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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

基本的に、うちの会社には「こうと思ったら、誰これ構わず直ぐ行動」という文化です。
それだけを聞けば「おっ、良いじゃん」と思うかも知れませんが、直ぐに行動したとして成果が出るならともかく、成果が出てこないから始末が悪い。

まるで5歳児のように「おもちゃで遊びたい!」と思ったら遊ぶし、テレビ見たいと思ったら見るし、けど、おもちゃは片付けないし、テレビは見終わったら消さないし……。
つまり、トイレに行ってうんこしてケツも拭かないで、うんこも流さないでそのままどこか行くようなもの。


うちの会社の場合、それを新入社員がするのではなく社長が率先してするから始末が悪い。
今日も、デザインの構成が入ったのですが、それは良いものの、納期の関係で「無理です」と言ったら、違うチームのエンジニアにいつの間にか頼んでいた。

「この段階で、UI の変更は無理です。ロジックを変える必要があります」

と言ったら、「あっ、そう」と言ったのに、これを陰で「ここをこう改修して欲しい」と言っているから始末が悪い。
本当に、非常に、驚くくらい、悪い。



直ぐに気付いたので、直ぐに「その修正、無理です」と割って入ったから、良かったものの、それをしていなかったらえらいことになってたな……。

僕のことを信用出来ないなら、今すぐプロジェクトリーダーを解任して下さい、そして即刻、解雇して下さい、と言うところでした。



その社長本人は、悪いことをしたと全く思っていないんですよ。
むしろ良い案が浮かんだから、それを言っている、何が悪い?とでも言いたげな表情。

しかも最近は、松下幸之助の「日に新た」を持ち出して、どんどん新しいのにしていこうぜ!と言い出す始末。
社内もそれを許す風潮があって、「仕方ないよねー」とみんな言っている。

僕はその度に「それじゃあ、うんこしてケツも拭かんとうんこ流さないのと一緒。松下幸之助が成功して、うちの会社が成功しないのは、そこでしょ」と口を酸っぱくして言っている。


なんだ、このやりとり……。


幼稚なのかなぁ。
結局、会社は誰かのために存在するが、それは顧客のためであって、社長のためではない。

社長は顧客のために働いているのかも知れないけど、僕だって顧客のために働いている。
そこで認識の齟齬が出るということは、与えられた情報が違う、つまり判断材料と条件が違うということでしょう。

その差を埋めるのが「議論」なのに、社内では「議論=戦争」と捉えられていて、何か話し合おうとすると、戦争だやるかやられるかみたいな風潮になって、非常にやり辛い。


凄く、未熟だと思うのです。

会社の幼稚化。
みんな自分中心だし、顧客中心じゃない。



そこで、ふと考えると、プログラマ35歳説って、そこなんだな、と思いました。

ノーベル賞を以前貰った田中さんが、以前、昇格を断って研究一筋で頑張ってはったという話がありましたが、35歳というのは、現場から離れる時期なんですね。

そして現場で働いているエンジニアの感覚、考え方とズレてしまう。
持っている情報が違うから。


だから、情報のずれを必死に無くそうと思えば、定年説なんて吹っ飛ぶんだろうけど、それがなかなか出来ないから定年なんだろうし、仕事の見える化なんてぇのがはやるんだと思う。



欠かせないのは、相互理解……つまり、僕も私も、顧客のために働くし、自分のために働く。
利益相反かもしれないけど、顧客のために働く点では一致している。

しかし未熟な社会人には、それが難しい。
そして恐らく、ソフトウェア業界にはそういった人間が、他の業界よりも多い。


だから35歳定年説なんだ、と思う今日このごろ。
ドラッカーが指摘した、いわゆる知的労働者、専門的知識を持った労働者。
その最たる世界が、ソフトウェア業界のような気がします。

専門的領域で解決しなければいけない分野に、それを解決し得る能力を持たない人間が現れ、領地を乱し、荒らし、ペンペン草も生やさない。

それをいわゆるデスマーチと言うのでしょう。



すなわち、知識の断絶―。
もっと言えば、物事を理解出来ない人間が、理解出来る人間の仕事裁量権を持つ怖さ、でしょうか。

しかし、もっと怖いのが、それの中間に挟まれることです。



僕の場合、今まさにその真っ最中。
あぁ……逃げたい……。
人間、誰しもが必ず死ぬ。
絶対死ぬ。

人間という意識は死ぬ。
生きたいと願っていても、その意識は死ぬ。



しかし、意思は死なない。
想いは死なない。

織田信長だって、聖徳太子だって、その名前も、意思も、誇りも、生きている。
生きている人間が、死んでしまった人間の残した「何か」を感じ取り、死んだ人間を活かしている。



企業も一緒だ。

誰が死んでも、たとえそれが創業者であっても、企業は生きなければならない。
生き続けなければならない。

それが企業だと思っています。



つまるところ、企業に必要なのは、富ではない。

確かに生き続けるための利益は必要だと思う。
しかし、富だけではない。

むしろ富は問題ではない。
ハゲタカのエンディングテーマにもあるように、富は問題にならぬ―。



企業は、しょせんは人間の集まりでしかない。
だからこそ、企業は法人格と呼ばれるのに、同じ会社が存在しない。

集う人間が1人違うだけで、全く違う企業になる。
臭いが違うのだ。


だからこそ、時代が移り変わっても、変わらないものが必要になる。
そこに富は関係ない。



企業文化。
組織文化。

そこが関係する。



文化は富だけで創れない。
人間が創る。

不祥事も、名誉も、栄光も、失敗も、隠ぺいも、人間がすること。
しかし企業という仮面をかぶれば、誰もが平気で平然と何でも出来てしまう。

リーダーの仕事は、その仮面に「良いこと」を塗りたくること。
最近、そんな気がします。

最近、切に思うのですが、民主主義は限界に来ていると思う。

民主主義とは本来、多数派と少数派に立場が分かれ、少数派を説得するための議論装置だった筈が、いつの間にか多数派になったもん勝ち、いわば勝ち馬装置になっている。



嫌だなぁ。
これって結局、正しいか間違っているか、関係無いんですよね。

何が正しいか、ではなく、誰が正しいかになってしまう。
結局、愚民主義になってしまわないだろうか。


皆がリーダーを望めば、リーダーが生まれる。
しかし、あいつだけが……とか、みんな薄汚い……なんて思っていたら、絶対にリーダーは生まれない。

その究極がアメリカではないでしょうか。
今、アメリカは、民主主義によって滅ぼうとしている。

だって、アメリカいらね、って国が増えれば増えるほど、どんなにアメリカが正しくても、数が多いという理由だけで、アメリカはいらない国になってしまう。



民主主義に代わる、新しい価値観の誕生が待たれますなぁ……。
僕が取り掛からないといけない仕事は、進捗管理でもなく、プロジェクト管理でもなく、エンジニアの心構えをどう変えていくか、だと思っています。

そうならざるを得なかった環境ではあるのですが、うちの会社は言い訳と責任逃れに必死なエンジニアが非常に多い。まずはそれを変えたいと思っています。



個人個人の能力は非常に優秀なのに。


最近解ったのは、個人の優秀な能力が、仕事と結び付いていない点。

つまり、社内のエンジニアの誰もが、その高い能力を、仕事の成果を出すという貢献に焦点を合わせられていないことが問題だと思うのです。

しかもエンジニアが求めているのは、仕事のやりがいであり、自分の能力が貢献出来るかなのに、そこに気付けない役員。


じゃあ、どうすれば良いか。


まずは、組織目標を決めることだと思っています。

我々はどこへ向かうのか。そのために何をしなければいけないか。

それさえ決めることが出来れば、あとは事業部、チーム、各員毎に、組織内における貢献を考えれば良いと思うのです。



しかし、今の社内の雰囲気は最悪です。

昨日も、今後二年間はこうことをしないといけないですね、と社内エンジニアに言ったら、

これダメ。
あれダメ。
それ無理。出来ない。やっても仕方が無い。

のオンパレード。


あまりにも腹が立ったので、じゃあこんな会社潰れてしまえば良いんだ!と叫んで、全ての計画書をシュレッダーにかけましたよ。



会社は生き物なんです。
従業員の気持ちや考え方によって左右される生き物なんです。

そして、従業員は会社の雰囲気に簡単に染まってしまう。



会社が腐ってしまう前に、絶対になんとかしないと。