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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

ポピュリズムとは、政治学概念の1つで、政治のプロセスにて有権者の政治的な選好・嗜好が直接反映されるべきだとする思考・考えだと言われています。
言わば、エリート主義とは反対の概念ですね。

日本では小泉純一郎政権は「ポピュリズム政権」だと言われています。
政治過程で、政治家や役人が考えるより、国民の声を聞いて決める―なんだかカッコ良いように思えますが、これが実は危ない橋を渡っていることに、どれくらいの人が気付いているか。


国民の皆さんが、日本国の将来を見据えて発言しているのなら、きっと大丈夫でしょう。
しかし国民の大半が、今日の暮らしを良くしたい、明日飯が食えたらそれで良い、と思って発言しているのだとしたら、それは危ない。

実は「消費税増税」も、ポピュリズムの臭いがします。


僕自身、大学で卒業論文に税制について論じたのですが、消費税を増税して将来の子供たちへの負担を無くそう、という思いだけで消費税を論じるなら、それは非常に危険なのです。

なぜなら、日本には負債もありますが、資産もあるからです。
500万の借金があって大変だ、と言っている人間が、実は不動産や固定資産で450万の貯金があるとすれば、皆さんはどう思いますか?


売れよ、ってなりますよね。
それと消費税論議も一緒なんです。

日本には負債もありますが、資産もあります。
バランスシートで、負債と資産を見たら、そんなに悪くはないでしょう。



つまり、何を言いたいかと言えば「決断を下すには、情報が必要」であり、決断を下すには「決断を下した人間の責任があって、決断は有効になる」ということです。

ポピュリズムの最大のデメリットは、国民の声ということで政策を遂行した場合に、その政策が失敗したら、誰が責任を取るのか?ということです。


小泉政権の場合、結局は郵政選挙で国民が支持した結果、派遣切りなどの痛みが出た訳で、「あぁ、やっぱり支持しなきゃ良かった!」と言っても後の祭り。



消費税論議も、果たして「アップしましょう!」と言っている人は、消費税を上げるべきか否かにかかる、あらゆる情報を持ち、その上で判断しているのでしょうか?

それが不安の種です。



リーダーは、部下の奉仕者たれ、と僕は思っています。
部下が働き易い環境を用意し、最高の成果を発揮出来るような状況を用意することこそ必要だと思っています。

一方で、それは部下におもねることでは無いと思うのです。
リーダーも部下も、あくまで仕事で成果を出すために存在するのであり、仕事の成果と部下の機嫌を比較した場合、成果を取る必要があります。



もしかしたら、部下とリーダーの意見が分かれるかもしれません。
その時に、

「んー、しゃあないなあ。ほんなら君らのやりたい通りにやってみぃ。あかんかっても、責任は俺がちゃんと取るようにするから。俺は君らを信じるよ。だから失敗したときのことを考えるのではなく、成功できるように考えなさい」

と言えるかどうか。
NHKで、ハゲタカの再放送を行っているようですね。
やはりCMを流さないNHKです、彼らが本気を出すと怖いですよね。


ドラマ『ハゲタカ』の根底にある思想は、「言い訳を止めて、現状を変え、再生しよう」という、経済再生―いや、日本再生への熱い思いだと思います。

バブル崩壊後、いやもっと正確に言えば2001年からのプチバブルに浮かれていた日本が、本当の現実に直面した時に何をしたのか?或いは何が出来たのか?について考えた時に、このドラマ『ハゲタカ』に描かれているのは、現実を変えることが出来なかった経営者に群がるハゲタカであり、そして経営者の呪縛から解き放たれた企業の再生。



その姿を見ていると、僕は改めて「会社は誰のものか?」という、プチバブルで幾度となく交わされた討論が頭に浮かびます。

この議論が交わされた時に、いつも俎上に上がるのは「日本型資本主義―その成功事例としての高度経済成長」であり「欧米型資本主義―その完成型としての金融資本主義」だったと思います。


当時の小泉政権、そして竹中氏、或いは新興官僚たちは、欧米資本主義こそ今後の日本が進むべき在り方だと言っていたと思います。
その一方で、野中氏や橋本氏などの所謂、自民党旧橋本派の人間が日本型資本主義こそ今後の日本の前提であるべきだと言っていたように思います。

その結果ですが、日本は間違いなく小泉氏を中心とする連合軍が勝利し、欧米型が日本に間違いなく根付こうとしていた―その矢先の金融危機です。

そうすれば、今度は「欧米型資本主義は間違いだった、やはり日本型資本主義が日本に似合っている」という議論が優勢になり、麻生太郎がその神輿に乗っかっているように思えます。



こうなると、もう何が良いのか解ったもんじゃありません。



結局、僕の結論としては「時代に応じた経済の生き様がある」というぐらいです。
欧米型も日本型も、その時代に適合していたから注目されたからであって、時代に合わなくなれば「あれがダメ」「ここがダメ」と非難を浴びる。

会社は誰のものか?という議論も同様ではないでしょうか。

従業員のため、株主のため、ステークホルダーのため……様々な見方がり、様々な価値観がある。
それ以上でもないし、それ以下でもない。



大切なことは会社は誰のためのものか?よりも、会社は何のための存在するのか?ではないでしょうか。
つまり、企業の存在価値こそ、『会社』を語る上で必要な問題だと私は思うのです。


株主だって、あぁ松下電器だやった嬉しいなうっひっひ、ソニーだ日立だトヨタだたりらりらーん、なんて会社の名前で買っている訳ないですよね。一部の人はそうかもしれませんが。

株主が求めているのは、企業の存在理由―どんな製品を生み出し、どんな利益を生んでいるか、そしてどんな価値を市場に提供出来ているのか―だけではないでしょうか?



従業員だって、ステークホルダーだって、恐らくあの議論が酌み交わされていた頃、本質は「誰の所有物か」よりも「誰が企業を求めているか」を知りたかったはずです。

ライブドアが買収を仕掛けたニッポン放送の従業員だって、恐らく「俺の勤めている会社は、誰のものなのか?」よりも「俺の勤めている会社は、誰に求められてるんだ?」という問いを何度も繰り返したはずですよ。


あの時、ライブドアの買収に激しい嫌悪感を示したタモリさんは、恐らくこの議論の本質が解っていたんじゃないですかね? ライブドアが狙っているのはニッポン放送ではなくフジテレビ、ニッポン放送に何も求めていない、であればそんな株主で構成されるラジオ会社に出る意味は何も無い……。



この21世紀、これからは会社の所有者よりも会社の存在意義が問われます。
それはすなわち実績重視の社会になります。

松下幸之助の松下電器、から松下幸之助の精神―「日に新た」―に基づきイノベーションを繰り返すパナソニックに転換したことが良い例だと思うのです。


つまり、会社は「何をしてくれるか」を従業員が考えるのではく、会社が「何をできるか」を従業員が考えていかねばならない日が来るでしょう。

その時、日本型資本主義でも、欧米型資本主義でも、或いは中国型資本主義、ロシア型資本主義でも、大切なことはただ一つだと思えば、どんな荒波だって乗り越えられるでしょう。


すれはすなわち、この会社は後世のために生き残らせる必要がある、価値ある会社なのか。
プロ野球選手で誰に注目していますか、と聞かれると、どうしても野球選手よりも監督、監督よりもコーチに僕は注目してしまいます。

例えば、楽天の山田コーチ。
彼は野村監督の影響を多大に受けているようで、それを垣間見ることが出来ます。

他にも、阪神の和田コーチ。
岡田監督と野村監督をミックスさせたような、理論派頑固道を走っている感じがします。



恐らく僕は、指導者という役職に惹かれるのでしょう。

監督でも無ければ、選手でも無い。
腕を組み、選手の仕上がりをチェックしながら状態を把握し、現状を監督に報告する。
時には選手に対して指導を行い、状況の改善に努める。

つまり、コーチという役職に対する憧れでは無く、コーチという役職が担う職責に強い畏怖と尊敬を抱いているのだと思います。



選手が発揮しなければいけないのは結果であり、成果です。
これはサラリーマンだって、同様だと思います。

結果の出せないサラリーマンを雇い続ける必要は無い―非常にドラスティックな言い方ですが、僕はそう思っています。
しかし、結果の出せないサラリーマンだけが悪いか?と考えれば、それは100 % 本人のせいだとは僕は思えません。むしろ、成果を出すための環境作りを行えなかった上長の責任だと、僕は考えます。

どんな人間にだって向き・不向きがあるはずです。
その人間の強みを活かし、弱みを補完する―それが組織であると、ドラッカーは喝破しています。


すなわち、その人間の強みを最大限に発揮し、最高の成果を出せるように努めることこそ、コーチの役割であると僕は認識しています。



ということは、プロ野球の選手に求められるのは、結果や成果を発揮するために必要な能力、下準備(段取り)が欠かせないと思う訳です。

それを成果に結び付けるのは、コーチ・監督の仕事である―そう思います。
そう言えば、落合氏もそんなこと言っていましたよね。



例えば僕の務める会社はIT系ですから、一般職の社員は、職務に対して真摯に向き合い、職人となるべきだと僕は思います。
その道のスペシャリスト、専門性を発揮する必要があります。お互いがお互いに、その強みを発揮することこそ、お互いの弱みは補完が可能だと考えています。

しかし、同時に、職人としての責任を背負わないといけない。
バントの名人・川相選手が「バントに失敗したけど、俺のせいじゃない、バットが悪かった」と言い訳をすれば、彼はもう彼じゃなくなってしまう。



恐らく、これからの組織、会社は国境という枠を超えて活動をしなければいけません。
それはすなわち、今までの慣習やプライドが通用しないことを意味します。

俺はパナソニックの社員だ、俺はサイバーエージェントの社員だ、俺は三井住友銀行の社員だ、そういった会社の誇りで飯が食える時代は終焉を迎えるはずです。

なぜなら彼らは過去の遺産で飯を食っていますが、国境無き今、共通の言語は「成果」のみだからです。
そして「成果」とは過去ではなく、未来、そして未来に投資するための今日だからです。

誇りやプライドは大抵が過去の歴史で成り立ちます。
そして誇りやプライドで金になるとは限りません。つまり、誇りで成果を埋めるとは限らない訳です。



これからの時代に求められるのは、自分自身に対する誇りとプライドで飯を食う時代だと考えています。
そしてその誇りやプライドとは、自分のスキル・能力に対する自負でなければいけないと考えます。

マズローの欲求で言う、自己実現を行い続け、自分自身のイノベーションを行い、自分に対してプライドを持てる人間であって、初めて「成果を出す」というスタートラインに立てる。

それが、責任を持つというスタンスになるのではないか?と考えます。



能力に対する自負(完璧である必要はないでしょう)と、それに対する責任を持ち合わせる人間こそ今後求められるならば、そういった人材を活かし最高の成果を引き出す人間こそコーチとなります。

それぐらい管理職という仕事は重要なのですが……皆さんは如何でしょうか。
GWも後半に入りました。

さぁ、この休日を無駄に過ごしていた方も、そうでは無い方も、昨日のTheQuizShowを見て夢を両手で掴むことは今まで両手で掴んでいたものを離すことだ―と言っても、その両手で夢を掴めるとも限らない―と気付いた貴方も、残り4日間を有意義に過ごしましょう。



さて、そんな残り4日間にお勧めなのが、ドラッカーの「経営者の条件」です。
これは邦訳が経営者となっていますが、原文は「The Effective Executive」です。

つまり、Executiveを経営者と訳したのですが、ドラッカーは「今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである」と述べています。

つまり肉体労働者以外、かつ考えながら仕事をしているかいないかに関わらず、知識労働者をエグゼクティブだと言っています。



この本を勧める理由として、休日の、仕事に追われていない時間帯にこそ、仕事とは何かを考える1日を作るべきだと思うからです。
つまりこの本を読んで、体を休ませながら頭を働かせましょう。と。

そういうことです。



ドラッカーは、何よりも成果をあげることを重要視しています。
僕も同じく、その点に間違いはありません。

何度も口を酸っぱくなるぐらい言っているのは、会社に行くには仕事をするためではなく成果を出すため。
これはドラッカーの影響です。

では、大学生は?
大学に行くのは勉強をするためではなく成果を出すため。
では、サッカー選手は?
グラウンドに行くのはサッカーをするためではなく成果を出すため。
では、総理大臣は?
国会議事堂や総理官邸、諸外国に行くのは仕事をするためではなく成果を出すため。


こうやって比較すると解り易いのですが、あらゆる職種、あらゆる場所で成果が求められます。
言い換えれば、成果を上げることの出来ない人間は、悪だと考えるべきです。

そもそも、仕事も勉強もサッカーも、手段ではあれど目的では無いハズです。
それらを通じて、何かを成すためにこそ、仕事や勉強、サッカーというツールがあるはずです。



例えば、よく高校や中学の授業で「こんな数学の勉強なんて意味がないよ」「古文なんかやったって俺には関係無いんだ」なんて言っている生意気なガキがいます。

もし、僕の「成果を上げることの出来ない人間は悪」という言葉に反発を感じた人は、上記のような生意気なガキだったのではないでしょうか?



なぜなら、勉強の場合、数学にしろ古文にしろ、習うことに意味があるのではなく、それを活かすことに意味があり、それこそ成果と呼べるからだと私は考えています。

例えば身近な例で言えば、受験のため。
大学に行って就職する場合は、SPIという試験を受ける場合がありますが、これは数学・国語力が必須です。
入社後も、もしかしたら古文を必要とするかもしれませんし、数学能力を活かす場合があるかもしれません。

結局、楽な方向に行きがちな人間という生き物は、今している事象が何の成果を齎すかよりも、今している事象の意味を求めてしまいがちです。


恐らく自分の人生に対して、近視なのでしょう。
近くの物事しか見えていない。



ドラッカーの「経営者の条件」は、成果を出すために必要なマインドが綴られています。

成果を考えたことが無い人も、勉強はしているけどモチベーションが上がらない人も、成果という点を考えてみる段階に来ています。
成果を上げられない人は、どれほど勉強をしても仕事をしても意味がありません。


つまり、試験当日になって「どう?どれぐらい勉強した?」って聞いて「いや、全然やわ」と答えた奴が、結局は成績が1位だったというケースはよくありますが、それと一緒なんです。
彼は「成績で上位を取る、1位を狙う」ことを目標にしている。従って、どれくらい勉強したか、なんてどうでも良いわけです。しかし、貴方は違う。いつの間にか「これくらい勉強時間を費やしたから大丈夫やろう」という【間違った結論】に辿り着いてしまっている。



さぁ、成果を出しましょう!
NPBが60周年ということで、記念企画が行われています。
その名も「野球、とは」。

各選手一人ひとりに、野球とはあなたにとって何かを問うています。
非常に良い企画です。



http://fan.npb.or.jp/60th/slogan2009/



各選手、コーチ、監督が野球とは自分にとってどんな存在か、その心境を吐露しています。



考えてみれば、彼らの仕事はグラウンドで勝つことです。

野球というのは職種であり、野球選手はグラウンドにいることが存在理由では無い筈です。
グラウンドという職場で勝たなければ、何の意味も無い訳で、それは「成果」という共通の単語に直すことが可能だと思います。


だとすれば、野球という職種、仕事に、ここまで気持ちを入れることが出来るのはなぜか?
それを考えなければいけません。



かたや、仕事って何?働くって面倒、食うだけのために働くという人間。
かたや、野球とは人生そのもの、掛け替えのない宝物という選手。



何が違うのか、考える必要があると思います。