IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ -21ページ目

IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ

環太平洋大学サッカー部の公式Blogです。
試合戦評はもちろん、地域貢献、ボランティア、普及活動、イベント企画など様々な活動の報告を選手自身が行います。


こんにちは。
環太平洋大学サッカー部、安部秀太の体育学科です。4年です。

今回は、4年で最後のブログになりそうなので自分の思考について書きます。



まず、自分は人に物事を伝えるのが下手くそです。だいたいのことを擬音混じりで伝えたり、アバウトで伝えたりと監督にもよく怒られました。なので、このブログもうまく伝わらなかったら申し訳ございません。

自分が考えていることは、『らしさ』というものを大切にすることです。

この言葉は『自分らしさ』とか『わがまま』とかいろんな捉え方があったりすると思いますし、それで良いと思います。
その中で、自分が思う『らしさ』を伝えられたらと思います。



自分はもともと人見知りで人と話すのは苦手でした。

中学生の時は学年集会のスピーチでは、緊張で声が震え、呼吸のタイミングを失ってしまい、もがき苦しみながら読んでいました。

それと、1番苦しめられたのはトレセンです。知らない人と一緒にサッカーをするのが苦手でした。トレセンはみんな上手いし、クラブチームが多い中で、部活から参加するのはなかなか溶け込めなかったです。

それから、大学生になって2年の頃、サッカーも上手くいかず、悩んでた時期に、友達がその『らしさ』っていう言葉をくれて、自分に響いたのかボロ泣きしてました。

それまでの自分は、人と話せない自分が嫌だとか、人見知りな自分が嫌だとか自分の欠点を見つけてそこを直そうとしてました。

『らしさ』っていうのは、

その人がもともと持っているもので、何かを変えようとかせずにそのままでいること

好きなことも嫌なことも自分らしさということ

相手のその人らしさを認めること
だと思ってます。



自分がらしくいることで

負けず嫌いなi1らしさとか

出雲のことほとんど教えてくれる貫太らしさとか

炒飯への愛が重い信里龍人らしさとか

こーえいみたいな健太らしさとか?

笑えば良いと思ってる川島大輝らしさとか

大声出せば良いと思ってる麟らしさとか

ローソンの内定取りに行こうとしてる雅宗らしさとか

色んな人のらしいところが見えました。
これからも色んな人のらしさを見つけれるようにらしくいきたいと思います。

みんならしくいきましょう。

ここまで読んでくれてありがとうございました。




こんにちは。環太平洋大学IリーグAのイマジナリー担当をさせていただいた次世代教育学部こども発達学科4年生の信里龍人です。今回は僕の大学サッカー4年間を書かせていただこうと思います。



入学して始まった僕の大学サッカー生活は1番下のカテゴリーi5からのスタートでした。
楽しみにしていたリーグ戦はなく、対外試合は関西福祉大学との1試合のみ。
カテゴリーが上の同級生は色々なチームと試合をして経験を積んでいる中僕は練習をして試合は紅白戦だけ、すごく悔しかったです。紅白戦ではボコボコにされて、「自分が出た試合を3失点で抑えれたら失点してないのと一緒や」という訳の分からない理論を同じカテゴリーのキーパーと話しながら紅白戦をしていたのを覚えています。
リフティングボールを絶対落とさないキャプテン(別名:縄田)のいる癖の塊カテゴリーでした。

2年生になり、クラブにカテゴリーが変わりそこに居たゴールキーパーは足元が上手く基礎も上手くて顔もイケメンで優しい先輩の清水大誠君。(別名:師匠)
クラブにいった当初は「この人に勝って試合に出れるか?」と自信はほぼ0でした。
師匠と練習をしているとお手本が目の前にいるので上手くなっている気がして毎日が楽しかったです。
そして2年生になって初めて10分だけリーグ戦に出ることができ、少しずつスタメンで出れるようにもなってきました。
自分の成長を感じられる充実したカテゴリーでした。



3年生になり、カテゴリーはクラブからi2になって個人的に「打倒i1」を掲げてスタートしました。
初めてのIリーグ。全国に行きたいと思いながら毎週リーグ戦を闘って、プレーオフ進出を決め、勝ち進みプレーオフ決勝。
相手はi1。根拠はないですが、何故が勝つ自信しかありませんでした。
延長後半にまさかのPKを与えてしまい、僕の心臓は張り裂けそうでした。サッカー人生1回もPKを止めたことがなく、すごく苦手でした。
しかし、後輩の小川哲(別名:馬)が僕に「漢見せろよ信里!」と言ってきました。「何呼び捨てしとんじゃい」と思いながらもその瞬間「俺が止めてやろう」と思いました。結果止めることができ、優勝して全国大会に出場。全国大会でもPK戦で止めて全国大会3位になることができました。
大学サッカーで1番嬉しい瞬間味わえ、勝者のメンタリティを学んだカテゴリーでした。

4年生になり、カテゴリーはi1へ。
1番上のカテゴリーにいる謎の重圧や負けられないという重圧など今までのサッカー人生で感じたことの無いものを感じていました。
ほとんどのメンバーがAチームやFCを経験しているエリートばかりで技術も高く、和倉遠征でも優勝してこれは全国大会行けるし、全国大会でも優勝できると思いながら毎日練習していました。
リーグ戦は1位通過し、プレーオフ進出して準決勝でi2と対戦でした。
去年の経験があるからこそ、良くないことを想像してしまったりしましたが、このチームなら大丈夫と思いながら試合に挑みました。
結果はPK戦でi2の勝利。
去年と逆の立場になってみると去年の4年生の気持ちがすごく分かりました。残酷で悔しいだけじゃ片付けられない色々な気持ちがありました。このチームでどこまで行けるか楽しみだっただけに終わりがあまりにも早すぎました。
そして引退。
大学サッカー4年間最後i1という最高最強銀河系軍団と一緒にサッカーができた事が嬉しいです。サッカーが上手くてキャラクターも濃くて毎日練習が楽しかったです。4年間で1番充実した大好きなカテゴリーでした。🤟環❤️‍🔥



良いことも悪いことも沢山ありすごく充実した4年間でした。こんなサッカー人生を送れたのは家族、コーチ陣、友達など沢山の人たちのおかげです。家族には今までの人生分と全国大会に出れなかった分違う形で恩返ししたいと思います。机に向かう勉強は苦手だけどサッカーで色んなこと勉強できました。ありがとう!

以上‼️僕の4年間の大学サッカーでした。
「またみんなでサッカーやろうぜ!」
こんにちは。天根勇輝です。

プレーオフ準決勝で敗退してから3週間以上が経過した今でも、たまーに試合を振り返ってしまう。全員が集大成をぶつけ、負けるわけないと思っていた。しかし、それでも結果はi2が勝ち、そのままi2は決勝も勝って全国大会出場を決めた。恐らくi1の4年生には、大学サッカーの有終の美を飾ることが出来た人も、後悔を1つも残さず大学サッカーを終えることが出来た人もいないのではないだろうか。今更何を思ってもどうすることも出来ないが、せっかくブログを書く機会を頂いたので、自分なりに思っている事を書いていこうと思う。



結論から述べると、本当に全国大会に出場したかった。自分は怪我で試合に出ることは出来ないが、皆が試合している姿を見たかった。足速い両ワイドがどんだけ相手をぶち抜いてくれるのか、中盤が真ん中でどれだけ魅せてくれるのか、質の高いコーナーから誰が点とるのか、キーパーのたまにある真ん中へのヒヤヒヤするパスは今日も出るのか、交代で入る人は何か面白いことしてくれるのか、キャプテンのオーバーラップはいつ使われるのか、怪我で離脱してチームに合流してから数試合しか見ることは出来なかったが、ベンチからこんな事を考えながら見る試合はワクワクして面白かった。それに試合前の写真撮影では、自分のユニフォームを持ってくれたり、入院中は背番号を手で作ったりしてくれて本当に嬉しかった。だから尚更、こんな強くて最高なチームはもちろん勝つだろうし、負けるなんて微塵も思わなかった。しかし、最後の最後までサッカーは厳しくて残酷なスポーツだということを思い知らされた。試合後、泣いている選手や、泣きながら「全国大会に出られなくてごめん」と言ってくれる選手に対して、何て声をかけたら良いのか。色々なプレッシャーがかかる中、最後まで全力で戦ってくれた選手を責める訳ないし、むしろ謝るべきなのは長い間チームを離れてプレーでもピッチ外でも貢献できなかった自分だったのではと今になって思う。ただ、ほんとうにみんなかっこよかったし、誰にでも自慢できるチームメイトに巡り会えてよかった。自分のサッカー人生最後の1年間をこのメンバーで過ごすことが出来て楽しかった。本当にありがとう。怪我でサッカーの復帰を諦めてしまっていた自分がいたが、また皆とサッカーしたくなったので、2月頃にボール蹴ろって誘います。断らないでください。



振り返ると、サッカーを大学まで続けて本当に良かった。理不尽で辛いことも多々あったが、ここまで熱中し、様々なものを懸けて行えることなんて今後見つけれそうにない。一生の仲間に出会うことも出来たし、色々な思い出を作ることも出来た。お父さんお母さん、サッカーをずっと続けさせてくれてありがとうございました。

拙い文になってしまいましたが、読んで頂きありがとうございました。
こんにちは、4年の今村晃基です。
今回は、自身が引退するまでの話を書かせていただこうと思います。
初めに言っておきます、長いです。
拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。



まず、皆からよく聞かれる、なぜ関東出身の私が岡山県のIPUを選んだかということを書かせていただきます。
選んだ理由はいくつかありますが今回は一つだけ書かせていただきます。それは、入れ替わりの代の赤木直人(さん)という選手の存在です。知っている人もいれば知らない人もいると思います。私は高校の頃、広島遠征があった際にIPUのAチームと練習試合をさせていただいてました。その時に相手にいた化け物が赤木直人(さん)という選手です。何をさせても上手く、この選手がボールを持つと手出しができないとも思わされる選手でした。だからこそ、こんな選手がいるチームでやりたいと思い、IPUを選ぶことになりました。
入学後、まさかのコロナの影響で約半年近くの部活動休止、理想としていた大学生活とはかけ離れたスタートとなった。部活動再開後もカテゴリーはi3から、試合も出れず、腐りそうな時期も多々あった。ある時、雅人さんから電話がかかってきた。その電話は一年の年明けからFCへのカテゴリー変更の連絡であった。この電話は今でも覚えているぐらい嬉しく、やる気に満ち溢れた瞬間であったと思う。



FCに合流した私は、一度も話したことがない同級生が20人近くいて、地味に緊張していたと思う。FCの練習は、常にポゼッションで中盤でプレーしていた私はやって行けるか心配で、特に驚いたことが、ほとんどの選手が練習後、自主練をする為にグランドに残り、ボールを蹴っていたこと。どんだけ意識の高いカテゴリーかと思わされ続け、初めはついて行くので精一杯だったのを覚えている。その後、中盤からCBにポゼッション変更となり、数ヶ月経っても試合にはでれず、挙句の果てにはベンチ外という屈辱の経験があった。FCでの初の公式戦は全国社会人サッカー選手権大会の岡山県予選の連戦の2日間だった。緊張しないと言いながらも心臓の鼓動は早く、有り得ないことにアクティバイタルのソックスを忘れてきていたことに気づき、めちゃくちゃ焦ったこともあった。試合自体は勝つことができ、特にバレイン下関に勝てたことがもの凄く嬉しかったのを覚えている。しかし、決勝は試合に出ることができず悔しい思いでベンチにいた事を引退した今でも忘れたことはない。決勝の試合は勝つことができ、全国出場を決めることができた。私は、全国大会で確実に試合に出れるようにとモチベーションを常に高く持ち、練習や自主練を取り組んできた。そんなある日、FCのグループLINEにある一件の通知がきた。それは、コロナの影響により、全国大会は中止。という連絡であった。あんなにも高いモチベーションを保っていたものが一瞬で崩れ去り、私だけでなく、チーム全体がやる気を失ったのを覚えている。その後の練習は、誰一人として声も出さず、やる気も出ず、最悪の雰囲気であり、どうモチベーションを上げたら良いか、わからない状態が続いた。しかし、リーグ戦はまだ折り返し地点であった為、何とかやる気を出し、その年の順位を3位で終わらせることができたのは、とても良かった。

三学年でも昨年と同様にFCでの活動ができ、試合にも出れるようになり、天皇杯予選では、Aチーム対FCで準決勝を戦えたことは今思えば、めちゃくちゃ楽しかった試合だったと思う。この試合はPK戦まで、もつれ込み、惜しくも敗れ、大学サッカーで初めて涙を流したのを覚えている。その後、他の公式戦も続いていく中でサッカー人生で初の大きな怪我をしてしまった。怪我名はグロインペイン症候群という怪我である。怪我の症状は天皇杯予選前から出ていたが騙し騙しやっていた結果が6ヶ月間の離脱、7ヶ月目での復帰だった。Aチームに上がる為、プロを目指す為に取り組んできた全てのことが、この怪我で一気に終わりかけた。
大学病院にリハビリ通い、ベンチにはスタッフとして入ることが続き、モチベーションを保つ事が大変だった。
無事復帰できたと思っていた私を待っていたのは、気胸疑惑であった。復帰したのは11月後半から12月にかけて、気温が下がり、急な高強度な運動に耐えられなかったのではと、数週間見学へと。年明けから無事できるようになったが肺の違和感は満載。とても辛い時期であった。

四年ではi1にカテゴリーが変わり、目標は全国優勝、iリーグ予選では圧倒できると思っていた束の間、続々と休部する人が出てきた。リーグが始まり試合には勝つことができたが圧倒まではいかない。プレーオフは一位通過でき、ここで圧倒し、全国出場を決めればいいと考えを切りかえ取り組んだ。その前に自身がサッカーを初めてから16年、夢として目指していたプロへの挑戦があった。期間は4日間、8月という真夏の中での挑戦だった。結果はダメではあったが、悔いなくやり切れるた事が私の中では一番であった。この大学生活の中で2箇所もプロチームに混ざりプレーできた経験はとても良かった。
その後プレーオフが始まり、初戦は無事勝利。準決勝のi2との試合。これが一番の山場であった。だが試合にはでれずPK戦で敗退。引退となった。やり切れない思いではあったが自分の代わりにめちゃくちゃ闘ってくれたみんなに感謝しています。最後まで諦めずプレーしてくれてありがとう。普段泣かない人が涙を流していると思わずつられてしまいました。



長々と大学生活の出来事を書いてしまって申し訳ありません。しかし、とても濃い大学生活とサッカー人生でした。約16年間のサッカー人生の中で支えてくれた人、共に励ましあってくれた人、共に言い合いしてくれた人、共に喜んでくれた人、共に語り合ってくれた人、共にプレーしてくれた人、共に標準語喋ってくれた人、本当に皆さんありがとうございました。
そして、来年以降も大学サッカーを続けられる1、2、3年生の皆さん、悔いを残さないように頑張ってください。応援しています。

こんなに長いブログはないってくらい書かせていただきました。最後まで読んでくれた人、本当にありがとうございました。これで以上となります。
こんにちは。i2所属3年生の大井智陽です。今回は先日行われたiリーグ決勝戦のことについて書かせていただきます。



試合のスコアは1-0で勝ち、全国大会出場を決定することができました。私は、小学一年生の時から本格的にサッカーを始めました。中学、高校とあと一つ勝てば全国大会出場という場面でいつも負けて悔しい思いをいつもしていました。今回の決勝戦では、iリーグ準決勝でi1との試合にi1の人達の分も背負って戦わないといけない、それだけではなく、ipuサッカー部の皆の分も背負う気持ちで頑張りました。自分自身のプレーは、上手く行くことが少なかったですが、チームが勝つためにi2の全員で必死に戦い、勝利を掴み取ることができました。今度は、iリーグの中国地方代表として、全国大会で優勝できるように、必死になって戦ってこようと思います。
応援ありがとうございました。



これからも応援よろしくお願いします。