無用の用
役に立つものや価値のあるものに、意識を向け労力を費やす現代社会が抱える課題に対し少し立ち止まり俯瞰する意味で『老子』『荘子』が述べた「無用の用」について考察していこうと思います。
●無用の用とは
「無用の用」は、「役に立たないように見えるものでも、かえって役に立つこともある。この世に無用なものは存在しないという教え。」です。逆説的に「用の無用」は、「役に立つように見えるものでも、かえって役に立たないこともある。」とも考えられます。
これは、無用という対象が存在するが故に用という対象が存在し、またその逆もしかりということになります。
◇無用と用を分けるのは
「自己信頼を高める方法」の記事で価値について考察しましたが無用と用を分けるものとは、所属集団内の価値基準に影響された個人の中にある価値基準が無用と用を判断し分けているのだと考えられます。
●無用と用の相関
「無用」については、普段意識を向けることも稀で必要性も概念だけだと漠然としているため日常的な具体例で「用」との相関関係を考察します。
◇タオ(道)的な無用と用
以下の例えのように一見すると無駄な空間(虚)という「無用」により「用」が機能しています。
- 容器の内部は、くり抜かれた何も入っていない空間があることで役に立つ。
- 家の部屋にデッドスペースを無くそうと役に立つ家財道具を一杯に詰め込むと部屋として機能しない。
- 作業机に作業道具を一杯に並べても作業ができない。
- パソコンやスマートフォンで空きメモリ容量が無くなると遅くなったり動作が不安定になる。
- システムや機械を冗長化し予備系を付加することで障害や故障に対する耐久性や安全性が向上する。
- 知識・習慣が一杯に詰め込まれると不安や怖れで新たな挑戦ができなくなる。
●用の終着点
無用と用の相関を考察しましたが「用」の終着点とは、何処なのでしょうか。最近頻繁に耳にするイノベーション(技術革新)と生産性向上という言葉ですが背景には国際的競争力の強化による経済力の拡大が目的と考えられます。これは、「無用」を切り離し対極の「用」のみを追求することですが未来に何が待ち受けているのでしょうか。
◇合理性の追求?
技術革新とは、新しい発見・発明・アイデアにより新たな価値を創造することですが、これは研究・開発に投資すれば新しい発見・発明・アイデアを生み出す確率が上がるだけで結果が保証される訳ではありません。新しい有効な発見・発明・アイデアなどは、何時、何処で生み出されるか予測することは困難で偶然性が高いものだと考えられます。生産性とは、より少ない労力と投入物・コスト(インプット)でより多くの価値(アウトプット)を産みたいという人間の考えから生まれてきた概念です。技術革新や生産性は、手段であり背後にある競争力や利益の拡大が目的であり、そしてそれが誰の目的で誰が用とされ誰が無用とされるのか見極める必要があります。
◇表裏一体
前記の考察の通り無用と用は、表裏一体の相関関係にあり夜の月明かりが道標になり昼の木陰が休む所になるように機能しています。一方で月明かりは、照明器具に木陰は、エアコンの効いた休憩所に取って代わり旅人や冒険者以外には、無用になりました。これは、対象も価値基準も変化していくことを意味します。
◇人工システムに潜む罠
人間が考え出すシステム(概念、思想、主義、法律、ルールなど)は、一見すると合理的でも重大な欠陥を内包していることがあります。個人の認識し思考できる領域に限界があり、合理性の領域外にあるパラメーターをシステムアーキテクチャに組み込むことが難しく運用してからその欠陥が露呈したりします。
合理性の領域外とは、以下のようなものです。
- 無用と用という対象や価値基準は天候のように変化する。
- 合理性だけでは生きられない。
◇合理性だけでは生きられない
人は、思考、感情、欲求、体という複雑な構成要素からなり働くだけではなく食、睡眠、性、生き甲斐、希望、趣味、遊び、娯楽、休息など様々な合理性から離れたものが無くては生きていけません。むしろ働くのは、自己実現のための手段に過ぎないとも考えられます。
◇自己目的化
誰かの目的のための合理性がいつの間にか自己目的化すると原因不明のシステム異常(アノマリー)が集団や社会の中で散見されるようになります。そして問題に対処する専門家は、合理的に分析し原因や根拠を羅列した後に個別問題として処理します。中には根深い問題が背景にあることに感づく専門家もいると思いますがそれが何かは、明確に認識できずに忙しい日常に戻っていきます。
●無用からのサイン
無用と用の相関や目的達成の手段である合理性の追求や人間の非合理性の必要性などを考察してきました。そして用の追求だけでは、人間の非合理性の領域が適応異常を起こすことも考察しました。
◇向き合う姿勢
個人の目的(用)毎に実現手段である合理性は、異なるため一見すると合理的なシステムが提示された時に無批判にそれを自己目的化すること無くその対象に向き合い自己の目的を想起すことが必要だと考えられます。
◇無用と用のバランス
用の過剰追求は、やがてシステム異常として表面化し更に進行するとシステム崩壊が待ち受けているかもしれません。散見されるシステム異常は、人間の非合理性の領域(無用)が不適応を呼びかけているサインかもしれません。無用と用は、相互にバランスを取り循環することではじめて本来の役割を果すのだと思います。
次回の記事「心の大掃除」