富田の一里塚跡と、三光寺と、旧三岐朝明駅跡と、鏡ヶ池跡と ~三重県四日市市の史跡・寺院・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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2021年10月下旬の三重県四日市市からの旧東海道散策の続き。

 

旧東海道沿いにある「明治天皇御駐輦跡碑」を見学し、「八幡神社」をお参りした後は、旧東海道を更に歩いて、「富田の一里塚跡」に向かいました。

た。

 

 

明治天皇御駐輦跡碑・八幡神社のレポ

 

 

 

 

 

旧東海道桑名方面に歩きます。

 

 

 

 

しばらく進むと、左手に、石碑が見えて来て…

 

 

 

 

その石碑には、「史蹟 冨田の一里塚阯」とあります。

 

 

 

 

由緒書き「史跡 富田の一里塚跡

昔、街道の両側に一里(約4㎞)毎に土を盛り上げ、榎等の樹木を植えて旅人を植えて旅人の目印にしたものが一里塚で、既に戦国末期に存在していましたが、江戸の初め頃から江戸日本橋を起点にして五街道を中心に設けられていました。

 

 

 

明治以降は、交通機関等の発達によりほとんどが取り除かれてしまい、四日市市においても、その面影を見ることができなくなりました。

古地図や文献によると、四日市には、富田三ツ谷日永采女の四ヶ所にその跡が判明されており、日永の一里塚跡とともに三重県の史跡に指定されています。

 

 

面影がないのは寂しいですが、街中ですから仕方ないですね…

 

 

 

富田の一里塚跡」のすぐ傍に、橋が架かっていて…

 

 

 

 

こちらの橋は、「一里塚橋」。まさにその通り!笑

 

 

 

 

一里塚橋の下には、細い水路があって…

写真奥には、近鉄電車が♪

 

 

 

 

旧東海道を進んで、近鉄名古屋線の鉄橋をくぐります。

 

 

 

 

その先には、もう1つ鉄橋が…こちらは、三岐鉄道三岐線

三岐鉄道はまだ乗ったことがないので、一度乗ってみたいな、と思っています(^^)

 

 

 

 

 

旧東海道を更に進んで行くと、左手に、お寺があります。

 

 

 

 

こちらは、「三光寺」。

 

 

 

 

山門をくぐって、鐘楼。

 

 

 

 

梵鐘をアップで…

 

 

 

 

本堂。

 

 

 

 

由緒書き「木下山 三光寺

浄土真宗本願寺派の寺院。山号を木下山と称し、平安時代末期、時の後鳥羽院守護職としてこの地を治めた蒔田相模守宗勝の墓碑がある寺院として知られています。

 

 

 

承久3年(1221)法名を祐善と号した宗勝が示寂し、時の富田郷木下にあった江戸報徳時(真言宗)の分地に埋葬されました。

子々孫々その母体を弔い、11代正了の折、真宗8代門主蓮如上人の教理に触れ、一宇の坊舎を建立したのが、開基と伝えられています。

 

慶長11年(1606)長福寺の寺名をもって本願寺の末寺に列し現在地に寺院を建立されましたが、寺名が幕府に忌避され、享保2年(1717)三光寺と改名され、翌年に寺院御堂が建立。

安政大地震にうおち破壊され、明治20年(1887)に再建されましたが、昭和37年(1962)火災により焼失。現在の堂宇が昭和47年に建立されたものです。

 

 

 

境内の一角には、墓石が3基並んでいる場所があって…

 

 

 

 

その中央に、「蒔田相模守宗勝墓」とあります。

こちらが、先程の由緒書きにある、蒔田宗勝の墓になるんですね。

 

 

 

親鸞聖人像。

 

 

 

 

 

三光寺」から、旧東海道を更に進みます。

すると、JR関西本線の踏切と、三岐鉄道の鉄橋が見えて来て…

 

 

 

 

この鉄橋付近には、三岐鉄道の三岐朝明駅があったということなんですが…

 

 

 

 

それらしい構造物が残っているような…

 

 

 

 

法面は、流石に登れませんでした…

 

 

 

 

三岐鉄道の鉄橋をくぐり、一つ目の四つ角は、八風道、八風街道との交差点とのことですが…四つ角の左手、西の方向を眺めて…

 

 

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八風街道(はっぷうかいどう)とは、伊勢国桑名藩領朝明郡富田六郷富田一色(現在の三重県四日市市)から鈴鹿山脈の八風峠を越えて近江国神崎郡八日市(現在の滋賀県東近江市)や蒲生郡武佐村(現在の近江八幡市)へと抜ける街道。東海道と中山道の短絡路であり、また伊勢湾および伊勢平野と琵琶湖および近江盆地を結ぶ重要街道で、現在の国道421号に相当する。(後略)(ウィキペディア「八風街道」)

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四つ角の右手、東側も…確かに街道らしい雰囲気がありますね。

 

 

 

 

 

更に進むと、蒔田交差点の手前、右手の花壇に史跡案内板を発見。

 

 

 

 

その案内板は、「鏡ヶ池(笠取り池)」。

続日本紀によると、聖武天皇は、天平12年(740)伊勢国を行幸になり、11月に一志郡河口をたち、鈴鹿郡赤坂の頓宮を経て、23日に朝明郡の頓宮に着かれたとあり その場所の所在は不明ですが、当地近辺であり、松原町のもと松原姓を名乗っていた旧家田村氏宅に伝わる話では、聖武天皇が行幸の際に松原を通られると一陣の風が吹き、天皇の笠が池の中に落ち、傍で洗濯をしていた娘がその笠を拾って差し上げたため、これが縁となって天皇はこの田村家に宿を取られたと言います。

 

 

 

明くる朝、旅立ちの日は風もなし、空は真っ青に澄んで、馬上の天皇の姿と、見送る娘の姿とが、鏡のような池の上にともに映えて、一幅の絵を見るような光景になりました。

以来、この池を「鏡ヶ池」とも呼ぶようになったといわれています。

 

 

 

由緒書きの横には、「聖武帝御遺跡 鏡ヶ池」と刻まれた古そうな石碑があって…

 

 

 

 

鏡ヶ池跡」の碑が残る植込みを、桑名方面なら眺めて…

池の名残は、残っていないようです…

 

 

 

 

旧東海道沿いには、昔ながらの建物がまだまだ残っていました。

こちらは蔵のようです。

 

 

 

 

長屋門も!

 

 

 

 

富田の一里塚跡」から「三光寺」をお参りし、「三岐鉄道朝明駅跡」から「鏡ヶ池跡」と回った後は、更に旧東海道を歩いて、「長明寺」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

富田の一里塚跡

三重県四日市市富田3-20

 

 

三光寺

三重県四日市市西富田町1134

 

 

三岐鉄道 三岐朝明駅跡

三重県四日市市西富田町705付近

 

 

鏡ヶ池跡(笠取池跡)

三重県四日市市蒔田1-2

 

 

 

 

 

 

 

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