもんです。


きらりと光るものはある。
しかし、それで点が取れたり、あるいは点を取られないようにしたり……。


それがなかなか出来ない。

平気で凡ミスしてしまう。
それに対して、言い訳をしてしまう。

平気で四球を出す。
それを悪いことだなんて全く思っていない。



弱小組織に染み込んでしまっている、負け犬根性を消し去らないといけない。
こんなもんだという自己限定、仕方がないという言い訳根性、これを直さないといけない。

でないと、伸びる人間が伸びない。

伸びる人間が伸びて、伸び悩んでいる人間を伸ばし、伸びる気の無い人間を駆逐する。
それが僕の仕事です。
誰だって言い訳したいときはあります。

タイミングが悪かった。
あんなことが起こるとは思わなかった。
まさか、あんな事態が勃発するとは思わなかった。


全て、自分は頑張ったんだけれど、たまたま想定していなかった事態が起きてしまった。
だから失敗したんだ。

その言い訳として、最も便利なのが「不況」です。



不況だから、在庫がたまる。
不況だから、物が売れない。
不況だから、売上が伸びない。
不況だから、リストラも仕方がない。
不況だから。

そこまで不況のせいにしたいなら、自分の能力が無いのも不況のせいにしますか。
不況のせいに出来ますか?


責任を背負う。
責任を果たす。

それが仕事をする、ということではないでしょうか。

何が起きたとしても、その結果を負うのがビジネスマンです。
良い結果だけに注目し、悪い結果に目を瞑るのはサラリーマンではないでしょうか。



このブログを読んでいる貴方は、会社から給料を貰うだけの存在、サラリーマンですか?
それとも、仕事で成果を出すビジネスマンですか?

僕はビジネスマンでありたい。

自分の力で、運命は切り開く。
どんな状況になったとしても、その結果は受け止める。


言い訳はしない。
最善を尽くす。

僕は、そのために存在するんだ。
そのために会社に行くんだ。

仕事をするためではない。
成果を出すために。



だから、不況のせいにはしない。
全ての結果原因は僕にある。

失敗も、成功も、全てかみしめて、背負えてようやく、ビジネスマンだと思う。

誇りとプライドはどう違うのだろうか?
と、ふと思いました。


God と和訳すると神、という訳史上最大の誤訳があるように、プライドも和訳すると誇りになるのですが、何だか意味が違うな、という違和感を持っています。



ちなみに、日本では神は「八百万の神」という意味であり、唯一神であるGod とは絶対に相容れないのではないか、というのが僕の考えです。

よく、外国人が「オーマイ、ゴッド!」なんて叫びますが、ありゃ「神様ぁぁぁ!」と叫ぶ吉本新喜劇の桑原和子を指すものだと認識しています。
『罪と罰』のように、内なる神に対して知らせている、という意味だと僕は捉えています。

例えば、福井晴敏氏が書いた「ローレライ」でも、内なる神=天皇殺しとして「オーマイ、ゴッド」が登場しています(もっともこのあたりの天皇崇拝論は、小林よしのり氏の天皇論で何が正しくて何が間違っているか書かれているので省きます)。



となると、ふと思うのが「誇り」とは自分自身に関係して自分自身でないものに対して、名誉に思えることを「誇り」と言い、自分自身に対して自尊心を持つことを「プライド」と言うのではないか?と。

つまり、仕事であったり恋人であったり子供であったり、有形無形を問わず、自分にとって名誉に思える物・人・事に対して「誇り」とは言いますが、それらを「プライド」とはあまり言いません。


逆に、成果を出した自分自身に対しては「僕はプライドを持って仕事しましたから」と言いますが、「僕は誇りを持って仕事をしましたから」とは、あまり言いません。



つまり、恐らくですが、自分自身で所有出来ないものが「誇り」であり、自分自身で所有出来るものが「プライド」なのではないでしょうか?

概念的なものですが。



ということは、仕事に対して誇りは持てますが、仕事に対してプライドを持つというのは、余程のプロフェッショナルで無い限り難しい。
少なくとも、殆ど大勢の人間は、仕事に対してチームで取り組んでいますから。

チームに自分自身は所属していますが、自分自身がチームでは無いです。
汎用化したものがチームかもしれませんね。



となれば正しい使い方は「僕は、僕自身の能力やスキルに対するプライドがありますから、それに基づいて、今回の仕事に取り組みました。そして、出すことが出来た成果に対して、みんなの頑張りがあったこそだと、本当に誇りに思えます」……かなぁ。

逆に「僕がこの仕事するにも、プライドがあるからね」とかは、腹が立ちますね。

昨日から悩んでいた、企業の再生の答えが出ました。
それは【 意志の統一 】ですね。

うちの会社、そう言えば代表取締役と担当取締役と担当技術責任者で意見がバラバラ。
組織としての方向性と、事業としての方向性と、開発技術の方向性とバラバラ。


そりゃあ、上手くいくわけ無い。



どうりで最近、後輩のエンジニアが「会社でこれから、何をするのか」について気にする訳だ。
そらそうだ。

上の人間によって、言っていることがそれぞれ違うんだから、将来を不安に思うのは当然だわな。



あー……どうしたもんかなぁ。
今更気付きましたよ、100年に1度の大不況の意味。

つまりは「資本主義経済の崩壊」を意味するわけですね。
言い換えれば「アメリカ型資本主義経済の崩壊が原因の大不況」という意味ですね。


国家の経済体制基盤の崩壊を意味するから、100年に1度なんだ。
なかなか気付けなくてすいません。