中国語学習者、Congziのブログ

中国語学習者、Congziのブログ

京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 それでは、今回から『水滸伝』第一回に入ります。物語は、11世紀、北宋第四代皇帝仁宗の治世から始まります。この頃、疫病が全国的に流行し、病気平癒を願い、江西龍虎山から道教の最高指導者を都の開封に招き、国を挙げて疫病退散の祈祷をしてもらうことになります。そのため、皇帝の詔書を預かり、龍虎山に派遣されたのが太尉の洪信。先ずは洪信が道教の聖地、龍虎山上清宮に着くまでのところを読んでいきます。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

张天师祈禳qí ráng瘟疫wēn yì

洪太尉误走妖魔yāo mó

 

張天師は祈りて瘟疫(おんえき。疫病)を禳(はら。祓)い、

洪太尉は誤って妖魔を走(に)がす

 

 

 

 话说大宋仁宗天子在位,嘉祐jiā yòu‌三年三月三日五更三点,天子驾坐紫宸殿zǐ chén diàn‌,受百官朝贺。但见:

 

 さて大宋の仁宗が天子に在位し、嘉祐三年(西暦1058年)三月三日の五更三点(午前412分頃。五更は3時から5時。一更を点は5等分するので、一点は約24分)、天子は紫宸殿の玉座に座られ、百官の朝賀を受けられた。その有様は:

 

  祥云迷凤阁,瑞气罩龙楼。

  含烟御柳拂旌旗jīng qí,,带露宫花迎剑戟jiàn jǐ‌

  天香影里,玉簪zān珠履丹墀dān chí;仙乐yuè声中,绣袄xiù ǎo锦衣jǐn yī御驾yù jià‌‌

  珍珠帘卷,黄金殿上现金舆;凤尾扇开,白玉阶前停宝辇。

  隐隐净鞭三下响,层层文武两班齐。

 

  祥雲は鳳閣に迷い、瑞気は龍楼を覆う。

  煙を含む御柳は旌旗(せいき)を拂(はら)い、露を帯びた宮花は剣戟(けんげき)を迎える。

  天香の影の裏(なか)、玉簪珠履(玉の簪(かんざし)で髪を止め、真珠の嵌った履物を履いた高官たち)は丹(に。丹色に塗った)の墀(きざはし)に聚(あつ)まり、仙楽の声の中、綉襖(しゅうおう。刺繍が施された衣服)錦衣(を着た官吏たち)は御駕(天子が乗る乗り物)を扶(たす)く。

  珍珠(真珠)の簾を巻き、黄金の殿上に金輿現れ、鳳尾の扇が開き、白玉の階の前に宝輦(ほうれん。鳳輦。屋根に金色の鳳凰が飾られた皇帝の乗り物)が停まる。

  隠隠(かすかではっきりしない。音が遠くでどよめくように響く)と浄(きよ)き鞭が三たび下りて響き、層層と(次々と)文武の両班が斉(そろ)う。

 

 

 当有殿头官喝道hè dào:“有事出班早奏,无事卷帘juǎn lián退朝tuì cháo。”只见班部bān bù丛中,宰相zǎi xiàng赵哲、参政cān zhèng文彦博wén yàn bó出班chū bān奏曰:“目今京师瘟疫wēn yì盛行,民不聊生‌liáo shēng,伤损军民多矣。伏望fú wàng陛下bì xià释罪shì zuì宽恩kuān ēn,省shěng刑薄税,以禳ráng天灾,救济jiù jì万民。”

 

 殿頭官(皇帝のそばに仕えて詔勅の伝達、朝議の進行をつかさどる内侍官)が大声で言った。「要件のある者は隊列を出て速やかに奏上せよ。要件無き者は速やかに朝議を退出せよ。」すると朝堂の百官の隊列の中から宰相の趙哲、参政の文彦博が隊列を出て奏上して言った。「目下、京師(天子が住むみやこ)では疫病が流行し、民は生活を維持することができず、軍民を傷つけ損なうこと甚だしい。願わくば陛下におかれては罪を赦し広く恩赦を行い、刑罰を減らし税を軽くし、祭祀により天災のお祓いをすることで、万民を救済していただきたい。」

 

天子听奏,急敕chì翰林院hàn lín yuàn随即suí jí草诏cǎo zhào:一面降赦jiàng shè天下罪囚zuì qiú,应有yīng yǒu民间税赋shuì fù悉皆xī jiē赦免shè miǎn;一面命在京宫观gōng guàn寺院,修设好事hǎo shì禳灾ráng zāi‌。不料其年瘟疫转盛。仁宗天子闻知,龙体不安。复会百官,众皆计议。

 

天子は奏上を聞くと、急ぎ翰林院(かんりんいん。詔書の起草に当たる役所)に命じて直ちに詔書(皇帝の詔(みことのり))を起草させた。一方では全国の犯罪を犯して拘禁された罪人の処罰を軽減、或いは免除し、一切の民間の税や賦役をすべて免除した。また一方ではみやこの道教寺院(宮観)、仏教寺院に命令し、特別な祭祀を行って災いを祓うようにさせた。ところが思いがけず、その年は疫病が勢いを盛り返した。仁宗皇帝はそれを聞いて、体調を害されてしまった。それで再び文武の百官が集まり、皆が一緒に協議した。

 

向那班部中,有一大臣越班启奏。天子看时,乃是参知政事范仲淹fàn zhòng yān。拜罢起居,奏曰:“目今天灾盛行,军民涂炭,日夕不能聊生,人遭zāo缧绁léi xiè之厄è。以臣愚意,要禳此灾,可宣kě xuān嗣汉天师sì hàn tiān shī星夜临朝lín cháo‌‌‌,就京师禁院jìn yuàn修设xiū shè三千六百分fēn罗天大醮luó tiān dà jiào,奏闻上帝,可以禳保民间瘟疫。”

 

百官の隊列の中から、ひとりの大臣が隊列の中から進み出て天子に進言しようとした。天子がそれを見ると、すなわち参知政事の範仲淹であった。彼は天子に拝礼すると、立ち上がってこう奏上した。「目下天災が猛威を振るい、軍民は塗炭の苦しみを舐め、日夜生活を維持することもできず、人々はまるで牢獄に監禁されたかのような災難に遭遇しております。臣の愚見を申し上げますと、この災禍を祓うには、詔(みことのり)を発して嗣漢天師(江西龍虎山の張天師。歴代、漢の張道陵の道統を継いでいる)に夜に昼継いで朝廷に急ぎお越しいただき、みやこの禁苑に祭壇を作り、三千六百分の羅天大醮(らてんたいしょう。すべての天(羅天)の神々を祀り、あまねく世界や魂を救うための大規模な祭典)の儀式を行い、神様にお伺いを立てれば、民間の疫病の流行を祓うことができましょう。」

 

仁宗天子准奏。急令翰林学士草诏一道,天子御笔亲书,并降御香一炷zhù,钦差qīn chāi内外提点殿前太尉tài wèi洪信hóng xìnwéi天使,前往江西信州龙虎山,宣请嗣汉天师张真人星夜临朝,祈禳瘟疫。就金殿上焚起御香,亲将丹诏dān zhào付与fù yǔ洪太尉为使,即便登程前去。

 

仁宗はこの奏上を許可した。急ぎ翰林学士に命じて詔を起草させ、天子自ら筆を執ってそれを書き記し、更に御香一炷を下され、勅命により内外の提点(アドバイザー)たる殿前太尉の洪信を天子の使節とし、江西信州龍虎山へ行き、嗣漢天師の張真人を召見し、彼に夜に昼継いで朝廷に急ぎ来て、疫病禍の解消を祈願させることとした。それで金殿上で御香を焚かせ、天子自ら朱砂(鮮やかな深紅色をした鉱物である「辰砂(しんしゃ)」の古称)で書かれ、玉璽の押された詔を洪太尉に渡して使節とされ、直ちに出立して龍虎山へ向かわせた。

 

 

 洪信领了圣敕shèng chì,辞别天子,不敢久停。从人背了诏书,金盒子盛了御香,带了数十人,上了铺马pù mǎ,一行部从,离了东京,取路径jìng投信州贵溪guì xī县来。于路上但见:

 

 洪信は聖勅を受け取ると、天子に暇乞いをし、そこに敢えて長く留まることはしなかった。従者が詔書を背負い、金の箱に御香を入れ、数十人の供を連れ、驛馬に騎乗すると、主従一行は東京(とうけい。宋のみやこ、東京開封府)を離れ、道をまっすぐ信州貴渓県の方に取った。その道の途中で見えた光景と言えば:

 

 

  遥山叠diécuì,远水澄chéng清。奇花绽zhàn锦绣jǐn xiù铺林,嫩nèn柳舞金丝拂地。

  风和日暖,时过野店山村;路直沙平,夜宿邮亭驿馆。

  罗衣荡漾‌dàng yàng‌红尘内,骏马jùn mǎ驱驰qū chí紫陌zǐ mò中。

 

  遥かなる山は叠(かさ)なり翠(みどり)、遠水は澄み清い。

奇花(めずらしい形や色をした珍しい花)綻(ほころ)び錦繍(豪華な衣服、鮮やかな紅葉や花)を林に鋪(し)き、嫩(やわら)かき柳は舞い金絲は地を(はら)う。

  風和(やわ)らぎ日暖かく、時に野店(やてん。田舎の茶店)山村を過ぐ。路(みち)は直(す)ぐ沙平らにして、夜は郵亭の驛館に宿る。

  羅衣(薄手の絹の衣服)は蕩漾(とうよう。波打つ)す紅塵(俗世間)の内、駿馬は駆馳(くち)す紫陌(しはく。都の街路)の中(うち)。

 

 

 且说太尉洪信赍擎‌jī qíng御书yù shū丹诏dān zhào,一行人从上了路途,夜宿邮亭,朝行驿站,远程近接,渴饮饥餐,不止一日,来到江西信州。大小官员出郭迎接,随即差人报知龙虎山上清宫住持道众,准备接诏。次日,众位官同送太尉到于龙虎山下。只见上清宫许多道众,鸣钟击鼓,香花灯烛,幢chuáng幡‌fān宝盖bǎo gài,一派仙乐,都下山来迎接丹诏,直至上清宫前下马。太尉看那宫殿时,端的是好座上清宫。但见:

 

 さて太尉の洪信は皇帝が手ずから書かれた朱砂の詔書を捧げ持ち、一行は行程に従い、夜は郵亭に宿り、朝は驛站より出立し、遠きの道を交代しながら進み、のどの渇きや空腹を満たしながら、一日も休むことなく、江西の信州にやって来た。大小の役人たちが城外まで出て来て出迎え、直ちに人を遣って龍虎山上清宮の住持と道士たちに知らせ、詔書を受け取る準備をさせた。翌日、多くの役人たちが大尉を龍虎山の麓まで送った。すると上清宮の多くの道士たちが、鐘を鳴らし太鼓を打ちならし、香を焚き花を供え、長い竿や旗、宝蓋(傘状の宝器)を手に持ち、まるで仙界のような音楽を奏でながら、山より下りて朱砂の詔書を出迎えているのが見え、太尉はまっすぐ上清宮の前に着くと馬を降りた。太尉がかの宮殿を見ると、果たして見るもりっぱな上清宮であった。その有様は:

 

 

  青松屈曲‌qū qū‌,翠柏cuì bǎi‌阴森。

  门悬xuán敕额chì é金书,户列灵符玉篆yù zhuàn

  虚皇坛xū huáng tánpàn‌‌,依稀yī xī垂柳chuí liǔ名花;炼药liàn yào边,掩映yǎn yìng苍松cāng sōng老桧lǎo guì

 

  青松は屈曲し、翠柏(みどりのコノテガシワ)は陰森(生い茂って暗い)たり。

  門には勅額(ちょくがく。皇帝直筆の書や文字を掲げた額)の金色の文字を掲げ、扉には霊符(願いを叶えるための護符・呪符)の玉篆(ぎょくてん。玉(ぎょく)のように丸みを帯びた均一な太さの線で書かれた篆書)を列(つら)ねる。

  虚皇壇(きょこうだん。道教で最高神の元始天尊(虚皇道君)を祀る神聖な祭壇)の畔(ほとり)には、垂柳名花は依稀(いき。かすか、ほのか)なり。(不老長寿の)薬を煉る炉の辺(あたり)には、青松や老桧(檜(ひのき)の老木)が掩映(えんえい。互いに引き立て合う)す。

 

  左壁厢bì xiāng天丁tiān dīng力士lì shì,参随cān suí着太乙tài yǐ真君zhēn jūn;右势下玉女金童,簇捧cù pěngdìng紫微zǐ wēi 大帝。

  仗剑zhàng jiàn‌,北方真武踏龟蛇;靸sǎ‌履‌lǚ‌dǐngguān,南极老人伏龙虎。

  前排二十八宿星君,后列三十二帝天子。

  阶砌jiē qì下流水liú shuǐ潺湲chán yuán,墙院后好山环绕huán rào‌

  鹤生丹顶,龟长绿毛。

  树梢shāo头献果苍猿,莎suō草内衔xián芝白鹿。

 

  左側の天丁力士(道教での天界の守護神)は、太乙真君(たいおつしんくん。神話に登場する高名な仙人)に付き従う。右側の玉女金童(神仙(仙人)のそばに仕える童男と童女)は、紫微大帝(しびたいてい。北極星が神格化された道教の重要な最高位の神々の一柱)を取り囲みしっかり支える。

  ざんばら髪に手に剣を持ち、北方の真武(玄武のこと)は亀蛇(亀と蛇が合体した想像上の動物)を踏む。靴を踵(かかと)を踏みつけ突っかけ履きし、頭に帽子を被り、南極老人は虎を屈服させる。

  前に二十八宿の星君を排し、後ろに三十二帝の天子を列す。

  階(きざはし)の下はせせらぎがゆっくり流れ、屋敷の後ろは姿の良い山々が取り囲む。

  鶴は赤い頭を生じ、亀は(甲羅に)緑の毛を長(の)ばす。

  樹の梢には果実を献じる蒼猿、ハマスゲの叢(くさむら)の中で霊芝を銜(くわ)える白鹿。

  

  三清殿上鸣金钟,道士步虚bù xū;四圣堂前敲‌qiāo玉磬yù qìng,真人礼斗。

  献香台砌tái qì‌,彩霞cǎi xiá光射碧琉璃liú lí;召zhàojiàng瑶坛yáo tán,赤日chì rì影摇yǐng yáo红玛瑙mǎ nǎo

  早来门外祥云现,疑是天师送老君。

 

  三清殿では金鐘が鳴り、道士が歩虚(ほきょ。道士が祭壇の周りを歩きながら唱える独特の曲調(声腔))す。四聖堂の前で玉磬(ぎょっけい。玉で作られた「へ」の字形をした古代中国打楽器で、それをつるして木づち等で打つ)を敲‌(たた)き、真人(道教で真理を悟った僧侶)が斗(北斗七星)を礼(うやま)う。

  香を台砌(だいせい。祭壇)に献じると、彩霞光(朝焼けの光)が碧琉璃(青ガラスのような基壇)に射(さ)し、将(神将)を瑶壇(ようだん。美しい玉(ぎょく)で築かれた基壇)に召すと、赤日(正午の烈光)の影が紅瑪瑙(赤メノウのような基壇)を揺るがす。

  早(あした)に門外に祥雲(瑞祥の雲気)が現れ来る、疑うらくは是れ天師(張天師)の老君(道教の最高神の太上老君)を送る(見送る)や。

 

  今回はこれまで。龍虎山上清宮で、洪信と道士のやりとりは次回、この続きの物語で展開されます。

 

 これから、『水滸伝』を少しずつ読んでいきたいと思います。過去、日本語に訳された本は読んできましたが、原書で読むと、いろいろ発見もあるかもしれません。あくまで少しずつ、ゆっくり読み進めていきますので、お付き合いいただければ幸いです。先ずは引首(まえがき)、物語の導入部分です。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

词曰:

 

  试看书林隐处,几多俊逸jùn yì儒流rú liú

  虚名xū míng薄利bó lì不关愁,裁cái冰及剪jiǎn雪,谈笑看吴钩wú gōu

  评议前王并后帝,分真伪zhēn wěi占据中州,七雄扰扰rǎo rǎo乱春秋。

  兴亡xīng wáng如脆cuì柳,身世类虚舟xū zhōu

  见成名无数,图名无数,更有那逃名无数。

  霎shà时新月下长川cháng chuān‌,江湖变桑田古路。

  讶求鱼缘yuán木,拟穷猿择木qióng yuán zé mù,恐kǒng伤弓shāng gōng远之曲木qū mù‌‌

  不如且覆掌中杯,再听取新声xīn shēng曲度qǔ dù‌‌‌

 

詞(音楽の旋律に合わせて作られる長短不揃いな定型の詩文形式)に曰く:

 

  試みに看るに書林に隠れる処、幾多の俊逸(しゅんいつ。学問や才能などが人並み外れて優れている)なる儒流(じゅりゅう。儒教・儒学の流派や儒者の家柄)。

  虚名も薄利も愁うに関わらず、氷を裁(た)ち雪を剪(き)り、談笑して呉鈎(ごこう。春秋時代に呉の国で作られた、反りのある鋭利な曲刀)を看る。

  前王并(なら)びに後帝を評議するに、真偽を分かつは中州(中原)を占據(せんきょ)せんか、(戦国の)七雄は擾擾(じょうじょう。乱れて落ち着かないさま)と春秋を乱す。

  興亡は脆(もろ)き柳の如く、身世(しんせ。人の身の上や経歴、置かれている境遇)は虚舟に類す(船頭のいない空舟のよう。漂泊して行方が定まらない)。

  名を成すを見るは無数、名を図るは無数、更に那(か)の名を逃すこと有るは無数。

  霎時(しょうじ。ほんの少しの間)に新月は長き川を下り、江湖は桑田古路に変ず(滄海桑田(そうかいそうでん)。世の中の移り変わりが非常に激しいこと)。

  魚を求むるに木に縁(よ)るを訝(いぶか)り、窮猿の木を擇(えら)ぶに擬(なぞら)い、遠きの曲木の弓に傷つくを恐る。

  且(ひとまず)掌(たなごころ)の中の杯を覆い、再び新声の曲度(新たな楽曲や拍子の音楽)を聴取するに如かず。

 

诗曰:

 

  纷纷五代乱离间,一旦云开复见天。

  草木百年新雨露,车书万里旧江山。

  寻常xún cháng巷陌xiàng mòchén罗绮luó qǐ ‌‌,几处楼台奏管弦。

  人乐太平无事日,莺yīng花无限日高眠。

 

詩に曰く:

 

  紛紛(物事が入り乱れてまとまりがない)たる五代乱離の間、一旦雲開き復た天を見る。

  草木百年新たな雨露、車書万里(天下が統一され、遠く離れた地域まで皇帝の徳や法が行き届く)旧き江山。

  尋常なる巷陌(こうはく)にも羅綺(らき。美しい衣服)が陳(なら)び、幾処の楼台管弦を奏でる。

  人は太平無事の日を楽しみ、鶯花限りなく(鶯は黄鶯でコウライウグイス。鶯が盛んに啼き、春の花が数限りなく盛んに咲く)日高くなるまで眠る。

 

 

 话说这八句诗,乃是故宋神宗天子朝中一个名儒,姓邵shàohuì尧夫yáo fū,道号康节先生所作。为叹五代残唐,天下干戈gān gē不息。那时朝zhāo属梁liáng,暮属晋jìn,正谓是:“朱、李、石、刘、郭,梁、唐、晋、汉、周,都来十五帝,播乱bō luàn五十秋。”后来感的天道循环,向甲马营中生下太祖武德皇帝来。

 

 さてこの八句の詩は、すなわち故宋の神宗が天子であった朝廷の中のひとりの名儒で、姓は邵(しょう)、諱(いみな)を堯夫(ぎょうふ)、道号を康節先生が作られたものである。五代の残唐(唐の滅亡間際の時期)を嘆いたもので、天下の干戈(かんか。戦争)が息(や)むことがなかった。この当時は朝に梁に属せば暮れには晋に属し、正にこれを「朱(後梁の朱温)、李(後唐の李存勖(りそんきょく))、石(後晋の石敬瑭)、劉(後漢の劉知遠)、郭(後周の郭威)の、後梁、後唐、後晋、後漢、後周の五代、併せて十五人の皇帝が現れ、五十年に亘り戦乱が続いた。」その後、天道が巡りまわるかのように、甲馬営(今の河南省洛陽瀍河区‌夹馬営)にて太祖武徳皇帝がお生まれになった。

 

这朝zhāo圣人出世,红光满天,异香经宿不散。乃是上界霹雳pī lì大仙下降。英雄勇猛yǒng měng,智量宽洪kuān hóng。自古帝王,都不及这朝天子,一条杆棒gǎn bàng等身齐qí‌,打四百座军州都姓赵。那天子扫清sǎo qīng寰宇huán yǔ,荡静dàng jìng中原,国号大宋,建都汴梁biàn liáng‌。九朝八帝班头,四百年开基帝主。因此上,邵尧夫先生赞道:“一旦云开复见天。”正如教百姓再见天日之面。不则这个先生吟赞,那时西岳华山有个陈抟chén tuán处士chǔ shì,是个道高有德之人,能辩风云气色。

 

この日の朝、聖人が世に現れ、赤い光が天に満ち、不思議な香りが一晩中消えることがなかった。すなわち天上界の霹靂大仙が下界に降りて来られた。勇猛果敢で、智慧が豊かで度量に溢れていた。古(いにしえ)の帝王以来、誰もこの王朝の天子に及ぶ者はいなかった。一本の人の身長に等しい棍棒を手に、四百の軍州を打ち負かし、皆趙姓の王朝の領土とした。かの天子は天下を平定し、中原の騒乱を静め、国号を大宋とし、都を汴梁(べんりょう。現在の河南省開封(かいほう)市)に建設した。九つの王朝、八人の皇帝の初代の領袖で、四百年続く王朝の基盤を開いた帝王であった。よれゆえに、邵堯夫先生は称賛して「一旦雲開き復た天を見る」と言ったのである。正に人々に再びお天道様の顔を拝ませたかのようであった。それだけでなく、この先生が詩の中で賛美しているが、当時西岳華山の陳摶(ちんたん)処士(立派な学問や才能があるのに、役人として仕えずに在野で暮らしている人)がおられ、道徳心が高く信望のある人で、時局の変化を洞察し、他人の気持ちを推し量ることのできる人であった。

 

一日骑驴下山,向那华阴道中正行之间,听得路上客人传说,如今东京柴世宗让位与赵检点zhào jiǎndiǎn登基dēng jī。那陈抟先生听得,心中欢喜,以手加额,在驴背上大笑,下驴来。人问其故。那先生道:“天下从此定矣!”正应上合天心,下合地理,中合人和。自庚申gēng shēn年间,受禅开基即位,在位一十七年,天下太平,自此定矣。传位与御弟太宗即位。太宗皇帝在位二十二年,传位与太子即位。

 

ある日、ロバに乗って山を下り、かの華陰(崋山の北の地名で、今の陝西省華陰市)に向かう道中をちょうど進んでいる時、道行く旅人が、今東京(とうけい。都の汴梁)では、(後周の)柴世宗が位を譲り、趙検点(宋の太祖、趙匡胤のこと)が帝位に就き、宋を建国しようとしていると話すのが聞こえた。かの陳摶先生はそれを聞いて、心の中で喜び、手を額に当てると、ロバの背中の上で大いに笑い、ロバを降りた。人がその訳を尋ねた。かの先生は言った。「天下はこれより定まるであろう!」正に上には天道(自然の法則と宇宙の秩序)に順応し、下には地道(地勢や気候、風水など)に叶い、中には人道(人間関係や民心)に適合していた。庚申年間(後周の顕徳7年、西暦960年)より、後周の恭帝より禅譲を受けて宋朝を建てて即位し、在位十七年、天下泰平で、これより世の中が定まった。帝位は弟に伝えられ、太宗が即位した。太宗皇帝は在位二十二年、帝位は太子に伝えられ即位した。

 

 

 这朝皇帝乃是上界赤脚大仙,降生之时,昼夜啼哭不止,朝廷出给黄榜huáng bǎng,召人医治。感动天庭tiān tíng,差遣chāi qiǎn太白金星下界,化作一老叟lǎo sǒu,前来揭了黄榜,能治太子啼哭tí kū。看榜官员,引至殿下,朝见真宗天子。圣旨教进内苑看视太子。那老叟直至宫中,抱着太子,耳边低低说了八个字,太子便不啼哭。那老叟不言姓名,只见化一阵清风而去。耳边道八个甚字?道是:“文有文曲,武有武曲。”端的是玉帝差遣紫微宫中两座星辰xīng chén下来辅佐这朝天子。文曲星乃是南衙nán yá开封府kāi fēng fǔzhǔ龙图阁lóng tú gé大学士dà xué shì包拯bāo zhěng,武曲星乃是征zhēng西夏国xī xg大元帅dà yuán shuài狄青dí qīng

 

 この王朝の皇帝がすなわち上界の赤脚大仙であり、降誕の折、昼夜泣き止まず、朝廷は黄榜(黄紙に書かれたお触れ書き)を掲げ、人を召して治療しようとした。天庭(天宮、紫微宮)は心を動かされ、太白金星を下界に差し向けられ、老人の姿になると、黄榜を携えてやって来て、太子が泣くのを治すことができると言った。このお触書を見た役人は、この老人を連れ宮殿に来ると、真宗皇帝に朝見させた。聖旨が下され、老人を内苑に入らせ太子を見させた。かの老人はまっすぐ宮中に至ると、太子を抱きながら、耳元で低い声で八文字の呪文を唱えると、太子はもう泣くことがなかった。かの老人は姓名も言わず、一陣の清風となって去って行った。耳元で唱えた八文字とは何だったのでありましょうか。それは、「文有文曲、武有武曲(文には文曲あり、武には武曲あり)」というもので、果たして玉帝は 紫微宮中の二座の星を差し向けられてこの王朝の天子を補佐させられたのです。文曲星はすなわち南衙開封府(宋都汴京(開封)の最高行政司法機構。皇宮に南面していたので「南衙」と呼ばれた)で龍図閣を主管する大学士の包拯(ほうじょう)であり、武曲星はすなわち西夏国(唐代に羌族のタングート族が今の甘粛省の慶州に建てた国)征伐大元帥の狄青(てきせい)であった。

 

 

 这两个贤臣出来辅佐这朝皇帝,庙号仁宗天子,在位四十二年,改了九个年号。自天圣元年癸亥guǐ hài登基,至天圣九年。那时天下太平,五谷丰登wǔ gǔ fēng dēng,万民乐业wàn mín lè yè‌,路不拾遗,户不夜闭。这九年谓之一登。自明道元年至皇祐huáng yòu三年,这九年亦是丰富,谓之二登。自皇祐四年至嘉祐二年,这九年,田禾tián hé大熟dà shú‌,谓之三登。一连三九二十七年,号为三登之世。

 

 このふたりの賢臣が出て来てこの王朝の皇帝を補佐した。皇帝の廟号は仁宗天子であり、在位四十二年、九度年号(元号)を改めた。天聖元年癸亥(西暦1023年)に即位し、天聖九年に至る。この時天下泰平、五穀豊穣で、万民が安心して仕事に励み、道に落ちているものを拾う者無く、家の扉を夜閉める者も無かった。この九年を「一の登(みのり。穀物が実ること)」と言う。明道元年より皇祐三年まで、この九年もまた豊作であり、これを「二の登」と言う。皇祐四年より嘉祐二年まで、この九年は、畑の穀物がよく実り、これを「三の登」と言う。連続して三九二十七年、これを号して「三登の世」と言う。

 

 

 那时百姓受了些快乐。谁想道乐极悲生lè jí bēi shēng 。嘉祐三年上春间,天下瘟疫‌wēn yì‌盛行。自江南直至两京,无一处人民不染此症。天下各州各府,雪片xuě piàn也似申奏shēn zòu将来jiāng lái。 且说东京城里城外,军民无其大半。开封府主包待制,亲将惠民和济局方,自出俸资,合药救治万民。那里医治得住!瘟疫越盛。文武百官商议,都向待漏院dài lòu yuàn中聚会,伺候早朝,奏闻天子。专要祈祷,禳谢ráng xiè瘟疫。不因此事,如何教jiào三十六员天罡tiān gāng,下临凡世xià lín fán shì,七十二座地煞dì shà,降在人间。哄动hōng dòng宋国乾坤qián kūn,闹遍nào biàn赵家社稷shè jì。有诗为证:

 

 この時人々は快楽を享受した。ところが楽極まりて悲を生じようとは誰が想像するだろう。嘉祐三年の春になると、天下に疫病が流行した。江南から両京(宋では、東京(とうけい)開封府と西京河南府(洛陽))に至るまで、人々がこの病に感染しないところは無かった。天下の各州各府から、緊急の奏上が雪が降るかのように次々と届いた。さて東京城の内外では、兵士や民衆の大部分がいなくなってしまった。開封府では主に包待制(包拯の官職)が自ら恵民和剤局方(国営の薬局のような組織)を使って、自分の俸給を出し、薬を調合して万民を救助しようとした。これでどうして人々を救い出すことができただろう。疫病は益々盛んになった。文武百官が協議し、皆が待漏院(官吏が宮門の外で朝議を待つ休憩所)に集まり、早朝に伺候し、天子に奏上した。専らこのために祈祷を行い、疫病が収まるのを祈った。このことが無ければ、どうして三十六員の天罡星(てんこうせい)を天庭より人間界に降臨させ、七十二座の地煞星(ちさつせい)を、人間社会に降ろさせることになったであろうか。宋国の天下、大地を震撼させ、宋皇室たる趙家の社稷(しゃしょく)を騒がせた。次の詩を詠むと、そのことがよく分かるだろう。

 

 

诗曰:

 

  万姓熙熙xī xī化育中,三登之世乐无穷。

  岂知礼乐lǐ yuè笙镛shēng yōng治,变作兵戈bīng gē剑戟jiàn jǐcóng

  水浒寨zhài中屯tún节侠jié xiá,梁山泊内聚英雄。

  细推tuī治乱zhì luàn兴亡xīng wángshù,尽属阴阳造化功。

 

詩に曰く:

 

  万姓(百姓)は熙熙(きき。やわらぎ楽しむ)として化育(かいく。教化)の中、三登(九年を一登とするので27年。仁宋の治世)の世楽しみ窮まらず。

  豈(あに)知らん礼楽笙镛(れいがくしょうよう。礼節・音楽・楽器(笙と鐘・鏞)が美しく調和し、秩序正しい)の治が、変じて兵戈(へいか。武器や戦争)劍戟(けんげき。剣(つるぎ)と戟(ほこ))の叢(むら)と作(な)る。

  水滸の寨(とりで)の中に節侠(せっきょう。節義を守る侠客達)が屯(たむろ)し、梁山泊の内に英雄が聚(あつ)まる。

  治乱(ちらん。世の中が平和に治まることと、混乱して乱れること)と興亡(国が盛んになる(興る)ことと滅びること)の数を細かく推(おしはか)ると、尽(ことごと)くが陰陽造化(天地の自然界において「陰」と「陽」の二つの気がめぐり、万物を生み出して育てる働き)の功に属す。

 

 

 陶望三を救けようとした小謝の弟の三郎、秋容にも身の危険が迫りますが、さてその結果は如何に。そして最後は人間と幽霊は住む世界が違うので、本来は結ばれることは無いのですが、ここでひとりの道士が登場し、小謝と秋容のふたりの幽霊に蘇生の術を授けます。それにしても、作者の蒲松齢は科挙の試験に落ち続けた書生なのに、『聊斎志異』での様々な怪異譚はどこから着想を得たのでしょうか。一説には自分の屋敷の書斎に道行く旅人を招いて茶やタバコの接待をし、彼らから様々な物語のネタを収集したと言われていますが、現代の我々が読んでも面白いと思う話を数多く文字にして残した功績は大したものです。では、『小謝秋容』の後半をお読みください。

 

 

-・-・--・-・--・-・--・-・--・-・-

 

 巡撫(部院)が三郎を取り調べると、素(もと)より彼は陶生と何ら関りが無く、何のいわれも無く告訴されたのであり、彼を棒打ちの刑に処そうとすると、三郎は地面に倒れて身体が消えてしまった。巡撫は大変驚いた(驚異jīng yì)。三郎の出した訴状を見ると、そこで述べられている情感は、悲痛なものであった。それで陶生に尋問して聞いた。「三郎はどんな人間だったのか?」陶生はわざと知らぬふりをした。巡撫は陶生が冤罪にかけられていると分かったので、彼を釈放した。

 

 

 陶生は戻って来たけれども、その夜は誰一人やって来なかった。夜更けになって、小謝がようやくやって来て、悲しげに言った。「三郎は巡撫のお役所で、役所の守り神に拘束され、冥界に連れて行かれました。冥王(閻魔大王)は三郎に義侠心があるとし、彼を富貴の家に生まれ変わらせるよう命じました。秋容は長い時間拘禁されていたので、わたしが 城隍神に訴状を出しましたが、またほったらかしにされ、中に入ることもできず、いったいどうしたら良いのでしょう?」陶生は憤然として言った。「腹黒い老妖怪はどうしてわざわざこんなことをするんだろう!明日おれは奴の塑像を踏み倒して土塊(つちくれ)にし、城隍神の罪を指折り数えて奴の責任を追及してくれよう。手下の役人の横暴がこんなにも酷いのは、まさか奴らが酒に酔っているんじゃあるまいな!」陶生と小謝が向かい合って座っていると、悲しみや憤りが尽きることがなく、知らず知らずのうちに四更(夜中の一時から三時)の漏刻(水時計)の水が尽きようとしていた(ほぼ午前三時になった)。秋容がふらりと突然戻って来た。ふたりは驚きまた喜び、急いで尋ねた。秋容は泣きながら言った。「あなた(陶生)にはたいへんご心配とご苦労をおかけしました。判官は毎日刀や棍棒でわたしを脅していたのですが、今日の夕方になって突然わたしを放免して帰らせ、こう言いました。「他でもない、元々わたしはあなたが好きだったからそう言ったのです。でもあなたが妾になるのを望まないなら、固(もと)よりわたしもあなたのお気持ちを傷つけるつもりはありません。どうか陶秋曹(刑部の役人の尊称。今後、陶望三は科挙に合格して刑部に配属されることを暗示している)にお伝えください。わたしを責めないでくださいと。」」陶生はそう聞いて、多少機嫌を直し、秋容、小謝のふたりと床を共にしたいと思った。それでこう言った。「今日はあなたがたのために死のうと思います。(男女の営みをすること。相手が亡霊なので、人間は死んでしまうと思われた。)」ふたりの女は悲しそうに言った。「あなたに教え導いていただいたおかげで、物事の道理がよく分かるようになりました。それなのに、あなたを愛したことで、却ってあなたを殺してしまうなんて、どうして堪えることができるでしょうか?」そう言って頑(かたく)なに拒んだ。そして俯(うつむ)いて顔を傾けて抱き合い、(それ以上の行為はしなかったが)気持ちはまるで夫婦のようであった。ふたりの女は苦難を共にしたことで、嫉妬心は全く消えてしまっていた。

 

 

 ある時、陶生は途中でちょうどひとりの道士に出逢い、道士は彼の方を振り返って言った。「あなたの身体には亡霊の気があります。」陶生は道士の言葉に驚き、つぶさに事情を告げた。道士が言った。「この幽霊はたいへん良い人物ですから、彼らを裏切る(辜負gū fù)のは宜しくありません。」それで二枚の画符(お札)を書いて陶生に付与し、言った。「帰られたらふたりの幽霊にこのお札を授け、彼らの幸運に任せましょう。もし門の外で女の泣き声を聞いたら、お札を飲み込んで急いで外に出てください。先に到着した者が生き返ることができるでしょう。」陶生はお札を拝受し、帰ってその旨をふたりの女に伝えた。それからひと月あまりして、果たして女の泣き声が聞こえた。ふたりの女は先を争い走って行った。小謝は慌てるあまり、お札を飲むのを忘れてしまった。棺を載せた駕籠が通り過ぎるのが見え、秋容がまっすぐ屋敷を出ると、棺桶の中に入って姿が見えなくなった。小謝は棺桶に入ることができず、烈しく泣きながら帰ってきた。陶生が外に出て見ると、富豪の郝(かく)氏がその娘を埋葬に行くところだった。人々はひとりの女が棺桶に入って姿が見えなくなったのを見て、ちょうど驚いているところだった。しばらくすると棺桶の中から声が聞こえたので、駕籠を下して棺桶を開けてみると、女はもう俄(にわ)かに息を吹き返していた。人々は棺桶を暫時陶生の書斎の外に置かせてもらい、人々がそれを取り囲むようにして守った。女が突然目を開けて陶生に何か尋ねたので、郝氏が女に問いただすと、女は答えて言った。「わたしはあなたの娘ではありません。」そして事情を説明した。郝氏は女の言うことをあまり信用せず、彼女を担いで家に戻ろうとした。女は言うことを聞かず、まっすぐ陶生の書斎に入り、身体をこわばらせてベッドに横になると、起きて来なかった。郝氏はそれで陶生を娘の婿殿と認めた上で家に帰って行った。陶生がその娘をじっと見ると、その顔つきは秋容とは違っていたが、その容貌の鮮やかで美しいところは秋容に引けを取らず、陶生は思った以上に彼女のことが気に入り、ふたりは懇(ねんご)ろに日常思っていることや過去の思い出などを語り合った。すると突然幽霊がウェンウェンとむせび泣くのが聞こえたと思ったら、それは小謝が部屋の真っ黒な片隅で泣いているのであった。陶生は心の中では小謝が可哀そうに思えてならなかったので、ランプを部屋の隅に持って行ってそこを照らすと、彼女の悲しみをあれこれ励まし慰めてやったのだが、彼女の襟も袖も等しく涙でびしょ濡れになり、悲しみが収まらないまま、明け方近くになってようやく帰って行った。

 

 

 

 空が明るくなってから、郝氏が召使の女と老婆に花嫁の化粧道具を届けさせ、陶生は郝氏の娘と、遂に正式に舅と娘婿の関係になった。日が暮れて新婚夫婦の部屋(洞房)に入ると、小謝がまた泣き出した。こうした状態が六七晩も続いた。夫婦はともに悲しみに暮れ、いつまで経っても(ひょうたんをふたつに割った杯を合わせて)縁固めの盃を交わす礼を行い、正式の夫婦になることができなかった。陶生は思い悩んであれこれ考えたが、良い策が思いつかなかった。秋容が言った。「あの道士は仙人に違いないわ。もう一度道士のもとへ行ってお願いすれば、ひょっとすると可哀そうに思ってお救いくださるかもしれないわ。」陶生は秋容の言う通りだと思った。道士の所在を尋ね中(あ)て、頭を地面に付け、地面に這いつくばるお辞儀をして実情を述べた。しかし道士は強い口調で「どうしようもない」と言った。陶生はたいへん悲しげであった。道士が笑って言った。「気のふれた生員殿は、なんともしつこくつきまとうお人だ。分かりました、縁有ってご一緒することになったのだ。わたしの法術を、可能な限り使わせてください。」そう言って、陶生に従って出て来ると、静かな部屋を探し、扉を閉めて座ると、陶生に「何も尋ねるな」と戒めた。それから全部で十日余りの間、道士はずっと飲まず食わずで座っていた。こっそり部屋の中を覗いて見ると、道士はまるで眠っているかのように目を閉じていた。ある日の早朝、目が覚めると、ひとりの少女が帳(とばり)を開けて入って来た。明るく輝く瞳に真っ白な歯をして、艶やかで美しく、輝いて見えた。少女が微笑んで言った。「夜通し走り回って、くたくたに疲れました。あなたに付きまとわれたら最後、逃げられませんわ。百里の外まで駆け抜けて、ようやく良い落ち着き先を見つけることができました。道人がその娘を連れて一緒に来られました。その方にお会いしたら、わたしの身体をお渡ししますわ。」やがて黄昏(たそがれ)時になって、小謝がやって来ると、女は急いで立ち上がって小謝を迎えて抱きつくと、ふたりは合体してひとつになり、そのまま地面に倒れ、まっすぐ硬直して動かなくなった。道士が部屋の中から出て来て、両手を身体の前で組んで拱手の礼をすると、そのまままっすぐ出て行った。陶生は拝礼して道士を見送った。

 

 

 道士が戻って来ると、女は既に息を吹き返していた。陶生が女の身体を支えてベッドに横にさせると、気持ちが次第に落ち着いてきたのだが、足を掴(つか)んでうめき声を上げながら、太ももや足首がだるくて痛いと言い、数日経ってようやく起き上がれるようになった。

 

 

 

 その後、陶生は科挙の試験に合格し、役人に取り立てられた。蔡子経という者が彼と同期の合格(同譜)で、用事があって陶生の家を訪ね、数日間滞在した。小謝が隣の家から帰って来たところを、蔡が彼女の姿を見て、急いで駆け寄りその後を追った。小謝は身体を横にして物陰に隠れたが、心の中では暗にその軽薄さに腹を立てた。蔡子経が陶生に告白して言った。「ある大そう人々を驚かせた話があり、あなたに聞いていただきたいのですが。」陶生がそれは何かと尋ねると、蔡は答えて言った。「三年前、わたしのまだ年若い妹が夭折(ようせつ)したのですが、死後二晩経って妹の死体が消えてしまい、今に至るもどうしてこんなことになったか分かりません。ちょうどあなたのご夫人をお見受けしましたが、なんとわたしの妹によく似ておられたことか。」陶生は笑って言った。「我が妻など大した器量ではございません。どうしてあなたの妹君と比べることなどできましょうか?しかしながらあなたとは科挙の同期で、情誼も極めて懇(ねんご)ろですから、あなたに我が妻を一目見ていただくのを妨げるものではありません。」そう言って蔡を奥の夫婦の部屋に入れ、小謝に葬式の死に装束を着て入って来させた。蔡は大いに驚いて言った。「本当に我が妹だ!」そう言って泣き崩れた。陶生はそれで蔡に具(つぶさ)に事の次第を話した。蔡は喜んで言った。「妹はまだ死んでいなかったんだ。わたしはすぐに家に帰って、このことで我が父母を慰めてやります。」そう言って帰って行った。数日して、蔡子経は家を挙げてやって来た。その後、蔡家との付き合いも郝家と同様に親密になった。

 

 

 異史氏曰く、「絶世の佳人は、一人を求めるのも難しいのに、どうして一度にふたりを得れるものだろうか。このようなことは千年のうちに一度あるかどうかで、ただ女と私通にあらざる者こそこうしたことに出逢えるのだろう。道士は仙人だったのだろうか。かの仙術のかくも神奇なることか。かりそめにもこの仙術があれば、醜悪な鬼神とも交わることができるだろう。」

 この物語の主人公は陶望三という生員(科挙の第一段の県試に合格して県学の学生となり、士大夫の資格を得た人)で、表題の『小謝秋容』は、阮小謝、喬秋容という、部郎(朝廷の官職名)の屋敷に住みついたふたりの美女の幽霊です。陶が部郎の屋敷を借りて住み込んだことから、最初は女たちは陶を驚かせて追い出そうとしましたが、次第に陶の人柄に惹かれ、また陶の方でも自分のために甲斐甲斐しく働いてくれる彼女たちを憎からず思い、ふたりに読み書きを教えてやるようになります。こうして人間と幽霊たちが円満に暮らしていたのですが、陶望三が科挙の試験を受けに旅立ったのを契機に、彼は無実の罪に問われて投獄されてしまいます。それを知った幽霊たちは陶を救うために動きますが、さて彼らの運命や如何に。『聊斎志異』巻十二より、『小謝秋容』の前半をお読みください。

 

-・-・--・-・--・-・--・-・--・-・-

 

 渭南(陝西省の県名)の姜という部郎(朝廷の中央行政官庁である六部(りくぶ)の侍従職)の屋敷には、幽霊がよく出て、いつも人を惑わせていた。それで姜部郎の家族はそこから引っ越した。召使(蒼頭cāng tóu。男の召使は頭に青い頭巾を被っていたことから)を残して門番をさせたが、死んでしまった。何度も召使を代えたが、皆死んでしまった。それでとうとうこの屋敷を廃棄することにした。

 

 

 村に生員(科挙の県試に合格して県学の学生となり、士大夫の資格を得た人)の陶望三という者がいて、平素から洒脱で何事にも拘らず、妓女をからかうのを好んだが、いつも酒を飲むとさっさと帰ってしまった。友人がわざと妓女を陶の家に行かせて彼に接近(奔bèn。女の方から男性に近づくこと)させると、陶は笑って女を拒まず家の中に入れてやったが、実際は一晩中女に指一本触れなかった。陶望三はいつも姜部郎の家で暮らしていた。小間使いの女で夜彼に近づいてくる者がいたが、陶生(陶望三)は堅くそれを拒んで常軌を逸することが無かったので、部郎はこのことで彼をたいへん重用した。陶生の家はたいへん貧しく、また「妻に先立たれた悲しみ(鼓盆之戚gǔ pén zhī qī)」もあり、藁ぶき屋根の家が何部屋かあったが、夏の暑い日は暑さに耐え切れず、それで姜部郎にお願いし、廃屋を貸してくれるよう頼んだ。部郎はその屋敷は縁起が悪いので、陶生の申し入れを断った。陶生はそれで『続無鬼論』(晋代の阮瞻(げんせん)が『無鬼論』を既に書いているので、「続」を付けた)を書いて部郎に献上し、またこう言った。「鬼神に何ができるものですか?」部郎は陶生の要請が断固としていたので、申し入れを承諾した。

 

 

 陶望三(陶生)は屋敷の部屋(庁事tīng shì。元々は役所で人々の陳情を聞いて事務を行った場所のことから、後に個人の屋敷のこともこう言うようになった)の掃除をした。夕方、彼は本を部屋に置き、他のものを取りに帰ったが、戻ってきて見ると、本が無くなっていた。陶生は不思議に思い、ベッドの上に仰向けに横たわり、息を静めて事態の変化を伺った。食事を一食食べるほどの時間が経ち、人が歩いて来る音が聞こえたので、横目で見ると、ふたりの女が部屋から出て来るのが見え、無くなった本を机の上に返した。ひとりはおよそ二十歳、ひとりはおそらく十七八で、ふたりとも容貌が美しかった。ふたりの女はためらいながら近づいて来ると、ベッドの横に立ち、お互い顔を見合わせニッコリ笑った。陶生はじっとして動かなかった。年上の女が片足を上げて陶生の腹を蹴り、年下の女が口に手を当ててくすっと笑んだ。陶生は気持ちが動揺して自分をコントロールできないかのように感じたので、すぐさまきっぱりと邪念を捨て、遂には二人を相手にしなかった。女は彼に近づいて、左手で彼の口ひげをさすり、右手で軽く頬(ほお)を叩いたので、少し音がした。年下の女は益々大笑いした。陶生はいきなり立ち上がると、ふたりを叱責して言った。「この化け物め、よくもやりやがったな!」ふたりの女はびっくりして走って逃げて行った。陶生は夜になって幽霊に痛めつけられるのを恐れ、自分の家に戻ろうと思ったが、また自分が(『続無鬼論』まで書いて)言ったことを守らないのを恥じ、それでランプの灯芯を引っ張り出して灯りを明るくし、本を読んだ。暗闇の中、幽霊の影がゆらゆら揺れ動いたが、彼は少しも気に留めなかった。夜半になって、蠟燭の灯りを点したまま就寝した。瞼(まぶた)を閉じるや否や、誰かが細いものを鼻に突っ込むのを感じ、くすぐったくてたまらず、大きなくしゃみをした。ただ暗闇から微かに笑い声が聞こえた。陶生は黙ったまま、寝たふりをして様子を見た。すると俄(にわ)かに少女が紙を捻(ひね)って細いこよりを作り、抜き足差し足(鶴行鷺伏hè xíng lù fú)でやって来るのが見えたので、陶生は突然立ち上がって怒鳴りつけると、少女はたちまち逃げて行ってしまった。陶生がまた横になってウトウトすると、少女がまたこよりを彼の耳に差し込んできた。結局一晩中女たちのちょっかいに悩まされた。鶏が鳴いて、ようやく静寂が訪れ、声がしなくなった。それで陶生はようやく熟睡ができた。昼間は一日中何も見えも聞こえもしなかった。

 

 

 陽が沈むと、幽霊がおぼろげに出現した。陶生はそれで夜になってから炊事をして、そのまま寝ずに夜明けまで過ごすことにした。年上の女は次第に肘を曲げてテーブルの上に突っ伏して、陶生が本を読むのを眺めるようになった。まもなく女は陶生の本を覆い隠すようになった。陶生が怒って彼女を捕まえようとすると、既に女はひらひらと逃げ姿を消した。しかししばらくすると、女はまた本を覆い隠そうとした。陶生は手で本を押さえて読み続けた。年下の女は彼の背後に隠れ、両手で陶生の目を覆ったかと思うと、急いで逃げ去り、遠くに立って嘲笑(あざわら)った。陶生は女を指さして罵(ののし)って言った。「この小悪魔め!捕まえたら殺しちまうからな!」女はしかし別に怖れている風でもなかった。それで嘲り笑って言った。「閨房の中での技巧は、わたしは全く分からないので、わたしにあれこれ付きまとっても無意味ですわよ。」ふたりの女は微笑んで、向こうを向いて竈(かまど)の方へ行き、薪を割りコメを研ぎ、陶生のため米を炊いた。陶生はそれを見て、賞賛して言った。「あなた方おふたりにこんなことまでしてもらうとは、もはや先ほどの小賢(こざか)しいいたずらに勝るのではないですか?」しばらくして、粥が煮えたので、ふたりは競争で匙や箸、茶碗をテーブルの上に並べた。陶生が言った。「おふたりに食事の支度をしていただき、感謝します。どうやってお礼をすればよいのでしょう?」女が笑って言った。「ごはんの中にヒ素や毒薬を混ぜましたよ。」陶生が言った。「わたしはあなたがたとこれまで何ら旧怨(きゅうえん)も持たぬのに、どうしてそんなことをされる必要があるでしょう。」そう言って食べ終わると、またご飯をよそい、ふたりは争って陶生のお世話をした。陶生はふたりのこうした行為を楽しみ、やがてそうしてもらうのが当たり前のようになった。日々次第に親しくなり、並んで座って言葉を交わしているうち、相手の姓名を尋ねた。年上の女が言った。「わたしは秋容といい、姓は喬です。あの子は阮(げん)家の小謝です。」陶生は更に彼女たちの来歴を尋ねた。小謝が笑って言った。「バカ!まだわが身を表に曝(さら)してもいないのに、誰があなたに家柄を尋ねるの、嫁にもらうつもりなの?」陶生が居住まいを正して言った。「こんな美人を前にして、まさかわたしひとり何も感じないとでも言うのですか?とは言え、あの世の寒気に襲われると、生きた人間は必ず死んでしまうと言います。あなた方がわたしと一緒に暮らすのを楽しまぬなら、ここから去ればいい。わたしと一緒に暮らすことを楽しめるなら、安心してここにいてください。もしあなたがたがわたしに愛情を感じられないなら、わたしに近づくことであなたがたの清らかな名誉を汚してしまう必要は無いですよ。もし本当にわたしのことを愛しておられるなら、どうしてこの勝手気ままに暮らす男を殺してしまおうとなさるんですか?」ふたりの女は互いに顔を見合わせ、顔に感動の色を顕(あらわ)し、それからというもの、陶生にいたずらやいじめをしなくなった。それでも時々手を伸ばして陶生の胸を触ったり、彼のズボンを引っ張って床の上に投げ捨てたりしたが、陶生もそうされてもなんとも思わなかった。

 

 

 ある日、陶生が書物を書き写す作業の終わらぬうちに出て行き、戻ってくると小謝がテーブルに向かい、彼の代わりに書いてくれていた。彼女は陶生の顔を見ると、筆を投げ出し、彼を横目で見て微笑んだ。近寄って見てみると、字体が稚拙でちゃんとした文字になっていなかったが、文字の行と列はちゃんと整っていた。陶生は彼女を褒めて言った。「あなたは奥ゆかしい人だね。字を書くのが好きなら、わたしがあなたに字を書くのを教えてあげよう。」そう言って彼女の胸を抱くと、彼女の手を握って、彼女が絵を描くのを教えた。秋容が外から入ってくると、顔色がたちまち変わり、どうやら小謝に焼きもちを焼いたようであった。小謝が笑って言った。「子供の頃、父から書道を習ったことがありますが、久しくやったことがなく、本当に夢を見ているようですわ。」秋容は何も言わなかった。陶生は秋容の気持ちを察し、わざと気づかぬふりをして、秋容に対しても胸を抱いて筆運びを指導し、言った。「あなたが字が書けるかどうか見てあげよう。」秋容にいくつか字を書かせてみて、言った。「秋娘(秋お嬢さん)の筆使いも大したものだ。」秋容はそう聞いて、喜んだ。それから二枚の紙を折り曲げお手本を作り、一緒にお手本を模写する練習をさせ、陶生は別のランプの下で読書をした。陶生は密かに、ふたりの女が各々自分のことを一生懸命やってくれ、互いに干渉することが無かったので喜んだ。模写が終わると、ふたりの女は恭(うやうや)しく陶生の座るテーブルの前に立つと、ふたりの書いた字への彼の評価を聞いた。秋容は元々字を知らなかったので、字が墨をひっくり返したように真っ黒で、何と書いてあるか識別できなかった。評価が終わって、秋容は自分でも小謝に及ばないと分かったので、恥ずかしそうな表情をした。陶生が秋容を褒め慰めてやったので、彼女の表情はようやく晴れやかになった。ふたりの女はそれからというもの陶生に師事し、陶生が座ると彼の肩を揉み、彼が横になると脚を揉んでやり、もう敢えて彼をいじめることがなくなっただけでなく、却って競って陶生の機嫌を取った。ひと月経って、小謝は字が相変わらず整って綺麗なので、陶生は時おり彼女を褒めた。秋容は大いに恥じて顔中を涙で濡らし、顔に塗った白粉(おしろい)が涙で流れてしまい、涙の跡が線となって残った。陶生が秋容をあれこれなだめすかせてやったので、彼女はようやく機嫌を直した。その後、陶生が秋容に読書を教えてやると、彼女はたいへん聡明であったので、一度教えてやれば、もう二度と分からず尋ねるということが無かった。陶生と競って読書をし、しばしばそれが夜通し続いた。小謝が更に自分の弟の三郎を連れて来て、陶生の弟子にしてもらった。年の頃十五六で、容姿が優れていた。彼は金の如意を一本持って来て師匠にお目にかかる際の礼物とした。陶生は彼に秋容と共に経書を読むよう命じた。経を読む声が部屋中に響き渡り、陶生はこれより幽霊のための学校(鬼帳guǐ zhàng)を開いた。姜部郎はこのことを聞いてたいへん喜び、しばしば陶生に給料を払ってやった。何か月か経って、秋容と三郎は共に詩を詠めるようになり、またしばしば互いに詩を唱和した。小謝はこっそり陶生に秋容に教えるなと言い、陶生は同意した。秋容はこっそり小謝に教えるなと言い、陶生はまた同意した。

 

 

 ある日、陶生が科挙の試験を受けに行くこととなり、ふたりの女は鼻をすすり涙を流しながら、陶生の手を握って別れを惜しんだ。三郎が言った。「先生、今回のご旅行は仮病を使ってでも止められるのが宜しいです。そうしないと、恐らく不吉なことが起こるでしょう。」陶生は病気だと言って行かないのは恥じだと思い、やはり出立した。

 

 

元々、陶生は詩の文句を使ってその時の政局を風刺するのが好きで、この県の権勢家の怒りを買っており、ふだんから彼を陥れて傷つけてやろうと思われていた。こっそり学政の役人に賄賂を贈り、ありもしない罪をでっち上げて取り調べ、陶生は長期に亘り獄中に拘禁された。陶生は旅費を使い尽くし、囚人にまで食べ物を乞わざるを得なくなり、自分ではもはや生きる術(すべ)が無くなってしまった。ふとひとりの人間がスイスイと入って来たと思えば、それは秋容で、食べ物を陶生に届けに来たのだった。彼女は陶生をじっと見つめ、嗚咽を漏らして言った。「三郎があなたに不吉なことが起こると心配していましたが、果たして間違っていませんでした。三郎はわたしと一緒に来たのだけど、役所へ冤罪の審理を申し立てに行きました。」秋容は二言三言話をすると出て行ったが、それを見た者はいなかった。翌日、巡撫(じゅんぶ。明代および清代に置かれた地方長官、省の行政・軍事・司法・治安などの民政全般を統括し、その地域の最高責任者。清代の「部院」は「巡撫」の別称。地方で中央の吏部、戸部など六部と都察院を併せた権限を持っていたことから)が出て来たので、三郎は道を遮り、濡れ衣を着せられたと訴えたところ、役人は彼を拘束した。秋容は監獄に入って陶生にこのことを報告し、また戻って三郎の消息を尋ねたが、彼は三日戻って来なかった。陶生は悲しいやら空腹やらでやり切れず、たった一日経つのが一年も待つように感じられた。突然小謝がやって来て、とても悲しそうにこう言った。「秋容が帰りに城隍祠(じょうこうし。中国の古代宗教や道教において、都市(城壁と堀)を守護する「城隍神」を祀る廟所)に寄ったところ、城隍祠西廂(本堂の手前の西側の縦に長い建屋)の廊下で任に就いていた黒面の判官に無理やり連れて行かれ、妾になるよう強要されたそうです。秋容は要求に屈せず、今もまだ捕らえられています。わたしは百里の道を駆けずり回ったので、くたくたに疲れてしまいました。北側の城外まで来て、古い茨(いばら)の棘(とげ)が刺さって足の土踏まずにケガをし、骨の髄まで痛みが走り、もうこれ以上歩けなくなりました。」そう言って足を指さすと、流れ出た血で靴下が赤く染まっていた。小謝は三両の銀子を出すと、びっこを引いて行ってしまった。

 

-・-・--・-・--・-・--・-・--・-・-

 

 さて、投獄された陶望三、三郎の運命や如何に。続きは後編をお楽しみに。

 中国版『浦島太郎』の西湖主の2回目。主人公の陳弼教は、王妃の大切にしているスカーフに詩を記して汚してしまったことから、殺されるのではないかとびくびくしていましたが、このあと、どのような運命が待っているのでしょうか。『聊斎志異』巻十より『西湖主』の完結編をお楽しみください。

 

-・-・--・-・--・-・--・-・--・-・-

 

既而斜日西转,眺望tiào wàng方殷fāng yīn,女子坌bèn息急奔而入,曰:“殆dài矣!多言者泄其事于王妃;妃展巾抵地dǐ dì,大骂狂伧kuáng chen,祸不远矣!”生大惊,面如灰土,长跽cháng jì请教。忽闻人语纷挐fēn ná,女摇手避去。数人持索,汹汹xiōng xiōng入户。内一婢熟视曰:“将谓何人,陈郎耶?”遂止持索者,曰:“且勿且勿,待白王妃来。”返身急去。少间来,曰:“王妃请陈郎入。”生战惕 zhàn tì从之。经数十门户,至一宫殿,碧箔bì bó银钩yín gōu。即有美姬揭帘,唱:“陈郎至。”上一丽者、袍服炫冶xuàn yě。生伏地稽首qǐ shǒu曰:“万里孤臣,幸恕生命。”妃急起自曳之,曰:“我非君子,无以有今日。婢辈无如,致迕佳客,罪何可赎shú!”即设华筵huá yán,酌zhuó以镂lòu杯。生茫然máng rán不解其故。妃曰:“再造之恩,恨无所报。息女xī nǚ蒙题巾之爱,当是天缘,今夕即遣奉侍fèng shì。”生意出非望,神惝恍chǎng huǎng而无着wú zhuó

 

 既に陽は西に傾き、陳生がちょうど切羽詰まった気持ちで眺めていると、女が息せき切って走って入って来て、言った。「えらいことになったわ!おしゃべりな人がスカーフへの落書きのことを王妃様に漏らしてしまったの。王妃様はスカーフを広げて一目見るや、地面に投げ捨て、大声でわめきちらしておられたから、もうすぐ良くない事が起こるかもしれないわ。」陳生は大いに驚き、顔から血の気が引き、しばらくの間じっと跪いて教えを請うた。突然人がガヤガヤ話をするのが聞こえたので、女が手を振り近くに隠れた。すると何人かが手に縄を持って、すさまじい勢いで家に入って来た。その中のひとりの端女が陳生の方をじっと見て言った。「どなたかと思っていましたわ。陳様ではありませんか?」そう言って、縄を持った人々を押し止めると、言った。「ひとまず手を出さないで。白王妃様が来られるのをお待ちになって。」身を翻して急いで行ってしまった。しばらくしてまた戻って来ると、こう言った。「王妃様が陳様にお入りいただくようにとのことです。」陳生は驚いて胸をどきどきさせながらこれに従った。数十の屋敷の門を通り過ぎると、宮殿に到着し、門にはエメラルド色のカーテンに銀の吊り金具が架かっていた。すぐに美しい女官がカーテンをめくり上げ、声高に呼ばわった。「陳様が到着されました。」陳生が見ると、ひとりの美しい女が、目にも鮮やかな丈の長い上着を着ていた。陳生は跪いて地面に頭をつける礼をすると、言った。「拙者、孤立無援の臣下でございますれば、どうか命だけはお助けを。」王妃は急いで立ち上がり、自ら彼の身体を引き起こすと、言った。「もしあなたがおられなかったら、わたしは今日という日を迎えられなかったでしょう。召使たちは事情をしらないものですから、大事な客人を怒らせてしまいました。この罪をどう贖(あがな)えばよいのでしょう。」そう言うと、豪華な宴席を設けさせ、陳生に透かし彫りの入った豪華な杯で酒を注いだ。陳生はチンプンカンプンで、何のことやら分からなかった。王妃が言った。「命を援けていただいた恩に、報いることができていなかったことをいつも恨んでおりました。わたしの実の娘は、あなたにスカーフに書いた愛の告白をいただきました。正にこれは天の定めたご縁ですから、今宵(こよい)はあの娘をあなたの元に遣ってお世話をさせます。」陳生は予想外の出来事に気持ちが動揺し、地に足が着かなくなった。

 

 

日方暮,一婢前白,“公主已严妆yán zhuāng。”遂引生就帐。忽而笙管shēng guǎn敖曹áo cáo,阶上悉践jiàn花罽huā jì;门堂藩溷fān hùn,处处皆笼烛lóng zhú。数十妖姬yāo jī,扶公主交拜。麝兰shè lán之气,充溢chōng yì‌殿庭。既而相将入帏,两相倾爱。生曰:“羁旅jī lǚ之臣,生平不省bù shěng拜侍bài shì。点污芳巾,得免斧锧fǔ zhì,幸矣;反赐姻好yīn hǎo,实非所望。”公主曰:“妾qiè母,湖君妃子,乃扬江王女。旧岁归宁,偶游湖上,为流矢所中。蒙君脱免,又赐刀圭dāo guī之药,一门戴佩dài pèi,常不去心。郎勿以非类 fēi lèi见疑。妾从龙君得长生诀,愿与郎共之。”生乃悟为神人,因问:“婢子何以相识?”曰:“尔日ěr rì洞庭舟上,曾有小鱼衔xián尾,即此婢也。”又问:“既不见诛zhū,何迟迟不赐纵脱zòng tuō?”笑曰:“实怜lián君才,但不自主。颠倒diān dǎo终夜,他人不及知也。”生叹曰:“卿qīng,我鲍叔bào shū也。馈kuì食者谁?”曰:“阿念,亦妾腹心。”生曰:“何以报德?”笑曰:“侍shì君有日,徐图塞责sè zé未晚耳。”问:“大王何在?”曰:“从关圣guān shèngzhēng蚩尤chī yóu未归。”

 

 日がようやく暮れ、ひとりの召使の女が入って来て言った。「お姫様(公主)はもうお身繕いが終わられました。」そして陳生を引率して帳(とばり)の中に入った。突然管楽器が騒々しく鳴り響き、階(きざはし)の上には色鮮やかな絨毯が敷き詰められ、屋敷の門から堂宇、垣根、トイレに到るまで、それぞれに皆提灯が吊り下げられた。数十人の妖艶な侍女たちが、公主が新郎との対面の挨拶をするお世話をした。麝香や蘭の香りが御殿や庭園に溢れた。陳生と公主は互いに手に手を取ると帳(とばり)の中に入って、ふたりは男女の営みをし、深く愛し合った。陳生が言った。「わたしはこれまで外地を方々漂白しておりましたので、日ごろから礼儀作法には疎いのです。あなたの美しいスカーフを汚してしまったのに、打ち首になるのを免れ、それだけでも幸運なのに、却って婚姻のご縁をいただくとは、実に思いもかけないことでした。」公主が言った。「わたしの母は、洞庭湖君の妃で、揚子江王の娘です。昨年実家に里帰りした際、たまたま湖の上で遊んでいて、流れ矢に当たってしまったのです。あなたがこの災難から援けてくださり、おまけに刀圭(古代、少量の薬を量る器具)の少量の貴重な薬まで賜り、家族の者全員がいたく感激し、ずっと心に留めております。あなたはわたしが人間でないからと不安に思わないでください。わたしは龍君から長生きの秘訣を授かっていますので、あなたと共有したいと願っています。」陳生はそれでようやく彼女が仙女であると悟り、それで尋ねた。「あの召使の女はどうしてわたしのことが分かったんですか?」公主が言った。「あの日、洞庭湖の舟の上で、小魚が鰐の尻尾を銜(くわ)えていましたが、それがあの召使の女です。」陳生がまた尋ねた。「わたしを殺すつもりがなかったのなら、どうして遅々として解放してくれなかったのですか?」公主は笑って言った。「わたしは本当にあなたの才能を愛しておりましたが、わたしが自分で勝手に決めることができなかったのです。どうなることかと一晩中ドキドキしておりましたが、そんなこと、他人はお判りにならないわね。」陳生はため息をついて言った。「あなたは本当にわたしの鮑叔牙(ほうしゅくが。春秋時代、斉の大夫だが、ここでは「知己」(ちき)、自分のことをよく理解してくれている人を指す。鮑叔牙は管仲のことをたいへん理解し、後に彼を斉の桓公の補佐に推薦した。管仲は「わたしを生んだのは父母だが、わたしを知るのは鮑子である」と言った(『史記・管晏列伝』))ですね。わたしに食べ物を持ってきてくれたのは誰ですか?」公主が言った。「阿念と言って、わたしが心から信頼している侍女です。」陳生が言った。「どうやって彼女の恩に報いればいいんだろう?」公主は笑って言った。「今後あの子は長くあなたにお仕えすることになると思います。ゆっくりあの子にどう報いてやるか考えても遅くないと思います。」陳生が尋ねた。「大王はどちらにおられるのですか?」公主が言った。「関聖帝君(関羽のこと)の蚩尤(しゆう)征伐からまだ帰っておりません。」

 

 

居数日,生虑家中无耗wú hào,悬念xuán niàn綦切qí qiè,乃先以平安书遣qiǎn归。家中闻洞庭舟覆,妻子缞绖cuī dié已年余矣。仆归,始知不死;而音问yīn wèn梗塞gěng sè,终恐kǒng漂泊piāo bó难返。

 

 何日かして、陳生は家の方に何の知らせもしていないのが心配で、その懸念が切羽詰まったので、先に無事の知らせを書いて召使に持って帰らせた。家では洞庭湖で舟が転覆したことを聞いていたので、妻はもう一年余りも喪服を着て喪に服していた。召使が帰って来て、はじめて陳生がまだ死んでいないことを知った。しかし音信が途絶えているので、結局彼が外地を漂白して容易に戻って来れないのではないかと心配した。

 

 

又半载,生忽至,裘qiú马甚shèn,囊náng中宝玉充盈chōng yíng。由此富有巨万jù wàn,声色豪奢háo shē,世家所不能及。七八年间,生子五人。日日宴集宾客,宫室gōng shì饮馔yǐn zhuàn之奉fèng,穷极丰盛。或问所遇,言之无少讳huì

 

 また半年経って、陳生が突然帰って来た。高貴な衣装を身に着け、車馬はたいへん立派で、袋の中には珍しい宝石や玉が一杯入っていた。それからというもの、陳生の家は巨万の富を持つ金持ちになり、豪華で贅沢な音楽や歌舞を享受し、その財力は何世代も役人を輩出してきた名望家でも及ばなかった。その後七八年の間に、陳生に五人の子供が生まれた。毎日宴会を開いて賓客を招待し、暮らしている部屋も飲食の供給も、極めて豪華で豊かであった。誰かが陳生にその経歴を尋ねても、彼は少しも隠し立てすることなく、詳しく話して聞かせた。

 

 

有童稚tóng zhì之交zhī jiāo梁子俊liáng zǐ jùn者,宦游huàn yóu南服nán fú十余年,归过洞庭,见一画舫huà fǎng,雕槛diāo kǎn朱窗,笙歌shēng gē幽细,缓荡huǎn dàng烟波。时有美人推窗凭眺píng tiào,梁目注舫中,见一少年丈夫,科头kē tóu叠股dié gǔ其上;傍有二八姝丽,挼莎ruó suōshā交摩。念必楚襄chǔ xiāng贵官,而驺从zōu cóng殊少shū shǎo。凝眸níng móu审谛shěn dì,则陈明允chén míng yǔn也。不觉bù jué凭栏酣hān叫。生闻呼罢棹bà zhào,出临鹢首yì shǒu,邀梁过舟。见残肴yáo满案,酒雾jiǔ wù犹浓。生立命撤去。顷之qǐng zhī,美婢三五,进酒jìn jiǔ烹茗pēng míng,山海珍错shān hǎi zhēn cuò,目所未睹mù suǒ wèi dǔ。梁惊曰:“十年不见,何富贵一至于此!”笑曰:“君小觑xiǎo qù穷措大cuò dà不能发迹fā jì?”问:“适共饮何人?”曰:“山荆shān jīng耳。”

 

 陳生の幼馴染(おさななじみ)の友達の梁子俊という者が、南方で十数年官吏をしていて、国(故郷の燕)に帰る際に洞庭湖を通ると、一艘の画舫(がぼう。屋形船)が見えた。船は見事な彫刻の施された欄干に朱色の窓で、船の上で奏でられる楽器や歌声は抑揚があって優雅で、画舫はゆったりと霧に包まれた湖面を漂っていた。時折美人が窓を開けて欄干にもたれて遠くを眺めていた。梁子俊が船の中を覗き見ると、ひとりの年若い男が、帽子を被らず、船の上に胡坐を組んで座っていた。その傍らでは十五六歳の美しい女が、ちょうど彼の身体を揉んでやっていた。これはきっと楚の襄陽から来た高官に違いないと思ったが、随員がたいへん少なかった。目を凝らして仔細に見ると、この男は陳明允(明允は陳弼教の字)であった。梁子俊は思わず欄干に寄りかかり大声で陳生を呼んだ。陳生はそれを聞いて船を停めるよう命じた。彼は舳先(へさき。鷁首yì shǒu:古代の船は舳先(船頭)に鷁鳥の絵を描いたことから。鷁は鷺(さぎ)に似た水鳥)に出て来て、梁子俊にこちらの船に渡って来るよう言った。梁子俊が船室を見ると、残った料理がテーブル一杯に置かれ、酒の香りがまだ濃厚に残っていた。陳生は直ちに料理を下げるように命じた。しばらくして綺麗な女の召使が数人で、酒の酌をし茶を淹れ、山海の珍味は、どれも見たことのない珍しいものだった。梁子俊は驚いて言った。「君とは十年会わぬうちに、どうしてここまで金持ちになったんだ!」陳生は笑って言った。「君はまさか僕が貧しい書生に過ぎないと見下し、成功することができないと思っていたのか?」梁子俊が尋ねた。「先ほどは誰と酒を飲んでいたんだい?」陳生が言った。「僕の家内(山荆shān jīng:人に自分の妻のことをへりくだって言う言い方。荆はいばらで、いばらで作った簪(かんざし))だよ。」

 

 

梁又异之。问:“携家何往?”答:“将西渡。”梁欲再诘jié,生遽命歌以侑yòu酒。一言甫毕,旱雷hàn léiguōěr,肉竹ròu zhú嘈杂cáo zá,不复可闻言笑。梁见佳丽满前,乘醉大言曰:“明允公,能令我真个销魂xiāo hún否?”生笑云:“足下醉矣!然有一美妾之资,可赠故人。”遂命侍儿进明珠一颗,曰:“绿珠不难购,明我非吝惜lìn xī。”乃趣别曰:“小事忙迫máng pò,不及与故人久聚jiǔ jù。”送梁归舟,开缆lǎnjìng去。

 

 梁子俊はそう聞いて不思議に思い、尋ねた。「家族同伴でどこに行くんだい?」陳生が答えた。「西の方に行くんだ。」梁子俊が更に尋ねようとすると、陳生は急いで歌を歌うよう命じ、それで酒興が乗るようにした。そう言うや否や、晴天の雷のように耳をつんざく音が鳴り響き、歌声と管楽の調べが入り混じり、もはや話し声や笑い声も聞こえなくなった。梁子俊は何人もの美女が眼の前に現れたので、酒の酔いに乗じて大声で言った。「明允公(陳明允)、わたしを本当に陶酔させることができるかね?」陳生が笑って言った。「あんたは酔っぱらわれたね!それなら綺麗な女をひとり買えるだけの金を、古くからの友人にお贈りするとしよう。」そう言って侍女に命じて真珠を一粒持って来させ、こう言った。「これで緑珠(晋の石祟(せきすう)の歌妓の名前)だって買えないことはない。これでわたしがけちん坊でないことをはっきりさせたよ。」そして暇乞いを急かして言った。「つまらんことで急かされて、古い友人とゆっくり集まることもできんよ。」梁子俊を彼の船まで送ると、陳生は纜(ともづな)を解くと、そのまま行ってしまった。 

 

 

梁归,探tànzhū其家,则生方与客饮,益疑。因问:“昨在洞庭,何归之速?”答曰:“无之。”梁乃追述所见。一座尽骇hài ‌‌。生笑曰:“君误矣,仆有分身术fēn shēn shù?“众异之,而究莫解其故。

 

 梁子俊は国(故郷の燕)に帰り、陳生の自宅を訪ねた(諸zhūは「之于」のこと)ところ、陳生はちょうど客と酒を飲んでいたので、益々不思議に思った。それで梁子俊は陳生に尋ねた。「昨日は洞庭湖にいたのに、どうしてこんなに早く帰って来たんだ?」陳生が答えて言った。「わたしは洞庭湖になんて行っていないよ。」梁子俊はそれで昨日見てきたことを話した。一同の者は悉く驚いた。陳生は笑って言った。「君は何かと見間違いをしたんだよ。わたしがまさか分身の術を使ったと言うんじゃあるまい?」人々は不思議に思ったが、結局どんな訳でこんなことが起こったのか分からなかった。

 

 

后八十一岁而终。迨dàibìn,讶其棺轻;开之,则空棺耳。

 

 その後、陳生は八十一歳で亡くなった。出棺の時になって、人々は彼の棺桶が軽いので驚いた。棺桶を開いて見ると、中身は空っぽであった。

 

 

异史氏曰:“竹簏不沉,红巾题句,此其中具有鬼神;而要皆侧隐cè yǐn之一念所通也。迨dài宫室gōng shì妻妾qī qiè,一身yī shēn而两享liǎng xiǎng其奉fèng,即又不可解jiě。昔有愿yuàn娇妻jiāo qī美妾měi qiè,贵子guì zǐ贤孙xián sūn,而兼长生不死者,仅得其半耳。岂仙人中亦有汾阳fén yáng,季伦jì lún?”

 

 異史氏曰く、「竹籠が沈まなかったり、赤いスカーフに詩句を書き記したのは、これは確かにその中に鬼神が憑いているのであろう。そしてそれらは皆惻隠(側隠は誤り)の一念(惻隠の情。他人の苦しみや不幸を見たときに自然と湧き上がる同情心やあわれみの心)が通じているに違いない。陳弼教が死後豪華な屋敷や綺麗な奥さんを、ひとりが同時にこの世とあの世の二ヶ所で享受したというのは、確かに理解できないことだろう。昔、綺麗な妻や妾、金持ちで才徳兼備の子孫を持ちたいと願い、それと同時に不老不死をも願う者は、そのどれか半分しか得ることができなかった。まさか仙人の中にも、汾陽郡王(唐の郭子儀のこと)や季倫(晋の石祟の号)のように、その何れも得たような人がいたのではあるまいか?」

 

 この話は、いわば中国版の『浦島太郎』です。浦島太郎は浜辺でカメを助けますが、主人公の陳弼教は、揚子江(長江)中流域の洞庭湖という湖で、ワニ(揚子江鰐)を助けたことで、その恩返しで、揚子江王一族の姫君の西湖主と結ばれ、巨万の富と不老不死を授かります。それでは『聊斎志異』の巻十から、『西湖主』の物語をお読みください。

 

 投稿容量の関係で、2回に分けて投稿します。

 

西湖主

 

 陈生弼教,字明允yǔn,燕yān人也,家贫,从副将军贾绾 jiǎ wǎn作记室,泊舟洞庭.适猪婆龙zhū pó lóng浮水面,贾射之中背。有鱼衔xián龙尾不去,并获之。锁置桅wéi间,奄yān存气息;而龙吻wěn张翕,似求援拯yuán zhěng。生恻然cè rán心动,请于贾而释之。 携有金创chuāng药,戏敷患处,纵之水中,浮沉逾刻yú kè而没。

 

 生員(科挙の第一段階の県試に合格し、県学の学生の資格を持つ人)の陳弼教(ちんひつきょう)、字は明允(めいいん)、燕(古代の燕国の領域で、今の河北省を中心とする地域)の人である。家が貧しく、副将軍の賈綰(かわん)に従い記室(文書管理官)となり、洞庭湖の湖上に停泊した。ちょうど猪婆龍(ちょばりゅう。揚子江鰐の別称)が水面に浮いたので、賈綰が弓矢で射るとその背中に矢が当った。魚が一匹、鰐の尻尾をくわえて離れなかったので、魚ごと鰐を捕獲した。帆柱にくくり付けると、まだ微かに息をしていた。鰐が口をパクパク動かし、援けを求めているかのようであった。陳は可哀そうに思ったので、賈将軍にお願いし、鰐を湖に放してやった。刀傷治療の塗り薬(金創chuāng藥)を持っていたので、試しに矢の当った傷口に塗ってやり、鰐を水中に放してやると、しばらくの間水面を漂っていたが、やがて見えなくなった。

 

 

 后年余,生北归,复经洞庭,大风覆舟。幸扳pān一竹簏,漂泊piāo bó终夜,絓guà木而止。援yuán岸方升,有浮尸继至,则其僮仆tóng pú。力引出之,已就毙矣。惨怛cǎn dá无聊wú liáo,坐对zuò duì憩息qì xī。但见小山耸翠sǒng cuì,细柳摇青,行人绝少,无可问途。自迟明以至辰后,怅怅chàng chàng靡之mí zhī。忽僮仆肢体微动,喜而扪mén之。无何,呕ǒu水数斗dǒu,醒然xǐng rán顿苏dùn sū。相与xiāng yǔ曝衣pù yī石上,近午始燥zào可着zhuó。而枵肠xiāo cháng辘辘lù lù,饥不可堪。于是越山疾行,冀有村落。

 

 一年余り経ち、陳弼教は北方の実家に帰るのに、また洞庭湖を通った時、大風が吹いて船が転覆した。幸い、竹で編んだ籠を掴み、一晩中漂泊していたが、木に引っかかって止まった。岸によじ登ると、浮いた死体が続いて流れ着いたが、それは子供の召使であった。力いっぱい引き揚げたが、もう息絶えていた。悲しみのあまり、心にぽっかり穴が開き、死体と対面して座りながらひと息ついた。前方を見ると小山が一面濃い緑で聳(そび)え立ち、細い柳の青々とした葉が風に揺れていたが、行く人も極めて少なく、道を尋ねる術も無かった。ようやく微かにあたりが明るくなった早朝から昼過ぎまで、心の中は打ちしおれ、何も手がつかなかった。ふと子供の召使の肢体が微かに動いたので、陳は嬉しくなり召使の身体を撫でてやった。しばらくして、子供の召使は何斗かの水を吐き出すと、しばらくして目覚めた。一緒に着ていた服を石の上で日に晒して乾かすと、お昼近くには乾いて着れるようになった。するとお腹が空っぽでグウグウ鳴り(枵腸轆轆xiāo cháng lù lù)、腹が減って我慢できなくなった。それで山を越えて急ぎ、逗留できる村を捜しに行きたいと思った。

 

 

 才至半山,闻鸣镝声。方疑听间,有二女郎乘骏马来,骋chěng如撒shū;各以红绡xiāo额,髻插雉zhì尾;着zhuó小袖紫衣,腰束绿锦;一挟xiédàn,一臂青鞲gōu。度过岭头,则数十骑猎liè于榛莽zhēn mǎng,并皆姝丽,装束若一。生不敢前。有男子步驰chí,似是驭卒yù zú,因就问之。答曰:“此西湖主猎首山也。”生述所来,且告之馁něi。驭卒解裹粮授之,嘱云:“宜即远避,犯驾当dāng死!”生惧。疾趋jí qū下山。

 

 ようやく山の中腹まで来た時に、突然鏑矢(かぶらや。鳴鏑míng dí:矢の先に鏑(かぶら)をつけ、その先に鏃(やじり)をつけたもので、射ると鏑の穴から空気がはいって大きな音響を発して飛ぶ)の響く音が聞こえた。それで陳弼教がびっくりして耳を澄ましていると、ふたりの女が駿馬に跨ってやって来た。馬は豆を撒いたような音を響かせ駆けて(騁如撒菽chěng rú sā shū‌)来た。ふたりの女はそれぞれ赤い薄絹を額に巻き、もとどりに雉の尾の羽を挿していた。紫色の袖の短い服を着て、腰には緑の錦の帯を締めていた。片手に弓を持ち、もう片方の腕には青い皮製の袖覆いを身に着けていた。陳と子供の召使のふたりが山の頂を越えると、数十騎の馬が草木の茂みで狩りをしていたが、どの馬にも皆美しい女性が乗っていて、彼女たちは皆同じような装束をしていた。陳はこれ以上前に進む勇気が無かった。ひとりの男が徒歩で駆けて来たのが馬夫(馭卒yù zú)のようであったので、それで彼に尋ねてみた。男はこう答えた。「ここは西湖主様が狩りをされる首山です。」陳生はここに来たいきさつを話し、また男にふたりともたいへん腹が減っていると告げた。馬夫の男は腰に下げた包みを解き、糒(ほしいい)を取り出し陳生に渡すと、こう言って注意した。「急いで遠くまで逃げられた方が宜しい。西湖主様が走るのを邪魔されたら、死刑に処せられますよ。」陳生は恐れおののいた。急いで下山した。

 

 

 茂林中隐有殿阁,谓是兰若lánruò。近临之,粉垣fěn yuán围沓wéi tà,溪水横流;朱门半启,石桥通焉。攀扉pān fēi一望,则台榭tái xiè环云huán yún,拟于上苑,又疑是贵家园亭。逡巡qūn xún而入,横藤碍路,香花扑人。过数折曲栏,又是别一院宇,垂杨chuí yáng数十株,高拂朱檐zhū yán。山鸟一鸣,则花片齐飞;深苑微风,则榆钱yú qián自落。怡目yí mù快心,殆dài 非人世。穿过小亭,有秋千一架,上与云齐;而罥juànsuǒ沉沉chén chén,杳o无人迹。因疑地近闺阁guī gé,恇怯kuāng qiè未敢深入。俄é闻马腾téng于门,似有女子笑语。生与僮tóng潜伏qián fú丛花cóng huā中。未几,笑声渐近,闻一女子曰:“今日猎兴不佳,获禽绝少。”又一女曰:“非是公主射得雁yàn落,几空劳仆马láo pú mǎ也。”无何,红妆hóng zhuāng数辈shù bèi,拥yōng一女郎至亭上坐。秃袖tū xiù戎装róng zhuāng,年可十四五。鬟huán多敛雾liǎn wù,腰细惊风,玉蕊yù ruǐ琼英qióng yīng,未足方喻fāng yù。诸女子献茗熏香xūn xiāng,灿càn如堆锦。移时,女起,历阶而下。一女曰:“公主鞍ān马劳顿,尚能秋千否?”公主笑诺。遂suì有驾jià肩者,捉zhuō臂者,褰裙qiān qún者,持履chí lǚ者,挽扶wǎn fú而上。公主舒shūhàowàn,蹑niè,轻如飞燕,蹴入云宵yún xiāo。已而扶下。群曰:“公主真仙人也!”嘻笑xī xiào而去。

 

 生い茂った林の中に楼閣が見え隠れしたが、陳生は寺院だと思った。近づいて見ると、白い塀で何重にも囲われ、塀の外には渓流が勢いよく流れていた。赤いペンキで塗られた門が半分開き、石橋が門に通じていた。扉を押して中を眺めると、高殿が雲の上に聳え立ち、まるで皇室の園林のようで、またひょっとすると高貴な方のお屋敷ではないかとも思われた。陳生が躊躇(ためら)いながら中に入ると、縦横に伸びた藤の蔓が道を遮り、香り立つ花が鼻を衝いた。何度か通路の欄干を折れ曲がると、また別の建物が現れた。枝垂れ柳が数十本植えられ、枝が微(かす)かに建物の軒と接していた。山鳥が鳴くと、花びらが一斉に舞い上がった。静かな庭園に微かな風が吹くと、楡(にれ)の実が自然と落下した。その美しさに感動し、まるで夢の世界にいるように思った。小さなあずまやを通り抜けると、ブランコが一台あり、漕ぐと雲と同じ高さまで上がることができた。しかしそのブランコの縄は静かに下に垂れ、あたりには人影ひとつ見られなかった。陳生はひょっとするとここは閨房の近くではないかと恐れ、これ以上近づいて見る勇気が無かった。俄(にわ)かに門前を駆ける馬の蹄(ひづめ)の音が聞こえ、少女たちが笑いさざめいているようであった。陳生は子供の召使と急いで花の茂みの中に隠れた。しばらくして笑い声が次第に近づき、ひとりの女がこう言うのが聞こえた。「今日の狩りはあまり面白くなかったわね。獲物の鳥もとても少なかった。」また別の女が言った。「もしお姫様(公主)が雁を打ち落とさなかったら、ほとんど無駄骨になってしまうところだったわ。」しばらくして、赤い上着を着た女たちが何人も、ひとりの年若い少女を取り囲んであずまやに座った。その少女は袖の短い軍装をしていて、年の頃はおそらく十四五であった。結われた髷は雲のように高く積み上がり、スラっと細い腰回りは風が吹けば耐えきれずに揺れ動きそうであった。たとえ素晴らしい玉の美しさを以てしても、彼女の美しさとは比べようも無かった。女たちはある者は茶を献じ、ある者は香を焚き、着ている服は錦を重ねたように煌(きら)びやかであった。しばらくして女たちは立ち上がり、次々に階(きざはし)を下りて行った。女のひとりが言った。「お姫様(公主)は馬に乗ってお疲れなのに、まだブランコ遊びがおできになるのかしら。」公主は笑って「するわよ」と答えた。それである者は肩を貸し、ある者は腕を支え、ある者はスカートをまくり上げ、ある者は公主の身体を助け起こしてブランコに乗せた。公主は真っ白な腕を露出させ、先の尖った靴を履いて、その足どりの軽やかなことと言ったら、空を飛ぶ燕のようで、一蹴りで天空高く入って行った。女たちは公主の身体を支えてブランコから下ろすと、言った。「お姫様は本当に仙女様のようですわ。」大声で笑うと、あちらへ行ってしまった。

 

 

 生睨良久,神志飞扬。迨dài人声既寂,出诣秋千下,徘徊凝想。见篱下有红巾,知为群美所遗,喜纳袖中。登其亭,见案上设有文具,遂题巾曰:

 

  “雅戏何人拟半仙?分明琼女散金莲,

   广寒队里恐相妒,莫信凌波上九天。”

 

题已,吟诵而出。复寻故径,则重门扃锢 jiōng gù矣。踟蹰chí chú罔计wǎng jì,反而楼阁亭台,涉历几尽。

 

 陳生はそれらをじっと盗み見していたが、気持ちが高揚してきた。人の声が止んで静かになるのを待って、花の茂みの中から出て来てブランコの下へ歩いて行き、あたりをぶらぶらしつつじっと考え込んだ。ふと見ると垣根の下に赤いスカーフが落ちていて、先ほどの女たちが落としたものだと分かり、喜んで拾って懐に仕舞った。あずまやに上ってみると、テーブルの上に文具が並べられていたので、陳はすぐにスカーフの上に詩を書き記した。

 

  「雅(みやび)な戯(あそび)何人ぞ半仙に擬(なぞら)えん。

   分明(あきらか)に瓊女(けいじょ)は金蓮を散じる。

   広寒隊(月宮の仙女たち)の里(うち)応(まさ)に(あい)妒(ねた)むべし。

   凌波(りょうは。女の軽やかな足どり)に信(まか)せて九天に上ること莫(なか)れ。」

 

書き終わると、詩を吟じながらあずまやを出た。またもと来た道を戻って来ると、門は厳重に閂(かんぬき)がされていた。陳生は戸惑いどうしてよいか分からず、それで楼閣やあずまやの方に引き返し、ひと通り全て見て回った。

 

 

 一女掩yǎn入,惊问:“何得来此?”生揖之曰:“失路之人,幸能垂救。”女问:“拾得红巾否?” 生曰:“有之。然已玷染diàn rǎn,如何?”因出之。女大惊曰:“汝死无所矣!此公主所常御,涂鸦tú yā若此,何能为地?”生失色,哀求脱免。女曰:“窃窥宫仪,罪已不赦。念汝儒冠rú guān蕴藉yùn jiè,欲以私意相全;今孽niè乃自作,将何为计!”遂suì皇皇huáng huáng持巾去。生心悸xīn jì肌栗jī lì,恨无翅翎chì líng,惟延颈yán jǐng死。迁久,女复来,潜贺qián hè曰:“子有生望矣!公主看巾三四遍,冁然chǎn rán无怒容nù róng,或当huò dāng放君去。宜姑yí gū耐守nài shǒu,勿得攀树pān shù钻垣zuān yuán,发觉fā jué不宥bù yòu。”日已投暮,凶祥不能自必;而饿焰è yàn中烧zhōng shāo,忧煎yōu jiān欲死。无何,女子挑tiǎo灯至。一婢提壶榼hú kē,出酒食jiǔ shíxiǎng生。 生急问消息,女云:“适我乘间chéng jiān言:‘园中秀才,可恕则放之;不然,饿且死。’公主沉思云:‘深夜教渠何之?’遂suì命馈kuì君食shí。此非噩耗è hào也。”生徊惶huái huáng终夜,危不自安。辰刻向尽,女子又饷之。生哀求缓颊huǎn jiá,女曰:“公主不言杀,亦不言放。我辈下人,何敢屑屑xiè xiè告?”

 

 ひとりの女がいきなりこっそり入って来て、驚いて尋ねた。「どうしてこんなところに来られたんですか。」陳生は手を前で組む拱手の礼をして言った。「道に迷ってしまったんです。どうかお助けください。」女が尋ねた。「赤いスカーフを拾われなかったですか。」陳生が言った。「ここにあります。でももうこんなに汚してしまいました。どうすればいいでしょう?」そう言ってスカーフを取り出した。女は大いに驚いて言った。「あなたは死んでも行く宛てが無いですよ。これはお姫様(公主)がいつもお使いのもので、こんな落書きをしてしまって、どう言い訳するつもりなの?」陳生は色を失い、なんとか禍(わざわい)から逃れることができないかと、心から哀願した。女は言った。「皇宮の情勢を窺(うかが)い見れば、あなたの犯した罪はもはや赦されるものではありません。あなたは温厚な読書人の方のようだから、わたし個人としてはあなたを何事も無くお守りしてあげたいところですが、今回の禍(わざわい)はあなたご自身がしでかしたことだから、どう対処したものでしょうね。」そう言って慌ててスカーフを持って行ってしまった。陳生は恐れおののいて心臓がパクパクし、筋肉がブルブル震えた。恨むべきはここから飛んで逃げる羽が無く、ただ首を長くして死を待つしかなかった。大分時間が経ってから、女がまたやって来て、こっそり祝福して言った。「あなた、死なないで済みそうよ。お姫様はスカーフを三四回ご覧になって、クスッと笑われてお怒りの様子が無かったの。ひょっとすると、あなたを咎め無しで行かせてくださるかもしれないわ。とりあえず、我慢してお待ちになって。木に登ったり垣根を破って逃げようなんてなさらないで。万一そんなことが見つかったら、決して赦されませんからね。」日は既に西に傾き、凶と出るか吉と出るか予想だにできなかった。しかも腹が減って死にそうになった。しばらくして、女が提灯を提げてやって来た。ひとりの端女(はしため)が酒の壺や杯(さかずき)の類を提げ、酒食を出して陳生をもてなした。陳が急いで状況を尋ねると、女が言った。先ほど、わたしが頃合いを見計らってお姫様にこう申し上げておきました。「「花園におられたあの秀才のお方(科挙の県試の合格者ゆえ秀才と呼んだ)ですが、お許しになるんだったら解放してさしあげてください。そうでないと、飢え死にされますよ。」公主はしばらく考えて、こう言われたの。「こんな夜更けにあの方にどこへ行っていただくと言うの。」それであなたにお食事をお出しし、食べていただいたの。これは悪い知らせではありませんよ。」陳生は一晩中思い悩み、気持ちが落ち着かなかった。翌朝辰の刻が終わろうとする頃(辰の刻は7時から9時なので、9時近くになって)に、女がまた食事を運んで来た。陳生は女に、なんとかお姫様に事情を説明してくれと懇願した。女は言った。「お姫様は殺すとは言われていないし、解放してあげなさいとも言われていません。わたしたち下賤の者が、どうしてくどくどとご主人様を惑わすようなことが言えるもんですか。」

 

-・-・--・-・--・-・--・-・--・-・-

 

 陳弼教は苦しい立場に置かれてしまいましたが、この後どのような展開を迎えるでしょうか?次回をお楽しみに。

 

 

 

 『聊斎志異』の『九娘』の続き、完結編です。莱陽の書生はあの世で九娘を見染め、姪っ子を通じて縁談が進められ、五日後に結果が出て迎えが来ると言われるのですが、果たして結果はどうなるでしょうか。またこの世の人間の書生と、亡霊の九娘とは、うまく暮らしていけるのでしょうか。九娘』続きをお読みください。

 

 

九娘(その2

 

后五日,果见朱来,整履摇箑shà,意甚忻适xīn shì。才至户庭,望尘即拜。少间,笑曰:“君嘉礼既成,庆在今夕,便烦枉步wǎng bù。”生曰:“以无回音,尚未致聘,何遽成礼?”朱曰:“仆已代致之矣。”生深感荷,从与俱去。

 

 五日後、果たして朱生がやって来た。履物を整え扇子を揺らし、たいへん得意そうな様子をしていた。屋敷の中に入るとすぐに、遠くに彼らの乗る車が巻き上げる土埃が見えると、家の者たちがお辞儀をして出迎えた。しばらくして、朱は笑って言った。「君の婚礼の儀はもう成立し、今晩お祝いが行われるので、君が九娘の家まで足を運んでくれるかね。」莱陽の書生が言った。「わたしには何の音沙汰も無く、まだ結納の品も送っていないのに、どうしてこんなに急に婚礼の儀が成立したんだい?」朱が言った。「わたしがもう君の代わりに結納を送っておいたよ。」書生は深く感謝し、朱に従って向かった。

 

 

直达卧所,则女甥shēng华妆huá zhuāng迎笑。生问:“何时于归yú guī?”女曰:“三日矣。”生乃出所赠珠,为甥助妆。女三辞乃受,谓生曰:“儿以舅意白公孙老夫人,夫人作大欢喜。但言,老耄lǎo mào无他骨肉gǔ ròu,不欲九娘远嫁yuǎn jià,期今夜舅往赘zhuìzhū其家。伊家无男子,便可同郎lángwǎng也。”

 

 ふたりがまっすぐ朱生の住まいに来ると、姪っ子が華麗な衣裳を着て、微笑んで出迎えた。莱陽の書生が尋ねた。「いつ嫁いで来られたの?」女が言った。「三日前です。」書生はそれでお祝いの真珠を取り出し、姪っ子に贈った。女は再三辞退してから受け取り、書生に言った。「わたしが叔父様のご意志を公孫家の老夫人(九娘の母親)に申し上げたところ、老夫人はたいへん喜んでおられました。けれども、こう言われました。自分は年老いて、他に身寄りもいないので、九娘には遠くに輿入れして欲しくない。今晩は叔父様に公孫の家に婿入りしてほしい、と。あの家には男子がおられないので、朱が一緒にあちらにお連れしますわ。」

 

 

朱乃导去。村将尽,一第门开,二人登其堂。俄白é bái:“老夫人至。”有二青衣,扶妪升阶。生欲展拜,夫人云:“老朽xiǔ龙钟,不能为礼,当即脱边幅tuō biān fú。”乃指画青衣,置酒高会。朱乃唤家人,另出肴俎yáo zǔ,列置生前;亦别设一壶,为客行觞xíng shāng。筵yán中进馔zhuàn,无异人世。然主人自举,殊不劝进。既而席罢,朱归。青衣导生去,入室,则九娘华烛huá zhú凝待níng dài。邂逅xiè hòu含情,极尽欢昵huān nì

 

 朱生はそれで書生を連れて行った。村の家並みが尽きようとするところで、一軒の屋敷の門が開いていた。ふたりはその家の広間に上がった。しばらくして、「老夫人が来られました。」との声が聞こえた。ふたりの女の召使が、年老いた婦人に手を貸し、階(きざはし)を上って来た。莱陽の書生が跪いて額を地面に点ける礼をしようとすると、夫人が言った。「わたしはもう年老いて体が衰え、体の自由が利かず、もうきちんとした礼儀作法をすることができないので、この場で礼儀を守らないことをお許しください。」そして女の召使に指図し、酒を並べ宴会の支度をさせた。朱はそれで召使を呼ぶと、それとは別に料理を盛った皿を出し、書生の前に並べさせた。また別に酒を一壺用意させ、客のためにお酌をした。宴席に並べられる酒や料理は、人間社会と変わりが無かった。しかし主人が手酌で自ら飲むのであり、特に客に酒や食事を勧めることはなかった。既に宴席はお開きになり、朱生は帰って行った。召使の女が書生を引率し、部屋に入ると、九娘が装飾を施した蝋燭の前でじっと待っていた。ふたりはめぐり合うや深い愛情が湧き起こり、男女の快楽を尽くしたのだった。

 

 

初,九娘母子,原解jiě赴都dōu。至郡,母不堪bù kān困苦死,九娘亦自刭jǐng。枕zhěn上追述zhuī shù往事,哽咽gěng yè不成眠bù chéng mián。乃口占kǒu zhàn两绝jué云:“昔日罗裳luó cháng化作尘,空将业果yè guǒ恨前身。十年露冷枫林fēng lín月,此夜初逢féng画阁huà gě]。”“白杨风雨绕rào孤坟,谁想阳台更作云?忽启镂金lòu jīn箱里看,血腥xuè xīngyóu染旧罗裙luó qún。”天将明,即促曰:“君宜qiě去,勿惊厮仆sī pú。”自此昼来宵xiāowǎng,嬖惑bì huòshūshèn

 

 当初九娘母子は捕虜となり、元々都に護送される予定であった。済南府に至り、母親は虐待の苦しみに耐えきれず亡くなり、九娘もまた自刃し亡くなった。九娘は書生とベッドの上で過去のことを述懐すると、涙にむせび眠ることができなかった。それで二首の絶句を吟じた。「昔日羅(うすもの)の裳(もすそ)は化して塵となり、空(むな)しく将に業果(ごうか。前世の行いによって受ける報い)は前身を恨む。十年露冷たし楓林の月、この夜初めて逢う画閣(色とりどりに飾られた閨房)の春。」「白楊は風雨に孤墳を繞(めぐ)る。誰か想う陽台(ベランダ)にて更(ま)た雲を作(な)す(男女の営み)を。ふと鏤金(金で彫刻を施した)の箱を啓(ひら)き里(なか)を看れば、血(なまぐさ)く猶(な)を旧(ふる)き羅(うすもの)の裙(すそ。スカート)を染む。」空がやがて明るくなってきたので、急娘は書生を促して言った。「あなた、ひとまずお帰りになった方がいいわ。召使を驚かせないで。」それからというもの、莱陽の書生は空がまだ明るいうちからやって来て、朝もう明るくなってから帰るようになり、書生の九娘を愛してやまないこと殊に甚だしくなった。

 

 

一夕,问九娘:“此村何名?”曰:“莱霞里。里中多两处新鬼,因以为名。”生闻之欷歔xī xū,女悲曰:“千里柔魂,蓬péng游无底;母子零孤líng gū,言之怆恻chuàng cè。幸念一夕恩义,收儿骨归葬墓侧,使百世得所依栖yī qī,死且不朽sǐ qiě bù xiǔ。”生诺之。女曰:“人鬼路殊,君不宜久滞。”乃以罗袜赠生,挥huī泪促别。生凄然而出,忉怛dāo dá若丧sàng,心怅怅chàng chàng不忍归。因过扣朱氏之门。朱白足出逆;甥亦起,云鬓yún bìn鬅松péng sōng,惊来省问。生惆怅chóu chàng移时,始述九娘语。女曰:“妗jìn氏不言,儿亦夙夜图之。此非人世,久居诚非所宜。”于是相对汍澜wán lán,生亦含涕而别。

 

 ある晩、莱陽の書生は九娘に尋ねた。「この村は何と言う名前なの?」九娘が言った。「莱霞里と言います。ここには莱陽と栖霞の二ヶ所から来た新たな亡霊がたくさんいるので、こう名付けられました。」書生はそう聞いてため息をついた。女は悲し気に言った。「わたしは千里の外から来た軟弱な霊魂で、帰るべき所も無く、当てもなくさすらっています。わたしたち母子は他に身寄りも無く、身の上話をすれば悲しく心が痛みます。幸いあなたがわたしとの一夕の夫婦生活の恩義を感じていただけるなら、わたしの遺骨を拾ってあなたの一族の墓地に改葬していただければ、わたしは今後子々孫々頼る当てができ、身は死んでもその精神や功績は朽ちて忘れ去られることがなくなるでしょう。」書生はそれを承知した。女が言った。「人と亡霊は住む世界が違います。あなたはここにあまり長く留まられない方が良いのです。」そして羅(うすもの)の靴下を書生に贈り、涙をぬぐい別離を促した。書生はみじめな気持ちで部屋を出ると、悲しみの余りまるで大切なものを失ったかのようになり、心は打ちしおれ、そのまま帰るに忍びなかった。それで途中朱家の門を叩くと、朱は裸足で出て来て出迎え、姪っ子も起きて来たが、彼女の鬢はぼさぼさにほつれ、突然の来訪に驚き、いったいどうしたのか尋ねた。書生がしばらくふさぎこんでいると、ようやく九娘が語り出した。女は言った。「叔母様は言われなかったけど、わたしもかねてからこのことが気になっていたのですよ。ここは人間世界ではありませんから、あなたが長く留まられるのは確かに良くないわ。」そしてお互いに涙が止まらなくなり、書生も涙を浮かべてふたりと別れた。

 

 

叩寓kòu yù归寝qǐn,展转申旦shēn dàn。欲觅九娘之墓,则忘问志表。及夜复往,则千坟累累,竟迷村路,叹恨而返,展视罗袜,着zhuó 风寸断cùn duàn,腐如灰烬huī jìn,遂治装东旋。

 

 莱陽の書生は宿舎の門を叩いて帰ると横になったが、そのまま明るくなるまで寝付けずにいた。彼は九娘の墓を捜そうと思ったが、あいにく墓表や墓碑を聞くのを忘れていた。それで夜になるのを待ってまた墓場へ向かったが、荒れ果てた墳墓が累々と連なり、莱霞里への道も見つからず、悲嘆に暮れて帰って来た。書生は九娘からもらった羅(うすもの)の靴下を取り出して見ると、風が吹いてあっという間に寸断され、灰燼のようにぼろぼろになってしまった。遂に書生は旅装を整えると、東の方角に帰って行った。

 

 

半载zǎi不能自释shì,复如稷门,冀有所遇。及抵南郊,日势已晚,息驾xī jià庭树,趋诣qū yì丛葬cóng zàng所。但见坟兆fén zhào万接,迷目榛zhēn荒;鬼火狐鸣hú míng,骇人hài rén心目。惊悼jīng dào归舍。

 

 半年後、莱陽の書生は九娘のことが忘れられず、また済南府の南門にやって来て、九娘に出会えないかと思った。南郊に着くと、陽はもう暮れようとしていた。庭の木の下で馬車を下り、多くの人が集団で埋葬されたところに急いで向かった。けれども墳墓は互いに連なり合って視線を遮り、一面の荒地になっていた。鬼火がちらつき野狐が鳴き叫び、聞く者を驚かせ肝を冷やした。書生は驚きおののきながら宿舎に帰った。

 

 

失意遨áo游,返辔pèisuí东。行里许,遥见女郎独行丘墓间,神情意致,怪似九娘。挥鞭就视,果九娘。下骑与语,女竟走,若不相识;再逼近之,色作怒,举袖自障。顿呼“九娘”,则烟然灭矣。

 

 莱陽の書生は失意の中漫遊したが、轡(くつわ)を返して東に戻った。行くこと数里にして、遥かに女がひとり、丘の上の墓の間を歩いて行くのが見え、その体つき顔つきが、九娘にたいへんよく似ていた。書生は鞭を振るって馬を走らせ、近づいて見ると、果たして九娘であった。馬を下りて呼びかけたが、女は向こうへ行ってしまい、まるで見ず知らずの間のようであった。書生がまた近づいて行くと、女は怒ったような表情をし、着物の袖を挙げて顔を隠した。書生が急いで「九娘」と呼びかけると、女は煙のように消えてしまった。

 

 

异史氏曰:“香草沉罗,血满胸臆xiōng yì;东山佩玦jué,泪渍泥沙:古有孝子忠臣,至死不谅于君父者。公孙九娘岂以负骸骨hái gǔ之托,而怨怼yuàn duì不释shì于中耶?脾鬲pí gé间物,不能掬以相示,冤yuān乎哉zāi!”

 

 異史氏曰く(以前の『侠女』の時と同じく、作者の蒲松齢が、『史記』の「太史公曰く」を真似て、本文の論評をしている)、「香草(屈原を指す)は羅(ら。汨羅江。べきらこう)に沈み、血は胸臆(きょうおく。胸の内)に満つ。(晋の太子申生は)東山に玦(けつ。古代の装飾品。一部分を欠いた環形の玉。男子が腰にさげる)を佩(お)び、泪(なみだ)は泥沙(でいさ)を漬(ひた)す。古(いにしえ)より孝子忠臣有り、死に至るとも君父に諒(ゆる)されず。公孫九娘は豈(あ)に骸骨の托を負うを以て、而して怨懟(えんつい。恨み)を中に釈(ときあか)さずや?脾(ひ)と膈(かく)の間の物(心の中に秘めた気持ちや決意)は、掬(すく)いて以て相示す能わず、冤(あだ。ぬれぎぬ)ならんや。」

 

 楚の屈原は剛直の士で、降格や左遷に遭っても自らの信義を曲げることがなかったが、国内の親秦派の工作などで日に日に楚の国力が衰えるのを悲嘆し、その恨みを胸に、遂には 汨羅江に身を投げ死んだ。晋の太子申生は、周りの讒言(ざんげん)を受け、父親の献公が彼を東山皋落(こうらく)氏征伐の遠征に軍を率いて向かわせ、彼に別離の象徴の玦(けつ)を帯(おび)させたことから、周囲に彼の廃嫡が顕かになった。このように、古来忠臣の屈原、孝子の申生といえども、君主や父親に赦されることなく死に追いやられてしまった。公孫九娘は、莱陽の書生に自分の骨を墓から拾って書生の一族の墓に改葬してほしいと頼んだが、それが実現できなかった恨みを解いてくれないのか?心の中に秘めた気持ちは外に示すことができない。これはぬれぎぬではないだろうか?

 

 『聊斎志異』4作目は、二十四巻本の巻八に収められた『九娘』です。これは科挙の県試に合格し生員の資格を持つ 莱陽の書生の男と、清初の内乱に巻き込まれて死亡した亡霊の女との間の物語ですが、同じく亡霊の女との色恋の話の『連瑣』がハッピーエンドで終わったのに対し、今回のお話は、一度は結ばれるものの、最後は離別の悲しい結末を迎えます。それでは『聊斎志異』より、『九娘』のお話をお読みください。

 

九娘(その1

 

 

 于七yú qī一案,连坐被诛zhū者,栖霞qī xiá、莱阳lái yáng‌‌‌两县最多。一日,俘数百人,尽戮于演武场中。碧血bì xuè满地,白骨撑天chēng tiān。上官慈悲,捐给棺木,济城jǐ chéng工肄gōng yì,材木一空。以故伏刑fú xíng东鬼,多葬南郊。

 

 于七(うしち)の反乱の失敗後、連座して誅殺された者は、栖霞(せいか)、莱陽(らいよう)の両県(共に現在の山東省煙台市に属する)が最も多かった。ある日、捕虜数百人が、尽く演武場(練兵場のことで、済南市の南門外にあった)で殺戮された。忠義を尽くした者たちの血(碧血。へきぎょく。周の萇弘(ちょうこう)が、君主に忠義をつくしたが信任されず自死し、その血が碧玉になったという故事から)が地面に満ち、白骨が天を撑(ささ)えた。反乱の後始末を担当した役人は、慈悲の気持ちを発し、殺された者のためにお金を出して棺桶の材料を買ってやったので、済南府(済城)の棺桶屋では、木材の在庫が無くなってしまった。このため刑に服し殺された人々は(栖霞、莱陽は魯東地域(魯は山東省南部の旧国名)に位置することから)「東鬼」(鬼は亡霊の意味)と呼ばれ、多くが 済南府の南郊に葬られた。

 

于七一案:于七抗清反乱を指す。于七を楽孟熹と言い、兄弟の七番目であった。明の崇禎帝の時の武科挙の挙人で、山東省栖霞人。清の順治五年(1648、莱陽、栖霞などの県を拠点に抗清の蜂起を行った。康熙元年(1662蜂起は失敗に帰した。清朝は蜂起の起こった地域の人々の虐殺を行い、栖霞、莱陽の両県が最もひどかった。

 

 

 甲寅yín间,有莱阳生至稷下jì xià,有亲友二三人亦在诛zhūshù‌,因市楮帛‌chǔ bó,酹奠lèi diàn榛墟zhēn xū。就税舍shuì shè于下院之僧。

 

 甲寅年間(康熙十三年、西暦で1674年)、 莱陽のひとりの書生が稷下(しょくか。今の山東省淄博(しはく)市臨淄(りんし)区のことだが、ここでは済南を指す)にやって来た。彼の親友も何人かがここで殺されたので、紙銭を買い、草木の生い茂った荒野の墓地に行き、死者の弔いをした。書生は寺の子院の僧房を借りてそこに住んだ。

 

 

 明日,入城营干yíng gàn,日暮未归。忽一少年,造zào室来访。见生不在,脱帽登床,着履zhuó lǚ仰卧yǎng wò。仆人pú rén问其谁何,合眸hé mù不对bù duì。既而生归,则暮色朦胧,不甚可辨。自诣床下问之。瞠目‌chēng mù曰:“我候hòu主人,絮絮逼问xù xù bī wèn,我岂 暴客bào kè!”生笑曰:“主人在此。”少年即起着冠,揖而坐,极道寒暄hánxuān。听其音,似曾相识。急呼灯至,则同邑朱生,亦死于于七之难zhī nàn者。大骇dà hài‌,却走。朱曳之云:“仆与君文字交。何寡guǎ于情?我虽鬼,故人之念,耿耿gěng gěng‌不去心。今有所渎,愿无以异物yì wùsuì猜薄cāi báo‌之。”生乃坐,请所命。曰:“令女甥‌lìng nǚ shēng寡居无耦guǎ jū wú ǒu,仆欲得主zhǔ中馈zhōng kuì。屡通媒妁méi shuò,辄zhé以无尊长zūn zhǎng之命为辞。幸无惜wú xī 齿牙馀惠chǐ yá yú huì。”

 

 翌日、莱陽の書生は用事を済ませに済南の城内に行き、日暮れになっても帰って来なかった。突然ひとりの少年が訪ねて来た。書生が不在だと知ると、帽子を脱いで寝台に上がり、靴を履いたまま仰向けに横になった。召使が少年にどなたかと尋ねたが、瞼を閉じて答えなかった。しばらくして書生が帰って来たが、夕闇であたりは朦朧となり、少年の姿をはっきりと見分けることができなくなっていた。書生が自ら寝台の傍まで行って尋ねると、少年は目を見張って言った。「わたしはあなたのご主人をお待ちしているんだ。くどくどと何度も詰問して、まさかわたしが強盗だと思っているんじゃないかね。」書生が笑って言った。「主人はここにいるよ。」少年はすぐに起き上がると冠を付け、手を前で組んで拱手の礼をして座ると、慇懃に挨拶をした。少年の声を聞いてみると、以前どこかで会ったような気がした。急いで召使にランプを持って来させて見てみると、同じ県の(科挙の県試に合格した)生員仲間の朱であったが、彼もまた 于七の反乱の時に亡くなっていた。大いに驚き、そこから逃げ出そうとすると、朱が書生の身体を引いて言った。「わたしは君と詩文を通じて友情を温めて来たのに、君はどうしてそんなに薄情なんだい?わたしは幽霊だけど、旧友への思いは常に心にあって忘れたことが無い。今君を怒らせてしまったが、どうかわたしが幽霊だからといって見下さないでほしいんだ。」書生はそれで席に着くと、用件を聞いた。朱が言った。「あなたの姪御さんが独り身でおられるので、わたしが嫁に貰いたいと思い、何度も仲人を通じて申し込んでいるのですが、その度に目上の方の同意が貰えないと言って断られるのです。どうかわたしのため、ケチらずあれこれわたしを褒めるようないいことを言ってください。」

 

 

 先是,生有甥shēng女,早失恃shī shì,遗生yí shēng鞠养jū yǎng,十五始归其家。俘至济南Jǐ nán,闻父被刑,惊恸‌jīng tòng‌而绝。

 

 元々、莱陽の書生には姪っ子がいたが、 早くに母親を亡くし、叔父に引き取られて養われ、十五歳になって生家に戻ってきたのだった。官兵に捕えられ、捕虜として済南に送られ、父親が処刑されたと聞き、驚き悲痛に暮れて死んでしまった。

 

 

 生曰:“渠自有父,何我之求?”朱曰:“其父为wèi犹子yóu zǐ启榇qǐ chèn去,今不在此。”问:“女甥nǚ shēng向依阿谁ā shuí?”曰:“与邻媪lín ǎo同居。”生虑生人shēng rén不能作鬼媒méi。朱曰:“如蒙金诺jīn nuò,还屈玉趾yùzhǐ 。”遂suì 起握生手。生固辞,问:“何之?”曰:“第行!”勉从与去。

 

 莱陽の書生が言った。「彼女には自分の父親がいるのに、どうしてわたしに同意を求めるんだ?」朱生が言った。「彼女の父親は甥っ子によって改葬されたんで、今はここ(朱と同じあの世)におられないんだ。」書生が尋ねた。「姪御さんはどなたを頼りにされているの?」朱が言った。「隣のお婆さんと同居しているよ。」書生は生きた人間では亡霊への仲人は務まらないのではないか心配した。朱が言った。「もし君に承諾していただけるなら、更にご同行いただかないといけない。」そう言って立ち上がると、書生の手を握った。書生は断固としてそれを辞退し、尋ねた。「いったいどこに連れて行こうとしているの?」朱が言った。「ただついて来てくれればいいから。」書生はいやいやながら朱について行った。

 

 

 北行里许,有大村落,约数十shù shí百家。至一第宅dì zhái,朱叩扉kòu fēi,即有媪ǎo出,豁huō开二扉fēi‌,问朱:“何为?”曰:“烦达fán dá娘子niáng zǐ,阿舅ā jiù至。”媪旋反xuán fǎn,须臾xū yú复出,邀yāo生入。顾朱曰:“两椽liǎng chuán茅舍子máo shè zi,大隘dà ài,劳公子láo gōng zǐ门外少坐候。”生从之入。见半亩荒庭,列小室二。甥shēng女迎门啜泣chuò qì,生亦泣。

 

 北の方に一里余り行くと、大きな村落があり、およそ何十軒から百軒余りの家屋はあった。最初の住宅に着いて、朱が門を叩くと、老婆が出て来て、門扉を開け、朱に尋ねた。「何かご用かね?」朱が言った。「どうかお嬢さんにお伝えください、叔父さんが来たと。」老婆はすぐに中に入ると、程なくして出て来て、莱陽の書生を家に入らせた。書生は朱の方を振り返って言った。「二間の茅葺屋根の家で、とても狭いから、申し訳ないがあなた、門の外でしばらく座って待っていてください。」書生は老婆に従い中に入った。すると、狭苦しい荒れ果てた庭に、二間の小屋が並んでいた。姪っ子は書生を小屋の入口で出迎え、すすり泣いていたので、書生ももらい泣きをした。

 

 

 室中灯火荧yíng然。女貌秀洁xiù jié如生时。凝眸níng móu含涕hán tì,遍问biàn wèn妗姑jìn gū。生曰:“具各无恙yàng,但荆人jīng rén物故wù gù。”女又呜咽wū yè曰:“少shǎo受舅妗jìn‌抚育fǔ yù,尚无寸报,不图先葬zàng沟渎gōu dú,殊shū为恨恨hèn hèn。旧年,伯伯家大哥迁父去,置儿不一念;数百里外,伶仃líng dīng如秋燕。舅‌jiù不以沉魂chén hún可弃,又蒙赐金帛jīn bó,儿已得之矣。”生乃以朱言告,女俯首无语。媪曰:“公子曩nǎng托杨姥yáng lǎo三五返。老身谓是大好;小娘子不肯自草草,得舅为政,方此意慊qiè‌得。”

 

 部屋の中は(かす)な灯りで薄暗かった。女の容貌は清らかで美しく、まるで生きているかのようであった。涙を浮かべた目で書生をじっと見つめながら、莱陽の書生に叔母様たちは元気にされているかと尋ねた。書生は言った。「皆元気にしておりますが、わたしの妻は亡くなりました。」女はまたむせび泣いて言った。「小さい時から叔父様、叔母様の養育を受けましたのに、そのご恩にまだ少しもお応えできていません。それなのに図らずもわたしの方が先に谷間に葬られることになってしまい、本当に悔しくてなりません。昨年、あちらの叔父(父の兄)の家では一家の長が父を改葬しましたが、わたしはここに置いてきぼりにされ、一顧だにされませんでした。わたしひとり数百里の外に残され、寂しくひとりぼっちであること、秋の燕のようです。叔父様はわたしがあの世にひとりでいる亡霊だからといって捨て置くことはされず、却って紙銭を燃やしてお祭りくださり、わたしはもうそれを受け取りました。」書生はそれで、朱生があなたを嫁に貰いたいと言ったことを告げると、女は俯(うつむ)いて何も言わなかった。老婆が言った。「朱の若様はこれまでこの楊の婆(ばば)に再三そのことを頼みに来られました。婆はこの縁談はたいへん良いと申し上げたのですが、お嬢様は自分で軽々しく決めてしまうことを良しとされず、あなた様がお決めくだされば、その時は喜んでお受けすると申されています。」

 

 

 言次,一十七八女郎,从一青衣,遽掩入yǎn rù;瞥piē见生,转身欲遁dùn。女牵其裾曰:“勿须尔!是阿舅,非他人。”生揖之。女郎亦敛衽liǎn rèn。甥shēng曰:“九娘,栖霞qī xiá公孙氏。阿爹故家子gù jiā zǐ,今亦‘穷波斯’,落落不称意。旦晚dàn wǎn与儿还往。”生睨之,笑弯秋月,羞晕xiū yūn朝霞zhāo xiá,实天人也。曰:“可知是大家,蜗庐wō lú人那如此娟juān好。”甥笑曰:“且是女学士,诗词俱大高。昨儿稍得指教。”九娘微哂shěn曰:“小婢无端败坏人,教阿舅齿冷chǐ lěng也。”甥又笑曰:“舅断弦xián未续,若个小娘子,颇能快意否?”九娘笑奔出,曰:“婢子颠疯diān fēng作也!”遂去。言虽近戏,而生殊爱好之。甥似微察,乃曰:“九娘才貌无双,舅倘tǎng不以粪壤fèn rǎng致猜cāi,儿当请诸其母。”生大悦。然虑人鬼难匹。女曰:“无伤,彼与舅有夙分。”生乃出。女送之,曰:“五日后,月明人静,当遣人往相迓。”

 

 そう話していると、歳の頃が十七八の娘が、ひとりの召使の女を従え、いきなりそっと部屋に入って来た。書生を一瞥するや、身を翻して逃げて行こうとした。女が娘の裾を引っ張って言った。「逃げなくていいのよ。この方はわたしの叔父で、他人ではないから。」莱陽の書生は両手を前で組んで拱手の礼をした。娘の方でも上着のおくみを揃える礼(斂衽liǎn rèn:婦女子の礼)をした。姪っ子が言った。「この娘は九娘(一族の同じ世代の九番目の女子)と言って、栖霞(せいか)県の公孫氏の一族の方です。お父様は代々仕官されているお家の子孫ですが今はまた没落されてしまい窮波斯qióng bō sī。古代のペルシャ商人は東西交易で巨万の富を築き羽振りが良かったので、金持ちがその後没落し窮乏していることを譬えている、心中鬱々として喜ばれないのです。早晩あなた様との往き来も出てまいりましょう。」書生が娘を横目で見ると、笑うと眉毛が秋の夜の月のように美しく弧を描き、恥じらうと頬が朝の霞みのように赤く染まり、実に天上の仙女のようであった。書生が言った。「この方が大家のお嬢様であることが分かりました。そこいらの小さな家の娘がこんなに容貌が美しい訳が無い。」姪っ子が笑って言った。「しかも女学生であらせられるので、詩歌にも造詣が深いんですよ。昨日もわたし、少々ご指導を受けました。」九娘が少し微笑んで言った。「あなたって人は訳もなく人の名誉を傷つけるんだから。叔父様にも呆れられるわよ。」姪っ子がまた笑って言った。「叔父様は奥様を亡くされてからまだ後添いをもらわれていないの。もし良い娘がいたら、きっと満足されるに違いないわ。」九娘は笑って走り出て、「この子ったらいい加減な事を言って!」と言って、行ってしまった。こうしたやりとりは、冗談を言い合っているようにも聞こえたが、書生は殊の外九娘のことが気に入った。姪っ子は微かにそれを察し、それで言った。「九娘は才能も容貌も他と比べようもない程すばらしいですわ。叔父様がもしこの子がもう亡くなった亡霊だからといって信用なさらないのでなければ、わたしが代わりにこの子のお母さんに結婚のお願いをしてもいいですよ。」書生はそう聞いて、大いに喜んだ。然るに人間と亡霊では結婚が難しいのではないか心配した。すると甥っ子が言った。「大丈夫ですわ。あの子と叔父様にはご縁があります。」書生はそれで部屋から出て行った。姪っ子はそれを見送り、そして言った。「五日後に、月明かりが輝き人々が寝静まりましたら、わたしが人を遣ってあなたをお迎えに上がります。」

 

 

 生至户外,不见朱。翘首qiáo shǒu西望,月衔yuè xián半规bàn guī,昏黄中犹认旧径。见南面一第,朱坐门石上,起逆曰:“相待已久,寒舍hán shè即劳垂顾chuí ɡù。”遂携手入,殷殷展谢。出金爵jīn jué一、晋珠jìn zhū百枚méi,曰:“他无长物zhǎng wù,聊liáo代禽仪qín yí。”既而曰:“家有浊醪zhuó láo,但幽室yōu shì之物,不足款kuǎn嘉宾jiā bīn,奈何!”生㧑huī谢而退。朱送至中途,始别。生归,僧sēng集问。生隐之曰:“言鬼者,妄wàng也。适赴友人饮耳ěr。”

 

 莱陽の書生が門の外に出ると、朱生の姿が見えなかった。頭(こうべ)を巡らせ西の方を望むと、半月の月が懸かっていて、ほの暗い月明りの中、なお元来た道を確かめることができた。南に面した一軒の屋敷を見ると、朱が門の脇の石の上に座っていた。書生の姿を見ると、急いで立ち上がって言った。「君をずっと待っていたよ。どうかわたしのあばら家に、ちょっと座っていってくれたまえ。」そう言って手を携え屋敷に入ると、朱生は慇懃に書生にお礼を言った。朱は金製の爵(古代の酒器)をひとつ、晋(山西省)で採れた真珠百粒を取り出して、言った。「我が家には余分な財産も無いので、とりあえずこれらの物で結納の品に代えたいのだが。」朱がまた言った。「この家には濁り酒はあるんだが、ひとり閑居するためのもので、お客様をおもてなしするものが無く、どうしようもないんだ。」書生は暇乞いをすると、帰って行った。朱は途中まで送り、そこで改めて別れた。書生が寺に帰ると、坊さんと召使が一緒にどうしたのか尋ねた。書生は本当のことを隠して言った。「亡霊のことを言っても、信じてもらえない。友人の所へ行って酒を飲んでいたと言うしかないな。」

 

 投稿できる字数を越えてしまいました。続きは次回、投稿します。

 『聊斎志異』三作品目です。『青鳳』は狐、『侠女』は任侠に生きる女がヒロインでしたが、今回の『連瑣』のヒロインは幽霊です。 連瑣がそのヒロインの女の名前。彼女は今から二十年前、十七歳の時に急病で死んでしまい、幽霊として書生の楊于畏の前に現れます。この連瑣に出会った 楊于畏が、冥界で嫌な男に妾になるよう迫られた連瑣を助けてやり……。『聊斎志異』巻六『連瑣』をご覧ください。

 

 

連瑣

 

 

 杨于畏,移居泗水sì shuǐ之滨bīn。斋zhāi临旷野kuàng yě,墙外多古墓,夜闻白杨萧萧xiāo xiāo ,声如涛涌tāo yǒng。夜阑yè lán秉烛bǐng zhú,方复凄断qī duàn。忽墙外有人吟曰:“玄夜凄风却倒吹,流萤yíng惹草复沾zhānwéi。”反复吟诵yín sòng,其声哀楚āi chǔ。听之,细婉xì wǎn似女子。疑之。明日,视墙外,并无人迹。惟有紫带一条遗荆棘jīng jí中,拾归,置诸窗上。向夜二更许,又吟如昨。杨移杌登望,吟顿辍chuò。悟其为鬼,然心向慕之。次夜,伏伺fú sì墙头。一更向尽,有女子珊珊shān shān自草中出,手扶小树,低首哀吟。杨微嗽sòu,女忽入荒草而没。杨由是伺诸墙下,听其吟毕,乃隔壁而续之曰:“幽情yōu qíng苦绪kǔ xù何人见?翠袖cuì xiù单寒dān hán月上时。”久之,寂然jì rán

 

 楊于畏(よううい)は泗水(しすい。山東省泗水県を源流に流れる河川)の川辺(濱bīn。水辺、みぎわ)に引っ越して来た。書斎は広々とした原野に面し、屋敷の外壁の外には古い墓が多く、夜にはモウハクヨウ(毛白楊。ポプラの一種)が風に吹かれてサラサラという音が聞こえ、その音はまるで波濤が逆巻くようであった。夜更けに灯りを点すと、また気持ちが物悲しく感じられた。ふと壁の外から誰かが詩を吟じるのが聞こえた。「漆黒の夜に骨身に染みる冷風が繰り返し吹きすさぶ、空を舞う螢は草むらをかすめてまた帷(とばり)に近づく。」繰り返し朗誦するその声は物悲しかった。聞こえてくるその声は、細やかで柔らかく女のようであった。彼は心中不思議に思った。翌日、壁の外を見ると、全く人の歩いた跡は無く、ただ紫色の帯が一本荊(いばら)の中に残っていて、それを拾って帰ると、それ(「諸」は「之于」)を窓の上に置いた。夜になって二更(21時から23時)頃、また昨日と同様詩を吟じるのが聞こえた。楊は腰かけを持って来てそれに登って見渡すと、詩を詠む声が突然止まった。楊はそれが亡霊の仕業だと悟ったが、それでも内心その声に心惹かれた。翌日の夜、壁の端に隠れてそちらを覗き見た。一更(19時から21時)の終わり頃、ひとりの女がゆっくりと草むらの中から姿を現した。手で小さな樹につかまり、頭を下げて悲し気に詩を吟じた。楊が軽く咳払いをすると、女は俄(にわ)かに草むらに入ると姿を消した。楊はこのため壁の下で待っていたが、女が詩を吟じ終えると、壁を隔ててそれに続けてこう言った。「深き思い、つらい気持ちを、誰が分かってくれるだろう。翠(みどり)の袖の単衣(ひとえ)を纏い、寒々とした月の上(のぼ)る時。」しばらく時が経ったが、壁の外は静まり返ったままだった。

 

 

 杨乃入室。方坐,忽见丽者自外来,敛衽liǎn rèn曰:“君子固风雅‌fēng yǎ‌士,妾qiè乃多所畏避wèi bì。”杨喜,拉坐。瘦怯shòu qiè凝寒,若不胜shēng 衣。问:“何居里,久寄此间?”答曰:“妾陇西‌lǒng xī‌人,随父流寓。十七暴疾殂谢cú xiè‌,今二十余年矣。九泉荒野,孤寂如鹜。所吟,乃妾自作以寄幽恨者。思久不属zhǔ;蒙君代续,欢生泉壤quán rǎng。”杨欲与欢。然曰:“夜台朽骨,不比生人,如有幽欢,促人寿数。妾不忍祸君子也。”杨乃止。戏以手探胸,则鸡头之肉,依然处子chǔ zǐ。又欲视其裙下双钩。女俯首笑曰:“狂生太罗唣luó zào矣!”杨把玩之,则见月色锦袜,约彩线一缕。更视其一,则紫带系之。问:“何不俱带?”曰:“昨宵畏君而避,不知遗落何所。”杨曰:“为卿qīng‌易之。”遂即窗上取以授女。女惊问何来,因以实告。女乃去线束带。既翻案上书,忽见《连昌宫词》,慨然kǎi rán曰:“妾生时最爱读此。今视之,殆dài‌如梦寐mèng mèi!”与谈诗文,慧黠huì xiá可爱。剪烛西窗,如得良友。

 

 楊于畏はそれで書斎に戻った。座るやいなや、ふと美しい女性が外から入って来るのが見えた。女は服の前おくみを揃える礼をすると、言った。「あなたは本当に教養があって上品な方だから、わたしは畏れ多いと思って避けていました。」楊は喜び、女を引っ張って来て座らせた。身体は瘦せこけ、怯(おび)えているような表情で身体を震わせ、服の重みにも耐えがたいかのようだった。楊は女に尋ねた。「あなたはどちらのご出身ですか、こちらに来てどれくらいになるんですか?」女は答えて言った。「わたしは隴西(甘粛省隴西県。甘粛省東南部)の人間で、父に随いこの地に流れて来ました。十七歳の時急病でこの世を去り、もう二十年余りになります。九泉(よみの国。あの世)の荒野では群れからはぐれた野鴨のように、頼る者も無く、ひとり寂しくしていました。吟じておりましたのは、わたし自ら作った、心の奥に潜めた恨みに寄せる詩なのですが、思索が続かずにいました。あなたがわたしに代わって続きを詠んでいただいたので、わたしはあの世からでも嬉しく思います。」楊は女を抱きしめて男女の営みをしようとした。女は眉を顰めて言った。「わたしの身体は死んで墓場の中に埋められ、身体は朽ちて骸骨になっています。この世で生きている方とは違い、もし密かに男女の営みをしますと、相手の方の寿命を縮めることになります。わたしはこのことであなたに禍(わざわい)が及ぶに忍びません。」楊はそれで行為を止めた。戯れに手で女の胸をまさぐると、乳首は新鮮な慈姑(くわい)の実のようで、女はまだ処女であった。また女のスカートの下の両足を見たいと思った。女は俯(うつむ)いて笑って言った。「この度助べえ、なにそんな大騒ぎをして!」楊がこれをじっくり眺めると、月のように白く輝く錦の靴下が見え、色のついた一本の絹糸で結ばれていた。更にもう一方を見ると、紫の帯で結ばれていた。楊が尋ねた。「どうして帯で結ばないの?」女が言った。「昨晩あなたが怖くて身を隠した時に、どこかで落としてしまったんです。」楊が言った。「おまえのためにそれと交換してあげよう。」それで窓の上に置いてあった帯を取って女に渡した。女は驚いてどこにあったか尋ねたので、楊は正直に答えた。女はそれで絹糸を外して、帯を結んだ。女はテーブルの上の本をめくっていたが、ふと『連昌宮詞』(唐代の元稹作の七言の長篇叙事詩)を見つけたので、感慨深げに言った。「わたしが生きていた時、これらの詞を読むのが最も好きだったの。今これが読めるなんて、まるで夢のようだわ。」女と詩文を論じていると、彼女の聡明で博学なのが分かり、また彼女のことが好きになった。楊は女と共に西側の窓の下で蝋燭の芯を切りながら読書し(李商隠『夜雨寄北』の一節「何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時」が下敷きにある)、良き友を得たかのようであった。

 

 

 自此每夜但闻微吟,少顷即至。辄zhézhǔ曰:“君秘勿宣。妾少shào胆怯dǎn qiè,恐有恶客wù kè见侵jiàn qīn。”杨诺之。两人欢同鱼水,虽不至乱,而闺阁guī gé之中,诚有甚于画眉者。女每于灯下为杨写书,字态端媚duān mèi。又自选宫词百首,录诵lù sòng之。使杨治棋枰qí píng,购琵琶pí pa。每夜教杨手谈shǒu tán,不则挑弄tiǎo nòng弦索xián suǒ。作“蕉窗零雨”之曲,酸人胸臆xiōng yì;杨不忍卒听,则为“晓xiǎoyuànyīng声”之调,顿觉心怀畅适chàng shì。挑灯tiǎo dēng作剧zuò jù,乐辄忘晓。视窗上有曙shǔ色,则张皇zhāng huángdùn去。

 

 それからというもの、毎晩微かに詩を吟じるのが聞こえると、しばらくして女がやって来た。女はいつも楊于畏にこう言い含めた。「このことは秘密にして、他の人には決して言ってはだめよ。わたしは小さい時から臆病で、悪い客にいじめられるのが怖かったの。」楊は承諾した。ふたりは水を得た魚のように楽しみ、身体を重ねることはなかったが、閨房の中では、真に妻のために眉を描いてやるよりもっと親密(漢書の『張敞伝』の話が下敷きにある)であった。女はいつもランプの下で楊のために書籍から詩文を書き写してやったが、その字体は端正で優美であった。また自分で宮詞百首を選定し、それらを書き出し、朗読した。楊に囲碁の碁盤を用意させ、琵琶を買って来させた。毎晩楊に囲碁の対局(手談shǒu tán)か、そうでなければ琵琶をつま弾くのを教えた。女は『蕉窓零雨』(窓を隔てて庭の芭蕉の葉に降る雨の音が聞こえるという境地を著した曲)の曲を作ったが、それは聞く者の胸のを締め付け、悲しみを誘い、楊は最後まで聞くことができなかった。それで女は今度は『暁苑鶯声』(早朝の庭園に鶯の鳴き声が響き渡るという境地を著した曲)を弾いて調べを変えると、にわかに楊の気持ちは心地よく愉快になった。ふたりは灯火の下で冗談を言い合い、楽しさの余り夜が明けるのも忘れた。窓から黎明の陽の光が射すのが見えると、女は慌ててこそこそ逃げ帰った。

 

 

 一日,薛生造访,值杨昼寝。视其室,琵琶、棋局俱在,知非所善。又翻书得宫词,见字迹端好,益疑之。杨醒,薛问:“戏具何来?”答:“欲学之。”又问诗卷,托以假诸友人。薛反复检玩,见最后一叶细字一行云:“某月日连琐书。”笑曰:“此是女郎小字,何相欺之甚?”杨大窘jiǒng,不能置词。薛诘jié之益苦,杨不以告。薛卷juǎnxié之,杨益窘,遂告之。薛求一见。杨因述所嘱。薛仰慕yǎng mù殷切yīn qiè;杨不得已,诺之。夜分,女至,为致意焉。女怒曰:“所言伊何?乃已喋喋dié dié向人!”杨以实情自白。女曰:“与君缘尽矣!”杨百词慰解,终不欢,起而别去,曰:“妾暂避之。”

 

 ある日、薛生(薛という名の生員。県試の合格者)がやって来ると、ちょうど楊于畏は昼寝をしていた。部屋の中を見ると、琵琶や囲碁の道具が並んでいたが、薛は楊がこういうものが得意ではないことを知っていた。また本をめくってみると宮詞を書いた紙を見つけた。見ると字の筆跡が端正で綺麗で、益々不思議に思った。楊が目覚めると、薛が尋ねた。「これらの遊び道具(琵琶や碁盤)はどうしたんだい?」楊が答えた。「ちょっと学ぼうと思ってね。」薛はまた詩集はどうしたのか尋ねると、楊は友人から借りたと答えた。薛は何度もページをひっくり返して細かく内容を見ていたが、最後の1ページに細かい字でこう書かれているのを見つけた。「某月某日連瑣が記(しる)す。」それで薛は笑って言った。「これは女性の幼名じゃないか。どうしてこんな嘘を言って騙すんだい。」楊はたいへん困って、言葉が出なかった。薛は益々強く詰問したが、楊は本当のことを言うことができなかった。薛が詩集の巻物を巻いて持って行こうをしたので、楊は益々困り果て、遂に本当のことを彼に話した。薛はその女に一目会いたいと言った。楊はそれで彼女に言いつけられたことを話した。薛は心の底からなんとか会わせてくれと懇願した。楊はそれでやむを得ず、承諾した。夜になって、女がやって来ると、楊はこのことを伝えた。女は怒って言った。「あなたにどう言いましたっけ?それなのに、他人にベラベラ話してしまうなんて!」楊はその時の実際の状況を説明した。女が言った。「あなたとのご縁ももう尽きました!」楊はあれこれ様々に理由を説明して女の怒りを解こうとしたが、結局女の機嫌を直すことができず、女は立ち上がるとお別れの言葉を口にした。「わたしはしばらく身を隠すことにしますわ。」

 

 

 明日,薛来,杨代致其不可。薛疑支托zhī tuō,暮与窗友二人来,淹留yānliú不去,故挠náo之:恒终héng zhōng夜哗huá,大为杨生白眼,而无如何。众见数夜杳然yǎo rán,浸有去志,喧嚣xuān xiāo渐息。忽闻吟声,共听之,凄婉qī wǎn欲绝。薛方倾耳神注,内一武生王某,掇duō‌ 石投之,大呼曰:“作态不见客,甚得好句,呜呜恻恻wū wū cè cè‌,使人闷损mèn sǔn!”吟顿止。众甚怨之。杨恚愤huì fèn见于词色。次日,始共引去。杨独宿空斋kōng zhāi,冀女复来,而殊shū无影迹yǐng jì

 

 翌日、薛生が来たので、楊于畏は代わりに女が会いたくないと言ったことを告げた。薛は楊がわざといい加減に口実を設けていると疑い、夕方、県学で同じ生員の友人とふたりでやって来て、そのまま居座って帰らず、わざと楊の邪魔をし、一晩中大騒ぎをし、大いに楊生を怒らせ白い目で見させたが、どうしようも無かった。友人たちは幾晩も続けて女が姿を現さなかったので、次第に関心も失せ、騒ぎも次第に収まった。ふと詩を吟じる声が聞こえ、皆でこれを聞くと、この上なく物悲しかった。薛方は耳をそばだて傾聴していたが、友人たちの中で武生(武科挙の県試を合格した生員)の王某が、巨石を持ち上げてそれを投げつけ、大声で叫んで言った。「わざともったいぶって客に会わず、こんな佳い句を吟じたとて、エンエンむせび泣いて、気が滅入るだけだ!」詩を吟じる声はたちまち止まってしまった。皆は王生をたいへん恨んだ。楊于畏は怒気が顔色に顕れた。翌朝、ようやく皆はそこを引き揚げた。楊于畏はひとり書斎に残り、連瑣がまた会いに来てほしいと望んだが、全く彼女の影も形も見ることができなかった。

 

 

 逾二日,女忽至,泣曰:“君致恶宾,几吓煞妾!”杨谢过不遑huáng。女遽jù‌出,曰:“妾固谓缘分尽也,从此别矣。”挽wǎn之已渺miǎo。由是月余更不复至。杨思之,形销xiāo 骨立,莫可追挽wǎn

 

 また二日経って、女が突然やって来て、泣きながら言った。「あなたが悪い客を連れて来られるから、わたしは死ぬほどびっくりしました。」楊于畏は慌てて謝った。女はそそくさと外に出ると、言った。「わたしはもうとっくにあなたとのご縁は尽きたと申し上げました。これより永久にお別れします。」楊は彼女を引き留めようと思ったが、もう影も形もなかった。これよりひと月余り経ち、女はもう再びやって来なかった。楊は連瑣のことを思う余り、身体がゲッソリ痩せて骨と皮だけになってしまったが、もはや彼女を追いかけ連れ戻すことはできなかった。

 

 

 一夕,方独酌zhuó,忽女子搴帏qiān wéi‌入。杨喜极,曰:“卿qīng见宥yòu?”女涕垂膺chuí yīng,默不一言。亟问之,欲言复忍,曰:“负气去,又急而求人,难免愧恧kuì nǜ。”杨再三研诘yán jié,乃曰:“不知何处来一龌龊wò chuò,逼充媵yìng妾。顾念清白裔,岂屈身qū shēn舆台yú tái之鬼?然一线弱质,乌能抗拒?君如齿妾chǐ qiè在琴瑟qín sè之数,必不听自为生活。”杨大怒,愤将致死;但虑人鬼殊途,不能为力。女曰:“来夜早眠,妾邀君梦中耳。”于是复共倾谈qīng tán,坐以达曙dá shǔ。女临去,嘱勿昼眠,留待夜约。杨诺之。

 

 ある晩、楊于畏がちょうどひとり座って酒を飲もうとしていると、突然女が帷(とばり)をまくり上げて入って来た。楊はたいへん喜び、言った。「あなた、わたしを赦してくださらない?」女は涙の雫が胸元に垂れていたが、黙って一言も語らなかった。楊は何度も連瑣に尋ねたが、彼女は何度か口を開くのだが、恥ずかしくて言うに忍びなく、こう言った。「わたしが意固地になって出て行きましたのに、また急な事情でなすすべも無くなり、あなたにおすがりするのは、お恥ずかしい限りです。」楊が何度も繰り返し問い質すと、連瑣はようやく言った。「どこから来た品の無い下劣な(齷齪wò chuò)小役人()か存じませんが、わたしに妾(めかけ)になれと迫るのです。わたしは代々品行方正な家柄の子孫(清白裔)でありますのに、どうしてわざわざ卑賎な奴婢如きの亡霊に身をやつさないといけないのでしょう?けれどもか弱い女の身、どうしてそれに抗(あらが)うことができましょう。あなたがもしわたしを夫婦だと認めてくださるなら、きっと知らぬ顔はなさらないでしょう。」楊は大いに腹を立て、相手を殺してしまわんばかりに憤慨した。けれどこの世とあの世では世界が違うので、力になれないのではないかと心配した。女が言った。「夜になったら、あなたは早く休んでください。わたしは夢の中であなたにお願いに上がります。」そしてふたりはまた仲睦まじく語り合い、そのまま夜明けまで座っていた。女はそこを去るに当り、昼間は眠らず、夜の約束まで待っているよう言いつけた。楊はこれを承諾した。

 

 

 因于午后薄饮,乘醺xūn登榻,蒙衣méng yī偃卧yǎn wò。忽见女来,授以佩刀pèi dāo,引手去。至一院宇yuàn yǔ,方阖门hé mén语,闻有人掿nuò石挝zhuā门。女惊曰:“仇人至矣!”杨启户qǐ hù骤出zhòu chū,见一人赤帽青衣,猬毛wèi máo绕喙rào huì。怒咄duō之。隶横目相仇,言词凶谩。杨大怒,奔之。隶捉石以投,骤如急雨,中杨腕,不能握刃。方危急所,遥见一人,腰矢野射。审视之,王生也。大号乞救。王生张弓急至,射之,中股;再射之,殪。杨喜感谢。王问故,具告之。王自喜前罪可赎shú,遂与共入女室。女战惕zhàn tì羞缩xiū suō,遥立不作一语。案上有小刀,长仅尺余,而装以金玉,出诸匣,光芒guāng máng鉴影jiàn yǐng。王叹赞不释手。与杨略话,见女惭惧cán jù可怜,乃出,分手去。杨亦自归,越墙而仆,于是惊寤jīng wù,听村鸡已乱鸣矣。觉腕中痛甚,晓而视之,则皮肉赤肿。

 

 翌日の午後、楊于畏は少しばかり酒を引っかけ、酔った勢いで床に入り、服を着たままで眠りについた。ふと女が来るのが見え、楊に腰に挿す刀を授けると、手を引いて出かけた。とある屋敷に着き、ふたりがちょうど門を閉めて話をしていると、ふと誰かが石を持って門を叩くのが聞こえた。女は驚いて言った。「仇が来ました。」楊が扉を開け急いで出てくると、ひとりの赤い帽子に青い上着の役人の装束の男の姿が見えた。男は口の周りにハリネズミのような堅い髭を生やしていた。楊は怒ってこの男を叱りつけた。その小役人の男は楊を仇のように睨みつけ、酷く傲慢な口をきいた。楊は大いに怒り、男の方に向かって行った。小役人は石を掴むとそれを投げつけ、それがまるでにわか雨のように急に次々投げられて来たので、それが楊の腕に当り、刀を握ることができなくなった。ちょうど危急な状況であったところ、遠くでひとりの男の姿が見え、腰には弓矢を提げていた。この男をよく見ると、武生の王であった。それで大声で助けてくれと叫んだ。王生は弓を引いて急いで近づき、小役人に向け弓を射ると、その太ももに当った。再度弓を射ると、小役人は死んだ。楊は喜んで王生に礼を言った。王がどうしたのか尋ねたので、楊はつぶさに事情を説明した。王はこの前女を怒らせた罪は赦してもらえると知り喜び、遂に王は楊と一緒に女の部屋に入った。女は恐怖でブルブル震え、恥ずかしくてたじろき、遠くに突っ立って一言も言葉を発しなかった。テーブルの上には小刀が置かれていたが、その刃渡りは一尺余り(30センチ強)に過ぎなかったが、金や玉で装飾されていた。箱から取り出してその刀を見ると、刃先はキラキラ輝き、人の姿を映し出した。王はこの小刀がとても気に入り、手放すことができなかった。王が楊と二言三言話をしていると、女は恥ずかしがり、また可哀そうなほど怖がって、そこを出て行ったので、ふたりはそこで別れた。楊もまたひとりで帰り、壁を越えたところで前に転んでしまい、それで驚いて夢から目覚めた。村の雄鶏がもう朝を告げて盛んに鳴いているのが聞こえた。腕がとても痛むので、明るくなってからそこを見てみると、腕の皮膚が赤く腫れていた。

 

 

 亭午,王生来,便言夜梦之奇。杨曰:“未梦射否?”王怪其先知。杨出手示之,且告以故。王忆梦中颜色,恨不真见;自幸有功于女,复请先容。夜间,女来称谢。杨归功王生,遂达诚恳。女曰:“将伯之助qiāng bó zhī zhù,义不敢忘。然彼赳赳jiū jiū,妾实畏之。”既而曰:“彼爱妾佩刀。刀实妾父出使粤中,百金购之。妾爱而有之,缠chán以金丝,瓣bàn以明珠。大人怜lián妾夭亡yǎo wáng,用以殉葬xùn zàng。今愿割爱gē ài相赠zèng,见刀如见妾也。”次日,杨致此意。王大悦。至夜,女果携刀来,曰:“嘱伊珍重,此非中华物也。”由是往来如初。

 

 お昼になり、王生がやって来て、昨晩奇妙な夢を見たと話し出した。楊于畏が言った。「夢の中で弓矢を射らなかったかい?」王はどうして楊が先にそれを知っているのか不思議に思った。楊は腕を出して王に見せると、いきさつを説明した。王は夢の中でのその女の容貌を思い出したが、実物に会えないのを残念に思った。王は自分が女を助ける功績があったことを幸いに思い、また楊に、女にこのことで自分を紹介するよう要求した。夜になって、女がやって来てお礼を言った。楊は仇を打った功績は王生にあると言い、彼が女に一目会いたいとの心からの気持ちを伝えた。女が言った。「他の方がわたしを助けてくださったことを、わたしは決して忘れません。けれどもあの方の猛々しい様子は、わたしは本当に怖いと思いました。」そう言ってから更に言った。「あの方はわたしの佩刀を気に入っておられました。あの小刀は、実はわたしの父が粤中(今の広東、広西)に遣いで派遣された際に、百両の銀子で購入したものです。わたしはこの刀が好きで手元に置き、金糸を巻き付け、真珠の象嵌を施しました。大人たちはわたしが十七の時急病で死んだことを哀れに思い、この刀を一緒に埋葬してくれました。今はこの愛する刀を手放し、あの方に差し上げたいと思います。この刀を見たら、わたしに会ったと思ってください。」翌日、楊は王に女の気持ちを伝えた。王はたいへん喜んだ。夜になり、女が刀を携えて来て、言った。「あの方に、この刀を大事にするよう言ってください。この刀は中華(中国の中原地方)の物ではありませんから。」これからというもの、楊と女の往き来はまた最初の頃のようになった。

 

 

 积数月,忽于灯下笑而向杨,似有所语,面红而止者三。生抱问之。答曰:“久蒙眷爱juàn ài,妾受生人气,日食烟火,白骨顿有生意。但须生人精血,可以复活。”杨笑曰:“卿qīng自不肯,岂我故惜之?”女云:“交接后,君必有廿余日大病,然药之可愈。”遂与为欢。既而着衣起,又曰:“尚须生血一点,能拚pàn痛以相爱乎?”杨取利刃rèn刺臂cì bì出血;女卧榻上,使滴中。乃起曰:“妾不来矣。君记取百日之期,视妾坟前,有青鸟鸣于树巅diān,即速发冢。”杨谨受教。出门,又嘱曰:“慎记勿忘,迟速皆不可!”乃去。

 

 何ヶ月か過ぎ、ある時ふと女が灯下で笑いながら楊于畏の方を見て、何か言いたそうにしていたが、顔を真っ赤にして、言いよどむこと三度に及んだ。楊は女の肩を抱いて、どうしたのか尋ねた。女は答えて言った。「これまで長い間あなたに可愛がっていただいて、わたしは生きた人間の息吹を受け、毎日人間の煙や火を食べたので、白骨がにわかに生気を帯てきたのです。ただあと生きた人間の精液や血液をもらいさえすれば、また生き返ることができるのです。」楊は笑って言った。「おまえ自身が望まないのでなければ、どうしてわたしが故意にそれを惜しむことなどあろうか?」女が言った。「わたしたち、身体を交えて後、あなたは必ず二十日余りすると大病を患いますが、薬を飲めば直ります。」遂に女と身体を合わせ、快楽を味わった。事が終わり、女は着物を着ると、また言った。「まだ新鮮な血液が少し必要です。痛くてもいいなら、今ここでわたしと愛し合っていただけますか?」楊は鋭利な刃物を取り出し、腕を刺して血を出し、女はベッドに横になり、血をへその中に滴(したた)り落とした。女はそれで起き上がって言った。「わたしはもうここへは参りません。あなた、よく憶えておいてくださいね。これから百日が経ちましたら、わたしの墓の前を見て、青鳥(西王母の使者と伝えられ、その形が鸞luán(鳳凰に似た伝説上の鳥)に似ている)が木のてっぺんで鳴いたら、すぐに塚を掘ってください。」楊は謹んで女の教えを受けた。女は門を出る時、またこう言い含めた。「慎んで記憶し、忘れないでください。遅くても早くてもだめですよ。」そう言うと、行ってしまった。

 

 

 越十余日,杨果病,腹胀欲死。医师投药,下恶物如泥,浃辰 jiā chén而愈。计至百日,使家人荷chā以待。日既夕,果见青鸟双鸣。杨喜曰:“可矣。”乃斩zhǎn‌jīng发圹kuàng。见棺木已朽,而女貌如生。摩之微温。蒙衣méng yī归,置暖处,气咻咻xiū xiū然,细于属zhǔ丝。渐进汤酏,半夜而苏。每谓杨曰:“二十余年如一梦耳。”

 

 また十数日経ち、楊は果たして病気になり、腹が張って死にそうになった。医師が投薬すると、汚いものが泥のように排泄され、十二日(干支が一巡する日数)すると治癒した。日にちを計って百日経つと、家人に土を掘る鍬を担がせ、墓場の前で待機させた。日が既に西に傾くと、果たして青鳥が二羽鳴くのが見えた。楊は喜んで言った。「大丈夫だ。」それで荊(いばら)を刈り取って墓穴を掘った。見ると柩の木は既に朽ちていたが、女の容貌はまるで生きているかのようであった。手でさすってみると微かに温かかった。服を着せて担いで帰り、暖かいところに置くと、ハーハーと荒い息をはじめ、弱い息遣いが続いた。ゆっくり薄いお粥を食べさせ、夜半になると女は目覚めた。それからというもの、女は常々楊に言った。「死んでからの二十年余りは、まるで夢をみていたかのようだわ。」

 「侠」とは、おとこだて、義理人情に厚く、弱い者の味方をする気概のある人物のことです。それでは侠女とはどんな女のことでしょうか?この物語の主人公、顧生は、貧乏書生で、貧しく嫁取りもできず、書を書いたり絵を描いて暮らしていたのですが、向かいに老婆と美しい少女のふたりが引っ越してきて、このふたりと関わるうちに、この「侠女」たる少女のことが次第に分かってきて……、という話です。

 

侠女

 

 顾生,金陵人,博于材艺,而家綦贫。又以母老不忍离膝lí xī惟日为人书画,受贽zhì以自给。行年二十有五,伉俪kàng lì犹虚。对户旧有空第,一老妪及少女税居shuì jū其中。以其家无男子,故未问其谁何。一日偶自外入,见女郎自母房中出,年约十八九,秀曼xiù màn都雅dū yǎ,世罕其匹shì hǎn qí pǐ见生不甚避,而意凛如lǐn rú也。生入问母母曰:“是对户女郎,就吾刀尺适言其家亦止一母。此女不似贫家产。问其何为不字,则以母老为辞。明日当往拜其母,便风以意倘所望不奢shē,儿可代养其老。”

 

 生員(科挙の第一段階の県試に合格し、県学の学生の資格を得た者)の顧は金陵(今の南京)の人で、博識で才知に富んでいたが、家はたいへん貧しかった。また母が年老いて身辺を離れるに忍びず、日々人のために書を書いたり絵を描き、その謝礼をもらって生活をしていた(受贄zhì以自給)。年齢は二十五になるが、まだ妻帯していなかった(伉儷kàng lì猶虚)。向かいの家は元々空き家であったが、ひとりの老婆と少女がそこを賃借した。その一家には男手がいなかったので、誰もその一家の来歴を尋ねる者はいなかった。ある日たまたま外から戻ると、女性が母屋から出て来るのが見えた。歳の頃は十八九、綺麗で優しく(秀曼xiù màn)、しとやかで(都雅dū yǎ)あること、他に比べようもなかった(世罕其匹shì hǎn qí pǐ)。女は顧生を見ても避けようとせず、気持ちは厳然として、人に媚びるような様子も無かった。顧生は家に入ると母親に何の用事だったのか尋ねると、母親が言った。「あの子は向かいの家の娘さんで、わたしにハサミと物差しを借りに来られたの。さっきあの娘は家にお母さんひとりしかいないと言ってたわ。この娘はでも貧しい家の生まれではないようだった。どうしてまだ嫁に行かないのと聞く(問其何為不字)と、母が老いて面倒を見る必要があると言っていた。明日は母親に会ってみて、ついでにどうするつもりか聞いてみよう(便風以意。「便風」は「順便」)。もし高望みしないなら、おまえが代わりにあの娘の母親の面倒を見ておやり。」

 

 

 明日造其室,其母一聋媪lóng ǎo耳。视其室并无隔宿粮问所业则仰女十指。徐以同食之谋试之,媪意似纳而转商其女女默然,意殊不乐。母乃归。详其状而疑之曰:“女子得非嫌吾贫乎?为人不言亦不笑,艳如桃李而冷如霜雪,奇人也!”母子猜叹而罢。

 

 翌日その家に行ってみると、母親は耳の聞こえない老婆であった。家の中を見ると、翌日の食糧の蓄えも無い(無隔宿糧。隔は隔夜のこと)ようであった。何をして暮らしているのか尋ねると、娘の手仕事に頼って暮らしている(仰女十指)とのことだった。顧の母親がおもむろに一緒に暮らさないかと聞いてみると、老婆は満更でも無さそうで、娘に相談した。女は黙って聞いていたが、内心とても不満そうだった。母親はそれで家に帰った。息子にその詳細を報告すると、不思議そうに言った。「あの娘は我が家が貧しいのを嫌っているのかしらね?話もしないし笑いもしないんだ。顔はスモモのように綺麗だけど、態度は氷のように冷たいの。変わった娘だね。」母と子は思い出してはため息をつき、諦(あきら)めるしかなかった。

 

 

 一日生坐斋头,有少年来求画姿容甚美意颇儇佻xuān tiāo。诘jié所自,以邻村对。嗣‌后三两日zhé一至。稍稍shāo shāo稔熟rěn shú,渐以嘲谑cháo xuè,生狎抱xiá bào之亦不甚拒,遂私焉。由此往来昵甚。会女郎过,少年目送之,问为谁对以邻女。少年曰:“艳丽如此,神情何可畏?”

 

 ある日顧生が書斎に座っていると、ひとりの少年が彼に絵を買い求めに来た。その少年は容姿は綺麗だが、性格は頗る軽薄なところがあった。少年にどこから来たか尋ねると、隣村から来たと答えた。それから二三日すると、またやって来た。次第に親しくなると、だんだん冗談を言う間柄になり、顧生がなれなれしく抱きついても別段拒むことなく、遂に肉体の関係を持つようになった。これより少年がやって来て関係を持つことが頻繁になった。向かいの娘がやって来るのに出逢うと、少年はそれを眺めて、あの娘は誰かと尋ねた。それで、隣の家の娘だと答えた。少年が言った。「顔はあんなに綺麗なのに、どうしてあんなに怖い表情をしているんだろう?」

 

 

 少间生入内母曰:“适女子来乞米,云不举火者经日矣。此女至孝,贫极可悯mǐn,宜少周恤zhōu xù之。”生从母言,负斗粟,款门达母意。女受之,亦不申谢。日至生家,见母作衣履,便代缝纫出入堂中,操作如妇。生益德之。每获馈饵kuì ěr,必分给其母,女亦略不置齿颊chǐ jiá。母适疽生隐处,宵旦xiāo‌ dàn‌号啕háo táo。女时就榻省视xǐng shì,为之洗创敷药日三四作母意甚不自安,而女不厌其秽huì。母曰:“唉!安得新妇如儿而奉老身以死也!”言讫yán qì悲哽bēi gěng女慰之曰:“郎子大孝,胜我寡母孤女”母曰:“床头蹀躞dié xiè之役,岂孝子所能为者?且身已向暮,旦夕犯雾露fàn wù lù,深以祧tiāo为忧耳。”言间生入,母泣曰:“亏娘子良多,汝无忘报德。”生伏拜之。女曰:“君敬我母,我勿谢也,君何谢焉?”于是益敬爱之。然其举止生硬,毫不可干。

 

 しばらくして、顧生が家の中に入った。母親が言った。「ちょうど向かいの娘が米が欲しい、もう何日も米を炊いていないと言ってきた。この娘は大層孝行者で、とても貧しく気の毒なので、少しばかり援けてやってもいいんじゃないかい。」顧生は母の意見に従い、一斗の米を背負い、向かいの家の門を叩いて母親の意向を伝えた。女はこれを受け入れたが、特にお礼も言わなかった。娘は日ごろから顧生の家に行き、母親に会い、衣服や履物を作るのに、母に代わって縫物をしてやった。自由に家の中を出入りし、まるでその家の嫁のように家事仕事を行った。顧生は益々この娘の行いに感謝した。菓子の頂き物がある度、必ず娘の母にお裾分けしたが、女はそれにも少しもお礼を言わなかった。母親がちょうど陰部に腫れ物ができ、昼も夜も痛みで泣き叫んだ。女は度々ベッドに近づき病人の具合を診ると、母のため傷口を洗い薬を塗ってやった。毎日三四回もそうしてくれたので、母親はたいへん申し訳なさそうにしたが、女は傷口の汚れを厭わなかった。母親が言った。「ああ!わたしはどうしておまえのような息子の嫁を得て、わたしが年老いて死ぬまで世話をしてもらえないのかね!」 そう言うと、悲しみで声を詰まらせた。女は母親を慰めて言った。「あなたはこのような孝行息子をお持ちだから、うちのような寄る辺の無い母ひとり娘ひとりの家よりずっとましですわ。」母が言った。「病人の枕もとであれこれ世話をするのが、どうして孝行息子がするべきことかね。しかもわたしはもう老い先短く、遅かれ早かれ病死する身、最も憂うのはなんとか宗廟を絶やさぬことだけです。」そう言っていると、顧生が入って来たので、母は泣いて言った。「我が家はこの方にたくさんお世話になりました。おまえ、この方の恩に報いることを忘れてはなりませんよ。」顧生は伏して女に拝礼した。女が言った。「あなたがわたしの母を敬ってくれても、わたしはお礼を言っていないのに、あなたはどうしてわたしに礼をされるんですか。」それで顧生は益々この娘を敬愛した。しかし女の態度は堅苦しく、ちっとも気楽に接することができなかった。 

 

 

 一日女出门,生目注之。女忽回首,嫣然yān rán而笑。生喜出意外,趋而从诸其家,挑tiāo之亦不拒,欣然xīn rán交欢jiāo huān。已,戒生曰:“事可一而不可再。”生不应而归。明日又约之,女厉色不顾而去。日频来,时相遇,并不假以词色jiǎ yǐ cí sè。少游戏之,则冷语冰人lěng yǔ bīng rén。忽于空处问生:“日来少年谁也?”生告之。女曰:“彼举止态状,无礼于妾频矣。以君之狎昵xiá nì,故置之。请更寄语:再复尔,是不欲生也已!”生至夕,以告少年,且曰:“子必慎之,是不可犯!”少年曰:“既不可犯,君何犯之?”生白其无。曰:“如其无则猥亵wěi xiè之语,何以达君听哉?”生不能答。少年曰:“亦烦寄语,假惺惺jiǎ xīng xīng勿作态不然,我将遍播扬bō yáng。”生甚怒之,情见于色,少年乃去。

 

 ある日女が家の門を出た時、顧生がじっとそれを見つめた。女は突然振り向くと、嫣然(えんぜん)と笑った。顧生は(思いもかけないことが起こったので)望外に喜び、急いで女に付いて彼女の家に行き、誘惑しても拒まれなかったので、喜んで男女の営みをした。事が終わり、女は顧生を戒めて言った。「このことは今日一度だけで、もう二度としませんからね。」顧生はそれには構わず家に帰った。翌日顧生はまた女と約束をしようとしたが、女は怖い顔をして相手にせず、行ってしまった。その後女は毎日何度も顧生の家に来て、しばしば互いに顔を合わせたが、女は決して顧生にやさしい言葉をかけたり嬉しそうな顔をしたりしなかった。顧生が少しでも女をからかおうものなら、冷酷な言葉をピシャリと返した。ある時ふと誰もいない所で、女が顧生に尋ねた。「毎日訪ねて来る少年は誰なの?」顧生は彼女に答えた。女が言った。「あの子はわたしに何度も無礼な振舞いや態度をしたわ。あなたがあの子と親密にされているから、捨て置いているのよ。あなたからあの子に伝えてちょうだい。またこのようなことをしたら、それは自分が生きていたくないということよ!」顧生は夜になって、少年にこのことを告げ、またこう言った。「おまえ、必ず慎むんだぞ。あの人にはちょっかいを出してはだめだ。」少年が言った。「ちょっかいを出すなと言っておいて、あんたはどうしてあの女といいことをしているんですか?」顧生はあの女とは何にも無いと言った。少年が言った。「もし何も関係が無いなら、みだらな言葉が、どうしてあんたから発せられたのが聞こえてきたんですかね?」顧生は答えることができなかった。少年が言った。「あの女に伝えてください。わざと善良そうなふりをして。もうそんなわざとらしいふりはやめろとね。さもないと、わたしがあちこちで言いふらしてますよ。」顧生はこのことでひどく腹を立て、その気持ちが顔にも表れたので、少年は出て行った。

 

 

 一夕方独坐,女忽至,笑曰:“我与君情缘未断,宁非天数。”生狂喜而抱于怀,欻闻履声籍籍jí jí ,两人惊起,则少年推扉入矣。生惊问:“子胡为者?”笑曰:“我来观贞洁zhēn jié人耳。”顾女曰:“今日不怪人耶?”女眉竖shùjiá‌红,默不一语,急翻上衣,露一革囊gé náng,应手而出,而尺许晶莹匕首bǐ shǒu也。少年见之,骇hài而却走。追出户外,四顾渺然miǎo rán。女以匕首望空抛掷pāo zhì,戛然jiá rán有声,灿càn若长虹,俄é一物堕duò地作响。生急烛zhú之,则一白狐身首异处矣。大骇。女曰:“此君之娈童luán tóng也。我固恕shù之,奈nài定不欲生何!”收刃rèn入囊。生曳令入,曰:“适妖物yāo wù败意,请俟sì‌来宵xiāo。”出门径jìng去。

 

 ある日の夜、ちょうど顧生がひとりで座っていると、女が突然やって来て、笑って言った。「わたしとあなたの男女の情縁がまだ断たれていないのは、まさか神様が定められたんじゃないわね。」顧生は狂喜し、彼女を胸に抱いたところ、突然履物のガタガタという音が聞こえ、ふたりが驚いて起き上がると、少年が扉を開けて入って来た。顧生が驚いて聞いた。「おまえ、何しに来たんだ?」少年が笑って言った。「わたしは貞操の堅い女を見に来ただけですよ。」女を顧(かえり)みて言った。「今日はわたしを咎めないのかい?」女は怒って眉毛を吊り上げ、頬を真っ赤にし、黙って一言も発せず、急いで上着をひっくり返すと、中から革(かわ)の袋が現れ、その手で取り出したのは、一尺(30センチ)ほどの長さの透明でキラキラ輝く匕首(あいくち)であった。少年はこれを見て、びっくりして逃げた。女は門の外まで追いかけたが、四方を見ても影も形も無かった。女が匕首を空に向け投げると、甲高い叫び声が響き、目に眩しい光が雲間に輝き、燦爛とした虹のようであったが、しばらくするとドスンと物が落ちる音が響いた。顧生が急いで蝋燭の灯りでそれを照らして見ると、一匹の白い狐で、身体と首が既に分断されていた。顧生は大いに驚いた。女が言った。「これがあなたのお稚児さん(娈童luán tóng。男色の相手をする子供)よ。わたしは元々許してあげていたのに、どうしてこの子は生きていたくなかったのかしら。」匕首をしまって革袋の中に入れた。顧生が女の手を引き部屋の中に入ると、女は言った。「さっきの化け物のお陰で気分が害されたわ。明日の晩までお待ちになって。」門を出るとそのまま帰って行った。

 

 

 次夕女果至,遂共绸缪chóu móu。诘jié其术,女曰:“此非君所知。宜须慎秘,泄恐不为君福”又订以嫁娶jià qǔ,曰:“枕席焉zhěn xí yān,提汲焉tí jí yān,非妇伊何也?业夫妇矣,何必复言嫁娶乎?”生曰:“将jiāngzēng贫耶?”曰:“君固贫,妾富耶?今宵xiāo之聚,正以怜lián君贫耳。”临别嘱曰:“苟且gǒu qiě之行xíng,不可以屡。当来我自来,不当来相强无益。”后相值,每欲引与私语,女辄zhé走避。然衣绽zhàn炊薪chuī xīn,悉为纪理jì lǐ ,不啻chì妇也。

 

 翌日の夜、女は果たしてやって来て、遂に共に身体を絡み合わせた(綢繆chóu móu)。顧生が狐の化け物を殺した術を尋ねると、女が言った。「これはあなたの知ったことでは無いわ。慎重に、秘密にしておく方がいいですわ。秘密が漏れると、恐らくあなたにとって良いことにはならないわ。」顧生はまた彼女に嫁に娶る相談をしたが、女は言った。「あなたと枕を共にしていますし、家事もやっておりますのに、これが妻でなければ何なのですか?もう夫婦として暮らしていますのに、どうしてまた嫁に娶るなどとおっしゃるの?」顧生が言った。「わたしが貧乏だから嫌がっているのではないですか?」すると女が言った。「あなたは固より貧しいけど、わたしは金持ちですか?今宵あなたとご一緒したのは、正にあなたの貧しさを憐れんでのことですわ。」別れる時、女はまた顧生に言い含めて言った。「かりそめの行為は、度々やってはいけないことです。こちらに来るべき時は、わたしが自分で来ますから、来るべきでない時に、あなたが無理強いしても良いことはないですわ。」それ以降彼女に会う度に、彼女を引っ張って自分の思いを伝えようとしたが、女はいつも向こうへ行ってしまってそれを避けた。けれども着物の綻(ほころ)びを繕ったり飯を炊くことは、全てちゃんと行い、その振舞いは妻に他ならなかった。

 

 

 积数月,其母死,生竭力jié lìzàng之。女由是独居。生意孤寝gū qǐn可乱,逾垣yú yuán入,隔窗频呼,迄不应。视其门,则空室扃jiōng焉。窃疑qiè yí女有他约。夜复往,亦如之。遂留佩玉pèi yù于窗间而去之。越日yuè rì,相遇于母所。既出,而女尾wěi‌其后曰:“君疑妾耶?人各有心,不可以告人。今欲使君无疑,乌得可?然一事烦急为谋。”问之,曰:“妾体孕yùn已八月矣,恐旦晚dàn wǎn临盆lín pén。‘妾身未分明’,能为君生之,不能为君育之。可密告母觅乳媪rǔ ǎo,伪为讨螟蛉míng líng者,勿言妾也。”生诺,以告母。母笑曰:“异哉此女!聘之不可,而顾私于我儿。”喜从其谋以待之。 

 

 何ヶ月か経って、女の母が亡くなり、顧生はできるだけのことをして(竭力jié lì)その母親を葬ってやった。女はこれより独り身になった。顧生は女がひとりで寝ているので、この機にいかがわしいことができるのではないかと思い、垣根を乗り越え、窓越しに何度も呼びかけたが、終始応答が無かった。家の入口の門を見ると、部屋には誰もおらず、門には閂(かんぬき)がかかっていた。ひそかに女が他所で逢引きしているのではないかと疑った。夜になってもう一度行ってみたが、また同じく留守であった。遂にいつも身に着けている玉の飾りを窓の敷居のところに置いて帰った。翌日、母親の部屋で女に会った。部屋を出ると、女が背後から言った。「あなたはわたしを疑っていらっしゃるの?人は皆それぞれ心に思っていることがあっても、他人には言えないものよ。今あなたの疑いを解こうと思っても、そんなことできないわ。でもひとつ急いでご相談することがあるの。」顧生が何のことか尋ねると、女は言った。「わたしはもう身ごもって八ヶ月になるの。おそらく間もなく臨月を迎えるわ。「わたしはあなたの家に嫁入りしていない」(妾身未分明)ので、あなたのために子を生むことはできても、あなたのために子を育てることはできません。こっそりお母さんに乳母を捜して来てもらって、わざと外から養子(螟蛉míng líng。アオムシのことだが、ジガバチが青虫を養い育てて自分の子とするという故事から、養子の意味で使われる)を見つけて来たと嘘を言って、決してこの子を生んだのはわたしだとは言わないでください。」顧生はそれを承諾し、母親にその旨を告げた。母は笑って言った。「この娘は変わっているね。嫁入りはできないと言っておいて、密かにうちの息子と誼を遂げるんだから。」喜んで女の申し出に従うと、子供が生まれるのを待った。

 

 

 又月余,女数日不至,母疑之,往探其门,萧萧xiāo xiāo闭寂bì jì。叩kòu良久,女始蓬头péng

tóu垢面gòu miàn自内出。启而入之,则复阖之。入其室,则呱呱gūgū者在床上矣。母惊问:“诞几时矣?”答云:“三日。”捉zhuō绷席bēng xí而视之,则男也,且丰颐fēng yí而广额。喜曰:“儿已为老身育孙子,伶仃líng dīng一身,将焉所托jiāng yān suǒ tuō?”女曰:“区区qū qū隐衷yǐn zhōng,不敢掬示jū shì老母。俟夜无人,可即抱儿去。”母归与子言,窃qiè共异之。夜往抱子归。

 

 またひと月余り経ち、女が何日もやって来なかった。母親は疑問に思い、女の家に行って入口の門を見ると、閉め切られてひっそりとしていた。門をしばらく叩き続けると、女がようやくぼさぼさの髪、垢だらけの顔で中から出て来た。門を開けて中に入ると、女がまた門を閉めた。部屋の中に入ると、寝台の上で赤ん坊がオギャアオギャアと泣いていた。母親は驚いて尋ねた。「いつ生まれたの?」女は答えて言った。「三日前です。」おくるみを掴んでこれを見ると、男の子で、下あごがしっかり張り、おでこが広かった。母親は喜んで言った。「おまえはもうわたしのために孫を生んでくれたそれなのにおまえはやせ細ってひとりぼっちで、これから誰に頼って生きるつもりだい?女が言った。「いささか秘密にしていることがあり、敢えてお母さまにも打ち明けることができません。夜まで待って人がいなくなったら、その子を抱いて行ってください。」母親は家に帰って息子にそのことを伝えると、密かにふたりとも不思議に思った。夜になって女の家に行き、子供を抱いて帰った。

 

 

 更数夕,夜将半,女忽款门kuǎn mén入,手提革囊gé náng,笑曰:“我大事已了,请从此别。”急询其故,曰:“养母之德,刻刻不去诸怀。向云‘可一而不可再’者,以相报不在床笫chuáng zǐ也。为君贫不能婚,将为君延一线之续。本期一索而得,不意信水复来,遂至破戒而再。今君德既酬,妾志亦遂,无憾矣。”问:“囊中何物?”曰:“仇人chóu rén头耳。”检而窥之,须发交而血模糊。骇绝,复致研诘yán jié。曰:“向不与君言者,以机事不密,惧有宣泄xuān xiè 。今事已成,不妨相告:妾浙人。父官司马,陷于仇,彼籍 家。妾负老母出,隐姓名,埋头项,已三年矣。所以不即报者,徒以有母在;母去,又一块肉累lěi‌腹中,因而迟之又久。曩nǎng夜出非他,道路门户未稔rěn,恐有讹误é wù‌耳。”言已出门,又嘱曰:“所生儿,善视之。君福薄无寿,此儿可光门闾mén lǘ。夜深不得惊老母,我去矣!”方凄然qī rán欲询所之,女一闪如电,瞥piē尔间遂不复见。生叹惋wǎn木立,若丧sàng魂魄。明以告母,相为叹异tàn yì而已。

 

 また数夜が過ぎ、ある日の夜半、女が突然門を叩いて入って来た。手には革袋を提げ、笑って言った。「我が大事は既に成就しました。これにてお暇(いとま)いたします。」顧生が急いでその故を尋ねると、女が言った。「あなたが母の面倒を見ていただいた恩は、いつもわたしの心から消し去ることができません。「一度はやり得ても、再びはできない」(可一而不可再)と申します。わたしの行った報いは、男女の睦(むつみ)ごとではないのです。あなたは貧しくて妻を娶ることができないので、あなたのために血脈が続くようにいたしました(為君延一綫之續)。元々一回で懐妊できると思っていました(本期一索而得)のに、思いがけず月経が来て懐妊できませんでした(不意信水復来)。それで誓いを破って、もう一度睦ごとを行ったのです。今あなたの恩にはもう報いましたし、わたしの志(こころざし)も遂げましたので、思い残すことはありません。」顧生が尋ねた。「袋の中は何だい?」女が言った。「仇の首です。」袋を確かめ、中を覗くと、髭や髪の毛が纏わりつき、血でべっとり染まっていた。びっくり仰天し、また子細を尋ねた。女は言った。「これまであなたに何も申し上げなかったのは、事が機密を要し、秘密が漏れることを怖れたからです。今は事が成就しましたので、あなたにお話ししても大丈夫です。わたしは浙江の人間です。父は役人で司馬の職に就いておりましたが、仇に陥れられ、家財を没収されました。わたしは老母を背に背負って家を出、姓名を隠し、行方を隠して(埋頭項。「埋没行踪」のこと)、もう三年になります。すぐに復讐をしなかったのは、他でもなく母親が生きていたからです。母が亡くなると、今度はお腹に子供ができたおかげで、また事を行うのが随分遅れました。昨晩外出したのは他でもなく、周囲の道や家の中をよく知らないので、間違いをしてしまうのを恐れたからだけです。」そう言って家の門を出ると、またこと付けて言った。「生まれた子供は、よく面倒をみてくださいね。あなたは福が薄く長生きできませんが、この子は一族の名誉を高めることができるでしょう。もう夜も遅く、年老いたお母さんを驚かせてはいけないので、わたしは行きますわ。」顧生がちょうど悲し気にどこへ行くのか聞こうとしていると、女は電光石火、瞬(まばた)きする間もなく姿が見えなくなった。顧生はため息をつき、ボオッと立ちつくし、魂が抜け落ちたようになった。翌日母親にこのことを告げると、母子互いにため息をつき、不思議なこともあるものだと思った。

 

 

 后三年生果卒。子十八举进士,犹奉祖母以终老云。

 

 その後三年して、果たして顧生は世を去った。子供は十八にして科挙の進士に合格し、その後祖母のお世話を、ずっと祖母が亡くなるまで続けたということだ。

 

 

 异史氏曰:“人必室有侠女,而后可以畜娈童luán tóng也。不然,尔ěr爱其艾豭ài jiā,彼爱尔娄猪‌lóu zhū矣!”

 

 異史氏曰く(作者の蒲松齢が、『史記』の「太史公曰く」を真似て、本文の論評をしている)、「男は家に必ず品行方正な侠女がいないといけない。それならお稚児さん(男色の相手をする子供)を囲っても構わない。さもないと、あなたが他人のブタ(浮気相手)を引き込めば、相手もあなたのメスブタ(浮気性妻のこと)誘惑するかもしれない。」

 

 

 王阮亭云: “神龙见首不见尾。此侠女其犹龙乎!”

 

 王阮亭(王士禛(1634–1711)、字は子真、阮亭と号す。別号は漁洋山人。山東新城(今の山東桓台)の人。清初の文壇の盟主)は言う。「神龍は首が見えるが尾は見えない(侠女が最後、忽然と姿を消したことを言っている)。この侠女はまるで龍のようだ。」