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中国語学習者、Congziのブログ

京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 宮廷の後宮に入っていた賈元春が妃となることが決まり、賈政らは宮廷に呼ばれます。折しも皇帝が、後宮の妃や女官たちが肉親に会えないことを憐れみ、里帰りの許可を与えることになり、実家に里帰りのための離宮を作ることを許し、そのため寧国府、栄国府でも離宮建設が行われます。一方、秦鐘は病篤く危篤となり、冥界の遣いが迎えに来ますが、その途中、宝玉の呼びかけが聞こえ、この世に戻ろうとします。さて、『紅楼夢』第十六回の始まりです。

 

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賈元春は才により鳳藻宮に選ばれ

秦鯨卿は夭逝する黄泉の路(みち)

 

 さて秦鐘、宝玉のふたりは鳳姐に付いて、鉄檻寺の後始末を一通りしてから、車に乗って街に帰り、家に帰って賈のお婆様や王夫人にお目にかかると、自分の部屋に戻ったが、その晩は特に何もなかった。翌日になり、宝玉はお婆様の家の外の書斎を片付けに行き、秦鐘と夜に勉強する約束をした。あいにくかの秦鐘は、生まれつき身体が弱く、郊外で辛い時間を過ごし、また智能兒と何度かこっそり逢引きをしたため、自分の言行を控えるよう注意するのを怠り、帰って来ると咳や風邪の症状が出て、食欲が無く、疲れやすくなり、ただ家の中で養生し、家塾に通うことができず、宝玉はつまらなかったが、どうしようもなく、ただ彼の病気が回復するのを待って、また相談するしかなかった。

 

 かの鳳姐は、既に雲光の回答の手紙をもらい、全てもう妥協が済み、老尼僧が張家に通達した。かの守備はどうしようもなく、怒りを抑えて結納の品を受け取った。誰知ろう、権勢になびき金にがめつい父母は、情誼を知り感情に厚い娘を養い、この娘は両親が元の許嫁を断り、代わりに李家に嫁がせると聞き、彼女は一本の腰おびでこっそり首を吊って自殺した。かの守備の子も、誰知ろう、情に厚い人で、金哥が自ら縊死したと聞き、遂に川に身を投げて死んだ。気の毒に張、李の両家は面白くなく、真に「人と財、両ともに空」となった。ここに鳳姐は三千両を安んじて享受したのであるが、王夫人はこのことを少しも知らなかった。これより鳳姐は度胸も見識も益々強く豊かになり、以後の彼女のやったことで、これと似たようなことは、枚挙に暇なかった。

 

 ある日ちょうど賈政の誕生日で、寧国府、栄国府二ヶ所の成人男子は皆慶賀に集まり、たいへんにぎやかであったが、ふと門番が来て報告した。「六宮都太監の夏旦那様が、特に旨意を下さりにお越しになりました。」驚いた賈郝、賈政ら関係者一同は何事が分からず、慌てて芝居や演芸を止めさせ、酒席を片付け、香炉を置いたテーブルを並べ、中門を開け跪(ひざまず)いて出迎えた。早くも都太監の夏秉忠が馬に乗って到着するのが見え、また多くのお付きの内監(宦官)がいた。かの夏太監も、これまで詔書(書面の聖旨)や勅令(口頭や書面の命令)を捧げ持って伝えに行く役目を負ったことがなく、まっすぐ正庁に至ると馬を降り、満面の笑顔で、広間に入って行き、南面して立ち、口を開いて言った。「特旨(特別な命令)を奉る。直ちに宣告するに、賈政は入朝し、臨敬殿にて皇帝陛下に謁見せよ。」言い終わると、お茶も飲まず、馬に乗り帰って行った。

 

 賈政らも何のことか見当が付かず、急いで衣服を着替えて入朝するしかなかった。賈のお婆様ら家中の人心は皆びくびくして落ち着かず、絶えず人を遣わし、早馬を往き来させて情報を探った。四時間ほど経って、頼大ら三四人の執事がハアハア息を弾ませ、走って儀門に入り、吉報を伝え、また言った。「旦那様のご命令を奉りました。どうかお婆様は奥様らを連れ、宮中に入られ君恩に感謝されますようにと。」

 

 この時、賈のお婆様は気持ちがそわそわし、広間の廊下で長い時間立って待っていたが、邢、王の両夫人、尤氏、李紈、鳳姐、迎春姉妹、薛叔母さんらは、皆一ヶ所に集まり知らせを聞いた。賈のお婆様はまた頼大を呼んで来て詳細を詳しく聞くと、頼大は上申して言った。「それがしらはただ外朝のお部屋で伺候しておりましただけで、中の情報は一切存じ上げません。後になって夏太監様が出て来られて吉報を伝えられ、わたしたちの家のお嬢様(大姑奶奶。賈元春のこと)が鳳藻宮尚書に封じられ、賢徳妃を加封されました。その後、旦那様が出て来られ、またそのように言いつけられました。今、旦那様はまた東宮に行かれました。急ぎ奥様方には宮中に行かれ、君恩に感謝されるように、とのことでございます。」賈のお婆様らはそう聞いて、ようやく安心し、たちまち皆喜色満面となった。そして各々自分の官位に基づき身繕いを始めた。賈のお婆様は 邢、王の両夫人と尤氏をお連れになり、四頭立ての大型の馬車に乗り、秩序立って入朝した。賈郝、賈珍もまた朝服に着替え、賈薔、賈蓉を連れ、賈のお婆様に伺候して宮中に向かった。

 

 寧国府、栄国府ふたつのお屋敷の上下、内外の人々は皆大喜びであったが、ひとり宝玉は蚊帳の外であった。それはどうしてとお思いか。実を言うと、最近水月庵の智能兒が寺から逃げ出し、街に来て秦鐘を訪ねたが、思いがけず秦邦業に知られることとなり、智能兒を追い出し、秦鐘を何度も殴ったのだが、自分は怒りの余り持病を発症し、しばらくして、帰らぬ人となった。秦鐘は生まれつき身体が弱く、また罹った病気がまだ回復せず、棒打ちの罰を受け、今父親が怒りで死んでしまったのを見て、後悔してももう遅く、それもあって多くの病気の症状が出るようになった。このため、宝玉は心中がっかりして楽しくなかった。元春が宮中で出世し高い位に封じられるという喜び事はあったが、そのことが彼の心の愁いを解くことができるだろうか。賈のお婆様たちが如何に君恩に感謝し、如何に帰って来られようと、親友が如何にお祝いに来ようと、寧国府、栄国府の両お屋敷が最近如何に賑やかであろうと、人々が如何に得意げであろうと、ひとり宝玉だけは何も無かったように見え、全く意に介さなかった。このため人々は宝玉が益々ぼんくらになったと嘲(あざけ)った。

 

 喜ばしいことに賈璉と黛玉が帰って来ると、先ず人を遣って知らせて来て、明日には家に着くことができると言い、宝玉はそれを聞き、ようやく幾らか嬉しい気持ちになった。細かく元々の経緯を尋ねたところ、ようやく分かったのは、賈雨村も都に入り皇帝陛下に謁見することとなり、――これは皆王子騰が何度も上書し推薦したことにより、都で出た官職の欠員に補充されることになり、――賈璉とは祖先を同じくする一族同士、世代を同じくし、また黛玉とは曾て先生と生徒であった誼(よしみ)で、都まで一緒に行く旅仲間としてやって来た。林如海は既に先祖代々の墓地に葬られ、諸事きちんと適切に処理された。賈璉はこのたび都に戻るに当たり、予定した驛站に泊まって行くと、元々来月にようやく家に着く予定であったが、元春の吉報を耳にし、遂に昼夜兼行で進んだのだが、道中皆無事であった。宝玉はただ黛玉の無事を尋ねたが、その他のことも、とりたてて言う程のこともなかった。

 

 ようやく翌日の正午を過ぎた時に、吉報がもたらされた。「璉旦那様と林お嬢様がお屋敷に入られました。」再会した時にはお互い悲喜こもごも、大いに泣き出すのも免れず、また慶びや労(ねぎら)いの言葉がかけられた。宝玉が黛玉のことを子細に見ると、彼女が益々垢ぬけしたように思えた。黛玉はまたたくさんの書籍を持って帰って来て、急いで寝室を掃除し、用具を手配し、また紙や筆などの土産を分けて、宝釵、迎春、宝玉らに送った。宝玉はまた北静王が贈った鶺鴒(セキレイ)香の数珠(串珍)を再び取り出し、黛玉に譲った。黛玉は言った。「こんな臭い男が持っていたものなんて。わたし、こんなもの要らないわ。」遂に投げつけて返し、受け取らなかった。宝玉はこれを再び受け取るしかなかったが、とりあえずそれ以上の話は無かった。

 

 さて、賈璉は帰宅して家人と顔を合わせ、自分の部屋に戻ったのだが、ちょうど 鳳姐は仕事が忙しく、空き時間が少しも無く、賈璉が遠路はるばる戻って来たのを見て、なんとか時間の都合をつけて話をしない訳にはいかなかった。部屋の中には部外者はいなかったので、笑って言った。「お妃様のご兄弟であらせられる旦那様(国舅老爺)、おめでとうございます。旦那様、遠路はるばる、ご苦労様でした。わたくし、昨日の最初のお使いの方から、今日あなた様がお帰りになるとお聞きし、簡単な酒菜を準備し、遠路の旅の塵を洗い流していただこうと思いますが、わたしのご招待をお受けいただけますでしょうか。」賈璉は笑って言った。「いやはや、恐れ入ります。ありがとう、ありがとう。」一方で平兒は小間使いたちと挨拶を交わすと、茶を捧げ持って来た。

 

 賈璉はその後、別れてから後の家の中での出来事を尋ね、また鳳姐の苦労を労(いた)わった。鳳姐は言った。「わたしがどうしてこれらの事を管理できるでしょう。見識も浅く、口も拙(つたな)く、気持ちも単純なので、「人様が砧(きぬた)をくれても、自分は真に受けて針(「針」と「真」は同音のzhēn)だと信じてしまう」のです。情にほだされ、他人から一言二言おだてられると、いやとは言えないのです。ましてや経験が少なく、肝っ玉も小さいので、奥様がちょっとお加減が悪いと、びくびくして夜も寝られません。わたしは何度もご辞退しようとしたのに、奥様は許してくださらず、却ってわたしが自分の利益を享受するのが目的で、勉強したがらないとおっしゃるのです。わたしが冷や汗をかきながらやっているなんて、誰もご存じありません。一言だって余計なことを言う勇気も無いし、一歩たりともみだりに歩く勇気もありません。あなたはご存じだけれど、わたしたちの家の執事や女房たちの中に、誰か扱い易い者がいるかしら。もしちょっとでも間違いを犯したら、あの子たちの物笑いの種にされ、ちょっとえこひいきでもしようものなら、あの子たちは「桑を指して槐(えんじゅ)をののしる」(遠回しに当てつけを言ってののしる)ように不満を抱くんです。「山の上から二頭の虎の戦いを見る」(他人の争いを傍観し、双方傷つくのを待って漁夫の利を得る)、「刀を借りて人を殺す」(自分は表に出ず、他人を唆(そそのか)して人をやっつける)、「風を利用し火力を強くする」(人をけしかけて事を大きくする)、「川辺の水の無いところに立って水に入らない」(冷ややかな態度で傍観する)、「油の入った瓶を押し倒して支えない」(急な事件が起こっても助けず、傍らで素知らぬ顔で見物する)というのは皆、この家の人たちの権謀術策の手口です。ましてやわたしはまだ歳も若く、押しも弱いので、他の人々がわたしのことなど眼中に無いのも無理もないのです。更に可笑しいことに、あちらのお屋敷では賈蓉様の奥様が亡くなり、珍お兄様が何度も奥様の眼前に跪いて窮状を訴え、わたしにあの方を何日か助けるよう頼まれました。わたしは再三ご辞退したのですが、奥様が情にほだされ同意され、ご命令に従わざるを得ませんでした。――結局、わたしは人馬も切られ倒れる大混乱の渦中に放り込まれ、なおのことお家の体裁なぞ成していませんでした。今でも珍お兄様はまだわたしのことを恨み、後悔しておられるでしょう。あなた、明日珍お兄様にお会いになったら、とにかく謝って釈明しておいてください。わたしはまだ年若く、世間の経験も浅く、誰が旦那様に間違ってわたしに頼むように言ったのかしら。」

 

 そう話していると、外で人が話すのが聞こえたので、鳳姐は尋ねた。「誰だい。」平兒が入って来て答えた。「薛の叔母様が香菱ちゃんを使いに寄越してわたしに尋ねものをしてきたので、わたしはもうお答えして、あの娘を帰しました。」賈璉は笑って言った。「その通りだ。わたしがさっき薛の叔母さんに会いに行ったら、ひとりの若い女性がちょうど向こうから歩いて来たんだが、その娘は容姿がとても綺麗だった。うちの家にこんな娘はいなかったと思って、話の時に叔母さんに聞いたら、それでようやくその娘が訴訟沙汰になったあの子供の小間使いで、名を「香菱」とか言うのを知ったんだ。ついには薛蟠の阿呆の妾になり、産毛を落として眉毛を描くと、益々際立った美人になった。あの薛蟠の阿呆は本当にあの娘を汚しやがった。」

 

 鳳姐は口をへの字に曲げて、言った。「あらまあ。蘇州、杭州に一度行って帰って来られると、世間のこともいろいろ見て来られるのね。本当に欲張りで飽きることを知らないのだから。あなたがあの娘を気に入られたのなら、何でもないわ、わたし、平兒を連れて行ってあの娘と交換して来てあげてもいいわよ。あの薛の兄さんも、「お碗で飯を食いながら、鍋の中を覗く」(強欲で足るということを知らない)人ね。ここに移って来た時は、兄さんは香菱を我がものにすることができなくて、叔母様とはどれだけ言い争いになったことか。叔母様は、香菱の容貌が良いのは大したことじゃなく、あの娘の人となりや行いが、他の女の子と違って、優しく物静かで、大方の娘さんたちもあの娘には敵(かな)わない、それでようやく宴会を開きお客さんを招くといった面倒な準備をして、公明正大に香菱を薛の兄さんの妾にしたのよ。――半月もしないうちに、誰も関心を示さなくなったけどね。」話が終わらぬうちに、二の門にいた小間使いが知らせを伝えた。「旦那様が書斎で若旦那様をお待ちです。」賈璉はそれを聞いて、急いで着衣を整え出て行った。

 

 ここで鳳姐は平兒に尋ねた。「先ほど、薛の叔母様は何のご用だったの。わざわざ香菱を遣わして来られて。」平兒は言った。「どうして香菱が来るものですか。わたしが香菱の名前を使って、でたらめを言っただけですよ。奥様、ちょっと見てください。旺兒姉さんは胸算用もできなくなったんですかね。」そう言いながら、また鳳姐の身辺にまで近寄って来て、こっそり言った。「あの利息の銀子がいつまで経っても払われて来なかったのが、今回賈璉様がご在宅の時にようやく持って来たんです。幸いわたしが母屋にいた時に旺兒姉さんと出会ったんですが、そうでなく奥様に報告に行かれて、若旦那様に知られることになったら、あの方のご気性ですから、油の煮えたぎった鍋の中からでも銭をすくい上げようとなさるでしょうし、奥様がへそくりを貯め込んでいるのを知ったら、思いっきり使ってしまわれるんじゃないですかね。だからわたしが急いで受け取り、わたしに二言三言言われたんですが、それがなんと奥様に聞かれてしまうとは。――それゆえ若旦那様の面前では、わたし、香菱が来たと言うしかなかったんです。」鳳姐はそう聞いて、笑って言った。「実を言うとね、実家の母が賈璉が帰って来ると知って、急いで銀子を届けて来たのよ。実はこのあばずれの悪だくみだったとは。」そう言っているうち、賈璉が既に戻って来たので、鳳姐は酒と料理を並べるよう命じ、夫婦ふたり向かい合って座った。鳳姐は酒が強かったが、興に任せて飲む勇気は無かった。ちょうど酒を飲んでいると、賈璉の乳母の趙婆やが歩いて来るのが見えた。賈璉と鳳姐が急いで酒を飲ませようと、趙婆やをオンドルに上がるように言った。趙婆やは頑なにうんと言わなかった。平兒らは早くもオンドルの縁に小テーブルを置き、足置きを並べ、趙婆やは足置きの上に座り、賈璉は食卓へ二皿のおかずを選んで趙婆やに与え、小テーブルの上に置いて食べてもらった。鳳姐はまた言った。「母さんにはそれは噛み切れないかもしれないわ。悪くすると母さんの歯が折れてしまうかもしれないわ。」それで平兒に尋ねて言った。「さっきも言ったけど、あの火腿燉肘子(ハムと豚のもも肉の煮込み)だったらとても柔らかいから、母さんが食べるのにちょうどいいわ。あなた、どうしてあれを取って来て、急いで温めさせないの。」また言った。「母さん、あなたの息子が持って帰って来た恵泉酒をちょっと味見してご覧なさいな。」

 

 

 趙婆やは言った。「わたし、飲ませていただきますよ。奥様も一杯お飲みになっては。何を心配されているんです。飲みすぎさえしなければ大丈夫ですわ。わたしが今回駆けつけて来たのは、もちろん食事をご馳走になるためではなく、ちゃんとしたお話があって伺ったんです。奥様、ともかくわたしのことを多少なりとも心に留め、ご配慮いただきたいのです。うちの旦那様(賈璉)ときたら、口では良いことをおっしゃいますが、目の前に来ると、わたしたちのことなんか忘れてしまわれるのです。幸い、わたしはあなたがお小さい時からおっぱいを飲ませて、こんなに大きくなられるまでずっとお世話をしてきました。わたしも歳をとりましたが、問題はあのふたりの息子のことなのですが、どうか特別にあの子たちの(仕事の)世話をしていただけないでしょうか。周りの皆さんは容易く他人に不満を漏らしてはいけないと言うんですけどね。わたしも何度もあなたに申し上げ、その時のお返事はまんざらでもありませんでしたのに、結局だめになってしまいました。こちら様は今また天上からこのような慶び事が飛び込んだのに、どうして人が要らないとなど申せましょう。それゆえここはやはり伺って、奥様にちゃんとしたお話をさせていただきたいのです。うちの旦那様におすがりしないと、わたし、飢え死にしやしないか心配なんです。」

 

 鳳姐は笑って言った。「お母さん、あなたのふたりのお子さんのことは、わたしにお任せなさい。(賈璉は)あなたが小さい時からおっぱいを飲ませて育てた人なら、その気性はよくご存じでしょう。肉の美味しいところを他人に与えてしまうんですから。でももうふたりのお子さんのことをお預かりした以上、そのどちらが人より劣ることがあるでしょう。あなたはあの子たちのことを心配し、面倒を見て来たんだから、誰も反対できない。もう「外の人」にばかりいい目をさせないわ。――いや、言い間違った。わたしたちは「外の人」と言っているけど、実は「内の人」(身内)のことを言っているんだわ(賈璉が外で妾を囲っていることを指す)。」そう言うと、部屋中の人々が皆どっと笑った。趙婆やも笑い声を止めることができず、また念仏を唱えながら言った。「けれども部屋の中から青天が飛び出した(「屋子里跑出青天来」。「破天荒」(曾て無いことが起こった))のよ。「内の人」、「外の人」なんて不謹慎なこと、うちの旦那様はそんなことなさってないわ。でも見かけは優しく、心が善良でも、他人からちょっと求められると気持ちがぐらつくの。」鳳姐は笑って言った。「本当にね。「内の人」(妻のこと)がいて、男ははじめて優しく善良になるのよ。あの人はわたしたち女の前ではえらそうにしているけどね。」趙婆やは言った。「奥様のお言葉はとてもお気持ちがこもっていますわ。わたしもうれしくなりました。もう一杯良いお酒を飲みましょう。今後、わたしたちは奥様を中心にすれば、何の心配もありませんわ。」

 

 賈璉はこの時ばつが悪くて、ただにが笑いを浮かべて言った。「おまえたち、でたらめを言うなよ。とっとと飯をかき込んで、珍旦那のところへ行って相談しようよ。」鳳姐は言った。「でも、大事なことを誤解してはいけないわ。さっき旦那様はあなたに何を言われたの。」賈璉は言った。「元春様の里帰りのことなんだ。」鳳姐は急いで尋ねた。「里帰りされるって、確かなことなの。」賈璉は笑って言った。「十分に確かだとは言えないが、それでも八九割間違いないだろう。」鳳姐は笑って言った。「それでも今上陛下のご恩典でしょう。これまで講談や芝居の中でも、未だ曾て聞いたことが無いわ。」趙婆やも続けて言った。「そうでしょうとも。わたしも訳が分からないわ。お屋敷の上から下までここんとこ大騒ぎをされて、お里帰りとか何とか言われても、わたしも何のことだか見当がつかないわ。今またお里帰りと言われるのは、いったいどんな理由なのでしょう。」賈璉は言った。「今、今上陛下は万民の心を思いやり、世の中に「親孝行」より大切なものは無いと考えておられ、思うに父母と子女の気持ちは相通じるものがあり、それには貴賤の別は無い。現在は自ら日夜太上皇様、皇太后様にお仕えするも、なお孝行心を尽くすことができず、宮中の妃や嬪、才人といった女性たちは宮廷に入るのに父母の元を離れて何年も経ち、どうして親孝行のことを考えないなんていうことがあるだろうか。しかも父母は家にいて、娘のことを思っているのに、一目たりとも会うことができず、このため病気になってしまったら、それもまた天地の調和を大いに損なうことになる。それで太上皇様、皇太后様に奏上し、毎月二十六日になったら、妃や女官の家族が皇宮に入り、娘に会うことをお許しいただくよう願い出られた。それで太上皇様、皇太后様は大いに喜ばれ、今上陛下の孝行心、思いやりを深く称賛され、陛下のご意志を推し量られ、お二人はまた次のようにご指示を下された。皇后や妃の親族が娘を訪ねて皇宮に入るのは、国家の体制や儀礼制度に影響する恐れがあるので、親子の間で相変わらずお互いの気持ちを満足させることができなかった。それでなんと極めて大きな便宜と恩典を下され、陛下が特別に後宮関係のご親族にご指示を賜り、二十六日の皇宮を訪ねる恩典以外に、凡そ何ヶ所かに独立したお屋敷を構えている家で、皇后様やお妃が皇宮の外に滞在する時の安全や尊厳を保てる者については、皇室の駕籠でその私邸に乗り入れて里帰りするのを許し、親子の間の骨肉の情愛を尽くし、一家団欒の楽しみを共に過ごせることになった。この指示が下されるや、皆踊り上がって喜んだ。今、周貴妃の父親は既に家で工事を始め、里帰り時の別院を建設している。呉貴妃の父親の呉天祐の家でも、城外で里帰り時の別荘を建てるのに相応しい土地を見に行かれた。これでも八九割確かで無いと言えるかね。」

 

 趙婆やは言った。「南無阿弥陀仏。なるほど、そうでございましたか。そういう訳でしたら、このお家でも元春お嬢様(姑奶奶。既に嫁入りした娘のこと)をお迎えする準備をしなくちゃいけませんね。」賈璉は言った。「言うまでもないよ。今こうして忙しくしているのはそのためだよ。」鳳姐は笑って言った。「果たしてそういうことなら、わたしも良い経験ができるわ。でも残念ながら、わたしがもう何歳か若くて、もし二三十年早く生まれていたら、今こうしたお年寄りたちのように、世の中の出来事を見ていないと卑下することもなかった。言ってみれば、曾て太祖皇帝が舜に倣って南方を巡行(清を開いたヌルハチの南巡を指す)されたお話は、小説のように面白いけれど、わたしは生憎時代が違って立ち会うことができないわ。」趙婆やは言った。「あらまあ、それはでも千載一隅かもしれませんよ。当時のことは、わたし微かに憶えていますよ。わたしたち賈家のお屋敷では、ちょうど姑蘇揚州一帯で海洋船の製造、監督、防波堤の修築を行い、皇帝陛下がお越しになるのを一回お出迎えするだけでも、大量の銀子を使い、まるで海水が滴り落ちるかのようでした。言ってみれば――」鳳姐は急いで続けて言った。「わたしたち王家のお屋敷でも一度準備をしたことがありました。当時、うちのお爺様は専ら各国が朝貢、慶賀に来られるのを管理し、凡そ外国人が来ると、皆我が家でお世話をしていました。広東、福建、雲南、浙江の全ての西洋船の貨物は皆我が家のものでした。」

 

 趙婆やは言った。「そのことは知らぬ者はおりません。今でもまだ俗にこう言います。「東海で白玉のベッドが足らなければ、龍王が金陵王にもらいに来る」と。ここで言っているのは、奥様のご実家のことでございます。今でも他に、江南の甄家がございます。それはそれは、豪気なものでございました。あちらのお宅だけで四度お出迎えされました。わたしがこの眼で見たのでなければ、誰に言っても信じてもらえないでしょう。銀子がガラクタだとは申しませんが、世の中で価値のある物なら何でも、山と積まれていないものなどありませんでした。「罪を犯してはじめてもったいなく思」っても、後の祭りですわよ。」鳳姐が言った。「わたし、いつもお爺様から、同じことを聞いておりました。どうして信じないなんてことがありましょう。ただどうしたらお家がこんなに富み栄えるのか、不思議ですわ。」趙婆やが言った。「奥様に一言申し上げておきますけど、結局は皇帝陛下のお家の銀子を持ってきて、陛下のために使うだけのことでございますよ。どちらのお家で、こんな多額のお金を虚しく大騒ぎして使うことなどありましょうか。」

 

 ちょうどそう言っていると、王夫人がまた使いの人を遣って、鳳姐が食事を終えたか見に来た。鳳姐は用事があって自分が来るのを待っていると知っていたので、急いで食事を終えると、口を漱いで出掛けようとした。するとまた二の門の小者たちがこう伝えた。「東府(寧国府)の蓉様、薔様がお見えです。」賈璉はそれでようやく口を漱ぐと、平兒が手を洗う盥(たらい)を捧げ持って来たが、彼らふたりが来たのを見て、尋ねた。「何のご用事なの。」鳳姐はそれでまた足を止めると、賈蓉が先に答えて言った。「うちの父がわたしに、叔父様にお伝えするよう言いつけられました。旦那様方はもうこう取り決められました。東側一帯の、東府の花園に接するところから、西北まで、丈を量ると、全部で三里半の面積に、お里帰り用の別院を建設するというものです。既に人伝えに図面を描かせて、明日には出来上がります。

 

 

叔父様はご帰宅されたばかりで、お疲れでしょうから、わたしたちのところに来るに及ばない。何かあったら明日の朝一番にお越しいただき、相談しましょう、とのことでございます。」賈璉は笑って言った。「旦那様のご配慮と、わたしへのご配慮に感謝いたします。それでは仰せの通りにいたしましょう。真にこのお考えであれば、手数が省け、建築も容易です。もし他の土地を買って作るとなると、より面倒ですし、体裁が好くありません。帰られたらお伝えください。このお考えはたいへん良い。もし旦那様方がまた修正される場合でも、全て旦那様のご忠言通りにして、くれぐれも他の場所を考えることの無きように。明日朝一に、わたしが旦那様にご挨拶に伺う時に、また細かく相談いたしましょう、と。」賈蓉は急いで何度も「はい」と答えた。

 

 賈薔がまた進み出て伝えて言った。「姑蘇(蘇州)に下って(当時流行していた昆曲の)音楽教師を招聘し、楽師の少女を買い、楽器や小道具などを準備するのに、旦那様はわたしを派遣することにされ、執事の頼家のふたりの息子と、単聘仁、卜固修という二人の食客の先生を連れて行くよう言われ、一緒に出立しますので、わたしに、叔父様にお目にかかっておくよう言われました。」賈璉はそう聞くと、賈薔をしげしげと見て観察し、笑って言った。「おまえ、大丈夫かい。このお役目はそんなに大層なことではないが、その中にはあまり人に知られていない、隠れた秘密もあるからね。」賈薔は笑って言った。「学びながらやるしかないですよ。」

 

 賈蓉は灯りの陰でこっそり鳳姐の衣服の裾を引っ張ると、鳳姐はそれと察し、またこっそり手を振って知らぬふりをした。そして笑って言った。「あなたも心配し過ぎよ。どうして旦那様がわたしたちより人を使えないなんてことがあって。それはあなたが一方的にうまくいかないと心配しているだけよ。誰だってできることよ。子供たちがこんなに大きくなったら、「豚を食べたことがなくても、豚が走るのは見たことがある」だわ。旦那様がこの子を遣られるのは、元々このお役目を主宰させるだけで、どうして真面目にこの子に値段の交渉をさせたり商売をしに行かせるものですか。わたしに言わせれば、とてもいいことだわ。」賈璉は言った。「それなら自然だ。一方的に却下するんじゃなくて、この子に見積もってみさせることも欠かせないんだ。」それで尋ねた。「このお役目の銀子は、どこから出すのかね。」賈薔は言った。「先ほどもその話になりまして。頼お爺様が言われるには、「都から銀子を持って行くには及ばない。江南の甄家にはまだうちの五万両の銀子が預けてある。明日手紙を書いて、為替を我々が持って行くので、先ず三万両を支払い、残った二万両はそのまま残して、彩色や装飾を施した提灯、蝋燭や各色の帷や幟を買う時に使おう」と言うことになりました。」賈璉は頷いて言った。「そのやり方で良いと思う。」鳳姐は急いで賈薔に言った。「そう決まったからには、うちにもふたり相応しい人間がいるから、あなた連れてお行きなさい。あなたのお役に立つから。」賈薔は慌ててお追従笑いを浮かべて言った。「ちょうど叔母様とご相談したいと思っていたんですよ、ちょうど良かった。」そして連れて行く者の名前を尋ねた。鳳姐はそれで趙婆やに尋ねた。この時、趙婆やはもうそう聞いてぼけっとしていたので、平兒が笑って趙婆やの背を押すと、ようやく我に返り、慌てて言った。「ひとりは趙天梁、ひとりは趙天棟と言います。」鳳姐が言った。「でも忘れないでね。わたしはわたしのするべきことをしますから。」そう言うと、出て行った。賈蓉は慌てて追いかけ、こっそり笑って鳳姐に言った。「あんたという人は、何をするんでも、伝票を作って持って行き、その通り処理するんだね。」鳳姐は笑いながら、吐き捨てるように言った。「ばか言わないで。あんた、それでわたしの気を惹こうと思ってるの。わたしはあんたみたいに陰でこそこそしてても、なんとも思わないわ。」そう言うと、ちょっと笑って行ってしまった。

 

 ここで賈薔も賈璉に尋ねた。「何を持って行ったら、うまい具合に上の皆さんに敬意や孝順を示すことができるんですか。」賈璉は笑って言った。「おまえ、そんなに得意になるな。まだ仕事のやり方を勉強し始めたばかりなのに、先にこういうやり方を覚えたという訳だ。何か不足があったら、また手紙で知らせてやるよ。」そう言うと、彼らふたりを出て行かせた。続けて報告に来る者は三四人に止まらず、賈璉は疲れたので、二の門に使いを遣り、来客があっても取り次ぎを断り、翌日に対応すると告げさせた。鳳姐は三更(夜中の11時から翌日の1時)になってようやく戻って来て休んだ。その晩は特に何も無かった。

 

 翌朝、賈璉は起きると、賈郝、賈政にお目にかかり、寧国府の中にやって来ると、契約で長年執事をお願いしている一家の人々や、何人かの何世代にわたり交際のある食客や文人たちに会い、栄国府、寧国府ふたつのお屋敷の状態を詳しく調べ、里帰り用の殿宇建設の準備をすると同時に、工事その他に関わる人員の配置や仕事の手配を検討した。それが終わると、各種の職人の手配が済み、金銀や銅、錫、土木の磚や瓦などの物の搬入、搬送が休みなく行われた。先に職人に命じて寧国府の会芳園の壁や垣根、楼閣を撤去させ、直接栄国府の東大院の中に入れるようにした。栄国府東側の全ての召使たちの家々は既に尽く撤去されていた。当時、寧国府、栄国府の両屋敷は、一本の細い路地で隔てられていたが、私有地であり、官道ではなかったので、互いに往き来することができた。会芳園は元々北側の壁の角から一本の川の水が引き込まれていたが、今はまた再び水を引き直すことは考えていなかった。新しい庭に山の樹木や石が足りなかったが、 賈郝が住んでいるのが栄国府の古い花園であり、その中に竹や樹木、山石、及びあずまや欄干などがあるので、それらを移して持って来ることができた。このようにふたつのお屋敷は甚だ隣接しており、ひとつにまとめて考えれば、多くの金銭を節約でき、おおよそ見積もると、付け加える必要のあるものは限られていた。これらは全て胡公、号を山子野という庭師により、ひとつひとつ計画され建造された。

 

 賈政は俗務に不慣れであり、賈郝、賈珍、賈璉、頼大、頼升、林之孝、呉新登、詹光、程日興など数人が仕事を分担し、持ち場を受け持った。築山を築き池を穿ち、楼閣を建造し、竹や花を植え、全ての景観は、山子野の指示に拠った。賈政は朝廷の事務を終えた後の暇な時間に、屋敷内の方々を見て回り、改善しないといけないところは 賈郝と一緒に相談すれば良かった。賈郝は一日中家で横になっていて、ちょっとした問題があると、 賈珍らが自分で解決するか、簡単な報告書を書いたり、口で説明して、 賈璉や 頼大らを呼んで対応を命じた。賈蓉は専ら金銀で食器類を作った。賈薔は既に 姑蘇に向け出発した。 賈珍や 頼大らはまた人手を手配し、担当職務を明確にし、現場の工程管理を行った。一筆ではその詳細を書き尽くせないが、たいへん賑やかで騒々しかった。差し当たり、それ以上の話はない。

 

 さて宝玉は家の中でこれら大事があり、賈政が彼の勉強の進み具合を確かめに来ないものだから、心中愉快であったが、秦鐘の病気が日増しに重くなるのは如何ともし難く、本当に心配で仕方なく、心が晴れなかった。この日、朝早く起きると、髪を梳き顔を洗い、賈のお婆様に申し上げて秦鐘のお見舞いに行きたいと思っていると、ふと茗煙が二の門の目隠し(影壁)の前であたりを見回しびくびくしているのが見えたので、宝玉は急いで出て行って彼に尋ねた。「何をしているの。」茗煙は言った。「秦旦那様はもうだめです。」宝玉はそう聞くと、びっくりして飛び上がり、急いで尋ねた。「僕は昨日会ったばかりだけど、秦鐘はまだ意識がはっきりしていた。どうしてもうだめなの。」茗煙は言った。「わたしも分からないのです。先ほどあちらの家のご主人が来られ、特にわたしにそう言われたのです。」宝玉は聞き終わると、急いで家に戻って賈のお婆様にご報告すると、賈のお婆様は相応しい人と一緒に行くよう言いつけ、「あちらに行ったらできるだけ学友としての気持ちでお見舞いをしたら戻っておいで。あまり長くお邪魔してはいけないよ。」と言った。

 

 宝玉は急いで出て来て服を着替えた。外に出ると、車がまだ準備できておらず、焦って広間中をせわしなく歩いていたが、しばらくして催促した車が来たので、急いで車に飛び乗り、李貴、茗煙らが後に従った。秦家の門口に来ると、ひっそりと人っ子ひとりおらず、遂に部屋の中にわっと飛び込むと、秦鐘のふたりの遠縁の叔母、兄嫁と、何人かの女兄弟は、皆びっくりして一斉に陰に隠れた。

 

 この時、秦鐘は既に二三度昏睡状態に陥り、何度もベッドの敷物を取り替えていた。宝玉は一目見て、声を失い泣き出した。 李貴は慌てて諫めて言った。「だめです。秦お兄様は病気で弱っておられ、オンドルの上で硬いものに触れるのは耐えられませんから、暫時動かして少しでも楽なようにされているのです。お兄様がこんなに泣かれると、却ってこの方のご病気がひどくなります。」宝玉はそれを聞いて、ようやく我慢して近づくのをやめた。見ると秦鐘の顔は蝋のように真っ白で、眼を閉じて息をし、ベッドの上で寝返りを打った。宝玉は慌てて叫んだ。「鯨兄さん、宝玉が来ました。」二三回叫んだが、秦鐘は返事をしなかった。宝玉はまた叫んだ。「宝玉が来ました。」

 

 かの秦鐘はとっくに霊魂が身体から離れ、ただまだ途切れず弱々しい息づかいだけが残り、ちょうど多くの冥界の遣い(鬼判)が鑑札や縄を持って、彼の霊魂を捕まえようとしていた。かの秦鐘の霊魂はどうしてあの世へ行くを肯ぜよう。また家の中で誰も家の務めを管理しないことを憶えており、また智能兒がまだ行方知れずなのを気にかけ、このため冥界の遣いに何とか頼み込んだ。しかしこれら冥界の遣いたちは皆私情を認めず、却って秦鐘を叱責して言った。「おまえのように学問をしたことのある人間が、どうして俗に言う「閻魔大王が三更(深夜11時から翌日の1時)に死を告げたら、誰も五更(夜中の3時から5時)まで敢えて引き留めぬ」という諺を知らぬのか。我らあの世の者は上も下も私情を持たず、この世のように私情をはさむことはなく、たくさんの落とし穴が待っているぞ。」

 

 

 正に騒いでいると、かの秦鐘の霊魂はふと「宝玉が来ました。」という声が聞こえたので、慌ててまた頼み込んだ。「ここにいらっしゃるお遣いの皆さま、どうかお慈悲をおかけくださり、わたしを帰らせてください。ひとりの親友と一言話をしたら、戻って来ます。」鬼たちは言った。「またどんな良き友人が来たんだ。」秦鐘は言った。「皆さんを騙すものではございません。それは、栄国公の孫で、名を宝玉という方です。」かの判官はそれを聞いて、先ずはっと驚き、慌ててこれらの鬼どもを叱りつけて言った。「おい、お前たち、こいつを放って帰らせてやれ。おまえたち、わたしの話を聞かないと、今時運の旺盛な人が来られるぞ。それでもいいか。」鬼たちは判官がこう言うので、手足をばたばたさせ、恨めしそうにしながら言った。「あなたのような経験ある方が、最初はあんなにせっかちであったのは、実は「宝玉」の二文字を見ていらっしゃらなかったのですね。わたしたちが思うに、あの方はこの世におられ、わたしたちはあの世にいるのですから、あの方を恐れても何の得もありません。」かの判官は益々慌てて、叫び声を上げた。果たして秦鐘の生死はどうなるのか、次回に解説いたします。

 秦氏の葬儀が無事終わり、葬儀が行われた鉄檻寺に近い尼寺の饅頭庵に宿泊した鳳姐は、ここで尼僧に頼まれ、縁談にまつわる揉め事を賄賂を取って解決します。秦鐘は、尼僧の弟子の智能兒に男女の関係を迫りますが……。『紅楼夢』第十五回をご覧ください。

 

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王鳳姐は鉄檻寺で権を弄し

秦鯨卿は饅頭庵で趣(情趣。男女の営み)を得る

 

 さて宝玉は目を上げて見ると、北静王世栄が頭に真っ白な簪(かんざし)に顎紐(あごひも)を付け、両側に銀の翼の飾りの付いた王の帽子を被り、すそに山の崖と海の波濤の模様が刺繍され、五爪の龍と白い蟒蛇(うわばみ)が刺繍で描かれた長い上衣を身に着け、碧玉に赤い革のベルトを締めていた。顔は美玉の如く、目は金星のよう。真にとても秀麗な人物であった。宝玉は大急ぎで駆け寄り謁見すると、世栄は駕籠の中から手を伸ばして手を貸した。見ると宝玉は髪の毛を束ねて銀の冠を被り、二匹の龍が海を出る図柄の鉢巻を締め、白い蟒蛇の筒袖の上着を身に着け、真珠を散りばめた銀のベルトを巻いていた。顔は春の花のよう、目は漆を垂らしたようであった。北静王は笑って言った。「名は嘘偽りを伝えていませんね。果たして「宝」の如く、「玉」に似るですね。」そして尋ねた。「銜(くわ)えておられたかの宝貝はどちらに。」宝玉は尋ねられたのを見て、急いで服の中からそれを取り出し、北静王に手渡すと、子細にそれを見られ、またその上の文字を読むと、また尋ねた。「果たして霊験はありますか。」賈政は急いで言った。「そのように言われていますが、まだ試したことはありません。」北静王は一方で口を極めて珍しいと称賛し、一方で五色の紐を整えると、自ら宝玉に掛けてやり、また宝玉の手を取り、何歳になったか、今何を勉強しているか尋ねられた。宝玉はそれにひとつひとつお答えした。

 

 北静王は宝玉を見て、彼がことばが清々しく、話に分別があるのを見て、一方でまた賈政に笑って言った。「あなたのお子さんは真に群を抜いて優れておられ、将来はきっと「雛鳳は老鳳の声より清し」で、どれだけの人物になられるか予想できないですね。」賈政はお追従笑いをして言った。「犬子豈(あに)敢えて謬(あやま)ちて金奨を承く、藩郡(北静王のこと)の余恩に頼る、果たしてこのことばの通りで、これもまたそれがしの幸運でございます。」北静王はまた言った。「しかし一点申し上げておきますが、ご子息はこのような資質であれば、奥方様は自然とかわいがられることと思います。けれどもわたしたち若輩にとって、あまり溺愛されるのはよろしくありません。溺愛されると、真面目に勉強せず、学業を疎かにするようになります。昔わたしはこの轍を踏んでしまったことがあるので、ご子息にもそうならぬようにしていただきたいのです。もしご子息が家では勉強に集中できないなら、いつも拙宅に来ていただいて構いません。わたしは才能は凡庸ですが、国内の多くの名士が都に来られると、皆わたしを特別な目で見てくださいます。拙宅には優れた人々が頗る集まりますので、ご子息がいつもお越しになって皆さんと交われば、学問は日増しに進歩できるでしょう。」賈政は急いで身体を曲げるお辞儀をして、「はい」とお答えした。

 

 北静王はまた腕に巻いていた一本の数珠を外し、宝玉に渡して言った。「今日初めてお会いし、ばたばたしてお祝いの品を準備しておりませんでした。これは皇帝陛下から賜った鶺鴒(セキレイ)香の数珠ですので、とりあえず敬意の印とさせてください。」宝玉は急いで受け取ると、振り返って賈政に献上した。賈政は宝玉を連れて謝意を表した。そして賈郝、賈珍らと共に叩頭して北静王の輿(こし)が出立するのを見送ろうとすると、北静王は言った。「亡くなった方は既に仙界に登られ、わたしたち平凡に俗世間にいる者とは違います。わたしは皇帝陛下の恩顧を受け、何の功績も無いまま郡王を世襲しておりますが、どうして霊柩の車を差し置いて、進むことができるでしょう。」賈郝らは北静王が頑なにこちらの手配に従わないのを見て、恩情に感謝して帰るしかなく、下の者たちに命じて音楽の演奏を停止して静かにさせ、葬送の行列を通過させてから、北静王にお帰りいただいた。この話はこれで置く。

 

 さて寧国府の葬送の行列は、一路たいそう賑やかだった。ちょうど城門に着くと、また賈郝、賈政、賈珍らの役所の同期の人やその同僚らが祭壇を設けて祭祀を行った。ひとつひとつ礼を言い、その後城門を出、ついに鉄檻寺への大通りを走ってやって来た。この時賈珍は賈蓉を連れ、目上の方々の前に出て、皆さん方に駕籠に乗るか馬に騎乗するかの手配をした。このため、賈郝の世代の人々は各自車か駕籠に乗り、賈珍の世代の人々は馬に騎乗しなければならなかった。鳳姐は宝玉のことを気にかけ、宝玉が郊外で自分勝手に行動し、家人の言うことを聞かないのではないかと心配した。賈政は宝玉の行為を直接管理できないので、事故に遭いはしないか心配し、このため子供の召使に命じて宝玉を呼びに行かせた。宝玉は車の前に戻って来ざるを得なかった。鳳姐は笑って言った。「良い子ね。あなたは貴公子で、女の子のような器量なんだから、あの猿どもが馬に騎乗するのを真似てはだめよ。下りておいで。わたしたち、お姉さんと一緒に車に乗りましょう、いいわね。」宝玉はそう聞くと、馬から下り、鳳姐の車に上がり、ふたりは談笑しながら出発した。

 

 しばらくして、あちらから二頭の馬が鳳姐の車めがけてまっすぐ駆け寄ると、馬を下り車を支え持って奏上した。「こちらに適当な場所がございますので、奥様どうかご休憩され、手洗いをお使いください。」鳳姐は邢、王両夫人の指示を仰ぐよう命じたところ、両夫人のところからはこう回答して来た。「奥様方は休息は不要と申されています。若奥様のよろしいようにと。」鳳姐はそれで、少し休憩してから出発するよう命じた。子供の召使が駕籠と馬を連れ、群衆の中から出て来て、北に向かった。宝玉は急いで人に命じて秦鐘を呼んで来てもらった。この時、秦鐘はちょうど馬に騎乗し、彼の父親の駕籠に付き従っていたが、ふと見ると宝玉の子供の召使が走って来て、秦鐘に一服しようと言って来た。秦鐘は遠くから宝玉の騎乗する馬を見ていたが、鞍と(馬の顔につける)面がいを付け、鳳姐の車に従い北に向かったので、宝玉が鳳姐と同じ車に乗っていると知り、自分も馬と一緒に追いかけ、ある村の屋敷の中に入った。

 

 その村の農家は、部屋数も無く、婦女たちが人の目を避ける場所も無かった。そこの村の女たちは鳳姐、宝玉、秦鐘の容貌や衣服を見て、天上の神々が降下されたと信じて疑わなかった。鳳姐は草葺きの家に入ると、先ず 宝玉らに外で遊んでいるよう命じた。 宝玉はその意を察し、秦鐘と共に子供の召使たちを連れてあちこち遊びに行った。およそ農家や田畑で使う工具類は、どれもこれまで見たことが無く、宝玉はそれらを見て、珍しく思ったが、どんな名前で何に使うのか分からなかった。子供の召使の中でそれらを知っている者が、ひとつひとつ名前とその用途を説明した。宝玉はそれを聞いて、頷いて言った。「なるほど古人の詩に言う「誰か知る盤中の餐、粒粒皆辛苦」とは、正にこのことか。」そう言いながら、一方でまたとある部屋に行き、オンドルの上に紡(つむ)ぎ車が置かれているのを見て、益々珍しく思った。子供の召使たちはまた言った。「これは糸を紡いで布を織るものです。」 宝玉はオンドルに上がってそれを揺すったり回したりすると、ひとりの汚い成りをした、十七八くらいの娘が、進み出て言った。「壊さないで。」子供の召使たちは急いで近づいて一声かけると、 宝玉も手を止めて、言った。「僕、これを初めて見たので、ちょっと試してみたかったんだ。」その娘は言った。「あなたには動かせないわ。わたしが動かして見せてあげる。」秦鐘はそっと宝玉の手を引いて言った。「この娘はとても面白い。」宝玉は秦鐘を押し返して言った。「またでたらめを言ったら、おまえを叩くぞ。」そう言いながら、その娘が糸を紡ぐのを見ていると、果たして素晴らしかった。ふとあちらの方からお婆さんが大声で言うのが聞こえた。「おまえ、早くこっちにお戻り。」その娘は紡ぎ車を打ち捨て、そのまま行ってしまった。

 

 宝玉はがっかりして失望した。ちょうど鳳姐が人を遣って彼らふたりに部屋に入って来るよう言いつけた。鳳姐は手を洗い、着替えを済ませていて、宝玉に着替えるか尋ねたが、宝玉は「着替えない」と言って済ませた。女の召使たちが盆に茶やお茶請けの菓子を捧げ持って来て、また良い香りのするお茶を淹れてくれたので、鳳姐らは茶を飲み、召使たちが片付け終わるのを待って、車に乗り込んだ。外では旺兒が心づけを準備し、その農家の主人や婦人らに急いで謝礼を渡した。宝玉は気をつけて見ていたが、あの糸を紡いでくれた女はいなかった。しばらく行くと、あの娘が、胸に子供を抱いて、二人の小さな娘の手を引いて、村はずれに立ってこちらを見ていた。宝玉は高まる気持ちを押さえきれなかったが、自分は車の中にいるので、ただ眼の縁に感情を滲ませることができただけだった。あっという間に通り過ぎ、振り返っても、もはや影も形も見えなくなった。

 

 談笑している間に、既に葬儀が始まろうとしていた。早くも前方で法鼓や金鐃jīn náo(シンバル)が鳴らされ、幢幡chuáng fān(幟(のぼり))や宝蓋(天蓋)が掲げられた。鉄檻寺の僧たちが路傍に並んでいた。

 

 

ほどなくして葬送の行列が鉄檻寺に到着し、改めて仏教儀式が開始され、再び香壇が設けられ、亡骸が内殿の一室に安置され、秦可卿の小間使いの宝珠が、秦氏の亡骸を守って休めるよう手配された。外では賈珍が弔問に来る親友の接待をし、――お泊りになる方も、お別れだけに来られる方もおり、ひとりひとりお心遣いに感謝した。公、侯、伯、子、男と異なった爵位の役人たちが、ひとりひとり、それぞれにお弔いを済ませて帰られ、それが最後にひとりもおられなくなるまで続いた。中の女性のお客様は皆、鳳姐が接待し、最初に位を授かった婦人から弔問が始まり、未の刻(午後1時から3時)頃までには皆お弔いを終えお帰りになった。ただ何人か近しい血縁関係にある親戚だけが、三日間の法事を行ってから帰られた。この時、邢、王の両夫人は鳳姐がまだ帰宅できないと知り、宝玉を連れて都に帰ろうと思った。かの宝玉は郊外に来たばかりなのに、どうして帰ることを承諾するだろうか。鳳姐と一緒に留まるしかなく、王夫人は宝玉を鳳姐に預けて帰らざるを得なかった。

 

 もともとこの鉄檻寺は寧、栄両公が曾て建設したもので、今なお祖先の祭祀や供養をするための田畑を持ち、これにより都で亡くなった一族の人が、ここで亡骸を留めるのに備えていた。その中の陰陽両方の目的の家が適切に準備されており、死者を送る人々が寄寓するのに相応(ふさわ)しかった。思いがけず、現在は子孫の者たちは富み栄えていたが、一族の貧富の差も大きく、また仲の悪い者もいた(性情参商xìng qíng shēn shāng。「参」「商」共に二十八宿のひとつで、同時に空に現れないことから)。一族の暮らし向きの苦しい者は、ここに泊まった。富や権力を持ち、体面を気にする者は、ここは不便だと言って、必ず別の村や尼寺に投宿先を捜し、宴席が終わった後に退く場所とした。すなわち今、秦氏の葬儀で、一族の人々で、ある者は鉄檻寺に泊まり、ある者は別に泊まる場所を捜した。鳳姐もここが不便なのを嫌い、このため人を遣って饅頭庵の尼僧の静虚と相談し、何室か部屋を空けて準備してもらった。――実はこの饅頭庵は、水月寺のことで、この廟で作った饅頭が美味しいので、こんなあだ名が付いたもので、鉄檻寺からも近かった。

 

 僧侶たちの日常のお勤めが終わり、粗茶が供えられたので、賈珍は賈蓉に命じて、鳳姐に休息してもらった。鳳姐はまだ何人かの女房たちが女の親族のお相手をしているのを見て、自分から暇乞いをすると、宝玉と秦鐘を連れて饅頭庵へやって来た。(秦可卿、秦鐘の父親の)秦邦業は歳のせいで病気がちのため、ここに留まることができず、秦鐘らに命じて、柩をここに安置するのを見守らせたので、秦鐘は鳳姐や宝玉と一緒にいたのだった。しばらくして庵に着くと、静虚が智善、智能のふたりの弟子を連れて出迎え、皆が対面した。鳳姐らは浄室に行き、衣服を着替え、手を洗うと、智能兒が益々成長して背が高くなり、容貌も益々美しくなったのを見て、言った。「あなたがたご師弟は、どうしてここ数日うちの方にお越しにならなかったのですか。」静虚は言った。「けれどもここ数日、胡旦那様のお屋敷で男の子がお生まれになり、奥様が十両の銀子をここに送って来られ、何人かの僧侶が三日続けて『血盆経』を唱えることになり、忙しさの余り、奥様にご挨拶に寄せてもらうことができなかったのです。」

 

 老尼僧は、黙って鳳姐の傍らに控えていた。一方、かの秦鐘と宝玉のふたりはちょうど仏殿で遊んでいると、智能兒がやって来るのが見えたので、宝玉は笑って言った。「能兒ちゃん、来たの。」秦鐘が言った。「この子にちょっかい出してどうするの。」宝玉は笑って言った。「おまえ、陰でこそこそ変なことするなよ。いつだったかお婆様のお部屋で、誰もいない中、おまえ、この娘に抱きついて、何をしてたんだ。今度もまた、僕を騙すのか。」秦鐘は笑って言った。「そんなの、言いがかりだよ。」宝玉は言った。「言いがかりであろうがなかろうが、おまえには関係ない。おまえはただ、能兒ちゃんに、茶を一杯ついで僕に飲ませるよう言ってくれれば、それでいいんだ。」秦鐘は笑って言った。「これはまた奇妙なことだ。君が能兒に茶を淹れてもらうって、ひょっとして彼女が淹れてくれないかもしれないって心配しているの。どうして僕から言わせるのさ。」宝玉は言った。「僕が彼女に頼んでも、気持ちがこもっていないんだ。おまえが彼女にお茶を淹れてって頼む時の感情には及ばないよ。」秦鐘は仕方なく、こう言うしかなかった。「能兒、お茶を一杯淹れて来て。」かの 能兒は幼い時から栄国府に出入りしていたので、皆の顔を知っていて、いつも宝玉や秦鐘と冗談を言い合っていたが、今は成長し、次第に男女の間のことも知るようになり、秦鐘が感情の細やかな人だと知り、かの秦鐘も智能兒の美しく可愛らしいのが好きで、ふたりはまだ関係を持っていなかったが、既に気持ちは通じ合っていた。智能兒は出て行って茶を淹れて持って来た。秦鐘は笑って言った。「僕におくれ。」宝玉もまた叫んだ。「僕にだよ。」智能兒は口をすぼめて笑って言った。「お茶一杯のことで喧嘩して。道理でわたしの手には蜜があるのね。」宝玉が先に茶碗をひったくり、飲みながら、ようやく一言言いかけた時、智善が智能を呼びに来るのが見え、智能にお菓子の皿を並べに行くよう言い、しばらくしてふたりに茶菓を食べに行くよう言われた。彼らふたりがどうしてこうしたものを食べるだろうか。少し座ってから、いつも通り出て来て遊んだ。

 

 鳳姐も浄室に戻り休息し、老尼僧がお伴をした。この時、女房たちは何事も無かったので、皆次々引きあげ、各々休息し、目の前には何人か信頼の置ける小間使いだけが残っていたが、老尼僧はこの機会を利用して言った。「わたしにひとつ、お屋敷で大奥様にお願いしないといけないことがありまして、先に奥様のご意見を伺いたいのです。」鳳姐は尋ねた。「どんなことなの。」老尼僧は言った。「南無阿弥陀仏。曾てわたしが長安県の善才庵で出家した時、施主の方で姓を張と言われる方がおられ、大金持ちでございました。この方の娘さんが幼名を金哥と言われ、今年わたしの寺に参拝に来られ、たまたま長安府の知事様の奥様の弟君の李坊ちゃまにお会いになられたのです。かの李坊ちゃまは一目見るなり金哥様を見染められ、直ちに人を遣わして縁談を申し込まれたのですが、あいにく金哥様は既に元長安守備に任じられた方の若様と婚約されていたのです。張家では婚約を解消したいと思ったのですが、また守備様が同意されないことを心配され、このためもう嫁ぎ先は決まっていると言われたのです。あろうことか李坊ちゃまはどうしてもこの方を娶りたいと言われたのですが、張家は方法が無く、両家が困っているのです。思いがけず守備様の家ではこの知らせを聞きつけ、事の次第を尋ねること無く騒ぎ立て、「ひとりの娘を、おまえはいくつの家に嫁がせるつもりだ。」と言われ、どうあっても結納を返すのは罷(まか)りならぬとし、お上に訴え出られました。女の家は大慌てで、人を都に登らせ手づるを捜さざるを得ず、なんとかして結納を返したいとお思いなのです。思いますに今の長安節度使の雲旦那様は、賈のお屋敷の方と仲がよろしく、どうにか大奥様、旦那様にお願いしてちょっとお話しし、一筆書いていただき、雲旦那様とその守備様に一言言っていただければ、あちら様が同意されないのを心配されることも無いと思います。もしうまくいきましたら、張家はたとえ家が傾こうとも信心を尽くされますし、心からのお願いなのです。」

 

 

 鳳姐は聞いていたが、笑って言った。「これはそんな難しいことではない。奥様にまで関与いただくほどのことではないわ。」老尼僧は言った。「大奥様が関与されずに、奥様が対処できるのですか。」鳳姐は笑って言った。「わたしも金を使わずに、こんなことできないよ。」静虚はそう聞いて、あれこれ考えを巡らし、――しばらくしてため息をついて言った。「そう言っても、張家の方ではもう、賈のお屋敷の方にお願いすると知っておられるのです。今になって関与されなければ、張家は、もう時間が無いとか、あなたにお渡しする謝礼のことは考えていないとは申されないでしょうが、却って賈のお屋敷には、こんな些細なことを処理する能力も無いのかと感じられてしまうでしょう。」

 

 鳳姐はこの話を聞いて、興奮して言った。「あんたは平素からわたしのことをご存じでしょう。わたしはこれまで、あの世や地獄での報いや罰なんて信じたことがないし、どんなことだって、わたしがやろうと言ったらやってきたわ。あんたがあの人たちに三千両の銀子を持って来させたら、わたしはあの人たちに代わって一肌脱ぐわよ。」老尼僧はそれを聞いて、たいへん喜び、急いで言った。「ええ、分かりました。それは難しくないです。」鳳姐はまた言った。「わたしはいかがわしい仲立ちをして金を貪(むさぼ)ろうとしているんじゃないわ。この三千両の銀子は、使いとして遣わした子供の召使たちの旅費に与えるもので、あの子たちの苦労に報いるお金に過ぎず、わたしは一銭も要りません。たとえ三万両だってわたしは今すぐ取り出せるのよ。」

 

 老尼僧は慌てて回答した。「そうと決まったら奥様、明日にはお恵みを施してくださいまし。」鳳姐は言った。「あんた、わたしは忙しいのよ、どこを見てもわたしがいないとどうにもならないの。わたしはもうあなたにはやると答えたんだから、もちろんあなたの問題は解決してあげるわよ。」老尼僧は言った。「これは些細なことかもしれませんが、他の方だったら、忙しさにかまけて、どうなったか分からなくなるでしょう。でも奥様がおられたら、たとえもう少し仕事が増えても、奥様なら容易くやり遂げられるでしょう。俗にも申します、「能者は労多し」と。大奥様は、奥様がこのように才能に溢れる方だと知り、益々お仕事を奥様にお任せになっているのでしょう。――ただ奥様、くれぐれもお身体にはご注意ください。」静虚からずっとお世辞を言われ、鳳姐は益々その気になり、身体の疲れも気にせず、話を続けた。

 

 あろうことか秦鐘は夜になって誰もいないのをいいことに、智能兒に逢いに来た。ちょうど一番奥の部屋まで来ると、智能兒がひとりそこで茶碗を洗っていた。秦鐘が抱き寄せて接吻すると、智能兒は慌てて足を踏み鳴らして言った。「何をするの。」助けを呼ぼうとした。秦鐘は言った。「いい子だ、僕もう我慢できないよ。君が今日またさせてくれなかったら、僕ここで死んでやるから。」智能兒は言った。「あなたがどう思っているか知らないけど、わたしがこの監獄みたいなところから出て、あの人たちと離れさえすれば、いいんだけれど。」秦鐘は言った。「そんなの簡単なことさ。でも、「遠くの水では今の喉の渇きは癒せない」のさ――」そう言いながら灯りを吹き消すと、部屋中が真っ暗になり、智能兒を抱いてオンドルの上まで行った。かの智能兒はなんとか拒んで抜け出そうとし、また叫び声をあげるもままならず、知らず知らずのうちに中の下着が解けてしまった。

 

 こうしてちょうど迎え入れたのだが、その途端に、猛然とひとりが背後からどたばたと押さえつけ、声も出さないので、ふたりはびっくりして魂が飛び出るほどに驚いた。「くすっ」と笑い声が聞こえ、それではじめて宝玉の仕業と分かった。秦鐘は慌てて起き上がると、恨みがましく言った。「これは何のつもりだ。」宝玉は言った。「あんたはやっぱり許さないんだろう。――僕たちがそのことをはっきりさせたんだ。」恥ずかしさのあまり、智能兒は暗やみに乗じてどこかに逃げて行った。宝玉は秦鐘を引っ張り出して言った。「君はまだこれでも強弁するのか。」秦鐘は笑って言った。「兄さん、後生だから、大声を出さないで。したいようにしてくれていいから。」宝玉は笑って言った。「今回はもうこれで良しとしよう。今日はもうこれで休んで、僕たちまたゆっくりけりをつけよう。」

 

 しばらくして上着を脱いで休む時間となり、鳳姐は中の部屋、宝玉と秦鐘は外の部屋に入り、部屋の床には乳母たちが布団を敷いて番をした。鳳姐は(宝玉の)「通霊玉」が無くなるのを心配し、宝玉が寝入ると、人に命じて持って来させ、自分の枕元に仕舞った。それにしても、宝玉と秦鐘がどのようにけりをつけたのかは、未だ不明のままであり、この疑問については、敢えて話を創作も編集もしない。

 

 さて翌日の朝早く、賈のお婆様と王夫人が人を遣わして宝玉の様子を見に来させ、また宝玉に服を多めに着て暖かくするよう、また何もなければ帰って来るよう言いつけた。宝玉がどうして言われる通りにするだろうか。しかも秦鐘が智能兒に恋したこともあり、宝玉は鳳姐にもう一日泊まりたいと駄々をこねた。鳳姐はいろいろ考えたが、葬儀の大きな行事は滞りなく終わったが、まだ細々としたことが残っていて、もう一日泊まっても良いと思った。一に賈珍の眼前で情実を尽くし、二にまた静虚の頼みを完了させられ、三に宝玉の望みにも沿うことができる。それで宝玉に向けて言った。「わたしの仕事は皆終わったわ。あなたがここでぶらぶらしたいなら、少し辛くても我慢しないといけないわ。明日は必ず帰りますからね。」宝玉はそう聞くと、何度も何度もお願いして言った。「あと一日だけ、お願い。明日は必ず帰るから。」そしてもう一晩泊まった。

 

 鳳姐はこっそり昨日、老尼僧から頼まれたことを旺兒に説明した。旺兒は心の中で全て事情を理解し、急いで都に戻り、文書起草の責任者の幕僚を捜し、夫の賈璉の名義で文書を一通書いてもらい、夜昼継いで長安県に急いだ。しかし百里の彼方であり、二日かけて、事は全て妥結した。かの節度使は名を雲光と言い、長らく賈のお屋敷の人々に気にかけてもらっており、今回のような些細な事で、どうして拒絶する理由があろうか。返事の手紙をいただき、旺兒が戻って来たのは言うまでもない。さて鳳姐らはまた一日を過ごし、翌日ようやく老尼僧に別れを告げ、彼女に三日してからお屋敷に来て、返事を聞くように言った。かの秦鐘が智能兒のふたりは、どうあっても離れるに忍びなく、陰でこっそり、定期的に密会する約束をしたが、恨みを胸に別れざるを得なかったが、それについては詳しく述べるに及ばない。鳳姐はもう一度鉄檻寺に行き、様子を確認した。(葬送行列の先導をした)宝珠は、頑なに帰宅を断った。賈珍は女性を派遣して、宝珠に相従わせるしかなかった。この後どうなったか、次回に解説いたします。

 

 

 秦可卿の葬儀で、懸案だった寧国府内部の差配は、王熙鳳(鳳姐)が小気味よく処理していきます。そんな中、 林黛玉の父、林如海が亡くなり、林黛玉に付き添い蘇州に行った 鳳姐の夫の賈璉は、そのまま林如海の葬儀を済ませることとなり、 鳳姐にとって夫と分かれ分かれの寂しい日々が続くことになります。
 
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林如海の霊は蘇州郡に返り
賈宝玉は路に北静王に謁(まみ)える
 
 さて、寧国府の執事長の頼升は、家の中のことを鳳姐にお願いすると聞いて、同僚らにこう言った。「今、西府(栄国府)の璉様の奥様にお願いして家の中の事を管理してもらうので、もしこの方がものを受け取りに来られたり、お話しされたら、注意してお仕えした方がよい。毎日みんなは朝来て夜帰るが、この一ヶ月たとえ辛くても頑張り、これが終わってからゆっくり休むとしよう。そして決して面子をつぶすことの無いようにしよう。あの方は有名なじゃじゃ馬で、情け容赦ない冷徹な人だ。たまたま悩んだとしても、非情になれる人だ。」人々は皆言った。「言われたことは、分かりました。」またひとりが笑って言った。「理屈から言うと、わたしたち家中の者にとっても、あの方が来て整理、管理をするというのでは、あまりにみっともないです。」ちょうどそう言っていると、(鳳姐の召使の)来旺の妻が対牌( 竹や木で作られた一種の証文 )を持って、上申書や経文を書くのに使う紙を取りに来たのが見えた。書状に必要な枚数が書かれていた。人々は急いでこの人に座ってもらいお茶を淹れ、一方で人に命じて必要な枚数の紙を取りに行かせた。来旺は紙の束を持って、妻と一緒に屋敷の儀門のところまで来てから、そこでようやく紙の束を妻に渡して、彼女自身に持って行かせた。
 
 鳳姐はそこで彩明に命じて帳簿を装幀させた。直ちに頼升の妻を呼んで来て、寧国府に登録された人々の戸籍簿を提出させ、その内容を調べた。また翌日の朝一番に全ての人とその妻に屋敷に集まってもらい、聞き取りをしたいと伝えた。何冊かの帳簿をおおよそ確認すると、頼升の妻に二言三言質問すると、車に乗って家に帰った。
 
 翌日の早朝五時半に、鳳姐がやって来た。かの寧国府の女性たちはとっくに揃っており、鳳姐と頼升の妻がそれぞれ分担して仕事を配分し、他の召使たちは勝手に部屋の中に入って来ず、窓の外で待機していた。鳳姐が頼升の妻にこう言うのが聞こえた。「仕事をわたしに託されたからには、わたしはあなたがたにとって不愉快だと思われることも、言わざるを得ません。わたしはあなたがたのところの奥様(尤氏のこと)のように寛容ではありません。諸事皆さんの心がけ次第です。皆さん、「こちらのお屋敷では元々このようにしていた」などという話は、もうしないでください。今はわたしのやり方でやることになったのですから、それに少しでも背けば、誰であれ、身分の高低に関わらず、全て一視同仁、公平に処理します。」
 
 そう言うと、彩明に戸籍簿を読むよう言いつけ、ひとりひとり部屋に呼んで面接し、しばらくして面接が終わると、こう言いつけた。「この二十人はふたつのグループに分け、1グループが十人、毎日家の中で、親しい友人が来られたら茶を淹れることだけ担当し、それ以外の事は関与しなくていい。この二十人も2グループに分け、毎日当家の親戚への飲食だけ担当し、それ以外の事には関与しなくていい。この四十人も2グループに分け、ただ霊前に線香を上げ、油を足し、帷(とばり)を掛け、霊を守り、ご飯を供え、お茶を供え、随時哀悼し、その他の事は関与しない。この四人は専ら中の茶房でコップや皿、茶器の回収と管理を行い、一個でも足りなければ、共同で弁償する。この八人は祭礼の撤収だけ管理する。この八人は各所の灯油、ろうそく、紙銭の管理だけする。わたしが一括して物品を受け取り、おまえたち八人に渡すから、その後はわたしの計画に合わせて各所に分配すること。この二十人は毎日交替で各所に宿直し、家々を管理し、火の元を監視し、各々の場所の掃除を行う。この他、残った者たちは、家毎に分かれて、某人は某処の番をし、某処の全てのテーブル、椅子、骨董から、痰壺、はたきなどに至るまで、草一本苗一本でも、失くしたり壊したりしたら、担当の番人に弁償させる。頼升の家の者は毎日管理監督し、もし怠けたり、博打、飲酒、喧嘩、口論する者を見つけたら、直ちに捕まえて来てわたしに報告しなさい。もし私情に囚われ不正を行い、わたしに見つけられたら、たとえ三四世代続いた家の年寄りでも、容赦しません。今、皆規定を定めたからには、以後何れかのグループで問題が起きたら、そのグループで落とし前をつけてもらいます。平素わたしと行動を共にする人には、時計を身に着け、事の大小に関わらず、必ず時刻を明確にして仕事の手配をしてもらいます。――どのみちおまえたちの家の母屋にも置時計があると思います。朝6時半になったら、わたしが点呼を行います。午前9時に朝食を食べる。凡そ鑑札が必要な事務は、昼の12時半までに完了させる。夜7時半に黄昏紙(黄昏時に燃やしてお供えする紙銭)を燃やしたら、わたし自らが各所を巡回検査し、戻ってきたら宿直の者と鍵の受け渡しを行う。翌日はまた朝6時半にここに来ます。おまえたちはここ何日かは大変だと思いますが、葬儀が終わったら、おまえたちの旦那様は必ずおまえたちを褒めてくれるでしょう。」
 
 
 そう言い終わると、また人数に合わせて茶葉、蝋燭、鳥毛はたき、箒(ほうき)などを配布し、一方ではまたテーブルクロス、椅子カバー、オンドルの敷布団、フェルトの座布団、痰壺、足置きなどの家具を運び入れ、一方でこれらを配布し、一方で筆を持って登録した。――某人が某処を管理し、某人が物品を受け取ったと、たいへん明確に記録した。召使たちはこれを受け入れることで、信頼できる拠り所を見つけることができ、以前のように簡単なことだけ選んでやるのではなく、それ以外の困難で煩わしい仕事も進んでやるようになった。各家の中でも、管理の乱れにかまけて物を失くすことができなくなった。それでお客や人々の往来は激しくても、冷静に効率よく仕事が行われ、以前と違って整然と秩序だって対処された。一切の不正な手段で利益を得たり責任を逃れる行為は、すべて無くなった。
 
 鳳姐自身は、厳かに下した命令が実行されるので、心中はたいへん得意であった。尤氏が病に罹り、賈珍も悲しみに暮れ、あまり食も進まないのを見て、鳳姐自身は毎日、あちらのお屋敷(栄国府)から各種の凝った粥、すばらしい小皿料理を拵(こしら)えさせ、人に命じて持って来させた。賈珍もこれとは別に、毎日上等な料理を抱廈(母屋の裏に付随して建てられた部屋で、鳳姐が寧国府にいる時に使っている)に運ぶよう言いつけ、鳳姐のためだけに準備した。鳳姐は骨身を惜しまず、毎日決められた時間にやって来て、事務を行った。ひとり抱廈の部屋に起居し、他の女性たちと一緒に居ることがなかった。たとえ親族が訪ねて来ても、迎えたり見送ったりすることがなかった。
 
 この日はすなわち秦氏の死後、五七三十五日目の祭礼の日に当たり、かの呼ばれて来た仏僧は亡き秦氏のため、ちょうど「破地獄偈文」を唱え、死者の足元に灯(ともしび)を点けて亡骸を照らし、閻魔様に拝礼し、鬼城の鬼卒を捕まえ、地蔵菩薩に金の橋を架けてもらうようお願いし、幢幡chuáng fān(出棺用の旗印)を掲げた。かの道士たちは法壇上でちょうど玉皇大帝への表章を読み、三清祖師に朝し、玉皇大帝に叩頭した。禅僧たちは線香を焚き、施餓鬼供養をし、水懺経を唱えた。また十二人の若い尼僧が刺繍のされた服を着、赤い靴をつっかけて履き、声を出さずに経文や咒語を念じて、死者の亡霊を極楽に導き、たいへん賑やかであった。
 
 かの鳳姐は今日は来客が多いと知り、明け方の四時に起きて髪をとかして顔を洗い、片づけを済ますと、着替えて手を洗い、羊の乳を加えた粥を二三口食べ、口を漱ぎ終わると、ちょうど六時半であった。頼升の妻は召使たちを連れて、もうだいぶ前から伺候していた。鳳姐は広間の前まで出ると、車に乗った。前面には一対の羊角灯(羊の角を煮だして作った半透明のランタン)が掛けられ、その上には「栄国府」と大きく書かれていた。寧国府の大門の前まで来ると、門灯が明々と掛けられ、両側には床置きのランタンが置かれ、白昼のように明るく照らし、白い喪服を着た家人が二列に並んでかしずいた。車は正門で止まり、小者が退き、女の召使たちが近づき、車の帳をめくり上げた。鳳姐は車を降り、手で豊兒に支えてもらい、ふたりの女の召使が手に灯りを持って照らしながら、鳳姐の周りを取り囲んで入って行った。寧国府の召使たちは鳳姐を出迎え、ご挨拶をした。
 
 鳳姐はゆっくりした足どりで会芳園の中の登仙閣の霊前まで入り、棺桶を一目見るなり、涙が真珠のネックレスの糸が切れたかのように、ぼろぼろとこぼれ落ちた。屋敷の中では何人もの小者たちが手を垂らす礼で以て恭しく待機し、紙銭を燃やすお世話をした。鳳姐が一声言いつけた。「茶を供え紙銭を焼け。」銅鑼の音が一発鳴ると、様々な楽器が一斉に奏でられ、早くも大型の半円形ひじ掛け椅子を持って来る者がおり、霊前に置くと、鳳姐が座って声を出して泣き、すると部屋の内外にいる人たちが、身分の高低、男女関わりなく、続けて大声で泣いた。
 
 賈珍、尤氏が急いで人々に止めるよう言い、鳳姐はようやく泣くのを止めた。来旺の妻が茶を淹れ、口を漱ぎ終わると、ようやく立ち上がり、一族の人々と別れ、自らは抱廈に入ると、名簿に基づき点検すると、各担当の人数は、何れも既に揃っていたが、ただ親しい友人の送迎の担当がひとりまだ来ておらず、確認するよう言いつけた。遅刻した召使は恐れおののいたが、鳳姐は冷ややかに笑って言った。「誰かと思えばおまえが遅れたのか。おまえは他の者たちより偉そうだから、わたしの言うことを聞かないんだね。」その召使は答えて言った。「それがし、いつもは早く来るのですが、ただ今日は一足遅れてしまいました。どうか奥様、初めてなので許してください。」そう言っていると、栄国府の王興の妻がやって来て、部屋の中を覗き込んだ。
 
 鳳姐は暫時、その遅刻した召使の処分を保留し、尋ねた。「王興の奥さん、何の用だね。」王興の家内は近寄って来て言った。「対牌で紐をいただきに来ました。車の幌を止めるためのものです。」そう言いながら書き付けを手渡し、鳳姐は彩明にその内容を読ませた。「大型の車の幌は二張り、小型の車は四張り、車は四輌で、共用の大きさの紐が何本か。どの紐にも真珠を何斤か通します。」鳳姐はそれを聞いて、数が合うので、彩明に言って登録させ、栄国府の対牌を受け取り、紐を渡した。王興の妻は出て行った。
 
 鳳姐が話をしようとすると、ちょうど栄国府の四人の執事が入って来たが、何れも物品を受け取る対牌を持って来ていたので、鳳姐は彼らに言って書き付けを読ませた。全部で四件あったが、二件についてはこう指摘した。「この請求は間違っています。もう一回精算してから受け取りに来なさい。」そう言うと、書き付けを投げ捨てた。そのふたりの執事はがっかりして出て行った。
 
 鳳姐は張材の妻が傍らに居るので、尋ねた。「おまえは何の用だね。」張材の妻は急いで書き付けを取り出し、答えて言った。「先ほど言っていた車の囲いが出来たので、裁縫の工賃、何両を受け取りに来ました。」鳳姐はそう聞いて、書き付けを受け取り、 彩明に言って登録させた。王興ができた物を引き渡すのを待って、受け取った物と要望した物が一致しているのを確認し、それから張材の妻に工賃を受け取りに来るよう言いつけた。そう言いながら、また続いて別の件を言いつけた。それは、宝玉の賈のお婆様の家の外に設けた書斎の工事を完成させるため、紙を渡して壁紙を貼る必要があるが、鳳姐はそれを聞いて、すぐに書き付けを持って来て登録させ、張材の妻への支払いが終わったら、請求するよう言いつけた。
 
 鳳姐はそれからこう言った。「明日はあの人が遅刻するかもしれないし、あさってはわたしが遅刻するかもしれず、そうこうしていると、誰も時間通り来なくなります。本来ならあなたを許してあげるべきかもしれないが、わたしが最初に寛容にすると、次回は他の人を管理できなくなります。ちゃんと直しておいた方がいいわ。」直ちに厳しい表情になって、叫んだ。「連れて行って板子(懲罰用の板状の棒)で二十回叩きなさい。」人々は鳳姐が腹を立てたのを見て、なおざりにできず、外に引き出して決められた回数叩くと、また部屋に戻って言い聞かせた。鳳姐はまた寧国府の対牌を投げつけた。「頼升に、この娘のひと月の銭糧を差し引くよう言いなさい。」そしてこう言いつけた。「皆、解散なさい。」人々はようやく各自が仕事に戻った。かの殴られた召使も、涙を呑んで出て行った。この時、栄国府、寧国府の両お屋敷では、対牌を受け取る者、渡す者の往来が引きも切らず、鳳姐は一々払い出しを行った。こうして寧国府の人々はようやく鳳姐のすごさを知り、これより各々が慎重になり、目先の安楽をむさぼることをしなくなったのは、言うまでもない。
 
 今さて宝玉は、来客の多いのを見て、秦鐘がつらい思いをしているのではないかと心配し、遂に彼と鳳姐のところへお邪魔すると、鳳姐はちょうど食事をしており、彼らが来たのを見て、笑って言った。「まあ、なんてすばしこいの。早くオンドルにお上がり。」宝玉は言った。「僕たち、もう食事を済ませて来たんだ。」鳳姐は言った。「ここのお屋敷で食べたの、それともあちらのお屋敷で食べたの。」宝玉は言った。「あんな馬鹿どもと一緒に食事をしてどうするの。やはりあちらのお屋敷で、お婆様と一緒に食事をして来ました。」そう言いながら、一方で元の席に座った。
 
 鳳姐が食事を終えると、寧国府のひとりの召使が対牌を取りに来たが、それは香灯(常夜灯。瑠璃の鉢で香油を燃やし、死者の霊前に置く)を受け取るためだったのだが、鳳姐は笑って言った。「わたしはおまえが今日受け取りに来るに違いないと目論んでいたのに、忘れてしまっていたわ。もしおまえもこのまま忘れてくれていたら、この仕事はわたしの手柄になって、わたしには都合が良かったのだけれど。」その召使は笑って言った。「忘れたのではないとは申せませんね。ついさっき思い出したんですよ。もう一歩遅かったら、受け取れなかったですわ。」そう言うと、対牌を受け取って、出て行った。
 
 しばらく登記をして対牌を渡した。秦鐘はそれを見て笑って言った。「こちらのふたつのお屋敷では、どちらも同じ対牌を使っているんですね。もし誰かが対牌をひとつ勝手に作って、銀子をもらって行ったら、どうするんですか。」鳳姐は笑って言った。「あなたの言う通りだったら、法も道徳も無いわ。」宝玉はそれで言った。「どうしてうちでは、ものを引き取るのに対牌を取りに来る人がいないの。」鳳姐は言った。「彼らが取りに来る時は、あなたはまだ夢の中よ。――ところで、あなたがたは夜の勉強はいつになったら始めるの。」宝玉は言った。「できたら今日こそ勉強できたらいいんだけど。でもあの人たちがなかなか書斎を片付けてくれないものだから、どうしようもないよ。」鳳姐は笑って言った。「あなたがわたしに頼んで、わたしに任せてくれれば、すぐできるわよ。」宝玉は言った。「姉さんがやってもだめだよ。あの人たちがあそこでするべきことをしてくれたら、結果は自然と出るはずさ。」鳳姐は言った。「彼らがやるにしても、ものが必要でしょ。わたしを放っておいて、わたしが対牌を渡さなかったら、難しいわよ。」宝玉はそれを聞いて、猿の真似をして、鳳姐の身体に飛び乗って、一刻も早く対牌をもらおうとし、言った。「お姉様、お願いだからあの人たちに対牌を渡して。そうすれば彼らも仕事を完了させてくれるから。」鳳姐は言った。「わたし、疲れて身体のあちこちが痛いの。ちょっと触られただけでも、我慢できないわ。でも、安心なさい。今日ようやく壁紙を受け取って行ったのよ。あの人たちが要るものがあったら、言って来るはずよ。どう、ちゃんとやることはしてるでしょ。」宝玉が信じなかったので、鳳姐は彩明を呼んで、帳簿を宝玉に見せてやった。
 
 あれこれ騒いでいると、「蘇州に行った昭兒が戻って来ました。」と取り次ぎが来て伝えた。鳳姐は急いで部屋に入って来させた。昭兒は、右手を下に垂らし左足をかがめ右足を少し曲げる「打千兒」の礼をして挨拶をした。鳳姐はそれで尋ねた。「戻って来て、どうしたと言うの。」昭兒は言った。「璉の旦那様(二爺。賈璉のこと)に言われて戻って参りました。林の旦那様(林姑老爺。林如海のこと)が9月3日の巳の刻(午前9時から11時)に亡くなられました。璉の旦那様がそれがしをこちらに帰らせて賈のお婆様に林の旦那様がお亡くなりになったことをお伝えし、賈のお婆様のご指示を求められたのです。また、奥様がお宅で不自由されていないか見てくるよう言われ、わたしに毛糸で編んだ衣裳を何枚か持って来させられました。」鳳姐は言った。「おまえ、他の人には会ったのかい。」昭兒は言った。「皆お会いしました。」言い終わると、急いで退出した。鳳姐は宝玉に笑って言った。「あんたの林お嬢ちゃん(林黛玉)は、きっとこの家でずっと暮らすことになるわね。」宝玉は言った。「なんてことだ。この何日か、あの娘はどれだけ泣いたことだろう。」そう言いながら、眉を顰め大きくため息をついた。
 
 鳳姐は昭兒に会って、他の人たちの目もあり賈璉のことを詳しく聞けなかったので、心中居ても立っても居られない気持ちだったが、賈璉も林如海の葬儀が終わらないと帰って来れず、少なくとも年末に帰って来るまで我慢せざるを得なかった。それでまた昭兒を部屋に呼んで、賈璉らの道中無事の様子を細かく聞いた。その日の晩のうちに毛糸で編んだ衣服を準備し、平兒と一緒に自ら点検、整理し、また細かく必要なものを考えて、それらを一緒に荷造りして昭兒に渡した。また事細かく昭兒にあれこれ言いつけた。「外ではいつも以上に慎重にお世話をしなさい。璉の旦那様を怒らせてはいけないよ。いつもあの人にお酒を控えるようお勧めし、あの人が誘惑されてばかな女と知り合うことの無いように。――もしわたしに知れたら、帰って来たらおまえの足をへし折ってやるからね。」昭兒は笑いながら「はい」と返事して出て行った。その時はもう四更(真夜中の1時から3時)になっていて、横になったが、知らず知らずのうちに空はもう明るくなり、急いで髪を梳き顔を洗うと、寧国府にやって来た。
 
 かの賈珍は出棺の日が近づいたので、自ら車に乗って占い師を伴い、鉄檻寺に来て、柩を置く場所を下見した。また住職の色空に、十分に目新しいしつらえを準備し、多くの名僧にお願いし、亡くなった霊魂をお迎えするのに使うよう、ひとつひとつ言いつけた。色空は急いで夕食の準備をしたが、賈珍は茶も飯も摂る気にならなかった。もう時間も遅く、城内に戻ることができないので、お寺の部屋で適当に一晩休息し、翌日朝早く、急いで街に戻り、出棺の行事の手配をした。一方ではまた人を派遣し先ず鉄檻寺に行き、その日の晩に柩を留めるところに別途装飾を施し、また弔問客へのお茶や食事の接待、弔問に来られた賓客の接待人員の準備を行った。
 
 鳳姐は出棺日が近づいたのを見て、事前に逐次細かく分けて手配を行った。一方では栄国府の車の随行を出して王夫人に従って葬送の行列に加わり、また自分が葬儀の場所に行って居る場所も考えておかねばならなかった。目下、ちょうど繕国公誥命が亡くなったので、邢、王の両夫人が弔問に行くことになっていた。また西安郡の王妃の誕生日で、長寿のお祝いを贈る必要があった。また王熙鳳の実の兄の王仁が親族を連れて南方に戻って来たので、一方では実家の父母に手紙を書き、また金陵に持って帰らせる土産を準備する必要があった。また賈迎春が伝染病に罹り、毎日医者に診てもらい薬を服用するので、医者の診断書を見て、症状の原因を検討し、薬の処方を考える……それぞれの事が煩雑で、言い尽くし難かった。このため鳳姐は多忙の余り茶も飯も摂る気にならず、座っていても横になっても、気が休まらなかった。寧国府に来ると、こちらに栄国府の人がついて来ていた。栄国府に帰ると、あちらには寧国府の人がついて来た。鳳姐はこのように多忙にしていたが、ただ生まれつき人と競争して勝つのを好み、他人に批評されたり褒められることだけを心配したので、それゆえ気力を尽くして、仕事の手配がたいへん周到で秩序だっていたので、一族の中で上も下も称賛せぬ者は無かった。
 
 この日は出棺前夜で、死者の親族が夜通し亡骸を守る日で、親族、友人が部屋を埋め、尤氏はなお奥の部屋で伏せっていて、一切の処理やおもてなしは、皆鳳姐ひとりが周到に対応した。一族の中には多くの嫁たちがいたが、口下手な者もいれば、挙動が軽はずみな者もおり、恥ずかしがり屋で人見知りがする者もいれば、身分の高い人を恐れ、役人と会いたがらない者もいて、それでますます鳳姐ひとりが傑出してスマートで、高尚で美しく見え、真に「緑の草むらの中の一輪の赤い花」であった。――どうしてまた他の人々のことが眼中に入るだろうか。おおらかに指示を行い、その為すところに任せた。その日の夜は灯りが明々と点り、客を送り役人を迎え、万事賑やかであったこと、言うまでもない。明け方の吉の時間になり、六十四名の青い衣服を着た担ぎ手が柩を出迎え、前面に掲げる幟(のぼり)には大きくこう書かれた。「皇帝陛下から封じられた一等寧国公の塚孫の夫人、内廷を防護する紫禁道御前侍衛龍禁尉、賈門で寿命を全うした秦氏宜人の霊柩」。全ての行事を執行する人々も並べられた物も、全て新たに作られ準備されたもので、一様にぴかぴか輝き、まばゆかった。(秦氏の子供の小間使いで、秦氏の養女になった)宝珠は自ら未婚の娘の礼を行い、素焼きの鉢を割り、柩の前で行列を導き、たいへん悲し気であった。
 
 この時、男性の客で葬送の行列に参加したのは、鎮国公牛清の孫で、現在は一等伯を継承した牛継宗、理国公柳彪の孫で、現在は一等子を継承した柳芳、斉国公陳翼の孫で、三品威鎮将軍を世襲した陳瑞文、治国公馬魁の孫で、三品威遠将軍を世襲した馬尚徳、修国公侯暁明の孫で、一等子を世襲した侯孝康。――繕国公誥命が亡くなったため、その孫の石光珠は孝を守り来ることができなかった。――この六家と栄寧二家、当日「八公」と称したのは、すなわちこれらの家であった。
 
 それ以外にも、南安郡王の孫、西寧郡王の孫、忠靖侯史鼎、平原侯の孫で、二等男を世襲した蒋子寧、定城侯の孫で、二等男を世襲、兼京営遊撃の謝鯤、襄陽侯の孫で、二等男を世襲した戚建輝、景田侯の孫で、五城兵馬司の裘良がいた。その他、錦郷伯公子の韓奇、神武将軍公子の馮紫英、陳也俊、衛若蘭など、諸王の孫や公子は枚挙に暇が無かった。女性の客も全部で十台ほどの大型の馬車、三四十台の小型の馬車や駕籠で来られ、屋敷に停められた大小の乗り物の台数は、百数十台を下らなかった。前の方の様々な行列の設(しつら)えも含め、全部つなげると三四里(1.5~2キロ)の長さに亘った。
 
 いくらも行かないうちに、道路上には華麗に装飾されたテントが高く架けられ、宴席が設けられ、音楽が奏でられ、何れもそれぞれの家の路祭(葬送の行列の行路上で行う祭祀)が行われた。第一のテントは東平郡王府の祭祀、第二のテントは南安郡王の祭祀、第三のテントは西寧郡王の祭祀、第四のテントは北静郡王の祭祀であった。実はこれら四王で、当日はただ北静王の功績が最高で、今に至るも子孫はなお王爵を継承していた。今、北静王の世栄はまだ二十歳になっていなかったが、生まれつきたいへんな美男子で、性格は控えめで優しかった。最近寧国府の嫡孫の夫人が亡くなったと聞き、曾て互いの祖父同士が互いに仲が良く、一緒に困難を克服して栄達したので、それで自分が王位にあることに気取らず、前日にも弔問に訪れ、今日も行路上に祭壇を設け、麾下の各官に命じてここに伺候させた。自身は五更(夜明け前)に入朝し、公事が終わると、喪服に着替え、駕籠に乗ると、銅鑼を鳴らし傘を開いてやって来ると、テントの前で駕籠を降り、部下の各官が両側を囲んだので、人々の往き来ができなくなった。
 
 
 しばらくして寧国府の葬列が威風堂々と、地を圧する銀嶺の山々のように、北の方からやって来た。既に寧国府の行路上の伝令の者が賈珍に報告していたので、賈珍は急いで前方の者に命じて行列を止めさせ、賈郝、賈政と三人で急いで出迎え、国礼で以て相見(まみ)えた。北静王は駕籠の中で身をかがめて礼をし、微笑みながら答礼し、相変わらず先代からの付き合いのまま親しく交わり、決して尊大にならなかった。賈珍は言った。「当家の嫁の葬儀で、郡王様自ら弔問にお出ましいただき、手前どもは先人の勲功で今の地位にいるに過ぎませんのに、真に痛み入ります。」北静王は笑って言った。「わたしたち両家は代々仲良くしてきましたものを、そんなに遠慮されるに及びません。」遂に振り返ると、長府官に命じ、自分の代わりに祭祀の儀式を行わせた。 賈郝らは傍らで返礼をしてから、また自ら前に進み出て謝辞を申し上げた。
 
 北静王はたいへん謙遜された。そして賈政に尋ねて言った。「あちらの方は、玉を銜えて生まれられたという方ですか。以前より一目お会いしたいと思っておりました。今日はきっとここにおられると思っていました。こちらにお招きいただけますか。」賈政は慌てて退くと、宝玉に命じて服を着替えさせ、北静王の前に来て、謁見させた。かの宝玉はもとより北静王の賢徳を聞いており、また才色兼備、スマートで優秀な方で、役所の習慣に染まらず、国家の体制に束縛されておらず、かねてよりお目にかかりたいと思っていたが、ただ父親との約束があって願い通りにならなかったが、今却って呼んでいただいたので、嬉しくてならなかった。一方で歩きながら、一方でかの北静王が駕籠の中に座っているのを一瞥(べつ)すると、りっぱな容貌をされていた。さて、この先どうなるのでしょうか、それは次回解説いたします。

 病気の秦可卿が息を引き取り、息子の嫁を失い悲しみに暮れる賈珍は、彼女の葬儀をできるだけ盛大なものにしようとします。息子の賈蓉は国子監の学生の肩書しかなく、葬儀の挌を上げるべく、龍禁尉という五品の官位を購入します。ところが賈珍の妻の尤氏が病で伏せってしまい、葬儀の事務の差配ができないことから、王熙鳳(鳳姐)に葬儀の指揮を依頼します。
 
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秦可卿は死して龍禁尉に封じ
王熙鳳は寧国府と協理する
 
 さて、鳳姐は賈璉が黛玉を揚州に送って行って後、心の中で実につまらなく思い、毎日夜になる度、平兒と一度冗談を言って笑うと、そそくさと眠りについた。この日夜に平兒とかまどの傍らに座り、早くも召使に命じて刺繍の施された掛け布団を香で燻させ、ふたりは寝床に入り、指折り数えて黛玉一行がどこまで行ったか考えるうち、知らず知らずのうちにもう太鼓が三つ鳴らされる時間(三更、夜中の12時から2時)になった。平兒はもう寝入っていた。鳳姐はようやく眠気で頭が朦朧とし、ぼんやりとする中、秦氏が外から入って来て、笑みを浮かべて言った。「叔母様はよくお休みね。わたしは今日帰って行ったのに、あなたも今日はわたしを見送ってくださらなかった。叔母様方は平素から仲良くしていただいていたので、わたしは叔母様と別れ難く、それでお別れを言いに来ました。またもうひとつお願いがあって、叔母様に言っておかないと、他の方では役に立たないかもしれないと思いまして。」
 
 鳳姐はそう聞くと、ぼんやりとしながら尋ねた。「お願いって何なの。わたしに頼まないといけないなら言いなさい。」秦氏は言った。「叔母様、あなたは女達の中の英雄で、あの束帯し頭に冠を被った殿方たちもあなたには及ばない。あなたはどうしてあの二句の俗語もご存じないのですか。よく言う「月満つれば虧(か)くる、水満つれば溢(あふ)るる」、また言う「高きに登れば必ず重きに跌(つまず)く」と。今わたしたちの家は赫々と栄えておりますが、(家が興されて)既に百年経ち、ある日もしも「楽が極まり悲しみが生じ」ることがあれば、かの「樹倒るれば猢猻(猿の群れ)散り行く」の俗語のように、どうしてわたしたちの一生が「詩書の旧族」(文化や教養のある古い一族)と空しく呼ばれないことがありましょうか。」鳳姐はこの話を聞いて、気持ちは不快であったが、十分に敬意を表し、急いで尋ねた。「今の話はとっても心配してくれているけど、ではどうすれば永遠に憂慮や心配の無い状態を保つことができるというの。」秦氏は冷笑して言った。「叔母様はなんて愚かなの。「否極むれば泰来る」、栄辱(栄光と恥辱)は古(いにしえ)の周より始まり、どうして人力の常に保てるものでしょうか。けれども今、栄えたる時に将来衰えたる時の世業(代々行う事業)を考えておけば、永遠に保全することができます。すなわち今日諸事皆適切(諸事俱妥)に為されていますが、二件だけまだ適切に処置されていないのです。もしこれらの事をこのように行えば、今後万事憂い無く保つことができるでしょう。」
 
 鳳姐はそれで尋ねた。「どういうこと。」秦氏は言った。「目下、祖先の墳墓は季節毎に祭祀を行っていますが、ただお供えの銭糧の金額が決まっていません。第二に、家塾は設立されていますが、金銭の提供が一定ではありません。わたしが思いますに、今のような盛時には、固より祭祀の金銭の支払いを欠くことはありませんが、将来落ちぶれてしまった時、このふたつの項目の資金は、どこから出すのでしょうか。わたしの考えでは、今日の富貴なうちに、祖先の墳墓の附近にもっと多くの田地、荘園、家屋を購入し、祭祀や出費は皆これらから出すようにした方がいいと思います。家塾もまたここに設けるのです。一族の中の世代毎に協議をして、皆が決められた内容に基づき、今後各家毎にその年の田地、銭糧、祭祀に必要な資金の管理をするのです。このようにして回していけば、争議が起こることはなく、田地や家を質入れするような悪弊も無くなります。たとえ犯罪を犯し、家中のその他の財産は没収されたとしても、祭祀用の「祭田」は役所に没収されることはありません。たとえ一族が落ちぶれても、子孫が家に戻って勉強し農業を行うことができ、祖先をお祭りする行事も途切れず行うことができるのです。もし今の栄華が終わることがないと思い、将来のことを考えておかないと、長く維持することはできません。間もなくまた行われるお祝いはとても盛大で賑やかで、まるで烈火で油を燃やすように熱烈で、美しい花で錦の着物を飾るように美しいでしょう。――でもそれは一瞬の栄華に過ぎないことを知らねばなりません。一時の歓楽があっても、くれぐれも「盛筵必散」shèng yán bì sàn(どんなにすばらしい事物も、いずれは消えて無くなる)ということわざを忘れてはなりません。早く後のことを考えておかないと、後悔先に立たずになります。」鳳姐は急いで尋ねた。「どんなお祝いがあるの。」秦氏は言った。「天が決められたことは、事前に漏れ聞くことはできません。ただわたしと叔母様はこれまで良い関係にあったので、お別れに二句のことばをお贈りしますので、よく覚えておいてください。」そしてこう言った。
 
  三春去りて後諸々の芳(かお)りは尽き、各々須らく尋ねよ各自の門。
 
 鳳姐がなお尋ねたいと思った時、二の門のところで叩かれた雲板(連絡のため打ち鳴らす銅板)の音が聞こえてきた。続けて四回叩かれ、ちょうど弔いを伝える音で、鳳姐が驚いてドキッとしていると、門番がこう伝えた。「東府(寧国府)の蓉奥様が亡くなられました。」鳳姐はびっくりして体中で冷や汗をかき、呆然とし、急いで服を着替えると王夫人のところにやって来た。この時家中の者は皆お悔みの知らせを聞き、苛立ちを覚えぬ者は無く、皆少し悲しんだ。年配の者たちは、秦氏が平素親孝行であったことを思い、彼女と同世代の者たちは、秦氏が平素仲むつまじく親密であったことを思い、下の世代の者たちは、秦氏が平素慈愛深かったことを思った。そして屋敷の召使たちは、老いも若きも彼女が平素老人を慈しみ貧しい人を思いやり、老人を愛し幼い子供を慈しんだ恩を思い、嘆き悲しみ、泣き叫ばない者はいなかった。
 
 閑話休題、宝玉は林黛玉が故郷に帰ってしまったので、自分が取り残されひとりぼっちになってしまったと感じたが、誰かと遊び歩くこともせず、いつも夜になると、味気なく床に着いた。ところが今、夢うつつの中、秦氏が亡くなったと聞き、急いで起き出して来たところ、心の中が刃物で突き刺されたように感じ、思わず「ゲーッ」と声を立てると、口から血を吐き出した。襲人らは慌てて駆け寄り助け起こすと、尋ねた。「どうされたんですか。」また賈のお婆様のところへ行って医者に来てもらうようにした。宝玉は言った。「慌てなくて大丈夫、何でもないから。これは急に驚いて心が圧迫され、血液がちゃんと循環しなくなったんだ。」そう言うと、起き上がり、服を着替え、賈のお婆様にお目にかかり、すぐに 東府に行こうとした。襲人は宝玉がこのようにするのを見て、心の中では心配でならなかったが、敢えて止めることもできず、ただ宝玉の思い通りにさせるしかなかった。賈のお婆様は宝玉が東府に行こうとするのを見て、こう言った。「息を引き取ったばかりの人というのは、不浄なものです。それに夜は風も強いので、あくる朝になるのを待って行っても、遅くないですよ。」宝玉がどうしてそれに随うものか。賈のお婆様は召使に命じて車を準備させ、多くの従者を同行させ、あちらまで擁護させた。そのまま寧国府の前に着くと、屋敷の門は開け放たれ、両側の燈籠には火が焚かれ、昼間のように明るく照らされ、人の往来が慌ただしかった。屋敷の中では人々の泣き声が響き渡り、まるで高山が震動するかのようであった。宝玉は車を降りると、急いで柩が置かれた部屋に行き、一度泣き叫ぶと、その後尤氏い会いに行った。あいにく尤氏はちょうど胃痛の持病が出て、床に臥せっていた。――その後、今度は賈珍にお会いした。
 
 この時、賈代儒、代修、賈敕、賈效、賈敦、賈郝、賈政、賈琮、賈㻞、賈珩、賈珖、賈琛、賈瓊、賈璘、賈薔、賈菖、賈菱、賈芸、賈芹、賈蓁、賈萍、賈藻、賈蘅、賈芬、賈芳、賈藍、賈菌、賈芝らは皆来ていた。賈珍は泣き濡れ、ちょうど 賈代儒らとこう言っていた。「我が家の老いも若きも含め、また遠くの親戚や友人を含めても、わたしはこの嫁のようにうちの息子(賈蓉)の十倍も優れた人は知らない。今この娘がくたばって、この屋敷(寧国府)にはもう後を継げる者がいなくなってしまった。」そう言うと、また泣き出した。人々はなだめて言った。「もう世を去られたのですから、泣いても無益ですよ。それよりどのように葬儀を取り仕切るかが重要ですよ。」賈珍は手を叩いて言った。「葬儀をどう取り仕切るかって。わたしにできるだけのことをするだけだ。」
 
 そう言っていると、秦邦業、秦鐘、尤氏などの家族や尤氏の女兄弟たちも皆やって来た。賈珍は 賈瓊、 賈琛、 賈璘、賈薔の四人に命じて客の相手をさせ、一方欽天監陰陽司に頼みに行って葬儀の日取りを選んでもらうよう言いつけた。日取りを決めたら、遺体を七七四十九日間留め、その三日後に葬儀を行い、死亡通知を出す。この四十九日には、108人の僧侶を招いて広間で「大悲懺」の法要をしてもらい、亡くなった霊魂が成仏できるようにする。また天香楼に別に祭壇を設け、99名の全真道の道士が19日間謂れのない恨みや罪業を除く祭礼を行う。その後、遺体を会芳園に留め、霊前で別に50名の高僧、50名の高道が、祭壇に向かって七日毎に法要を行う。
 
 かの賈敬は孫の嫁が身罷(みまか)ったと聞いたが、自分は遅かれ早かれ(仙人となって)天に昇る身であるので、如何にてもまた家に戻って俗世間の煩悩やしがらみに染まるのを肯(がえん)ぜず、またこれまでの自分の(仙人になろうとした)苦労や努力が全て無駄になってしまうので、それゆえこのことは別に意に介さず、ただ賈珍の差配に任せた。
 
 さて賈珍はほしいままに豪華さを求めたが、柩の材料の木の板を見た時、いくつかの杉の板は皆気に入らなかった。ちょうどうまい具合に薛蟠が弔いに来たので、賈珍に会った時に良い木材は無いか尋ねると、薛蟠は言った。「うちの材木店にある木材は、鉄網山から切り出したもので、柩の材料にすると、永遠に腐らないものです。これはやはり曾て亡き父が持って来たもので、もともと忠義親王老千歳が所望したものでしたが、この方が罪を負ったため、用いられることがありませんでした。今はまだ店に封をして置かれていて、またそれが買えるだけの方も現れていないのです。あなたが欲しいと言われるなら、運んで来て見てみられては如何ですか。」
 
 賈珍はそれを聞いて大層喜び、すぐに運んで来るよう命じた。皆が見てみると、底と周辺の厚みが皆八寸(1寸は3.3センチ)あり、檳榔のような筋紋があり、白檀や麝香のような香りがし、手で叩くと、玉石のような音がした。皆これは珍しいと褒めた。賈珍はにっこりして尋ねた。「値段はどうなんだね。」薛蟠は笑って言った。「銀一千両と言っても、おそらく買える者はいないでしょう。どんな値を付けても意味が無く、あの者どもに幾ばくかの銀子を手間賃としてくだされば結構ですので。」賈珍はそれを聞いて、急いで何度も繰り返し礼を言い、すぐにこの木材を切って柩にするよう命じた。賈政はそれで諫めて言った。「この木材はおそらく普通の人間が使えるものではないだろう。上等な杉の板の柩に入れてやれば十分じゃないか。」賈珍がどうしてその諫めに従うだろうか。
 
 ふと秦氏の小間使いで名前を瑞珠という者が、秦氏が死んだと知り、柱に身体をぶつけて死亡した。このことは猶更珍しいことで、一族の人々は皆感心してそれを褒めた。賈珍はそれで孫娘の礼を以て納棺、出棺することとし、一緒に併せて柩を会芳園の登仙閣に留めた。また子供の小間使いで名を宝珠という者が、秦氏が子供を生まなかったので、養女になりたいと願い出、出棺の時に喪主が素焼きの鉢を割ると、宝珠が柩の前を先導する任に当たることになった。賈珍はそれを聞いてたいへん喜び、すぐに命令を伝え、これより皆が宝珠を「小姑娘」(末娘)と呼んだ。かの宝珠は未婚の娘の礼に基づき、霊前で気絶せんばかりに泣き叫んだ。
 
 そして一族の人々も召使の者たちも皆各々昔からの制度を守って事を行い、自ずと間違いは許されなかった。賈珍はそれでこう思った。「賈蓉は国子監(最高学府で、今の大学に相当)の学生に過ぎず、葬儀の旗に書くには体裁が悪いし、許される儀仗の格式も高くない。」このため、気分的に具合が悪いと思った。
 
 巧い具合にこの日はちょうど初七日の四日目で、朝から大明宮で宮廷を管轄する宦官の戴権が、先に祭礼の準備に人を寄越し、その後駕籠に乗り、銅鑼を鳴らし、自ら来て祭祀を行った。賈珍は急いで接待をし、逗蜂軒にて休息いただき茶を献じた。賈珍は心の中ではとっくに考えを決め、それでこの機に賈蓉のために官位を買い、賈蓉の社会的な地位を上げようと思った。戴権はその意を汲み取り、それで笑って言った。「葬礼のうえで体面を上げたいとお思いか。」賈珍は急いで言った。「内相様のおっしゃる通りです。」戴権は言った。「事情はうまい具合に、ちょうど欠員が出ています。今、三百人いる龍禁尉に、二名の欠員があり、昨日も襄陽侯の兄弟の上から三番目の方がわたしに要望され、今日1500両の銀子を持って、うちに届けに来られました。あなたもご存じのように、わたしたちは長いつきあいの友達ですから、そうしたことには囚われず、お爺様もお顔も立てて、何とか対応させていただくのです。まだ一名欠員が残っていますが、あろうことか、永興節度使の馮胖子様があの方のお子さんのために官位を買いたいと言って来られ、あちらにお応えする暇が無いのです。こちらのお子様に官位をお買いになるのでしたら、早く履歴書を書いて来てください。」賈珍は急いで人に命じ、赤い紙の履歴書を書いて持って来させた。戴権はそれを見て、その上に次のように記した。
 
  江南応天府江寧県監生(国子監学生)賈蓉、年二十歳。曾祖父は元京営節度使に任じられ、神威将軍を一代世襲した賈代化。祖父は丙辰科進士の賈敬。父は三品爵威烈将軍を世襲した賈珍。
 
 戴権はこれを見て、手を後ろに回して、付き添いの子供の召使に手渡すと、言った。「帰ったら戸部堂官の趙さんに渡して、こう言ってくれ。どうか五品龍禁尉の任命書を一枚起草し、鑑札を渡すので、この履歴の内容を記入してくれるよう、わたしが頼んでいたと。」子供の召使は「はい」と答えた。戴権は暇を乞い、賈珍は慇懃に引き留めたがかなわず、寧国府の大門まで見送るしかなかった。戴権が駕籠に乗ろうとした時に、賈珍が尋ねた。「銀子はお役所の方に行って交換しますか、それとも内相様のお屋敷にお届けしますか。」戴権は言った。「もし役所で交換すると、あなたは損をされます。銀子を一千両ぽっきり、我が家にお届けいただければ、それで済みますよ。」賈珍はいくら感謝しても足りず、こう言った。「喪が明けましたら、わたし自らうちの犬を連れてお屋敷に伺わせていただきます。」そう言って別れた。
 
 続いてまた門番が大声で呼ばわる声が聞こえたが、それは忠靖侯史鼎の夫人が、姪の史湘雲を連れて来られたのだった。王夫人、邢夫人、鳳姐らがちょうど母屋で出迎えた。また錦郷侯、川寧侯、寿山伯の三家からの祭礼の供え物も、霊前に供えられた。時には、三人が駕籠から降りられ、賈珍が広間で出迎えた。
 
 こうして、親しい友人の来訪は、数えきれない程であった。この葬礼の四十九日間だけでも、寧国府の前を数多くの白い喪服の人々や鮮やかな官服を着た人々が行き来した。
 
 賈珍は 賈蓉に命じて翌日は礼服に着替えさせ、鑑札を受け取って帰って来た。霊前へのお供え物や葬儀の儀式などで使う物は皆、五品の官僚の基準で準備され、位牌には全て「天子様が授与を命じられた賈一族の秦氏宜人(五品宜人の封号)の霊位」と書かれた。会芳園の街路に面した大門は開け放たれ、門の両側には楽隊が演奏する場所が設けられ、青い衣裳を着た楽師が時間毎に演奏した。ひとつひとつの儀式が皆整然と正確に行われた。また二面の朱色に金色の文字が嵌め込まれた看板が門の外に立て掛けられ、その上には大きな文字で「内廷の紫禁道の御前を護衛する龍禁尉」と書かれた。向かいにはお経を詠む演壇が高い位置に設けられ、僧侶や道士が壇に登った。掲示板には大きくこう書かれた。「寧国公嫡孫の夫人、内廷の御前を護衛する龍禁尉、賈一族の秦氏宜人の葬儀。四大部洲の中に至る地(仏教世界の中心、須弥山)、天命を奉じ永遠に太平な国を建てる。虚無寂静沙門(仏教のこと)を管轄する僧録司(仏教を管轄する役所名)の正堂(司長)万某(人名)、元始(道教)正一教(道教の一派)道紀司(道教を管轄する役所名の)の正堂(司長)葉某(人名)等、謹んで斎戒を行い、天に向け叩頭し、仏祖を拝むものである。」また「恭しく諸「伽藍」、「揭諦」、「功曹」らの神に乞う。皇帝陛下の恩寵を遍く賜り、神仏の威厳は遥かに邪悪を鎮め、四十九日で災いや業を消し、霊が平安に往生する水陸道場(仏教法要のこと)」などの言葉は、一々細かく書くまでもない。
 
 
 ただ賈珍は気持ちは満足していたが、家の中では尤氏が持病の再発で、葬儀の事務を差配することができず、もし爵位のあるご夫人が来られ、礼儀を失することがあると、人の物笑いの種となるので、このため心中不安に思っていた。ちょうどこのことを憂慮していると、宝玉が傍に来て、尋ねた。「ひとつひとつ準備ができてきたのに、兄さんまだ何を心配されているの。」賈珍は家の中に誰もいないことを宝玉に話した。宝玉はそれを聞いて、笑って言った。「そんなこと、難しくないですよ。僕、ひとりの人を紹介します。この一ヶ月の事を管理するとしたら、きっと適任だと思います。」賈珍は急いで尋ねた。「それは誰なの。」宝玉はこの部屋にはまだ多くの親戚や友人がいて、はっきり言うのは具合がわるかったので、賈珍の耳元まで行って二言言った。賈珍はそれを聞いて、うれしくてたまらなくなり、笑って言った。「それは確かに適任だ。今すぐお願いに行こう。」そう言うと、宝玉を引っ張って、人々に暇乞いし、母屋の方にやって来た。
 
 ちょうどこの日は弔いのお経を上げてもらう日ではなかったので、親戚や友人の来訪も少なく、部屋の中には何人かの近親の婦人たちがいるだけで、邢夫人、王夫人、鳳姐、また一族の中の女性の親族がお伴で座っていた。「旦那様がお越しです。」という声が聞こえた。驚いた女性たちは「ヒェー」と一声発して、後ろの方に隠れようとしたが、間に合わなかった。ひとり 鳳姐だけが、おもむろに立ち上がった。
 
 賈珍もこの時身体に多少病気を抱えており、二に悲しみが甚だしく、このため杖を突きながらゆっくり入って来た。 邢夫人らはこのため言った。「あなたはお身体がよくないし、そのうえ連日様々なことがあって、ちょっと休まれた方が良いのに、また来られてどうされたのですか。」賈珍は一方で杖を突き、かろうじて身体を持ちこたえながら、しゃがんで跪(ひざまず)いてお辞儀をした。邢夫人たちは慌てて宝玉に言って身体を支えさせ、人に命じて椅子を持ってこさせ、賈珍を座らせた。賈珍は座ろうとせず、無理やりお追従(ついしょう)笑いをして言った。「甥っ子が伺わせていただき、叔母様とお姉様のおふたりにお願いの儀がございます。」邢夫人らは急いで尋ねた。「どんなことですか。」賈珍は急いで言った。「叔母様方はもうご存じのように、今孫の嫁が亡くなり、甥の嫁もまた病で倒れ、わたしが見たところ、家の中は本当に体裁を成していないのです。伏してお姉様に一ヶ月、こちらで差配いただければ、わたしは安心できるのですが。」邢夫人は笑って言った。「何かと思ったら、そんなことですか。あなたの姉さんは、今はあなたの叔母様の里におられるから、叔母様に相談されれるだけでいいですよ。」王夫人は急いで言った。「この子は、これまでこんなことはしたことがなく、もしどう処理するか分からないと、却って人に笑われてしまいます。やはり別の方に頼まれた方がいいでしょう。」賈珍は笑って言った。「叔母様の言われることは、この甥にも推察できます。お姉様がご苦労されるのを恐れておられるのですね。もし差配し切れぬとおっしゃるなら、小さい時からお姉様は冗談を言っていても思い切って決断され、今は嫁がれて、あちらのお屋敷で事務を行い、益々鍛えられ老練されています。わたしはこの何日か考えてみて、お姉様を除いて誰も求めるべき方はおられないと思います。叔母様に置かれては、甥っ子や甥っ子の嫁の顔を見るのではなく、ただ死んだ者の立場から見ていただきたいのです。」そう言いながら、涙を流した。
 
 
 王夫人は心の中では 鳳姐がこれまで葬式を経験したことがないので、彼女が葬儀をさばききれず、人に笑われるのを心配したのだが、今賈珍が苦し気に言うのを見て、心の中ではもう何割か動揺し出していたが、眼では(誇らしくて)うっとりと鳳姐を見つめた。かの鳳姐は平素から自ら主導して仕事を行うことを好み、自分の能力や成果をひけらかすのが大好きで、今賈珍がこのように自分に頼んできたのを見て、心の中ではとっくに頼みを受けるつもりでいた。また王夫人が(反対する気持ちが)揺れ動いているのを見て、王夫人に言った。「お兄様がこのように懇(ねんご)ろにお願いされているのですから、お母さま、お受けしましょうよ。」王夫人はこっそりと尋ねた。「おまえ、できるのかえ。」鳳姐は言った。「できないことなどありましょうか。外部との大事はもうお兄様がちゃんと手配されていますから、家の中のことを管理するだけのことです。わたしが知らないことがあれば、奥様にお尋ねすればいいんですわ。」王夫人は、鳳姐が言うのも道理だと思い、口を出さなかった。賈珍は鳳姐が同意してくれたのを見て、また追従(ついしょう)笑いをして言った。「それでも管理し切れぬことがたくさんあって、どのみち姉さんにはご苦労をおかけしないといけません。わたしは先ずとりあえず姉さんに頭を下げておきますが、事が無事終わりましたら、改めてお屋敷にお礼に上がります。」そう言うと拱手の礼をし、鳳姐は慌てて何度も礼を返し続けた。
 
 賈珍は人に命じて寧国府の対牌(竹や木で作られた一種の証文)を取って来させ、宝玉に命じて鳳姐に与え、こう言った。「姉さんがやりたいようにやってくれればいい。何か要るものがあれば、これを持って取りに行ってもらえば、わたしに尋ねる必要はない。ただわたしのことを心配して金をけちらないでほしい。見栄え良くするのが第一だ。二にそちらのお屋敷と同様に人を遇してくれればいい。人に恨まれると心配する必要はない。このふたつのこと以外には、わたしは心配は何もない。」鳳姐は対牌を受け取る勇気がなく、王夫人の方を見ると、王夫人はこう言った。「お兄様がこう言われるのだから、あなたはその通りにすればいいのよ。ただ勝手に自分で決めてはだめよ。何かあったら人を遣わして、お兄様か奥様にちょっとお尋ねするのが大切だわ。」宝玉は早くも賈珍の手から対牌を受け取り、力を込めて鳳姐に手渡した。
 
 賈珍はまた尋ねた。「姉さんはやはりこちらにいて、毎日通って来られますか。毎日通いでは、だんだんしんどくなりますよ。うちの方で急いで屋敷を片付けさせますから、姉さんがうちで何日か暮らされれば、身体も楽だと思いますが。」鳳姐は笑って言った。「要りませんわ。あちらとはそんなに離れていませんから、毎日通えばよいですわ。」賈珍は言った。「分かりました。」その後また少しよもやま話をして、それからようやく帰って行った。
 
 しばらくして女の親族が帰った後、王夫人が鳳姐に尋ねた。「おまえ、今日はどうするの。」鳳姐は言った。「母さんは先に帰ってくれていいわ。わたし先ず仕事の糸口を整理してから帰るわ。」王夫人はそう聞くと、先に邢夫人と一緒に帰ったが、そのことは言うまでもない。
 
 ここで鳳姐は三間の抱廈(母屋の裏側などに付随して建てられた部屋)の中に座って、考えを巡らせた。第一にいろんな人が入り混じり、ものが無くなる。第二に、人を決めて管理していないので、いざという時、責任を押し付け合う。第三に、費用を使う時に管理監督がされておらず、要らぬ支出や他人名義の費用受け取りが生じている。第四に、任務の大小の区分けが無く、仕事の苦楽が不均衡である。第五に、家人の行動が勝手気ままで、一定の地位にいる者は管理や束縛を受けたがらず、地位の低い者は上に取り立ててもらったり、能力を伸ばす機会が無い。――この五つが実際に寧国府の風習であった。果たして鳳姐はどのようにしてこれらの問題を解決するのでしょうか、それは次回に解説いたします。

 今回は、鳳姐に横恋慕した賈瑞に対して、鳳姐が策略を講じ、賈瑞を懲らしめる様子が描かれます。この事件を契機に病を得、寝たきりとなった賈瑞が、この物語で時々登場する僧侶と道士の片割れからもらった不思議な鏡を覗いてみると……。『紅楼夢』第十二回の始まりです。
 
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王熙鳳は毒もて相思の一局を設け
賈天祥は正に風月の鑑(かがみ)を照らす
 
(「王熙鳳」は、本文ではあだ名の「鳳姐」と書かれています。「相思」は男女が互いに思慕すること。「賈天祥」は賈瑞の別名です。)
 
 さて鳳姐がちょうど平兒と話をしていると、取り次ぎをする者の声が聞こえた。「瑞旦那様がお越しになりました。」鳳姐は「お入りになってもらって。」と命じた。賈瑞は面会を請求し、心の中では密かに嬉しく思っていた。鳳姐に会うと、満面笑みを浮かべ、続けて何度も挨拶をした。鳳姐もわざと慇懃に賈瑞を座らせ、お茶を勧めた。賈瑞は鳳姐がこのように身繕いしているのを見て、益々メロメロに倒れそうになり、それでとろんとした眼になって尋ねた。「璉兄さんはどうしてまだ帰ってないの。」鳳姐は言った。「どうしてか知らないの。」賈瑞は笑って言った。「どうせ途中で誰かに捕まってしまい、帰って来れなくなったんじゃないか。」鳳姐は言った。「男性というのは、たまたま見かけた方を好きになってしまうということが、おありになると知りました。」賈瑞は笑って言った。「ねえさん、それは間違っています。わたしはそんな男じゃないですよ。」鳳姐は笑って言った。「あなたのような人が何人もいるものですか。十の内にひとりもいないわ。」
 
 賈瑞はそう聞いて、気持ちが押さえきれない程嬉しくなった。また言った。「ねえさんは毎日ストレスが溜まって大変ですね。」鳳姐は言った。「本当にそうなの。だから誰か来てくれて、お話しして憂さを晴らせるといいんだけど。」賈瑞は笑って言った。「わたしは逆に毎日閑にしています。もし毎日こちらに来て、ねえさんの憂さを晴らしてさしあげれば、いいんじゃない。」鳳姐は笑って言った。「あなた、わたしをからかってるの。あなたのとこから、わたしのとこに来たいとでも言われるの。」賈瑞は言った。「わたしがねえさんの面前で、もし一言でも嘘をついたら、天から雷に打たれて死んでしまいますよ。ただ日頃人の話で、ねえさんはおっかない人で、ねえさんの前では少しも間違いは許されないと聞いていたので、びくびくしていたんです。今ねえさんにお会いして、とてもやさしくて親しみやすい人だと分かりました。どうして来ないもんですか。たとえ死んでも会いに来たいと思います。」鳳姐は笑って言った。「道理であなたはものの分かった人で、蓉ちゃん、薔ちゃん兄弟よりずっと世事に長けているのね。わたしはあの子たちは見かけは綺麗で、もう少しものの分かった人たちだと思っていたけど、実際はふたりともぼんくらで、少しも他人の気持ちを理解してくれないのよ。」
 
 賈瑞はこの話を聞いて、益々心の内に強く響くものがあり、知らず知らずのうちにまた一歩前に近寄り、こっそり鳳姐の荷包(香包とも言う。良い香りのする香料やお菓子などを入れた小さな飾り袋)を盗み見て(「偷香窃色(偷香窃玉)」。男女が密かに通じること。他人の奥さんである鳳姐に横恋慕する意味)、また尋ねた。「どんな指輪をつけているの。」鳳姐はこっそりと言った。「もう少しきちんとなさって。小間使いたちに見られるといけないわ。」賈瑞は服従せざるを得ない話(綸音佛語 lún yīn fó yǔ)を聞いたかのように、慌てて後退すると、鳳姐が笑って言った。「あなた、もう行かないといけないわ。」賈瑞は言った。「わたしはもう少し座っていたい、――本当に容赦の無いねえさんなんだから。」鳳姐はまたこっそり言った。「昼日向は人の往来が多いから、あなたがここにいるのも都合が悪いわ。あんた、とりあえずお行きなさい、夜になって、宵の口(起更)にお越しになって、こっそり西側の穿堂(通り抜けができるようになった部屋)でわたしをお待ちになって。」賈瑞はそう聞くと、珍宝を得たかのように、急いで尋ねた。「わたしを騙さないでよ。でも、あそこは人通りが多いから、どうしたらうまく隠れられるだろう。」鳳姐は言った。「ご安心なさい。わたし、夜勤の小者たちに皆暇を取らせるから、両側の入口を閉じれば、もう誰も来ないわ。」
 
 賈瑞はそう聞くと、嬉しくてたまらなくなり、慌ただしく別れを告げて出て行ったが、心の内ではうまくいったと思った。夜になるのを待ちかね、果たして真っ暗闇の中を栄国府に手探りで入り込み、門を押すやいなや、穿堂の中に潜り込んだ。果たして漆黒の中に誰一人往き来する者も無く、賈のお婆様のお宅の方の門は既に鍵を閉めて閉ざされ、ただ東向きの門だけが閉まっていなかった。賈瑞は耳をそばだてて聞いていたが、しばらくの間誰もやって来なかった。ふと「ガタン」という音がして、東側の門にも鍵が掛けられた。賈瑞は慌てたが声を上げる勇気が無く、こっそり出て行かざるを得ず、門をゆすってみたが、鉄の桶のように固く閉ざされていた。この時外に出ようとしても、不可能であった。南北はどちらも高い壁で、乗り越えようにもよじ登ることができなかった。この部屋の中は風が吹き抜け、がらんとしていた。今は師走の気候であり、夜も長く、冷たい北風が吹き、肌に染み通り骨を砕くようで、一晩でほぼ凍え死にしかる程であった。なんとか早朝になるのを待ちかねていると、ひとりの老婆が先に東門を開けて入って来て、西門の方を呼ばわったので、賈瑞は老婆の背後から覗き込み、素早く飛び出した。幸いまだ早朝で、人々もまだ起き出していなかったので、裏門(后門)からまっしぐらに家に走って帰った。
 
 元々賈瑞の両親は早く亡くなり、彼の祖父の代儒により教育や養育を受けていた。かの代儒は平素たいへん厳しく教育し、賈瑞があちこち歩き回るのを許さず、彼が外で酒を飲んだり博打をしたりしやしないか、またそれで学業を怠けるのではないかと心配した。今ふと一晩帰って来なかったのを見て、賈瑞がきっと外で酒を飲んでいたのでなければ博打を打つか、女郎を買って一夜共にしているに違いないと思い、鳳姐に騙されて穿堂の中に閉じ込められているなど夢にも思わなかった。そのため、一晩中腹を立てていた。賈瑞も怒られるのを恐れて冷や汗をかき、嘘の言い訳を言わざるを得なくなり、こう言った。「叔父さんの家に行きましたところ、暗くなってしまったので、一晩泊めていただいたのです。」代儒は言った。「元々わたしの許しを得ず勝手に出かけるなど許されないのに、どうして昨日は勝手に出かけたんだ。このことだけでも罰しないといけないのに、ましてや嘘をつくとは。」このため意を決して棒で三四十回叩き、更に飯を食べるのを許さず、彼を中庭に跪かせて文章を読ませ、十日分の宿題を追加でやるように命じ、それが終わってようやく許された。賈瑞は先ず一晩寒さに凍え、また棒で叩かれ、また腹を空かせ、風の吹き抜ける地面に跪いて文章を読まされた。それは筆舌に尽くしがたい苦しみであった。
 
 それでも賈瑞の邪(よこしま)な心は改まらず、また鳳姐が自分のことをからかっているとは思わなかった。二日経って、時間ができたので、また鳳姐を訪ねた。鳳姐はわざと賈瑞が約束を破ったと不満を言ったので、賈瑞は慌てて今度は約束通りにすると誓った。鳳姐は賈瑞が自ら網に飛び込んで来たので、また別の計略で賈瑞に思い知らせてやらないといけないと思い、それでまた賈瑞と約束して言った。「今日の晩、あなた、前の場所に行ってはだめよ、わたしの家の後ろの狭い通路の中の空き家の中で待っていて。――でも出し抜けに頭をぶつけちゃだめよ。」賈瑞は言った。「それは本当なの。」鳳姐は言った。「あなた、信じないなら、来なくていいわ。」賈瑞は言った。「必ず行くから。死んでも行くよ。」鳳姐は言った。「今度はあなたが先にお行きなさい。」賈瑞は夜には全てがうまく行くと確信し、今回は先に帰って行った。鳳姐はここで今晩の布陣を考え、計略を仕掛けた。
 
 かの賈瑞は夜になるのを待ちかねたが、あいにく家には親戚が来るわ、晩飯を食べてからようやく帰られるわで、その日は既に火点し頃となった。更にお爺様がお休みになるのを待って、ようやく栄国府に潜り込み、その路地の中の家に来て待っていたが、まるで熱い鍋の上の蟻のように、そわそわして居ても立ってもいられなかった。ただ、左で待てど人の影が見えず、右で聞き耳を立てても人の声が聞こえず、心中不安になり、絶えず猜疑にかられながら言った。「きっとこれは来ないんじゃないか。またわたしを一晩凍えさせないとだめなのか。……」
 
 ちょうど自らあれこれ猜疑にかられていると、ふと真っ黒の中に人がひとり入って来たので、賈瑞は鳳姐に違いないと思い、黒白構わず、その人が目の前に来るや否や、飢えた虎が食べ物に飛びつき、猫が鼠を捕えるかのように、抱きついて叫んだ。「愛するねえさん、死ぬほどお待ちしていました。」そう言うや、抱きかかえて部屋の中のオンドルの上に行き、キスをしてズボンを引っ張って下ろし、やたらと「愛しいひと」と叫び出した。相手の人はただ声を立てず、賈瑞は自分のズボンを引っ張って下ろすと、硬いものを挿し入れようとした。突然ランプの灯りがきらめき、賈薔が燭台を持ち上げているのが見え、それで照らしながら言った。「誰がこの家の中にいるんだ。」するとオンドルの上のその人が、笑って言った。「瑞叔父さんがわたしを犯そうとしたんだ。」
 
 賈瑞は見えなければそれで済んだのだが、見てしまうと、恥ずかしさの余り、穴があれば入りたいほどであった。――その人は誰あろう、賈蓉であった。賈瑞は身を翻して逃げようとしたが、賈薔にぎゅっと掴まれ、言った。「逃げるな。今、璉叔父さんの奥さん(鳳姐)がもう奥様の前でご報告されているが、おまえがあの方をからかったので、あの方はとりあえずおまえをここにおらせたんだ。奥様はこのことを聞いて激怒され、今回わたしにおまえを捕まえに来させられたんだ。早くわたしと一緒に行くんだ。」賈瑞はこれを聞いて、魂の無い抜け殻のようになり、ただこう言った。「兄さん、お願いだ。わたしが居なかったと言ってくれさえすれば、明日幾重にも重ねてあなたに感謝します。」賈薔は言った。「おまえを放っておいても何の値打ちも無いが、おまえさん、わたしにどれくらい感謝してくれるんだい。ましてや口で言うだけでは何の保証にもならないから、一枚証文を書いてくれないと、割りに合わないね。」賈瑞は言った。「それはどう書いたらいいんだ。」賈薔は言った。「こう書いてくれてもいいよ。博打で負けたので、銀子を若干両借りるものとする、と書けばしまいだ。」賈瑞は言った。「それなら簡単なことだ。」
 
 賈薔は振り向いて出て行くと、紙や筆は有り合わせのものを持って来て、賈瑞に書かせた。彼らふたりは何だかんだ言いながら、ただ五十両の銀子と書き、花押を描くと、賈薔が受け取った。それから賈蓉と片を付けた。賈蓉は最初は歯を食いしばって承知せず、ただこう言った。「明日、一族の人に判断してもらいましょう。」賈瑞は焦って遂には地面に頭をぶつけて(磕頭)謝った。賈薔は何だかんだ言っていたが、五十両の借用証書を書かせて終わりにしてしまった。
 
 賈薔がまた言った。「今おまえを放免したら、わたしは悪事に加担したことになる。お婆様のお宅の方の門はとっくに閉まっている。旦那様はちょうど広間で南京から来たものを見られているので、あちらの通路は通るのが難しい。今は裏門を通るしかない。こう行って、もし人と出逢ったら、わたしも具合が悪い。わたしが先に行って見て来て、それからおまえを連れに来るよ。この家の中は、隠れていられない。しばらくしたらものを積みに来るから、わたしが隠れる場所を捜すのを待ってくれ。」言い終わると、賈瑞を引っ張り、灯りを消したままで、敷地の外に出ると、入口のところの石段の下を手で探り、こう言った。「この窪みの中がいい。じっとしゃがんでいて、声を立てるんじゃないぞ。わたしが戻って来たら、行こう。」そう言うと、ふたりは立ち去った。
 
 賈瑞はこの時、身体の自由が効かず、ただその石段の下にしゃがんでいた。ちょうど頭の中で段取りをつけていると、頭の上の方で「えいやっ」という声が聞こえ、ザザーッと桶一杯の糞尿が頭の上からぶちまけられ、ちょうど賈瑞の全身に注ぎかけられた。賈瑞は我慢できなくなって「ひゃあっ」と声を上げ、慌てて口を塞ぎ、これから敢えて声を出す勇気も無く、頭から顔から糞尿まみれになり、体中が冷たく冷やされブルブル震えた。ふと賈薔が走って来て叫んだ。「早く逃げろ、早く逃げろ。」賈瑞はようやく命拾いしたような気持ちで、急いで裏門から家に走った。時間は既に三更(夜中の12時から2時)を過ぎており、門番を呼んで門を開けてもらうしかなかった。
 
 家人は賈瑞のこの様子を見て、尋ねた。「どうされたんですか。」賈瑞はうそを言わざるを得なかった。「暗くなって、足をすべらせて肥溜めの中に落ちてしまったんだ。」そう言いながら、すぐに自分の部屋に行って着替えて身体を洗ったが、心の中ではようやく鳳姐が彼をからかったのだと分かり、このため一度は彼女を恨んだ。しかしまた鳳姐の容姿の美しさを思うと、またしばらくの間欲しくてたまらないものが手に入らない思いが胸いっぱいに広がり、あれこれ考えていると、一晩中眠りにつくことができなかった。これ以降、鳳姐のことは思っても、栄国府に行く勇気は無かった。
 
 
 賈蓉たちふたりはしばしばやって来て銀子を要求したが、賈瑞もまたこのことが祖父に知られるのを恐れた。正に鳳姐への思いがなお断ち切れず、おまけに借金をこしらえてしまい、昼間は勉強の課題も厳しくなった。彼は二十歳過ぎであったが、まだ結婚しておらず、鳳姐のことを思うも、思い通りにならないので、自ずと「指先で自慰行為」をすることとなった。しかも二回の凍える寒さと駆けずり回らせる困難に遭い、このように四方八方から攻められ、知らず知らずのうちに病を患うこととなった。――心臓が膨張し、口の味覚を失い、足の下が綿を踏むように力が入らなくなり、眼がチカチカし、夜は熱っぽく、昼間はいつも身体がだるくなった。夢精をしてしまい、痰を吐くと血が混じった。こうした症状が、一年もしないうちに、全て現れた。そして身体を支えることができず、ばったり床に倒れてしまい、精神に異常をきたし、口では常に意味の分からぬことを言い、恐怖心は異常な程だった。なんとかして医者にお願いして治療しようとし、肉桂、付子(トリカブトの根の周囲に付いた小さな塊上のもの)、すっぽんの甲羅、麦冬(ジャノヒゲ)、玉竹(アマドコロ)などの薬を、何十斤も飲んだが、何の効き目も見られなかった。
 
 瞬く間に農暦十二月が終わり新年がやって来たが、この病は益々重くなった。代儒も急いで、あちこちで医者を頼み治療してもらったが、皆効き目が無かった。それでこれから「独産湯」(朝鮮ニンジンと三温糖で作ったスープ)を飲まそうにも、代儒にそんな経済力は無く、栄国府に行ってお願いせざるを得なかった。王夫人は鳳姐に命じて人参を二両量って代儒に与えるよう言った。鳳姐は答えて言った。「先日お婆様のために薬を配合したばかりで、あの人参丸々一本は、楊提督の奥様のお薬として取ってあったのが、あいにく昨日もう人に頼んで持って行かせました。」王夫人は言った。「うちに無いのだったら、人を遣ってあなたのお姑(しゅうとめ)さんのところに行って聞いてあげて。それか珍兄さんのところに有るかもしれないわ。方々尋ねてあげて、それらを合わせて差し上げなさい。ちゃんと飲ませて、人の命を救えば、これもあなたがたの功徳になるわ。」鳳姐は「はい」と答え、しかし人を遣って尋ねには行かせず、ただ少しばかり人参の屑のところを何銭か集め、人に命じて持って行かせた。そしてただこう言わせた。「奥様に命じられて持ってきました。もう他にありません。」それから王夫人にはこう言った。「皆尋ねて来ました。全部合わせて二両余りになりましたので、持って行きました。」
 
 かの賈瑞はこの時何とか生きながらえようと、飲まぬ薬は無く、ただ無駄に金を使うばかりで、効き目は見えなかった。ふとある日びっこの道士(跛足道人 )がやって来て托鉢をし、口では専ら前世からの悪因で起きる病気を治すと称していた。賈瑞は聞かなくてよいものを、あいにく部屋でそれを聞いてしまったので、道士に直に声をかけて言った。「早くその菩薩さまに入って来ていただいて、命を救ってください。」そう言いながらベッドの上で額ずいた。召使たちは道士を連れて来ざるを得なかった。賈瑞はしっかり道士を掴むと、何度も「菩薩様、お助けを。」と叫んだ。かの道士はため息をついて言った。「あなたの病は薬では治すことができません。わたしが持っている宝をあなたに差し上げます。あなたが毎日これを見れば、あなたの命を保つことができます。」そう言うと、袋の中から正面も裏面も人を映すことのできる鏡を取り出し、――背面に「風月宝鑑」の四文字が彫られていた――これを賈瑞に渡して言った。「この鏡は太虚幻境空霊殿から出たもので、警幻仙子が作られ、専ら淫らな性欲や妄想が引き起こす病気の症状を治し、世の中の人々を救済し、生命を保つ効き目があります。それゆえこの鏡が世の中にもたらされたのは、主に聡明で気力に満ち、才能のある人物がこれで映し見て、彼らが淫らな考えや妄想に走るのを防ぐためのものです。くれぐれも鏡の正面を映してはなりません。裏面で映してください。くれぐれもご注意あれ。三日したら、わたしが取りに来ます。あなたの病が良くなること請け合いです。」そう言うと、ぶらぶら歩いて行ってしまった。召使たちはなんとか引き留めようとしたが、適わなかった。
 
 賈瑞は鏡を受け取ると、こう思った。「あの道士は面白いやつだ。早速試しに顔を映してみよう。」そしてかの「宝鑑」を持って来て、鏡の裏面を映して見ると、ひとりの骸骨が中に立っていた。賈瑞は慌てて蓋をし、かの道士を罵った。「このろくでなしめ。わたしを驚かせやがって。――それなら、鏡の正面で映すとどうだろう。」そう思いながら、鏡の正面を映すと、鳳姐が中に立って、彼を手招きしているのが見えた。賈瑞は心の中で大いに喜び、ふわふわと空中に浮いているような気になり、鏡の中に入って行き、鳳姐と男女の営みを行い、鳳姐が彼を送って出て来た。ベッドの上に着くと、「うわっ」と一声発し、眼を開くと、鏡はもう一度向きを変え、相変わらず鏡の裏面ではひとりの骸骨が立っていた。賈瑞は自ら汗びっしょりになるのを感じ、下の方には大量の精液が残っていた。心の中ではそれでも満足できず、また鏡の正面にひっくり返すと、鳳姐がまた手招きして彼を呼ぶので、賈瑞はまた入って行った。このようなことが三四回続いた。最後には、ちょうど鏡から出て来ると、ふたりの男がやって来て、鉄の鎖で賈瑞をくくると、引っ張って行こうとした。賈瑞は叫んだ。「わたしに鏡を取らせて、それから行ってくれ……」これだけ言うと、もはや口をきくことができなくなった。
 
 
 横で世話をしていた召使が見ると、賈瑞は先にまた鏡を映し見ていたが、鏡を下に落とし、それでもなお眼を見開いて鏡を手で拾ったが、最後には鏡を下に落とし、もう身体が動かなくなった。召使たちが集まって来て様子を見ると、賈瑞はもうこと切れて、身体の下の方は冷たく湿り気で染み通り、大量の精液が残っていた。こうなってから急いで衣裳を着させてベッドから移動させた。代儒夫婦は正気を失うほど泣きぬれ、道士を大声で罵った。「なんといかがわしい道術じゃっ。」遂に人に命じて火を起こしてその鏡を燃やさせた。ふと空中でこう叫ぶのが聞こえた。「誰がやつに正面で映し見させたのか。おまえたち自身がうそを真としていながら、なぜわたしという鏡を燃やすのか。」ふとその鏡が部屋の中から飛び出すのが見えた。代儒が門を出て見ると、やはりあのびっこの道士であり、大声でこう叫んだ。「わたしの「風月宝鑑」を返してくれ。」そう言いながら、鏡を奪い取ると、見る間にふらりと行ってしまった。
 
 当座は代儒はなす術が無く、葬儀の事を執り行うことしかできず、各所にそれを伝えに行った。三日の間お経を読んでもらい、七日目に棺を担ぎ(「發引」。葬送する)、鉄檻寺にお棺を預けた。その後しばらくして、賈家の人々が一斉に弔問に訪れた。栄国府の賈赦は銀二十両を贈り、賈政も二十両、寧国府の賈珍もまた二十両贈った。それ以外の一族の人々は、貧富様々で、ある者は一二両、ある者は三四両と、皆異なった。それ以外にも同じ家塾に通う者の中にも香典を出す者がいて、それらを集めると二三十両になった。代儒の暮らし向きは貧しく質素であったが、これらの香典をもらったお陰で、却って金持ちとなって賈瑞の葬儀を終えた。
 
 思いがけずこの年の冬の終わりに、林如海が伝染病に罹って重体となり、手紙を書いて、特に黛玉に帰宅するよう迎えを寄越した。賈のお婆様はこのことを聞いて、また悲しまれるのを免れなかったが、急いで黛玉に出発する準備をさせざるを得なかった。宝玉は面白くなかったが、父と娘の情愛は如何ともし難く、それを妨げることはできなかった。そして賈のお婆様は賈璉に黛玉を送って行かせると決められ、また事が終われば彼女を連れて帰るよう命じた。土産物や路銀のことなど一切については、くどくど喋るまでもなく、自然と穏当に準備が為された。速やかに日時を選び、賈璉が黛玉と共に人々に別れを告げ、召使たちを連れて、船に乗り揚州に向かった。そして果たしてどうなったか、次回に解説いたします。
 
 
 次回第十三回では、秦可卿が亡くなり、その葬儀にまつわる話が展開されます。次回をお楽しみに。

 寧国府では賈敬の誕生日のお祝いで、庭に芝居の舞台が設置され、一族の人々がお祝いにやって来ます。賈敬の孫の賈蓉の嫁の 秦可卿の身体の具合が悪いと聞き、王熙鳳(鳳姐)らがお見舞いに行きます。その後、お庭に向かった 鳳姐に、一族の賈瑞がちょっかいを出し、良からぬ下心を抱きます。『紅楼夢』第十一回の始まりです。
 
 
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寿辰を慶し寧府は家宴を排し、
熙鳳を見て賈瑞は淫心を起こす
 
 さて、この日は賈敬の寿辰(老人の誕生日)で、賈珍は先に上等な食べ物、珍しい果物を、十六の大捧盒(大きな蓋付きの箱で、両手で捧げ持つ)に詰め、賈蓉に家の召使たちを連れて、賈敬のところに届けに行かせ、賈蓉に対してこう言った。「おまえ、お爺様が喜んでおられるかどうか、注意して見て、お辞儀をしたら、こう言うんだ。「父はお爺様のお言葉を守り、敢えて罷(まか)り越しませんので、家で一家の者を率いて、今朝拝礼をして参りました。」と。」賈蓉は聞き終わると、召使を連れて出て行った。
 
 ここには次第に人々がやって来た。最初に賈璉、賈蔷が来て各所の座席を見て、尋ねた。「どんな出し物をやるの。」召使は答えて言った。「うちのご主人様のお心積もりでは、元々お爺様に今日うちにお越しいただくので、あえて出し物を準備する予定は無かったのですが、おとついお爺様が来られないと聞いたので、今はやつがれどもに小さな劇団や十番鑼鼓の演奏をする楽隊を捜させ、皆お庭の舞台で準備しております。」
 
 これに続き、邢夫人、王夫人、鳳姐(王熙鳳)、宝玉が皆やって来たので、賈珍と尤氏が出迎えに入って来た。尤氏の母親は既に先にここに来ており、皆が挨拶すると、それぞれ譲り合って座った。賈珍と尤氏のふたりは茶を手渡し、それから笑って言った。「お婆様は元々我が一族の祖で、わたしの父はその甥でありますが、こんなにご高齢であられ、またこのような特別な日でもあり、元々敢えてお婆様にお越しいただくつもりはありませんでした。けれどもこの時期、天気は涼しくさわやかで、庭園中菊の花が満開ですので、お婆様にお越しいただき日頃の憂さを晴らしていただき、子供や孫たちが賑やかにしているのをご覧いただく、そういう趣旨でございます。――ところがあいにく、お婆様もお顔を出されないとは。」 鳳姐が、 王夫人が口を開く前に、先にこう言った。「お婆様は昨日はまだ来ると言っていたのですが、夜に宝兄さんが桃を食べるのを見て、このお年寄りは口が卑しくて、お婆様も桃をおおかた一個召し上がったものだから、五更(夜中の三時から五時)の時分に、続けざまに二度も目が覚め、今日は早朝に少し身体がだるく感じられ、それでわたしからお爺様に、今日はきっと来れないだろうと回答させられたのです。美味しいものを何種類か準備し、それらは柔らかくて噛み砕きやすいものにしろとおっしゃっていました。」賈珍はそれを聞いて笑って言った。「お婆様は賑やかなことがお好きなのに、今日お越しにならないのは、きっと何か理由があると思っておりました。――そういうことでしたか。」
 
 王夫人が言った。「おとつい妹( 王熙鳳 )が申してましたが、蓉兄さんの奥様(秦可卿)のお身体が少しお悪いとか。いったいどのようですの。」尤氏が言った。「あの娘の病気の症状は奇妙なんです。先月の中秋の時はまだお婆様、奥様とご一緒に夜中まで遊んでいて、帰ってきてもピンピンしていたのです。二十日以降になると、一日一日身体がだるくなり、また食欲も無くなったのです。この状態が半月以上続いています。月経も二(ふた)月来ていないのです。」 邢夫人は続けて「おめでたじゃないの。」と言った。
 
 そう話していると、外の者がこう言って来た。「大旦那様、若旦那様はじめご一家の旦那様方が皆お越しになりました。広間におられます。」賈珍が急いで出て行った。ここで尤氏がまた言った。「以前お医者様の中にもおめでただという方がいらっしゃいましたが、昨日馮紫英様が推薦された、あの方が幼い時に一緒に勉強なさった先生がおられて、医術に優れた方で、診ていただくとおめでたではなく、重い病気の症状だと言われたのです。昨日お薬を処方され、それを飲むと、今日は目がくらむのは多少良くなったのですが、それ以外はあまり効き目が見られないのです。」鳳姐が言った。「わたしはあの娘の病状は、身体を十分支え切れないほど悪くはないと思いますけど、今日のような大切な日でも、もはや無理をして起きて来ようと思わないとは。」尤氏が言った。「あなたは今月の三日にここであの娘に会われて、あの娘は半日なんとか我慢していたけれど、これもあなた方ふたりがとても仲が良くて、恋々として別れられないからよ。」鳳姐はそう聞いて、(悲しみで)眼の縁を少し赤くし、それからようやく言った。「「天には不測の風雲が起こり、人生には思いがけない災いが起こる」よ。この年齢で、もしこの病気のために不幸な結果となれば、人がこの世で生活して、どんな楽しみがあると言うの。」
 
 ちょうどこう話していると、賈蓉が入って来て、 邢夫人、王夫人、鳳姐に挨拶をし、それから尤氏に回答して言った。「さきほどわたしはお爺様に食べ物をお届けに行き、またわたしの父が家で皆さまのお世話をし、一族の方々をおもてなしし、お爺様のお言葉を守り、敢えてこちらには参りませんと申し上げました。お爺様はそれを聞いてたいへん喜ばれ、「それでこそ良いのだ。」と言われ、お父様、お母さまには、よくよく旦那様方、奥様方にお仕えするよう言われました。またわたしには、よく叔父様、叔母様、お兄様方にお仕えするよう言われました。またこうも言われました。「かの『陰騭文』(いんしつぶん)は彼らに急いで版に彫らせ、一万枚印刷し、人に配るように」と。わたしは今これらのことを皆お父様にお伝えさせていただきました。わたしはこれからまだ急いで出かけて、皆さま方や一族の方々にお食事のお世話をしないといけないです。」鳳姐が言った。「蓉兄さん、ちょっと待って。奥様は今日はいったいどんなご様子なの。」賈蓉は眉間にしわを寄せて言った。「良くないです。叔母様がお帰りの際に、ちょっと見舞いに行ってもらえば分かります。」そう言って賈蓉は出て行った。
 
 ここで尤氏は 邢夫人、王夫人に言った。「奥様方はここで食事をお召し上がりになりますか、それともお庭で食べられますか。芝居の劇団が今庭で準備をしております。」王夫人は 邢夫人に向け言った。「ここはとてもいいわ。」尤氏はそれで召使たちに言いつけた。「早く料理を並べてちょうだい。」門の外では一斉に「はい」と回答があり、めいめい皿を持って行った。程なくして、料理が並べられた。尤氏は 邢夫人、王夫人と自分の母親を上座に座らせ、自分は鳳姐や宝玉の側の席に座った。邢夫人、王夫人は言った。「わたしたちが来たのは元々お爺様の長寿をお祝いするするためでしたのに、これではわたしたちが誕生会をしに来たみたいじゃありませんか。」鳳姐が言った。「お爺様は元々静かにされているのがお好きで、仙人になる修行も積まれていて、もう仙人になられたようなものです。奥様方がこのようにおっしゃれば、「気持ちが自然に神様に通じる」ことになりますわ。」こう言うと、一座の人々は皆どっと笑った。
 
 尤氏の母親と邢夫人、王夫人、鳳姐は食事を済ますと、口を漱ぎ、手を洗った。それからようやく庭園の方に行こうとすると、賈蓉が入って来て尤氏に言った。「旦那様方、並びに叔父様お兄様方は、皆お食事を取られました。大旦那様(賈政)は家で用事があるとおっしゃり、下の旦那様(賈郝)は芝居がお好きではなく、また人が大騒ぎするのが怖いとおっしゃり、おふたりともお帰りになりました。それ以外の一族の皆様方は、璉叔父様や蔷旦那様がお連れになって、芝居を見に行かれました。さきほど南安郡王、東平郡王、西寧郡王、北静郡王の四家の王様、並びに鎮国公牛府など六家、忠靖侯史府ら八家から、人を派遣し、名刺を持って誕生祝いの贈り物を届けに来られ、それぞれ父上が応対され、帳場に収納し、贈り物のリストは皆帳簿に記録しました。お礼のお手紙はそれぞれの家からのお客人にお渡しし、お客人方も皆さんいつも通りお芝居をご覧になり、お食事をお召し上がって行かれました。お母さま(尤氏)、おふたりの奥方様(邢夫人、王夫人)、お婆様(尤氏の母親)、叔母様(鳳姐)にお庭に行って座っていただいてください。」
 
 尤氏は言った。「こちらもちょうど食事が終わったところで、行こうとしていたのよ。」 鳳姐が言った。「奥様にお返事しますが、わたしは先に蓉兄さまの奥様のお顔を見に行ってから、行こうと思います。」王夫人が言った。「それがいい。わたしたちみんながお見舞いに行ったら、おそらくあの方が、わたしたちがひどく騒ぎ立てたと嫌がられるかもしれません。わたしたちがよろしくと言っていたと伝えてください。」尤氏は言った。「良い娘だね。あの娘に会ったら、あなたからちょっと諭してくだされば、わたしも安心できます。早くお庭に来てくださいね。」宝玉も 鳳姐と一緒に秦氏のお見舞いに行こうとしたので、王夫人が言った。「おまえはちょっとお顔を見たら失礼するんだよ。あの方はおまえの甥のお嫁さんなのだから。」そして尤氏は王夫人、 邢夫人と、彼女のお母さまをお連れして会芳園の方に行った。
 
 鳳姐、宝玉は賈蓉と秦氏の部屋にやって来た。入口を入ると、そっと奥の部屋に歩いて行くと、秦氏がそれを見て起き上がろうとしたので、 鳳姐が言った。「お願いだから起き上がらないで。眩暈(めまい)がするわよ。」そして鳳姐が更に一二歩近づき、秦氏の手をしっかり握ると、言った。「あなた、どうして何日か会わないうちに、こんなに痩せてしまったの。」そして秦氏が座っている敷布団の上に座った。宝玉も挨拶をし、向かい側の椅子に座った。賈蓉が大声で言った。「早くお茶を淹れて来ておくれ。叔母さんと下の叔父さんは、母屋でまだお茶を召しあがられていないから。」
 
 
 秦氏は鳳姐の手を握ると、作り笑いをして言った。「これも皆、わたしに幸運が無いのですわ。このようなお宅で、お父様もお母さまもご自分の家の娘のように接してくださいます。叔母様、あなたの甥御さんはまだお若いのに、わたしを敬ってくださり、わたしもこの方を敬い、これまで喧嘩をしたことがございません。ご一家の年配の方も同世代の方も、叔母様は言うまでもありませんが、他の方もこれまでわたしをかわいがってくださらない方はおられず、わたしと仲良くされない方もおられませんでした。今こんな病気になると、わたしのあの強い気持ちが全く無くなってしまいました。お義母様の前では未だ一日たりとも親孝行させていただいたことがありません。叔母様はこんなにわたしを可愛がってくださり、わたしは十分に孝行心がありますが、(実際の行動は)今も十分にはできていません。わたし、思うんですが、ひょっとすると年を越せないんじゃないかしら。」
 
 宝玉はちょうどあの「海棠春睡図」とあの秦太虚の書いた「嫩(よわい)寒さが夢を鎖(とざ)すは春の冷たさに因り、芳気の人を襲うは是酒香」の対聯を眼にし、思わずここで昼寝をし、夢の中で「太虚幻境」に行ったことを思い出した。ちょうどぼんやりしていて、秦氏がこうしたことを言うのを耳にし、まるで心に万の矢が貫いた(万箭攢心 wàn jiàn cuán xīn)ような気がして、涙が思わず流れ落ちた。鳳姐は見たところ、心の中がとても堪えがたい様子であった。しかし病人がこんな様子を見て、却って悲しみを増し、ここへ来て秦氏を諭そうとした意図に反してしまうのを恐れ、それでこう言った。「宝玉、おまえあまりにめそめそし過ぎてるわ。病人がこんなことを言ったからって、どうしてそんなことになるものですか。ましてや歳もそんないっている訳じゃなし、ちょっと伏せったら良くなるわ。」また秦氏の方に応えて言った。「あなた、変な考えは止して。どうして病気をひどくしようとするの。」賈蓉は言った。「こいつの病気も他でもなく、食事をしっかり食べていさえすれば、恐れることはないんです。」鳳姐が言った。「宝ちゃん、お母さんがおまえに早くおいでと言われていたわ。おまえはここでこんなことばかりしていてはだめよ。却ってお嫁さんも落ち着かないわ。奥さんがあちらでおまえのことを気にされていますよ。」それで賈蓉に言った。「あなた、先に宝叔父様と行ってください。わたしはまだちょっと座っていますから。」賈蓉はそれを聞いて、 宝玉と会芳園の方に行った。
 
 ここで鳳姐はまた一度(秦氏を)慰め、また低い声でいろいろ心に秘めた思いを話した。尤氏が人を二三回派遣して来たので、鳳姐はようやく秦氏に言った。「あなた、よくよく養生するのよ。わたしまたお見舞いに来るからね。当り前だけど、あなたは良くならないといけないのよ。だからおとつい良いお医者さんに出会えたのだし、もう病気を恐れることはないわ。」秦氏は笑って言った。「たとえそのお医者様が仙人であっても、「解決できることは解決しても、人の力で解決できないことはどうしようもない」(治了病,治不了命)の。叔母様、わたしこの病気は時間を引き延ばしているだけだと思うわ。」鳳姐は言った。「あなたがそんなふうにばかり考えていたら、どうして病気が良くなるの。とにかく心を広く持った方がいいわ。まして先生が言われるのを聞いたでしょ。もし治らなければ、ひょっとすると春によくないことになるって。わたしたち、もし(貧乏で)人参を食べれない家だったら、分からないけど、あなたのお義父さんもお義母さんも治ると聞いたら、たとえ毎日二銭の人参だって、二斤だって飲めるくらいの財力はあるわ。よく養生なさい。わたしはお庭の方に行くから。」秦氏はまた言った。「叔母様、わたし一緒に行けなくてごめんなさい。お暇な時にまたわたしに会いにいらして。わたしたち女同士で座って、いろいろ世間話をしましょう。」鳳姐はそれを聞いて、思わず眼の縁を赤くして、言った。「わたし、閑ができたら必ずあなたに会いに来ますからね。」そして一緒に来た召使たち、また寧国府の召使たちを連れて、家の中からぐるりと回って庭園の通用門を入った。そこで見えた光景は以下のようであった。
 
   黄色い花が一面に咲き、白い柳が池のほとりに横たわる。小さな橋が若耶‌の渓谷を通り、曲がりくねった小径は天台山に通じる道に続いている。石中の清流から一滴一滴水がしたたり、垣根の間から芳しい樹木の香りが漂う。木々の紅葉は秋風の中ひらひらと舞い、木の疎らな林は絵のように美しい。西風がにわかに強く吹き、まるで鶯が鳴いたように聞こえる。暖かい陽光の下、天気は温暖になり、またコオロギの鳴き声が聞こえる。遥か東南を望めば、何ヶ所か山に依って高殿が建ち、近く西北を観れば、三間の水辺の小さな家が建っている。簫やチャルメラの音が響き渡り、この上なく趣がある。華麗な衣裳を着た人々が林の中を行き交い、趣を倍増させる。
 
鳳姐は庭園の中の風景を眺めながら、一歩一歩進み、この風景をちょうど愉しんでいる時、突然築山の石の後ろからひとりの男が進み出て、前から鳳姐に向かって言った。「姉さん、ごきげんよう。」鳳姐はびっくりして、身体を後ろに退かせ、言った。「これは瑞旦那様ではないですか。」賈瑞は言った。「姉さん、わたしまでお忘れですか。」鳳姐は言った。「忘れたんじゃないわ。突然現れたから、まさか旦那様がここにおられるとは思わなかったのですよ。」賈瑞は言った。「幸い、わたしと姉さんには縁があるのですよ。わたしは今しがたこっそり席をはずし、この静かな場所で、ちょっと気晴らしをしようと思ったら、思いがけず姉さんをお見受けしたんです。これは縁があるんじゃないですかね。」一方でそう言いながら、一方で眼は休まず鳳姐を見つめていた。
 
 
 鳳姐は聡明な人で、この光景を見れば、十中八九相手の魂胆を悟らぬことがあろうか。それで賈瑞に向かってわざと笑みを浮かべて言った。「道理でお兄様はいつもわたしに挨拶されるのね。今日お目にかかり、あなたの言われることを聞いて、あなたが聡明でやさしい人だと分かりました。今はわたし奥様方のところに行かなければならず、あなたとお話しすることができません。落ち着いたらまたお会いしましょう。」賈瑞は言った。「わたしが姉さんの家にご挨拶に行ったら、ひょっとすると姉さんは年若いから、軽々しく人に会ってはくださらないのじゃないですか。」鳳姐はまた作り笑いをして言った。「わたしたちは同じ家族ですから、歳が若いのなんのは関係ありませんわ。」賈瑞はこのことばを聞いて、心の中で密かに喜び、それでこう思った。「今日こんな奇遇なことがあるなんて、思いもしなかった。」そして益々思いが募った。鳳姐は言った。「あなた、早く席に戻られて。あの方たちに捕まったら、罰として酒を飲ませられますよ。」賈瑞はそれを聞くと、身体の半分がもう麻痺したようになり、ゆっくりと歩きながら、一方で振り返って鳳姐を見た。鳳姐はわざと歩みを遅くし、賈瑞が遠く離れたのを見て、心の中で密かに思った。「これこそ「人の見かけを知るのは易しいが、内心を理解するのは難しい」(知人知面不知心)よ。どこにこんな人でなしがいるものですか。あいつがまたこんなことをしたら、いつかあいつをわたしの手の中で殺してやれば、あいつもわたしのやり口が理解できるわ。」
 
 そして鳳姐はようやく歩を進めてやって来た。一層目の山の斜面を曲がったところで、二三の年配の召使たちがあたふたとやって来るのが見え、鳳姐を見ると、笑って言った。「大奥様が若奥様が来られないので、とてもそわそわされ、手前どもにまた、若奥様に来ていただくよう遣わされました。」鳳姐は言った。「おまえんとこの大奥様は本当に「せっかち」じゃな。」鳳姐はゆっくりと歩きながら尋ねた。「芝居は何幕やられたの。」かの召使は答えて言った。「八九幕やりました。」話している間に、もう天香楼の裏門に着き、宝玉と多くの小間使いや小者たちがそこで遊んでいるのが見えたので、鳳姐が言った。「宝ちゃん、あまりやんちゃをしちゃだめよ。」ひとりの小間使いが言った。「奥様方は二階にお座りになっています。若奥様、こちらからお上がりください。」
 
 鳳姐はそう聞くと、ゆっくりとした足どりで、スカートのすそを持ち上げ二階に上がった。尤氏は既に階段の上り口で待っていた。尤氏は笑って言った。「あんたたち女ふたりは本当に仲良しね。顔を合わせたら、ずっと離れられないんだから。あんた明日引っ越して来て、あの娘と一緒にお住まいなさいよ。――お座りなさい、わたしが最初にあなたに一献お酒を差し上げますわ。」そして鳳姐は邢夫人、王夫人の前に行って座った。尤氏は芝居のプログラムを持って来て鳳姐にリクエストさせると、鳳姐は言った。「奥様方がここにおられるのに、わたしがどうしてリクエストなんてできるでしょう。」邢夫人、王夫人が言った。「わたしたちや親戚の奥様がもう何幕も選んだのよ。あなたが何幕かいい芝居を選んでわたしたちに聞かせて。」鳳姐は立ち上がって「はい」と答え、芝居のプログラムを受け取ると、最初から見て、「還魂」と「弾詞」をリクエストすると、プログラムを返して、言った。「今歌っている「双官誥」が終わったら、この二幕を歌ってもらえば、もういい時間になるわ。」
 
 王夫人が言った。「確かにそうね。早めにお兄様や奥様に休んでいただかないと。皆さん、気持ちも慌ただしくされているから。」尤氏が言った。「奥様方はめったにお越しになれないんですから、お嬢様方もう少しゆっくりして行かれたら、面白みも出て来ましょう。まだ時間も早いですし。」鳳姐は立ち上がって階下を見ると、言った。「旦那様方はどちらへ行かれたの。」傍らでひとりの年配の召使が言った。「旦那様方は今しがた凝曦軒に行かれ、十番(鑼鼓の楽隊)を連れてそこでお酒をお召し上がりです。」鳳姐は言った。「ここでは都合が悪いから、陰で何をしてるか分かったもんじゃないわ。」尤氏が笑って言った。「あんたみたいにまじめな人ばかりじゃないわよ。」
 
 そしてわいわいがやがや、選んだ芝居が皆終わると、ようやく酒の席が片付けられ、食事が並べられた。食事が終わると、皆庭園から出て、母屋に来て座ると、お茶を飲み、ようやく準備した車を呼ぶと、尤氏の母親に暇を告げた。尤氏は一家の女たちや家人たちを連れてお見送りに出、賈珍は子弟たちを連れて車の脇にかしずき、お客様をお待ちした。邢、王の両夫人を見ると、言った。「おふたりの叔母様方、明日また遊びに来てください。」王夫人は言った。「もういいわ、わたしたち今日は丸一日ずっと座って、疲れたわ。明日は休息しないと。」そして皆車に乗り込んだ。賈瑞はなおずっと鳳姐の方を見つめていた。賈珍が家に戻って後、李貴はようやく馬を牽いて来て、宝玉が馬に跨り、王夫人に随い出発した。
 
 ここで賈珍は一家の子弟たちと一緒に食事をし、それから皆解散した。翌日、相変わらず一族の人々は一日がやがやと働いたが、細かく言うまでもない。この後、鳳姐は時々自ら秦氏に会いに来た。秦氏も何日かは具合が良かったが、何日かは具合が悪かった。賈珍、尤氏、賈蓉は甚だいらいらした。
 
 さて、賈瑞は栄国府に何度か訪ねて来たが、毎回その度にあいにく鳳姐は寧国府の方へ行っていた。この年はちょうど十一月三十日が冬至であった。節気の当日、賈のお婆様、王夫人、鳳姐は日々人を遣って秦氏を見舞わせた。帰って来た者は皆、「この数日、新たな症状が出た様子も見えませんが、良くなった様でもないです。」と言った。王夫人は 賈のお婆様に言った。「この病気は、このような節気になって、新たな症状が出ていないようなら希望が持てますよ。」賈のお婆様は言った。「ほんにそうじゃな。愛しい娘、もし万一のことがあったら、死ぬほどの痛みを感じぬわけにはいかぬ。」そう言いながら、ひとしきり心の中で悲しみに打ちひしがれていたが、鳳姐に言った。「おまえたちふたりはずっと仲が良かったから、明日は農暦十二月一日なので、明日が過ぎたら、あんたまたあの娘のお見舞いに行っておいで。詳しくあの娘の様子を見舞ってやって、もしひょっとして多少良くなっているようなら、あんた帰って来たらわたしに言ってくれるかい。あの娘がふだん好きな食べ物を、あんたいつも人を遣ってあの娘に届けておくれ。」
 
 鳳姐は一々承った。十二月二日になり、朝食を食べると、寧国府に来て、秦氏の様子を見た。新たな病気の症状は出ていなかったが、顔も身体も肉が落ちて痩せさらばえていた。そして秦氏と半日一緒に座り、よもやま話をし、また病気に差し支えの無い話で彼女を諭してやった。秦氏は言った。「良くなるかどうかは、春になれば分かるわ。今は冬至を過ぎたところで、まだどうということも無い。ひょっとすると良くなるかもしれないけど、まだ分からないわ。叔母さん、お婆様にお伝えして。ご安心くださいって。昨日お婆様に頂いた、棗(なつめ)餡のお饅頭(山薬糕)、わたし二切れ食べましたが、どうやらちゃんと消化できたようですわ。」鳳姐は言った。「明日またあなたにお届けするわ。わたし、あなたのお母様にご挨拶したら、急いで戻ってお婆様にお返事しに行くわ。」秦氏は言った。「叔母様、お婆様と奥様によろしくお伝えください。」
 
 鳳姐は「はい」と答えると部屋を出た。 それから尤氏の家の母屋に行って座った。尤氏は言った。「あなた、冷静に見て、うちの嫁の具合をどう思う。」鳳姐はしばらく俯(うつむ)いていたが、言った。「これはどうしようも無いですね。あなたも、もしもの際の後のことを準備されておかないといけないですわ。――厄払いをするのもいいですね。」尤氏は言った。「わたしもこっそり人に言いつけて準備しているんですよ。だけどあれ(棺桶)は良い木材を使ってはいけないので、まあゆっくりと手配してるの。」そして鳳姐はお茶を飲み、ひとしきり話をすると、言った。「わたし、早く帰ってお婆様にご報告しないと。」尤氏は言った。「よくご説明してね。ご老人をびっくりさせないように。」鳳姐は言った。「分かっていますわ。」
 
 そして鳳姐は立ち上がると、家に戻り、 賈のお婆様に会い、言った。「蓉お兄様の奥様が、お婆様によろしくと申され、お婆様に磕頭 kē tóu(ひざまずき両手をついて地面に額をつける礼)のお辞儀をして、ご挨拶されていました。どうかお婆様ご安心ください。あの方は幾分快方に向かわれており、またお婆様に磕頭の礼でご挨拶されていました。」賈のお婆様は言った。「おまえが見て、どんなご様子だね。」鳳姐は言った。「当面は問題無いです。お気持ちもまだしっかりしておられます。」賈のお婆様はそう聞いて、しばらく低い声でぶつぶつ言っていたが、それから鳳姐に言った。「服を着替えてゆっくりお休み。」
 
 鳳姐は「はい」と答えてお婆様の家から出て来ると、王夫人に出会った。家の中に入ると、平兒が暖めておいた普段着に、鳳姐に着替えさせた。鳳姐は座ると、尋ねた。「家で何か無かったかい。」平兒はお茶を捧げ持って来て渡すと、すぐに言った。「何もありませんでした。あの三百両の銀子の利銀を、旺兒叔母さんが送って寄越したので、受け取りました。それと、瑞旦那様が人を遣わし、奥様がご在宅かお尋ねでした。こちらにお越しになりご挨拶とお話があるとか。」鳳姐はそれを聞くと、「フン」と一声発し、言った。「この畜生は死にたいみだいだね。どうなるか見ておいで。」平兒は答えて言った。「この瑞旦那様はどうして、そんな後先構わず来られたいので。」鳳姐はそれで九月に寧国府の庭園で賈瑞に出会った時の光景や、彼の話しぶりを、皆平兒に話して聞かせた。平兒は言った。「ガマが白鳥の肉を食べたがる(癩蛤蟆想吃天鵝肉)――身の程知らずですわね。この人は道徳心というものが無いのでしょうか。こんな邪念をお持ちじゃ、往生はできないですわ。」鳳姐は言った。「あいつが来たら、わたしにも考えがあるわ。」さて賈瑞が来ると、どのような光景が待っているのか、それは次回に解説します。
 
 
 次回第十二回で、賈瑞にちょっかいを出された鳳姐が、どんな仕打ちをするか、そして賈瑞がどうなるかの因果応報が見どころとなります。次回をお楽しみに。
 

 金栄が秦鐘をいじめたことに端を発した賈家の家塾での乱闘騒ぎで、金栄は皆の前で謝らされ、面目を失したのですが、自分ひとりが責任を取らされたことを不満に思い、金栄は帰宅後、母親に不満をぶつけます。金栄の叔母の賈璜の妻が寧国府の賈珍の妻の 尤氏に不満を訴えようとするが……。第十回の始まりです。
 
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金寡婦は利を貪り権を利し辱めを受く
張太医は病を論じ細かく源を窮(きわめ)る
 
 さて金栄は、多数の人々からの勢いに押され、また賈瑞により非を償うよう命じられ、秦鐘に「磕頭」kē tóu(額を地面につけて相手にぬかずく)して謝り、宝玉はそれでようやく騒ぎ立てることをしなくなった。学校が引けて、金栄は自分の家に帰ったが、考えれば考えるほど腹が立ち、言った。「秦鐘は賈蓉の義弟に過ぎず、また賈家の子弟ではないのに、他家の家塾に入って勉強するのは、おれと同じ立場に過ぎないのに、あいつは宝玉に頼り宝玉と仲が良く、おれのことなど眼中にない。それなら、肝心なことに注力すべきで、些細なことに関わっちゃだめだ。秦鐘はふだん宝玉と陰でこそこそやっていて、他人はめくらで見えていないと思っている。今日あいつはまた誰かさんと密かに通じているところを、折悪しくおれの眼に飛び込んできたから、騒ぎを起こしたので、おれがまた何を恐れないといけないんだ。」
 
 金栄の母親の胡氏は、息子がぶつぶつ独り言を言うのを聞いて、言った。「おまえはまたどんなろくでもないことに首を突っ込んだの。わたしがあんたの叔母さんにいろいろお願いして、あんたの叔母さんも百方手を尽くして西府(栄国府)へ行って賈璉様の若奥様(王熙鳳)の前でお願いし、それでようやくおまえは家塾に入れていただくことができたんだ。人様に頼らなければ、我が家に先生に来ていただく力があるかい。まして人様の家塾の中では、食事も準備いただける。おまえがこの二年あちらで勉強させてもらったおかげで、うちも随分生活費が節約できたんだ。節約した金で、おまえはまた恥ずかしくない衣裳を身に着けているんだ。それに、おまえがあそこで勉強していなかったら、薛旦那と知り合えたかい。あの薛旦那は一年にわたしたちに七八十両の銀子をご支援くださっているのよ。おまえが今この学校を飛び出したら、またこのような場所を捜そうと思っても、言っとくけど、天に登るよりまだ難しいのよ。おまえ、頼むからおとなしく分を守って、よくお休み。もう面倒を起こすんじゃないよ。」そして金栄は怒りをこらえてじっと我慢し、しばらくして、部屋に戻って休んだ。翌日、いつも通り学校へ行ったが、そのことは言うまでもない。
 
 さて金栄の叔母は元々賈家で名前に「玉」の字を付けた世代(宝玉と同世代)の嫡流で、名を賈璜という者に嫁いだのだが、彼ら家族の者の誰が、寧、栄両府の人々の権勢に及ぶことができただろうか。このことは細かく言うまでもない。この賈璜夫婦は、ごく小さな家産を守り、またいつも、寧、栄両府に来てはご機嫌を伺い、また鳳姐や尤氏におべっかを使っていたので、鳳姐、尤氏もいつも賈璜に経済的な援助をし、それでようやくこのように日々生活を送ることができていた。この日はちょうど天気のよい日に当たり、また家でも特に用事がなかったので、遂に年配の召使を連れて車に乗り、家に嫁や甥の顔を見にやって来た。
 
 さて、金栄の母親は昨日賈家の学堂で起こった事件をことさらに持ち出し、最初から終わりまで、細大漏らさず、小姑(こじゅうと)に話した。この璜の奥様は聞かなければそれで済んだものを、話を聞いて、カンカンに怒り、言った。「この秦鐘という小童(こわっぱ)が賈一族の親戚なら、どうして栄ちゃんが賈一族の親戚じゃあないの。そんな差別をしちゃだめだわ。ましてやどちらもやらかしたことは何ら面目が立たないことでしょ。たとえ宝玉様でも、こんなに秦鐘に肩入れしちゃだめだわ。わたしが東府(寧国府)へ行って、うちの珍の大奥様(尤氏)にお目にかかって、それから秦鐘のお姉さま(秦可卿)ともお話しして、どちらが正しいか決めてもらうから、待っててちょうだい。」金栄の母親はそう聞いて、慌ててこれはえらいことになったと思い、急いで言った。「これは皆わたしの口が軽いからで、叔母様に申し上げますが、どうか叔母様、決して他言はしないでください。あの子たちの誰が正しくて誰が間違っていても、もしまた騒ぎになったら、どうしてあそこで勉強が続けられるでしょう。もしあそこにおれなかったら、我が家では先生をお呼びすることができないだけでなく、あの子のために多くの出費をしなければならなくなります。」璜の奥様は言った。「どちらでどういう者たちを管理するというの。わたしが言えばどうなるか、見ていてちょうだい。」そして兄嫁の忠告も聞かず、一方で年老いた召使に言って車を手配させ、それに乗って寧国府へ向かった。
 
 寧国府に着くと、東角門を入り、そこで車を降り、屋敷に入って 尤氏にお目にかかったが、どうしてまだかんかんに怒ったそぶりなどしようか。慇懃に時候のご挨拶をし、いくつか無駄話をしていたが、それからようやく尋ねて言った。「今日はどうして蓉様の若奥様(秦可卿)がいらっしゃらないのですか。」尤氏は言った。「あの娘はここのところどうしたことか、月経が二ヶ月余り無いのです。先生をお呼びして診てもらいましたが、妊娠でもないと言われました。ここ二日は、午後になると身体がだるくて動けなくなるのです。話をしても注意力が散漫で、ぼんやりしています。わたしはあの娘に、こう言っているの。「礼儀にこだわらなくていい、朝夕いつも通り出て来なくていいから、養生なさい。親戚が尋ねて来ても、わたしもいますよ。目上の方がいぶかったら、わたしがあなたに代わって説明しておきます。」とね。蓉兄さんにも言い聞かせて、わたし、こう言ったの。「あの娘を煩わせたり疲れさせてはだめよ。あの娘を怒らせてはだめよ。数日の間、静かに養生させれば、良くなるわ。あの娘が何か食べたいと言ったら、構わないからうちに取りに来なさい。あの娘にもしものことがあったら、あなたが再びこんなお嫁さんをもらおうと思っても、こんな器量で、こんな性格の人なんて、おそらく「灯りで照らしてもどこにも見つからない」だわ。あの娘の人柄や行いを見て、親戚や目上の方々の中で、あの娘が嫌いだという方がいらっしゃるかしら。だからわたし、この二日というもの気持ちがとてもいらついているの。――あいにく朝起きるとあの娘の弟があの娘に会いに来たんだけど、あろうことかそのチビさんはものの分別がまだ分かってなくて、お姉さんの身体の具合が良くないのが分かりながら、ああした事は姉さんに話すべきじゃないのに、たとえどんなに不満があってもお姉さんに言うべきじゃなかったのに。――あろうことか昨日学校で喧嘩があって、どちらのお家から入った学生にか知らないけれど、いじめられて、その中には多少汚らしい話もあったのだけれど、みんなお姉さんに話してしまったの。あんた、あんたは分かるよね。あの嫁は人に会う時は朗らかに話をしているけど、実は注意深くて、どんな話だって、聞いたら何日か繰り返し考えて、それから結論を出すのさ。この病気はつまり、「心を使い過ぎて」患ったものだわ。今日は弟が人にいじめられたと聞いて、悩んだし、腹が立ったのさ。悩みは、そのまじめに勉強しない友達が、いらぬ議論をふっかけ、双方をけしかけて仲違いをさせたことで、腹が立つのは、弟が不真面目で、身を入れて勉強しないものだから、その結果、学校で騒ぎを引き起こしたことなの。あの娘はこの事件のせいで、朝飯も喉を通らなかった。わたしはそれであの娘のところへ行ってしばらくなだめて、またあの娘の弟にも二言三言言い聞かせてから、弟にはあちらのお屋敷に行って、宝玉を訪ねておいでと言った。わたしはまたあの娘を見舞って、お碗に半分ツバメの巣のスープを飲ませて来たところだよ。あんたどうだい、わたしいらいらしているように見えるかい。ましてや今は良い医者がいなくて、あの娘の病状を思うと、心が針で刺されたように痛むんだ。あんたがた、どこか良いお医者さんを知らないかい。」
 
 
 金氏(賈璜の嫁)はこの話を聞くと、さきほどまで彼女の兄嫁の家での秦氏( 秦可卿 )に向けての攻撃の理論の勢いも、早くも驚きのあまり、遠くジャワ国に置いてきてしまった(「丢在爪哇国去了」。きれいさっぱり忘れてしまった)。――尤氏が良い医者を捜していると聞いたので、急いで答えた。「わたしたちもどこかに良い医者がおられるか聞いたことがないです。今大奥様からこの病のことを伺いましたが、ひょっとすると、やはりおめでたかもしれません。若奥様には他の者が勝手に治療されませんように。もし処置を間違えると、取返しがつきませんから。」尤氏は言った。「ほんにそうじゃな。」
 
 話をしていると、賈珍が外から入って来た。金氏を見て、尤氏に尋ねて言った。「この方は賈璜の奥さんかい。」金氏は前に進み出て賈珍に挨拶をし、賈珍は尤氏に言った。「おまえ、奥さんに食事をして行ってもらいなさい。」賈珍はそう言うと、あちらの部屋に行ってしまった。金氏はこうして、元々秦氏に、秦鐘が自分の甥にいじめられたことを話そうと思っていたのだが、秦氏が病気だと聞き、その話を持ち出すことさえようしなかった。しかも賈珍や尤氏のもてなしがたいへん良かったので、怒りが喜びに変わり、その後またしばらくよもやま話をして、それからようやく家に帰った。
 
 金氏が帰ってから、賈珍がちょうどやって来て座ると、尤氏に尋ねて言った。「今日はあの人、何の話で来たの。」尤氏は答えて言った。「別に何も言われなかったわ。部屋に入られた時には、顔に少しお悩みの色が出ていたけど、しばらく話してから、嫁の病気のことを言ったら、あの人もだんだん顔色が穏やかになられたわ。あなたがまたあの人に食事をしていくよう言われて、あの人が嫁のこんな病気を聞いたものだから、ただ座っているだけでは申し訳ないと思ったのか、いくつかよもやま話をして帰られたけど、別に何も要求はされなかったわ。――それにしても、嫁のこの病気は、あなたの方で良い医者を捜して、早く診てもらわないといけないわ。手遅れにならないうちに。今うちの家にはたくさんのお医者様たちが通って来られるけど、どちらのお医者様が良いのかしら。お医者様ひとりひとりの評判を聞いて、人がどう言っているか、医者自身がそれについてどう言っているかも聞いて、とても周到にお医者様を選んでいるのよ。三四人の医者が、毎日次々やって来られ、各々四五回も脈を診られるの。それらのお医者様が一緒になって治療のやり方を考えていただいているのだけれど、そうして処方されたお薬を飲んでも効果が無いの。なんと一日に何度も衣裳を着替えて、それから座って先生に診てもらっているんだけれど、実際、これでは病人にとっても良くないわ。」
 
 賈珍は言った。「しかしこの娘もばかだな。どうしてそう度々着替えるんだ。もしそれで風邪をひいてしまい、またひとつ病気を重ねることになったら、一体どうするんだ。たとえどんなに良い衣裳でも、何の値打ちがあるものか。この娘の身体こそ一番大切だ。たとえ毎日新しい衣裳を一式身につけても、何の値打ちも無い。わたしはちょうどおまえに言っとくことがある。さっき馮紫英がわたしに会いに来たのだが、彼はわたしが心に少しいらだちがあるのを見て、どうしたのか尋ねたので、わたしは彼に、嫁の身体があまりよくない。良い医者が見つからず、おめでたか病気かはっきり分からないし、この情況がこの娘の身体によくない影響があるかどうかも分からないので、気持ちがとても焦っているんだと言った。馮紫英はすると、彼には幼い時から学問に師事している先生がいて、姓を張、名を友士といい、学問はとても博識があり、更に医学の理論にもたいへん精通し、且つ人の生死を判断することができる。今年は上京されて、彼の息子に官位を買ってやるため、現在は彼の家に泊まられているそうなんだ。こうして見ると、或いは嫁の病気はこの先生の手でひょっとすると取り除けるかもしれない。わたしはもう人にわたしの名刺(名帖)を持って行かせ、診察に来ていただくようお願いした。今日はもう遅いから、たぶん来られないが、明日はきっと来られると思う。――しかも馮紫英からも、帰宅したら自らわたしに代わって先生にお願いしてくれるから、必ず先生が来て診てくださるさ。張先生が来られて診ていただいてから、どうするか考えよう。」
 
 尤氏はそう聞いて、たいへん喜び、それで言った。「あさってはお爺様のお誕生日ですが、いったいどうすれば良いですか。」賈珍は言った。「わたしの方からお爺様の方にご挨拶にうかがい、併せてお爺様に一軒一軒の家からお祝いを受けていただくようお願いしたばかりなんだ。お爺様はそれでこうおっしゃった。「わたしは清浄な生活に慣れていて、おまえたちの日々是非を争うような所に行きたくないんじゃ。おまえたちが是非ともわたしの誕生日のお祝いで、皆の「叩頭」kòu tóuの礼(額を地面につけてぬかずく礼。「磕頭」と同じ)を受けろと言うなら、わたしが以前注釈を加えた『陰騭文(いんしつぶん。正式には『文昌帝君陰騭文』といい、道教の典籍。因果応報を主題とする)を、ちゃんと人に頼んで揮毫し、石に刻んでもらう方が、わたしが故なく皆の叩頭の礼を受けるより、百倍も意義がある。もし明日あさっての二日に一家の者が来られるなら、おまえが家でちゃんと皆を丁重にもてなせばよい。別にわたしに何か物を贈る必要はない。おまえもあさっては来なくてよい。おまえがもしそれでは不安に思うなら、今日わたしに「磕頭」して行けばいい。もしあさっておまえがまた多くのの人を連れて来て騒ぎ立てたら、わたしはおまえをただでは済まさないぞ。」このように言われてしまったので、あさってわたしはもうあちらによう行かんのだ。それから頼昇を呼んで、やつに二日の宴席の準備をしておくよう言いつけた。」
 
 尤氏はそれで賈蓉を呼んで来させた。「頼昇に言いつけ、例年通り二日の宴席の準備は、盛大なものにさせました。あなたもご自分で西府(栄国府)に行って、お婆様、大奥様(邢夫人)、若奥様(王夫人)と璉様のところの叔母様(王熙鳳)をお招きして、遊びにいらしていただいて。あなたのお父様が今日、またおひとり良いお医者様のことを聞いてくださり、もう人を遣ってお願いしたので、明日はきっとお越しになると思うわ。あなたはあの娘のここ何日かの病状を詳しく先生に申し上げてちょうだいね。」
 
 賈蓉は一々頷いて出て行った。ちょうど先ほど馮紫英の家に行って、かの先生のお願いに行った小者が帰って来たのだが、その回答に曰く、「それがし、先ほど馮旦那様のお宅にうかがい、旦那様の名刺を持ってかの先生にお越しいただくようお願いにあがったのですが、かの先生がおっしゃるには、「先ほどこちらの旦那様もわたしに言われたのですが、ただ本日は一日お客様を訪問し、たった今帰宅したばかりで、現在は気持ちを保つことができず、お屋敷にうかがっても脈を診ることができず、一晩休息をとる必要があります。明日は必ずお屋敷に参りましょう。」とのことでした。先生はまたおっしゃいました。「わたしは医学の知識が浅はかで、本来はこのような重要なご推薦をお受けする勇気はないのですが、馮旦那様がお屋敷で既にこのようにお話しされたとのことですから、また行かない訳にはいきますまい。あなたは先にわたしに代わって旦那様にそのようにご回答ください。旦那様のお名刺をいただくのは本当に畏れ多いことです。」そう言って、それがしに名刺を持って帰らせたのです。若様、それがしの代わりに一声お声がけください。」賈蓉がまたこちらを向いて入って来て、賈珍と尤氏の要求に回答し、先ほど出かけて来て頼昇を呼び、二日の宴席の準備のことを言いつけた。頼昇は「はい」と答え、自分でいつも通り手配することになったが、このことは特に言うまでもない。
 
 さて翌日のお昼ごろ、門番の者が取り次ぎ、「ご要請されたあの張先生が来られました。」と言ってきた。賈珍はそれで広間に入ってもらい座っていただいたが、お茶が終わると、ようやく口を開いて言った。「昨日は馮旦那様のご教示を受け、老先生の人品や学識を知り、また併せて医学に深く通じておられるとのこと、小生どんなに敬服してもし切れるものではございません。」張先生が言われた。「わたくしなど粗野な下級の人間に過ぎず、知識も浅はかなものです。昨日は馮旦那様のご紹介いただき、旦那様のお屋敷では下級の者でも謙虚に敬われるとか、またお呼びを受けましたので、ご用命に背くわけには参りませんでした。けれどもわたくしは実際の学問や技能が少しも無く、たいへん恥ずかしく、困惑しております。」賈珍は言った。「先生、あまりご謙遜なさらないでください。先生が来ていただき、息子の嫁を診ていただけば、先生のご高明(見識や技能が卓越している)のおかげを以て、わたくしどもの心の中の困惑を消し去ることができましょう。」
 
 そして賈蓉が一緒に中に入り、寝室に着くと、秦氏にお目にかかり、賈蓉に尋ねて言った。「この方が奥様でいらっしゃいますか。」賈蓉は言った。「はい、その通りです。先生、お掛けください。わたしが家内の病状をご説明しますので、それから脈を診ていただいてはどうでしょうか。」かの先生は言った。「小生の考えでは、やはり先に脈を診て、それから病気の原因が何かをご教示いただけますでしょうか。わたしは初めて奥様を診察いたしますので、元々何が起こったのか存じ上げませんが、馮旦那様から必ず小生が来て診察するようおっしゃられましたので、小生はそれゆえ来ざるを得なかったのです。今日は脈拍を拝見し、小生の考えが正しいかどうか見ていただき、それからここ数日の病状をご説明いただき、皆で薬の処方を検討いたします。それが使えるかどうかは、その時点で旦那様がご決裁いただけばよろしいです。」賈蓉は言った。「先生は実に高明(見識や技能が卓越している)であらせられます。ただ残念なのは、お目にかかるのが遅かったことです。どうか先生、脈拍を診ていただき、治るか治せぬか見ていただければ、我が家の父母も安心するでしょう。」そして家中の召使たちが、大きな迎枕(手元に置くクッション)を捧げ持って来て、一方では秦氏にもたれ掛けさせ、一方では袖口を引っ張り、腕を露出させた。この先生はようやく手を伸ばして右手で脈の上を押さえ、自分の呼吸を安定させてから病人の脈拍を測り、神経を集中させて七八分の時間細かく診ていた。次に手を左手に替え、また同様に脈を診た。診終わると、「わたしたち、外で座りましょうか。」と言った。
 
 賈蓉はそれで先生と一緒に外側の部屋のオンドルの上に座った。ひとりの年老いた召使が茶を持って来たので、賈蓉は言った。「先生、お茶をお飲みください。」お茶が終わると、尋ねて言った。「先生、今日脈を診ていただいて、治る見込みはあるでしょうか。」先生は言った。「奥様の脈を拝見しますと、「左寸沈数、左関沈伏。右寸細而無力、右関虚弱而無神」という状態です。 「左寸沈数」は、すなわち「心気虚而生火」、心臓の気が弱り、火気(のぼせや炎症)が旺盛になっています。「左関沈伏」は、すなわち「肝家気滞血虧」、肝臓の機能が失調し、血が不足し気が滞っています。 「右寸細而無力」は、すなわち「肺経気分太虚」、肺の機能が虚弱で、気や血のめぐりが悪くなっています。「右関虚弱而無神」は、すなわち「脾土被肝木克制」、肝臓の機能が盛んで、脾臓の働きを抑圧し、身体の正常な働きに影響しています。「心気虚而生火」であるので、月経が不調で夜眠れないのです。「肝家気滞血虧」であるので、脇の下が腫れて痛みがあり、月経が遅れ、心臓が発熱するのです。「肺経気分太虚」であるので、頭はしばしば眩暈(めまい)に襲われ、深夜、寅の刻(深夜3時から5時)と卯の刻(5時から7時)の間に必ず冷や汗をかき、まるで舟の中にいるように感じます。「脾土被肝木克制」であるので、食欲が無く、倦怠感があり、手足がだるくて力が入りません。わたしが診た脈の通り、こうした症状があるなら、見立てが正しいことになります。もしこのご病気はおめでたによるものとお考えでしたら、小生は敢えて診察のご用命をお受けするものではございません。」
 
 
 傍らでひとりの身辺に付き添いお世話している年寄りの召使が言った。「どうしてこのようでないことなどございましょう。まことにこの先生が言われるのは神様のようであること、わたしたちが言うまでもございません。今わたくしどものお屋敷では既に何人ものお医者様が診察にみえておりますが、どの方もこのようにはっきりと見立てることができませんでした。ある方はおめでたと言い、ある方は病気だとおっしゃいました。この方はたいした病気ではないと言われたと思えば、この方はひょっとすると冬至前後に病状が悪化するかもしれないと言われました。総じておひとりとして真に明確な見立てをされた方はおられませんでした。どうか旦那様、明らかにご指示くださいませ。」
 
 かの先生は言った。「奥様のこの症状は、しかし皆さまの対応が遅れたからです。もし最初の生理の時に薬で治療を始めていれば、おそらく今頃は完治していたでしょう。今は病気の対応がここまで遅れたため、このような病状になってしまったのです。わたしが見たところ、病気はなお三分の治癒の可能性があります。わたしの薬を飲んで様子を見て、もし夜間よく眠れるようなら、その時はまた二分の見込みが追加されましょう。わたしが脈拍を診たところでは、奥様は性格が頑強で、とても聡明な方です。けれども聡明過ぎると、思い通りにならぬことが常々起こるでしょう。思い通りにならぬことがいつも起こるのなら、思慮が甚だしくなります。この病気は憂慮が脾臓を傷つけ、肝臓機能が失調し、月経の出血が時間通り来なくなったのです。奥様に以前、月経の日を尋ねたら、決して短くはならず、いつも遅れていた。そうでしょう。」かの年老いた召使が言った。「その通りです。短くなったことはなく、或いは二三日延び、十日というのもありましたが、何れも遅れていました。」
 
 先生はそれを聞いて言った。「そうでしょう、これが病気の原因です。これまでもし気持ちを調節し情緒を和らげる薬を飲んでいれば、今このようになることはなかったでしょう。今は明らかに「水虧火旺」(腎臓の水が不足し、肝気が強すぎる)の症状が出ているのです。――わたしが処方する薬を飲んで様子を見てください。」そして薬の処方を書き、賈蓉に手渡したが、それには次のように書かれていた。
 
益気養栄補脾和肝湯
(気を補い血を養い脾臓を補い肝を和らげるスープ)
 
   人参 二銭、白術 二銭・土炒、熟地 四銭、帰身 二銭、
   白芍 二銭、川芎 一銭五分、黄芪 三銭、香附米 二銭、醋柴胡 八分
   懐山薬 二銭・炒、真阿膠 二銭・蛤粉炒、延胡索 銭半・酒炒、炙甘草 八分
   引用建蓮子七粒去心、大棗二枚
   (補助薬として、蓮の実7粒の芯を抜いたもの、棗(なつめ)2個)
 
 賈蓉はそれを見て言った。「実に高明(見識や技能が卓越している)だ。もうひとつ、先生お教えください。この病気は最終的に命にかかわることはないのですか。」先生は笑って言った。「旦那様は最も高明な方ですから、人の病気がここまで進んでしまったからには、一朝一夕で治る症状でないことはお分かりでしょう。この薬を飲み、効果があるかどうか見てください。小生の見立てでは、今年の冬はまだ大丈夫です。ともかく春分を越すことができれば、全快の望みもあるでしょう。」賈蓉も聡明な人なので、それ以上細かいことは聞かなかった。
 
 そして賈蓉は先生を送って行き、それからこの薬の処方と診察結果を賈珍に見せ、張先生の話も賈珍と尤氏に伝えた。尤氏は賈珍に言った。「これまで診ていただいた先生は、張先生のようにはっきり物をおっしゃらなかったわ。そうしてみると、きっとお薬は悪くないんじゃないかしら。」賈珍は笑って言った。「あの方は元々、ああしたなんとかその日暮らしをするのに慣れた開業医ではないんだ。馮紫英とわたしたちは良い関係だから、彼はなんとかして張先生に来ていただいたんだ。この方がおられるからには、嫁の病気はひょっとすると良くなるかもしれない。先生のあの処方の中に人参があったが、おとつい買ったあの一斤の人参を使えばいいだろう。」賈蓉はこの話を聞き終わると、出て来て人を呼んで薬を調合させ、煎じて秦氏に飲ませた。さて秦氏がこの薬を服用してから、病気の症状はどうなったでありましょうか。次回にて解説いたします。
 
 
  秦可卿の病気が今後どうなるのか、またお爺様の賈敬の誕生日がどのように盛大に行われるのか、次回第十一回をお楽しみに。

 この回では、いよいよ賈宝玉と秦鐘が一緒に賈家の家塾に通い始め、そこでの騒動が描かれます。『紅楼夢』第九回の始まりです。
 
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劣子を訓(さと)すに李貴は申飭(しんちょく)を承(うけたまわ)り、
頑童の茗煙が書房を鬧(さわ)がすを嗔(いか)る
 
申飭shēn chì(しんちょく。叱責する)
chēn(いか)る
 
 さて秦邦業父子は専ら賈家の方から入学許可の手紙が来るのを待っていた。元々宝玉は急いで秦鐘と会う必要があると思い、遂に明後日に必ず学校に行くと決め、人を遣って手紙を届けさせた。その日になって、宝玉が起きると、襲人がとっくに本や筆の文具をちゃんと準備し、ベッドの縁に腰かけ、気がふさいだ様子であった。宝玉が起きて来たのを見ても、彼が髪を梳いて顔を洗う世話をするだけだった。宝玉は襲人がうつうつと楽しまぬ様子なのを見て、尋ねた。「姉さん、どうして不機嫌な顔をしているの。ひょっとして僕が学校へ行くと、ほったらかしにされて寂しいと思っているの。」襲人は笑って言った。「何を言われるんですか。勉強はたいへん良いことで、ちゃんと勉強しないと一生みじめな思いをして、最後はどうなることか。でもひとつだけ、勉強の時は学問のことだけ考え、それ以外の時間は家のことを考えてください。必ずご学友たちと遊び騒いではだめですよ、旦那様に出会ったら冗談では済まなくなります。発奮する意志は強くないといけないですが、授業は多少少な目にしても、一にあまり欲張って消化不良に終わってはいけませんし、二に健康に留意しないといけません。これはわたしの意見ですが、ともかくご理解くださいね。」襲人が一言言うと、宝玉が一言応えた。襲人がまた言った。「毛の長い毛皮の服も荷物に入れましたから、小者に渡して持って行かせます。学校内は寒いですが、家のように誰かがお世話するわけにいかないので、とにかく重ね着するように心がけてください。脚炉(こたつ)や手炉(手あぶり)も持って行って、それらで身体を暖めるようにしてください。あいつら小者たちは怠け者だから、あなたがおっしゃらないと、あいつらは喜んで怠けて何もしないから、その結果あなたが凍えてしまうことになりますよ。」宝玉は言った。「安心して。僕は自分で仲裁できるから。おまえたちもこの部屋の中でじっとしていたら、気が滅入ってしまうよ。いつも林ちゃんのところに遊びに行くといいよ。」そう言いながら、既に衣服も頭の被り物もちゃんと身に着けたので、襲人は宝玉を賈のお婆様、賈政、王夫人のところへご挨拶に行くよう促した。宝玉はまた晴雯、麝月に二言三言言いつけ、それからようやく賈のお婆様にご挨拶に出かけた。賈のお婆様もいくつか言いつけざるを得なかった。その後王夫人に挨拶に行き、また書斎に行って 賈政にご挨拶した。
 
 この日賈政はちょうど書斎で食客の旦那方と無駄話をしていたが、ふと宝玉が入って来て挨拶をし、学校へ行くと言ったので、賈政は冷ややかに笑って言った。「おまえがまた「上学」(学校に行く)の二文字を口にするなんて、わたしまで恥ずかしくてたまらないよ。わたしに言わせると、おまえが遊びに行くと言うんだったらまだまともだ。わたしのこの土地を汚すことのないよう気をつけ、わたしたち一族に頼らないようにしてくれ。」周りの食客たちも立ち上がって笑って言った。「旦那様、そこまで言われなくても。今日若様が出立されて、二三年すれば悟りを開かれ名を成され、断じて以前のように子供じみた状態のままでおられることはないでしょう。時刻も昼の飯時ですから、若様も早くお暇(いとま)なさいませ。」そう言うと、ふたりの年配の食客が宝玉の手を携えて出て行かせようとした。
 
 賈政はそれで尋ねた。「宝玉と一緒に行くのは誰だ。」すると外で応える声がし、すぐに三四人の逞しい男が入って来て、「打千」の礼( 右手を下に垂れ、左足をかがめ、右足を少し曲げる礼)をし挨拶をした。賈政がそれを見ると、宝玉の乳母の息子で、名は李貴という者であった。それで彼に向かって言った。「おまえたちは一日中宝玉と共に授業を受けているが、やつはいったいどんな書物を勉強しているんだ。どうせつまらない噂や根も葉もないことを腹の中に詰め込んで、手の込んだいたずらを学んでいるんだろう。わたしの時間が空いたら、先ずおまえの面の皮を剥がして、それからあの進歩の無い馬鹿の始末をしてくれるわい。」怒られた李貴は急いで両ひざをついて跪き、帽子を取って頭を地面に付けてお辞儀し、何度も続けて「はい」と回答し、また言った。「お兄様はもう三冊目の『詩経』の「呦呦鹿鳴、荷葉浮蘋hé yè fú píng」(正しくは「呦呦鹿鳴、食野之蘋shí yě zhī píng」(呦呦と鹿鳴き 野の蓬を食む)であるべきところ、後半を言い間違え、「荷葉浮蘋」(蓮の葉や浮草)と言っている)のところまで学ばれています。嘘ではございません。」そう言うと、周りから一斉にどっと笑い声が起こり、賈政もこらえきれず笑った。それで言った。「たとえもう三十遍『詩経』を読んだところで、耳を覆って鈴を盗む(掩耳盗鈴)で、自分を欺いているだけだ。おまえ、学校の爺さんにご挨拶したら、わたしが言うことを伝えてくれ。『詩経』だとかの古文は、すべて申し訳程度にあしらい、ただ先ず『四書』を全部良く説明してよく覚えること、これが最も大切だと。」李貴は急いで「はい」と回答し、賈政がもう言うことが無いと知ると、ようやく立ち上がって退出した。
 
 この時宝玉はひとり中庭の外に立ち、息を潜めて静かに待っていたが、彼らが出て来るのを待って一緒に移動した。李貴らは衣服をはたきながら、言った。「兄貴、聞こえてましたか。先ずわたしたちの面の皮を引っぺがすんですと。おれたちときたら無駄に殴られたり怒られたりして。これからはもう少し同情して見ていただきたいね。」宝玉は笑って言った。「兄さん、そんな残念がらないで。明日あんたに奢るから。」李貴は言った。「若様、誰が敢えて「奢って」ほしがるものですか。ただ少しわたしの言うことを聞いてくださればいいですよ。」
 
 そう言って賈のお婆様のところに行くと、秦鐘はとっくに来ており、賈のお婆様がちょうど彼と話をしていた。そしてふたりは落ち合い、賈のお婆様の元を辞した。宝玉はふとまだ黛玉に別れの挨拶をしていないことを思い出し、また急いで黛玉の部屋に行って挨拶をした。この時黛玉は窓の下で鏡を見て化粧をしていて、宝玉が学校に行くと言うのを聞き、それで笑って言った。「いいわね。今回行けば、「蟾宮折桂」chán gōng zhé guì(積年の宿願が適う)よね。あなたをお見送りできないのが残念だわ。」宝玉は言った。「いい子だから、僕が今度学校から帰ったら、また晩御飯を食べよう。あの口紅も僕が帰った時にまた作ろう。」しばらくあれこれ話をしてから、ようやくそこを離れた。黛玉は急いでまた呼び止めて尋ねた。「あなたはどうして宝姉さんにお別れを言って行かないの。」宝玉は笑って答えず、まっすぐ秦鐘と学校に向かった。
 
 実はこの義学(家塾)も家から遠くなく、元々当時始祖が建立し、一族の子弟で学力はあっても先生を招聘できない者が出ることを恐れ、ここに入れば勉強できるようにした。凡そ一族で官吏に就いている者は、皆金銭的な支援があり、求学費用とすることができた。年配で徳の高い人を推薦して塾の教師とした。今秦鐘と宝玉のふたりはここへ来て、一々互いに挨拶に行き、勉強を始めた。これより、ふたりは一緒に学校へ往き来し、一緒に机を並べ、ふたりは益々親密になった。併せて賈のお婆様の愛情は、常に秦鐘にも注がれ、住んでしばらくすると、自分のひ孫と同様に見做すようになった。秦鐘の家があまり豊かでないのを見ると、また衣類などの物も支援した。一二ヶ月も経たないうちに、秦鐘は栄国府での生活にも慣れた。宝玉は結局おのれの本分を守れる人ではなく、一途にほしいままにふるまい、このため習性が出て、また秦鐘に向かって声を潜めて言った。「僕たちふたりは、同じような年齢で、まして同じ学校に通う同窓だから、今後は叔父甥の間柄で言う必要はなく、ただ兄弟友人の間柄で言えばいいよ。」最初は秦鐘にそんな勇気がなかったが、宝玉がそれに従わず、ただ秦鐘のことを「弟」と呼び、彼の字の「鯨卿」と呼んだので、秦鐘もそれに迎合して兄弟として呼び合うようになった。
 
 元々この学校の中は皆一族の子弟と若干の親戚の家の息子や甥であったが、俗に言うように「一龍に九種あり、それぞれ別のもの」であり、生徒の数が増えると龍と蛇が混じり、卑しい身分の人物も中に混じるようになった。秦鐘と宝玉が来てから、ふたりとも花のように美しく育ち、また秦鐘は内気でやさしく、言葉を発するより先に顔を赤らめ、気が弱く恥ずかしがり屋で、女の子のような態度であった。宝玉はまた生まれつき自分より身分の低い者に素直に従うことができ、謙虚に節を折り、思いやりの心があり、ことば遣いが穏やかであった。彼らふたりがまたこのように近しく情が厚いので、一緒に勉強する生徒たちから疑いの念が起きるのも道理であった。陰であれこれ言われ、根も葉もない誹謗中傷を受けることが、教室の内外至る所で起こった。
 
 元々薛蟠は王夫人のところで暮らすようになってから、この一族に家塾があり、学校に多くの年若い子弟が通っていることを知り、たまたま「龍陽」の興(戦国時代、龍陽君が男色で魏王の寵愛を得たことから、男色を好むこと)が起き、このため勉強と偽って学校に行くも、しかし勉強は「三日坊主」(三日打魚両日晒網)で、無駄に「束脩」(そくしゅう。一束の干し肉で、教師への謝礼のこと)の贈り物を賈代儒に与えたが、少しも学問の進歩は無く、ただ何人か男色の相手の男子と契りを交わしただけであった。ところがなんとこの学校内の小学生は、薛蟠の銀や銭を得ようと、彼に騙されて手を出されること、いちいち記録するまでもなかった。またふたりの多情の小学生がいて、どの家の親戚かも分からず、未だ本当の氏名も考証されていないが、ただ生まれつき艶めかしくエロティックで、学校中でふたりにあだ名を付け、ひとりは「香怜」、ひとりは「玉愛」と呼ばれていた。他の人は羨ましい気持ちと、子供の心身の健全な成長に良くないとの思いがあったが、ただ薛蟠の権勢を恐れ、敢えて口を出そうとはしなかった。今秦鐘と宝玉のふたりが来て、このふたりを見ると、情がこまやかでお互い慕い合うのを免れなかったが、彼らが薛蟠と関係があるのを知ったので、軽々しく行動する勇気が無かった。 香怜と 玉愛のふたりの心の中では、宝玉と秦鐘の間の感情と同様の気持ちや愛情があった。このため四人の心の中には愛する気持ちがあったが、まだそれを表には出していなかった。毎日授業が始まると、四ヶ所に各々座ったが、それぞれ秋波を送ったり、婉曲に気持ちを伝えたり、桑を詠んで柳を寓したり(咏桑寓柳yǒng sāng yù liǔ。他のことにかこつけて情を伝える)して、互いに離れた場所から心を通じ合わせようとしたが、外面では人の目を避けるようにした。思いがけず、ただ何人かのずる賢い学生がその情況に気づき、背後から目くばせしたり、咳払いしたりしたが、それも一日だけのことではなかった。
 
 ちょうどこの日は代儒が用事があって帰宅し、一句の七言の対聯の宿題を残し、学生たちに解かせた。回答に正解した学生は、明日再び登校し、新しい課文の授業に出ることを許可した。学校の中のことは、いちばん年上の賈瑞に管理を命じた。うまい具合に薛蟠がこの頃はあまり学校に顔を出さなくなっていたので、このため秦鐘はこの機会に 香怜と示し合わせて、ふたりで偽ってトイレに行くと言って、裏庭に行って話をした。秦鐘が先に香怜に尋ねた。「お宅のおとなたちは、君が誰かと親しくするのを気にするの。」一言も言い終わらぬうちに、背後で咳払いをするのが聞こえ、ふたりが驚いて慌てて振り向くと、学友で名を金栄という者だった。香怜は元々せっかちで、恥ずかしがり屋でしかも怒りっぽく、金栄に尋ねて言った。「君、どうして咳なんかするの。僕たちが話をしてはいけないとでも言うの。」金栄は笑って言った。「おまえらが話をするのがよくて、どうしておれが咳をしちゃだめなんだ。おれはただおまえらに聞きたいことがある。話があるのにはっきり言わず、おまえらのように陰でこそこそと何するなんて許されるんか。おれ、捕まえてやってもいいぜ。まだ何か言いがかりをつけるんか。先ずおれにいい目をさせな。そしたらおれたち、一言も言わんから。そうでなきゃ、みんなにぶちまけるぞ。」秦鐘と香怜のふたりは焦って顔を真っ赤にし、そして言った。「君、何を捕まえるの。」金栄は笑って言った。「おれは今おまえらの現場を捕まえたぞ。」そう言いながら手を叩き、笑いながら大声で言った。「いい焼餅ができあがったぞ(「貼焼餅」で男の同性愛の性行為のこと)。みんな、ひとついらんかね。」秦鐘と香怜のふたりは腹を立てつつ大慌てで、急いで教室に入って賈瑞の前で金栄のことを告げ、金栄が故なく彼らふたりをいじめたと言った。
 
 元々この賈瑞は、何かいいことがないと何もしない性癖が強い男で、いつも学校の中で公用にことかけて自分の利益を求め、子弟たちをゆすって彼に奢らせた。後にまた薛蟠を助けて幾ばくかの銀銭や酒肉のおこぼれにあずかろうとし、薛蟠が権勢をたのんで横暴なふるまいをするのを許した。彼は薛蟠の行為を止めないばかりか、却って「紂(殷末の暴君、紂王)を助け虐を為す」(悪人を助け悪事を為す)者に迎合した。あいにく薛蟠の性格は浮草のように漂泊して定まらず、今日東を愛しても明日は西を愛すで、最近新しい恋人ができたので、香怜と 玉愛のふたりは一方に捨て置かれてしまっていた。金栄も曾ては恋人であったが、香怜と 玉愛のふたりができると、金栄を見捨ててしまった。最近は香怜と 玉愛も既に見捨てられた。それゆえ賈瑞もこれまで世話を受け金銭上の援助を受けた人を失ったが、薛蟠が新しい恋人を得て古い恋人を捨てるのは恨まないくせに、ただ香怜と 玉愛のふたりが、薛蟠が不在の傍らで世話を受けるのを恨んだ。このため賈瑞、金栄らこの件の関係者は、秦鐘と香怜のふたりにちょうど嫉妬しているところだった。今秦鐘と香怜のふたりが来て、金栄の告げ口をしたので、賈瑞は心中むしゃくしゃして、敢えて秦鐘をしかりつけるようなことはしなかったが、その代わり香怜を叱責し、彼が余計なことをすると、思い切り二言三言叱りつけた。香怜は逆に怒られたのでおもしろくなく、秦鐘までもばつが悪そうに各々自分の席に戻った。
 
 金栄は益々得意になり、肩を揺すり舌を鳴らし、口の中ではまたいろいろむだ口をたれたのが、あいにく玉愛に聞こえてしまい、ふたりは席を隔ててペチャペチャと口論を起こすことになった。金栄は断じてひとつの見方に固執して言った。「さっき、あいつらふたりが裏庭でキスしたり尻を撫でたりしてるのに出くわしたんだ。ふたりはもう相談がまとまり、お互いに相手のどこがいい、どこが悪いと痴話言(ちわごと)を言っていたんだ。」この時、金栄は口から思う存分あること無いこと言うのに夢中になっていたが、思いがけずこの場にまた別の人物がいて、あろうことか早くもその男の逆鱗に触れることとなった。さてその人物とは誰でありましょうか。
 
 実はこの男は名を賈薔(かしょう)と言い、寧国府の正嫡の玄孫(やしゃご)で、父母は早くに亡くなり、幼い時から賈珍と一緒に暮らし、今は16歳になり、賈蓉よりハンサムであった。彼ら兄弟ふたりはたいへん仲が良く、いつも起居を共にし、寧国府の中では様々なうわさ話が飛び交っていたが、中でも日ごろから不平不満を持つ召使たちが、専ら作り話をこしらえて主人を誹謗中傷するので、このためまたどこの小者が誹謗中傷やうわさ話をするか分かったものではなかった。賈珍はまた風の便りで賈薔に多少よくない評判を聞いており、自分でもそうした嫌疑を避けるべきだと思っていたので、今は遂に住まいを別にし、賈薔に命じて寧国府から出て行かせたので、賈薔は自分で独立した屋敷を構えて生活するようになった。この賈薔は外面が美男子であるだけでなく、心の内も聡明であった。志願して学校に通ったけれども、それはただ真相が他人の目に晒されるのを避けるためであったのに過ぎない。相変わらず闘鶏やドッグレースにうつつを抜かし、草花や樹木の鑑賞に精を出していた。上は賈珍に溺愛され、下は賈蓉が手助けしてくれるので、一族の中の者は皆敢えて彼の逆鱗に触れないようにしていた。彼は賈蓉と最もよく気が合ったが、今秦鐘がいじめられているのを見て、どうしてそのままにしておけようか。今自分が立ち上がって仇を取らないといけないと思い、心の中で段取りをつけた。「金栄、賈瑞らは皆薛叔父さんの知り合いで、わたしも薛叔父さんとは仲が良いが、もしわたしが出張ると、やつらは薛叔父さんに言いつけるだろうから、わたしたちの仲もひびが入らぬわけにはいかない。あまり関りたくないが、こんなうわさが広まると、皆恥ずかしいし面子も無い。今は計略を使ってあいつらを屈服させ、うわさの根を止めて、また面子を傷つけないようにすればいいじゃないか。」そう考えると、小便に行くふりをし、後ろの方に歩いて行くと、こっそり宝玉の学友の茗煙を呼んで自分の身辺に来させた。このようにしてから、賈薔が二言三言けしかけた。
 
 この茗煙は、宝玉にとって一番役に立ち且つ年若く無鉄砲な男で、今賈薔がこう言うのを聞いた。「金栄は薛叔父さんの寵愛をいいことに、このように秦鐘をいじめ、おまえたちの宝玉叔父さんにまで因縁をつけている。あいつに思い知らせてやらないと、次はもっと無礼なことをしでかすだろう。」この茗煙は正当な理由が無くても相手を威圧できる男で、今こうした知らせを聞き、しかも賈薔の助けがあるので、いきなり教室に乗り込んで金栄を捜すと、「金相公(旦那)」とも呼ばず、ただ「そこの金という奴、おまえは何様のつもりだ。」賈薔は遂に靴を蹴ると、わざと衣服を整え、太陽の影を見ながら言った。「ちょうど時間になった。」遂に先に賈瑞に「用事があるから一足先に行こう」と言った。賈瑞は敢えて賈薔を止めず、おとなしく彼に従い出て行った。
 
 ここで茗煙は入って来ると、金栄の首根っこを掴むと、尋ねた。「おれたち尻の穴にあれ突っ込んで、おまえの竿は役に立つんか(いらんことに口を出すな)。どのみちおまえのあれは役に立たんやろ。おまえみたいなチンピラ、よう出て来るなら、この茗煙様と勝負するか。」びっくりした教室中の子弟たちは皆、呆然としてそれを望んだ。賈瑞は慌てて怒鳴った。「茗煙、野蛮なことをしちゃだめだぞ。」金栄は怒りと恥ずかしさで顔から血の気が引き、言った。「やりやがったな。おまえみたいな小者がこんなことをしでかすからには、おれもおまえのご主人にもの申さんとな。」そう言うと、手を振り払い、宝玉を捕まえ殴ろうとした。秦鐘がちょうど身を翻した途端、頭の後ろの方でピュウッと音がしたと思うと、早くも硯が飛んで来るのが見えたが、誰が投げて来たのか分からなかったが、賈藍、賈菌の席にぶつかった。
 
 この賈藍、賈菌もまた栄国府の血の繋がりの近い直系のひ孫であった。この賈菌は幼くして父を失い、母親が可愛がることひとかたならず、教室の中では賈藍と最も仲が良く、それでふたりは一緒に席についていた。この賈菌は歳はまだ小さいが、見かけによらず気骨はたいへん大きく、極めて腕白で物怖じしなかった。彼は座席の上で、冷ややかに金栄の友人が暗に金栄を助け、硯を茗煙に向けて投げたのを見ていたが、間違えてそれが自分の目の前に落ち、焼き物の墨入れの壺が粉々に割れ、本全体に墨汁がはねてかかった。賈菌がどうして我慢しておれようか。すぐに罵った。「この死に損ないめ。おまえが先に手を出したんやからな。」そう罵ると、硯を掴んで投げつけようとした。賈藍はものの分かった人で、急いで硯を押さえると、なだめて言った。「いい子だから。僕たち、相手になっちゃだめだよ。」賈菌がどうして我慢しておれよう。硯が押さえつけられているのを見ると、両手で本箱を抱えると、硯を投げて来た方に向け放り投げた。その結果、まだ身体が小さく力も弱いので、相手のところまで届かず、却って宝玉と秦鐘の机の上に落ちた。ただガラガラと音がし、机の上に当たって砕け、本や紙、筆、硯などが机の上一杯に飛び散り、また宝玉の茶碗も割れてお茶がこぼれた。
 
 賈菌は飛び上がり、硯を投げて来た男を捕まえようとした。金栄はこの時無造作に一枚の孟宗竹でできた板を手に掴んだが、室内は狭く学生が多く、どこでこの長い板を振り回すことなどできよう。茗煙は既に先に手を出されたので、喚き散らした。「おまえら、まだ始めないんか。」宝玉には何人か小僧が付いていて、ひとりが掃紅、ひとりが鋤薬、ひとりが墨雨といい、この三人がどうして腕白でないことがあろう、一斉に喚き散らした。「このばいため。みんな、かかれ。」墨雨は遂に一本の門のかんぬきを両手で持つと、掃紅と鋤薬は共に手に馬の鞭を持ち、わっと跳びかかった。
 
 賈瑞は慌ててこちらを止めてはあちらをなだめたりしたが、誰が彼の言うことを聞くだろう。皆が好き勝手に手を出し、乱闘が起こった。多くの腕白小僧が太平拳(傍らで模様眺めしつつ、ここぞというタイミングで攻撃に出る拳法)で助太刀し、また臆病な者は一方に隠れ、また机の上に立って手をたたきながら笑いさざめき、叫び声を上げて攻撃をけしかける者もいた。教室内はたちまち沸き立った。
 
 
 外では何人かの年配の召使や李貴たちが学堂内部で衝突が発生したと聞いて、急いで入って来て一斉に制止したが、衝突の理由を尋ねても、皆違うことを言い、こちらではこう言っても、あちらではまた違うことを言った。李貴は且つ茗煙ら四人を一度ひどく叱りつけ、そこから追い出した。秦鐘の頭は早くも金栄の持った板にぶつけられ、頭の皮膚をすりむいたので、宝玉はすぐに上着の前おくみで秦鐘の傷を押さえ、大声で周りの人々に命令した。「李貴、本を片付けて。馬を牽いて来て。僕、老先生のところに行くから。僕たち、いじめられたんだ。他の人には怖くて言えないけど、ちゃんと礼節を守って瑞大叔父さんに言ったのに、瑞大叔父さんは却って僕たちが正しくないと言って、他の人たちが僕たちを罵るのを聞いて、おまけに皆をそそのかして僕たちを殴らせたんだ。茗煙は他人が僕をいじめるのを見たら、必ず僕のために動いてくれる。彼らは却ってグルになって茗煙を殴り、秦鐘まで頭を殴られて傷を負ったんだ。まだこんなところで勉強ができるか。」 李貴は諫めて言った。「兄さん、そんなに慌てて決めないで。老先生は用事があって家に帰られたのに、今こんな些細なことで先生のお宅を騒がすのは、却ってわたしたちの方が礼を失しているように思えます。わたしの考えでは、問題が起こったらその当事者で解決すべきで、老先生のお宅をお騒がせするべきではありません。これは皆瑞旦那様が悪いんで、老先生はここにおられなかったのです。あなた様はこの学校のリーダーであらせられ、皆があなたのふるまいを見ています。学生たちの中に、間違ったことをする者がおり、殴らなきゃいけない者は殴り、罰しないといけない者は罰して、どうして騒ぎがこのような無茶苦茶な状態にまでなっても、まだ何の措置も取らないのですか。」賈瑞が言った。「わたしは大声で叫んだのだが、誰も聞いてくれんのだ。」李貴が言った。「あなたはお怒りになるかもしれないが、やはり言っておかないといけませんな。普段あなたがいくらか正しくないことをされているから、これらの兄弟たちがあなたの言うことを聞かないのです。騒ぎが老先生の目の前で起こったら、あなた様も逃げられませんぞ。やはり早くしっかりしたお考えを持って解決(撕擄sī lǔ)なさいませ。」宝玉は言った。「何を奪う(「撕擄」の別の意味)って。僕、家に帰らなきゃ。」秦鐘は泣きながら言った。「金栄がここにいるなら、僕は家に帰る。」宝玉は言った。「これはどういうこと。どうして他の人は来れるのに、僕たちはここに来れないの。僕からみんなに事情を説明して、金栄をここから追い出すよ。」また李貴に尋ねた。「この金栄はどちらの家の親戚なの。」李貴はしばらく考えてから、言った。「やはり尋ねる必要はございますまい。もしどちらのお家のご親戚だと言ってしまうと、なおさら兄弟がたの仲を傷つけてしまいますから。」
 
 茗煙が窓の外で言った。「あいつは東府(寧国府)の璜様の奥さんの甥で、何か強い後ろ盾があるみたいで、おれたちを脅しに来たんだ。璜様の奥さんはあいつのおばさんだ。あのおばさんときたら、何か頼みがあるとひたすら相手にまとわりつくんだ。うちの賈璉様の奥さん(王熙鳳)の前に跪いて質草を借りたし、おれの目にはあんな権勢にへつらい取り入る婆さんなんて見下げてしまうよ。」李貴は慌てて怒鳴りつけた。「あいにくおまえのような早耳に知られてしまうとは。この下衆(げす)め。」宝玉は冷ややかに笑って言った。「僕は誰かさんの親戚であるに過ぎない。実は璜の奥さんの甥であったとは。それなら僕、璜の奥さんに聞きに行くとしよう。」そう言うと、璜の奥さんのところへ行こうとし、茗煙に入って来させ、本を包ませた。茗煙が入って来て本を包むと、また得意満々として言った。「旦那様が自ら会いに行かれるまでもないですよ。後でわたしがあの奥さんに会いに行って、お婆様がおまえに聞きたいことがあると言って、車を一台雇って行かせて、お婆様からあの奥さんに尋ねてもらえば、手間が省けるんじゃないですか。」李貴が慌てて大声を上げた。「おまえ、死にたいんか。おまえがまたこのような騒ぎを起こしたら、帰ってからどのみちおまえを殴らにゃならんな。それから旦那様や奥様にご報告して、宝兄さまは全ておまえにそそのかされてやったことですと申し上げる。おれがここでなんとかなだめすかして、半ば解決させたのに、おまえがまた出しゃばって、新たな火種を起こすんか。おまえが学堂を騒がせたんだから、言うまでもなく、改心して騒ぎを鎮めるのが正しいのに、また火種を持ち込むんか。」茗煙はそれを聞いて、ようやくおとなしくなった。
 
 この時、賈瑞も疑惑の種が出て来ることをひどく恐れていた。自分の身も必ずしも潔癖ではないので、適当に折り合いをつけて、秦鐘にお願いし、また宝玉にお願いするしかなかった。最初彼らふたりは首を縦に振らず、後で宝玉が言った。「帰らなくてもいいよ。ただ金栄にだけは謝ってもらわないと、具合が悪いよ。」金栄は最初は同意しなかったが、後に賈瑞もやって来て金栄に非を認め謝るよう迫ったので、李貴らは金栄を強く諫めるしかなく、こう言った。「元々おまえが最初に手を出したからで、おまえがそうしなかったら、こんな騒ぎにならなかったろう。」金栄は強く迫られたので、秦鐘に「作揖」(両手を組み合わせ高く挙げ、上半身を曲げる)の礼をし、宝玉はまだ勘弁していなかったが、「磕頭」(額を地につけ拝礼する)の礼をしなければならなかった。賈瑞はとりあえずこの件が解決しさえすれば良かったので、またこっそり金栄を諫めて言った。「俗にも言うだろ。「一時の義憤を堪(こら)えれば、一生の悩み煩いを避けれる」(忍得一時忿、終身無悩悶)とね。」金栄がその諫めに従ったかどうかは、次回に説き明かします。
 
 結局、賈家の家塾の騒動は、金栄のいじめが原因とされ、金栄が非を認めて謝るということで一件落着となりましたが、金栄はその後どうなったのでしょうか。第十回をお楽しみに。

 秦可卿の弟の秦鐘と仲良くなり、ふたりで一緒に賈家の家塾に通う約束をした賈宝玉。第八回では、薛宝釵の病気見舞いに行った宝玉が、自分が口に銜えて生まれてきた石に刻まれた文字と、宝釵のつけている金のネックレスに刻まれた文字が対句になっていることが分かります。さて、話はどう展開していくのでしょうか。『紅楼夢』第八回のはじまりです。
 
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賈宝玉は奇縁にて金鎖を識り、
薛宝釵は巧合(たまたま)通霊を認める
 
 さて、宝玉と鳳姐は家に帰り、何人かの人に会ったが、宝玉は賈のお婆様に、秦鐘を家塾に入れてあげる約束をしたことを報告し、自分も一緒に勉強する友になり、ちょうど勉強に発奮できる。また秦鐘の人柄や振舞いをたいへん称賛し、たいへん好ましい人物だと言った。鳳姐もその横から助け船を出して言った。「日を改めて秦鐘にはまた、お婆様にお目にかかりに来させますわ。」そう言ったので、賈のお婆様は嬉しく思った。鳳姐はまたこの機に乗じて賈のお婆様に一緒に芝居を見に行こうと誘った。賈のお婆様は年齢はいっているが、たいへん芝居好きであった。後日、尤氏が来て誘ったので、遂に王夫人、黛玉、宝玉らを連れ、芝居見物に行った。昼になって、賈のお婆様は家に戻って休憩した。王夫人は元々静かなところに居るのが好きなので、賈のお婆様がお帰りになるのを見て、一緒に帰って来た。その後は、鳳姐が主賓の席に座り、そのまま夜まで芝居見物を楽しんだ。
 
 さて宝玉は賈のお婆様を送って家に戻り、賈のお婆様が休んでお昼寝をされるのを待って、また戻って芝居を見るつもりだったが、秦氏らの人の手を煩わすのを恐れ、また宝釵が最近家で病気療養しているのを思い出し、まだお見舞いに行っていないので、宝釵の顔を見に行こうと思った。もし母屋の裏口から出て行くと、他の事で邪魔される恐れがあり、また父親の賈政に出逢うと、更に都合が悪いので、むしろ遠回りをして行った方がよいと思った。この時、乳母や女中たちが宝玉に着替えさせようと控えていたが、宝玉は着替えをせず、そのまま門を出て行った。乳母や女中たちは宝玉に付いて出て来て、宝玉があちらのお屋敷で芝居を見るものとばかり思っていたが、あろうことか穿堂のところまで来ると、東北の方へ向け広間の後ろを回って行った。するとたまたま向こうから賈政の下で居候している食客の詹光、単聘仁のふたりがやって来るのに出くわし、宝玉を一目見ると、急いで近づいて来て、笑いながら、ひとりは腰を抱き抱え、ひとりは手を差し出しながら言った。「これはこれは、お坊ちゃま。良い夢を見たと言っていたら、なんとあなたにお目にかかることができました。」そう言いながら、またぶつぶつとしばらく言ってから、ようやく行こうとした。年配の乳母が呼び止め、尋ねた。「あんたたちふたりは、旦那様のところに行ったのかい。」ふたりは頷いて言った。「そうです。」また笑って言った。「旦那様は夢坡斎の書斎の中でお昼寝されていますので、お邪魔をされませんように。」そう言いながら、行ってしまった。それを聞いて、宝玉もにっこり笑った。そして向きを変えて北に向かい、梨香院へ行った。ちょうど、蔵の管理の責任者の呉新登と、蔵の頭(かしら)で戴良という名の者が、何人かの執事の頭目と一緒に、全部で七人が、帳場から出て来た。一目宝玉を見ると、急いで一斉に両手を垂らして立ち、うやうやしく控えた。その中のひとりの買辦(ここでは、宮廷内で使う物品を納入する商人)で、名を銭華というのが、しばらく宝玉に会っていなかったので、急いでやって来て、身体を屈めて礼をすると、宝玉は微笑みながら手を伸ばして彼を立ち上がらせた。周りの人々は皆笑って言った。「この間、あるところで若様が書かれた斗方(四角の赤い紙に書や文字を書いたもの)をお見受けしましたが、益々お上手になられて。いずれ、わたしたちのところにも何枚か貼っていただき、眺めたいものです。」宝玉は笑って言った。「どこで見たの。」皆が言った「あちこちにありますよ。皆、すばらしいと褒めていて、わたしたちにも問い合わせがありますよ。」宝玉は笑って言った。「そんな大層なものじゃないよ。おまえたち、僕付きの小者に言ってもらえば、準備させるよ。」そう言いながら、前へ進んだ。人々は宝玉が行ってしまうのを待って、それぞれ分かれて行った。
 
 閑話休題、さて宝玉は梨香院に到り、先ず薛叔母さん(薛姨媽)の部屋に行くと、薛叔母さんが女中たちと一緒に針仕事をしていた。宝玉が急いで挨拶をすると、薛叔母さんは急いで宝玉を抱きしめ、胸の中に抱きかかえながら笑って言った。「こんな寒い日に、坊や。来るとは思っていなかったわ。早くオンドルにお座りになって。」人に命じて「熱々のお茶を淹れて来て。」宝玉はそれで尋ねた。「兄さんは家におられますか。」薛叔母さんはため息をついて言った。「あの子はまるで轡(くつわ)の外れた馬で、何の束縛も受けず、毎日勝手にほっつき歩いてるわ。どうして一日家にいるものかね。」宝玉は言った。「姉さんの具合はどうですか。」薛叔母さんは言った。「それがね。あんた、前に人を遣ってあの子の様子を見てくれただろ。あの子は中にいるんじゃないかね、あんた見てみておくれ。あの子はあちらに居る方がこちらより楽だったんじゃないかね。あんた、中で座っていて、わたしもここを片付けたら、中に入って話をするから。」
 
 宝玉はそう聞くと、急いでオンドルを降り、奥の部屋の入口の前に来ると、お古の赤い繻子の柔らかい帷(とばり)が掛けれれていた。宝玉が帷をめくり上げて中に入ると、最初に宝釵がオンドルの上に座って裁縫をしているのが眼に入った。頭には黒くつやつやした髷(まげ)を結び、黄色味を帯びた白色(蜜合色)の綿入れの上着、玫瑰紫の生地に金糸銀糸で紋様を縫い込んだチョッキ、浅い黄色の綾衣のスカートを身に着けていた。どれも新品ではないが古くはなく、見たところ贅沢ではないが、ただ上品に感じられた。言葉数が少なく、他人は彼女がわざと愚鈍を装っていると言う。自らの本分を守るも世俗に順応し、自らは「出しゃばらず分に安んじる」と言う。
 
 宝玉は宝釵の様子を見ながら、尋ねた。「姉さん、具合は良くなられたの。」宝釵は首を上げて宝玉が入って来るのを見ると、急いで身体を起こし、笑みを浮かべて答えて言った。「もう随分良いのよ。お心遣いいただき、ありがとう。」そう言いながら、宝玉をオンドルの端に座らせ、鶯兒に「お茶を淹れてきてちょうだい」と命じた。一方でまた、お婆様や叔母様はお元気か、女兄弟たちはお元気か、尋ねた。また一方、見ると宝玉は頭に金糸で編み、宝石を象嵌した冠を被り、額には二匹の龍が珠を捧げ持つ図柄の鉢巻を締め、身体には淡いオリーブ色の生地に蟒蛇(うわばみ)の図柄が描かれた白狐の腋の毛で作られた筒袖の上着を着、五色の蝶々の柄が縫われたベルトを締め、首には長命鎖(南京錠の形のペンダントを付けた首飾りで、子供の長寿を願うお守り)、記名符(子供が無事育つよう祈るお札)を掛け、これ以外に例の生まれた時に銜えていた宝玉を身に着けていた。宝釵はそれを見て、笑って言った。「いつも、あなたのその玉を、まだじっくりと鑑賞したことがないわね、と言っていたのよ。今日はちょっと見せてちょうだい。」宝釵はそう言って、宝玉に近づいた。宝玉もまたそれに応え、玉を首からはずして、宝釵に手渡した。宝釵はそれを手のひらに載せて見ると、雀の卵くらいの大きさで、夕焼け雲のように明るく輝き、バターのようにしっとりつやつやし、五色の模様がまとわりついていた。
 
 読者の皆さんは既にご存じの通り、これは大荒山中青埂峰下のあの石ころの幻相(まぼろし)であり、後の人が詩で嘲(あざけ)って言った。
 
  女媧氏が煉った石は已に荒唐、また荒唐に向け大荒を演ず。
  本来の真の面目を失い、幻は新たに臭き皮嚢に就く。
  好く知る運命の衰敗し金も彩無きを、嘆くに堪ゆ時運に乖(そむ)き玉も光(ひか)らず。
  白骨は山の如く姓氏を忘る(死んだ者はもはや誰とも分からぬが)、公子、紅粧(美しく化粧した公女)に非ざるは無し。
 
 かの石ころはまた曾てこの幻相を記録し、またしらくも頭の坊さんが篆文を刻んだのだが、今また後ろの図絵のようになっていたが、真にたいへん小さなもので、やっと胎内から小さな子供が口に銜えて出てきたもので、今もしその様式で描き出しても、恐らく文字の筆跡があまりに微細であるため、見る者の眼光を損ね、また煩わしいので、多少拡大して示すことで、灯火の下で酒に酔っていても見れるようにした。今このいきさつを注釈するすることで、はじめて胎内から子供が口に、どうしてこんなかさばって重いものを銜えて出てくることができたのかという思いは消すことができるだろう。
 
 
 宝釵は見終わると、またもう一度おもてにひっくり返して子細に見て、口の中で唱えて言った。「莫失莫忘(失う莫れ忘るる莫れ)、仙寿恒昌。」二度唱えると、振り返って鶯兒の方を向いて笑って言った。「あなた、茶を淹れに行かないで、ここでぼおっとしてどうしたの。」鶯兒もにこにこ笑って言った。「わたしこのふたつの文句を聞いて、ちょうどお嬢さんのネックレスの上のふたつの文句と一対になっているように思えたのですが。」宝玉はそう聞くと、急いで笑って言った。「なんと姉さんのネックレスの上にも文字があったの。僕にも見せて見せて。」宝釵は言った。「あの子の話を真に受けないで。字なんて書かれていないから。」宝玉は頼み込んで言った。「姉さんお願い、どうか僕に見せてちょうだい。」宝釵は宝玉があまりにしつこいので、こう言った。「これも人がくれた二句の縁起の良いことばで、彫ってあるの。だから毎日着けているのよ。そうでないとこんな重たいもの、好んで着けたりしないわ。」そう言いながら、ホックをはずし、中の赤い上着の上から、その真珠や宝石がきらきら輝き、黄金がきらびやかに輝く瓔珞(ようらく。珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具で、首に掛ける)を掴み取った。宝玉が急いで鎖を手のひらに載せて見てみると、果たして一面に四つの文字、両面で八つの文字で、合わせて二句の吉祥の予言であった。またその様式通りに外観を以下に描く。
 
 
不離不棄、芳齢永継
 
宝玉はそれを見て、二回唱え、また自分のものも二回唱え、それで笑って尋ねた。「姉さん、この八文字はやはり僕のと対になってる。」鶯兒が笑って言った。「これはしらくも頭の坊さんがくれたもので、あの人は必ず金の器の上に彫らないといけないって言われてました。」宝釵は鶯兒が言い終わるのを待たずに、茶を淹れに行かないのを怒り、一方でまた宝玉にこの玉がどこから来たのか尋ねた。
 
 宝玉はこの時、宝釵と肩を寄り添い座っていたが、ふとひとしきり香りが漂ったが、何の香りか分からなかったので、尋ねた。「姉さん、これ何の香りなの。僕、こんな香り嗅いだことがないよ。」宝釵が言った。「わたし、燻した香りが一番苦手なの。すばらしい衣裳なのに、どうしてそれを燻すの。」宝玉は言った。「それだったらこれは何の香りなの。」宝釵はちょっと考えていたが、言った。「そうだ、これはわたしが朝飲んだ冷香丸の香りだわ。」宝玉は笑って言った。「どこの「冷香丸」がこんな良い香りがするの。姉さん、お願いだから、僕に一錠試させて。」宝釵は笑って言った。「また無茶言って。薬まででたらめに食べるのかい。」
 
 それから一言も発せられないうち、ふと外の人の声が聞こえた。「林お嬢様が来られました。」声がまだ終わらぬうち、黛玉がもうよろよろとした歩調で入って来たが、宝玉を一目見ると、笑って言った。「あらまあ、わたし悪いタイミングで来たわね。」宝玉らは急いで立ち上がり、黛玉を座らせると、宝釵は笑って言った。「それってどういうこと。」黛玉は言った。「この人が来ていると知っていたら、わたし来なかったわ。」宝釵は言った。「それどういうこと。」黛玉は言った。「どういうことかって。来るんだったら一緒に来るし、来ないんだったら誰も来ないわ。今日は宝玉が来て、明日はわたしが来る。時間をずらしたら、毎日誰かが来ることになるんじゃない。冷遇され過ぎる訳でもないし、にぎやか過ぎる訳でもない。姉さん、何か理解できないことがあって。」
 
 宝玉は黛玉が上着の上に真っ赤な羽毛の前身ごろ(衣服の胸前の部分)が真ん中で割れた外套を羽織っていたので、尋ねた。「雪が降っていたの。」女中たちが言った。「この半日、降っていました。」宝玉は言った。「僕の外套を取って来て。」黛玉は笑って言った。「ほら、そうでしょ。わたしが来たら、宝玉は帰らないといけないんだから。」宝玉は言った。「僕がいつ帰るって言った。準備しておくだけだよ。」宝玉の乳母の李ばあやが言った。「外はまだ雪が降るかもしれないので、時間を見ないといけませんから、ここで姉さんや妹と一緒に遊んでいてくださいまし。薛の叔母様のところでお茶請けの準備をされていますよ。わたしが女中に言って外套を取りに遣りますから、小者たちには帰るように言いましょうか。」宝玉は頷いた。李ばあやは外に出て、小者たちに、「みんな、帰っていいよ」と命じた。
 
 こちらでは薛叔母さんがいくつか手の込んだお茶請けを準備し、宝玉たちに茶を飲み菓子を食べさせた。宝玉は先日東府(寧国府)で賈珍の奥さんのガチョウの水掻きが美味しかったと褒めていたので、薛叔母さんは急いで自分が酒に漬けたものを取って来て、宝玉に味見させた。宝玉は笑って言った。「こいつは酒と一緒に食べたら美味しいよ。」薛叔母さんは人に命じて上等な酒を淹れさせた。李ばあやがやって来て言った。「奥様、酒はもう注がないで。」宝玉は笑って懇願して言った。「ばあや、後生だから、僕に一杯だけ飲ませて。」李ばあやは言った。「この役立たず。大奥様や奥様の前だったら、たとえ酒を一甕飲んだって構わないさ。いつだったか、わたしがちょっと眼を離した隙に、誰がうちのきまりを理解していなかったのか知らないが、ただあんたの歓心を惹きたいがために、あんたに酒をひと口飲ませて、おかげであたしゃ二日も罵られたんだから。薛叔母さん。あんたはこの子の性質をご存じないんだ。酒を飲むと大暴れするのよ。そのうち、大奥様がご機嫌な時に好きなだけ飲ませたら、次からもう二度と飲ませてもらえなくなるわよ。わざわざあたしに要らぬ面倒をかけないでくれない。」 薛叔母さんは笑って言った。「老いぼれ。安心して自分の分だけ飲んだらいいわよ。わたしもこの子に余り飲ませないから。奥さん、あんたに言っとくけど、わたしがいるから大丈夫よ。」一方で女中に命じて、「さあ、皆さんがたにも一献さしあげて、寒さをしのいでください。」かの李ばあやはこのように言われると、周りの人たちと一緒に酒を飲むしかなかった。
 
 ここで宝玉はまた言った。「燗をしなくていいよ、僕は冷やで飲むのが好きだから。」薛叔母さんが言った。「それはだめよ。冷たい酒を飲むと、字を書く時に手が震えるわよ。」宝釵が笑って言った。「宝兄さん、あなたは毎日家でいろんな雑学を学んだおかげで、まさか酒の性質は最もものを温めるから、熱くして飲むと、発散が速くなる。冷たいまま飲むと、体内で凝結され、五臓に持って行ってこれを温めてやらないといけないから、身体を傷めるという道理を知らないってことはないわね。この説はまだ改められていないわ。もうそんな冷たいもの、飲んじゃだめ。」宝玉はこの話を聞いて道理だと思い、冷や酒を下に置くと、人に命じて燗をさせてから飲んだ。
 
 黛玉は瓜子(ヒマワリやスイカの種を炒ったもの)を歯先で割って食べていたが、ただ口をすぼめて笑って見ていた。ちょうど黛玉の小間使いの雪雁がやって来て、黛玉に手あぶりの小炉を手渡した。黛玉はそれで笑みを浮かべて雪雁に尋ねた。「誰がおまえに持って来させたの。心配させちゃったわね。あっちでは、わたしが凍え死んでいるんじゃないかって。」黛玉は受け取ると、胸の中に抱いて、笑って言った。「またあなたに要らない話を聞かせてしまったわ。わたしが普段あなたに言っていることは、いつも馬耳東風なんだから。どうしてあの人の言うことには、天子様の命令のように従うの。」宝玉はこの話を聞いて、黛玉がこの場を借りて皮肉を言っていると知り、返すことばも無く、ただにこにこ笑っていただけだった。宝釵はもともと黛玉にこんなことを言う習慣があると知っていたので、相手をしなかった。薛叔母さんはそれで笑って言った。「あなたはもともと身体が弱いから、寒さに耐えられないと、皆があなたのことを気にかけてくれるのを、戸惑っているのね。」黛玉は笑って言った。「叔母様はご存じないの。幸い叔母様はここに住んでおられるけど、もし他所の家におられてこんなことがあったら、相手が困られるでしょう。どうしてその家には手あぶりも無いからって、急いで家から届けさせるようなことをするでしょう。女中たちがあまりに細かいことを気にしすぎるとは言いませんが、わたしが平素軽はずみで傲慢だと思われるかもしれませんわね。」薛叔母さんは言った。「あなた、考え過ぎよ。そんなこと考えて。わたしはそんなふうに思ってはいませんよ。」
 
 話している間に、宝玉はもう酒を三杯飲んでしまった。李ばあやがまた近寄り、飲むのを止めさせようとした。宝玉はちょうど酒に酔って気持ちよくなっている時だったので、また周りの女性たちと談笑し、どうして酒をすすんで止めるだろうか。ただへりくだり懇願して言った。「ばあや、お願い。あと二杯飲んだら止めるから。」李ばあやは言った。「坊ちゃん、今日は旦那様がご在宅ですからね。坊ちゃんのお勉強のことを細かく尋ねられますよ。」
 
 宝玉はこの話を聞いて、心中あまり愉快でなく、ゆっくりと酒を置くと、首を下に垂れた。黛玉は急いで言った。「皆をしらけさせないで。叔父様に呼ばれたら、叔母様に引き留められたと言えばいいわ。この叔母さんったら、わたしたちをからかっているだけよ。」一方ではこっそり宝玉をけしかけ、宝玉をいこじにさせ、一方ではぶつぶつ独り言をつぶやいた。「あんなポンコツの言うことなんか気にしない。わたしたちは自分たちが楽しむことだけ考えよう。」かの李ばあやも素より黛玉の人となりを知っているので、こう言った。「林お嬢様、宝玉様を助けるようなことを言わないでください。あなたがお諫めすれば、宝玉様も少しは聞いていただけると思います。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたしがどうしてこの方を助けるの。わたしもこの方を諫めるに値しませんわ。この叔母様は用心深過ぎるわ。いつもお婆様もこの方にお酒をお出しになるから、今晩薛叔母様のところでちょっと飲み過ぎたからといって、特に問題はないと思います。きっと薛叔母様のところは赤の他人だから、ここで酒を飲んではいけないということかもしれないわね。」李ばあやはそれを聞いて、急いで、また笑って言った。「本当にこの林お嬢様というお方は、おっしゃる一言が、ナイフより鋭いんですね。」宝釵も我慢できず笑いながら、黛玉の頬っぺたをちょっとつねって言った。「本当に、この眉を顰めたお嬢ちゃんのお口から出ることばは、人に嫌われるでもなく、好かれるでもないわね。」
 
 薛叔母さんは一方で笑いながら、またこう言った。「びくびくしないで、子供たち。こちらに来て、悪いものを食べさせられるんじゃないかと、ちょっとした心配でもあるように感じられるなら、わたしは不安です。安心して食べていただいたら、責任は全てわたしが取ります。さあ、晩御飯を食べましょう。酔っぱらったら、わたしと一緒に寝ましょう。」そして命じた。「もっとお酒を燗して来てちょうだい。薛叔母さんが一緒に飲みますよ。ご飯も食べてちょうだい。」宝玉はそれを聞いて、ようやくまた気持ちが掻き立てられた。李ばあやはそれで女中に言いつけた。「あんたたち、ここで気を付けていてちょうだい。わたしは家に帰って着替えてまた来るから。」そっと薛叔母さんに挨拶して言った。「薛叔母様、宝玉様にあまり酒を飲ませないでください。」そう言って、家に帰った。
 
 ここにはまだ二三の年寄りの女中が残っていたが、皆このお話の筋とはあまり関係が無い。李ばあやが帰ったので、彼女たちもそっと自分の用を済ましに行った。ふたりの子供の女中が残り、宝玉の歓心を惹こうとした。幸い、薛叔母さんが精一杯なだめて、宝玉に何杯か酒を飲ませると、急いで酒を片付けさせた。酸笋鶏皮湯(タケノコの漬物と鶏皮のスープ)が出ると、宝玉は何杯か痛飲し、またお茶碗半分余り碧粳粥(碧粳米(河北省玉田県で取れる青みを帯びたうるち米)で作ったお粥)を食べ、しばらくして宝釵、黛玉のふたりも食事を終え、濃いお茶を何杯か飲んだ。薛叔母さんはようやく安心した。雪雁ら数人も、食事をして部屋に入って来てかしずいた。黛玉はそれで宝玉に尋ねた。「もう帰りませんか。」宝玉はうとうと眠気がさしてきて、眼を細めて言った。「君が帰るなら、僕も一緒に帰るよ。」黛玉はそれを聞くと、立ち上がって言った。「わたしたち、今日一日おじゃましましたが、もう帰らないと。」そう言うと、ふたりは暇乞いをした。
 
 子供の召使たちが急いで笠を捧げ持って来たので、宝玉は頭を少し下に下げ、笠を被せさせると、その召使はこの真っ赤なフェルトの笠をちょっと払った。それでようやく宝玉の頭の上に乗ったのだが、宝玉は言った。「もういい、もういい、このへたくそ。もうちょっとやさしく。まさか他の人が被るのを見たことがないの。僕、自分で被るよ。」黛玉がオンドルの縁の上に立って言った。「こっちに来て。わたしが被せてあげる。」宝玉は急いで近づいた。黛玉は手で軽く髪の毛を束ねた冠を覆うと、笠の縁を額の鉢巻の上に固定し、その胡桃の大きさの赤い綿の髪留めを支えて、ゆさゆさ揺すぶって笠の外に露出させた。頭の上を整え終わると、しばしよく確認してから、言った。「いいわ、マントを被って。」宝玉はそれを聞くと、ようやくマントを受け取って被った。薛叔母さんは急いで言った。「あなたがたの乳母の叔母さんたちがまだ戻って来られていないわ。ちょっと待ってなさい。」宝玉は言った。「僕たち、どうして叔母さんたちを待っていないといけないの。召使たちがお伴してくれればいいよ。」薛叔母さんは心配なので、ふたりの女中に言いつけ、この兄弟たちを送って行かせた。
 
 ふたりはお礼を言って、まっすぐ賈のお婆様の部屋に帰った。賈のお婆様はまだ晩御飯を食べていなかったが、薛叔母さんのところから帰って来たと知り、一層嬉しくなった。宝玉が酒を飲んで来たのを見て、宝玉を部屋に戻って休ませ、再び出て来るのを許さなかった。また召使たちにちゃんと世話をするよう言いつけた。ふと宝玉に付いて行った者のことを思い出し、皆に尋ねた。「乳母の李ばあやはどうしていないの。」周りの人々は直接李ばあやが家に帰ったと言う勇気がなかったので、ただこう言った。「戻って来たところで、用事を思い出して、また出て行ったのでしょう。」宝玉は千鳥足で歩きながら、振り返って言った。「李ばあやはお婆様よりもっと役に立ちますよ。あの人に何を聞くの。あの人がいなかったら、おそらく僕はもう二日長く生きていられますよ。」そう言いながら、自分の寝室に戻った。見ると筆と墨が机の上に置かれていた。晴雯(せいぶん)が先ず出迎え、笑って言った。「ごきげんよう。わたしに墨を磨らせて、今朝ご機嫌で、三つ文字を書かれ、筆を投げ捨てて出て行かれ、わたしに言いつけられたので、今日一日ずっと待っていました。早くわたしにこの墨で書き終えていただけば、仕舞えるんですが。」宝玉はようやく今朝の出来事を思い出し、それで笑って言った。「僕が書いた三つの文字って、どこにあるの。」晴雯は笑って言った。「この方は酔っぱらっているのね。あなたは前もってお屋敷の方に行って、門斗(部屋の門の外に設けた風除けの小部屋)の上に貼るよう言いつけられました。わたしは他人に頼むと貼り損なう恐れがあるので、自分で上まで登って、しばらく貼っていて、それで手がかじかんで動かなくなったんですよ。」宝玉は笑って言った。「忘れていたよ。おまえの手が冷えたんなら、僕が代わりに握ってあげる。」そう言って手を伸ばし、晴雯の手を引き、一緒に 門斗の上に新たに書いた三つの文字を見た。
 
 しばらくして黛玉が来たので、宝玉は笑って言った。「いい娘だから、嘘を言っちゃあだめだよ。見て、この三つの字でどの字がいいかな。」黛玉が首を上げ見えたのは「絳芸軒」(こううんけん)の三文字であったが、笑って言った。「一字一字皆いいわ。どう書いたらこんな良い文字が書けるの。明日は代わりに扁額を揮毫してもらおうかしら。」宝玉は笑って言った。「君、また僕によいしょするんだから。」そう言ってまた尋ねた。「襲人(しゅうじん)姉さんはどうしたの。」晴雯は部屋の中のオンドルの方に向けて口を突き出して示した。宝玉が部屋の中を見てみると、襲人が服を着たまま眠っていた。宝玉は笑って言った。「分かったよ。こんなに早く寝ちゃったんだ。」また晴雯に尋ねて言った。「今日僕があちらで朝食を食べた時、一皿豆腐皮(湯葉)の包子(饅頭)があったんだ。僕はおまえが好きだろうと思ったんで、珍叔父さんの叔母さん(珍大奶奶。尤氏のこと)に、僕が今晩食べたいから、誰かに届けさせてほしいと言ったんだ。おまえ、見なかったかい。」晴雯は言った。「もうそんなことおっしゃらないで。届けられるとすぐ、これはわたしにだなと分かりましたが、ちょうど食事を食べたばかりだったので、そこに置いておきました。その後、乳母の李ばあやが来てそれを見つけ、こう言われました。「宝玉坊ちゃんはお食べにはならないだろうから、持って帰って自分の孫に食べさせよう。」そう言って、人に言って家に届けさせていました。」ちょうどそう言っていると、茜雪(せんせつ)が茶を捧げ持って来たので、宝玉はまた「林ちゃん、お茶をお飲み。」と勧めた。周りの人々は笑って言った。「林お嬢様はとっくに行かれましたよ。まだお勧めするんですか。」
 
 
 宝玉はお茶を茶碗に半分飲むと、ふとまた今朝飲んだ茶のことを思い出し、茜雪に尋ねて言った。「朝起きた時に楓露茶を淹れてくれたけど、僕はあのお茶は三四回目でようやく色が出ると思うんだけど、今回どうしてまたこのお茶を淹れたの。」 茜雪は言った。「実は残しておいたのを持ってきました。あの時、李ばあやが来られて、飲んで行かれたんです。」宝玉はそう聞くと、手の中に持っていた茶碗をそのまま地面に投げつけると、ガチャンと音がして、粉々に壊れ、茶が茜雪のスカートにかかった。宝玉はまた跳びかかるように茜雪に尋ねて言った。「李ばあやはおまえたちと一緒に仕えてくれている乳母だけど、おまえたちはあの人をそんなに敬っているのかい。僕が小さい時に何日かあの人のおっぱいを吸っただけなのに、今やご先祖様より大きな顔をしやがって、追い出してやったら皆せいせいするよ。」そう言うとすぐに賈のお婆様のところへ戻ろうとした。
 
 元々 襲人は寝ていなかったが、わざと眠ったふりをし、宝玉をからかおうとしていた。先ず字のことを言ったり包子のことを尋ねたりで、起き出さなくても良かった。その後宝玉が茶碗を投げつけ、怒り出したので、急いで起き上がってなだめに行った。早くも、賈のお婆様のところの人が来て尋ねた。「どうされたのですか。」襲人は急いで言った。「わたしが今さっきお茶を淹れたのですが、雪で滑って転んでしまい、うっかり茶碗を落としてしまいました。」一方ではまた宝玉をなだめて言った。「あなたが本心からあの人を追い出されたいなら、それも結構ですが、それならわたしたちも皆お暇(いとま)をいただきたく存じます。それでも、この場の勢いで皆が一斉に追い出されるよりましですし、あなたももっと良い召使が来て、あなたのお世話をしてくれないと悩む必要もないですよ。」宝玉はそう聞くと、ようやく何も言わなくなった。 襲人らは宝玉に手を貸してオンドルの上に連れて行き、服を脱がせた。宝玉は口の中でまだ何か言おうとしていたようであったが、ろれつが回らなくなり、意識が益々朦朧としてきたので、急いで宝玉を介抱して寝かせてやった。襲人はあの「通霊宝玉」をはずして、ハンカチでちゃんと包むと、敷布団の下に押し込み、翌日宝玉がこれを身に着け、首を冷やすことのないようにした。かの宝玉は頭を枕にして眠りについた。この時乳母の李叔母さんらは既に部屋に入って来ていたが、宝玉が酔っぱらっていると聞いていたので、敢えて前には出て来ず、ただそっと彼の寝息を聞いて、ようやく安心して家に帰った。
 
 翌日目覚めると、取り次ぎの者がこう申し上げた。「あちらの蓉旦那様が秦鐘様をお連れになり、ご挨拶にお見えです。」宝玉は急いで出迎えに行き、秦鐘を連れて賈のお婆様にお目にかかった。賈のお婆様は秦鐘の容貌が美しく、ふるまいがやさしく、宝玉の勉強のお伴に堪え得ると思ったので、心の中ではたいへん嬉しく思い、それで彼を引き留めお茶や食事を摂らせ、また人に言いつけて王夫人らに会いに行かせた。周りの人々は秦氏のことが好きだったので、秦鐘がこのような人柄であるのを見て、皆嬉しく思い、彼が帰る時には、皆お土産を持って帰らせた。賈のお婆様はまた荷包(小物を入れる小さなきんちゃく袋で、刺繍が施してある)と金魁星(黄金で鋳造した北斗七星の第一星の魁星(かいせい)の神像)をくださり、これにより「文星和合」(科挙の試験に無事合格する)というおめでたい意味になった。また秦鐘にこう言いつけた。「あなたは遠くにお住まいだから、一時的には身体が慣れないかもしれないが、わたしたちのところで暮らしなさい。どうかあなたと宝玉が一緒に勉強し、その他の努力せず進取の気持ちの無い学生の影響を受けないようになさい。」秦鐘は一々頷き、家に帰って父親に報告した。
 
 彼の父親の秦邦業は現在営繕司郎中に任じられ、年齢は70歳に近く、夫人は早くに亡くなっていた。年齢が50歳になるまで息子、娘がおらず、養生堂(捨て子を収容して育てる機関)から男の子をひとり、女の子をひとり、もらって養育した。ところが思いがけず男の子は死んでしまい、女の子だけが残った。この女の子は幼名を可兒といい、また正式な名前を兼美と名付けた。成長すると、姿かたちがしなやかで、立ち居振る舞いがさっぱりし、元々賈家と多少の縁故があったことから、賈家に嫁入りした。(秦可卿のこと。)秦邦業は53歳にして秦鐘が生まれ、今年12歳となった。昨年家塾の恩師が南方へ戻られ、家で以前勉強した内容を復習するだけであったが、ちょうど親戚の賈家と賈家の家塾に入れてもらう相談をしていた。たまたま宝玉に出会ったこの機会に、また賈家の家塾で塾を司っているのは、今の老儒(年寄りの学者)、賈代儒であることを知り、秦鐘が塾に入ると、学業の進歩が見込め、これによって名声を得ることができれば、たいへん喜ばしいことであった。ただ経済的に手元不如意で、賈家の人々は富や地位を重んじ、貧しい者を蔑(さげす)んだ。このため息子の一生の大事に関することであるので、やむを得ず無理やり算段して、うやうやしく二十四両の初対面の贈り物の金を包み、秦鐘を連れて賈代儒の家を訪問し、その後宝玉が選んだ吉日を聞き、一緒に入塾した。塾の中ではこれより騒動が持ちあがるのであるが、それがどのようなものであったのか、次回に詳しく説き明かします。
 
 さて次回は、賈宝玉と秦鐘が賈家の家塾に通うことになりますが、どのような「騒動」が起こるのか、次回第九回をお楽しみに。

 劉婆さんが帰った後、周瑞の家内の家内がそのことを王夫人のところに報告に行くところから、第七回が始まります。『紅楼夢』第七回の始まりです。
 
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宮花を送り賈璉は熙鳳と戯(たわむ)れ、
寧府の宴で宝玉は秦鐘に出会う
 
 さて、周瑞の家内は劉婆さんを見送りに行って後、王夫人のところに戻り報告をしに行ったのだが、あいにく王夫人は部屋におられず、召使の女たちに尋ねて、ようやく薛おばさんのところに相談に行ったと分かった。周瑞の家内はそれを聞いて、東の角門を出て、東院を通って、梨香院に向かった。ちょうど梨香院の門の前まで来ると、王夫人の小間使いの金釧兒とようやく髪を伸ばし始めた少女が階(きざはし)の上で遊んでいるのが見えた。周瑞の家内が入って来るのを見て、話があって来られたと知り、それで家の中へ向けて口を突き出し、さし示した。
 
 
 周瑞の家内は、音のたたないようにそっとカーテンをめくり上げ部屋の中に入ると、王夫人がちょうど薛おばさんとで家庭内の些細な事や世間話をあれやこれや話しているのが見えたので、周瑞の家内は邪魔をしないよう、そっと中に入ると、薛宝釵が普段の装いで、頭には髪飾りだけ付けて、オンドルの中に座り、机の上に身を伏せて、小間使いの鶯兒と一緒にちょうどそこで花の絵を描いているようであった。周瑞の家内が入って来たのを見て、筆を置くと、こちらを向いて、満面に笑みを浮かべて「周姉さん、お座りください。」と勧めた。周瑞の家内も慌てて作り笑いを浮かべて尋ねた。「お嬢さん、ご機嫌いかが。」オンドルの縁に腰を掛けながら、尋ねた。「ここ二三日お嬢さんがこちらにお散歩に来られるのをお見受けしなかったので、ご兄弟の宝玉様の行状のせいで、ご気分を損ねられたのではないかと心配しておりました。」宝釵は笑って言った。「そんなことあるものですか。ただわたしのいつもの病気が発症したので、しばらく静養しておりました。」周瑞の家内は言った。「本当ですか。お嬢さんはいったいどんな持病をお持ちなのですか。なるべく早くお医者様に診ていただき、真剣に治療なさいまし。まだお小さいのに、持病をお持ちなんて、冗談じゃないですよ。」宝釵はそれを聞いて笑って言った。「病気のことはもう言わないで。もうどれだけのお医者さんに診てもらい、どれだけの薬を飲み、どれだけのお金を使ったことか。それでも少しも効き目が無かったのですよ。その後にある和尚様のお陰を被り、専ら原因不明の病の症状を治されるというので、診ていただいたところ、この方の言うには、これはお母さまの胎内から持って来た熱毒で、幸いわたしは元々身体が丈夫なので、健康に影響は無い。およそ薬を飲んで治そうと思っても、役に立たない。この方に教えていただいたのは、海の彼方からもたらされた仙人伝授の処方で、この処方は特別な香りとにおいのある粉薬で、薬効を強める効果があって、症状が出たら一粒飲めば良いとのこと。不思議なことに、本当に効果があるのです。」
 
 周瑞の家内はそれで尋ねた。「それでどんな処方なのですか。お嬢さんに教えてもらえば、わたしたちも憶えられ、人に教えてあげれば、もしこのような病気に遇っても、対処できますわ。」宝釵は笑って言った。「この処方は尋ねない方がましですわよ。もし聞いたら、本当にこまごまと煩わしいのです。ものも薬材も限りがあるし、最も得難いのは「折よく」という点で、春に咲く白牡丹の花蕊(かずい。花のしべ)を十二両(両は1斤の16分の1)。夏に咲く白い蓮の花蕊を十二両。秋の白芙蓉の花蕊を十二両。冬の白い梅の花蕊を十二両。これら四種の花蕊を翌年の春分に陽に晒して乾かし、粉薬と合わせ、一緒に磨り潰します。また雨水の日に天から降る水が十二銭(銭は1斤の160分の1)必要です……」周瑞の家内は笑って言った。「あらまあ。そうすると三年の時間が必要ですわ。もし雨水の日に雨が降らなかったら、どうするんですか。」宝釵は笑って言った。「そうなんです。こんなに「折よく」雨が降るはずがないでしょう。それでもまた待つしかないのです。更に白露の日の露が十二銭、霜降の日の霜が十二銭、小雪の日の雪が十二銭。この四種の水でむらなく調合し、龍眼の大きさの丸薬にし、古い磁器の壺に入れ、花の根の下に埋め、もし病状が出たら、取り出して一錠飲むのです。一銭二分の黄柏(黄檗。オウバク、キハダ)を煎じたお湯で飲み下します。」
 
 周瑞の家内はそれを聞いて、笑って言った。「南無阿弥陀仏。本当にとってもうまいタイミングでないとだめですね。十年待っても、全部は揃わないわ。」宝釵が言った。「それがなんとうまくいったのです。和尚様が帰られて後、一二年して、折よく皆揃い、なんとか薬の材料を配合し、今は家から持って来て、梨の樹の下に埋めてあります。」周瑞の家内がまた尋ねた。「その薬は名前がありますか。」宝釵が言った。「あります。これもあの和尚様が言われたのですが、「冷香丸」と言います。」周瑞の家内はそれを聞いて頷き、また尋ねた。「この病気は発症すると、いったいどうなるのですか。」宝釵が言った。「特に何も感じなくて、少し息ぎれがして咳が出るだけですが、一錠薬を飲むと、治まります。」
 
 周瑞の家内がまだ何か話そうとした時、ふと王夫人が尋ねる声が聞こえた。「誰か中におられるの。」周瑞の家内は慌てて応答し、劉婆さんのことをご報告した。しばらく待っていると、王夫人が何も言わず帰ろうとしていたので、薛おばさんが急にまた笑って言った。「ちょっとお待ちになって。うちにあるものを、持って帰ってちょうだい。」そう言いながら、「香菱」と呼んだ。入口のすだれをジャラジャラ鳴らし、金釧兒と遊んでいた少女が入ってきて、「奥様、何かご用で。」と尋ねた。薛おばさんが言った。「あの箱に入った花を持ってきてちょうだい。」 香菱は「はい」と応え、あちらから小さな錦の箱を捧げ持って来た。薛おばさんが言った。「これは宮廷で作った生花に似せた紗(薄いシルクの布)で作った造花で、十二本あります。昨日思い出して、うちに置いておいても古くなるだけで勿体ないので、おたくの女兄弟たちの髪に挿していただけないかしら。昨日お持ちしようと思っていたのだけれど、忘れていました。今日ちょうどお越しになったから、持って行ってちょうだい。お宅には三人お嬢ちゃんがおられるから、おひとり二本、残った六本は林お嬢ちゃんに二本、四本は鳳姉さんにあげてください。」王夫人は言った。「宝釵ちゃんに取っておいてあげて挿してもらって。それからあの娘たちのことを考えればいいわ。」薛おばさんは言った。「あなたはご存じないのね。宝ちゃん(宝釵)は変わってるの。あの子はこれまでこうした花や飾りに興味が無いの。」
 
 
 そう言いながら、周瑞の家内は箱を持って、部屋の入口を出て、金釧兒がまだそこで日の光を浴びていたので、周瑞の家内は尋ねた。「あの香菱という娘が、よくうわさに出る、都に上がる時に買ったとかいう、あの人が人を殺(あや)めて訴訟沙汰になった、あの娘かい。」金釧兒は言った。「他でもなく、あの娘がそうです。」ちょうど話していると、香菱がにこにこしながら歩いて来たので、周瑞の家内が香菱の手を取り、彼女を一度子細に見回し、それから金釧兒に笑って言った。「この身なりは、結局わたしたち東府(寧国府)の小蓉若奥様さんのお人柄が出ているのかしら。」金釧兒は言った。「わたしもそう思います。」周瑞の家内はまた香菱に尋ねた。「あなたはいくつの時にここに連れて来られたの。」また尋ねた。「あなたの父さん母さんはどちらにおられるの。今年は十何歳。出身はどこなの。」香菱は質問を聞いても、首を振って答えた。「憶えていません。」周瑞の家内と金釧兒はそれを聞いて、却ってため息をついた。
 
 しばらくして周瑞の家内は花を持ち、王夫人の母屋の後ろに行った。実は最近賈のお婆様が、孫娘たちの人数が多過ぎて、一ヶ所にいると窮屈で不便なので、宝玉と黛玉のふたりだけここに残して気を紛らし、迎春、探春、惜春の三人は王夫人のこちらの建屋の後ろの三間の抱厦(母屋の後ろにつながった部屋)に移して住まわせ、李紈に付き添い世話をさせるよう言いつけた。今周瑞の家内は元の道順で先ずここに来ると、何人かの女中たちが抱厦の中に黙って座り、お呼びがかかるのを待っていた。 迎春の小間使いの司棋と 探春の小間使いの侍書のふたりが、ちょうど簾(すだれ)をめくって出て来た。ふたりとも手にお盆と湯のみを捧げ持っていたので、周瑞の家内は姉妹が一緒にいるのが分かり、部屋の中に入った。すると迎春、探春のふたりがちょうど窓の下で囲碁を指していた。周瑞の家内は花を届け、経緯(いきさつ)を説明したが、ふたりは囲碁に夢中で、ちょっと腰を上げてお礼を言っただけで、小間使いたちに命じて仕舞わせた。
 
 周瑞の家内は承諾すると、また尋ねた。「惜春様(四姑娘)が部屋にいらっしゃらないが、ひょっとして大奥様のところに行かれたの。」女中たちが答えた。「あちらのお部屋ではないですか。」周瑞の家内はそう聞くと、こちらの部屋にやって来た。すると惜春がちょうど水月庵の若い尼(小姑子)の智能兒とふたり一緒に遊んでいた。周瑞の家内が入って来たのを見て、用件を聞いた。周瑞の家内は花の箱を開け、経緯を説明すると、惜春は笑って言った。「わたし、ここでちょうど今、智能兒と話していたのだけれど、わたしが明日もし髪を剃って尼にならないといけないとして、そんな時に、ちょうどうまい具合に花が送られて来るなんて。髪を剃ってしまったら、花をどこに付ければいいのかしらね。」そう言いながら、皆でけらけら笑った。惜春は小間使いに命じて仕舞わせた。
 
 周瑞の家内はそれで智能兒に尋ねた。「あなた、いつ来られたの。あなたのお師匠のあの禿頭はどこへ行ったの。」智能兒は言った。「わたしたち、朝一に来ました。うちの師匠は奥様にお目にかかってから、旦那様のお宅に行かれ、わたしはここで待っているよう言われました。」周瑞の家内はまた言った。「毎月十五日のお供えのお布施の銀子はもうもらったの。」智能兒は言った。「存じません。」惜春は周瑞の家内に尋ねた。「今はそれぞれのお寺への毎月のお布施は誰が管理しているの。」周瑞の家内は言った。「余信が管理しています。」惜春はそう聞くと笑って言った。「今回がそうなんですね。この子のお師匠が来ると、余信の家の者が飛んで来て、お師匠と半日ごちゃごちゃやって、おそらく今ちょうど話し合っているのがそのことなんですね。」
 
 かの周瑞の家内はまた智能兒とぶつぶつ言っていたが、その後鳳姐のところに行くのに、通路を通り抜け、李紈の家の裏窓の下から西の花垣を通り、西角門を出て、鳳姐の家に入った。広間に着くと、小間使いの豊兒が部屋の入口の敷居の上に座っているのが見えた。周瑞の家内が来たのを見ると、急いで手を振り、彼女を東側の部屋に行かせた。周瑞の家内は了解して、急いで足音を忍ばせ東側の部屋の中に入ると、鳳姐が寝ていたので乳母が手の平で叩いて起こしているのが見えた。周瑞の家内はそっと尋ねた。「若奥様はお昼寝されているの。でも起きていただかないと。」乳母は笑いながら、口をへの字に曲げて首を振った。ちょうど尋ねていた時、あちらから微かに笑い声が聞こえたが、賈璉の声であった。続いて部屋の扉が開く音が響き、平兒が大きな銅のたらいを持って出て来て、それに水をくんで来させた。
 
 平兒がこちらに入って来て、周瑞の家内を見ると、尋ねた。「あなた、また来られて何かご用なの。」周瑞の家内は急いで立ち上がり、箱を持ってきて平兒に見せた。「お花を届けに来ました。」平兒はそう聞くと、箱を開け、花の枝を四本取り出し、またその場に置いた。しばらく考えていたが、手で二本取り上げ、先ず彩明を呼んで、こう言いつけた。「あちらのお屋敷にお届けして、蓉ちゃんの奥様の頭に付けていただいて。」そう言ってからようやく帰ろうとする周瑞の家内にお礼を言った。
 
 周瑞の家内はこうしてようやく賈のお婆様のお宅に向かったのだが、穿堂(表庭から裏庭に通り抜けられるようになっている部屋)を通ったところで、出会い頭にふと自分の娘が、たった今夫の家から来たばかりのようなふりをしているのを見かけた。周瑞の家内は慌てて尋ねた。「あなた、いま走ってきて何をしているの。」彼女の娘は言った。「母さん、ずっとお身体は大丈夫なの。わたしは家でずっと待っていたけど、母さんはとうとう帰ってこないし、どんな事情でこんなに忙しいのに帰って来ないの。わたしは待ちくたびれて、自分が先に大奥様のところにうかがいご挨拶しようと思い、たった今大奥様にご挨拶してきました。お母さんは何かまだ終わらないお使い事があるの。手に持っているのは何なの。」周瑞の家内は笑って言った。「まあ。今日はもっぱら劉お婆さんのことで来て、自分でもいろんなことがあって、劉お婆さんのために半日走り回ったわ。今回は薛の叔母様(姨太太。お妾さんのこと)にお目にかかって、頼まれてこの花をお嬢さんや若奥様にお届けにうかがったの。まだ全部がお届けできていないの。あなた、今日出て来たのは、きっと何か事情があるんじゃないの。」
 
 彼女の娘は笑って言った。「母さんならきっと分かるわ。考えてみたらすぐ分かるはずよ。実際、母さんに言うけど、うちの旦那(周瑞の家内の娘婿の冷子興)が以前ちょっと酒を飲み過ぎて、人と争いが起きて、どうやって人を怒らせたか知らないけれど、あの人の素性がよく分からないと、役所に訴えられ、故郷に送り返されそうになったの。だからわたしが出て来て、母さんとちょっと相談して、情状の余地がないか検討してみたいの。どなたにお願いしたら解決できるんでしょう。」周瑞の家内はそう聞いて答えた。「分かったわ。こんなこと別に大したことでもないのに、慌ててこんなことをして。あなた、先に家に帰ってなさい。わたしは林お嬢様にお花を届けたら戻るから。今回は奥様や若奥様に面倒をおかけする訳にはいかないわ。」彼女の娘はそう聞くと、帰ろうとして、また言った。「母さん、ともかく早く戻ってね。」周瑞の家内は言った。「ほらごらん。小者はどんなことでも、慌ててこんなに取り乱すんだから。」そう言うと、黛玉の部屋に行った。
 
 あいにくこの時黛玉は自分の部屋におらず、宝玉の部屋に居て、皆で九連環(知恵の輪のような玩具)を解いて遊んでいた。周瑞の家内は入って行くと、笑って言った。「林お嬢様、叔母様(姨太太)がわたしにお花をお届けするよう言われました。」宝玉はそれを聞くと、言った。「どんなお花なの。取り出して、僕にもちょっと見せて。」一方で手を伸ばして箱を受け取り、見てみると、実は二本の宮廷で作られた紗を重ねた新しい技巧の造花で、黛玉はただ宝玉が手に持つ花を一目見て、尋ねた。「わたしひとりだけにくださるの。それとも他のお嬢ちゃんたちのも皆あるの。」周瑞の家内は言った。「皆さん全部にありますよ。この二本は林お嬢様の分です。」黛玉は冷ややかに笑って言った。「わたし、分かっていてよ。他の皆さんに選ばれずに残ったものをわたしにくれたんじゃないの。」
 
 周瑞の家内はそれを聞いて、一言も返答できなかった。宝玉は尋ねた。「周お姉さま、どうやってこちらまで来たの。」周瑞の家内はそれでこう答えた。「奥様があちらにおられ、わたし、お返事にうかがったんです。そうすると、叔母様( 姨太太 )がついでにわたしにお花を持って行くよう言われたんです。」宝玉は言った。「宝姉さんは家で何をされているの。どうしてここ何日かお越しにならないの。」周瑞の家内は言った。「お身体の具合があまりよくないのです。」宝玉はそう聞くと、女中たちに言った。「誰かちょっと見てきておくれ。こう言うんだ。わたしと林ちゃんから言付かって、宝姉さんのお加減をうかがいに来ました。姉さん、どんなご病気で、どんなお薬を飲んでおられますか。本当は、わたしが自ら来ないといけないのですが、学校から戻ったばかりで、また少し風邪気味なので、日を改めまたお見舞いにうかがいます、とね。」そう言うと、茜雪が返事をして出て行った。周瑞の家内は家に戻ったが、特に話は無い。
 
 元々、周瑞の家内の娘婿は雨村の親友の冷子興で、最近骨董の商売で、人と訴訟沙汰になり、それで妻を寄こして情状の余地を探らせたのだった。周瑞の家内は主人の権勢を頼りにして、この事件もあまり心配しておらず、夜に鳳姐にちょっとお願いするだけで、この件は終わりにした。
 
 火点し時になって、鳳姐は化粧を落とし、王夫人に会いに来て、回答して言った。「今日、甄家が送って来たものを、わたしもう受け取りました。わたしたちがあちらに送ったものは、ちょうどあちらさんからお正月に新鮮な果物や魚を送って来た船で、あちらに持って帰ってもらいました。」王夫人は頷いた。鳳姐がまた言った。「臨安の伯お婆様の誕生日のお祝いの品はもう準備しました。奥様、誰に届けさせましょうか。」王夫人は言った。「あなたが誰が閑(ひま)か見て、四人の女性を行かせればいいわよ。わたしに尋ねるまでもないわ。」鳳姐が言った。「今日珍叔父様の奥様が来られて、わたしに明日ちょっと来てほしいとのことでしたが、明日は何かありましたっけ。」王夫人は言った。「何かあっても無くても、何も支障は無いわ。いつもあちらが招待されるのがわたしたちだと、あなたも不都合でしょうが、あちらがわたしたちでなく、あなただけをご招待されたなら、それはあちらの誠意で、あなたに羽を伸ばしていただきたいということよ。あちらのお気持ちに背いてはいけないわ。やはり行ってこなくっちゃ。」鳳姐は「はい」と答えた。すぐさま李紈、探春らの姉妹たちもお休みのご挨拶が終わり、各々部屋に帰った。その後特に話は無い。
 
 翌日鳳姐は身づくろいをし、先に王夫人への挨拶が終わると、ようやく賈のお婆様にご挨拶をした。宝玉は聞きつけて、自分も一緒に行きたいと言ったので、鳳姐は分かったと言うしかなく、直ちに衣裳を着替えるのを待ち、鳳姐と宝玉ふたりは車に乗ると、しばらくして寧府に入った。早くも賈珍の妻の尤氏と息子の賈蓉の嫁の秦氏という嫁と姑ふたりが、何人かの側室や女中を連れて、儀門で出迎えた。
 
 かの尤氏は鳳姐を一目見ると、先ずひとしきり嘲笑し、宝玉の手を取り、一緒に部屋に入って座らせた。秦氏が茶を淹れると、鳳姐が言った。「皆さんはわたしを招待してどうされるの。どんな贈り物がいただけるの。ものがあるなら持っていらして。わたし、用事があるの。」尤氏がまだ応答せぬうちに、何人かの嫁たちが先に笑って言った。「若奥様、今日は来られなくてもよろしかったのに。でも来られた上は、お宅の方でもあなたに頼る必要がなくてよ。」ちょうどそう言っていると、賈蓉が部屋に入って来て挨拶をするのが見えた。宝玉はそれで言った。「大お兄様は今日は家におられないの。」尤氏は言った。「今日は出かけていて、上役の方のところへご挨拶に行っているの。」また言った。「でもあなたはうつうつとして愉しまず、こんなところに座っていてどうするの。どうして出かけて行ってぶらぶらしないの。」
 
 秦氏が笑って言った。「今日はちょうど良かったわ。この前、宝叔父様が会いたがってたわたしの弟が、今日はここの書斎にいますよ。ちょっと顔を見に行かれては。」宝玉が会いに行こうとしたので、尤氏は急いで召使に気をつけてお世話するよう言いつけ、付いて行かせた。鳳姐が言った。「こういうことだったら、どうしてこちらの部屋に入らせて、わたしにも会わせてくださらないの。」尤氏は笑って言った。「まあ、まあ。お会いにならなくてもよろしいでしょう。このお屋敷のお子たちとは比べようもなく、叩かれ、ほったらかしにされるのに慣れていますの。人様の子供は、みなお上品で、あなたのようなおっかない女に会ったことがないのに、まだ人様を笑いものにするつもりなの。」鳳姐は笑って言った。「わたしが笑いものにしなければいいんでしょう。でもあちらがわたしを笑いものにしてきたら、後はどうなるか知らないわよ。」賈蓉が言った。「あの子は生まれつき引っ込み思案で、大きな立ち回りを見たことがないのです。叔母さんに会ったら、圧倒されて気持ちが萎えてしまいます。」鳳姐はつばを吐いて言った。「ちぇっ。あほくさ。その子がたとえ神話の中の哪吒nézhā(なた。道教で崇められている護法神)様だって、ちょっと会ってみる必要があるわ。ばか言わないで。それでも連れて来ないなら、あんたの頬っぺたに一発びんたをお見舞いするからね。」賈蓉はおっかなくて正視できなくなり、眼をそらしながら笑って言った。「叔母さん、そんなにいじめないでよ。わたしたちがあの子を連れて来ればいいんでしょう。」鳳姐も笑い出した。話が終わって、しばらくして、果たしてひとりの若者を連れて来た。宝玉より少し痩せていて、眉目秀麗で、顔は白粉を塗ったように白く、唇は朱を塗ったように真っ赤で、身体は見眼麗しく、ふるまいは優雅で、見たところ宝玉の上をいく美男子であった。ただ気弱で恥ずかしがりの様子は少女のようで、なんとなくはにかみながら鳳姐にごきげんようの挨拶をすると、鳳姐は嬉しがって宝玉を押し出し、笑って、「比べてごらんよ。」と言いながら、身を乗り出してこの子の手を握り、自分の傍らに座らせると、ゆっくりと年齢や勉強のことを尋ね、ようやくこの子が学名(子供が学校に入学するときにつけた正式の名前)を秦鐘ということを知った。
 
 
 早くも鳳姐お付きの女中や嫁たちは、鳳姐が初めて秦鐘に会い、且つまだ贈り物を渡す準備をしていないのを見て、急いであちらに行って平兒にそれを告げると、平兒は素より鳳姐と秦氏が極めて親しいのを知っていたので、自分の判断で一匹の布地、「状元及第」の刻印を施した金の小さな塊をふたつ持って来て、人に言いつけて持って行かせた。鳳姐が更に「ちょっと些細なもので申し訳ありませんが」と一言加えた。それに秦氏らが感謝を言い終わると、しばらくして食事をし、尤氏、鳳姐、秦氏らはマージャンをしたが、このことは特に言うまでもない。
 
 宝玉と秦鐘のふたりは適当に立ったり座ったりして話をしたが、かの宝玉は秦鐘を一目見るなり、心の中で何かを亡くしたように感じ、しばらくボオッとしていたが、自分の心の中でまた無意識に考えているうちに、すなわちこう思った。「世の中には、なんとこのような人物がいようとは。今思うに、僕は自分が卑賎で粗野な人間になったような気がする。恨むべくは、僕はどうして貴族や官吏の家に生まれてきたのだろう。もし貧しい小役人の家に生まれていたら、とっくに彼と交際していたろうし、一生を無駄に過ごすことも無かっただろう。僕は彼より身分が高いが、綾衣や錦、 紗(しゃ)、薄絹なども、僕という枯れて腐った木を包んでいるだけ、羊の羹(あつもの)や美酒も、僕という肥えツボを満たしているに過ぎない。「富貴」の二文字は、本当に人間に害を与えるものだ。」 かの秦鐘が眺めてみると、宝玉の顔かたちが人並み優れていて、ふるまいが非凡で、そのうえ金の冠、刺繍の入った服を身に着け、身辺には美しい女中や麗しい召使の少年が控えている。「なるほど、お姉さんが平素言われていたように、たいへんすばらしいですね。わたしはあいにく貧しい家に生まれたので、どうしてこんな方と親しく接することができたでしょうか。これも縁(えにし)ですね。」ふたりは同じようにあれこれ思いめぐらせた。宝玉はまた秦鐘にどんな本を読んでいるか尋ね、秦鐘は尋ねられたことに、正直に答えた。ふたりは話し合いながら、意見を交わし合い、益々親密になった。
 
 しばらくしてお茶請けが運ばれて茶を飲むと、宝玉は言った。「僕たちふたりは酒も飲まないから、奥の部屋のオンドルにおつまみを用意させて、あちらへ行こうよ。そうすればがやがや騒がしくて落ち着かないこともないだろう。」そしてふたりは奥の部屋に行って茶を飲んだ。秦氏は一方で鳳姐が酒を飲む支度をし、一方では急いで部屋に入って来て宝玉に言いつけた。「宝叔父様、甥はまだ幼くて、何か失礼なことを言うかもしれないけど、くれぐれもわたしに免じて、この子を叱らないでね。この子は内気だけど、つむじ曲がりなところがあるから、あまり人付き合いが良くないの。」宝玉は笑って言った。「もう行ってよ。分かったから。」秦氏はもう一度弟の秦鐘にあれこれ言いつけると、ようやく鳳姐のお伴をして行ってしまった。
 
 しばらくして鳳姐と尤氏が人を遣って宝玉に尋ねた。「何か食べたいものがあったら、遠慮せずこちらに来なさいよ。」宝玉はただ「はい」と答えていたが、飲食のことには関心が無く、ただ秦鐘に最近の家庭内のできごとなどを尋ねた。秦鐘はそれで言った。「恩師が昨年家(うち)を辞められたのですが、父は高齢で、身体に障害があり、公務が煩雑なので、まだ新しい教師を雇うかどうか決まっておらず、目下は家で既に学んだところの復習をしているだけです。それに、勉強するにも、一二の学友と一緒でないとだめで、いつも皆で討論してこそ、学識の進歩が得られるのです。」宝玉は秦鐘が言い終わらないうちに、こう言った。「本当にそうだね。うちの家には家塾があるから、一族の中で新たに教師を雇えないなら、家塾に入って勉強することができ、親戚の子弟なら一緒に勉強できる。僕も去年恩師が故郷に帰られたので、今は勉強がおろそかになっているんだ。父の意見は、僕にしばらく家塾を離れ、既に学んだところの復習をして、来年新しい先生が赴任されたら、再び各々家塾で勉強しなさいと言っている。祖母はそれでこう言うんだ。ひとつに、家塾で学ぶ子弟が多過ぎて、おそらく皆やんちゃだろうから、却って良くない。二に、僕が何日か病気だったので、ちょっと勉強が遅れてしまっている。こんな風に言うものだから、父上も今はこのことを気にかけているから、今日帰ったら、うちの家塾に君が来ることを、報告しようじゃないか。僕も一緒に勉強すれば、お互いに有益で、いいんじゃないかい。」秦鐘は笑って言った。「父は先日家で新しい先生を招くことを話した時にも、ここの義学(家塾)がすばらしいから、元々こちらに来てここの旦那様に入学の推薦をいただくよう相談すると申していたのですが、ここのところまた仕事が忙しく、このような些細なことで面倒をおかけするのは申し訳ないと言うのです。宝叔父様がもし甥のことを心配し、一緒に勉強してもいいとおっしゃるなら、すぐに行動を起こしませんか。そうすればお互いに勉強がおろそかにならず、いつも一緒に話ができるし、父母の心を慰め、また友人の交わりを楽しむこともでき、すばらしいじゃないですか。」宝玉は言った。「安心して。僕たち、帰ったら君の姉さん夫婦と璉叔父さんの奥さんに話をしよう。今日君は帰ったらお父上に報告して、僕は帰ってお婆様に報告すれば、遠からず実現しない道理は無いさ。」
 
 ふたりの相談は既に定まり、その日は既に火点し時となったので、戻ってまた皆と麻雀を一局やって遊び、精算すると、秦氏と尤氏のふたりが負けて食事を奢ることになり、後日宴席招待の約束をし、一方また皆で夕食を食べた。
 
 辺りが暗くなったので、尤氏が言った。「ふたりの小者に秦お兄様の家まで送らせましょう。」女中たちがその旨伝えに行ってしばらく経った。秦鐘は暇乞いをして立ち上がると、尤氏が尋ねた。「誰に送らせるの。」女中たちは答えて言った。「外では焦大を遣わすと言ってましたが、あろうことか焦大が酔っぱらって、また怒鳴るんですよ。」尤氏、秦氏は言った。「どうしても焦大を遣わさないといけないの。あの小者は派遣できないの。いたずらに焦大の気分を損ねるだけでしょ。」鳳姐は言った。「いつも家で言われているように、あんたはあまりに軟弱だから、家の中の者がこのように勝手気ままに振舞って、収拾がつかず大変だわ。」尤氏は言った。「あなたはこの焦大のことを知らないとでも言うの。たとえ旦那様でも焦大を相手にできない。お宅の珍お兄様でも無理よ。それというのも、焦大は小さい時からお爺様と三四回出兵して、屍(しかばね)の山の中からお爺様を背負って出て来て、それでようやく命拾いできたの。自分は空腹を我慢しても、何か食べるものを盗んで来て、ご主人様に食べさせたし、二日の間水が無くて、やっと茶碗半分の水を得たら、ご主人様に飲ませて、自分は馬の小便を飲んだの。でもこうした昔の功労のよしみに頼っていては、ご先祖様が存命の時は、特別な優待や尊重をしてもらえるけど、今じゃあ誰も焦大を擁護しようとは思わないわ。焦大自身、もう歳だし、体面も気にしないけれど、もっぱら酒好きで、酔っぱらうと誰彼となく怒鳴り散らすの。わたしはいつも執事に言ってるのよ、今後、焦大を使いに出すなって。あの人が死んでさえくれたら、もうそれで終わりだから。今日またあの人を遣わそうなんて。」鳳姐が言った。「わたしがどうしてこの焦大を知らないなんてお思いなの。結局あなたがたがしっかりした考えが無いからよ。あの人を遠くの村まで行かせてしまえば済むことでしょう。」そう言って、また尋ねた。「うちの車は準備ができているの。」女中たちは言った。「もう全員が控えております。」鳳姐も立ち上がり暇乞いをすると、宝玉と手を携え、一緒に出て行った。
 
 尤氏らは広間の前まで見送ると、灯火が光り輝いているのが見え、小僧たちが朱塗りの階(きざはし)のところで付き従って立っていた。かの焦大は賈珍が家に不在なのをいいことに、酒の勢いに任せ、先ず大総管(管理責任者)の頼二を怒鳴りつけ、彼に言った。「不公平だ。弱い者には強く出て。簡単なお使いには他の奴を遣わして。こんな深夜に人を送る時はおれだ。良心のかけらも無いばか野郎だ。でたらめに執事になりやがって。おまえさんもちょっと考えてみな、焦大爺さんが片足を上げるだけでも、おまえさんの頭よりももっと高いんだ。この二十年というもの、焦大爺さんの眼中に誰がいたか。おまえたちみたいなのは、十把一絡げの大馬鹿野郎だ。」ちょうど罵りが佳境になった時に、賈蓉が鳳姐を送る車がやって来たが、人々が焦大を止めることができないので、賈蓉は我慢できず二言三言罵ると、叫んだ。「こいつを縛ってしまえ。明日酔いが醒めたら、こいつに首をくくって死ぬかどうか聞こうじゃないか。」
 
 かの焦大の方では賈蓉は眼中にあったろうか。却って大声を上げ、賈蓉の叫び声を追い払った。「蓉兄貴、あんた焦大の目の前で主人づらするんじゃないよ。あんた、そんなこと言うなよ。あんたの父さんも爺さんも、焦大の前で威張るなんてようしなかった。焦大ひとりがいなかったら、あんたたちが役人になり、栄華を享受し、富貴を得ることも無かった。あんたの祖先は九死に一生を得たおかげで今の財産を手にしたのに、今に到るもわたしの恩に報いず、却ってわたしに主人づらをしやがって。わたしに対してこれ以上何か言うなんて、まだ許されると思っているのかい。もし言おうものなら、おれたち、血を見ることになるぜ。」鳳姐は車の中で賈蓉に言った。「できるだけ早くあんな法律や道徳規範を無視する輩は追い出した方がいいわ。家に留めても、害になるだけでしょ。親しい友人に知られたら、うちの家が、行儀作法もできていないと、笑いものになるわ。」賈蓉は「はい」と答えた。
 
 
 人々は焦大があまりに粗暴な振舞いをするので、何人かで焦大をつかんで押し倒して縛り上げ、厩(うまや)の方に引っ張って行った。焦大は益々激高し、賈珍の名前まで持ち出し、大声で叫んだ。「祠堂(一族の先祖を祀った廟)へ行って、お爺様に泣いてお詫びせねば。誰が今となってこんな畜生らが生まれてくると思ったことか。毎日正業に就かず、「爬灰」(香炉の中の灰を掻く。俗語で親父が息子の嫁と姦通すること)する者は「爬灰」する、「養小叔子」(不義の子供を作る)する者は「養小叔子」と、おれが知らないとでも思っているのか。おれたちなんて、「腕が折れたら袖の中に隠す」で、消されちまうのさ。」小者たちは焦大が少しも恐れも遠慮もなく話すのを聞いて、驚きのあまり、魂が身体を離れて飛び散りそうになり、焦大を縛り上げると、土や馬の糞を彼の口一杯に詰め込んだ。
 
 鳳姐と賈蓉も長々と焦大の話が聞こえていたが、聞こえないふりをした。宝玉は車の中でそれを聞き、鳳姐に尋ねた。「お姉さま。あの人が「爬灰」(香炉の中の灰を掻く)する者は「爬灰」と言うのが聞こえたけど、これってどういうこと。」鳳姐は慌てて叱って言った。「あまりばかなことは言わないで。あれは酔っ払いが口の中でゲロを吐いただけなの。あなたはどんな立場の人間なの。聞こえなかったとは言わないまでも、細かく尋ねるんじゃないの。うちに帰って奥様に報告したら、奥様があんたをぶん殴るかどうか見てみましょう。」驚いた宝玉は急いで懇願した。「お姉さま、お願い。僕もうこの話をしないから。」鳳姐は宝玉をなだめすかして言った。「いい子。それでいいのよ。うちに帰って大奥様にご報告したら、人を家塾に遣って説明しましょう。秦鐘が家塾に来て勉強できるようにするのが大事だからね。」そう言って、栄国府に帰って来た。この先どうなるかは、次回に説き明かします。
 
 これで第七回は終了、宝玉が栄国府に帰ってから、どんなお話が展開するか、次回『紅楼夢』第八回をお楽しみに。