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のらりくらりす。

ゲーム好き!ゲーム音楽好き!ゲーム攻略本好き!な
ゲーマー兼オタク兼カメコです。

たとえば、

私たちは、

日々の生活の中で、

いろいろな買い物をします。

 

お腹が空いたら、

スーパーでお惣菜を買う。

 

疲れたら、

コンビニで甘い飲み物を買う。

 

それは、

ごく普通の日常の光景です。

 

では、

そんな日常の中で、

私たちは、

いったい何を基準に、

買い物をしているのでしょうか。

 

それは、

「必要だから」

という理由かもしれません。

 

本当に、

それだけなのでしょうか。

 

少し、

話しは変わりますが、

 

先日、

私はネット通販の画面を眺めていました。

 

画面には、

様々な商品が並んでいます。

 

便利そうな調理器具。

 

お洒落なインテリア雑貨。

 

そして、

「これがあれば生活が変わる」

そんな謳い文句が、

並んでいました。

 

その中で、

私の目を引いたものがありました。

 

それは、

『全自動野菜スライサー』

という機械です。

 

ボタン一つで、

キャベツが千切りになる。

 

ニンジンが綺麗なイチョウ切りになる。

 

そんな、

夢のような機械でした。

 

説明文には、

「時短になります」

「料理が楽しくなります」

と書いてありました。

 

私は、

すっかりその気になってしまいました。

 

「これは、スゴイことです!!」

 

そう思って、

すぐに注文ボタンを押しました。

 

数日後、

自宅に大きな段ボールが届きました。

 

中から出てきたのは、

思ったよりもゴツイ機械でした。

 

キッチンに置いてみると、

かなりの存在感があります。

 

『存在感(そんざいかん)』

 

です。

 

さっそく、

キャベツを切ってみることにしました。

 

スイッチを入れます。

 

「ブォーーーン」

 

という、

すごい音が響きます。

 

キャベツを投入口に入れます。

 

あっという間に、

キャベツが削られていきました。

 

すごい。

 

本当に、

すごいスピードです。

 

私は感動しました。

 

「買ってよかった!!」

 

その時は、

心の底からそう思ったのです。

 

では、

その機械を、

次の日も使ったでしょうか。

 

答えは、

「いいえ」

です。

 

問題は、

ここからなのです。

 

使ったあとの、

お手入れの話です。

 

あの機械、

分解すると、

細かいパーツがいくつもありました。

 

刃の部分は、

危ないので慎重に洗わなければいけません。

 

隙間に挟まったキャベツの繊維を、

付属の小さなブラシで、

ちまちまと取らなければいけません。

 

それを洗っているうちに、

私はふと思いました。

 

「あれ、包丁で切ったほうが早くないか?」

 

と。

 

そうなんです。

 

包丁とまな板なら、

サッと水で洗って終わりです。

 

しかし、

あの全自動スライサーは、

洗うだけで五分以上かかります。

 

準備と後片付けの手間を考えると、

よっぽど大量の野菜を切るとき以外は、

かえって時間がかかるのです。

 

つまり、

便利そうに見えたその機械は、

私にとって、

「手間を増やす機械」

になっていたということです。

 

本当に、

皮肉な話です。

 

そう考えると、

私たちは、

何を買っているのでしょうか。

 

商品そのものを、

買っているわけではないのかもしれません。

 

私たちは、

『未来の理想の自分』

を買っているのです。

 

「この機械があれば、毎日料理をする丁寧な人間になれる」

 

「この服を着れば、明日からおしゃれな自分になれる」

 

そんな、

自分の幻想を買っているのです。

 

だから、

届いた瞬間に満足してしまい、

実際の使用頻度が低くなる。

 

そんな経験は、

誰にもあるのではないでしょうか。

 

ここで、

別の例を出してみます。

 

たとえば、

ダイエットのための健康器具です。

 

お部屋の中で、

ペダルを漕ぐだけのエアロバイク。

 

テレビを見ながら運動できる。

 

そんなうたい文句で、

多くの人が買います。

 

届いた最初の週は、

頑張って漕ぎます。

 

「テレビを見ながらだから、楽勝だ」

 

そう思います。

 

しかし、

二週目になると、

ペダルの上に服がかけられるようになります。

 

気づけば、

立派な『ハンガーラック』

へと変貌を遂げているのです。

 

これは、

笑い話のようですが、

非常に深い意味を持っています。

 

物が増えるということは、

どういうことなのでしょうか。

 

それは、

管理する責任が増えるということです。

 

物が増えれば増えるほど、

私たちの心の中のスペースは、

その物の管理に奪われていきます。

 

「片付けなければいけない」

 

「使わないともったいない」

 

そんな小さな罪悪感が、

心の奥底に溜まっていくのです。

 

だからこそ、

「買わない」

という選択肢には、

大きな価値があると言えるかもしれません。

 

では、

いったいどうすればいいのでしょうか。

 

何も買わずに、

原始的な生活をしろ、

ということではありません。

 

そうではなく、

自分の心の状態を、

よく見つめてみる必要があるのです。

 

「これは、本当に今の私に必要なのか」

 

「それとも、理想の自分を演じるための道具なのか」

 

それを、

買う前に、

ほんの少しだけ考える。

 

それだけで、

私たちの生活は、

劇的に変わるかもしれません。

 

私は、

あの全自動スライサーを、

キッチンの棚の奥深くしまい込みました。

 

今はもう、

ほとんど使っていません。

 

でも、

それでいいのだと思っています。

 

なぜなら、

その失敗があったからこそ、

「本当に大切なものは何か」

ということに気づくことができたからです。

 

物があふれる現代社会において、

私たちは常に誘惑にさらされています。

 

「これさえ買えば幸せになれる」

 

そんな甘い言葉が、

あちこちに溢れています。

 

でも、

本当の幸せは、

物の中にあるのではありません。

 

自分の心の中にあるのです。

 

自分が納得して、

心から愛せるものだけに囲まれて暮らす。

 

そんなシンプルな境涯(きょうがい)を目指すこと。

 

それこそが、

私たちが本当に求めていることなのだと思います。

 

だから、

次に何かを買うときは、

少しだけ立ち止まってみてください。

 

本当にそれは必要なのか。

 

それとも、

ただの幻なのか。

 

そうやって自分に問いかけることで、

日常の風景は、

少しずつ違った輝きを帯びていくのです。

 

本当に、

スゴイことだと思います。

 

私たちの毎日は、

そういう小さな気づきの積み重ねで、

できていくのですから。

たとえば、

お気に入りのマグカップを割ってしまったときのことを、

思い出してみてください。

 

お気に入りのマグカップ(まぐかっぷ)です。

 

毎日使っていた、

お気に入りのマグカップです。

 

ある日、

うっかり手を滑らせて、

床に落として割ってしまう。

 

そんな経験が、

誰しもあるのではないでしょうか。

 

ガチャンと音を立てて、

粉々になってしまう。

 

その瞬間は、

本当にショックです。

 

「あぁ、やってしまった」と、

頭が真っ白になる。

 

でも、

ここで少しだけ、

見方を変えてみます。

 

実は、

その割れてしまったマグカップを通して、

私たちは大切なことに気づかされているのです。

 

では、

いったい、

何に気づかされているのでしょうか。

 

それは、

「すべてのものは形あるものだ」

ということです。

 

どんなに大切にしていても、

いつかは壊れる。

 

どんなにお気に入りのものでも、

いつかは失う。

 

仏教(ぶっきょう)では、

これを『諸行無常(しょぎょうむじょう)』と言ったりします。

 

なんだか難しそうな言葉ですが、

要するに、

「世の中のものはすべて、変化し続ける」

ということです。

 

同じ状態のままで、

永遠に留(とど)まるものなど、

何一つない。

 

私たちの持っている物も、

私たちの体も、

そして、

私たちの心さえも、

常に変化しているのです。

 

そう考えると、

少し切ない気持ちになるかもしれません。

 

でも、

本当にそうでしょうか。

 

実は、

変化するということは、

裏を返せば、

「今この瞬間がかけがえのないものだ」

ということなのです。

 

永遠に続かないからこそ、

愛おしい。

 

いつか失うからこそ、

目の前にあるものを大切にできる。

 

マグカップが割れたという、

たった一つの小さな出来事が、

私たちにそんな深い真理を教えてくれているのです。

 

スゴイことだと思いませんか。

 

ただの食器の破損が、

宇宙の真理とつながっている。

 

大げさに聞こえるかもしれませんが、

私たちの日常は、

そういう奇跡的な瞬間に満ちているのです。

 

ここで、

少し話しは変わりますが、

「時間」について考えてみたいと思います。

 

私たちは普段、

「時間は直線的に流れている」

と思っています。

 

昨日があって、

今日があって、

明日がある。

 

過去から現在へ、

そして未来へと、

時計の針は一方通行に進んでいく。

 

これは、

誰もが疑わない事実のように思えます。

 

でも、

本当にそうなのでしょうか。

 

実は、

心の時間というのは、

そんな単純なものではないのです。

 

たとえば、

子どもの頃の思い出を振り返るとき。

 

何十年も前の出来事なのに、

まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 

匂いや、

音や、

そのときの風の感触までが、

一瞬で蘇(よみが)えってくる。

 

逆に、

昨日の夕飯に何を食べたか思い出せないこともある。

 

時間は同じように流れているはずなのに、

私たちの感じ方は、

こうも違う。

 

これは、

どういうことなのでしょうか。

 

問題は、

「私たちがどう時間を経験しているか」

ということです。

 

時計の時間がどう流れていようと関係ありません。

 

大切なのは、

自分の心がどう動いたか、

ということです。

 

心が深く動いた瞬間。

 

そこに強烈な感動があったとき。

 

時間はただの数字を超えて、

私たちの生命(せいめい)の奥深くに刻み込まれます。

 

そして、

その刻み込まれた記憶は、

未来を生きる力を与えてくれるのです。

 

そう考えると、

私たちの毎日の過ごし方が、

いかに大切であるかが分かってきます。

 

ただ何となくテレビを見て過ごす時間もあれば、

大切な人と心から語り合う時間もある。

 

同じ一時間であっても、

その密度は全く違います。

 

密度が違うというよりも、

生命の輝きが違うのです。

 

ここで、

さらに大きなテーマに踏み込んでみたいと思います。

 

私たちが生きているこの世界とは、

いったい何なのでしょうか。

 

地球があり、

宇宙があり、

星が輝いている。

 

気の遠くなるような広がりを持つ、

この大宇宙。

 

その中で、

私たちは今、

こうして息をしています。

 

不思議だと思いませんか。

 

なぜ、

宇宙に星が生まれたのか。

 

なぜ、

その星の上に生命が誕生したのか。

 

そして、

なぜ、

今ここに「私」という存在がいるのか。

 

科学は、

その仕組みを少しずつ解き明かしています。

 

でも、

「なぜその仕組みが存在するのか」という根本的な問いには、

まだ誰も答えられていません。

 

ただ、

一つだけ言えることがあります。

 

それは、

私たちがこの宇宙の一部である、

ということです。

 

どこか遠いところからやってきた異邦人ではありません。

 

宇宙の歴史そのものが、

私たちの体の中に流れている。

 

星の成分が、

私たちの骨や血を作っている。

 

私たちが息を吸い、

息を吐くたびに、

宇宙と私たちが呼吸を合わせている。

 

そう捉えると、

自分の存在が、

途方もなく大きなものに感じられてきます。

 

私たちは、

決してちっぽけな存在ではありません。

 

宇宙そのものを映し出す鏡のような存在なのです。

 

だからこそ、

自分の心を大切にしてほしいのです。

 

自分の心を雑に扱わないでほしい。

 

「どうせ自分なんて」と思わないでほしい。

 

あなたの中に流れている命は、

宇宙の歴史そのものなのだから。

 

信じられないかもしれませんが、

本当のことなのです。

 

ここで、

最初の話に戻ってみましょう。

 

キッチンの棚の奥にしまい込んだ、

古いジューサーの話です。

 

あのジューサーを片付けたとき、

私は自分の生活を見つめ直しました。

 

何が必要で、

何がいらないのか。

 

何に心を奪われていて、

何を見失っていたのか。

 

それは、

一見すると、

ただの部屋の片付けにすぎません。

 

でも、

その小さな片付けの裏側には、

「自分の生き方を選ぶ」という大きな決意があったのです。

 

物を手放すということは、

過去の執着を手放すということです。

 

過去の執着を手放すことで、

新しい風が心の中に吹き抜ける。

 

その風が、

私たちを未知の未来へと運んでくれる。

 

だから、

部屋を片付けることは、

自分を新しく生まれ変わらせることなのだと言えます。

 

本当に、

面白いと思います。

 

外側の世界を整えることが、

そのまま内側の世界を整えることにつながっている。

 

物と心は、

別々のものなのではありません。

 

表裏一体(ひょうりいたい)なのです。

 

だからこそ、

日々の暮らしを丁寧に送ることが、

そのまま宇宙と調和して生きることになる。

 

特別な修行をする必要はありません。

 

山奥にこもって瞑想(めいそう)する必要もない。

 

今、

自分が座っているこの場所で。

 

今、

目の前にあるカップを丁寧に洗うこと。

 

今、

すれ違った人に優しい眼差しを向けること。

 

そういう些細(ささい)な行動の積み重ねが、

世界を変えていくのです。

 

世界を変えると言うと、

大げさに聞こえるかもしれません。

 

政治家になったり、

大きな発明をしたりしなければ、

世界は変えられないと思われがちです。

 

でも、

それは違います。

 

あなたが笑顔になることで、

隣にいる人が少しだけホッとする。

 

その人がホッとしたことで、

そのまた隣の人に優しくできる。

 

そうやって、

優しさの波紋が、

少しずつ、

確実に広がっていく。

 

世界を変えるというのは、

そういうことなのだと思います。

 

ドラマチックな事件が起きなくてもいい。

 

誰もが振り返るような偉業を成し遂げなくてもいい。

 

ただ、

自分の足元をしっかりと見つめ、

今日という日を大切に生きること。

 

それだけで、

十分すぎるほどなのです。

 

明日、

朝起きたとき。

 

カーテンを開けて、

窓の外の空を見上げてみてください。

 

いつもと同じ空かもしれませんが、

少しだけ深呼吸をしてみてください。

 

冷たい空気が肺に入ってくる感覚。

 

お腹の底から、

生きているという実感が湧いてくる感覚。

 

その瞬間を、

ただ味わってみてください。

 

それだけで、

世界は少しだけ輝きを変えるはずです。

 

私たちは、

いつでも、

どこからでも、

新しく始めることができます。

 

過去がどうであれ関係ありません。

 

今この瞬間から、

あなたの物語は新しく動き出すのです。

 

そう思うと、

なんだかワクワクしてきませんか。

 

これからの毎日が、

今までとは少し違った色を帯びて見えてくる。

 

そういう境涯(きょうがい)を、

自分の手で築いていく。

 

それこそが、

私たちが生まれてきた本当の意味なのだと、

私は信じています。

 

先日、

ふらっと、

近くの100円ショップに寄りました。

 

いわゆる、

ダイソーという場所です。

 

用事があったわけではありません。

 

ただ、

なんとなく、

店内をぶらぶらしていたのです。

 

そうすると、

目に入ってきたものがありました。

 

それは、

なんだかよく分からない、

プラスチックの『謎の棒』でした。

 

長さは、

だいたい三十センチくらいでしょうか。

 

色は、

地味なグレーです。

 

端っこに、

変な突起がついています。

 

パッケージには、

『便利すぎるマルチスティック』と書いてありました。

 

なんだか、

ものすごく怪しい商品です。

 

100円だし、

失敗しても痛くありません。

 

私は、

魔が差したように、

それをカゴに入れてしまいました。

 

レジに持っていき、

家に戻りました。

 

そして、

さっそく使ってみることにしたのです。

 

では、

いったい、

その棒で何をしたのでしょうか。

 

実は、

ソファの隙間に落ちた、

リモコンを取ろうとしたのです。

 

我が家のソファは、

ものすごく大きくて、

重いものです。

 

ちょっとやそっとでは、

動きません。

 

その奥の隙間に、

テレビのリモコンが、

スルッと落ちてしまったのです。

 

手を入れても、

指先すらかかすことができません。

 

そんなときに、

あの『謎の棒』を思い出しました。

 

棒の先にある、

あの変な突起です。

 

あれを、

ソファの隙間に、

そっと差し込んでみました。

 

すると、

どうでしょう。

 

あんなに取れなかったリモコンが、

カチッと引っかかったのです。

 

そのまま、

スルスルと引き上げることができました。

 

これは、

スゴイことです!!

 

本当に、

感動してしまいました。

 

ここで、

少し、

話しは変わりますが、

 

私たちは普段、

ちょっとした「困りごと」に囲まれて生きています。

 

ソファの隙間に物が落ちる。

 

ペットボトルの蓋が固くて開かない。

 

電球の替えが面倒くさい。

 

そういう、

本当に小さな、

ささやかな問題です。

 

放っておいても、

命に関わるわけではありません。

 

でも、

確実にストレスになります。

 

じわじわと、

心を削っていくのです。

 

では、

いったい、

なぜそんな小さなことで、

私たちはイライラしてしまうのでしょうか。

 

それは、

『自分の無力さ』を感じてしまうからなのだと思います。

 

たかがリモコンが取れない。

 

たかが蓋が開かない。

 

そんなことすら自分の手で解決できないと、

なんとなく情けなくなってしまうのです。

 

そう考えると、

あのダイソーの『謎の棒』は、

単なるプラスチックの棒ではありません。

 

私の傷ついた自尊心を救ってくれる、

『救世主』なのです。

 

ちょっと大げさでしょうか。

 

でも、

本当にそう思ったのです。

 

ここで、

別の例を出してみます。

 

たとえば、

朝、

靴下を履こうとしたときです。

 

片方の靴下だけが、

洗濯物の山の中から見つからない。

 

そういう経験はありませんか。

 

私は、

よくあります。

 

忙しい朝に限って、

見つからないのです。

 

「あれは、いったいどこに行ったんだ……」

 

と、

ひとりごとを言いながら、

家中を探し回ります。

 

焦れば焦るほど、

見つかりません。

 

時間だけが過ぎていきます。

 

ようやく見つかったときには、

もう汗だくです。

 

朝から、

どっと疲れてしまう。

 

そんな経験、

ありませんか。

 

これは、

靴下が見つからないという事件です。

 

でも、

もっと深く考えてみると、

これは事件ではありません。

 

『日常の小さな試練』なのです。

 

私たちは、

毎日、

こういう小さな試練と戦っています。

 

大きな戦争をしているわけではありません。

 

大統領でもありません。

 

ただ、

リビングのソファと、

洗濯物の山と戦っているのです。

 

そう考えると、

人間の生活とは、

なんと泥臭いものなのでしょうか。

 

でも同時に、

なんと愛おしいものなのでしょうか。

 

ここで、

もう少し話を広げてみます。

 

私たちが生きるこの世界は、

じつは、

こうした「小さな不便」で満ちあふれています。

 

完璧な世界などありません。

 

どこかに隙があり、

どこかに落とし穴があり、

どこかに落ちているリモコンがあるのです。

 

では、

私たちは、

その不便に対して、

どう向き合えばいいのでしょうか。

 

諦めることでしょうか。

 

それとも、

怒ることでしょうか。

 

実は、

そうではありません。

 

ダイソーに行って、

100円の『謎の棒』を買うのです。

 

それだけで、

世界が変わります。

 

大げさに聞こえるかもしれません。

 

でも、

本当なんです。

 

リモコンが取れた瞬間、

私の心はパッと明るくなりました。

 

「やった!!」

 

と、

声に出してしまいました。

 

夫は、

別の部屋でテレビを見ていて、

何事かと驚いていましたが、

私は気にしません。

 

自分の手で、

困難を克服したのです。

 

たとえそれが、

ソファの隙間のリモコンであっても、

達成感に変わりはありません。

 

人は、

どんなに小さなことでも、

自分の力で問題を解決したとき、

ものすごく大きなエネルギーを得るのです。

 

自分が変わり、

部屋の空気が変わり、

そして、

人生そのものが、

少しだけ輝き出す。

 

おおげさではなく、

そういうことなのだと思います。

 

あの100円の棒は、

私にそれを教えてくれました。

 

だからこそ、

私は声を大にして言いたいのです。

 

ダイソーの『謎の棒』はスゴイ、と。

 

いや、

棒がスゴいのではありません。

 

その棒を手に入れた、

私の選択がスゴいのです。

 

……少し調子に乗りすぎました。

 

でも、

それくらい嬉しかったのです。

 

明日も、

何か別の便利グッズを探しに行ってしまいそうです。

 

今度は、

何を買うのでしょうか。

 

自分でも、

少し楽しみです。

 

日常の小さな不便を愛しながら、

私たちは今日も、

どこかの100円ショップの棚の前に立つのです。

 

それが、

人間というものなのだと思います。

たとえば、

朝、

家を出るときのことです。

 

鍵をかけたかどうか、

不安になることはないでしょうか。

 

駅まで歩きながら、

急に心配になる。

 

「あれ、鍵をしめたっけ?」

 

そう思うと、

もう気になって仕方がありません。

 

引き返して確認する。

 

ちゃんと閉まっている。

 

なんだ、大丈夫だった。

 

そうホッとして、

また駅に向かう。

 

誰もが一度は、

経験したことがあるのではないでしょうか。

 

これは、

日常のなかの、

本当に些細(ささい)な出来事です。

 

でも、

この瞬間、

私たちの心の中で何が起きているのでしょうか。

 

ようするに、

『不安』という感情に、

心が支配されているということです。

 

では、

いったいなぜ、

私たちはそんな小さなことで、

これほどまでに心を乱されてしまうのでしょうか。

 

それは、

私たちの心が、

常に安定を求めているからです。

 

変化を恐れ、

予測できない事態を嫌う。

 

それが、

人間というものなのです。

 

少し、

話は変わりますが、

 

先日、

面白いテレビ番組を見ました。

 

宇宙についての番組です。

 

地球から何億光年も離れた場所にある、

巨大な星の話でした。

 

その星では、

毎日、

私たちの想像もつかないような大爆発が起きているそうです。

 

太陽の何万倍ものエネルギーが、

一瞬で宇宙空間に放出される。

 

そんな、

気が遠くなるようなスケールの話です。

 

テレビを見ながら、

私は思いました。

 

今、

私たちが生きているこの地球も、

その広大な宇宙の一部なのだと。

 

そう考えると、

さっきの「鍵をかけたかどうか」という不安が、

なんだかとても小さく思えてきます。

 

宇宙の膨張から見れば、

私の鍵の心配なんて、

砂粒ほどの意味もないのかもしれません。

 

でも、

ここで重要なのは、

「だから人間の悩みはちっぽけだ」で終わらせないことです。

 

問題は、

その砂粒のような不安が、

当人にとっては、

世界が終わるくらいの重大事だということです。

 

そう、

どれだけ宇宙が広くても、

私たちは、

自分のこの小さな部屋の中で生きています。

 

ソファの隙間に落ちたリモコンを探し、

出がけの鍵の心配をする。

 

その日常こそが、

私たちの世界のすべてなのです。

 

では、いったい、

どういうことなのでしょうか。

 

大きな宇宙と、

小さな日常。

 

一見すると、

まったく関係のないこの二つは、

実は、

深く結びついているのです。

 

それと同じように、

私たちの心の中にも、

無限の宇宙が広がっています。

 

自分の内側を見つめること。

 

それは、

夜空の星を眺めることと、

まったく同じなのです。

 

自分という小宇宙。

 

そう呼ぶこともできるかもしれません。

 

自分の心のなかを覗(のぞ)いてみると、

そこには、

さまざまな感情が渦巻いています。

 

喜びがあり、

悲しみがあり、

怒りがあり、

そして、

どうしようもない不安がある。

 

まるで、

星が生まれ、

そして消えていくように、

私たちの感情も、

絶えず変化しているのです。

 

ここで、

一つの疑問が湧いてきます。

 

私たちは、

なぜそんなにも変化を恐れるのでしょうか。

 

なぜ、

いつも通りの平穏な日常を、

これほどまでに求めてしまうのでしょうか。

 

それは、

人間が『安心』を愛する生き物だからです。

 

変わり映えのしない毎日。

 

同じ時間に起き、

同じ電車に乗り、

同じ仕事をこなす。

 

変化のない日々は、

退屈かもしれません。

 

でも、

そこには確かな安心があります。

 

予測できる未来。

 

それが、

私たちに心地よさをあたえてくれるのです。

 

けれど、

本当にそれだけでいいのでしょうか。

 

もし、

人生に変化が全くなかったとしたら。

 

毎日が寸分の狂いもなく、

完全に予測通りに進んでいったとしたら。

 

それは本当に、

『生きている』と言えるのでしょうか。

 

少し、

考えてみてください。

 

私たちは、

予期せぬ出来事に驚き、

ときに悩み、

ときに感動するために、

生まれてきたのではないでしょうか。

 

あの100円の棒もそうです。

 

予定通りの買い物ではありませんでした。

 

たまたま見つけた謎の棒。

 

それが、

私の退屈な日常に、

小さな波風を立てたのです。

 

たったそれだけのことで、

世界が少しだけ輝いて見えた。

 

そう考えると、

日常のなかにある『ちょっとした変化』こそが、

私たちの人生を彩るスパイスなのだと言えるでしょう。

 

では、

私たちはどうやって、

その変化を受け入れたらいいのでしょうか。

 

無理をして、

遠くへ旅に出る必要はありません。

 

高いお金を払って、

何か特別な体験をする必要もないのです。

 

ただ、

目の前にある小さなことに目を向ける。

 

ソファの隙間に手を突っ込んでみる。

 

100円ショップの棚の奥を覗いてみる。

 

それだけでいいのです。

 

身の回りの些細なことに対して、

心を開いてみる。

 

「おっ」と驚いてみる。

 

「なるほど」と感動してみる。

 

そういう心の柔軟さこそが、

私たちの人生を豊かにしていくのです。

 

自分が変わり、

世界が変わる。

 

それは、

大げさな革命ではありません。

 

日々の暮らしの中での、

ほんの少しの視点の違いです。

 

コペルニクス的転回、

という言葉があります。

 

地球が宇宙の中心ではなく、

太陽の周りを回っていると気づいた、

あの歴史的な発見です。

 

あんなふうに、

世界の中心を少しだけずらしてみる。

 

自分中心の視点から、

ちょっとだけ離れてみる。

 

そうすると、

今まで見えなかったものが、

見えてくるのです。

 

見慣れた部屋が、

全く違う場所に思えてくる。

 

いつも歩く道が、

冒険のフィールドのように感じられてくる。

 

本当に、

スゴいことだと思います。

 

世界は、

私たちが思っているよりも、

ずっと広く、

ずっと面白い。

 

だからこそ、

私たちは、

日常に退屈している暇などないのです。

 

明日もまた、

新しい発見が待っているかもしれません。

 

朝起きて、

コーヒーを飲む。

 

そのカップの手触りに感動するかもしれない。

 

道を歩いていて、

きれいな落ち葉を見つけるかもしれない。

 

あるいは、

また新しい100円の便利グッズに出会うかもしれない。

 

どんな小さなことでもいいのです。

 

自分の五感をフルに使って、

世界を味わい尽くす。

 

それが、

人間として生きるということなのだと思います。

 

さあ、

今日の話はこれくらいにしておきましょう。

 

そろそろ、

私も眠くなってきたようです。

 

ベッドに入り、

天井を見上げる。

 

暗闇の中で、

自分の呼吸の音を聞く。

 

それだけで、

生きている実感が湧いてきます。

 

明日という日は、

どんな一日になるのでしょうか。

 

まだ誰も知らない、

まっさらな一日が始まろうとしています。

 

私たちは、

その素晴らしい世界に向かって、

一歩を踏み出すのです。

 

大きく息を吸って。

 

そして、

ゆっくりと吐き出す。

 

それだけで、

もう十分なのです。

 

みなさん、おはようございます。

今日は、朝から本当に大変でした。

 

せっかくの休日。

少しゆっくり寝ていたい気持ちを抑えて、朝食の準備をしようと思ったんです。

 

パンを焼いて、コーヒーを淹れる。

そんな何気ない、いつもの朝です。

 

ところが、です。

キッチンの前に立った瞬間、問題が発生しました。

 

パンを焼くためのトースターが、

なんと、

 

「動かない」

 

のです。

 

電源コードを確認しても、

コンセントの差し込み口を見ても、

すべて正常に見えます。

 

でも、何度ダイヤルを回しても、

「チーン」という、あの愛おしい音が聞こえてきません。

 

せっかくのお休みなのに。

楽しみにしていた朝のトーストが。

 

ここで、

私の中の「冷静な自分」と、

「焦りまくる自分」が、

激しい戦いを繰り広げました。

 

では、いったいどうすればいいのか?

 

パンをフライパンで焼くか?

それとも、朝食を抜いて、そのままコーヒーだけで済ませるか?

 

ただのトースターの故障。

でも、その時の私にとっては、

まるで人生を左右するような、

大きな選択のように思えてしまったのです。

 

こういうのって、

やっぱりいいですよね。

 

いや、よくはないのですが、

小さなトラブルを前にして、

自分がどう動くかを試されているような気がするのです。

 

結局、私はフライパンでパンを焼くことにしました。

 

実は、フライパンで焼いたパンって、

トースターよりも外はカリカリで、

中はもっちり仕上がる気がするんです。

 

食べてみると、

やっぱり美味しい。

 

なんだか、

トースターが壊れたおかげで、

新しい美味しさを発見したような気分です。

 

そう考えると、

失敗も悪くないのかなと思います。

 

みなさんは、

朝のちょっとしたトラブル、どう乗り切っていますか?

 

もしかすると、

何気ない日常のハプニングの中にこそ、

日々の楽しみが隠れているのかもしれません。

 

次は、

もっと余裕を持って、

パンを焼けるようになりたいですね。

 

また明日から、

普通で幸せな朝が始まりますように。

 

そう思えた、今日の出来事でした。

そういえば、パンを焼くついでに、久しぶりに冷蔵庫の整理もしてみたんです。

 

奥の方から出てきたのは、いつ買ったのか忘れてしまったジャムの瓶。

まだ半分くらい残っていて、

なんだか、

ちょっと申し訳ない気持ちになりました。

 

こういうのって、

よくありますよね。

 

気づいたら消費期限が迫っていたり、

使い切れずに残ってしまっていたり。

 

物を大切にしたいという気持ちはあるのに、

日々の忙しさに紛れて、

つい忘れてしまうこと。

 

私にとっては、

今回のトースターの故障が、

冷蔵庫の中を見直すきっかけになったようです。

 

ものは、

使ってこそ価値がある。

 

当たり前のことなのに、

普段はなかなか意識できないものですよね。

 

実は、

整理をしていたら、

以前お出かけしたときに買った、

ちょっといい紅茶も出てきたんです。

 

いつもは急いでコーヒーを淹れて、

バタバタと家を出てしまう毎日。

 

でも、今日はなんだか、

その紅茶を淹れてみようかなという気持ちになりました。

 

お湯を沸かして、

丁寧に茶葉を蒸らす。

 

そんな時間さえ、

普段の私には贅沢すぎると感じていたのかもしれません。

 

でも、

実際にやってみると、

なんてことのない、

ただの朝のひとときです。

 

でも、

その香りが部屋いっぱいに広がったとき、

ふと、

心が軽くなるのを感じました。

 

問題は、

時間の長さではなく、

時間の質なのかもしれません。

 

あわただしい日常の中でも、

ほんの少しの工夫で、

心にゆとりを作ることができる。

 

そう考えると、

毎日がもう少しだけ、

楽しめるような気がしてきます。

 

みなさんは、

忙しい朝に、

どんな楽しみを見つけていますか?

 

もしかしたら、

私たちが追いかけているのは、

大きな変化ではなく、

こうした小さな、

日々の積み重ねの中にこそあるものなのかもしれません。

 

また、

次の休日には、

近所の小さなカフェにでも行ってみようかな。

 

そこで、

また新しいお気に入りの一杯に出会えたらいいなと思います。

 

そういえば、

パンを焼いたあのフライパン、

これからもう少し活用してみようかな。

 

目玉焼きもいいし、

焼き野菜なんかも、

香ばしくて美味しいかもしれません。

 

道具がひとつ変わるだけでも、

料理って、

なんだか少し楽しくなるものですよね。

 

壊れてしまったトースターの代わりなんて、

すぐに見つかるかもしれません。

 

でも、

しばらくは、

このフライパンと一緒に、

朝の時間を楽しんでみるのもいいかな。

 

そう思えるようになったのは、

少しだけ、

暮らしに余裕ができたからかもしれません。

 

たまには、

こういう予期せぬトラブルも、

悪くはないですね。

 

明日も、

また新しい一日が始まります。

 

どんなハプニングがあるか分かりませんが、

それさえも、

ちょっとした楽しみとして受け止められたらいいな。

 

そう願いながら、

今日はおやすみなさい。

 

また、

穏やかな朝を迎えられますように。

そうそう、

朝の光といえば、

最近はカーテンを少しだけ開けて寝るようにしているんです。

 

これまでは、

朝の眩しさで目が覚めるのが苦手だったのですが、

最近はなんだか、

それが心地よく感じるようになりました。

 

自然の光で目覚めること。

 

こういうのって、

なんだか自分自身の体が、

季節のリズムと合ってきたのかな、

なんて思うんですよね。

 

窓から入ってくる光が、

少しずつ白っぽくなったり、

オレンジ色に染まったり。

 

そんな変化を眺めているだけで、

一日の始まりが、

すっと軽くなるような気がします。

 

みなさんは、

どんなふうに朝を迎えていますか?

 

慌ただしい毎日の中で、

自分のペースを保つことって、

意外と難しいことですよね。

 

でも、

ほんの少しの工夫で、

気持ちの持ちようは変わるものなのかもしれません。

 

たとえば、

お気に入りのマグカップに、

温かい飲み物を注ぐ時間。

 

たったそれだけのことですが、

自分自身を大切にしている実感が、

ふつふつと湧いてくるような気がします。

 

ちなみに、

最近見つけたお気に入りのハーブティーがあるんです。

 

近所の小さなお店で、

店主さんが丁寧にブレンドしてくれたもの。

 

封を開けた瞬間に、

ふわっと広がる香りに癒されて、

それだけで、

今日一日頑張れそう!って思えるんです。

 

そういう小さなお守りのようなものが、

暮らしの中にあると、

毎日が少しだけ輝いて見えてきますよね。

 

そう考えると、

物選びって、

意外と大切なのかもしれません。

 

流行っているから、とか、

みんなが持っているから、とかではなくて、

 

自分がそれを使ったときに、

どんな気持ちになれるか。

 

そういう視点で選ぶことが、

結果として、

自分らしい暮らしに繋がっていくのかなと思います。

 

実は、

最近、

キッチンの棚を少し整理してみたんです。

 

ずっとしまいっぱなしだった、

可愛らしいデザインの保存容器。

 

思い切って出してみたら、

キッチンが明るくなって、

それだけで、

ちょっと料理をするのが楽しくなりました。

 

今まで、

何を見ていたんだろう、

なんて思ったりもします。

 

結局、

身の回りのことって、

自分の心の映し鏡なのかもしれませんね。

 

気持ちが落ち着いているときは、

部屋もきれいに整っているし、

逆に、

忙しくなると、

ついつい後回しになってしまうこともあります。

 

でも、

そんなときこそ、

あえてゆっくりと、

コーヒーを淹れる時間を作る。

 

問題は、

忙しさそのものではなくて、

自分を置き去りにしてしまっていることなのかもしれません。

 

そう考えると、

何事もバランスが大切ですよね。

 

頑張るときは頑張って、

休むときはしっかりと休む。

 

その切り替えを、

自分の中で上手に作れたら、

毎日がもっと愛おしくなるような気がします。

 

近所の公園を歩いていても、

季節の移ろいを感じることがあります。

 

先週まで硬かった蕾が、

いつの間にか膨らんでいて、

あ、春が近づいているんだな、

なんて嬉しくなったり。

 

こういう季節のサインに気づける心の余裕を、

これからも大切にしていきたいなと思います。

 

みなさんの周りにも、

そんな小さな変化はありますか?

 

もしよかったら、

明日は少しだけいつもと違う道を通ってみるとか、

そんな小さな冒険をしてみるのも、

いいかもしれませんね。

 

意外な発見があったり、

素敵な景色に出会えたり。

 

それだけで、

週末がもっと特別なものになるような気がします。

 

もちろん、

家でのんびり過ごすのも、

それはそれで贅沢な時間です。

 

お気に入りの本を読んだり、

溜まっていた映画を観たり。

 

何もしない時間を楽しむことも、

たまには必要ですよね。

 

実は、

今週末は、

ちょっとだけ贅沢をして、

お取り寄せしたお菓子を楽しもうかなと思っています。

 

ずっと気になっていた、

焼き菓子のセット。

 

コーヒーの香りと一緒に楽しんだら、

どんなに幸せだろうと、

今からワクワクしています。

 

こういう楽しみが待っていると思うと、

一週間の仕事も、

なんだか頑張れるような気がします。

 

人生って、

そんな小さな楽しみの積み重ねなのかもしれません。

 

大きな夢を持つことも大切だけど、

今日という一日を、

丁寧に慈しむこと。

 

そんなふうに過ごせたら、

きっと、

明日もいい一日になるはずです。

 

さて、

なんだかたくさんお話ししてしまいました。

 

最後までお付き合いいただいて、

本当にありがとうございます。

 

みなさんの日常にも、

たくさんの小さな幸せが、

あふれていますように。

 

明日も、

自分らしく、

心穏やかな時間を過ごせますように。

 

それでは、

また次のお出かけの話も、

聞いていただけると嬉しいです。

 

今日のところは、

この辺りで。

 

温かいお布団に入って、

ゆっくり休むことにします。

 

また、

お会いしましょうね。

そういえば、

寝る前のひとときって、

なんだか不思議な時間ですよね。

 

一日が終わる寂しさと、

ようやくすべてから解放される安らぎが、

入り混じっているような。

 

みなさんは、

どんなふうに過ごすのがお好きですか?

 

私の場合は、

決まって決まったルーティンがあるわけではありません。

 

けれど、

やっぱり夜の静けさというのは、

自分自身と向き合うための大切な時間なんだな、

と最近よく感じます。

 

ふと、

今日あった出来事を振り返ってみるんです。

 

うまくいったこと、

少し反省すること、

あるいは、

誰かの何気ない言葉に救われたこと。

 

そういう些細な記憶を、

ゆっくりと棚卸しするような感覚です。

 

そう考えると、

一日というのは、

記憶の積み木みたいなものかもしれません。

 

一つひとつの小さなピースを、

丁寧に置いていく。

 

ときにはグラグラしたり、

倒れてしまったりすることもありますよね。

 

でも、

積み木は何度でも積み直すことができます。

 

それが、

生きていくということなのかもしれません。

 

なんて、

ちょっと大げさでしょうか。

 

でも、

そんなふうに思えるようになったのは、

ここ最近のことなんです。

 

昔は、

もっと焦っていたような気がします。

 

あれもしなきゃ、

これもしなきゃ。

 

もっと成長しなきゃ、

もっと素敵な自分にならなきゃ。

 

そんなふうに、

自分を追い込んでいたこともありました。

 

でも、

最近は、

もう少し肩の力を抜いてもいいのかな、

と思えるようになりました。

 

せっかくのお休みなら、

どこか遠くへ出かけなきゃ、

と気負うのではなく。

 

お気に入りの器に、

温かいお茶を淹れるだけで、

十分素敵なお休みになる。

 

そう気づいてからは、

暮らしが少しだけ、

軽やかになった気がします。

 

たとえば、

お休みの日の朝。

 

カーテンを開けて、

窓から差し込む光を浴びるだけで、

なんだか新しい何かが始まるような予感がしますよね。

 

そんなとき、

あぁ、

今日も生きていてよかったな、

なんてしみじみと感じてしまうのです。

 

みなさんも、

そんなふうに感じる瞬間はありますか?

 

きっと、

どこか特別な場所へ行かなくても、

日常の風景の中に、

たくさんの輝きが隠れているはずです。

 

誰かに挨拶をしたときの笑顔や、

スーパーで見つけた旬のお野菜の色合い。

 

信号待ちで、

ふと見上げた空の高さ。

 

そういう小さな断片を、

大切に拾い集めていくこと。

 

それが、

丁寧な暮らしの正体なのかもしれません。

 

だから、

私はこれからも、

小さなお出かけを続けていこうと思います。

 

近所の公園を少しだけ遠回りしてみたり、

ずっと気になっていたカフェの扉を開けてみたり。

 

たとえ、

それがどんなに小さな冒険だったとしても、

そこには必ず、

新しい景色が待っているはずです。

 

みなさんの日常にも、

そんなささやかな冒険が、

たくさん訪れますように。

 

また明日から、

それぞれの場所で、

新しい一日が始まりますね。

 

ときには立ち止まってもいい。

 

ときには空を見上げてもいい。

 

自分の心に寄り添いながら、

ゆっくりと進んでいければ、

それで十分なんだと思います。

 

そういえば、

窓の外の月が、

ずいぶんときれいに見えてきました。

 

夜風も少しだけ、

冷たくなってきたようです。

 

そろそろ、

お布団に入って、

温かい夢を見る時間ですね。

 

今日は本当に、

楽しい時間を共有してくださって、

ありがとうございました。

 

また近いうちに、

お会いできるのを楽しみにしています。

 

それでは、

おやすみなさい。

 

よい夢を。

 

三月も半ばになってくると、ふと窓の外を見た時に「あ、なんか明るくなってきたな」って感じる瞬間があるんですよね。
光の角度が変わったというか、冬のあの鉛色の空とは確かに違う、薄桃色がかったような白さが空全体に広がってる。
でも雨。
なんなんでしょう、この時期の雨って。
冬の雨みたいに「寒いから当然でしょ」という納得感もないし、梅雨みたいな「しょうがない、そういう季節だから」という諦めもない。
ただただ中途半端に、しとしとと降り続けるんです。
傘を持って出るほどでもないかな、と思ったら思いのほか本降りだったり。
逆に覚悟して長靴まで履いて出かけたら、お昼には晴れ間が出てきて恥ずかしい思いをしたり。
私はこの「春になりそ、だけど雨」な時期が、一年の中でいちばん着るものに迷う季節だと思ってるんです。
コートを着れば暑いし、脱げば肌寒い。
マフラーは大げさだけど、薄手のストールはどこかにしまってしまった。
タンスの中身が完全に「冬」と「春・夏」の二択しかなくて、その狭間にある今のカラダの温度感に合うものが、どこにも見つからない。
そんな日は、台所に立つのが正解だと思ってます。
雨の日の台所は、なんとなく落ち着くんですよね。
窓に水滴が伝う音と、鍋がことことする音が、妙に合うんです。
この時期になると作りたくなるのが、菜の花のおひたし。
生協で届いた菜の花を見た瞬間、「ああ、春が来てるんだな」とじんわりします。
見た目は確かに春なんです。黄色い小さな花がちらちらついて、鮮やかな緑色で。
でも窓の外はやっぱり雨。
菜の花はさっと湯がいて(茹ですぎると色が悪くなるので、沸騰したお湯に茎から入れて、花の部分は最後の30秒くらい)、だし醤油とかつお節だけ。
あれだけで白いご飯が二杯くらいいけるんですから、冬の間に鈍ってた食欲も、春の食材ってちゃんと呼び起こしてくれるんだなと思います。
ちなみに親はこれに辛子を少し和えるのが好きで、「ピリッとくるのが春っぽい」と言っていて、その感覚はなんとなくわかる気がします。
雨の日に困るのは、お布団が干せないこと。
冬の間ずっと干せなかったのが、やっと陽射しが戻ってきたと思ったらまた雨で。
コインランドリーという手もあるのですが、重いお布団を車に積んで、濡れないように運んで、という一連の作業を雨の中やる気にはなれない。
なのでこういう日は布団乾燥機に頼ります。
ふかふかになった布団に、雨音を聞きながら横になる昼下がりというのが、実は春の雨のいちばんの贅沢なんじゃないかと、最近気づきました。
窓を少しだけ開けておくと、雨のにおいが入ってくる。
土とも緑ともつかない、あの独特の湿ったにおい。
調べたら「ペトリコール」という名前があるそうで、雨が地面に落ちた時に土壌の放線菌が出す「ジオスミン」という物質が原因なんだとか。
ロマンチックな感覚に、しっかりした化学的名前がついているのがちょっと笑えます。
でもそのにおいをかぐと、なぜかほっとするんですよね。
春が来てるんだなあ、と。雨越しだけど。
この時期になると、梅の花が終わりかけて、桜の蕾がまだ固い、という宙ぶらりんな状態が続きます。
どちらも「あと少し」という感じで、でも雨が続くとなかなかその「あと少し」が来ない。
子どもの頃は桜が咲くのをただ待つだけだったけれど、大人になってくると「この待ってる時間も悪くないか」と思えるようになってくるから不思議です。
ちゃんと来るってわかってるから、待てるのかもしれない。
雨が続く日は、読みかけの本がはかどります。
温かい飲み物を用意して(この時期はほうじ茶か、少しだけ甘めのタンポポコーヒーが好みです)、膝掛けをかけて、ページをめくる。
外はしとしとと雨で、部屋の中だけ少し明るくて暖かい。
春はもうそこまで来てる。ただ、今日は雨。
それでいいか、と思えたなら、この季節の雨もなかなか悪くないです。
*「ペトリコール(Petrichor)」という言葉は、1964年にオーストラリアの研究者によって命名されました。ギリシャ語の「石(petra)」と「神々の血(ichor)」を組み合わせた造語で、雨のにおいにそんなに詩的な名前がついていたとは、と知った時には、少し感動してた。

川越も、今日は初雪が舞う寒さ
ワン達の為に、炬燵を出しました。

早朝・夜の龍美のトイレ散歩も気合だーの季節

アルバムで時々写真をアップしてたので、やっと説明付紹介を
Gシェパ以外のダックスは、庭に眠ってます。

最初に飼ったダックス茶郎は、3日目で入院。その後は入院、7日目で虹の橋を渡ったので、写真がありません。
それ以外の歴代ワン達の絵皿を写真を見ながら、作り、名前を入れて焼いて頂きました。

時々スイム、残り1試合
骨折場所の手首より、ズレた右手の骨が、安定しなかったのか、未だ不安定な右手。
言い訳して、エンジョイスイマー・完泳スイマーです。

2日に1回1000m前後のスイムですが、レッスンになぜか
ハードが入って来て筋肉痛です。
筋肉痛になるほど、泳いでなかったようです。

45分レッスンで、900m~1600m様々です。
900mが、楽かと言えば、ハード・オールアウトが入るので息絶え絶え。
1600mが、50m1分ベースで、楽だったり。

セントラルクラブで、25m×108本煩悩スイムがあったのですが、珍しくパス。
参加して泳げば楽しいのですが、煩悩がありすぎて、今は泳いでも消えません
雨はただの雨。
テンションが下がるのは気圧のせいか。

今日切らしてた香水が届いた。
サムタイムハッピーティアーズ。

たぶん若い子がつけるチープな香水だけど
ものすごく好きな匂い。
爽やかで気分がよくなるw

甘い匂いが一切しないのが好きw

雨が降り出してから寒くて
今日はまた家の祠で服探し。
なんだかこの前服を入れ替えたばかりな気がするけど
また冬物と入れ替えなくちゃ…

鬼のようなスピードで過ぎていくわね、時間って。(汗

服を探してる時
忘れてた衣類をいくつか目にして(ぇ
祠をきちんと整理しないとダメだなーって
ちょっとやりかけたけど
時間切れの大惨事が目に浮かんだので仕切りなおす。

また…晴れた気持ちのいい日にしよう。(祠封印の予感w

自分ちで掘り出し物発掘しそうな
微かな楽しみもあることに気づいたので近々!

とりあえずしばらく雨みたいだけど
出かけるのだるいなー

乾こうとその身を晒してる洗濯物が
雨まじりの風にやられて
「勘弁して」って言ってるように見える…

私を代弁しているのだなwww

さて。

美味しいコーヒーでもいただいて
気を取り直して買い物行こ。
暑さにバテてしまって食べたいモノが
固まってしまうのでこの時期は
冷たいお菓子でクールダウン。

といってもフルーツゼリーですが...。
年齢柄、お肌のお手入れ(?)も兼ねて
コラーゲン補給をするんです。

カラダの為には生のフルーツの果汁で
ゼリーにすべきなんですが、私自身の事情
(果物アレルギー)でトロピカルフルーツの
一部が食べれない体質になったので
濃縮果汁還元のドリンクを使用。
最近はマンゴー(デルモンテの1.5リットル缶)がお気に入り。

固さに好みがありますが
ゼラチン1:液体(糖分コミ)100
がフルフルしててオススメ。
特にトロピカルフルーツのゼリーはネクター
みたいな感触になります。
尚、親は梅酒(青梅入り)ゼリーがお気に入りです。

ゼラチンには身長を伸ばす効果があるそうなので
お子さんのおやつに使ってはどうでしょう?
目安はマシュマロ5粒(ゼラチン2g程度)を
半年以上摂取、だそうです。

*アメリカ人が長身なのはおやつにマシュマロを
食べてるから、だと言われてるくらいです。
山の畑で収穫したナスが15本、
親戚からおすそ分けで貰ったナスが10本。
またしてもナス地獄です(>_
鍋で炒めます

全体に油が回ったらだし汁を入れます。

火が通ったら味噌と水溶き薄力粉を加えます


手早くかき混ぜて粉っぽさがなくなれば完成。


醤油で味付けする方法もありますが
うちの父は味噌好みなので我が家では味噌を採用。
マイミクのばつ☆さん、こんな説明で
こねりは分かったでしょうか?
私は書類上、親と同居なんですが
同じ敷地に家が2つあるので
1人暮らしの形態です。

家賃は払わなくていいかわりに
水道光熱費は自己負担
が引っ越す条件でした。
なので、10年ほどこれを続けています。

エアコンを使うと電気代が倍以上
(通常は3千円程度)
になるため、夏は扇風機で乗り切ります。
ところが、私は汗っかき。
家にいると洗濯物がハンパではありません。

寝汗がスゴイのでシーツは毎日洗わないと
いけないし、汗ふきタオルも
バスタオルサイズが1日で湿っぽくなります。
ですので休みの日は1日3回着替えます。
うちの洗濯機は全自動なので冬場は量が出ずに
週に2~3回しか洗濯しないのですが
この時期は1日に2回洗うことも....。

そのため、水道局から「漏水してませんか?」
と毎年通知がくるくらい使用量が違います。
(冬場の10倍くらい、なんて時もあります)
うぅ...水道料金の請求書が来るのがコワイなぁ。
コレ、実家の台所のことなんです。
ナゼかといいますと
西側にあるので西日がスゴイ
&熱がいつまでもこもる
事情だから。
ちなみに、台所の横は風呂場です。
不快指数メチャ高~(>_だって、こんな真夏に
豚汁作ってるんですよ?
暑さで脱水症起こすってば....。

1週間後に楽団の練習&飲み会ですが
私はこんな状態+練習に行くと腸炎を起こすので
飲み会だけパスします。
下すのを分かってて食べるのはアホですから~。
(サスガにラストの定演打ち上げは出ますけどね)
コチラはあと7ヶ月のガマン大会であります。

なんだか、私の周りってこんなのばっかや...(涙)