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中国語学習者、Congziのブログ

京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 

 元妃の発案で、賈宝玉や女兄弟たちは大観園の中の家に住むことになり、引っ越します。しばらくして宝玉は気持ちがふさぐようになり、召使の茗煙に、古今の伝奇小説や戯曲の台本を読むよう勧められ、林黛玉と一緒に『西廂記』の台本を読み、感動します。その後、林黛玉は賈家お抱えの一座が『牡丹亭』の練習をする中、その歌詞に聞きほれます。『紅楼夢』第二十三回の始まりです。

 

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西廂記の詞は戯語(戯曲の台詞)に

牡丹亭の艶芳心黛玉の心境)を(いまし)める

 

 さて、賈のお婆様は、翌日も引き続き人々を引き連れ正月休みを過ごした。かの元妃が大観園を行幸して宮廷に帰って後、里帰りをした日に詠んだすべての題字を、探春に命じて抄録、整理させ、自分で優劣の順番をつけ、また大観園に石の碑を立てさせ、長しえに伝える風雅な事とした。このため、賈政は人に命じて優秀な職人を選抜させ、大観園で石を磨き字を刻ませた。賈珍は賈蓉、賈薔らを率いて工事の監督をした。賈薔はまた文官ら十二人の役者、及び彼らの衣服や装束、扮装などを管理し、暇が無かったので、このためまた賈菖、賈菱、賈萍を呼んで来て、工事の監督をさせた。ある日、石の表面に蝋を塗り、文字を朱筆で転写して彫り、作業が開始された。このことも言うまでもない。

 

 さて、かの玉皇廟と達摩庵の両所には、一班十二人の若い修行僧と十二人の若い道士を、今大観園に移動させ、賈政はそれぞれの廟に遣わして分かれて暮らすようにしたいと、ちょうど考えていた。思いがけず、後街に住む賈芹の母の楊氏が、ちょうど賈政のところで大小の仕事を、自分の子供に担当させ、それにより幾ばくかの銀や銭を得たいと思っていたのだが、ちょうどこのことが耳に入ったので、車に乗って鳳姐に頼みに来たのだった。鳳姐は楊氏が平素口が達者で融通も利くので、その申し出に同意しようと思った。ちょっと考えてから、こう王夫人に回答した。「これらの僧侶や道士たちは、決して他所に遣わしてはなりません。もし娘娘(元妃のこと)がお召しになったら、お引き受けしなければなりません。万一離散していたら、再び用いるのが、また厄介です。わたしの考えでは、彼らを皆、家廟の鉄檻寺に送って、毎月ひとり誰かを遣わして、数両の銀子で薪や米を買ってやればいいんです。声に出して言うのであれば、あちらへ行って一声かければ来てくれるので、少しも面倒じゃないです。」

 

 王夫人はそう聞くと、このことを賈政と相談した。賈政はそう聞くと、笑って言った。「思いがけず、気づかせてもらったよ。そうしよう。」すぐに賈璉を呼んで来させた。

 

 賈璉はちょうど鳳姐と食事を食べていたが、呼ばれていると聞くと、飯をそのままにして出て行こうとした。鳳姐は手を握って引き留めると、笑って言った。「あなたは先ずそのまま、わたしの言うことを聞いてください。他のことだったら、わたしも構いませんよ。若い和尚、若い道士たちのことは、どのみちあなたはわたしの言う通りにされるでしょう。」このように、ひとしきり説明すると、賈璉は首を振って笑って言った。「おれは知らないぞ。おまえに考えがあるなら、おまえが言えばいい。」鳳姐はそう聞くと、まっすぐ相手を見つめ、箸を放り投げると、頬の上にかすかな笑みを含めた鋭利な眼差しで、賈璉を見つめて言った。「あなたは本当のことを言っているの、それとも冗談なの?」賈璉は笑って言った。「西の後廊に住む五嫂子(兄嫁)の息子の芸兒が何度も訪ねて来て、仕事の管理をさせてくれと言うから、わたしが同意し、あいつを待たせているんだ。やっとこさこの仕事が出てきたのに、おまえがまた奪ってしまうのか。」鳳姐は笑って言った。「あなた、安心なさい。大観園の東北角に、娘娘(貴妃様)から、まだたくさんの松や柏といった木々を植え、建物の下にも様々な草花を植えるよう言われたので、この件が片付いたら、わたしは芸兒にこうした工事をまとめて管理をさせればいいと思っています。」賈璉は言った。「それもよかろう。」それでまたこっそり笑って言った。「ところで、昨晩床の中であれをする時、新しい体位を試そうと思った時、おまえどうしてあんなに身体を左右に揺らしたんだ?」鳳姐はそう聞くと、顔を真っ赤にして、「シッ」と嘲わらう声を上げると、賈璉に唾を吐きかけ、相変わらず下を向いて飯を食べた。

 

 賈璉は笑いながらまっすぐ出て行った。母屋の方に行くと、賈政に出会い、果たして若い和尚たちのことで、賈璉は鳳姐の話に沿って、こう言った。「見たところ、芹兒はかえって見込みがありそうです。この件は、すっかり彼に任せて管理させれば、いずれにせよ内部の慣例に基づき、毎月金の支出と受領を行えば良いのです。」賈政は元々こうした些細な事はあまり細かく考えないので、賈璉がこのように言うのを聞き、その通り許可した。賈璉は部屋に戻り、鳳姐にそのことを伝え、鳳姐はすぐに人に命じて楊氏に報告に行かせ、賈芹はやって来て賈璉夫妻に会うと、感謝しても尽きぬ思いであった。鳳姐はまた面子として三ヶ月分の費用を先に支払い、賈芹に領収書を書かせ、賈璉は花押を描き、直ちに割符を出させ、銀庫でその数により三ヶ月分を出して供給し、――真っ白に輝く三百両であった。賈芹は無造作にその一包みを手のひらで掴み取ると、召使たちに大声で「茶でも飲め」と言った。そして若い男の召使に命じて家に持って帰らせ、母親と相談した。直ちに車を雇って座ると、また何輌かの車を雇い、栄国府の角門の前に行くと、二十四人の人々を呼び出し、車に乗せると、一路城外の鉄檻寺へ向かった。このことについては、特に話は無い。

 

 さて、今かの元妃は宮中で『大観園題咏』を編纂していて、ふとこの庭園の中の景観が想い起こされた。自分が行幸して後、賈政はきっと皇室を敬い恭しく封鎖し、人々が中に入らぬようにしているだろうが、それはこの庭園の意味に背くことではないだろうか。ましてや一族の中には今、何人か詩を作る才能のある女兄弟たちがおり、どうして彼女たちに命じて庭園内に住まわせないのだろうか。そうしないと、青春の活力を失い、憔悴した姿が顕かになってしまわないか。また、宝玉は幼い時から姉妹たちの中で一緒に成長してきたので、他の兄弟たちとは違い、もし宝玉を彼女たちと一緒に住まわせなかったら、ひょっとすると宝玉を冷遇したことになり、賈のお婆様や王夫人も喜ばれないかもしれないので、宝玉にも庭園内に住まわせるよう命じるのが妥当に違いなかった。それで宦官の夏忠に命じて栄国府に行かせ、諭旨を述べさせた。「宝釵らに命じて大観園中に住まわせ、園内を封鎖してしまってはならない。宝玉も宝釵らと一緒に園内に入らせ、学問をさせよ。」

 

 賈政、王夫人は諭命に接し、夏忠が帰った後、賈のお婆様に報告に行き、人を遣って大観園の中に行き、各所を整理、掃除させ、窓のカーテンやベッドの帳(とばり)を取り付けさせた。他の人たちはこのことを聞いて、まあいいだろうと思ったが、ただ宝玉だけは嬉しくて仕方がなかった。ちょうど賈のお婆様と思案し、これが要る、あれが要ると言っていると、ふと小間使いが来て言った。「旦那様が宝玉様を呼ばれています。」宝玉はしばらくボオッとしていたが、すぐに興が冷めて、顔色を変え、賈のお婆様の着物の裾を引っ張り、もじもじと身体を動かして、死んでも行こうとしなかった。賈のお婆様はただ宝玉を慰めるしかなく、こう言った。「いい子、おまえ、行くだけでいいんだよ、わたしがいますからね。あの人も決しておまえを辛い目に遭わせたりしないよ。ましてやおまえはこんなに佳い文章を書いたんだから、きっと娘娘もおまえをお庭に行って住まわせようと思われたんだ。旦那様がおまえに二言三言言いつけられるのも、おまえが中でやんちゃをするのを心配されるからだ。旦那様が何を言われても、おまえはただ「はい」、「はい」とお答えしておきさえすればいいんだ。」一方で慰めながら、一方でふたりのばあやを呼んで、こう言いつけた。「ちゃんと宝玉を連れて行っておくれよ。旦那様にこの子を怖がらせてはいけないよ。」ばあやは「はい」と答えた。

 

 宝玉は母屋の方へ行かざるを得ず、(足どりが重くなって)一歩で三寸も進まず、ぐずぐずしながらこちらにやって来た。ちょうど 賈政は王夫人の部屋で相談事をしていて、金釧兒、彩雲、彩鳳、綉鳳らの小間使いたちは、廊下の軒下に立っていた。一目宝玉を見るなり、皆口を窄(すぼ)めて宝玉に微笑んだ。 金釧兒は抱くように宝玉を引っ張り寄せ、こっそりと言った。「わたしの口にはさっき付けたばかりの甘くて良い香りの口紅を塗ったばかりだけど、あなた今回味見される?」 彩雲は 金釧兒を引き離すと、笑って言った。「人様が不安に思われている時に、あなたはまたその人を怒らせるの?――あなたの気持ちが落ち込んでいないうちに、早くお入りなさい。」宝玉は門を押し明け中に入るしかなかった。元々、 賈政と王夫人は奥の部屋にいた。お妾の趙さんが帷をかき上げ、宝玉が身体を押し入れて中に入ると、賈政と王夫人がオンドルの上に対座し話をしているのが見え、土間には椅子が並び、迎春、探春、惜春、賈環の四人がそこに座っていた。宝玉が部屋に入るのを見ると、探春、惜春と賈環が立ち上がった。

 

 賈政が眼を上げると、宝玉が目の前に立っているのが見え、宝玉はふるまいが鷹揚としていて、その容貌は人を虜にするようであった。また見てみると、賈環は人物が下品で見苦しく、ふるまいが粗雑であった。――ふとまた賈珠のことを思い描いた。もう一度見てみると、王夫人はこの自分が腹を痛めて生んだ子供だけを、元々宝物のように愛していた。自分の髭はもう真っ白になっていた。このため、平素は宝玉を嫌悪する気持ちが、思わず八九分方減少していた。しばらくして言った。「娘娘(元妃)がこう言いつけられた。おまえたちは毎日外で遊んで、次第に勉強を疎かにしている。それでこれから、おまえと姉妹たちは大観園の中に拘束して管理すれば、おまえたちはよくよく努力して勉強するようになるだろう。もう一度本文分を守らず、常に勉強に励まなかったら、おまえ、もっと細々した言いつけを受けることになるぞ。」

 

 宝玉は続けて何回も「はい」と答えた。王夫人は宝玉を引き寄せて、自分の横に座らせた。宝玉の姉と弟三人は相変わらず座っていたが、王夫人が宝玉の首や項(うなじ)をまさぐって言った。「前の丸薬は皆飲み終えたのかい。」宝玉は答えて言った。「まだ一錠残っています。」王夫人が言った。「明日また十錠取りにおいで。毎日寝る前に、襲人に手伝ってもらって、飲んでから寝なさい。」宝玉が言った。「お母さまから言いつけられてから、襲人が毎日寝る前にわたしに飲む世話をしてくれます。」

 

 賈政はそれで尋ねて言った。「「襲人」って誰だ?」王夫人が言った。「小間使いです。」賈政が言った。「小間使いが何と言う名前かなんてどうでもいいだろう。誰がこんな悪賢い名前を付けたんだ?」王夫人は賈政の不機嫌な様子を見て、宝玉の代わりに取り繕って言った。「お婆様が付けられました。」賈政が言った。「お婆様がどうしてこんなことを知っているんだ?きっと宝玉だろう。」宝玉はごまかしきれないと思い、立ち上がって回答するしかなかった。「平素詩を読んでいて、曾て古人がある詩の文句でこう言っていまた。「花気は人を襲い、昼暖かきを知る」、この小間使いは姓を「花」と言うので、それで思うまま名付けました。」王夫人は急いで宝玉に向かって言った。「おまえ、帰ったら名を改めなさい。――旦那様もこんな些細なことで怒る必要もないんだから。」賈政は言った。「実際は何の影響もないから、改めなくていいよ。ただ、宝玉が正業の勉強に身が入っておらず、専らこうした濃艶なことばや艶っぽい詩に精力をつぎ込んでいることが分かった。」言い終わると、突然大声で叱りつけた。「この悪いことばかりするろくでなし、まだ出ていかんのか。」王夫人も急いで言った。「行きなさい、行きなさい。お婆様が食事をお待ちよ。」

 

 宝玉は「はい」と答え、ゆっくりと退出して行った。金釧兒に向け、笑いながら舌を伸ばし、ふたりのばあやを連れ、一目散に母屋を離れた。ちょうど穿堂門(前庭から裏庭へ通り抜けの部屋の前後の門)の前まで来ると、 襲人が門に寄りかかって立っていて、宝玉が無事帰って来たのを見ると、満面の笑みをたたえ、尋ねた。「あなたにどうするよう言われたの?」宝玉は言った。「何も無いよ。ただ、僕が大観園に入ってやんちゃをするのを心配されていて、いろいろ言いつけられた。」一方でそう言うと、一方で賈のお婆様の前に行き、いきさつを回答して明らかにした。するとちょうど黛玉がそこにいたので、宝玉は彼女に尋ねた。「君は大観園でどこに住むの?」黛玉はちょうどこのことを思案していたのだが、ふと宝玉が尋ねてくれたので、笑って言った。「わたし、心の中では瀟湘館がいいと思っているの。わたしはあの何本かの竹で、一本の曲がりくねった回廊が隠され、他の場所より閑静なのが好きだわ。」宝玉はそう聞くと、手を叩いて笑って言った。「僕の考えと同じだね。僕も君をあそこに住まわせたいと思っている。僕は怡紅院に住むんだ。僕たちふたりの場所は近いし、また何れも清らかで静かだ。」

 

 ふたりがちょうど打合せていると、賈政が人を派遣してきて賈のお婆様に報告し、こう言った。「二月二十二日は縁起の良い日なので、お兄様方、お姉様方はお引越しいただきます。この数日に人を遣って大観園に入り、それぞれ家の片づけをいたします。」宝釵は蘅蕪院に住み、黛玉は瀟湘館に住み、迎春は綴錦楼に住み、探春は掩書斋に住み、惜春は蓼風軒に住み、李紈は稲香村に住み、宝玉は怡紅院に住むことになっていた。各所それぞれふたりのばあや、四人の女の召使を追加した。各人の乳母付きの女中以外に、専ら掃除と片付けを行う者がいた。二月二十二日に至り、一斉に大観園に入り、すぐさま園内は様々な花が錦のように咲き誇り、木々の枝は刺繍の帯のように木の幹から垂れたり、幹に巻きつき、柳の枝は風が吹くと軽く揺れ、大気には花の香りが立ち込め、もう以前のような物寂しさは感じられなかった。

 

 

 閑話休題、宝玉は大観園に移って来てからというもの、気持ちが満たされ、それ以上何かを求める気持ちが起きず、毎日ただ女兄弟や侍女たちと同じところで、本を読んだり、字を書いたり、琴を弾いたり碁を指したり、絵を描いたり詩を吟じたり、更には刺繍で鸞(らん。中国神話伝説の霊鳥)や鳳など吉祥の図案を描き、庭に咲く花を簪として髪に留め、野草を使い、その名前を当てたり、茎の強さを競うゲームを行い、低い声で詩を吟じ、字で吉凶を占ったり酒席のじゃんけん遊びなど、何でもござれで、たいへん愉快であった。宝玉は以前何首か、『四時即事』(四季の叙事)という詩を書いたことがあり、あまり上手とは言えないが、(まこと)情景であった。

 

春夜即事』に言う:

 

霞の綃(しょう。絹の織物)雲の幄(とばり)は舗(し)き陳(つら)ねるに任し、

巷(こう。路地)を隔てて(かえる)の聴いて未だ真ならず(はっきりしない)。

枕上の軽寒窓外の雨、眼前の春色夢中の人。

盈盈(えいえい。ものが豊富にある)たる燭泪(涙。蝋燭が燃えて流れる蝋)は

誰に因(より)て泣く、

点点(てんてん)と花は愁い我が為に嗔(いか)る。

是れ自り小鬟(かん。小間使い)は嬌懶(きょうらん)するに慣れ、

衾(ふすま。夜具)を擁して笑言の頻(しき)りなるに耐えず。

 

夏夜即事』に言う:

 

綉(ぬいとり。刺繍)に倦(あ)き佳人は幽夢(ゆうむ。ほのかな夢)長し、

金(色)の籠の鸚鵡は茶湯を唤(よ)ぶ。

窓に明るく麝(射。てる)月は宮鏡を開くにより

室(へや)の靄(もや)は檀雲(香霧)の御香を品(品評)するによる。

琥珀の杯を傾ければ荷(ハス)の露滑(すべ)り、

玻璃(はり。水晶)の檻(てすり)柳風の涼なるを納める。

水亭の処処で斉(斉国風)の紈(しろぎぬ)が動き、

帘(れん)を卷き朱楼は晚粧を罷(や)める。

 

秋夜即事』に言う:

 

絳芸軒(大観園の宝玉の住まい)の里(なか)で喧嘩(けんか。騒がしいこと)絶ゆ、

桂魄(月)から光流れ茜(あかね色の)紗(しゃ)を浸す。

苔は石紋を鎖(つな)ぎ鶴の睡(ねむ)るを容(い)れる、

井(の上)に桐(の葉)飄(ただよ)い露は(す)まう鴉(の羽)を湿らす。

衾(ふすま。夜具)を抱き婢(ひ)は至り金鳳(の刺繍の掛け布団)を舒(の)べる、

檻(てすり)に倚り人は帰りて翠花(かんざし)を落とす。

静夜に眠れず酒に因りて(喉が)渴き、

煙は沉(しず)みて重ねて撥(おさ)め茶を烹(に)るを索(もと)める。

 

冬夜即事』に言う:

 

梅の魂竹の夢(時間は)已に三更、

錦の罽(けい。毛氈)鸘(そう。想像上の鳥の名)の衾(ふすま)睡(ねむ)り未だ成らず。

松影一庭惟だ鶴を見る、

梨花地に満つも鶯(の鳴き声)を聞かず。

女奴の翠(みどり)の袖に詩は懐(ふところ)に冷たく、

公子の金貂(の毛皮)も酒力に軽し。

却(かえ)って喜ぶべきは侍兒(侍女)が茗(茶)を試すを知り、

将に新雪を掃き時に及びて烹(に)る。

 

 宝玉の詩の吟詠はさておき、さてこれら何首かの詩について、当時の一部の権勢家の人々が、栄国府の十二三歳の公子が作ったものを見て、書き写して来て、あちこちで褒め称えた。さらに一部の軽薄な子弟が、かのエロチックで妖艶な文句を好み、扇の上や壁に書き、しばしば節を付けて低い声で読み称賛した。このため人に自分の詩文の作品を見せてくれるよう頼まれたり、絵に題詩を作ったり題字を考えたりするのが、宝玉にとって得意とすることで、毎日家でこうした外部からの頼まれごとをこなした。思いがけず静かな中に動きがあり、ある日急に気持ちの余裕が無くなり、これもだめ、あれもだめに思え、外に出ても家に戻っても、気がふさぐばかりだった。大観園の中の女兄弟たちは、正に混沌たる世界で天真爛漫にしている時は、 寝ても覚めても何も気にせず話をし、キャッキャと笑い転げ、誰が宝玉のこの時の心理に気づいたであろうか。かの宝玉はどうしようもなく、庭園の中でぼんやりし、ただ今後のはっきりした目標も見出せず、何とも言いようのない気分であった。男の子の召使の茗煙は宝玉がこのような状態であるのを見て、彼に気晴らしをさせようと思い、あれこれ考えたが、どれもこれも宝玉が煩わしく思うものばかりで、ただひとつだけ、これまで見たことの無いものがあった。それで、書店に行くと、古今の小説、また飛燕、合徳、則天、玉環の「外伝」、そして戯曲の台本を数多く買って、宝玉に贈った。宝玉はそれらを一目見ると、まるで珍宝を得たかのようであった。茗煙はまたこう言い含めた。「大観園に持って行かれてはいけませんよ。人に知られたら、わたしが「要らぬことをしたら、最後まで責任を取れ」と言われますから。」宝玉がどうして持って行かぬことがあろうか。さんざん躊躇して、文章の筋道がちゃんとしているものだけを、何セットか選んで、ベッドの天井に置き、人のいない時に読んだ。ひどく低俗なものは、外の書斎の中に隠しておいた。

 

 その日はちょうど三月の中浣(朝臣が10日毎に帰休し沐浴し、中浣はその月半ば)の日に当たり、朝食後、宝玉は『会真記』(唐代の伝奇『鶯鶯伝』。『西』の元となった話)を全巻携えると、沁芳閘橋の方まで歩いて行くと、そこの桃の花の下の石の上に座り、『会真記』を開くと、最初から詳しく読んだ。ちょうど「落紅成陣」まで読んだところで、一陣の風が吹き、木の上の桃の花が風に吹かれて大量に落ち、その結果、体中、書物中、あたり一面に花びらが落ちた。宝玉はまだ花びらが落ちてくると身構え、足で踏んでしまわないかと気をつけ、それらの花びらを包むと、池のほとりまで来て、それらを池の中に落とした。それらの花びらは水面に浮き、ゆらゆらと漂い、遂には沁芳閘へ流れ出た。

 

 帰ってきて地面にはまだたくさんの花びらがあるのが見え、宝玉がちょうど躊躇していると、背後から人の話すのが聞こえた。「あなたはここで何をしているの?」宝玉が振り返って見ると、黛玉が来たのだった。肩に園芸用の鋤を担ぎ、鋤の上に紗でできた袋をぶら下げ、手には箒を持っていた。宝玉は笑って言った。「ちょうどいいところに来た。君、これらの花びらを皆掃き出して、あそこの水の中に放ってほしいんだ。僕、さっきあそこでだいぶ放ったところなんだ。」黛玉が言った。「水の中に放るのは良くないわ。御覧なさい、ここの水はきれいなのに、花びらを放って流れていくと、人の暮らしているところで、何か影響は無いかしら。相変わらず花を台無しにしてしまうわ。あの角のところに花塚があって、今そこを掃除してきたの。この絹の袋に(花びらを)詰て、あそこに埋めるの。時間が経つと土に還るから、清潔じゃないかしら。」

 

 宝玉はそう聞くと、嬉しくてたまらず、笑って言った。「僕、本を置いて来るから待ってて。君を手伝って片付けてあげるよ。」黛玉が言った。「どんな本なの?」宝玉はそう聞かれたので、大慌てで隠そうとし、それでこう言った。「『中庸』や『大学』の類に過ぎないよ。」黛玉が言った。「あなた、またわたしの前でこそこそ悪だくみをしてるのね。早いとこわたしにお見せなさい。とてもたくさんあるじゃない。」宝玉が言った。「いや、君について言えば、僕は心配していないさ。見てごらん。ともかく、他の人には言わないで。本当にすばらしい文章なんだ。読みだしたら、食事もしたくなくなるほどなんだ。」そう言いながら、本を黛玉に手渡した。黛玉は持っていた道具を放り出すと、本を受け取って読んだ。最初から読んでみると、読めば読むほどその本が好きになり、食事の時間も考えずに、もう何幕も芝居の台詞を読んだ。しかし詩文中の美しい文句は人への戒めで、読むとその余韻が口一杯に広がった。一方で本を読みながら、その内容にうっとりしさえすれば、心の中で黙々と暗唱した。宝玉は笑って言った。「ねえ、すばらしいでしょ?」黛玉は笑いながら頷いた。宝玉は笑って言った。「僕がつまり「愁いと病多き身」で、君がつまり「国や都を傾ける美女」(どちらも『西』の中の台詞)なんだ。」黛玉はそう聞くと、思わず頬っぺたから耳まで真っ赤になり、すぐさま二本の顰めているようで顰めていない眉を吊り上げ、ふたつの見開けているようで見開けていない眼でじろりと睨み、桃のような頬には怒りを帯び、恥じらいの中に幾分怒りを帯びた顔つきで、宝玉を指さして言った。「あなたという死に損ないは、でたらめばかり言って。うまいこと言って、こうした淫らなことばや艶っぽい音楽を弄んで、こうしたろくでもない話をして、わたしをいじめるのね。わたし、叔父様、叔母様に言いつけてやるから。」――「欺負(いじめ)」の2文字を言うや、彼女の目の周りは赤くなり、向こうを向いて行ってしまった。

 

 

 宝玉は慌てて、急いで前へ行くと彼女を引き留めて言った。「いい娘だから、何とか今回は許して。もし君をいじめる気持ちがあるなら、明日僕は池に身を投げ、しらくも頭のすっぽんに食べられて、大きなすっぽんになるよ。君が明日「一品の位の令夫人」になられ、年老いて西方浄土に帰る時、僕は君のお墓に行って、君のため、一生涯君のお墓を守るよ。」そう言うと、黛玉は「クスッ」と笑い、一方では眼を擦りながら、一方では笑って言った。「見かけの上はこんな風に脅かしておいて、結局気兼ねもせずにでたらめを言うのね。――ふん、実際は、「銀に見せかけ半田で作った槍」だわ。」宝玉はそれを聞いて、笑って言った。「君が言っているのは、このことかな?僕にも言わせててよ。」黛玉は笑って言った。「あなたは「一遍見たら暗唱できる」のでしょうけど、どうしてわたしは「一目見て十行覚える」ことができないのかしら。」宝玉は一方で本を片付けながら、一方で笑って言った。「真面目に早く花びらを埋めてしまおうよ。そんなこと、もう持ち出さないで。」ふたりはそして落ちた花びらを片付けた。

 

 

 ちょうど花びらを埋めるのが一段落した時、ふと襲人が歩いて来るのが見え、こう言った。「どこにもいらっしゃらなくて、ここまで来ました。あちらでは、大旦那様のお身体の具合が良くなくて、お嬢様方が皆お見舞いに行かれました。お婆様があなたに行かれるよう人を遣わされました。早く帰ってお着換えなさいませ。」宝玉はそう聞くと、急いで本を持ち、黛玉と別れ、襲人と一緒に部屋に戻ると、着替えをしたが、このことは述べない。

 

 ここで黛玉は宝玉が行くのを見送り、他の姉妹たちも部屋にいないと聞き、自身は悶々とした気分であった。ちょうど部屋に帰ろうと思い、梨香院の塀の角まで歩いて来ると、塀の中から笛の音色が聞こえてきた。抑揚があり、歌声が抑揚があって滑らかで、黛玉はこれが十二人の少女たちの芝居の練習だと知った。わざわざ聞きに行こうとまで思わなかったが、たまたま二句の台詞が耳に聞こえ、一文字も欠けることなくはっきり分かった。「何かと思えば、姹紫嫣紅 chà zǐ yān hóng(春に花々が華麗に咲き誇る様)の幕開きで、このようであるのに、井戸は枯れ垣根は崩れ……」(『牡丹亭・絶夢』の一節)黛玉はこう聞いて、たいへん感慨を催し、その気持ちが身に纏わりつき離れなくなり、それで足を止め、耳をそばだてよく聞くと、またこのように歌った。「かくも麗しい春の日も、時は虚しく過ぎてゆく。心を楽しませる快楽は、いったいどの家にあるのだろう……」この二句を聞いて、思わず頷いて自ら嘆き、心の中でこう思った。「実は芝居にも良い文章があるのに、残念ながら世の中の人々は芝居を見るだけで、必ずしもその中の面白みを理解しようとしない。」そう思うと、またこんなばかげた空想で、曲を聞くのを無駄にしたと後悔した。また聞くと、ちょうどこう歌っていた。「ただあなたは花が綻びる如く容貌がかわいく美しいが、時間は水の流れる如く後戻りすることがない(如花美眷、似水流年)……」黛玉はこの二句を聞いて、思わず心が激しく動揺した。また聞こえてきたのは、「あなたは奥深い閨房(女性の部屋)で慈しまれてきた……」などの句は、発せられる度に酔うが如く恍惚とした気持ちになり、立っていられず、身を屈(かが)めて山の石の上に座り、「如花美眷、似水流年」の八文字の味わいを細かく咀嚼した。ふとまた前日読んだ古人の詩の中に、「水は流れ花は散る両(ふたつ)の無情」の句があったのを思い出した。また詞の中にも「水は流れ花は落つは春去りて也、天上の人間」の句があった。また併せて先ほど『西』の中にも「花落ち水流れば紅、閑(おろそか)なる愁いは万種」の句があり、どれもある時ふと思い出して見ると、皆同じことを言っているのである。詳細に推し量ると、思わず心の痛みが駆け抜け、眼に涙する。正に解決の方法が見つからない中、ふと背後で誰かが彼女を叩いたので、振り返って見ると、――さてそれは誰だったのでしょうか、次回に解説いたします。

 

・西廂記(せいそうき):元の王実甫(おうじっぽ)による雑劇で、元曲の代表作。旅の書生、張君瑞と宰相の娘である崔鶯鶯の、身分を超えた恋愛を描く。

 

・ 牡丹亭:昆曲(昆劇)の演目の一つ。明代(1368~1644)の劇作家湯顕祖(とうけんそ)の代表作であると同時に、昆曲を代表する作品。主人公杜麗娘と柳夢梅とのラブストーリー、明代に多い典型的な「才子佳人」の物語。

 121日は薛宝釵の15歳の誕生日。賈のお婆様が盛大な誕生会を開いてくれるのですが、そこで催された芝居の歌の台詞から、賈宝玉は自分が禅の悟りに達したように感じます。しかしそれも林 黛玉に反駁されて、元の木阿弥に。一方、ちょうど小正月の元宵節に当たり、宮廷の元妃より、なぞなぞの書いたランタンが届けられ、栄国府内で、子供たちがなぞなぞを作ってランタンに貼っていきます。賈政はそのなぞなぞの内容を見て、一族の将来への不吉な言葉を見つけ、落胆します。『紅楼夢』第二十二回をご覧ください。

 

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曲文(芝居の台詞)を聴き宝玉は禅機(禅で無我の境地から宗旨を体得した者の心の働き)を悟る

灯謎( 元宵節に吊るすランタンに書かれたなぞなぞ )を制(つく)り賈政は讖語(しんご。未来の吉凶・禍福を説く言葉。予言)を悲しむ

 

 さて、賈璉は鳳姐が相談したい話があると聞き、それで歩みを止めて尋ねた。「何の話?」鳳姐は言った。「二十一日は薛ちゃん(薛宝釵)の誕生日だけど、あなた、どうするおつもり?」賈璉は言った。「俺がどうすれば良いか分かると思うか?おまえはどれだけの「大生日」(十年毎の節目の誕生日)でも皆対処してきたじゃないか。今回はと言われても、俺には意見が無いよ。」鳳姐は言った。「十年毎の節目の誕生日には一定の決まりがあるの。今、あの娘の今回の誕生日は、年齢が行き過ぎている訳でもなく、幼すぎる訳でもない。だからあなたに相談しているの。」賈璉はそう聞くと、下を向いてしばらく考えていたが、こう答えた。「おまえはやっぱり間抜けだな。今は比較というのがあるよ。あの林ちゃん(林黛玉)を例にすればいい。去年林ちゃんの時にどうしたかを基準にして、今回もそれに基づき薛ちゃんにお祝いしてあげたらいいよ。」

 

 鳳姐はそう聞いて、冷ややかに笑って言った。「わたしがそんなことも知らないと言うの。わたしもそう考えたわ。けれども昨日お婆様に言われて、皆の誕生年を尋ねてみたら、薛ちゃんが今年十五歳で、十年毎のちょうどの歳ではないけど、簪を使う年齢になった(女性が成人になること)と見做されるの。お婆様は彼女のために誕生日をしてやらねばとおっしゃったから、当然去年林ちゃんにしたものとは違うわ。」賈璉は言った。「それなら、林ちゃんの時より少し豪華にすればいい。」鳳姐が言った。「わたしもそう思って言ったから、あなたもこんなふうにおっしゃったのね。でも、わたしが勝手に付け足したら、あなたはまたわたしが事前に相談しなかったと咎(とが)めるでしょう。」賈璉は笑って言った。「まあ、まあ。そんな有りもしない気持ちを俺は受けないぞ。おまえはおれを詮索しない、それで十分だ。俺がそれでもまだおまえを咎めたか。」そう言うと、そのまま出て行ってしまったが、このことはそれで置く。

 

 さて湘雲は二日間ここに泊まり、家に帰ろうとしたが、賈のお婆様は言った。「おまえ、宝ちゃんの誕生日をお祝いして、芝居を見て、それからお帰り。」湘雲はそう聞いて、もう何泊か泊まらざるを得なくなり、また一方で人を遣って家に帰らせ、自分が以前作った2つの刺繍で作ったものを取って来させ、宝釵への誕生日の贈り物にすることにした。

 

 なんと賈のお婆様は宝釵が来てからというもの、彼女が落ち着きがあり穏やかなのを喜び、ちょうど彼女がお屋敷に来て初めての誕生日を過ごすのに当たり、自ら二十両の資金を拠出し、鳳姐を呼んで、金を渡して彼女に宴席や芝居の準備をさせた。鳳姐は調子を合わせて、笑って言った。「ご長老様(「老祖宗」。賈のお婆様)ともあろうお方が、子供たちに誕生日を祝ってやるなら、どんな形でやるにしても、誰も敢えて反対などしないでしょう。またどんな名目で酒席を行うのですか?愉快であるからには、賑やかでないといけないのに、ご自身が数両ぽっちのへそくりを出すなどと言ってはいけません。これは遅かれ早かれこのカビの生えた二十両の銀子でホストになられ、その意味は更にわたしたちに足りない分を足せということでしょう。もしお金が出せないということなら、それでも構いません。金でも、銀でも、丸い貨幣でも、平たい貨幣でも、箱の底にうず高く積まれているのに、ただわたしたちに強要されるんですね。ご長老様、見てみてください。この中に、ご当家の息子、娘でない者がいますか。まさか将来宝兄さん(宝玉)さえご当家の柩の行列の先頭に立って五台山(直接墓地と言うのは憚られるので、仏教の聖地の五台山に登ると言った)に登ればいいって訳じゃないですよね。あれらのお金は宝兄さんにだけ残してやるんですね。私たちがこれらの財産を使わせてもらえなくても構いませんが、でも私たちにあまり無理難題をかけないでください。――これは酒席のゲームに使うお金ですか。」そう言うと、部屋中から笑い声が起こった。 賈のお婆様も笑って言った。「みんなもこのおしゃべりの話を聞いたかい。わたしも物が言える方だと思うが、どうしたらこのお猿さんを言い負かせるのかね。――おまえのお母さん( 邢夫人)もこんな無礼な強弁はようなさらないよ。おまえこそわたしとバンバン言い合いができるよ。」鳳姐は笑って言った。「わたしの母も同じように宝玉をかわいがっていて、わたしも濡れ衣を晴らすところが無いのです。それなのに、わたしが強弁だなどとおっしゃって。」そう言うと、また賈のお婆様をひとしきり笑わせた。賈のお婆様はたいへん喜ばれた。

 

 夜になって、人々は皆賈のお婆様の前に集まり、お休みの挨拶の後、女たちが話したり笑ったりしていると、賈のお婆様が宝釵にどんな芝居が好きか、どんな食べ物が好きか尋ねた。宝釵は賈のお婆様がお年寄りなのをよく考え、賑やかな芝居を喜ばれ、甘いものや柔らかいものがお好きだろうと思い、すべて賈のお婆様がふだんお好きなものに基づきひと通り申し上げた。それで賈のお婆様は尚更喜ばれた。翌日、賈のお婆様が先に衣服やおもちゃを送り、王夫人、鳳姐、黛玉ら関係する人々は皆、自分の身分や宝釵との関係に合わせて、それぞれ贈り物を送ったが、一々細かく言うまでもない。

 

 二十一日になり、賈のお婆様のお屋敷の中庭に、家庭用の巧みに作られた芝居の舞台が掛けられ、新しい小芝居の一座を呼ぶことに決めたが、彼らは昆腔(昆曲の節回し)と戈陽腔(江西戈陽の地方劇の節回し)どちらも歌うことができた。賈のお婆様の屋敷の母屋には何席か家宴の酒席が並べられ、外部からの客はひとりもおらず、ただ薛叔母さん、史湘雲、宝釵だけがお客様で、それ以外は皆賈の一族の者だった。

 

 この日朝起きると、宝玉は黛玉の姿が見えなかったので、彼女の部屋を尋ねた。すると黛玉はオンドルの上で寝そべっていたので、宝玉は笑って言った。「起きてご飯を食べに行こうよ。――芝居が始まったら、君はどの劇が聞きたい?僕、選んであげるよ。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「あなた、そう言ったからには、特にひとつ芝居を選んで、わたしが好きな芝居を歌って聞かしてちょうだい。今わたしにわざわざ尋ねる必要はないわ。」宝玉は笑って言った。「そんなの何も難しくないよ。明日芝居の一座を呼ぶのでも、わたしたちの名声を使わせてやればいいのさ。」そう言いながら、一方で黛玉の手を引っ張り、手を携えて出て行った。

 

 食事をして、芝居の演目を選ぶ時、賈のお婆様は一方で先に宝釵に演目を選ばせた。宝釵は一度は辞退したが、そうもいかず、それで『西遊記』を選ぶしかなかった。賈のお婆様が好きな演目であった。また薛叔母さんにも選ぶよう言ったが、薛叔母は宝釵が選ぶのを見て、どうしても自分も選ぼうとはしなかった。賈のお婆様はそれで特に 鳳姐に命じて選ばせた。鳳姐は 邢夫人、王夫人の面前ではあったが、賈のお婆様の命令であったので、それに背く訳にはいかなかった。しかも賈のお婆様が賑やかなのがお好きで、更に滑稽で可笑しいのがもっとお好きであったので、先ずひとつ選んだのだが、それは『劉二当衣』であった。賈のお婆様は果たして更にまた喜ばれた。その後、黛玉に命じて選ばせたが、黛玉もまた王夫人らに先に選んでもらおうとした。賈のお婆様は言った。「今日はもともと特にあなたがたを連れて来て、一緒に愉しもうと思ったんだよ。わたしたちは自分たちのことだけ考えればいいんで、あの人たちのことは考えなくていいんだよ。わたしがわざわざ芝居を演じたり酒席を設けたのは、あの人たちのためかい?あの人たちはただで芝居が見れて、ただで食事ができて、それだけでもう得をしているのに、まだあの人たちに芝居を選ばせるのかい。」そう言うと、皆が笑った。黛玉はそれでようやく芝居をひとつ選んだ。その後、宝玉、 史湘雲、迎春、探春、惜春、李紈らが皆それぞれ芝居を選び、順番に演じられた。

 

 

 酒宴が始まると、賈のお婆様はまた宝釵に命じて芝居を選ばせ、宝釵は一幕の『山門』を選んだ。 宝玉は言った。「君はこういった芝居を選ぶしかなかったんだね。」宝釵は言った。「あなたは何年も芝居を見てきたのに、この芝居の本当の良さをご存じないのね。――格式もことばの修辞もどちらもすばらしいわ。」宝玉は言った。「僕はずっとこういった賑やかな芝居が苦手なんだ。」宝釵は笑って言った。「もしこの芝居を「賑やか」だと言うなら、あなたはなおさら芝居のことをご存じないんだわ。こっちに来て。わたしが教えてあげるわ。この芝居は、「北点絳jiàng唇」という北方のメロディーで、音律の調和が取れ、力強く、その音律は言うまでもなくすばらしい。その台詞のことばの中でも、「寄生草」はとても優れているのに、あなた、ご存じなかったの。」宝玉は彼女の言った内容がたいへん良かったので、近寄って懇願した。「大好きなお姉さん、僕にちょっと歌って聞かせて。」宝釵はそれで宝玉に、次のように歌って聞かせてやった。

 

   暫し英雄(魯智深)は涙を拭き、処士(隠士の趙員外)の家を離る。慈悲を謝し、蓮台の下で剃度(剃髪し得度する)す。縁法(縁も方法も)無く、眼を転ずればたちまち分離を要す。裸一貫、出家の身に何ら世俗のしがらみ無し(赤条条、来去無牽掛)。何処(いずこ)に求めん、身は蓑笠を纏い独り雲遊するを。我に任せよ、草鞋を履き破れ鉢を持ち縁に随い流浪するを。

 

宝玉はこれを聞いて、嬉しくて膝を叩き首を揺すり、称賛して已まなかった。――また宝釵を称賛すること、知らぬ者は無かった。黛玉は口をへの字に曲げて言った。「ちょっと静かにして芝居を見ましょう。まだ『山門』を歌っていないのに、あなたは『粧瘋』(「装瘋」zhuāng fēngと発音が同じ。気の振れたふりをする)なさったのね。」そう言うと、湘雲も笑った。そして皆で芝居を見て、夜になってようやくお開きになった。

 

 賈のお婆様は、芝居の一座で娘役の役者と道化役の役者がたいへん気に入り、人に命じて連れて来させ、よく見ると、益々可愛らしく見えた。それで年齢を聞くと、娘役はやっと十一歳、道化役はやっと九歳だったので、皆は一度ため息をついた。賈のお婆様は人に命じて別に少々肉とお菓子を取って来させて彼らふたりに与え、またそれとは別に心付けの銭を与えた。鳳姐は笑って言った。「この子は扮装すると誰かさんにそっくりだったけど、あなたがた分からなかったみたいね。」湘雲はそれで続けて言った。「わたし、分かったわ。まるで林ちゃんのようだった。」宝玉はそう聞くと、慌てて湘雲をちらっと見た。皆はこの話を聞くと、この役者たちをじっくり観察し、皆笑い出して言った。「確かに林ちゃんに似ている。」しばらくして皆は帰って行った。

 

 夜になって、湘雲は翠縷に命じて衣裳カバンを片付けさせようとすると、翠縷が言った。「何を慌てておられるんですか。出掛けられる時に包んでも遅くないでしょう。」湘雲が言った。「明日朝出発するのに、まだここで何をするの。――この家の人たちの顔色を見てみてよ。」宝玉はこの話を聞いて、急いで近づいて来て言った。「いい娘ちゃん、君は僕のことを誤解しているよ。林ちゃんはよく気を回す性質(たち)なんだ。他の人たちはそのことをよく分かっているから、口に出しては言わないんだ。皆彼女が気を病むのを心配しているんだ。それなのに、なんと君は気にかけずに言ってしまったものだから、林ちゃんが気を病んだんじゃないかな。僕は君が人の恨みを買うんじゃないかと心配して、それで目くばせしたんだ。君は今回は僕を悩ませたんだから、僕の信頼を裏切ったんだぞ。他の人だったら、たとえ人の恨みを買ったって、僕とは何の関係も無いよ。」

 

 湘雲は手を強く振り払って言った。「あなたは美辞麗句を並べて、わたしの言うことに耳を傾けていないわ。わたしは元々あなたの林ちゃんにかなわないわ。他の人が林ちゃんをからかうのは良くて、わたしが言うのはだめなのね。わたしはそもそもあの娘と話をする資格がないんだわ。あの娘はお屋敷のご主人のお嬢様で、わたしは奴隷の小間使いなのね。」宝玉は慌てて言った。「僕は元々君に良かれと思って言ったのに、却って君を困難に陥れてしまったね。僕に悪気があるなら、直ちに燃やされて灰になり、何万という人の足で踏まれてしまうよ。」湘雲は言った。「お正月から、そんな口から出任せに、情理に合わない話をしないで。あなた、言うんだったら、ああいう料簡の狭い、怒りっぽくて情緒が不安定で、あなたを束縛する人たちに向かって言いなさいよ。わたしを侮辱するようなことを言わないで。」そう言うと、賈のお婆様の部屋に行き、プリプリ怒って横になった。

 

 宝玉は面白くないので、また黛玉を捜しに来ざるを得なかった。ところがなんと門を入るや、黛玉に追い出され、門を閉ざしてしまった。宝玉は何のせいか分からず、窓の外で低い声で呼びかけた。「良い娘ちゃん、良い娘ちゃん。」黛玉は全く宝玉を相手にしなかった。宝玉は悶々として、首をうなだれ黙っていた。紫鵑は詳しい経緯(いきさつ)を知っていたので、この際、諫めることはできないと思った。

 

 かの宝玉はただぼんやり突っ立っていた。黛玉は宝玉がもう帰ったろうと思い、門を開けると、宝玉がまだそこに立っていた。黛玉は再び門を閉めるのも申し訳なく思っていると、宝玉が一緒に付いて入って来て、尋ねた。「何事も皆理由があるはずで、言ってくれれば、誰も悔しい思いをしなくて済むよ。とっても怒っていたけど、一体どうしてなの。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたしに聞いているの?わたしもどうしてか分からないわ。わたし、もともとあなたがたにばかにされたのよ。――わたしのことを芝居にかけて、皆さんがたのもの笑いの種にされたのよ。」宝玉は言った。「僕、決して君を引き合いに出していないし、君のことを笑っていないのに、どうして僕に腹を立てるの?」黛玉が言った。「あなたはやっぱりわたしを引き合いにだしているし、物笑いの種にしているわ。あなたは人と比べもしていないし笑いもしていないと言うけど、回りの人たちが他と比べたり笑ったりしているのよりもっと酷いわ。」宝玉は話を聞いて、弁解のしようもなかった。

 

 黛玉はまた言った。「このことはまだ許してあげる。あなたはどうしてまた雲兒に色目を使うの?これはいったいどんな魂胆があるの?雲兒はわたしを弄(もてあそ)ぼうと思って、わざと自分を蔑(さげす)んでいるんじゃないの。あの娘は公侯(公爵や侯爵)の娘で、わたしは元々民間の娘に過ぎませんから。彼女がわたしを弄び、わたしが口答えするよう仕向けたのは、彼女が自分で自分を蔑むように仕組んだんでしょ?――あなたはそういう考えなんでしょう?あなたはいい人なんだけど、ただその点だけは、人があなたの好意を受入れてくれないから、普段から悩んでいるんでしょ。あなたはわたしのことを尊重してくれるけど、でも結局わたしのことを「了見が狭く、感情が高まりやすく、怒りっぽい」人間だと言ってるんでしょ。あなたはまた雲兒がわたしを恨んでるんじゃないかと心配して、――わたしが彼女を恨むと、あなたとどんな関係があるの、彼女がわたしを恨むと、あなたとどんな関係があるの?」

 

 宝玉は話を聞いて、ようやく先ほど湘雲とこっそり話していたのを、黛玉にも聞かれていたことを知った。細かく考えると、自分はもともと彼女たちふたりが怒っているんじゃないかと心配し、それで中間で調停しようと思ったのだが、思いがけず自分が却ってその両方から恨まれる結果になってしまった。正に前日読んだ『南華経』(つまり『荘子』)の中の、「巧者は労(つか)れ、智者は憂い、無能なる者は求める所無く、蔬食し遊びを邀(もと)め、泛(あまね)く系(つな)がぬ舟の若し。」また曰く、「山の木は自ずと寇(あだ)(良い木から伐採されてしまう)し、源の泉(の水)は自ずと盗まる」などの句のようであり、このため考えれば考えるほど興ざめしてしまった。更に細かく考えてみるに、「今はここにいる何人かでも、対応で妥協することができないのに、将来はさらにどうすればいいのだろうか?……」そこまで考えても、弁解することができず、宝玉は後ろを向いて部屋に帰った。黛玉は宝玉が行ってしまったのを見て、振り返って考えてみると、宝玉が面目を失い、怒ってこの場を去り、一言も発しなかったので、黛玉は思わず自分が一層相手を怒らせてしまったと知り、それで言った。「今回のことで、宝玉とは一生別れ別れになるわ、――もう話をすることもないでしょう。」

 

 かの宝玉は相手にせず、自分の部屋に帰って来て、ベッドに横になると、ただ悶々としていた。襲人は元々の経緯(いきさつ)をよく知っていたのだが、敢えて口を挟むことはせず、ただ別の用件を説明することで、笑って言った。「今日芝居を見た後に、また何日か別の芝居の上演の手配がされました。宝お嬢様はきっとお返しの宴会をされるに違いございません。」宝玉は冷ややかに笑って言った。「彼女がお返しをするかどうかが、僕と何の関係があると言うの?」襲人は宝玉の応答がいつもと違うので、それで笑って言った。「どうしてそんなふうにおっしゃるの。良いお正月で、お嬢様方もお姉さま方も楽しく過ごされていますのに、あなたはまたどうしてこんなふうなのですか。」宝玉は冷ややかに笑って言った。「このお屋敷の女の子たちやお姉様方が楽しく過ごされているかどうかも、僕とは関係無い。」襲人は笑って言った。「みなさんが穏やかに過ごされているのですから、あなたも少し穏やかな気持ちになられたら如何ですか。」宝玉が言った。「「皆がお互いに」ってどういうことだ?――他の人たちは「皆がお互い」だが、僕はひとりだけ、裸一貫、世俗のしがらみ無し(赤条条、来去無牽掛。「寄生草」の一節)だ。」そこまで言うと、思わず涙が流れ落ちた。襲人はこの情景を見て、もうそれ以上何も言うことができなかった。宝玉はこの言葉の意味を細かく考えるにつれ、思わず声を上げて泣き出した。身を翻して立ち上がり、机の傍まで行くと、筆を取って、直ちに一偈(いちげ。偈とは、仏教の教えをほめたたえる韻文)を我がものとした。

 

  爾が証(あか)し我が証し、心を証し意を証す。是(こ)れ証(あかし)有るにあらず、斯れ証と雲(い)う可けんや。証と雲う可き無し、是れ立つに足(た)る境(境遇)なり。

 

  (あなたとわたし双方が、自分が既に悟りに達したと思い、互いに心の中で相手のことを悟ろうと試みるが、このような悟りは主観的な認識で、真の悟りとは言えない。

  わたしたちが自分はまだ本当は何も悟っていないと考え、もう相手を検証するような行動をしなくなった時、それこそ真の悟りである。

  より一歩進めて言えば、わたしたちが外に向け検証をする必要が無くなり、自らの悟りを証明する必要もなくなった時、わたしたちは自らが立つべき境遇を見つけ出したことになる。)

 

書き終わると、自分は悟りを解したが、また人が見ても理解できないのを恐れ、それでまた一つ「寄生草」の曲文を書き加え、偈(げ)のうしろに書いた。一度これらを読んでみて、心の中で何ら引っかかる点が感じられなかったので、ベッドに入って眠った。

 

 あろうことか、黛玉は宝玉がこの時きっぱり出て行ってしまったので、襲人を尋ねるのを訪問の理由にして、宝玉の動静を見に来た。襲人は答えて言った。「もうお休みになられました。」黛玉はそう聞くと、帰ろうと思ったが、襲人が笑って言った。「お嬢様、ちょっとお待ちになって。書き付けが一枚あって、どんなことが書いてあるのか、ちょっと見てみましょう。」宝玉が先ほど書いたものを持って来て、黛玉に見せた。黛玉はそれを見て、宝玉が一時の憤(いきどう)りで作ったものと知り、思わず可笑しく、また嘆かわしかった。それで襲人に言った。「書かれたのはくだらない内容で、別にどうということも無いものです。」そう言うと、自分の部屋に持って帰った。翌日、宝釵、湘雲と一緒に見たが、 宝釵がその詞をこう詠んだ。

 

   我無く原(もと)爾(なんじ)に非ず、他(宝玉)従(よ)り伊(黛玉)を解せず。肆(ほしいまま)に行き碍(さまた)げ無く憑(つ)き来たり去る。茫茫として甚だ悲しみ愁い喜ぶ?紛紛と説(と)く甚だ親疏密か。前従(よ)り碌碌(多忙)たるは何に因(よ)るか。今に到り、頭(こうべ)を回(めぐ)らし試みに想(おも)えど真に趣無し。

 

見終わると、またその偈を見て、笑って言った。「これはわたしのことじゃないわよね。わたしは昨日芝居の台詞で、あの人をこのことで怒らせたわ。こういった道書(仏教の経典)の機鋒(ほこ先。禅宗の禅師が修行者を悟りに導く技巧のひとつ)は、たいへん移ろいやすいもので、明日真面目にこうした情理に合わない話を説明してあげるわ。(宝玉が)こんな観念を持ったのは、ひょっとするとわたしがこの曲(芝居の台詞)のことを言ったからじゃないかしら。わたしが問題の元凶になってしまったわ。」そう言いながら、その書き付けを細かく裂いてしまい、小間使いたちに手渡し、大声で言った。「早く燃やしてしまって。」黛玉は笑って言った。「引き裂いちゃいけないわ。わたしがあの人に聞くまで待って。あなたたち、わたしに付いて来て。きっとあの人にこんなばかな考えをやめさせられると思うわ。」

 

 三人はそう言いながら、宝玉に会いに来た。黛玉が先に笑って言った。「宝玉、ちょっと聞くけど、最も貴いものが「宝」で、最も堅いものが「玉」。爾(なんじ)は何が貴く、爾は何が堅いの?」宝玉は意外にも答えることができなかった。ふたりは笑って言った。「こんなに愚鈍な人が、まだ禅の修行をしようと言うの。」湘雲も手を叩いて笑って言った。「宝兄さんの負けだわ。」黛玉がまた言った。「あなたが「証と雲う可き無し、是れ立つに足(た)る境(境遇)なり」と言ったのは、もちろん良いけれども、ただわたしが見たところ、まだ善を尽くしていない。わたしがこの続きに二句付け足すわ。それはこうよ。「立つに足(た)る境無くんば、方(はじめて)是れ乾浄(けんじょう。私欲が無く、清らかでさっぱりしている)たり。」」宝釵が言った。「本当に、これでようやく完全に会得したと言えるわ。昔、南宗六祖の恵能が初めて師を尋ねて韶州に至った時、五祖の宏忍が黄梅にいると聞き、彼は炊事担当の僧となった。五祖が後継者を捜したいと思い、諸僧に各々一偈を出すよう命じると、上座神秀が言った。「身は菩提樹、心は明鏡台の如し。時時(いつも)勤めて拂拭(ふっしょく。きれいに明鏡の汚れを拭い去る)し、塵を有らしめる莫し。」恵能は厨房で米を搗いていたが、それを聞いて言った。「美しきは則ち美しくも、了(おわ)るかといえば則ち未(いまだ)しなり。」それで自ら一偈を念じて曰く、「菩提は本(もと)樹に非ず、明鏡もまた台に非ず。本来は一物で無きに、何れの処にか塵埃に染まる?」五祖は衣鉢(いはつ)を恵能に伝えた。今日のこの偈のことばもまた同じ意味だけど、ただ先ほどの句の機鋒(ほこ先)は、まだ完全には完了していなくてこれは手を引かないといけないんじゃない?」黛玉は笑って言った。「宝玉が答えることができなかったら、宝玉の負けよ。今回はちゃんと答えられても、特にすごいとは言えないわ。ただ今後二度と禅を語るのを許さないだけだわ。――わたしたちふたりでも知っていてやれることが、あなたはまだ知らないしやれないのに、まだ何が禅の修行よ。」宝玉は自分では悟りをひらいたと思っていたものが、思いがけず、突然黛玉に尋ねられるや、答えることができなかった。宝釵はまた禅宗の「語録」を引っ張り出してみたが、これは元々自分たちができるようなことではなかった。自分で繰り返し考えてみたが、「元々こうした禅宗の先達はわたしの知覚より先を行っているのに、それでもまだ悟りを開かれていない。わたしは今どうしてわざわざ自ら苦悩を尋ねる必要があるのか。」そう考えると、笑って言った。「誰がまた禅の修行をするの?こんなの一時の冗談話に過ぎないわ。」そう言うと、四人はまた以前のような関係に戻った。

 

 

 突然人が報告しに来て言うには、貴妃殿下(元春)が人を遣わし、灯謎(元宵節に吊るすランタンに書かれたなぞなぞ)を送って寄越され、賈家の人々皆でそのなぞなぞを解き、解いたら各人もなぞなぞをひとつ作って送って来るよう命じられた。四人はそう聞いて、急いで賈のお婆様の屋敷の母屋に行くと、若い宦官がひとり来ていて、手に一脚の四角形で天井が平らで白い紗を貼ったランタンを持っていたが、これは 専ら灯謎用に作られたもので、その上には既になぞなぞがひとつ書かれ、集まった人々は皆争ってなぞなぞの内容を見て、それを解こうとしていた。若い宦官はまたご指示を下され言った。「皆さま、お嬢様方はなぞなぞを解かれても、口に出して言われないように。各々こっそり答を書いて、一斉に封をして宮廷に送って来れば、後で貴妃殿下が自ら合っているかどうか確認されます。」

 

 

 宝釵はそう聞くと、前に近寄って見た。それは一首の七言絶句で、別に新奇なものではなかったが、口から称賛のことばがいくつも出て、ただこう言った。「難しいわ。」わざと考えるふりをしたが、実は一目見て解けていた。宝玉、黛玉、湘雲、探春の四人も皆解け、各自こっそり答を書いた。併せて賈環、賈蘭らが呼び出され、一斉に苦心惨憺して解き、答を紙に書き、その後各人がある物を使ってひとつのなぞなぞを作り、恭しく楷書で書いて、ランタンの上に掛けた。

 

 宦官は帰られたが、夜になってまた来られ、諭旨を伝えられた。「前日貴妃殿下が作られたなぞなぞは、皆が既に解かれました。ただふたりのお嬢様と三人の殿方の答が間違っていました。お嬢様方が作ったなぞなぞは皆解きましたが、合っていますか?」そう言うと、書いたものを取り出したが、合っているものも、合っていないものもあった。宦官はまた 元春貴妃から賜ったものを、答が合っていた人たちに渡したが、各人ひとつの宮廷制作の詩箋を入れる封筒と、茶筅ひとつであった。ただ迎春と賈環のふたりはもらえなかったが、迎春は些細なことと、意に介さなかった。賈環は面白くないと思った。また宦官がこう言うのが聞こえた。「三爺(賈環)が作られたなぞなぞは意味が分からず、貴妃殿下も解かれることができませんでしたので、わたしに持って行って、三爺に何か尋ねて来るようにとのことでございました。」人々はそう聞いて、皆 賈環が何を書いたのか見に来た。――こう書かれていた。

 

   上の兄さんの角は八本、二番目の兄さんは角が二本。上の兄さんはただベッドの上に座り、二番目の兄さんは部屋でしゃがむのが好き。

 

人々は見て、大声で笑った。賈環は仕方なく宦官に言った。「答えはひとつの枕、ひとつの鬼瓦です。」宦官は書き記すと、お茶をもらって帰った。

 

 賈のお婆様は元春がこのように楽しんでいるのを見て、自分も嬉しくなり、人に命じて小さくて精巧な屏風のように折りたためるランタンを一基作らせ、母屋の中央の部屋に取り付け、姉妹たちに各自なぞなぞをこっそり作り、書き出して、このランタンの屏風の上に貼らせた。その後、香りの良いお茶や凝ったお茶請けと、様々な玩具を用意し、なぞなぞが正解だった者たちのためお祝いをした。賈政は朝見が終わって帰ってくると、賈のお婆様が楽しそうにしていて、ましてや元宵節の期間でもあるので、夜もお婆様のお伴をして、楽しんでいただくようにした。上手の方には、賈のお婆様、賈政、 宝玉が一卓。王夫人、宝釵、 黛玉、 湘雲でまた一卓。迎春、探春、惜春の三人がまた一卓。共に下手に置かれた。土間は年寄りの召使や小間使いたちが部屋一杯に立ち並んでいた。李宮裁(李紈のこと。宮裁は字(あざな))と王熙鳳のふたりは奥の部屋にまた一卓設けられた。

 

  賈政は賈蘭の姿が見えないので、尋ねた。「どうして蘭兄さんがいないの?」下の土間にいた女性たちは急いで奥の部屋に入って李氏(賈蘭は李紈の息子)に尋ねたところ、李氏は身を起こして笑って答えた。「賈蘭は、先ほど旦那様があの子に、別段お婆様のお席に行くよう言われなかったので、あの子は来るのを良しとしなかったんです。」女たちが賈政に回答し、人々は皆笑って言った。「生まれつきの融通の利かぬ頑固者だね。」賈政は急いで賈環と女をひとり遣って、賈蘭を呼んで来ると、賈のお婆様は賈蘭に自分の横に座るよう言い、ヒマワリの種を一掴み彼に取って食べさせると、皆はわいわいがやがやと楽しんだ。いつもだったら宝玉ひとりが長広舌をふるうところであるが、今日は賈政がここにいるので、ただ懇ろに応答するばかりであった。その他の者では、湘雲は深窓のか弱い令嬢であるが、元々議論好きなのだが、今日は賈政がいるので、無理やり口を噤(つぐ)んでおとなしくしていた。 黛玉は元々の性格が甘えん坊でものぐさで、あまりべらべら喋るのを良しとしなかった。 宝釵は元々道理に合わないことを言わないし、軽率な行動をしないので、この時も泰然自若としていた。それでこの宴席は、日常の楽しみの場ながら、却ってぎこちなさが見られた。

 

 賈のお婆様は、それが賈政ひとりがここにいるためだと分かっていたので、乾杯が三巡回ると、賈政を追い出すのに「もうお休みになられては」と言った。賈政もまた賈のお婆様のおっしゃる意味が、自分を追い出して女兄弟、男兄弟たちを楽しませてやることだと分かっていた。――それでお追従笑いを浮かべて言った。「今日は元々お婆様がここで春節のランタンの雅(みやび)ななぞなぞ遊びをすると伺い、それゆえまた聘礼の酒宴も催されたので、特に参加させていただきました。どうして子供や孫たちの心を痛めるような不躾(ぶしつけ)をいたしましょうか。ただ子供たちに半時だけ時間を賜りますでしょうか。」賈のお婆様は笑って言った。「あなたがここにいると、子供たちもものを言ったり笑ったりする勇気がないでしょうが、おられなくなると、却ってわたしが気が塞いで仕方なくなるでしょう。あなたがなぞなぞを解くのはどうでしょう。わたしがひとつ問題を出して、あなたが解く。解けなければ罰を受けなければなりません。」賈政は急いで笑って言った。「もちろん罰を受けますとも。――もし解けたら、ご褒美をいただきますよ。」賈のお婆様が言った。「それは当然です。」そして問題を言われた。

 

   お猿が身軽に木の梢に立つ。――ある果物の名前を答えなさい。

 

賈政はすぐ荔枝(ライチ)だと分かったが、わざと間違った回答をし、たくさんのものを罰として取られ、その後ようやく解いて、賈のお婆様のご褒美のものもいただき、その後、賈政からもひとつ灯謎を出し、賈のお婆様に解いていただいた。その問題はこうである。

 

   身は端が四角で、身体は堅い。喋ることはできないが、言葉が有ると必ず応える。――ある用具の名前を答えなさい。

 

言い終わると、こっそり宝玉に話し、宝玉は納得し、またこっそり賈のお婆様に話した。賈のお婆様はしばらく考えていたが、果たして悪くない答を思いつき、言った。「それは、硯(すずり)ね。」賈政は笑って言った。「さすがはお婆様、正解です。」振り返ると言った。「早くお祝いを献上して差し上げろ。」土間にいた女が「はい」と答え、大きな盆と小さな箱を、一斉に捧げ持って来た。賈のお婆様はひとつひとつご覧になると、みな元宵節で用い遊ぶ新式の巧みに作られたものだったので、心中甚だ喜ばれ、遂にこう命じられた。「おまえたちの旦那様にお酒をお注ぎしろ。」宝玉は酒壺(酒を注ぐ取っ手のついた容器)を手に持ち、迎春が酒のお酌をした。賈のお婆様が言った。「あの屏風をご覧なさい。皆うちの子供たちが作ったものですが、もう一度解いてみて、わたしに聞かせておくれ。」賈政は「はい」と答え、立ち上がって屏風の前に行き、見ると最初のものは、元妃のもので、こう書かれていた。

 

   能く妖魔をして胆(きも)摧(くだ)き尽くし、身は束帛(絹の布を束にして巻いたもの)の如し気は雷の如し。

   一声震えば人の方(まさ)に恐れるを得、首を回して相看れば已に灰と化す。

   ――あるおもちゃの名を答えよ

 

賈政は言った。「これは爆竹か?」宝玉は答えて言った。「はい。」賈政はまた迎春の問題を見た。こう書かれていた。

 

   天運(予め決められた解)と人功(人の操作)は理(ことわり)窮まらず、功有り運無きも逢い難し(決まった解に必ず到達する)。

   何に因りて鎮日zhèn rì(整日zhěng rì。一日中)紛紛(入り乱れてまとまりがない)と乱る?只だ陰陽(奇数と偶数。数字を指す)の数の通ぜぬ為。

   ――ある用具の名を答えよ

 

賈政は言った。「これはそろばんか?」迎春は笑って言った。「はい。」また下を見ると、今度は探春の問題だった。それには、こうあった。

 

   階下の児童が面(つら)を仰ぐ(上を向く)時、清明(節)の粧点(しょうてん。装い飾ること)は最も宜しく堪(た)える。

   游絲(空中のたこ糸)が一たび断てば渾(すべ)て無力、東風に向かう莫れ別離を怨む。

   ――あるおもちゃの名を答えよ

 

賈政は言った。「おそらく、たこのようだな。」探春は言った。「はい。」賈政はまた下を見ると、それは黛玉のもので、こう書かれていた。

 

   朝(朝見)罷(や)めば誰か両袖の煙を携(たずさ)う?(杜甫『奉和賈至舍人早朝大明宮』の一節を使い、宮中の香の香り)琴辺と衾(ふすま。掛け布団)の里(なか)は両(ふた)つとも無縁(楽器や掛け布団にはこれ以上香を香らす必要が無い=無縁)。

   暁筹(早朝)は鶏人(宮中で時を告げる衛士)の報を用いず、五夜(五更。夜中の3時から5時)は侍女が(香を)添ゆる煩(わずらい)い無し。

   首を焦がす(香は頭から燃える)朝朝還た暮暮、心を煎がす(仏教寺院で用いる丸く巻かれた香で、外から中心に向かって燃える)日日復た年年。

   光陰の荏苒(じんぜん。歳月が移り行く)は須(すべから)く惜しむ当し、風雨陰晴は変遷に任せよ。

   ――ある用具の名を答えよ

 

賈政は言った。「これはひょっとして、「更香」(時間を測るために使うお香)ではないかな。」宝玉が代わって答えた。「はい。」賈政はまた次の問題を見た。

 

   南面して坐し,北面して朝(朝見)す(人と鏡の中の像は反対を向いている)。

   象(鏡の中の像)が憂えば(実際の人も)亦た憂い,象が喜べば亦た喜ぶ。

   ――ある用具の名を答えよ

 

賈政は言った。「よし、よし。解は鏡のようだ。たいへんすばらしい。」宝玉は笑って答えた。「はい。」賈政が言った。「この問題は名前がないが、誰が作ったんだ?」賈のお婆様が言った。「これはおそらく宝玉が作ったんだろう?」賈政は何も言わなかった。その下は 宝釵の問題で、こう書かれていた。

 

   眼(穴)が有り珠は無く腹の内は空(宝玉をからかっている)、荷(ハス)の花は水から出でて相い逢うを喜ぶ。

   梧桐(アオギリ)の葉は落ちて分れ離别す、恩愛の夫妻は冬に到らず(夫婦生活の短いことを予言している)。

   ――ある用具の名を答えよ

 

賈政は見終わって、心の中で考え込んでしまった。「このもの(この問題の解の「竹夫人」。竹で編んだ円筒状で中が空洞の枕で、風通しがよく、夏これを使うと涼しく寝やすい。)は使われる時期が限られている。(涼しくなると仕舞ってしまうので、「棄婦」嫁を棄てることを暗示。)まだ年端もいかない年齢なのに、(竹夫人だけでなく、そろばんやたこも、家族が没落することを象徴)こんな文章を作るなんて、なおさらよく分からない。見たところ、この子たちは皆、幸福をつかんだり長寿を全うする者では無い。」ここまで考えると、なおさら気持ちが晴れず、大いに悲嘆に暮れ、うなだれ考え込んでしまった。

 

 賈のお婆様は賈政のこのような有様を見て、彼が身体が疲れて元気が無く、またここにいる姉妹たちを束縛してしまい、彼女たちが楽しく遊べないのを恐れ、賈政にこう言った。「おまえ、もうここに居なくていいよ、帰ってお休み。わたしたちはもう少し座ってから、解散するから。」賈政はこのことばを聞くや、急いで何度も「はい」と回答し、また無理やり賈のお婆様にお酒を一度勧めると、それでようやく退出した。自分の部屋に戻ってからも、ずっと考え込み、何度も寝返りを打ちながら、悲しくてやり切れなかった。

 

 賈のお婆様は、賈政が行ってしまったのを見ると、言った。「おまえたち、楽しみなさいよ――」その言葉が終わらぬうち、宝玉が屏風状のランタンの前に走って行き、手振り身振りをしながら、口から出任せに批評するのが見えた。「ここのこの句はよくない。」「あの破れたものはふさわしくない。」まるで鎖から解き放たれたお猿のようであった。黛玉はそれで言った。「やっぱりさっきまで皆が座っていたように、わいわいがやがやするのが、上品なんじゃないですか。」鳳姐が奥の部屋から出て来て、口を挟んで言った。「おまえという人は、旦那様が毎日おまえといつも一緒にいて、形と影のように寄り添っていてこそいいのよ。さっきわたし忘れていたけど、どうして旦那様をそそのかして、おまえに詩のなぞなぞを作らせるよう仕向けなかったの?今回はおまえ、冷や汗をかかずに済んだじゃないか。」そう言われて、宝玉は慌てて、鳳姐を引っ張って、しばらくまとわりついた。

 

 賈のお婆様はまた李宮裁(李紈)や他の女兄弟たちとしばらく談笑していたが、また多少くたびれて眠くなってきたので、ちょっと耳をそばだててみると、もう四つの太鼓(午前1時から3時)が鳴らされたので、それで食べ物を片付けさせ、人々に褒美を与え、遂に立ち上がって言った。「みんな、もう休みましょう。明日もまだお休みですから、少し早めに起床しましょう。明日の夜、また遊びましょう。」そして人々はようやくゆっくり解散して行った。さて翌日はどうなったのか、次回に解説いたしましょう。

 

 賈宝玉が相変わらず女兄弟たちとばかり一緒にいるので、侍女の花襲はそれを諫めるものの、宝玉の癖は直りません。そうこうしていると、王熙鳳(鳳姐)のお姉さんが天然痘に罹り、 鳳姐の夫の賈璉は隔離のため鳳姐と別居させられ、賈璉はその憂さを晴らすため、こっそり浮気をします。別居が終わって戻って来て、持って行った寝具を整理していた侍女の平兒は、賈璉の浮気の証拠を見つけます。 鳳姐は元々意志の弱い賈璉の浮気を疑っており、浮気の証拠が鳳姐に知られそうになります。さて、賈璉と鳳姐の間に入った平兒は、これをどう処理するのか、『紅楼夢』第二十一回をご覧ください。

 

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賢き襲は嬌(なまめ)かしく嗔(いか)り宝玉を箴(いまし)める

(みめよ)い平兒は軟語もて賈璉を救う

 

 さて、史湘雲は話をして、笑いながら走って出て来たが、黛玉が追いかけて来るんじゃないかと心配した。宝玉は後ろから急いで言った。「つまずいて転んじゃうよ。追いつきっこないから。」黛玉は門の前まで追いかけて来たが、宝玉に手を広げて扉の框(かまち)のところで引き留められた。宝玉は笑って言った。「彼女を今回は許してあげなよ。」黛玉は手を伸ばして言った。「わたし、雲兒(湘雲のこと)を許すぐらいだったら、もう生きていられないわ。」湘雲は宝玉が門を遮っているのを見て、黛玉が出て来れないのだと思い、足を止め、笑って言った。「優しいお姉さん、今回はわたしを許して。」ちょうどその時、宝釵が湘雲の背後に来て、笑って言った。「わたしは、あなた方ふたりが宝兄さんの見ている前で、もう手を出さないと約束した方がいいと思うわ。」黛玉が言った。「わたしは従わないわ。あなたたちは仲間じゃない。一緒にわたしを弄(もてあそ)んでいるのね。」宝玉は諫めて言った。「もういい。誰が君を敢えて弄ぶものか。君がからかわなかったら、彼女が敢えて君にそんなこと言ったかい。」

 

 

 四人がちょうど解決に難儀していた時、人が遣わされ食事を食べに来るよう言われたので、それでようやく母屋の方に行った。その日は既に灯点し頃となり、王夫人、李紈、鳳姐と、迎春、探春の姉妹らが皆、賈のお婆様のところにやって来た。皆でひとしきり無駄話をしていたが、各自帰って休んだ。湘雲は相変わらず黛玉の部屋に行き、休んだ。

 

 宝玉は彼らふたりを部屋に送ると、その日は既に二更(夜の9時から11時)を過ぎており、襲人が何度も催促に来てからようやく帰った。次の朝、空がようやく明るくなった時、宝玉は上着を羽織り、靴は踵(かかと)を踏みつぶしてひっかけ、黛玉の部屋の中にやって来たが、紫鵑、翠縷のふたりの姿が見えず、ただ彼女たち姉妹ふたりは猶掛け布団の中に臥していた。かの黛玉は杏子のような赤色の綾織りの掛け布団をぴっちりと被り、穏やかに目をつぶり眠っていた。湘雲はひと束の漆黒の髪の毛が、枕元に広がっていた。桃色のシルクの掛け布団が、胸のあたりまで覆っているだけで、雪のように真っ白な首は、掛け布団の外に投げ出され、上の方にはふたつの金の腕輪が輝いていた。宝玉はこれを見て、ため息をついて言った。「眠っている間もおとなしくしていないんだな。風に吹かれたら、肩が痛いって騒ぐことになるぞ。」そう言いながら、一方でそっと彼女のために布団を掛けてやった。

 

 

 黛玉はとっくに目覚めていて、人のいる気配を感じ、それが宝玉に違いないと思い、身体の向きを変えて一目見ると、果たして彼であった。それでこう言った。「こんなに朝早く駆けつけて何をしているの。」宝玉は言った。「まだ早いけど、起きて来てちょっと見てごらんよ。」黛玉は言った。「あなた、先に出て行って。わたしたち、起きるから。」

 

 宝玉は外の部屋に出た。黛玉は起きると、湘雲を起こし、ふたりは衣裳を身に着けた。宝玉はまた部屋に入って来ると、鏡台の傍らに座った。すると紫鵑、翠縷が入って来て、髪を梳き顔を洗うお世話をした。湘雲が顔を洗うと、翠縷が残った水をぶちまけ、捨てようとしたので、宝玉が言った。「待って。僕もついでに洗えばお仕舞いで、時間も手間も省ける。」そう言いながら、歩いて来て、腰を曲げ、手のひらで二度水をすくって顔を洗った。紫鵑が石鹸を手渡しに来たので、宝玉は言った。「要らない。この洗面器の水で十分だ。」そう言ってまた手のひらで二度水をすくい、それからタオルを持って来させた。翠縷は口をへの字に曲げ、笑って言った。「またいつもの病気が出た。」

 

 宝玉は彼女を相手にせず、急いで岩塩を持って来てもらって歯を磨き、口を漱ぐと、これで終わりで、湘雲はと見ると、もう髪の毛を梳き終わっていたので、歩み寄って笑って言った。「良い娘ちゃん、僕に代わってちょっと髪の毛を梳いてよ。」湘雲は言った。「そんなことできないわ。」宝玉は笑って言った。「良い娘ちゃん、君、前はどうやって僕に代わって髪を梳いてくれたの。」湘雲が言った。「もう忘れたわ。髪を梳くなんてできない。」宝玉が言った。「どのみち僕、出かけないから、何本かお下げを結えば終わりだ。」そう言うと、また何度も「妹妹」「妹妹」(年下の女の子への呼びかけ)と言って懇願した。湘雲は宝玉の頭を支えて櫛で髪を梳くしかなかった。元々宝玉は家では冠を被らないので、周囲の短い毛を編んで小さなお下げを作り、頭の中心のところでひとつにまとめ、一本の太い辮髪を編んで、赤い打ち紐でしっかり結わえた。髪の毛のてっぺんからお下げの端まで、途中に四粒の真珠を付け、根元の方には金の飾りが取り付けられていた。湘雲は髪を編みながら言った。「この真珠、三粒しかなくて、一粒足りないわ。わたし、憶えているもの。どうして一粒足りないのかしら。」宝玉は言った。「一粒失くしたんだ。」湘雲は言った。「きっと外に行って、落としたのよ。誰かに拾いに行かせた方がいいわ。見つかれば安いものだわ。」黛玉は横の方で冷ややかに笑って言った。「本当に失くしたのか怪しいわ。ひょっとすると人に付けて差し上げたのかもしれないわ。」宝玉は答えず、鏡台の両側に化粧用の小箱などが置かれていたので、手あたり次第手に取って鑑賞していたが、思わず知らず、口紅の箱をつまむと、口元に持って行きたかったのだが、湘雲が何か言うのを恐れ、ちょっと躊躇していると、湘雲が背後から手を伸ばして来て、パッと触ると、口紅は宝玉の手から転げ落ちた。湘雲は言った。「相変わらず悪い癖が直らないのね。いつになったら改まるのかしら。」

 

 言葉が終わらぬうち、ふと襲人が部屋に入って来て、この光景を見て、宝玉が髪を梳き顔を洗い終えたと知り、襲人自身は戻って自分で髪を梳き顔を洗うしかなかった。ふと宝釵がやって来て、尋ねた。「宝兄さんはどちらへ行ったの。」襲人は冷ややかに笑って言った。「「宝兄さん」は忙しくて家におられる時間がないの。」宝釵はそう聞いて、その意味を察した。襲人はまたため息をついて言った。「ご兄弟の間は仲良くされないといけないけど、適度なけじめも保たないといけないわ。昼夜を分かたず、四六時中騒いではだめよ。人がどれだけお諫めしても、いつもどこ吹く風なんだから。」宝釵はそう聞くと、心の中で考えを思いめぐらせた。「この小間使いを軽く見てはいけないわ。彼女の話を聞いていると、一定の見識を持っているもの。」宝釵はオンドルの上に座ると、ゆっくりと世間話をして、相手の年齢や故郷のことなどを尋ねる中で、相手の話しぶりやものの考え方、抱負などを注意深く観察したが、それは深く敬愛すべきものだった。

 

 しばらくして宝玉がもどって来たので、宝釵は出て行った。宝玉は襲人に尋ねて言った。「どうして宝姉さんはおまえとこんなに楽しそうに話していたのに、僕が入って来ると出て行ってしまったんだろう。」こう尋ねたが、襲人は答えなかった。もう一度尋ねると、襲人はようやく言った。「あなた、わたしに尋ねられたの。わたしがあなたがたのことを知らないからよ。」宝玉はそう聞いて、彼女の顔にいつもは見られない顔つきが見られたので、笑って言った。「どうして腹を立てたの。」襲人は冷ややかに笑って言った。「わたしがどうしてわざわざ怒らないといけないの。ただあなたは今日からこの部屋に入ってはいけないわ。どのみちあなたのお世話をする人がいるので、もうわたしに言いつけに来られる必要はないですわ。わたしは今まで通り大奥様のお世話をいたします。」そう言いながら、一方でオンドルの上で目を閉じ横になった。

 

 宝玉はこの情景を見て、たいへん驚き不思議に思い、傍に駆けつけ懇願するのを禁じ得なかった。かの襲人は目を閉じたまま相手にしなかった。宝玉は考えが思いつかなかったが、麝月が入って来るのが見えたので、尋ねた。「あんたんとこの姉さんはどうしたの。」麝月は言った。「わたしが分かるとお思いですか。あなたご自身で聞かれたら分かります。」宝玉はそう聞いて、しばらくぼおっとしていたが、つまらなくなり、身体を起こして不満げに言った。「僕を相手にしてくれないのか。僕も寝るよ。」そう言いながら、立ち上がってオンドルから下り、自分のベッドに行って眠った。

 

 襲人は宝玉がしばらく物音をたてず、かすかにいびきをかいたので、寝たものと思い、起き上がってマントを取って彼に掛けてやった。ふと「ヒュッ」と音がして、宝玉がマントをめくると、相変わらず目を閉じて眠ったふりをした。襲人はその意を察し、頷いて冷ややかに笑って言った。「あなたも怒らなくていいでしょう。今日からわたしもおしになるんだから。あなたにもうしゃべりかけないからね、いいこと。」宝玉は起き上がらずを得なくなり、尋ねた。「僕がまたどうしたと言うの。おまえは僕にまた諫言するの。君が諫めたっていいさ。さっきは何も言わず、僕が入って来たら、君は僕を相手にせず、むかっ腹をたてて寝ていて、僕にはそれがどうしてなのか分からなかった。今回もおまえはまた僕を悩ませた。僕は未だ曾ておまえが何のことで僕を諫めるのか聞いたことがないよ。」襲人は言った。「あなたは心の中でまだ分かっていらっしゃらないの。まだ私が言うのを待っていらっしゃる。」

 

 そうやって騒いでいるところに、賈のお婆様から人が遣わされ、宝玉に食事に来るよう呼びに来たので、前の母屋の方に行き、そそくさと一碗食べると、また自分の部屋に戻った。すると襲人が外のオンドルの上で眠っており、麝月がその横で骨牌を磨いていた。宝玉は素より襲人と麝月ふたりの関係が親密であることを知っており、麝月も彼のことを相手にしてくれなかったので、柔らかい帳をめくると、中の部屋にやって来た。麝月はそれに付いて入って来ざるを得なかった。宝玉は麝月を出て行かせ、言った。「わざと驚かしちゃだめだよ。」麝月は笑いながら出て来ると、ふたりの子供の小間使いを呼んで中に入らせた。

 

 宝玉は一冊本を手に取り、しばらく寝そべって読んでいたが、お茶が欲しくなり、首を上げると、ふたりの子供の小間使いが土間に立っていた。その二歳年上で幾分清楚な小間使いに、宝玉は尋ねた。「おまえは「香」なんとかって言うんだね。」その小間使いは答えて言った。「「蕙香」huì xiāng(春の芳しい息吹の比喩。「蕙」はラン科の植物)といいます。」宝玉はまた尋ねた。「誰が名前を付けてくれたの。」 蕙香は言った。「わたしは元々名を「芸香」yún xiāng(ヘンルーダ。ミカン科の灌木の名前)といいましたが、花姉さん(襲人のこと)が改めてくれました。」宝玉は言った。「本当に「晦気」huì qì(運が悪い)と言った方が実情に合っている。「蕙香」だろう。お前、姉さんは何人いるの。」 蕙香は言った。「四人です。」宝玉は言った。「お前は何番目だ。」 蕙香は言った。「四番目です。」宝玉は言った。「明日から「四兒」sì érと呼ぼう。「蕙」香とかいうような「蘭」の気色は必要ない。どれかこれらの花に釣り合う名前はあるかい。良い名前を汚しちゃだめだ。」そう言いながら、一方で蕙香 に茶を淹れて来てもらった。襲人と麝月は外の部屋でしばらく彼らの会話を聞いていたが、構わずこっそり口をすぼめて笑った。

 

 この日、宝玉は部屋を出ず、自ら悶々として、ただ本を読んで気分を晴らしたり、筆を手に字を書いたりしたが、他の人たちを呼んだりせず、ただ 四兒に応答をさせた。あにはからんや、この 四兒はたいへん賢い女性で、宝玉が彼女を使うと知ると、彼女は様々な方法を弄して宝玉を丸め込んだ。

 

 夕食後、宝玉は酒を二杯飲んだため、目がとろんとして耳が熱くなる余り、以前であったら襲人らが傍らに来て、キャッッキャと面白がったのであろうが、今日は物静かで、ひとりで灯火に向かい、とても手持無沙汰でつまらなかった。彼らを追い払おうと思っても、彼らがいい気になって、今後益々頻繁に小言を言いに来るのではないかと、心配だった。主人の権威を振り上げて彼らをおとなしくさせるというのも、あまりに薄情に思えた。決断をしたと、口に出しては言えなかった。「彼らがもう死んでしまったんだったら、どのみち自分で決めないといけない。」このように考えても、結局何ら気がかりは無く、却って心穏やかで、自ら悦ぶことができた。 四兒に(部屋の明るさを保つため)蝋燭の芯を切り茶を煮るよう命じたので、自分は『南華経』(戦国時代、荘周の著作で『荘子』のこと)をひと通り読み、外篇の『胠篋』(きょきょう)の一則に至った。その文には、こうある。

 

  ……故に聖を絶ち智を棄てれば、大盗は乃ち止む。玉を擿(す)て珠を毁(こぼ)たば、小盗は起こらず。符を焚(や)き玺(じ)を破(わ)り、而して民は朴鄙たり。斗を剖(さ)き衡(こう)を折り、而して民は争わず。殫(ことごと)く天下の法を殘(そこな)ひて、而して民始めて與(とも)に論議すべし。六律を擢(攪)乱し、竽(う)瑟(しつ。共に楽器名)を鑠絶(しゃくぜつ。焼き捨てる)し、瞽(めくら)の師曠(春秋時代、晋の楽師)の耳を塞ぎ、而して天下始めて人の其の聡を含む。文章を滅し、五彩を散じ、離朱(伝説上の人物で、黄帝時代、視力に優れていた)の目を膠(は)り、而して天下始めて人の其の明を含む。鈎(曲線を描く工具)縄(直線を描く工具)を毁絶し、而して規(円を描く工具)矩(方形を描く工具)を棄て、工倕(堯の時代の巧匠)の指を攦(折)り、而して天下始めて其の巧み有り。

 

ここまで読んで、益々興味が湧き、酒に酔った勢いで、筆を取ってこの続きを書くのを禁じ得なかった。

 

  花を焚き麝を散じ、而して閨閣に始めて其の勧(諫め)を含む。宝釵の仙姿を戕(そこな)い、黛玉の霊巧を灰(消滅)し、情意を喪滅し、而して閨閣の美悪始めて相類(同じになる)す。彼の其の勧を含めば、則ち参商(互いの不和)の虞(憂慮)無し。其の仙姿を戕(そこな)えば、恋愛の心無し。其の霊巧を灰さば、才思の情無し。彼の釵、玉、花、麝は、皆其の羅(あみ)を張り、而して其の穴を邃(ふか)くし、それを以て天下の者を迷惑し纏い陥れる也。

 

 

 続きを書き終えると、筆を投げて就寝した。頭が枕に着くや、忽然と眠りに着き、一晩何が起こったかも知らず、そのまま空が明るくなってからようやく目覚めた。身体の向きを変えて見てみると、襲人が服を着たまま掛け布団の上で寝ているのが見えた。宝玉は昨日の事はもう考慮の外のこととしてあれこれ考えないようにし、襲人をゆすって言った。「起きてちゃんと寝なよ、身体を冷やすよ。」

 

 元々襲人は宝玉が夜昼構わず女兄弟たちと一緒にいるので、もし本当に彼を諫めても、おそらく改めてくれないと思い、それで優しく警鐘を戒めたのであるが、果たしてしばらく時間が経つと、彼は相変わらず元に戻ってしまった。思いがけず宝玉は遂に帰って来なかったので、自分ではどうしたらよいか決められず、そのまま一晩中よく眠れなかったのであった。今ふと宝玉がこのようであるので、おそらく彼の気持ちが元通りに戻ったのだと思ったので、もう彼のことは相手にしなかった。宝玉は襲人が応答しないので、手を伸ばして彼女のために服を解いてやろうと思い、ちょうどボタンを外したところ、襲人に手を押し返され、彼女がまた自分でボタンを留めた。宝玉は仕方なく、彼女の手を引っ張って笑って言った。「おまえ、いったいどうしたの。」何度も続けて呼びかけ尋ねると、襲人は目を開けて言った。「わたし、何ともないですよ。あなた、起きられたのなら、早くあちらに髪を梳き顔を洗いに行きましょう。また遅くなったら、間に合わなくなりますよ。」宝玉は言った。「僕、どこに行くことになってるの。」襲人は冷ややかに笑って言った。「あなた、わたしに尋ねても、わたしが知っているとお思いですか。あなたが行かれたいところに行かれるんでしょう。これからわたしたちふたりは別れ別れになったので、お互いがちゃがちゃ言い争って、他人に笑われる手間が省けます。どのみちあちらでもうんざりしていましたし、こちらには「四兒」とか「五兒」とか言う娘があなたにお仕えしますから。わたしたちの間の関係は、世間の誤解を招き、明らかにすばらしい一族の姓や名を汚していますわ。」宝玉は笑って言った。「おまえ、今でもまだ憶えているかい。」襲人は言った。「百年経っても憶えていますわ。あなたとは違います。わたしが何か言っても、どこ吹く風、夜に言ったことを、朝起きると忘れているんですから。」

 

 宝玉は襲人が顔中怒ったふりをしているのを見て、気持ちが抑えられず、枕元から一本の玉の簪を手に取ると、下に落としてふたつに割り、言った。「僕がもうこれ以上おまえの言うことを聞かないと、この簪と同じようになる。」襲人は急いで簪を拾い上げると、言った。「朝っぱらから、どうしてこんなことをなさるの。言うことを聞かないかどうかはあなたの問題で、こんなことをする必要は無いでしょう。」宝玉は言った。「おまえ、僕の気持ちが焦っているのがどうして分かったの。」襲人は笑って言った。「あなたも焦るってご存じなのね。あなたはわたしが心の中でどう思っているか、ご存じ。――早く顔を洗いに行きましょう。」そう言うと、ふたりはようやく立ち上がって、髪を梳き顔を洗いに行った。

 

 宝玉が母屋に行ってから、あろうことか黛玉がやって来て、宝玉が部屋にいないと知ると、机の上の本をひっくり返して見た。ちょうど巧い具合に、昨日の『荘子』が出て来て、宝玉が続きを書いたところを見て、思わず腹を立てたり笑ったりし、彼女もまた筆を取り、続きに絶詩を一首書くのを禁じ得なかった。

 

   端(はし)無(な)くも筆を弄(ろう)すは何人か。『南華』の荘子の文を剿襲(そうしゅう。奪い取る)す。悔(く)やまず自家に見識無く、却って将に丑語もて他人を詆(あば)くを。

 

題し終わると、黛玉も母屋に行って賈のお婆様にお目にかかると、その後王夫人のところにやって来た。

 

 あろうことか、鳳姐の姉が病気になり、ちょうどばたばたと医者の先生に来ていただき、脈を診てもらっていた。先生は言った。「奥様、お婆様に代わりお喜びを申し上げます。お姉様が発熱されたのは、吉兆(当時、天然痘は大変恐れられ、また患者は忌むべき対象であった)でございます。他の症状ではございません。」王夫人、鳳姐はそう聞いて、急いで人を遣わして尋ねた。「良くなりますか。」先生は答えた。「症状は危険ですが、順調で、何も大きな妨げは無いでしょう。桑虫(桑天牛(クワカミキリ)の幼虫)と猪尾(豚の尻尾の血、或いは猪尾草(荔枝草ともいい、日本名ミゾコウジュ、シソ科の植物))は急いで準備する必要があります。」鳳姐はそう聞くと、直ちに急いで立ち上がると、一方で部屋を掃除し、「痘疹娘娘」(天然痘からの庇護をお祈りする女神の像)をお祭りし、一方で家人に伝えて、焼いたり炒めたりする料理は忌避させた。一方で平兒に命じて布団や衣服を準備させ、賈璉は別の部屋に移らせた。一方でまた赤い布を持って来させ、乳母や近しい召使たちに新しい衣服を作らせた。外は掃除をして部屋を清潔にし、ふたりの医師を留め置き、交替で勘案しながら脈を診て薬を処方し、家の中で十二日間隔離し、外出を許さなかった。賈璉は外の書斎に引っ越し、そこで休むしかなかった。鳳姐と平兒は 王夫人と共に毎日「娘娘」(女神様)にお供えをした。

 

 かの賈璉は鳳姐と離れただけで、あれこれ文句を言い、二晩独り寝が続くと、もう辛抱できなくなり、しばし未成年の男子の召使の中から眉目秀麗なのを選んで、(同性愛の)行為に及ぶしかなかった。思いがけず、栄国府の中に極めて役立たずのがらくたの酒好きのコックで、名を多官兒という者がいて、彼は軟弱で無能で、人は彼のことを「多濁虫」と呼んだ。二年前、彼の父親は彼に嫁を娶らせたが、その娘は今年やっと二十歳で、何がしかの人材ではあったが、生まれつきの性格は軽薄で不誠実で、男をからかったり、誘ったりするのを好んだ。 多濁虫はまた議論もせず、酒と肉と金さえあれば、諸事に関わろうとしなかった。それゆえ寧国府、栄国府の男たちは、多くの者がこの嫁と接触したり、関係を持ったりした。この嫁は行為が異常で、明らかに軽薄で放埓(ほうらつ)で、軽薄なこと他と比べようもなかったので、人々は彼女を「多姑娘兒」と呼んだ。今、賈璉は外でむしゃくしゃするのを我慢していたのであるが、これまでもこの嫁を見たことがあり、久しく涎を垂らして見ていたが、ただ内には綺麗な愛妻を恐れ、外には綺麗な男の子を恐れ、これまで手を出したことが無かった。――かの 多姑娘兒も、前々から賈璉に気があったが、ただ残念ながら暇が無かった。今、賈璉が外の書斎に移って来ていると聞き、彼女は用事も無いのに三四回やって来て、引き寄せられた賈璉は、飢えた鼠のようで、自分が信頼を置く子供の召使と気脈を通じざるを得ず、金銭や贈り物を交換条件にすれば、どうして相手が受け取らない理屈があろうか。ましてや彼らは皆この嫁と旧交があり、一言話せば取引きが成立した。

 

 この夜、多濁虫は酒に酔ってオンドルの上に倒れていて、二鼓(夜の九時から十一時)の人定(人々が安眠する時間)であったが、賈璉はそっと忍び込んで来て 多姑娘兒と逢い、一目見るや、早くも正気を失い、親密に話をするももどかしく、衣服を脱ぎ始めた。誰知ろう、この嫁は生まれつき奇妙な癖があり、ひとたび男性が身体を近づけると、全身の筋肉に力が入らなくなり、軟弱になったように感じ、男性をまるで柔らかい綿の上に寝ているように感じさせた。淫らな姿態と放埓な言葉を共に備え、娼妓(売春婦)をも超越していた。賈璉はこの時自分が彼女の身体の上に溶けてしまいたくてたまらなかった。かの嫁はわざと放埓な言葉を発し、彼の身体の下でこう言った。「あなたがたの姉さんが天然痘になり、女神様をお祭りし、あんたも二日間物忌みしないといけないのに、却ってわたしのために身体を汚して、間もなくわたしのところを離れて行くのね。」賈璉は一方では身体を大きく動かしながら、一方では細かい息づかいをして答えた。「おまえが女神様だ。もう他の女神だか何かは関係無い。」かの嫁がふしだらなことをすればするほど、賈璉もまた醜態を露呈した。しばらくして事が終わると、海誓山盟(男女の愛情の不変の誓い)をするを免れず、ふたりは別れ難かった。これから後、ふたりはしばしば逢って関係を深めた。

 

 ある日、お姉様の病毒が無くなり水痘の跡だけ残り、十二日後「娘娘」(女神様)をお送りすると、一族総出で天を祭り祖先を祀り、祖廟に線香をお供えし、祝賀行事や恩賞下賜も終わり、賈璉はまた寝室に戻って来た。鳳姐の姿を見ると、正に俗に言う「新婚は遠く別るるに及ばず」(夫が遠方から帰って来ると、夫婦の恩愛は新婚より勝る)で、この晩は猶更無限の恩愛があったことは、自ずと言うまでもない。

 

 翌日の朝起きて、鳳姐が母屋に行って後、平兒が外で持って来た衣服や布団を仕舞っていると、枕カバーの中から一束の漆黒の髪の毛を見つけ出してしまったので、平兒はその意味を察し、急いで袖の中に仕舞うと、こちらの部屋まで歩いて来て、髪の毛を取り出すと、賈璉に向かって笑って言った。「これは何ですか。」賈璉は一目見て、慌てて近づき奪おうとしたが、平兒は逃げて、賈璉にギュッと掴まれ、オンドルの上で押さえつけられ、手の中から奪おうとした。平兒は笑って言った。「あなたという人は、良心の無い人ですね。わたしは好意で熙鳳様(鳳姐)をごまかしてあなたに尋ねに来たんだけど、あなた、なんとやっかいなことをしてくれたものね。わたし、帰って報告するんだけど、あなた、どうされますか。」賈璉はそう聞いて、急いでお追従笑いを浮かべ、懇願して言った。「あなた、どうかわたしを許してください。わたしは今後二度とこんなことをしないから。」

 

 言葉が終わらぬうちに、突然鳳姐の声が聞こえ、賈璉はこの時諦めてもだめだし、逆らってもだめだったので、ただこう叫んだ。「どうか、熙鳳には知らせないで。」平兒はそれでようやく立ち上がると、鳳姐が既に部屋に入って来て、平兒を呼んで言った。「早く箱を開けて、奥様の代わりに中の様子を見ておくれ。」平兒は急いで「はい」と答え、中を見ていると、鳳姐が賈璉を見つけたので、ふと思い出し、平兒に尋ねた。「先日外に持ち出していたものは、皆持って帰ってきたかい。」平兒は言った。「持って帰ってきました。」鳳姐は言った。「無くなったものはないかい。」平兒は言った。「詳しく調べていますが、ひとつも無くなっていません。」鳳姐はまた言った。「何か増えてなかったかい。」平兒は笑って言った。「無くなっていなければ、いいじゃありませんか。どこにまた多くなったものがあるのですか。」鳳姐も笑って言った。「この十数日、(賈璉の身を)清潔(潔白)に保つのは難しいから、ひょっとすると良い人が落として行った指輪、ハンカチか何かが無いとも言えないからね。」一連の話で、言われた賈璉は顔が真っ青になり、鳳姐の後ろで、ただ平兒の方を見ながら、「鶏を締める時に頸をさする」ような色目を使い、平兒が隠ぺいしてくれるよう求めた。平兒はただ見て見ぬふりをして、笑って言った。「どうしてわたしの心は奥様と同じなのでしょう。わたしは何かあるんじゃないかと心配したので、注意して調べましたが、ちょっとしたほころびも見つかりませんでした。奥様が信じられないなら、ご自分で調べてみてください。」鳳姐は笑って言った。「おばかさん。この人にそんなものがあるんだったら、わたしたちが調べるのを許すと思う?」そう言いながら、もったいぶって出て行った。

 

 平兒は賈璉の鼻を指さしながら、首を振って、笑って言った。「このことで、あなたはどのようにわたしに感謝してくれるの。」喜んだ賈璉は喜色満面で、走り寄って来て平兒に抱きつき、「愛しいお利口さん」と何度も叫んだ。平兒は手に髪の毛を持ちながら、笑って言った。「これは一生あんたを脅迫する証拠になるわ。あなたがこれで良ければよし。文句があるなら、このことを暴露するわよ。」賈璉は笑いながら懇願して言った。「おまえ、ちゃんとしまっておいてくれ。くれぐれも熙鳳には知られないようにしてくれ。」口でそう言いながら、彼女が何の防御も無いと見ると、すばやく髪の毛を奪い取り、笑って言った。「おまえが持っているのは、やはり良くない。わたしが焼いてしまって、お仕舞にするのに及ばない。」そう言いながら、一方で靴の差込みの中にしまった。平兒は歯ぎしりして言った。「良心の無い人ね。「橋を渡れば橋を取り壊す」で、明日は更にわたし、あなたにうそをつかれるかもしれないわ。」

 

 賈璉は平兒が可愛らしく綺麗で気持ちが高ぶり、抱きしめて彼女を求めたのであるが、平兒は手を振り切って逃げてしまったので、焦った賈璉は腰を曲げて不満気に言った。「この死に損ないの売女め。人の欲情に火を点けておいて、あいつ、また逃げよった。」平兒は窓の外で笑って言った。「わたしは自分で為すがままにしているだけよ。誰があなたに火を点けたの?まさかあなたは自分の一時の快楽だけのためなの。奥様に知られたら、またわたしを嫌いになって棄てるのね。」賈璉は言った。「おまえはあいつを恐れる必要はないよ。わたしの怒りがこみ上げてきたら、あいつの嫉妬のツボを打ち壊してやる。そうすれば、あいつはようやく俺のことを認めるだろう。あいつはわたしを防備するのに、まるで悪党から身を護るようにしている。あいつが男性と話をするのはいいが、俺が女性と話をするのは許さない。俺が女性と話をして、ちょっとでも親密にすると、あいつは疑ってかかる。あいつは俺の弟とであれ、姪であれ、年上でも、年下でも、親しく談笑するのは、構わないんだ。今後はわたしも、あいつが人と会うのを許さないことにしよう。」平兒が言った。「奥様があなたを防備するのは納得できますが、あなたが奥様に焼きもちを焼くのは納得できません。人の心を籠絡することで集まった人でなければ、どうやって人々を指揮し、使うことができるでしょうか。あなたの行動は悪意から出ているので、わたしも安心することができません。あの方は猶更です。」賈璉は言った。「へえ、それもいいだろう。皆、おまえたちのすることは正しいんだろう。わたしの行動には悪意がある。遅かれ早かれおまえたちは俺の手の中で死ぬことになるぜ。」

 

 ちょうど話している時、鳳姐が中庭に入って来て、平兒が窓の外にいるのが見えたので、尋ねた。「話があるなら、どうして部屋の中でしないの。また走って来て窓を隔てて怒鳴り合うなんて、これはどういうことなの。」賈璉が中で続けて言った。「おまえが彼女に尋ねたらいい。ひょっとすると、部屋の中では虎が彼女を食ってるかもしれないぞ。」平兒が言った。「部屋の中には誰一人おられません。わたしがこの方の前で何をしているとお思い?」鳳姐は笑って言った。「あなたに言ったのでなければ、誰に言ったの。」平兒が言った。「わたしにいいことを言わせないで。」そう言うと、帳を跳ね上げもしないで、むかっ腹をたててどこかへ行ってしまった。

 

 鳳姐は自分で帳を開けて中に入り、こう言った。「平兒ちゃんは気がふれたのかしら。このおてんばは、真剣にわたしを降参させないといけないんだわ。殴られないよう注意しないと。」賈璉はそれを聞いて、オンドルの上に倒れ込んで、手を叩いて笑って言った。「俺も平兒がこんなにおっかないとは知らなかった。今後は彼女におとなしく従わなくっちゃ。」鳳姐は言った。「みんなあなたがあの子をけしかけたのよ。わたしはあなたと精算すればそれでおしまいなんだから。」賈璉はそう聞いて、「ちぇっ」と不満を現わし言った。「おまえたちふたりが仲違いしたって、僕にまで怒りの矛先を向けないでよ。俺はおまえたちを避けてしまえばいいんだから。」鳳姐は言った。「あなた、どこに隠れようと思ってるの?」賈璉は言った。「もちろん行くところがあるよ。」そう言うと歩き出したので、鳳姐が言った。「あなた、行っちゃだめ。わたし、まだあなたに言うことがあるのよ。」さて何事が起こるのでしょうか、次回に解説いたします。

 宝玉の侍女の襲人が風邪で宝玉の部屋のオンドルで寝ているところに、宝玉の乳母の李婆やが尋ねて来て、襲人が召使のくせに図に乗っていると虐め、騒ぎになります。妾腹の子の賈環は、宝釵のところで小銭を賭けて遊んでいて、ズルをしたところを宝釵の召使の鶯兒に咎められ、賈環は本妻の子の宝玉と比べられて拗ねてしまいます。黛玉は宝玉が宝釵と仲良くしているのに焼餅を焼き、拗ねて大泣きするのを、宝玉はやっとの思いで機嫌を直させます。正嫡と庶子、血縁の近い、遠いでの軋轢。大家族の中での様々な問題が噴出する回です。

 

 

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王熙鳳正言で妒(ねた)みの意を弾(ただ)す

林黛玉は俏(みめよ)い語で謔(たわむ)れ音は嬌(なまめ)かし

 

 さて宝玉は黛玉の部屋で「鼠の精」の話をしていると、宝釵が突然やって来て、宝玉が元宵の日に「緑蝋」の出典を知らなかったことを当てこすり、三人でちょうど部屋の中で互いに冗談を言い合っていた。かの宝玉は黛玉が食事の後に眠気を貪り、しばらく食べたものが消化されず、そのため夜眠りにつくのが難しくなり、身体に好くないのを心配した。幸い宝釵がやって来て、皆で談笑し、かの黛玉がしばらく眠気が起こらなかったので、自分ではようやく安心した。ふと宝玉の部屋から言い争う声が上がり、皆が耳をそばだて聞いていると、黛玉が先に笑って言った。「あれはあなたの母さんと襲人が言い争っているのよ。かの襲人がお母さんの相手をして、お母さんが襲人を厳しく虐(いじ)めているのよ。ひょっとするとお母さんは年のせいでボケておられるのかもしれないわ。」

 

 宝玉は急いで駆けつけたいと思ったが、宝釵がそれを引き留めて言った。「あなた、お母さんと喧嘩をしてはいけないわ。あの方は歳でボケておられるのだから、一歩譲ってさしあげるべきだわ。」宝玉は言った。「分かっているよ。」そう言って歩いて来ると、李婆やが杖をついて、そこで襲人を罵っていた。「召使の本分を忘れた売女(ばいた)め。わたしがおまえを持ち上げてやったのに、今回わたしが来てみると、おまえは大きな顔をしてオンドルの上で寝ていて、わたしを見てもちっとも相手にしない。一心に媚びを売って宝玉をたぶらかし、たぶらかされた宝玉はわたしを相手にしてくれず、おまえの話しか聞かない。おまえは数両の銀子で買われてきた小娘に過ぎなかったに、この部屋の中でおまえが災いの種を作っているんだね。おまえさんがまた妖婦のように人をたぶらかすようなら、ここから引っ張り出して下賤な者に娶(めあわ)せてしまうぞ、いいんだな。」襲人は先ず李婆やが、自分が横になっていたので怒ったに過ぎず、申し開きをしておかないといけないと思い、こう言った。「病気で汗が出てきて、頭がぼんやりしていたので、元々あなたが来られたのが分からなかったのです。」その後、李婆やが「宝玉をたぶらかす」とか、「下賤な者に娶す」とか言うのが聞こえたので、思わず恥ずかしいやら悔しいやらで、泣き出すのを禁じ得なかった。

 

 宝玉はこうした話を聞いていたが、こうしていてもだめなので、襲人に代わって申し開きをした。「病気で、薬を飲んで……」また、こう言った。「信じないなら、他の召使に聞いてみて。」李婆やはこうした話を聞いて、益々怒り出し、こう言った。「あなたはこのキツネの肩ばかり持つけど、誰がわたしの味方になってくれるの。わたしは誰に頼めばいいの。誰があんたを助けないなんてことがあるかい。誰もが皆襲人に調教されているのさ。わたしはそうしたことを皆知っているよ。わたしはあんたと大奥様、奥様の前に行ってお話しするしかないんだ。あんたをわたしのお乳でこんなに大きく育てたけど、今となってはもうお乳は要らないから、わたしは一方に捨てられてしまい、好き勝手している女の子たちの方が、わたしより強くなってしまった。」そう言いながら、泣き出した。

 

 この時、黛玉や宝釵らもやって来て諫めて言った。「お母さん、あんたはお歳なんだから、あの子たちにもう少し寛大にしてあげれば、それで済むじゃありませんか。」李婆やは彼女たちふたりが来たのを見て、いきさつを話した。あの日、お茶を飲んだことで、茜雪が追い出されることになったこと、昨日酥酪(チーズ)を食べてしまったことなどを、くどくどと語り、話が終わらなかった。

 

 ちょうど巧いタイミングで、鳳姐がちょうど母屋で博打の精算をしていると、後ろで大声で叫ぶ声が聞こえたので、李婆やがいつもの病気を発したんだと知り、また今日は博打に負けたので、怒りの矛先を他に向け、宝玉の小間使いを責めようと思い、急いで駆けつけると、李婆やを引っ張り、笑って言った。「母さん、怒らないで。元宵節で、お婆様が一日を愉しまれたばかりですよ。あなたは年長者なんだから、他の人たちが騒いでも、あなたは彼らを管理してやる必要がありますよ。どうしてあなたまで分をわきまえず、ここで騒いだりして、お婆様を怒らせてはいけないでしょう。誰が悪いか言ってごらんなさい、わたしがあなたに代わってその人を罰してあげます。わたしの部屋に焼いた熱々の野鳥があるから、早く一緒に一杯やりましょう。」そう言いながら、一方で李婆やを引っ張って行き、またこう言った。「豊兒、あんた、李婆やの代わりに、杖と涙を拭くハンカチを持って来てちょうだい。」かの李婆やは、まるで足が地面に着いていないように速足で、鳳姐と一緒に歩いて行きながら、一方でまたこう言った。「わたしもこんな老いぼれた命なんて要らないわ。どのみち今日は無礼講だから、パッと騒いで、自ら羽目を外した方が、あの売女(ばいた)の辱めを受けるよりましだわ。」後ろで宝釵と黛玉が、鳳姐がこのようにするのを見て、手を叩いて笑って言った。「幸い風が吹いて、このお婆さんを連れて行ってくれたわ。」

 

 

 宝玉は頷いて、ため息をついて言った。「どうしてこんなことになったんだろうね。弱い者いじめをしていることだけは分かったけど。またどの女の子が恨みを買ったのか知らないけど、その報いだろう――」言葉が終わらぬうちに、晴雯が傍らからこう言った。「誰も気が変になった訳でもないのに、婆やを怒らせてしまって、どうするのでしょう。婆やを怒らせてしまった以上、その責任を負わなければいけないのに、その罪が他人に類が及んではいけないわ。」襲人は泣きながら、一方で宝玉を引っ張って言った。「わたしがひとりのお年寄りを怒らせたばかりに、あなたも今回わたしのためにこれらの人を怒らせてしまいました。それでも足りず、また他の人を巻き添えにしてしまいました。」宝玉は、襲人がこのような病気の症状に、またこうした煩雑な悩みも加わってしまったのを見て、急いで怒りをこらえてじっと我慢し、彼女を慰め、相変わらず寝かしつけて汗をかかせるようにした。また彼女が病気で高熱を発しているのを見て、彼女の傍らで見守ってやり、身体を傾けて近づくと、彼女を諫めて言った。「病気の養生をするだけでいいよ。ああしたどうでもいいことは考えないで。」襲人は冷ややかに笑って言った。「こうしたことで怒られるんだったら、この部屋で一刻でも暮らしていけるのかしら。こうした状況が長く続き、ずっとこのように騒ぎが起こるんだったら、どうやって過ごせばいいの。あなたはただ一時のことを考え、わたしのために人の機嫌を損ねてしまった。皆さんは心の中でこのことを憶えていますから、今後もし何か問題が起こったら、人によっては、いいように言う人も、聞き捨てならぬことを言う人も出て来ます。皆さんはどう思うかしら。」そう言いながら、一方では涙を流すのを禁じ得ず、――また宝玉が思い悩むのを恐れ、ただまた無理やり我慢するしかなかった。

 

 しばらくして雑役を行うお婆さんが二番煎じの漢方薬を捧げ持って来た。宝玉は彼女がようやく少し汗をかいたのを見て、彼女に寝たままでいさせて、自分が薬のお碗を持って、彼女の枕もとで薬を飲ませ、少女の小間使いたちに命じてオンドルに敷布団を敷かせた。襲人は言った。「あなた、ご飯はもう食べられたの。大奥様、奥様の前にしばらく座って、お嬢様たちとしばらく遊んで、それからまた帰っていらして。わたしは静かに横になっていればいいんだから。」宝玉はそう聞くと、彼女の言う通りにするしかなく、彼女が簪とイヤリングを外して横になったのを見ると、それから母屋へ行き、賈のお婆様と一緒に食事をした。

 

 食事が終わると、賈のお婆様はまだそこの何人かの執事の婆やと牌九(32枚の骨製のパイを用い、4人でする中国版のドミノ)をやりたいと言われた。宝玉は襲人のことが気になって、部屋に戻ると、襲人は朦朧と寝入っていた。自分が寝るには、まだ早過ぎた。この時、晴雯、綺霞、秋紋、碧痕は皆賑わいを求めて鴛鴦、琥珀らを捜して遊びに行っていた。麝月ひとりが外の部屋にひとり残り、灯りの下で骨牌を磨いていた。宝玉は笑って言った。「おまえはどうしてあの子たちと一緒に行かないの。」麝月が言った。「お金を持っていないのです。」宝玉は言った。「ベッドの底に銭を貯めていたじゃないか。博打に負けて足らなくなったの。」麝月は言った。「皆さん遊びに行かれました。この部屋をどなたにお任せすればいいんですか。あの方がまた病気になられたので、部屋中、上も下も灯火で照らされています。お年寄りの方々は「年老いて身体の動きが不自由」なので、一日お仕えされたら、あの方たちにお休みいただかないといけません。若い侍女たちも一日お仕えしたら、こういう時は遊びに行かせないといけないでしょう。――だからわたしが残って、ここで留守番をしているのです。」

 

 宝玉はこの話を聞いて、公然とまたひとり、新たな襲人が現れたと思った。それで笑って言った。「僕がここで座っているから、おまえ安心して遊びに行っていいよ。」麝月は言った。「あなたがここにおられるなら、猶のこと、外に出て行く必要はないわ。わたしたち、ふたりでお話しするのはだめですか。」宝玉は言った。「僕たちふたりで何をするの。全く意味が無いよ……。まあいい、朝起きた時、おまえ、頭が痒いと言っていたね。今何もすることがないから、僕、おまえのために髪の毛をすいてやろう。」麝月はそう聞いて言った。「いいわ。」そう言うと、文具と鏡を入れた箱を運んで来て、簪とイヤリングを外すと、髪の毛を解き、宝玉は梳き櫛を持つと、彼女に代わってすいてやった。

 

 何度かすいたところで、 晴雯がお金を取りに急いで部屋に入って来るのが見え、一目宝玉と麝月のふたりを見ると、冷ややかに笑って言った。「おや、三々九度の杯もまだ交わしていないのに、もう前髪を上げるのかい。」宝玉は笑って言った。「おまえもおいでよ。僕がおまえのために髪をすいてやるから。」晴雯は言った。「わたしはまだそんな幸せはつかんでいませんから。」そう言うと、金を取って、帷を跳ね上げると、出て行ってしまった。

 

 宝玉は麝月の後ろにいて、麝月は鏡に向かい、ふたりは鏡の中で見つめ合い、にっこり笑った。宝玉は笑って言った。「部屋中、襲人の歯ぎしりしか聞こえないね。」麝月はそれを聞いて、急いで鏡に向かって手を振ると、宝玉はその意を察した。ふと「ふっ」と帷から音がして、晴雯がまたどたばた入って来ると尋ねた。「わたし、どうして歯ぎしりなんかしたんだろう。わたしたち、やっぱり話し合った方がいいですね。」麝月は笑って言った。「あなたはあなたのご用事をお済ませなさい。また来て口喧嘩なさりたいの。」晴雯も笑って言った。「あなたはまた旦那様をお守りになるのね。わたしが知らないとでも思っているのね。わたしが(博打で負けた)元手を取り戻して来たら、また話しましょう。」そう言うと、まっすぐ行ってしまった。ここでは宝玉が髪をすっかりすき終わると、麝月に命じて自分が寝入るまで静かにお傍で仕えさせ、襲人を起こしてしまわぬよう注意させた。この晩は特に話も無かった。

 

 翌日の早朝、襲人は既に夜間に汗をかいたので、幾分身体が軽くなり、重湯を少しだけ飲んで静養した。宝玉はようやく安心することができた。朝食後は、薛叔母さんのところに行ってぶらぶらした。

 

 この時節は正月の期間で、家塾はお休みで、女性の部屋では針仕事が禁止され、皆が暇にしていたので、賈環が遊びにやって来た。ちょうど宝釵、香菱、鶯兒の三人が、囲碁の碁盤で、サイコロを振り碁石を動かす賭けをして遊んでいた。賈環はそれを見て一緒に遊んだ。宝釵はふだん賈環のことを宝玉と同じように思い、別段意識していなかった。今日は賈環が一緒に遊びたいと聞いたので、彼をオンドルに上がらせ、一緒に座って遊んだ。一回に銭十枚を賭けた。最初の一回は、自分が勝ったので、心の中でたいへん喜んだ。あいにくその後は続けて何回も負け、やや焦ってきた。この回になって、ちょうど自分がサイコロを振る番になり、もし七点が出たら勝ちで、六点でもたぶん勝ち、三点だと負けであった。それでサイコロを手に持つと懸命に一投すると、ひとつは二が出て、もうひとつはあちこち転がり続けた。鶯兒が手を叩いて「一」と叫んだ。賈環はじっと睨んで、「六」「七」「八」とでたらめに叫んだ。そのサイコロはあいにくと「一」の目が出た。賈環は慌てて、手を伸ばしてサイコロを掴むと、銭を取るふりをし、四点と言った。鶯兒は言った。「明らかに一だったわ。」

 

 

 宝釵は賈環が慌てているのを見て、鶯兒をちらっと見てから、こう言った。「あなたは大きくなればなるほど礼儀を守らなくなって、まさか貴族の子弟ともあろう方が、借金を踏み倒すおつもり。まだお金を返してあげていないでしょう。」鶯兒は心中悔しい思いをしていたが、宝釵の言うのを見て、声を出す勇気はないが、お金を返してほしいので、口の中で独り言を言った。「いっぱしの旦那様が、わたしたちの何銭かのお金をごまかして、――わたしまで見損なったわ。この前、宝旦那様と遊んだ時は、あの方は負けても、気になさらず、残った銭はまた何人かの若い召使たちで奪い合って、――ニコッと笑ってしまいにされました。」宝釵は言い終わるのを待たず、急いで怒鳴って止めさせた。賈環は言った。「僕は何を以て宝玉と比べればいいの。君たちはあいつを恐れて、いつもあいつと仲良くする。皆僕が奥様が育てた子じゃないからいじめるんだ。」そう言うと、泣き出した。宝釵は急いで賈環を諫めた。「すてきなお兄様、もうこの話はやめましょう。人に笑われますよ。」また鶯兒を叱った。

 

 ちょうど宝玉がやって来て、このような情景を見て、尋ねた。「いったいどうしたの。」賈環は声を出す勇気が無かった。宝釵はもとより賈のお屋敷の礼儀作作法を知っていて、凡そ兄弟の間では兄を恐れた。しかしかの宝玉が、人に自分を恐れてほしくないと思っていることは知らなかった。宝玉はこう思っていた。「兄弟の間には必ず両親から教え諭されたものがあるはずで、僕があまり差し出がましく弟たちを躾けるのはよくない。そんなことをすると、却って兄弟の関係が疎遠になってしまう。ましてや自分は正嫡(本妻の子)で、あいつは庶子(妾の子)だ。そういう処遇を受けることは許すとしても、それ以外に人が背後であれこれ言うだろうし、それであいつを束縛するのを禁じることができるだろうか。」これ以外にも漠然とした思いが心の中に存在した。皆さんはどんな思いだとお思いか。宝玉は幼い時から女兄弟たちのグループの中で大きくなり、実の姉妹には元春、探春、叔父の子供には迎春、惜春がいて、親戚の中にもまた湘雲、黛玉、宝釵といった人たちがいたのであるが、宝玉は天地の間には、きっと美しい霊気が存在するんだと思っていた。しかもそれは女子にのみ集まり、男児たちは残り滓(かす)で汚い無用な物に過ぎない。このため、一切の男子は汚らしい物で、有っても無くてもどうでもいいと見做した。ただ父親、叔父、兄弟との秩序は、聖人の遺訓で、背くことのできぬものであり、それゆえ兄弟の間ではそのだいたいの情理を尽くせば良いのであり、また自分が男子で、子弟の模範になる必要があるなどとは決して思わなかった。それゆえ賈環らはあまり宝玉を怖がらなかったのであり、ただ賈のお婆様が言うことを聞いてくださらないのを心配し、それでようやく宝玉に三割だけ譲ったのである。

 

 今宝釵は宝玉が賈環に対し説教を垂れやしないか心配し、またそんなことをしても意味がないので、それで急いで賈環に代わって取り繕ったのであった。宝玉は言った。「お正月なのに、泣いてどうするの。ここが面白くなかったら、他所へ遊びに行けばいい。君は毎日勉強して、却って読書ばかになっているね。例えばこちらの物が良くなくても、却ってあちらの物が良ければ、これを捨ててあれを取ればいい。まさか君はこの物に固執して、ちょっと泣けば解決すると思っているんじゃないか。君はもともと楽しみに来たのに、却って自分の煩悩を招いてしまったんだ。早くお行きよ。」賈環はそう聞いて、帰って行くしかなかった。

 

 お妾の趙叔母さんは賈環がしょんぼりと帰って来たのを見て、尋ねた。「どこで濡れ衣をかけられたの。」賈環が言った。「宝姉さんと遊んでいたんだ。鶯兒が僕をいじめて、僕のお金を取ろうとした。宝玉兄さんが僕を追い出したんだ。」趙叔母さんは、吐き捨てるように言った。「誰がおまえを高みに上げてやったと思っているんだ。下賤のつまらぬ女が。どこで遊んじゃいけないって言うんだ。誰がおまえを追い出して失望させたの。」ちょうどそう言っているところに、鳳姐が窓の外を通りかかり、話が皆耳に入ったので、窓を通してこう言った。「お正月なのに、どうしたの。子供が間違いを犯すのは当り前です。あなたは親として、それをただ諭してやるべきなのに、こんなことを言ってどうするの。この子がどんな状態であれ、旦那様や奥様も面倒を見られているのですよ。あなたが大きな声でこの子を罵ってどうするの。この子は今はご主人様で、良くないところがあれば、どのみち諭す人がおられるのです。あなたが出しゃばって、どうするの。――環ちゃん、出ておいで。わたしと遊びに行こう。」

 

 賈環はふだん鳳姐を怖がっていて、怖がること王夫人より甚だしく、自分を呼ぶのが聞こえると、急いで出て来た。お妾の趙叔母さんも声を出す勇気が無かった。鳳姐は賈環に言った。「あんたも気骨の無い子ね。いつもあんたに言っているでしょう。食べて、飲んで、遊びなさいって。あんたがあちらの姉妹や兄さん、叔母さんと遊ぶのが好きなら、あちらで遊びなさい。あんたはいつもわたしの言うことを聞かないんだから。だけどこうした人たちがあんたに教えてくれるのは、良くない心がけや不誠実な行動よ。自分のことも大事にせず、下賤に流れて、良くない心を抱き、ただ人様を恨んで偏った気持ちを持つの。博打でいくらか負けたって、それで済むことよ。」それで賈環に尋ねた。「あんた、いくら負けたの。」賈環はそう尋ねられたので、これこれしかじかと言うしかなかった。「銭一二百枚負けました。」鳳姐は吐き捨てるように言った。「あんたという人は、それでも旦那かい、銭一二百枚負けてこの有様か。」後ろを振り向いて言った。「豊兒、銭を一串(吊。穴あき銭を1千枚紐に通したもの)取って来ておくれ。娘たちが裏で遊んでいるから、この子を送って行ってやって。――あんたが明日またこんな冴えない顔をしていたら、わたしが先にあんたを殴って、それから人に頼んで家塾でこのことを言ってもらうから、もうあんた恥も外聞も無くなるよ。あんたにこうして厳しくするのも、あんたの兄さん(鳳姐の夫の賈璉)が歯がムズムズするほどあんたに恨みつらみを言うのも、もしわたしが止めていなければ、あんたのみぞおち目掛けて蹴りを入れて、あんたの腸を飛び出させているからね。」そして鳳姐は賈環に号令をかけた。「行きなさい。」賈環は「はい」と言い、 豊兒について行き、金をもらうと、自ら迎春らのところに遊びに行ったのであるが、このことは言うまでもない。

 

 さて宝玉はちょうど宝釵と遊び、談笑していたのであるが、ふと人が来て「史お嬢様が来られました。」と言った。宝玉はそれを聞くと、急いで行こうとしたので、宝釵が笑って言った。「待って。わたしたち二人で一緒に行って、あの方にお会いしましょう。」そう言うと、オンドルから下り、宝玉と賈のお婆様のところにやって来た。そこでは史湘雲がぺちゃくちゃ話したり笑ったりしていたが、彼らふたりを見ると、急いで立ち上がり、挨拶をした。ちょうど黛玉が横にいて、宝玉に尋ねた。「どちらからいらしたの。」宝玉は言った。「宝姉さんのところから。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたし、言ったでしょう。止めてもらっていたおかげよ。さもなければ、とっくに飛んで来ていたわ。」宝玉は言った。「君としか遊べないんだったら、君のため憂さを晴らしてあげるよ。だけどたまたま宝ちゃんのところへ行ったんで、あれこれ無駄話をしていたんだ。」黛玉は言った。「なんてつまらないことを言うの。行こうが行くまいが、わたしにどんな関係があるの。それにあなたに憂さを晴らしてなんて頼んでないわ。――それともあなた、これからわたしを無視すると言うんでしょ。」そう言うと、怒って部屋に帰ってしまった。

 

 宝玉は急いで追いかけると、尋ねて言った。「良い娘ちゃんがまた怒ったね。僕が要らぬことを言ってしまったね。君ももう少し座って、他の人と談笑して、気持ちを和らげようよ。」黛玉は言った。「あんた、私に指図するの。」宝玉は笑って言った。「僕、もちろん君に指図なんてできないよ。ただ君が自分で身体を台無しにしてしまったんじゃないか。」黛玉が言った。「わたしが自分の身体を踏みつけても、わたしが自分で死のうとしても、あんたと何の関係があるの。」宝玉が言った。「なんでこんなことになるんだろう。お正月から、死ぬの、生きるのって。」黛玉が言った。「死ね、死ねってそればかりね。わたし、今度は死んでやる。あんた、死ぬのが怖かったら、百歳までも長生きするといいわ。いいこと。」宝玉は笑って言った。「ずっとこうしてぎゃあぎゃあ言っていると、僕、終いには死ぬのが怖くなくなった。やっぱりきれいさっぱり死ぬべきかな。」黛玉は慌てて言った。「その通りよ。こうして騒ぐぐらいだったら、あっさり死んじまった方がましだわ。」宝玉が言った。「僕は自分がきれいさっぱり死んでしまおうと言ったんだ。聞き間違えないでくれよ、また人のせいにするんだから。」そう言っていると、宝釵がやって来て、こう言った。「史ちゃんがあなたを待っているわよ。」そう言うと、宝玉を引っ張って行ってしまった。この黛玉は益々腹が立ってむしゃくしゃし、窓の前を向いて涙を流した。

 

 お茶を二杯も飲まないうちに、宝玉がまたやって来た。黛玉はと見ると、低い声で途切れること無く泣き続け、微かに嗚咽も漏れていた。宝玉はこの様子を見て、すぐに機嫌が回復するのは難しいことが分かり、繰り返し様々な誠実で暖かい言葉をかけて、黛玉を慰めた。思いがけず、宝玉が口を開かぬうちに、黛玉が先にこう言った。「あなた、また来て何をされるの。死のうが生きようが、わたしが自分で決めるだけのことよ。どのみち、あなた、今はまた別の誰かと遊んでいるんでしょう。その人は、わたしより詩や絵が上手で、楽しく談笑できるでしょう。――一方わたしはまたあなたを怒らせるんじゃないか、あなたを引っ張って機嫌を取らないといけないんじゃないか、気がかりです。あなた、また来られて何をなさるの。」宝玉はそう聞いて、慌てて彼女の方に進み出て、こっそりこう言った。「君みたいな物の分かった人が、まさか「親しき者は疎遠なる者に隔てられず、後から来た者は先に来た者を越えず」という諺まで知らないの。僕はぼんくらだけど、この言葉の意味はよく分かっている。第一に、僕たちは父方の兄弟の子供だし、宝姉さんはおばさんの娘で、親戚関係から言えば、君より遠い。第二に、君が先に来て、僕たちふたりは一緒に食事をし、ひとつベッドに一緒に寝て、小さい時から同じところで大きくなった。宝姉さんは来たばかりで、どうして宝姉さんのために君を遠ざけないといけないの。」黛玉は吐き捨てるように言った。「わたしがまさかあんたにあの人を遠ざけさせたというの。わたしがどんな人になったと言うの。――わたしはわたしの心のままに動いただけよ。」宝玉は言った。「僕も僕の心の思う通りに行動するよ。君はまさか自分の気持ちは分かっても、僕の気持ちが分からないとでも言うんじゃないよね。」

 

 黛玉はそう聞いて、下を向いて何も語らないでいたが、しばらくしてこう言った。「あなたはただ人の行動があなたを怒らせるのを恨むけど、あなたが怒らせた人がつらい気持ちでいるのを知ろうとしない。今日の天気と比べれば、明らかに少し寒いのに、どうしてあなたは黒キツネの脇の毛の風除けのマントを脱いでしまったの。」宝玉は笑って言った。「どうして着ないなんてことあるものか。君が悩んでいるのを見て、僕がかっとなって、脱いでしまったんだ。」黛玉はため息をついて言った。「帰って来てあなたが風邪をひいてしまったら、その機会にあなたを責めて、また喧嘩になるかもしれないわ。」

 

 ふたりがちょうど話をしていると、湘雲が歩いて来るのが見え、笑って言った。「愛しい兄さん(愛哥哥。正しくは「二哥哥」だが、舌足らずで正しく言えない)、林姉さん、おふたりは毎日一緒に遊んでおられるのね。わたし、やっとのことでこちらに来れたのに、わたしを相手にしてくださらないのね。」黛玉は笑って言った。「舌足らずの人が話し好きだと、「二」èr哥哥(二番目の兄さん)という言葉も言えなくて、「愛」ài哥哥、「愛」哥哥になってしまうわね。帰ってから囲碁をしたら、またあなた、何度も「愛」って叫ばないといけないわよ。」宝玉が笑って言った。「君は学び慣れているから、明日は君も舌が回るよ。」

 

 湘雲は言った。「姉さんは人の欠点を少しも容赦しないで、専らあら捜しをされるのね。たとえあなたが他の人より優秀でも、ひとつアラを見つけたらそれをからかうなんてことをしてはいけないわ。わたし、ひとりの人を指名するから、あなたがもしその人のあらを捜す度胸があるなら、わたしはあなたに心服するわ。」黛玉はそれで尋ねた。「それは誰なの。」湘雲は言った。「あなたが宝姉さんの欠点をあげつらう勇気があるなら、あなたは大したものだわ。」黛玉はそう聞いて、冷ややかに笑って言った。「わたし、誰のことかと思ったわ、誰かと思えばあの方なの。わたし、でもどこであの方のあら捜しをすればいいんだろう。」宝玉は言い終わらぬうちに、急いで一声かけてそこを離れようとした。

 

 湘雲は笑って言った。「この人生、わたしはもちろんあなたには及ばないわ。わたしはただ明日、神様のご加護で、舌足らずの林姉さんのご主人が、四六時中「‛愛’呀‛厄’的去」ài yā è‌ de qù(舌足らずでこう聞こえるが、実際は「哎呀,我的妻」āi yā de qīあれっ、僕の奥さん)というのを聞かないといけませんよ。南無阿弥陀仏。その時のことが目に浮かぶようだわ。」そう言って宝玉に笑いかけ、湘雲は踵を返して走って行った。子細はどうなりますでしょうか、次回に解説いたします。

 宝玉の侍女の襲人に、実家に帰る話が出てきます。襲人と別れたくない宝玉は、襲人に留まるよう懇願し、襲人に言われた自分の性格上の欠点を改めると約束します。一方、宝玉は黛玉の部屋に行き、黛玉の身体からなんともいえない良い香りがすることを発見します。

 

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情は切切として良き宵に花(花襲人)は語(ことば)を解す

意は綿綿として静かな日に玉(林黛玉)は香りを生ず

 

 さて賈妃は宮殿に帰り、翌日皇帝に朝見してご恩に感謝し、また帰省の事を奏上すると、皇上の龍顔は甚だ悦び、また皇室収蔵の彩色を施した緞子、金銀等の物を授与し、以て賈政や賈妃の実家の人々に賜ったのだが、細かく解説する必要はない。

 

 さて栄国、寧国両府の中では連日全力で対応したので、本当にひとりひとりが肉体的にも精神的にも疲れ果てた。また大観園中に配置された一切の移動可能な物品や装飾品は、その片付けに二三日をかけてようやく終了した。第一に鳳姐は担当する事が多く任務も重く、他の人なら或いは雑務を避けて楽ができたかもしれないが、ひとり彼女だけはそれらを避けることができなかった。二に性格的に負けん気が強く、他人に負けてけなされたくなかったので、なんとか努力して問題が起こらないようにした。一方宝玉はたいへん閑にしていて、何もすることが無かった。たまたまこの日の早朝、宝玉の侍女の襲人の母親がまた自らやって来て賈のお婆様に申し上げるに、襲人を連れ帰り、家で新年のお茶会をして、夜には戻って来させるということだった。このため、宝玉はただ小間使いの女たちとサイコロを投げて、碁石を碁盤の上でサイコロの目だけ動かす賭けをして遊んだ。ちょうど部屋の中は、遊んでいても面白くなかったのだが、ふと小間使いたちが来て、報告して言った。「東府(寧国府)の珍旦那様がお越しになり、芝居を見て、ランタンを点しに来るよう言われておりますが。」宝玉はそれを聞いて、衣裳を着替えさせるよう命じた。これから行こうという時に、ふとまた賈妃から賜った糖蒸酥酪(牛乳、甘酒、氷砂糖、杏仁スライスを混ぜて蒸したもの)が出された。宝玉は前回襲人がこれが好きだったのを思い出し、襲人にこれを残しておくよう命じ、自分は賈のお婆様のところに戻り、芝居を見に行った。

 

 思いがけず、賈珍がこちらで歌わせたのは、『丁郎認父』、『黄伯央大擺陰魂陣』、更に『孫行者大鬧天宮』、『姜太公斬将封神』などの類の芝居の歌であった。突然神様やお化けが飛び出し、また妖怪が出て来た。中では幟(のぼり)を挙げ、法会を行い、念仏を唱えながら仏殿の中を歩き回り、銅鑼を鳴らしながら大声でお経を唱え、その音は路地の外にまで聞こえた。兄弟や息子、甥たちが互いに酒を勧め合い、女兄弟や妾、女中たちが笑顔で心から愉しんだ。ひとり宝玉だけはこのように繁華でにぎやかなのがここまでになると我慢できず、しばらくはそこに座っていたが、やがてあちらこちらに行くと、勝手に遊んだ。先ず宝玉が部屋の中に入っていくと、尤氏や小間使い、妾たちとしばらく談笑し、二の門から出て行った。尤氏たちは相変わらず宝玉が芝居を見に行くと思っていたので、ほったらかしにしておいた。賈珍、賈璉、薛蟠らは酒席でジャンケンをして酒を飲ませ合う遊びに熱中し、あまりに熱中していたので、たとえ一時でも宝玉が席にいるのが見えなくても、ただ奥の部屋に行ったのだと思い、気にしなかった。宝玉の子供の召使たちに至っては、その中で年かさの者は、宝玉がこういう時は必ず夜遅くなってからようやく帰ると知っていたので、時間が空けば、博打でお金を賭ける者がいれば、友達の家に行く者もいて、博打をしたり酒を飲んだり、勝手にちりじりになり、夜になってからまた戻って来るつもりだった。歳の幼い者は、役者たちの楽屋に潜り込み、賑やかな様子を見に行った。

 

 宝玉は誰もいないので、こう思った。「普段、ここの書斎の中には美人画が掛かっていて、その絵はとてもすばらしかった。今日はこんなに賑やかだから、あそこには誰もいないに違いない。あの絵の美人は寂しそうだったから、僕が行って慰めてあげよう。」そう思って、その部屋に行った。ちょうど窓の前まで来ると、部屋の中から喘(あえ)ぎ声が聞こえた。宝玉は跳び上がるほど驚き、心の中で思った。「あの美人は生きているの。」それで勇気を奮い起こし、指を舐めて窓の紙に穴を開けて中を覗くと、――あの掛け軸の美人が生きているのではなく、(家塾で宝玉の学友の)茗煙がひとりの少女と抱き合い、かの警幻が教えてくれた行為をしており、ちょうど気持ちが高まり、それでうめき声を上げていたのだった。宝玉は我慢できず大声で叫んだ。「なんてことだ。」バーンと扉を足で蹴って中に入ると、ふたりはびっくりしてブルブル震えていた。

 

 茗煙は入って来たのが宝玉だと知ると、急いで跪いて許しを請うた。宝玉は言った。「真昼間に、これは何としたことだ。珍旦那様に知れたら、おまえ生きていられると思うのか。」一方でその少女の方を見ると、真っ白な皮膚、清楚な容貌をしていて、幾分心を動かされたが、そこで恥ずかしさのあまり顔を耳まで真っ赤にし、うなだれて一言も発しなかった。宝玉は足を踏み鳴らして言った。「早く逃げないのか。」そう言って促すと、その少女は慌てて逃げて行った。宝玉はまた追いかけて出て行き、大声で言った。「おまえ、心配しなくていい。人には言わないから。」慌てて茗煙は後ろで叫んだ。「旦那様、そんなこと言って、きっと人に言いつけられるんでしょう。」

 

 宝玉はそれで尋ねた。「あの娘は十幾つなの。」茗煙は言った。「まだ十六七です。」宝玉は言った。「あの娘の歳も聞かずに、こんなことをするなんて、あの娘はおまえと知り合ったばかりに、こんなことになって、可哀そうに。」また尋ねた。「名前はなんて言うの。」茗煙は笑って言った。「名前のことを言うと、話が長くなります。本当に珍しい、不思議な話なんで。――あの娘が言うには、あの娘の母親があの娘を生む時、夢を見たそうなんです。夢で錦を一匹得て、錦の上には五色の、切れ目のない「卍」の模様が織られていたので、あの娘の名を万兒としたそうなんです。」宝玉はそれを聞いて、笑って言った。「きっとあの娘は将来幸運を運んで来るよ。明日になったら君に奥さんを捜してあげるよ。」

 

 茗煙もニコッと笑った。そして尋ねた。「若旦那様はどうしてこんな良い芝居をご覧にならないのですか。」宝玉は言った。「半日見ていたけど、退屈でたまらなくて。出て来てぶらぶらしていたら、君たちに出逢ったんだ。――これからどうするの。」茗煙は微かに微笑んで言った。「これからのことなんて、誰にも分かりませんよ。わたしが、こっそり若旦那様を連れて城外に遊びに行って、それでしばらくしたら、またここに戻って来ましょう。」宝玉は言った。「だめだよ。注意しないと、人さらいにさらわれてしまうよ。まして家の者たちが知ったら、また大騒ぎになるよ。それより、少し近いところに行くだけなら、まだいいんじゃないか。」茗煙は言った。「近くって、誰の家に行くのがいいですかね。それも難しいですよ。」宝玉は笑って言った。「僕に考えがある。僕たち、花叔母さん(襲人のこと)のところへ行って、あの人が家で何をしているか見てみようよ。」茗煙は笑って言った。「いいですね。そうだ、あちらの家のことを忘れていました。」そしてまた言った。「皆さんがこのことを知って、わたしが旦那様をでたらめに連れて歩いたと知れたら、わたしを殴られますよね。」宝玉は言った。「僕がいるから、大丈夫さ。」茗煙はそう聞くと、馬を牽き、ふたりは裏門から出発した。幸いにも襲人の家はそれほど遠くなく、半里ほどの道のりに過ぎず、あっという間に門前に着いた。

 

 茗煙が先に家の中に入り、襲人の兄の花自芳を呼んだ。この時襲人の母親は襲人を迎えて、何人か姪たちが家に来て、ちょうど点心をつまみながらお茶を飲んでいたのだが、外で誰かが「花兄さん」と呼ぶのを聞き、花自芳が急いで出て行って見ると、ご主人と召使のふたりが来ていたので、びっくりして、どうしたのかいぶかり、急いで宝玉を抱きかかえるようにして中に入れると、家の中に向かって叫んだ。「宝若旦那様がお越しになりました。」他の人はそれを聞いてもそれで良かったが、襲人はそれを聞くと、なぜだか分からぬが、急いで走り出て来て宝玉を出迎えると、手でギュッと宝玉を掴んで、上着を引っ張りながら尋ねた。「どうしてここに来られたの。」宝玉は笑って言った。「僕、とっても気がふさいでいたので、ちょっと何をしているのか見に来たんだ。」

 

 襲人はそう聞いて、ようやく安心し、こう言った。「驚かせないでくださいよ。でも何をしに来られたの。」一方でまた茗煙に尋ねた。「あと誰が一緒に来たの。」茗煙は笑って言った。「他の人は知らないんですよ。」襲人はそう聞くと、また驚いて慌てて言った。「これはまたとんでもないことよ。もし人に遇ったら、万一旦那様にお会いしたら、街は人や馬で溢れ返っているのよ、万一のことがあったら、冗談では済まないのよ。あなたがたの肝っ玉は本当に大きいのね。――それも皆茗煙がそそのかしたんだね。わたし、お屋敷に帰ったらばあやたちに言いつけますからね。きっとおまえ、こっぴどくぶっ叩かれるよ。」茗煙は口をとがらせて言った。「旦那様が叱ったり叩いたりしてわたしにここへ連れて来させたのに、今度は悪いのをわたしのせいにするんだ。わたしはここに来ちゃだめだと言ったのに。――そうでなければ、わたしたち、もう帰りましょう。」花自芳は慌てて諫めて言った。「もういいよ。来てしまったんだから。そんなにあれこれ言わなくてもいいよ。でも藁葺きのあばら家で、狭いし汚いし、旦那様にどうやって座っていただけばいいんだろう。」

 

 襲人の母親も早くも迎えに出て来た。襲人は宝玉の手を引いて部屋に入った。宝玉は部屋の中には何人か女の子がいたが、宝玉が部屋に入って行くと、皆下を向いて、恥ずかしくて顔を真っ赤にした。花自芳と母親は宝玉が寒いのではないかと心配し、彼をオンドルに上がらせ、また急いでお茶請けを並べると、良いお茶を淹れた。襲人は笑って言った。「あんたたち、そんなに慌てなくても大丈夫。わたしはもう分かっているけど、やたらにこの子に食べ物を勧めてはだめよ。」そう言いながら、一方では自分の座布団を持って来て、腰かけの上に敷いて、宝玉に手を貸して座らせ、また自分の足元のコンロを足の下に敷いて、荷包の中から梅花香餅を二個取り出し、また自分の手あぶりのコンロの蓋を開けて火を付け、ちゃんと蓋を閉めると、宝玉の懐に置いてやり、それから自分の茶碗にお茶を注ぐと、宝玉に渡した。この時、彼女の母親と兄はテーブルの上にお茶請けをきちんと並べるのに忙しかったが、襲人が見てろくな食べ物が無かったので、笑って言った。「もう来てしまったんだから、何もせずに帰る道理もないし、良かれ悪しかれちょっと味見していきなさい。せっかく来たんだから。」そう言うと、松の実をいくつか取り、細かい皮を吹き飛ばすと、ハンカチに載せて宝玉に渡した。

 

 

 宝玉は襲人の両眼が少し赤くなって、白粉(おしろい)が光ってすべすべしているのが見えたので、そっと襲人に尋ねて言った。「どうして泣いていたの。」襲人は笑って言った。「誰が泣いるもんですか。さっき眼にごみが入って、擦(こす)っただけよ。」こう言ってごまかした。宝玉が真っ赤な生地に金の蟒蛇(うわばみ)の刺繍がされ、袖口に狐の脇の下の毛皮の付いた筒袖の上着を着て、その上から深い藍色のテンの毛皮で、下の方は房飾りが下がった上っ張りを羽織っているのを見て、言った。「あなた、ここに来るのに、わざわざ新しい衣裳に着替えて、あの人たち、どこに行くのか聞かなかったの。」宝玉は言った。「元々珍叔父さんが芝居を見に来るよう言ったので、着替えたのさ。」襲人は頷き、また言った。「ちょっと座ったら、お帰りなさい。ここはあなたが来るところじゃあないわ。」宝玉は笑って言った。「おまえが家に帰ってくれたらいいんだ。僕、おまえのためにいいものを取っておいてあげたから。」襲人は笑って言った。「秘密にしておいてね。あの人たちに聞き付けられたら、何をされるか分からないわ。」一方でまた手を伸ばして、宝玉の首の上から「通霊玉」をはずすと、自分の女兄弟たちに向かって笑って言った。「あなたたち、ちょっと見てみて。いつも言っているけど、とても珍しいもので、一瞥するのも難しいものだから、今日はできるだけよく見ておいて。どんなに珍しいものだと言っても、結局はこういう物なのよ。」そう言うと、妹たちに渡してひと通り回して見てもらい、それからまた宝玉の首にちゃんと掛けてやると、兄に言って、きれいでぴったりした車を一輌雇うよう頼み、宝玉を送って帰らせようとした。花自芳は言った。「わたしが送って行くよ。馬に騎乗しても大丈夫だ。」襲人は言った。「大丈夫かどうかでなく、誰かに出逢うといけないからよ。」

 

 花自芳は急いで一輌車を雇って来ると、人々はお互いに引き留めるのも良くないので、宝玉を見送りに出るしかなかった。襲人はまたいくらか干した果物の類を掴んで茗煙に与え、また多少の小銭を彼に与えて、爆竹を買って来て上げさせ、彼に言った。「人に言わないで。あなたもこのことを言っちゃだめよ。」そう言いながら、ずっと宝玉を門の前まで送ると、車に乗るのを見届け、車のとばりを下した。茗煙らふたりは馬を牽いてそれに従った。寧府街まで来ると、茗煙は車に止まるよう命じ、花自芳に言った。「わたしと兄さんは、やはり東府に行ってちょっとごまかした方が良いでしょう。人に疑われるといけないので。」花自芳は確かにその通りだと思い、急いで宝玉を抱いて車から下すと、馬を連れて行った。宝玉は笑って言った。「面倒をかけたね。」そして裏門から中に入ったが、それについては特に言うべきこともない。

 

 さて宝玉が出かけて行ってから、彼の部屋付きのこれらの小間使いの女たちは皆勝手気ままに遊び回り、駒を動かし博打をし、サイコロを転がしカードを捨て、床中に割ったヒマワリの殻をまき散らした。間が悪いことに乳母の李婆やが杖をついて入って来て挨拶をし、宝玉の顔を見ようとしたが、宝玉は家におらず、小間使いたちが気ままに遊び惚けているので、とても見るに堪えず、ため息をついて言った。「わたしがここを離れてから、おまえたちの行為は益々秩序、規律が無くなった。他の乳母ではなおさらおまえたちに意見する勇気も無いだろう。あの宝玉ときたら、「丈八(18尺。約6メートル)の灯台」――他人の欠点は見えるけど、自分の欠点は分からないんだから。人の嫌なところを嫌悪し見捨てることしかできない。ここがあの子の部屋で、おまえたちが大事にしないから、益々体を成さなくなっているんだ。」

 

 ここにいる小間使いたちは、宝玉がこうしたことにとやかく言わないことがよく分かっていた。ふたつには、李婆やはもう年老いたので、職を辞して引退したので、今や彼女たちを管理する立場になかった。このため、見かけ上はふざけているように見えるが、実際には李婆やに対し真面目に相手をしていなかったのだ。かの李婆やは、それでも構わず尋ねた。「宝玉は今は一度にご飯をどれだけ食べるの。何時頃寝るの。」小間使いたちは総じていいかげんに答えていたが、中には、「本当に鬱陶しい年寄りなんだから。」と言う者もいた。

 

 李婆やはまた尋ねた。「このお碗の中にあるのは酪(チーズ)だね。どうしてわたしに食べさせてくれないの。」そう言うと、お碗を取って食べた。小間使いのひとりが言った。「手を着けちゃダメ。それは襲人に残しておくよう言われたもので、帰って来たらまた癇癪を起こされるわ。あんたという年寄りは自分で勝手に決めて、罪をわたしたちになすりつけて、怒られるようなことをしないで。」李婆やはそれを聞くと、腹を立てるやら羞じるやらで、こう言った。「わたしはあの子がそんな薄情だなんて信じないわ。わたしが一碗牛乳を飲んだのは言うに及ばず、もっと値の張るものだって、食べる権利があるのよ。どうして襲人がわたしより大事なの。どうしてあの子は、自分がどうやって大きくなったか考えてみないことなんてあるでしょう。わたしの血がおっぱいに変わって、それを飲んでこんなに大きくなったんだから。今わたしがあの子の牛乳を飲んだから、あの子が怒るとでも言うの。わたし、わざとこれを食べて、あの子がどうするか見てやろう。あんたたちは襲人がこれまでどうであったか知らないだろうが、あのアマはわたしの手の中でしつけてやった、なんということも無い小娘さ。」一方でそう言いながら、一方で意固地になって酪を全部食べてしまった。またひとりの小間使いの女が笑って言った。「みんな何も言わないわよ。あんたみたいな年寄りを怒らせたらかなわないからね。宝玉がまだ年寄りのあんたに何か持ってきてくれるかもしれないのに、どうしてこんな好き勝手をなさるの。」李婆やは言った。「あんたたちもそんな言葉巧みにわたしを騙さなくてもいいんだよ。おそらく前回お茶のことで茜雪が追い出された(このエピソードは第八回にあり)ことを、わたしが知らないとでも思っているんだろう。もし間違っていたら、わたしが責任を取るわよ。」そう言うと、腹を立てて行ってしまった。

 

 しばらくして、宝玉が帰って来て、人に言って襲人を迎えに行かせた。ふと見ると、晴雯がベッドに横になって動かないでいたので、宝玉は尋ねた。「ひょっとして病気なの。それとも博打に負けたの。」秋紋は言った。「あの娘は勝っていたんですよ。それがなんとしたことか、李の大奥様が突然やって来たものだから、おかげで負けてしまい、怒ってふて寝しているんですよ。」宝玉は笑って言った。「おまえたち、あの人とまともに遣り合っちゃあだめだよ。あの人の好きなようにさせてあげなきゃ。」

 

 そう言っていると、襲人がやって来て、お互いに顔を合わせた。襲人はまた宝玉にどこで食事を食べたか、いつ戻って来たか尋ねた。また自分の母親や妹たちに代わり、同席の女たちに挨拶した。しばらくして衣服を着替え、化粧を落とした。宝玉が酪を取って来るよう命じると、小間使いたちは、「李婆やが食べてしまわれました。」と回答した。宝玉が一言言おうとすると、襲人が急いで笑って言った。「ああ、あなたが残して置くと言われたのはこのことでしたか。ご配慮ありがとうございます。以前、わたしが美味しいと言って、食べ過ぎてしまい、酷い腹痛に襲われ、最後は吐いてようやく良くなりました。あれは食べると美味しいのですが、ここに置いておくと、傷んで無駄になってしまいます。わたし、干し栗が食べたいわ。わたしに栗を剥いてくださらない、わたし、オンドルに布団を敷きますわ。」

 

 宝玉はそう聞いて、それを真に受け、酥酪(チーズ)を捨ててしまうと、栗を取って来て、自ら灯りの下で、栗を確かめながら皮を剥いた。一方で、皆が部屋の中にいないのを見て、襲人に笑って尋ねた。「今日、あの赤い服を着ていたのは、あなたの何に当たる人なの。」襲人は言った。「あれはわたしのふたりの姪っ子なんです。」宝玉はそう聞いて、思わず賛嘆した。襲人は言った。「何を感心しておられるの。わたしはあなたが心の中で何を思っているか分かっているんですよ。どうしてあんなところで赤い服を着ているんだと思っているんでしょう。」宝玉は笑って言った。「違うよ。あのような人は赤い服を着ないものだよ。誰が敢えて着るものか。僕はあの人が実際とてもきれいだったので、なんとかしてあの人がうちに来てくれたらいいのにと思ったんだ。」襲人は冷ややかに笑って言った。「わたしひとりが奴隷である運命であればいいんです。どうしてわたしの親戚まで皆奴隷となる運命を担わないといけないのでしょう。きっとまたとてもきれいな娘さんが選ばれて、あなたがたの家に来られるに違いないわ。」宝玉はそう聞いて、急いで笑って言った。「おまえはまた要らぬことを考えるんだから。僕が、うちに来る者は、必ず奴隷でないといけなくて、親戚は使えないなんて言ったかい。」襲人は言った。「それではあなたの身分に釣り合わないのですよ。」

 

 宝玉はそれ以上言うのを好しとせず、ひたすら栗の皮を剥いた。襲人が笑って言った。「どうして喋らないの。思うにわたしがさっき言ったことで、あなたの気を損ねたかしら。今後また腹を立てられるんだったら、何両か銀子を払ってあの娘たちをお買入れになったらいいわ。」宝玉は笑って言った。「おまえが言ったことに、どう答えたら良いか分からないよ。僕はあの人はきれいだと褒めただけさ。僕たちはこの広い屋敷の中で暮らしているけど、僕たちのような平凡で浅はかな人間はこうした汚らしい場所でしか生きていけないのさ。」襲人は言った。「あの娘はお金持ちの家の子供のようなすばらしい運命には恵まれていないけれども、家では可愛がられて育ち、叔父さんも叔母さんもとてもあの娘を可愛がり、今十七歳で、色々な嫁入り道具も皆準備できて、来年には嫁入りするのよ。」

 

 宝玉は「嫁入り」と聞いて、「ああ」とため息をつくのを禁じ得なかった。ちょうど気持ちのやり場が無くなった時に、また襲人がため息をついてこう言うのが聞こえた。「わたしはこの何年か、女兄弟たちとあまり会う機会がなく、今わたしが帰っても、あの娘たちは皆出て行ってしまうんだわ。」宝玉はこの話には隠された意味があると思い、思わずびっくりして、慌てて栗を落としてしまい、尋ねた。「どうしたって言うの。おまえ、家に戻らないといけないの。」襲人は言った。「わたし、今日母と兄が相談しているのを聞いたんですが、あと一年辛抱して、来年になったらわたしを身請けして行くそうなんです。」宝玉はこの話を聞いて、益々慌てて、尋ねた。「どうしておまえを身請けするの。」襲人は言った。「奇妙なことをおっしゃるのね。わたしはこちらの家で生まれた子とは違うんです。うちの家の者たちは皆別の場所にいて、わたしひとりだけがこちらにいたのでは、どうやって落ち着くことができるでしょうか。」宝玉は言った。「僕はおまえを行かせたくないよ。」襲人は言った。「未だ曾てそんな理(ことわり)は無いのですよ。たとえ宮廷だって、決まりがあって、何年かに一度人選があり、何年かに一度お解き放ちがあります。長らく人を留めておく理屈は無いのです。ましてやお宅の家では当然なのです。」

 

 宝玉はしばらく考えていたが、果たして理由を思いつき、言った。「お婆様がおまえを手放さないと言ったら、どうするの。」襲人は言った。「どうして手放されないの。わたしがもし得難い存在だったり、お婆様の心を動かしたりして、わたしが出て行くのを良しとされず、更にわたしの家に何両かの銀子をお与えいただけるなら、まだ可能性はあるかもしれません。でも実際、わたしなんて極めて普通の人間に過ぎず、わたしより優れた方はたくさんおられます。わたしは小さい時からお婆様にお仕えし、先に史お嬢様に何年かお仕えし、今回はまたあなたに何年かお仕えしております。うちの家からわたしを身請けに来たのなら、正に行かせてもらうべきだと思います。――おそらく、身請けの費用無しで、お慈悲でわたしを放免いただけるのではないかと思います。あなたにお仕えするためにわたしを行かせないというのは、絶対あり得ないことなのです。よくお仕えするというのは、職務柄当り前のことで、別に特別な功績ではありません。わたしが去っても相変わらずよくお世話するというのは、わたしがいなくてはできないことではないのです。」宝玉は話を聞いて、確かにここを去り、留まらない道理があるので、心の中では益々気があせって、それでこう言った。「確かにそうかもしれないが、僕は心からおまえに留まってほしいんだ。たとえお婆様がおまえの母親に言わなくても、ちょっと多くおまえの母親に銀子を渡せば、おまえの母親も申し訳なくておまえを身請けできないだろう。」襲人は言った。「わたしの母はもちろん、無理やりわたしを連れ帰るなんて、言う勇気はありません。かと言って、たとえよく相談し、もう少し銀子を出すと言われても、この決心を変えることはできないでしょう。また金は一銭も出さないが、あくまでわたしを留めたいとおっしゃれば、母もそれに従わない勇気はないでしょう。うちの家族は、これまで地位や権勢を頼みに、他人を虐げるようなことをしたことはないのです。これは他のこととは違います。喜んでもらえるなら、十倍の利を付けて、あなたに差し上げます。かの売主が損をしなかったら、それでも問題無いでしょう。今、もし縁もゆかりも無くわたしを留めても、こちらのお家になんの利益も無く、却って我が家は肉親が離れ離れになり、家庭に不和が生じるとしたら、このこと、大奥様、奥様はそうすることを良しと思われるでしょうか。」

 

 宝玉はそう聞いて、しばらく考え込んでいたが、やがてこう言った。「おまえはあれこれ言っていたけど、行くと決めたのか。」襲人は言った。「はい、行くと決めました。」宝玉はそう聞いて、しばらく考えてから言った。「おまえという奴は、こんな薄情で義理人情を解さない人だったのか。」そしてため息をついて言った。「もっと早くおまえが行ってしまうと知っていたら、僕、おまえをここに来させるんじゃあなかった。おまえが出て行ったら、僕がひとりぼっちで残されてしまうんだから。」そう言いながら、むかっ腹を立ててベッドに横になって寝てしまった。

 

 実を言うと、襲人は家で、彼女の母親と兄が彼女を身請けして連れ戻したいと聞いて、こう言った。「死んでも帰らないわ。」また言った。「曾て、元々あなた方が食べる飯が無く、残ったわたしが数両の銀子の値打ちがあったので、もしあなたがたにわたしを売らせなければ、父さんも母さんも飢え死にしていたことでしょう。今は幸いにもこちらに売られてきて、食べるものも着るものもご主人様と変わらず、朝に殴られ暮れに罵られることもありません。ましてや今は父は亡くなったけれど、あなたがたが努力して、家も家業も再建して、嘗てのように活力を回復しました。もし果たしてまだ生活が苦しいんだったら、わたしを身請けして、更に何がしかの銭を掴み取るのも、仕方ないし、実際難しくないでしょう。――でも、今度またわたしを身請けして、どうしようと言うの。むしろわたしはもう死んだと思ってもらった方がいいわ。またわたしを身請けし連れ戻すようなことは考えないでちょうだい。」そう言って、ひとしきり泣きとおした。

 

 彼女の母親と兄は、彼女が頑ななのを見て、自然と無理強いはしなかった。ましてや元々終身の契約で売り渡したのであり、明らかに賈のお屋敷が情け深く寛大な家であることを頼みとして、ちょっと頼んでみれば、ひょっとすると襲人の身請け費用も無償にしてくれるのではないかと思ったのだった。二に賈のお屋敷ではこれまで召使を虐待したことがなく、ただ恩情が多く威張り散らすことが少なく、しかも凡そ老人や子供の部屋でお仕えする少女たちの地位や待遇は、一般の召使と異なり、普通の庶民の家の少女でもこんなに大事にされることはなかった。このため、襲人の母と兄は、彼女を身請けすることを諦めた。そんなことがあった後、突然宝玉がやって来て、襲人と宝玉ふたりがまたあのような関係の光景を見せたので、母と娘ふたりの心の中は一層はっきりし、一個の石が地面に落ちたように心が定まった。しかも意外なことに、お互いに安心し、もうそれ以上何も言わなかった。

 

 さて襲人は幼い時から宝玉の性格が異常なのを見てきた。そのやんちゃで腕白なのは普通の子供の域を出て、更にいくつか様々な奇怪で言葉で言うことのできぬ性癖があった。最近は祖母が溺愛し、父母も十分に厳しく躾けできぬものだから、一層気ままに遊び歩き、自分の性癖を抑えようともせず、まともに学業に励むことを最も嫌った。いつも諫めようとする度、相手の忠告を聞こうとしなかった。今日はちょうど身請けの話が出たので、それで先ず多少巧い言葉遣いで宝玉の気持ちや態度を探ると、宝玉の気勢を削いでおいて、それから再び忠告や意見を出したのであった。今宝玉が黙って眠ろうとしたのを見ると、気持ちとしては忍び難いものがあるが、怒りは既に治まったのが分かった。自分は元々栗を食べたくなかったが、ただ酥酪(チーズ)のことで騒動が起きるのを恐れ、またあの茜雪のお茶の一件の時のように、わざと栗が食べたいというのを理由にして、宝玉がこのことを持ち出さないようだましたのだった。そして若い小間使いたちに命じて、栗を持って行って食べさせ、自分は宝玉の気持ちを押し動かそうとした。見ると宝玉は顔中泣いた痕があったので、襲人は笑って言った。「あなた、何がそんなに悲しいの。あなたがわたしを留めたいなら、わたしはもちろん出て行かないわ。」宝玉はこのことを聞くと、頭が回転し出し、そして言った。「じゃあ言って。僕がどうしたら、おまえは留まってくれるの。自分でも言い出しにくいんだ。」襲人は笑って言った。「私たちふたりの仲が良いことは、言うまでもないわ。けれどもあなたが安心してわたしを留めたいなら、それに頼ってはだめよ。わたしがそれとは別に三つの条件を出すから、あなたがそれに従うなら、それはあなたが本気でわたしを留めたいということだから、たとえ刃物を首に当てて脅されたって、わたしは出ていかないわ。」

 

 宝玉は急いで笑って言った。「おまえが言うのは、どんな条件なの。僕はおまえの言う通りにするよ。すばらしい、親愛な姉さん。二三の条件に限らず、二三百条件があったって、僕はおまえの言う通りにするよ。おまえたちが僕を見守っていてくれさえすればいいんだ、僕が死んで灰になって飛んで行く日までね。――いや、灰になって飛んで行ったとしても、灰が尽きてもまだ痕跡が残り、感覚が残る。――僕が軽い煙になって、風が吹いて飛ばされれば、おまえたちも僕を管理しようがなく、僕もおまえたちのことを考えなくていい。おまえたちが行きたいところにどこでも勝手に行けばいいのさ。」慌てた襲人は急いで彼の口を塞ぐと、言った。「すばらしいご主人様。わたしは正にあなたにこういうことをお諫めしているのですよ。これ以上言ったら恨みますよ。」宝玉は慌てて言った。「もうこのことは言わないよ。」襲人は言った。「これが先ず一番目に改めないといけないことですよ。」宝玉は言った。「改めるよ、また言ったら、おまえ、口に栓をしてよ。あとは何だい。」

 

 襲人は言った。「二番目は、あなたが本当に勉強が好きでも、好きなふりをしているのでもいいですが、旦那様の前や、他の方の前にいる時だけは、学問のある方をけなすようなことをおっしゃってはだめよ。勉強が好きな様子を示してちょうだい。そうすれば、旦那様もあまりお怒りにならなくていいし、人様の前でもご自分を誇ることができますから。旦那様は心の中では、我が家は代々学問の家柄であるのに、あなたになってから、学問を嫌うどころか、学問のある人を嘲笑されるものだから、――心の中で、お怒りになるやら悩まれるやら――それで背後で、或いは面前で叱責されているのですよ。凡そ学問を追求されている人に、あなたはあだ名を付けて、そういう方を「俸禄を食う虫」と呼んでいますね。また、「明徳を明らかにする」(『大学』の中の言葉)以外は書物は無いとかいったことを言われましたが、これは先人の言葉を自分で勝手に混ぜっ返されたものですね。――こうした言葉が、旦那様を怒らせ、いつもあなたを殴ろうとされるんですよ。」

 

 宝玉は笑って言った。「もう言わないよ。あれは僕が小さい時に、ものごとへの理解が欠けていて、あまりよく考えずに、口から出任せに言ったことで、今はもう言う勇気が無いよ。あとは何。」襲人は言った。「もうお坊さんや道士を誹謗するのは許しませんよ。あともっと大事なことは、もう女の子をからかったり、こっそり人の口の上に塗られた口紅を食べたりといった、女好きの病気を出してはだめですよ。」宝玉は言った。「みんな改めるよ。他に何かあったら早く言ってよ。」襲人は言った。「もうありません。ただ何事ももう少し慎重にして、勝手気ままに振る舞ってはだめよ。あなたがもし言われた通り皆守ってくれたら、八人で担ぐ駕籠を持って来ても、わたしを連れて行くことはできないわ。」宝玉は笑って言った。「おまえがここに長く居てくれたら、八人担ぎの駕籠に乗れないのを心配する必要はないさ。」襲人は冷ややかに笑って言った。「そんなもの珍しくもないですわ。そんな幸運があれば、そんな道理がなくても、そんな駕籠になんか乗りたくないですわ。」

 

 ふたりがちょうど話していると、小間使いの秋紋が部屋に入って来て、言った。「三更(夜の11時から翌日の1時)になりました、もうお休みの時間ですよ。先ほどお婆様が婆やを差し向けてお尋ねになられましたので、わたしはもう就寝されたとお答えしました。」宝玉は時計を持って来させて見てみると、果たして時計の針は子初の二刻(2330分)を指していたので、それでようやく手を洗い口を漱ぎ、寝間着に着替えて休んだのだが、特に言うべきこともない。

 

 翌日の早朝、襲人は起き上がったが、身体が重く、頭が痛くて眼が腫れ、四肢が燃えるように熱かった。最初はまだなんとか持ち堪(こた)えられたが、その後辛抱できなくなり、寝ているしかできなくなり、このため服を着たままオンドルの上に横になった。宝玉は急いで賈のお婆様に報告し、医師に連絡して診察してもらった。――医師が言うには、「たまたま風邪にかかっただけで、一二錠の薬を飲んでしばらく隔離すれば、良くなります。」とのことだった。薬を処方されてから、人に命じて薬を取ってそれをちゃんと煎じさせ、服用したら、彼女に命じて掛け布団を掛けて身体から汗を出させた。宝玉は自ら黛玉の部屋に、彼女に会いに行った。

 

 この時黛玉はベッドで昼寝をしていたが、小間使いの少女たちは皆それぞれの用事で出掛けていたので、部屋の中はしんと静まり返っていた。宝玉は糸で刺繍を施した柔らかい帷をめくって、部屋の中に入ると、黛玉がそこで寝ているのが見えたので、急いで彼女を揺すって言った。「良い娘だ、ご飯を食べたばかりで、また寝るなんて。」そう言って、黛玉を目覚めさせた。黛玉は見ると宝玉であったので、こう言った。「あなた、ちょっと外でぶらぶらして来て、わたしは昨晩は一晩中騒いで、今朝はまだ休めていなくて、体中がだるくて痛いの。」宝玉は言った。「身体がだるくて痛いのは大したことじゃない。寝不足は身体に悪いよ。僕が君に気晴らしさせてあげれば、眠気も吹き飛ぶよ。」黛玉はただ眼を合わせて、こう言った。「わたし、眠いんじゃなくて、ただちょっと休みたいだけよ。あなた、ちょっと他所へ行ってしばらく騒いでから、また来てちょうだい。」宝玉は彼女を揺すって言った。「僕、どこに行けばいいのさ、他の人に会っても、うんざりするだけだよ。」

 

 黛玉はそう聞いて、「くすっ」と笑って言った。「あなた、ここに居たいんなら、あちらに行っておとなしく座ってなさい。わたしたち、お話ししましょう。」宝玉は言った。「僕も横になりたいんだ。」黛玉は言った。「それなら横になりなさいよ。」宝玉は言った。「枕が無いよ。僕たち、同じ枕を使おうよ。」黛玉は言った。「この糞ったれ。外にあるのは枕じゃないの。ひとつ取ってきて枕にすれば。」宝玉は外の部屋に行って、ちょっと見ていたが、戻って来て笑って言った。「あれは要らないよ。どこの汚い婆さんのものかもしれないし。」黛玉はそう聞くと、眼をぱっと見開いて、起き上がって笑って言った。「本当にあなたって人は、わたしが命中した「心の悪魔」ね。――いいわ、これを枕にして。」そう言いながら、自分の枕を宝玉に渡し、また起き上がって、自分用にまたひとつ枕を取って来て敷き、ふたりは顔を見合わせながら横になった。

 

 黛玉が一目見回すと、宝玉の左側の頬の上に、ボタンの大きさの血の痕が見えたので、身体を曲げて近づいて見て、手で撫でながら細かく見て言った。「これはまた誰の指の爪で引っかかれてできたの。」宝玉は身体の向きを変えると、一方で隠れながら、一方で笑って言った。「引っかかれたんじゃあないよ。たぶんさっき彼女たちのために口紅を練ってあげている時に、ちょっと飛び散ってしまったんだろう。」そう言いながら、ハンカチを捜して擦り取ろうとした。黛玉は自分のハンカチで、彼の代わりに擦り取ると、チェッと舌打ちしながら言った。「あなたはまたそんなことをしていたの。してもいいけど、それなら看板を出さないといけないわ。叔父様はご存じなくても、他人が見ていて、奇妙な話として噂に上れば、叔父様に吹聴する者も出てくるから、皆また心中穏やかでいられなくなるわ。」

 

 宝玉は黛玉が言う話を全く聞いていなかったが、ふと優雅な香りがして、それが黛玉の袖の中から漂ってきて、この匂いを嗅ぐと、酒に酔ったようにうっとりし、全身の力が抜けるような気がした。宝玉は黛玉の衣裳を引っ張ってきて、何が中に籠められているのか見てみた。黛玉は笑って言った。「今になって、誰から何の香りをもらったのかしら。」宝玉は笑って言った。「それなら、この香りはどこから来たの。」黛玉は言った。「わたしも知らないわ。きっと引き出しの中の香りが染みついたのかもしれないけれど、分からないわ。」宝玉は首を振って言った。「いや違うよ。この香りの匂いは不思議だ。香の餅や球、香袋の香りじゃない。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「まさかわたしまで「羅漢」様や「真人」様からこんな奇妙な香りをいただかないといけなくなるなんて。いただいたこの奇妙な香りは、お兄様や兄弟たちが、花の蕊や霜や雪を漬けて作ったものではないわ(第七回で薛宝釵の飲んでいる薬のとんでもなく手間のかかる処方を皮肉っている)。これは普通の香の香りよ。」

 

 宝玉は笑って言った。「僕が何か一言言ったら、君はこうしてあれこれ引っ搔き回すんだから。君に厳しく言わないと、分かってもらえないな。今日からは君を許さないよ。」そう言うと、身体の向きを変え、両方の手に二回息を吹きかけて温めてから、手を伸ばして黛玉の両方の脇の下をめくらめっぽう引っ掻いた。黛玉は元々触られるとこそばゆく感じるのを禁じ得ず、宝玉が両手を伸ばしてやたらに引っ掻くのを見ると、可笑しくて息もつけなくなり、口ではこう言った。「宝玉、これ以上やったら、わたし、怒るよ。」 宝玉はようやく手を止め、笑って尋ねた。「君、まだこのことをごちゃごちゃ言うのかい。」黛玉は笑って言った。「もうそんなことする勇気がないわ。」一方でもみあげをいじりながら笑って言った。「わたしには奇妙な香りがあって、あなたには「暖かい香り」があるわね。」

 

 

 宝玉は尋ねられたことを聞いて、しばらくは何のことか分からず、それで尋ねた。「「暖かい香り」って何のこと。」黛玉は頷き、笑ってため息をついて言った。「おバカさんね。あなたには玉があって、人は金があればあなたに釣り合うと言うわ。人に「冷たい香り」があると、あなたに「暖かい香り」が無いと釣り合わないじゃあない。」宝玉はようやく言っている意味が聞き取れ、それで笑って言った。「さっきは許すと言ったけど、今はもう容赦しないよ。」そう言いながら、また手を伸ばそうとした。黛玉は慌てて笑って言った。「大好きなお兄様。わたし、もうこんなことをする勇気はありません。」宝玉は笑って言った。「君を許すのは難しくないけど、ただ袖をちょっと臭わせて。」そう言って、袖を引っ張ると、顔の上に被せ、じっと匂いを嗅いだ。黛玉は手を振り解いて言った。「こんなことして、もうあっちへ行って。」宝玉は笑って言った。「向こうへ行くなんてできないね。僕たち、上品に横になったまま話そうよ。」そう言いながらまた横になると、黛玉も横になり、ハンカチで顔を覆い隠した。

 

 宝玉はとりとめもなく作り話をしたが、黛玉は相手にしなかった。宝玉は黛玉に何歳の時上京したか、都への途中、どんな景色を見たか、揚州にはどんな旧跡があるか、土地の風習はどうか尋ねたが、黛玉は答えなかった。宝玉は彼女がまた眠くなったのではないかと思い、彼女の機嫌を取って言った。「あれ、おたくの揚州の役所で一件、大きな事件があったのは、君も知っているでしょ。」黛玉は宝玉が丁重な物言いで、言葉が厳かで、顔つきも厳しくなったので、本当のことだと思い、それで尋ねた。「どんなことなの。」宝玉は尋ねられたのを見て、笑いを堪え、口から出任せにこう言った。「揚州に黛山という山があり、山の上に林子洞という洞窟がありました、……」黛玉は笑って言った。「これはでたらめね。元々そんな山の名前、聞いたことがないわ。」宝玉は言った。「天下に山水はたくさんある。君がどうして全部知っているものか。僕が話し終わってから、批判するといいよ。」黛玉は言った。「続けて。」宝玉はまた出任せに言った。

 

 「林子洞には元々一群の鼠の精が住んでいました。その年の十二月七日(臘月初八)、年寄りの鼠が席に昇って議論し、言いました。「明日は十二月八日(臘八)で、世の中の人は皆 臘八粥を煮るのですが、今、わたしたちの洞窟の中の干した木の実は残り少なくなって、この機会に少し強奪して来ないといけないです。」それで令箭(昔の軍隊で命令を発する時に証拠として用いた矢のような形のもの)を一本抜いて、有能な若い鼠を派遣し調べさせた。若い鼠はこう回答した。「各所に確認しましたが、ただ山の下の廟宇の中だけが、木の実や米が最も多いことが分かりました。」年寄りの鼠がそれで尋ねた。「米は何種類、木の実は何種類あるんだ。」若い鼠は言った。「米も豆も蔵一杯あります。木の実は五種類しかありません。一にナツメ、二に栗、三に落花生、四にヒシ、五にタロイモです。」

 

 年寄りの鼠は大いに喜び、すぐに一本の令箭を抜いて、尋ねた。「誰が米を盗るに行くのか。」一匹の鼠が命令を受けて米を盗りに行った。また令箭を抜いて尋ねた。「誰が豆を盗りに行くのか。」また一匹の鼠が命令を受けて豆を盗りに行った。その後ひとつひとつ、それぞれ命令を受けて盗りに行った。最後にタロイモが残った。それで令箭を抜いて尋ねた。「誰がタロイモを盗りに行くのか。」とても小さくとても弱そうな若い鼠が答えて言った。「わたしがタロイモを盗りに行きたいです。」

 

 年寄りの鼠とそれ以外の鼠たちは、この小さな鼠が仕事に慣れておらず、臆病で無力であるのを恐れ、仕事に行くのを許さなかった。小さな鼠は言った。「わたしは歳若く身体も弱いですが、法術は限りが無く、口や歯は利発で、機智謀略に富んでいます。この任務を行かせてもらえば、必ず他の鼠たちより巧みに盗んできますよ。」他の鼠たちは急いで尋ねた。「どうやって他の鼠たちより巧く盗むんだ。」小さな鼠は言った。「わたしは彼らのように直接は盗ることはせず、身体を揺すって変身すると、タロイモに変身し、タロイモを積んだ山の中に紛れ込み、人に見られていない隙に、こっそりと運び出し、徐々に全部搬出してしまいます。こうした方が、直接盗って来るより巧妙でしょう。」

 

 鼠たちはそう聞いて、皆言った。「巧妙と言えば巧妙だが、でもどういう風に変身するんだ。おまえ、先に変身して我々に見せてくれ。」小さい鼠はそう聞いて、笑って言った。「それは容易いことです。変身するのを見ていてください。」そう言うと、身体を揺すって言った。「変身。」ところがなんと、たいへん美しい、ひとりの少女に変身した。鼠たちは笑って言った。「違うよ、違うよ。元々木の実に変身すると言ったのに、どうして少女に変身してしまったの。」小さい鼠は元の身体に戻って、笑って言った。「わたしに言わせると、あなたがたは世の中のことをご存じない。この木の実がタロイモ(香芋xiāng yù)であることしか認めず、巡塩御史の林旦那様のお嬢様こそ真の「香玉」(xiāng yù、香芋と同じ発音)であることをご存じないのだ。

 

 黛玉は話を聞いて、身体の向きを変えて起き上がると、宝玉の身体を押さえながら笑って言った。「あなたという人は余計なことを言う人ね。あなたがわたしの欠点を捏造してしまうのが分かったわ。」そう言うと、宝玉をつねった。宝玉は何度も何度も懇願して言った。「良い娘だから、僕を許して。もう言わないから。僕は君のあの香りを嗅いだので、ふとこんな昔話を思いついたんだ。」黛玉は笑って言った。「人を怒らすだけじゃなく、それを口実に昔話を引用するんだから。」

 

 話し終わらないうちに、ふと宝釵がやって来て、笑って尋ねた。「誰が昔話を話したの。わたしにも聞かせて。」黛玉は慌てて場所を空けて宝釵を座らせると、笑って言った。「見てみて。あと誰がいると思う。この人ったら、人を怒らすだけじゃなく、それを口実に昔話を引用するのよ。」宝釵は笑って言った。「あらまあ、宝兄さんじゃない。この人なら無理もないわ。この人のお腹の中の昔話は元々たくさんあるんだから。――でもただひとつ残念なのは、昔話を使うべき時に、この人はあいにく忘れてしまうんだから。今日憶えているんだったら、先日の晩の芭蕉の詩は憶えているわよね。実際の問題に直面すると、却ってこれまで学んだことを忘れてしまうし、関係の無いことは冷静に見ていられる。この人は汗で出してしまうけどね。今回は却ってまた良く憶えていたみたいね。」黛玉はそう聞いて、笑って言った。「南無阿弥陀仏。やっぱりわたしのすばらしいお姉様ね。――あなた、ある意味好敵手に出逢われたのね。ひとつ悪いことをすると、必ず一度その報いを受ける。このことは間違いないと知りました。」ちょうどそう言っていた時、宝玉の部屋で大声でわめく声が聞こえた。何事が起こったのでしょうか、次回に解説いたします。

 今回は、2010年1月投稿のブログの再掲載です。

 

 中国語の成語、特に四字成語ですが、数字(数詞)を使ったものが数多くあります。例えば、九死一生、一朝一夕、七手八脚、独一無二、などといったことばです。今回は、その数詞を使った成語の特徴について、紹介したいと思います。

 内容は、(1)意味からの分類、(2)文法構造の違い、(3)修辞方式として、の三つの観点から整理しています。

 尚、この内容は、中国語WEBサイトの百度知道の《数字成語》から採らせていただきました。

 

 以下のリンクから本文をご覧ください。

 

 

 

 

 2010年の1月に投稿した内容を、再掲載させてください。中国語ネイティブの方の話の中では、故事成語が実によく使われ、またそれが話の肝になっていることが多々見られます。

 

 成語を理解する、覚える、というのも、中国語学習の重要な内容なのですが、中国語の成語、特に四字の成語については、前後二字ずつの対句が組み合わさってできたものが多く見られます。

 

 それでは、その二字の対句の組み合わせが、どのような内容で構成されているか、そしてそれがどのような意味で使われているかということを調べてみるのも面白いのではないか、ということで、この投稿内容となりました。

 

 中国語学習をされている方の、学習の一助になれば幸いです。

 

 

 

 以前投稿した記事を、もう一度ご紹介したいと思います。2009年9月の投稿分です。

 

 「歇后語」という、中国語の掛け言葉、しゃれ言葉の紹介です。

 

 2つの文で構成され、前の文章でなぞなぞの問題が出され、後ろの文がその回答になっています。

 そして「歇」(休息する、やめる)后語なので、わざと後半は言わず、聞いている相手が、「ははん」と理解できるようになっています。

 

 それでは、以下のリンクから、本文をご覧ください。

 

 

 

 よろしくお願いします。

 

 

 元春妃が里帰り時に滞在される離宮が完成し、お里帰りは元宵節の日と決まります。当日、栄国府、寧国府では、一族全員で盛大にお出迎えをします。元春妃は離宮の中を見て回られ、この庭園の名前を「大観園」と名付けられます。そして女兄弟たちと宝玉に、各景勝地を題に、詩を作るよう要求されます。その結果、どうなるか、『紅楼夢』第十八回の始まりです。

 

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皇恩により重ねて元妃は父母を省(かえり)みる

天倫の楽しみ(一家団欒)をもって宝玉は才藻(詩文の才)を呈す

 

 さてこの時、報告する者がいて、工事の上で装飾に使う紗(さ)や綸子(りんず)を待っていて、鳳姐に倉庫を開けてほしいと依頼して来た。また別の者が報告に来て、鳳姐に金銀の食器を集めておいてほしいと依頼して来た。王夫人やその侍女たちは皆たいへん忙しく、閑が無かった。宝釵はそれで言った。「わたしたちはここで邪魔をしてはいけないわ。」そう言うと、宝玉らと迎春の部屋に行った。

 

 王夫人は毎日忙しくしていたが、十月中には全ての準備を終えた。管理、監督をする者は、買掛金の支払いを全て済ませた。各所の骨董や文房具は、全て並べ終えた。購入した小鳥、丹頂鶴、鹿、ウサギ、鶏、ガチョウなどは、既に全部購入し、園内の各所に渡して飼育をした。賈薔の方でも二三十の様々な種類の芝居の上演を準備していた。若い尼僧や女道士たちのグループも、念仏や経典の朗誦ができた。それで賈政は多少心が落ち着き、遂に賈のお婆様に大観園にお越しいただき、いろいろ吟味いただき、手配が適当かどうか、まだ多少不具合が無いか見ていただいた。賈政はそれでようやく上奏文を題することができた。上奏の日にちはこのようにした。「来年正月十五日上元の日に貴妃殿下にお里帰りいただきます。」賈のお屋敷ではこの上奏を奉じるや否や、昼も夜も多忙となり、年越しもちゃんと過ごすことができなかった。

 

 瞬く間に元宵節が近づき、一月八日から、宦官が来られ、先ず導線を確認された。どこでお召替えをされ、どこにお座りいただくか、どこでご挨拶を受けていただき、どこで宴会を催し、どこでご休息いただくのか。巡察地方総理関防太監は、多くの部下の宦官を連れて来て、各所を防備し、幕を張って遮断し、賈のお屋敷の人々にどこから出入りし、どこで配膳し、どこで通知をするか、様々な儀礼上の注意を指示した。外では工部の役人、並びに五城兵馬司が街道の清掃を行い、野次馬を追い出した。賈郝らは職人たちを監督して飾り燈籠や花火の準備を行い、十四日までに、全て準備を終えた。前日の夜は、上から下まで皆眠ることができなかった。

 

 十五日の五つの太鼓が鳴る時間(明け方の3時から5時)になって、賈のお婆様ら、爵位のある者は、皆それぞれ位に応じて身繕いをした。この時、大観園の中では天幕にとぐろを巻いた龍の図柄が刺繍され、窓のカーテンには鳳凰の図柄が刺繍され、金銀が様々な色彩に輝き、真珠や宝石が眼に眩しく、鼎の中では各種の香料が燃やされ高貴な香りが漂い、花瓶には四季折々次々花をつけて枯れない日日草が活けられ、しんと静まり返り、誰一人咳払いをする者もいなかった。賈郝らは西の通りの門の外に、賈のお婆様らは栄国府の大門の外にいた。街角の路地の入口には、幕が張られて厳重に遮断されていた。正に待ちくたびれて我慢できなくなった頃、ふとひとりの宦官が馬に跨りやって来たので、賈政が近づき、その知らせを尋ねた。宦官は言った。「まだ早過ぎますよ。未(ひつじ)の初刻(午後1時)に夕食をお召し上がりになり、未の正刻(午後2時)に宝霊宮で仏様を拝まれ、酉(とり)の初刻(午後5時)に大明宮に入られ宴会に参加され灯会(ランタン祭り)をご覧になって、今しがた指示を下されたばかりです。おそらく戌(いぬ)の初刻(夜7時から8時)にやっと出発されますでしょう。」鳳姐はそう聞いて言った。「そうであるなら、お婆様と奥様はしばしお部屋にお戻りください。時分になるのを待って、また来ても遅くないですわ。」そして賈のお婆様たちはぞれぞれ戻って行った。大観園の中のことは、全て鳳姐の手配に任された。執事たちは、宦官たちを連れて酒や食事でもてなし、一方ろうそくを持った人が順番に入って行き、各所に灯りを付け始めた。

 

 ふと外で馬が駆ける音がばらばらと聞こえ、十数人の宦官が、ハアハア息を切らせて走って来て手を叩いた。これらの宦官たちは皆よく心得ていて、来られたのを知り、それぞれが決められたところに立った。賈郝は一族の子弟を率いて西の通りの門の外で、賈のお婆様は一族の女性の親族を率いて大門の外でお出迎えをし、しばらくの間はひっそり静まり返っていた。ふとふたりの宦官が馬に乗りゆっくりとやって来た。西の通りの門に着くと馬を降り、馬を幕の外まで牽いて行き、西を向いて立った。しばらくしてまた一組の宦官が来て、同じようにした。しばらくして十数組の宦官が来て、ようやくかすかに太鼓や楽隊の音が聞こえてきた。ふたり一組で鳳凰、龍を描いた旗、雉の羽で作った宮扇を掲げ、また金の取っ手の付いた香炉からは香が焚かれ、その後ろから柄の曲がった黄金の七匹の鳳の図柄の傘がやって来て、これは冠、上着、ベルト、靴であり、また執事の宦官がナプキン、ハンカチ、口を漱ぐ盆、埃払いなどを捧げ持っていた。一隊一隊が通り過ぎ、後ろから八人の宦官に担がれた金色の屋根に淡い黄色の鳳の刺繍がされた鈴のついた駕籠が、ゆっくりと進んで来た。

 

 

 賈のお婆様たちは急いで跪こうとすると、早くも宦官がやって来て、賈のお婆様らを助け起こし、その鈴のついた駕籠を大門の内に担ぎ入れ、東側の中庭の門の前まで来ると、宦官が跪き、駕籠を下りてお召替えを請い、そして門を入ると、宦官はその場を離れ、女官の昭容、彩嬪らが元春の手を引き駕籠より下した。見ると、苑内には様々な色の飾り提灯がきらめいていたが、どれも紗や綾を縛って作られ、たいへん精緻であった。上にはランタンの扁額が掛けられ、「体仁沐徳」tǐ rén mù dé(仁愛を体得し恩徳に浴する)の四文字が書かれていた。元春は部屋に入ると、衣を着替えてまた出て来て、駕籠に乗って大観園に入った。園内ではお香の煙がゆらゆらたなびき、花の影が入り乱れ、ランタンの灯りの光が方々を交互に照らし出し、絶えずかすかに抑揚のある音楽の音が聞こえて来た。社会の安定のおかげで、このような繁栄した情況が出現し、富貴で贅沢な生活が送れるようになったのだ。

 

 さて賈妃(元春妃)は駕籠の中でこの庭園の内外の光景を見て、頷きため息をついて言った。「とても贅沢で、お金を使いすぎだわ。」ふとまた宦官が跪き、舟に乗るよう言っているのが見えた。賈妃は駕籠を降り舟に乗ると、清流の流れる一帯で、水の勢いはまるで龍が遊ぶようで、両側の石造りの欄干の上には、水晶ガラスの様々な色のカンテラが吊るされ、付いた灯りはまるで銀の光や雪の浪のようであった。上の方は柳や杏子や様々な樹木で、花や葉が無くとも、様々な色の絹や綾、カミヤツデを花に見立て、枝に貼り付け、一株毎にたくさんのランプを吊るしていた。更に池の中は蓮やジュンサイ、野鴨や鷺の灯りで装飾され、それらは皆巻貝、カラス貝、羽毛などで作られ、上も下も輝きを競い、水面も天空もキラキラ輝き、真にガラスの世界で、真珠や宝石でできた天地であった。船の上にはまた様々な盆栽や、真珠で装飾されたカーテンや刺繍されたとばり、木犀の櫂やモクレンのオールなど、一々言うまでもなかった。舟は既に石港というところに入り、港の上は扁額が灯りに照らされ、明らかに「蓼汀花溆」liǎo tīng huā xùの四文字が書かれていた。

 

 

 皆さん、聞くところによると、「蓼汀花溆」及び「有鳳来儀」などの文字は、どれも前回賈政がたまたま宝玉の詩才を試した時のもののようだが、どうして真面目にそれを採用するに至ったのだろうか。思うに賈のお屋敷で、代々詩や書は、自ずと一二の名手が題して詠んだもので、どうして成金の家のように、なんと子供が戯言で適当に言った言葉を使うのか。ただ当時は、この賈妃が宮廷に入られる前のことで、幼い時から賈のお婆様が教育をされた。後に宝玉が生まれ、賈妃は長姉、宝玉は幼弟であったので、賈妃は母親が年配であるのを気遣い、この弟をひとり慈しみ始めた。それと同じく賈のお婆様にもかしずき、一時も離れることがなかった。かの宝玉は家塾へ入学する前、三四歳の時、既に元春妃より何冊かの本を口伝で教授を受け、数千字の文字を理解していた。ふたりは兄弟であったが、また母子のようでもあった。元春妃が宮廷に入られて後、時々手紙で父兄に言って来たのは、(宝玉のことを)「くれぐれもよく養ってやってください。厳しくなければりっぱな人物になれない。でも厳し過ぎると、予期せぬことが起こって、お婆様に心配をかけるかもしれない。」一族の者を気にかける気持ちは、ひと時も忘れたことがなかった。先日は賈政が、家塾の先生が宝玉はたいへん才能があると称賛したので、大観園の園内を下見した時、雑談をしながら詩才を試したのであり、有名な文豪の大作とは言えないが、独特な風格が見られた。しかも賈妃がこれをご覧になり、愛する弟の所作と知れば、またその平素より切望されていた気持ちに背くこともなかった。このため宝玉が題したものが用いられたのであった。――この日、まだ題が掲げられていない所には、その後に題が補なわれた所も数多かった。

 

 さて賈妃はこの四字を見ると、笑って言った。「「花溆」の二字は良いが、どうして「蓼汀」でなければならないの。」お傍に座っていた宦官がそれを聞き、急いで舟を降りて岸に登り、伝言を賈政に飛ばすと、賈政は即刻これを改めた。この時舟は岸辺に臨み、賈妃は舟を出て駕籠に乗られたが、琳宮(道観)がしなやかに建ち、桂殿が高々と聳え、石の牌坊に「天仙宝境」の四字が書かれているのを見て、賈妃は「省親別墅」(里帰りの別荘)の四字に改めるよう命じられた。そして行宮に入ると、庭園内のかがり火が四方を照らし、良い香りが、雪が地面を覆いつくすかのように辺りに漂い、灯火の焔が仙境の奇花異草のように燦々と輝き、建物は黄金の窓、玉の敷居のように豪華であった。エビの髭のように美しく巻かれたカーテン、カワウソの毛皮で作った豪華な絨毯、鼎の中で燃やされた麝香と龍涎香の香りが漂い、雉の尾の扇が立て掛けられるなど、全てを言い尽くせぬ程であった。真に、

 

金門の玉戸神仙の府、桂殿の蘭宮妃子の家

 

賈妃は尋ねた。「この御殿にはどうして扁額が掛かっていないのですか。」侍従の宦官が跪いて説明した。「ここは正殿でありますので、外臣は勝手に名を付けるのは畏れ多いためです。」賈妃は頷いた。礼儀担当の宦官が座に昇って礼を受けていただくよう請うと、東西の階の楽隊が音楽を奏で出した。二番目の宦官が賈郝、賈政らを月台の下に導き、一族がグループで御殿に登った。女官の昭容が諭旨を伝えて言った。「許す。」そう言って退いた。次に栄国太君(賈のお婆様)と女性の親族らが東の階から月台を登って並ぶと、 昭容が再び諭旨を述べた。「許す。」そう言って、また退いた。

 

 茶を三献捧げると、賈妃は座を降り、音楽は止まり、側室に退きお召替えをされると、準備されていた車に乗られ、大観園を出られた。 賈のお婆様の正室に着くと、家族の挨拶をしようとされたが、賈のお婆様らが皆跪いてこれを止めた。賈妃は涙を流し、お互いに近づき顔を合わせ、片手で賈のお婆様を引き寄せ、片手で王夫人を引き寄せ、――三人は胸いっぱいで、皆色々なことを言いたかったが、言葉が出て来ず、ただ嗚咽し涙を流すだけであった。邢夫人、李紈、王熙鳳、迎春、探春、惜春らは、皆傍らで涙を垂れ無言であった。しばらくして、賈妃がようやく悲しみをこらえ、作り笑いを浮かべ、慰めて言った。「あの時はわたしを人とお会いすることのできない所に送っていただき、それからようやく今日家に帰ることができました。皆さん、今日は笑うなとは言いませんが、でも泣いてばかりいる訳にもいかない。しばらくしたらわたしは帰ってしまい、今度はいつまたお会いできるか分かりません。」ここまで言うと、思わずまた嗚咽がこみ上げてきた。 邢夫人が慌てて近寄り、気持ちをなだめた。賈のお婆様たちは賈妃をまた椅子に腰かけさせ、また逐次ひとりひとりと顔を合わせたが、またひとしきり泣くのを止めることができなかった。その後東西の両お屋敷の執事たちが外庁で儀礼を行った。嫁たちや召使たちの挨拶も終わった。賈妃はため息をついて言った。「たくさんのご親族の方がおられますが、残念ながら全てにお会いすることはできないわ。」

 

 王夫人が進み出て言った。「今、外戚の薛王氏と宝釵、黛玉が外で仰せを待っています。女系の親族や職に付いていない者は、敢えて入って来ておりません。」賈妃はそれで皆に入って来てもらい、面会することになった。しばらくして薛の叔母様らが入って来て、国礼をしようとしたが、元妃は席を降りて来て止められ、近づいて各々長らく分かれていた間のことを述べられた。また元々一緒に宮廷に連れて行った召使の抱琴らが跪いて頭を地面に付ける挨拶をすると、賈のお婆様が急いで手を貸して起こすと、別室に行かせてもてなした。執事の宦官、女官の彩嬪、昭容、各々の侍従の人たちは、寧国府及び賈郝のお屋敷の人たちが接待をした。ただ三四人の年若い宦官だけが残り、諸連絡の対応をした。母娘の間、女兄弟たちの間で、長らく離れている間の事情や、家の情況、個々人の情況をあれこれ語り述べるのを止めることはできなかった。

 

 また賈政がとばりの外へ行き、賈妃のご機嫌を伺い、挨拶をした。元妃(賈妃)はまた父親の賈政に言った。「普通の農家の家では、生活は質素で、食べ物は粗末、衣服も簡単なものしか着れませんが、家族が集まって団欒をすることができます。今は富み栄えても、肉親が離れ離れになり、遂には興趣が無くなってしまいました。」賈政もまた涙ながらに述べて言った。「わたしは貧しい家庭の出身で、ごく普通の人間であるのに、どうして鳳が飛び立つ吉祥の兆しに乗ろうなどという大それたことを考えるでしょうか。今日貴妃殿下は皇帝陛下が下された恩典を得て、ご先祖様の徳行を顕かにされ、これ皆山川日月の精華の賜物であり、ご先祖様の遥かな徳が、ひとりの身の上に集まり、その幸せがわたしたち夫婦に及んだものです。今日の統治者は天地が活き活きとして休むことなき偉大な徳業に倣い、未だ曾て無い巨大な恩典を下さり、たとえこの身を犠牲にしたとて、取るに足らぬものしかお返しできません。ただ朝から晩まで真面目にお勤めに励んでこそ、自分の職責に忠実でいられるのです。伏して聖君の万歳千秋、天下蒼生の福を願うものであります。貴妃殿下におかれては決してわたしたち夫婦の残る寿命のことなどお考えなさらず、もっと自分が上様に寵愛されることを祈り、ただ謹んで厳かに謙虚にお仕えすることだけを考え、皇上のわたしたちに対する恩寵、厚愛に背くことの無いようにしてください。」賈妃もまたこう言い聞かせた。「国家の事務が繁忙な際は、しっかり勤めよ。閑な時は、心身の保養に努めよ。決して忘れること無きよう。」

 

 賈政はまたこう述べた。「大観園中の全てのあずまやや楼閣には、皆宝玉が題を付けました。もし一二ヶ所でも眼に止められたところがございましたら、名を賜れば幸いでございます。」 元妃は宝玉が題を付ける才能があると知り、微笑んで言った。「確かにあの子の詩才は進歩しましたね。」賈政が退出した。元妃はそれで尋ねた。「宝玉はどうして姿を見せないの。」賈のお婆様はそれで申し述べた。「官職のない男性親族は、勝手に入って来ません。」元妃は宝玉を連れて来るよう命じた。歳若い宦官が宝玉を連れて入って来ると、先ず国礼を行わせてから、お傍に来させ、手を取って胸に抱き寄せ、宝玉の首筋を撫でて笑って言った。「前より随分大きくなって――」ことばが終わらぬうちに、涙が雨のように流れた。

 

 尤氏、鳳姐らが進み出て申し述べた。「宴席の準備ができました。貴妃殿下、どうかお出ましください。」元妃は立ち上がると、宝玉に命じてエスコートさせ、遂に人々と一緒に歩いて大観園の門前に至った。早くも灯光の中、諸般の物が順番に並べられているのが見えた。庭園の中に入ると、先ず「有鳳来儀」、「紅香緑玉」、「杏簾在望」、「蘅芷清芳」などの場所から、楼閣に歩いて登り、川を渡り山に登り、景色を眺望しつつ歩き回った。どの場所も設えが華麗であり、文物は一点一点新奇な特徴を持っていた。元妃は大いに称賛され、また諫めた。「今後は贅沢過ぎるのはだめよ、ここは皆やり過ぎだわ。」既に正殿まで来たので、皆に跪いて礼をするのを止め、席に座るよう命じ、大いに宴会が開始された。賈のお婆様らは下座でお相伴し、尤氏、李紈、鳳姐らはスープを捧げ持ち、手に酒杯を持った。

 

 

 元妃はすなわち筆に墨、紙、硯を準備するよう命じ、自ら沙や紙を手にし、自分の好きな名を選んで与えられた。よってこの庭園全体の名は「大観園」と題し、正殿の扁額は「顧恩思義」とした。対聯に言う:

 

天地は宏慈を啓(ひら)き、赤子と蒼生(人々)は同じく感じ戴(いただ)く。

古今曠典(こうてん。世にまれな大きな儀式)を垂れ、九州万国恩栄を被る。

 

 また「有鳳来儀」の題を改め、「瀟湘館」の名を賜った。「紅香緑玉」は「怡紅快緑」(「紅」は海棠、「緑」は芭蕉のこと。「怡」、「快」は好むこと)と改め、「怡紅院」の名を賜った。「蘅芷清芳」は「蘅蕪院」の名を賜った。「杏簾在望」は「浣葛山荘」の名を賜った。正楼は「大観楼」と言った。東側の飛楼は「綴錦楼」と言った。西側の叙楼は「含芳閣」と言った。更に「蓼風軒」、「藕香榭」、「紫菱洲」、「荇葉渚」などの名があった。扁額には「梨花春雨」、「桐剪秋風」、「荻蘆夜雪」などの名があった。また既に扁額や対聯が掲げてあれば、それを取り外してはならないと命じた。そして先ずひとつ絶句を次のように題した。

 

山に銜(つら)なり水を抱いて建ち来るは精(精緻)、多少の工夫(どれだけの時間)にて築くや始めて成る。

天上、人間(じんかん。人間社会)の諸景備わり、芳園は「大観」の名を錫(賜、たま)う応(べ)し。

 

 題し終わり、女兄弟たちに向かい笑って言った。「わたしが元々才能に乏しく、詩を詠むのが苦手であったことは、皆さん方は固よりよくご存じのはずです。今夜はとりあえず詩作をする責任を果たして、眼の前の景色に背くことのないようにいたしましょう。今後時間ができたら、必ず「大観園記」や「省親頌」などの文を追加で著し、今日のことを記録します。皆さんがたも各題に一扁一詩を、自由に発表してください。自分は才能が無いからと勝手に自分を束縛してはなりません。また宝玉は詩を題し詠む才能をお持ちだそうだから、ひとつそれを発揮してくれると嬉しいです。この庭園中の瀟湘館、 蘅蕪院 の二ヶ所は、たいへん気に入りました。それに次ぐのが怡紅院、 浣葛山荘 です。この四ヶ所は、必ず他にも詩を題するとおもしろいと思います。前に題された対聯はすばらしいのですが、今もう一回それぞれ五言の律詩を一首作り、わたしの目の前で試してくれれば、わたしがあなたがたがまだ幼い時から詩文を教えた苦心に背くことがないと思います。」宝玉は「はい」と答えるしかなく、庭に下りると自ら構想を練った。

 

 迎春、探春、惜春の三人の中で、 探春が姉妹たちの中では才能が一番優れていると思われたが、自分では薛宝釵や林黛玉とは比べられないと思い、他の人たちに従い命令に応じるしかなかった。李紈もなんとか絶句を一首作った。賈妃は順番に女兄弟たちの詠んだ詩を見たが、次のように書かれた。

 

曠性怡情(扁額)  迎春

 

園は成り景物は特に精奇なり、命を奉じ羞じつつ額を曠怡と題す

誰か信ぜん世間に此なる境有るに、遊び来たりて寧(なん)ぞ神思(気分)暢(のびや)かざらんや

 

文彩風流(扁額) 探春

 

秀水明山を抱え復た回(めぐ)る、風流文彩は蓬莱に勝る

緑裁(た)つ歌扇は芳草を迷わせ、紅い襯(じゅばん)の湘(湖南)の裙(もすそ)は舞えば梅(花)落つ

珠玉は自ずと盛世に伝う応(べ)し、神仙の何と幸いなるか瑶台(皇宮)へ下る

名園一に自ら邀(もと)められ遊賞せしより、未だ凡人の此に到り来るを許さじ

 

文章造化(扁額) 惜春

 

山水は横に拖(ひ)く千里の外、楼台は高く起きる五雲の中

園は日月光輝の里(なか)に修め、景は奪う文章造化の功

 

万象争輝( 扁額 ) 李紈

 

名園を築けば就(すな)わち勢い巍巍、命を奉じ多く慚(は)ず学の浅微を。

精妙は一時なるも言は尽きず、果たして万物には光輝有り。

 

凝暉鐘瑞(扁額) 薛宝釵

 

芳園を帝城の西に築き、華日祥雲籠罩の奇あり

高柳は喜び鶯は谷を出でて遷り、修篁(竹林を剪定して整える)の時鳳の来たる儀を待つ

文風は已に宸游(皇帝の外出巡游。ここでは賈妃の里帰りのこと)の夕を著し、孝化(人の思想の教化を儒教でいう孝行に当てたもの)は帰省の時に隆(さか)んなる応(べ)し

睿(叡智。英智)藻(辞藻。詩文のこと)の仙才仰(あお)ぎ瞻(み)るところ、自ら慚(は)ず何ぞ敢えて再た辞すを為すか

 

世外仙源(扁額) 林黛玉

 

宸游は悦豫(悦び)を増し、仙境は紅塵と別(わか)たず

借り得たり山川の秀、添え来る気象の新た

香は融ける金谷の酒、花は玉堂の人に媚びる

何と幸いなるか恩寵を邀(もと)め、宮車の過ぎて往くは頻たり

 

元妃は見終わると、称賛すること已まず、また笑って言った。「結局宝釵と黛玉のふたりの作は他の皆とは違い、我ら姉妹の及ぶところではない。」元々黛玉は安心してこの夜大いにその奇才を発揮し、人々を圧倒せんとしたのだが、思いがけず元妃が一扁一詩作を命じたのだが、命令に背いてあまりたくさん詩を作るのもよくないので、ただ適当に一首五言の律詩を作って命令に応じただけであった。

 

 この時宝玉はまだ詩ができておらず、ようやく「瀟湘館」と「蘅蕪院」の二首が出来たばかりで、ちょうど「怡紅院」の一首を作っているところで、起稿した中に「緑玉春猶巻」の一句があった。宝釵は瞬く間に一瞥(べつ)すると、人々が意見を言っても相手にしない間に、宝玉に勧めて言った。「貴妃様は「紅香緑玉」の四字は好まれないので、「怡紅快緑」に改めたんでしたね。あなた、今回はあくまで「緑玉」の二字を用いて、わざとあの方の意に反することをされたいのではないのですか。ましてや芭蕉の葉の故実は頗るたくさんありますから、もうひとつ違うものを考えてみてはどうですか。」宝玉は宝釵にこのように言われたので、汗を拭いてこう言った。「僕は今回どうしても何の故実も思いつかないんだ。」宝釵は笑って言った。「あなたはただ「緑玉」の「玉」の字を「蝋」の字に改めさえすればいいんです。」宝玉は言った。「「緑蝋」は、でも出所があるの。」宝釵はこっそり舌打ちして頷くと、笑って言った。「あなたのおかげで今夜はこのようであるけれど、将来科挙の試験の時には、あなたはきっと(緊張のあまり)「趙銭孫李」といったありふれた名前まで皆忘れてしまうんでしょうね。――唐の時代の韓翊が芭蕉を詠んだ詩の一節の「冷燭無煙緑蝋干」も忘れてしまったの。」宝玉はそれを聞いて、思わず心からハタと納得し、笑って言った。「僕としたことが。目の前の出来合いの文句まで思い浮かばないとは。姉さんは本当に「文章の師匠」だ。これから僕はあなたを師匠と呼んで、もう姉さんとは言わないよ。」宝釵もクスッと笑って言った。「まだそこまではいっていないわ。姉さん、妹でいいのよ。誰があなたの姉さんだって。あの上に黄色の上着を羽織ってられるのがあなたの姉さんでしょう。」そう言って笑いながら、宝玉が答える時間が遅くなるのを恐れ、遂にそこを抜けて行ってしまった。

 

 宝玉は続けてこの一首を作り、全部で三首になった。この時黛玉はまだ詩才が発揮できておらず、気分が良くなかった。宝玉が詩を考えるのにたいへん苦しんでいるのを見て、机の傍まで歩いていくと、宝玉が「杏簾在望」の一首だけ欠いているのを知ったので、宝玉に前の三首を書き写させ、自分が律詩を一首吟じて、紙片に書き、それをよじって団子にすると、宝玉の眼前に放り投げた。宝玉はそれを広げて一目見ると、自分が作った三首より十倍優れていたので、遂に急いで整った楷書で清書して提出した。元妃が見たのは次のようなものであった。

 

有鳳来儀  宝玉

 

秀玉(竹のこと)は初めて実を成し、堪えて宜しく鳳凰を待つ

竿々は青く滴(したた)らんと欲し、個々の緑は涼を生ず

迸(ほとばし)る砌(みぎり。石畳)は階(きざはし)の水を防ぎ、穿(つらぬ)く簾(れん)は鼎の香を碍(さえぎ)る

揺らす莫れ分かち碎く(竹の)影、好き夢正に初めて長し

 

蘅芷清芳

 

蘅蕪(こうぶ。カキツバタ)は静かな苑に満ち、羅薜(らはく。フジ)は芬芳(ふんぽう。良い香りを漂わせる)を助く

軟らかく衬(ひきた)つ三春の草、柔らかく拖(ひ)く一縷の香り

軽煙は曲径に迷い、冷翠は衣裳を湿らす

誰か謂う「池塘」の曲、家に謝す幽夢長し

 

怡紅快緑

 

深庭長日静か、両両(芭蕉と海棠)嬋娟(せんけん。艶やかで美しい)を出ず

緑蝋(芭蕉の葉)は春猶お巻き、紅粧(女子を花に譬える)は夜未だ眠らず

欄(干)に憑り絳(あか)き袖を垂らし、石に倚り清煙を護る

対立す東風の里(なか)、主人は応(まさ)に怜(あわ)れみを解くべし

 

杏簾在望

 

杏の簾客を招きて飲み、在望山荘有り

菱荇(菱やアサザ。どちらも水草)鵞(ガチョウ)の(遊ぶ)水、桑楡(の枝葉は)燕子の(巣をかける)梁(のよう)

一畝に春韮は熟れ、十里稲花の香り

盛世に飢餒(きねい。飢えること)無く、何ぞ須らく耕織に忙(せわ)しきや

 

元妃は見終わると、嬉しくてたまらず、こう言った。「確かに益々良くなったわ。」また「杏簾」の一首を指して四首の第一とし、遂に「浣葛山荘」を改め「稲香村」とした。また探春に命じて、これまでの十数首の詩を、別に綺麗な紙に清書させ、宦官に命じて外に伝えさせた。賈政らはそれを見て、皆称賛するのが已まなかった。賈政はまた『帰省頌』を献上した。元妃はまた命じて瓊酪(美酒、乳から作った濃厚な飲料)、金膾(特別に作らせた魚や肉の膾(なます))を、宝玉と賈蘭に賜った。――この時賈蘭はまだ幼く、まだ諸事に通じておらず、ただ母親や叔父に従って行儀見習いしているだけだった。

 

 

 この時賈薔は一組の女芝居の一座を連れて階下にいて、ちょうど待ちくたびれていたところ、ふと宦官が走ってきて、こう言った。「詩を作り終えたので、すぐに芝居の演目表を持って参れ。」賈薔は急いで演目表を献上した。――併せて十二人の女優の名簿をお渡しした。しばらくして、四幕の芝居が注文された。最初の演目は『豪宴』、二番目は『乞巧』、三番目は『仙縁』、四番目は『離魂』であった。賈薔は急いで上演の支度をし、一曲一曲の歌が甲高く響き、まるで石も砕けんばかり、舞いは神々しく神秘的で、この世のものとも思えぬ様で、もちろんそれらは役者が扮装して演じたものではあったが、活き活きとそれぞれの情感と情景を表現していた。

 

 ちょうど演じ終わるや、ひとりの宦官が手に菓子を盛った金の盆を載せて入って来て、尋ねた。「誰が齢官だね。」賈薔は齢官に賜った物だと分かったので、急いで役者に取り次ぐと、齢官に叩頭の礼をするよう命じた。宦官はまた言った。「貴妃様がこう言いつけられました。「齢官はとても良かった。あと二幕演じてほしい。どの芝居でも構わぬから。」と。」賈薔は急いで「はい」と答え、齢官に命じて『遊園』、『驚夢』の二幕を演じさせようとした。齢官は自ら「この二幕は自分の役柄ではございません」と言い、どうしても従わず、『相約』、『相駡』の二幕を演じると言い張った。賈薔はどうしても齢官を翻意させられず、彼女の言う通りにさせるしかなかった。元妃は甚だ喜ばれ、こう命じられた。「この女役者を困らせてはならぬ。よく教え導いてやるように。」思いがけず二匹の宮綢、二個の荷包、並びに金銀の錁(小さな塊)の類を褒美として下された。その後宴席を片付け、庭園中のまだ見ていないところへ、また遊覧に行った。ふと山裾に佛寺が見えたので、急いで手を洗って中に入り、線香を焚いて仏さまを拝み、また扁額に「苦海慈航」と題した。また思いがけず一組の髪を剃らず在家で修行している尼と女道士に喜捨をされた。

 

 

 しばらくして、宦官が跪いて申し述べた。「下賜される贈り物が全て揃いました。決められた規定や事例に則りお渡しします。」そして簡単な報告書が献上された。元妃は最初から見られたが、何も言われず、この通り行うよう命じられた。宦官が下りて来て、ひとつひとつ手渡した。元々、賈のお婆様に渡すのは、金玉と如意が各一本、沈香の杖一本、伽楠(沈香のこと)念珠(数珠)一串、「富貴長春」の宮緞(宮廷で作られたサテン)四匹、「福寿綿長」の宮綢(宮廷で作られた繻子(しゅす))四匹、紫金(赤っぽい金)の「筆錠如意」の錁(小さな塊)を十錠(塊、インゴット)、「吉慶有余」の銀錁(小さな塊)を十錠の予定であった。邢夫人らの二人分は、これから如意、杖、念珠の四種類が減じられた。賈敬、賈郝、 賈政らはそれぞれ宮廷御製の新書が二部、宝墨二箱、金銀の小さな杯が各二個で、贈り物として賜る衣服は、これまでの例に基づき渡された。宝釵、黛玉、諸姉妹らには、それぞれ新書一部、宝硯一丁、新しい様式の金銀の錁(小さな塊)二対。宝玉と賈蘭には、金銀のネックレス二個、金銀の錁(小さな塊)二対。 尤氏、李紈、鳳姐らには皆金銀の錁四錠、贈り物として賜る衣服が四種類。これとは別に、贈り物として賜る衣服二十四種類、清銭(清代に流通した銅銭)五百串(1串が銅銭千枚)が、賈のお婆様、王夫人、各姉妹の部屋付きの乳母に褒美として与えられた。賈珍、賈璉、賈環、賈蓉らには皆贈り物として賜る衣服一種類、金銀の錁一対であった。それ以外に彩色された緞子百匹、白銀千両、御酒数瓶が、東西両府、及び大観園内の工事、据付、伝達、芝居の管理、照明の担当の人々に授けられた。他にまた 清銭三百串が、コック、芝居の役者、各種出し物の演者らに授けられた。

 

 人々の謝恩が済むと、執事の宦官が申し述べた。「時は既に丑の正三刻(245分)でありますので、何卒宮殿にお帰り願います。」元妃は眼から涙がこぼれ落ちるのを禁じ得なかったが、また無理やり作り笑いを浮かべながら、 賈のお婆様、王夫人の手を放すにしのびず、再三再四こう言い聞かせた。「案ずるでない、よくよく身体を大事になさって。今は皇帝陛下の恩恵が広く行き渡り、毎月一度賈府の人間が宮廷に入り、肉親と会うことが許されていて、再会がたいへん容易くなっているのに、どうしてこんなに悲しむ必要があるの。もし来年陛下の恩恵でまた里帰りが許されたら、こんなに贅沢にしてお金を浪費してはなりません。」 賈のお婆様らは既に泣いて喉を詰まらせ、声が出なかった。元妃は別れるに忍びなかったが、どうして皇室のしきたりに背くことができようか。堪え難きを堪え、駕籠に乗った。ここでは人々はやっとのことで 賈のお婆様をなだめ、王夫人が手を貸して大観園を出た。この後どうなったか、次回解説いたします。

 

 元春妃の里帰り時に滞在される離宮、大観園が完成、賈政は食客たちを連れて庭の下見に行きますが、その際、宝玉は勉強嫌いだが、家塾教師の賈代儒がこの子は詩才があると褒めていたので、連れて行き、庭の名所に題をつけ対聯を詠むのを一緒に競わせたところ、果たして宝玉はその詩才を発揮します。

 

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大観園に才を試み対額に題す

栄国府に帰省し元宵を慶す

 

 さて秦鐘が亡くなり、宝玉は嘆き悲しむこと已まず、李貴らはなんとか長い時間をかけて慰めてようやく泣き止んだが、帰る時にはまだ幾ばくかの悲しみを残していた。賈のお婆様は数十両の銀子を支援した他、別にまた香典を準備し、宝玉が弔問に行った。七日後に柩を送って埋葬したが、その他特に記すことはない。ただ宝玉が日々悲しんで、死者への思いが尽きなかったのだが、それもまた如何ともし難く、時の経つのを待つしかなかった。

 

 この日、賈珍らが賈政に報告した。「園内の工事は全て完成し、大旦那様にはもうご覧いただきましたので、あとは旦那様に見ていただく必要があります。もし具合の悪いところがあれば、再度手直しをし、良い題の扁額と対聯を掛けたいと思います。」賈政はそう聞くと、しばらく考え込んでいたが、こう言った。「この扁額と対聯のことはやっかいだ。礼儀から言って、貴妃様にお願いしてお題を賜るのが筋だ。けれども貴妃様が自らその景観をご覧になっていないと、想像するのが難しい。もし貴妃様がお見えになるのを待ってお題をいただくのでは、お庭全体の景観の中で、いくつもあずまやや楼閣があるのに、何の標題も無しでは、たとえ美しい花や柳、山水の風景があっても、生気を欠くというものだ。」

 

 周りの食客たちはお追従笑いをしながら答えた。「旦那様のご意見は至極もっともでございます。今、わたくしどもに考えがございます。それぞれの場所の扁額や対聯は断じて無いわけにはいけませんが、また断じて決めるわけにもまいりません。今はその景観に基づき、二字、三字、或いは四字で、適宜その景観に合わせてなぞらえ、暫定的に燈籠や扁額、対聯を掲げ、貴妃殿下がお見えになった時に、改めて名を決めていただくようにすれば、双方好しとなるのではありませんか。」賈政はそれを聞いて言った。「その考えは悪くない。わたしたちは今日庭をちょっと見に行って、題することができさえすれば、妥当であれば用い、妥当でなければ雨村に来てもらい、彼に再度決めてもらうこととしよう。」

 

 人々は笑って言った。「旦那様、今日は決めることができれば良しで、どうしてまた雨村様が来るのを待つ必要があるのですか。」賈政は笑って言った。「おまえたちは知らぬだろうが、わたしは幼い時から花や鳥、山水を題材に詩を詠むのがあまり得意でなかった。今は年をとって、朝廷で処理しないといけない文書もたいへん多く、このように心を和ませ愉しい文章を書くことは、益々縁遠くなってしまった。起草しようと思っても、陳腐なものになってしまい、草花や園亭がそのため色褪せてしまっては、還って意味が無い。」食客たちは言った。「それもごもっともでございます。我ら皆が共同で起草し、各々得意なところを挙げて、優れたものは残し、劣るものは削除していけば、だめということもございますまい。」賈政は言った。「その言、もっともである。しかも喜ばしいことに今日は天気も穏やかで暖かだ。皆で庭を見に行こう。」そう言うと、立ち上がって人々を引き連れ、庭に出て行った。賈珍は先に園内の者たちにその旨を知らせた。

 

 ちょうど最近宝玉は秦鐘のことを思い、心を傷めることが已まず、賈のお婆様がいつも人に命じて宝玉を新庭園の中に連れて行って遊ばせていた。この時も庭に入ったばかりで、ふと賈珍が来るのが見え、賈珍は宝玉に笑って行った。「おまえ、まだ出て行っていなかったの。間もなく旦那様が来られるよ。」宝玉はそう聞くと、乳母や子供の召使たちを連れ、そそくさと庭園を出て行った。ちょうど曲がり角を曲がったばかりのところで、前方から賈政が食客たちを連れてやって来るのが見え、身体を隠す暇も無く、傍らに立っているしかなかった。賈政は最近代儒から、宝玉が対聯を作る才能に優れていると称賛するのを聞いた。読書は好きではないが、ある分野には優れた才能があるようなので、この時宝玉に一緒に庭園に入るよう命じ、才能を試してやろうと思った。宝玉は何の意味か分からなかったが、それに従うしかなかった。

 

 ちょうど庭園の門に着くと、賈珍が多くの執事たちを連れ、門の脇に控えていた。賈政は言った。「おまえ、ひとまず庭園の門を閉めろ。わたしたちは先に外側を眺めてから、中に入るとしよう。」賈珍は人に命じて門を閉めさせると、賈政は先ず真正面から門を見ると、正門は五間(柱と柱の間の数)で、上面は丸瓦で葺いた屋根瓦が畝状の泥鰌棟であった。その門の扉の框(かまち)や窓の板には、細かい彫り物で斬新な模様が彫られていて、壁は朱や白の塗料で塗ったものではなく、表面を水で磨いて光沢を出していた。下の方は白い石の階(きざはし)で、トケイソウ(西番蓮)の模様が穿たれていた。左右を望むと、真っ白な壁、下側は御影石(虎皮石)で、積み重ねて筋状の模様を為し、古臭い格式に陥らないようにしてあり、自ずと好ましく思えた。それで門を開くよう命じ、中に入った。すると、緑の切り立った山が前方を遮った。食客たちは皆言った。「すばらしい山だ。」賈政は言った。「もしこの山が無く、庭園に入るや全ての景観が尽く眼に入ったら、それでも興趣が湧くだろうか。」人々は言った。「如何にも。もし心の中に深い考えや見識を持っていなければ、どうしてここの景色を思いつけるでしょうか。」

 

 言い終わると、前方を望んだ。そこには、白い岩が高く聳え、或いは化け物のように、或いは猛獣のように見え、縦横に行く手を取り囲んでいた。上の方は苔がまだらに覆ったり、或いは藤蔓で覆い隠されたりしていた。その中に微かに曲がりくねった小径が見えていた。賈政は言った。「わたしたちはここから小径を通って行き、帰りはあちらの方から外に出ることで、ひと通り遊覧できるんだ。」そう言うと、賈珍に命じて先導させ、自身は宝玉の手を引き、くねくねと道なりに山の入口に進んだ。

 

 

 見上げると、ふと山の上に鏡のような白い石がひとつ見え、ちょうど正面の詩題を残すべきところであった。賈政は振り返ると、笑って言った。「諸君、ご覧あれ。ここにはどんな題を付けるといいかね。」人々はそう聞いて、「畳翠」の二字を題すべきだと言う者もいれば、「錦嶂」と題すべきだと言う者もいて、また「賽香炉」と言う者、「小終南」と言う者もいて、様々な名称は、何十個に止まらなかった。元々食客たちの心の中には、とっくに賈政が宝玉の才能を試したいのだと分かっていたので、わざとありきたりの言葉でお茶を濁したのであり、宝玉もそのことが分かっていた。

 

 賈政はこれらを聞いて、振り返って宝玉に起案するよう命じた。宝玉は言った。「昔の人がこう言ったと聞いたことがあります。「新しきを編むは旧きを述べるに如かず、古きを刻むは終には今を彫るに勝る」と。況してやここは別段主山の正景に非ず、元々題すべきでなく、景色を探る第一歩に過ぎません。古人の「曲径通幽」という旧い文句をそのまま書くに如かず、その方が却って自然だと思います。」人々はそれを聞いて、賛同して言った。「たいへん素晴らしい。ご子息は持って生まれた才能があり、博学であり、我々腐儒の考えとは違います。」賈政は笑って言った。「あまりこいつを褒めてはいけない。まだ若輩に過ぎないのだから。けれどもちょっとした知識でいかにも分かったようなことを言いおって、可笑しな奴だ。また後で案を選ぶとしよう。」

 

 そう言うと、石洞に入ると、木々が生い茂り、花々が美しく咲くのが見え、あたりを清流が流れ、草花の底には石の隙間から水が流れ落ちた。しばらく歩くと、次第に北側に向けて、土地が平坦で広く開け、両側には楼閣が高く聳え立ち、彫刻を施した建物は美しく、それらは皆山間の木々の梢の間に隠れていた。下を見ると、清らかな渓谷の水が玉が飛び散るように注ぐのが見え、石の階が雲のように高く聳え、白い石の欄干が池を廻り、池には三本の石の橋が架けられ、石の橋には獣面の飾りが掲げられた。橋の上にはあずまやがあった。賈政は人々とあずまやの中に座ると、尋ねた。「皆さん、ここは如何なる題を付ければいいかね。」人々は言った。「曾て欧陽公が『酔翁亭記』で「有亭翼然」(橋の上のあずまやの姿は鳥が羽を広げたかのよう)と言っているので、「翼然」と名づけては如何ですか。」賈政は笑って言った。「「翼然」はすばらしいが、このあずまやは湖の上にあるので、やはり水を題に取り入れるべきだ。わたしの拙い考えでは、欧陽公の詩句に「瀉于両峰之間」とあるから、この「瀉」(勢いよく流れる)の字を使うべきではないかな。」ひとりの食客が言った。「たいへんすばらしい。いっそ「瀉玉」とすれば妙ではありませんか。」賈政が髭をひねりながら考え込んでいたが、宝玉を呼んで起案させた。

 

 

 宝玉は答えて言った。「父上が先ほど言われたことはもっともです。けれど今突き進めて考えて見ると、当時欧陽公が醸泉を題するのに瀉」の字を用いるのはたいへん合っていたのですが、今日のこの泉に瀉」の字を用いるのは、適当とは思えません。ましてやここは里帰りの別荘である以上、皇室の規範に合っていなければならず、この文字を使うと、粗雑で上品でないように思えます。ですからもっと含蓄ある題を付けるべきです。」賈政は笑って言った。「皆さんはこの意見を聞いてどう思われるかな。先ほど皆さんは新しい題を編むのに、おまえは「古(いにしえ)を述べるに如かず」と言った。今、わたしたちが昔のことを述べたが、おまえはまた「粗雑でふさわしくない」と言った。ではおまえの案を言ってみなさい。」宝玉は言った。「「瀉玉」の二字を使うなら、「沁芳」(香りが染み通る)の二字を使った方が、新鮮で上品ではありませんか。」賈政は髭をひねり頷くと、何も言わなかった。人々は急いで追従すると、宝玉の才能は非凡だと称賛した。賈政は言った。「扁額の二文字は容易い。更に七言の対句を作ってくれ。」宝玉は周囲の景観を眺めると、心の中で突然インスピレーションが湧き、すなわちこう詠んだ。

 

堤を繞(めぐ)る柳は借りる三篙(さお三本分の深さ)の(みどり)

を隔て花は分かつ一脉の香り

 

 賈政はそれを聞いて、頷いて微笑んだ。人々もまたひとしきり称賛した。そしてあずまやを出て池を離れると、一山一石、一花一木、ひとつひとつを細かく観察した。ふと頭を上げ前方の白く塗った壁を見ると、何部屋かの建物が建ち、幾千幾百の緑の竹で覆われていた。人々は言った。「いい所だ。」皆が入って行くと、入口の門は曲がりくねった回廊になっていて、階(きざはし)の下は石畳の小径、前方は小さな三間の部屋の建物で、二部屋は明るく一部屋は暗く、中の調度は部屋に合わせてベッドやテーブル、椅子などが作り付けられていた。奥の部屋には、また小さな門があり、出ると裏庭で、大きな梨の木と、葉を広げた芭蕉の木が植わっており、また二間の小さな控えの小屋があった。裏庭の壁の下には穴が開いていて、泉の水が引き込まれており、幅一尺ほどの水路が開かれ、水は壁の中に引き込まれ、階の縁を廻って前庭に至り、竹の下を廻って外に出ていた。

 

 

 賈政は笑って言った。「ここも悪くない。月夜の晩にここに来て窓の下で読書をすれば、この人生も捨てたものではないな。」そう言いながら、宝玉の方を見ると、はっとした宝玉は慌てて下を向き、人々はがやがやと無駄話を始めた。またふたりの食客が言った。「ここの扁額は四文字で題するべきですな。」賈政は笑って尋ねた。「どんな題句だね。」ひとりが言った。「淇水遺風。」(淇水の流れは幽玄な竹林を流れる)賈政は言った。「俗っぽいね。」またひとりが言った。「睢園遺迹。」(西漢の梁孝王の庭園のようだ)賈政は言った。「それも目新しくない。」賈珍が横から言った。「やはり宝玉に起案してもらおう。」

 

 賈政は言った。「宝玉に案を出させる前に、先ず他の人の案の良し悪しを議論しないといけないが、軽薄なものしか出ないんだね。」食客たちは言った。「議論するのは良いですが、最後は坊ちゃんに頼まないとどうしようもありません。」賈政は慌てて言った。「そんなふうにしてあいつの好き勝手にさせてはだめだ。」それで言った。「今日はおまえの身の程知らずな言い方を許してやる。皆の意見が出てから、おまえにやらせてやる。先ほど皆が言った中で、使えるものはあったか。」宝玉は尋ねられたので、答えた。「どれもふさわしくありません。」賈政は冷ややかに笑って言った。「どうしてふさわしくないんだ。」宝玉は言った。「ここは第一に行幸される場所ですから、聖賢を称賛しなければなりません。もし四字の扁額を使うなら、古人の出来合いのものがあるのに、どうしてまた新たに作る必要があるでしょうか。」賈政は言った。「「淇水」、「睢園」は古人の詠んだ詩ではないのか。」宝玉は言った。「それではあまりに平板です。「有鳳来儀」の四字にするのに及びません。」人々は皆大声で「すばらしい」と言った。賈政は頷いて言った。「この野郎。「物事への観察や理解が浅い」と言わねばなるまい。」そして命じた。「もうひとつ対聯を作ってみろ。」宝玉はそれでこう詠んだ。

 

宝鼎の茶は閑(まれ)なるも、その煙は尚緑、

幽(しず)かな窓辺で棋を罷めるも、指は猶涼(つめ)たし。

 

 賈政は首を振って言った。「まだ未熟だな。」そう言うと、人々を引き連れて出て来た。ちょうど行こうとしていた時に、ふとあることを思い出し、賈珍に尋ねた。「これらの屋敷の部屋には、テーブルや椅子が皆揃っている。その他とばりやカーテン、調度品や骨董がありこれらもひとつひとつ細かく設計し配置したのか。」賈珍は回答して言った。「部屋の調度品はもういろいろ買い足しましたので、お里帰りの時には皆揃っているでしょう。とばりとカーテンは、昨日璉兄さんがまだ揃っていないと聞きました。元々工事と同時に各所の図面を描き、寸法を測りましたので、人を遣って手配させました。昨日までに半分揃ったと思います。」

 

 賈政はそう聞くと、ここの作業は賈珍が全てやっているのではないと分かったので、人に言って賈璉を呼びに行かせた。しばらくして賈璉がやって来た。賈政は尋ねた。「全部で何セット必要で、今で何セット届き、あと何セット欠けているんだ。」賈璉は聞かれていることを知ると、急いで靴の上部から小袋にしまった紙片に記したメモ書きを取り出し、ちょっと見ていたが、答えて言った。「蛟の図案をちりばめた緞子、模様の入った絹織物を型紙で染めたものや、様々な色の絹や綸子の大小のとばりが百二十台必要で、昨日八十台入ったので、あと四十台足りません。カーテンは二百枚で、昨日全部揃いました。この他に猩々のフェルトのカーテンが二百枚、湘妃竹のすだれ百枚、金をちりばめた赤く塗ったすだれ百枚、黒く塗ったすだれ百枚、五色の絹糸で編んだカーテンが二百枚必要で、それぞれ半分が届いていますが、秋には全部揃うでしょう。椅子のカバー、テーブルクロス、ベッドカバー、腰かけのカバー、それぞれ千二百枚も、準備できています。」

 

 話しながら、歩いていると、ふと緑の山並で視線が遮られた。山々の懐の中から方向を転じると、ぼんやりとあたりの黄色い土壁が現れ、壁の上は皆稲の茎で覆われていた。何百本という杏子の花が、まるで火焔が噴出したかのようであった。敷地内には何間かの茅葺の家があり、外側は桑、楡(にれ)、槿(むくげ)、柘(つげ)など様々な樹木の若い枝を、そのくねくね曲がるに任せ、両側に青垣が編まれていた。垣根の外が山の斜面の麓であり、そこには土の井戸があり、その傍らにはつるべやろくろが付属していた。下の方は畔(あぜ)で区分けされた畝(うね)が並び、きれいな野菜や花が植えられた田畑が見渡す限り広がっていた。

 

 

 賈政は笑って言った。「却ってこういうところにも一定の道理があるものだ。ここの景観は人力で穿ったものだけれど、見た者を感動させ、わたしに田園に隠棲したいとの気持ちを起こさせる。我々も中に入って一休みしようではないか。」そう言って、中に入ろうとすると、ふと垣根の門の外の路傍に石が置かれ、ここも詩題を留める場所であったので、人々は笑って言った。「いやあ、たいへんすばらしい。ここにもし額を掛け詩題をつければ、田舎家の雰囲気で洗い尽くされますね。ここに石碑を立てれば、たいへん生気が増すように思えますが、範石湖のような田園詩人が詩を詠むのでなければ、このすばらしさを完全に表現することはできないでしょう。」賈政は言った。「諸君、題を付けてくれたまえ。」人々は言った。「先ほどご子息が「新たに詠むのは旧詩を述ぶるに如かず」とおっしゃいました。ここは古人が既に言い尽くされております。直接「杏花村」と言う妙に及ばないでしょう。」

 

 賈政はそう聞いて、笑って賈珍に言った。「おかげで気づかせてもらったよ。ここは皆よくできているが、ただ酒店の旗が欠けている。明日ひとつ作ってくれるかい。外の村の様式で十分だ、華美である必要はない。竹竿で木の梢の上に吊るしてくれ。」賈珍は「はい」と答え、また言った。「ここでは特別な種類の鳥を飼う必要はありません。ただ、ガチョウやアヒル、鶏の類を飼うのが相応しいと思います。」賈政や食客たちは皆、「それでいい」と言った。賈政はまた人々に言った。「「杏花村」は固より良いが、ただそれだと実際に存在する名前とだぶってしまうから、ちゃんと名前をつけるのを待った方が良い。」人々は言った。「そうですね。今は名が無いなら、どんな字が良いでしょうか。」

 

 皆がちょうど考えていると、宝玉が待ちきれずに、また賈政の話も待たずに、言った。「昔の詩に、「紅杏梢頭掛酒旗(赤い杏子の梢に酒旗を掛ける)」と言うのがあります。今は「杏簾在望」の四字で題するのに及びません。」人々は皆言った。「「在望」というのが良い。これはまた暗に「杏花村」の意味とも合っている。」宝玉は冷ややかに笑って言った。「村名にもし「杏花」の二字を使うと、たいへん低俗で見苦しいです。唐の時代の人の詩に、他に「柴門臨水稲花香」というのがありますが、どうして「稲香村」の妙を用いないのですか。」人々はそれを聞いて、益々気持ちをひとつに、一斉に拍手をして言った。「すばらしい。」賈政はその声を断ち切って怒鳴った。「何も知らぬ畜生め。おまえは何人かの古人を知り、何首か昔の詩を憶えているだけなのに、敢えて老先生がたの眼前でそれをひけらかすとは。先ほどおまえのでたらめを認めてやったのは、おまえの品行方正さを試して、笑いを取ろうとしただけだ。おまえ、真面目にやれよ。」

 

 

 そう言うと、人々を率いて茅葺の家に歩み入ると、中には紙を貼った障子や木製のベッドが置かれ、富貴な雰囲気は全く無かった。賈政は心の中で自然と嬉しく思ったが、宝玉を見て言った。「ここはどう思う。」人々は尋ねるのを見て、皆密かに宝玉が賈政にうまく説明するのではないかと推察した。宝玉は人が言うことを聞かず、ことばのままに言った。「「有鳳来儀」には遠く及ばないです。」賈政はそれを聞いて言った。「やれやれ、何も知らないばか者だな。おまえは絵の中のきれいな楼閣や、極度に華麗なものを佳しとして、ここのような幽寂な雰囲気を知らないんだ。――全く不勉強の極みだ。」宝玉は慌てて答えて言った。「お父様が教え諭されることは固よりごもっともですが、古人は「天然」の二字を言っております。どういう意味かご存じでしょうか。」

 

 人々は宝玉の頑固さを知り、あまり面白くない結果を引き起こすのではないかと心配した。今、「天然」の二字を尋ねるのを見て、人々は急いで言った。「兄さん、他のことはよく分かりましたが、どうして「天然」と却って聞かれるのですか。「天然」とは、天が自ら作ったもので、人力の所作ではありません。」宝玉は言った。「その通りです。ここには田畑があって、明らかに人力で作られたものです。周囲に隣村無く、街の城壁に隣接しておらず、背後の山は連なっていません。川の水は引いてきたもので、村は高みにありますが、背後に社寺の塔は無く、下の方に市に通じる橋は架かっていません。ここは明らかに孤立していて、大観園の全体の景観にマッチしていません。ここの景観には前の何ヶ所かのように自然で合理的では無いし、自然の情趣も無いですね。竹を植えて水を引いて来ても、穴を穿ち地面を掘って自然を傷つけてはいけないのです。古人は「天然図画」の四字を言っていますが、正に不適切な場所に無理やり建物を建て、不適切な場所に無理やり景観を作るのを恐れているのです。たとえどんなにすばらしい設計でも、最終的には不適切なものとなってしまいます……」言い終わるのを待たず、賈政は怒って大声で命じた。「こいつをつまみ出せ。」ちょうど外に追い出したところで、また大声で命じた。「帰って来い。」そして命じた。「もう一度、対聯を題してみろ。もしうまく出来なかったら、ビンタを食らわすぞ。」宝玉はびっくりして戦々恐々となり、しばらく考えていたが、ようやくこう声に出して言った。

 

新緑に(川の水が)漲(みなぎ)る葛(布)を浣(あら)う処、

好雲の香りは芹を採る人を護る。

 

 賈政はそれを聞いて、首を振って言った。「前よりも出来が良くない。」その一方で、人々を率いて出て来て、山腹で向きを変え、草木の間を通り、石を愛で小川の流れに沿って進み、イバラの棚を過ぎ、牡丹亭を越えて、芍薬の庭園を過ぎ、薔薇院に到り、芭蕉の植わった窪地の傍で向きを変えた。ふと水のサラサラと流れる音が聞こえ、石の洞窟に出た。洞窟の上方には藤の蔓が垂れ下がり、下には散った花びらが水に浮いてゆらゆら揺れていた。人々は皆、「良い景色だ」と言った。賈政は言った。「諸君、ここは何と題すかね。」人々は言った。「もはや何かに擬(なぞら)える必要はありません。ちょうど「武陵源」の三字が合っています。」賈政は笑って言った。「また具体的だね。――しかも古臭い。」人々は笑って言った。「さもなければ、「秦人旧舎」の四字を使えばいいでしょう。」宝玉は言った。「益々でたらめだ。「秦人旧舎」は乱を避けるという意味で、どうして使うことができるでしょう。「蓼汀花溆 liǎo tīng huā xù」(「汀」も「溆」も水辺の意味。)の四字にした方がいいです。」賈政はそれを聞いて言った。「もっとでたらめだ。」

 

 それから賈政は港洞という場所に来ると、また賈珍に尋ねた。「船はあるのか。」賈珍は言った。「蓮の実を採る船を全部で四艘、座船を一艘準備する予定ですが、今はまだ出来ていません。」賈政は笑って言った。「残念ながら、進むことができないのか。」賈珍は言った。「山の上の曲がりくねった道からも先に進むことができます。」そう言うと、前で引率し、一行は藤蔓を引っ張り木につかまりながら進んで行った。水上を見ると、散った花びらが益々多くなり、その水は益々清く澄んだ流れとなり、滔々と、激しく流れた。池の畔の両側には枝垂れ柳が植えられ、桃と杏の木がびっしり伸びて空が見えないほどで、ほとんど地面が見えなかった。ふと柳の陰に赤い欄干の木橋が見え隠れし、橋を渡ると、いく筋もの道が通じていて、涼し気な瓦屋根の建物が見え、外壁は水で磨いた磚で築かれ、屋根は青い瓦で葺かれ、紋様で飾られていた。山の主峰から分かれた尾根は壁を穿って先に伸びていた。

 

 賈政は言った。「ここの建物は、全く味気無いね。」それで歩いて門をくぐると、ふと正面に天を衝くような大きくきれいな岩が突き出て、四方を様々な石が取り巻き、中のどの部屋も皆遮られていた。しかも花を付けた樹木は一本も無く、たくさんの珍しい草が見られた。ツタがあったり、蔓草があったり、山の峰から吊り下がったり、石の台に巻きついたり、更には軒から垂れ柱に巻きつき、階にぐるりと巻きついており、或いは緑の帯がゆらゆら揺れるが如く、或いは金の縄がとぐろを巻いたよう、或いは実が丹砂のように真っ赤、或いは花がキンモクセイのよう、香りが馥郁として、非凡な草花と比べようもなかった。賈政は思わず言った。「すばらしい。ただあまりよく分からなかっただけだ。」ある者が言った。「これはオオイタビ(薜荔bì lì)です。」賈政は言った。「オオイタビというのはこんな変わった香りがするのか。」宝玉は言った。「もちろん違います。これらの草の中にはオオイタビもありますが、あの香りはつゆ草や葵(あおい)で、あれはおそらくビャクシ(白芷)、これはおそらく金葛でしょう。あれは金簦草、これは玉蕗藤、赤いのはもちろん紫芸、緑はきっと青芷でしょう。そういえば、かの『離騒』、『文選』にはそうした珍しい草が全て出てきます。あるものは霍納姜匯とか呼ばれ、綸組紫絳とか呼ばれるものもあります。それ以外に、石帆、清松、扶留などというのが、左太冲の『呉都賦』に見られます。また、緑荑と呼ばれるものがあり、その他、丹椒、蘼蕪、風蓮というものが、『蜀都賦』に見られます。年月が経つにつれ、多くの物や名前に変化が生じ、判別が難しくなるものが出てくるのです……。」言い終わらぬうちに、賈政が怒って言った。「誰がおまえに尋ねたっ。」驚いた宝玉は後ろに下がり、もう話そうとしなかった。

 

 賈政は両側に四方に通じる回廊が具わっているのを見て、回廊に沿って歩いて行くと、前方に五間の清々しい建物に、弧を描いた屋根が連なり、四方が回廊で、窓が緑の塗り壁になっているのが見え、これまでと違い、清楚で雅やかであった。賈政はため息をついて言った。「この館で銘茶を煮て琴を奏でれば、もう香の香りは要らない。この設(しつら)えは意表を衝いているが、諸君、必ずすばらしい新題を付け、その額がここの雰囲気に負けないようにしてくれたまえ。」人々は笑って言った。「「蘭風蕙露」が的を得ていると思います。」賈政は言った。「うん、この四字を使わざるを得ないな。ではその対聯はどうするね。」ひとりが言った。「わたしがひとつ思いつきました。皆さん、どうか添削してください。」そして言ったのは、

 

麝蘭は芳しく靄(たな)びく斜陽(夕べ)の院(庭)、

杜若の香りは(ただよ)う明月の

 

人々は言った。「良いことは良いが、「斜陽」の二字が相応しくない。」その人は古詩の「蘼蕪満院泣斜陽」の句を引用したので、人々は「古臭いなあ」と言った。またひとりが言った。「わたしも一聯思い付きましたので、諸君評価を頼みます。」そう言って詠んだ。

 

三径の香風は玉蕙に(ただよ)い

一庭の明月は金蘭を照らす。

 

 賈政は髭をひねって呻吟し、自分も一聯題したいと思ったが、ふと頭を上げて見ると、宝玉が傍らで敢えて声を出そうとしないでいたので、叱って言った。「おまえ、どうして言うべき時に声を出さないんだ。誰かがお前に教えを請うのを待たないといけないのかい。」宝玉はそう聞いて、答えて言った。「ここには「蘭麝」や「明月」、「洲渚」の類は何も無く、もしこのように字ずらの意味で解釈しようとすると、二百の聯を題しても終わらないです。」賈政は言った。「誰がおまえの頭で、必ずこれらの字を使わないといけないなどと言ったか。」宝玉は言った。「それなら、扁額は「蘅芷清芳」の四字にした方がいいです。対聯は、

 

吟じて豆蔻の詩を成せば猶艶(なまめ)かし、

睡り足る荼靡(イバラ)の夢亦香る。

 

賈政は笑って言った。「これは全く「書を蕉葉に成せば文は猶緑」を真似たんだな。別に奇抜という程でもない。」人々は言った。「李太白の「鳳凰台」の作は、全く「黄鶴楼」を真似たものです。真似が巧ければ良いのです。今細かく評価してみると、この一聯は「書成蕉葉」よりもっと優雅な動きに思えます。」賈政は笑って言った。「そんな理屈があるものか。」

 

 そう言って、一同が出て来ると、あまり遠くへ行かぬうちに、崇高な楼閣が高く聳え立っていた。何層もの楼閣で、どの面も美しい宮殿で取り囲まれ、遥かに空中の回廊が取り巻いていた。青松が風で揺れて軒先に触れ、玉蘭の木が階を廻って伸び、鬼瓦の獣面が金色に輝き、螭(みずち。角の無い龍)の頭が色鮮やかだった。賈政は言った。「これが正殿だ。――あまりに壮麗だ。」人々は皆言った。「そうとしか言いようがありません。貴妃殿下が節約を重んじられていると雖も、現在の貴さからすれば、このように礼儀を尽くしても、やり過ぎとは言えますまい。」そう言いながら、歩いて行くと、正面に玉石の牌坊が現れ、上の方には龍がとぐろを巻き 螭(みずち)が守護する姿が、美しく彫り刻まれていた。賈政は言った。「ここにはどんな文字を記そうか。」人々は言った。「必ず「蓬莱仙境」とするのがよろしいでしょう。」賈政は首を振り何も言わなかった。

 

 宝玉はこの場所を見て、心の中でふと感じるものがあり、考えてみると、どこかで見たような気がしたが、いつのことだったかすぐには思い出せなかった。賈政はまた宝玉に題をつけ対聯を詠むよう命じた。宝玉は目の前の景色をじっと見つめたが、心は全くここに非ずであった。人々はそれがどうしてか分からず、ただ宝玉が今日半日頑張ったので、精神を消耗してしまい、もう言葉が出て来ないのだと思った。これ以上迫っても焦るばかりで、もし事故でも起きれば、都合が悪い。遂に急いで賈政に勧めて言った。「もういいでしょう。明日また題を付けに来ましょう。」賈政も心の中では賈のお婆様が心配されるのを恐れたので、遂に冷ややかに笑って言った。「おまえという畜生にも、できなくなる時があるんだな。――まあ仕方ない。おまえは今日一日限りだ、明日は題を付けに来るに及ばない。もうおまえのことを勘弁してやらないからな。ここが一番大切な場所で、真面目に対応して完成させなければならなかったんだ。」

 

 そう言うと、一同を率いて出て来て、もう一度見渡した。実は入口の門を入ってからここまでで、ようやく五割から六割遊覧を終えたところであった。また人の行き来に出逢い、雨村のところに遣わした人が帰って来て回答した。賈政は笑って言った。「ここらあたりは遊覧できないな。まあ、そうであっても、あちらから外へ出ても、だいたいの様子は窺い知ることができるな。」そう言うと、食客たちを率いて進み、一本の大きな橋に至ると、水が水晶でできたカーテンのようになだれ込んでいた。実はこの橋の脇には外の川に通じる水門があり、川の水を引き入れていたのだった。賈政はそれで尋ねた。「この水門は何という名前だ。」宝玉は言った。「これはすなわち沁芳源の本流ですので、名を「沁芳閘」といいます。」賈政は言った。「でたらめ言いおって。「沁芳」の二字は絶対使ってはならぬ。」

 

 そしてまっすぐ進んで行くと、或いは大きな母屋があったり、茅葺の小屋があったりし、或いは石を積んで垣としたり、草花を編んで門としたりし、或いは山の麓に尼僧が隠棲した佛寺があったり、林の中に女道士が丹薬を練る小屋があったりし、或いは長い回廊と曲がった洞窟、四角な建物や丸いあずまやがあったが、賈政はどれも入って行く間が無かった。半日も休憩をとっておらず、足がだるくなったが、ふと前方に一ヶ所屋敷が現れたので、賈政は言った。「あそこでちょっと休憩して行こう。」そう言うと、まっすぐ皆を連れて入って行き、ミチヨグサ(碧桃花)の群れを廻り、竹や葦で編んだ垣根や、垣根を編んで作った丸い洞門を潜ると、俄かに白く塗った壁で護られ、緑の柳が周りに垂れていた。賈政は人々と門を入ると、両側は尽く回廊と繋がっており、敷地の庭にはいくつか山の石を配置し、一方には何本か芭蕉を植え、あちら側には海棠の木が一本植えられていた。海棠の木は傘のように枝を広げ、細い枝を緑の糸のように垂らし、花の盛りには赤い丹砂のように真っ赤で美しかった。

 

 人々は皆言った。「きれいな花だ。海棠は知っているが、こんなにすばらしいのは見たことがない。」賈政は言った。「これは女兒棠と言って、外国の品種だ。俗に「女兒国」から伝わったと言われ、それで花がとりわけ華やかなんだ。――まあ、根拠の無い、でたらめな説に過ぎないが。」人々は言った。「畢竟、この花は特別です。「女国」の説は、そういうこともあるのではないかと思います。」宝玉は言った。「おそらく風雅な詩人や文人が、この花の赤を口紅を施す如しとし、女性が病気の身体を支えるかのように弱々しく、また閨房での弱々しく優雅な振舞いを想像し、それゆえ「女兒」と命名したのでしょう。世の人々は、元々不確かな話を、誤って伝えてしまうことがあるのです。」人々は皆言った。「どうか教えてください。すばらしい解釈を。」

 

 話をしながら、廊下の腰かけに座った。賈政はそれで言った。「いくつか何か新鮮な字で題を考えてみようか。」ひとりの食客が言った。「「蕉鶴」の二字が良いと思います。」またひとりが言った。「「崇光泛彩」とした方が良い。」賈政と食客たちは皆、「「崇光泛彩」が良い」と言った。宝玉も「すばらしい。」と言ったが、また「ただ残念だ。」と言った。人々は尋ねた。「どのように残念なのですか。」宝玉は言った。「ここには芭蕉と海棠の両方が植えられているが、その意味は暗に「紅」と「緑」の二字を内に含んでいるので、一様に言ってしまうと、一方が漏れているのも同然で、それゆえ採ることができないのです。」賈政は言った。「おまえならどうするんだ。」宝玉は言った。「わたしなら、「紅香緑玉」の四字に題します。こうすると、どちらにも良いことになります。」賈政は首を振って言った。「だめだ、だめだ。」

 

 そう言うと、皆を連れて部屋の中に入った。部屋の中の設えは他の処と異なり、また各部の間の境界も区分できなかった。元々四方の壁は皆、美しく彫刻した木の板でできており、「流れる雲に擬した百匹の蝙蝠」であったり、「歳寒三友」(松、竹、梅の図柄で、冬も生気に溢れていることから)、或いは山水画の人物や翎毛花卉(鳥と花の図柄)、各種のすばらしい図柄、おめでたい器物(博古)、万福万寿の図柄、各種の模様で、皆彫刻の名手によるもので、五色の雁金細工や象嵌が施されていた。一枚一枚が、蔵書したり、鼎を飾ったり、筆や硯を置いたり、花生けを飾ったり、盆栽を置いたりするのに用いられ、あるものは丸く、或いは四角く、ヒマワリの花や芭蕉の葉の形であったり、串団子が連なるようであった。正に色とりどりで華麗、精巧で可愛らしかった。いきなり五色の紗(薄絹)が糊で貼られていたのは、実は小窓で、一枚の色の付いた綸子で覆われていたのは、実は隠れた小さな門であった。しかも壁中に骨董やおもちゃの形にくぼみがつけられ、例えば琴や剣、瓶の類は皆、壁に掛けられていたが、皆壁と同じ平面にあるかのようだった。人々は皆称賛した。「なんてよくできているんだ。いったいどうやって作ったんだろう。」

 

 実は賈政は歩いて入ってきたのだが、二階に着かぬうちに、元の通路に迷い込み、左を見ると門を通ることができるようで、右を見ると窓で区切られているように見えたのであるが、どちらもその前に来ると、書籍によって行く手を阻まれた。振り返ってまた行こうとすると、明るい窓と光を通す門前の道が見えた。門の前に来ると、ふと向こうからも一緒に人が入って来るのが見え、その人は外観が自分と同じようで、――実は一脚の大きなガラス鏡が置かれていたのだった。身体の向きを変え、鏡から離れると、より多くの門が出現した。賈珍が笑って言った。「旦那様、わたしに付いて来てください。ここから出れば裏庭で、裏庭を出れば、結局先ほどより近くなりますから。」賈政と食客たちを引率し、二階の装飾された格子窓のところを曲がると、果たしてひとつの門から外に出ることができ、中庭中に薔薇が一杯植えられていた。草花が纏わる垣根を通り抜けると、前面には青い渓流が前方を遮っていた。人々は不思議に思った。「この川の水はどこから流れて来たんだろう。」賈珍は向こうの方を指さして言った。「元々あの水門のところから流れて来た水があの穴に至り、東北の山の窪みの中からあちらの村の中に引き込まれ、もう一本分岐点が開かれ、西南に水が引かれ、全てこちらの方に流れて来て、再び一ヶ所に集まり、あそこの壁の下から出て行くんです。」人々はそう聞いて、言った。「なんと極めて巧みにできておりますな。」そう言って、ふと大きな山に道が阻まれるのを見て、人々が途方に暮れていると、賈珍が笑って言った。「わたしに付いて来てください。」そう言って前方に引率し、人々はそれに付いて来た。山の麓で身を転じると、平坦な大通りになって、ぱっと大門が前方に現れ、人々は皆言った。「これは面白い。この庭園の景観の絶妙さは、ここに極まり、だ。」そして皆は外に出て来た。

 

 かの宝玉は心の中でひたすら大観園の中にいる女兄弟たちのことを気にかけていたが、また賈政からの言いつけも無かったので、食客たちと一緒に賈政の書斎に来るしかなかった。賈政はふと思い出して言った。「おまえ、まだ行っていなかったのか。お婆様がおまえのことを心配していると思うがな。どうやらまだ遊び足りないとみえる。」宝玉はそう言われて、ようやくそこを退くことができた。賈政の書斎の敷地の外に出ると、賈政付きの子供の召使たちが近寄って来て抱きつくと、言った。「今日は旦那様のご機嫌が良かったおかげで、先ほどもお婆様が人を遣わして来られて、何度も尋ねられたので、私たちは旦那様が喜んでおられるとお答えしておきました。そうでなければ、お婆様があなたを中に入らせても、その才能を発揮することができませんでした。人々は皆、あなたの詠まれた詩は、他の皆さんのものより優れていたと言っておられました。今日ご褒美をもらわれたのですから、わたしたちにもご褒美をくださいな。」宝玉は笑って言った。「じゃあ、ひとりに銭一千文(穴あきの銅銭を束ねて通したもの)ずつ。」子供の召使たちは言った。「どこに千文の銭があるか、誰も見ていません。それより、この荷包(ポーチ)をご褒美にください。」そう言うと、ひとりひとり近づいて来て、荷包を外し、扇袋を外し、有無を言わせず、宝玉が身に着けている物を、ひとつ残らず外してしまった。またある者が言った。「気を付けてお送りしますよ。」ひとりひとりが周りを取り囲み、賈のお婆様の屋敷の門の前まで送った。この時、賈のお婆様はちょうど宝玉を待っていたが、彼が戻って来たのを見て、彼が何も困りごとやいじめに遭っていないことを知り、心中自ずと喜んだのであった。

 

 しばらくして襲人が茶を淹れて来て、見ると宝玉の身体に身に着けていた物が、ひとつ残らず無くなっていたので、それで笑って言った。「身に着けておられた物は、きっとまたあの恥知らずの者たちに外して持って行かれたんでしょう。」黛玉はそれを聞いて、歩いて来て一瞥すると、果たしてひとつも残っていなかったので、宝玉に言った。「わたしがあなたに差し上げたあの荷包も、あの子たちに上げたんですか。あなたが明日またわたしの物が欲しいと言われても、それはできませんよ。」そう言うと、怒って自分の部屋に戻り、一昨日宝玉が黛玉に事付けた、まだ完成していない匂い袋を、ハサミで切り裂いてしまった。宝玉は黛玉が怒っているのを見て、急いでやって来たが、――匂い袋はとっくに切り裂かれてしまっていた。宝玉は曾てこの匂い袋を見て、まだ完成していないが、とても精巧にできていたので、理由も無く切り裂かれてしまい、腹が立った。それで衣服の襟元を解くと、下着の前衽(おくみ)の上に括りつけた荷包を解き、黛玉に手渡して言った。「見てみて、これは何か分かるかい。僕がどうして君のものを人に上げてしまうものか。」

 

 黛玉は宝玉がこのように大切に、衣服の中に身に着け、誰かに持って行かれるのを恐れていたと知り、このため向こう見ずに匂い袋を切ってしまったのを後悔し、うなだれて一言も発することができなかった。宝玉は言った。「君も切ってしまうことはないだろう。僕は君があまり僕にものをくれたがらないのが分かっているんだ。この荷包も、お返ししよう、どうかな。」そう言いながら、黛玉の胸目掛けて放り投げ、行こうとした。黛玉は益々腹を立てて泣き出し、荷包を手に取ると、またハサミで切ろうとした。宝玉は慌てて戻って奪い取ると、笑って言った。「良い子だから、この荷包は許してやって。」黛玉はハサミを放り投げ、涙を拭いて言った。「あなた、わたしに合わせてご機嫌を取ってくれる必要は無いわ。鬱陶しかったら、きっぱり離れてくれていいのよ。」そう言いながら意固地になってベッドに上がり、顔を中に向けて倒れ込むと、涙を拭いた。我慢できずに宝玉は近寄って、黛玉のことを「妹妹」と呼び、絶えず彼女に自分が悪かったと詫びた。

 

 表の部屋では、賈のお婆様が声を掛けて宝玉を捜した。周りの人々が、「林お嬢様のお部屋におられます。」と回答した。賈のお婆様はそれを聞いて、言った。「分かったわ。あの子を妹たちと一緒に遊ばせてやって。あの子の父親があの子を長い時間拘束したんだから、リラックスさせてやって。――あの人たちに口出しさせちゃだめよ。」人々は「はい」と答えた。

 

 黛玉は宝玉に纏わりつかれてどうしようもなかったので、起き上がってこう言うしかなかった。「あなたがいつもわたしを不安にさせるなら、わたし、あなたと分かれるわ。」そう言うと、外に行こうとした。宝玉は笑って言った。「君がどこへ行こうと、僕は君に付いて行くよ。」一方で相変わらず荷包を手に、それを身に着けようとした。黛玉は手を伸ばしてそれを奪って言った。「あなたが要らないと言ったのに、今また身に着けるなんて、わたしまで恥ずかしくなるわ。」そう言いながら、クスッと嘲笑った。宝玉は言った。「いい子だから、明日また僕に匂い袋を作ってよ。」黛玉は言った。「それもわたしの機嫌を取りたいだけでしょ。」

 

 そう言いながら、一方ふたりは部屋を出て、王夫人の部屋に行った。ちょうど巧い具合に、宝釵もそこにいた。この時、王夫人のところはたいへん賑やかであった。実は賈薔が既に姑蘇から十二人の少女を買って来て、また音楽と舞踊の指導をする先生を雇ったり、芝居の公演をするための衣裳や道具を準備するなどのことをしていた。この時薛叔母さんは栄国府の東北角の静かな家に引っ越し、梨香院は別途修理して、先生にここで少女劇を教え演出してもらい、また別に屋敷の中で曾て歌唱を習ったことのある女性たち――今は皆白髪のお婆さんになっていたが――を呼んで来て、彼女たちにグループを率いて管理させるつもりであった。そして日々の銀や銭の出納などのことや、諸般の大小必要な物品の購入や伝票の管理は、賈薔に主管させた。

 

 また林之孝がやって来て、報告した。「金を出して雇った十二人の尼さんや女道士は全員到着しました。新たに作った二十着の道服も準備できました。この他、ひとり修行中の尼僧様がいて、まだ剃髪しておられませんが、元々蘇州の人で、実家は読書人で役人を出す家柄だったのですが、自身が幼い時から病気がちで、何人も身代わりを買ったのですが、皆役に立たず、結局最後はこの娘を仏門に出家し修行させたところ、ようやく健康を回復したので、それで剃髪せずに修行をされています。今年十八になり、名を妙玉と言われます。現在、両親は共にお亡くなりになり、身の回りは、ふたりの乳母と、ひとりの小間使いがお世話しているだけで、文筆にもたいへん通じておられ、経典もたいへん熟知され、容貌もたいへん優れておられます。都「長安」には観音菩薩の遺跡や棕櫚(シュロ)の葉に書いた経文があると聞き、昨年お師匠様に従い上京され、現在は西門外の牟尼院に住んでおられます。妙玉様のお師匠様は先天神数に精通しておられましたが、昨年の冬に入滅されました。お師匠様の遺言に、妙玉様は「故郷に帰るは宜しからず、ここで静かに待てば、自ずと結果有り」とあり、そのためまだ柩を持ってお帰りになっていないのです。」王夫人は言った。「そのような事情がおありで、わたしたちはどうしてその方をお迎えしないの。」林之孝の家内が答えて言った。「妙玉様をお招きしようとすると、この方はこう言われるのです。「高貴なお家には、必ず自分の権勢を盾に他人を威圧する人がおられるものですから、わたしは行きません。」と。」王夫人は言った。「その方はお役人の家のお嬢様であられるなら、当然やや傲慢な性格もお持ちでしょう。招待状をお出しして来ていただくのであれば、何ら支障が無いでしょう。」林之孝の家内は「はい」と答えて出て行き、文書を起草する書生に招待状を書かせ、妙玉を招待し、翌日人を遣って車を手配し迎えに行った。さてこの後どうなったでありましょうか、次回に解説いたします。