その逆に、「大吉」を引いて浮かれている奴に限って、
「慢心の心」から心に隙が生じやすく、
終局的には取り返しのつかないほどの悲劇を誘発しやすい。
【武田邦彦(中部大学教授)】
〔どうも運が悪い〕
(2019年9月15日)
~参考~
〔終わりよければ全てよし
~参考~
【 ヨブ物語 】(旧約聖書の中の教訓書)
理解不能な創造主の計画
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(All's Well That Ends Well)とは
ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲である。
1603年から1604年ごろに書かれたと推測されている。
~参考~
表現が適切ではないのかもしれないが、
(精神的疾患と対峙する)肉体的疾患というのは、
ガンやケロイド(重度の火傷)等の
病気の経過や病痕に代表されるように、
治癒レベルとしての「完治」と「寛解」は、
表層的には同類としても、
水面下では(特に再発リスクの点で)雲泥の差がある。
(精神的疾患としての)特に心の傷も同趣旨で、
特にトラウマ化するレベルまでいったん到達した深い心の傷は
時間の経過を経て、一時的or長期的には表層レベルでは
「完治」しているように思えても、
何かの偶発的事象で
トラウマ化された記憶が呼び起こされるリスクが
多分に存在する。
ただ、「寛解」レベルまで治癒した方は比較的ましな方で
断続的な苦悩が続いたあげく自殺
(自己の存在そのものの抹消)
という最悪な手段を選択する方も
今日でも少なくない(特に未成年者)。
(薬物療法に限らず)
意識回避的「忘却」「形式的な自己対峙」等
様々な治療法が指摘されるが、
悲しいかな、抜本的治療には繋がっていない。
特に、自己過失よる悲劇よりも、あまりにも理不尽な悲劇に
遭遇した本人or遺族の心の苦しみは
(深い悲しみの感情はもとより)
特に加害者に対する「怒り&憎しみ」の感情を肥大化させた
あげく、収拾不能なレベルにまで達し、
完全な自己崩壊(発狂)か、
(復讐という名の下の)犯罪に手を染めてしまう方も
少なからず見受けられる。
本人の治癒したいという強い意志が
もっとも肝要であることは言うまでもないが、
比較的平穏&幸福な一般人との過度な比較に起因して
嫉妬心&劣等感を強めることが
最大の障壁になることはもとより、
現世の本質(「人界」と「修羅界」は紙一重)を
深く理解した上で、
自己の宿命(過去)を素直に受け入れつつつも、
自己の宿命(現在、未来)に
果敢に立ち向かう積極的姿勢が何より肝要である。
そして、(加害者はもとより)
理不尽な宿命そのものに対する怒り&憎しみ
を超越した、
「菩薩心」にたとえ遠回りでも到達することが、
結果的に、
自分自身を救済する唯一の最善の手段であることに
気付くべきである。
逆に言えば、短い人間の人生において、
自己と根本から対峙し、魂そのものを進化させることは、
たとえ理不尽な事象とはいえ、
限られた人間にしか与えられない貴重な体験とも
捉えられる。
もっとも重要なことは、決してあせらないこと。
たとえ遠回りでも、
結果的に、心の「寛解」or「完治」に
少しでも近づければ、自分自身を褒めてあげること。
心の「寛解」or「完治」に近づいた1つの基準として
たとえ漠然とはいえ、
「人間万事塞翁が馬」という鳥観的意識レベル
まで到達できたら、飛躍的な魂の成長とも言えるでしょう。
(2007年2月27日 All About)
「完治」ではない「寛解」とは?
あなた自身、また大切な人が心の病になったとき、
うつ病は「心の風邪」ではない
たとえば、
心の病が教えてくれる大切なこと