コーチの仕事、責任の持ち方、誇りとプライド | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

プロ野球選手で誰に注目していますか、と聞かれると、どうしても野球選手よりも監督、監督よりもコーチに僕は注目してしまいます。

例えば、楽天の山田コーチ。
彼は野村監督の影響を多大に受けているようで、それを垣間見ることが出来ます。

他にも、阪神の和田コーチ。
岡田監督と野村監督をミックスさせたような、理論派頑固道を走っている感じがします。



恐らく僕は、指導者という役職に惹かれるのでしょう。

監督でも無ければ、選手でも無い。
腕を組み、選手の仕上がりをチェックしながら状態を把握し、現状を監督に報告する。
時には選手に対して指導を行い、状況の改善に努める。

つまり、コーチという役職に対する憧れでは無く、コーチという役職が担う職責に強い畏怖と尊敬を抱いているのだと思います。



選手が発揮しなければいけないのは結果であり、成果です。
これはサラリーマンだって、同様だと思います。

結果の出せないサラリーマンを雇い続ける必要は無い―非常にドラスティックな言い方ですが、僕はそう思っています。
しかし、結果の出せないサラリーマンだけが悪いか?と考えれば、それは100 % 本人のせいだとは僕は思えません。むしろ、成果を出すための環境作りを行えなかった上長の責任だと、僕は考えます。

どんな人間にだって向き・不向きがあるはずです。
その人間の強みを活かし、弱みを補完する―それが組織であると、ドラッカーは喝破しています。


すなわち、その人間の強みを最大限に発揮し、最高の成果を出せるように努めることこそ、コーチの役割であると僕は認識しています。



ということは、プロ野球の選手に求められるのは、結果や成果を発揮するために必要な能力、下準備(段取り)が欠かせないと思う訳です。

それを成果に結び付けるのは、コーチ・監督の仕事である―そう思います。
そう言えば、落合氏もそんなこと言っていましたよね。



例えば僕の務める会社はIT系ですから、一般職の社員は、職務に対して真摯に向き合い、職人となるべきだと僕は思います。
その道のスペシャリスト、専門性を発揮する必要があります。お互いがお互いに、その強みを発揮することこそ、お互いの弱みは補完が可能だと考えています。

しかし、同時に、職人としての責任を背負わないといけない。
バントの名人・川相選手が「バントに失敗したけど、俺のせいじゃない、バットが悪かった」と言い訳をすれば、彼はもう彼じゃなくなってしまう。



恐らく、これからの組織、会社は国境という枠を超えて活動をしなければいけません。
それはすなわち、今までの慣習やプライドが通用しないことを意味します。

俺はパナソニックの社員だ、俺はサイバーエージェントの社員だ、俺は三井住友銀行の社員だ、そういった会社の誇りで飯が食える時代は終焉を迎えるはずです。

なぜなら彼らは過去の遺産で飯を食っていますが、国境無き今、共通の言語は「成果」のみだからです。
そして「成果」とは過去ではなく、未来、そして未来に投資するための今日だからです。

誇りやプライドは大抵が過去の歴史で成り立ちます。
そして誇りやプライドで金になるとは限りません。つまり、誇りで成果を埋めるとは限らない訳です。



これからの時代に求められるのは、自分自身に対する誇りとプライドで飯を食う時代だと考えています。
そしてその誇りやプライドとは、自分のスキル・能力に対する自負でなければいけないと考えます。

マズローの欲求で言う、自己実現を行い続け、自分自身のイノベーションを行い、自分に対してプライドを持てる人間であって、初めて「成果を出す」というスタートラインに立てる。

それが、責任を持つというスタンスになるのではないか?と考えます。



能力に対する自負(完璧である必要はないでしょう)と、それに対する責任を持ち合わせる人間こそ今後求められるならば、そういった人材を活かし最高の成果を引き出す人間こそコーチとなります。

それぐらい管理職という仕事は重要なのですが……皆さんは如何でしょうか。