16 | IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ

IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ

環太平洋大学サッカー部の公式Blogです。
試合戦評はもちろん、地域貢献、ボランティア、普及活動、イベント企画など様々な活動の報告を選手自身が行います。

こんにちは、4年の今村晃基です。
今回は、自身が引退するまでの話を書かせていただこうと思います。
初めに言っておきます、長いです。
拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。



まず、皆からよく聞かれる、なぜ関東出身の私が岡山県のIPUを選んだかということを書かせていただきます。
選んだ理由はいくつかありますが今回は一つだけ書かせていただきます。それは、入れ替わりの代の赤木直人(さん)という選手の存在です。知っている人もいれば知らない人もいると思います。私は高校の頃、広島遠征があった際にIPUのAチームと練習試合をさせていただいてました。その時に相手にいた化け物が赤木直人(さん)という選手です。何をさせても上手く、この選手がボールを持つと手出しができないとも思わされる選手でした。だからこそ、こんな選手がいるチームでやりたいと思い、IPUを選ぶことになりました。
入学後、まさかのコロナの影響で約半年近くの部活動休止、理想としていた大学生活とはかけ離れたスタートとなった。部活動再開後もカテゴリーはi3から、試合も出れず、腐りそうな時期も多々あった。ある時、雅人さんから電話がかかってきた。その電話は一年の年明けからFCへのカテゴリー変更の連絡であった。この電話は今でも覚えているぐらい嬉しく、やる気に満ち溢れた瞬間であったと思う。



FCに合流した私は、一度も話したことがない同級生が20人近くいて、地味に緊張していたと思う。FCの練習は、常にポゼッションで中盤でプレーしていた私はやって行けるか心配で、特に驚いたことが、ほとんどの選手が練習後、自主練をする為にグランドに残り、ボールを蹴っていたこと。どんだけ意識の高いカテゴリーかと思わされ続け、初めはついて行くので精一杯だったのを覚えている。その後、中盤からCBにポゼッション変更となり、数ヶ月経っても試合にはでれず、挙句の果てにはベンチ外という屈辱の経験があった。FCでの初の公式戦は全国社会人サッカー選手権大会の岡山県予選の連戦の2日間だった。緊張しないと言いながらも心臓の鼓動は早く、有り得ないことにアクティバイタルのソックスを忘れてきていたことに気づき、めちゃくちゃ焦ったこともあった。試合自体は勝つことができ、特にバレイン下関に勝てたことがもの凄く嬉しかったのを覚えている。しかし、決勝は試合に出ることができず悔しい思いでベンチにいた事を引退した今でも忘れたことはない。決勝の試合は勝つことができ、全国出場を決めることができた。私は、全国大会で確実に試合に出れるようにとモチベーションを常に高く持ち、練習や自主練を取り組んできた。そんなある日、FCのグループLINEにある一件の通知がきた。それは、コロナの影響により、全国大会は中止。という連絡であった。あんなにも高いモチベーションを保っていたものが一瞬で崩れ去り、私だけでなく、チーム全体がやる気を失ったのを覚えている。その後の練習は、誰一人として声も出さず、やる気も出ず、最悪の雰囲気であり、どうモチベーションを上げたら良いか、わからない状態が続いた。しかし、リーグ戦はまだ折り返し地点であった為、何とかやる気を出し、その年の順位を3位で終わらせることができたのは、とても良かった。

三学年でも昨年と同様にFCでの活動ができ、試合にも出れるようになり、天皇杯予選では、Aチーム対FCで準決勝を戦えたことは今思えば、めちゃくちゃ楽しかった試合だったと思う。この試合はPK戦まで、もつれ込み、惜しくも敗れ、大学サッカーで初めて涙を流したのを覚えている。その後、他の公式戦も続いていく中でサッカー人生で初の大きな怪我をしてしまった。怪我名はグロインペイン症候群という怪我である。怪我の症状は天皇杯予選前から出ていたが騙し騙しやっていた結果が6ヶ月間の離脱、7ヶ月目での復帰だった。Aチームに上がる為、プロを目指す為に取り組んできた全てのことが、この怪我で一気に終わりかけた。
大学病院にリハビリ通い、ベンチにはスタッフとして入ることが続き、モチベーションを保つ事が大変だった。
無事復帰できたと思っていた私を待っていたのは、気胸疑惑であった。復帰したのは11月後半から12月にかけて、気温が下がり、急な高強度な運動に耐えられなかったのではと、数週間見学へと。年明けから無事できるようになったが肺の違和感は満載。とても辛い時期であった。

四年ではi1にカテゴリーが変わり、目標は全国優勝、iリーグ予選では圧倒できると思っていた束の間、続々と休部する人が出てきた。リーグが始まり試合には勝つことができたが圧倒まではいかない。プレーオフは一位通過でき、ここで圧倒し、全国出場を決めればいいと考えを切りかえ取り組んだ。その前に自身がサッカーを初めてから16年、夢として目指していたプロへの挑戦があった。期間は4日間、8月という真夏の中での挑戦だった。結果はダメではあったが、悔いなくやり切れるた事が私の中では一番であった。この大学生活の中で2箇所もプロチームに混ざりプレーできた経験はとても良かった。
その後プレーオフが始まり、初戦は無事勝利。準決勝のi2との試合。これが一番の山場であった。だが試合にはでれずPK戦で敗退。引退となった。やり切れない思いではあったが自分の代わりにめちゃくちゃ闘ってくれたみんなに感謝しています。最後まで諦めずプレーしてくれてありがとう。普段泣かない人が涙を流していると思わずつられてしまいました。



長々と大学生活の出来事を書いてしまって申し訳ありません。しかし、とても濃い大学生活とサッカー人生でした。約16年間のサッカー人生の中で支えてくれた人、共に励ましあってくれた人、共に言い合いしてくれた人、共に喜んでくれた人、共に語り合ってくれた人、共にプレーしてくれた人、共に標準語喋ってくれた人、本当に皆さんありがとうございました。
そして、来年以降も大学サッカーを続けられる1、2、3年生の皆さん、悔いを残さないように頑張ってください。応援しています。

こんなに長いブログはないってくらい書かせていただきました。最後まで読んでくれた人、本当にありがとうございました。これで以上となります。