NHKで、ハゲタカの再放送を行っているようですね。
やはりCMを流さないNHKです、彼らが本気を出すと怖いですよね。
ドラマ『ハゲタカ』の根底にある思想は、「言い訳を止めて、現状を変え、再生しよう」という、経済再生―いや、日本再生への熱い思いだと思います。
バブル崩壊後、いやもっと正確に言えば2001年からのプチバブルに浮かれていた日本が、本当の現実に直面した時に何をしたのか?或いは何が出来たのか?について考えた時に、このドラマ『ハゲタカ』に描かれているのは、現実を変えることが出来なかった経営者に群がるハゲタカであり、そして経営者の呪縛から解き放たれた企業の再生。
その姿を見ていると、僕は改めて「会社は誰のものか?」という、プチバブルで幾度となく交わされた討論が頭に浮かびます。
この議論が交わされた時に、いつも俎上に上がるのは「日本型資本主義―その成功事例としての高度経済成長」であり「欧米型資本主義―その完成型としての金融資本主義」だったと思います。
当時の小泉政権、そして竹中氏、或いは新興官僚たちは、欧米資本主義こそ今後の日本が進むべき在り方だと言っていたと思います。
その一方で、野中氏や橋本氏などの所謂、自民党旧橋本派の人間が日本型資本主義こそ今後の日本の前提であるべきだと言っていたように思います。
その結果ですが、日本は間違いなく小泉氏を中心とする連合軍が勝利し、欧米型が日本に間違いなく根付こうとしていた―その矢先の金融危機です。
そうすれば、今度は「欧米型資本主義は間違いだった、やはり日本型資本主義が日本に似合っている」という議論が優勢になり、麻生太郎がその神輿に乗っかっているように思えます。
こうなると、もう何が良いのか解ったもんじゃありません。
結局、僕の結論としては「時代に応じた経済の生き様がある」というぐらいです。
欧米型も日本型も、その時代に適合していたから注目されたからであって、時代に合わなくなれば「あれがダメ」「ここがダメ」と非難を浴びる。
会社は誰のものか?という議論も同様ではないでしょうか。
従業員のため、株主のため、ステークホルダーのため……様々な見方がり、様々な価値観がある。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
大切なことは会社は誰のためのものか?よりも、会社は何のための存在するのか?ではないでしょうか。
つまり、企業の存在価値こそ、『会社』を語る上で必要な問題だと私は思うのです。
株主だって、あぁ松下電器だやった嬉しいなうっひっひ、ソニーだ日立だトヨタだたりらりらーん、なんて会社の名前で買っている訳ないですよね。一部の人はそうかもしれませんが。
株主が求めているのは、企業の存在理由―どんな製品を生み出し、どんな利益を生んでいるか、そしてどんな価値を市場に提供出来ているのか―だけではないでしょうか?
従業員だって、ステークホルダーだって、恐らくあの議論が酌み交わされていた頃、本質は「誰の所有物か」よりも「誰が企業を求めているか」を知りたかったはずです。
ライブドアが買収を仕掛けたニッポン放送の従業員だって、恐らく「俺の勤めている会社は、誰のものなのか?」よりも「俺の勤めている会社は、誰に求められてるんだ?」という問いを何度も繰り返したはずですよ。
あの時、ライブドアの買収に激しい嫌悪感を示したタモリさんは、恐らくこの議論の本質が解っていたんじゃないですかね? ライブドアが狙っているのはニッポン放送ではなくフジテレビ、ニッポン放送に何も求めていない、であればそんな株主で構成されるラジオ会社に出る意味は何も無い……。
この21世紀、これからは会社の所有者よりも会社の存在意義が問われます。
それはすなわち実績重視の社会になります。
松下幸之助の松下電器、から松下幸之助の精神―「日に新た」―に基づきイノベーションを繰り返すパナソニックに転換したことが良い例だと思うのです。
つまり、会社は「何をしてくれるか」を従業員が考えるのではく、会社が「何をできるか」を従業員が考えていかねばならない日が来るでしょう。
その時、日本型資本主義でも、欧米型資本主義でも、或いは中国型資本主義、ロシア型資本主義でも、大切なことはただ一つだと思えば、どんな荒波だって乗り越えられるでしょう。
すれはすなわち、この会社は後世のために生き残らせる必要がある、価値ある会社なのか。