目標

よく「目標をもて」と言われたりします。こう言われても若い人などは、経験が少ない中で何が自分に向いていて何が好きなのかを自覚し進路を迫られたりします。またやりたいこともほぼ経験済みで夢や好きなことも趣味も特にない人は、空虚な掛け声に聞こえるかもしれません。

  • 目標とは、目的を達成する一過程の目印です。
  • 目的とは、得たい対象、事柄、状態などへ到達する行動を方向付けするものです。

目標をもてと言われたときの違和感は、目的を飛び越えて手段を先にもてと言われるからではないでしょうか。目的には、「得たい」という動機があることから思考、感情、欲求などが先に存在していると考えられます。ではなぜ「目的をもて」と言われないのでしょうか。
それは、自分自身にしか目的を見つけ出すことができないため主語が暗黙的に省略されているのだと考えられます。しかし自己の目的が何かを明確に定義しその実現のために目標を立てて行動している幸運な人は、ごくわずかだと思われます。

 

例えば、生きがいを見つけた人やライフワークを見つけた人たちです。

 

目標の前に目的を見つけることについて考察していこうと思います。

●目的

◇質問ツール

  • 「質問や相談の中に答えがある」
  • 「答えがあるのに質問や相談をする」

後者は、自分の判断に賛同を得て自信を強化し責任を分散し安心を得ようとするものですが前者は、自分の判断と責任を相手に依頼していることから類似点があります。また前者と後者は、疑問や課題を認識している点でも類似点があります。

 

この質問や相談を自分自身にすることで自己の目的に近づけるのではないでしょうか。

◇自分自身にする質問

  1. 最も強い負の感情に対して「なぜ?」と質問してみましょう。
  2. 最も強い正の感情は「なに?」と質問してみましょう。

※質問は、自分に合った言葉や方法でかまいませんし答えがすぐに出なくてもかまいません。

◇質問で答えを探すプロセスが開始する

人間には、今自分が持っていないものを埋めようとする性質があります。それは、渇望、欠乏、隙間、もやもや、悩み、不満など様々な形で表現されます。人は、質問されるとその答えを探して埋めようとするプロセスが意識的および無意識的に動き出します。そして答えを求める感情や欲求の強さに比例して潜在意識に深くその質問が設定され自動的に答えが探し続けられます。

 

例えば、何か答えを求め続けても見つからずその場で諦めたことが年月を経て本人すら忘れていた時に普段は聞き流す人との雑談や情報媒体から偶然を装い答え、理解、気付などが得られた経験がある人もいると思います。

 

これは、「自己ナビ」で触れたように潜在意識下に探し出したい対象がロックオンされてその対象に対する感度が高くなり「心の集中の特性」で触れた情報の選択効果による必然であった可能性があります。

◇良い質問とは

良い質問ほど良い答えを引き出せますがそれは、核心を突く具体的な質問です。インターネットの検索エンジンで知りたいことを探す場合に例えてGoogle検索キーワードを抽象的な場合と具体的な場合で得られる情報を比較してみます。

  • 抽象的な[目標]の場合:1億9千300万件ヒット
  • 具体的な["目標" "自分自身" "源流を辿る旅"]の場合:8件ヒット※

※2017/01/16時点の検索ヒット件数

 

知りたいことを探し出す場合に前者は、困難ですが後者は、容易です。

◇答えは自分の中にある

生きがい、ライフワーク、居場所などの目的を見つけ出すためには、自分自身に具体的な質問をする必要がありそうです。しかしそれができれば苦労はないし悩みなどないと思うでしょう。それは、「知らない自分」で触れましたが人は自分自身のことを意外にも知らないことが多く具体的な質問をするためには、自分をある程度知らなければならないという矛盾があるからです。

しかし自分自身にする質問は、自己を対象化し目を向け耳を傾け潜在意識に答えを探すプロセスを開始させることです。そして「対象は自己を知り反応を変える手がかり」で触れたとおり対象に対する感情が自己を知る手がかりとなります。すぐに答えが出なくても感情のルーツを質問により辿ってみましょう。

●計画

◇目的の次は?

目的が見出せたなら次は、目標を立てることなのでしょうか?ここでまた目標をもてと言われたときの違和感は、さらに増してきます。
目標を立てるには、一般的なプロジェクトでいう計画(事業目的・目標、事前調査、営業、提案、契約、資源調整、日程、段取、設計、製作、試験等々)の工程毎に大小様々な作業項目や目標が抽出されます。個人では、目的と目標が一致するシンプルなもので計画が必要ないものもありますがそれでも目標を立てる前に似たような無意識的な思考と行動の過程を経ていることに気が付きます。

例1:
休日の朝に目が覚め空腹を感じて家を探しましたが料理が必要な食材しかありませんでした。そこで近くのコンビニ弁当にすることにし所持金、天気、気温を確認したら雨で寒そうだったので自動車で買いに行きました。この場合は、空腹を満たしたいという動機が「目的」でありコンビニ弁当を買うという選択が「提案、契約、目標」であり家の食べ物探しや所持金、天気、気温の確認が「事前調査」であり所持金や自動車が「資源調整、日程、段取など」に相当すると考えられます。

例2:
海外旅行へ行きたい時に事前に渡航費(パスポート、ビザ、航空券、ホテル、買い物、食事)を調べたり、いつ、だれと、どこへ、なにをしに行くかをだいたい計画を決め目標を立てて旅行に行くと思います。ツアー旅行では、ツアー日程表が計画に相当しいつ、どこに集合するとか書いてある項目の一つ一つが目標と考えられます。

このように目的を達成するには、計画内の大小様々な作業項目や目標群を抽出・分解し具体的に意識化するのが鍵になりそうです。

●目標

目標に辿り着くまで回り道をしてきましたがここで少し振り返ります。
目標を立てるには、以下のような過程があると考えられます。

存在(遺伝、本能、人格など) ⇒ 潜在意識(感情、欲求、深層記憶) ⇒ 顕在意識(表層記憶・思考) ⇒ 目的(動機) ⇒ 計画 ⇒ 作業・目標群の抽出 ⇒ …

上記のように深層部の情報が表層部に伝達され意識化されることで思考が生起し目的(動機)以降の過程が始まるとのだと考えられます。しかし実際には、大小強弱多様な目的(動機)があり弱いものは意識化や焦点化も弱いため無形の空想に留まり言動まで表出されません。また「小さなことから行動力を培う」で触れましたが顕在意識の思考がいくら強く望んだとしても潜在意識下の感情や欲求が望んでいないものは、打ち消し合い強い目的(動機)とはならず達成が困難になるでしょう。

例えば、義務や強制から派生した思考により生起した目的(動機)、計画、目標に感情が反発しやる気が出なかったり体(欲求)が思うように動かない経験をした人もいると思います。※

※別記事「思考・感情・欲求(体)のバランスを回復する方法」参照

このように考えると強い目的(動機)があるものでかつ計画、作業、目標群を実際に達成したものだけが我々が身近に目にしている商品、サービス、芸術などであると考えられます。

◇目標の重要な役割

前記の目標を立てる過程の考察では、潜在意識下の無形なる目的(動機)が徐々に有形なものへ具象化しています。この過程で起きているのは、抽象から具体、曖昧から明確、概略から詳細だと考えられます。そしてこのときに重要なのが目標で対象が前後左右上下の何処に在り距離がどの程度なのか焦点が合い何なのかを捕捉できなければ何時、何処へ行き、何をすればいいのかが解らないからです。

◇目標の意味合いメモ

目標(目印、標識、標的、ランドマーク)は、五感(視・聴・触・味・嗅)から入る膨大な情報(不要なものやノイズを含む)から目的に適合する対象を識別し焦点を合わせるガイドの役割があります。目標は、背景にある計画と目的の意味を理解しながらも行動してみると実状が異なり達成が困難なことも多々あります。それは計画が未来の実状を事前に把握することが困難で天候のように変化するためです。しかし事前の調査を十分行えば計画の精度を向上させることも可能ですしリスクを把握しプラン1、2、3…など複数準備して柔軟性を向上させることも可能です。

そして一つの目標が達成できなくても気落ちして目的まで諦める必要は、ありません。

計画は、ある意味で机上の未来予測で目標は、実現ルートの識別子として常に複数分岐路に存在し再選択が可能だと考えられるからです。

●まとめ

目標がないと何時、何処へ行き、何をすればいいのかが解りません。そして我々の周りには、娯楽、嗜好品、刺激的な情報などが溢れており暇つぶしには、事欠きません。老子荘子の「無用の用」は、遊び、暇つぶし、寄り道など人生を豊かにしたり新たな目的の発見に繋がることかもしれません。

しかし何か重要なことから逃避するために寄り道し過ぎると自己忘却し目標が自己目的化し休息していると何処からともなく不安に駆られることがあります。
その時は、少し振り返り目的を見つめなおし計画と目標を立て行動することで「有用と無用」のバランスを取ることも必要だと思います。

次の記事「仮想が生み出すもの

 

進歩と退歩

今回のテーマは、地球上の生物が遠大な時間をかけて驚異的な進化を遂げ時に繁栄しまた絶滅しているのに対し人間は、どのように変化し何を得て何を失ったのかを考察していこうと考えます。

このテーマを選んだのは、生物界で進化しても環境が変われば絶滅し進化していないものが生き残ることがそれほどめずらしくない点と人間が進歩を何かに迫られるように推し進めようとする背景に何があるのかを少しでも明らかにしていきたいと考えたからです。

●はじめに

◇考察に入る前に言葉の違いについて整理します。

  • 【進化】: 生物群が生息域の自然環境に世代を経て適応することで構造、機能、能力などが変化し生き残りに有利になることで1個体の成長や形態の変化は、含まれません。
  • 【退化】: 進化の過程で一度得られた構造、機能、能力などが消失や縮小したりすることですが自然環境への適応という意味では、進化の一部です。
  • 【進歩】: 物事、技術、能力などがよい方向、望ましい方向へ進んでいくことです。
  • 【退歩】: 物事、技術、能力などがわるい方向、望ましくない方向へ進んでいくことです。

言葉の定義として異なるのは、進化と退化が長い時間スケールの中で自然環境と調和し起こることですが進歩と退歩は、短い時間スケールの中で人が判断し一方向にとらえて退歩は、進歩の一部とは見なされずその対象が広範囲にわたることです。

◇人間も進化していくのか

人間も他の生物と同様にやがて突然変異し環境へ適応し進化していくと考えられますが進化は、何百万年スケールで起きることであるため人間が他の生物と異なる点を主眼に考察していきます。

●人間が他の生物と異なる点

他の生物が自然環境に適応し進化することで種の生存率を向上させるのに対し人間は、自然環境を作り変えることで生存率を向上させる点で異なると考えられます。

◇人間の進歩

人間が他の生物と異なるのは、以下のような点ではないでしょうか。※

  • 自然環境を作り変え他の生物から捕食される脅威を排除できる。

  • 農業や物流網の発達などで食糧を安定的に供給できる。

  • 病気や怪我を治療できる。

  • 道具や機械の発明により進化で得られる構造、機能、能力などの代用ができる。(例.羽:飛行機、鰭:船、体毛:衣服など)

  • 情報を言葉で記録し共有できる。

  • 遺伝子解析、遺伝子操作などの技術の進歩。

上記などから考えると人間は、進歩により自然淘汰の枠組みから外れつつあるように見えます。一方でまだまだ自然災害には、無力であり食料は、自然界の生物の命の恵であり病気や怪我を治療できないものが多くあります。

 

※簡単な道具を使えるものや食料を備蓄したりきのこを栽培する蟻などの社会的動物も存在します。

◇生存競争の変化

前記で考察した人間の進歩により人の生存率は、飛躍的に向上し生存競争で脅威になる対象が変化しました。それは、パンデミックや自然災害などを除くと同類の人間だと考えられます。

◇適応対象の変化

自然環境への適応度がわずかに違うだけで生物の生存率に大きく差が生じることがあります。人間は、自然環境を作り変えるのに加え道具や機械を用いることで適応度もある程度変えることができるようになりました。このような人工的な環境下で生存競争の対象が同類の人間に変化していく場合の適応度とは、なんでしょうか。それは、人間が作り出している社会環境への適応度だと考えられます。自然環境という大きな枠組みの中に人間が作り出した社会環境がどのような影響を与えているのかを次に考察していきます。

◇社会環境が自然環境へ与える影響メモ

人間の経済活動が生態系へ影響を与え他の生物が絶滅する危機(既に絶滅種あり)が増大しています。具体的には、人間の利便性を高めるための造成やエネルギー消費、工場生産などで排出される物質、さらに種が絶滅するまで取り尽くそうとする生物の争奪などです。これらの経済活動は、人間にのみ有益に働く活動であり他の生物には、排他的な影響を与え生態系のバランスを崩しています。一方で環境規制や絶滅危惧種の選定(レッドリスト)などによる保護活動も行われていますが一定の効果は、あるものの影響は深刻さを増しています。

食物連鎖(食物網)からの分離

生態系における栄養素の物質循環は、生産者(植物)、消費者(動物)、分解者(微生物)などの構造で生物間の個体数や環境とのバランスを維持しています。生態系の中で消費者のヒエラルキーが上層へ行くほど種の固体サイズは大きくなり生息数は少ない傾向になります。生息域の捕食対象生物量に限りがあるため個体数が増え過ぎると食料不足で生存競争が激しくなり個体数が調整されるためです。人間は、他の生物に捕食される脅威から解放され消費者(動物)の頂点に位置し生存競争から分離し個体数も環境とのバランスをとることがなくなりました。さらに分解者(微生物)へ遺体や排出物を栄養素として物質循環させることも減少しています。

◇自然の生存競争から分離した影響

人間が進歩により自然の生存競争から分離したことで起こることは、以下の様なことだと考えられます。

 

・人口は、増え続ける。(人口爆発

但し自然の環境問題、食料問題、人口問題を解決できなければ人間どうしの生存競争が激化し人口数は、調整される。

 

・拡大指向は、止まらない。

生物が種の個体数を増殖拡大し生存率を向上させようとするは、本能的に自然なことでありまた生物の本能とは、関係ありませんが進化し種の生存率が向上するのも自然なことであると考えます。しかし自然界では、天敵による捕食や食料不足などで個体数の無制限な増殖拡大は抑制されバランスが保たれています。一方で人間は、進歩により増殖拡大し種の生存率を向上させようとする点で異なりまた個体数の無制限な増殖拡大を抑制しバランスを維持されることも今のところありません。(人口抑制策(一人っ子政策)等一部の国ではありました)

◇人間社会内の生存競争

これまで生物の進化・退化と人間の進歩・退歩の違いや人間が進歩により自然の生存競争から分離し同類の人間社会内での生存競争に移行したことを考察してきました。人間社会内の生存競争は、命のやりとりなどに発展することは少なく市場経済による一定のルールに基づく商品、サービス、貨幣、資源、労働力などが取引され競争になります。

●人間は、何を得て何を失ったのか

他の生物から捕食される脅威と食料確保の課題から解放され更に道具や機械で自然環境に適応し生存率が高くなり市場経済で比較的安全に市場に参加し利益を得られるようになると何が起きるのでしょうか。それは、以下のようなものではないでしょうか。

  • 「社会へ適応・同化することでの安心」
  • 「計画的で安定した生と緩やかな死」
  • 「通貨、資源、権力、進歩など」の拡大指向
  • 「過去や未来に対する恐れ、不安、悩み」

自然界の生存競争では、今日明日にでも捕食される脅威や老い、病気、怪我などで弱るとすぐに狙われ餌食になるなど過酷なものがあります。常に過酷な生存競争にさらされている生物は、今に集中し最大限に生きる能力が発達していますが人間は、未来の計画的な人生設計や過去の経験からの学びを生かす能力が発達した反面で今を生きる能力が退歩しているのかもしれません。また社会へ適応・同化することで一定の安心は得られますが飽和した社会では、差が求められるようになるため淘汰される強迫観念から進歩や拡大指向を推し進めているのではないでしょうか。

 

今に集中し最大限に生きる小さな挑戦をしてみるのもいいかもしれません。

 

次回の記事「目標

 

 

自己信頼を高める方法

今回は、自己信頼を高める方法をテーマに考察していこうと考えます。このテーマを選んだのは、人生において一つの指針になると考えたからです。

 

自己信頼について有名なのがラルフ・ウォルドー・エマソン(1803年)著の「自己信頼」という本でH・D・ソロー、ニーチェ、宮沢賢治、北村透谷、福沢諭吉など古今東西の思想家や詩人、文学者に影響を与えたと紹介されています。

 

この本は、100ページほどで読みはじめると大胆で思い切りのいい表現により利己主義、自己愛、傲慢不遜という印象が一瞬よぎるのですが読み進めると自己受容、自己発掘、自立、ありのままの生き方などを説いているのに気が付きます。そして情報の渦に巻き込まれ多勢に流され過去に引きずられがちな中で自己の本質を発掘し誰とも違う個性の光を取り戻し自立することが内なる平和をもたらすと説いているのだと思います。

 

●誕生からの信頼

誕生から自己信頼の変遷を遡り考察していこうと考えます。

◇親の生み育てようとする思い

人や動物のDNAに内在する生命を継いでいこうとする親の本能が子に存在する意味を付与する原初の信頼だと考えられます。そして原初の信頼は、父母(母親だけでも)の生み育てようとする愛情を子は受け取り存在を受容され信頼するのだと考えられます。

◇誕生の信頼

誕生時の赤ちゃんは、まだ親とつながっており親を経由して外界とつながっています。自分と親は、連続体として認識され親は最も頼りになる庇護者であり代理の体であり信頼の拠り所でもあります。この時期に自分の欲求などを親に伝える方法は、感情とボディーランゲージで親もそれを見て愛情をそそぎこたえます。

◇自己信頼の変遷

感覚器官が発達し外界を認識し体を動かせるようになってくると自他の識別がはじまり親とも区別されはじめます。成長とともに自我が形成されはじめ徐々に親への信頼から自立への自己信頼に移り変わりはじめます。

◇社会環境に適応

自立への自己信頼に移り変わる過程で、あらゆる対象(自分を含む物事)に名前、意味、価値を付与する知識と経験を経て社会的価値観に適応しはじめます。この社会的価値観と自己価値(見た目、能力、人脈、財力、持物など)の優劣、価値などの差を評価することにより自己の信頼度合いをはかるようになります。いつのまにか自己信頼の基準が内在する生命の原初の信頼や自立への自己信頼から外在する社会的価値基準へと移り変わっていることに気が付きます。

◇社会環境の変遷

過渡期にある物事には、混沌から調和に導き安定させるために標準化や均一化することが最も効率のよい価値ある手段だと考えられます。しかし安定期に入り飽和状態になると過当競争になり真新しい価値のあるものは、あっという間に情報が拡散しコピーされ古びたものとなり短命で価値がなくなります。社会に適応するためには、一定の教育、法律、道徳、マナーなどを守り自分の能力を社会が必要とする基準まで高める必要があります。しかし社会環境の変遷に追従し自己価値を維持するには、新しい付加価値を自ら生み出す必要性が生じるため自己の価値や能力を信頼することが難しくなり疲弊し閉塞感や息苦しさを感じている人も少なくないと思います。

◇自己信頼とは

自己信頼とは、自分の過去の価値、能力、個性、行動、実績などを信じて未来の行動への頼りにし期待することです。この自己信頼の高い人は、行動力もあり大きな成果を上げる人が多い反面で過信、妄信、狂信などで大きな失敗をする人もいると思います。ではバランスよく自己信頼を高めるにはどのような方法があるのでしょうか。

●自己信頼が低下する原因

◇外在化する自己信頼

社会に外在する標準的な価値観と自己を比較し追従し適応することは、益するとともに利することでもあり相互に良いことだと考えられます。その反面で人間自身を標準化や均一化し没個性化する枠組みにも適応することを意味します。また所属する組織や集団の定義する標準的な価値により自分を面接、試験、実績などで評価されることにもなります。

社会に外在する価値基準で他者に自分の評価を任せ自己価値が決定されるとするならば自己信頼も外部に委ねられることになります。もちろん評価を受け入れるか拒否するかの選択権は、自分にありますが数値などの客観的なデータで示される場合もあります。

◇価値とは

価値とは、役に立つ度合い、相場の値段、交換価値などの意味です。
市場相場では、過剰に供給されれば下落し不足すれば高騰し悪材料で信用を失えば弱気になり低下し好材料で信用を得れば強気になり上昇します。このように価値とは、立場、信用、感情、欲求、需要と供給、物事(好/悪材料)などによって左右される人が作り出しているものです。人は、市場相場で取引される品物とは違います。しかし雇用契約という取引で同じように労働の市場にのり役立ちまた消費されているのだと考えられます。

◇個性は、希少性

社会が成熟期、老年期を迎え同じような人、考え方、物で溢れ飽和し行き詰っているならば少し立ち止まり果実が熟して甘く深みを増したことをじっくりと味わうように自分の個性を発掘するのも良いかもしれません。そうして誰とも違う個性が希少性の価値であると気付き大切に思えるようになると自己信頼も高まると思えます。そうした中から果実が熟しきり地上に落ちて種が芽生えるように新しい価値が見出されるのだと思います。

●自己信頼を高める方法

社会的価値観に適応し同化した集団や他者に自己の評価を委ねることで自己価値が決定され自己信頼の確立が困難になる過程を考察してきました。しかしこれは、利用価値であり存在価値とは異なりますが、なぜ同一視される傾向があるのでしょうか。それは、我々が利用価値という交換条件付きの許容に過剰に適応しているためです。

 

例えば、親の言い付けを守りいい子にしている時は受容し褒められ、言い付けを守らずわるい子にしている時は叱られ遠ざけられた子供の頃の経験があると思います。社会にでても所属する組織や集団の定義する標準的価値基準を満たさなければ許容されないのは同様です。

 

利用価値には、交換条件がありますが存在価値には、条件がなく存在そのものを受容する点で異ります。しかし自分の属する集団や他者の多くが利用価値と大量消費に過剰に適応し行動しているため子供の頃から大きく影響を受け利用価値と存在価値を同一視し識別ができなくなるのだと考えられます。

一方で偉人は、自己を深く洞察し自分が何者で何を欲し何ができるのかを見つけ出しその存在価値を信頼し他者との比較や自己の欠乏を埋めるための行動を排し自らを能動的な原動力とし行動し続けたのではないでしょうか。

◇自己を知る

自己信頼を高めるための第一歩は、自己を深く洞察することです。
自分が何者で何を欲し何ができるのかを知らずに自己の存在、価値、信頼、目的、目標を明確にすることはできないと考えられます。そして欠乏を埋めるだけの日々にあてどなく漂流し埋没していたのでは、自己受容もままなりません。自己を知るためには、心の構造、機能、役割などに関する知識(*1)と心の集中と意識化に関する技術(*2)を習得する必要があります。

 

それでは、なぜ既に知っているはずの自分をあらたに知りなおさなければならないのでしょうか。それは、意識化できない潜在意識下にある自動反応プログラム、自己像、見たくない抑圧された記憶などが存在しているからです。そして、「心の機能」で触れたように人の言動の大半が過去の潜在意識下にある自動反応プログラムにより成り立っているからです。

 

言い換えると五感から入る刺激に真新しさや大きな違いがなければ過去の自動反応プログラムが実行され細部が意識化されず体験が通過してしまいます。この時の自分の自動的な言動や癖がどのようなものか客観的に知ることができないため自己を観察する必要性が生じます。

 

*1 「心の機能」の記事やリンクしている関連記事を参照してください。

*2 意識化する技術とは、主観的な心から客観的な視点を分離する技術です。(詳細は、別の記事で書いていく予定です。)メモ

◇意識化することで得られるもの

無意識の自動的な反応である思考、感情、欲求(体)とそれが動機となり表出される言動や癖を客観視できるようになると外界からの刺激情報と自分の反応の因果律が徐々に明らかになります。それは、過去の類似した追体験反応であり現在の生きた体験ではないことに気が付きはじめます。そして追体験反応が悪い癖やもう必要のないことであると意識化できたときに自分の理想とする別の反応に変えようとする動機が生じます。

 

対象は、自己を知り反応を変える手がかり」で触れましたが一方の極性(この例では、悪い癖)が意識化されるとその対極(良い癖)も同時に意識化されます。このとき対極が意識化される基準の軸とはなんでしょうか。それは、悪い癖と良い癖の判断を分ける自己の中にある価値基準であり理想や望んでいる方向性だと考えられます。

 

無意識の自動的な反応を意識化できれば自己の価値基準や本質的な望みを知り存在価値と利用価値を識別し自己を変える動機づけになることから人生において意味があると思われます。

◇存在価値を意識化する

人の内面的な存在価値を外界からの刺激情報による受動的な反応を意識化することで確認する方法を考察してきましたが、これとは、別に能動的な自立行動により自己の存在価値を意識化する方法について考察します。

  • 能動的な自立行動とは、他からの支配、助力、圧力を受けずに自らを動機とし決めた目標を行動に移すことです。
  • 存在が現実へ接触し関与する行動とその結果を実感することが自己の存在を意識化し存在価値を高めます。
  • 自分で決めた目標と行動の約束を守ることが存在価値を高めます。
  • 存在を意識化する上で目標や結果の大小は、あまり重要ではありません。(他の何かと比較する必要性はありません)

上記は、文章にすると実行する上で非常に困難に思われますが最後の「目標や結果の大小は、あまり重要ではない」点に着目すると自己の存在を意識化し実感できればよく数秒で完結できる小さな行動目標でもいいことになります。

 

例えば、玄関の靴をそろえたり、ごみを一つ拾いくずかごに入れたり、首や肩を一周回すストレッチをしたり、散歩にでたり簡単なことでも自分が決めた行動目標を守り続けることは、自己価値を高めるとともに自己信頼も高めます。

 

※思考、感情、欲求(体)の何れか一つだけでは、実感をともなわないため協調行動が必要です。(「小さなことから行動力を培う」の協調行動を参照)

●まとめ

これまで社会に過剰適応する過程で外在化する利用価値と自己の存在価値を同一視し自己価値の確立が困難になることを考察してきました。利用価値も人が作り出した社会に必要な共有概念ですがそれだけでは、人生の中で老い、病気、怪我などで利用価値の低下に直面したとき社会に消費されてきたことに気が付き自己無価値感に苦しむかもしれません。

 

しかしその苦しみも自己の個性の光を見つけ出す手がかりであると考えると感慨深く思います。


次の記事「進歩と退歩

 

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思考・感情・欲求(体)のバランスを回復する方法【実践編】

心の中立の場所である丹田(へそ下約5cmから内臓側へ約5cmの場所)は、物理的にも身長を約二分した中間に位置しています。頭部への心の偏在を中間の位置に移動するためには、単純に中間の位置に心を作用させるだけでは不十分です。人間には、お腹より下に位置する生殖器、排泄器官、足などがあるからです。また脳の過剰な欲求の動力源である視覚、聴覚などからの情報を抑制しておかなければ下側の足に心を作用させても上側の頭に心が引き戻されてしまいます。(「思考・感情・欲求(体)のバランスを回復する方法」を参照)

 

必要な要件は、以下と考えます。

  • 脳の過剰な欲求の動力源である視覚、聴覚などからの情報を抑制する。
  • 上側の頭から中間の丹田を軸として下側の足に心を作用させてバランスを回復する。
  • 思考、感情、欲求(体)の協調行動。(「小さなことから行動力を培う」参照)※

※意志の力で体を動かし触覚から動きを実感することで自己の生命の実存を再認識し頭部へ浮き足立つ心を体に定着させ統合する必要があります。

●環境

習得するまでは、以下の環境で行うのがよいと考えます。

◆環境

  • 気が散らないようにTV、PC、携帯電話、ゲーム、音楽プレーヤー等は電源OFFか待ち受けにする。
  • 場所は布団やベッドの上またはリラックスできる椅子。
  • 呼吸や体の動きを圧迫しないゆったりした服装。

◆心と体の姿勢

  • 準備運動として首と肩をゆっくり回し軽くストレッチしておきます。
  • 心と体のどこかに負担が掛からないよう布団やベッドなら仰向けに寝て、椅子ならお尻を深く座ります。

●練習

(1)~(4)は個別に練習し(5)で全体を練習します。

(1)瞼(まぶた)

視覚からの情報を抑制するために目を閉じる練習をします。

これは、誰でも瞬時に簡単にできることから冗談と思うかもしれませんが起きている時に30分間目を閉じてくださいといわれたらどうでしょうか。また好きなTV、PC、携帯電話、ゲーム、SNSなどをしているときにいわれたらどうでしょうか。起きている時に目を閉じる習慣を持っている人は、少なくまた目的なく目を閉じることは苦痛を伴うかもしれません。しかし心の偏在を回復することを目的にし習慣化することは可能だと考えます。

  • 3分間目を閉じこの意味と価値を熟考してみてください。

(2)横隔膜

呼吸を行う筋肉の動きを実感し心を腹部に作用させる練習を行います。

横隔膜は、胸腔(肺臓、心臓などを納める空間)と腹腔(胃、腸などを納める空間)を分ける筋肉で収縮すると胸腔が広がり肺が膨張し吸気され腹腔が狭まり、弛緩すると胸腔が狭まり肺が収縮し排気され腹腔が広がります。※

  • 横隔膜(筋肉)をゆっくり意識的に収縮と弛緩をさせ動いた感覚を実感できるまで繰り返します。
  • 横隔膜を腹腔側へ押し下げるように収縮させ腹圧が上昇する感覚で行うと実感しやすいと思います。

※ 横隔膜は、自己の意志により動かすことのできる随意筋に分類されていますが睡眠時に呼吸をしていることから自律神経にも制御されていると考えられます。

(3)腹横筋下部

腹腔(胃、腸などを納める空間)の下側で内臓を支える筋肉の動きを実感し心を腹部に作用させる練習を行います。

  • (2)で横隔膜を腹腔側へ押し下げるように収縮させ腹圧が上昇したときに下腹部の腹横筋下部(腹筋奥にあるインナーマッスル)に力を入れ小腸付近の丹田(へそ下約5cmから内臓側へ約5cmの場所)に腹圧が実感できるまで繰り返します。

(4)足

上側の頭から中間のお腹を軸として下側の足に心を作用させてバランスを回復する練習を行います。

  • 両足の指をゆっくり物をつかむように動かしまた放すように動かし実感できるまで繰り返します。
  • この時足を植物が大地に深く根を張るように置き換えてイメージします。

(5)全体を練習

全体を通してゆっくりと実感できるまで1~3を思考(意志)、感情(実感)、欲求(体:筋肉の動き)の協調行動を繰り返し習慣化します。筋肉には、軽くじんわり力を加えるだけで急いだり力んだりしないことが肝要です。

  1. 目を閉じます。
  2. 横隔膜を収縮させ腹横筋下部に力を入れ小腸付近の丹田の腹圧を実感しながら地中深く張った根(足※)で大地をつかみ吸気(約5秒間)するとともに養分が吸い上げられ丹田へ徐々に満たされていくようにイメージします。
  3. 横隔膜、下腹部の腹横筋下部を脱力し大地に深く根を張った根(足※)でつかんでいた地中を放し排気(約5秒間)するとともに体の老廃物が放出されることをイメージします。肺の空気が残らず排気するようにします。

※実際の呼吸の出入り口自体は、鼻から行いますが足から呼吸(吸気/排気)すると同時に大地からの養分の吸収/老廃物の排泄を行うように足を植物の根のイメージに置き換えます。

●まとめ

小さなことから行動力を培う」で触れましたが新しいことをはじめるとき潜在意識下の自己像は、変化より安定を好むためになかなか前進できないこともあります。しかし小さなことを継続していると今度は、潜在意識下で習慣化しあるとき驚くほどの変化が訪れることもあります。

今回紹介した頭部への心の偏在を 思考や感情の欲求が派生される以前の原初の生命力(精、源泉、活動力、元気など)が生産・維持され脳幹・脊髄の生命活動を司る活動に関係深い丹田(へそ下約5cmから内臓側へ約5cmの場所)へ移動することで生命の実存を実感し欲求の優先順位、情報選択、資源配分が徐々に変化していくと思います。

 

本ブログで紹介している「五感ガイドイメージ呼吸法」は、上半身(頭部、胸)を中間位置の丹田で統合しますが、このバランスを回復する方法は、下半身(生殖器、排泄器官、足)を中間位置の丹田で統合する丹田呼吸法として対をなしています。
さらに次の段階がありますが機会があれば書こうと思います。

 

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思考・感情・欲求(体)のバランスを回復する方法

小さなことから行動力を培う」で触れた思考・感情・欲求(体)のアンバランスが行動力を阻害することや感情や欲求(体)にも様々な不調和を引き起すことを記述しましたが今回は、思考・感情・欲求(体)のバランスを回復する方法をテーマに考察していこうと考えます。

●体の構造的考察

人間に限らず哺乳類などは、頭部に生命活動に必要な情報、呼吸、食物を取り込む入口(目、耳、鼻、口)とその周辺に感覚器官(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)が備わっています。そして入口の先には、情報を処理し記憶する脳、酸素と二酸化炭素のガス交換を行う肺臓と血液を循環させる心臓、食物を消化する胃や腸などの器官があります。

◇感覚器官と脳の接続

視覚⇔大脳皮質の視覚野
聴覚⇔脳幹(延髄・橋・中脳)から視床を経て大脳皮質の聴覚野
臭覚⇔大脳辺縁系の嗅球から大脳皮質の嗅覚野
味覚⇔脳幹(延髄・橋)から視床を経て大脳皮質の味覚野
触覚⇔脊髄、視床を経て大脳皮質の体性感覚野

◇脳の役割

大脳皮質 :知的活動を司る

大脳辺縁系:感情・記憶・自律神経活動を司る

脳幹脊髄 :生命活動を司る

◇脳への情報量

視覚:87.0%
聴覚: 7.0%
臭覚: 3.5%
味覚: 1.0%
触覚: 1.5%

◇入口に感覚器官がある理由

入口(目、耳、鼻、口)に感覚器官 (視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚) がある理由は、以下の目的だと考えられます。

  • 生命活動に必要な情報、呼吸、食物を見つけだす。
  • 見つけだしたものが入口の先にある臓器に適しているかを取捨選択をする。

例えば、口から入るものは、触覚、味覚で腐敗、毒性、栄養の有無、消化の難易など取捨選択し胃や腸などに適した食物を摂取し鼻から入るものは、臭覚で有害なガス・煙・粉塵、無害な空気などを取捨選択し肺臓、心臓に適した空気を摂取し目や耳から入るものは、視覚、聴覚で有用/無用な情報を取捨選択し脳に適した情報を摂取するためだと考えられます。※

 

※視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚からの情報は、最終的に大脳皮質に送られ総合的に判断されます。

●バランスを崩す原因

食物を食べ過ぎた場合は、胃や腸などに過剰な負担がかかりますし余分な栄養は脂肪として蓄積されます。またアルコールや人口的な着色料、甘味料、保存料、農薬などを大量に摂取すると体の健康を害してしまいます。

医食同源という考え方で健康に気を使う人は、口から入る食事について重要視します。

 

一方で鼻から入る呼吸や目や耳から入る情報の量や質および体や心に与える影響については、あまり気を使っていないのではないでしょうか。

◇バランスを崩す例

例1:社会欲求(集団に属し他者に受け入れられたいなど)

某アジアの大国などで若者たちがインターネット・ゲームなどに寝食を忘れ没入してしまうことで依存症になったり過労死してしまうケースが多発しているニュースを見たことがあるかもしれません。矯正施設が400ヶ所以上あるとの情報から深刻な社会問題として扱われているようです。

 

例2:承認欲求(他者から価値を認められたいなど)

仕事で他者から認められ昇進したいなどの理由から仕事に没頭しストレスで睡眠障害や鬱病などになったり過労死するケースがニュースになることがあります。

 

例3:愛の欲求(愛されたいなど)

親から愛されなかったり教育や躾と称して愛情の取引をされたり過干渉されたりで自己を見失い自己無価値感、自己嫌悪などから摂食障害(拒食症/過食症)や精神病などで苦しむケースがあります。

◇ 欲求と関係する共通点

欲求は、何かが欠乏している状態でありそれを充足しようと行動しますがその結果が充足できない場合は、ストレスとなり別の行動に置き換えられ充足または発散されます。生理的欲求(食事・睡眠・排泄)や安全の欲求は、短期間で比較的容易に充足されますがより高次な社会欲求、愛の欲求、承認欲求、自己実現欲求になるほど外界の環境や他者との関係に依るところが多くなり長期間時間を要したり手に入らない対象の場合もあり別の欲求行動へ置き換えが継続され習慣化してしまい苦しくなっても止められない依存状態になるのだと考えられます。

 

生命活動を司る脳幹・脊髄の生理的欲求(食事・睡眠・排泄)を他の知的活動を司る大脳皮質が派生させた欲求や感情・記憶・自律神経活動を司る大脳辺縁系が派生させた欲求が凌駕してしまい生命力を枯渇させる現象が起きています。

 

植物に例えると根・幹からの栄養を枝・葉・実が吸い尽くそうとし枯れかかっている状態に見えます。実際に脳は、重量当たりのエネルギー消費量が一番多い器官で視覚から脳へ入る情報量も前記した視覚:87.0%と感覚器官のなかで圧倒的に多くその負荷や影響も比例して大きいと考えられます。

◇心の偏在

現代人は、知性偏重、情報過多、利益優先の社会に生きており視覚と聴覚から入る大量情報にさらされており知的活動を司る大脳皮質を活発に働かせています。これに伴い心が頭部に定位し知的活動を司る大脳皮質の思考が派生させた欲求を体が求める生理的欲求や感情的な欲求より優先させる傾向が強くなっています。この頭部への心の偏在は、体の緊張を高め呼吸を浅く短い胸式呼吸にし酸素と二酸化炭素のガス交換効率を低下させ自律神経交感神経副交感神経の活動バランスを崩す一因と考えられます。

◇欲求が派生する仕組み

人は、五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)からの情報と自己像を絶えず無意識的・意識的に比較し評価する性質があります。この時に外界の対象間の差や対象と自己像の差を評価することで欠乏を感じ欲求が派生されるのだと考えられます。

●バランスを回復する方法

◇考察してきた課題

  1. 社会的価値観・環境(知性偏重、情報過多、利益優先など)の影響。
  2. 視覚・聴覚の大量情報が頭部へ心を偏在させ思考が派生する欲求を優先しバランスを崩す。
  3. 五感からの情報と自己像の差を無意識的・意識的に評価した欠乏感が欲求を派生させる。
  4. 充足されない高次の欲求は、別の欲求に置き換えられ依存行動となりバランスを崩す。

これらの複合的な要因に個別の対症療法もある程度有効だと考えられますが心の機能と役割に着目することでよりシンプルで根本的な解決策が見えてきます。

◆心の機能と役割

心の機能」で触れたように思考の欲求、感情の欲求、体を維持する欲求、性の欲求に対してその時点で最も優勢な欲求に心を集中して目的である欲求の充足を達成すると記述しました。

 

この欲求は、入口(目、耳、鼻、口)から摂取する情報、呼吸、食物が各器官(脳、肺臓・心臓、胃・腸、生殖器)の必要量(消費量・排泄量)を下回り不足を感知したときに感覚器官(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)からの差情報とともに欲求の強弱を潜在意識が顕在意識に伝え意識化するのだと考えられます。各器官(脳、肺臓・心臓、胃・腸、生殖器など)の欲求を意識化することで心が呼び出され欲求を充足するために心を集中させ機能しはじめるといえます。

 

この時心は、対象の器官(脳、肺臓・心臓、胃・腸、生殖器など)に集中することでどのような機能と役割をはたしているのでしょうか。

 

大別すると心の機能と役割は、下記だと考えられます。

  1. 優先順位: 最も優勢(強い)欲求を優先する制御。(*1)
  2. 情報選択: 心を集中している対象の情報選択(選別/排除)。(*2)
  3. 資源配分: 思考:実現手段の考え、感情:充足に対する期待や喜び、体:充足に必要な言動。(*3)
  • *1 外圧(法律、倫理、道徳、人間関係上の強制、会社のノルマなど)の理性も思考の欲求の一部であり恐れによる逃避も感情の欲求の一部と考えられる。
  • *2 「心の集中の特性」参照。
  • *3 「心の機能」参照。

それでは、一通り欲求が充足されると心は、集中を止め休息を行いますがそのとき心はどこにあるのでしょうか。


健康な状態だと心の集中と緊張が解除され中立な位置に心が漫然と収まります。

 

ところが心のバランスが崩れ依存状態に陥ると一部の器官(脳、肺臓・心臓、胃・腸、生殖器など)の過剰な欲求により心の集中が一箇所に固定され続け心の偏在が生じます。

 

逆向きに考えると心の偏在(偏り)を復元できれば欲求の優先順位、情報選択、資源配分を変えられると考えられます。そして受動的に各器官(脳、肺臓・心臓、胃・腸、生殖器など)の求めに応じて心が呼び出され欲求を充足するために心を特定(脳、肺臓・心臓、胃・腸、生殖器など)の位置に集中させられていたものを能動的な意志の力で心を集中することで依存状態による心の偏在を中立状態に回復できるということになります。

◆心の中立の場所

心の休息・回復・安定に適している中立の場所とは、どこなのでしょうか。

 

それは、思考や感情の欲求が派生される以前の原初の生命力(精、源泉、活動力、元気など)が生産・維持され脳幹・脊髄の生命活動を司る活動に関係深い丹田(へそ下約5cmから内臓側へ約5cmの場所)であると考えられます。

 

この場所は、武道でも重要視され恐れ、不安、迷いを克己し勇気や気力を養う場所とされています。

 

また、白隠禅師(1769年)は、禅病(現代の、鬱病、自律神経失調症、統合失調症など)・肺患、になり多くの名医や鍼灸師を訪ね治療を受けましたが効果がなく絶望の淵に沈んでいました。たまたま医学に深い知識をもつという白幽子仙人(1709年)の話しを耳にし藁にもすがる気持ちで会いに行きそこで頭部への心の偏在を臍下丹田へ下げることが肝要であると説かれその方法※を伝授され実践することで回復しました。その後多くの禅病などにかかった人にその方法を伝え回復したといいます。

 

※詳細は「白隠禅師 健康法と逸話」直木公彦 著 日本教文社を参照してください。
(約300年前の仙人の健康法と逸話は必見です!)

 

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