日本バスケットボールのBリーグが歴史的開幕を果たし、その偉業の立役者がJリーグ創設の立役者、川淵三郎氏であることは、昨日のブログで紹介しました。
そんな川渕三郎氏、23年前のJリーグ創設、そのエピソードとは。
それについて、スポーツコラムニストの二宮清純氏が、興味深いコラムを記しています。
まちのでんきやブログで、以前も取り上げましたが、Bリーグ開幕に乗じて、あらためて(二宮氏のコラム を参考に)。
(コラムより)
今、サッカーは大人気です。
(途中略あり)
サッカーがプロ化したのは1993年ですから、わずか13年(2006年当時)、いってみれば、サッカーは新興企業のようなものでしょう。
プロ野球は70年を超える歴史を持っています。
なぜ、逆転現象が起きたのか。
私は、これはリーダーの差だったのではないだろうか、こう思いました。
日本サッカー協会会長、川淵三郎さん(当時)、この方の手腕がなかったら、サッカーがこれだけの繁栄を築くことはなかったと考えています。
川淵三郎さんは、本当に素晴らしいキャプテンシーの持ち主でした。
1980年代に入って、サッカーをプロ化しようという機運がみなぎってきました。
そして、その後プロリーグ準備検討委員会というものが設立されました。
このサッカーのプロ化というのは、単にプロのスポーツリーグを1つつくろうということではなく、言ってみれば国策であり、Jリーグをつくるに当たり、「Jリーグ 100年構想(※)」という、目的規定宣言のようなものが策定されていました。
が、ものごとはうまういきません。
なにかありますと、必ず反対勢力、抵抗勢力が出現します。
川淵三郎執行部に対しても、山のように反対勢力、そして抵抗勢力が出現しました。
どこにでもいるものだなぁ~。
反対勢力、抵抗勢力が。
どこのお店とはいいませんが、近代化を図ろうとすると、『今までこれでじゅうぶんやれていたじゃないか』、『器械に頼るばかりが能じゃない』などなど。
時代はガラッと変わってしまったのですから。
(コラムより つづき)
1990年代に入って、ある会議で。
サッカー協会の幹部「サッカーのプロ化?ちょっと待て。景気も悪くなってきた。どこの企業がサッカーなんかに金を出すんだ。時期尚早じゃないか。」
別の幹部「そうだよ。日本にはプロ野球がある。サッカーのプロ化で成功した例なんてない。前例がないことをやって、失敗したらどうするんだ。誰が責任を取るんだ。」
ある電器屋が集まる研修会でのこと。
机を合わせ、でんきや同志がグループディスカッションし、それぞれの店の悩みを打ち明け、課題と対策を語り合うそんな研修がありました。
そのとき、とある同じ若手の電器屋さんが、
「ウチのおやじ(社長)は、一見のお客さんを受け容れないんですよ。ボクは、これからはどんどん新規客を増やさなきゃ!って言ってるのに。しょっちゅうケンカですよ。」
他の電器屋さん「それは困ったもんですね。お客さんは歳をとって、代替わりをしたり、亡くなったりもする、だとすると、新規客の獲得は電器店にとって必須なのに、そんなこと言ってるんだ。」
また他の電器屋さん「そうだよ、今いるお客さんだって、最初は一見さんだったはずだよね。紹介者がいなければダメとか言ってるの?」
話題を提示した電器屋さん「なんていうか、頭が固いというのか、新規さんは、他店から買った品の修理とか、ろくな用件を言ってこないからって。」
他の電器屋さん「えぇ?!だって、これから付き合いが始まるんだから、自店から買った家電なんて、一つもないわけじゃないか。」
あの後、そんなふうに言ってた電器店の同志さんは、新規客開拓、おやじさんを説得できたのかな。
(コラムに戻り つづき)
『時期尚早』『前例がない』
私(二宮氏)は、この二つの言葉を聞いて、「これでサッカーのプロ化は難しくなった。今までの議論はなんだったのか。」
むなしい気持ちにとらわれました。
と、そのときです。
いきなり立ち上がったのが、川淵三郎さんでした。
川淵氏「時期尚早という人間は、100年経っても時期尚早という。」
川渕氏「前例がないという人間は、200年経っても前例がないという。」
私は隣で、心の中で拍手をしました。
「(よくぞ言ってくれた!)」
川淵氏「そもそも時期尚早という人間は、やる気がないということだ。私にはやる気がないとは言えないから、時期尚早という言葉でごまかそうとする!」
川淵氏「前例がないという人間は、私にはアイディアがないということだ。私にはアイディアがありませんとは言えないから、前例がないという言葉で逃げようとする。」
凄まじい迫力!
川淵氏「だいたい仕事のできない者を見てみろ!自らの仕事に誇りと責任を持てない人間を見てみろ!次から次とできない理由ばっかりを探してくるだろう。仕事というものは、できないことにチャレンジをして、できるようにしてみせることを言うんだ!」
そういえば、バスケの改革の際もそうでした。
川淵氏「できない理由なんか聞きたくない!そんな姿勢では成功しない!」
できない理由ばかりを並べる…。
これは思い当たる話があると同時に、自らもできない理由を並べているなぁ(汗)。
売り上げが減少した理由として、上得意様が亡くなった、長男と同居するようになって、決定権がなくなった…などなど。
できないことをできるようにする!…耳の痛いお言葉(汗)。
(コラムより つづき)
「もう一回、サッカーのプロ化に向かって頑張ろう!」という機運が漲り、ついには、1993年春にはJリーグが開幕したわけです。
もし、川淵三郎さんが、あの会議で名演説で抵抗勢力を喝破しなかったら、間違いなくサッカーはプロ化せず、Jリーグも誕生せず、日本代表が強くなることもなかった。
2002年のワールドカップ誘致に成功することもなかった。
サッカーに限らず、ビジネスでも人生でも、ヒントになることは多いなぁ~。
ワールドカップの経済効果は、3兆5千億円になると。
もし、川淵改革がなかったら、これだけのマーケットが生まれることも、サッカーが文化として成立することもなかった。
※Jリーグ100年構想とは…
その基礎となるものは、
『地域に根差したスポーツクラブができることで、人々がともにスポーツに親しみ、世代を超えた交流を広げ、豊かな人生を過ごしていけるもの』と考える理念。
『Jリーグ百年構想~スポーツで、もっと幸せな国へ~』
をスローガンに掲げている。
私は、このときの体験をもとに何冊かのリーダー論を書かせていただきました。
四の五の言っても、最後はトップの決断が重要、少々のリスクを取ってでも勝負できるかどうか、理屈や理念ではなく、度胸と覚悟だなと。
物事がうまくいかなくなるときのパターンは決まっている。
『総論賛成・各論反対』
総論では全員賛成なのに、各論で意見集約ができず、利害がぶつかると先送り。
この国には「小異を捨てて大同につく」という素晴らしい言葉があるのに、大同が見失われ、小異ばかりがクローズアップされる。
そして、「もう今日はなんのための会議だったかわけがわからない。」
何度もこういう経験をしました。
あります…テーマからだんだん脱線して、なんの話だったか、わからなくなることが(笑)。
石川青年部会の定例会でも、ひょんなことから、現場の苦労話や便利な道具の話になると、つい話題が盛り上がって、肝心の建設議論がそっちのけになってしまうことが。
とはいえ、石川青年部会の場合、『まちのでんきやブランド化』という共通理念から、そう外れた議論や、反対意見はそうそうなくて、比較的スムースに前進しているようです。
(コラムに戻り つづき)
物事を前に向けて進めるためには、リーダーシップが大事なわけですが、次の三つが特に大事であると確信しました。
第一にパッション(情熱)。
川淵氏には火傷をするような熱い情熱がありました。
人は情熱のない人にはついていきません。
石川青年部会が地元のリレーマラソンに参加
初めは、「この歳になって、いまさらマラソンて…。」
そんな懐疑的な意見もありましたが、大下リーダーの熱意が通じて、ついにはチームでリレーマラソンを完走しました。
ブログ担当も、何年ぶりに走ったことでしょう(笑)。
(コラムに戻り つづき)
第2にミッション。
川淵三郎さんには、高邁なる理念と崇高なる使命がありました。
「スポーツが変われば、地域が変わる。地域が変わったらチームも変わっていく。スポーツは教育の一環だけではない。スポーツは産業なんだ。」
「地域経済に対する貢献度も非常に高い。やろうじゃないか!日本を変えるんだったら、スポーツを先に変えてみせよう!」とやったわけです。
ジ~~~ン…
スポーツが変われば、地域が変わり、地域が変わったら、チームも変わる。
スポーツが変われば、日本が変わる…壮大な理念と目標ではありませんか。
でも待てよ?
『まちのでんきやブランド化』だって、単なるまちのでんきやの目標実現と満足のためだけじゃないぞ?
まちのでんきやがせめて今よりもう少し社会に受け容れられるようになるということは、少しぐらい価格が高くても、本物や本物のサービスを求める習慣が育ち、日本全体が本物志向にチェンジができる。
それに、価格至上から脱却することができれば、安倍政治が標榜するところのデフレからの脱却を実現することもできる。
デフレなんてろくなもんじゃない。フィリップス理論によれば、求人率とデフレの曲線は反比例の関係にあって、デフレが進行するほど、求人率は低下する。ここ10数年来の自殺数はデフレの10数年に合わせるかのように増加したではないか。
もし、まちのでんきやがクローズアップされたら…
それは、巡り巡って、デフレからの脱却と自殺数減少、求人率の増加にもつながる…ということは、まちのでんきやは…
ハッピーな日本づくりのためのキーマンということではありませんか!!
自分でいうか(笑)。
(コラムに戻り つづき)
川淵三郎さんは、ついにやり遂げた。
3点目、それはアクションです。
パッション、ミッション、アクション。
この後もコラムは続きますが、川淵三郎さんに触れた部分は、こんなところでした。
誰もが川淵三郎さんのようにリーダーシップを持ち、陣頭指揮することは難しいかもしれません。
が、パッション、ミッション、アクションだけは、意識し、目標に向かい前進することができます。
なんでそんなに高い所(町の電器店)から買うんだ!
安い所がいくらでもあるじゃないか!!
日頃から足しげく電球の交換や家電の取り扱い説明などに通っているのに、肝心の家電購入となると、たまにやってきた息子さん、娘さんがひっくり返して行く。
それが情報発信のバネになりました。
石川青年部会でいえば、活動のための原点になりました。
まちのでんきやをもっと知ってもらおう。
それが『まちのでんきや』ブランド化構想です。
石川青年部会は、パッション、ミッション、アクション…活動を通じて、まちのでんきやブランド化を目指します。
ちょっと大袈裟になったかな(笑)。
『まちのでんきや』はトータル家電ライフをサポートします。
昨年(2015年)3月、二宮清純さんの講演を聞く機会がありました。
すると、まるまるコラムのお話を生で聞くことができ、感無量でした。
帝王学 背中で語る リーダー像(2015.6.17のブログより)
講演後、著書を購入し、サインをしていただきました。
そして、名刺の裏に走り書きをし、二宮氏に手渡しました。
「川淵氏パッション…」の話が聞けて、感無量でした(乱文にて)
『まちのでんきや』アゲイン!!
『まちのでんきやエレジー』! (『まちのでんきや』テーマ曲・YouTubeにて)
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