長明寺・蒔田城跡と、宝性寺(その1)と ~三重県四日市市の史跡・寺院・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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2021年10月下旬の三重県四日市市からの旧東海道散策の続き。

 

富田の一里塚跡」から「三光寺」をお参りし、「三岐鉄道朝明駅跡」から「鏡ヶ池跡」と回った後は、更に旧東海道を歩いて、「長明寺」に向かいました。

た。

 

 

富田の一里塚跡・三光寺・旧三岐朝明駅跡・鏡ヶ池跡のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12835670130.html

 

 

 

 

 

旧東海道桑名方面に歩くと、左手にお寺が見えて来ます。

 

 

 

 

参道を進むと、立派な山門が見えて来て…

こちらが、「長明寺」。

 

 

 

 

塀に沿って、水路が巡っているんですよね。

 

 

 

 

反対側にも…まるで、お城の堀のように…

 

 

 

 

山門の脇には、文化3年の銘のある石碑が!

 

 

 

 

由緒書き「朝明殿 長明寺

浄土真宗本願寺派。創立年代・開基などは不明ですが、寺誌によれば、もと真言宗潮音寺と称し、近郷の豊田村(現三重郡川越町豊田)に字長恩寺があり、この地を当寺の旧地と伝えます。

 

 

 

文明17年(1485)画像本尊を下付されたと言いますから、この頃に真宗に改宗したと思われます。

慶長9年(1604)現在の寺号を公称し、寛永元年(1624)木仏の許可を得て寺院化したようです。

慶安4年(1651)領主松平隠岐守より現在の寺地を賜り、翌年に寺基を写し今日に至っています。

 

境内は、濠と築塀が巡り、参道正面入口に文化3年(1806)に築造された参詣橋が架かり、その奥に昭和初年に建立された山門が建っています。

山門をくぐると、正面中央に、昭和31年(1956)再建された入母屋造の大規模な本堂があります。

山門左脇に建つ鐘楼は寺誌では延宝年間(1673~1680)に建立したと伝えています。

 

 

 

由緒書き「蒔田館(城)

寿永年間(1182~1185)伊勢平氏の一族の平家資が、富田館と同時期にこの地に築城、四方を素掘りの堀で囲み、外堀は南の「鏡ヶ池」までありました。

文字が読みづらくて、すみません…💦

 

 

平氏が1185年に壇ノ浦で滅亡すると、源頼朝と各地の平氏掃討を行い、鎌倉幕府方の大内氏に攻められ、富田館蒔田館ともに落城しました。

その後、この地は後白河院の領地となり、都より守護館として、藤原宗勝が蒔田に居館し、蒔田相模守宗勝と名乗ります。

 

宗勝は深く仏教に帰依し、この地に御堂を建立し、長明寺の基となり、宗勝のお墓は、西富田の三光寺本堂南側にあります。

 

戦国時代になると、蒔田城として萱野城(かようじょう)の春日部氏の一族である春日部家春が城主となりますが、永禄年間、織田信長の北勢侵攻で本家萱生城とともに降伏、帰順しました。

 

 

境内の周りに濠があるのは、城跡の名残なんですね!

 

三光寺」は、先程お参りした寺院。

前回レポしていますが、「蒔田相模守宗勝墓」もお参りしましたね。

 

 

 

 

山門の彫刻がまた見事!

 

 

 

 

山門の扉も!

 

 

 

 

山門前の石橋。

こちらが、文化3年に架けられたものなんですね。

 

 

 

 

山門をくぐり、境内に入って…正面に立派な本堂が見えます。

 

 

 

 

本堂前には、親鸞聖人。

 

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

 

俱会一処。

 

 

 

 

長明寺」のお参りを終え、山門に向かって右手の堀沿いに進みます。

 

 

 

 

堀には、鯉も泳いでいて…

 

 

 

 

堀が折れ曲がっている箇所で振り返って…

境内の周り、塀に沿ってキレイに堀が続いている…なかなか興味深い寺院です♪

 

 

 

 

堀が曲がっている所には、「十一面観世音菩薩」を刻まれた石碑があるんですよね。

寺院のようです。

 

 

 

 

境内に入ると、左手に立派な御堂が!

 

 

 

 

こちらは、「宝性寺」。

伊勢西国三十三所霊場 第二十八番」で、ご本尊は十一面観世音菩薩になるんですね。

 

 

 

 

由緒書き「龍王山 宝性寺

享保4年(1719)の棟札が残っていますが、鬼瓦には文化11年の刻銘があり、現在の本堂は文化11年(1814)頃に建立され、棟札は恐らくそれ以前にあった堂宇のものと考えられています。四日市市指定有形文化財。

 

 

 

本堂は重層で、主屋の規模は三間四方の四周に縁庇を付け、正面に一間向拝を付設した入母屋造・本瓦葺の建物で、向拝周り、内外陣境の細部、彫刻などは派手なもので、建立の時代の好みをよく反映しており、比較的均整の取れた力作で、大工・彫刻師の技量の良さが窺えます。

 

言い伝えによると、天平12年(740)聖武天皇の勅願によって建立されたのが始まりですが、永禄11年(1568)織田信長の家臣滝川一益の伊勢長嶋一機攻略の戦禍に遭い焼失した後、小堂が建立され、正徳元年(1711)再び焼失したと言われています。

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

 

本堂の前にも、由緒書きがありました。

奈良時代聖武天皇が天平12年(740)朝明行宮の際、摩伊多(蒔田)の里に御野立された地で勅願により建立されたのが、当寺の創建とされ、創建当時は敷地8,500坪に七堂伽藍(塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧房、食堂)の荘厳な御堂が建ち並んでいたと伝えられます。

 

 

 

本尊として、江州(滋賀県)石山寺を開基した良弁僧正による一刀三礼の彫刻になる十一面観世音菩薩像を安置して祀り、長く隆盛をみました。

 

享保4年(1719)6代桑名藩主松平忠雅公の寄進により再興されたのが、現在の本堂で、ご本尊とともに「蒔田観音」と愛称され、今日まで広く信仰されています。

 

 

 

本堂の中の様子。

 

 

 

 

本堂の横には、阿弥陀堂があって…

 

 

 

 

阿弥陀堂の中の様子。

 

 

 

 

本堂を、今一度…

 

 

 

 

その2」に続く。

 

 

 

 

長明寺・蒔田城跡

三重県四日市市蒔田2-13-29

 

 

宝性寺・御厨神明神社

三重県四日市市蒔田2-12-26

 

 

 

 

 

 

 

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