中国語学習者、Congziのブログ

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京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 高俅は殿帥府太尉に着任し、配下の官吏や武官を謁見したところ、禁軍教頭の王進が病気で欠席していました。怒った高俅は王進の自宅まで人を遣り、無理やり役所に出頭させると、王進が曾て棒術を習った先生の、都軍教頭の王升の息子であることが分かり、王升に棍棒で倒されて痛い目に遭わされたことがあり、今もそのことを怨んでいて、今は立場が王進の上司となったことを幸い、彼をいろいろ痛めつけてやろうと考えます。これを察した王進は、官を辞して逃亡を図りますが。さて無事に逃亡できるでしょうか。本文をご覧ください。 

 

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 且说高俅得做了殿帅府太尉,选拣xuǎn jiǎn吉日良辰liáng chén,去殿帅府里到任,所有一应yī yīng合属hé shǔ公吏gōng lì衙将yá jiàng,都军监军,马步人等,尽来参拜,各呈手本shǒu běn,开报kāi bào花名huā míng。高殿帅一一点过,于内只欠一名八十万禁军jìn jūn教头jiào tóu王进,半月之前,已有病状在官,患病未痊quán,不曾入衙门yá mén管事guǎn shì 。高殿帅大怒,喝道hè dào:“胡说!既有手本呈来,却不是那厮nà sī‌抗拒kàng jù官府guān fǔ,搪塞táng sè下官!此人即系推病在家,快与我拿来。”随即差人到王进家来,捉拿zhuō ná王进。

 

 さて高俅は殿帥府太尉になることができ、吉日の良い日取りを選んで、殿帥府(でんすいふ)に行って着任すると、すべての配下の官吏や武官、都軍監軍、騎馬隊、歩兵など、尽くが来て謁見し、各々が氏名、役職の名刺を提出し、逐一名簿に登録した。高殿帥は一々確認したが、その中でただ一人、八十万人を抱える禁軍(皇帝や天子の居所(禁中・禁裏)をまもり、都の治安を維持する直属の親衛隊(近衛軍))の教頭(武術の指導者)である王進が欠席していた。半月前、既に病気の報告が役所に提出され、病気はまだ回復していなかったので、まだ公務に復帰していなかった。高殿帥は大いに怒り、怒鳴って言った。「でたらめを言いおって!もう名刺が提出されているのに、こいつだけはお役所に逆らい、わしのことをないがしろにしおって。この男が病気を理由に家にいるなら、早く私の前に連れてまいれ。」すぐさま人を遣って王進の家に行き、王進を捕まえに行かせた。

 

 

 且说这王进却无妻子,只有一个老母,年已六旬xún之上。牌头pái tóu‌与教头王进说道:“如今高殿帅新来上任,点diǎn你不着bù zháo,军正司jūn zhèng sī‌禀bǐng说染患在家,现有病患状在官。高殿帅焦躁jiāo zào,那里肯信kěn xìn?定要拿你,只道是教头诈病zhà bìng在家,教头只得去走一遭zāo。若还不去,定连累小人了。”

 

 さてこの王進には妻子はおらず、ただひとり老母がいて、年齢は既に六十歳を越えていた。牌頭(小隊長)は教頭の王進に言った。「今高殿帥が新たに着任されるに当たり、あなたを呼んだがおられず、軍政司(軍規や賞罰の査定を担当する役職名)が、あなたが病気で家におられ、病気の報告が役所に出ていると申し上げました。高殿帥はいらだちのあまり、どうしてそれを信用されましょう。必ずあなたを捕まえて来いとの仰せです。教頭が仮病を使って家におられると思っておられます。教頭殿には一度出頭いただかざるを得ません。もしそれでも行かれなかったら、きっと累がわたくしどもにまで及びましょう。」

 

 

 王进听罢,只得捱ái着病来。进得殿帅府前,参见太尉,拜了四拜,躬身gōng shēn唱个喏rě,起来立在一边。高俅道:“你那厮sī便是都军教头王升的儿子?”王进禀道:“小人便是。”高俅喝道:“这厮,你爷是街市上使花棒huā bàng卖药的,你省xǐng的甚么武艺?前官没眼,参cān你做个教头jiào tóu,如何敢gǎn小觑xiǎo qù我,不伏bù fú俺ǎn点视diǎn shì!你托谁的势,要推病在家,安闲快乐!”王进告道:“小人怎敢,其实患病未痊quán。”高太尉骂道:“贼zéi配军pèi jūn,你既害病,如何来得?”王进又告道:“太尉呼唤,安敢不来!”高殿帅大怒,喝令左右:“拿下!加力与我打这厮!”众多牙将yá jiàng‌都是和王进好的,只得与军正司同告道:“今日太尉上任,好日头,权免quán miǎn‌此人这一次。”高太尉喝道:“你这贼配军,且看众将之面,饶恕ráo shù你今日,明日却和你理会lǐ huì。”王进谢罪罢,起来抬头看了,认得是高俅。出得衙门,叹口气道:“俺ǎn的性命,今番难保了。俺道是甚么高殿帅,却原来正是东京帮闲的‘圆社’高二。比先时曾学使棒,被我父亲一棒打翻,三四个月将息不起,有此之仇chóu。他今日发迹fā jì,得做殿帅府太尉,正待要报仇,我不想正属他管。自古道:‘不怕官,只怕管。’俺如何与他争得?怎生奈何是好?”回到家中,闷闷mèn mèn不已bù yǐ。对娘说知此事,母子二人,抱头而哭。娘道:“我儿,‘三十六着zhāo,走为wéi上着shàng zhāo’。只恐没处走。”王进道:“母亲说得是,儿子寻思,也是这般计较‌jì jiào。只有延安yán ān府老种chóng‌经略jīng lüè相公xiàng gōng镇守zhèn shǒu边庭biān tíng,他手下军官,多有曾到京师的,爱儿子使枪棒,何不逃去投奔‌tóu bèn他们?那里是用人yòng rén去处qù chù,足可安身立命ān shēn lì mìng。”正是:

 

 王進はそう聞くと、病をこらえてやって来ざるを得なかった。殿帥府の前に着くと、太尉にお目にかかり、四度頭を下げて拝礼すると、身をかがめてご挨拶の口上を述べ、立ち上がると端の方に立った。高俅が言った。「おまえは都軍教頭の王升の息子か?」王進は申し上げて言った。「その通りです。」高俅が怒鳴って言った。「この野郎、おまえの親父は市場で棍棒を振り回して客を集める薬売りに過ぎなかったのに、おまえにどんな武芸ができると言うんだ?前任の役人は見る目がなくて、おまえを教頭(武術の指導者)に推挙したが、どんなに俺を軽く見たって、俺は騙されないからな。おまえは誰かさんの権勢を借りて、病気と称して家に引きこもり、のほほんとしているつもりだな。」王進が弁明して言った。「わたしがどうしてそんなことを。本当に病気がまだ回復していないのです。」高太尉が怒って言った。「この逆賊野郎、おまえは病気に罹っているのにどうして来れたんだ?」王進がまた弁明して言った。「太尉がお呼びなのに、どうして敢えて来ないでおけましょう。」高殿帥は大いに怒り、左右の者を怒鳴って命令した。「連れて行け。こいつを思いっきり殴っておいてくれ。」多くの指揮官たちは皆王進に好意を寄せていたので、 軍政司にこう言って取りなした。「今日は太尉殿が着任された良いお日柄ですから、差し当たり今度だけはこの者を赦してやってください。」高太尉は怒鳴って言った。「この逆賊野郎、とりあえず諸将の面子を立て、今日だけはおまえを赦してやる。明日改めておまえの処分を考えるとしよう。」王進は詫びを言うと、立ち上がって頭をあげて見ると、相手が高俅であると分かった。役所を出ると、ため息をついて言った。「わたしの命も、今度は持たないだろう。わたしはどちらの高殿帥かと思っていたが、なんと東京(とうけい)で太鼓持ちをしていた「圓社」の高の次男坊であったとは。以前棒術を習っていた時に、父上に棍棒で倒され、三四ヶ月立ち上がれず休んでいたが、今度その仇を取ろうと言うんだな。あいつは今は権勢を得て、殿師府太尉となることができたので、正に仇を討とうとしている。わたしはあの男の管理下に属そうとは思わない。昔から言うように、「官(高官)を怕(おそ)れず、ただ管(管理する人、直属の上司)を怕(おそ)れる」だ。わたしは如何にしてあいつと争うことができるだろう?いったいどうしたら良いだろうか。」家に帰る道すがら、悶々とするばかりだった。母親にこのことを話すと、母子ふたり、抱き合って泣いた。母が言った。「息子や、「三十六計、逃げるが上策」と言う。とは言え、どこに逃げれば良いのかね?」王進が言った。「母上がおっしゃることはもっともです。わたしが思案するに、このようにしてはどうかと思います。延安府経略使の種(しょう)相公が辺境の守備をされていて、彼の配下の軍官は多くが京師の出身で、あの方は部下の者が槍や棒術を習うのを好まれますので、そちらを頼って行ってはどうかと思うのです。あちらならわたしの技能が活かせ、身の安全も保障されます。」正に:

 

 

用人之人,人始为用。恃shì己自用,人为人送。

  彼处得贤xián,此间jiān失重shī zhòng。若驱qū若引yǐn,可惜可痛。

 

  よく人(人才)を用いる人がいれば、人(人才)ははじめてその為に用いられるが、己を恃(たの)んで自用(他人の意見を用いないで、勝手に振る舞う)すれば、人(人才)は人の為に(他所へ)送られる。

  かのところで賢を得るも、この間に(この人才 への)重(重視)を失えば、(表面上は人才を)引(みちび)いているようで(実際は)駆(おいは)らうが若(ごと)しで、惜しむ可し痛む可しだ。

 

 

当下娘儿两个商议定了。其母又道:“我儿,和你要私走,只恐门前两个牌军是殿帅府拨来bá lái伏侍fú shi你的,他若得知,须走不脱。”王进道:“不妨bù fáng,母亲放心。儿子自有道理措置他。”

 

すぐに母子ふたりの相談はまとまった。母がまた言った。「息子や、あなたとこっそり逃げるにしても、門の前のふたりの牌軍(遣いで派遣された下級の武官)が殿帥府から派遣されておまえに仕えているが、彼らがこのことを知ったら、逃げられないよ。」王進が言った。「大丈夫です、母上ご安心ください。わたしに予め考えがあります。」

 

 

 当下日晚未昏,王进先叫张牌入来,分付道:“你先吃了些晚饭,我使你一处去干事。”张牌道:“教头使小人那里去?”王进道:“我因前日病患,许下xǔ xià酸枣门suān zǎo mén外wài岳庙yuè miào里香愿xiāng yuàn,明日早要去烧炷zhù头香tóu xiāng。你可今晚先去分付庙祝miào zhù,教他来日早些开庙门,等我来烧炷头香,就要三牲,献刘李王。你就庙里歇了等我。”张牌答应,先吃了晚饭,叫了安置,望庙中去了。

 

 その日の晩、まだ暗くならぬうちに、王進は先に牌軍の張を呼んで入って来させ、こう言いつけた。「おまえ、先に晩飯を食って、あるところにお使いに行ってくれるかい。」張が言った。「教頭様はわたしをどちらに行かせられるのですか?」王進が言った。「わたしは先日病気を患ったので、酸棗門(さんそうもん。宋の汴京の城門の名前)外の東岳廟に行ってお線香を上げて願掛けをしたいので、明日は朝早く行っていちばん最初に線香を上げないといけないのだ。おまえ、今晩先に行って廟祝(寺院で線香の管理をする人)に頼んで、彼に明日は早めに廟の門を開けるよう言ってくれ。わたしが来て線香を上げる時には、三牲(牛、羊、豚の三種の生贄)を用意し、劉李王に献上するから。おまえは廟の中で休んで、わたしが来るのを待っていてくれ。」牌軍の張は承知して、先に晩飯を食べると、お休みの挨拶をして、東岳廟を目指して行った。

 

 

 当夜子母二人,收拾了行李、衣服、细软xì ruǎn、银两yín liǎng,做一担儿dànr打挟dǎ jiā了。又装两个料袋liào dài袱驼fú tuó,拴shuān在马上的。等到五更,天色未明,王进教起李牌,分付道:“你与我将这些银两,去岳庙里,和张牌买个三牲煮熟,在那里等候。我买些纸烛,随后便来。”李牌将银子望庙中去了。

 

 その日の晩、母子ふたりは、荷物、衣服、携行する貴重品(宝石や首飾り、貴重な衣服など)、銀子を整理すると、ひとつの担ぎ荷物にまとめた。またふたつの食糧を入れた布袋を馬の背に載せ、馬に括りつけた。五更(夜中の三時から五時)になるのを待って、空はまだ明けていないが、王進は牌軍の李を呼ぶと、こう言いつけた。「おまえ、わたしのこの銀子で、東岳廟に行き、張と一緒に三種の生贄を買って来てよく煮て、あちらで待っていてくれ。わたしは少々紙銭と蝋燭を買って、後で行くから。」牌軍の李は、銀子を持って廟を目指して行った。

 

 

王进自去备了马,牵qiān出后槽hòu cáo,将料袋袱驼fú tuó搭dā上,把索子suǒ zi拴缚shuān fù牢láo了,牵在后门外,扶fú娘上了马。家中粗重cū zhòng都弃qì了,锁上前后门,挑tiāo了担儿dànr,跟在马后。趁五更天色未明,乘势出了西华门,取路望延安府来。

 

 王進は自ら出て行って馬を準備し、馬を牽いて家の裏の飼葉桶のところに連れて行くと、布袋を馬の背中に載せ、縄でしっかり縛りつけると、後門の外に牽いて行き、母親を扶けて馬に跨らせた。家中のかさばる価値のないものは皆捨て、前後の門に鍵を掛け、荷物を担ぐと、馬の後を歩いた。 五更で空がまだ明けていないのに乗じて、急いで西華門を出ると、道を延安府の方に取った。

 

 

 且说两个牌军,买了福物fú wù煮熟,在庙等到巳牌sì pái,也不见来。李牌心焦,走回到家中寻时,见锁了门,两头无路。寻了半日,并无有人。看看待晚,岳庙里张牌疑忌yí jì,一直奔回家来。又和李牌寻了一黄昏,看看黑了。两个见他当夜不归,又不见他老娘。次日,两个牌军又去他亲戚之家访问,亦无寻处。两个恐怕连累,只得去殿帅府首告:“王教头弃家在逃,子母不知去向。”高太尉见告,大怒道:“贼配军在逃,看那厮sī待dāi走那里去!”随即押下文书,行开诸州各府,捉拿逃军王进。二人首告,免其罪责,不在话下。

 

さてふたりの牌軍は、祭祀に使う肉を買ってきてそれをよく煮込み、廟で巳の刻(午前9時から午前11時まで)まで待ったが、王進は姿を現さなかった。牌軍の李は慌てて、屋敷まで捜しに戻ってみると、門には鍵が掛けられ、どうしてよいか分からなくなった。しばらく捜し歩いたが、誰もいなかった。夕方まで待ってみたが、東岳廟では牌軍の張が猜疑心を抱き、まっすぐ走って屋敷に戻って来た。それから牌軍の李と一緒に黄昏時まで捜したが、そのうち辺りは真っ暗になった。ふたりは王進がその晩はもう帰って来ないと思い、また母親も見つからなかった。翌日、ふたりの牌軍は更に親戚の家を訪ねてみたが、それでも行き先が分からなかった。ふたりは自分たちに類が及ぶのを恐れ、殿帥府に行き、自ら出頭して報告するしかなかった。「王教頭は家を捨て逃亡し、母子がどちらに行ったか分かりません。」高太尉は報告を聞き、大いに怒って言った。「逆賊野郎め、逃亡しやがって。あの野郎どこに逃げたか見てくれる!」直ちに公文書に署名し、諸州各府に発信し、逃亡した王進を捕らえようとした。ふたりは自ら出頭して報告したので、その罪責は免れたのであるが、そのことは言うまでもない。

 

 

 こうして母親と共に家から逃亡した王進ですが、無事に逃げることができたのでしょうか?続きは次回をお楽しみに。

 

 高俅は神宗皇帝の附馬の王晋卿の従者となります。高俅は主人の命令で、ある時この王都尉の一番下の弟の端王の屋敷にお遣いで行くのですが、そこで蹴鞠をしていた端王に、高俅は得意の蹴鞠の技を披露する機会に恵まれ、それが縁で端王の元に留め置かれることになります。この端王が、哲宗皇帝が亡くなったため、次の皇帝、徽宗皇帝となる幸運に恵まれます。こうして高俅は、徽宗皇帝の下で、 禁軍(皇帝を護衛する近衛軍)の最高司令官である殿帥府太尉の職に就くことになります。

 

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 这太尉乃是哲宗皇帝妹夫,神宗皇帝的驸马。他喜爱风流人物,正用这样的人。一见小苏学士差人持书送这高俅来,拜见了,便喜。随即写回书,收留高俅在府内做个亲随。自此高俅遭际zāo jì‌在王都尉府中出入,如同家人一般。自古道:“日远日疏,日亲日近。”忽一日,小王都太尉庆诞生辰,分付府中安排筵宴,专请小舅xiǎo jiù端王。这端王乃是神宗天子第十一子,哲宗皇帝御弟,现掌zhǎng东驾jià,排号九大王,是个聪明俊俏jùn qiào人物。这浮浪fú làng子弟门风mén fēng帮闲之事,无一般不晓,无一般不会,更无一般不爱。即如琴、棋、书、画,无所不通,踢毬tī qiú打弹dǎ dàn,品竹调丝pǐn zhú tiáo sī,吹弹歌舞chuī tán gē wǔ,自不必说。当日王都尉府中,准备筵宴,水陆俱备。但见:

 

 この太尉がすなわち哲宗皇帝の妹の夫で、神宗皇帝の附馬であった。彼は風流な人物が好きで、このような人物を重用していた。小蘇学士が人を遣わし手紙を持ってこの高俅を送ってきたのを一目見て、謁見するや、気に入った。それですぐに返事の手紙を書くと、高俅を屋敷に留めて従者にした。これより高俅は王都尉の屋敷内を出入りするようになり、家人も同様になった。昔から、「日に遠ければ日に疏(うと)く、日に親しめば日に近し」と言う。ある日のこと、小王都太尉は誕生日のお祝いに、屋敷内で宴席を準備するよう言いつけ、専らいちばん下の弟の端王を招待した。この端王がすなわち神宗天子の第十一子、哲宗皇帝の弟で、今は皇儲(皇帝の後継者)とされ、九番目の大王に位置づけられ、聡明で器量良しの人物であった。この遊び人の子弟は家柄にも関わらず幫間(ほうかん。太鼓持ち)の事に通じておられ、ご自身が知らぬことはなく、できないことはなく、お好きでないことは無かった。すなわち古琴、囲碁将棋、書法、国画で通じていないものは無く、蹴鞠(けまり)やおはじき、管弦楽器の演奏、歌唱やダンスなど、一々言うまでも無かった。その日、王都尉の屋敷では、宴席を準備し、山海の珍味が皆含まれていた。その有様は:

 

 

  香焚xiāng fén宝鼎bǎo dǐng,花插金瓶jīn píng。

  仙音院xiān yīn yuàn竞奏jìng zòu新声,教坊司jiào fāng sī频逞pín chěng妙艺miào yì。

  水晶壶内,尽都是紫府zǐ fǔ琼浆qióng jiāng;琥珀hǔ pò杯中,满泛着mǎn fàn zhe瑶池yáo chí玉液。

  玳瑁dài mào盘堆仙桃异果,玻璃碗供熊掌驼蹄tuó tí。

  鳞鳞lín lín脍kuài切银丝yín sī,细细茶烹pēng玉蕊yùruǐ。

  红裙hóng qún舞女,尽随着象板xiàng bǎn鸾箫luán xiāo;翠袖cuì xiù歌姬gē jī,簇捧cù pěng定dìng龙笙lóng shēng凤管fèng guǎn。

  两行háng珠翠zhū cuì立阶前,一派pài笙shēng歌临lín座上。

 

  香は宝鼎に焚かれ、花は金瓶に挿される。

  仙音院(宮廷の楽工や音楽を管理する役所)は競って新曲を奏で、教坊司(宮廷の音楽や舞踊、雑技などを管理する役所)は頻りと妙芸を逞(てい)する。

  水晶の壺の中は、尽く紫府(仙人の世界)の瓊漿(美酒)。琥珀の杯の中は、瑶池の玉液(美酒)で満たされる。

  玳瑁(たいまい)の大皿には仙桃異果が堆(うずたか)く、玻璃の碗で熊の掌(てのひら)駱駝の蹄を供する。

  鱗鱗(鱗のように並んだ)たる膾(なます)は銀の糸のように切られ、細心に加工された茶葉は湯を注がれ玉の花のしべのように漂う。

  赤いスカートの舞姫は、尽く象板(二枚の板を紐で繋いだ、拍子木やカスタネットのような打楽器。拍板)、鸞簫(らんしょう。中国の伝統的な縦笛である簫(しょう)の美称)に従い、緑の袖の衣装の歌姫は、笙(しょう)や笛の楽隊を取り囲む。

  真珠や翡翠で着飾った女たちが二列になって階(きざはし)の前に立ち、楽隊と歌い手の一団が宴席の前で歌を披露する。

 

 

 且说这端王来王都尉府中赴宴,都尉设席,请端王居中坐定,都尉对席相陪xiāng péi。酒进数杯,食供两套,那端王起身净手,偶来书院里少歇,猛见书案上一对儿羊脂玉yáng zhī yù碾niǎn成的镇纸zhèn zhǐ狮子,极是做得好,细巧xì qiǎo玲珑línglóng。端王拿起狮子,不落手bù luò shǒu看了一回道:“好!”王都尉见端王心爱,便说道:“再有一个玉龙笔架,也是这个匠人一手做的,却不在手头,明日取来,一并相送。”端王大喜道:“深谢厚意,想那笔架,必是更妙。”王都尉道:“明日取出来,送至宫中便见。”端王又谢了。两个依旧入席,饮宴至暮,尽醉方散。端王相别回宫去了。

 

 さてこの端王は王都尉の屋敷での宴席に赴き、都尉が席を設け、端王には中央にお座りいただき、都尉はその対面に座って陪席した。酒を何度か乾杯し、二人分の料理を出し終わると、かの端王はお手洗いに立たれ、たまたま書斎で少し休まれたところ、ふと文書机の上に一対の羊の脂身のようなしっとりとした白玉を刻んで作った文鎮の獅子が見え、たいへん良くできており、細工が細かく精巧であった。端王は獅子を手に取り、手放し難い様子で一通り眺めて言った。「素晴らしい!」王都尉は端王が心から愛する様子を見て、言った。「これ以外にも、玉龍の筆立てがあって、この獅子と同じ職人の手になるものですが、今は手元にありませんので、明日取りに行って、一緒にお届けいたします。」端王は大いに喜んで言った。「ご厚意に深く感謝します。その筆立ては想像するだに、さぞ素晴らしいものでしょう。」王都尉が言った。「明日取って来たら、宮中に届けてご覧にいれます。」端王はまた礼を言った。ふたりは元のように席に着くと、日の暮れるまで酒を飲み、皆が酒に酔ってようやくお開きになった。端王はお別れを言って宮殿に帰って行かれた。

 

 

 次日,小王都太尉取出玉龙笔架,和两个镇纸玉狮子,着zhuó一个小金盒子盛chéng了,用黄罗包袱包了,写了一封书呈,却使高俅送去。高俅领了王都尉钧旨‌jūn zhǐ‌,将着jiāng zhuó两般玉玩器,怀中揣chuāi着书呈,径投jìng tóu端王宫中来。把门bǎ mén官吏转报与院公‌yuàn gōng。没多时,院公出来问:“你是那个府里来的人?”高俅施礼罢,答道:“小人是王驸马府中,特送玉玩器来进大王。”院公道:“殿下在庭心里和小黄门踢气毬,你自过去。”高俅道:“相烦引进。”院公引到庭前,高俅看时,见端王头戴软纱唐巾,身穿紫绣龙袍lóng páo,腰系文武双穗suì绦tāo。把绣龙袍前襟jīn拽zhuài扎zhā起,揣chuāi在绦儿边tāo er biān‌。足穿一双嵌qiàn金线飞凤靴fēi fèng xuē,三五个小黄门相伴xiāng bàn着蹴气毬。高俅不敢过去冲撞chōng zhuàng,立在从人背后伺候。也是高俅合当hé dāng发迹fā jì,时运到来,那个气毬腾地起来,端王接个不着,向人丛里直滚到高俅身边。那高俅见气毬来,也是一时的胆量dǎn liàng,使个鸳鸯拐yuān yāng guǎi,踢还端王。端王见了大喜,便问道:“你是甚人?”高俅向前跪下道:“小的是王都尉亲随,受东人使令,赍送jī sòng两般玉玩器来,进献大王,有书呈在此拜上。”端王听罢,笑道:“姐夫直如此挂心。”高俅取出书呈进上。端王开盒子看了玩器,都递与堂候官táng hòu guān收了去。

 

 翌日、小王都太尉は玉龍の筆立てを取り出すと、ふたつの文鎮の玉獅子と一緒に、小さな金の箱の中にしまい、黄色の薄絹の風呂敷で包むと、一通手紙をしたためると、高俅に届けに行かせた。高俅は王都尉の鈞旨(きんし。目上の人や敬うべき人(皇帝や長官など)の命令や意向、思召し)を受け取ると、二種類の手慰みの玉器を手に持ち、懐には書状をしまうと、まっすぐ端王の宮殿にやって来た。門番の官吏はこのことを屋敷の執事に伝えた。執事が出て来て尋ねた。「あなた様はどちらのお屋敷のお方で?」高俅は礼をして答えて言った。「拙者は王附馬の屋敷の者で、特に玉の玩器(がんき)を大王様にお届けに上がりました。」執事が言った。「殿下はお庭で宦官たちと蹴鞠を蹴っておられます。貴殿もご自由に行かれなさい。」高俅が言った。「お手数だが、お連れいただけぬか。」執事が連れて庭先まで来て、高俅が見ると、端王は頭に柔らかい紗の頭巾を被り、身体には紫の龍の刺繍の入った長衣を着て、腰には華美な房の付いたベルトを締めていた。龍の刺繍の長衣の前襟は引き出され、ベルトの縁に押し込まれていた。足には一対の金線で鳳凰の描かれた靴を履き、数人の宦官たちがお相手をして蹴鞠を蹴っていた。高俅は敢えてその中に入っていく勇気が無かったので、従者の背後に立って伺候していた。ひょっとすると高俅は立身出世するチャンスに恵まれたのかもしれない。運が巡ってきた。そのボールが跳びはねたので、端王が受けることができず、人々の群れの中から真っすぐ高俅の傍に転がってきた。かの高俅はボールが転がって来るのを見て、とっさに肝が座り、鴛鴦拐(えんおうがい。左右の外くるぶしを使って連続でボールを蹴る華麗な技)の足技を使い、ボールを端王に返した。端王はこれを見て大いに喜び、尋ねて言った。「おまえは誰だね?」高俅は前に進み出て跪いて言った。「わたしは王都尉の近習の者で、主人の指示を受けまして、二種の玉の玩器をお届けに上がりました。大王様に献上し、書状をここにお預かりしております。」端王はそれを聞くと、笑って言った。「義兄さんはいつもよく気のつく方だ。」高俅は書状を取り出しお渡しした。端王は箱を開けて玩器を見ると、皆お付きの役人に渡して仕舞わせた。

 

 

 那端王且不理玉玩器下落,却先问高俅道:“你原来会踢气毬!你唤做甚么?”高俅叉手chā shǒu跪覆guì fù道:“小的叫做高俅,胡乱踢得几脚。”端王道:“好!你便下场来踢一回耍shuǎ。”高俅拜道:“小的是何等样人,敢与恩王下脚!”端王道:“这是‘齐云社’qí yún shè名为‘天下圆’,但踢何伤hé shāng 。”高俅再拜道:“怎敢!”三回五次告辞,端王定要他踢,高俅只得叩头谢罪,解膝jiě xī下场。才踢几脚,端王喝采hè cǎi。高俅只得把平生本事都使出来,奉承端王。那身分模样,这气毬一似鳔胶biào jiāo粘在身上的。端王大喜,那里肯放高俅回府去,就留在宫中过了一夜。

 

 かの端王は玉の玩器の行方など構わず、先ず高俅に尋ねた。「おまえは元々蹴鞠が上手だったのか!何という名前だね?」高俅は胸の前で手を組むと、答えて言った。「わたしは高俅と申します。少々出鱈目に球を蹴ることができるだけでございます。」端王が言った。「よろしい。おまえ、ここに出て来てもう一回蹴ってみせてくれ。」高俅はぬかずいて言った。「わたしなど如何ほどの者でもございません、どうして王様とお手合わせなどできましょうか。」端王が言った。「この者たちは「齊雲社」(民間の蹴鞠を蹴る団体)の者で、名を「天下圓」(身分に関係なく丸い球を蹴り合う遊戯の意味)と言っているが、(おまえが)球を蹴るのに何の咎めもあるものか。」高俅は再びぬかずいて言った。「どうしてそんな大それたことができましょう。」再三辞退いたが、端王がどうしても彼に球を蹴れと言って聞かず、高俅は頭を地面に着けて謝罪し、膝をかがめて下に降りた。そしてようやく何度か球を蹴ると、端王は大声を上げ喝采した。高俅は平素やれる技を全部使って、端王の要求に応えた。その動作の有様と言ったら、まるでボールが膠(にかわ)のように身体に貼り着いているかに見えた。端王は大いに喜び、どうして高俅を屋敷に返すのを同意しようか。彼を宮中に一晩泊まらせた。

 

 

 次日,排个筵会,专请王都尉宫中赴宴。却说王都尉当日晚不见高俅回来,正疑思间,只见次日门子报道:“九大王差人来传令旨lìng zhǐ,请太尉到宫中赴宴。”王都尉出来,见了那干人,看了令旨,随即上马,来到九大王府前,下马入宫,来见了端王。端王大喜,称谢两般玉玩器。入席饮宴间,端王说道:“这高俅踢得两脚好气毬,孤gū欲索suǒ此人做亲随如何?”王都尉答道:“殿下既用此人,就留在宫中伏侍殿下。”端王欢喜,执杯相谢。二人又闲话一回,至晚席散,王都尉自回驸马府去,不在话下。

 

 翌日、宴席を手配すると、専ら王都尉を宮中に招いて宴会に来てもらった。さて王都尉はその日の晩高俅が帰って来なかったので、ちょうどどうしたことかと訝っていたのだが、翌日になって門番が報告して言うには、「九大王様が人を遣わしご命令を伝えられ、太尉様に、宮中での宴席にお越しくださいとのことです。」王都尉が出て行って、かのお使いに会い、その命令を読むと、直ちに馬に乗って九王府の前まで来ると、馬を降りて宮殿に入り、端王にお目にかかった。端王は大いに喜び、二種の玉の玩器のお礼を言われた。席に就いて酒を飲んでいると、端王が言われた。「この高俅は両足で上手に球を蹴ることができるので、わたしはこの男を近習に置きたいのだが、どうだろうか?」王都尉が答えて言った。「殿下がこの者を用いられるのでしたら、宮中に留めて殿下にお仕えさせてやってください。」端王は喜んで、杯を執って謝意を示した。ふたりはあれこれよもやま話をすると、夜になってお開きになり、王都尉は自ら附馬府に戻ったが、このことは言うまでもない。

 

 

且说端王自从索得高俅做伴之后,就留在宫中宿食。高俅自此遭际zāo jì‌端王,每日跟随,寸步不离。未及两个月,哲宗皇帝晏驾yàn jià,无有太子,文武百官商议,册立cè lì端王为天子,立帝号曰徽宗,便是玉清教主微妙道君皇帝。登基之后,一向无事,忽一日,与高俅道:“朕zhèn欲要抬举tái ju你,但有边功biān gōng,方可升迁shēng qiān,先教枢密院shū mì yuàn与你入名,只是做随驾suí jià迁转qiān zhuǎn的人。”后来没半年之间,直抬举‌tái ju高俅做到殿帅shuài府太尉职事。正是:

 

 さて端王が高俅を探し出してお供にしてからというもの、宮中に留めて宿泊と食事をさせた。高俅は端王にめぐり合ってから、毎日お供をし、一寸も離れることがなかった。二ヶ月経たぬうちに、哲宗皇帝がお亡くなりになり、太子がおられなかったので、文武百官が協議し、端王を冊立(さくりつ)して天子とし、皇帝に立てて号して徽宗と言われた。すなわち玉清教主微妙道君皇帝である。即位されてから、ずっと何事もなかったが、ふとある日のこと、高俅にこう言われた。「朕(ちん)はそなたを抜擢してやりたいと思うのだが、辺境の守備で功績を上げ、はじめて昇格することができる。先ずは枢密院におまえの名前を登録し、朕の車馬に随行する者としよう。」その後半年も経たぬうちに、高俅を殿帥府太尉(でんすいふたいい。禁軍(皇帝を護衛する近衛軍)の最高司令官(長官))の役職にまで引き上げてやった。正に:

 

不拘bù jū贵贱guì jiàn齐云社,一味yī wèi模棱mó léng天下圆。

  抬举‌tái jǔ高俅毬qiú气力,全凭手脚会当权。

 

  貴賤に拘らない齊雲社、 やたらに曖昧な天下圓。

  高俅を蹴鞠の力で抜擢し、全く(蹴鞠の)手業足技(てわざあしわざ)によって権力を掴む。

 『水滸伝』今回より第二回です。洪信が妖魔を逃がしてしまったことから、宋の治世が乱れる種が撒かれることになります。そして先ず出て来るのは、都のゴロツキから宋朝廷を牛耳る姦臣に出世した高俅の話。この男は、金持ちのドラ息子の太鼓持ちをして、歓楽街に入り浸り、親の金を使わせていましたが、その親に訴えられ、棒打ちの刑に処せられて都から追放されます。数年して皇帝の恩赦で都に戻るも、身元の引受人に嫌がられ、何人もたらいまわしにされてしまいます。さて高俅の運命や如何。『水滸伝』第二回の始まりです。

 

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王教头私走延安府

九纹龙大闹史家村

 

王教頭は私(ひそか)に延安府に走(に)げ

九紋龍は大いに史家村を鬧(さわ)がす

 

 

 话说当时住持真人对洪太尉说道:“太尉不知,此殿中当初是祖老天师洞玄dòng xuán‌‌‌真人传下法符fǎ fú,嘱付zhǔ fù道:‘此殿内镇锁zhèn suǒ着三十六员天罡星tiān gāng xīng,七十二座地煞星dì shà xīng‌,共是一百单八个魔君mó jūn在里面。上立石碑,凿záo着龙章凤篆lóng zhāng fèng zhuàn天符,镇住在此。若还放他出世,必恼下方生灵。’如今太尉放他走了,怎生是好?”有诗为证:

 

 さてこの時住持の真人は、洪太尉にこう言った。「太尉殿はご存じないが、この御殿の中に当初は祖老の天師である洞玄真人様が法符(仏法の力や神仏の加護が込められたお札や護符)を伝えられ、こう言いつけられたのです。「この御殿の中に三十六員の天罡星(てんこうせい。北斗七星、およびそれに由来する36人の神々や宿星のこと)と七十二座の地煞星(ちさつせい。72個の下位の魔星(宿星))を鎮め鎖(と)ざし、全部で百八の魔君が中におります。上には石碑を立て、龍章鳳篆の天符を刻み、ここに鎮めたのです。もしこれを放って世に出すようなことがあると、必ずや下界の人間界の人々を悩ますことになりましょう。」今太尉殿はこれを放って走(に)がしておしまいになりました。どうして良いことが生じましょう?」詩の内容がそれを証明している。

 

  千古qiān gǔ幽扃yōu jiōng一旦yī dàn开,天罡地煞出泉台。

  自来无事多生事,本为禳ráng灾却惹rě灾。

  社稷shè jì从今云扰扰rǎo rǎo,兵戈到处闹垓垓ɡāi ɡāi。

  高俅gāo qiú奸佞jiān nìng虽堪kān恨hèn‌‌,洪信从今酿niàng祸胎huò tāi。

 

  千古の幽扃(ゆうけい。固く閉ざされた門や扉)を一旦開けば、天罡と地煞が泉台(せんだい。あの世、黄泉(よみ)の国)より出(い)ずる。

  自来事無きも事多く生じ、本(もと)災いを禳(はら)うを為すが却って災いを惹(まね)く。

  社稷(しゃしょく)は今より雲が擾擾(じょうじょう。世の中や人びとが乱れて騒がしく、落ち着かないさま)とし、兵戈(へいか)は到るところやかましく鬧(さわ)ぐ。

  高俅(こうきゅう)の奸佞(かんねい。心がねじけて悪賢く、上の人にこびへつらう)は甚だ恨むべきだが、洪信は今より禍胎(かたい。災いの起こる原因や、将来に災いをもたらす根源(禍根))を醸(かも)す。  

 

 

 当时洪太尉听罢,浑身hún shēn冷汗,捉颤zhuō chàn不住。急急收拾行李,引了从人,下山回京,真人并道众送官已罢,自回宫内,修整殿宇,起竖石碑,不在话下。

 

 この時、洪太尉はそれを聞いて、全身から冷汗が出て、震えが止まらなかった。急いで荷物をまとめると、従者を連れ、山を下り都へ帰ることとし、真人や道士らは太尉の見送りが済むと、宮殿の中に戻り、殿宇を修理し、石碑を立てたが、そのことは言うまでもない。

 

 

 再说洪太尉在途中分付fēn fù从人cóng rén,教把走妖魔yāo mó一节,休说xiū shuō 与外人知道,恐天子知而见责。于路无话,星夜回至京师,进得汴梁biàn liáng城,闻人所说:“天师在东京禁院jìn yuàn做了七昼夜好事,普施pǔ shī符籙fú lù,禳救ráng jiù 灾病,瘟疫wēn yì尽消,军民安泰。天师辞朝,乘鹤驾云,且回龙虎山去了。”洪太尉次日早朝,见了天子,奏说“天师乘鹤驾云,先到京师,臣等驿站而来,才得到此。”仁宗准奏,赏赐shǎng cì洪信,复还旧职,亦不在话下。

 

 さて洪太尉は途中でお供の者たちに、妖魔を逃がしてしまったことについて、漏らして外部の人に知られてはならないと言いつけた。天子に知られ、責任を取らされるのを恐れたのだ。この路程では言うべきこともなく、夜も道を急いで京師に戻り、汴梁(べんりょう)城に入ると、人がこう言うのを聞いた。「天師様は東京(とうけい)の禁院(宮中の庭園)で七昼夜の好事(道教の祭祀)を行われ、広く人々に魔除けの護符を施され、災害や病気から救うお祓いをされ、疫病の消滅、軍民の安泰を祈願された。それから天師様は朝廷を辞され、鶴に乗り雲を駕(あやつ)り、龍虎山に帰って行かれた。」洪太尉は翌日の早朝、天子にお目通りし、奏上して言った。「天師は鶴に乗り雲を駕 り、先に京師に着かれましたが、臣らは驛站を経て来ましたので、ようやくこちらに戻りました。」仁宗はこの奏上を受け入れ、洪信に褒美を取らせ、また旧職に復させたのだが、このことは別段言うまでもない。

 

 

 后来仁宗天子在位共四十二年,晏驾yàn jià‌,无有太子,传位chuán wèi濮安懿王pú ān yì wáng允让yǔn ràng之子,太宗皇帝的孙,立帝号曰英宗。在位四年,传位与太子神宗。神宗在位一十八年,传位与太子哲宗zhé zōng。那时天下尽皆太平,四方无事。

 

 後に仁宗天子は在位四十二年にして崩御され、太子がおられなかったので、帝位は濮安懿王允譲の子、太宗皇帝の孫にあたるお方に伝えられ、皇帝に立たれて号して英宗と言われた。在位四年で、位は太子の神宗に伝えられた。神宗は在位十八年、位は太子の哲宗に伝えられた。この時天下は尽く皆太平であり、国の四方でもめ事は無かった。

 

 

 且说东京开封府汴梁‌biàn liáng宣武军,一个浮浪fú làng破落户pò luò hù子弟,姓高,排行第二,自小不成家业,只好刺枪cì qiāng使棒shǐ bàng,最是踢tī得好hǎo脚气毬jiǎo qì qiú,京师人口顺kǒu shùn,不叫高二,却都叫他做高毬gāo qiú。后来发迹fā jì,便将气毬那字去了毛傍páng,添作立人lì rén,便改作姓高,名俅。这人吹弹歌舞,刺枪使棒,相扑xiāng pū顽耍wán shuǎ‌‌‌,亦胡乱学诗、书、词、赋fù。若论仁、义、礼、智、信、行、忠、良,却是不会,只在东京城里城外帮闲bāng xián。因帮了一个生铁shēng tiě王员外wáng yuán wài儿子使钱shǐ qián,每日三瓦sān wǎ两舍liǎng shě,风花雪月fēng huā xuě yuè,被他父亲开封府里告了一纸文状,府尹fǔ yǐn把高俅断了二十脊jǐ杖zhàng,迭配dié pèi出界chū jiè发放fā fàng,东京城里人民不许容他在家宿食。高俅无计奈何wú jì nài hé,只得来淮西‌huái xī‌临淮lín huái‌州,投奔tóu bèn一个开赌坊dǔ fāng的闲汉xián hàn柳大郎,名唤柳世权。他平生专好zhuān hào惜客养闲人,招纳zhāo nà四方干gān隔涝gé lào汉子。高俅投托tóu tuō得柳大郎家,一住三年。

 

 さて東京開封府汴梁の宣武軍(軍事行政区画の名)に、ひとりの遊び人の無頼漢の子弟で、姓は高、次男坊で、小さい時から家業に就かず、ただ槍や棒ばかり振り回し、特に蹴鞠を蹴るのが得意であった。京師の人々の言い方では、高二(高家の次男坊)とは呼ばず、皆彼のことを高毬(こうきゅう)と呼んだ。その後出世して、毬の字から毛偏を取り、人偏(にんべん)を着けて、姓は高、名は俅に改めた。この男は楽器の演奏や歌、踊りができ、槍や棒の術、相撲をして遊んだり、また適当に詩歌、書法、詞作(音楽に合わせて歌う形式の詩(宋詞)の創作)、賦文(詩と散文が混ざった文体)を学んだ。仁、義、礼、智、信、忠、良といった伝統的な美徳は持ち合わせず、ただ東京城の内外で権勢家に取り入り太鼓持ちをした。けちん坊の王員外の息子が金を浪費する手助けをしに、毎日三瓦両舎(さんわりょうしゃ。歓楽街や娯楽の総称)に入り浸り、放蕩三昧、彼の父親により開封府に訴え出られ、府尹(府の長官)は高俅を背中に二十発の棒打ちの刑に処し、また彼を外地へ流罪とし、東京の戸籍を取り消し、東京城内の人々は彼が元の家で暮らすのを許さなかった。高俅は仕方なく、淮西の臨淮州に行くと、そこで賭場を開いている遊び人の柳大郎(柳兄貴)、名前を柳世権の元へ身を寄せた。柳大郎は平素から食客を可愛がり居候を養っていて、方々のごろつきを受け入れていた。高俅は柳大郎の家に世話になり、三年暮らした。

 

 

 后来哲宗天子因拜南郊,感得风调雨顺fēng tiáo yǔ shùn,放宽恩fàng kuān ēn大赦天下dà shè tiān xià。那高俅在临淮州,因得了赦宥shè yòu罪犯,思量要回东京。这柳世权却和东京城里金梁桥jīn liáng qiáo下开生药铺的董dǒng将士是亲戚,写了一封书札shū zhá‌,收拾shōu shi些人事盘缠pán chan,赍发jī fā高俅回东京,投奔tóu bèn董将士家过活guò huó。

 

 後に哲宗天子が都の南郊で祭祀を行ったところ、風が収まり干ばつが解消したと思われたので、厚く恩徳を施し、天下に大いに恩赦を行うことになった。かの高俅は臨淮州に在って、罪を許されることになったので、東京に戻ろうと思った。この柳世権は東京城内の金梁橋のたもとで生薬を売る店を開いている董将士が親戚であったので、一通手紙を書き、いくらか贈り物と路銀を準備し、高俅が東京に戻る支援をしてやり、彼に董将士の家に身を寄せ生活をさせた。

 

 

 当时高俅辞了柳大郎,背上包裹bāo guǒ,离了临淮州,迤逦yǐ lǐ回到东京,径来jìng lái金梁桥下董dǒng生药家,下了这封信。董将士一见高俅,看了柳世权来书,自肚里寻思道:“这高俅我家如何安着ān zhuó得dé他?若是个志诚zhì chéng老实lǎo shi的人,可以容róng他在家出入,也教jiāo孩儿们学些好。他却是个帮闲bāng xián的破落户pò luò hù,没信行的人。亦且当初有过犯来,被断配duàn pèi的人,旧性必不肯改。若留住在家中,倒惹rě得孩儿们不学好了,待dāi不收留他,又撇不过piē bù guò柳大郎面皮miàn pí‌。”当时只得权且quán qiě欢天喜地huān tiān xǐ dì,相留在家宿歇sù xiē,每日酒食管待。住了十数日,董将士思量出一个路数lù shù,将出一套衣服,写了一封书简shū jiǎn,对高俅说道:“小人家下萤yíng火之光,照人不亮,恐后误了足下。我转荐jiàn足下与小苏学士处,久后也得个出身,足下意内如何?”高俅大喜,谢了董将士。董将士使个人将着书简,引领高俅,径到学士府内,门吏转报小苏学士,出来见了高俅,看了来书,知道高俅原是帮闲浮浪的人,心下想道:“我这里如何安着得他?不如做个人情,荐jiàn他去驸马fù mǎ王晋卿wáng Jìn qīng府里,做个亲随qīn suí‌。人都唤他做小王都太尉,他便喜欢这样的人。”当时回了董将士书札shū zhá,留高俅在府里住了一夜。次日,写了一封书呈shū chéng,使个干人gàn rén‌,送高俅去那小王都太尉处。

 

 この時高俅は柳大郎の家を辞し、荷物を背負い、臨淮州を離れ、ゆっくり東京に戻って来ると、そのまま真っすぐ金梁橋のたもとの董生薬店に行き、この手紙を差し出した。董将士は高俅を一目見るや、柳世権から来た手紙を見て、腹の中で思案して言った。「この高俅を、我が家では如何にしてこやつを落ち着かせることができるだろうか?もし誠実でおとなしい人物なら、家を出入りするのを許してやれるし、また子供たちに良い行いを学ばせることもできる。けれどもこいつは太鼓持ちになり下がったチンピラで、信用できない人物だ。しかも元々罪を犯し、僻地に流された人物で、元の性格は必ずしも改まっていないだろう。もし家に留めてやったら、却って子供たちが影響されてよくないことをおぼえるかもしれず、かといってこいつを家に留めてやらなかったら、柳兄貴の面子(メンツ)が立たないからな。」この時は、とりあえずはにこにこ笑顔で出迎え、家に泊まって休んでもらい、毎日酒やごちそうを出してもてなした。十数日が過ぎると、董将士は手だてを考え、衣服を一式用意し、書簡をしたためると、高俅に言った。「私の家では夜も蛍の微かな明かりしかなく、あなたを明るく照らしてあげることができず、ひょっとすると後々あなたにご迷惑をかけるかもしれません。それで、代わりにあなたを小蘇学士のところに紹介させていただけませんか。そうすれば、今後立身することもできましょう。あなたはどうお思いでしょうか?」高俅は大いに喜び、董将士に礼を言った。董将士は人に書簡を言付けさせ、高俅を連れ、まっすぐ学士府まで行くと、門番が小蘇学士に取り次いでくれ、学士が出て来て高俅に会うと、手紙を見て、高俅が元々太鼓持ちのチンピラだったと知り、心の中で思うよう。「わたしのところで、どのようにしてこやつを落ち着かせることができるだろうか。ここはやはり、董将士殿の体面も考え、こやつを附馬(皇帝の娘(皇女)の夫)の王晋卿殿のお屋敷に行かせて、お付きの者にするようご推挙した方がいいだろう。人は皆あの方のことを小王都太尉と呼んでいるが、あのお方はこのような人物がお好きだから。」この日の晩は董将士の手紙に返事を書き、高俅を屋敷内に一晩泊めてやった。翌日一通手紙を書くと、使いの者を遣わし、高俅をかの小王都太尉のところに送った。

 

 

 神宗皇帝の附馬の王晋卿の従者となることになった高俅、これから彼の運命にどのような展開が待っているのでしょうか? 次回をお楽しみに。

 上清宮に戻った洪信は、翌日三清殿の境内を案内されます。やがてその中の「伏魔之殿」という御殿にやって来ます。ここは唐代、洞玄国師がここに魔王を封じ込めた場所で、爾来歴代の天師が決して御殿の門の鍵を開けることなく、封印して守ってきたのですが、好奇心に駆られた洪信が無理やり門を開けさせ、御殿の中の封を解かせます。すると……。いよいよここにその後の物語に登場する、国を騒がす魔物たちが世に放たれることとなります。『水滸伝』第一回の最後の部分になります。ご覧ください。

 

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 次日早膳已后,真人道众并提点执事人等请太尉游山。太尉大喜。许多人从跟随着,步行出方丈,前面两个道童引路,行至宫前宫后,看玩许多景致。三清殿上,富贵不可尽言。左廊下,九天殿、紫微殿、北极殿;右廊下,太乙殿、三官殿、驱邪殿。诸宫看遍,行到右廊后一所去处。洪太尉看时,另外一所殿宇:一遭yī zāo都是捣椒dǎo jiāo红泥墙;正面两扇shàn朱红槅子gé zǐ‌;门上使着胳膊gē bo大锁锁着,交叉上面贴着十数道封皮fēng pí,封皮上又是重重叠叠chóng chóng dié dié使着朱印;檐yán前一面朱红漆金字牌额pái é,上书四个金字,写道:“伏魔之殿”。

 

 翌日朝食が済むと、真人や道士たち、並びに提点、執事らは太尉に寺院の中を見学してもらった。太尉は大いに喜んだ。多くの人々がそれに従い、歩いて方丈を出ると、前にはふたりの道童が引率し、宮殿の前院や後院へ行き、様々な風景を眺めた。三清殿は、その豪華さが言い尽くせぬ程だった。左廊を下ると、九天殿、紫微殿、北極殿があり、右廊を下ると、太乙殿、三官殿、駆邪殿があった。諸々の宮殿を一通り見ると、右廊の端のとある処に来た。洪太尉がそれを見ると、別にひとつの殿宇があった。建物の周囲は山椒を搗いて混ぜた赤く塗った壁で囲まれ、正面は二枚の朱色の開き戸になっていた。門には両腕で抱えるほど大きな錠が掛けられ、その上に交叉して十数枚の封印が貼られ、封印の上にもまた何重にも朱印が押されていた。軒の前には朱色の漆の面に金字で書かれた扁額が掲げられ、その上には四つの金字で、「伏魔之殿」と書かれていた。

 

太尉指着门道:“此殿是甚么去处?”真人答道:“此乃是前代老祖天师锁镇suǒ zhèn魔王之殿。”太尉又问道:“如何上面重重叠叠贴着许多封皮?”真人答道:“此是祖老大唐洞玄国师封锁魔王在此。但是经传一代天师,亲手便添一道封皮,使其子子孙孙不敢妄开wàng kāi。走了魔君mó jūn,非常利害。今经八九代祖师,誓不敢开。锁用铜汁tóng zhī灌铸guàn zhù,谁知里面的事。小道自来住持本宫三十余年,也只听闻。”洪太尉听了,心中惊怪,想道:“我且试看魔王一看。”便对真人说道:“你且开门来,我看魔王甚么模样。”真人告道:“太尉,此殿决不敢开。先祖天师叮咛dīng níng告戒gào jiè:今后诸人不许擅开shàn kāi。”

 

太尉は門を指さして言った。「この御殿はどういう場所なんですか?」真人が答えて言った。「ここはすなわち歴代の祖師が魔王を閉じ込め鎮めた建物です。」太尉がまた尋ねた。「どうしてこの上に何重にも封印が貼ってあるんですか?」真人が答えて言った。「これは曾て大唐の洞玄国師が魔王をここに閉じ込めたのです。けれども次の代の天師に伝える時、自ら一枚封印を追加し、子々孫々敢えて妄りに開かせないようにしました。魔王が逃げたらたいへんなことになるからです。これまで八九代の祖師が、敢えて開かぬと誓いました。溶かした銅を流して鋳込み施錠してあるので、中がどうなっているか誰にも分かりません。わたしが本宮の住持になってから、三十余年になりますが、これも皆ただ聞いた話です。」洪太尉はこう聞いて、心の中ではびっくりして、こう思った。「それにしても、試しに魔王を一目見たいものだ。」それで真人に言った。「ちょっと門を開けてもらえませんか。魔王がどんな姿かたちをしているか、見てみたいのです。」真人が告げて言った。「太尉殿、この御殿は決して開けはしませぬぞ。先祖の天師様がよくよく言いつけ、戒めておられます。今後も何人も勝手に門を開けるを許さぬと。」

 

太尉笑道:“胡说!你等要妄生wàng shēng怪事guài shì‌,煽惑shān huò百姓良民,故意安排这等去处,假称锁镇魔王,显耀xiǎn yào你们道术。我读一鉴jiàn之书,何曾见锁魔之法。神鬼之道,处隔chǔ gé幽冥yōu míng,我不信有魔王在内。快疾kuài jí与我打开,我看魔王如何。”真人三回五次禀说:“此殿开不得,恐kǒng惹rě‌利害,有伤于人。”太尉大怒,指着道众说道:“你等不开与我看,回到朝廷,先奏你们众道士阻当zǔ dāng宣诏xuān zhào,违别wéi bié圣旨shèng zhǐ,不令我见天师的罪犯;后奏你等私设此殿,假称锁镇魔王,煽惑shān huò军民百姓。把你都追zhuī了度牒dù dié,刺配cì pèi远恶军州yuǎn è jūn zhōu受苦。”真人等惧怕jù pà太尉权势,只得唤几个火工huǒ gōng道人来,先把封皮揭jiē了,将铁锤‌tiě chuí‌打开大锁。众人把门推开,看里面时,黑洞洞地,但见:

 

太尉が笑って言った。「いい加減なことを言って。あなたは妄りに奇怪な話をでっち上げて、大衆や良民を惑わし、わざとこんな場所を作って、魔王を閉じ込め鎮めたと称し、あなたがたの道術をひけらかしておられるんだ。わたしは国子監に収蔵されたあらゆる典籍を読んだことがあるが、未だ曾て妖魔を鎮め監禁する法術など見たことがない。神霊や亡霊のいる世界は、人の暮らす世界とは明確に隔てられているから、わたしは魔王がこの中にいるとは信じられない。さっさとわたしに門を開けてくれ、わたしが魔王がどんな様子か見てやる。」真人が何度も繰り返してこう申し上げた。「この御殿を開けることはできません。おそらく酷いことが引き起こされます。人々を傷つけることになります。」太尉は大いに怒り、道士たちを指さして言った。「おまえらが門を開けてわたしに見せてくれないなら、朝廷に帰って、先ずおまえら道士たちが詔書を宣読するのを妨げ、聖旨に背き、わたしに天師の罪を見せないようにしたと奏上してやる。それからおまえらが私的にこんな建物を建て、偽って魔王を閉じ込め鎮めたと称し、軍民や大衆を惑わしていると奏上してやる。おまえたちは皆僧侶の身分をはく奪され、顔に入れ墨をされて辺境の環境劣悪なところに流され、重労働をさせられることになるぞ。」真人らは太尉の権勢を怖れ、何人か寺の雑役夫を呼んで来ると、先ず封印を剥がし、金槌で叩いて錠前を開けた。人々が門を押して開け、中を見ると真っ暗闇であった。その有様は:

 

 

  昏昏默默hūn hūn mò mò,杳杳冥冥yǎo yǎo míng míng。

  数百年不见太阳光,亿万载zǎi难瞻zhān明月影。

  不分南北,怎辨东西。黑烟霭霭ǎi ǎi扑pū人寒,冷气阴阴侵qīn体颤zhàn。

  人迹不到之处,妖精往来之乡。闪开shǎn kāi双目shuāng mù有如盲máng,伸出两手不见掌。

  常如三十夜,却似五更wǔ gēng时。

 

  何も見えず何も聞こえない静寂の中、ぼんやりとして判然としない。

  何百年も太陽の光を見ず、何万年も明月の影を見たことがない。

  南北の区別がないのに、どうして東西を判別できるだろう。黒い煙が立ち込めて顔に吹き付けると寒気を覚え、冷たい空気は音もなく身体に浸みて全身がたがた震える。

  人跡の到らぬところは、妖精が行き来する場所だ。両眼を見開いてもまるでめくらのようで、両手を伸ばしても手のひらが見えない。

  つまるところ(農歴の)月末の(月明かりの無い)真っ暗闇のようで、五更の時刻(夜中の3-5時)のよう(夜明けは近いがまだ暗い)だ。

 

 

 众人一齐都到殿内,黑暗暗不见一物。太尉教从人取十数个火把huǒ bǎ点着,将来打一照时,四边并无别物,只中央一个石碑,约高五六尺,下面石龟趺坐fū zuò‌,太半tài bàn陷xiàn在泥里。照那碑碣bēi jié‌上时,前面都是龙章凤篆lóng zhāng fèng zhuàn,天书tiān shū符箓fú lù,人皆不识。照那碑后时,却有回个真字zhēn zì大书dà shū,凿záo着“遇洪hóng而开”。却不是一来天罡星 tiān gāng xīng合当hé dāng出世,二来宋朝必显忠良,三来凑巧遇着洪信。岂不是天数!洪太尉看了这四个字,大喜,便对真人说道:“你等阻当zǔ dǎng我,却怎地zěn dì数shù百年前已注我姓字在此?‘遇洪而开’,分明fēn míng是教我开看,却何妨hé fáng‌!我想这个魔王,都只在石碑底下。汝rǔ等从人与我多唤huàn几个火工人等,将锄头chú tou铁锹tiě qiāo来掘jué开。”真人慌忙huāng máng谏jiàn道:“太尉,不可掘动!恐有利害,伤犯shāng fàn于人,不当稳便bù dàng wěn biàn。”太尉大怒,喝hè道:“你等道众,省xǐng得甚么shèn me!碑上分明凿着遇我教开,你如何阻当!快与我唤人来开。”真人又三回五次禀道:“恐有不好。”太尉那里肯听。只得聚集众人,先把石碑放倒fàng dǎo,一齐yī qí并力bìng lì掘那石龟,半日方才掘得起。又掘下去,约有三四尺深,见一片大青石板,可方丈围。洪太尉叫再掘起来。真人又苦禀道:“不可掘动!”太尉那里肯听。众人只得把石板一齐扛gāng起,看时,石板底下却是一个万丈wàn zhàng深浅shēn qiǎn地穴dì xué‌。只见穴内刮剌剌guā là là一声响亮,那响非同小可,恰似:

 

 人々は一斉に殿内に入ったが、真っ黒で何も見えなかった。太尉は従者に十本余りの松明(たいまつ)に火を点けさせ、それで照らして見ると、四方にはとりたてて何も無かったが、ただ中央に石碑がひとつ有り、およそ高さが五六尺、下には石の亀が鎮座していたが、その大方が泥の中に埋まっていた。その石碑を照らして見ると、前面は龍の紋や鳳のように神秘的に屈曲した、神様の書いたまじないや秘文で、誰にも分からなかった。石碑の後ろを照らして見ると、はっきりした楷書で、「遇洪而開」(洪に出逢って開く)と刻まれていた。これは決して偶然ではなく、一に天罡星(てんこうせい。北斗七星の柄の部分。)がちょうど人間社会に降りて来るタイミングに当たり、二に宋朝に必ず忠誠賢良の士が出現することになっており、三にちょうどたまたま洪信に出逢ったためであった。まさかこれは天が定めた運命ではないだろうか。洪太尉はこの四文字を見ると、大いに喜び、真人に言った。「あなたがたはわたしを阻(はば)んだのに、どうして数百年も前に既にわたしの姓がここに書かれているのかね?「遇洪而開」は、明らかにわたしに開いて見るよう言っているのに、どうして邪魔をするんだ!わたしは、この魔王は石碑の底にいるに違いないと思う。おまえたち手下どもは、わたしに代わってもっとたくさん雑役をする僕(しもべ)たちを呼んで来て、くわやシャベルで掘り起こして開けてくれ。」真人は慌てて諫めて言った。「太尉殿、ここを掘って動かしてはなりませんぞ。恐らくたいへんなことが起こり、人々に危害を与えますぞ。こんなことをするのはよくありません。」太尉は大いに怒り、怒鳴って言った。「おまえら道士たちは、何を考えておるのか!石碑にわたしに出逢ったら開けさせるようはっきり書いてあるのに、おまえたちはどうして邪魔をするんだ!早くわたしに代わって人を呼んで来て開けてくれ。」真人はまた何度も申し上げて言った。「恐らく良くないことが起こります。」太尉がどうしてそれを聞いてうんと言うだろう。人を集めて来るしかなく、先ず石碑を横に倒すと、一斉に力を合わせ、かの石の亀を掘り起こし、半日かけてようやく掘り起こした。また掘り進めて行き、およそ三四尺(1-1.3メートル)の深さまになると、大きな青い石の板が見え、およそ周囲の長さが一丈(3.2メートル)ほどもあった。洪太尉は更に掘るよう命じた。真人がまた懸命に申し上げて言った。「掘って動かしてはなりませんぞ!」太尉がどうしてそれを聞いてうんと言うだろう。人々は仕方なく石の板を一斉に持ち上げ、見てみると、石の板の下は深くて底の見えぬ洞窟になっていた。ふと見ると穴の中からゴーッと凄まじい音が響き渡り、その音は普通とは異なっていた。あたかも:

 

 

  天摧tiān cuī 地塌dì tā‌,岳撼yuè hàn山崩shān bēng‌。

  钱塘江‌qián táng jiāng上,潮头cháo tóu浪làng拥yōng出海门hǎi mén来;

  泰华tài huá山头shān tóu,巨灵神jù líng shén一劈yī pī山峰碎shān fēng suì。

  共工‌gòng gōng奋怒,去盔kuī‌撞zhuàng倒了不周山;

  力士施威shī wēi,飞锤chuí击碎了始皇辇niǎn。

  一风撼折hàn zhé千竿gān竹,十万军中半夜雷。

 

  天はぽっきり折れ地は陥没し、岳(高山)は揺れ動き山は崩れる。

  銭塘江では、潮の先端の浪が海門(海と川の境)で押し合う。

  太華山の頂上で巨霊神が斧を一振り振り下ろせば、山の峰が砕け散る。

  水神の共工が憤怒し、兜を脱ぎ、ぶつかって(天を支える柱がある)不周山を倒した。

  力士は威を振るい、鎚を飛ばして始皇帝の輦車(れんしゃ。皇帝の御座される車)を撃ち壊した。

  一陣の強風が千本の竹をへし折り、十万の軍中に夜半雷鳴が轟く。

 

 

 那一声响亮过处,只见一道黑气,从穴里滚gǔn将起来,掀塌xiān tā了半个殿角diàn jiǎo。那道黑气直冲上半天里,空中散作百十道金光,望四面八方去了。众人吃了一惊,发声喊,都走了,撇piē下锄头铁锹,尽从殿内奔将出来,推倒dǎo攧翻diān fān无数。惊得洪太尉目睁zhēng痴呆chī dāi,罔知所措wǎng zhī suǒ cuò,面色如土。奔到廊下,只见真人向前叫苦不迭jiào kǔ bù dié。太尉问道:“走了的却是甚么妖魔?”那真人言不过数句,话不过一席,说出这个缘由yuán yóu。有分教:一朝皇帝,夜眠不稳,昼食忘餐。直使zhí shǐ宛子城wǎn zǐ chéng中藏cáng 猛虎,蓼儿洼liǎo er wā内聚jù 飞龙。毕竟龙虎山真人说出甚言语来,且听下回分解。

 

 かの轟音が響き渡ったところから、ふと見ると一筋の黒い煙が、穴の中から沸き起こったかと思うと、この伏魔殿の一角の半ばにぶち当たって打ち倒した。その黒い煙はそのまままっすぐ天の半ばまで突き進むと、空中で百十本の金の光に分かれ、四方八方に向け散って行った。人々はびっくり仰天し、叫び声をあげ、皆走って逃げ、くわやシャベルを放り投げ、尽くが殿内から飛び出して来て、押されて倒れ、転んでひっくり返る者は数知れずだった。洪太尉は驚いて目を見開きぼんやりとし、どうしてよいか分からず、顔から血の気が引いた。廊下まで逃げて来ると、真人が前を向いてしきりに悲鳴を上げていた。太尉が尋ねて言った。「逃げて行ったのはどんな妖怪なんだ?」かの真人は言葉少なに、ごくごく短く、このいきさつを話した。さてこのことで引き起こされたのは:今朝(こんちょう)の皇帝は、(心配のあまり)夜もぐっすり眠れず、昼食も食べるのを忘れた。そしてこのことで宛子城(えんしじょう。架空の城塞の名)の中には猛々しい虎が隠れ、蓼児窪(りょうじわ。楚州の南門外にあったとされる地名)には飛龍が集まった。さて龍虎山の真人はどんなことを言ったのでしょうか。次回に解説いたします。

 

 

 こうして第二回以降、国を騒がす様々な事件が起こることになります。引き続き、『水滸伝』第二回以降を読んでいきたいと思います。

 虎や白蛇の襲来に驚かされた洪信でしたが、何とかこれらを無事にやり過ごすと、赤牛にまたがった道童(道観(道教の寺院)に入って間もない、修行中の少年)がやって来ます。この童(わらべ)の口から、天師が既に疫病平癒の祈祷を行いに都へ向かわれたと告げられます。そこで洪信は山頂の庵には向かわず、麓の上清宮に引き返しますが、住持から、山で出逢った童こそ、天師であったと告げられます。それでは、水滸伝第一回、その3をご覧ください。

 

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 那条大蛇径jìng抢qiǎng到盘砣石pán tuó shí边,朝着洪太尉盘做一堆,两只眼迸出金光,张开巨口,吐tǔ出舌头,喷那毒气在洪太尉脸上。惊得太尉三魂荡荡dàng dàng,七魄pò悠悠yōu yōu。那蛇看了洪太尉一回,望山下一溜liū,却早不见了。太尉方才爬得起来,说道:“惭愧!惊杀下官!”看身上时,寒粟子hán sù zi比馉饳儿gǔ duò ér大小。口里骂那道士:“叵耐pǒ nài无礼wú lǐ,戏弄xì nòng下官,教俺ǎn受这般惊恐jīng kǒng!若山上寻不见天师,下去和他别有话说。”

 

 かの大蛇はまっすぐでこぼこの石の傍(そば)に跳んで行くと、洪太尉の方を向いてとぐろを巻き、両方の目から金色の光を発し、大きな口を開け、舌を伸ばすと、毒気を洪大尉の顔に噴きかけた。びっくりした大尉は慌てふためいて、平静ではおれなくなった。その蛇は洪大尉を一度見たが、山の下に向け滑り降りると、すぐに姿が見えなくなった。太尉はようやく立ち上がると、言った。「危ないところだった。もう少しで本官は驚いて心臓が止まるところだった。」身体を見ると、鳥肌が立って揚げ菓子より大きなできものができていた。口の中であの道士を罵(ののし)った。「こんな無礼は許さんぞ。本官をからかい、わたしにこんな恐怖を味合わせよって。もし山上で天師に会えなかったら、山を下りてからあいつに別に言うことがあるぞ。」

 

再拿了银提炉,整顿身上诏敕并衣服巾帻jīn zé,却待再要上山去。正欲移步,只听得松树背后隐隐地笛dí声吹响,渐渐近来。太尉定睛看时,只见那一个道童dào tóng,倒骑着一头黄牛,横吹着一管铁笛,转出山凹shān āo来。太尉看那道童时,但见:

 

再び銀の手提げ香炉を持つと、身に着けた詔勅と衣服、頭巾を整え、また山を登ろうとした。ちょうど足を踏み出そうとしていると、松の木の背後からかすかに笛を吹く音が聞こえ、その音が次第に近づいてきた。大尉が目を凝らして見ると、ひとりの道童(道観(道教の寺院)に入って間もない、修行中の少年)が、赤牛の背中に逆さにまたがり、鉄の笛を横に構えて吹きながら、山間の窪地から出て来た。太尉がかの道童を見ると、その有様は:

 

 

  头绾wǎn两枚méi丫髻yā jì,身穿一领青衣;腰间绦tāo结草来编,脚下芒鞋máng xié麻间隔má jiàn gé。

  明眸皓齿míng móu hào chǐ‌,飘飘piāo piāo并不染尘埃chén āi;绿鬓lǜ bìn朱颜zhū yán,耿耿gěng gěng全然无俗态quán rán wú sú tài。

 

  髪の毛を頭の両側で二本の髷(まげ)に結い、身には粗末な黒い服を着ていた。腰のベルトは草で編んだものを結び、足元の草履はススキと麻を交互に編んで作ったものだった。

  つぶらな瞳で歯は真っ白、飄然として少しも世塵の汚れに染まっていなかった。艶々とした黒毛の鬢に赤く艶やかな頬、純粋で全く世俗に染まっていなかった。

 

 

昔日吕洞宾lǚ dòng bīn‌有首牧童诗道得好:

 

曾て呂洞賓(りょ どうひん。中国の代表的な仙人である「八仙(はっせん)」のひとりで、唐末・宋初の道士)の牧童を詠んだ詩がうまく書けている。

 

 

  草铺pū横héng野六七里,笛dí弄nòng晚风三四声。

  归来饱饭bǎo fàn黄昏huáng hūn后,不脱蓑衣suō yī卧wò月明。

 

  草原は広野を通し六七里に亘って続き、笛は夜の風に乗って三四度聞こえてくる。

  帰宅し腹いっぱいに食事をすればもう黄昏(たそがれ)時を過ぎ、蓑も脱がずに草地に横になり月を眺める。

 

 

 只见那个道童,笑吟吟xiào yín yín地骑着黄牛,横吹着那管铁笛,正过山来。洪太尉见了,便唤huàn那个道童:“你从那里来?认得我么?”道童不采,只顾吹笛。太尉连问数声,道童呵呵大笑,拿着铁笛,指着洪太尉说道:“你来此间,莫非要见天师么?”太尉大惊,便道:“你是牧童,如何得知?”道童笑说:“我早间zǎo jiān在草庵cǎo ān中伏侍fú shi天师,听得天师说道:‘朝cháo中zhōng今上jīn shàng仁宗天子rén zōng tiān zǐ,差chāi个gè洪太尉赍擎jī qíng丹诏御香,到来山中,宣我往东京做三千六百分罗天大醮jiào,祈禳ráng天下瘟疫wēn yì。我如今乘鹤驾云去也。’这早晚想是去了,不在庵中。你休上去,山内毒虫猛兽极多,恐伤害了你性命。”太尉再问道:“你不要说谎huǎng?”道童笑了一声,也不回应,又吹着铁笛转过山坡shān pō去了。太尉寻思道:“这小的如何尽知此事?想是天师分付他,已定是了。”欲待再上山去,方才惊唬jīng xià的苦,争些儿送了性命,不如下山去罢。

 

 見るとその道童は、微笑みを浮かべて赤牛にまたがり、かの鉄の笛を横に構えて吹き、ちょうど山を越えて来たところだった。洪太尉がそれを見て、その道童に話しかけた。「おまえはどこから来たんだい?わたしのことを知っているかね?」道童は相手にせず、ただ笛を吹くのに集中した。太尉が何度も続けて問いかけると、道童は「ハハハ」と大笑いすると、鉄の笛を持って、洪太尉を指さしながら言った。「おまえはここに来て、天師様に会わないといけないんだろう?」太尉は大いに驚き、言った。「おまえは牧童のくせに、どうしてそんなことを知ることができるのかね?」道童が笑って言った。「わたしが今朝草庵の中で天師様にお仕えしていると、天師様がこう言われるのを聞いたんだ。「朝廷の方で、今上の仁宗皇帝が洪太尉を遣わし、朱砂の詔書と御香を携えさせ、山中に来られ、わたしに東京に行き、三千六百分の羅天大醮をして、天下に流行る疫病を祓う祈祷をするよう宣告されるだろう。わたしは今から鶴に乗り雲を駕(あやつ)って行ってくる」と。今時分はもうとっくに行かれたに違いないから、庵にはおられないよ。あなたはもう登るのはおよしなさい。山内には毒虫や猛獣が極めて多いから、恐らくあなたのお命を損ないますよ。」太尉が再び尋ねた。「おまえ、嘘を言っているんじゃないな?」道童は一声笑うと、もう応答せず、また鉄の笛を吹きながら、回れ右をして山道を行ってしまった。太尉はあれこれ思いめぐらして言った。「この小者はどうしてこんなに詳しく知っているんだろう?おそらく、天師がこの子に言いつけたに違いない。もうそう決まったんだ。」もともとまだ山を登るつもりでいたが、先ほど恐怖で苦しめられ、もう少しで命を落とす目に遭わされたので、やはり今となっては下山するに越したことがないと思った。

 

 

 太尉拿着提炉,再寻旧路,奔下山来。众道士接着,请至方丈坐下。真人便问太尉道:“曾见天师么?”太尉说道:“我是朝廷中贵官,如何教俺ǎn走得山路,吃了这般辛苦,争些儿送了性命!为头上至半山里,跳出一只吊睛白额大虫,惊得下官魂魄hún pò都没了。又行不过一个山嘴shān zuǐ,竹藤里抢qiǎng出一条雪花大蛇来,盘pán做一堆duī,拦lán住去路。若不是俺ǎn福分大,如何得性命回京。尽是你这道众,戏弄下官!”真人复道:“贫道pín dào等怎敢轻慢qīng màn大臣,这是祖师zǔ shī试探shì tàn太尉之心。本山虽有蛇虎,并不伤人。”

 

 太尉は手提げの香炉を持つと、再びもと来た道を通り、下山した。道士たちがそれを出迎え、方丈にお座りいただいた。真人が太尉に尋ねて言った。「天師にお会いになられましたか?」太尉が言った。「わたしは朝廷の高官である。どうしてわたしに山道を歩かせ、こんな苦労を味合わせ、危うく命を失う目に遭わせたんだ!最初は山の中腹まで登った時に、目の吊り上がった白い額の虎が跳び出し、本官は驚いて腰を抜かしてしまった。それからまたひとつ尾根にも行かぬうちに、竹や藤の間から一匹の真っ白な大蛇が跳び出し、とぐろを巻いて道を遮った。もしわたしに運があまり無ければ、どうして命を長らえて都に帰ることができただろう。これというのも皆、おまえたち道士が、本官を愚弄したせいだ!」真人はこう言って返した。「拙僧らがどうしてわざわざお大臣様を軽く見ることなどできましょう。これは祖師様が太尉様の心を試されたのです。本山には蛇や虎がおりますが、決して人を傷つけることはありません。」

 

太尉又道:“我正走不动,方欲再上山坡shān pō,只见松树傍边转出一个道童,骑着一头黄牛,吹着管铁笛dí,正过山来。我便问他:‘那里来识得俺么?’他道:‘已都知了。’说天师分付,早晨乘鹤驾云望东京去了。下官因此回来。”真人道:“太尉可惜错过,这个牧童正是天师。”太尉道:“他既是天师,如何这等猥獕wěi cuī?”真人答道:“这代天师非同小可,虽然年幼,其实道行dào heng非常。他是额外之人,四方显化,极是灵验líng yàn。世人皆称为道通祖师。”洪太尉道:“我直如此有眼不识真师,当面错过!”真人道:“太尉但请放心,既然祖师法旨fǎ zhǐ道是去了,比及太尉回京之日,这场醮jiào事祖师已都完了。”太尉见说,方才放心。真人一面教安排筵宴yán yàn,管待太尉;请将丹诏dān zhào收藏shōu cáng于御书匣yù shū xiá内放了,留在上清宫中,龙香就三清殿上烧了。当日方丈fāng zhàng内大排dà pái斋供zhāi gòng,设宴饮酌yǐn zhuó。至晚席罢bà,止宿sù到晓xiǎo。

 

太尉がまた言った。「わたしが本当に疲れて動けなくなって、ちょうど再び山道を上がって行こうとしていると、松の木の傍からひとりの道童が出て来て、一頭の赤牛にまたがり、鉄の笛を吹きながら、ちょうど山を越えて来るところだった。わたしはそれでその道童に尋ねた。「どこでわたしのことを知ったのだね?」その童(わらべ)は言った。「もうみんな分かっているよ。」天師が言付けられ、早朝に鶴に乗り雲を駕(あやつ)って東京目指して行かれるとのことだった。本官はそれで戻って来たんだ。」真人が言った。「太尉様、残念ながら間違われましたな。その牧童こそ正に天師様だったのです。」太尉が言った。「あの童が天師なら、どうしてこんな子供じみたことをされたんだね?」真人が答えて言った。「今の天師様は普通とは違うお方で、お年は若いが、実はその道術の修養はみごとなものなのです。この方は規範を超越した人で、四方に自在に姿を現したり変身することができ、極めて霊験のある方なのです。世人は皆この方の道術は祖師様に通じるものがあると言っております。」洪太尉が言った。「わたしは全くこの通り真の天師を識別する眼を持たず、面と向かいながら見抜けなかった!」真人が言った。「太尉様、でもご安心なさいませ。既に祖師様のご意向として行くと仰せられたのですから、太尉様が都にお帰りになる日までに、この度の祭礼を祖師様はもう終えてしまわれていましょう。」太尉はこの言葉を聞いて、ようやく安心した。真人は一方で宴席の手配をさせ、太尉をもてなした。朱砂の詔書を御書箱の中に収蔵して置かせ、上清宮の中に留め、龍涎香を三清殿で焚かせた。この日、方丈内では大規模に精進料理の宴席を催し、宴席では酒がふるまわれた。夜には宴席がお開きになり、そのまま朝までそこに泊まった。

 

 こうして一仕事終えた洪信は、三清殿に一泊後、翌日は廟宇の中を案内されますが、そこでこの物語の起点となる、大宋帝国を揺るがす大騒動が引き起こされるのですが、それは次回をお楽しみにしてください。

 

 

 皇帝から託された詔書を上清宮の天師に伝えねばならない洪信は、住持の助言により、ひとり龍虎山に登り、山頂に庵を結んでいるという天師に会いに行きます。ところが途中で虎や白蛇が跳び出してきて、殺されるのではないかと肝を冷やします。さて洪信は無事天師に会えるのでしょうか?『水滸伝』第一回 その2です。

 

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 当下上至住持真人,下及道童侍从,前迎后引,接至三清殿上,请将诏书,居中jū zhōng供养gòng‌ yǎng着。洪太尉便问监宫真人道:“天师今在何处?”住持真人向前禀bǐng道:“好教hǎo jiào太尉得知dé zhī‌:这代祖师号曰‘虚靖天师’,性好清高,倦juàn于迎送,自向龙虎山顶,结一茅庵máo ān,修真zhēn养性yǎng xìng。因此不住本宫。”

 

 この時、上は住持の真人(自然の摂理や道の奥義を悟り、俗世を超越した理想の人物)から、下は雑役を行う道童(道観(道教の寺院)に入って間もない、修行中の少年や若者)や侍従まで、前では太尉を出迎え、後ろでは引率して三清殿までお連れし、詔書は、本堂の真ん中にお供えされた。洪太尉はそれで監宮の真人に尋ねて言った。「天師は今何処(いずこ)におられる?」住持の真人は前に進み出て申し上げて言った。「どうか太尉殿ご理解ください。当代の祖師は号して「虚靖天師」と言われますが、その性(さが)清高を好まれ、迎送されるを倦(う)み、自ら龍虎山頂に茅の庵を結ばれ、真の養性を修めておられます。このため本宮にはお住まいになられていません。」

 

太尉道:“目今天子宣诏xuān zhào,如何得见?”真人答道:“容禀:诏敕权供在殿上,贫道等亦不敢开读。且请太尉到方丈献茶,再烦计议。”

 

太尉が言った。「今天子様からの詔書を読み上げねばならないが、どうすればお目にかかれるのか?」真人が答えて言った。「こう申し上げることをお許しください。詔勅はひとまず殿上にお供えいただけば、拙僧らも敢えて開いて読んだりはいたしません。それではどうか大尉様、方丈にてお茶を差し上げますので、その後でまた相談させてください。」

 

当时将丹诏供养在三清殿上,与众官都到方丈。太尉居中坐下,执事人等献茶,就进斋供zhāi gòng,水陆俱备。斋罢,太尉再问真人道:“既然天师在山顶庵中,何不着人请将下来相见,开宣丹诏?”真人禀道:“太尉,这代祖师虽在山顶,其实道行dào heng非常,清高自在,倦juàn惹rě凡尘fán chén。能驾jià雾wù兴xīng云,踪迹zōng jì不定,未尝下山。贫道等如常亦难得见,怎生教人请得下来!”太尉道:“似此如何得见!目今京师瘟疫盛行,今上天子特遣下官为使,赍捧‌jī pěng御书yù shū丹诏dān zhào,亲奉qīn fèng龙香lóng xiāng,来请天师,要做三千六百分罗天大醮‌luó tiān dà jiào,以禳ráng天灾,救济万民。似此怎生奈何?”

 

この時朱砂で書かれた詔書は三清殿にお供えし、お付きの役人たちも皆方丈に行った。太尉が中央に座ると、執事らが茶を献じ、次いでお斎(おとき。法要の後の食事の振る舞い)が出され、それには山海の珍味が共に具わっていた。お斎が済むと、太尉は再び真人に尋ねて言った。「天師が山頂の庵におられるなら、どうして人を遣って下に下りて来ていただいてお目にかかり、朱砂の詔書を開いて宣(の)べることができないのか?」真人が申し上げて言った。「太尉殿、当代の祖師は山頂におられますが、実はこの方が身につけられた修養は大したもので、品格は高潔洒脱、世俗のごたごたに染まるのを好まれません。霧を動かし雲を起こすことができ、行き先は定かでなく、未だ山を下りられたことがありません。拙僧らでもいつもお会いするのが難しいのに、どうして人に言って下りてきてもらうことなどできましょう。」「そうであるなら、どうすればお目にかかれるだろう?今京師では疫病が流行し、今上の天子様は特に本官を使いとして派遣され、天子が自ら書かれた朱砂の詔書を携え、自ら天子より賜った御香を奉じ、天師にお願いして、三千六百分の羅天大醮の祭礼を行い、それにより天災を祓い、万民を救済しなければならんのだ。いったいどうすればいいのだろう。」

 

真人禀道:“朝廷天子要救万民,只除是太尉办一点志诚心,斋戒沐浴zhāi jiè mù yù,更换布衣,休带从人,自背诏书,焚烧御香,步行上山礼拜,叩请天师,方许得见。如若心不志诚,空走一遭,亦难得见。”太尉听说便道:“俺从京师食素到此,如何心不志诚!既然恁nèn地,依着你说,明日绝早jué zǎo‌上山。”

 

真人が申し上げて言った。「朝廷で天子様が万民を救済されるなら、太尉殿が多少なりとも誠実心を発揮され、斎戒沐浴して布衣に着替え、従者を付けず、自ら詔書を背負い、御香を焚いて、歩いて山に上って礼拝し、天師に額づいてお願いされるしかありません。そうすれば、それでようやくお会いするのを許されるかもしれません。」太尉はそれを聞いて言った。「俺は京師よりここまでずっと精進を続けてきたのに、どうして気持ちに誠実でないところなどあろうか。こうなったからには、おまえの言う通り、明日は朝一番に山に登るとしよう。」

 

 

 当晚各自权歇。次日五更时分,众道士起来,备下香汤xiāng tāng斋供zhāi gòng。请太尉起来,香汤沐浴,换了一身新鲜布衣,脚下穿上麻鞋草履má xié cǎo lǚ,吃了素斋,取过丹诏,用黄罗包袱背在脊梁上,手里提着银手炉,降降jiàng jiàng地烧着御香。许多道众人等,送到后山,指与路径lù jìng。真人又禀道:“太尉要救万民,休生退悔tuì huǐ之心,只顾志诚上去。”

 

 その晩は各自とりあえず休息した。翌日五更(夜中の三時から五時)の時分に、道士たちは起き出し、沐浴用の香湯(香料を入れて沸かしたお湯)とお斎を準備した。太尉に起床いただき、香湯で沐浴してもらうと、新しい布衣に着替え、足には麻や草で編んだ草鞋を履き、精進のお斎を食べると、朱砂の詔書を取り、黄色い羅の袱紗で包むと背中に背負い、手には銀の手提げの香炉を提げ、盛んに御香を燃やした。多くの道士らは、後ろの山まで見送ると、この後の道すじを指(さ)し示した。真人も申し上げて言った。「太尉殿が万民を救済されようとするなら、後悔の気持ちをいだかれてはなりません。ただ志に対し誠実であらせませ。」

 

 

 太尉别了众人,口诵sòng天尊宝号,纵步zòng bù上山来。将至半山,望见大顶直侵qīn霄汉xiāo hàn,果然好座大山。正是:

 

 太尉は人々と別れると、口で天尊宝号(道教の神様の尊称)を唱えながら、大股で山を登って行った。やがて山の中腹まで着いて、見上げると頂上が直接大空に接していて、果たして姿の良い大山であった。まさに:

 

 

  根盘gēn pán地角dì jiǎo,顶接天心。

  远观yuǎn guān磨断mó duàn乱云luàn yún痕hén,近看平吞píng tūn明月魄pò。

 

  山の根元は地面の縁(へり)に盤踞し、頂上は天空の中心に接している。

  遠くから観ると高く聳える山の頂が乱雲を切り裂き雲の痕跡が残り、近くを看れば山勢は平坦で開け、あたかも明月の霊魂を飲み込んだかのようだ。

 

  高低不等谓之山,侧石通道谓之岫xiù,孤岭gū lǐng崎岖qí qū 谓之路,上面极平谓之顶,头圆下壮谓之峦luán‌,隐虎yǐn hǔ藏豹cáng bào谓之穴xué,隐风隐云谓之岩,高人隐居谓之洞,有境有界谓之府,樵人qiáo rén出没谓之径,能通车马谓之道,流水有声谓之涧jiàn‌,古渡源头谓之溪xī,岩崖yán yá滴水谓之泉。

 

  高低等(ひと)しからざる地形を山と言い、岩の傍(そば)に道が通じるを岫(しゅう。いわあな)と言い、単独で聳える峰の、急峻で歩きにくい道を路と言い、上面が極めて平らなのを頂と言い、山頂が丸くなだらかで、麓(ふもと)の雄大なるを巒(らん。やまなみ)と言い、虎が隠れ豹を藏(かく)す場所を穴と言い、風や雲を遮蔽するものを岩と言い、徳望の高い人が隠棲する場所を洞と言い、内なる光景との境、外の境界との界(さかい)めを府と言い、樵人(しょうじん。きこり)の出没するところを径と言い、車馬の通ずることができるのを道と言い、流水の音が聞こえるところを澗(かん。たに)と言い、古い渡し口なる川の源流を溪と言い、崖の岩から水の滴(したた)るを泉と言う。

 

  左壁为掩yǎn,右壁为映。

  出的是云,纳的是雾。

  锥尖zhuī jiān象小,崎峻qí jùn似峭qiào,悬空xuán kōng似险xiǎn,削躐liè‌(壁bì)如平。

  千峰竞秀,万壑hè争流。

 

  崖の左側は閉ざされ、右側の景色が顕れる。

  谷間より雲が吹き出し、霧が山間の窪地に納まる。

  頂の先端は錐の先のように小さく尖り、斜面は急峻に切り立ち、中空に険しくそそり立ち、山壁は削られて平らか。

  千峰が秀を競い、万の壑(たに)が流れを争う。

 

  瀑布pù bù斜飞,藤萝téng luó倒挂dào guà。

  虎啸xiào时风生谷口,猿啼tí时月坠zhuì山腰。

  恰似qià sì青黛qīng dài染成rǎn chéng千块玉qiān kuài yù,碧纱bì shā笼罩lǒng zhào万堆烟wàn duī yān。

 

  瀑布(ばくふ。大きな滝)は斜めに(水が)飛び、藤羅(とうら。フジ)(の蔓(つる))は倒(さかさま)に掛る。

  虎の嘯(うそぶ)く時、風が谷口に生じ、猿の啼く時、月は山腰(さんよう。山の中腹)に墜(お)ちる。

  あたかも青黛(せいたい。リュウキュウアイやホソバタイセイなどの植物から得られる藍色の染料)で千個の玉を染め、碧紗(へきさ。みどり色や青緑色の薄い絹の布)で万堆(まんたい。うず高く積み重なった)の煙を包み込んだかのようだ。

 

 

 这洪太尉独自一个,行了一回,盘坡pán pō转径zhuǎn jìng,揽葛lǎn gě攀藤pān téng。约莫yuē mo走过了数个shù gè山头,三二里多路,看看脚酸腿软,正走不动,口里不说,肚里踌躇,心中想道:“我是朝廷贵官公子,在京师时重茵而卧chóng yīn ér wò,列鼎而食liè dǐng ér shí,尚shàng兀wù自倦怠juàn dài‌;何曾穿草鞋,走这般山路!知他天师在那里,却教下官受这般苦!”又行不到三五十步,掇duō‌着肩气喘chuǎn‌。只见山凹shān āo里起一阵风,风过处,向那松树背后奔雷bēn léi也似吼hǒu一声,扑地pū dì跳出一个吊睛diào jīng白额bái é锦毛jǐn máo大虫dà chóng来。洪太尉吃了一惊,叫声:“阿呀āyā!”扑地pū dì望后便倒。偷眼看那大虫时,但见:

 

 この洪太尉はお供をひとりも付けず、山道をまっすぐ歩いて行った。山道が険しく道が曲がりくねり、葛(くず)や藤の蔓を引っ張りながら登った。おおよそ幾つかの山を登り、二三里余りの道を行くと、足がだるくなり力が入らなくなったように思え、ちょうどもうこれ以上歩けなくなった時、口に出しては言わないが、腹の中でためらいの気持ちが起こり、心の中で思うよう:「わたしは朝廷では高貴な若様で、都に居ればしとねを重ねて横になり、いくつも鼎(かなえ)を連ねてごちそうを食していて、それでもなお疲れて気だるいのに、何の因果で草履を履いて、こんな山道を歩かなければならないのか!かの天師がここに居ると分かっていれば、部下の役人にこの苦労をさせてやったものを!」また四五十歩も歩かぬうちに、肩を上げ下げしながら口を開けて喘ぎ声を上げた。ふと見ると、山間(やまあい)の窪地から一陣の風が巻き起こり、風が吹き過ぎると、あちらの松の木の背後から、雷が轟(とどろ)くように一声吠(ほ)えると、猛然と一頭の目を吊り上げた白い額に錦のように美しい毛並みの虎が飛び出して来た。洪太尉はびっくり仰天、「うわっ」と叫び、バタッと後ろに倒れた。そっとその虎を見てみると、その有様は:

 

 

  毛披pī一带黄金色,爪zhuǎ露银钩yín gōu十八只。

  睛jīng如闪电shǎn diàn尾wěi如鞭biān,口似血盆‌xuè pén牙yá似戟‌jǐ。

  伸腰shēn yāo展臂zhǎn bì势shì狰狞zhēng níng,摆尾bǎi wěi摇头yáo tóu声霹雳pī lì‌‌‌。

  山中狐兔hú tù尽jìn潜藏qián cáng,涧jiàn下獐zhāng狍páo皆敛迹liǎn jì ‌‌。

 

  かの虎の毛には黄金(こがね)色の帯が走り、銀の鉤(かぎ)のように鋭い爪が十八個顕れ見える。

  眼は稲妻のようで尾は鞭のよう、口は血を入れた鉢のようで牙は矛のよう。

  腰を伸ばし腕を広げれば、その姿は凶暴で恐ろしく、尾を振り頭を揺り動かすと稲妻の鳴るような声を発す。

  山中の狐やウサギは尽く姿を隠し、谷川のキバノロやノロは皆身を潜める。

 

 

 那大虫望着洪太尉,左盘右旋,咆哮páo xiào了一回,托地tuō dì望后山坡shān pō下跳了去。洪太尉倒在树根底下,唬hǔ的三十六个牙齿yá chǐ捉对儿zhuō duìr厮打sī dǎ,那心头xīn tóu一似十五个吊桶diào tǒng,七上八落qī shàng bā luò的响,浑身hún shēn却如重风zhòng fēng麻木má mù,两腿一似yī sì 斗败dòu bài公鸡,口里连声叫苦。

 

 その虎は洪太尉の姿を見ると、左に右に身体をゆすり、一声吠(ほ)えると、突然後ろの崖に向け跳び下りて行った。洪太尉は木の根元に倒れたまま、驚きの余り三十六本の歯をがくがく鳴らし、心臓は十五のつるべが揺れ動くようにびくびくと鼓動し、全身が中風(ちゅうぶ)になったように麻痺し、両足は喧嘩に負けた雄鶏のようにへなへなと力が抜け、口では絶えずぶつぶつ助けを求めた。

 

 

 大虫去了一盏茶时yī zhǎn chá shí,方才爬将起来,再收拾地上香炉,还把龙香烧着,再上山来,务要寻见天师。又行过三五十步,口里叹了数口气,怨道:“皇帝御限yù xiàn,差chāi俺ǎn来这里,教我受这场惊恐jīng kǒng。”说犹yóu未了,只觉得那里又一阵风,吹得毒气直冲将来。太尉定睛dìng jīng看时,山边竹藤里簌簌sù sù地响,抢qiǎng出一条吊桶diào tǒng大小、雪花也似蛇来。太尉见了,又吃一惊,撇piě了手炉,叫一声:“我今番死也!”望后便倒在盘砣石pán tuó shí边。微闪开眼来看那蛇时,但见:

 

 虎が去ってしばらくして、洪太尉はようやくよろよろと立ち上がり、再び地面に落とした香炉を拾うと、再び龍涎香(りゅうぜんこう)を燃やし、ふたたび山を登ると、天師に会いに行こうとした。また四五十歩行くと、口の中で幾度かため息が漏れ、恨みがましく言った。「皇帝陛下が期限を決められ、わたしをここに遣わせたばかりに、わたしはこんな怖い目に遭うことになったんだ。」まだ言い終わらぬうちに、あちらからまた一陣の風が、毒気をまっすぐもたらすように吹いてくるのを感じた。太尉が目を凝らして見てみると、山辺の竹や藤の中からサラサラとした音がして、一本のつるべの太さの、雪のように真っ白な蛇が突然跳び出して来た。大尉はそれを見ると、またびっくり驚き、手提げの香炉を投げ捨てると、叫び声をあげた。「今度こそ殺される!」後ろ向きに表面のでこぼこな石の傍に倒れた。微かに眼を開けてその蛇を見ると、その有様は:

 

 

  昂首áng shǒu惊飙jīng biāo起,掣chè目电光生。

  动荡dòng dàng则zé折峡zhé xiá倒冈dǎo gāng,呼吸则吹云吐雾。

  鳞甲lín jiǎ乱分千片玉,尾梢shāo斜卷xié juǎn一堆银。

 

  蛇は首をもたげ、突然猛烈な強風を吹き上げ、目から電光のような光を発す。

  身体を動かせば峡谷を折り曲げ丘を押しつぶし、息をすれば雲を吹き霧を吐く。

  鱗(うろこ)は砕けた玉のように粉々に砕け、尾の先に巻くは(きらきらした)積もった銀のような波の花。

 

 虎が突然現れ、恐怖で死ぬかと思った洪信、なんとか事なきを得ますが、次に現れたのは白蛇。果たして洪信は無事命の危機を乗り越えることができるでしょうか?また無事に天師には出会えるのでしょうか? 続きは次回をお楽しみに。

 

 それでは、今回から『水滸伝』第一回に入ります。物語は、11世紀、北宋第四代皇帝仁宗の治世から始まります。この頃、疫病が全国的に流行し、病気平癒を願い、江西龍虎山から道教の最高指導者を都の開封に招き、国を挙げて疫病退散の祈祷をしてもらうことになります。そのため、皇帝の詔書を預かり、龍虎山に派遣されたのが太尉の洪信。先ずは洪信が道教の聖地、龍虎山上清宮に着くまでのところを読んでいきます。

 

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张天师祈禳qí ráng瘟疫wēn yì,

洪太尉误走妖魔yāo mó

 

張天師は祈りて瘟疫(おんえき。疫病)を禳(はら。祓)い、

洪太尉は誤って妖魔を走(に)がす

 

 

 

 话说大宋仁宗天子在位,嘉祐jiā yòu‌三年三月三日五更三点,天子驾坐紫宸殿zǐ chén diàn‌,受百官朝贺。但见:

 

 さて大宋の仁宗が天子に在位し、嘉祐三年(西暦1058年)三月三日の五更三点(午前4時12分頃。五更は3時から5時。一更を点は5等分するので、一点は約24分)、天子は紫宸殿の玉座に座られ、百官の朝賀を受けられた。その有様は:

 

  祥云迷凤阁,瑞气罩龙楼。

  含烟御柳拂fú旌旗jīng qí,,带露宫花迎剑戟jiàn jǐ‌。

  天香影里,玉簪zān珠履lǚ聚jù丹墀dān chí;仙乐yuè声中,绣袄xiù ǎo锦衣jǐn yī扶fú御驾yù jià‌‌。

  珍珠帘卷,黄金殿上现金舆;凤尾扇开,白玉阶前停宝辇。

  隐隐净鞭三下响,层层文武两班齐。

 

  祥雲は鳳閣に迷い、瑞気は龍楼を覆う。

 

  煙を含む御柳は旌旗(せいき)を拂(はら)い、露を帯びた宮花は剣戟(けんげき)を迎える。

  天香の影の裏(なか)、玉簪珠履(玉の簪(かんざし)で髪を止め、真珠の嵌った履物を履いた高官たち)は丹(に。丹色に塗った)の墀(きざはし)に聚(あつ)まり、仙楽の声の中、綉襖(しゅうおう。刺繍が施された衣服)錦衣(を着た官吏たち)は御駕(天子が乗る乗り物)を扶(たす)く。

 

  珍珠(真珠)の簾を巻き、黄金の殿上に金輿現れ、鳳尾の扇が開き、白玉の階の前に宝輦(ほうれん。鳳輦。屋根に金色の鳳凰が飾られた皇帝の乗り物)が停まる。

 

  隠隠(かすかではっきりしない。音が遠くでどよめくように響く)と浄(きよ)き鞭が三たび下りて響き、層層と(次々と)文武の両班が斉(そろ)う。

 

 

 当有殿头官喝道hè dào:“有事出班早奏,无事卷帘juǎn lián退朝tuì cháo。”只见班部bān bù丛中,宰相zǎi xiàng赵哲、参政cān zhèng文彦博wén yàn bó出班chū bān奏曰:“目今京师瘟疫wēn yì盛行,民不聊生‌liáo shēng,伤损军民多矣。伏望fú wàng陛下bì xià释罪shì zuì宽恩kuān ēn,省shěng刑薄bó税,以禳ráng天灾,救济jiù jì万民。”

 

 殿頭官(皇帝のそばに仕えて詔勅の伝達、朝議の進行をつかさどる内侍官)が大声で言った。「要件のある者は隊列を出て速やかに奏上せよ。要件無き者は速やかに朝議を退出せよ。」すると朝堂の百官の隊列の中から宰相の趙哲、参政の文彦博が隊列を出て奏上して言った。「目下、京師(天子が住むみやこ)では疫病が流行し、民は生活を維持することができず、軍民を傷つけ損なうこと甚だしい。願わくば陛下におかれては罪を赦し広く恩赦を行い、刑罰を減らし税を軽くし、祭祀により天災のお祓いをすることで、万民を救済していただきたい。」

 

天子听奏,急敕chì翰林院hàn lín yuàn随即suí jí草诏cǎo zhào:一面降赦jiàng shè天下罪囚zuì qiú,应有yīng yǒu民间税赋shuì fù悉皆xī jiē赦免shè miǎn;一面命在京宫观gōng guàn寺院,修设好事hǎo shì禳灾ráng zāi‌。不料其年瘟疫转盛。仁宗天子闻知,龙体不安。复会百官,众皆计议。

 

天子は奏上を聞くと、急ぎ翰林院(かんりんいん。詔書の起草に当たる役所)に命じて直ちに詔書(皇帝の詔(みことのり))を起草させた。一方では全国の犯罪を犯して拘禁された罪人の処罰を軽減、或いは免除し、一切の民間の税や賦役をすべて免除した。また一方ではみやこの道教寺院(宮観)、仏教寺院に命令し、特別な祭祀を行って災いを祓うようにさせた。ところが思いがけず、その年は疫病が勢いを盛り返した。仁宗皇帝はそれを聞いて、体調を害されてしまった。それで再び文武の百官が集まり、皆が一緒に協議した。

 

向那班部中,有一大臣越班启奏。天子看时,乃是参知政事范仲淹fàn zhòng yān。拜罢起居,奏曰:“目今天灾盛行,军民涂炭,日夕不能聊生,人遭zāo缧绁léi xiè之厄è。以臣愚意,要禳此灾,可宣kě xuān嗣汉天师sì hàn tiān shī星夜临朝lín cháo‌‌‌,就京师禁院jìn yuàn修设xiū shè三千六百分fēn罗天大醮luó tiān dà jiào,奏闻上帝,可以禳保民间瘟疫。”

 

百官の隊列の中から、ひとりの大臣が隊列の中から進み出て天子に進言しようとした。天子がそれを見ると、すなわち参知政事の範仲淹であった。彼は天子に拝礼すると、立ち上がってこう奏上した。「目下天災が猛威を振るい、軍民は塗炭の苦しみを舐め、日夜生活を維持することもできず、人々はまるで牢獄に監禁されたかのような災難に遭遇しております。臣の愚見を申し上げますと、この災禍を祓うには、詔(みことのり)を発して嗣漢天師(江西龍虎山の張天師。歴代、漢の張道陵の道統を継いでいる)に夜に昼継いで朝廷に急ぎお越しいただき、みやこの禁苑に祭壇を作り、三千六百分の羅天大醮(らてんたいしょう。すべての天(羅天)の神々を祀り、あまねく世界や魂を救うための大規模な祭典)の儀式を行い、神様にお伺いを立てれば、民間の疫病の流行を祓うことができましょう。」

 

仁宗天子准奏。急令翰林学士草诏一道,天子御笔亲书,并降御香一炷zhù,钦差qīn chāi内外提点殿前太尉tài wèi洪信hóng xìn为wéi天使,前往江西信州龙虎山,宣请嗣汉天师张真人星夜临朝,祈禳瘟疫。就金殿上焚起御香,亲将丹诏dān zhào付与fù yǔ洪太尉为使,即便登程前去。

 

仁宗はこの奏上を許可した。急ぎ翰林学士に命じて詔を起草させ、天子自ら筆を執ってそれを書き記し、更に御香一炷を下され、勅命により内外の提点(アドバイザー)たる殿前太尉の洪信を天子の使節とし、江西信州龍虎山へ行き、嗣漢天師の張真人を召見し、彼に夜に昼継いで朝廷に急ぎ来て、疫病禍の解消を祈願させることとした。それで金殿上で御香を焚かせ、天子自ら朱砂(鮮やかな深紅色をした鉱物である「辰砂(しんしゃ)」の古称)で書かれ、玉璽の押された詔を洪太尉に渡して使節とされ、直ちに出立して龍虎山へ向かわせた。

 

 

 洪信领了圣敕shèng chì,辞别天子,不敢久停。从人背了诏书,金盒子盛了御香,带了数十人,上了铺马pù mǎ,一行部从,离了东京,取路径jìng投信州贵溪guì xī县来。于路上但见:

 

 洪信は聖勅を受け取ると、天子に暇乞いをし、そこに敢えて長く留まることはしなかった。従者が詔書を背負い、金の箱に御香を入れ、数十人の供を連れ、驛馬に騎乗すると、主従一行は東京(とうけい。宋のみやこ、東京開封府)を離れ、道をまっすぐ信州貴渓県の方に取った。その道の途中で見えた光景と言えば:

 

 

  遥山叠dié翠cuì,远水澄chéng清。奇花绽zhàn锦绣jǐn xiù铺林,嫩nèn柳舞金丝拂fú地。

  风和日暖,时过野店山村;路直沙平,夜宿邮亭驿yì馆。

  罗衣荡漾‌dàng yàng‌红尘内,骏马jùn mǎ驱驰qū chí紫陌zǐ mò中。

 

  遥かなる山は叠(かさ)なり翠(みどり)、遠水は澄み清い。

奇花(めずらしい形や色をした珍しい花)綻(ほころ)び錦繍(豪華な衣服、鮮やかな紅葉や花)を林に鋪(し)き、嫩(やわら)かき柳は舞い金絲は地を拂(はら)う。

 

  風和(やわ)らぎ日暖かく、時に野店(やてん。田舎の茶店)山村を過ぐ。路(みち)は直(す)ぐ沙平らにして、夜は郵亭の驛館に宿る。

 

  羅衣(薄手の絹の衣服)は蕩漾(とうよう。波打つ)す紅塵(俗世間)の内、駿馬は駆馳(くち)す紫陌(しはく。都の街路)の中(うち)。

 

 

 且说太尉洪信赍擎‌jī qíng御书yù shū丹诏dān zhào,一行人从上了路途,夜宿邮亭,朝行驿站,远程近接,渴饮饥餐,不止一日,来到江西信州。大小官员出郭迎接,随即差人报知龙虎山上清宫住持道众,准备接诏。次日,众位官同送太尉到于龙虎山下。只见上清宫许多道众,鸣钟击鼓,香花灯烛,幢chuáng幡‌fān宝盖bǎo gài,一派仙乐,都下山来迎接丹诏,直至上清宫前下马。太尉看那宫殿时,端的是好座上清宫。但见:

 

 さて太尉の洪信は皇帝が手ずから書かれた朱砂の詔書を捧げ持ち、一行は行程に従い、夜は郵亭に宿り、朝は驛站より出立し、遠きの道を交代しながら進み、のどの渇きや空腹を満たしながら、一日も休むことなく、江西の信州にやって来た。大小の役人たちが城外まで出て来て出迎え、直ちに人を遣って龍虎山上清宮の住持と道士たちに知らせ、詔書を受け取る準備をさせた。翌日、多くの役人たちが大尉を龍虎山の麓まで送った。すると上清宮の多くの道士たちが、鐘を鳴らし太鼓を打ちならし、香を焚き花を供え、長い竿や旗、宝蓋(傘状の宝器)を手に持ち、まるで仙界のような音楽を奏でながら、山より下りて朱砂の詔書を出迎えているのが見え、太尉はまっすぐ上清宮の前に着くと馬を降りた。太尉がかの宮殿を見ると、果たして見るもりっぱな上清宮であった。その有様は:

 

 

  青松屈曲‌qū qū‌,翠柏cuì bǎi‌阴森。

  门悬xuán敕额chì é金书,户列灵符玉篆yù zhuàn。

  虚皇坛xū huáng tán畔pàn‌‌,依稀yī xī垂柳chuí liǔ名花;炼药liàn yào炉lú边,掩映yǎn yìng苍松cāng sōng老桧lǎo guì。

 

  青松は屈曲し、翠柏(みどりのコノテガシワ)は陰森(生い茂って暗い)たり。

 

  門には勅額(ちょくがく。皇帝直筆の書や文字を掲げた額)の金色の文字を掲げ、扉には霊符(願いを叶えるための護符・呪符)の玉篆(ぎょくてん。玉(ぎょく)のように丸みを帯びた均一な太さの線で書かれた篆書)を列(つら)ねる。

 

  虚皇壇(きょこうだん。道教で最高神の元始天尊(虚皇道君)を祀る神聖な祭壇)の畔(ほとり)には、垂柳名花は依稀(いき。かすか、ほのか)なり。(不老長寿の)薬を煉る炉の辺(あたり)には、青松や老桧(檜(ひのき)の老木)が掩映(えんえい。互いに引き立て合う)す。

 

  左壁厢bì xiāng天丁tiān dīng力士lì shì,参随cān suí着太乙tài yǐ真君zhēn jūn;右势下玉女金童,簇捧cù pěng定dìng紫微zǐ wēi 大帝。

  披pī发fà仗剑zhàng jiàn‌,北方真武踏龟蛇;靸sǎ‌履‌lǚ‌顶dǐng冠guān,南极老人伏龙虎。

  前排二十八宿星君,后列三十二帝天子。

  阶砌jiē qì下流水liú shuǐ潺湲chán yuán,墙院后好山环绕huán rào‌。

  鹤生丹顶,龟长绿毛。

  树梢shāo头献果苍猿,莎suō草内衔xián芝白鹿。

 

  左側の天丁力士(道教での天界の守護神)は、太乙真君(たいおつしんくん。神話に登場する高名な仙人)に付き従う。右側の玉女金童(神仙(仙人)のそばに仕える童男と童女)は、紫微大帝(しびたいてい。北極星が神格化された道教の重要な最高位の神々の一柱)を取り囲みしっかり支える。

 

  ざんばら髪に手に剣を持ち、北方の真武(玄武のこと)は亀蛇(亀と蛇が合体した想像上の動物)を踏む。靴を踵(かかと)を踏みつけ突っかけ履きし、頭に帽子を被り、南極老人は虎を屈服させる。

 

  前に二十八宿の星君を排し、後ろに三十二帝の天子を列す。

 

  階(きざはし)の下はせせらぎがゆっくり流れ、屋敷の後ろは姿の良い山々が取り囲む。

  鶴は赤い頭を生じ、亀は(甲羅に)緑の毛を長(の)ばす。

  樹の梢には果実を献じる蒼猿、ハマスゲの叢(くさむら)の中で霊芝を銜(くわ)える白鹿。

  

  三清殿上鸣金钟,道士步虚bù xū;四圣堂前敲‌qiāo玉磬yù qìng,真人礼斗。

  献香台砌tái qì‌,彩霞cǎi xiá光射碧bì琉璃liú lí;召zhào将jiàng瑶坛yáo tán,赤日chì rì影摇yǐng yáo红玛瑙mǎ nǎo。

  早来门外祥云现,疑是天师送老君。

 

  三清殿では金鐘が鳴り、道士が歩虚(ほきょ。道士が祭壇の周りを歩きながら唱える独特の曲調(声腔))す。四聖堂の前で玉磬(ぎょっけい。玉で作られた「へ」の字形をした古代中国打楽器で、それをつるして木づち等で打つ)を敲‌(たた)き、真人(道教で真理を悟った僧侶)が斗(北斗七星)を礼(うやま)う。

 

  香を台砌(だいせい。祭壇)に献じると、彩霞光(朝焼けの光)が碧琉璃(青ガラスのような基壇)に射(さ)し、将(神将)を瑶壇(ようだん。美しい玉(ぎょく)で築かれた基壇)に召すと、赤日(正午の烈光)の影が紅瑪瑙(赤メノウのような基壇)を揺るがす。

 

  早(あした)に門外に祥雲(瑞祥の雲気)が現れ来る、疑うらくは是れ天師(張天師)の老君(道教の最高神の太上老君)を送る(見送る)や。

 

  今回はこれまで。龍虎山上清宮で、洪信と道士のやりとりは次回、この続きの物語で展開されます。

 

 これから、『水滸伝』を少しずつ読んでいきたいと思います。過去、日本語に訳された本は読んできましたが、原書で読むと、いろいろ発見もあるかもしれません。あくまで少しずつ、ゆっくり読み進めていきますので、お付き合いいただければ幸いです。先ずは引首(まえがき)、物語の導入部分です。

 

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词曰:

 

  试看书林隐处,几多俊逸jùn yì儒流rú liú。

  虚名xū míng薄利bó lì不关愁,裁cái冰及剪jiǎn雪,谈笑看吴钩wú gōu。

  评议前王并后帝,分真伪zhēn wěi占据中州,七雄扰扰rǎo rǎo乱春秋。

  兴亡xīng wáng如脆cuì柳,身世类虚舟xū zhōu。

  见成名无数,图名无数,更有那逃名无数。

  霎shà时新月下长川cháng chuān‌,江湖变桑田古路。

  讶yà求鱼缘yuán木,拟nǐ穷猿择木qióng yuán zé mù,恐kǒng伤弓shāng gōng远之曲木qū mù‌‌。

  不如且覆fù掌中杯,再听取新声xīn shēng曲度qǔ dù‌‌‌。

 

詞(音楽の旋律に合わせて作られる長短不揃いな定型の詩文形式)に曰く:

 

  試みに看るに書林に隠れる処、幾多の俊逸(しゅんいつ。学問や才能などが人並み外れて優れている)なる儒流(じゅりゅう。儒教・儒学の流派や儒者の家柄)。

 

  虚名も薄利も愁うに関わらず、氷を裁(た)ち雪を剪(き)り、談笑して呉鈎(ごこう。春秋時代に呉の国で作られた、反りのある鋭利な曲刀)を看る。

 

  前王并(なら)びに後帝を評議するに、真偽を分かつは中州(中原)を占據(せんきょ)せんか、(戦国の)七雄は擾擾(じょうじょう。乱れて落ち着かないさま)と春秋を乱す。

 

  興亡は脆(もろ)き柳の如く、身世(しんせ。人の身の上や経歴、置かれている境遇)は虚舟に類す(船頭のいない空舟のよう。漂泊して行方が定まらない)。

 

  名を成すを見るは無数、名を図るは無数、更に那(か)の名を逃すこと有るは無数。

 

  霎時(しょうじ。ほんの少しの間)に新月は長き川を下り、江湖は桑田古路に変ず(滄海桑田(そうかいそうでん)。世の中の移り変わりが非常に激しいこと)。

 

  魚を求むるに木に縁(よ)るを訝(いぶか)り、窮猿の木を擇(えら)ぶに擬(なぞら)い、遠きの曲木の弓に傷つくを恐る。

 

  且(ひとまず)掌(たなごころ)の中の杯を覆い、再び新声の曲度(新たな楽曲や拍子の音楽)を聴取するに如かず。

 

诗曰:

 

  纷纷五代乱离间,一旦云开复见天。

  草木百年新雨露,车书万里旧江山。

  寻常xún cháng巷陌xiàng mò陈chén罗绮luó qǐ ‌‌,几处楼台奏管弦。

  人乐太平无事日,莺yīng花无限日高眠。

 

詩に曰く:

 

  紛紛(物事が入り乱れてまとまりがない)たる五代乱離の間、一旦雲開き復た天を見る。

 

  草木百年新たな雨露、車書万里(天下が統一され、遠く離れた地域まで皇帝の徳や法が行き届く)旧き江山。

 

  尋常なる巷陌(こうはく)にも羅綺(らき。美しい衣服)が陳(なら)び、幾処の楼台管弦を奏でる。

 

  人は太平無事の日を楽しみ、鶯花限りなく(鶯は黄鶯でコウライウグイス。鶯が盛んに啼き、春の花が数限りなく盛んに咲く)日高くなるまで眠る。

 

 

 话说这八句诗,乃是故宋神宗天子朝中一个名儒,姓邵shào讳huì尧夫yáo fū,道号康节先生所作。为叹五代残唐,天下干戈gān gē不息。那时朝zhāo属梁liáng,暮mù属晋jìn,正谓是:“朱、李、石、刘、郭,梁、唐、晋、汉、周,都来十五帝,播乱bō luàn五十秋。”后来感的天道循环,向甲马营中生下太祖武德皇帝来。

 

 さてこの八句の詩は、すなわち故宋の神宗が天子であった朝廷の中のひとりの名儒で、姓は邵(しょう)、諱(いみな)を堯夫(ぎょうふ)、道号を康節先生が作られたものである。五代の残唐(唐の滅亡間際の時期)を嘆いたもので、天下の干戈(かんか。戦争)が息(や)むことがなかった。この当時は朝に梁に属せば暮れには晋に属し、正にこれを「朱(後梁の朱温)、李(後唐の李存勖(りそんきょく))、石(後晋の石敬瑭)、劉(後漢の劉知遠)、郭(後周の郭威)の、後梁、後唐、後晋、後漢、後周の五代、併せて十五人の皇帝が現れ、五十年に亘り戦乱が続いた。」その後、天道が巡りまわるかのように、甲馬営(今の河南省洛陽瀍河区‌夹馬営)にて太祖武徳皇帝がお生まれになった。

 

这朝zhāo圣人出世,红光满天,异香经宿不散。乃是上界霹雳pī lì大仙下降。英雄勇猛yǒng měng,智量宽洪kuān hóng。自古帝王,都不及这朝天子,一条杆棒gǎn bàng等身齐qí‌,打四百座军州都姓赵。那天子扫清sǎo qīng寰宇huán yǔ,荡静dàng jìng中原,国号大宋,建都汴梁biàn liáng‌。九朝八帝班头,四百年开基帝主。因此上,邵尧夫先生赞道:“一旦云开复见天。”正如教百姓再见天日之面。不则这个先生吟赞,那时西岳华山有个陈抟chén tuán处士chǔ shì,是个道高有德之人,能辩风云气色。

 

この日の朝、聖人が世に現れ、赤い光が天に満ち、不思議な香りが一晩中消えることがなかった。すなわち天上界の霹靂大仙が下界に降りて来られた。勇猛果敢で、智慧が豊かで度量に溢れていた。古(いにしえ)の帝王以来、誰もこの王朝の天子に及ぶ者はいなかった。一本の人の身長に等しい棍棒を手に、四百の軍州を打ち負かし、皆趙姓の王朝の領土とした。かの天子は天下を平定し、中原の騒乱を静め、国号を大宋とし、都を汴梁(べんりょう。現在の河南省開封(かいほう)市)に建設した。九つの王朝、八人の皇帝の初代の領袖で、四百年続く王朝の基盤を開いた帝王であった。よれゆえに、邵堯夫先生は称賛して「一旦雲開き復た天を見る」と言ったのである。正に人々に再びお天道様の顔を拝ませたかのようであった。それだけでなく、この先生が詩の中で賛美しているが、当時西岳華山の陳摶(ちんたん)処士(立派な学問や才能があるのに、役人として仕えずに在野で暮らしている人)がおられ、道徳心が高く信望のある人で、時局の変化を洞察し、他人の気持ちを推し量ることのできる人であった。

 

一日骑驴lǘ下山,向那华阴道中正行之间,听得路上客人传说,如今东京柴世宗让位与赵检点zhào jiǎndiǎn登基dēng jī。那陈抟先生听得,心中欢喜,以手加额,在驴背上大笑,下驴来。人问其故。那先生道:“天下从此定矣yǐ!”正应上合天心,下合地理,中合人和。自庚申gēng shēn年间,受禅开基即位,在位一十七年,天下太平,自此定矣。传位与御弟太宗即位。太宗皇帝在位二十二年,传位与太子即位。

 

ある日、ロバに乗って山を下り、かの華陰(崋山の北の地名で、今の陝西省華陰市)に向かう道中をちょうど進んでいる時、道行く旅人が、今東京(とうけい。都の汴梁)では、(後周の)柴世宗が位を譲り、趙検点(宋の太祖、趙匡胤のこと)が帝位に就き、宋を建国しようとしていると話すのが聞こえた。かの陳摶先生はそれを聞いて、心の中で喜び、手を額に当てると、ロバの背中の上で大いに笑い、ロバを降りた。人がその訳を尋ねた。かの先生は言った。「天下はこれより定まるであろう!」正に上には天道(自然の法則と宇宙の秩序)に順応し、下には地道(地勢や気候、風水など)に叶い、中には人道(人間関係や民心)に適合していた。庚申年間(後周の顕徳7年、西暦960年)より、後周の恭帝より禅譲を受けて宋朝を建てて即位し、在位十七年、天下泰平で、これより世の中が定まった。帝位は弟に伝えられ、太宗が即位した。太宗皇帝は在位二十二年、帝位は太子に伝えられ即位した。

 

 

 这朝皇帝乃是上界赤脚大仙,降生之时,昼夜啼哭不止,朝廷出给黄榜huáng bǎng,召人医治。感动天庭tiān tíng,差遣chāi qiǎn太白金星下界,化作一老叟lǎo sǒu,前来揭了黄榜,能治太子啼哭tí kū。看榜官员,引至殿下,朝见真宗天子。圣旨教进内苑看视太子。那老叟直至宫中,抱着太子,耳边低低说了八个字,太子便不啼哭。那老叟不言姓名,只见化一阵清风而去。耳边道八个甚字?道是:“文有文曲,武有武曲。”端的是玉帝差遣紫微宫中两座星辰xīng chén下来辅佐这朝天子。文曲星乃是南衙nán yá开封府kāi fēng fǔ主zhǔ龙图阁lóng tú gé大学士dà xué shì包拯bāo zhěng,武曲星乃是征zhēng西夏国xī xià guó大元帅dà yuán shuài狄青dí qīng。

 

 この王朝の皇帝がすなわち上界の赤脚大仙であり、降誕の折、昼夜泣き止まず、朝廷は黄榜(黄紙に書かれたお触れ書き)を掲げ、人を召して治療しようとした。天庭(天宮、紫微宮)は心を動かされ、太白金星を下界に差し向けられ、老人の姿になると、黄榜を携えてやって来て、太子が泣くのを治すことができると言った。このお触書を見た役人は、この老人を連れ宮殿に来ると、真宗皇帝に朝見させた。聖旨が下され、老人を内苑に入らせ太子を見させた。かの老人はまっすぐ宮中に至ると、太子を抱きながら、耳元で低い声で八文字の呪文を唱えると、太子はもう泣くことがなかった。かの老人は姓名も言わず、一陣の清風となって去って行った。耳元で唱えた八文字とは何だったのでありましょうか。それは、「文有文曲、武有武曲(文には文曲あり、武には武曲あり)」というもので、果たして玉帝は 紫微宮中の二座の星を差し向けられてこの王朝の天子を補佐させられたのです。文曲星はすなわち南衙開封府(宋都汴京(開封)の最高行政司法機構。皇宮に南面していたので「南衙」と呼ばれた)で龍図閣を主管する大学士の包拯(ほうじょう)であり、武曲星はすなわち西夏国(唐代に羌族のタングート族が今の甘粛省の慶州に建てた国)征伐大元帥の狄青(てきせい)であった。

 

 

 这两个贤臣出来辅佐这朝皇帝,庙号仁宗天子,在位四十二年,改了九个年号。自天圣元年癸亥guǐ hài登基,至天圣九年。那时天下太平,五谷丰登wǔ gǔ fēng dēng,万民乐业wàn mín lè yè‌,路不拾遗,户不夜闭。这九年谓之一登。自明道元年至皇祐huáng yòu三年,这九年亦是丰富,谓之二登。自皇祐四年至嘉祐二年,这九年,田禾tián hé大熟dà shú‌,谓之三登。一连三九二十七年,号为三登之世。

 

 このふたりの賢臣が出て来てこの王朝の皇帝を補佐した。皇帝の廟号は仁宗天子であり、在位四十二年、九度年号(元号)を改めた。天聖元年癸亥(西暦1023年)に即位し、天聖九年に至る。この時天下泰平、五穀豊穣で、万民が安心して仕事に励み、道に落ちているものを拾う者無く、家の扉を夜閉める者も無かった。この九年を「一の登(みのり。穀物が実ること)」と言う。明道元年より皇祐三年まで、この九年もまた豊作であり、これを「二の登」と言う。皇祐四年より嘉祐二年まで、この九年は、畑の穀物がよく実り、これを「三の登」と言う。連続して三九二十七年、これを号して「三登の世」と言う。

 

 

 那时百姓受了些快乐。谁想道乐极悲生lè jí bēi shēng 。嘉祐三年上春间,天下瘟疫‌wēn yì‌盛行。自江南直至两京,无一处人民不染此症。天下各州各府,雪片xuě piàn也似申奏shēn zòu将来jiāng lái。 且说东京城里城外,军民无其大半。开封府主包待制,亲将惠民和济局方,自出俸资,合药救治万民。那里医治得住!瘟疫越盛。文武百官商议,都向待漏院dài lòu yuàn中聚会,伺候早朝,奏闻天子。专要祈祷,禳谢ráng xiè瘟疫。不因此事,如何教jiào三十六员天罡tiān gāng,下临凡世xià lín fán shì,七十二座地煞dì shà,降在人间。哄动hōng dòng宋国乾坤qián kūn,闹遍nào biàn赵家社稷shè jì。有诗为证:

 

 この時人々は快楽を享受した。ところが楽極まりて悲を生じようとは誰が想像するだろう。嘉祐三年の春になると、天下に疫病が流行した。江南から両京(宋では、東京(とうけい)開封府と西京河南府(洛陽))に至るまで、人々がこの病に感染しないところは無かった。天下の各州各府から、緊急の奏上が雪が降るかのように次々と届いた。さて東京城の内外では、兵士や民衆の大部分がいなくなってしまった。開封府では主に包待制(包拯の官職)が自ら恵民和剤局方(国営の薬局のような組織)を使って、自分の俸給を出し、薬を調合して万民を救助しようとした。これでどうして人々を救い出すことができただろう。疫病は益々盛んになった。文武百官が協議し、皆が待漏院(官吏が宮門の外で朝議を待つ休憩所)に集まり、早朝に伺候し、天子に奏上した。専らこのために祈祷を行い、疫病が収まるのを祈った。このことが無ければ、どうして三十六員の天罡星(てんこうせい)を天庭より人間界に降臨させ、七十二座の地煞星(ちさつせい)を、人間社会に降ろさせることになったであろうか。宋国の天下、大地を震撼させ、宋皇室たる趙家の社稷(しゃしょく)を騒がせた。次の詩を詠むと、そのことがよく分かるだろう。

 

 

诗曰:

 

  万姓熙熙xī xī化育中,三登之世乐lè无穷。

  岂知礼乐lǐ yuè笙镛shēng yōng治,变作兵戈bīng gē剑戟jiàn jǐ丛cóng。

  水浒寨zhài中屯tún节侠jié xiá,梁山泊pō内聚jù英雄。

  细推tuī治乱zhì luàn兴亡xīng wáng数shù,尽属阴阳造化功。

 

詩に曰く:

 

  万姓(百姓)は熙熙(きき。やわらぎ楽しむ)として化育(かいく。教化)の中、三登(九年を一登とするので27年。仁宋の治世)の世楽しみ窮まらず。

 

  豈(あに)知らん礼楽笙镛(れいがくしょうよう。礼節・音楽・楽器(笙と鐘・鏞)が美しく調和し、秩序正しい)の治が、変じて兵戈(へいか。武器や戦争)劍戟(けんげき。剣(つるぎ)と戟(ほこ))の叢(むら)と作(な)る。

 

  水滸の寨(とりで)の中に節侠(せっきょう。節義を守る侠客達)が屯(たむろ)し、梁山泊の内に英雄が聚(あつ)まる。

 

  治乱(ちらん。世の中が平和に治まることと、混乱して乱れること)と興亡(国が盛んになる(興る)ことと滅びること)の数を細かく推(おしはか)ると、尽(ことごと)くが陰陽造化(天地の自然界において「陰」と「陽」の二つの気がめぐり、万物を生み出して育てる働き)の功に属す。

 

 

 陶望三を救けようとした小謝の弟の三郎、秋容にも身の危険が迫りますが、さてその結果は如何に。そして最後は人間と幽霊は住む世界が違うので、本来は結ばれることは無いのですが、ここでひとりの道士が登場し、小謝と秋容のふたりの幽霊に蘇生の術を授けます。それにしても、作者の蒲松齢は科挙の試験に落ち続けた書生なのに、『聊斎志異』での様々な怪異譚はどこから着想を得たのでしょうか。一説には自分の屋敷の書斎に道行く旅人を招いて茶やタバコの接待をし、彼らから様々な物語のネタを収集したと言われていますが、現代の我々が読んでも面白いと思う話を数多く文字にして残した功績は大したものです。では、『小謝秋容』の後半をお読みください。

 

 

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 巡撫(部院)が三郎を取り調べると、素(もと)より彼は陶生と何ら関りが無く、何のいわれも無く告訴されたのであり、彼を棒打ちの刑に処そうとすると、三郎は地面に倒れて身体が消えてしまった。巡撫は大変驚いた(驚異jīng yì)。三郎の出した訴状を見ると、そこで述べられている情感は、悲痛なものであった。それで陶生に尋問して聞いた。「三郎はどんな人間だったのか?」陶生はわざと知らぬふりをした。巡撫は陶生が冤罪にかけられていると分かったので、彼を釈放した。

 

 

 陶生は戻って来たけれども、その夜は誰一人やって来なかった。夜更けになって、小謝がようやくやって来て、悲しげに言った。「三郎は巡撫のお役所で、役所の守り神に拘束され、冥界に連れて行かれました。冥王(閻魔大王)は三郎に義侠心があるとし、彼を富貴の家に生まれ変わらせるよう命じました。秋容は長い時間拘禁されていたので、わたしが 城隍神に訴状を出しましたが、またほったらかしにされ、中に入ることもできず、いったいどうしたら良いのでしょう?」陶生は憤然として言った。「腹黒い老妖怪はどうしてわざわざこんなことをするんだろう!明日おれは奴の塑像を踏み倒して土塊(つちくれ)にし、城隍神の罪を指折り数えて奴の責任を追及してくれよう。手下の役人の横暴がこんなにも酷いのは、まさか奴らが酒に酔っているんじゃあるまいな!」陶生と小謝が向かい合って座っていると、悲しみや憤りが尽きることがなく、知らず知らずのうちに四更(夜中の一時から三時)の漏刻(水時計)の水が尽きようとしていた(ほぼ午前三時になった)。秋容がふらりと突然戻って来た。ふたりは驚きまた喜び、急いで尋ねた。秋容は泣きながら言った。「あなた(陶生)にはたいへんご心配とご苦労をおかけしました。判官は毎日刀や棍棒でわたしを脅していたのですが、今日の夕方になって突然わたしを放免して帰らせ、こう言いました。「他でもない、元々わたしはあなたが好きだったからそう言ったのです。でもあなたが妾になるのを望まないなら、固(もと)よりわたしもあなたのお気持ちを傷つけるつもりはありません。どうか陶秋曹(刑部の役人の尊称。今後、陶望三は科挙に合格して刑部に配属されることを暗示している)にお伝えください。わたしを責めないでくださいと。」」陶生はそう聞いて、多少機嫌を直し、秋容、小謝のふたりと床を共にしたいと思った。それでこう言った。「今日はあなたがたのために死のうと思います。(男女の営みをすること。相手が亡霊なので、人間は死んでしまうと思われた。)」ふたりの女は悲しそうに言った。「あなたに教え導いていただいたおかげで、物事の道理がよく分かるようになりました。それなのに、あなたを愛したことで、却ってあなたを殺してしまうなんて、どうして堪えることができるでしょうか?」そう言って頑(かたく)なに拒んだ。そして俯(うつむ)いて顔を傾けて抱き合い、(それ以上の行為はしなかったが)気持ちはまるで夫婦のようであった。ふたりの女は苦難を共にしたことで、嫉妬心は全く消えてしまっていた。

 

 

 ある時、陶生は途中でちょうどひとりの道士に出逢い、道士は彼の方を振り返って言った。「あなたの身体には亡霊の気があります。」陶生は道士の言葉に驚き、つぶさに事情を告げた。道士が言った。「この幽霊はたいへん良い人物ですから、彼らを裏切る(辜負gū fù)のは宜しくありません。」それで二枚の画符(お札)を書いて陶生に付与し、言った。「帰られたらふたりの幽霊にこのお札を授け、彼らの幸運に任せましょう。もし門の外で女の泣き声を聞いたら、お札を飲み込んで急いで外に出てください。先に到着した者が生き返ることができるでしょう。」陶生はお札を拝受し、帰ってその旨をふたりの女に伝えた。それからひと月あまりして、果たして女の泣き声が聞こえた。ふたりの女は先を争い走って行った。小謝は慌てるあまり、お札を飲むのを忘れてしまった。棺を載せた駕籠が通り過ぎるのが見え、秋容がまっすぐ屋敷を出ると、棺桶の中に入って姿が見えなくなった。小謝は棺桶に入ることができず、烈しく泣きながら帰ってきた。陶生が外に出て見ると、富豪の郝(かく)氏がその娘を埋葬に行くところだった。人々はひとりの女が棺桶に入って姿が見えなくなったのを見て、ちょうど驚いているところだった。しばらくすると棺桶の中から声が聞こえたので、駕籠を下して棺桶を開けてみると、女はもう俄(にわ)かに息を吹き返していた。人々は棺桶を暫時陶生の書斎の外に置かせてもらい、人々がそれを取り囲むようにして守った。女が突然目を開けて陶生に何か尋ねたので、郝氏が女に問いただすと、女は答えて言った。「わたしはあなたの娘ではありません。」そして事情を説明した。郝氏は女の言うことをあまり信用せず、彼女を担いで家に戻ろうとした。女は言うことを聞かず、まっすぐ陶生の書斎に入り、身体をこわばらせてベッドに横になると、起きて来なかった。郝氏はそれで陶生を娘の婿殿と認めた上で家に帰って行った。陶生がその娘をじっと見ると、その顔つきは秋容とは違っていたが、その容貌の鮮やかで美しいところは秋容に引けを取らず、陶生は思った以上に彼女のことが気に入り、ふたりは懇(ねんご)ろに日常思っていることや過去の思い出などを語り合った。すると突然幽霊がウェンウェンとむせび泣くのが聞こえたと思ったら、それは小謝が部屋の真っ黒な片隅で泣いているのであった。陶生は心の中では小謝が可哀そうに思えてならなかったので、ランプを部屋の隅に持って行ってそこを照らすと、彼女の悲しみをあれこれ励まし慰めてやったのだが、彼女の襟も袖も等しく涙でびしょ濡れになり、悲しみが収まらないまま、明け方近くになってようやく帰って行った。

 

 

 

 空が明るくなってから、郝氏が召使の女と老婆に花嫁の化粧道具を届けさせ、陶生は郝氏の娘と、遂に正式に舅と娘婿の関係になった。日が暮れて新婚夫婦の部屋(洞房)に入ると、小謝がまた泣き出した。こうした状態が六七晩も続いた。夫婦はともに悲しみに暮れ、いつまで経っても(ひょうたんをふたつに割った杯を合わせて)縁固めの盃を交わす礼を行い、正式の夫婦になることができなかった。陶生は思い悩んであれこれ考えたが、良い策が思いつかなかった。秋容が言った。「あの道士は仙人に違いないわ。もう一度道士のもとへ行ってお願いすれば、ひょっとすると可哀そうに思ってお救いくださるかもしれないわ。」陶生は秋容の言う通りだと思った。道士の所在を尋ね中(あ)て、頭を地面に付け、地面に這いつくばるお辞儀をして実情を述べた。しかし道士は強い口調で「どうしようもない」と言った。陶生はたいへん悲しげであった。道士が笑って言った。「気のふれた生員殿は、なんともしつこくつきまとうお人だ。分かりました、縁有ってご一緒することになったのだ。わたしの法術を、可能な限り使わせてください。」そう言って、陶生に従って出て来ると、静かな部屋を探し、扉を閉めて座ると、陶生に「何も尋ねるな」と戒めた。それから全部で十日余りの間、道士はずっと飲まず食わずで座っていた。こっそり部屋の中を覗いて見ると、道士はまるで眠っているかのように目を閉じていた。ある日の早朝、目が覚めると、ひとりの少女が帳(とばり)を開けて入って来た。明るく輝く瞳に真っ白な歯をして、艶やかで美しく、輝いて見えた。少女が微笑んで言った。「夜通し走り回って、くたくたに疲れました。あなたに付きまとわれたら最後、逃げられませんわ。百里の外まで駆け抜けて、ようやく良い落ち着き先を見つけることができました。道人がその娘を連れて一緒に来られました。その方にお会いしたら、わたしの身体をお渡ししますわ。」やがて黄昏(たそがれ)時になって、小謝がやって来ると、女は急いで立ち上がって小謝を迎えて抱きつくと、ふたりは合体してひとつになり、そのまま地面に倒れ、まっすぐ硬直して動かなくなった。道士が部屋の中から出て来て、両手を身体の前で組んで拱手の礼をすると、そのまままっすぐ出て行った。陶生は拝礼して道士を見送った。

 

 

 道士が戻って来ると、女は既に息を吹き返していた。陶生が女の身体を支えてベッドに横にさせると、気持ちが次第に落ち着いてきたのだが、足を掴(つか)んでうめき声を上げながら、太ももや足首がだるくて痛いと言い、数日経ってようやく起き上がれるようになった。

 

 

 

 その後、陶生は科挙の試験に合格し、役人に取り立てられた。蔡子経という者が彼と同期の合格(同譜)で、用事があって陶生の家を訪ね、数日間滞在した。小謝が隣の家から帰って来たところを、蔡が彼女の姿を見て、急いで駆け寄りその後を追った。小謝は身体を横にして物陰に隠れたが、心の中では暗にその軽薄さに腹を立てた。蔡子経が陶生に告白して言った。「ある大そう人々を驚かせた話があり、あなたに聞いていただきたいのですが。」陶生がそれは何かと尋ねると、蔡は答えて言った。「三年前、わたしのまだ年若い妹が夭折(ようせつ)したのですが、死後二晩経って妹の死体が消えてしまい、今に至るもどうしてこんなことになったか分かりません。ちょうどあなたのご夫人をお見受けしましたが、なんとわたしの妹によく似ておられたことか。」陶生は笑って言った。「我が妻など大した器量ではございません。どうしてあなたの妹君と比べることなどできましょうか?しかしながらあなたとは科挙の同期で、情誼も極めて懇(ねんご)ろですから、あなたに我が妻を一目見ていただくのを妨げるものではありません。」そう言って蔡を奥の夫婦の部屋に入れ、小謝に葬式の死に装束を着て入って来させた。蔡は大いに驚いて言った。「本当に我が妹だ!」そう言って泣き崩れた。陶生はそれで蔡に具(つぶさ)に事の次第を話した。蔡は喜んで言った。「妹はまだ死んでいなかったんだ。わたしはすぐに家に帰って、このことで我が父母を慰めてやります。」そう言って帰って行った。数日して、蔡子経は家を挙げてやって来た。その後、蔡家との付き合いも郝家と同様に親密になった。

 

 

 異史氏曰く、「絶世の佳人は、一人を求めるのも難しいのに、どうして一度にふたりを得れるものだろうか。このようなことは千年のうちに一度あるかどうかで、ただ女と私通にあらざる者こそこうしたことに出逢えるのだろう。道士は仙人だったのだろうか。かの仙術のかくも神奇なることか。かりそめにもこの仙術があれば、醜悪な鬼神とも交わることができるだろう。」

 この物語の主人公は陶望三という生員(科挙の第一段の県試に合格して県学の学生となり、士大夫の資格を得た人)で、表題の『小謝秋容』は、阮小謝、喬秋容という、部郎(朝廷の官職名)の屋敷に住みついたふたりの美女の幽霊です。陶が部郎の屋敷を借りて住み込んだことから、最初は女たちは陶を驚かせて追い出そうとしましたが、次第に陶の人柄に惹かれ、また陶の方でも自分のために甲斐甲斐しく働いてくれる彼女たちを憎からず思い、ふたりに読み書きを教えてやるようになります。こうして人間と幽霊たちが円満に暮らしていたのですが、陶望三が科挙の試験を受けに旅立ったのを契機に、彼は無実の罪に問われて投獄されてしまいます。それを知った幽霊たちは陶を救うために動きますが、さて彼らの運命や如何に。『聊斎志異』巻十二より、『小謝秋容』の前半をお読みください。

 

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 渭南(陝西省の県名)の姜という部郎(朝廷の中央行政官庁である六部(りくぶ)の侍従職)の屋敷には、幽霊がよく出て、いつも人を惑わせていた。それで姜部郎の家族はそこから引っ越した。召使(蒼頭cāng tóu。男の召使は頭に青い頭巾を被っていたことから)を残して門番をさせたが、死んでしまった。何度も召使を代えたが、皆死んでしまった。それでとうとうこの屋敷を廃棄することにした。

 

 

 村に生員(科挙の県試に合格して県学の学生となり、士大夫の資格を得た人)の陶望三という者がいて、平素から洒脱で何事にも拘らず、妓女をからかうのを好んだが、いつも酒を飲むとさっさと帰ってしまった。友人がわざと妓女を陶の家に行かせて彼に接近(奔bèn。女の方から男性に近づくこと)させると、陶は笑って女を拒まず家の中に入れてやったが、実際は一晩中女に指一本触れなかった。陶望三はいつも姜部郎の家で暮らしていた。小間使いの女で夜彼に近づいてくる者がいたが、陶生(陶望三)は堅くそれを拒んで常軌を逸することが無かったので、姜部郎はこのことで彼をたいへん重用した。陶生の家はたいへん貧しく、また「妻に先立たれた悲しみ(鼓盆之戚gǔ pén zhī qī)」もあり、藁ぶき屋根の家が何部屋かあったが、夏の暑い日は暑さに耐え切れず、それで姜部郎にお願いし、廃屋を貸してくれるよう頼んだ。姜部郎はその屋敷は縁起が悪いので、陶生の申し入れを断った。陶生はそれで『続無鬼論』(晋代の阮瞻(げんせん)が『無鬼論』を既に書いているので、「続」を付けた)を書いて姜部郎に献上し、またこう言った。「鬼神に何ができるものですか?」姜部郎は陶生の要請が断固としていたので、申し入れを承諾した。

 

 

 陶望三(陶生)は屋敷の部屋(庁事tīng shì。元々は役所で人々の陳情を聞いて事務を行った場所のことから、後に個人の屋敷のこともこう言うようになった)の掃除をした。夕方、彼は本を部屋に置き、他のものを取りに帰ったが、戻ってきて見ると、本が無くなっていた。陶生は不思議に思い、ベッドの上に仰向けに横たわり、息を静めて事態の変化を伺った。食事を一食食べるほどの時間が経ち、人が歩いて来る音が聞こえたので、横目で見ると、ふたりの女が部屋から出て来るのが見え、無くなった本を机の上に返した。ひとりはおよそ二十歳、ひとりはおそらく十七八で、ふたりとも容貌が美しかった。ふたりの女はためらいながら近づいて来ると、ベッドの横に立ち、お互い顔を見合わせニッコリ笑った。陶生はじっとして動かなかった。年上の女が片足を上げて陶生の腹を蹴り、年下の女が口に手を当ててくすっと笑んだ。陶生は気持ちが動揺して自分をコントロールできないかのように感じたので、すぐさまきっぱりと邪念を捨て、遂には二人を相手にしなかった。女は彼に近づいて、左手で彼の口ひげをさすり、右手で軽く頬(ほお)を叩いたので、少し音がした。年下の女は益々大笑いした。陶生はいきなり立ち上がると、ふたりを叱責して言った。「この化け物め、よくもやりやがったな!」ふたりの女はびっくりして走って逃げて行った。陶生は夜になって幽霊に痛めつけられるのを恐れ、自分の家に戻ろうと思ったが、また自分が(『続無鬼論』まで書いて)言ったことを守らないのを恥じ、それでランプの灯芯を引っ張り出して灯りを明るくし、本を読んだ。暗闇の中、幽霊の影がゆらゆら揺れ動いたが、彼は少しも気に留めなかった。夜半になって、蠟燭の灯りを点したまま就寝した。瞼(まぶた)を閉じるや否や、誰かが細いものを鼻に突っ込むのを感じ、くすぐったくてたまらず、大きなくしゃみをした。ただ暗闇から微かに笑い声が聞こえた。陶生は黙ったまま、寝たふりをして様子を見た。すると俄(にわ)かに少女が紙を捻(ひね)って細いこよりを作り、抜き足差し足(鶴行鷺伏hè xíng lù fú)でやって来るのが見えたので、陶生は突然立ち上がって怒鳴りつけると、少女はたちまち逃げて行ってしまった。陶生がまた横になってウトウトすると、少女がまたこよりを彼の耳に差し込んできた。結局一晩中女たちのちょっかいに悩まされた。鶏が鳴いて、ようやく静寂が訪れ、声がしなくなった。それで陶生はようやく熟睡ができた。昼間は一日中何も見えも聞こえもしなかった。

 

 

 陽が沈むと、幽霊がおぼろげに出現した。陶生はそれで夜になってから炊事をして、そのまま寝ずに夜明けまで過ごすことにした。年上の女は次第に肘を曲げてテーブルの上に突っ伏して、陶生が本を読むのを眺めるようになった。まもなく女は陶生の本を覆い隠すようになった。陶生が怒って彼女を捕まえようとすると、既に女はひらひらと逃げ姿を消した。しかししばらくすると、女はまた本を覆い隠そうとした。陶生は手で本を押さえて読み続けた。年下の女は彼の背後に隠れ、両手で陶生の目を覆ったかと思うと、急いで逃げ去り、遠くに立って嘲笑(あざわら)った。陶生は女を指さして罵(ののし)って言った。「この小悪魔め!捕まえたら殺しちまうからな!」女はしかし別に怖れている風でもなかった。それで嘲り笑って言った。「閨房の中での技巧は、わたしは全く分からないので、わたしにあれこれ付きまとっても無意味ですわよ。」ふたりの女は微笑んで、向こうを向いて竈(かまど)の方へ行き、薪を割りコメを研ぎ、陶生のため米を炊いた。陶生はそれを見て、賞賛して言った。「あなた方おふたりにこんなことまでしてもらうとは、もはや先ほどの小賢(こざか)しいいたずらに勝るのではないですか?」しばらくして、粥が煮えたので、ふたりは競争で匙や箸、茶碗をテーブルの上に並べた。陶生が言った。「おふたりに食事の支度をしていただき、感謝します。どうやってお礼をすればよいのでしょう?」女が笑って言った。「ごはんの中にヒ素や毒薬を混ぜましたよ。」陶生が言った。「わたしはあなたがたとこれまで何ら旧怨(きゅうえん)も持たぬのに、どうしてそんなことをされる必要があるでしょう。」そう言って食べ終わると、またご飯をよそい、ふたりは争って陶生のお世話をした。陶生はふたりのこうした行為を楽しみ、やがてそうしてもらうのが当たり前のようになった。日々次第に親しくなり、並んで座って言葉を交わしているうち、相手の姓名を尋ねた。年上の女が言った。「わたしは秋容といい、姓は喬です。あの子は阮(げん)家の小謝です。」陶生は更に彼女たちの来歴を尋ねた。小謝が笑って言った。「バカ!まだわが身を表に曝(さら)してもいないのに、誰があなたに家柄を尋ねるの、嫁にもらうつもりなの?」陶生が居住まいを正して言った。「こんな美人を前にして、まさかわたしひとり何も感じないとでも言うのですか?とは言え、あの世の寒気に襲われると、生きた人間は必ず死んでしまうと言います。あなた方がわたしと一緒に暮らすのを楽しまぬなら、ここから去ればいい。わたしと一緒に暮らすことを楽しめるなら、安心してここにいてください。もしあなたがたがわたしに愛情を感じられないなら、わたしに近づくことであなたがたの清らかな名誉を汚してしまう必要は無いですよ。もし本当にわたしのことを愛しておられるなら、どうしてこの勝手気ままに暮らす男を殺してしまおうとなさるんですか?」ふたりの女は互いに顔を見合わせ、顔に感動の色を顕(あらわ)し、それからというもの、陶生にいたずらやいじめをしなくなった。それでも時々手を伸ばして陶生の胸を触ったり、彼のズボンを引っ張って床の上に投げ捨てたりしたが、陶生もそうされてもなんとも思わなかった。

 

 

 ある日、陶生が書物を書き写す作業の終わらぬうちに出て行き、戻ってくると小謝がテーブルに向かい、彼の代わりに書いてくれていた。彼女は陶生の顔を見ると、筆を投げ出し、彼を横目で見て微笑んだ。近寄って見てみると、字体が稚拙でちゃんとした文字になっていなかったが、文字の行と列はちゃんと整っていた。陶生は彼女を褒めて言った。「あなたは奥ゆかしい人だね。字を書くのが好きなら、わたしがあなたに字を書くのを教えてあげよう。」そう言って彼女の胸を抱くと、彼女の手を握って、彼女が絵を描くのを教えた。秋容が外から入ってくると、顔色がたちまち変わり、どうやら小謝に焼きもちを焼いたようであった。小謝が笑って言った。「子供の頃、父から書道を習ったことがありますが、久しくやったことがなく、本当に夢を見ているようですわ。」秋容は何も言わなかった。陶生は秋容の気持ちを察し、わざと気づかぬふりをして、秋容に対しても胸を抱いて筆運びを指導し、言った。「あなたが字が書けるかどうか見てあげよう。」秋容にいくつか字を書かせてみて、言った。「秋娘(秋お嬢さん)の筆使いも大したものだ。」秋容はそう聞いて、喜んだ。それから二枚の紙を折り曲げお手本を作り、一緒にお手本を模写する練習をさせ、陶生は別のランプの下で読書をした。陶生は密かに、ふたりの女が各々自分のことを一生懸命やってくれ、互いに干渉することが無かったので喜んだ。模写が終わると、ふたりの女は恭(うやうや)しく陶生の座るテーブルの前に立つと、ふたりの書いた字への彼の評価を聞いた。秋容は元々字を知らなかったので、字が墨をひっくり返したように真っ黒で、何と書いてあるか識別できなかった。評価が終わって、秋容は自分でも小謝に及ばないと分かったので、恥ずかしそうな表情をした。陶生が秋容を褒め慰めてやったので、彼女の表情はようやく晴れやかになった。ふたりの女はそれからというもの陶生に師事し、陶生が座ると彼の肩を揉み、彼が横になると脚を揉んでやり、もう敢えて彼をいじめることがなくなっただけでなく、却って競って陶生の機嫌を取った。ひと月経って、小謝は字が相変わらず整って綺麗なので、陶生は時おり彼女を褒めた。秋容は大いに恥じて顔中を涙で濡らし、顔に塗った白粉(おしろい)が涙で流れてしまい、涙の跡が線となって残った。陶生が秋容をあれこれなだめすかせてやったので、彼女はようやく機嫌を直した。その後、陶生が秋容に読書を教えてやると、彼女はたいへん聡明であったので、一度教えてやれば、もう二度と分からず尋ねるということが無かった。陶生と競って読書をし、しばしばそれが夜通し続いた。小謝が更に自分の弟の三郎を連れて来て、陶生の弟子にしてもらった。年の頃十五六で、容姿が優れていた。彼は金の如意を一本持って来て師匠にお目にかかる際の礼物とした。陶生は彼に秋容と共に経書を読むよう命じた。経を読む声が部屋中に響き渡り、陶生はこれより幽霊のための学校(鬼帳guǐ zhàng)を開いた。姜部郎はこのことを聞いてたいへん喜び、しばしば陶生に給料を払ってやった。何か月か経って、秋容と三郎は共に詩を詠めるようになり、またしばしば互いに詩を唱和した。小謝はこっそり陶生に秋容に教えるなと言い、陶生は同意した。秋容はこっそり小謝に教えるなと言い、陶生はまた同意した。

 

 

 ある日、陶生が科挙の試験を受けに行くこととなり、ふたりの女は鼻をすすり涙を流しながら、陶生の手を握って別れを惜しんだ。三郎が言った。「先生、今回のご旅行は仮病を使ってでも止められるのが宜しいです。そうしないと、恐らく不吉なことが起こるでしょう。」陶生は病気だと言って行かないのは恥じだと思い、やはり出立した。

 

 

元々、陶生は詩の文句を使ってその時の政局を風刺するのが好きで、この県の権勢家の怒りを買っており、ふだんから彼を陥れて傷つけてやろうと思われていた。こっそり学政の役人に賄賂を贈り、ありもしない罪をでっち上げて取り調べ、陶生は長期に亘り獄中に拘禁された。陶生は旅費を使い尽くし、囚人にまで食べ物を乞わざるを得なくなり、自分ではもはや生きる術(すべ)が無くなってしまった。ふとひとりの人間がスイスイと入って来たと思えば、それは秋容で、食べ物を陶生に届けに来たのだった。彼女は陶生をじっと見つめ、嗚咽を漏らして言った。「三郎があなたに不吉なことが起こると心配していましたが、果たして間違っていませんでした。三郎はわたしと一緒に来たのだけど、役所へ冤罪の審理を申し立てに行きました。」秋容は二言三言話をすると出て行ったが、それを見た者はいなかった。翌日、巡撫(じゅんぶ。明代および清代に置かれた地方長官、省の行政・軍事・司法・治安などの民政全般を統括し、その地域の最高責任者。清代の「部院」は「巡撫」の別称。地方で中央の吏部、戸部など六部と都察院を併せた権限を持っていたことから)が出て来たので、三郎は道を遮り、濡れ衣を着せられたと訴えたところ、役人は彼を拘束した。秋容は監獄に入って陶生にこのことを報告し、また戻って三郎の消息を尋ねたが、彼は三日戻って来なかった。陶生は悲しいやら空腹やらでやり切れず、たった一日経つのが一年も待つように感じられた。突然小謝がやって来て、とても悲しそうにこう言った。「秋容が帰りに城隍祠(じょうこうし。中国の古代宗教や道教において、都市(城壁と堀)を守護する「城隍神」を祀る廟所)に寄ったところ、城隍祠西廂(本堂の手前の西側の縦に長い建屋)の廊下で任に就いていた黒面の判官に無理やり連れて行かれ、妾になるよう強要されたそうです。秋容は要求に屈せず、今もまだ捕らえられています。わたしは百里の道を駆けずり回ったので、くたくたに疲れてしまいました。北側の城外まで来て、古い茨(いばら)の棘(とげ)が刺さって足の土踏まずにケガをし、骨の髄まで痛みが走り、もうこれ以上歩けなくなりました。」そう言って足を指さすと、流れ出た血で靴下が赤く染まっていた。小謝は三両の銀子を出すと、びっこを引いて行ってしまった。

 

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 さて、投獄された陶望三、三郎の運命や如何に。続きは後編をお楽しみに。