馮紫英の宴会に招かれた宝玉。酒宴の余興で参加者がそれぞれ自分が関係する女性のことを詩にして披露します。そこで役者の琪官と仲良くなった宝玉、友情の証にふたりは互いの腰帯を交換します。時は端午節。宮中の元春妃より家族各員に贈り物が届きますが、女兄弟たちの中でなぜか宝釵だけ厚遇され、宝玉と同じものが贈られます。宝玉と黛玉、宝釵の三角関係は、家族も巻き込み、新たな段階に進みます。『紅楼夢』第二十八回をご覧ください。
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蒋玉函は情により(宝玉に)茜香の羅を贈る
薛宝釵は紅麝の串(数珠)を籠(は)めるを羞(は)じる
さて林黛玉は昨夜晴雯が門を開けなかったことで、却って誤解して宝玉の身を疑った。翌日はまたちょうど芒種の花にお別れをする節季に当たり、ちょうど身体の中の怒りがまだ発散されておらず、また行く春に心愁い思い悩み、このため残った花びらを埋めたのであるが、思わず花を思って自ら悲しみ、何度か泣き声を上げ、口をついて詩を何句か詠んだ。ところが思いがけず宝玉が山の斜面の上でこれを聞きつけ、最初は頷き感嘆しただけだったが、次にこの詩の、「わたしが今日花を埋葬すると言うと人に嘲笑されるが、将来わたしが死ぬと誰がわたしを埋葬してくれるのだろう?……やがて春が尽き紅顔であった少年(少女)も老いる。花は枯れ落ち人は死ぬが、何れも知る由も無い。」等の詩句を聞くと、思わず山の斜面の上で慟哭し、胸にかかえた花びらをあたり一面にまき散らした。試みに林黛玉のあでやかな顔、清らかな容貌を思い、それがまた将来(亡くなって)捜し出すことができない時、まさか心が張り裂けんばかりに悲しくないというようなことは無いだろう。既に黛玉が遂に探し出すことができなくなった時、他の人はどうか推察すると、例えば宝釵、香菱、襲人なども、探し出すことができない時が来るだろう。宝釵らが遂に探し出せなくなった時、自分はまた無事に生存しているだろうか。且つ自身がなおどこに居てどこに行くか分からないが、将来その場所、その庭園、その花、その柳は、またどちらの姓に属しているだろうか。――こうして一が二、二が三と、繰り返して追求していくと、本当にこの時この際、この度の悲しみをどう解釈すればいいんだろうか。正に、花の影は左右に身体を離れることはなく、鳥の声はただ耳の東西にあり。
かの黛玉は正に自ら悲しみに暮れていると、ふと山の斜面の上からも悲痛な声が聞こえてきたので、心の中でこう思った。「人々が皆わたしが気が振れたと笑うが、まさかもうひとり気違いがいないとだめなの?」頭を上げて見ると、見えたのは宝玉であったので、黛玉は吐き捨てるように言った。「フン、誰かと思ったら、実はこの冷酷な死に損ない(狠心短命)じゃない――」たった今口をついて「短命」の二文字が出てしまうや、また口を塞ぐと、長くため息をつき、自らそこを抜け出し、行ってしまった。
ここで宝玉は一度悲しみに暮れたのであるが、黛玉が行くを見て、黛玉が宝玉に気づき、避けてそこから離れようとしたと知った。自分でも面白くなくなり、土を振り払うと、山を下りるのにもと来た道をたどり、怡紅院の方に戻った。ちょうど黛玉が前の方を行くのが見えたので、急いでそれに追いつくと、こう言った。「ちょっと待って。僕、君が僕の相手をしてくれないのは分かってる。でも一言だけ言わせて。今から以降、関係を断とう。」黛玉は振り返って見ると宝玉であったので、彼のことを相手にしないでいようと思っていると、彼が「一言だけ言わせて」というのが聞こえたので、それで「言って。」と言った。宝玉は笑って言った。「二言だったら、言ったら君聞いてくれるかな?」黛玉はそう聞くと、向こうを向いて行こうとした。宝玉は彼女の後ろから、ため息をついて言った。「今日こんなことになるんだったら、どうして最初あんなことをしたんだろう?」
黛玉はこう話すのを聞いて、思わず立ち止まると、振り返って言った。「当初はどうだったの?今日はどうなの?」宝玉が言った。「ああ。最初君が来た時、僕が付き添って笑わせてあげなかった?僕が好きなもので、君が欲しいものがあったら、持って行ってもらったし、僕が好きな食べ物で、君も好きだと聞くと、急いで整理してきれいに仕舞うと、君が帰って来るのを待ったよね。同じテーブルで食事をし、同じベッドで休んだ。小間使いたちが思いつかないことでも、僕は君が怒るといけないんで、小間使いたちに代わっていろいろ考えたんだ。僕思うんだけど、君たちとは小さい時から一緒に大きくなって、お互いの親しみであれ情熱であれ、仲睦まじくなることによって、他の人よりすばらしいと気づいたんだ。今は君も年齢を重ねるにつれ、気持ちが疎遠になろうとは、誰が望んだことだろう。僕なんて眼中になく、三日相手にせず四日会わずにいて、却って外様の「宝姉さん」(宝釵)や「鳳姉さん」(鳳姐)を心の中で大切だと思っている。僕には直接の男兄弟や妹がいない――ふたりいるけど、まさか腹違いの兄弟だと、知らないなんてことはないだろう?僕も君と同じでひとつぶだねだから、君と僕の気持ちが同じじゃないかと心配なんだ。――思いがけず僕がいらぬ心配をするなんて、恨みがあっても訴えるところが無いんだ。」そう言いながら、思わず泣き出した。
この時、黛玉は耳の中でこの話を聞いて、眼の中でこの光景を思い浮かべ、心の中ではおおかた思わず気落ちしたのであろう、また思わず涙が滴り落ち、俯(うつむ)いて言葉が出なかった。宝玉はこのような有り様を見て、遂にまた口を開いた。「僕も、自分の今の対応が良くないことは分かっている。でもただ僕がどう良くないことをしたとしても、決して君の目の前で敢えて間違ったことをしたいとは思わない。――少しの間違いであれば、君が僕を教え導き、僕を次回戒めてくれるか、僕を二言三言罵(ののし)り、何回か叩いてくれればいい。僕は何とも思わないよ。思いがけず君がずっと僕を無視して、僕にその訳が分かるようにしてくれなかったら、僕心の中が不安になって、どうしたら良いか分からなくなるよ。それで死んだら、「不当な仕打ちを受けた亡霊」だね。たとえ偉い坊さんや道士に懺悔してもらっても、生まれ変わることができない。やっぱり君に理由を説明してもらってはじめて、輪廻を託することができるよ。」
黛玉はこの話を聞いて、思わず昨夜のことは遥か彼方に忘れてしまい、こう言った。「あなたがそうおっしゃるなら、どうしてわたしがあなたの家に行ったのに、あなたは小間使いに門を開けるなとおっしゃったの。」宝玉は不思議に思って言った。「そんな話、どこから出てきたんだ?僕がそんなことをしたんなら、今すぐ死んでやるよ。」黛玉は吐き捨てるように言った。「朝っぱらから「死ぬ」の「生きる」のって、そんな不吉なこと言わないで。あなたがそうしたなら事実だし、そうしなかったなら無かったことだから、ちゃんと誓ってよ。」宝玉が言った。「本当に君を見なかったんだ。宝姉さんがしばらく座って、出て来たんだから。」
黛玉はちょっと考えて、笑って言った。「分かったわ。きっと小間使いの女たちが疲れて動きたくなかったのね。むかっ腹を立てて口汚いのも、いるかもしれないわ。」宝玉が言った。「きっとそれが原因なんだろう。僕帰ったら誰がやったのか聞いて、あの子たちにちょっと説教してやるよ。」黛玉が言った。「あなたのとこのあの娘たちにも、説教してやるべきだわ。ただ理屈から言うとわたしが話すべきじゃないわね。――今回はわたしの些細な事で恨みを買うことになったけど、もし今度「宝お嬢さん」(宝釵)や「貝お嬢さん」(宝玉の玉は「宝貝」(宝物)なので貝とし、宝釵と宝玉の関係をあげつらっている)の件でも機嫌を損ねることがあったら、大事になるわよ。」そう言うと、口をすぼめて笑った。宝玉はそれを聞いて、歯ぎしりし、そしてまた笑った。
ふたりがちょうど話していると、小間使いが来て食事に来るように言ったので、一緒に母屋の方にやって来た。王夫人は黛玉の顔を見ると、尋ねて言った。「お嬢ちゃん、あなた、鮑太医(太医は宮廷医のこと)のお薬飲まれて、良くなられた?」黛玉は言った。「飲んでもこんな風ですわ。お婆様が他にわたしに王先生の薬も飲むよう言われました。」宝玉が言った。「お母さまはご存じないのでしょう。林ちゃんは内臓の疾患なんです。生まれつき身体が弱いので、ちょっとした寒気にも耐えられないのです。でも煎じ薬を二服飲めば、寒気を発散させることができるんです。また丸薬を飲んでもいいです。」王夫人が言った。「前に先生が丸薬の名前を言われたけど、忘れてしまったわ。」

宝玉が言った。「僕その丸薬知っていますが、黛玉に飲ませたのは、何とか人参養栄丸と言ったはずですが。」王夫人が言った。「違うわ。」宝玉がまた言った。「八珍益母丸だったかな?左帰、それとも右帰?――さもなければ八味地黄丸だったかな?」王夫人が言った。「皆違うわ。わたし、「金剛」の二文字があったのを憶えているんだけど。」宝玉は手をたたいて笑って言った。「これまで何とか「金剛丸」なんて聞いたことないよ。もし「金剛丸」があるなら、当然「菩薩散」があるはずだよ。」そう言うと、部屋中の人が皆笑った。 宝釵が口をすぼめて笑って言った。「ひょっとして、天王補心丹じゃないですか。」王夫人が笑って言った。「ええ、その名前よ。もうわたしもぼけちゃったわね。」宝玉が言った。「お母さまは決してぼけていませんよ。皆「金剛」と「菩薩」がそうさせたんですよ。」王夫人が言った。「恥ずかしげもなく、でたらめを言って。またお父様に殴られますよ。」宝玉は笑って言った。「お父様はもうこのことでは僕を殴らないよ。」
王夫人はまた言った。「名前が分かったからには、明日誰かに買って来させて飲むわ。」宝玉が言った。「こうした薬は役に立たないですよ。お母さまが僕に三百六十両の銀子をくださったら、僕林ちゃんに代わって丸薬の材料を用意すれば、一服飲めば良くなること請け合いですよ。」王夫人が言った。「ばか言いなさんな。どんな薬がこんなに高いものですか。」宝玉は笑って言った。「実を言うとね。僕のこの処方は他のものとは違うんだ。その薬の名前も変わっていて、一言では説明しきれないんだ。ただ健康な人の胎盤、人型の葉っぱの付いた人参だけでも、三百六十両では足りない。亀、ツルドクダミ、樹齢千年の松の根に寄生する茯苓(ぶくりょう。サルノコシカケ科の菌類)と豚の胆汁、――こうした薬は、決して珍しいものではなく、様々な薬のひとつとして認められているのです。かの皇帝陛下用のお薬ときたら、聞いてみるとびっくりしますよ。以前薛兄さんが僕に求めてきて一二年して、僕はやっとこの処方を兄さんにお渡ししました。兄さんは処方を持って行って、また二三年いろいろ尋ね、千両以上の銀子を使って、ようやく処方ができました。お母さま、信じられないなら、宝姉さんに聞いてみてください。」
宝釵はそれを聞いて、笑いながら手を横に振って言った。「わたし知らないし、聞いたこともないです。あなた、叔母様にわたしに聞けなんて言わないで。」王夫人は笑って言った。「やっぱり宝ちゃんは良い子だ。嘘を付かないから。」宝玉はその場に立っていたが、このように言われるのを聞いて、振り向いて手のひらを一回叩くと、こう言った。「僕が言ったのは、でも本当の話なのに、嘘を付いただなんて言うんだから。」口でそう言いながら、ふと振り返って見ると、林黛玉が宝釵の後ろに座り、口をすぼめて笑いながら、指で顔の上に丸を描いて恥ずかしさを表しているのが見えた。
鳳姐は奥の部屋で、人がテーブルを並べるのを見ていたが、このように話しているのを聞いたので、出て来て笑って言った。「宝ちゃんは嘘を付いていませんよ。この薬は本当にあるんです。以前、薛旦那様が自らうちに来て、真珠があるか尋ねられたので、わたしはあの方に「何に使う」のか尋ねました。彼は「薬を処方」するんだと言われました。彼はまた恨みがましくこう言いました。「処方しなくてもいいんだ。こんな面倒なこと、どこで教えてもらったんだろう。」それで「何の薬なの?」と尋ねると、宝ちゃんが教えた処方で、どれだけの薬ができるか言われたけど、わたしも憶えていないです。彼はまた言いました。「違うんだ、俺、何粒か真珠を買おうと思うんだが、ただ頭に付けていたものが要るんで、それで何粒かもらえないか尋ねに来たんだ。もしバラの珠花(真珠の象嵌をした首飾り)が無いなら、頭に付けているのを外してくれても構わない。」わたしは仕方がないんで、珠花を二本その場で外して、あの人に渡しました。――それと三尺(1尺は0.33メートル)の長さの、ちょうど使っていた真っ赤な紗(薄手の絹織物)の布が要ると言われ、これで乳鉢を持って粉を磨るのに使うとのことでした。」
鳳姐が一言言うと、宝玉がお経を一節唱えた。鳳姐が言い終わると、宝玉がまた言った。「お母さま、どう思われますか。これもでもやむを得ないんです。正式な処方に依るなら、この真珠や宝石は昔のお墓の中から捜して来ないといけないんです。こうした古代の富貴な家の納棺された服装の上から取ってきたもこそ良いのです。でも今どこで墓を掘ろうと言うんですか?だから生きた人が身に着けているものを使うしかないんです。」王夫人はそれを聞いて言った。「南無阿弥陀仏。罪作りな、してはいけないことよ。お墓の中で、人様が死んで数百年して、今になって死体がひっくり返されて、こうして薬を作っても、効き目なんて無いわ。」
宝玉はそれで黛玉に向かって言った。「君、聞こえたかい? まさか鳳姉さんまで僕と一緒に嘘をついたと言うんじゃないだろう?」顔は黛玉の方を向きつつ、眼では宝釵に流し目を送っていた。黛玉はそれで王夫人の身体を引っ張って言った。「叔母様、聞いて。宝お姉様は宝玉の代わりに嘘を繕ったりしないわ。宝玉はただわたしに尋ねたのよ。」王夫人も言った。「宝玉、おまえは妹をいじめるんだろうね。」宝玉は笑って言った。「お母さまはこのわけをご存じないのですよ。宝お姉様は最初、うちに住んでいて、薛兄さんのことは、彼女も知らなかったんです。ましてや今は中に住んでいますよね。当然ますます分からなくなりますよ。林ちゃんはちょうど後ろにいますから、僕が嘘をついたら、僕が恥をかくことになりますよ。」
ちょうど話をしていると、賈のお婆様の部屋付きの小間使いが、宝玉と黛玉に食事をするよう捜しに来た。黛玉も宝玉を呼ばずに、立ち上がると自分の小間使いを連れ、出て行こうとした。その小間使いが言った。「宝若旦那様をお待ちして、一緒に行きましょう。」黛玉が言った。「あの方は食事をされないので、わたしたちとは一緒に行かれないの。わたし、先に行きますわ。」そう言うと、出て行ってしまった。宝玉が言った。「僕今日はやはりお母さまと一緒に食事をします。」王夫人が言った。「まあ、まあ。わたしは今日は精進料理を食べますので、おまえはちゃんとおまえの食事をお食べ。」宝玉が言った。「僕も一緒に精進料理を食べます。」そう言うと、その小間使いを呼んで、「お行き。」と言った。自分はテーブルへ走って行って座った。王夫人は宝釵らに向かって笑って言った。「あなたがたは気にしないで自分たちのものをお食べなさい。あの子は好きにさせるわ。」宝釵はそれで笑って言った。「あなた、ちゃんと行きなさい。食事をしようがしまいが、林ちゃんに付き添って行ってあげて。あの子は気持ちがちょうど落ち着いていないから。何を悩んでいるのかしら。」宝玉が言った。「あの子の相手は、しばらくしたら機嫌が直るよ。」
しばらくして食事を済ますと、宝玉はひとつには賈のお婆様が心配するのを恐れ、ふたつには黛玉のことも心配なので、急いで茶を持って来させて口を漱(すす)いだ。探春、惜春は皆笑って言った。「宝兄さん、あなたは一日中家で何を忙しくしているの?食事やお茶もこんなにばたばたせわしなくして。」宝釵は笑って言った。「あなた、宝兄さんに早く食事を済ませて、黛玉ちゃんを見に行かせて。宝兄さんったらここで何をぶつぶつ言っているのかしら。」
宝玉は茶を飲むと、出て行き、まっすぐ西院の方にやって来ると、ちょうど鳳姐の住まいの前まで来ると、鳳姐が門の前に立ち、門の敷居を踏みながら、耳かきの尖った方で歯をほじくり、十人ほどの小者たちが植木鉢を動かすのを見ていた。宝玉が来たのを見て、笑って言った。「あなた、ちょうどいいところに来たわ。入って、入って。わたしの代わりに字を書いてちょうだい。」宝玉は後ろに付いて入るしかなく、部屋に着くと、鳳姐は人に命じて筆、硯、紙を取って来させ、宝玉に言った。「真っ赤な装いの緞子四十匹、ウワバミの刺繍の緞子四十匹、様々な色の皇室御用の紗(薄絹)一百匹、金の首輪四個。」宝玉が言った。「これは何を数えているんですか?帳簿でもないし、贈り物でもないし、どのように書いたらいいんでしょう?」鳳姐が言った。「あなたは構わず書けばいいの。どのみちわたしが自分で分かればいいんだから。」宝玉はそう聞いたので、そのまま書くしかなかった。
鳳姐はそれを受け取ると、一方でにっこり笑って言った。「もう一言あなたに言っておくわ、あなたが同意してくれるかどうか分からないけど。――あなたの部屋に小紅という小間使いがいるでしょう。わたし、あの子を用事を言いつけるのに使いたいの。明日わたしはまたあなたに代わってひとり選んであげるから、あの子を使っていいかしら?」宝玉が言った。「僕の部屋の小間使いは人数が多過ぎるから、姉さんが誰か好みの女の子がいるなら、構わず呼びつけてください。僕に尋ねる必要はないですよ。」鳳姐は笑って言った。「それなら、わたし、あの子を呼んで連れて行くわよ。」宝玉が言った。「構わず連れて行ってください。」そう言うと、出て行こうとした。
鳳姐が言った。「おまえ、戻っておいで。わたしもう一言話があるの。」宝玉が言った。「お婆様がわたしを呼んでおられるので、話があるなら帰って来るまで待ってください。」そう言いながら、賈のお婆様の方に行った。すると皆既に食事を食べ終わっていた。賈のお婆様がそれで尋ねて言った。「お母さまと一緒に何か美味しいものを食べたのかい?」宝玉は笑って言った。「別に何も美味しいものを食べていませんが、でもいつもより一膳多くご飯を食べました。」それで尋ねた。「林ちゃんはどこにいるんですか?」賈のお婆様が言った。「中の部屋にいるよ。」
宝玉が入って行くと、地面の上でひとりの小間使いがアイロンの炭火を吹いているのが見え、オンドルの上ではふたりの小間使いが白い線を入れ、黛玉が腰を曲げてハサミで何かを裁断していた。宝玉は入って行くと、笑って言った。「おや、これは何を作っているの?ご飯を食べたばかりなのに、こんなに首を垂らして、しばらくするとまた頭が痛くなるよ。」黛玉は別に相手にせず、構わずその布を裁断していた。ひとりの小間使いが言った。「この繻子(しゅす)の角のところがまだ良くないです。もっとアイロンを当ててください。」黛玉はハサミを置くと、こう言った。「そうだね、もう少ししたら良くなるわ。」
宝玉はそう聞いて、自らは納得できなかった。宝釵、探春らもやって来て、賈のお婆様とひとしきり話をすると、 宝釵も入って来て尋ねた。「あなた、何をしているの?」林黛玉が裁断をしているのを見て、笑って言った。「益々おできになるようになられたのね。裁断までおできになるの。」黛玉が笑って言った。「これも嘘をついて人の機嫌をとっているだけよ。」 宝釵は笑って言った。「あなたにひとつ笑い話を言ってあげると、さっきのあの薬のことで、わたしが知らないと言ったので、宝兄さんは心の中では受け入れられないでしょうね。」黛玉が言った。「あの人のこと気にしてるの、しばらくすれば機嫌が直るわ。」
宝玉が宝釵に言った。「お婆様が麻雀のパイを拭きたいのに、ちょうど人がいないので、君、パイを拭きに行きなよ。」宝釵はそう聞いたので、笑って言った。「わたしは麻雀のパイを拭きにここに来たの?」そう言うと、行ってしまった。黛玉が言った。「あなたもお行きなさいよ。ここには虎がいて、あなたを食べようとしているわよ。」そう言うと、また裁断を始めた。宝玉は黛玉が相手にしてくれないのを見て、またお追従笑いをしてこう言うしかなかった。「君も散歩に行こうよ。それからまた裁断しても遅くないよ。」黛玉は全く相手にしなかった。宝玉はそれで小間使いの女たちに尋ねた。「これは誰が黛玉に裁断するよう言ったの?」黛玉は女たちに尋ねるのを見て、こう言った。「この人が誰がわたしに裁断するよう言ったのか尋ねても、相手にしないでね。」宝玉が何か言おうとしていると、人が入って来てこう告げた。「外で人があなたを迎えに来られています。」宝玉はそう聞くと、急いで退いて出て行った。黛玉は外に向けこう言った。「南無阿弥陀仏。あなたが戻って来た時には、わたし死んでいるかもしれないわ。」
宝玉が外に出て来ると、焙茗がこう言うのが見えた。「馮旦那様のお宅からお招きでございます。」宝玉はそう聞いて、昨日の話を思い出し(第二十六回で、薛蟠の誕生日に呼ばれた馮紫英が、その日は急な用事があって酒を飲めなかったので、別途宴席を設けて皆を招待する約束をしたこと)、それで言った。「服を取りに行って。」そう言って、自らは書斎の方に行った。
焙茗はまっすぐ二の門の前に行って人を待っていたが、ひとりの老婆が出て来ただけだったので、焙茗は近づいて言った。「宝若旦那様が書斎で外出用の衣服をお待ちなんだ。お婆さん、中に言伝の手紙を持って行ってくれない?」その老婆は吐き捨てるように言った。「フン、何様のつもりだい。宝玉は今は大観園の中に住んでいて、あの人の召使は皆その中に住んでいるんだ。おまえさんはまたわざわざここまで手紙を持って走ってきたのかい。」焙茗はそう聞いて、笑って言った。「怒鳴られるのももっともだ、俺もぼんやりしていた。」そう言うと、まっすぐ東側の二の門の前まで来ると、ちょうど門のところで子供の召使が通路の下でボールを蹴っていたので、焙茗は経緯(いきさつ)を説明すると、ひとりの子供の召使が走って中に入って行き、しばらくして、ようやく風呂敷包みを抱えて出て来て、焙茗に手渡したので、書斎に戻った。
宝玉は服を着替えると、人に言って馬を準備させ、焙茗、鋤藥、双瑞、寿兒の四人の子供の召使だけを連れて出発した。まっすぐ馮紫英の屋敷の門に着くと、人が馮紫英に報告に行き、出て来て出迎え、中に入った。すると薛蟠がとっくにそこでしばらく待っていて、またたくさんの歌歌いの子供の召使たち、また娘役の歌を歌う役者の蒋玉函、錦香院の妓女の雲兒がいた。皆は挨拶を交わすと、お茶を飲んだ。
宝玉は茶碗を上に持ち上げると、笑って言った。「前回話していた「幸福と不幸」のことが、僕昼も夜も気になって、今日はお呼びと聞くや否や、駆けつけました。」馮紫英は笑って言った。「あなたがた叔父甥のおふたりはどちらも誠実な方だ。前はわたしの挨拶に過ぎなかったのに、誠意を籠めてあなたがたは乾杯をしてくださった。おそらく口実として、そう言われたのでしょう。信じようが本当であろうが、どちらでもいいんです。」そう言うと、皆で大笑いした。その後酒杯が並べられ、順番に席に着いた。馮紫英は先に歌歌いの子供の召使に言って酒を持って来させ、その後雲兒を呼び、客に三杯酒を勧めさせた。
かの薛蟠は三杯の酒が腹に収まると、思わず我を忘れ、雲兒の手を引くと、笑って言った。「おまえ、あの心に染みる目新しい曲を歌って俺に聞かせておくれ。俺は酒を甕一杯飲むから。いいだろう?」雲兒はそう聞いて、やむなく琵琶を取って、こう歌った。

恋するふたりは、お互い相手を捨てることなどできない。おまえのことを思っていると、また彼のことが気にかかる。ふたりの容貌はたいへん優れていたが、ことばや絵筆でそれを描写するのは難しい。昨晩、密会はこっそり野ばらの棚で行われた。ひとりは密通し、ひとりはそれを暴き立て、原告、被告、証人の三者の対峙になると、わたしも返答のしようがない。
歌い終わると、笑って言った。「あんた、甕に一杯酒を飲んでしまいなさい。」薛蟠はそう聞いて、笑って言った。「甕一杯飲む値打ちがないね。もっと他のいい歌を歌えよ。」
宝玉は笑って言った。「僕の言うことを聞いてください。こんなにみだりに酒を飲んだら、すぐ酔っぱらってしまって意味がありません。わたしが先ず大きな酒杯で一杯飲んだら、この酒席の新たなルール(酒令)を出します。守れなかったら、罰として続けて十杯飲み、そのまま席を下りて、人に酒を注ぐことにします。」馮紫英、蒋玉函らは皆言った。「理にかなっていますね。」宝玉は酒杯を持って来ると、一気に飲み干し、言った。「これから、「悲」「愁」「喜」「楽」の四文字を使って「女性」のことを言い(「酒令」)、またその訳を説明しないといけません。言い終わったら、各自の席の前に置かれた杯(さかずき)を挙げて、飲む前に新たな曲を一曲歌い(「酒曲」)、杯の酒を飲み干したら、席の上で皆が畏敬したり感心するもの、――或いは古詩、好敵手、『四書』『五経』成語を披露しなければなりません(「酒底」)。」
薛蟠は言い終わらないうちに、先に立ち上がると、言葉を遮って言った。「俺は乗らない。俺のことは無視してくれ。これはつまり俺のことを弄んでいるんだろう。」雲兒も立ち上がり、薛蟠を促して座らせ、笑って言った。「何を心配されているの?これもあなたが毎日酒ばかり飲んでる罰よ。まさかわたしにも敵わないの?わたし、後でまた言ったでしょ。正しいなら、それでいい。違っていたら、罰に何杯か酒を飲むだけのことで、酔っぱらっても死にはしないわ。あなたは今日は無茶な酒令(酒の席の遊びで、負けると酒を飲ませる)で、結局大きな杯で十杯も酒を飲まされたけど、席を下りてお酌をするんじゃだめなの?」周りの人々は皆手を打って言った。「その通り。」薛蟠はそう聞いてどうしようもなく、座っているしかなかった。すると宝玉がこう言うのが聞こえてきた。「女の悲しみは、若い美空で既に大いに空の閨房を守ること。女の愁いは、夫に辺境の守備に従軍させ、軍功を上げ諸侯に封じられるよう目指したことへの後悔。女の喜びは、鏡に映った朝お化粧をした自分の顔の美しさ。女の楽しみは、ブランコに揺れる春のブラウスの薄さ。(薛宝釵のことを言っている。)」
人々はそれを聞いて、皆「すばらしい」と言った。薛蟠はひとり顔を上げ、首を振って言った。「良くない、罰しないといけない。」人々は尋ねた。「どうして罰しないといけないんですか?」薛蟠が言った。「あいつが言っていることがわたしは全く理解できない。どうして罰しちゃいけないんだ?」雲兒はそれで薛蟠をギュッとつねって、笑って言った。「あなた、こっそり自分のことを考えてみて。あなたの番になって言えなかったら、また罰せられますよ。」そして琵琶を手に取り、宝玉が歌うのを聞いた。
相思う男女の思いは、血や涙が小豆(紅豆)を撒いたようにぽたぽた垂れて尽きず、春の柳や春の花が画楼の前で咲いてもなかなか満開にはならないかのようだ。風雨の中の黄昏時、紗を貼った窓の中で、わたしは熟睡できずにいる。それは古い愁いが忘れられないのに、新たな愁いが加わるから。珍しい料理も喉を通らない。菱花の鏡(古代の銅鏡)に映しても、自分の(憔悴し)やせ衰えた姿を見ることができない。気が晴れず眉間を広げることができない。眠れぬ夜は長く、夜はなかなか明けぬ。ああ、あの遮ることのできぬ青山のように連綿と続き、永遠に止まることのない渓流の緑の水のように絶えることがない。(林黛玉への愛情と、薛宝釵と結婚したことへの心の揺れを歌っている)
歌い終わると、皆一斉に喝采を叫んだが、ひとり薛蟠は「拍子(テンポ)が無い」と言った。宝玉は自分の席の前の杯の酒を飲むと、切った梨を一切れつまむと、「雨は梨の花を打ち、深く門を閉ざす」(明代の唐寅の詩『一剪梅・雨打梨花深閉門』の最初の一節。薛宝釵のこと)と言い、酒令を完了させた。
次は馮紫英の番で、こう言った。「女の喜びは、初めて妊娠して双子が生まれること。女子の楽しみは、ひとり庭でコオロギを捜すこと。女の悲しみは、夫が伝染病に罹って危篤であること。女の愁いは、大風で女が暮らす建物が倒壊したこと。」言い終わると、酒杯をまっすぐ掲げると、こう歌った。
あなたはわたしの愛すべき人。あなたは情多き人。あなたは悪賢く機転の利く人だ。――あなたは仙人のようだけど役に立たない。わたしが言うことをあなたは全く信用してくれないが、ただあなたが陰でこっそり詳しく聞いてくれれば、わたしがあなたを愛しているかどうか分かるだろう。
歌い終わると、席の前の杯の酒を飲み、こう言った。「鶏の声が鳴り響き、茅葺屋根の旅籠に月が見える。」(唐・温庭筠の詩『商山早行』の一節)酒令が終わり、次は雲兒の番であった。
雲兒はそれでこう言った。「女の悲しみは、将来終身誰に頼るか?――」薛蟠が笑って言った。「おまえにはこの薛旦那様がいるのに、おまえ何を心配するんだ?」周りの人々が言った。「こんな奴を相手にするな。」雲兒がまた言った。「女の愁いは、母さんが叱るのがいつになったら終わるのか?――」薛蟠が言った。「前に俺があんたの母さんに会った時に、彼女に言いつけて、あんたを叱るなと言ったよ。」周りの人々が言った。「これ以上口を挟んだら、罰として酒十杯。」薛蟠は急いで自分で自分の頬にビンタを食らわして、言った。「忘れっぽくてね。さっき注意されたことも忘れてしまったんだ。」雲兒がまた言った。「女の喜びは、愛しい人がわたしを捨てずにまだ家に居てくれること。女の楽しみは、簫の演奏を止めて、琴をつま弾くこと。」言い終わると、次のように歌った。
ビャクズク(豆蔻花)の花(「豆蔻年華」で十三四歳の少女を表す。豆蔻花の花弁の構造は特殊で、花弁が閉じると、外から力を加えないと開かない。)は三月三日の上巳の節句に咲き、一匹の虫が花の中に入って受粉しようとした。(虫と花が「鑽」(穴を開ける)、「開」することで、男女の営みを連想させる)しばらく雌蕊まで潜り込もうとしたが、潜り込めず、花の上まで這い上がって、ブランコを漕いだ。わたしは(男女の営みを)求めていないのに、あなたはどうして入れようとするの?
歌い終わると、席の前の酒杯を飲み、言った。「桃の夭夭(ようよう)たる。」(『詩経』の一節)酒令が終わり、次は薛蟠の番となった。
薛蟠は言った。「俺、でも言わないといけないな。女の悲しみは――」言ってしばらく経ったが、続きが出て来なかった。馮紫英が笑って言った。「何が悲しいの?早く言えよ。」薛蟠はすぐさま焦った眼が鈴のようになり、そして言った。「女の悲しみは――」また二度咳ばらいをし、それからようやく言った。「女の悲しみは、嫁いだ男が「烏亀」(インポ)だった。」周りの人々はそれを聞いて大笑いになった。薛蟠が言った。「何を笑うんだ?まさか俺が言ったのが間違っているか?ひとりの女が男に嫁いだが、「要做忘八」(忘八は烏亀 とほぼ同じ意味。インポだったので他の男に寝取られてしまった)のが、どうして悲しくないんだ?」周りの人々は可笑しさの余り、身体をのけぞらしながら言った。「あなたが言うのはもっともだ。早く続きを言ってくれ。」薛蟠は眼をカッと見開きながら、また口を開いた。「女の愁いは――」ここまで言って、また言葉が止まってしまった。周りの人々が言った。「どのように憂えるんだ?」薛蟠が言った。「女の閨房から大きな猿が慌てて逃げ出して来た。」周りの人々はハハッと大笑いして言った。「罰しないとだめだ。さっきのはまだ許せるが、この文句は尚更筋が通らないぞ。」そう言うと、酒を注がせようとした。宝玉は言った。「押韻はちゃんと踏んでいますよ。」薛蟠が言った。「酒令のきまりは皆守っているよ。おまえら何をごたごた騒いでいるんだ。」周りの人々はそう聞いて、ようやく収まった。
雲兒が笑って言った。「下の二句は益々言うのが難しくなったでしょう。わたしが代わりに言ってあげるわ。」薛蟠は言った。「でたらめ言うな。本当に俺は良いところが無いか?俺の言うのを聞いてくれ。女の喜びは、新婚初夜の閨房で、快楽の余り翌朝の起床が気だるい。」周りの人々はそう聞いて、皆怪訝そうに言った。「この句はどうしてこんなに雅(みやび)なんだ?」薛蟠が言った。「女の楽しみは、一本の男根を中に突き刺すこと。」周りの人々はそれを聞いて、皆振り向いて言った。「くそったれ。早く歌わんかい。」薛蟠はそれでこう歌った。「一匹の蚊がフンフンフン……」周りの人々は皆呆気にとられ、ポカンとし、言った。「これは何という曲だ?」薛蟠が更に歌った。「二匹のハエがウォンウォンウォン……」周りの人々は皆言った。「もういいよ。」薛蟠が言った。「この曲はどうだい?――これは目新しい曲で、哼哼韻と言って、君たちはいい加減に聞いてくれればいい。酒底も免除してくれ、俺は歌わないよ。」人々は皆言った。「もういいよ、それより他の人の番が遅くならないようにしてくれ。」
そして、蒋玉函が言った。「女の悲しみは、夫が出て行ったきり、戻って来ないこと。女の愁いは、金が無くてキンモクセイの油(女性が髪に付ける油)が買えないこと。女の喜びは、ランプの芯の燃えさしがきれいに二本残るように、夫との夫婦生活がうまくいき、子供に恵まれること。女の楽しみは、夫唱婦随で夫婦仲が良いこと。」言い終わると、こう歌った。
喜ばしいことに、おまえは生まれつき淑やかで美しく、ちょうど生きた神様が天空を離れ俗界に下りて来たかのようだ。正に青春真っ盛り、鸞鳥と鳳凰がつがいになり、真にお似合いだ。ああ。銀河が天空高く懸かるのを仰ぎ見れば、城楼からは時を告げる太鼓の音が聞こえてくる。銀の燭台を掲げ、一緒に夫婦の寝台に静かに入る。
歌い終わると、席の前の酒杯を飲み、笑って言った。「この詩の文句について、わたしの理解は限られていますが、幸い昨日とある対聯を見て、この句だけ覚えました。ちょうどこの酒席でこれを披露できました。」そう言うと、酒を飲み干し、モクレンの花を一輪持ち、こう詠んだ。「花の気が人を襲い、昼暖かきを知る」(「花気襲人知昼暖」南宋・陸游『村居書喜』。蒋玉函が襲人と夫婦になることを暗示している)。
周りの人々は皆納得し、酒令が完了した。薛蟠がまた跳び上がってガヤガヤ騒ぎ立てた。「ひどいもんだ。罰しないといけない。この酒席にはお宝が無いのに、おまえどうしてお宝のことを言うんだ?」蒋玉函は急いで言った。「いつお宝なんて言いました?」薛蟠が言った。「おまえはろくでもない奴だな。もう一度詠んでみろ。」蒋玉函は仕方なくもう一度酒底を詠んだ。「この「襲人」はお宝でないなら何だ?――おまえたち、信じないならこいつに聞いてみろ。」そう言うと、宝玉を指さした。宝玉は申し訳なさそうに立ち上がると、言った。「薛兄さん、罰で何杯飲まないといけないですか?」薛蟠が言った。「罰だ、罰だ。」そう言うと、酒を持って来て、ひと息に飲み干した。馮紫英、蒋玉函らは理由が分からなかったが、雲兒が横から説明してくれたので、蒋玉函は急いで立ち上がって罪を謝した。周りの人々は言った。「知らなかったなら、罪にならない。」
しばらくして、宝玉は席を出て手洗いに行き、蒋玉函がそれに付いて出て来たので、ふたりは廊下の軒下に立ち、蒋玉函はまた過ちを謝した。宝玉は彼が姿が艶めかしく物腰が柔らかいのを見て、心の中でとても恋々しく思い、それで強く彼の手を握りしめると、彼にこう言った。「時間があったら、僕のところにおいでよ。それとひとつ君に尋ねたいんだけど、君んとこの劇団に、琪官という役者さんがいて、彼は今名前が天下に鳴り響いているけど、残念ながら僕ひとり縁が無くてまだ見たことがないんだ。」蒋玉函は笑って言った。「それはわたしの幼名なんですよ。」宝玉はそう聞いて、思わず嬉しくなり、足を踏み鳴らして笑って言った。「なんてラッキーなんだ。果たして評判に違(たが)わない。今日初めてお会いするけど、さてどうしたらいいんだろう?」ちょっと考えて、袖の中から扇子を取り出し、玉の玦(けつ。環状で一部が欠けたもの)の扇墜(扇子の房飾り)を外して、琪官に手渡し、言った。「つまらないもので申し訳ないですが、とりあえずこれで、今日のところはわたしたちの誼(よしみ)の証(あかし)としたいのですが。」琪官はそれを受け取り、笑って言った。「まだ何の功も挙げていませんのに、このようなご褒美をいただき、どうしてこれに報いればいいんでしょう?――まあ仕方がないでしょう。わたしの方にもひとつ珍しいものがあります。今朝起きてから締めたばかりで、まだ新(さら)のものです。ひとまずこれでわたしの親しみの気持ちを少しでも表したいと思います。」そう言うと、衣服をまくり上げ、下着を締めていた一本の真っ赤な腰帯(汗巾子)を解(ほど)いて、宝玉に手渡し、言った。「この腰帯は茜香国(架空の国名)の女性の国王が貢献して来たもので、夏にこれを締めると皮膚から良い香りがし、汗で濡れることがありません。昨日北静王がわたしにくださり、今日初めて身に付けました。もし他の人だったら、わたしは断じてお贈りしたりいたしません。旦那様、どうかご自分のされているものを解いて、私に結んでくださいませんか。」
宝玉はそう聞いて、嬉しくてたまらず、急いで受け取ると、自分の松花色(松の葉のような深みのある濃い青緑色)の腰帯を解いて琪官に手渡した。ふたりは各々それをしっかり締めると、一緒に大声で叫んだ。「これでしっかり結ばれた。」すると薛蟠が飛び出して来て、ふたりを引っ張って言った。「酒をほったらかしにして飲まないで、ふたりで宴席を逃げ出して来て、何をしてるんだ?早く取り出して、俺に見せるんだ。」ふたりは言った。「何も無いよ。」薛蟠がどうして納得するだろうか。すると今度は馮紫英が出て来て、それでようやく解放された。彼らはまた席に戻り酒を飲み、夜遅くなってようやくお開きとなった。
宝玉は大観園の中に戻り、上着を脱いでくつろいで茶を飲んだが、襲人が宝玉の扇子の扇墜が無くなっているのに気づき、それで宝玉に尋ねた。「扇墜をどこにやったの?」宝玉が言った。「馬の上で落としたんだ。」襲人もそれ以上何も言わなかった。眠る時になって、宝玉の腰に一本の血が付いたような真っ赤な汗巾子(腰帯)が締められていたので、八九分方それと察し、それで言った。「あなた、良いものでズボンを縛っているわね。わたしのあの腰帯を返してくださらない?」宝玉はそれを聞いて、ようやくあの腰帯のことを思い出した。元々襲人のもので、他人に与えるべきではなかったのだ。心の中で後悔したが、口に出して言うことができず、ただ笑ってこう言うしかなかった。「僕、おまえに一本弁償するよ。」襲人はそう聞いて、頷き、ため息をついて言った。「わたし、あなたがまたこんなことをしてしまったのが分かったわ。でも、わたしのものをああしたろくでなしにあげてほしくないわ。あなたの心の中で、予め計算ができないのも困ったものだわ。――」まだ言い足りなかったが、また宝玉が酒を飲まされ酔っぱらっていたので、そのまま寝かさないといけなかった。その晩は特に何も無かった。
翌日は空が明るくなってからようやく目覚め、宝玉はと見ると、笑って言った。「夜中に失くしたのか盗まれたのかも分からない。おまえ、ズボンの上を見てくれるか。」襲人は頭を下げて見てみたが、昨日宝玉が締めていたあの腰帯が、自分の腰に締められていたので、宝玉が夜中に交換したのが分かり、急いで一度解いて外すと、言った。「わたし、こんなもの欲しくないわ。早く持って行ってちょうだい。」宝玉は襲人のこのような剣幕を見て、一度穏やかになだめるしかなかった。襲人は仕方なく、しばらくそのまま締めていたが、その後宝玉が出て行くと、遂にそれを解いて、空の箱の中に放り込んでしまった。自分はまた他の腰帯を締めた。
宝玉は別段そのことで言い争いもしなかった。それから尋ねた。「昨日は何か無かったの?」襲人はそれで答えて言った。「若奥様が人を遣わして小紅を呼びに来られました。あの子は元々あなたが帰って来られるのを待っていたのですが、わたしが何も急ぎの用事が無いと思ったので、わたしが差配して、彼女をあちらに行かせました。」宝玉が言った。「それでいいよ。僕もそのことはもう知っていたから、僕を待つ必要は無かったんだ。」襲人がまた言った。「昨日は貴妃殿下(賈元春)が宦官の夏様を遣わして来られ、百二十両の銀子を贈られ、清虚観で一日から三日まで三日間の平安醮の祈祷をさせ、歌や芝居を奉納させ、珍旦那様にお屋敷の旦那様方を率いさせ、跪いてお線香を上げ仏さまをお参りさせるよう言いつけられました。また端午節の贈り物も下さりました。」そう言うと、子供の小間使いに命じて、昨日賜ったものを取って来させた。それは以外にも上等な宮扇二本、紅麝香の数珠が二串、鳳の尾の模様の絹織物二匹、芙蓉の模様の入った簟(竹製の敷物)一枚であった。
宝玉はこれを見て、嬉しくてたまらず、尋ねた。「他の人たちにも同じものが贈られたの?」襲人が言った。「お婆様には香玉の如意がひとつ、瑪瑙の枕がひとつ多く贈られました。旦那様、奥様、お妾様には、香玉の如意がひとつだけ多く贈られました。あなたと宝お嬢様には同じものです。林お嬢様と二女、三女、四女の皆さんには、扇子と数珠がひとつずつだけで、他にはありませんでした。賈珍様の奥様、若奥様(鳳姐)のおふたりには、それぞれ紗二匹、羅二匹、香袋ふたつ、錠剤のお薬(紫金錠という夏バテ防止の薬)二錠が贈られました。」宝玉はそれを聞いて、笑って言った。「これはどうしたことだろうね。どうして林ちゃんのものが僕と違うんだろう?それなのに宝姉さんのものが僕と同じなの?聞き間違えたんじゃないの?」
襲人が言った。「昨日受け取った時に、ひとつひとつ札に書き出していますから、どうして間違うことがありましょう。あなたのものは、お婆様の部屋で、わたしが行って受け取って来ました。お婆様はこう言われました。「明日あなたに五更(早朝の三時から五時)に皇宮に行ってもらい、元春妃にお目にかかりお礼を申し上げるように」と。」宝玉が言った。「もちろん行かないといけないよ。」そう言うと、紫鵑を呼んで来た。「これをお宅のお嬢様のところに持って行って、昨日わたしがもらったものですが、好きなものがあったらどれでも留め置いてくださいとお伝えしてください。」紫鵑は「はい」と答え、持って行った。しばらくして戻って来て言った。「お嬢様がおっしゃいました。昨日わたしもいただきました。旦那様が留め置かれますように、とのことでした。」
宝玉はそう聞いて、人に命じて片付けさせた。顔を洗ってすぐ、賈のお婆様のところにご挨拶に行くと、黛玉が前方からやって来るのが見えたので、宝玉はそれに出くわすと笑って言った。「僕のもらったものから君に好きなものを選び取ってもらおうと思ったのに、どうして取らないの?」黛玉は昨日宝玉のことで思い悩んだが、とっくにそれを捨て置き、今日のことだけ考えていたので、こう言った。「わたしはこんな大きな幸運を得ようなんて、思いもしていません。宝お嬢様とは比べ物にもなりませんわ。何が「金」でどこの「玉」ですか。わたしたちは草木のような人間に過ぎませんわ。」
宝玉は黛玉が「金玉」の二文字を挙げたので、思わず心の中で不思議の思い、それで言った。「他の誰かが「金」だとか「玉」だとか言ったのか知らないけど、僕は心の中でこう思っているんだ。悪事を働いたら、天地共に許されず、永世輪廻することができない、とね。」黛玉はこの話を聞いて、心の中で猜疑心が湧き、慌てて笑って言った。「本当にくだらない。意味もなく何の誓いなの?あなたが「金」だろうが「玉」だろうが、誰が関係するの?」宝玉が言った。「僕が心の中で思っていることを君に説明するのは難しいけど、時間が経てば自然とはっきりするよ。お婆様、お父様、お母さまの三人を除いて、四番目が君だ。五番目なんていない、ここに誓うよ。」黛玉が言った。「誓う必要なんて無いわ。わたし、よく分かっているの。あなたの心には「妹」(黛玉)がいても、「姉さん」(宝釵)を見ると、「妹」のことを忘れてしまうのよ。」宝玉が言った。「それは君の気の回しすぎだよ。僕は断じてそんなことは無いよ。」黛玉が言った。「昨日は宝姉さんがあなたの嘘の辻褄を合わせなかったのに、あなたはどうしてそれをわたしに尋ねたの?それがもしわたしだったら、あなたはどうするつもりだったの?」
そう話をしていると、ちょうど 宝釵があちらからやって来るのが見えたので、ふたりはそこを離れた。宝釵はそれがはっきり見えたので、気づかぬふりをして、頭を下げて行ってしまった。王夫人のところに着くと、一度腰かけて、それから賈のお婆様のところへ行くと、宝玉もそこに座っていた。

宝釵は、以前に母親が王夫人に「金の鎖はある和尚さんがくださったもので、将来玉を持った方がおられると、その方と婚姻が結ばれるかもしれない」(『紅楼夢』第八回)などと言っていたので、それでいつも宝玉とは距離を置くようにしていた。昨日元春妃から賜ったものを見て、ひとり彼女だけが宝玉と同じであったので、心の中では益々面白くない気持ちになった。幸い宝玉がひとり黛玉に纏わりついていたので、心の中で気にかけつつ、ただ黛玉のことを心配したのであるが、決してこのことで言い争うつもりはなかった。この時ふと宝玉が笑って言った。「宝姉さん、僕にあなたのその良い香りのする数珠をちょっと見せてくれない?」ちょうど宝釵が左腕にその数珠をはめていたので、宝玉が彼女に尋ねたので、それを外して見せざるを得なかった。
宝釵は元々生まれつき皮膚がむっちりと潤いがあり、すぐには外せなかったので、宝玉は傍らで彼女の真っ白な腕を見ながら、思わず羨ましく思い、ひそかにこう思った。「この腕が、もし林ちゃんの身体に付いていたら、ひょっとすると思わずさすっちゃうかもしれないな。残念ながら宝姉さんの身体に付いているから、本当に僕ついてないなあ。」そしてふと「金と玉」の一件を思い出し、それでまた宝釵の容貌を見てみると、顔は銀の盆のよう、眼は瑞々しい杏子のよう。唇は紅を付けなくても丹色を含み、眉は描かなくとも鮮やかな翠を呈していて、黛玉とは違った艶めかしさを備えていた。思わず見惚れてぼんやりとしてしまい、宝釵が数珠を外して宝玉に渡したのに、彼は受け取るのを忘れてしまった。
宝釵は宝玉がぼんやりしているのを見て、自分でも面白くなくなり、立ち上がると数珠を放り投げ、身を翻して出て行こうとしたが、黛玉が門の敷居を踏みながら、口にハンカチをくわえて笑っているのが見えた。宝釵が言った。「あなたは風が吹くのも持ち応えられないくせに、どうしてまたその風の通り道に立っているの?」黛玉は笑って言った。「別に部屋の中にいたわけじゃないわ。ただ天上の声が聞こえたので、出て来て見てみたら、間抜けな雁がいたのよ。」宝釵が言った。「間抜けな雁はどこにいるの?わたしもちょっと見てみましょう。」黛玉が言った。「わたしが今しがた出て来ると、雁は「バタバタ」と音をたてて飛んで行ったわ。」口でそう言いながら、手の中のハンカチを、宝玉の顔目掛けて放り投げ、それがちょうど知らぬ間に宝玉の眼に命中し、「ひゃあっ」と大声を上げた。そのいきさつを知りたい向きには、次回解説いたします。