McLaren MP4-17D

ミニチャンプス製 1/18
McLaren MP4-17D
Kimi Raikkonen
2003年、ライコネン、マクラーレン移籍2年目のマシン

本来2003年のマシンはMP4-18であるところ、開発が遅れMP4-17の改良型であるMP4-17Dで序盤戦を戦うことに。
しかし、MP4-18がクラッシュテスト不通過となり、最終戦までMP4-17Dで参戦。
Wikipediaを参照すると、"D"とはDevelperのDであるとのこと。

ライコネンは、第2戦マレーシアGPで初優勝。
ライコネンは、優勝はこの一度だけだったものの、度々表彰台に上がり、最終戦日本GPまでシューマッハとチャンピオンを争う。
結果、シューマッハとは2ポイント差の91ポイントでドライバーズランキング2位。
チームメイトのクルサードは、開幕戦で優勝するものの、51ポイント獲得でドライバーズランキング7位。
クルサードは、ライコネンに大差をつけられてシーズンを終える。
この結果、マクラーレンのコンストラクターズランキングは、ウィリアムズの後塵を拝し2ポイント差の142ポイントで3位であった。
マシンそのものは、MP4-17の改良版だけに、MP4-17と大きな差は無い。
しかし、ミニチャンプスは、MP4-17と異なる箇所を再現。
異なる箇所は、主に、バージボードの形状、カウル後部の形状、リアウイング翼端板の形状である。

McLaren MP4-17

ミニチャンプス製 1/18
McLaren MP4-17
Kimi Raikkonen
2002年、ライコネン、マクラーレン移籍最初のマシン。

シーズン開幕初戦3位表彰台を含む、3位3回獲得、合計24ポイント、ドライバーズランキング6位。
チームメイトのデビッド・クルサードは、モナコで優勝をし、合計1回41ポイント、ドライバーズランキング5位。
コンストラクターズは、合計65ポイント、3位。

エンジンはメルセデス。デザイナーはエイドリアン・ニューウェイ。タイヤはブリヂストンからミシュランへ変更。
上方排気も採用。

ライコネンは、ザウバーでデビューした後の2年目でマクラーレンに移籍。
ザウバー時代のチームメイトはメルセデスとのつながりの強いニック・ハイドフェルドであったが、彼を退けてのマクラーレン移籍であった。
この年、リタイアが多かったが、その殆どがマシントラブルによるものであった。

さて、久しぶりのマクラーレンミニカーです。これから、ライコネンがドライブしたマクラーレンを紹介します。
ライコネンは、フェラーリよりもチャンピオンを獲得できなかったマクラーレン時代の方が好きです。
個人的に、ライコネンはいまいちフェラーリに似合わなかったような、違和感がありました。
ロータスでは、どんなドライビングを見せてくれるのか、楽しみですね。
BMW Sauber 2008 Media Information

2008年シーズンのメディア・インフォメーションです。
BMWのフルワークス体制におけるF1参戦、3シーズン目です。

裏面です。各種連絡先が記載されています。
今まで紹介したように、多くのメディア・インフォメーションは、カバーがあり、裏面に連絡先が記載されているものが一般的なようです。

中には冊子が入っています。
目次です。

BMW Sauber F1.08のマシン諸元です。
この冊子の中には、一切写真がありません。

その他に、スポンサー等を紹介した冊子(左)と、ラウンチの紹介が記されたペーパーが入っています。

例えば、ペトロナスの紹介文はこんな感じです。
カバーの裏には、こんなカードも付属されています。
このカードの裏面には、2008年シーズンにF1が開催されるサーキットが一覧表示されています。
さて、このBMWのメディア・インフォメーション、前に紹介したウィリアムズの2005年のウィリアムスのメディア・インフォメーション とフォーマットが殆ど同じです。
何かとオリジィナリティを出したい?F1チームでは珍しいかなとも思います。
ただ、BMWと組んでいたときのウィリアムズにおけるBMWの立場の強さを示しているようにも思えます。
ウィリアムズのメディア・インフォメーションは、BMW主導で作っていたのでしょうか。
そして、BMW主導だったので、そのままBMWがチームになった時も、それを踏襲したのかな。
2005年のウィリアムズと2008年のBMWのメディア・インフォメーションしか見ていないので、定かではありませんが。
今後、メディア・インフォメーションも積極的に集めてみようかな。値段も手ごろなので。
日産ギャラリー
先日、また帰り道に日産ギャラリーを覗いてみると、新しいレーシングカーが。
ザナヴィ ニスモZ
2004年 Z33
'04全日本GT選手権GT500総合優勝車
ニッサンR391
'99年ル・マン富士1000キロレース総合優勝車
R390の後継車です。
R391よりもクローズドボディであるR390の方が、私は好きなのですが。
あまり、LMP車輌を間近でみることはないのでうれしかったですね。
実は、私、マシンの形状としては、F1よりもLMPやCカー等のプロトタイプマシンの方が好きだったりします。
シルビア200SX
1988年 RBS12
'88年第36回サファリラリー総合2位
トミカ スカイライン
1982年 KDR30
'82 '83富士スーパーシルエットレース出場車
これは、今でも人気のあるマシンですよね。
私も、子供のころから好きでした。このプラモデルを持ってたかな?
子供のころ、レースで使用する“ニトロ”を理解できず、
レースで負けそうになったら自爆するためのものだと本気で思っていました。
きっと、何かに毒されていたのでしょう。
リーボック スカイライン
1989年 KHR31
'89年全日本ツーリンガカー選手権総合優勝車

ザナヴィ ニスモZ
2004年 Z33
'04全日本GT選手権GT500総合優勝車
ニッサンR391
'99年ル・マン富士1000キロレース総合優勝車
R390の後継車です。
R391よりもクローズドボディであるR390の方が、私は好きなのですが。
あまり、LMP車輌を間近でみることはないのでうれしかったですね。
実は、私、マシンの形状としては、F1よりもLMPやCカー等のプロトタイプマシンの方が好きだったりします。


シルビア200SX
1988年 RBS12
'88年第36回サファリラリー総合2位

トミカ スカイライン
1982年 KDR30
'82 '83富士スーパーシルエットレース出場車
これは、今でも人気のあるマシンですよね。
私も、子供のころから好きでした。このプラモデルを持ってたかな?
子供のころ、レースで使用する“ニトロ”を理解できず、
レースで負けそうになったら自爆するためのものだと本気で思っていました。
きっと、何かに毒されていたのでしょう。

リーボック スカイライン
1989年 KHR31
'89年全日本ツーリンガカー選手権総合優勝車
プジョー エンジンカムカバー

プジョーのエンジンカムカバーです。
使用年、使用チームは不明。
使用痕もこれといって見受けられないので、未使用パーツかもしれません。
しかし、F1エンジンのパーツだということははっきり分かります。
何せ、“F1”とステッカーが貼られていますから。

裏側です。
サインの様なものが書かれていますが、誰のものなのか分かりません。
“97”とも書かれているようですが、これもはっきりしません。
ちなみに97年だとすると、ジョーダンですね。
プジョーは、94年から00年までF1に参戦していました。
94年はマクラーレン、95年から97年はジョーダン、98年から00年はプロストへエンジンを供給。
しかし、優勝もなく、F1から撤退。
94年は非常に印象に残った年でした。マクラーレンの“ロケットスタート”が凄かった。
度重なるエンジントラブルにより、マクラーレンはたった一年でワークスエンジンであるプジョーと決別。
ジョーダンへは、良い感じで中堅チームを支えました。
プロストへのエンジン供給により、フランスチームが結成されました。
プロストが無限ホンダからプジョーにスイッチし、一方ジョーダンはプジョーから無限ホンダへスイッチ。
ところが、プロストは前年の無限ホンダに比べ、惨憺たる結果。一方、ジョーダンは無限ホンダで初優勝。
2000年は、チームとの仲も最悪。チーム不振の責任をエンジンに押し付けられ、
怒ったプジョーのエンジニアはストライキも決行。
そして、F1から撤退。
プジョーのF1エンジン開発部門は、アジアテックへ売却。