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中国語学習者、Congziのブログ

京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 今日は京都西陣にある五辻昆布のご主人がやられている、完全予約制のこだわりラーメンをいただいてきました。昆布の消費がジリ貧となっていることに危惧を抱かれたご主人が、昆布のすばらしさの啓蒙を兼ねて始められた、ラーメン。

 

 メインのラーメンが出てくる前に、ご主人から、昆布の紹介と、おぼろ昆布作成の実演があります。

 

 ご主人がカウンター越しに説明をしてくださいます。客はカウンター越しに毎回10名。11時、12時、13時と3回やられるので、1日30食です。

 

 使う昆布です。右から利尻、真昆布、羅臼の3種類。それぞれ水出しで出汁を取って、テイスティングをさせてもらいます。

 

 

 

おぼろ昆布作りの実演。おぼろ昆布は職人が手で挽いたもの。とろろ昆布は機械で挽いたものの違いがあるそう。酢につけて柔らかくした昆布を、専用の刃物で挽いていきます。

 

 

 これがこだわりのラーメン。出汁は昆布出汁とカツオやサバの魚介出汁がメイン。醤油は使われていません。麺は全粒粉で特別に作ってもらったもの。具は鶏むね肉、タケノコ、九条ネギ、そしておぼろ昆布。

 

 

 後で昆布出汁で炊いたミニおむすびが出てきます。

 

 あくまで昆布屋の昆布の販売促進用なので、料金は、ラーメン代として、「いいこぶ」の語呂合わせで1杯、1152円+お店の昆布製品を1品以上購入すること、という条件になっています。

 

 この後、ついでに近所にある釘抜地蔵(正式名は石像寺(しゃくぞうじ))にお参りに行ってきました。

 

 

 

 

 弘法大師空海が、庶民の苦を抜くという意味で、苦抜地蔵として創建したお寺が、その後、訛って釘抜地蔵として、信仰を集めるようになったとか。身体と心の苦しみを抜いてくださる、ということで信仰を集めています。

 

 

 

 

 八寸釘と釘抜きを並べた絵馬がお堂の周りに掛かっているのが、なんとも個性的なお寺です。

 

 端午の節句になり、元春妃の命で、道教寺院の清虚観で芝居の奉納をすることになり、賈のお婆様はじめお屋敷の女たちが清虚観に出かけます。そこで清虚観の張道士がお婆様に宝玉の縁談話を持ちかけますが、どうもその相手というのが宝釵のよう。宝玉は前回の元春妃からの贈り物の一件や、第八回の宝釵の金のネックレスと自分の 通霊玉との関りの件など、ここへ来て自分と宝釵の運命的なつながりを感じつつ、一方幼い時から兄弟のようにいっしょに育った黛玉への愛情を強く持ち、心が乱れます。一方黛玉も宝玉を慕いつつ、口では冷たく突き放すようなことを心にもなく言ってしまい、ふたりの関係は収拾がつかぬほど険悪になってしまいます。さあ宝玉と黛玉、宝釵の関係はどうなっていくのでしょうか。『紅楼夢』第二十九回をご覧ください。

 

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(う)ける福深きといえども還(ま)だ(いの)る

多情きも(ますます)(おしはか)る

 

 さて宝玉がちょうどぼんやりしていると、思いがけず黛玉がハンカチを放り投げて来て、ちょうど宝玉の眼に当たり、びっくりして、尋ねた。「これは誰の仕業(しわざ)だ?」黛玉は首を横に振って笑って言った。「ごめんなさい、わたし手が滑ったわ。それというのも、宝姉さんがばかな雁を見たいと言われるものだから、わたし手まねをしてお見せしようとしていたら、思わず手が滑ってしまったの。」宝玉は眼をさすりながら、何か言おうとしたが、言葉がうまく出て来なかった。

 

 しばらくして鳳姐がやって来て、五月一日に(道教寺院の)清虚観で祈祷を行うことを話し、宝釵、宝玉、黛玉らと芝居を見に行く約束をした。 宝釵は笑って言った。「もうたくさん。暑過ぎて、芝居なんて見ていられない。わたしは行かないわ。」鳳姐が言った。「あそこは涼しいのよ、両側にやぐらもあるし。わたしたちが行くとなったら、わたし事前に人を遣って、あそこの道士たちを追い出して、やぐらの上を掃除して、帷(とばり)を掛けて、部外者はひとりも廟宇に入れないようにしないとね。わたしはもう奥様にご報告したから、あなたがたが行かないんだったら、わたしひとりでも行くわよ。ここんとこ、むしゃくしゃしていたから、家でひとつ芝居でも上演させて、わたしも心地よくそれを楽しみたいの。」

 

 賈のお婆様はそう聞いて、笑って言った。「こんなことなら、わたしとあなたで行きましょう。」鳳姐がそれを聞いて、笑って言った。「お婆様も行かれるんですか?それは願ってもないことですけど――でもわたし、それはお受けできませんわ。」賈のお婆様が言った。「明日になったら、わたしが正面のやぐらの上に居るから、あなたは隣のやぐらの上に居るようにすれば、あなたもわたしの方に来ていちいち伺候する必要がなくなるわ。そうすればどう?」鳳姐が笑って言った。「お婆様のご配慮痛み入りますわ。」賈のお婆様はそれで宝釵に言った。「あなたも行きなさい。あなたのお母さんもお連れなさい。夏の盛りで、家に居ても眠くなるだけだから。」宝釵は「はい」と答えるしかなかった。

 

 賈のお婆様はまた人を遣って薛叔母さんを招待し、そのついでに王夫人に言い、女兄弟たちを連れて来るよう言いつけた。王夫人はひとつには身体の具合が良くなく、ふたつ目に元春妃が里帰りされる準備で誰か出て来るよう言われていて、早くから清虚観には行けないと回答していた。賈のお婆様がこのように言うのを聞いて、笑って言った。「やはりこんなに嬉しそうにされて。人を遣って大観園の中にも連絡してやって、もし清虚観に遊びに行きたい者がいるなら、気兼ねせず五月一日にお婆様と一緒に遊びに行くよう言いつけましょう。」

 

 この話が伝わると、誰でも行きたい者は連れて行くとのことで、小間使いの女たちにとって、日々お屋敷の門の敷居を出るのも許されない中、この話を聞いて、行きたくない者などいようものか。たとえそれぞれのご主人がものぐさで行きたくなくても、彼女たちは何とかして行くよう勧めた。このため李紈らは皆行くと言った。賈のお婆様は心の中で益々嬉しくなり、早くも人々に掃除や据付に行くよう言いつけたのであるが、それは細かく言うまでもない。

 

 暦で五月一日その日になり、栄国府の門前には車輛が次々やって来て、人馬が密集し、お屋敷で家事の管理を担当する執事らは、元春妃が善行を積まれるのだとお聞きし、賈のお婆様が自ら線香を上げに行かれ、ましてや端午節の佳き日であった。このため凡そ使う必要のある物は、皆漏れの無いように、ちゃんと準備され、平素とは異なっていた。

 

 しばらくして賈のお婆様らが出て来られた。賈のお婆様は一台の八人で担ぐ大型の駕籠に乗られ、李氏、鳳姐、薛叔母さんそれぞれ一台の四人で担ぐ駕籠に乗り、 宝釵、黛玉はふたりで一緒に一輌の緑の羽で飾られ真珠を連ねた房の付いた装飾を施した車に乗り、迎春、探春、惜春の三人は一緒に一輌の赤い車輪の傘状の屋根の付いた車に乗った。その後、賈のお婆様の侍女の鴛鴦、鸚鵡、琥珀、珍珠、黛玉の侍女の紫鵑、雪雁、鸚哥、 宝釵の侍女の鶯兒、文杏、迎春の侍女の司棋、綉橘、探春の侍女の侍書、翠墨、惜春の侍女の入画、彩屏、薛叔母さんの侍女の同喜、同貴、この他に香菱、香菱の侍女の瑧兒、李氏の侍女の素雲、碧月、 鳳姐の侍女の平兒、豊兒、小紅、並びに王夫人のふたりの侍女、金釧、彩雲も、 鳳姐に従いやって来た。乳母が鳳姐の娘を抱いて、別の車に乗った。それ以外に何人かの雑役をする小間使い、それぞれの家の乳母たちまでいて、また嫁に行った女たちも後に続き、黒山のように通りが車で一杯になった。

 

 

 その通りにいた人たちは、賈のお屋敷の人々が線香を上げに行かれるのを、皆道路の両側に立って見ていた。そこらの小さな家々の女たちも、皆家の門を開けて入口のところに立ちながら、多くの人が同時に侃々諤々議論し、手振り身振りを交えてあれこれ批判をし、まるで寺の縁日のような賑やかさであった。すると前の方では正式な儀仗の隊列が展開され、ひとりの青年公子が、銀の鞍の白馬に騎乗し、色鮮やかな手綱を持ち、冠の顎紐(あごひも)は赤色で、お婆様の乗った八人で担ぐ駕籠の前でこれらの車馬の隊列を率い、威風堂々として、行列の隊伍はきらびやかで、お香の良い香りがたなびき、そんな行列が天地を圧倒せんばかりにやって来た。あたりは鳥の鳴き声も聞こえぬ静けさの中、ただ車輪の回る音と馬の蹄の音のみが聞こえた。

 

 しばらくして、既に清虚観の門前に着き、鐘や太鼓の音が聞こえ、早くも張法官が手に線香を持ち法衣を羽織り、多くの道士を連れて路傍で出迎えた。宝玉は馬を降り、賈のお婆様の駕籠がちょうど寺院の山門内に至ると、境内の鎮守の社や土地の様々な塑像や聖像が見えたので、駕籠を止めるよう命じた。賈珍は子弟たちを連れて出て来て出迎えた。鳳姐の駕籠は行列の先頭を急いで先に到着し、鴛鴦らを連れて出迎えた。賈のお婆様が駕籠を下りられるのを見ると、急いで手を貸す必要があった。ちょうど十二三歳の子供の道士がいたのであるが、蝋燭の燃え滓を回収する筒を持ち、方々で燃えさしを切り取るお世話をし、ちょうどこっそりそこから離れようと思っている時に、思いがけず頭が鳳姐の懐の中にぶつかってしまい、鳳姐が手を上げ、顔を目掛けて口をひっぱたき、その子供をこかして、怒って言った。「こん畜生、どこ見て走ってるんだ?」その子供の道士も蝋燭の燃え滓を拾うのをほっぽって、這い上がると外に向け走って逃げようとしたが、ちょうど 宝釵らが車を降りて来るところで、多くの女たちに取り囲まれて身動きが取れない状態であったが、この子供の道士はそこから抜け出して来て、大声で叫んだ。「捕まえてみやがれ。叩くがいいや。」

 

 

 賈のお婆様が聞き付け、慌てて「どうしたの?」と尋ねた。賈珍が急いで駆けつけ、どうしたのか尋ねた。鳳姐はお婆様の元に行き、身体を支えながら答えて言った。「ひとりの子供の道士が蝋燭の滓を切っていたのですが、よけてくれなかったので、この度は中に紛れ込んでしまったのです。」賈のお婆様はそう聞いて、急いで言った。「早くその子を連れておいで。怖がらせちゃだめだよ。小さな家の子供は、皆甘やかされて育っているから、こんな大それた行列は見たことが無いだろう。それなのに叱ってやっては、その子が可哀そうだ。その子の両親がその子を可愛がらないはずがないじゃないか。」そう言うと、賈珍を呼んだ。「行ってあの子をちゃんと連れておいで。」賈珍は行ってその子供を連れて来るしかなかった。――手に蝋燭の芯を切るハサミを持ち、地べたに跪いてブルブル震えていた。賈のお婆様は賈珍に命じて連れて来させ、男の子に言った。「怖がらなくていいのよ。」そう言って、彼に尋ねた。「幾つなの?」その子は終始ものが言えなかった。賈のお婆様がまた言った。「可哀そうに。」また賈珍に向け言った。「珍兄さん、この子を連れて行っておやり。この子に何枚か銭をやって、点心でも買って食べるようにさせてあげて。この子が誰かに困らされることのないようにしてあげて。」賈珍は「はい」と答え、子供を連れて行った。

 

 ここで賈のお婆様は人々を連れて、清虚観の中を一階二階と参拝し、また内部の設えを眺めた。外の子供の召使たちは賈のお婆様たちが二の門の山門に入るのを見ていたが、ふと賈珍が子供の道士を連れて出て来て、人に言いつけてこの子を連れて行かせ、彼に数百枚の銅銭を与え、彼が困らないようにしてやった。家の者がそれを聞き付け、急いでやって来て彼を連れて行った。

 

 賈珍は階(きざはし)の上に立ち、尋ねた。「ここの執事はどこにおられる?」階下に立っていた子供の召使たちは賈珍がこう尋ねるのを見て、皆一斉に大声で言った。「執事を呼んで。」すぐさま林之孝がひとりで帽子を整えながら走って入って来て、賈珍の目の前に到った。賈珍が言った。「ここは場所は大きいが、今日はわたしたちの人間が多いから、おまえの使用人たちを、こちらのやぐらの中に連れて来なさい。使いきれないようだったら、あちらのやぐらの方に行かせて、若い召使たちは少し多めにここの二の門と両側の角門に割いて、必要なものの手配や伝言の伺候をさせなさい。おまえ、分かったかね?今日はお嬢様や奥様方が皆出て来られたんだから、ひとりの部外者もここに入らせないようにしてくれよ。」林之孝は急いで「分かりました。」と答えた。また何回か「はい」と答えた。賈珍が言った。「行きなさい。」また尋ねた。「どうして賈蓉の姿が見えないんだろう?」

 

 その言葉が終わらぬうちに、賈蓉が鐘楼の中から走って出て来た。賈珍が言った。「おまえ、見てごらん。ここは暑くないのに、こいつったら、もう涼みに行ってるんだから。」召使たちに命じて賈蓉に唾を吐きかけるように言った。かの子供の召使たちは、賈珍の平素の性格をよく知っていたので、逆らうことができず、ひとりの子供の召使が近づいて来て、賈蓉の顔目掛けて唾を吐きかけた。賈珍はまた彼を睨みつけ、かの子供の召使は賈蓉に尋ねた。「旦那様がまだ暑さを気にされていないのに、お兄様はどうして先に涼みに行かれたんですか?」賈蓉は恭しく手を下に垂らすと、一言も敢えて発しようとしなかった。かの賈芸、賈萍、賈芹たちはこれを見て、彼ら自身が慌てふためいただけでなく、また賈璉、賈㻞、賈瓊たちも慌てて、ひとりひとりが皆壁の基壇の下からゆっくり走り出て来た。

 

 賈珍はまた賈蓉に言った。「おまえ、ここに立って何をしているんだ?まだ馬に乗って家まで走って帰って、母親に報告していないのか?お婆様やお嬢さん方が皆来られたんだから、彼らに言って早く伺候させなさい。」賈蓉はそう聞いて、急いで走り出て来て、何度も立て続けに「馬を持て!」と叫び声を上げた。一方で不満げに言った。「元々何をするのか知らなかったのに、今になってわたしに聞いて来るんだから。」一方でまた小者を罵った。「手を縛っていたのかい?馬も牽いて来ないとは。」子供の召使を遣わそうと思ったが、また恐らく後で調べられるのを心配し、自ら一度行って来るとは言い出せず、馬に騎乗し出て行った。

 

 さて賈珍はようやくここを抜け出して中に入ると、張道士が傍らに立っているのが見えたので、追従笑いを浮かべて言った。「実を言うと、わたしは他の皆さんとは比べものになりませんので、中で伺候すべきところですが、ただ天気があまりに暑いので、お屋敷の若い女性たちが皆外に出て来られました。法師様といえども勝手に中に入るのは憚られますので、どうかお師匠様からご指示ください。おそらくお婆様が、ひょっとするとあちらで皆さんと一緒に善行をしたいと言われるかもしれないので、わたしはただここで伺候したいと思います。」

 

 賈珍はこの張道士が曾ては栄国公の身代わりであったことを知っていて、以前先の皇帝陛下が自ら口頭で「大幻仙人」とお呼びになり、今は「道録司」(道教の事務を所轄する役所名)の印を持っておられ、また今は「終了真人」に封じられ、現在は王公藩鎮から皆「神仙」と呼ばれていたので、軽率な対応はできなかった。ふたつには、張道士がいつもふたつのお屋敷の中を往き来していて、奥様や娘たちとは皆面識があった。今、彼に会ってこのように言うと、笑って言った。「わたしたちはわたしたち、あなたはまたその話をされるんですね。これ以上言われたら、わたしはあなたの髭を掴んで引っ張りますぞ。それでもまだわたしと一緒に入られませぬのか。」かの張道士は「ハハ」と笑いながら、賈珍と一緒に中に入った。

 

 賈珍は賈のお婆様の前で、背筋をピンと伸ばし追従笑いを浮かべて言った。「張お爺様がお入りになりご挨拶をされます。」賈のお婆様はそう聞くと、急いで言った。「どうかお入りになっていただいて。」賈珍は急いで道士に手を貸してお連れした。張道士は先ず「ハハ」と笑って言った。「無量寿佛。ご長老様はいつも福寿康寧であられ、奥様お嬢様方も幸福であらせられます。しばらくお屋敷にご挨拶にうかがっておりませんが、お婆様のお顔の色つやは益々きれいになっていらっしゃいます。」賈のお婆様は笑って言った。「神仙様はお元気であらせられましたか?」張道士は笑って言った。「お婆様のご幸福のお陰を持ちまして、この道士めも健康を保っております。他のことはともかく、ただ若様のことが気がかりなのですが、ずっとお身体はご健勝ですか?この前、四月二十六日に、こちらの寺院で遮天大王の生誕のお祝いをしましたが、人の来訪も少なく、ものも無くさっぱりしているので、どうか若様に遊びに来てくださいと申し上げたのですが、どうしてご不在と言われたのか?」賈のお婆様が言った。「確かに家にいないね。」一方で振り返って宝玉を呼んだ。

 

 ところが宝玉はトイレに行っていたので、戻って来ると、急いで近寄って来て尋ねた。「張お爺様お元気ですか。」張道士も宝玉を抱きしめて挨拶をし、また賈のお婆様に笑って言った。「若様は益々ふくよかにおなりです。」賈のお婆様が言った。「この子は外面は良いのですが、内面が弱いのです。またそれに加えてこの子の父親がこの子に無理やり勉強させようとするのですが、みすみすこの子が無理やり病気になるようにしているんですわ。」張道士が言った。「先日、わたしはあちこちで若様が書いた字や、作った詩を見ましたが、どれも並外れてすばらしかったです。どうして旦那様はまだ若様があまり学問をお好きでないことを不満に思われているんでしょう?この坊主が見たところ、それもやむを得ないでしょう。」またため息をついて言った。「わたしが見たところ、若様のこのような容貌や体つき、言論や挙動は、曾ての栄国公とそっくりです。」そう言いながら、両眼を赤く腫らした。賈のお婆様もそれを聞いて、訳もなく幾分もの悲しくなり、言った。「本当にそうだわ。わたしはこれらの子供や孫たちを養ってきたけど、ひとりとして彼らにお爺様のような者がいない中、ただこの宝玉だけがお爺様似だわ。」

 

 かの張道士がまた賈珍に言った。「当時の栄国公様のご容貌は、旦那様方の世代は言うまでもなく、当然会われたこともないので、おそらく旦那様や若旦那様でもよく憶えておられないでしょう?」そう言い終わると、また「ハッハッ」と大笑いをして言った。「先日あるお宅で、ひとりのお嬢様をお見受けしました。今年十五歳で、とても美人におなりです。わたしは、若旦那様も結婚を申し込まれるに違いないと思います。――このお嬢様のご容貌、賢く機転が利くこと、家柄やお家の身代と、皆釣り合っておられます。でも、大奥様がどう思っておられるか。この坊主めも軽はずみなことをする勇気がありませんので、ご指示をいただきましたら、その時はお話を進めさせていただきます。」賈のお婆様が言った。「この前、とある和尚様が言われていたのは、この子の運命では、焦って嫁を娶ってはいけない、もう少し年をとってから決めた方がいいとのことでした。あなたが今も尋ねられているように、その方の家柄やご身代に関わらず、ご容貌が釣り合っておいでなら、わたしに言いに来てください。たとえその方のお家が貧しくても、そちらに数両の銀子をご援助してさしあげれば済むこと。ただ容貌と性格は、良い方がなかなかおられませんから。」

 

 そう言っていると、鳳姐が笑ってこう言うのが見えた。「張お爺様、うちの娘の寄名符(お守り)をまだいただいていませんわよ。この前はあいにくあなたがまだあんなにずうずうしくされて、人を遣って来られてわたしに黄色い緞子が欲しいと言われました。もしお断りしたら、またひょっとするとあなたの面子が潰され、体面を維持できなかったもしれませんわ。」張道士は「ハッハッ」と大笑いして言った。「ちょっと見てご覧なさい、わたしの眼は老眼でかすんでしまって、奥様がここにおられるのも見えませんでしたし、お礼も申し上げていません。寄名符はとっくに準備ができていまして、先日元々お送りしようと思っていたのですが、お婆様がお越しになって善行をなさると承知していませんでしたので、忘れてしまっていました。やはり仏前でお待ちください。しばらくしたら、わたしが取って来ますので。」そう言うと、本殿まで駆けて行き、しばらくして茶盆を持って来たが、その上に真っ赤な蟒蛇(うわばみ)が刺繍された緞子の風呂敷(経袱子)が敷かれ、お札が載せられていた。

 

 (鳳姐の娘の)巧姐の乳母がお札を受け取り、張道士がちょうど巧姐を抱き上げようとしていると、鳳姐が笑って言った。「あなたがご自分の手で持って来なさいよ。わざわざお盆の上に載せて持って来るなんて。」張道士が言った。「手は不浄でありますからな。どうやって持つんです?お盆を使えば清潔でしょう。」鳳姐が笑って言った。「あんたはお盆を持って来ることばかり考えてるのね。わたしはびっくりしましたよ。わたしがあなたにお札を届けるよう言わなかったら、おそらくわたしたちにお布施を求めに来られたみたいね。」周りの人々はそれを聞いて、どっと笑い声を上げ、賈珍まで我慢できずに笑った。賈のお婆様が振り返って言った。「お猿さん、お猿さん。あんた、舌割き地獄に落ちるわよ。」鳳姐が笑って言った。「わたしたちは旦那様方と関わりがありませんのに、あの方はどうしていつもわたしたちに陰徳を積むように、遅れると早死にするとおっしゃるのかしら?」

 

 張道士も笑って言った。「わたしがお盆を持って来たのは、ふたつの目的のためで、決してお布施のためではなく、若様のあの玉をお外しいただき、お預かりし、あれらの遠方から来た道士の友人たちや弟子、孫弟子たちに見聞を広めさせるためでもあるのです。」賈のお婆様が言った。「そうであるなら、あんたというお年寄りはもう身体も自由が利かないんだから、何を走り回っておられるの。宝玉を連れて行って、その方たちを中に入れて見てもらえばいいじゃないですか。」張道士が言った。「大奥様はご存じない。わたしを八十歳の老いぼれと見ておられるが、大奥様のお陰を持ちまして、まだ至ってかくしゃくとしております。ふたつ目に、外の者どもは多くが臭いが臭く、ましてや酷暑の気候で、若様は慣れておられませんから、万一若様が汚い臭いに中(あた)るようなことがあれば、一大事です。」賈のお婆様はそう聞いて、宝玉に命じて「通霊玉」を外して、盆の中に置くように言った。かの張道士は慎重に蟒蛇の柄の風呂敷を下敷きにし、「通霊玉」を捧げ持って行った。

 

 ここで賈のお婆様は周りの人々を伴い、清虚観の各処を一度遊覧して回った。ちょうど二階に上がると、賈珍が回答して言った。「張お爺様が玉を届けに来られました。」ちょうどそう言っていると、張道士がお盆を捧げ持って皆の前に歩み出て、笑って言った。「皆さまのわたくしへのご配慮ありがとうございます。若様の玉を拝見しました。実に珍しいもので、何と言ってお敬い申し上げたら良いのか。これはここの道士たち各人が道を伝える法器であり、心から敬いお祝いの礼をしたいと願っております。若様におかれましては、見慣れたものかもしれませんが、留め置いて弄ばれ、他人にも鑑賞させてあげてください。」

 

 賈のお婆様がそう聞いて、お盆の中を見ると、金璜(金で作った半璧形の法器)や玉玦(ぎょっけつ。玉環の一部に切れ目のある佩玉(はいぎょく。貴族が腰に帯びる装身具))、或いは「事事如意」、「歳歳平安」の文字を真珠や宝石の象嵌で刻んだり、玉や金を彫刻したアクセサリーが、全部で十五個入っていた。それで言った。「おまえもでたらめをやるものだね。あの人たちは出家されているのに、これらはどこから来たんだい?どうしてこんなことをするの?これは断じて受け取れないわ。」張道士は笑って言った。「これはあの者たちのちょっとした敬意なのです。この坊主めも止めることができなかったのです。大奥様が受け取られませんでしたら、却って彼らにこの坊主めが力不足と見做し、門下の出身ではないと思われてしまいます。」賈のお婆様はこのように言うのを聞いて、ようやく人に命じて受け取らせた。宝玉は笑って言った。「お婆様、張お爺様がこうおっしゃっていて、また辞退もできない。わたしはこんなものもらっても役に立たないし、小者にこれを持たせ、わたしに付いて出かけさせて、貧しい者たちにばら撒いてやった方がいいと思います。」賈のお婆様が笑って言った。「本当にその通りだね。」張道士が慌ててそれを遮って言った。「若様は良い行いをしようとされていますが、これらのものはあまり珍しくないとおっしゃるかもしれませんが、でも結局は何件かの器なので、もし貧しい者に与えると、一に彼らにとっても無益で、二番目に却ってこれらのものが無駄になってしまいます。貧しい者に喜捨するのであれば、どうして彼らに銭を配らないのでしょう?」宝玉はそう聞いて、それで命じた。「しまっておしまい。夜になったら、銭を持って施しをしよう。」そう言うと、張道士はようやく退出した。

 

 ここで賈のお婆様と人々は二階に上がられ、正面の建物の上で、席に着かれた。鳳姐らは東側の建物に上がられた。小間使いの女たちは西側の建物で交替で伺候した。しばらくして賈珍が上がって来て回答して言った。「神前にお芝居をお供えします。最初の一本目は『白蛇記』です。」賈のお婆様はそれで尋ねた。「それはどんなお話なの?」賈珍が言った。「漢の高祖が蛇を切って首を挙げる話です。二本目は『満床笏』(唐の郭子儀が、七子八婿に恵まれ、富と地位に恵まれ、長寿を全うする話)です。」賈のお婆様が頷いて言った。「やっぱり二本目の芝居もまたその通りね。神仏がこのように決められたからには、こうなるしかないわね。」また尋ねた。「三本目は何?」賈珍が言った。「三本目は『南柯夢』です。」賈のお婆様はそう聞いて、何も言われなかった。賈珍が退出し、外まで歩いて行き、神前で燃やす上奏文、紙銭などを準備し、芝居が開幕したが、このことはこれで置く。

 

 さて宝玉は二階で、賈のお婆様の傍らに座り、子供の小間使いを呼んで、先ほどの盆に入っていたものを持って来させ、自分の玉のベルトの上で、手であれこれ弄びながら、一件一件選んでは賈のお婆様にお見せした。賈のお婆様は純金にカワセミの羽毛を貼り付けた麒麟のアクセサリーを見つけ、手を伸ばして取り上げると、笑って言った。「これは、わたし、どちらかのお家の子供さんも付けていたような気がするわ。」 宝釵が笑って言った。「史ちゃん(史湘雲)がひとつ持っていたけど、これより少し小さいわ。」賈のお婆様が言った。「誰かと思えば、雲兒が付けていたんだね。」宝玉が言った。「彼女はこんなに頻繁にうちに泊まりに来るのに、僕は見たことがないよ。」探春が笑って言った。「宝姉さんは下心があって、どんなことでも皆憶えているのよ。」黛玉が冷ややかに笑って言った。「この人は他の事はあまり気にも止めないくせに、こういった人たちが身に付けているものは、気にされるんだから。」 宝釵は聞こえていたが、横を向いて聞こえなかったふりをした。

 

 宝玉は 史湘雲がこんなものを持っていると聞いたので、自らその麒麟を急いで手に取り、懐(ふところ)にしまった。ふとまた誰かが、彼が史湘雲が持っていると聞いたので、これを持っておこうしているのを見られるのを恐れ、それで手の中で持ちながら、目であたりをちらちら窺(うかが)った。ただ周りの人々は皆関心を示さず、ただ黛玉だけが宝玉を見ながら頷き、賛嘆の意を表しているかのようだった。宝玉は心の中で思わずつまらなく感じ、またそれを取り出すと、黛玉を見ながら、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべて言った。「これ、面白いんで、君の代わりに持っておくよ。家に帰ったら、君の付けてる房に付けてみようよ。どう?」黛玉は首を傾(かし)げて言った。「わたし、どうでもいいわ。」宝玉は笑って言った。「君が関心ないんだったら、僕が持っているよ。」そう言いながら、また懐にしまった。

 

 

ちょうど話をしようとしていると、賈珍の妻の尤氏と賈蓉が後添いに娶った嫁の胡氏の、姑(しゅうとめ)と嫁のふたりがやって来て、賈のお婆様にお目にかかった。賈のお婆様が言った。「おまえたち、また来てどうするの、わたしは用も無くぶらぶらしに来ているだけなのに。」そう一言言っていると、取り次ぎの者が報告した。「馮将軍のお宅の方が来られました。」実は馮紫英の家では賈のお屋敷で道教の祭祀をされると聞き付け、急いで豚や羊、線香や蝋燭、茶菓子の類を準備し、儀式に間に合わせて届けに来たのであった。鳳姐はそれを聞いて、急いで正楼にやって来て、手を叩き笑って言った。「あらまあ。これもやむを得ないですわね。わたしたち女たちはここにぶらぶらしに来ただけですのに、人様はわたしたちが大々的に祭事を催すと思われ、贈り物を届けられるのですから。――皆お婆様が起こされたことですわ。今回は祝儀も準備していませんわ。」そう言うや否や、馮家のふたりの執事の女が二階に上がって来た。馮家のふたりが帰らぬうちに、続いて趙侍郎の家からも贈り物が届けられた。それから続けざまに、皆賈のお屋敷で道教の祭祀をされると聞いて、女の親族は皆寺院の中に、およそ全ての遠縁の親戚や近しい友達、つきあいのある高官たちが、皆贈り物を届けに来た。

 

 賈のお婆様はそこでようやく後悔して言った。「何も正式な祭礼ではなく、わたしたちはただぶらぶらしに来ただけなのに、思いがけず人々を驚かせてしまったわ。」このため一日芝居を見たけれども、午後にはお屋敷に戻った。翌日は家で何もせずぼおっとしていた。鳳姐がまた言った。「「壁を作るにも土地の神様へのお祭りが要る」ですわ。もう人々を驚かせてしまったのですから、今日は楽しく、また清虚観へ行ってぶらぶらしましょうよ。」賈のお婆様は、昨日張道士が宝玉の縁談の話を持ち出したので、あろうことか宝玉が一日中不快な気持ちが已まず、家に帰るや怒り出し、張道士が自分の縁談のことを言ったのに腹を立て、二言目には、「今後、もう二度と張道士には会わない」と言った。他の人たちも、何が理由か分からなかった。ふたつ目に、黛玉は昨日帰宅すると、また暑気当たりしてしまった。これらふたつのことがあったので、賈のお婆様は頑なに行かないと言い張った。鳳姐はお婆様が行かれないと分かり、自分は何人かを連れて清虚観に行ったのであるが、このことはこれで置く。

 

 さて宝玉は黛玉が病気だと知り、心配でたまらず、食事も食べる気がしなかった。たびたび具合を尋ね、彼女が良くなったかどうか心配した。黛玉はそれで言った。「あなたは気兼ねせずにご自分のお好きな芝居をご覧に行きなさい。家にいてどうするの?」宝玉は、昨日張道士が縁談の話を持ち出したので、心の中では全く受け入れられず、今黛玉がこのように言ったので、心の中でこう思った。「他の人たちは僕の心の中が分からないのだから、まだ大目に見てもいい。黛玉まで僕のことをからかうとは。」このため心の中では昔の煩悩が百倍に増幅された。もし他の人がそばにいたら、断じてこんな癇癪(かんしゃく)は起こさなかったろう。ところが黛玉がこんなことを言ったものだから、それは以前他の人がこの話をした時とは違い、思わず顔色を変え、こう言った。「僕は君のことを誤解していたよ。もういい、もういいよ。」黛玉はそれを聞いて、冷ややかに笑って言った。「あなたはわたしを誤解してらしたの?わたしのどこが誰かさんのように、あなたと釣り合いが取れると言うの。」宝玉はそれを聞くと、歩み寄って来て、黛玉の顔をじっと見つめて言った。「君がこんなことを言うのは、安心して僕のことを呪って、天地によって誅されて我が身をこの世に長らえさせない(天誅地滅)ようにするためかい?」黛玉はしばらくの間、この言葉の意味が理解できなかった。宝玉はまた言った。「昨日このことで誓ったよね。今日君がまた僕の言葉を繰り返すとは。僕がもし「天地によって誅されて我が身をこの世に長らえ」(天誅地滅)されなかったら、君にどんな利益があるんだい?」黛玉はこの言葉を聞いて、ようやく昨日の出来事を思い出した。今日は元々自分が言葉を間違えたのであり、焦るわ、恥ずかしいわで、「ワーワー」と泣きじゃくり、言った。「わたしが心安らかにあなたを呪うなら、わたしも「天誅地滅」されないといけないわ。……なんでわざわざこんなことしないといけないの。わたしも昨日張道士が縁談の話をしたのを知っているけど、あなたが自分の良い縁組をじゃまされるのが心配で、心の中でむしゃくしゃしているなら、わたしに当たっても構わないわ。」

 

 元々宝玉は幼い時から生まれつき一種の下品な馬鹿げた癖があり、ましてや幼い時から黛玉とは耳と鬢の毛が互いに触れ合うほどの距離で育ち、気心が知れていたのだが、今は多少物事も分かって来て、またいくらかいかがわしい書籍にも目に触れ、およそ遠くの親戚近くの友人の家で見かける才能と容姿に優れた娘たちは、どれも皆黛玉には少し及ばなかったので、とっくに彼女に対し特別な感情を抱いていたが、ただうまく言葉にして言うことができなかった。それゆえいつも喜んだり怒ったりし、手を変え品を変え、いろいろ試したり探ったりしていたのである。かの黛玉も、あいにく生まれつき幾分意固地なところがあり、彼女もまたいつもわざと心にもないことを言って、宝玉の気持ちを試していた。片方が真心と本当の気持ちで相手を騙せば、もう片方も真心と本当の気持ちで相手を騙し、ふたりとも心にも無いことを言って相手を試し、このように「ふたつの嘘が出逢い、遂には真(まこと)が生じる」のだが、その間に細々と煩わしいことが起こり、口喧嘩が起こらないとは保証できなかった。

 

 こういう時であっても、宝玉が心の中で思っていたのは、「他人が僕の気持ちが分からないのは、まあ仕方がない。まさか君が僕の心の中眼の中に君しかいないのが分からないんじゃあないだろうね?君が僕のために煩悩を解いてくれなかったら、却ってこの話が僕の心を塞いでしまい、僕の心の中にはいつだってはっきりと君がいるのに、君の心の中には結局僕がいないことが分かったよ。」ということであった。宝玉はこう思ったのだが、口に出しては言わなかった。かの黛玉が心の中で思っていたのは、「あなたの心の中にはもちろんわたしがいるんでしょう。「金と玉が相対す」という言葉があるけど、あなたはどうしてこんな怪しい言葉を重んじて、人を重んじないのかしら?わたしはいつもこの「金と玉」ということが出てくる度に、あなたがひたすら全く聞こえなかったかのような態度を取っていたけど、ようやくわたしを大事に思い、少しも私心雑念が無いことが分かったわ。どうしてわたしが「金と玉」のことを持ち出すと、あなたはそんなに慌てるの?あなたの心の中にはいつもこの「金と玉」という考えがあることが分かったわ。わたしがそれを持ち出すと、あなたはわたしが疑いを抱いてるんじゃないかと心配して、わざと慌てて、わたしをなだめようとしたのね。」ということであった。

 

 かの宝玉は心の中でまた思った。「僕はどうでも構わない、君が構わないんだったら、僕は今すぐ君のために死んでも、自ら望んですることだ。君が知っていようが、知らなかろうが、僕の気持ちに則ってさえいれば、君と僕の距離は縮まり、遠くなることはないんだ。」黛玉も心の中でこう思った。「あなたはご自分が納得するようになさればいい。あなたが良ければ、わたしももちろんそれでいい。あなたが自分を捨ててしまったら、どんなにわたしを相手にしてくれても、それはあなたがわたしをあなたに近づけてくれるんじゃなく、却ってわたしを遠ざけているのよ。」

 

 読者の皆さん、皆さんはこのふたりが元々同じ気持ちであったとお思いだが、このように見てくると、それぞれ様々な枝葉が出て来て、かの近しくなりたいと思う気持ちが、却ってふたりの関係を疎遠になるよう導いてしまっております。これは皆、彼らふたりが元々持っていた私心のせいでありますが、それを詳しく述べるのは困難です。今はただ彼らの外面の形容を述べるに留めます。

 

 かの宝玉はまた黛玉が「好姻縁」の三文字を言うのを聞き、ますます己の意志に逆らい、心の中で押しとどめ、言葉に出さなかった。そして意固地になって首から「通霊玉」を外すと、それをグイッと歯で噛むと、思いっきり地面に叩き付け、言った。「何が何を労してくれるんだ。おまえをだめにしてやる、そうすればお終(しま)いだ!」あいにくこの玉は極めて硬いものであったので、少々地面に投げつけても、どこ吹く風でびくともしなかった。宝玉は壊れないと見ると、振り返って壊すものを捜した。黛玉は宝玉のこうした様子を見て、早くも泣き出し、言った。「どうしてあなたはそんな、ものも言えぬものを壊そうとするの?それを壊すぐらいだったら、わたしを壊して。」

 

 

 ふたりが騒いでいると、紫鵑や雪雁らが急いでなだめに入った。その後、宝玉が懸命にその玉を壊そうとしているのに気づき、急いでそれを取り上げようとしたが、取り上げることができなかった。これまでの騒ぎより酷いので、襲人を呼んで来ざるを得なかった。襲人が急いで駆けつけると、ようやく玉を奪い取った。宝玉は冷ややかに笑って言った。「僕は自分のものを壊しているだけで、おまえたちとは何の関係もないだろう!」襲人は宝玉の顔が怒りで土色になり、目つきも変わって、これまで怒りでこんなになることがなかったので、彼の手を引きながら、笑って言った。「あなたは妹と喧嘩してるのに、ものを壊す必要はないでしょ。もし壊してしまったら、彼女の気持ちも面子もどうやって申し訳が立つの?」黛玉は泣きながらこの話を聞いていて、自分の心の奥の話になった。宝玉が襲人にも及ばないと分かり、益々傷ついて大声で泣き出した。気持ちが焦ると、さっき飲んだ香薷飲(ナギナタコウジュを使った漢方薬で、のぼせや咳、暑気中りに効果がある)が、我慢できずに、「ゲーッ」と声を上げ、皆吐き出してしまった。紫鵑は急いで近寄りハンカチで受けて、すぐさま一口一口と、ハンカチを吐いたものでビショビショにしてしまった。雪雁が急いで近寄り、トントン肩を叩いたりさすったりした。紫鵑が言った。「腹を立てられたとはいえ、お嬢さん、やっぱり身体をもう少し大事にしないと。さっきお薬を飲んで、お加減が少し良くなられたのに、今度は宝若旦那様と口論をされて、また吐いておしまいになって。万一病気になってしまわれたら、宝若旦那様がどうしてなんとも思わないなんてことがございましょう?」宝玉はこの話を聞いて、自分の気持ちのことまで言われたので、黛玉はやはりまだ紫鵑にかなわないのが分かった。また黛玉が顔を真っ赤に腫らして、泣きながら、息を荒くし、一方では涙、一方では汗をかきながら、この上もなく畏れてびくびくしていた。宝玉はこの有り様を見て、自分でも後悔した。「さっきは林ちゃんに反駁するようなことを言うんじゃなかった。今回この子がこの有り様じゃあ、僕がこの子に代わってやることもできない。」心の中でそう思いながら、またひとりでに涙のしずくがこぼれ落ちた。

 

 

 襲人は宝玉を見守りながら、彼らふたりが悲痛に泣く様を見て、彼女も悲しみがこみ上げて来た。また宝玉の氷のように冷たい手をさすりながら、宝玉に「もう泣くのはおやめ」と諭した。ひとつには宝玉が(元春妃からの贈り物の事件(第28回参照)以来)何か悔しい思いを心に抱えているんじゃないかと心配し、ふたつにはまた(宝玉の冷淡な態度のせいで)黛玉が自分が軽視されていると感じているのではないかと心配した。ふたりとも意固地になっていた。正に女性の心理として、思わず涙が流れた。紫鵑は一方で吐いた薬を片付け、一方でうちわを持って来て、黛玉のため軽く扇(あお)いでやった。見ると、三人は皆ひっそり静かに、各自それぞれしくしくと泣いていたので、いっそのこと、紫鵑自身も心が傷ついたので、ハンカチを出して涙を拭いた。

 

 四人は皆無言でそれぞれ向かい合って泣いた。そんな中で襲人が無理やり笑みを浮かべて宝玉に言った。「あなた、他のものは見なくていいけど、この玉の上に通した飾りの房を見てみて。やっぱり林お嬢様と喧嘩をしてはいけないわ。」黛玉はそう聞いて、病を顧みず、急いで近づいて奪い取ると、その手ではさみを掴み、切ろうとした。襲人、紫鵑がちょうどそれを奪い返そうとした時には、もう何段か切られてしまっていた。黛玉は泣きながら言った。「わたしも無駄な努力をしたものだわ。これも別に珍しいものじゃない。元々誰か他の人に代わって付けてもらえば良かったのよ。」 襲人が急いで玉を受け取って言った。「なにもわざわざ苦労することなかった。これはわたしがいらないことを言ったせいね。」宝玉が黛玉に言った。「君は気兼ね無く切ればいいよ。僕がどのみちこれを付けていなければ、何でも無かったんだから。」

 

 中の騒ぎばかり気にしていたが、思いがけなくかのばあやたちが、黛玉が泣くや吐くや、宝玉も玉を叩き割ろうとしているのを見て、何のことで大騒ぎをしているのか分からず、慌てて一斉に母屋へ行って、賈のお婆様や王夫人に報告して知らせ、自分たちに累が及ばないようにした。かの賈のお婆様、王夫人は彼女たちが急いで一件の重要な事件として報告に来て、皆どんな理由があったのかも分からなかったので、一斉に大観園に入って現場を見た。慌てた 襲人は紫鵑に恨み言を言った。「どうして大奥様、奥様を驚かすようなことをしたの?」紫鵑も襲人が人を遣って報告したのだと思い、襲人を恨んだ。

 

 かの賈のお婆様と王夫人が入って来て、宝玉を見ても無言、黛玉も話をせず、問いかけても、何があったか話さず、この災いは 襲人、紫鵑ふたりの身に降りかかり、こう言われた。「どうしておまえたちは注意してお仕えしないの?今回騒ぎが起こったのに、ふたりとも知らんぷりかい?」このためふたりを叱責しつつ話をし、説教をした。ふたりとも何も言わず、聞いているしかなかった。やはり賈のお婆様が宝玉を連れて外出したので、ようやく落ち着いたのであった。

 

 一日が過ぎ、五月三日になった。この日は薛蟠の誕生日であった。家の中に酒を並べ、芝居を上演し、賈のお屋敷の人々は皆出かけて行った。宝玉は黛玉の機嫌を損ねたので、ふたりは全く顔を合わすことがなくなり、心の中で正に自ら後悔し、しょんぼりとしてしまい、どこにまだ芝居を見る気持ちになるだろうか。このため病気を理由に行かなかった。黛玉はしかし先日幾分蒸し暑さに中(あた)ってしまい、元々そんな大病ではなかったが、宝玉が行かないと聞いたので、心の中でこう思った。「あの人はお酒を飲んだり芝居を見るのがお好きなのに、今日は却って行かれないとは、もちろん昨日の癇癪(かんしゃく)が引き起こしたんだわ。そうでなければ、あの人がわたしが行かないと知って、あの人も行く気がしなくなったんだわ。それにしても昨日は、断じてあの玉に付いた房を切ってはいけなかったんだわ。きっとあの人はもう玉を身に着けないに違いない。またわたしが房を付けてあげれば、あの人はまた身に着けてくれるわ。」そのため心の中ではたいへん後悔した。

 

 かの賈のお婆様は彼らふたりが何れも怒っているのを見て、今日ちょうどあちらで芝居をやるから、ふたりが見に行けば、ふたりの喧嘩も収まると思っていたのだが、思いがけず、ふたりとも行かないと聞いた。年寄りは慌てて恨みがましく言った。「わたしという罪人は、この世に生まれた罰当たりなのかね?こともあろうにこんなふたりのわがままな仇敵に出逢い、一日たりともわたしが気を使わなくていい日が無いよ。本当に、俗にも言うように「会いたくない人に限って顔を合わせる」ものだ。いつか(わたしにあの世からお迎えが来て)わたしが目を閉じ、息をするのを止めたら、おまえたちふたりの仇同士が世の中をどんなに騒がせたって、わたしには「目にも見えないし、心も煩わされない」だけのことさ。――この子たちったら、こんなことを言うのを止めないんだから。」自ら不満に思い、お婆様もしくしく泣き出した。

 

 ところがなんと、この話が宝玉と黛玉ふたりの耳に伝わってしまい、彼らふたりは遂にこれまで聞いたこともなかった「会いたくない人に限って顔を合わせる」というような俗語も聞いて、今は突然この言葉をもらって、あたかも座禅を組んだかのように、ふたりとも下を向いてこの言葉の味わいを細かく噛みしめていたが、思わず涙がこぼれ落ちた。ふたりは互いに顔を合わせてはいなかったが、ひとりは瀟湘館で風に吹かれて涙を流し、ひとりは怡紅館で月に対して長嘆した。正に「場所はふたつに分かれていても、ふたりの気持ちは同じところから発し」ていた。

 

 襲人はそれで宝玉を諫めて言った。「断じて間違っています、皆あなたが悪いです。これまで家の中で男の子供の召使たちがお姉様や妹たちと口論になったり、誰かふたりが喧嘩になって、あなたがそれを知ったら、あの子たち子供の召使たちをばかと罵ったところで、女の子たちの気持ちを慰めることはできないでしょう?今日はどうしてあなたまでそれと同じことをされたの?明日は五月五日で、端午節のお祭りも終わります。あなたがたふたりがまたこんな仇同士のようにしていたら、お婆様は益々お怒りになり、きっとみなさんが安心して生活できなくなります。わたしがあなたにお勧めしたいのは、ちゃんと怒るのを止めて、自分が間違っていたと謝(あやま)り、みなさんがまたこれまで通りになる、そうするのが良くないですか?」宝玉はそう聞いたものの、それに従うべきかどうか、分からなかった。その後の顛末を知りたければ、次回に解説いたします。

 馮紫英の宴会に招かれた宝玉。酒宴の余興で参加者がそれぞれ自分が関係する女性のことを詩にして披露します。そこで役者の琪官と仲良くなった宝玉、友情の証にふたりは互いの腰帯を交換します。時は端午節。宮中の元春妃より家族各員に贈り物が届きますが、女兄弟たちの中でなぜか宝釵だけ厚遇され、宝玉と同じものが贈られます。宝玉と黛玉、宝釵の三角関係は、家族も巻き込み、新たな段階に進みます。『紅楼夢』第二十八回をご覧ください。

 

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玉函により(宝玉に)茜香の羅を贈る

薛宝釵は紅(数珠)を籠(は)めるを(は)じる

 

 さて林黛玉は昨夜晴雯が門を開けなかったことで、却って誤解して宝玉の身を疑った。翌日はまたちょうど芒種の花にお別れをする節季に当たり、ちょうど身体の中の怒りがまだ発散されておらず、また行く春に心愁い思い悩み、このため残った花びらを埋めたのであるが、思わず花を思って自ら悲しみ、何度か泣き声を上げ、口をついて詩を何句か詠んだ。ところが思いがけず宝玉が山の斜面の上でこれを聞きつけ、最初は頷き感嘆しただけだったが、次にこの詩の、「わたしが今日花を埋葬すると言うと人に嘲笑されるが、将来わたしが死ぬと誰がわたしを埋葬してくれるのだろう?……やがて春が尽き紅顔であった少年(少女)も老いる。花は枯れ落ち人は死ぬが、何れも知る由も無い。」等の詩句を聞くと、思わず山の斜面の上で慟哭し、胸にかかえた花びらをあたり一面にまき散らした。試みに林黛玉のあでやかな顔、清らかな容貌を思い、それがまた将来(亡くなって)捜し出すことができない時、まさか心が張り裂けんばかりに悲しくないというようなことは無いだろう。既に黛玉が遂に探し出すことができなくなった時、他の人はどうか推察すると、例えば宝釵、香菱、襲人なども、探し出すことができない時が来るだろう。宝釵らが遂に探し出せなくなった時、自分はまた無事に生存しているだろうか。且つ自身がなおどこに居てどこに行くか分からないが、将来その場所、その庭園、その花、その柳は、またどちらの姓に属しているだろうか。――こうして一が二、二が三と、繰り返して追求していくと、本当にこの時この際、この度の悲しみをどう解釈すればいいんだろうか。正に、花の影は左右に身体を離れることはなく、鳥の声はただ耳の東西にあり。

 

 かの黛玉は正に自ら悲しみに暮れていると、ふと山の斜面の上からも悲痛な声が聞こえてきたので、心の中でこう思った。「人々が皆わたしが気が振れたと笑うが、まさかもうひとり気違いがいないとだめなの?」頭を上げて見ると、見えたのは宝玉であったので、黛玉は吐き捨てるように言った。「フン、誰かと思ったら、実はこの冷酷な死に損ない(狠心短命)じゃない――」たった今口をついて「短命」の二文字が出てしまうや、また口を塞ぐと、長くため息をつき、自らそこを抜け出し、行ってしまった。

 

 ここで宝玉は一度悲しみに暮れたのであるが、黛玉が行くを見て、黛玉が宝玉に気づき、避けてそこから離れようとしたと知った。自分でも面白くなくなり、土を振り払うと、山を下りるのにもと来た道をたどり、怡紅院の方に戻った。ちょうど黛玉が前の方を行くのが見えたので、急いでそれに追いつくと、こう言った。「ちょっと待って。僕、君が僕の相手をしてくれないのは分かってる。でも一言だけ言わせて。今から以降、関係を断とう。」黛玉は振り返って見ると宝玉であったので、彼のことを相手にしないでいようと思っていると、彼が「一言だけ言わせて」というのが聞こえたので、それで「言って。」と言った。宝玉は笑って言った。「二言だったら、言ったら君聞いてくれるかな?」黛玉はそう聞くと、向こうを向いて行こうとした。宝玉は彼女の後ろから、ため息をついて言った。「今日こんなことになるんだったら、どうして最初あんなことをしたんだろう?」

 

 黛玉はこう話すのを聞いて、思わず立ち止まると、振り返って言った。「当初はどうだったの?今日はどうなの?」宝玉が言った。「ああ。最初君が来た時、僕が付き添って笑わせてあげなかった?僕が好きなもので、君が欲しいものがあったら、持って行ってもらったし、僕が好きな食べ物で、君も好きだと聞くと、急いで整理してきれいに仕舞うと、君が帰って来るのを待ったよね。同じテーブルで食事をし、同じベッドで休んだ。小間使いたちが思いつかないことでも、僕は君が怒るといけないんで、小間使いたちに代わっていろいろ考えたんだ。僕思うんだけど、君たちとは小さい時から一緒に大きくなって、お互いの親しみであれ情熱であれ、仲睦まじくなることによって、他の人よりすばらしいと気づいたんだ。今は君も年齢を重ねるにつれ、気持ちが疎遠になろうとは、誰が望んだことだろう。僕なんて眼中になく、三日相手にせず四日会わずにいて、却って外様の「宝姉さん」(宝釵)や「鳳姉さん」(鳳姐)を心の中で大切だと思っている。僕には直接の男兄弟や妹がいない――ふたりいるけど、まさか腹違いの兄弟だと、知らないなんてことはないだろう?僕も君と同じでひとつぶだねだから、君と僕の気持ちが同じじゃないかと心配なんだ。――思いがけず僕がいらぬ心配をするなんて、恨みがあっても訴えるところが無いんだ。」そう言いながら、思わず泣き出した。

 

 この時、黛玉は耳の中でこの話を聞いて、眼の中でこの光景を思い浮かべ、心の中ではおおかた思わず気落ちしたのであろう、また思わず涙が滴り落ち、俯(うつむ)いて言葉が出なかった。宝玉はこのような有り様を見て、遂にまた口を開いた。「僕も、自分の今の対応が良くないことは分かっている。でもただ僕がどう良くないことをしたとしても、決して君の目の前で敢えて間違ったことをしたいとは思わない。――少しの間違いであれば、君が僕を教え導き、僕を次回戒めてくれるか、僕を二言三言罵(ののし)り、何回か叩いてくれればいい。僕は何とも思わないよ。思いがけず君がずっと僕を無視して、僕にその訳が分かるようにしてくれなかったら、僕心の中が不安になって、どうしたら良いか分からなくなるよ。それで死んだら、「不当な仕打ちを受けた亡霊」だね。たとえ偉い坊さんや道士に懺悔してもらっても、生まれ変わることができない。やっぱり君に理由を説明してもらってはじめて、輪廻を託することができるよ。」

 

 黛玉はこの話を聞いて、思わず昨夜のことは遥か彼方に忘れてしまい、こう言った。「あなたがそうおっしゃるなら、どうしてわたしがあなたの家に行ったのに、あなたは小間使いに門を開けるなとおっしゃったの。」宝玉は不思議に思って言った。「そんな話、どこから出てきたんだ?僕がそんなことをしたんなら、今すぐ死んでやるよ。」黛玉は吐き捨てるように言った。「朝っぱらから「死ぬ」の「生きる」のって、そんな不吉なこと言わないで。あなたがそうしたなら事実だし、そうしなかったなら無かったことだから、ちゃんと誓ってよ。」宝玉が言った。「本当に君を見なかったんだ。宝姉さんがしばらく座って、出て来たんだから。」

 

 黛玉はちょっと考えて、笑って言った。「分かったわ。きっと小間使いの女たちが疲れて動きたくなかったのね。むかっ腹を立てて口汚いのも、いるかもしれないわ。」宝玉が言った。「きっとそれが原因なんだろう。僕帰ったら誰がやったのか聞いて、あの子たちにちょっと説教してやるよ。」黛玉が言った。「あなたのとこのあの娘たちにも、説教してやるべきだわ。ただ理屈から言うとわたしが話すべきじゃないわね。――今回はわたしの些細な事で恨みを買うことになったけど、もし今度「宝お嬢さん」(宝釵)や「貝お嬢さん」(宝玉の玉は「宝貝」(宝物)なので貝とし、宝釵と宝玉の関係をあげつらっている)の件でも機嫌を損ねることがあったら、大事になるわよ。」そう言うと、口をすぼめて笑った。宝玉はそれを聞いて、歯ぎしりし、そしてまた笑った。

 

 ふたりがちょうど話していると、小間使いが来て食事に来るように言ったので、一緒に母屋の方にやって来た。王夫人は黛玉の顔を見ると、尋ねて言った。「お嬢ちゃん、あなた、鮑太医(太医は宮廷医のこと)のお薬飲まれて、良くなられた?」黛玉は言った。「飲んでもこんな風ですわ。お婆様が他にわたしに王先生の薬も飲むよう言われました。」宝玉が言った。「お母さまはご存じないのでしょう。林ちゃんは内臓の疾患なんです。生まれつき身体が弱いので、ちょっとした寒気にも耐えられないのです。でも煎じ薬を二服飲めば、寒気を発散させることができるんです。また丸薬を飲んでもいいです。」王夫人が言った。「前に先生が丸薬の名前を言われたけど、忘れてしまったわ。」

 

 

 宝玉が言った。「僕その丸薬知っていますが、黛玉に飲ませたのは、何とか人参養栄丸と言ったはずですが。」王夫人が言った。「違うわ。」宝玉がまた言った。「八珍益母丸だったかな?左帰、それとも右帰?――さもなければ八味地黄丸だったかな?」王夫人が言った。「皆違うわ。わたし、「金剛」の二文字があったのを憶えているんだけど。」宝玉は手をたたいて笑って言った。「これまで何とか「金剛丸」なんて聞いたことないよ。もし「金剛丸」があるなら、当然「菩薩散」があるはずだよ。」そう言うと、部屋中の人が皆笑った。 宝釵が口をすぼめて笑って言った。「ひょっとして、天王補心丹じゃないですか。」王夫人が笑って言った。「ええ、その名前よ。もうわたしもぼけちゃったわね。」宝玉が言った。「お母さまは決してぼけていませんよ。皆「金剛」と「菩薩」がそうさせたんですよ。」王夫人が言った。「恥ずかしげもなく、でたらめを言って。またお父様に殴られますよ。」宝玉は笑って言った。「お父様はもうこのことでは僕を殴らないよ。」

 

 王夫人はまた言った。「名前が分かったからには、明日誰かに買って来させて飲むわ。」宝玉が言った。「こうした薬は役に立たないですよ。お母さまが僕に三百六十両の銀子をくださったら、僕林ちゃんに代わって丸薬の材料を用意すれば、一服飲めば良くなること請け合いですよ。」王夫人が言った。「ばか言いなさんな。どんな薬がこんなに高いものですか。」宝玉は笑って言った。「実を言うとね。僕のこの処方は他のものとは違うんだ。その薬の名前も変わっていて、一言では説明しきれないんだ。ただ健康な人の胎盤、人型の葉っぱの付いた人参だけでも、三百六十両では足りない。亀、ツルドクダミ、樹齢千年の松の根に寄生する茯苓(ぶくりょう。サルノコシカケ科の菌類)と豚の胆汁、――こうした薬は、決して珍しいものではなく、様々な薬のひとつとして認められているのです。かの皇帝陛下用のお薬ときたら、聞いてみるとびっくりしますよ。以前兄さんが僕に求めてきて一二年して、僕はやっとこの処方を兄さんにお渡ししました。兄さんは処方を持って行って、また二三年いろいろ尋ね、千両以上の銀子を使って、ようやく処方ができました。お母さま、信じられないなら、宝姉さんに聞いてみてください。」

 

 宝釵はそれを聞いて、笑いながら手を横に振って言った。「わたし知らないし、聞いたこともないです。あなた、叔母様にわたしに聞けなんて言わないで。」王夫人は笑って言った。「やっぱり宝ちゃんは良い子だ。嘘を付かないから。」宝玉はその場に立っていたが、このように言われるのを聞いて、振り向いて手のひらを一回叩くと、こう言った。「僕が言ったのは、でも本当の話なのに、嘘を付いただなんて言うんだから。」口でそう言いながら、ふと振り返って見ると、林黛玉が宝釵の後ろに座り、口をすぼめて笑いながら、指で顔の上に丸を描いて恥ずかしさを表しているのが見えた。

 

 鳳姐は奥の部屋で、人がテーブルを並べるのを見ていたが、このように話しているのを聞いたので、出て来て笑って言った。「宝ちゃんは嘘を付いていませんよ。この薬は本当にあるんです。以前、旦那様が自らうちに来て、真珠があるか尋ねられたので、わたしはあの方に「何に使う」のか尋ねました。彼は「薬を処方」するんだと言われました。彼はまた恨みがましくこう言いました。「処方しなくてもいいんだ。こんな面倒なこと、どこで教えてもらったんだろう。」それで「何の薬なの?」と尋ねると、宝ちゃんが教えた処方で、どれだけの薬ができるか言われたけど、わたしも憶えていないです。彼はまた言いました。「違うんだ、俺、何粒か真珠を買おうと思うんだが、ただ頭に付けていたものが要るんで、それで何粒かもらえないか尋ねに来たんだ。もしバラの珠花(真珠の象嵌をした首飾り)が無いなら、頭に付けているのを外してくれても構わない。」わたしは仕方がないんで、珠花を二本その場で外して、あの人に渡しました。――それと三尺(1尺は0.33メートル)の長さの、ちょうど使っていた真っ赤な紗(薄手の絹織物)の布が要ると言われ、これで乳鉢を持って粉を磨るのに使うとのことでした。」

 

 鳳姐が一言言うと、宝玉がお経を一節唱えた。鳳姐が言い終わると、宝玉がまた言った。「お母さま、どう思われますか。これもでもやむを得ないんです。正式な処方に依るなら、この真珠や宝石は昔のお墓の中から捜して来ないといけないんです。こうした古代の富貴な家の納棺された服装の上から取ってきたもこそ良いのです。でも今どこで墓を掘ろうと言うんですか?だから生きた人が身に着けているものを使うしかないんです。」王夫人はそれを聞いて言った。「南無阿弥陀仏。罪作りな、してはいけないことよ。お墓の中で、人様が死んで数百年して、今になって死体がひっくり返されて、こうして薬を作っても、効き目なんて無いわ。」

 

 宝玉はそれで黛玉に向かって言った。「君、聞こえたかい? まさか鳳姉さんまで僕と一緒に嘘をついたと言うんじゃないだろう?」顔は黛玉の方を向きつつ、眼では宝釵に流し目を送っていた。黛玉はそれで王夫人の身体を引っ張って言った。「叔母様、聞いて。宝お姉様は宝玉の代わりに嘘を繕ったりしないわ。宝玉はただわたしに尋ねたのよ。」王夫人も言った。「宝玉、おまえは妹をいじめるんだろうね。」宝玉は笑って言った。「お母さまはこのわけをご存じないのですよ。宝お姉様は最初、うちに住んでいて、兄さんのことは、彼女も知らなかったんです。ましてや今は中に住んでいますよね。当然ますます分からなくなりますよ。林ちゃんはちょうど後ろにいますから、僕が嘘をついたら、僕が恥をかくことになりますよ。」

 

 ちょうど話をしていると、賈のお婆様の部屋付きの小間使いが、宝玉と黛玉に食事をするよう捜しに来た。黛玉も宝玉を呼ばずに、立ち上がると自分の小間使いを連れ、出て行こうとした。その小間使いが言った。「宝若旦那様をお待ちして、一緒に行きましょう。」黛玉が言った。「あの方は食事をされないので、わたしたちとは一緒に行かれないの。わたし、先に行きますわ。」そう言うと、出て行ってしまった。宝玉が言った。「僕今日はやはりお母さまと一緒に食事をします。」王夫人が言った。「まあ、まあ。わたしは今日は精進料理を食べますので、おまえはちゃんとおまえの食事をお食べ。」宝玉が言った。「僕も一緒に精進料理を食べます。」そう言うと、その小間使いを呼んで、「お行き。」と言った。自分はテーブルへ走って行って座った。王夫人は宝釵らに向かって笑って言った。「あなたがたは気にしないで自分たちのものをお食べなさい。あの子は好きにさせるわ。」宝釵はそれで笑って言った。「あなた、ちゃんと行きなさい。食事をしようがしまいが、林ちゃんに付き添って行ってあげて。あの子は気持ちがちょうど落ち着いていないから。何を悩んでいるのかしら。」宝玉が言った。「あの子の相手は、しばらくしたら機嫌が直るよ。」

 

 しばらくして食事を済ますと、宝玉はひとつには賈のお婆様が心配するのを恐れ、ふたつには黛玉のことも心配なので、急いで茶を持って来させて口を漱(すす)いだ。探春、惜春は皆笑って言った。「宝兄さん、あなたは一日中家で何を忙しくしているの?食事やお茶もこんなにばたばたせわしなくして。」宝釵は笑って言った。「あなた、宝兄さんに早く食事を済ませて、黛玉ちゃんを見に行かせて。宝兄さんったらここで何をぶつぶつ言っているのかしら。」

 

 宝玉は茶を飲むと、出て行き、まっすぐ西院の方にやって来ると、ちょうど鳳姐の住まいの前まで来ると、鳳姐が門の前に立ち、門の敷居を踏みながら、耳かきの尖った方で歯をほじくり、十人ほどの小者たちが植木鉢を動かすのを見ていた。宝玉が来たのを見て、笑って言った。「あなた、ちょうどいいところに来たわ。入って、入って。わたしの代わりに字を書いてちょうだい。」宝玉は後ろに付いて入るしかなく、部屋に着くと、鳳姐は人に命じて筆、硯、紙を取って来させ、宝玉に言った。「真っ赤な装いの緞子四十匹、ウワバミの刺繍の緞子四十匹、様々な色の皇室御用の紗(薄絹)一百匹、金の首輪四個。」宝玉が言った。「これは何を数えているんですか?帳簿でもないし、贈り物でもないし、どのように書いたらいいんでしょう?」鳳姐が言った。「あなたは構わず書けばいいの。どのみちわたしが自分で分かればいいんだから。」宝玉はそう聞いたので、そのまま書くしかなかった。

 

 鳳姐はそれを受け取ると、一方でにっこり笑って言った。「もう一言あなたに言っておくわ、あなたが同意してくれるかどうか分からないけど。――あなたの部屋に小紅という小間使いがいるでしょう。わたし、あの子を用事を言いつけるのに使いたいの。明日わたしはまたあなたに代わってひとり選んであげるから、あの子を使っていいかしら?」宝玉が言った。「僕の部屋の小間使いは人数が多過ぎるから、姉さんが誰か好みの女の子がいるなら、構わず呼びつけてください。僕に尋ねる必要はないですよ。」鳳姐は笑って言った。「それなら、わたし、あの子を呼んで連れて行くわよ。」宝玉が言った。「構わず連れて行ってください。」そう言うと、出て行こうとした。

 

 鳳姐が言った。「おまえ、戻っておいで。わたしもう一言話があるの。」宝玉が言った。「お婆様がわたしを呼んでおられるので、話があるなら帰って来るまで待ってください。」そう言いながら、賈のお婆様の方に行った。すると皆既に食事を食べ終わっていた。賈のお婆様がそれで尋ねて言った。「お母さまと一緒に何か美味しいものを食べたのかい?」宝玉は笑って言った。「別に何も美味しいものを食べていませんが、でもいつもより一膳多くご飯を食べました。」それで尋ねた。「林ちゃんはどこにいるんですか?」賈のお婆様が言った。「中の部屋にいるよ。」

 

 宝玉が入って行くと、地面の上でひとりの小間使いがアイロンの炭火を吹いているのが見え、オンドルの上ではふたりの小間使いが白い線を入れ、黛玉が腰を曲げてハサミで何かを裁断していた。宝玉は入って行くと、笑って言った。「おや、これは何を作っているの?ご飯を食べたばかりなのに、こんなに首を垂らして、しばらくするとまた頭が痛くなるよ。」黛玉は別に相手にせず、構わずその布を裁断していた。ひとりの小間使いが言った。「この繻子(しゅす)の角のところがまだ良くないです。もっとアイロンを当ててください。」黛玉はハサミを置くと、こう言った。「そうだね、もう少ししたら良くなるわ。」

 

 宝玉はそう聞いて、自らは納得できなかった。宝釵、探春らもやって来て、賈のお婆様とひとしきり話をすると、 宝釵も入って来て尋ねた。「あなた、何をしているの?」林黛玉が裁断をしているのを見て、笑って言った。「益々おできになるようになられたのね。裁断までおできになるの。」黛玉が笑って言った。「これも嘘をついて人の機嫌をとっているだけよ。」 宝釵は笑って言った。「あなたにひとつ笑い話を言ってあげると、さっきのあの薬のことで、わたしが知らないと言ったので、宝兄さんは心の中では受け入れられないでしょうね。」黛玉が言った。「あの人のこと気にしてるの、しばらくすれば機嫌が直るわ。」

 

 宝玉が宝釵に言った。「お婆様が麻雀のパイを拭きたいのに、ちょうど人がいないので、君、パイを拭きに行きなよ。」宝釵はそう聞いたので、笑って言った。「わたしは麻雀のパイを拭きにここに来たの?」そう言うと、行ってしまった。黛玉が言った。「あなたもお行きなさいよ。ここには虎がいて、あなたを食べようとしているわよ。」そう言うと、また裁断を始めた。宝玉は黛玉が相手にしてくれないのを見て、またお追従笑いをしてこう言うしかなかった。「君も散歩に行こうよ。それからまた裁断しても遅くないよ。」黛玉は全く相手にしなかった。宝玉はそれで小間使いの女たちに尋ねた。「これは誰が黛玉に裁断するよう言ったの?」黛玉は女たちに尋ねるのを見て、こう言った。「この人が誰がわたしに裁断するよう言ったのか尋ねても、相手にしないでね。」宝玉が何か言おうとしていると、人が入って来てこう告げた。「外で人があなたを迎えに来られています。」宝玉はそう聞くと、急いで退いて出て行った。黛玉は外に向けこう言った。「南無阿弥陀仏。あなたが戻って来た時には、わたし死んでいるかもしれないわ。」

 

 宝玉が外に出て来ると、焙茗がこう言うのが見えた。「馮旦那様のお宅からお招きでございます。」宝玉はそう聞いて、昨日の話を思い出し(第二十六回で、薛蟠の誕生日に呼ばれた馮紫英が、その日は急な用事があって酒を飲めなかったので、別途宴席を設けて皆を招待する約束をしたこと)、それで言った。「服を取りに行って。」そう言って、自らは書斎の方に行った。

 

 焙茗はまっすぐ二の門の前に行って人を待っていたが、ひとりの老婆が出て来ただけだったので、焙茗は近づいて言った。「宝若旦那様が書斎で外出用の衣服をお待ちなんだ。お婆さん、中に言伝の手紙を持って行ってくれない?」その老婆は吐き捨てるように言った。「フン、何様のつもりだい。宝玉は今は大観園の中に住んでいて、あの人の召使は皆その中に住んでいるんだ。おまえさんはまたわざわざここまで手紙を持って走ってきたのかい。」焙茗はそう聞いて、笑って言った。「怒鳴られるのももっともだ、俺もぼんやりしていた。」そう言うと、まっすぐ東側の二の門の前まで来ると、ちょうど門のところで子供の召使が通路の下でボールを蹴っていたので、焙茗は経緯(いきさつ)を説明すると、ひとりの子供の召使が走って中に入って行き、しばらくして、ようやく風呂敷包みを抱えて出て来て、焙茗に手渡したので、書斎に戻った。

 

 宝玉は服を着替えると、人に言って馬を準備させ、焙茗、鋤藥、双瑞、寿兒の四人の子供の召使だけを連れて出発した。まっすぐ馮紫英の屋敷の門に着くと、人が馮紫英に報告に行き、出て来て出迎え、中に入った。すると薛蟠がとっくにそこでしばらく待っていて、またたくさんの歌歌いの子供の召使たち、また娘役の歌を歌う役者の蒋玉函、錦香院の妓女の雲兒がいた。皆は挨拶を交わすと、お茶を飲んだ。

 

 宝玉は茶碗を上に持ち上げると、笑って言った。「前回話していた「幸福と不幸」のことが、僕昼も夜も気になって、今日はお呼びと聞くや否や、駆けつけました。」馮紫英は笑って言った。「あなたがた叔父甥のおふたりはどちらも誠実な方だ。前はわたしの挨拶に過ぎなかったのに、誠意を籠めてあなたがたは乾杯をしてくださった。おそらく口実として、そう言われたのでしょう。信じようが本当であろうが、どちらでもいいんです。」そう言うと、皆で大笑いした。その後酒杯が並べられ、順番に席に着いた。馮紫英は先に歌歌いの子供の召使に言って酒を持って来させ、その後雲兒を呼び、客に三杯酒を勧めさせた。

 

 かの薛蟠は三杯の酒が腹に収まると、思わず我を忘れ、雲兒の手を引くと、笑って言った。「おまえ、あの心に染みる目新しい曲を歌って俺に聞かせておくれ。俺は酒を甕一杯飲むから。いいだろう?」雲兒はそう聞いて、やむなく琵琶を取って、こう歌った。

 

 

  恋するふたりは、お互い相手を捨てることなどできない。おまえのことを思っていると、また彼のことが気にかかる。ふたりの容貌はたいへん優れていたが、ことばや絵筆でそれを描写するのは難しい。昨晩、密会はこっそり野ばらの棚で行われた。ひとりは密通し、ひとりはそれを暴き立て、原告、被告、証人の三者の対峙になると、わたしも返答のしようがない。

 

 歌い終わると、笑って言った。「あんた、甕に一杯酒を飲んでしまいなさい。」薛蟠はそう聞いて、笑って言った。「甕一杯飲む値打ちがないね。もっと他のいい歌を歌えよ。」

 

 宝玉は笑って言った。「僕の言うことを聞いてください。こんなにみだりに酒を飲んだら、すぐ酔っぱらってしまって意味がありません。わたしが先ず大きな酒杯で一杯飲んだら、この酒席の新たなルール(酒令)を出します。守れなかったら、罰として続けて十杯飲み、そのまま席を下りて、人に酒を注ぐことにします。」馮紫英、蒋玉函らは皆言った。「理にかなっていますね。」宝玉は酒杯を持って来ると、一気に飲み干し、言った。「これから、「悲」「愁」「喜」「楽」の四文字を使って「女性」のことを言い(「酒令」)、またその訳を説明しないといけません。言い終わったら、各自の席の前に置かれた杯(さかずき)を挙げて、飲む前に新たな曲を一曲歌い(「酒曲」)、杯の酒を飲み干したら、席の上で皆が畏敬したり感心するもの、――或いは古詩、好敵手、『四書』『五経』成語を披露しなければなりません(「酒底」)。」

 

 薛蟠は言い終わらないうちに、先に立ち上がると、言葉を遮って言った。「俺は乗らない。俺のことは無視してくれ。これはつまり俺のことを弄んでいるんだろう。」雲兒も立ち上がり、薛蟠を促して座らせ、笑って言った。「何を心配されているの?これもあなたが毎日酒ばかり飲んでる罰よ。まさかわたしにも敵わないの?わたし、後でまた言ったでしょ。正しいなら、それでいい。違っていたら、罰に何杯か酒を飲むだけのことで、酔っぱらっても死にはしないわ。あなたは今日は無茶な酒令(酒の席の遊びで、負けると酒を飲ませる)で、結局大きな杯で十杯も酒を飲まされたけど、席を下りてお酌をするんじゃだめなの?」周りの人々は皆手を打って言った。「その通り。」薛蟠はそう聞いてどうしようもなく、座っているしかなかった。すると宝玉がこう言うのが聞こえてきた。「女の悲しみは、若い美空で既に大いに空の閨房を守ること。女の愁いは、夫に辺境の守備に従軍させ、軍功を上げ諸侯に封じられるよう目指したことへの後悔。女の喜びは、鏡に映った朝お化粧をした自分の顔の美しさ。女の楽しみは、ブランコに揺れる春のブラウスの薄さ。(薛宝釵のことを言っている。)」

 

 人々はそれを聞いて、皆「すばらしい」と言った。薛蟠はひとり顔を上げ、首を振って言った。「良くない、罰しないといけない。」人々は尋ねた。「どうして罰しないといけないんですか?」薛蟠が言った。「あいつが言っていることがわたしは全く理解できない。どうして罰しちゃいけないんだ?」雲兒はそれで薛蟠をギュッとつねって、笑って言った。「あなた、こっそり自分のことを考えてみて。あなたの番になって言えなかったら、また罰せられますよ。」そして琵琶を手に取り、宝玉が歌うのを聞いた。

 

  相思う男女の思いは、血や涙が小豆(紅豆)を撒いたようにぽたぽた垂れて尽きず、春の柳や春の花が画楼の前で咲いてもなかなか満開にはならないかのようだ。風雨の中の黄昏時、紗を貼った窓の中で、わたしは熟睡できずにいる。それは古い愁いが忘れられないのに、新たな愁いが加わるから。珍しい料理も喉を通らない。菱花の鏡(古代の銅鏡)に映しても、自分の(憔悴し)やせ衰えた姿を見ることができない。気が晴れず眉間を広げることができない。眠れぬ夜は長く、夜はなかなか明けぬ。ああ、あの遮ることのできぬ青山のように連綿と続き、永遠に止まることのない渓流の緑の水のように絶えることがない。(林黛玉への愛情と、薛宝釵と結婚したことへの心の揺れを歌っている)

 

 歌い終わると、皆一斉に喝采を叫んだが、ひとり薛蟠は「拍子(テンポ)が無い」と言った。宝玉は自分の席の前の杯の酒を飲むと、切った梨を一切れつまむと、「雨は梨の花を打ち、深く門を閉ざす」(明代の唐寅の詩『一剪梅・雨打梨花深閉門』の最初の一節。薛宝釵のこと)と言い、酒令を完了させた。

 

 次は馮紫英の番で、こう言った。「女の喜びは、初めて妊娠して双子が生まれること。女子の楽しみは、ひとり庭でコオロギを捜すこと。女の悲しみは、夫が伝染病に罹って危篤であること。女の愁いは、大風で女が暮らす建物が倒壊したこと。」言い終わると、酒杯をまっすぐ掲げると、こう歌った。

 

  あなたはわたしの愛すべき人。あなたは情多き人。あなたは悪賢く機転の利く人だ。――あなたは仙人のようだけど役に立たない。わたしが言うことをあなたは全く信用してくれないが、ただあなたが陰でこっそり詳しく聞いてくれれば、わたしがあなたを愛しているかどうか分かるだろう。

 

歌い終わると、席の前の杯の酒を飲み、こう言った。「鶏の声が鳴り響き、茅葺屋根の旅籠に月が見える。」(唐・温庭筠の詩『商山早行』の一節)酒令が終わり、次は雲兒の番であった。

 

 雲兒はそれでこう言った。「女の悲しみは、将来終身誰に頼るか?――」薛蟠が笑って言った。「おまえにはこの薛旦那様がいるのに、おまえ何を心配するんだ?」周りの人々が言った。「こんな奴を相手にするな。」雲兒がまた言った。「女の愁いは、母さんが叱るのがいつになったら終わるのか?――」薛蟠が言った。「前に俺があんたの母さんに会った時に、彼女に言いつけて、あんたを叱るなと言ったよ。」周りの人々が言った。「これ以上口を挟んだら、罰として酒十杯。」薛蟠は急いで自分で自分の頬にビンタを食らわして、言った。「忘れっぽくてね。さっき注意されたことも忘れてしまったんだ。」雲兒がまた言った。「女の喜びは、愛しい人がわたしを捨てずにまだ家に居てくれること。女の楽しみは、簫の演奏を止めて、琴をつま弾くこと。」言い終わると、次のように歌った。

 

  ビャクズク(豆蔻花)の花(「豆蔻年華」で十三四歳の少女を表す。豆蔻花の花弁の構造は特殊で、花弁が閉じると、外から力を加えないと開かない。)は三月三日の上巳の節句に咲き、一匹の虫が花の中に入って受粉しようとした。(虫と花が「鑽」(穴を開ける)、「開」することで、男女の営みを連想させる)しばらく雌蕊まで潜り込もうとしたが、潜り込めず、花の上まで這い上がって、ブランコを漕いだ。わたしは(男女の営みを)求めていないのに、あなたはどうして入れようとするの?

 

 歌い終わると、席の前の酒杯を飲み、言った。「桃の夭夭(ようよう)たる。」(『詩経』の一節)酒令が終わり、次は薛蟠の番となった。

 

 薛蟠は言った。「俺、でも言わないといけないな。女の悲しみは――」言ってしばらく経ったが、続きが出て来なかった。馮紫英が笑って言った。「何が悲しいの?早く言えよ。」薛蟠はすぐさま焦った眼が鈴のようになり、そして言った。「女の悲しみは――」また二度咳ばらいをし、それからようやく言った。「女の悲しみは、嫁いだ男が「烏亀」(インポ)だった。」周りの人々はそれを聞いて大笑いになった。薛蟠が言った。「何を笑うんだ?まさか俺が言ったのが間違っているか?ひとりの女が男に嫁いだが、「要做忘八」(忘八は烏亀 とほぼ同じ意味。インポだったので他の男に寝取られてしまった)のが、どうして悲しくないんだ?」周りの人々は可笑しさの余り、身体をのけぞらしながら言った。「あなたが言うのはもっともだ。早く続きを言ってくれ。」薛蟠は眼をカッと見開きながら、また口を開いた。「女の愁いは――」ここまで言って、また言葉が止まってしまった。周りの人々が言った。「どのように憂えるんだ?」薛蟠が言った。「女の閨房から大きな猿が慌てて逃げ出して来た。」周りの人々はハハッと大笑いして言った。「罰しないとだめだ。さっきのはまだ許せるが、この文句は尚更筋が通らないぞ。」そう言うと、酒を注がせようとした。宝玉は言った。「押韻はちゃんと踏んでいますよ。」薛蟠が言った。「酒令のきまりは皆守っているよ。おまえら何をごたごた騒いでいるんだ。」周りの人々はそう聞いて、ようやく収まった。

 

 雲兒が笑って言った。「下の二句は益々言うのが難しくなったでしょう。わたしが代わりに言ってあげるわ。」薛蟠は言った。「でたらめ言うな。本当に俺は良いところが無いか?俺の言うのを聞いてくれ。女の喜びは、新婚初夜の閨房で、快楽の余り翌朝の起床が気だるい。」周りの人々はそう聞いて、皆怪訝そうに言った。「この句はどうしてこんなに雅(みやび)なんだ?」薛蟠が言った。「女の楽しみは、一本の男根を中に突き刺すこと。」周りの人々はそれを聞いて、皆振り向いて言った。「くそったれ。早く歌わんかい。」薛蟠はそれでこう歌った。「一匹の蚊がフンフンフン……」周りの人々は皆呆気にとられ、ポカンとし、言った。「これは何という曲だ?」薛蟠が更に歌った。「二匹のハエがウォンウォンウォン……」周りの人々は皆言った。「もういいよ。」薛蟠が言った。「この曲はどうだい?――これは目新しい曲で、哼哼韻と言って、君たちはいい加減に聞いてくれればいい。酒底も免除してくれ、俺は歌わないよ。」人々は皆言った。「もういいよ、それより他の人の番が遅くならないようにしてくれ。」

 

 そして、蒋玉函が言った。「女の悲しみは、夫が出て行ったきり、戻って来ないこと。女の愁いは、金が無くてキンモクセイの油(女性が髪に付ける油)が買えないこと。女の喜びは、ランプの芯の燃えさしがきれいに二本残るように、夫との夫婦生活がうまくいき、子供に恵まれること。女の楽しみは、夫唱婦随で夫婦仲が良いこと。」言い終わると、こう歌った。

 

  喜ばしいことに、おまえは生まれつき淑やかで美しく、ちょうど生きた神様が天空を離れ俗界に下りて来たかのようだ。正に青春真っ盛り、鸞鳥と鳳凰がつがいになり、真にお似合いだ。ああ。銀河が天空高く懸かるのを仰ぎ見れば、城楼からは時を告げる太鼓の音が聞こえてくる。銀の燭台を掲げ、一緒に夫婦の寝台に静かに入る。

 

歌い終わると、席の前の酒杯を飲み、笑って言った。「この詩の文句について、わたしの理解は限られていますが、幸い昨日とある対聯を見て、この句だけ覚えました。ちょうどこの酒席でこれを披露できました。」そう言うと、酒を飲み干し、モクレンの花を一輪持ち、こう詠んだ。「花の気が人を襲い、昼暖かきを知る」(「花気襲人知昼暖」南宋・陸游『村居書喜』。蒋玉函が襲人と夫婦になることを暗示している)。

 

 周りの人々は皆納得し、酒令が完了した。薛蟠がまた跳び上がってガヤガヤ騒ぎ立てた。「ひどいもんだ。罰しないといけない。この酒席にはお宝が無いのに、おまえどうしてお宝のことを言うんだ?」蒋玉函は急いで言った。「いつお宝なんて言いました?」薛蟠が言った。「おまえはろくでもない奴だな。もう一度詠んでみろ。」蒋玉函は仕方なくもう一度酒底を詠んだ。「この「襲人」はお宝でないなら何だ?――おまえたち、信じないならこいつに聞いてみろ。」そう言うと、宝玉を指さした。宝玉は申し訳なさそうに立ち上がると、言った。「薛兄さん、罰で何杯飲まないといけないですか?」薛蟠が言った。「罰だ、罰だ。」そう言うと、酒を持って来て、ひと息に飲み干した。馮紫英、蒋玉函らは理由が分からなかったが、雲兒が横から説明してくれたので、蒋玉函は急いで立ち上がって罪を謝した。周りの人々は言った。「知らなかったなら、罪にならない。」

 

 しばらくして、宝玉は席を出て手洗いに行き、蒋玉函がそれに付いて出て来たので、ふたりは廊下の軒下に立ち、蒋玉函はまた過ちを謝した。宝玉は彼が姿が艶めかしく物腰が柔らかいのを見て、心の中でとても恋々しく思い、それで強く彼の手を握りしめると、彼にこう言った。「時間があったら、僕のところにおいでよ。それとひとつ君に尋ねたいんだけど、君んとこの劇団に、琪官という役者さんがいて、彼は今名前が天下に鳴り響いているけど、残念ながら僕ひとり縁が無くてまだ見たことがないんだ。」蒋玉函は笑って言った。「それはわたしの幼名なんですよ。」宝玉はそう聞いて、思わず嬉しくなり、足を踏み鳴らして笑って言った。「なんてラッキーなんだ。果たして評判に違(たが)わない。今日初めてお会いするけど、さてどうしたらいいんだろう?」ちょっと考えて、袖の中から扇子を取り出し、玉の玦(けつ。環状で一部が欠けたもの)の扇墜(扇子の房飾り)を外して、琪官に手渡し、言った。「つまらないもので申し訳ないですが、とりあえずこれで、今日のところはわたしたちの誼(よしみ)の証(あかし)としたいのですが。」琪官はそれを受け取り、笑って言った。「まだ何の功も挙げていませんのに、このようなご褒美をいただき、どうしてこれに報いればいいんでしょう?――まあ仕方がないでしょう。わたしの方にもひとつ珍しいものがあります。今朝起きてから締めたばかりで、まだ新(さら)のものです。ひとまずこれでわたしの親しみの気持ちを少しでも表したいと思います。」そう言うと、衣服をまくり上げ、下着を締めていた一本の真っ赤な腰帯(汗巾子)を解(ほど)いて、宝玉に手渡し、言った。「この腰帯は茜香国(架空の国名)の女性の国王が貢献して来たもので、夏にこれを締めると皮膚から良い香りがし、汗で濡れることがありません。昨日北静王がわたしにくださり、今日初めて身に付けました。もし他の人だったら、わたしは断じてお贈りしたりいたしません。旦那様、どうかご自分のされているものを解いて、私に結んでくださいませんか。」

 

 宝玉はそう聞いて、嬉しくてたまらず、急いで受け取ると、自分の松花色(松の葉のような深みのある濃い青緑色)の腰帯を解いて琪官に手渡した。ふたりは各々それをしっかり締めると、一緒に大声で叫んだ。「これでしっかり結ばれた。」すると薛蟠が飛び出して来て、ふたりを引っ張って言った。「酒をほったらかしにして飲まないで、ふたりで宴席を逃げ出して来て、何をしてるんだ?早く取り出して、俺に見せるんだ。」ふたりは言った。「何も無いよ。」薛蟠がどうして納得するだろうか。すると今度は馮紫英が出て来て、それでようやく解放された。彼らはまた席に戻り酒を飲み、夜遅くなってようやくお開きとなった。

 

 宝玉は大観園の中に戻り、上着を脱いでくつろいで茶を飲んだが、襲人が宝玉の扇子の扇墜が無くなっているのに気づき、それで宝玉に尋ねた。「扇墜をどこにやったの?」宝玉が言った。「馬の上で落としたんだ。」襲人もそれ以上何も言わなかった。眠る時になって、宝玉の腰に一本の血が付いたような真っ赤な汗巾子(腰帯)が締められていたので、八九分方それと察し、それで言った。「あなた、良いものでズボンを縛っているわね。わたしのあの腰帯を返してくださらない?」宝玉はそれを聞いて、ようやくあの腰帯のことを思い出した。元々襲人のもので、他人に与えるべきではなかったのだ。心の中で後悔したが、口に出して言うことができず、ただ笑ってこう言うしかなかった。「僕、おまえに一本弁償するよ。」襲人はそう聞いて、頷き、ため息をついて言った。「わたし、あなたがまたこんなことをしてしまったのが分かったわ。でも、わたしのものをああしたろくでなしにあげてほしくないわ。あなたの心の中で、予め計算ができないのも困ったものだわ。――」まだ言い足りなかったが、また宝玉が酒を飲まされ酔っぱらっていたので、そのまま寝かさないといけなかった。その晩は特に何も無かった。

 

 翌日は空が明るくなってからようやく目覚め、宝玉はと見ると、笑って言った。「夜中に失くしたのか盗まれたのかも分からない。おまえ、ズボンの上を見てくれるか。」襲人は頭を下げて見てみたが、昨日宝玉が締めていたあの腰帯が、自分の腰に締められていたので、宝玉が夜中に交換したのが分かり、急いで一度解いて外すと、言った。「わたし、こんなもの欲しくないわ。早く持って行ってちょうだい。」宝玉は襲人のこのような剣幕を見て、一度穏やかになだめるしかなかった。襲人は仕方なく、しばらくそのまま締めていたが、その後宝玉が出て行くと、遂にそれを解いて、空の箱の中に放り込んでしまった。自分はまた他の腰帯を締めた。

 

 宝玉は別段そのことで言い争いもしなかった。それから尋ねた。「昨日は何か無かったの?」襲人はそれで答えて言った。「若奥様が人を遣わして小紅を呼びに来られました。あの子は元々あなたが帰って来られるのを待っていたのですが、わたしが何も急ぎの用事が無いと思ったので、わたしが差配して、彼女をあちらに行かせました。」宝玉が言った。「それでいいよ。僕もそのことはもう知っていたから、僕を待つ必要は無かったんだ。」襲人がまた言った。「昨日は貴妃殿下(賈元春)が宦官の夏様を遣わして来られ、百二十両の銀子を贈られ、清虚観で一日から三日まで三日間の平安醮の祈祷をさせ、歌や芝居を奉納させ、珍旦那様にお屋敷の旦那様方を率いさせ、跪いてお線香を上げ仏さまをお参りさせるよう言いつけられました。また端午節の贈り物も下さりました。」そう言うと、子供の小間使いに命じて、昨日賜ったものを取って来させた。それは以外にも上等な宮扇二本、紅麝香の数珠が二串、鳳の尾の模様の絹織物二匹、芙蓉の模様の入った簟(竹製の敷物)一枚であった。

 

 宝玉はこれを見て、嬉しくてたまらず、尋ねた。「他の人たちにも同じものが贈られたの?」襲人が言った。「お婆様には香玉の如意がひとつ、瑪瑙の枕がひとつ多く贈られました。旦那様、奥様、お妾様には、香玉の如意がひとつだけ多く贈られました。あなたと宝お嬢様には同じものです。林お嬢様と二女、三女、四女の皆さんには、扇子と数珠がひとつずつだけで、他にはありませんでした。賈珍様の奥様、若奥様(鳳姐)のおふたりには、それぞれ紗二匹、羅二匹、香袋ふたつ、錠剤のお薬(紫金錠という夏バテ防止の薬)二錠が贈られました。」宝玉はそれを聞いて、笑って言った。「これはどうしたことだろうね。どうして林ちゃんのものが僕と違うんだろう?それなのに宝姉さんのものが僕と同じなの?聞き間違えたんじゃないの?」

 

 襲人が言った。「昨日受け取った時に、ひとつひとつ札に書き出していますから、どうして間違うことがありましょう。あなたのものは、お婆様の部屋で、わたしが行って受け取って来ました。お婆様はこう言われました。「明日あなたに五更(早朝の三時から五時)に皇宮に行ってもらい、元春妃にお目にかかりお礼を申し上げるように」と。」宝玉が言った。「もちろん行かないといけないよ。」そう言うと、紫鵑を呼んで来た。「これをお宅のお嬢様のところに持って行って、昨日わたしがもらったものですが、好きなものがあったらどれでも留め置いてくださいとお伝えしてください。」紫鵑は「はい」と答え、持って行った。しばらくして戻って来て言った。「お嬢様がおっしゃいました。昨日わたしもいただきました。旦那様が留め置かれますように、とのことでした。」

 

 宝玉はそう聞いて、人に命じて片付けさせた。顔を洗ってすぐ、賈のお婆様のところにご挨拶に行くと、黛玉が前方からやって来るのが見えたので、宝玉はそれに出くわすと笑って言った。「僕のもらったものから君に好きなものを選び取ってもらおうと思ったのに、どうして取らないの?」黛玉は昨日宝玉のことで思い悩んだが、とっくにそれを捨て置き、今日のことだけ考えていたので、こう言った。「わたしはこんな大きな幸運を得ようなんて、思いもしていません。宝お嬢様とは比べ物にもなりませんわ。何が「金」でどこの「玉」ですか。わたしたちは草木のような人間に過ぎませんわ。」

 

 宝玉は黛玉が「金玉」の二文字を挙げたので、思わず心の中で不思議の思い、それで言った。「他の誰かが「金」だとか「玉」だとか言ったのか知らないけど、僕は心の中でこう思っているんだ。悪事を働いたら、天地共に許されず、永世輪廻することができない、とね。」黛玉はこの話を聞いて、心の中で猜疑心が湧き、慌てて笑って言った。「本当にくだらない。意味もなく何の誓いなの?あなたが「金」だろうが「玉」だろうが、誰が関係するの?」宝玉が言った。「僕が心の中で思っていることを君に説明するのは難しいけど、時間が経てば自然とはっきりするよ。お婆様、お父様、お母さまの三人を除いて、四番目が君だ。五番目なんていない、ここに誓うよ。」黛玉が言った。「誓う必要なんて無いわ。わたし、よく分かっているの。あなたの心には「妹」(黛玉)がいても、「姉さん」(宝釵)を見ると、「妹」のことを忘れてしまうのよ。」宝玉が言った。「それは君の気の回しすぎだよ。僕は断じてそんなことは無いよ。」黛玉が言った。「昨日は姉さんがあなたの嘘の辻褄を合わせなかったのに、あなたはどうしてそれをわたしに尋ねたの?それがもしわたしだったら、あなたはどうするつもりだったの?」

 

 そう話をしていると、ちょうど 宝釵があちらからやって来るのが見えたので、ふたりはそこを離れた。宝釵はそれがはっきり見えたので、気づかぬふりをして、頭を下げて行ってしまった。王夫人のところに着くと、一度腰かけて、それから賈のお婆様のところへ行くと、宝玉もそこに座っていた。

 

 

宝釵は、以前に母親が王夫人に「金の鎖はある和尚さんがくださったもので、将来玉を持った方がおられると、その方と婚姻が結ばれるかもしれない」(『紅楼夢』第八回)などと言っていたので、それでいつも宝玉とは距離を置くようにしていた。昨日元春妃から賜ったものを見て、ひとり彼女だけが宝玉と同じであったので、心の中では益々面白くない気持ちになった。幸い宝玉がひとり黛玉に纏わりついていたので、心の中で気にかけつつ、ただ黛玉のことを心配したのであるが、決してこのことで言い争うつもりはなかった。この時ふと宝玉が笑って言った。「宝姉さん、僕にあなたのその良い香りのする数珠をちょっと見せてくれない?」ちょうど宝釵が左腕にその数珠をはめていたので、宝玉が彼女に尋ねたので、それを外して見せざるを得なかった。

 

 宝釵は元々生まれつき皮膚がむっちりと潤いがあり、すぐには外せなかったので、宝玉は傍らで彼女の真っ白な腕を見ながら、思わず羨ましく思い、ひそかにこう思った。「この腕が、もし林ちゃんの身体に付いていたら、ひょっとすると思わずさすっちゃうかもしれないな。残念ながら宝姉さんの身体に付いているから、本当に僕ついてないなあ。」そしてふと「金と玉」の一件を思い出し、それでまた宝釵の容貌を見てみると、顔は銀の盆のよう、眼は瑞々しい杏子のよう。唇は紅を付けなくても丹色を含み、眉は描かなくとも鮮やかな翠を呈していて、黛玉とは違った艶めかしさを備えていた。思わず見惚れてぼんやりとしてしまい、宝釵が数珠を外して宝玉に渡したのに、彼は受け取るのを忘れてしまった。

 

 宝釵は宝玉がぼんやりしているのを見て、自分でも面白くなくなり、立ち上がると数珠を放り投げ、身を翻して出て行こうとしたが、黛玉が門の敷居を踏みながら、口にハンカチをくわえて笑っているのが見えた。宝釵が言った。「あなたは風が吹くのも持ち応えられないくせに、どうしてまたその風の通り道に立っているの?」黛玉は笑って言った。「別に部屋の中にいたわけじゃないわ。ただ天上の声が聞こえたので、出て来て見てみたら、間抜けな雁がいたのよ。」宝釵が言った。「間抜けな雁はどこにいるの?わたしもちょっと見てみましょう。」黛玉が言った。「わたしが今しがた出て来ると、雁は「バタバタ」と音をたてて飛んで行ったわ。」口でそう言いながら、手の中のハンカチを、宝玉の顔目掛けて放り投げ、それがちょうど知らぬ間に宝玉の眼に命中し、「ひゃあっ」と大声を上げた。そのいきさつを知りたい向きには、次回解説いたします。

 小間使いの小紅は、ひょんなことから王熙鳳(鳳姐)に見出され、試しに侍女の平兒への言伝を頼むと、それをテキパキうまくこなしたことから、 鳳姐の下で働くよう言われます。黛玉はちょっとした行き違いから宝玉と仲違いしてしまいます。時は春の終わり、二十四節季の芒種。花が散り行く時期で、黛玉は以前桃の花を埋めた花塚に行き、泣きながら『葬花吟』の詩を詠唱するのを、偶然宝玉に聞かれます。『紅楼夢』第二十七回のはじまりです。

 

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滴翠亭にて楊妃(楊貴妃。ここでは薛宝釵を指す)は彩蝶と戯(たわむ)れる

香を埋める塚にて飛燕(趙飛燕。林黛玉を指す)は泣いて紅を残す

 

 

 さて、黛玉が正に自ら悲しみに泣き濡れていると、ふと屋敷の門が開く音が聞こえ、宝釵が出て来るのが見え、宝玉や襲人など一群の人々が見送りに出て来た。出て行って宝玉に尋ねようとも思ったが、また人々の前で宝玉に直接尋ねるのも、彼にバツが悪く感じさせて具合が悪いので、さっと傍らに身を隠し、宝玉らがまた屋敷に入り、門が閉じられてから、また戻って来たのであるが、なお門を望んで、涙が幾粒かこぼれ落ちた。自分でも虚しく感じ、身を翻して家に戻って来て、しょんぼりと残った化粧を落としたのであった。

 

 紫鵑と雪雁は平素から黛玉の性格を分かっていた。何事も無いのに気がふさぎ、憂鬱そうな表情をするのでなければ、ため息をつき、しかも何事も無いのに、どうしてか分からぬが、勝手に涙が出てきて止まらぬことがあった。以前にはなだめてくれる人もいたし、父母のことや故郷を思い出し、つらい思いをせぬか心配し、言葉でなだめて落ち着かせた。ところが、それ以降毎年毎月いつもこのようであったので、皆それを見慣れてしまい、あれこれ議論することも無くなってしまった。それゆえ誰も彼女を諭すことが無くなり、彼女が気持ちがふさいでいれば、周りの女たちは外で他の用事を済ましに行くようになってしまった。

 

 かの黛玉はベッドの縁に寄りかかり、両手で膝を抱え、眼に涙をため、まるで木彫りや石膏造りの像のように、ずっと二更(夜の21時から23時)頃までじっと座っていて、それからようやく眠りについた。その晩は特に何も無かった。

 

 翌日、すなわち四月二十六日、元々この日の未(ひつじ)の刻(13時から15時)から、芒種(ぼうしゅ)、穀物の芒(のぎ)の種を蒔く節季が始まった。昔からの風習で、凡そ芒種の節季の日には、様々なお供え物を並べ、花神へお別れをするお祭りをした。――芒種をひとたび過ぎると、夏になると言われ、花々は皆散りゆき、花神は退位するので、お別れをしなければならなかった。閨房の中ではなおさらこうした風習が盛んであったので、大観園の中の人々は、皆早い時間に起き出して来た。若い女性たちは、或いは花びらや柳の枝で駕籠や馬を作ったり、綾衣や錦、絹の布を重ね、雌牛の尾や鳥の羽で飾った旗を作り、これらを色とりどりの糸で繋いだ。木々の一本一本、一本一本の花々には皆、これらの物が繋がれた。庭園中で、刺繍が施された帯がゆらゆら揺れ動き、花や木々の枝に翻った。更にここにいる女性たちの艶やかさと言ったら、桃も恥じらい杏子も退くかのようで、燕は嫉妬し鶯は恥じらうかのようで、すぐには言い尽くせぬかのようであった。

 

 さて宝釵、迎春、探春、惜春、李紈、鳳姐ら並びに女性たち、香菱と小間使いの女たちは、皆庭園の中で遊んでいたが、ひとり黛玉は姿を見せなかった。 迎春はそれでこう言った。「林ちゃんはどうしていないんだろう?なんてものぐさな娘なんだろう。こんな日にまだ寝ていないと気が済まないのかしら?」宝釵が言った。「あんたたち、お待ちなさい。わたしが行ってあの子を驚かせてやるから。」そう言いながら、女たちを引き連れ、まっすぐ瀟湘館へやって来た。ふと前を見ると宝玉が屋敷に入って行くのが見えたので、宝釵は立ち止まり、俯いてちょっと考えた。「宝玉と黛玉は小さい時からひとつ処で成長し、彼ら兄弟(兄妹)の間にはいろいろ疑わしいところがあるのは避けられないけど、嘲笑するのも憚られるし、喜怒の感情も刻一刻変化する。まして黛玉は平素からちょっとしたことで他人を疑い、些細なことでもすぐ怒る。今、わたしまで一緒に屋敷に入って行ったら、ひとつには宝玉が具合が悪いだろうし、ふたつには黛玉が疑いをかけるだろうから、やはり戻るのがいいだろう。」考え終わると、そこを抜け出し、戻って来た。

 

 ちょうど他の女兄弟の元を尋ねようと思っていると、ふと目の前にひとつがいの白玉の色をした蝶々が見え、大きさはうちわくらい、上下に羽ばたきながら、風を受けて軽やかに舞い、たいへん面白かった。宝釵はちょっと捕まえてやろうと思い、袖の中から扇子を取り出すと、草地に向けて下ろして捕まえようとした。するとかのつがいの蝶々は、上がったり下がったり、近寄ったり遠ざかったりし、やがて川を越えようとした。蝶をここまで追ってきた宝釵は抜き足差し足で、ずっと池のほとりの滴翠亭まで付いて来たが、汗が滴り落ち、激しく動いて息が切れ、もう身体が動かなくなった。宝釵もこれ以上蝶を捕まえる気が無くなり、もう帰ろうと思ったその時、ふとあちらのあずまやの中から、ひそひそと誰かが話す声が聞こえてきた。実はこのあずまやの四面は皆回廊と欄干が取り囲み、池の中の水中に建てられていて、四面が彫刻を施した仕切り窓で、紙が貼られていた。

 

 

 宝釵があずまやの外から何を話しているか聞こうと、足を止め、そっと聞き耳を立てると、こう話しているのが聞こえた。「見てごらんなさい。この絹のハンカチが間違いなくあなたが失くしたものだったら、あなた持って行きなさい。もし違ったら、芸旦那様にお返しなさい。」もうひとりが言った。「他でもなくわたしのものだわ。わたしに返してちょうだい。」またこう言うのが聞こえた。「あなたはどんなものでわたしにお礼してくれるの? まさかわたしに無駄働きさせるんじゃないわよね?」それに対し、また答えて言った。「わたしはもうあなたには随分感謝したから、もうあなたの機嫌は取らないわ。」またこう言うのが聞こえた。「わたしが捜してきてあなたに渡したんだったら、もちろんわたしに感謝するんでしょうけど、あの拾った人に、あなたは感謝しないの?」もうひとりがまた言った。「あなた、でたらめ言わないで。あの方はご主人様のお家の方よ。わたしたちの物を拾われたら、当然返してもらわないといけないわ。わたしに何を以てあの方に感謝すればいいの?」またこう言うのが聞こえた。「あなたがあの方に感謝しないと言うなら、わたしはどうあの方にお返事すればいいの?まして、あの方は何度もわたしに言われたわ。もし感謝しないなら、わたしがあなたにハンカチを返すのを許さないって。」しばらくして、またこう言うのが聞こえた。「仕方ないわ。わたしのハンカチを持って行って、あの方にお渡しして。あの方への感謝の気持ちだと言って。――あなた、このことを他の人にも言うんじゃないでしょうね?言わないと誓って。」またこう言うのが聞こえた。「もし誰かにこの話をしたら、舌にできものができて、今後成仏できないわ。」またこう言うのが聞こえた。「あらまあ。わたしたち話に夢中になって、誰かがこっそり外で聞いていないかよく調べないといけないわ。いっそ、この窓を全部開け放って、人がわたしたちがここにいると分かるようにすれば、皆わたしたちが冗談を言っているとばかり思うに違いない。目の前まで歩いていけば、わたしたちからも見えるのは、言うまでもないわ。」

 

 宝釵は外でこの話を聞いていて、心の中でびっくりして、こう思った。「道理で昔から今まで、ああした陰でこそこそ破廉恥なことをする輩は、知恵がよく回るものだわ。こうして窓を開けて、わたしがここにいるのが分かれば、あの娘たちは恥ずかしがるんじゃないか?ましてや話している声から、おおかた宝玉の部屋付きの小紅のようだわ。あの子は昔からうぬぼれが強いところがあって、一番悪賢くて変わった小間使いで、今日わたし、あの子の欠点が分かったわ。「人は焦ると謀反を働き、犬は焦ると壁を飛び越える」、もめごとになるし、わたしも面子が無くなるわ。今慌てて隠れようとしても、おそらく隠れる暇は無い。ここは一計を案じて、ここを「もぬけの殻」にして逃げるしかないわ――」なお考えが終わらぬうちに、「ギシギシ」と音がしたので、宝釵はわざと強く足音を立て、笑いながら大声で言った。「顰兒(眉をひそめること。林黛玉のあだ名)、あなたどこに隠れているの。」そう言いながら、わざと前に移動した。

 

 そのあずまやの中にいた小紅、墜兒はたった今窓を押し開けたところで、宝釵がこのように言いながら前に近づいて来るのが見え、ふたりは驚き恐れた。宝釵は却ってふたりに笑って言った。「おまえたち、林お嬢様をその中に隠していないかい?」墜兒が言った。「どこで林お嬢様を見られたんですか?」宝釵が言った。「わたしは今しがた川辺で林お嬢様がこちらでたたずんで水遊びをされているのを見たのよ。わたしはこっそりあの子を驚かしてやろうと思ったんだけど、目の前まで行かないうちに、あの子がわたしを見つけて、東の方に回り、姿が見えなくなった。――もしかして中に隠れていない?」そう言いながら、一方でわざとあずまやに入って行くと、ちょっと中を調べて、外に出て来て、独り言を言った。「きっとまた山の洞窟の中に潜り込んだのよ。蛇に出逢って、噛まれても仕方がないわね。」そう言いながら、一方で歩みを進めながら、心の中でさも可笑しそうにした。「この件は隠しておきましょうね。おふたりはそれでいいかしら?」

 

 思いがけず小紅は宝釵の話を聞いて、本当だと信じ、宝釵が遠くまで行くと、墜兒の身体を引っ張り言った。「えらいことだわ。林お嬢様がここにおられたのなら、きっと話を聞かれてしまったわ。」墜兒はそう聞いて、しばらくの間何も言わなかった。小紅がまた言った。「これはどうしたらいいの?」墜兒が言った。「聞こえたわ、ほっておけばいいのよ。皆がそれぞれ自分のことをすればいいんだわ。」小紅が言った。「もし宝お嬢様に聞かれても、仕方がないわ。あの林お嬢様は言葉に棘のある人で、感情も細かいから、あの方に聞かれていて、もし他の人に話が漏れたら、どうなるのかしら?」

 

 ふたりがちょうど話をしていると、香菱、臻兒、司棋、侍書らがあずまやに上がって来るのが見えた。ふたりはこの話を隠しておかざるを得ず、且つ彼女たちと談笑した。ふと鳳姐が山の斜面の上に立ち、手招きするのが見えたので、小紅は急いで人々を捨て置き、鳳姐の前まで走って行き、作り笑いを浮かべて尋ねた。「若奥様、何かご用ですか?」鳳姐は彼女を一度しげしげと眺め、この娘が生まれつきさっぱりしてきれいで、話をしても物事をよく心得ているのが分かり、それで笑って言った。「うちの小間使いたちは今日はわたしに付いて来なかったの。わたしは今回あることを思い出して来たんだけど、もしわたしの代わりにお使いを頼むんだったら、あなたやってくれるかしら。用件を漏らさず言うことができて?」小紅は笑って言った。「若奥様が何か事付けられたいなら、わたしに言いつけられればいいですよ。言伝(ことづて)が不十分で、若奥様の用事で誤解が生じたら、若奥様の責めに従いますわ。」鳳姐は笑って言った。「おまえはどのお嬢さんの家の者だね?わたしがおまえを遣わして、ご主人が戻って来ておまえを捜したら、わたしがちゃんとおまえの代わりに言っておくよ。」小紅が言った。「わたしは宝旦那様の家の者です。」

 

 鳳姐はそう聞いて笑って言った。「おやまあ。おまえはなんと宝玉の家の者だったのかい。道理で、まあ仕方がない。あの子が尋ねたら、わたしが代わりに言っておくよ。――おまえ、うちに行って平姉さんに伝えておくれ。外の部屋のテーブルの上の汝窯の大皿の台の底に一巻の銀子が置いてある。全部で百二十両あって、刺繍職人に渡す工賃だから、張材家の者が来たら、その場で重さを量って確かめさせて、その銀子を持って帰らせておくれ。それともうひとつ。家の中のベッドの上に小さなポーチがあるから、持って来ておくれ。」

 

 小紅はそう聞いて、「はい」と答え、向こうを向いて出て行った。しばらくして帰って来たが、鳳姐が山の斜面の上におらず、 司棋が山の洞窟の中から出て来て、立ちながらベルトを締めていたので、近寄って尋ねた。「お姉様、若奥様はどちらへ行かれましたか?」司棋が言った。「知らないわ。」小紅はそう聞くと、向こうを向いて四方を一瞥し、あちらで探春と宝釵が池の畔で魚を見ているのが見えたので、小紅がやって来て追従笑いをして言った。「お嬢様方、若奥様が今しがたどちらに行かれたかご存じありませんか?」探春が言った。「おまえを大奥様のお屋敷に捜しに行かれたわよ。」

 

 小紅はそう聞いて、今度は稲香村の方にやって来ると、向こうから晴雯、綺霞、碧痕、秋紋、麝月、侍書、入画、鶯兒らの一群の女たちがやって来た。晴雯は小紅を一目見ると、言った。「あなた、若い女の身であちこちほっつき歩いて、気でも狂ったの?お屋敷の中のお花に水をかけてやるでもなく、雀に餌をやるでもなく、お茶を沸かすでもなく、ただ外をぶらつくなんて。」小紅が言った。「昨日宝旦那様がおっしゃるには、今日は花に水をやる必要はない、一日経ってからやるように、とのことでした。わたしが雀に餌をやった時、あなたはまだ寝ておられましたわ。」 碧痕が言った。「お茶はどうしたんだい?」小紅が言った。「今日はわたしの当番ではございません。茶があるかどうか、わたしに聞かないでください。」 綺霞が言った。「みんな、あの子の言いぐさを聞いたかい。みんな、もう何も言わないで。あの子を勝手にほっつき歩かせればいいわ。」小紅が言った。「皆さん方、まだ何でも聞いてください。わたしがほっつき歩こうが、ほっつき歩きまいが。若奥様がさっきわたしにお遣いを頼まれ、言伝をして、ものを取りに行きました。」そう言うと、ポーチを掲げて女たちに見せ、その後は何も言わなかった。

 

 女たちは立ち去った。晴雯は冷ややかに笑って言った。「道理でね。何かと思えば、偉い方のお近づきになって、わたしたちの言うことなど聞いてくれないのね。どれだけの言伝(ことづて)を言われたのか、相手の名前を知っているのかどうかも知らないけど、あの子の気持ちをこんな風にしてしまったのね。こんなようなことをやっても、どうということはないわ。しばらくしたら、またわたしたちの言うことを聞かないといけなくなるわ。――才能があるなら今日からこのお屋敷を出て、遥か遠くのお偉いさんのところで、ちゃんと認められればいいんだわ。」そう言いながら、行ってしまった。

 

 ここで小紅はそう聞いたのだが、弁明することもできず、ただじっと我慢して鳳姐を捜すしかなかった。李氏の部屋に着くと、果たして鳳姐はここで李氏と話をしていた。小紅は部屋に入ると回答して言った。「平お姉様はこう言われました。若奥様が出て来られるとすぐ、お姉様が銀子を受け取られました。ちょうど張材家の方が受け取りに来られたので、その場で重さを量って、その方に持って帰ってもらいました。」そう言いながら、ポーチを手渡した。またこうも言った。「平お姉様はわたしに、若奥様への報告を託されました。今しがた旺兒が入って来て相談しました。若奥様のご指示に基づき、なんとかあちらの家に行くことを考えたいと。平お姉様はそれで、若奥様のお考えに基づいて、旺兒を遣わしたいと言われました。」鳳姐が笑って言った。「平兒はどうしてわたしの考えで旺兒を遣わすと言ったのかしら?」小紅が言った。「平お姉様はこう言われました。「うちの奥様がこちらの奥様にご挨拶されたんです。うちの旦那様はご不在でした。返済が二日遅れてしまいますが、どうか奥様ご心配なさらないでください。五奶奶(弟さんの奥様)の具合がよくなられるのを待って、またうちの奥様から五奶奶 に来てもらって奥様にお会いいただくこともできるでしょう。五奶奶 は以前、人を遣わして来られて、こう言っておられました。叔父様の奥様がお手紙を持って来られ、奥様にご機嫌窺いされ、またこちらの叔母様に、延年神験万金丹の丸薬をいくつか所望されています。もしございますなら、奥様から人を遣わされ、うちの奥様のところに送りさえすればよい。――明日誰かが行く用事があるなら、ついでにあちらの叔父様の奥様がお持ち帰りになる」とのことでございました。」

 

 小紅がまだ言い終わらぬうちに、李氏は笑って言った。「あらまあ。こんな話、わたしには訳が分からないわ。何人も「奥様」「旦那様」が出て来て。」鳳姐は笑って言った。「あなたが分からないのも仕方がないわ。これは四五件の仕事が絡んだ話だからね。」そう言いながら、また小紅に笑って言った。「紅ちゃん、おまえが全部漏らさず言うのは大変だろうけど、あの子たちのように、もじもじと蚊の鳴くように言うのとは全然違うわ。――叔母さんは知らないけど、今はわたしが手近で使っている数人の小間使いの女たちを除いて、わたしは他の人と話をするのが恐ろしいの。あの子たちは必ず、一言で済む話を二言三言に引き延ばすし、字面(ずら)にばかりこだわり、ウンウンフンフンと不自然な調子をつけようとするし、わたしイライラして雷を落としてしまうの。うちの平兒も最初はそうだった。わたし、あの子に尋ねたの。まさか蚊がフンフンと鳴くように装うのが美人と思ってるんじゃあるまいね?、と。何遍か言って、ようやく直ったわ。」李紈が笑って言った。「皆があなたのように、おっかない女になればいいのにね。」鳳姐が言った。「この子はいいわ。さっき言ってくれた話はことばはあまり多くないけど、口ぶりはハサミで切ったように明快だったわ。」そう言うと、また小紅の方を向いて笑って言った。「明日はあなた、わたしの下で仕えなさい。わたしはあなたを義理の娘と見做すわ。わたしが躾ければ、あなた見込みがあるわよ。」

 

 小紅はそう聞いて、「クスッ」と笑った。鳳姐が言った。「どうして笑うの?あなたはわたしが若くて、あなたより数歳年上なだけで、母親になるのかと言うんでしょう。あなたは春の夢でも見てるのよ。あなた、聞いてみてごらん。ここにいる人たちはあなたより年上だけど、これに乗じてわたしを母さんと呼んでも、わたしは相手にしないわ。今日はあなたを抜擢してあげたのよ。」小紅は笑って言った。「わたしはそのことを笑ったんじゃないんです。わたしが笑ったのは、若奥様がわたしの世代を勘違いされていることなんです。――わたしの母は若奥様の義理の娘なのに、今日はわたしを義理の娘と見做されたから。」鳳姐が言った。「誰があなたの母親なの?」李紈が笑って言った。「あなた、本当はこの子のことご存じじゃなかったの?この子は林之孝の娘なんですよ。」鳳姐は

そう聞いて、たいへんいぶかしがり、それでこう言った。「まあ、あの方の娘さんなの。」また笑って言った。「林之孝は夫婦ふたりとも、極めて内気で物静かで、わたしは朝から晩まで家でこう言ってました、この夫婦は本当に天が娶せたカップルだ、ひとりが天聾、ひとりが地啞(文昌帝君に仕えるふたりの侍童)だと。あの家からこんな利発な娘が生まれたなんて。――おまえ、歳は十幾つなの?小紅が言った。「十七歳です。」また名前を尋ねた。小紅は言った。「元々「紅玉」だったのですが、宝旦那様と字が重なるので、今は小紅と呼ばれています。」

 

 鳳姐はそう聞いて、眉に皺を寄せ、頭をくるっと回し、こう言った。「人に嫌がられることをしたものね。「玉」を安く手に入れたかのようだわ。あなたも「玉」、わたしも「玉」とね。」それでこう言った。「叔母さんは知らなかったの。わたしはあなたのお母さんにこう言ったのよ。「頼お母さんは今やらないといけない仕事がたくさんあって、このお屋敷の中で誰がどんな役割かも知らないの。あんた、わたしの代わりにちゃんと小間使いをふたり選んで、わたしのところに来させてちょうだい。」あの人は「はい」と言ったんだけど、ちゃんと選んでくれなかったので、却ってあの人の娘を別のところに遣ってしまったの。まさかわたしにわざと良くない子を選んだんじゃないわよね。」李紈が笑って言った。「あなたはそれにしても気が多過ぎるわ。入って来るのが先、あなたが言うのが後だったのに、どうしてあの人を恨むの?」鳳姐も笑って言った。「もうこうなってしまった以上は、明日わたしが宝玉と話をして、宝玉にまた人が要ると言わせて、あなたはわたしのところに来てもらうわ。――でもご本人がそうしたいかどうか知らないけど。」小紅が笑って言った。「望むかどうか?――わたしたちもはっきりとは申せません。ただ若奥様といっしょにいれば、わたしたちは人の顔色を窺って判断を下すことを学び、それぞれ違った場面への対応、大事なことや些細なことでの対応について、見識を持つことができるでしょう。」ちょうどそう言っているところに、王夫人の小間使いがやって来るのが見え、戻って来るよう乞われたので、鳳姐は李紈に暇乞いをして帰って行った。小紅は自分で怡紅院に戻って行ったが、このことは言うまでもない。

 

 さて今、黛玉は夜の間よく眠れなかったので、翌日は起きるのが遅くなり、他の女兄弟たちが皆大観園の中で餞花会(江南地方の民間の風習で、旧暦の芒種の日(太陽暦で66日頃)に花の神を祀ること。芒種が過ぎると、花神は退位すると言われていた)をしていると聞き、人々が彼女を怠惰だと言って笑われるのを恐れ、急いで髪を梳き顔を洗って出て来た。ちょうど庭園に着くと、宝玉が門をくぐってやって来るのが見えた。宝玉は笑って言った。「林ちゃん、昨日僕に何か言わなかった?僕、一晩中それが気になっていたんだ。」黛玉は振り返ると、紫鵑を呼んだ。「部屋の中を片付けてちょうだい。紗のブラインドをひとつ下ろして、軒下の燕が戻って来るのが見えたら、帷を下ろして、(石で彫った)獅子をもたせ掛け、お香を焚いて、香炉にカバーを掛けておいて。」そう言いながら、外へ歩いて行った。

 

 宝玉は黛玉がこのように振る舞ったので、まだ昨日のお昼のことのせいだと思ったのだが、夜の事件のこと(黛玉がせっかく宝玉の元を訪ねたのに、晴雯が門を開けてくれず、屋敷に入れてもらえなかったこと)は知る由もなかった。更に手をこまねき腰を曲げてお辞儀をした。黛玉はまっすぐ前方を向くも宝玉は無視して、各々屋敷の門をくぐり、まっすぐ他の女兄弟たちの方へ行った。宝玉は心の中で腑に落ちず、自ら疑ってかかった。「このような有り様だと、昨日のことのせいではないようだ。――だけど昨日は帰って来るのが遅くなり、また黛玉にも会っていないし、あれ以上彼女を怒らすことはしていないが。」そう考えながら、一方では仕方なく黛玉の後ろを付いて行った。

 

 すると宝釵と探春が、ちょうどそちらで鶴の舞いを見ていたが、黛玉が来たのを見ると、三人は一緒に立ったまま話を始めた。また宝玉が来たのを見ると、探春は笑って言った。「宝兄さん、お身体の具合はどう?わたし丸々三日間あなたに会っていないわ。」宝玉は笑って言った。「君はお加減どうなの?僕、ちょっと前に叔母様の前で君に聞いたよね。」探春が言った。「宝兄さん、こちらにいらして。わたし兄さんに話があるの。」宝玉はそう聞いて、彼女に付いて、宝釵と黛玉から離れ、一本の石榴の木の下に行った。

 

 

 探春がそれで口を開いた。「ここ何日かで、お父様があなたを呼ばれなかった?」宝玉は笑って言った。「呼ばれていないよ。」探春が言った。「昨日、わたしかすかに聞いたの、お父様が兄さんに出て来るように言われたのを。」宝玉は笑って言った。「それは他の人と聞き違えたんだと思うよ。別に僕を呼んでないよ。」探春はまた笑って言った。「ここ数ヶ月で、わたしまた十何挿し(吊。1吊に穴あきの銅銭が千枚通してある)の銅銭が貯まったの。兄さん、またそれを持って行って、明日街に散歩に行かれた時に、もし良い書画や、よくできた玩具があったら、わたしの代わりに持って帰って来てください。」

 

 宝玉が言った。「僕が近頃ぶらつくのは、城内や城外の大きな寺院の廟会(縁日)だけど、別に新奇で精巧に作られたものは見たことが無いよ。総じて金、玉、銅、磁器の類があるだけで、どこにも骨董なんて置いてない。それ以外は絹織物、食べ物、衣服だね。」探春が言った。「そんなもの誰が要るの。兄さんが前回買って来た柳の枝で編んだ小さな籠や、竹の根を掘って作ったお香入れ、粘土で作った茶釡のようなものでいいの。わたし、好きでたまらないのに、なんと他の女の子たちも皆好きで、みんな宝物のように奪って行ってしまうの。」宝玉は笑って言った。「何かと思えばこうしたものが欲しいのか。こんなもの、何でもない、何挿しかの銅銭を小者たちに渡せば、車にごっそり載せて来ること請け合うよ。」探春が言った。「小者たちに何が分かるの?あなたが選んでくれる面白くてありふれていないものを、兄さん、わたしの代わりにもっと持って来て。わたし、前回のような靴をもう一足作るわ。前のよりもっと腕によりをかけるわ、それでどう?」

 

 宝玉は笑って言った。「君が靴のことを言ったから、僕、ある出来事を思い出した。初めて履いた時に、ちょうど父さん(賈政)に逢ったんだ。父さんは不機嫌そうに、「これは誰が作ったんだ?」と尋ねられた。僕、その時、どうして君が作ったなんて言えるかい?僕はそれでこう答えたんだ、前に僕の誕生日に母方の叔母がくれたものですって。父さんは叔母さんがくれたと聞いて、それ以上は何も言われなかった。しばらくしてまたこう言われた。「なんと無駄なことをして。人の力を無駄にかけ、高価な絹の布を使って、こんなものを拵えるなんて。」僕、帰って来てそのことを襲人に話すと、襲人はこう言った。「このことはまだいいですよ。趙叔母さん(探春、賈環の母親で、賈政の妾)の抱かれている恨みはそんなものじゃないですよ。同じお父様から生まれられた実の兄弟なのに、着ているものや履いているものがちゃんとしていないって、(探春の兄弟の賈環は)人としてまともに見てもらえないんです。それなのにこんなものを作って。」」

 

 探春は話を聞いて、すぐさま俯(うつむ)いてこう言った。「本当に、どうしようもない分からず屋ね。どうしてわたしは靴作りをしないといけないの?環ちゃんにはまさか何の分け前も無いんじゃないでしょうね。衣裳は衣裳、靴下は靴下、娘も嫁もひとつ屋根で暮らしているのに、どうしてこんな恨み言を言わないといけないの?こんなこと誰に聞いてもらえばいいのか。わたしは暇に任せて一足半足作っては、お兄様や兄弟たちに差し上げるのが好きで、わたしの心のままにしていることよ。わたしは誰かから管理されないといけないとでも言うの?これもあの人が訳も分からずやっているんだわ。」宝玉はそれを聞いて、頷いて笑って言った。「君は知らないだろうが、あの人の心の中には、それなりの考えがあるんだ。」

 

 探春はそう聞いて、また一度怒りを爆発させ、首を一回転させて、こう言った。「あなたまで分からず屋になったの。あの人の考え、そりゃあるでしょう。でもそれは浅はかで愚劣な見識だわ。あの人にはこんな考えしかないし、わたしはあの人と奥様のふたりしか知らない。それ以外の人のことは、わたしは一切関わらないわ。つまり兄弟姉妹の前で、わたしと仲の良い人は皆、わたしも仲良くするわ。偏見とか妾腹とか、そんなことわたしの知ったこっちゃないわ。理屈から言うと、わたしはあの人のことをあれこれ言っちゃいけないのだけれど、うちの母さんは本当にばかで物事の道理を知らないんだから。――まだ笑い話があるわ。前回わたしがあなたに渡したあの銭で、わたしの代わりにおもちゃを買ってきてもらったんだけど、二日して、母さんはわたしの顔を見るなり、どうして銭がないんだ、どうやって暮らすんだと言うの。わたしも相手にしなかったわ。ところがなんと後から小間使いたちが出て行ってから、母さんがわたしに恨み言を言って、わたしが貯めた銭を、どうしておまえに使わせて、環ちゃんに使わせなかったんだろう、って言うのよ。わたしはこの話を聞いて、可笑しいやら、腹が立つやら。わたしはそれで家を飛び出して奥様のそばへ行ったの。」

 

 ちょうどそう話していると、宝釵があちらで笑ってこう言うのが見えた。「話が終わったら、こちらに来なさい。あなたたちは明らかに兄と妹だって分かるわ。他人の言うことは放っておいて、さしあたり自分で貯めた銭だとおっしゃい。一言しか聞こえてないから、正しくないかもしれないけど。」そう言うと、探春と宝玉のふたりはようやく笑い出した。

 

 宝玉は黛玉の姿が見えないので、それで彼女が別の場所に隠れていると知り、いろいろ考えを巡らせた。「いっそのこと、二日遅らせて、林ちゃんの怒りが少し収まってから行けばいい。」それで頭を屈(かが)めて、たくさんのホウセンカや石榴(ざくろ)など様々な色の散った花々が、錦を重ねたように地面一面に落ちているのを見て、ため息をついて言った。「これは黛玉の心の中で怒りが生じて、これらの花々も片付かないんだ。僕が花びらを届けてから、明日また林ちゃんを訪ねてみよう。」そう言っていると、宝釵が女兄弟たちと約束して裏の方に行くのが見えた。宝玉が言った。「僕も今行くから。」宝釵と探春のふたりが遠くまで行くのを待って、宝玉は落ちた花びらを包むと、山に登り川を渡り、木々や花々の間を抜け、まっすぐあの日黛玉と一緒に桃の花を葬ったところに行った。

 

 既に花塚に着き、なおまだ山の斜面を越えぬうちに、あちらで嗚咽(おえつ)の声が聞こえてきた。過ちをひとつひとつ数えあげながら、悲しみに泣きぬれていた。宝玉は心の中で思った。「これははて、どちらの家の小間使いの女なのだろう?悔しい思いをして、ここまで走ってきて泣いているのだろうか?」そう考えながら、足を止めると、女が泣きながらこう言うのが聞こえた。

 

  花は散り、花びらが満天に飛ぶ。花の鮮やかさが消え香が断たれるのを、誰が怜(あわ)れむだろう?

  ゆらゆら揺れる蜘蛛の巣が絡みつく春の高殿、落ちた柳絮が刺繍を施したカーテンに付く。

  閨房の中の娘は春の暮れるを惜しみ、愁いが胸一杯に広がるもそれを吐く場所が無い。

  手に鋤を持ち閨房を出るも、落ちた花を踏んで往き来するのを我慢できるだろうか?

  柳の枝や楡の莢はただ自ら茂るに任せ、桃やスモモの花が飛び散るのに関心が無い。

  桃やスモモは来年もまた花を咲かせるだろうが、来年閨房の中がどうなるか誰が知ろう。

  陽春三月に燕が巣作りをし、落ちた花びらも巣の材料に混じるが、軒下の燕はそのことを気にも掛けない。

  来年花が咲けば燕はまた花びらを啄(ついば)めるが、けれど思いがけず人は去り家の中は空っぽで、燕の巣も壊れてしまった。

  一年三百六十日、寒風は刀の如く、厳しい霜は剣の如く無情に花を痛めつける。

  花が美しく鮮やかなのをどれだけ保てるだろうか。一旦萎れて散ってしまうともう美しさを求めることができない。

  花が咲く時は見るのが容易いが、散り落ちた後に美を追い求めるのは難しい。階(きざはし)の前の花を葬る人(林黛玉)は悲しみで胸が張り裂けんばかりだ。

  ひとり花を鋤で取りつつこっそり涙を流し、花の散り去った枝にかかった涙が血の雫となる。

  ホトトギスはちょうど黄昏時には鳴き止み、花を葬る人は鋤を担いで家の重い門を閉める。

  青く冷たい灯りが壁を照らし、人々は眠りに就く。冷たい雨が窓をたたくも、掛け布団は未だ暖まらない。

  どうしてわたしの気持ちはこんなに傷つくのだろうか?その半分は春の美しさを惜しむからで、もう半分は春の短さを恨むからだ。

  春を惜しむ時は突然やって来て、春の突然の別れに思い悩む。春は無言でやって来るが、去る時も跡形もなく去って行く。

  昨晩庭の外から悲痛な歌声が聞こえて来た。おそらくそれは散った花や鳥の魂が悲しみに泣いているのではないか?

  花の魂も鳥の魂も結局引き留めるのが難しく、鳥は黙して語らず花も自ら恥じらう。

  わたしにもし今羽が生えたら、飛びかう花びらに従い天の果てまで飛んで行きたい。

  天の果てのどこに、花の魂の墓があるのだろうか?

  錦の袋に美しい花びらを集めて、両手できれいな土をすくって花びらを埋めてやろう。

  花は元々純潔な姿でこの世に来たのだから、きれいなままで離れるべきで、汚い泥沼やどぶ川に落ちて汚れてしまわないようにすべきだ。

  今日わたしはあなた(散った花)を埋葬するが、わたしはいったいいつ死ぬのだろう?

  わたしが今日花を埋葬すると言うと人に嘲笑されるが、将来わたしが死ぬと誰がわたしを埋葬してくれるのだろう?

  春の暮れに残花が次第に落ちるのは、正に紅顔の少年(少女)が老いて死ぬのと同じことだ。

  ――やがて春が尽き紅顔であった少年(少女)も老いる。花は枯れ落ち人は死ぬが、何れも知る由も無い。

 

正に一方で低い声で吟唱しながら、一方では涙にむせび、あちらでは自ら悲しみの余り泣き濡れるも、思いがけずこちらではとっくに気が振れてしまったかのように聞こえた。この詳細につきましては、次回に解説いたします。

 今日は奥さんのリクエストで、奈良はならまちにあるケーキ屋さん、パティスリーカラクの、パティシエの作るかき氷を食べに行きました。この間、関西テレビの朝の「よーいどん」で紹介されたお店です。パティシエのご主人が、ケーキのようなかき氷を、ということで始められたようです。

 

パティスリーカラク 奈良の地図

 

 

 

お店の中は、こんな感じ。

 

10時開店で10時半ごろお店に着きましたが、店内は満席、外に2人と4人の2組の方が待たれていました。

店内での飲食は、小さな丸テーブルが3つのみ。また、ご主人がひとつひとつ作られるので、注文してから出てくるまで、結構待たないといけません。

 

結局、30分後くらいに入店、席に着いてから20分後くらいにかき氷が出てきました。

 

今日、頼んだのは、ひとつが「いちごと薔薇」。

 

 

外観は、いちごシロップのかかったかき氷ですが、中にこのお店のシュークリームにも使われるカスタードクリーム、薔薇のジュレ、いちごのコンポートが入っています。

 

食べ進めるうち、カスタードクリーム、そして薔薇の香りのするジュレや、いちごのコンポートが出て来て、味の変化が楽しい一品でした。

 

奥さんのは、プリンアラモード。

 

 

上に載っているのは、地元奈良市内にある、植村牧場の牛乳で作ったプリンにメロンにバナナ。

 

この中には、バナナのかき氷、カスタードクリームが入っていました。

 

外観を眺めて楽しく、食べ進めて、また何が出てくるか楽しめる、かき氷でした。

 

かき氷の後、このお店で売られているケーキにも心惹かれ、モンブランを1個購入、奥さんとシェアしました。

 

 

このモンブランは、底がパイのようにカリカリに焼かれたメレンゲで、その上に甘く煮た栗とホイップクリームが載せられていて、なかなか魅力的な一品に仕上がっていました。

 

かき氷の提供は、10時から夕方5時までで、予約はできないとのこと。時間に余裕を持っていかないといけませんが、食べる価値のあるかき氷だと思いました。ケーキ類もお手頃価格で、地元のお客さんが結構買いに来られていました。

 

 

 賈芸(かうん)は、賈家の傍流で、父親が既に亡くなって、母一人子一人で貧しい生活を送っていましたが、なんとか大観園内の植林の監督の仕事を得ました。この賈芸と、宝玉の小間使いの小紅との間のほのかな恋の行方が今回の最初のお話。一方、健康を取り戻した宝玉は、父親の賈政から呼び出しを受けますが、さてそれはどんな用件だったか、また宝玉を気遣う黛玉は、折悪しく悲しみに暮れる出来事が続きますが、さてそれはどんな出来事か。『紅楼夢』第二十六回のはじまりです。

 

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蜂腰橋にて言を設け心事を傳(つた)う

瀟湘館では春に困(ねむ)く幽情(深い思い)を發す

 

 さて宝玉は三十三日養生して後、身体の強壮が戻っただけでなく、顔の火傷の痕も平癒し、また大観園に戻って来た。このことも言うまでもない。

 

 さて最近宝玉が病気であった時、賈芸が家の中で少年の召使を連れて夜間の見回りをし、昼夜を問わずこちらにいた。かの小紅は多くの小間使いの女たちと一緒にここで宝玉のお世話をしていた。互いに出逢う日が多く、次第に親しくなった。小紅は賈芸が手に一枚の絹のハンカチを持っているのを見て、どうも自分が以前落としたものであるようなので、彼に尋ねてみようと思ったのだが、またうまく尋ねることができなかった。思いがけずあの和尚と道士がやって来て、一切の男性は用無しだったので、賈芸は相変わらず木を植えに行った。ハンカチの件は、もうしばらく放っておいた方がいいのかそうでないのか分からず、聞きに行こうと思うのだが、また誰かに疑われるのが心配で、正に躊躇して決められず、気持ちが定まらない中、ふと窓の外で尋ねる声を聞いた。「姉さんはお部屋におられますか?」小紅がそう聞いて、窓から外を一目見ると、実はこのお屋敷の幼い小間使いの佳蕙であったので、こう答えた。「家の中におられます。入ってきて。」

 

 佳蕙はそう聞いて駆け込んで来て、ベッドの上に座って、笑って言った。「わたし、運が良かったわ。さっき庭で洗い物をしていたら、宝玉様が林お嬢様のところへ茶葉を送るよう言われ、花お姉様(襲人)がわたしに持って行かせたんだけど、ちょうど大奥様が林お嬢様にお金を持って来られ、ちょうどあちらの小間使いたちに分け与えられたんだけど、わたしが来たのを見て、林お嬢様がふたつかみ掴んでわたしにくださったの。どれだけあるか分からないわ。あなた、わたしの代わりに受け取ってくださる」それでハンカチを開くと、銅銭を取り出し、小紅に渡した。小紅は佳蕙に代わって、五銭十銭と数えて受け取った。

 

 

 佳蕙が言った。「あなた、この二日間、心の中ではいったいどう感じていたの?わたしに言わせてもらえば、あなたは結局二日家に帰って、先生に見てもらって、薬を二服飲んだら良くなったでしょう。」小紅が言った。「いったい何のこと?身体は問題ないわ。家に帰って何をしたと言うの?」佳蕙が言った。「わたし思い出したの。林お嬢様は生まれつきお身体が弱く、いつも薬を飲まれていて、あなたもお嬢様と同じように薬を飲まないといけないなら、同じだなあって。」小紅が言った。「でたらめ言わないで。薬もでたらめに飲めってこと?」佳蕙が言った。「それは長く続けられる方法じゃないわ。飲み食いにだらしなくて、終いにはどうなるのかしら。」小紅が言った。「何を恐れているの?それよりもさっさと死んでしまった方が、却ってすっきりしているわ。」佳蕙が言った。「何事もないのに、どうしてそんなことを言うの?」小紅が言った。「あなたにわたしの心の中のことがどうして分かるのよ。」

 

 佳蕙は頷くと、少し考えてから言った。「でも、それも無理もないわ。このお屋敷では、もともとやっていくのが難しいのよ。例えば昨日は大奥様が、宝玉様がここのところご病気だったので、お世話した者たちがご苦労だった、今は身体が良くなったので、各処で線香を上げさせてもらい、付いてくれた小間使いたちに褒美を与えるとおっしゃいました。わたしたちはまだ年齢が幼いので、名前が上がらなくても、仕方ないと思うわ。でも、あなたがどうしてその中に入らないのかしら。わたしは心の中では納得できないの。襲人はどのみち十分ご褒美が出るから、不満はないし、当然だわ。真面目に言って、他に誰があの人に匹敵するのかしら。あの人が平素懇ろで注意深いのは当然なんだけど、懇ろで注意深くなくても、あの人には敵わないわ。ただ腹立たしいのは、晴雯や綺霞といった人たちは上等な小間使いと見做され、宝玉様が彼女たちを可愛がるので、人々も彼女たちのことを持ち上げるんだわ。あなた、腹立たしいと思わない?」

 

 小紅が言った。「それでもあの人たちを怒らすのはまずいわ。俗にも言うでしょう、「千里に及ぶ長い棚を掛ける――終わらない宴席は無い」とね。誰が一生涯この状態を守ると言うの?三年五年のことに過ぎないわ。皆それぞれすることをするだけよ。将来、誰がまた誰を管理すると言うの?」こうした言葉は思わず知らず佳蕙の気持ちを感動させ、ひとりでに目じりが赤くなり、また申し訳なくて訳もなく泣くことができず、彼女は無理やり笑顔を作ってこう言った。「あなたが言うのは正しいわ。昨日、宝玉様はこうも言われたわ。「明日どのように部屋を片付けるか、どのように衣裳を作るかは、結局何百年も悩み続けてきた問題だ」と。」

 

 小紅はそれを聞いて、冷ややかに笑って二言三言返してから、ようやく話をしようとしていると、ふとひとりの、まだお下げ髪を残した子供の小間使いが入って来て、手には刺繍のサンプルをいくつかと二枚の紙を持ち、こう言った。「このふたつの刺繍のサンプルを、あなたに描いてほしいとのことです。」そう言いながら、小紅にぽんと手渡すと、向こうを向いて走って行ってしまった。小紅は外に向かって尋ねた。「いったい誰からなの?言い終わるのを待たずに走って行ってしまうんだから。「誰が蒸したマントウをあんたは待ってるの?――冷めたらいけないと心配して」るんでしょう?」かの子供の小間使いは、窓の外から、ただ声だけが聞こえた。「綺霞姉さんの言伝(ことづて)だよ。」足を上げて「ごとごと」と音を立て、また走って行った。

 

 小紅はむかっ腹を立ててそのサンプルをあちらに置き、引き出しを開けて筆を捜したが、かなり捜しても、皆毛が抜けてしまっていたので、言った。「この前一本新しい筆があったけど、どこに仕舞ったのかしら。どうしても思い出せないんだけど……」そう言いながら、一方でぼんやりと、もう一度考えて、それからようやく笑って言った。「そうだ、このあいだの晩に鶯兒が持って行ったんだわ。」それで佳蕙に向けて言った。「あなた、わたしの代わりに取って来てちょうだい。」佳蕙が言った。「花お姉様(襲人)はわたしがあの人の代わりに箱を取って来るのを待っておられるの。あなた、自分で取って来なさいよ。」小紅が言った。「あの方があなたを待っておられるのに、あなたはまだここに座って無駄話をしているの?わたしがあなたに取りに行ってもらわないなら、あの方もあなたを「待って」なんかおられないわ。このろくでなしのメンタめ!」

 

 そう言いながら、自分は部屋を出て来た。怡紅院を出ると、真っ直ぐ宝釵院の中にやって来た。ちょうど沁芳亭のほとりまで来ると、宝玉の乳母の李ばあやがあちらから来るのに出逢った。小紅は立ち止まり、笑って尋ねた。「李ばあや、あなたのようなお年寄りがどちらへ行かれるの?どうしてこちらに来られたの?」 李ばあやは立ち止まると、手をパンと叩き、言った。「言っとくけどね、宝玉様がまたあの「雲兄さん」、「雨兄さん」(賈芸のこと)とか何とか言う人に会うのに、今回は無理やりわたしにあの人を呼び出させたのさ。明日上の方に知られたら、まずいことになるかもしれないわ。」小紅は笑って言った。「あんたという年寄りは、本当にあの人が来ると信じているの?」李ばあやが言った。「さてそれはどうなんだろうね?」小紅が笑って言った。「あの人が事の良し悪しを分かっているなら、入って来ない方がいいわ。」李ばあやが言った。「あの人もばかじゃないんだから、どうして入って来ないのさ?」小紅が言った。「たとえ入って来ても、あんたら年寄りは、あの人と一緒に来ちゃだめよ。帰って来たら、あの人ひとり中に入らせて、どうなるか見てやろうよ。」李ばあやが言った。「わたしはとても長い期間、あの人と一緒にやって来た。でもあの人に言ってやったんだ。帰って来たら、子供の小間使いか奥さんを使いに出して、あんたを連れ帰って来たら、お終いだとね。」そう言うと、杖で身体を支えながら行ってしまった。小紅は話を聞いて、ぼんやり突っ立ち、筆を取りには行かなかった。

 

 しばらくして、ふとひとりの子供の小間使いが走って来て、小紅がそこに立っているのを見ると、尋ねて言った。「紅姉さん、ここで何をしているの?」小紅が頭を上げて見ると、子供の小間使いの墜兒であった。小紅が言った。「どこに行くの?」墜兒が言った。「わたしに芸旦那様をお連れして来るよう言われたの。」そう言うと、まっすぐ走って行った。

 

 ここで小紅はちょうど歩いて蜂腰橋門の前まで来た時、あちらから墜兒が賈芸を連れて来るのが見えた。かの賈芸は歩きながら、一方では眼では小紅をチラッと見ていた。かの小紅も、墜兒と話をするのを装い、眼は賈芸の方をチラ見していた。四つの目はちょうど互いに見つめ合った。小紅は思わず顔を赤らめ、あっちを向いて蘅蕪苑に向かって行った。この話はここで置く。

 

 ここで賈芸は墜兒に従い、くねくねした道を歩いて怡紅院に至り、墜兒が先に中に入って報告を済ませると、その後ようやく賈芸を引率して中に入った。賈芸が見てみると、敷地の中には概ねいくつかの築山や石が置かれ、芭蕉が植えられ、あちらには二羽の丹頂鶴がいて、松の木の下で羽を繕っていた。回廊を進むと、頭上には様々な色の籠が吊り下げられ、籠の中では様々な珍しい鳥たちが飼われていた。前方にはごく小さな五間の抱厦(裳階)があり、抱厦全体は全部同じ色の、斬新な模様の彫刻を施した仕切り板の嵌った門で、上の方に扁額が架かり、四文字で、「怡紅快緑」と題されていた。賈芸は思った。「道理で「怡紅院」と言うんだ。元々扁額にこの四文字が書かれていたんだ。」ちょうどそんなことを思っていると、中で紗を貼った窓を隔てて、笑い声が聞こえてきた。「早く入っておいでよ。僕なぜだか君のことを二三ヶ月も忘れていたよ。」賈芸は宝玉のこう言う声が聞こえたので、急いで部屋の中に入り、頭を上げて一目見ると、中の調度品は眼も奪われるほど華麗で、燦然と輝いていたが、けれども宝玉の姿が見えなかった。振り返って見ると、左手に大きな姿見の鏡が立て掛けてあり、鏡の後ろを回って、ふたりの共に十五六才の小間使いが出て来て、言った。「旦那様、中の部屋でお座りください。」

 

 賈芸は敢えて正視することもできず、急いで「はい」と答え、また仕切り板を通ると、小さなペンキを塗ったベッドに、真っ赤な緞子に金糸で模様の刺繍を施した帷が掛けてあった。宝玉は普段着を着て、靴をつっかけ履きし、ベッドに寄りかかり、手に一冊の本を持っていた。賈芸が入って来るのを見ると、本を放り投げ、早くも笑みを浮かべて立ち上がった。賈芸は急いで前に進み出て挨拶をすると、宝玉が椅子を勧めたので、ベッドの下に置かれた椅子に腰かけた。

 

 宝玉が笑って言った。「この前の月に君に逢って、僕が君を書斎に誘ってから、思いがけず立て続けにいろんなことが起こってしまって、君のことを忘れていたよ。」賈芸が笑って言った。「いつも僕に運が無かったから、叔父さんがいない時にばかりかち合ったんですよ。――叔父さん、今は全て順調ですか?」宝玉が言った。「何も問題無いよ。でも、君が何日間も大変だったと聞いたけど。」賈芸が言った。「大変なのも当然なんです。叔父さんが全て順調だというのは、わたしたち一族にとっても幸運なんです。」そう言っていると、ひとりの小間使いが茶を捧げ持って来て、賈芸に出してくれるのが見えた。かの賈芸は口は宝玉と話をしていたが、眼はその小間使いを見つめていた。ほっそりした身体つき、うりざね顔、明るい朱色の上着に、青い緞子のチョッキ、白い綾衣の細いプリーツの入ったスカートを着ていた。

 

 かの賈芸は宝玉が病気になってから、お屋敷の中で二日過ごし、そこにいる人の名前の半分くらいを覚えた。彼が見かけた小間使いは、襲人だと知った。彼女は宝玉の部屋の中で、他の人々とは異なっていた。今は茶を運び、宝玉もその傍らに座ったので、賈芸は急いで立ち上がると、笑って言った。「姉さんはどうして僕にお茶を淹れてくださったの?僕は叔父さんのところに来たけど、お客ではないし、僕自分で淹れるから、もういいですよ。」宝玉が言った。「君は座っていればいいんだよ。小間使いたちは、以前からこうしてくれるんだよ。」賈芸は笑って言った。「そうは言っても、叔父様の家のお姉さま方を、僕が勝手気ままに使うなんてできませんよ。」一方でそう言いながら、一方では座って茶を飲んだ。

 

 かの宝玉は賈芸と、どうでもいい無駄話をした。どこの劇団の芝居がいいとか、どこの家の庭園が綺麗だとか、またどこのお屋敷の小間使いが綺麗だ、どこの家の宴席の料理が素晴らしい、またどこの家には珍しい商品がある、誰の家には貴重な物がある、といった話である。かの賈芸は、口では宝玉の言うことに追従した。ひと通り話をすると、宝玉が少し気だるそうな様子であったので、賈芸は立ち上がると暇乞いした。宝玉も特に引き留めず、ただこう言った。「君、明日閑だったら、また来ていいから。」相変わらず子供の小間使いの墜兒に命じて見送りさせた。

 

 賈芸は怡紅院を出ると、四方を見て誰もいないので、ゆっくりと歩みを停め、口では墜兒にくどくど話をした。最初に墜兒にこう尋ねた。「幾つなの?名前は何というの?おまえの両親は何をされているの?宝叔父さんのところに来て何年になるの?ひと月いくらもらっているの?全部で宝叔父さんの部屋には何人の女の子がいるの?」かの墜兒は質問を聞いて、一件一件皆賈芸に答えた。賈芸はまた言った。「さっきあの、お前と話をしていたのは、小紅じゃないかい?」墜兒は笑って言った。「あの子が小紅ですよ。あなたはあの子に何を尋ねるつもりなの?」賈芸が言った。「先ほどあの子がおまえにハンカチがどうしたと聞いていたけど、僕はなんと一枚拾っていたんだよ。」墜兒はそう聞いて、笑って言った。「あの子ったらわたしに何べんも尋ねたのよ。ひょっとして彼女のハンカチを見かけていないかって。わたしだってどうしてそんなにたくさん時間を割いて、こうしたことに関わっていられて?今日もあの子、またわたしに尋ねたわ。あの子が言うには、わたしが彼女に代わって探し出してくれたら、どんなに感謝してもたりないって。さっき蘅蕪苑の入口でも言ったのよ。旦那様も聞かれているなら、わたしが嘘をついたんじゃないでしょ。旦那様、お願い。あなたが拾われたなら、わたしに渡していただけないかしら。わたし、あの子が何を持ってわたしに謝意を示してくれるか見てみたいの。」

 

 実は先月賈芸が大観園に入って木を植えた時、絹のハンカチを一枚拾い、大観園に住む人が落としたことが分かったが、誰が落としたのか分からず、それで敢えて軽はずみな行動が取れなかった。今小紅が墜兒に尋ねたと聞いたので、小紅が落としたものと分かり、心の中ではこの上なく嬉しかった。また墜兒が捜しているのを見て、心の中ではとっくに考えがまとまり、袖の中から自分のハンカチを取り出し、墜兒に笑って言った。「僕はおまえにやるんだからね。おまえが小紅からお礼をもらったら、僕に隠すんじゃないぞ。」墜兒は口を窮めて「はい」と答えると、ハンカチを受け取り、賈芸を送り、帰って来て小紅を捜したのであるが、その話はしばらく置く。

 

 今さて宝玉は賈芸を送り出して後、気持ちがけだるかったので、ベッドの上に身体をかがめ、意識が朦朧としたかのような状態であった。襲人が近づいて来て、ベッドに沿って座り、宝玉の身体を押して言った。「どうされたの、またお休みになるの?あなた、随分気がふさがれているから、お出かけになって、ちょっとお散歩でもされたらどうですか。」宝玉は襲人がそう言うのを聞いて、彼女の手を取ると、笑って言った。「僕、出かけようと思うけど、ただおまえと別れるのがしのびないんだ。」襲人が笑って言った。「あなた、つまらないこと言うんじゃないの。」そう言いながら、一方で彼を引っ張り出した。宝玉は言った。「でも、どこへ行こうか。あまりに飽き飽きしてうんざりするんだ。」襲人が言った。「あなた、お出かけになりさえすれば良くなりますよ。こんなに煩雑にされている限り、益々心の中が飽き飽きしてうんざりしますよ。」

 

 宝玉はうちしおれて元気なく、ただ襲人に言われるままであった。ふらふらと部屋の入口を出て、回廊で雀と戯れ、敷地の外に出ると、沁芳渓に沿って歩き、金魚を見た。そちらの山の斜面では二頭の小鹿が矢のように走って来た。宝玉がどうしてなのか理解できず、腑に落ちずにいると、賈蘭が後ろから、小さな弓を持って追って来るのが見えた。宝玉の前に来ると、立ち止まり、笑って言った。「叔父様、お家におられたんですね。――僕、外出させてもらったんですよ。」宝玉が言った。「おまえ、またやんちゃをしてるんだな。訳もなくこの子たちを撃って、どうするの?」賈蘭が笑って言った。「今回は勉強しなくてよくて、閑なのでどうしようかと思ったんです。それで、馬に乗って矢を射る訓練をしてみたんです。」宝玉が言った。「馬から落ちて歯をぶつけたら、訓練は中止だよ。」

 

 そう言うと、足の向くまま真っ直ぐあるお屋敷の門の前まで来ると、竹が鬱蒼と茂り、風が吹くと(楽器の簫のように)ヒューヒューと音を立て、正に瀟湘館(簫と瀟は発音が何れもxiāoで同じ)であった。宝玉が足に任せて歩み入ると、竹で編んだ簾(すだれ)が地面まで垂れ下がり、人の声が全くしなかった。窓の前まで来ると、ほのかな香りが感じられ、緑色の紗を貼った窓からひそかに染み出ていた。宝玉が顔を紗を貼った窓にくっつけて中を見ると、耳にふと微かに長嘆する声が聞こえた。それは、「毎日家にいて、物思いに耽り、眠気でぼんやりしている。」宝玉はそれを聞いて、思わず心の中で気持ちが動転して落ち着かなくなった。もう一度見ると、黛玉がベッドの上で伸びをしていた。宝玉は窓の外から笑って言った。「どうして「毎日家にいて、物思いに耽り、眠気でぼんやりしている」の?」そう言いながら、一方で帷を跳ね上げて中に入った。

 

 

 黛玉は我を忘れていたと思い、思わず顔を赤らめ、袖で顔を隠し、寝返りを打って向こうを向いて寝たふりをした。宝玉は黛玉の傍に歩み寄るや、彼女の身体の向きをこちらに回そうとしたが、黛玉の乳母とふたりの婆やが一緒に入って来て、言った。「お嬢ちゃんはお休み中です。目覚められるのを待って、またお越しください。」そう言うや否や、黛玉が身体をこちらに向けて座り、笑って言った。「誰が寝ているって?」かの二三人の婆やは黛玉の顔を見るや、笑って言った。「わたしたちはただ、お嬢様が寝ておられると思っただけですわ。」そう言うと、紫鵑を呼んで、言った。「お嬢様がお目覚めだよ。入って来て伺候しなさい。」そう言うや、皆出て行ってしまった。

 

 黛玉はベッドの上に座り、一方で手を上げて鬢の毛を整え、一方で宝玉に微笑んで言った。「他人が寝ているのに、あなた、部屋に入って来て何をするの?」宝玉は彼女の眼が微かにとろんとし、頬が(恥ずかしさで)赤みを帯びるのを見て、思わず心が動揺し、身体を歪めて椅子に腰かけると、笑って言った。「君は今しがた何て言ったの?」黛玉が言った。「わたしは何も言っていないわ。」宝玉が笑って言った。「君に虫下しを飲ませないと。僕、(君が腹の中で思っていることまで)みんな聞こえたんだ。(肚子里的蛔虫、知道心思 )」

 

 ふたりが話をしていると、紫鵑が部屋に入って来るのが見えたので、宝玉が笑って言った。「紫鵑、お宅の良いお茶を一杯淹れて僕に飲ませておくれ。」 紫鵑が言った。「うちのどこに良いお茶があるんですか。良いお茶は、襲人様が持って来られるのを待たないといけませんわ。」黛玉が言った。「そんなの放っておきなさい。おまえ、先にわたしに水を汲んで来ておくれ。」紫鵑が言った。「宝玉様はお客様ですから、もちろん先にお茶を淹れて来て、それから水を汲みに行きますわ。」そう言うと、お茶を淹れに行った。宝玉が笑って言った。「いい娘だ。「もしおまえのような多情な娘と枕を共にすれば、どうしておまえに続けて寝床を用意するような下賤な仕事をさせられよう。」(『西廂記』の台詞)」黛玉は、すぐさま慌てて、怒りを籠めた表情で言った。「あなた、何てこと言うの。」宝玉が笑って言った。「僕が何て言ったというの?」黛玉はそれで泣きながら言った。「今また新たに下品な話をわたしに聞かせて。あのくだらない本(『西廂記』を指す)から、わたしを物笑いの種にするのね。わたしは旦那様方の憂さ晴らしの種にされているんだわ。」黛玉は泣きながら、ベッドを下りると、外に歩いて行った。宝玉がは慌てて、黛玉に走り寄ると言った。「ごめんね。僕、さっきはどうかしてたんだ。君、どっちにしても行かないで。僕がまたこんな話をしたら、口におできができて、舌が爛れるよ。」

 

 そう言っていると、襲人が歩いて来るのが見え、こう言った。「早く帰って来て、服をお召になって。旦那様があなたをお呼びよ。」宝玉はそう聞いて、思わず雷鳴に打たれたかのようになり、他のことは考えられなくなり、急いで戻って服を着た。大観園を出ると、焙茗が二の門の前で待っているのが見えた。宝玉が尋ねた。「おまえ、お父様が僕を呼んだ訳を知っているだろう?」焙茗が言った。「旦那様は間もなくお出ましになります。とにかく会いに行かれませ。行かれれば、分かりますよ。」そう言いながら、一方では宝玉を促した。

 

 広間を通って向かいながら、宝玉は心の中でまだ訝しく思っていると、壁の角のあたりで、ひとしきりハッハッと大笑いするのが聞こえた。振り返って見ると、薛蟠が手を叩いて跳び上がっているのが見え、笑って言った。「もしお兄様がおまえを呼んだと言わなかったら、おまえがどうしてこんなに早く出て来るものか。」焙茗も笑いながら跪いた。宝玉はしばらくの間呆気に取られていたが、ようやく状況が飲み込めた。――薛蟠が騙して自分を呼び出したのだ。薛蟠は急いで手をこまねき腰を屈めてお辞儀をして謝罪し、頼み事を言った。「若様にご面倒をおかけしようと思ったのではありません。どうかわたしの願いをお聞きください。」宝玉も仕方がないので、笑って尋ねるしかなかった。「あなたがわたしを騙したのはいいとしましょう。どうしてお父様の名を騙ったんですか?僕、叔母様に言いに行って、今回のことの是非を判断してもらいますよ。いいですね?」薛蟠は急いで言った。「いい子だから勘弁しておくれ。わたしは元々おまえに早く出て来てほしかったんで、これが禁句だというのを忘れていたんだ。また今度おまえがわたしを騙して、わたしの父親を持ち出してくれたら、それでいいよ。」宝玉が言った。「おやまあ、益々救いようがない。」また焙茗に向けてもこう言った。「この裏切者のろくでなし、まだ跪いてどうするんだ?」焙茗は慌てて頭を地面に打ちつけた。

 

 薛蟠が言った。「こういう時でないと、わたしも驚かしたりしないよ。実は明日五月三日はわたしの誕生日なんだが、思いがけず胡や程といった輩たちが、どこで捜して来たのか知らないが、こんなに太くほんなに長い、薄桃色でサクサクした新鮮なレンコン、こんなに大きなスイカ、こんなに長く、こんなに大きなシャム(タイ)国から進貢されたヒノキの香りで燻されたシャム豚、魚。これら四種の贈り物だが、なかなか得難いものだと思うかい?――その魚や豚は確かに貴重で得難いものだが、このレンコンとスイカは、さてどうやったらできるものやら。わたしは先ず母親に贈り、次いであなたのところのお婆様、叔母様にいくつかお贈りしたんだ。まだいくらか残っているので、自分で食べようと思うんだが、独り占めすると罰が当たりはしないか心配だったので、いろいろ思案し、わたし以外に、おまえにお相伴してもらうのがいいと思い、特にお越しいただいたんだ。ちょうどうまい具合に、歌を歌う若者も来たから、わたしとおまえで一日楽しむのはどうだね?」

 

 そう言いながら、彼の書斎にやって来ると、詹光、程日興、胡斯来、単聘仁らと、歌歌いの若者がそこにいた。薛蟠が入って来るのを見ると、挨拶をする者、ご機嫌を伺う者、皆互いに挨拶をした。茶を飲むと、薛蟠が召使に命じた。「酒を並べよ。」まだ言い終わらぬうちに、多くの子供の召使たちが一斉にあれこれ動き回り――しばらく並べていたが、それからようやくきちんと並べ終わり、席に戻った。

 

 宝玉は果たしてスイカやレンコンの新鮮で変わったものを見て、それで笑って言った。「わたしの誕生日の贈り物はまだお送りしていませんが、先にご馳走になります。」薛蟠が言った。「でも、あなたが明日誕生日のお祝いに来られるなら、どんな新鮮な物を届けられるおつもりですか?」宝玉が言った。「わたしは何もお送りしませんよ。もし銀や銭、食べ物、衣類といった類の物をお考えなら、そういうものはわたしからの贈り物ではありません。ただ一枚字を書いたり、絵を描いたりして、それこそわたしからの贈り物です。」薛蟠が笑って言った。「あなたが絵のことを言われたので、わたし、それでようやく思い出しました。昨日わたしは人様の描かれた一冊の春画を見たのですが、絵はたいへんすばらしかったのですが、その上にたくさんの字が書かれていたのです。わたしは詳しくは見ていませんが、ただ落款があって、それが「庚黄」とかなんとかとなっていたのです。本当にすばらしいことこの上なかったです。」

 

 宝玉はそう聞いて、心の中で猜疑心を持って言った。「古今の字や絵は皆拝見したことがありますが、「庚黄」というのは聞いたことがないですね……」しばらく考えていたが、思わず笑いがこみ上げて来て、人に命じて筆を取って来させ、手のひらにふたつの文字を書き、また薛蟠に尋ねて言った。「あなたが見られたのは本当に「庚黄」でしたか?」薛蟠が言った。「どうして見たのが正しくないと言われるのですか?」宝玉は手を少し振りながら、彼に見せて言った。「しかしこの二文字ではなかったですか?――実は「庚黄」とあまり違いが無いのです。」人々が皆見ていると、実は「唐寅」(唐寅は明代の蘇州の文人)の二文字であったので、皆笑って言った。「きっとこの二文字だ。旦那様は一時的に目がくらんだのかもしれない。」薛蟠は自分でも興ざめしてしまい、笑って言った。「これは「糖銀」(「糖銀」と「唐寅」はどちらも発音がtáng yín)で、なんと「果(「寅」と「果」の形が似ていて間違っている)の「銀」 yínだったとはね。」(清朝初期1644年、摂政王ドルゴンが明の将軍呉三桂の手引きで北京に入城するのが53日「庚寅」の日であったこともこの話の背後にある。53日は薛蟠の誕生日。)

 

 ちょうどそう話していると、子供の召使がやって来て報告した。「馮旦那様がお越しになりました。」宝玉はそれで神武将軍馮唐の子、馮紫英が来たと知った。薛蟠らは一斉に「早くお入りください。」と叫んだ。皆が言い終わらぬうち、馮紫英がまっすぐ談笑しながら入って来たので、人々は急いで立ち上がって、席を譲った。馮紫英が笑って言った。「いいね。外出しないというのも。家の中で楽しく過ごそう。」宝玉も薛蟠も笑って言った。「ずっとお目にかかったことがなかったですね。お父上は元気にされているのですか。」紫英は答えて言った。「父はお陰様で健勝にしております。けれども最近母がたまたま風邪をひきまして、この二日体調がすぐれません。」

 

 薛蟠は紫英の顔に少し青い傷跡があるのを見て、笑って言った。「このお顔の傷は、誰かが拳を振り上げて、こんな看板(痣)を掛けて(残して)しまったんですね。」馮紫英が笑って言った。「その事件以来、仇の都尉(古代の武官名)の息子を殴って怪我をさせたんです。また腹を立てなかったら、どうしてまた拳を振り回すようなことをしましょうか。この顔の傷は先日猟に行った時、鉄網山で兎鶻(羽の一部の毛が茶色味を帯びた白鷹)の羽の先で引っ掻かれたんです。」宝玉が言った。「それはいつの話ですか?」紫英が言った。「三月二十八日に行きました。先日戻って来ました。」宝玉が言った。「道理でこの間、月初めの三四日にわたしが沈世兄の家の宴席であなたをお見受けしなかったのですね。お尋ねしようと思って、うっかり忘れていました。――あなたおひとりで行かれたんですか、それともお父上も行かれたんですか?」紫英が言った。「そう、父も行きました。わたしにはどうしようもなく、行ったんですよ。まさか閑で気が狂いそうなんてことはないでしょう。わたしたち数人で酒を飲み歌を聞いても面白くないし、何のために行ったんでしょう?――今回は大きな不幸の中での幸運なんです。」

 

 薛蟠や人々は紫英が茶を飲み終わるのを見て、皆が言った。「ひとまずお席に着かれて、お話があればゆっくりお話しください。」馮紫英はそう聞いて、立ち上がって言った。「本来なら、わたしは皆さんとご一緒に何杯かお酒を飲むべきなのですが、今日はひとつ緊急を要することがありまして、家に帰って父に会う必要があり、実に杯をお受けすることができないのです。」薛蟠、宝玉、人々がどうしてそれに同意しよう、じっと引っ張って離さなかった。馮紫英は笑って言った。「これもまた奇なことです。わたしたちはここのところ、いつこの道理を守りましたでしょうか。本当に仰せの通りにはできないのです。もしどうしてもわたしに酒を飲めとおっしゃるなら、大きな杯をお持ちいただき、わたしはそれで二杯飲むことにいたしましょう。」

 

 人々はそれを聞き、そうするしかないと思い、薛蟠は壺を執り、 宝玉は小さな杯を持ち、特大の杯に二杯酒を注いだ。かの馮紫英は立ち上がり、それをひと息に飲み干した。宝玉が言った。「あなたはこの「不幸中の幸せ」を言い終わってから出発してください。」馮紫英は笑って言った。「今日お話ししたことではまだ興が尽くせていませんから、また別途宴席にご招待し、皆さんそこでもっと詳しくお話しください。二にまだお願いの義もございますから。」そう言うと、手を振って、行こうとした。薛蟠が言った。「お話しをすればするほど、皆も激してきてやめられません。いつ頃わたしたちをご招待いただけますか?教えていただけると、皆がいらいらせずに済みます。」馮紫英が言った。「遅くて十日、早くて八日お待ちください。」そう言うと、門を出て馬に乗り、行ってしまった。

 

 人々は戻って来て、席に着くとまた一度酒を飲んでから解散した。宝玉が大観園の中に戻ると、襲人がちょうど宝玉が賈政に会いに行き、それが禍であったか福であったか心配していたのだが、宝玉が酒に酔って帰って来たのを見て、それでどうであったか尋ねると、宝玉が一々襲人に説明した。襲人が言った。「皆がハラハラドキドキしながらお待ちしていたんですよ。それなのに、あなたときたらこんなに楽しそうにされて。人を遣わせてわたしたちにお手紙をくださらなくっちゃ。」宝玉が言った。「僕は手紙を送る必要がないなんて思ったことがないけど、馮兄さんが来られたんで、うっかり忘れちゃったんだ。」

 

 そう話していると、宝釵が歩いて入って来て、笑って言った。「ここには新鮮な食材が集まっているんでしょう。」宝玉は笑って言った。「姉さんの家の物の方が、うちより新鮮だよ。」宝釵は首を振って笑って言った。「昨日、兄さんが特別に食事を準備してくれたんだけど、わたしは食べなかったの。わたしが兄さんに、他の人に食べさせてあげてと頼んだの。わたしは自分の運命は幸が薄いと分かっているので、わたしは要らないと言ったの。」そう話していると、小間使いの女がお茶を淹れてくれたので、お茶を飲みながら世間話をしたが、そのことはこれで置く。

 

 さてかの黛玉は賈政が宝玉を呼んで、彼が一日帰って来なかったと聞き、心の中で彼のことを心配していた。夕食後、宝玉が戻って来たと聞き、心の中で彼に会ってどうだったか聞こうと思い、てくてく歩いてやって来ると、宝釵が宝玉の家の敷地に入って行くのが見えたので、自分もその後に付いて歩いて行った。ちょうど沁芳橋まで来た時、様々な種類の水鳥たちが池の中で水浴びしているのが見えたが、鳥の名前までは知らなかったが、それぞれ鮮やかな色彩が光り輝き、とても美しかったので、立ち止まってじっくり眺めた。再び怡紅院に向けやって来ると、門は既に閉ざされ、黛玉はそれで門を叩いた。

 

 たまたま晴雯と碧痕のふたりがちょうど口論となり、機嫌が悪いところに、ふと宝釵が来るのが見えたので、かの晴雯はちょうど怒りの矛先を宝釵に向け、こっそり敷地の中で恨みがましく言った。「用事があろうと無かろうと、やって来てお座りになると、わたしたち真夜中まで寝ることができないのよ。」ふとまた来客が門を叩いたので、晴雯は益々腹を立てて、誰とも聞かず、こう言った。「皆もう寝ました。明日またお越しください。」

 

 黛玉は素より小間使いの女たちの性格を知っていて、彼女たちとはお互いに一緒に遊び慣れていたので、おそらくお屋敷内の小間使いたちに彼女の声が聞こえず、他の小間使いたちが当たったので、門を開けてくれないのだと思った。それでまた声を高くして言った。「わたしよ、どうして開けてくれないの?」晴雯はあくまで聞こえないふりをし、乱暴に言った。「あんた、誰よ。旦那様の言いつけなの。一切人が入って来るのを許すなって。」

 

 黛玉はこの言葉を聞いて、思わず門の外で呆気にとられ、また声高に相手に尋ねなければならず、怒りがこみ上げて来たが、自分でまた思い返してみると、「母方の叔母さんの家は自分の家と同じだと言うけど、結局他人の家だ。今、父母が共に亡くなり、寄る辺の無い身。現在は他家に住まわせてもらっていて、もし真剣に腹を立てても、ばつが悪いだけだわ。」そう思いながら、一方では涙が転がり出た。本当に帰ることもできず、立っていることもできなかった。どうしたらよいか分からないでいると、ふと中でひとしきり笑い声が聞こえ、細かく聞くと、なんと宝玉、宝釵ふたりであった。黛玉は心の中で益々腹が立ち、あれこれ考えていると、ふと朝起きた時のことが思い出された。「これはきっと、宝玉がわたしに腹を立てて、宝釵に告げたに違いないわ。――だけどわたしはこれまであなたに腹を立てたことがないのに。あなたも聞いてくださらないものだから、わたしをここまで悩ませて。あなたが今わたしを家に入れてくれなくて、ひょっとして明日も会ってくださらないの?」考えれば考えるほど悲しくなり、苔むした地面が、露が凝結して霜となっているのも顧みず、庭の両側に花卉の植わった道は吹き通る風で寒く、ひとり壁の角の草花の陰に立っていると、悲しみが切々とこみ上げ、嗚咽を漏らした。

 

 元々この黛玉は絶世の容姿を持ち、世に稀な美貌の持ち主であったが、予期せずこのように泣き出したので、附近の柳の枝や花の上に宿る鳥たちも、この泣き声を聞くや、皆バタバタと遠くへ飛んで行き、再び泣き声を聞くに忍びなかった。正に:

 

花の魂(黛玉のこと)は(涙)点点として情緒無く、鳥の夢は痴痴として何れの処に驚く。

 

これに因りてまた一首の詩に言う:

 

顰兒( 黛玉のこと )は文才も容貌も世に応(まさ)に稀にして、独り幽芳を抱き綉閨より出ず。

嗚咽一声猶お未だ了(おわら)ず、落花は地に満ち鳥は驚き飛ぶ。

 

かの黛玉が正に自ら泣いて悲しみに暮れていると、ふと「ギギィッ」と音がして、屋敷の門が開かれた。さて誰が出て来たのでしょうか。この後のことについては、次回に解説いたします。

 賈環は賈政の妾の趙叔母さんの子供ですが、正妻の王夫人の子の賈宝玉のことを良く思っておらず、ある時宝玉がオンドルの上で横になっていると、わざと燭台に溜まった油をひっくり返して、宝玉の顔に火傷を負わせます。この時、王熙鳳(鳳姐)が賈環を無能呼ばわりし、このことから、趙叔母さんは 鳳姐と宝玉に恨みを持ち、馬道婆に頼んで呪いをかけたところ、ふたりは錯乱し人事不省に陥ります。さあ、宝玉と 鳳姐の運命や如何に。『紅楼夢』第二十五回の始まりです。

 

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魔法(うな)され(弟。賈宝玉)と(兄嫁。王熙鳳)は五鬼

(さえぎ)るを(こうむ)り双真(僧侶と道士)に(あ)う

 

 さて小紅は気持ちが恍惚となり、感情が纏わりつき、ふと意識が朦朧となって気が遠くなったが、賈芸が彼女を引っ張ろうとしたので、身を翻して走って逃げたが、門の敷居でつまずいて転びそうになり、びっくりして目が覚め、それでようやく夢だと分かった。このため、その後は何度も寝返りを打ち、一晩眠ることができず、翌日の明け方になって、ようやく起き上がったところ、何人かの小間使いの女たちがやって来て、彼女に出逢うと、部屋の地面を掃除し、顔を洗う水を汲んだ。この小紅も、髪を櫛で梳いたり化粧したりといった身繕いもせず、鏡を見て適当に髪の毛を引っ張り、手や顔を洗うと、部屋の掃除に行った。誰知ろう、宝玉は昨日彼女を見かけてからというもの、彼も心に留めていて、彼女を自分の侍女として使いたいと思ったのだが、一に襲人らがあれこれ気を回すのを恐れ、二にまた彼女が個人的にどのような事情があるのか分からず、それで気持ちがいらついていた。朝目が醒めると、髪を梳いたり顔を洗ったりもせず、ただ座ってぼんやりしていた。しばらくして紙を貼った窓を下ろすと、窓の中を隔てて、外を見ると、何人かの小間使いがそこで中庭を掃いていたのだが、皆口紅を付け白粉を塗り、髪に花を挿し柳の枝を手に持っていたが、ただ昨日見かけた小間使いはいなかった。宝玉は靴の踵を踏んでつっかけ履きして、部屋の入口を出ると、花を眺めているようなふりをして、東西四方を見渡した。首を上げると、西南の角の渡り廊下の下の欄干の傍にひとりの女が寄りかかっていたが、一株の海棠の花で遮られ、ちょうど顔を見ることができなかった。一歩前に近づき子細に見てみると、正に昨日のあの小間使いで、そこにぼんやり立っていた。この時宝玉は彼女を迎えに行きたいと思ったが、それもまたまずいと思った。ちょうどそんなことを考えていると、碧痕が顔を洗うように言いに来たので、仕方なく部屋の中に入った。

 

 さて小紅がちょうどぼんやり立っていると、襲人が手招きして彼女を呼んでいるのが見えたので、仕方なく前の方に歩いて行った。襲人が笑って言った。「うちのじょうろが壊れたの。おまえ、林お嬢様のところに行ってちょっと借りてきておくれ。」小紅はそれで瀟湘館の方に向かい、翠煙橋まで来て、首を上げて望むと、山の斜面の高いところが幕で遮られており、それでようやく今日庭師が来てここに木を植えるのを思い出した。元々遠くで一群の人々がそこで土を掘り、賈芸がちょうど山の石の上に座って工事を監督していた。小紅はそちらへ行こうと思ったが、行く勇気がなかったので、仕方なくこっそりと瀟湘館の方に行き、じょうろを取って戻って来た。しょんぼりとして、ひとり部屋に戻って横になった。人々はただ彼女は身体の具合が悪いんだと言い、特にそれについての話もなかった。

 

 翌日、元々この日は王子騰夫人の長寿の祝い(60歳以上の老人の誕生日)の日であったが、そこでは元々人を遣わして賈のお婆様、王夫人をご招待していたが、王夫人は賈のお婆様が行かれないと聞き、自分も行く訳にいかなかった。しかし薛叔母さんは鳳姐、並びに賈家の三姉妹、宝釵、宝玉と一緒に行った。そして夜になってようやく戻って来た。

 

 王夫人はちょうど薛叔母さんの家に来て座っていたが、見ると賈環が学校が終わって帰って来たので、彼に命じて『金剛経咒』を取って来て、大きな声で朗誦させた。かの賈環は王夫人のオンドルの上に座り、人に命じて蝋燭を点させ、わざとものものしく写経をした。しばらくして彩雲を呼んで茶を淹れさせ、しばらくしてまた玉釧を呼んでろうそくの燃えさしのところを切らせ、また金釧に言って灯りを遮らせた。多くの小間使いたちは平素彼のことを嫌っていて、皆相手にしなかった。ただ彩霞だけがまだ彼と気が合い、茶を彼に淹れてやり、それから彼に向かってそっと言った。「あなた、少し分に安んじられては。どうしてわざわざ人に嫌われるようなことをなさるの。」賈環は目で彩霞をじっと見て言った。「僕も分かっている。おまえ、僕の機嫌を取らなくていいよ。今、おまえは宝玉と仲がいいから、僕のことを気にとめなくていいよ。僕にも分かっているんだ。」彩霞は歯ぎしりし、彼の頭の上に向けて一本指を突きつけて言った。「この恩知らず。「犬が呂洞賓を噛む――ことの善悪を知らぬ」だわ。」

 

 ふたりがちょうど話していると、鳳姐が王夫人と一緒にやって来た。王夫人は賈環に今日はどちらのお客様が来られたか、芝居の台詞の良し悪し、宴会はどうだったか、あれこれ聞かれた。それから程なくして宝玉も来て、王夫人を見ると、几帳面に二言三言話をすると、人に命じてはちまきを外させ、上着を脱ぎ、靴を脱ぐと、王夫人の胸の中にどたんと転がり込んだ。王夫人は手で宝玉を撫でたりさすったりし、宝玉も王夫人の首につかまってあれこれ話をした。王夫人は言った。「おまえ、また酒を飲み過ぎたのね。顔が焼けるように熱いわ。あんた、またうるさくつきまとって、酒に酔って管を巻くんだから。あっちで静かに横になってなさい。」そう言うと、人を呼んで枕を持って来させた。

 

 宝玉はそれで王夫人の後ろで横になり、また彩霞を呼んで自分の代わりに宝玉の背中を叩かせた。宝玉はそれで彩霞に冗談でも言おうとしたのだが、彩霞はぼんやりしてあまり相手にしてくれず、彼女の両眼は賈環の方を見つめていた。宝玉はそれで彩霞の手を引っ張り、言った。「お姉さん、僕のこと、構ってよ。」そう言いながら、彼女の手を引いた。彩霞は手を引っ込めて相手にせず、こう言った。「またうるさくしたら、怒鳴るからね。」

 

 ふたりが騒いでいる様子は、実は賈環に聞かれていた。――彼は平素から宝玉を恨んでいたが、今宝玉が彩霞と戯れているのを見て、心の中で益々この気持ちを押し殺してはいれなくなった。しばらくじっと考え込んでいたが、心の中でふとある計略を思いついた。わざと手が滑ったふりをして、そこの油がいっぱいに溜まった蝋燭を、宝玉の顔に向けて推した。宝玉は「うわあ」と大声を上げ、部屋中の人々がびっくりして跳び上がった。急いで床の上のランタンを運んで来て照らしてみると、宝玉の顔中に油がこぼれていた。王夫人は慌てるや腹を立てるわで、急いで人に命じて宝玉の顔を洗ってやり、一方で賈環を怒鳴りつけた。鳳姐はオンドルに上り下りして宝玉の火傷の手当をし、一方でこう言った。「この三男坊は相変わらずこんな「おっちょこちょい」なんだね。わたしに言わせると、あんたは表舞台に立つ資格が無いよ。――お妾の趙叔母さん(賈環は賈政の妾の趙叔母さんの子供。)は普段おまえにどんな教育をしているの。」

 

 この一言で(賈政の正妻の)王夫人ははたと気づき、遂に趙叔母さんを呼んで来て、怒って言った。「こんな腹黒い子を育てて、ちょっとお灸を据えないといけないわね。毎度毎度わたし訳が分からないわ。あんたたちは一発やれていい気になっているのね。一発やれたんだからね。」かの趙叔母さんは怒りをこらえて我慢するしかなかった。そしてまた人々を助け、宝玉の治療を手伝った。宝玉は顔の左側に水ぶくれができたが、幸い、目に怪我はなかった。王夫人は宝玉を見て、心が疼き、また賈のお婆様がどうしたのか尋ねられた時、回答しづらいのを恐れ、急いでまた趙叔母さんを一度怒鳴りつけた。また宝玉を慰めた。一方で、「敗毒散」を取り出して塗ってやった。宝玉が言った。「ちょっと痛いけど、何でもないよ。明日お婆様に尋ねられたら、僕が自分で火傷をしたと言えば済むさ。」鳳姐が言った。「自分で火傷したと言うにしても、人を罵って配慮を怠ると、どのみち一度怒りが生じるものよ。」王夫人は人に命じてちゃんと宝玉を自分の部屋に送って行った。襲人らはこれを見て、皆びっくりして、ひどいことになったと思った。

 

 

 かの黛玉は宝玉が一日外出していたのを見て、悶々としていたが、夜になって人を遣わして二、三度尋ねさせたところ、火傷を負われたと聞き、彼女自身が駆けつけると、宝玉が自分で鏡に映して見ているのを見た。顔の左側には一面に薬が塗られていた。黛玉は火傷がとても酷いと分かり、急いで近づいて見ようとすると、宝玉は顔を隠して、手を振って彼女を出て行かせた。それというのも、彼は元々潔癖症で、それゆえ黛玉に火傷の跡を見られるのを佳しとしなかった。黛玉もどうしようもなかったが、宝玉にこう尋ねた。「痛みはどうなの。」宝玉が言った。「そんなに痛くないよ。一日二日養生すれば良くなるよ。」黛玉はしばらく座って帰って行った。

 

 翌日、宝玉は賈のお婆様にお目にかかり、自分で火傷を負ったと認めたが、賈のお婆様がまたお付きの者を一度罵るのを免れることはできなかった。

 

 また一日経ち、宝玉が仮の母親としたお婆さん(寄名干娘。生まれた子供が健康で長生きするよう、血縁の無い他人を父母と見做す昔の習慣)の馬道婆(道婆は尼寺で雑役をする女性)が栄国府に来て、宝玉の顔を見て、大いに驚き、その経緯を聞くと、火傷をしたと言うので、頷きため息をつき、一方では宝玉の顔に向けて指で何画か線を引き、口の中でぶつぶつ何かを唱え、また一度まじないを唱え、こう言った。「もう大丈夫ですよ。これは一時の予期せぬ災難に過ぎません。」また賈のお婆様に向けて言った。「ご先祖様、菩薩様、かの仏教経典の中で言われていることがすばらしいと誰が知りましょうや。およそ王様や公卿、お大臣の家の子弟は、一生のうちに、ひそかに器量の狭い邪魔者に纏わりつかれることがあるものです。閑があれば、そいつを引き離すか、もぎ取らないといけません。或いは食事の時、そいつのお茶碗も用意してやったり、或いは歩きながらそいつを押し倒すべきなのです。だから往々にして、そうした大家の子孫は、多くが生きながらえることができなかったのです。」

 

 賈のお婆様はこんな話を聞いたので、尋ねた。「これにはどんな方法で助かることができるんだい?」馬道婆はそれで言った。「それは簡単なことで、ただその子のために善行を積んで、因果応報が循環するようにしてやればいいだけです。またその経典ではこうも言っています。西方に大光明普照菩薩がおられ、専ら光明や神聖な力で暗黒を追い払い、邪(よこしま)を駆逐することに関り、もし善男信女で敬虔に信仰する者は、永遠に子孫の健康、安寧を保つことができ、二度と邪による災いに出くわすことがなくなります。」賈のお婆様が言った。「それにしても、どうしたらこの菩薩様をお祭りできるの?」馬道婆が言った。「それは何でもありません。お線香や蝋燭をお供えする他に、毎日燃やす香油を何斤か増やし、大きなお供えの灯り(大海灯)を点せばいいんです。その「海灯」というのは、菩薩が現世に現れたお姿で、昼も夜も休むことがないのです。

 

 賈のお婆様が言った。「一昼夜でどれだけの油が必要なの?わたしも善行を行いますから。」馬道婆が言った。「量の多少には拘りません。施主様のお心づけ次第です。例えば我が家では、何ヶ所もの王妃様が命じてお供えされました。南安郡王府の太妃様は、信心が厚くておられ、一日に四十八斤の油、一斤の燈心をお使いになられ、その海灯も甕より少し小さな大きさのものです。錦郷侯がお命じになったのがこれに次ぎますが、一日に二十斤の油に過ぎません。他にも何軒かの大家で、それぞれ十斤、八斤、三斤、五斤と異なりますが、不足は許されませんから、それぞれのお家に代わって注文しないといけないのです。」賈のお婆様は頷き、考え込んだ。

 

 馬道婆が言った。「もうひとつ、もし父母様を厚くお祭りされるなら、どれだけ喜捨されても問題ありません。ご長老様が宝玉様に喜捨し過ぎると、お兄様が負担しきれないのではないか心配になり、却って運を損なってしまいます。もし喜捨されるなら、大は七斤、小は五斤でよろしいです。」賈のお婆様が言った。「それなら、一日五斤にしてください。毎月まとめて請求してちょうだい。」馬道婆が言った。「南無阿弥陀仏。大菩薩様、お慈悲をくださりませ。」賈のお婆様はまた人を呼んで言いつけた。「今後宝玉がでかける時は、銅銭を何串か伴の小者に持たせて、道々僧侶や道士、貧苦の人々に施しをするようにさせなさい。」

 

 言い終わると、かの道婆はそれぞれの家にご挨拶しにぶらぶら行ってしまった。しばらくして趙叔母さんの家に行き、ふたりは顔を合わすと、趙叔母さんは子供の召使に命じてお茶を淹れて彼女に飲ませた。趙叔母はちょうど靴の表布を貼っていて、馬道婆はオンドルの上に細かい絹の布の切れ端が積んであるのを見て、言った。「わたし、ちょうど靴の表が無いので、あなたが少し絹布の切れ端をわたしにくれれば、色は拘らないから、一足靴を作って履くことができるわ。」趙叔母さんはため息をついて言った。「あなた、ご覧になってみて。どこにそんな良い布切れがあると言うの?良いものはうちなんかには回って来ないの。あなた、あまり良くないものでも構わないんだったら、二枚選んで持って行ってちょうだい。」馬道婆は何枚か選んで、袖の中に挟み込んだ。

 

 趙叔母さんがまた尋ねた。「先日、わたし銭五百枚、人を遣わして送ったんだけど、あなた薬王様(道教の神様)の前にお供えくださったの?」馬道婆が言った。「とっくにあなたに代わってお供えしました。」趙叔母さんはため息をついて言った。「南無阿弥陀仏。わたし、時間に余裕があれば、いつでもお供えに来るんだけど、「心余りあれど力足らず」なの。」馬道婆が言った。「安心なさっていいですよ。将来頑張って賈環兄さまが成長なすって、微禄でも官職を得られたら、その時に大いに功徳をお積みになればいいんです。それができないとでもお思いですか。」

 

 趙叔母さんはそう聞いて笑って言った。「やめて。もう言わないで。今見てるのがお手本よ。うちは妾の家だけど、このお屋敷のどなたに追いつけるかしら。宝玉様はまだ子供で、大きくなって後継ぎと認められ、大人たちがこの子のことをたいへん気に入っても、それだけのこと。わたしはこんなご主人に服従しないだけのことよ。」そう言いながら、一方で指を二本(王熙鳳と賈宝玉のふたり指す)伸ばした。馬道婆はその意味を解したので、こう尋ねた。「でも賈璉様の奥様(王熙鳳)のことは、どう思われているの?」趙叔母さんはおっかなびっくりで急いで手を振り、身体を起こすとカーテンをめくって外を一目見て、誰もいないことを確かめると、ようやく振り返って馬道婆に言った。「この方は大したものです。この方について言えば、こちらのお家の財産を皆実家に持って行ってしまわれても、わたしにはどうしようもありません。」

 

 馬道婆はこう言うのを聞いて、趙叔母さんの口ぶりを探るようにして言った。「そんなこと言うまでもない。まさか見て分からなかったんじゃないでしょう。たとえ不足があっても、あなたがたじゃあ争いにならないから、あの人の思うがままですよ。――それでもいいですが。」趙叔母さんが言った。「お母さま。あの人に好き勝手させないために、誰かがあの人をどうかする手だてはありますか?」馬道婆が言った。「わたしが罰当たりなことを言うのでなければ、あなたがたは何もできないでしょう。――それも無理もありませんが。表立って何かする勇気が無いなら、陰でこっそり計略を練るしかないわ。今まで待っていたのよ。」

 

 趙叔母さんはこのことに手だてがあると聞き、心の中で密かに喜び、こう言った。「どんな計略なの?わたしは確かにそういう気持ちはあるけど、ただそんなやり手ではない。あなたがわたしにやり方を教えてくれたら、わたしは大いにあなたに感謝するわ。」馬道婆は趙叔母さんの回答を聞いて、気持ちを整理すると、またわざとこう言った。「南無阿弥陀仏。あなた、もう私に尋ねないでください。わたしがどうしてそんなことを知っていましょう。畏れ多いことです。」趙叔母さんが言った。「そらまた始まった。あんたは最も困難な境遇で困っている人を助け、生活に困窮している人を救うのを望んでいる人なのに、まさかわたしたち母と子の生死を、思うがまま人様にお見せしないといけないと言うの。――まさかこれでもまだわたしがあなたに感謝していないとでもお思いなの?」馬道婆はこのように聞いたので、笑って言った。「あなたが、あなたがた母と子ふたりが、嫌な思いをするのは我慢できないとおっしゃるなら、それもまだ受け入れられるけど、わたしに感謝してもらうなんて、わたしは考えてもみなかったわ。」趙叔母さんはこの話を聞いて気持ちに幾分余裕ができたので、こう言った。「あんたみたいなものの分かった人が、どうしてはっきりしないの?確かに仏法には霊験があるけど、彼らふたり(王熙鳳と賈宝玉)の名声を失墜させたら、このお家の財産はわたしたちのものになるのかしら。あの時あなたはほしかったものが得られなかったんじゃないの?」馬道婆はそう聞いて、しばらく下を向いて考え込んでいたが、こう言った。「もし事が成功して証拠を残さなかったら、あなたは約束を実行してくれるの?」趙叔母さんが言った。「これのどこが難しいの?わたしは何両かへそくりがあり、また服や首飾りも持っています。あなたに先にいくつか見本をお見せしましょう。また借金の証文をあなたに書くから、時が来たら、わたしがそれに基づきあなたにお金をお返しするわ。」馬道婆はちょっと考えてから言った。「それもいいでしょう。わたしがまず先に埋め合わせしないといけないけど。」

 

 趙叔母さんはもう一度質問するのももどかしく、急いで子供の小間使いまで一人残らず部屋から追い出し、大急ぎで箱を開けると、首飾りをいくつか取り出し、へそくりの小粒銀と併せ、また五十両の借金の証文を書き、馬道婆に手渡して言った。「あんた、先に持って行って、供養をしておくれ。」馬道婆はこれらのものを見て、また「欠条」(借用書)の文字もあったので、遂にはっきりと承諾し、手を伸ばして先に銀子を手にし、その後借用書を受け取った。趙叔母さんに紙を持ってくるよう頼み、ハサミを持ってきて、紙の人形をふたつ切り取り、彼ら二人の誕生日を聞き、その上に書いた。また一枚青い紙を捜して、五人の青面の鬼を切り取り、それらをひとつにまとめ、針で止めた。「帰ったら、わたしがまた法術を使うと、自ずとその効果が出るわよ。」ふと王夫人の侍女が入って来て、こう言うのが見えた。「お妾様はお部屋の中におられますか。奥様がお待ちです。」こうしてふたりは別れ、馬道婆が自ら去ったのであるが、このことは置く。

 

 

 さて黛玉は宝玉が顔に火傷を負って外に出て来ないので、いつも同じ場所で話をしていた。この日の食後、本を二篇読み、また紫鵑としばらく裁縫をしたのだが、ずっと悶々として楽しめず、外に出て庭先にようやく顔を出した新しいタケノコを眺めた。思わず知らず屋敷の門を出て、庭園の中にやって来て、四方を望むも誰もおらず、ただ鳥のさえずり花のきらめきだけが見え、足の向くまま怡紅院の方へやって来た。すると数人の小間使いの女たちがひしゃくで水を汲んで、回廊のところで、ホオジロが水浴びをするのを見ていた。部屋の中から笑い声が聞こえてきたが、実は李紈、鳳姐、宝釵が皆ここに来ていたのであった。黛玉が入って来るのを見るや、皆笑って言った。「またおふたりが来られたんじゃないの?」

 

 黛玉は笑って言った。「今日は全員が揃われたわね。どなたが招待状を送ってご招待したのかしら。」 鳳姐が言った。「わたし、先日人を遣って茶葉を二瓶お嬢ちゃんにお届けしましたが、まあまあでしょう?」黛玉が言った。「わたし、うっかり忘れていましたわ、――お心遣いに感謝しますわ。」宝玉が言った。「僕飲んでみたけど美味しくなかった。他の方はどう思われたか知らないけど。」宝釵が言った。「味もまあまあだったわ。」鳳姐が言った。「あれは暹羅国(シャム国。タイの旧称)から献上されたものです。わたし、飲んでみましたけど、あまり美味しくなく、わたしたちがいつも飲んでいるものに及ばないと思いました。」黛玉が言った。「わたしは飲んで、美味しいと思いました。皆さん方の好みがどうなのか分かりませんが。」宝玉が言った。「君が美味しいと言うなら、僕のを持って来て、飲んで行きなよ。」鳳姐が言った。「わたしのところにまだたくさんありますよ。」黛玉が言った。「わたし、侍女に取りに行かせるわ。」鳳姐が言った。「必要ありません。わたしが人を遣わして届けさせますよ。わたし、明日まだもう一件あなたに用事があって、一緒に人に届けさせますわ。」

 

 黛玉はそう聞いて、笑って言った。「皆さん方、ちょっと聞いてください。ここであの方の茶葉を少しでも飲んだら、人を呼んで来られるんですよ。」鳳姐は笑って言った。「あなたはうちの家の茶を飲んだのだから、どうしてまだうちの家のお嫁さんになられないのですか。」周りの人々からどっと笑いが起こった。黛玉は顔を真っ赤にして、下を向いて一言も声を発しなかった。宝釵が笑って言った。「姉さんのユーモアは本当に面白いわ。」黛玉が言った。「何がユーモアですか。憎まれ口をたたいて、人に煙たがられてるだけじゃないですか。」そう言いながら、ぷっと唾を吐きかけた。鳳姐は笑って言った。「あなたがうちの嫁に来たら、まだあなたに迷惑をかけることになるのかしら?」宝玉を指さしながら言った。「あなた、ご覧になって。人物が釣り合わないのかしら? 家柄が釣り合わないのかしら?ご実家の財力が釣り合わないのかしら?どういう点があなたを辱めているのかしら?」黛玉は立ち上がると、出て行こうとした。

 

 宝釵が大声を出して言った。「この子ったら眉を顰(ひそ)めて慌てて、もう戻って来ないの。出て行っても意味がないのに。」そう言いながら、立ち上がって引き留めた。やっと部屋の入口まで来ると、趙叔母さんと周叔母さん(ふたりとも賈政の妾)のふたりが宝玉に会いに来るのが見えた。宝玉と周りの人々は立ち上がり、席を譲ったが、ただ鳳姐だけは相手にしなかった。宝釵がちょうど話をしようとしていると、王夫人の部屋付きの小間使いが来て言った。「叔父様の奥様がお越しになりました。どうか奥様、お嬢様方はお越しください。」李紈は急いで鳳姐と一緒に出て行こうとした。趙叔母さんと周叔母さんのふたりも出て行った。宝玉は言った。「僕は行けない。あなたがたはいずれにせよ叔母さんに入って来てもらっちゃだめだよ。」またこう言った。「林ちゃん、ちょっと待って。僕、君に話があるんだ。」鳳姐はそれを聞くと、振り返って黛玉に言った。「誰かさんがあなたと話がしたいんですって。お戻りなさい。」そう言って黛玉を後ろに押すと、李紈と笑いながら出て行った。

 

 ここで宝玉は黛玉の手を引くと、ただ微笑むばかりで、口を開かなかった。黛玉は思わずまた顔を真っ赤にし、手を振り払って向こうへ行こうとした。宝玉が言った。「うあっ、頭が割れそうに痛い。」黛玉が言った。「あらまあ。南無阿弥陀仏。」宝玉は大声を上げると、高く跳び上がり、地面から三四尺の高さまで飛ぶと、口であらぬことを口走り、尽く訳の分からぬことをぶつぶつ言った。黛玉も小間使いの女たちも皆びっくりして、急いで王夫人と賈のお婆様に知らせた。この時、王子騰の夫人もここにいたが、皆一斉に様子を見に来た。宝玉は狂ったように刀や杖を振り回し、生死の間を彷徨っているかのようで、天地をひっくり返すような騒ぎになった。賈のお婆様、王夫人はその様子を一目見るや、驚いて体が震え、衣服が乱れ、声を上げて泣き出した。こうして人々を驚かせ、賈郝、邢夫人、賈珍、賈政、並びに璉、蓉、芸、薛叔母さん、薛蟠、並びに周瑞の家内まで、一族の上下の人々、並びに侍女や嫁たちまで、皆大観園の中に様子を見に来られ、たちまち無秩序な状態になってしまった。

 

 正に手だてが無い中、ふと見ると鳳姐が手にきらきら光る刀を持ち、大観園の中に切り込んで来た。鶏を見れば鶏を殺し、犬を見れば犬を殺し、人を見ると、眼を見開いて人を殺そうとした。人々は大慌てになった。周瑞の家内は何人かの力持ちの女たちを連れて、跳びかかって身体を押さえ、刀を奪い、身体を持ち上げて部屋の中に連れ帰った。(鳳姐の侍女の)平兒、豊兒らは悲しみの余り天地に嘆き訴えた。 賈政は心の中でたいへん慌てていた。すぐさま人々が様々に口を挟み意見し、ある者は祟りを送り出すべきだと言い、ある者は巫女に神がかりをしてもらうべきだと言い、玉皇閣張道士の妖怪退治を勧める者もいて、半日大騒ぎをして、神様にお願いをし、様々な医師の治療を試みたが、効果が見られなかった。日が落ちてから、王子騰夫人は暇乞いをして帰って行った。

 

 

 翌日、王子勝も挨拶にやって来た。続いて 保齢侯史鼐家、 邢夫人の兄弟、並びに各親戚が様子を見に来て、護符を焼いた時に使う水を祀るといいと言う者もいれば、僧侶や道士を勧める者、医者を勧める者もいた。宝玉、鳳姐の弟、兄嫁ふたりは、錯乱し人事不省(じんじふせい)になり、身体は火のように熱く、ベッドの中であらぬことを口にし、それが夜中にはより甚だしかった。このためふたりの乳母や侍女たちはお傍に寄ることができず、このため彼らふたりは王夫人の屋敷の中に運ばれ、関係する人々が交替で監視した。 賈のお婆様、王夫人、 邢夫人、 並びに薛叔母さんは、一歩もそこを離れることができず、ただふたりを囲んで嘆き悲しんだ。

 

 この時 賈郝、 賈政はまた 賈のお婆様が嘆き悲しみ過ぎて病気になるのを恐れ、日夜あれこれ忙しくし、騒ぎ立てて上も下も不安に思った。 賈郝はまたあちこちで良い僧侶、道士を捜した。賈政は治療の効果が見られないので、賈郝を押しとどめて言った。「息子や娘たちの運命には、必ず天命があり、人力で抗えるものではありません。この子たちふたりの病気は、様々な医者の治療でも効果が無く、思うに天意がこのようであるに違いなく、ふたりが行く方に任せるしかありません。」 賈郝は賈政の言うことを相手にせず、相変わらず何とかしようと様々な手を打った。

 

 三日の間見てみたが、鳳姐も 宝玉もベッドに横たわり、息遣いも弱っていた。一族の者皆直る望みが無いと言い、急いで彼らふたりの死後の事を準備した。賈のお婆様、王夫人、賈璉、 平兒、襲人らは悲しみのあまり、息絶えてはまた蘇生する程の状態であった。ただ趙叔母さんは見かけ上は悲しく沈み込んだようなふりをしていたが、心の中ではたいへん満足していた。

 

 四日目の朝になって、宝玉がふと眼を大きく見開き、賈のお婆様に向けて言った。「今後、僕はこの家にいるべきじゃないです。早く僕を遣わして行かせてください。」 賈のお婆様はこの言葉を聞いて、胸が痛くてたまらなくなった。趙叔母さんは傍で勧めて言った。「大奥様もあまり悲嘆されるに及びません。坊ちゃんはもう直られる見込みがないのですから、ちゃんと身繕いしてあげて、早くお戻しして差し上げた方が、坊ちゃんもあまり苦しみを受けられずに済みます。ただ坊ちゃんのことを諦めきれない以上、こうした口ぶりは已むことなく、どちらにおられても、罪の意識や不安が已むことはないでしょう。――」こう話し終わらぬうちに、賈のお婆様に顔めがけて唾を吐きかけられ、罵り言われた。「この舌の爛(ただ)れたろくでなしのババア!どこを見て見込みがないなんて言うんだ。おまえはあの子が死んでほしいんだな。それでどんな利点があるんだ?幻想を言うんじゃないわよ。あの子が死んだら、あんたたちにも責任をとってもらいますからね。元はと言えば、皆あんたたちが平素からけしかけて、無理やりあの子に本を読んだり字を書いたりさせ、肝っ玉を驚かせて潰して、父親を見ると「猫を避ける鼠」のように臆病にしてしまったんだ。これは皆おまえたち妾ふぜいがけしかけたせいだ。今回あの子を死に追いやれたら、おまえたちの思うつぼだわね!――わたしがそれを許すとでも思っているの?」一方で泣きながら、一方で罵った。

 

 賈政は傍でこの話を聞いていたが、心の中では益々切羽詰まり、慌てて怒鳴りつけて趙叔母さんを退出させ、やんわりと一度賈のお婆様を慰めた。ふと人が来て伝達した。「おふたりの棺桶が完成しました。」賈のお婆様はこれを聞いて、刀で心臓を刺されたような気持ちになり、泣きながら大声で罵り、尋ねた。「誰が棺桶なんか作らせたの?棺桶を作らせた者を早く連れて来て、撃ち殺しておくれ。」天地のひっくり返る騒ぎになった。

 

 ふと、かすかに木魚の音が聞こえてきて、こう唱えた。「南無解冤解結菩薩!――どちらのご家族で、お世継ぎに問題を抱えられ、家庭が不和で、祟(たた)りに当たられ危機に遭われているか。わたしたちがお直ししてしんぜよう。賈のお婆様、王夫人、皆この声を聞き、すぐ人に命じて街に捜しに行かせた。声の主は、ひとりのしらくも頭の和尚とひとりのびっこの道士であった。かの和尚はどのような有様でありましたでしょうか。それは:

 

  鼻は鼻梁高くどっしりとし、両眉はすらりと長く、眼は宵の明星のようにきらりと光った。ぼろの袈裟を纏(まと)い有り合わせの草履を履き、行く宛無くさすらい、不潔で頭一面に腫物ができていた。

 

かの道士はどのような有様でありましたでしょうか。この男を見ると:

 

  片足は高く上がるが片足は上がらず、びっこを引いて、懸命にぬかるんだ道を進んだ。道で出逢い家はどこかと尋ねても、家は蓬莱の仙境の西、弱水のあたりと答えるばかり。

 

 賈政はそれで人に命じて屋敷に招じ入れ、彼らふたりに尋ねた。「何れの山で修行されたのですか?」かの僧は笑って言った。「お役人様、要らぬお話はご無用です。お屋敷の後継ぎ様に問題がおありと知り、特にお直しに罷り越しました。」賈政が言った。「ふたりが邪に当たり、どちらの仙人様であれば治療できるか分からないのです。」かの道士は笑って言った。「お宅には絶世のお宝があり、この病を直すことができます。どうして方士に尋ねる必要がありましょうや。」賈政は心の中で動揺し、それで言った。「子供が生まれた時に一枚の玉を持って生まれ、その上に「凶邪を除くを能う」と刻まれていましたが、未だその霊効を見たことがありません。」かの僧が言った。「お役人様はご存じないのです。かの「宝玉」は元々霊験あらたかなものですが、ただ色恋や利欲に惑わされ、その霊験が見れないのです。今この宝を取り出し、わたしが経文を唱えてやれば、自然とまた霊験が戻りますよ。」

 

 賈政はそれで宝玉の首からかの玉を取り、このふたりに手渡した。かの和尚は手のひらの上で持ち上げると、一声長嘆し、言った。「青埂峰の下で、別れしより十三載(年)。人の世は光陰の如く速やかであるが、俗世の因縁は断つことができない。これはどうすることもできない。羨む可し君の当時の好きところは:

 

  天に拘わらず地に羈(つな)がらず、心頭は喜ばず亦悲しまず。

  只だ通霊を鍛錬するに因りて後、便ち人間(じんかん)に向け是非を惹(まね)く。

 

惜しむ可きは今日、この玉は次のような経歴を経た:

 

  白粉(おしろい)や口紅の痕が宝光を汚し、部屋では日夜男女の情愛に浸る。

  深い眠りの夢もいつか醒め、これまでやった悪行を精算し、皆各々戻り行く。

 

唱え終わると、もう一度玉をさすり、少し戯言を言うと、玉を賈政に手渡して言った。「この物は既に霊験を持ったので、汚してはなりません。寝室の入口の敷居の上に吊るし、肉親以外、他の女性に触らせてはなりません。三十三日経てば、大丈夫です。」賈政は急いで人に命じて茶を淹れさせたが、このふたりの僧侶と道士は既に行ってしまい、ただその言われた言葉通りにするしかなかった。

 

 鳳姐と 宝玉は、果たして一日一日と良くなり、次第に目覚めてきて、空腹を感じるようになり、賈のお婆様や王夫人はようやく安心した。姉妹たちも外の部屋で知らせを聞き、黛玉が先に念仏を唱え、宝釵が微笑んで何も言わないので、惜春が言った。「宝姉さんは何を笑っているの?」宝釵が言った。「わたしは御仏が来られたように微笑むのを、人様より急いで行いました。衆生を救わねばならないし、人様を病苦から加護しなければならず、皆速やかに行うのが良いのです。人様の婚姻のことも考えねばならず、それを成就させねばなりません。――どう、急ぐ必要はないかしら?わたしの言っていること、可笑しいかしら?」しばらくして黛玉は顔を真っ赤にして、吐き捨てるように言った。「あなたがたは皆いい人じゃないわ。これ以上いい人に付いて学ぶんじゃなかったら、鳳姉さんに付いて、憎まれ口をたたくのを覚えるしかないわね。」そう言いながら、一方で帳(とばり)をめくって出て行った。委細を知りたければ、次回に解説いたします。

 この回では、賈一族でも傍系の賈芸が中心に、物語が展開します。芸とその母親は、お屋敷で多少なりとも稼ぎになる仕事を得ようと、 鳳姐の夫の賈璉に頼みますが、賈璉は口先だけで、仕事は一向にもらえません。そこで賈芸は一計を案じ、お屋敷で実務を握る鳳姐に贈り物をして仕事を得ようとします。ところがその過程で金銭面の問題が生じますが、「酔金剛」というあだ名の燐家に住む倪二というごろつきがお金を貸してくれ、見事鳳姐から仕事をもらうことに成功します。さて、その賈芸は、宝玉から部屋に来るよう誘われ、訪ねますが宝玉はあいにく不在。そんな中、たまたま宝玉付きの下っ端の小間使いの小紅に出逢い、小紅が落としたハンカチを賈芸が拾い、それを小紅に返す過程で、ふたりは互いに憎からず思うのですが。『紅楼夢』第二十四回の始まりです。

 

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酔金剛は財を軽(かろ)んじ義侠を(たっ)とび

痴女(はく。絹のハンカチ)を遺(のこ)し相思(男女が互いに慕い合う)を(まね)く

 

 さて黛玉は、正に少女たちの歌う台詞への思いがつきまとい、まつわりついて払い除けることのできなくなった時に、ふと誰かが背後から肩をたたき、こう言った。「あなたはどうしてひとりでここにいらっしゃるの?」黛玉は跳び上がるほど驚き、振り向いて見ると、他でもなく、香菱であった。黛玉が言った。「あんたというおばかさんが、軽はずみにもわたしを驚かせて。いったい何しに来たの?」香菱はニコニコ笑って言った。「わたし、うちのお嬢様を捜しに来たのですが、見つからなくて。――お宅の紫鵑もあなたを捜していましたよ。賈璉様の奥様(鳳姐)がお茶の葉か何かを届けられたそうです。お家にお帰りになってみられては如何ですか。」そう言いながら、一方で黛玉の手を引っ張り、瀟湘館に戻って来ると、果たして鳳姐が新茶の葉を小瓶にふたつ送って来ていた。黛玉は香菱と席に着くと、この刺繍がきれいだとか、あの刺繍の模様はよくできているといった話をし、また囲碁を一局指し、本をちょっと見ると、香菱は出て行ったが、このことはこれで置く。

 

 さて宝玉は、襲人が捜しに来て部屋に戻ると、(賈のお婆様の侍女の)鴛鴦がベッドの上に寝そべり、襲人が針仕事でこさえた物を見ていたが、宝玉が入って来るのを見ると、こう言った。「あなた、どこへ行っていたの?お婆様があなたをお待ちですよ。あなたにあちらに行ってお爺様にご挨拶するように、とのことです。早く服を着替えてお行きくださいまし。」襲人がそれで部屋に入って服を取りに行った。

 

 宝玉はベッドの縁に座り、短靴を脱ぎ、ブーツを履くのを待っている間に、振り返って見ると、鴛鴦が鮮やかなピンク色の綾の上着に、青い緞子のチョッキを着、足元には淡い緑がかった白のシルクの靴下が露出し、真っ赤な刺繍を施した靴といういで立ちで、あちらを向いて首を傾け、針仕事で作ったものを見ていたが、首には紫色のシルクのスカーフを巻いていた。宝玉は顔を鴛鴦の首筋に近づけ、そこの匂いを嗅ぎながら、絶えず手でさすった。鴛鴦の皮膚の白くきめ細やかなのは襲人に引けを取らなかった。宝玉は猿のように拳を作り、いたずらっぽくにやにや笑みを浮かべて言った。「お姉様、お口に塗った口紅を僕に味見させて。」そう言いながら、一方で麦芽糖で作ったねじり飴のように、鴛鴦の身体に纏わり付いた。

 

 鴛鴦はそれで大声で言った。「襲人、あなた出て来てちょっとご覧になって。あんたはこの子とずっと一緒にいて、この子を諫めたりしないの。まだこんなことをしているわ。」 襲人は服を抱えて出て来て、宝玉に言った。「こちらが諫めても改めず、あちらが諫めても改めず、あなた、いったいどうするの。あんたがまたこんなことをしたら、ここにもういられなくなるわよ。」そう言いながら、一方では宝玉に服を着るよう促し、鴛鴦と一緒に賈のお婆様のお屋敷にやって来た。お婆様にお目にかかってから、外に出ると、人馬が既に準備されていた。ちょうど馬に乗ろうとしていると、賈璉がお婆様にご挨拶をしに戻って来てちょうど馬を降りたので、ふたりは対面し、互いに二言三言挨拶を交わしていると、傍らにひとりの男が走って来て、こう言った。「宝叔父様、ご機嫌麗しゅう。」

 

 

 宝玉がそれと見ると、この男性は、顔が長く、痩せて背が高く、年齢はまだ十八九、確かに上品で、容貌がきりっとしていた。どこかで会ったことがあるのだが、どの家の子で、何という名前だったか思い出せなかった。賈璉が笑って言った。「おまえ、どうしてぼんやりしてるんだ?この子のことも憶えてないのか?この子は、西の後廊に住む五嫂子(五番目の兄の嫁)の息子の芸兒だ。」宝玉が笑って言った。「そうだ、僕どうして忘れちゃったんだろう。」それで彼に尋ねた。「お母さんはお元気?今回は何の用なの?」賈芸は賈璉を指さして言った。「叔父さんに聞いてください。」宝玉が笑って言った。「君はでも、以前より器量が上がったね。まるで僕の息子のようだ。」賈璉は笑って言った。「そんなこと言って恥ずかしくないか?こちらはおまえより五六歳も年上なのに、おまえに息子呼ばわりされて。」宝玉は笑って言った。「君は今年十幾つなの?」賈芸は言った。「十八です。」

 

 元々この芸はとても利発で賢かったので、宝玉が「僕の息子のよう」と言うのを聞いて、笑って言った。「俗にも申します、「ゆりかごの中の爺さん、杖を突く孫」と。歳はとっていても、「山高くとも太陽は遮れない」。――ただ父親が亡くなってから、この数年というもの、誰も面倒を見てくれる人がおりませんでした。」賈璉は笑って言った。「おまえ、聞こえたか。息子と認めてやるのは、良い解決手段じゃないかな。」そう言うと、笑って家の中に入って行った。

 

 宝玉は笑って言った。「明日、君が閑なら、構わないから僕を尋ねておいで。あの人たちとこそこそやる必要はないよ。今日は僕、閑が無いんだ。明日、君が書斎に来てくれたら、僕たち、一日話をして、一緒に庭園の中に遊びに行こう。」そう言うと、鞍に手をかけて馬に乗り、何人もの少年の召使が付き従い、賈郝の屋敷へやって来た。賈郝にお目にかかったが、たまたま少し寒気がした。先ず賈のお婆様が郝叔父様の身体のお加減を心配されていたことをお話し、それから自分からもご挨拶すると、賈郝は先ず立ち上がって賈のお婆様のご心配に感謝し、人を呼んで来て、「お兄様に奥様のお部屋に行ってお座りいただくように。」と言った。

 

 宝玉は退出すると、奥に通され、部屋に入ると、邢夫人にお目にかかった。邢夫人は、最初に立ち上がって賈のお婆様のご機嫌を伺い、宝玉がそれからご挨拶した。邢夫人は宝玉の手を引きオンドルに座らせ、それから他の人々に挨拶し、また召使に命じて茶を淹れさせた。茶を飲み終わらぬうちに、賈琮が宝玉に挨拶しに来るのが見えた。邢夫人が言った。「どこから生きたお猿さんを連れて来たの?あんたのとこの乳母は、死んじまったのかい。ほったらかしにして、挙句に顔は真っ黒で汚い。どこを見ても学問をする家の子には見えないわね。」

 

 そう言っていると、賈環と賈蘭の甥っ子ふたりも挨拶をしにやって来た。邢夫人は彼らふたりを椅子に座らせた。賈環は、宝玉が邢夫人と同じ座布団の上に座り、邢夫人はまたあれこれまさぐって宝玉を撫でたりさすったりしていたので、早くも気持ちが落ち着かなくなり、しばらく座っていると、賈蘭に目配せして出て行こうとし、賈蘭はそれに随うしかなく、一緒に立ち上がって暇乞いをした。宝玉は彼らふたりが立ち上がったので、自分も一緒に帰ろうとすると、邢夫人が笑って言った。「あなたはまだ座ってらっしゃい。わたし、まだあなたに話があるの。」宝玉は座っているしかなかった。邢夫人は賈環、賈蘭のふたりに言った。「おまえたちはお帰り。ふたりとも、それぞれお母さまにわたしからよろしくと伝えておくれ。あなたのとこの叔母さんやお姉さま方が皆ここにおられるんで、うるさくて頭がくらくらするわ。――今日はあなた方の食事は残していないから。」賈環らは「はい」と答えて出て行った。

 

 宝玉は笑って言った。「でもお姉さま方が皆お越しになったの?どうしてお見受けしないんだろう。」邢夫人は言った。「皆さん、しばらく座っておられたけど、皆裏の方に行かれ、どちらのお部屋に行かれたか、分からないわ。」宝玉が言った。「叔母様、お話があると伺いましたが、どんなお話ですか?」邢夫人は笑って言った。「別に何の話も無いわ。ただおまえにちょっと待ってもらって、女のご兄弟たちと食事をして、それからある面白いものをおまえに持って帰ってもらうわ。」

 

 ふたりが話をしているうちに、知らぬ間に夕飯の時間となり、何人もの娘たちに来てもらい、テーブルと椅子を並べ、酒杯や料理を並べる大皿を並べ、皆が食事を終えると、宝玉は賈郝にお暇(いとま)のご挨拶をし、女兄弟たちと一緒に家に帰り、賈のお婆様や王夫人にお目にかかり、各々自分の部屋に戻って休んだのだが、このことはそれで置く。

 

 さて賈芸が部屋に入って来ると、賈璉がいたので、尋ねた。「どんな事情があったんですか?」賈璉が賈芸に言った。「ちょっと前にある仕事の話が出て来て、ずっとおまえんとこの叔母さんからやらせてくれと言われていたんだが、芹兒にやらせることになったんだ。でも、うちのやつがおれに言ってくれたんだが、「明日になったら大観園の中でまだ何ヶ所か花や樹木を植える場所があるので、この工事が出て来たら、必ずおまえに任せてくれる」そうなんだ。」かの芸はそれを聞くと、しばらくしてこう言った。「そういうことなら、僕、待っていますよ。叔父様も、先に叔母に事前にわたしに今日話を聞きに来るよう言う必要はないですよ。工事が始まる前に言ってくれても遅くないです。」賈璉が言った。「おまえんとこの叔母さんに何をしろと言うんだ。おれがどうしてこんな時にむだ話をしないといけないんだ。明日はどうしても興邑に行ってこないといけないんだ。その日のうちに帰って来れたらいいんだが。おまえ、待っていてくれるか。あさっての宵の口以降で、おまえ、確認してくれ。早過ぎると、おれが時間が取れないから。」そう言うと、奥の部屋に行って衣服を着替えて行ってしまった。

 

 賈芸は栄国府を出て家に帰ろうとし、道々あれこれ考えていたが、ある考えが思い浮かび、まっすぐ彼の叔父の卜世仁の家にやって来た。元々卜世仁は、今は香料店を経営していたのだが、先ほど店から帰って来ると、芸に出逢ったので、尋ねた。「おまえ、何の用で来たんだ?」芸が言った。「あることで叔父さんに助けてほしいんだ。樟脳と麝香が要るんだ。とにもかくにも四両買って僕にください。八月の節気にその量に応じて銀子を送るから。」卜世仁は冷ややかに笑って言った。「もう掛けでの売り買いのことは持ち出すな。先だっても、うちの店の店員のひとりが、そいつの親戚に代わり数両の銀子の商品を掛け売りし、今に至るも金を返してもらっていないんだ。それでわたしたちみんなで弁償し、契約を結んで、もう二度と親戚や友人に代わって掛けでの売り買いは許さない。もしそれに違反したら、その者には罰として二十両の銀子で他のメンバーを奢ることになったんだ。ましてや今はこういった商品も不足しているから、おまえが現ナマの銀子を持ってうちのこの小さな店に買いに来ても、これらの商品は無いから、銀子はそのまま持って帰るしかない。これがひとつ。ふたつ目に、おまえはどれだけまともなことをしているんだ?掛け売りをしてくれと騒いでいるだけじゃないか。おまえは叔父さんが、おまえに頼み事をされても、いつもできないとばかり回答するが、おまえという愚か者は、ものの良し悪しもあまり分からぬくせに、それでも知恵を出して、幾ばくかの銭を儲け、着るものや食べるものを得て、わたしの見るところ、そういう行為が好きなようだな。」

 

 芸は笑って言った。「叔父さんの言われることももっともです。けれどもわたしの父親が亡くなった時、わたしはまだ幼くて、事情も知らなかったのです。後に母親から聞いたのですが、叔父さんのお陰で、わたしたちに代わって、いろいろ考えて父の葬儀を行ってくださったそうですね。どうして叔父さんはご存じなかったのですか、うちにはまだ一畝(ムー。1ヘクタールの1/156.667アール)の土地と、二部屋の家があったのに、うちの方でお金を支払ってはだめだったのでしょうか?「賢い嫁でも米の無い中で飯は作れない」と言いますが、わたしにどうさせたいのでしょうか。――やっぱり損をするのはわたしの方なんです。そうでなければ、厚顔無恥にも三日に上げず叔父さんに纏わりついて、三升の米が要る二升の豆が要ると言っても、叔父さんもどうしようもないでしょう。」

 

 卜世仁は言った。「わたしの息子よ、叔父さんは必要なことは、当然してきたんじゃなかったかな?わたしは日々おまえの叔母さんに言っているが、おまえが生計を立てる能力が無いことだけが気がかりなんだ。おまえがもし自立しようとするなら、賈氏のお屋敷に行っても、旦那様方は容易く会ってはくださるまい。気持ちを落ち着け、お屋敷の執事の旦那様方とよく連携すれば、きっとうまく行くだろう。以前わたしが郊外に行った時、賈氏の三番目のお屋敷の四男の賈蔷様に出逢ったが、とてもりっぱな車にお乗りになり、また四五台の車を随え、四五十人の若い和尚や道士を連れて、家廟に行かれた。あの方が正に仕事ができるのも、わたしが言ったことをあの方が実行されているからじゃないか?芸は話を聞いて、我慢できないほどくどくどしいと思い、立ち上がって暇乞いをした。卜世仁が言った。「どうしてそんなにせわしくするんだ?食事をしてからお帰り――」言葉を言い終わらぬうちに、彼の奥さんがこう言うのが聞こえた。「あんた、また無茶言って。米が無いと言うから、ここに半斤の小麦を買ってあんたに食べさせようと思ったのに、まだ豊かなふりをするの。この子に飯を食べさせたら、家の者が皆飢えてしまうわ。」卜世仁が言った。「もう半斤買ってくればいいじゃないか。」彼の妻はそれで娘に言いつけた。「銀ちゃん、向かいの王お婆さんの家に行って聞いて来て。お金があったら、数十銭貸してほしい、明日には返すからって。」卜世仁夫婦が話している間に、かの芸はとっくに何度か「お構いなく」と言って出て行き、もう影も形も無かった。

 

 卜家の夫婦には何も言わず、芸はむかっ腹を立てて叔父の家の門を離れ、まっすぐ帰って来たのだが、心の中では正に自ずと悩みをかかえ、そのことを考えながら、道を歩き、首を低く垂れていると、思いがけずひとりの酔っ払いとぶつかった。酔っ払いは芸を掴んで引っ張ると、罵(ののし)って言った。「おまえの眼は見えないのか?おれにぶつかってきやがって。」

 

 

 芸はその声に聞き覚えがあったので、子細に見ると、実はすぐ隣に住む倪二であった。この倪二はごろつきで、専ら高利で金を貸し、賭博場で飯を食い、専ら酒を飲み喧嘩をするのが好きであった。この時はちょうど銭を返せない人の家に借金の取り立てに行った帰りで、もう酔っぱらって心地よい状態になっているところで、思いがけず芸が彼にぶつかってきたので、手を出したのであった。芸は大声で言った。「兄さん、待って。僕が兄さんにぶつかったんだ。」倪二は芸の声を聞くと、酔った眼を大きく見開くと、一目で芸だと分かり、急いで掴んだ手を緩め、よろめきながら笑って言った。「誰かと思えば賈の若旦那。これからどちらに行かれるんですか。芸が言った。「おまえには言えないよ。訳もなく困ったことをしてくれて。」倪二が言った。「構いませんよ。何か不満があれば、わたしに言ってください。わたしがあなたの代わりにうっぷんを晴らして差し上げますから。このあたりの通りや横町は、誰の縄張りか。もし誰かが酔金剛の倪二の縄張りを荒したら、あっしが蹴散らしてやりますよ。」

 

 芸は言った。「兄さん、腹を立てないで。わたしが兄さんにいきさつを話すから、聞いておくれ。」そうして卜世仁のところでの一連の出来事を倪二に話した。倪二はそれを聞くと大いに怒って言った。「もし若旦那の親戚でなかったら、あっしが罵ってやりまさあ。本当に死ぬほど腹立たしい。――まあいい、あなたも憂える必要はない。うちには今何両か銀子がありますから、あなたがご入用なら持って行ってください。わたしたちは良い隣人だから、この銀子には利息は要らないです。」そう言いながら、腰帯の中から一包みの銀子を取り出した。

 

 芸は心の中で自問した。「倪二はふだんはごろつきだけれども、それでも相手を見て態度を変えるので、頗る義侠の名声を持っている。もし今日この情を受けなかいことで、彼に恥をかかせたら、却って良くない。それならこの金を使わせてもらって、改めて倍にして返してあげるに及ばない。」それで笑って言った。「兄さん、あなたはやっぱりいい人だ。既にかくも高い恩情を被った以上、受け取らぬ訳にはいきますまい。家に帰りましたら、いつものように証文を書いてお送りしましょう。」倪二は大いに笑って言った。「これは十五両三銭の銀子に過ぎません。あなたがもし証文を書かないといけないとおっしゃるなら、わたしはもうお貸ししません。」芸はそう聞いて、一方では銀子を受け取り、一方で笑って言った。「おっしゃる通りにいたします。そんなに慌てないでください。」倪二が笑って言った。「そうですとも。もう暗くなってきましたのに、お酒もご用意しておりません。わたしはまだ用事がありますので、どうかお家にお戻りください。もうひとつお願いがあるのですが、手紙を持ってうちの家に届けていただき、うちの者たちに門を閉めて休むように、わたしは今日戻らないと伝えていただきたいのです。もし何か用事があったら、うちの娘に明日の朝一番に馬商人の王短腿(短足の王)に行かせてわたしを尋ねるようにと。」そう言いながら、一方で千鳥足で去って行った。このことはこれで置く。

 

 さて芸はたまたま今回の件に出くわし、心の中でもたいへん珍しいことだと思い、こう考えた。「かの倪二は果たして幾分面白みがある。ただ彼はひょっとすると、一時的に酔っぱらって物惜しみしなくなっただけで、明日になると倍にして返せと言ってくるかもしれない。さて、どうしたものか。」ふとまた思った。「なに、気にすることはない。このことが成功すれば、たとえ倍になっても彼に返すことができる。」それで歩いて一軒の両替屋に行くと、借りた銀を量ってもらうと、銀の分量が悪くなかったので、心の中では益々嬉しく思った。倪二の家に着くと先ず倪二の言付けを彼の妻たちに伝え、それから家に帰った。彼の母親はちょうどオンドルの上で針仕事をしていたが、芸が部屋に入って来たのを見ると、尋ねた。「一日、どこに行っていたんだい?」芸は母親に怒られるのを恐れ、卜世仁のことは持ち出さず、ただこう言った。「西府(栄国府)の方に、賈璉叔父さんが来てお待ちです。」そして彼の母親に尋ねた。「食事はもう済みましたか?」彼の母親は言った。「もう済ませました。まだあそこにごはんが残してありますよ。」年少の召使を呼んで持って来させ、芸に食べさせた。

 

 その日は既に火点し頃で、賈芸は食事を済ますと、身の回りを片付け休み、その晩は特に話が無かった。翌日起きると、顔を洗い、南門から大通りへ出て、香料店で龍脳(漢方薬で、氷片とも言う。きつけ薬)と麝香を買い、栄国府へ来た。賈璉が外出したと聞いたので、賈芸は裏の方にやって来た。賈璉の屋敷の門前に着くと、何人かの少年の召使が、大きく背の高い箒(ほうき)を持って、敷地の中を掃除していた。ふと周瑞の家内が門から出て来て少年の召使に大声で言った。「とりあえず掃くのは止めて。お婆様が出て来られるわ。」賈芸は急いで近づき笑って尋ねた。「下の叔母様(鳳姐)はどちらに行かれました?」周瑞の家内が言った。「奥様がお呼びだったから、おそらく服か何かの裁断に行かれたんでしょう。」

 

 ちょうど話していると、一群の人々が 鳳姐を取り囲んで出て来た。芸は 鳳姐が人におべっかを使ってもらい、うわべを重視してもらうことが好きなのをよく知っていたので、急いで手を身体の両側にぴったり着けて、恭しく駆け寄ると、挨拶をした。鳳姐は芸をまっすぐ見ようともせず、そのまま前へ進み、ただ芸の母親の身体の具合を尋ねただけだった。「どうしてお母さまはこちらに遊びにお越しにならないの?」芸が言った。「ちょっと身体を悪くしておりまして。でもいつも叔母様のことを気にかけております。具合を見てみなければなりませんが、何れにせよ来ることができません。」鳳姐が笑って言った。「だけどおまえ、嘘をつくのがうまいね。わたしがおまえの母さんのことを言わなかったら、おまえの母さんも、わたしのことなんか考えもしなかったろうよ。」芸は笑って言った。「甥っ子のわたしは雷が落ちても怖くありませんが、年長の方の面前でうそなどつく勇気がありましょうや?昨晩、また叔母様の話題になりまして、母はこう申しました。「叔母様は身体が丈夫ではないのに、やらないといけないことがたくさんあり、叔母様のすばらしい事務処理能力のおかげで、お屋敷の事務は円滑に回っているんです。もし叔母様の健康に少しでも問題があって、疲労がたまりやすくなったら、どうなるか分からない。」って。」

 

 鳳姐はそれを聞いて、満面笑顔になり、思わず歩みを止めて、尋ねた。「おまえたち親子はどうして陰でこそこそわたしの噂話をするの?」芸は笑いながら言った。「ただわたしにはひとり良い友人がおりまして、彼の家には多少の金もあり、今は香料店をやっています。彼は通判の官位を買い、先だって雲南のどの府かは存じませんが、家族も連れてそこへ行ってしまいました。彼の香料店も店を閉じてしまったので、商品を集めて、人に渡さないといけないものは渡し、安く売らないといけないものは安く売り、こうした貴重なものは、皆親しい友人に送ったので、わたしは龍脳と麝香を多少得ることができました。わたしはそれで母親と相談し、安値で売るのはもったいないし、人に送るにしても、他の家でこういった香料を使っている家はありません。それで、叔母様がこれまで、大量の銀子で以てこういったものを買われていたのを思い出しまして、ましてや今年は貴妃殿下が宮中におられますから、端陽節に使われるだろうし、またきっと以前に比べて十数倍必要に違いない。それでこちらにお持ちして、叔母様にお贈りしようと思ったのです。」そう言いながら、一方で錦の箱を手渡した。

 

 鳳姐はちょうど節句の贈り物用の香料を準備しようとしていたので、ニコニコ笑って侍女の豊兒に命じて言った。「芸兄さんの香料を受け取って、家に持って行き、平兒に渡しておくれ。」それでまたこう言った。「あなたがこんなに事の良し悪しが分かっているから、叔父さんがいつもあなたのことを気にかけているのも無理ないわ。あの人ったら、あなたは優秀だ、話が明快で、見識があるって褒めるのよ。」芸はこのことを聞いて話が弾み、もう一歩進めようと、わざとこう尋ねた。「元々叔父さんがいつもわたしのことを言ってくださっていたのですか?」鳳姐はこう尋ねられたので、芸に庭の整備の管理の話をしなければならないと思ったが、ちょっと考えて、また芸が自分のことを軽く見てしまうのではないかと心配した。たったこれっぽっちの香料をもらっただけで、芸にそんな仕事を与えてしまうなんて。それで、芸に庭に草木を植える仕事を与えることは、一言も持ち出さず、口から出任せにどうでもいい話をしながら、賈のお婆様のお屋敷までやって来た。

 

 賈芸の方でもそのことを持ち出すのは憚られ、そのまま帰って来るしかなかった。昨日宝玉に会った時に、外の書斎に来るように、そこで待っているとの話だったので、食事を済ますと、またお屋敷に入り、賈のお婆様の屋敷の儀門(お屋敷の大門の内側の二番目の儀仗門)の外の綺散斎書房にやって来た。すると(宝玉の少年の召使の)茗煙がそこで、雀の巣に手を突っ込んで遊んでいた。賈芸は彼の背後から、足を一歩踏み入れて言った。「子猿の茗煙がまた悪さをしている!茗煙が振り返ると、賈芸であったので、笑って言った。「どうして叔父様はこんなに驚かすの。」そしてまた笑って言った。「僕、「茗煙」という名前じゃないんです。うちの宝お兄様が「煙」の字は好くないと嫌われ、名前を改めて「焙」というんです。叔父様はだから、僕のこと、焙茗と呼べばいいですよ。芸は頷いて微笑みながら一緒に書斎に入り、椅子に腰かけて尋ねた。「宝兄さんは出て来られたかね?」焙茗は言った。「今日はまだお越しになっていません。お兄様が何かこと付けられていないか、ちょっと聞いてきます。」そう言うと、出て行った。

 

 ここで賈芸は書画や骨董を見ていた。食事をする時間(だいたい1530分)待ったが、それでも姿が見えなかった。また別のちょっとしたものを捜しては、皆遊び尽くした。ちょうど鬱々と気持ちが晴れないでいると、門前からなよなよした優しい声で「お兄様だ」と叫ぶのが聞こえたので、芸が外を見ると、十五六歳の小間使いで、とても端正な容姿で、両方の眼が活き活きと美しい少女が、芸を見ると、そこを離れて隠れようとしたが、ちょうど焙茗が歩いて来て、その小間使いが門前にいるのを見ると、言った。「ああ、何も知らせが無かった。」賈芸は焙茗を見ると、急いで出て来て、尋ねた。「どうだった?」茗が言った。「半日待ちましたが、誰も来ませんでした。ここが宝兄さんのお部屋なんです。」それで言った。「お嬢ちゃん、君、手紙を持って行ってくれるかい。廊上の兄さんが来られたって。」

 

 その小間使いはそう聞くと、ようやく当家の旦那様方だと知り、前のように避けたりはしなくなり、ひたすら賈芸のことを両目でじっと見つめた。かの芸がこう言うのを聞いた。「何が「廊上」、「廊下」なの。ただ芸兒と言えばいいから。」しばらくして、その小間使いは笑っているように見えてにこりともせずにこう言った。「わたしに言わせてもらえば、旦那様、どうかお帰りいただき、明日またお越しください。今晩お暇ができたら、わたしから申し上げておきます。」焙茗が言った。「それはどういうことだ?」その小間使いは言った。「宝旦那様は今日はお休みになれなくて、だから夕ご飯も早く召しあがられ、夜もお越しになりません。どうしてこちらの旦那様にずっとお待ちいただき、ひもじい思いをしていただくのも良くありません。やはり今日はお帰りいただき、明日また来ていただくのが正しいやり方だと。――帰られたら、誰かにお手紙を持って来させてください。でも、元々宝玉様の口頭でのお話に過ぎないですわね。」

 

 賈芸はこの小間使いの話を聞いて、綺麗な少女であるし、彼女の名前を聞きたいと思ったが、宝玉の部屋の中であるし、尋ねるのが憚られたので、ただこう言った。「言われるのはもっともです。明日また来ます。」そう言うと、外へ出て行った。茗は言った。「わたし、お茶を淹れに行きますから、叔父様、お茶を飲んでからお帰りになっては。」賈芸は歩きながら、一方で振り返って言った。「要らない。わたしはまだ用事があるので。」口ではそう言いながら、眼ではあの小間使いの少女がまだその部屋の中に立っているのを見ていた。

 

 かの芸はまっすぐ帰って来た。翌日になって、大門のところまで来ると、ちょうど鳳姐があちらへ挨拶に行くのに出逢い、車に乗ったばかりで、芸がやって来るのが見えたので、車を止めるよう命じ、窓越しに笑って言った。「芸兒、あんたは肝が座ってるのね、わたしの前で謀(がかりごと)をするなんて。道理であなた、わたしにものを贈って、実はあなた、頼みごとがあったのね。昨日あなたの叔父様がようやくわたしにおっしゃって、あなたがあの人にお願いしてるって。」芸は笑って言った。「叔父様にお願いしていること、叔母様、持ち出さないでください。わたしの方ではちょうど後悔しているのです。こういうことだと早くに分かっていたら、わたし、最初から叔母様にお願いに上がります。今回は早く分かったのですが、叔父さんではやれないと誰も予想がつかなかったんです。」鳳姐が笑って言った。「へえ、あんた、あちらではだめだと思って、昨日はわたしを訪ねて来たのかい?」芸が言った。「叔母様はわたしの孝行心を台無しにされています。わたしは別にそんな考えを持ったことはありません。もしそうしたいなら、昨日でもまだ叔母様にお願いしなかったでしょう?今、叔母様が既にお分かりいただいた以上、わたしはもう叔父様とは縁を切り、叔母様にお願いしなければなりません。とにもかくにもわたしを多少なりとも可愛がってやってください。」

 

 鳳姐は冷ややかに笑って言った。「あんたたちは遠回りの道を選んでしまったんだ。さっさとわたしに一声かけてくれていればいいのに。どんなに大事なことでも、こんなにタイミングが遅れてしまうとね。あの庭園にはまだ木や花を植えないといけなくて、わたしはちょうどやってもらう人を考えていたんだよ。早く言ってくれていれば、早く決まっていたんじゃない?」芸は笑って言った。「それなら、明日叔母様がわたしを遣わしてくださいよ。」鳳姐はしばらくして言った。「それはわたしが見たところ、あまり望ましくないわ。来年の正月には花火やランタン、蝋燭が大量に必要になるから、その時にあなたを差し向けるのではどう?」芸は言った。「叔母様、お願いです。先ず今回わたしを差し向けてください。果たして今回うまくいけば、またその時にもわたしを差し向けてください。」鳳姐は笑って言った。「あんたという人は、そんなに長い時間の計略があるのかい!――まあいい。あんたの叔父さんが言ったんでなければ、わたしはあんたの事なんてどうでもいいんだよ。わたしはでも食事を済ませたら出て行くから、あんた、ちょうど正午に銀子を取りにおいで。後日、庭に入って花を植えるんだよ。」そう言うと、人に命じて豪華な車を運転させ、まっすぐ行ってしまった。

 

 芸はうれしくてたまらなかった。綺散斎に来ると、宝玉を訪ねたが、誰知ろう、宝玉は朝一番で北静王府に行ってしまっていた。賈芸はそれでぼおっと正午までそのまま座っていて、鳳姐が帰ってきたか聞きに行った。受け取りを書きに行って割符を受け取り、屋敷の外まで行くと、人に命じて通報すると、鳳姐の下で仕事の事務管理をしている彩明が出て来て、受け取りに基づき中に入り、銀子の量、交付年月を承認し、割符を繋ぎ合わせて確認し、芸に渡した。芸が受け取って見ると、それは今回承認された二百両の銀子であり、心の中でたいへん喜び、後ろを向いて銀庫に行き銀子を受け取り、家に帰ると母親にそのことを告げ、自ずと母子ともに喜んだ。翌日の五更(午前3時から5時)に、芸は先ず倪二を捜して借金を返し、それとは別に五十両の銀子を受け取り、西門を出て園芸の技士の椿家を捜して樹木を買ったが、この話はこれで置く。

 

 さて宝玉はこの日賈芸に会うと、明日彼を訪ねて来たら話をしようと言ったのだが、これは元々富貴な若様の口訣(くけつ)で、どうして心の中で憶えていよう、それゆえきれいさっぱり忘れてしまっていた。この日の夜、北静王府から戻って来て、賈のお婆様や王夫人らにお会いし、大観園の中に戻り、衣服を着替え、ちょうど風呂に入ろうとしている時、――襲人が宝釵に頼まれて組みひもを編みに行った。秋紋、碧痕のふたりは仕事の催促をしに行った。檀雲もまた母親が病気で、次いで出て行った。麝月は現在屋敷の中で病気で寝ていた。それ以外に、何人かきつい肉体労働をし、人の指示に従って作業をする小間使いがいたが、彼女らは仕事が無いと思って、連れだって出て行ってしまっていた。思いがけずこの時間は、宝玉ひとりが部屋に残っていて、あいにく宝玉は茶を飲みたいと思ったのだが、二三回続けざまに呼んでも、ようやく二三人の老婆が部屋に入って来ただけだった。宝玉はそれを見て、急いで手を振って言った。「もういい、もういい。必要ない。」老婆たちは出て行くしかなかった。

 

 宝玉は小間使いたちがいないと分かり、自分で湯茶室へ行って、茶碗を取って、ポットに茶を注ぐしかなかった。すると背後から人の話すのが聞こえた。「若旦那様、手に火傷しますよ。わたしが淹れますので。」そう言いながら、一方で歩いて来て茶碗を受け取った。宝玉はしかし跳び上がる程驚き、尋ねた。「おまえ、どこから来たの?突然やって来て、驚いて跳び上がるところだった。」その小間使いは茶を手渡しながら、一方で笑って言った。「わたし、裏の方にいるんです。たった今奥の部屋の裏門から入って来ました。どうして若旦那様は足音が聞こえなかったのですか。」

 

 宝玉はお茶を飲みながら、一方で子細にこの小間使いの少女の容姿を観察すると、その小間使いは新しくはないが、まだ古くなっていない衣裳を重ね着していて、一方黒くつやつやしたきれいな髪の毛をしており、髻(もとどり)を伸ばしていて、容貌は長い顔立ちで、身体は細くて均整が取れていて、たいへんきれいで垢ぬけていて、おとなしくてしとやかであった。宝玉はそれで笑って尋ねた。「おまえも僕の家に住んでいるの?」その小間使いは笑って答えた。「そうです。」宝玉が言った。「この家にいるのに、僕どうしておまえのこと知らなかったんだろう。」その小間使いはそう聞いて、冷ややかに笑ってひとこと言った。「旦那様がご存じないこともたくさんございます。わたしひとりだけではございませんよ。これまでわたしもお茶をお運びしたりものをお持ちしたりしたことがございません。目の前のひとつのお仕事もやれないのに、どうして顔を覚えられましょう。」宝玉が言った。「おまえはどうして僕の目の前で仕事をしないんだい?」その小間使いは言った。「それは、わたしもお答えするのが難しいですわ。――ただひとつ、若旦那様にお答えしておきます。昨日、芸兒とか言う方が若旦那様を尋ねて来られたのですが、わたしは若旦那様がお暇が無いと思いましたので、茗から芸兒様にお答えいただきました。今日来られたら、思いがけず若旦那様が北府に行かれていたのです。……」

 

 ちょうどここまで話をしていると、秋紋と碧痕がけたけた笑いながら部屋に入って来た。ふたりは一緒に桶の水を提げ、手で衣服をまくり上げ、よろよろしながら桶の水をあたりにこぼしていた。その小間使いはこれを見て急いで出て行ってこれを出迎えた。秋紋と碧痕は、ひとりが「あなたがわたしの服を濡らした」と恨みを言い、ひとりがまた「あなたがわたしの靴を踏みつけた」と言った。ふとひとりの少女が出て来て水を受け取ろうとするのが見えたので、ふたりがそれを見ると、それは他でもなく、小紅であった。ふたりは何れも不思議に思い、桶を下に置くと、急いで部屋に入って見ると、小紅以外に他の召使はおらず、宝玉だけがいたので、心中これはまずいと思った。それでとりあえず行水の準備をして、宝玉が衣服を脱ぐのを待っている間、ふたりは入口を閉めて出てくると、そちらの部屋に行き、小紅を捜すと、彼女に尋ねた。「さっきは部屋の中で何をしていたの?」

 

 

 小紅は言った。「わたし、これまでお部屋の中になんか入ったことはないですわ。わたしの絹のハンカチが見つからなくなったので、奥の方に捜しに行きましたら、思いがけず若旦那様がお茶を飲まれようとして、お姉さま方を呼んだのですが、ひとりもおいでにならなかったので、わたしが急いで入って行って、お茶をお淹れしておりましたら、お姉さま方がお戻りになられたんです。」秋紋は顔をしかめて吐き捨てるように言った。「顔を出す資格もない下っ端がいらぬことをして!若様がおまえに水を持って来るよう言われたら、おまえは他に用事がありますと言って、わたしたちを呼びに行かないとだめでしょ。この機会をとらまえて若様に近づくなんて。ちょっとずつ、上に上がろうとでも思ってるの?まさかわたしたちがおまえに追いつけないとでも思っているの?おまえ、鏡を持ってきて見てごらん。あんたのどこに茶をお届けしたり水をお届けする資格があるんだい。」碧痕が言った。「明日になったらわたしから皆さんに申し上げておくわ。今後、茶や水や何か物をお持ちする時、わたしたちは動かない。ただ襲人様にしてもらうようにと。」秋紋が言った。「そうと決まったら、もうわたしたちはお暇しましょう。襲人様だけこのお部屋にいてもらうようにいたしましょう。」

 

 ふたりはそれぞれ言い合って、ガヤガヤとしていると、ひとりの年寄りの乳母が入って来て、鳳姐からの知らせを伝えた。「明日は人が植木職人を連れて来て、木を植えます。おまえたちは戸締りをいつもよりきっちりして、衣裳やスカートをいい加減に日向に干したり風に当てたりしてはならない。土の山は幕で遮るが、勝手に走り回ってはならない。」秋紋はそれで尋ねた。「明日は誰が植木職人を連れて来て、監督するんですか。」その老婆は言った。「なんでも、後廊上の芸兄さんだそうです。」秋紋と碧痕は共に賈芸のことを知らなかったので、構わず他のことを質問していたが、かの小紅は心の中で、昨日外の書斎で会ったあの人のことだとはっきり分かったのであった。

 

 実はこの小紅の元々の姓は林で、幼名を紅玉といい、「玉」の字が宝玉、黛玉の名と被ってしまうので、彼女の名を「小紅」と改めたのだった。元々栄国府の代々の家僕の家柄であったが、彼女の父親が、今は各地で賈家の田地や家産からの租税回収や修理維持の事務をしていた。この小紅は今年やっと十四歳で、栄国府に入って使い走りを行っていたが、彼女が怡紅院に遣わされると、そこは静かで雅やかであった。思いがけずその後賈家の女兄弟たちや宝玉らが大観園に入って居住することになり、たまたまこの場所で、また宝玉とめぐり逢ったのであった。

 

 この小紅は世の中の事情に疎い小間使いであったが、彼女は元々見目好い容貌を備え、心の中でも上を目指す思いが強かったので、毎回宝玉の前に行く度に、自分をひけらかそうとした。ただ宝玉の身辺にいる侍女たちは、皆てきぱきとしていて、口が達者で、いつも鋭い口調で自身の利益を守るものだから、どこに自分が割り込む隙があるだろうか。思いがけず今日はようやく多少のチャンスがあったが、その後また秋紋らのいじめに遭い、心の中では早くも半ば意気消沈していた。ちょうど良い運気が無いと思っていたところ、ふと年寄りの乳母から賈芸が来られると聞いたので、思わず心が動かされ、悶々とした気持ちで部屋に戻った。ベッドに横になっても、ひそかに思いを巡らせた。何度も繰り返し考えるうち、感情が高ぶって眠れなくなり、焦燥感に駆られた。ふと窓の外から低い声で、「紅兒、おまえのハンカチ、わたしが拾ってここに持ってるよ。」と言うのが聞こえた。小紅はそれを聞くと、急いで出て来て見ると、それは他でもない、正に賈芸であった。小紅は思わずなまめかしい容貌に恥じらいを含め、尋ねた。「若旦那様、どこでハンカチを拾われたの?」すると賈芸は笑って言った。「おまえ、こっちにおいで、おまえに話してあげるよ。」そう言いながら、一方では小紅に近寄り、彼女の衣服を引っ張った。かの小紅は恥ずかしさのあまり、反対を向いて走り出したが、門の敷居のところでつまずいて倒れた。さてそれからどうなったでありましょうか、次回に解説いたします。