元春妃が里帰り時に滞在される離宮が完成し、お里帰りは元宵節の日と決まります。当日、栄国府、寧国府では、一族全員で盛大にお出迎えをします。元春妃は離宮の中を見て回られ、この庭園の名前を「大観園」と名付けられます。そして女兄弟たちと宝玉に、各景勝地を題に、詩を作るよう要求されます。その結果、どうなるか、『紅楼夢』第十八回の始まりです。
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皇恩により重ねて元妃は父母を省(かえり)みる
天倫の楽しみ(一家団欒)をもって宝玉は才藻(詩文の才)を呈す
さてこの時、報告する者がいて、工事の上で装飾に使う紗(さ)や綸子(りんず)を待っていて、鳳姐に倉庫を開けてほしいと依頼して来た。また別の者が報告に来て、鳳姐に金銀の食器を集めておいてほしいと依頼して来た。王夫人やその侍女たちは皆たいへん忙しく、閑が無かった。宝釵はそれで言った。「わたしたちはここで邪魔をしてはいけないわ。」そう言うと、宝玉らと迎春の部屋に行った。
王夫人は毎日忙しくしていたが、十月中には全ての準備を終えた。管理、監督をする者は、買掛金の支払いを全て済ませた。各所の骨董や文房具は、全て並べ終えた。購入した小鳥、丹頂鶴、鹿、ウサギ、鶏、ガチョウなどは、既に全部購入し、園内の各所に渡して飼育をした。賈薔の方でも二三十の様々な種類の芝居の上演を準備していた。若い尼僧や女道士たちのグループも、念仏や経典の朗誦ができた。それで賈政は多少心が落ち着き、遂に賈のお婆様に大観園にお越しいただき、いろいろ吟味いただき、手配が適当かどうか、まだ多少不具合が無いか見ていただいた。賈政はそれでようやく上奏文を題することができた。上奏の日にちはこのようにした。「来年正月十五日上元の日に貴妃殿下にお里帰りいただきます。」賈のお屋敷ではこの上奏を奉じるや否や、昼も夜も多忙となり、年越しもちゃんと過ごすことができなかった。
瞬く間に元宵節が近づき、一月八日から、宦官が来られ、先ず導線を確認された。どこでお召替えをされ、どこにお座りいただくか、どこでご挨拶を受けていただき、どこで宴会を催し、どこでご休息いただくのか。巡察地方総理関防太監は、多くの部下の宦官を連れて来て、各所を防備し、幕を張って遮断し、賈のお屋敷の人々にどこから出入りし、どこで配膳し、どこで通知をするか、様々な儀礼上の注意を指示した。外では工部の役人、並びに五城兵馬司が街道の清掃を行い、野次馬を追い出した。賈郝らは職人たちを監督して飾り燈籠や花火の準備を行い、十四日までに、全て準備を終えた。前日の夜は、上から下まで皆眠ることができなかった。
十五日の五つの太鼓が鳴る時間(明け方の3時から5時)になって、賈のお婆様ら、爵位のある者は、皆それぞれ位に応じて身繕いをした。この時、大観園の中では天幕にとぐろを巻いた龍の図柄が刺繍され、窓のカーテンには鳳凰の図柄が刺繍され、金銀が様々な色彩に輝き、真珠や宝石が眼に眩しく、鼎の中では各種の香料が燃やされ高貴な香りが漂い、花瓶には四季折々次々花をつけて枯れない日日草が活けられ、しんと静まり返り、誰一人咳払いをする者もいなかった。賈郝らは西の通りの門の外に、賈のお婆様らは栄国府の大門の外にいた。街角の路地の入口には、幕が張られて厳重に遮断されていた。正に待ちくたびれて我慢できなくなった頃、ふとひとりの宦官が馬に跨りやって来たので、賈政が近づき、その知らせを尋ねた。宦官は言った。「まだ早過ぎますよ。未(ひつじ)の初刻(午後1時)に夕食をお召し上がりになり、未の正刻(午後2時)に宝霊宮で仏様を拝まれ、酉(とり)の初刻(午後5時)に大明宮に入られ宴会に参加され灯会(ランタン祭り)をご覧になって、今しがた指示を下されたばかりです。おそらく戌(いぬ)の初刻(夜7時から8時)にやっと出発されますでしょう。」鳳姐はそう聞いて言った。「そうであるなら、お婆様と奥様はしばしお部屋にお戻りください。時分になるのを待って、また来ても遅くないですわ。」そして賈のお婆様たちはぞれぞれ戻って行った。大観園の中のことは、全て鳳姐の手配に任された。執事たちは、宦官たちを連れて酒や食事でもてなし、一方ろうそくを持った人が順番に入って行き、各所に灯りを付け始めた。
ふと外で馬が駆ける音がばらばらと聞こえ、十数人の宦官が、ハアハア息を切らせて走って来て手を叩いた。これらの宦官たちは皆よく心得ていて、来られたのを知り、それぞれが決められたところに立った。賈郝は一族の子弟を率いて西の通りの門の外で、賈のお婆様は一族の女性の親族を率いて大門の外でお出迎えをし、しばらくの間はひっそり静まり返っていた。ふとふたりの宦官が馬に乗りゆっくりとやって来た。西の通りの門に着くと馬を降り、馬を幕の外まで牽いて行き、西を向いて立った。しばらくしてまた一組の宦官が来て、同じようにした。しばらくして十数組の宦官が来て、ようやくかすかに太鼓や楽隊の音が聞こえてきた。ふたり一組で鳳凰、龍を描いた旗、雉の羽で作った宮扇を掲げ、また金の取っ手の付いた香炉からは香が焚かれ、その後ろから柄の曲がった黄金の七匹の鳳の図柄の傘がやって来て、これは冠、上着、ベルト、靴であり、また執事の宦官がナプキン、ハンカチ、口を漱ぐ盆、埃払いなどを捧げ持っていた。一隊一隊が通り過ぎ、後ろから八人の宦官に担がれた金色の屋根に淡い黄色の鳳の刺繍がされた鈴のついた駕籠が、ゆっくりと進んで来た。
賈のお婆様たちは急いで跪こうとすると、早くも宦官がやって来て、賈のお婆様らを助け起こし、その鈴のついた駕籠を大門の内に担ぎ入れ、東側の中庭の門の前まで来ると、宦官が跪き、駕籠を下りてお召替えを請い、そして門を入ると、宦官はその場を離れ、女官の昭容、彩嬪らが元春の手を引き駕籠より下した。見ると、苑内には様々な色の飾り提灯がきらめいていたが、どれも紗や綾を縛って作られ、たいへん精緻であった。上にはランタンの扁額が掛けられ、「体仁沐徳」tǐ rén mù dé(仁愛を体得し恩徳に浴する)の四文字が書かれていた。元春は部屋に入ると、衣を着替えてまた出て来て、駕籠に乗って大観園に入った。園内ではお香の煙がゆらゆらたなびき、花の影が入り乱れ、ランタンの灯りの光が方々を交互に照らし出し、絶えずかすかに抑揚のある音楽の音が聞こえて来た。社会の安定のおかげで、このような繁栄した情況が出現し、富貴で贅沢な生活が送れるようになったのだ。
さて賈妃(元春妃)は駕籠の中でこの庭園の内外の光景を見て、頷きため息をついて言った。「とても贅沢で、お金を使いすぎだわ。」ふとまた宦官が跪き、舟に乗るよう言っているのが見えた。賈妃は駕籠を降り舟に乗ると、清流の流れる一帯で、水の勢いはまるで龍が遊ぶようで、両側の石造りの欄干の上には、水晶ガラスの様々な色のカンテラが吊るされ、付いた灯りはまるで銀の光や雪の浪のようであった。上の方は柳や杏子や様々な樹木で、花や葉が無くとも、様々な色の絹や綾、カミヤツデを花に見立て、枝に貼り付け、一株毎にたくさんのランプを吊るしていた。更に池の中は蓮やジュンサイ、野鴨や鷺の灯りで装飾され、それらは皆巻貝、カラス貝、羽毛などで作られ、上も下も輝きを競い、水面も天空もキラキラ輝き、真にガラスの世界で、真珠や宝石でできた天地であった。船の上にはまた様々な盆栽や、真珠で装飾されたカーテンや刺繍されたとばり、木犀の櫂やモクレンのオールなど、一々言うまでもなかった。舟は既に石港というところに入り、港の上は扁額が灯りに照らされ、明らかに「蓼汀花溆」liǎo tīng huā xùの四文字が書かれていた。
皆さん、聞くところによると、「蓼汀花溆」及び「有鳳来儀」などの文字は、どれも前回賈政がたまたま宝玉の詩才を試した時のもののようだが、どうして真面目にそれを採用するに至ったのだろうか。思うに賈のお屋敷で、代々詩や書は、自ずと一二の名手が題して詠んだもので、どうして成金の家のように、なんと子供が戯言で適当に言った言葉を使うのか。ただ当時は、この賈妃が宮廷に入られる前のことで、幼い時から賈のお婆様が教育をされた。後に宝玉が生まれ、賈妃は長姉、宝玉は幼弟であったので、賈妃は母親が年配であるのを気遣い、この弟をひとり慈しみ始めた。それと同じく賈のお婆様にもかしずき、一時も離れることがなかった。かの宝玉は家塾へ入学する前、三四歳の時、既に元春妃より何冊かの本を口伝で教授を受け、数千字の文字を理解していた。ふたりは兄弟であったが、また母子のようでもあった。元春妃が宮廷に入られて後、時々手紙で父兄に言って来たのは、(宝玉のことを)「くれぐれもよく養ってやってください。厳しくなければりっぱな人物になれない。でも厳し過ぎると、予期せぬことが起こって、お婆様に心配をかけるかもしれない。」一族の者を気にかける気持ちは、ひと時も忘れたことがなかった。先日は賈政が、家塾の先生が宝玉はたいへん才能があると称賛したので、大観園の園内を下見した時、雑談をしながら詩才を試したのであり、有名な文豪の大作とは言えないが、独特な風格が見られた。しかも賈妃がこれをご覧になり、愛する弟の所作と知れば、またその平素より切望されていた気持ちに背くこともなかった。このため宝玉が題したものが用いられたのであった。――この日、まだ題が掲げられていない所には、その後に題が補なわれた所も数多かった。
さて賈妃はこの四字を見ると、笑って言った。「「花溆」の二字は良いが、どうして「蓼汀」でなければならないの。」お傍に座っていた宦官がそれを聞き、急いで舟を降りて岸に登り、伝言を賈政に飛ばすと、賈政は即刻これを改めた。この時舟は岸辺に臨み、賈妃は舟を出て駕籠に乗られたが、琳宮(道観)がしなやかに建ち、桂殿が高々と聳え、石の牌坊に「天仙宝境」の四字が書かれているのを見て、賈妃は「省親別墅」(里帰りの別荘)の四字に改めるよう命じられた。そして行宮に入ると、庭園内のかがり火が四方を照らし、良い香りが、雪が地面を覆いつくすかのように辺りに漂い、灯火の焔が仙境の奇花異草のように燦々と輝き、建物は黄金の窓、玉の敷居のように豪華であった。エビの髭のように美しく巻かれたカーテン、カワウソの毛皮で作った豪華な絨毯、鼎の中で燃やされた麝香と龍涎香の香りが漂い、雉の尾の扇が立て掛けられるなど、全てを言い尽くせぬ程であった。真に、
金門の玉戸神仙の府、桂殿の蘭宮妃子の家
賈妃は尋ねた。「この御殿にはどうして扁額が掛かっていないのですか。」侍従の宦官が跪いて説明した。「ここは正殿でありますので、外臣は勝手に名を付けるのは畏れ多いためです。」賈妃は頷いた。礼儀担当の宦官が座に昇って礼を受けていただくよう請うと、東西の階の楽隊が音楽を奏で出した。二番目の宦官が賈郝、賈政らを月台の下に導き、一族がグループで御殿に登った。女官の昭容が諭旨を伝えて言った。「許す。」そう言って退いた。次に栄国太君(賈のお婆様)と女性の親族らが東の階から月台を登って並ぶと、 昭容が再び諭旨を述べた。「許す。」そう言って、また退いた。
茶を三献捧げると、賈妃は座を降り、音楽は止まり、側室に退きお召替えをされると、準備されていた車に乗られ、大観園を出られた。 賈のお婆様の正室に着くと、家族の挨拶をしようとされたが、賈のお婆様らが皆跪いてこれを止めた。賈妃は涙を流し、お互いに近づき顔を合わせ、片手で賈のお婆様を引き寄せ、片手で王夫人を引き寄せ、――三人は胸いっぱいで、皆色々なことを言いたかったが、言葉が出て来ず、ただ嗚咽し涙を流すだけであった。邢夫人、李紈、王熙鳳、迎春、探春、惜春らは、皆傍らで涙を垂れ無言であった。しばらくして、賈妃がようやく悲しみをこらえ、作り笑いを浮かべ、慰めて言った。「あの時はわたしを人とお会いすることのできない所に送っていただき、それからようやく今日家に帰ることができました。皆さん、今日は笑うなとは言いませんが、でも泣いてばかりいる訳にもいかない。しばらくしたらわたしは帰ってしまい、今度はいつまたお会いできるか分かりません。」ここまで言うと、思わずまた嗚咽がこみ上げてきた。 邢夫人が慌てて近寄り、気持ちをなだめた。賈のお婆様たちは賈妃をまた椅子に腰かけさせ、また逐次ひとりひとりと顔を合わせたが、またひとしきり泣くのを止めることができなかった。その後東西の両お屋敷の執事たちが外庁で儀礼を行った。嫁たちや召使たちの挨拶も終わった。賈妃はため息をついて言った。「たくさんのご親族の方がおられますが、残念ながら全てにお会いすることはできないわ。」
王夫人が進み出て言った。「今、外戚の薛王氏と宝釵、黛玉が外で仰せを待っています。女系の親族や職に付いていない者は、敢えて入って来ておりません。」賈妃はそれで皆に入って来てもらい、面会することになった。しばらくして薛の叔母様らが入って来て、国礼をしようとしたが、元妃は席を降りて来て止められ、近づいて各々長らく分かれていた間のことを述べられた。また元々一緒に宮廷に連れて行った召使の抱琴らが跪いて頭を地面に付ける挨拶をすると、賈のお婆様が急いで手を貸して起こすと、別室に行かせてもてなした。執事の宦官、女官の彩嬪、昭容、各々の侍従の人たちは、寧国府及び賈郝のお屋敷の人たちが接待をした。ただ三四人の年若い宦官だけが残り、諸連絡の対応をした。母娘の間、女兄弟たちの間で、長らく離れている間の事情や、家の情況、個々人の情況をあれこれ語り述べるのを止めることはできなかった。
また賈政がとばりの外へ行き、賈妃のご機嫌を伺い、挨拶をした。元妃(賈妃)はまた父親の賈政に言った。「普通の農家の家では、生活は質素で、食べ物は粗末、衣服も簡単なものしか着れませんが、家族が集まって団欒をすることができます。今は富み栄えても、肉親が離れ離れになり、遂には興趣が無くなってしまいました。」賈政もまた涙ながらに述べて言った。「わたしは貧しい家庭の出身で、ごく普通の人間であるのに、どうして鳳が飛び立つ吉祥の兆しに乗ろうなどという大それたことを考えるでしょうか。今日貴妃殿下は皇帝陛下が下された恩典を得て、ご先祖様の徳行を顕かにされ、これ皆山川日月の精華の賜物であり、ご先祖様の遥かな徳が、ひとりの身の上に集まり、その幸せがわたしたち夫婦に及んだものです。今日の統治者は天地が活き活きとして休むことなき偉大な徳業に倣い、未だ曾て無い巨大な恩典を下さり、たとえこの身を犠牲にしたとて、取るに足らぬものしかお返しできません。ただ朝から晩まで真面目にお勤めに励んでこそ、自分の職責に忠実でいられるのです。伏して聖君の万歳千秋、天下蒼生の福を願うものであります。貴妃殿下におかれては決してわたしたち夫婦の残る寿命のことなどお考えなさらず、もっと自分が上様に寵愛されることを祈り、ただ謹んで厳かに謙虚にお仕えすることだけを考え、皇上のわたしたちに対する恩寵、厚愛に背くことの無いようにしてください。」賈妃もまたこう言い聞かせた。「国家の事務が繁忙な際は、しっかり勤めよ。閑な時は、心身の保養に努めよ。決して忘れること無きよう。」
賈政はまたこう述べた。「大観園中の全てのあずまやや楼閣には、皆宝玉が題を付けました。もし一二ヶ所でも眼に止められたところがございましたら、名を賜れば幸いでございます。」 元妃は宝玉が題を付ける才能があると知り、微笑んで言った。「確かにあの子の詩才は進歩しましたね。」賈政が退出した。元妃はそれで尋ねた。「宝玉はどうして姿を見せないの。」賈のお婆様はそれで申し述べた。「官職のない男性親族は、勝手に入って来ません。」元妃は宝玉を連れて来るよう命じた。歳若い宦官が宝玉を連れて入って来ると、先ず国礼を行わせてから、お傍に来させ、手を取って胸に抱き寄せ、宝玉の首筋を撫でて笑って言った。「前より随分大きくなって――」ことばが終わらぬうちに、涙が雨のように流れた。
尤氏、鳳姐らが進み出て申し述べた。「宴席の準備ができました。貴妃殿下、どうかお出ましください。」元妃は立ち上がると、宝玉に命じてエスコートさせ、遂に人々と一緒に歩いて大観園の門前に至った。早くも灯光の中、諸般の物が順番に並べられているのが見えた。庭園の中に入ると、先ず「有鳳来儀」、「紅香緑玉」、「杏簾在望」、「蘅芷清芳」などの場所から、楼閣に歩いて登り、川を渡り山に登り、景色を眺望しつつ歩き回った。どの場所も設えが華麗であり、文物は一点一点新奇な特徴を持っていた。元妃は大いに称賛され、また諫めた。「今後は贅沢過ぎるのはだめよ、ここは皆やり過ぎだわ。」既に正殿まで来たので、皆に跪いて礼をするのを止め、席に座るよう命じ、大いに宴会が開始された。賈のお婆様らは下座でお相伴し、尤氏、李紈、鳳姐らはスープを捧げ持ち、手に酒杯を持った。
元妃はすなわち筆に墨、紙、硯を準備するよう命じ、自ら沙や紙を手にし、自分の好きな名を選んで与えられた。よってこの庭園全体の名は「大観園」と題し、正殿の扁額は「顧恩思義」とした。対聯に言う:
天地は宏慈を啓(ひら)き、赤子と蒼生(人々)は同じく感じ戴(いただ)く。
古今曠典(こうてん。世にまれな大きな儀式)を垂れ、九州万国恩栄を被る。
また「有鳳来儀」の題を改め、「瀟湘館」の名を賜った。「紅香緑玉」は「怡紅快緑」(「紅」は海棠、「緑」は芭蕉のこと。「怡」、「快」は好むこと)と改め、「怡紅院」の名を賜った。「蘅芷清芳」は「蘅蕪院」の名を賜った。「杏簾在望」は「浣葛山荘」の名を賜った。正楼は「大観楼」と言った。東側の飛楼は「綴錦楼」と言った。西側の叙楼は「含芳閣」と言った。更に「蓼風軒」、「藕香榭」、「紫菱洲」、「荇葉渚」などの名があった。扁額には「梨花春雨」、「桐剪秋風」、「荻蘆夜雪」などの名があった。また既に扁額や対聯が掲げてあれば、それを取り外してはならないと命じた。そして先ずひとつ絶句を次のように題した。
山に銜(つら)なり水を抱いて建ち来るは精(精緻)、多少の工夫(どれだけの時間)にて築くや始めて成る。
天上、人間(じんかん。人間社会)の諸景備わり、芳園は「大観」の名を錫(賜、たま)う応(べ)し。
題し終わり、女兄弟たちに向かい笑って言った。「わたしが元々才能に乏しく、詩を詠むのが苦手であったことは、皆さん方は固よりよくご存じのはずです。今夜はとりあえず詩作をする責任を果たして、眼の前の景色に背くことのないようにいたしましょう。今後時間ができたら、必ず「大観園記」や「省親頌」などの文を追加で著し、今日のことを記録します。皆さんがたも各題に一扁一詩を、自由に発表してください。自分は才能が無いからと勝手に自分を束縛してはなりません。また宝玉は詩を題し詠む才能をお持ちだそうだから、ひとつそれを発揮してくれると嬉しいです。この庭園中の瀟湘館、 蘅蕪院 の二ヶ所は、たいへん気に入りました。それに次ぐのが怡紅院、 浣葛山荘 です。この四ヶ所は、必ず他にも詩を題するとおもしろいと思います。前に題された対聯はすばらしいのですが、今もう一回それぞれ五言の律詩を一首作り、わたしの目の前で試してくれれば、わたしがあなたがたがまだ幼い時から詩文を教えた苦心に背くことがないと思います。」宝玉は「はい」と答えるしかなく、庭に下りると自ら構想を練った。
迎春、探春、惜春の三人の中で、 探春が姉妹たちの中では才能が一番優れていると思われたが、自分では薛宝釵や林黛玉とは比べられないと思い、他の人たちに従い命令に応じるしかなかった。李紈もなんとか絶句を一首作った。賈妃は順番に女兄弟たちの詠んだ詩を見たが、次のように書かれた。
曠性怡情(扁額) 迎春
園は成り景物は特に精奇なり、命を奉じ羞じつつ額を曠怡と題す
誰か信ぜん世間に此なる境有るに、遊び来たりて寧(なん)ぞ神思(気分)暢(のびや)かざらんや
文彩風流(扁額) 探春
秀水明山を抱え復た回(めぐ)る、風流文彩は蓬莱に勝る
緑裁(た)つ歌扇は芳草を迷わせ、紅い襯(じゅばん)の湘(湖南)の裙(もすそ)は舞えば梅(花)落つ
珠玉は自ずと盛世に伝う応(べ)し、神仙の何と幸いなるか瑶台(皇宮)へ下る
名園一に自ら邀(もと)められ遊賞せしより、未だ凡人の此に到り来るを許さじ
文章造化(扁額) 惜春
山水は横に拖(ひ)く千里の外、楼台は高く起きる五雲の中
園は日月光輝の里(なか)に修め、景は奪う文章造化の功
万象争輝( 扁額 ) 李紈
名園を築けば就(すな)わち勢い巍巍、命を奉じ多く慚(は)ず学の浅微を。
精妙は一時なるも言は尽きず、果たして万物には光輝有り。
凝暉鐘瑞(扁額) 薛宝釵
芳園を帝城の西に築き、華日祥雲籠罩の奇あり
高柳は喜び鶯は谷を出でて遷り、修篁(竹林を剪定して整える)の時鳳の来たる儀を待つ
文風は已に宸游(皇帝の外出巡游。ここでは賈妃の里帰りのこと)の夕を著し、孝化(人の思想の教化を儒教でいう孝行に当てたもの)は帰省の時に隆(さか)んなる応(べ)し
睿(叡智。英智)藻(辞藻。詩文のこと)の仙才仰(あお)ぎ瞻(み)るところ、自ら慚(は)ず何ぞ敢えて再た辞すを為すか
世外仙源(扁額) 林黛玉
宸游は悦豫(悦び)を増し、仙境は紅塵と別(わか)たず
借り得たり山川の秀、添え来る気象の新た
香は融ける金谷の酒、花は玉堂の人に媚びる
何と幸いなるか恩寵を邀(もと)め、宮車の過ぎて往くは頻たり
元妃は見終わると、称賛すること已まず、また笑って言った。「結局宝釵と黛玉のふたりの作は他の皆とは違い、我ら姉妹の及ぶところではない。」元々黛玉は安心してこの夜大いにその奇才を発揮し、人々を圧倒せんとしたのだが、思いがけず元妃が一扁一詩作を命じたのだが、命令に背いてあまりたくさん詩を作るのもよくないので、ただ適当に一首五言の律詩を作って命令に応じただけであった。
この時宝玉はまだ詩ができておらず、ようやく「瀟湘館」と「蘅蕪院」の二首が出来たばかりで、ちょうど「怡紅院」の一首を作っているところで、起稿した中に「緑玉春猶巻」の一句があった。宝釵は瞬く間に一瞥(べつ)すると、人々が意見を言っても相手にしない間に、宝玉に勧めて言った。「貴妃様は「紅香緑玉」の四字は好まれないので、「怡紅快緑」に改めたんでしたね。あなた、今回はあくまで「緑玉」の二字を用いて、わざとあの方の意に反することをされたいのではないのですか。ましてや芭蕉の葉の故実は頗るたくさんありますから、もうひとつ違うものを考えてみてはどうですか。」宝玉は宝釵にこのように言われたので、汗を拭いてこう言った。「僕は今回どうしても何の故実も思いつかないんだ。」宝釵は笑って言った。「あなたはただ「緑玉」の「玉」の字を「蝋」の字に改めさえすればいいんです。」宝玉は言った。「「緑蝋」は、でも出所があるの。」宝釵はこっそり舌打ちして頷くと、笑って言った。「あなたのおかげで今夜はこのようであるけれど、将来科挙の試験の時には、あなたはきっと(緊張のあまり)「趙銭孫李」といったありふれた名前まで皆忘れてしまうんでしょうね。――唐の時代の韓翊が芭蕉を詠んだ詩の一節の「冷燭無煙緑蝋干」も忘れてしまったの。」宝玉はそれを聞いて、思わず心からハタと納得し、笑って言った。「僕としたことが。目の前の出来合いの文句まで思い浮かばないとは。姉さんは本当に「文章の師匠」だ。これから僕はあなたを師匠と呼んで、もう姉さんとは言わないよ。」宝釵もクスッと笑って言った。「まだそこまではいっていないわ。姉さん、妹でいいのよ。誰があなたの姉さんだって。あの上に黄色の上着を羽織ってられるのがあなたの姉さんでしょう。」そう言って笑いながら、宝玉が答える時間が遅くなるのを恐れ、遂にそこを抜けて行ってしまった。
宝玉は続けてこの一首を作り、全部で三首になった。この時黛玉はまだ詩才が発揮できておらず、気分が良くなかった。宝玉が詩を考えるのにたいへん苦しんでいるのを見て、机の傍まで歩いていくと、宝玉が「杏簾在望」の一首だけ欠いているのを知ったので、宝玉に前の三首を書き写させ、自分が律詩を一首吟じて、紙片に書き、それをよじって団子にすると、宝玉の眼前に放り投げた。宝玉はそれを広げて一目見ると、自分が作った三首より十倍優れていたので、遂に急いで整った楷書で清書して提出した。元妃が見たのは次のようなものであった。
有鳳来儀 宝玉
秀玉(竹のこと)は初めて実を成し、堪えて宜しく鳳凰を待つ
竿々は青く滴(したた)らんと欲し、個々の緑は涼を生ず
迸(ほとばし)る砌(みぎり。石畳)は階(きざはし)の水を防ぎ、穿(つらぬ)く簾(れん)は鼎の香を碍(さえぎ)る
揺らす莫れ分かち碎く(竹の)影、好き夢正に初めて長し
蘅芷清芳
蘅蕪(こうぶ。カキツバタ)は静かな苑に満ち、羅薜(らはく。フジ)は芬芳(ふんぽう。良い香りを漂わせる)を助く
軟らかく衬(ひきた)つ三春の草、柔らかく拖(ひ)く一縷の香り
軽煙は曲径に迷い、冷翠は衣裳を湿らす
誰か謂う「池塘」の曲、家に謝す幽夢長し
怡紅快緑
深庭長日静か、両両(芭蕉と海棠)嬋娟(せんけん。艶やかで美しい)を出ず
緑蝋(芭蕉の葉)は春猶お巻き、紅粧(女子を花に譬える)は夜未だ眠らず
欄(干)に憑り絳(あか)き袖を垂らし、石に倚り清煙を護る
対立す東風の里(なか)、主人は応(まさ)に怜(あわ)れみを解くべし
杏簾在望
杏の簾客を招きて飲み、在望山荘有り
菱荇(菱やアサザ。どちらも水草)鵞(ガチョウ)の(遊ぶ)水、桑楡(の枝葉は)燕子の(巣をかける)梁(のよう)
一畝に春韮は熟れ、十里稲花の香り
盛世に飢餒(きねい。飢えること)無く、何ぞ須らく耕織に忙(せわ)しきや
元妃は見終わると、嬉しくてたまらず、こう言った。「確かに益々良くなったわ。」また「杏簾」の一首を指して四首の第一とし、遂に「浣葛山荘」を改め「稲香村」とした。また探春に命じて、これまでの十数首の詩を、別に綺麗な紙に清書させ、宦官に命じて外に伝えさせた。賈政らはそれを見て、皆称賛するのが已まなかった。賈政はまた『帰省頌』を献上した。元妃はまた命じて瓊酪(美酒、乳から作った濃厚な飲料)、金膾(特別に作らせた魚や肉の膾(なます))を、宝玉と賈蘭に賜った。――この時賈蘭はまだ幼く、まだ諸事に通じておらず、ただ母親や叔父に従って行儀見習いしているだけだった。
この時賈薔は一組の女芝居の一座を連れて階下にいて、ちょうど待ちくたびれていたところ、ふと宦官が走ってきて、こう言った。「詩を作り終えたので、すぐに芝居の演目表を持って参れ。」賈薔は急いで演目表を献上した。――併せて十二人の女優の名簿をお渡しした。しばらくして、四幕の芝居が注文された。最初の演目は『豪宴』、二番目は『乞巧』、三番目は『仙縁』、四番目は『離魂』であった。賈薔は急いで上演の支度をし、一曲一曲の歌が甲高く響き、まるで石も砕けんばかり、舞いは神々しく神秘的で、この世のものとも思えぬ様で、もちろんそれらは役者が扮装して演じたものではあったが、活き活きとそれぞれの情感と情景を表現していた。
ちょうど演じ終わるや、ひとりの宦官が手に菓子を盛った金の盆を載せて入って来て、尋ねた。「誰が齢官だね。」賈薔は齢官に賜った物だと分かったので、急いで役者に取り次ぐと、齢官に叩頭の礼をするよう命じた。宦官はまた言った。「貴妃様がこう言いつけられました。「齢官はとても良かった。あと二幕演じてほしい。どの芝居でも構わぬから。」と。」賈薔は急いで「はい」と答え、齢官に命じて『遊園』、『驚夢』の二幕を演じさせようとした。齢官は自ら「この二幕は自分の役柄ではございません」と言い、どうしても従わず、『相約』、『相駡』の二幕を演じると言い張った。賈薔はどうしても齢官を翻意させられず、彼女の言う通りにさせるしかなかった。元妃は甚だ喜ばれ、こう命じられた。「この女役者を困らせてはならぬ。よく教え導いてやるように。」思いがけず二匹の宮綢、二個の荷包、並びに金銀の錁(小さな塊)の類を褒美として下された。その後宴席を片付け、庭園中のまだ見ていないところへ、また遊覧に行った。ふと山裾に佛寺が見えたので、急いで手を洗って中に入り、線香を焚いて仏さまを拝み、また扁額に「苦海慈航」と題した。また思いがけず一組の髪を剃らず在家で修行している尼と女道士に喜捨をされた。
しばらくして、宦官が跪いて申し述べた。「下賜される贈り物が全て揃いました。決められた規定や事例に則りお渡しします。」そして簡単な報告書が献上された。元妃は最初から見られたが、何も言われず、この通り行うよう命じられた。宦官が下りて来て、ひとつひとつ手渡した。元々、賈のお婆様に渡すのは、金玉と如意が各一本、沈香の杖一本、伽楠(沈香のこと)念珠(数珠)一串、「富貴長春」の宮緞(宮廷で作られたサテン)四匹、「福寿綿長」の宮綢(宮廷で作られた繻子(しゅす))四匹、紫金(赤っぽい金)の「筆錠如意」の錁(小さな塊)を十錠(塊、インゴット)、「吉慶有余」の銀錁(小さな塊)を十錠の予定であった。邢夫人らの二人分は、これから如意、杖、念珠の四種類が減じられた。賈敬、賈郝、 賈政らはそれぞれ宮廷御製の新書が二部、宝墨二箱、金銀の小さな杯が各二個で、贈り物として賜る衣服は、これまでの例に基づき渡された。宝釵、黛玉、諸姉妹らには、それぞれ新書一部、宝硯一丁、新しい様式の金銀の錁(小さな塊)二対。宝玉と賈蘭には、金銀のネックレス二個、金銀の錁(小さな塊)二対。 尤氏、李紈、鳳姐らには皆金銀の錁四錠、贈り物として賜る衣服が四種類。これとは別に、贈り物として賜る衣服二十四種類、清銭(清代に流通した銅銭)五百串(1串が銅銭千枚)が、賈のお婆様、王夫人、各姉妹の部屋付きの乳母に褒美として与えられた。賈珍、賈璉、賈環、賈蓉らには皆贈り物として賜る衣服一種類、金銀の錁一対であった。それ以外に彩色された緞子百匹、白銀千両、御酒数瓶が、東西両府、及び大観園内の工事、据付、伝達、芝居の管理、照明の担当の人々に授けられた。他にまた 清銭三百串が、コック、芝居の役者、各種出し物の演者らに授けられた。
人々の謝恩が済むと、執事の宦官が申し述べた。「時は既に丑の正三刻(2時45分)でありますので、何卒宮殿にお帰り願います。」元妃は眼から涙がこぼれ落ちるのを禁じ得なかったが、また無理やり作り笑いを浮かべながら、 賈のお婆様、王夫人の手を放すにしのびず、再三再四こう言い聞かせた。「案ずるでない、よくよく身体を大事になさって。今は皇帝陛下の恩恵が広く行き渡り、毎月一度賈府の人間が宮廷に入り、肉親と会うことが許されていて、再会がたいへん容易くなっているのに、どうしてこんなに悲しむ必要があるの。もし来年陛下の恩恵でまた里帰りが許されたら、こんなに贅沢にしてお金を浪費してはなりません。」 賈のお婆様らは既に泣いて喉を詰まらせ、声が出なかった。元妃は別れるに忍びなかったが、どうして皇室のしきたりに背くことができようか。堪え難きを堪え、駕籠に乗った。ここでは人々はやっとのことで 賈のお婆様をなだめ、王夫人が手を貸して大観園を出た。この後どうなったか、次回解説いたします。




