7つの大罪と言えば、キリスト用語の1つですが、その内容を読んでみると、なかなか示唆に富んでいて面白い物があると思います。
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
人間を罪に導く可能性があると見られてきた欲望や感情のことを指すそうです。
何が面白いかと言えば、人間は「欲望や感情」によって罪に導かれる、という姿勢です。
罪を生むのは人間であり、なおかつ人間の欲望や感情が罪を生むと言っている。
欲望は必ずしも、否定されるものでは無いと思っています。
マズローの欲求にもあるように、最終的には自己実現こそが「人間が生きている理由を最も体験出来る」であろうと僕は思うからです。
ピアノを上手くなりたい、水泳のタイムを縮めたい、仕事を成功させたい。
そんな欲望や感情が時に成功を生み、人間を幸せにするのだと思うのです。
しかし、そこに嫉妬や強欲、傲慢などが人間を支配してしまうと、セーブが出来なくなってしまう。
ピアノがあの子よりも上手くなれないなら、いっそあの子がピアノを弾けないようにしてしまおう。
水泳のタイムをより縮めるようになるなら、筋肉増強剤だって飲んでしまおう。
仕事を成功するためだったら、法律を破ってしまおう。
人間の心が、本当の意味で「7つの大罪」に染まってしまった時。
人間は自分の意志で生きているように見えて、罪の力によって生かされている―僕は、そう思います。
人間の欲望。
こいつほど、厄介で面倒な存在は無いのでしょう。
ずっと悩んでいました。
管理職になるかなるまいか、精一杯努力した方が良いのか。
ドラッカーが言っているように、本当に大切なことは「正しいか、間違っているか」ではなく「やるか、やらないか」であるというのに、どうしても自分の物差しで物事を見てしまい「それは間違っている!」と言う人がいる環境で、果たして上手くやれるのか。
しかし、まぁ……誰かがやらなければ、いけないのでしょう。
恐らく大切なことは、7つの大罪に対して背を向けることではなく、7つの大罪と向き合うことでしょう。
そして自分の心に「嫉妬」や「怠惰」が目覚めた時に、それを受け入れ、克服することこそが、大切なのだと思うようになりました。
それが「強くなること」なのだと思うのです。
僕は強くなりたいです。
踊らされるのではなく、周囲が奏でるメロディーにノッて踊りたい。
そのために、7つの大罪と共に踊るのではなく、7つの大罪と対峙しながら踊り、相手が誘惑するのを断ち切りながら、踊り続けたいと思います。