~参考~
平成→令和/物象化(人間疎外)が更に進行

~内側から腐っていく痛み

(自己否定の先にある「自滅」)

~参考~
〔自殺未遂50万人の衝撃

~4人に1人が「本気で自殺したいと考えた」〕
(2016年9月27日 日経ビジネス)

~参考~

「行動しない罪悪感」⇔「行動する罪悪感」

 不作為後「罪悪感」⇔作為後「罪悪感」

 

~参考~
平成→令和/物象化(人間疎外)が更に進行

~内側から腐っていく痛み(自己否定の先にある「自滅」)

コロナ禍⇒「物象化」(リモート化)強制促進される人類

~(非生命体的)AI化する人類の末路とは?

 

 

 

 

【Discover 】
〔HSPによる罪悪感、イライラの改善方法とは〕
~『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち』

イルセ・サン著をベースに

 

 

 

 

 

~参考~
部分社会・過剰評価制度死角/5人に1人小児敏感気質(HSP)

~異常なのは社会であって彼らではない

 

下劣な現世修羅社会に生まれた

(神によって選ばれた)神の子たちの苦難
~部分社会「過剰評価制度」の死角

/5人に1人小児敏感気質(HSPorHSC)

~本末転倒/

異常なのは

(集団的同調圧力の強すぎる)社会

であって彼らではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考

 

~参考~
部分社会内「過剰評価制度」の死角

~(「自己否定=魂汚す」を誘発させる怖れのある)

奴隷的悪しき因襲

 

~参考~
〔終わりよければ全てよし

~命尽きる極限まで自分(奇跡)を信じることの重要性〕

 

 

部分社会における過剰な評価制度という悪しき因襲
「他人の評価」という幻想

「他人の評価」<「自己の評価」<人格的尊厳

 

自他の客観的位置づけを最低限把握するために
部分社会における最低限の評価制度によって

自分を鼓舞し、未来への活力とすることまでは

否定しないが、

評価制度に異常に固執し、
皮肉にも、
奴隷(束縛)的悪しき拘束される習性は、
終局的には(生きる活力を減衰させるベクトルの)
「自己否定」の最たる魂を汚す愚行ともいえ本末転倒。
更に言えば、「自己評価」ですらも、

度が過ぎると、同趣旨の事が言える。

どのような境遇にいようとも、
(ナルシストという趣旨ではなく)
自己肯定を大前提にした基本思考が
無難に生き抜くためには絶対不可欠である。

如何なる部分社会と言えども、

「評価する側」も

「評価される側」の(最低限の反省の域を超えた)

人格的尊厳を侵害しないように

やむを得ず評価制度を活用する際には

細心の注意が必要である。

如何せん、(評価も含め)「裁く」という行為は、
本質的には神の職責であって

人が人を(評価も含め)裁くべきではない

(裁くことができない)のは

人道的にも、ごく当たり前のことである。
究極的には、法治国家内における

司法に携わる法曹関係者と言えども該当する。

 

【㈱オドック】
〔評価への幻想〕
(2011年8月1日)

 

 

【㈱コーデュケーション】
〔”公正な評価”という幻想〕
(2018年3月20日)

 

 

 

 

 

 

 

~参考~
〔「どうも運が悪い」

~人生全体の鳥観的にも本当にそうなのか?

/人間万事塞翁が馬〕

 

 

       災い転じて福となす

 その逆に、「大吉」を引いて浮かれている奴に限って、

 「慢心の心」から心に隙が生じやすく、

 終局的には取り返しのつかないほどの悲劇を誘発しやすい。

 

【武田邦彦(中部大学教授)】
〔どうも運が悪い〕
(2019年9月15日)

 

 

~参考~
〔終わりよければ全てよし

~命尽きる極限まで自分(奇跡)を信じることの重要性〕

 

 ~参考~
【 ヨブ物語 】(旧約聖書の中の教訓書)

〔映画【レザレクション/復活(1980/米)】

/現代におけるキリストの再臨&奇跡を描く〕

  理解不能な創造主の計画

 

 

 

 

   

『終わりよければ全てよし』

(All's Well That Ends Well)とは

ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲である。

1603年から1604年ごろに書かれたと推測されている。

 

 

 ローマ書8章28~32節

 

 

 

~参考~

〔心の傷の「完治」と「寛解」/ケロイド化した深い心の傷は

「完治」は困難、但し魂の進化による救済〕

~参考~

〔「グリーフ・ワーク」「グリーフ・ケア」

~『心の破壊/心の空虚感』とどう向き合うべきか?〕

〔「自殺したいと考えた」成人4人に1人、増加傾向

/「自殺未遂経験者」約53万人/年(2016)〕

 

 

 

 

参考

 

表現が適切ではないのかもしれないが、

(精神的疾患と対峙する)肉体的疾患というのは、

ガンやケロイド(重度の火傷)等の

病気の経過や病痕に代表されるように、

治癒レベルとしての「完治」と「寛解」は、

表層的には同類としても、

水面下では(特に再発リスクの点で)雲泥の差がある。

(精神的疾患としての)特に心の傷も同趣旨で、

特にトラウマ化するレベルまでいったん到達した深い心の傷は

時間の経過を経て、一時的or長期的には表層レベルでは

「完治」しているように思えても、

何かの偶発的事象で

トラウマ化された記憶が呼び起こされるリスクが

多分に存在する。

ただ、「寛解」レベルまで治癒した方は比較的ましな方で
断続的な苦悩が続いたあげく自殺

(自己の存在そのものの抹消)
という最悪な手段を選択する方も
今日でも少なくない(特に未成年者)。
(薬物療法に限らず)

意識回避的「忘却」「形式的な自己対峙」等
様々な治療法が指摘されるが、
悲しいかな、抜本的治療には繋がっていない。
特に、自己過失よる悲劇よりも、あまりにも理不尽な悲劇に
遭遇した本人or遺族の心の苦しみは
(深い悲しみの感情はもとより)
特に加害者に対する「怒り&憎しみ」の感情を肥大化させた
あげく、収拾不能なレベルにまで達し、
完全な自己崩壊(発狂)か、
(復讐という名の下の)犯罪に手を染めてしまう方も
少なからず見受けられる。

本人の治癒したいという強い意志が
もっとも肝要であることは言うまでもないが、
比較的平穏&幸福な一般人との過度な比較に起因して
嫉妬心&劣等感を強めることが
最大の障壁になることはもとより、
現世の本質(「人界」と「修羅界」は紙一重)を
深く理解した上で、
自己の宿命(過去)を素直に受け入れつつつも、
自己の宿命(現在、未来)に
果敢に立ち向かう積極的姿勢が何より肝要である。

そして、(加害者はもとより)

理不尽な宿命そのものに対する怒り&憎しみ

を超越した、

「菩薩心」にたとえ遠回りでも到達することが、

結果的に、

自分自身を救済する唯一の最善の手段であることに

気付くべきである。

逆に言えば、短い人間の人生において、

自己と根本から対峙し、魂そのものを進化させることは、

たとえ理不尽な事象とはいえ、

限られた人間にしか与えられない貴重な体験とも

捉えられる。

もっとも重要なことは、決してあせらないこと。

たとえ遠回りでも、

結果的に、心の「寛解」or「完治」に

少しでも近づければ、自分自身を褒めてあげること。

心の「寛解」or「完治」に近づいた1つの基準として

たとえ漠然とはいえ、
「人間万事塞翁が馬」という鳥観的意識レベル
まで到達できたら、飛躍的な魂の成長とも言えるでしょう。

 

 

参考[病気の経過を表す言葉]

 

 

 

 

〔心の病で大切な「寛解」というキーワード〕
(2007年2月27日 All About)
「完治」ではない「寛解」とは?

症状がなくなっても、完治ではない。それが「寛解」
あなた自身、また大切な人が心の病になったとき、

知っておきたいキーワードがあります。

それは、「寛解」(かんかい)という言葉です。

寛解とは、

病気の症状がほとんどなくなったものの、

完全に治癒したわけではない状態。

再発しないように、様子をみていく状態のことをいいます。

多くの心の病は、

適切な治療によって「寛解」に向かいますが、

すぐに治癒、完治するとはかぎりません。

なぜなら、目立った症状がなくなっても、

いつ再発するか分からないからです。