「(理不尽な)苦しみに遭った時問うべきは、

"なぜ?"ではなく、"如何に生きるべきか?"」

 

 

ヨブは苦しみを与えられ、命以外の全てを奪われる。

それでも、ヨブは信仰を捨てず、神に救われた。

 ⇒人生のあらゆる不条理(宿命)を素直に受け入れ

神の与えた試練に信仰によって立ち向かうか、

人生に絶望し神を呪うか?

 

【 ヨブ物語 】(旧約聖書の中の教訓書)

~神は、特に人類に対し、

飴(あめ)と鞭(むち)によって翻弄(ほんろう)させることにより

己(神)に対する忠誠的調和心(真の信仰心)を試される。

 
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」
(ヨブ記1章21節)

 

 

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「(ヤコブと妻レアとの間に五番目に生まれたのがイッサカル)

イッサカルの子らはトラ、プワ、ヨブ、シムロン。」

 (創世記 / 46章 13節)

 

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『ヨブ記』の主人公ヨブは非の打ち所のない人物でした。

しかし、ある日突然彼の身に次から次へと不幸が襲いかかります。

神様がいるなら、正しい人がなぜ苦しむのか? 

ヨブは苦しみの意味を問い、神様と争います。

誰もが悩む人生の理不尽を主題にした『ヨブ記』は、

私たちの人生の多くの問題に多くの示唆を与えてくれるに違いありません。

数々の名言で知られるイギリスの思想家トーマス・カーライルは、

『ヨブ記』を評してこのように言っています。

「高貴なる一書、万人の書!

それは決して終わることのない問題―すなわち人間の運命、

および神がこの地上にある人間にどう対処されるかという問題

についての最初にして最古の表明である。・・・わたしは思う。

聖書の中で、あるいは聖書の外で、これに比肩できる

文学的価値の作品は皆無である、と。」

 

象皮病にかかるヨブ

「主はサタンに言われた。『それでは、彼をお前のいいようにするがよい。

ただし、命だけは奪うな。』」(6節)

神様は再び、サタンにヨブの身を任せたのでした。

神様がサタンにつけた条件は、「ただし、命だけは奪うな」ということだけです。

それ意外は、いっさいサタンの自由にしてよいというのでした。

「サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、

頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。」

(7節)

サタンがヨブに与えた皮膚病は、想像を絶する恐ろしい病気でした。

「ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。」

(2:8)

凄まじい痒みが全身を襲い、ヨブは素焼きのかけらで

体中を掻きむしっていなければ耐えられない有様でした。

さらにヨブ記のいろいろな記述を見てみますと、このようにあります。

「肉は蛆虫とかさぶたに覆われ、皮膚は割れ、うみが出ている。」

(7:15)

「骨は皮膚と肉とにすがりつき、皮膚と歯ばかりになって、

わたしは生き延びている。」

(19:20)

「わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち、骨は熱に焼けただれている。」

(30:30)

ヨブの皮膚は恐ろしく腫れ上がり、熱を帯び、黒くなり、ひび割れを起こし、

膿が生じ、蛆までも湧く始末でした。

「病は肌着のようにまつわりつき、その激しさにわたしの皮膚は、

見る影もなく変わった。」

(30:18)

「遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていた」

(2:12)

この皮膚病のために、ヨブの外貌は恐ろしくゆがめられ、

友人ですらその姿が見分けられないほどでした。

「息は妻に嫌われ、子供にも憎まれる。」

(19:17)

「泣きはらした顔は赤く、死の闇がまぶたのくまどりとなった。」

(16:16)

皮膚だけではなく、息が臭くなり、視力も失われたといわれています。

いったいこの恐ろしい病気は何であったかというと

「象皮病」というのが有力な説になっています。

 

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プロテウス症候群のジョゼフ・メリック(エレファント・マン)】

⇒「象皮病」罹病時のヨブの外貌に近いと思われる。

 

↓はチェルノブイリの少年。

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【「特定疾患(難病)医療受給者証交付件数」が激増~カタストロフの序章】

 

苦難の中で学べ

 

「まことに神は力強く、たゆむことなく
力強く、知恵に満ちておられる。
神に逆らう者を生かしてはおかず
貧しい人に正しい裁きをしてくださる。
」(5-6節)

「神に従う人から目を離すことなく
王者と共に座につかせ
とこしえに、彼らを高められる。
捕われの身となって足枷をはめられ
苦悩の縄に縛られている人があれば
その行いを指摘し
その罪の重さを指し示される。
その耳を開いて戒め
悪い行いを改めるように諭される。」(7-10)

 

もし、これに耳を傾けて従うなら
彼らはその日々を幸いのうちに
年月を恵みのうちに全うすることができる。
しかし、これに耳を傾けなければ
死の川を渡り、愚か者のまま息絶える。
」(11-12)

 

なぜ、神を信じるのか

 

「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。

あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。

彼の手の業をすべて祝福なさいます。

お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。

ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。

面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」(1:9-11)

「ヨブは自分の利益のために神様を信じているだけなのだ、

そんなのは本当の信仰じゃない。」と、サタンは言います。

「それなら、試してみよ」と、神様は答えます。

『ヨブ記』の苦難の物語はここから始まっているのです。

〔⇒神が、サタンを介し、ヨブに試練を与える(信仰心を試される)。

神様を信じたら、幸せになれる、病気が治る、心が楽になる・・・

もちろん、そういうこともあるでしょう。

でも、そのために信じるというのは邪心だというわけです。

神様を信じるというのは、究極的には、幸せとか、不幸せとか、

そういうことと関係なく神様を信じるということなのです。

「だが、彼らは財産を手にしているではないか。
神に逆らう者の考えはわたしから遠い。」(16)


神を信じない者たちは、平気で「神様など信じていてもつまらない」と言い、

そして「財産を手にしている」のです。

しかし、ヨブははっきりと「神に逆らう者の考えはわたしから遠い」と言っています。

私には彼らのような考え方はできない、ということです。

幸せになるとか、不幸になるとか、そんなこととは関係なく、

「神様を信じて生きる」ということだけが私の生き方なのだ

というわけです。

そして、その通り、

ヨブは「こんなに苦しい思いをするなら、

神様を信じていても仕方がない」とは、

決して言わないのです。

まことの信仰心

 

大地の設置

 

「誰がその広がりを定めたかを知っているのか。
誰がその上に測り縄を張ったのか。
基の柱はどこに沈められたのか。
誰が隅の親石を置いたのか。」(5-6)

「そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い
神の子らは皆、喜びの声をあげた。」

 

内村鑑三の解説によると、

 

この世界は神への大賛美の中に生まれた。

そして、その素晴らしい神の栄光を讃える大地の上に、人間が造られた。

それなのに、神の偉大な御業への感動なく、賛美なく、

自分の小さな知恵のゆえに悩んだり、疑ったりして生きているのはどうしてか。

〔⇒特に唯物論を前提とした資本主義社会によって物欲&肉欲

に骨の髄までまみれ、古来の唯心論を前提とした自然&神への畏敬の念を

忘れがちになっている。〕

私たちも星々や天使たちと共に神様の偉大な御業を賛美しながら生活するならば、

この大地に生を受けた私たちに注がれている

神様の愛、目的、祝福を知り、希望もあり、平安もある人生を送れるだろうに、

というのです。



内村は、この世界を神の祝福と肯定のもとにある世界として

受け止める信仰の大切さを説いているのです。

言うまでもなく、この世界の中には様々な悲劇があります。

自然災害もあれば、戦争やテロもあります。

そういう困難に耐えたり、悪と戦ったりして行かなくてはいけないことは

言うまでもありません。

しかし、そういうことで絶望してはいけないということなのです。

「どうせ、世の中こんなもんさ」「何をやっても無駄さ」という

ニヒリズムに陥ってはいけないのです。

たとえ、わたしたちがどんなに多くの困難に耐え、どれだけの多くの犠牲を払うとも、

この世界が本来良いものとして創造され、この世界にすべての善きことを

行おうとしておられる神様がおられる、

そしての神様の御業が今もこの世界を支えているということを

信じ続けるということなのです。

 

Ⅰ)ヨブの敬虔と幸福

 

(01) 『ヨブ記』とはどういう書か?    
(02) ヨブとはどのような人か ヨブ記1章1-5節  

 

 

Ⅱ)ヨブを巡る神とサタンの対話

 

(03) 天使とサタン ヨブ記1章6-12節  
(04) なぜ神を信じるのか ヨブ記1章6-12節  
(05) 神はいつも正しいのか ヨブ記1章6-12節  

 

Ⅲ)ヨブの試練

 

(06) 主は与え、主は奪う ヨブ記1章13-22節  
(07) 神を呪って死ぬ方がましでしょう ヨブ記2章1-10節  

 

Ⅳ)三人の友人の訪問

 

(08) 見舞いに来た三人の友 ヨブ記2章11-13節  

 

Ⅴ)ヨブと友人らの討論①

 

(09) ヨブ、生まれた日を呪う ヨブ記3章1-26節  
(10) エリファズの激励 ヨブ記4章1-11節  
(11) エリファズに欠けたもの ヨブ記4章12-5章27節  
(12) ヨブ、死の安息を求める ヨブ記6章1-13節  
(13) 真の友はいずこに ヨブ記6章14-30節  
(14) 夜明けを祈る ヨブ記7章1-16節  
(15) 神学者ビルダドの独りよがり ヨブ記7章17-8章  
(16) 神様の愛が信じられない ヨブ記9章1-25節  
(17) 神様に直訴する ヨブ記10章1-25節  
(18) 自己絶対化に陥る若者ツォファル ヨブ記11章1-20節  
(19) ヨブの孤独 ヨブ記12章1-25節  
(20) 絶望と希望の狭間で ヨブ記13章1-19節  
(21) ヨブの哀歌 ヨブ記13章20節ー14章22節  

 

Ⅵ)ヨブと友人らの討論②

 

(22) 苦しみはいつまで続くのか ヨブ記15章1-6節  
(23) 隠された神の愛を見ようとしない過ち ヨブ記15章7-35節  
(24) 敵であり、友である神 ヨブ記16章  
(25) わたしの人生の保証人 ヨブ記17章  
(26) 愛なき信仰の恐ろしさ ヨブ記18章  
(27) 矛盾の神 ヨブ記19章  
(28) もっとも大いなるものは愛である ヨブ記20章  
(29) 世の矛盾をどう考えるか ヨブ記21章  

 

Ⅶ)ヨブと友人らの討論③

 

(30) 自業自得論 ヨブ記22章  
(31) 隠れた神 ヨブ記23章  
(32) 神なき人生、神なき社会 ヨブ記24章  
(33) 私たちは虫けらか? ヨブ記25章  
(34) 神の道のほんの一端を知るのみ ヨブ記26章  
(35) 神の重み ヨブ記27章1-10節  
(36) 神のみぞ知る ヨブ記27章11節~28章  
(37) 過去の栄光 ヨブ記29章  
(38) 神の前に、神と共に、神なしに ヨブ記30章  
(39) 神への告訴状 ヨブ記31章1-6節  
(40) 神への告訴状② ヨブ記31章7-30節  
(41) 神への告訴状③ ヨブ記31章31-40節  

 

Ⅷ)エリフの説教

 

(42) エリフの怒り ヨブ記32章1-5節  
(43) 年の功にまさる知恵 ヨブ記32章6-22節  
(44) エリフは預言者か? ヨブ記33章1-13節  
(45) 執りす御使いあり ヨブ記33章8-33節  
(46) 信仰者のあり方とは ヨブ記34章  
(47) 神の超越性と内在性 ヨブ記35章  
(48) 苦難の中で学べ ヨブ記36章1-21節  
(49) 大自然を通して知られる神の偉大さ ヨブ記36章22節-37章5節  
(50) 人間の議論の結論 ヨブ記37章6-24節  

 

Ⅸ)神の声

 

(51) 嵐の中で聞く神の声 ヨブ記38章1-3節  
(52) わたしに答えよ ヨブ記38章4-38節  
(53) 鳥獣戯画 ヨブ記38章39節-39章  
(54) 口に手をあてるヨブ ヨブ記40章1-5節  
(55) ベヘモットを見よ ヨブ記40章6-24節  
(56) レビヤタンを屈服させられるか? ヨブ記40章25節-41章26節  

 

Ⅹ)ヨブの悔い改めと回復

 

(57) ヨブの悔い改め ヨブ記42章1-6節  
(58) ヨブの回復 ヨブ記42章7-16節

 

 

【ヨブは苦しみを与えられ、命以外の全てを奪われる。

それでも、ヨブは信仰を捨てず、神に救われた。】

 ⇒人生のあらゆる不条理(宿命)を素直に受け入れ

神の与えた試練に信仰によって立ち向かうか、

人生に絶望し神を呪うか?

わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。

あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。

だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。

(ヨブ記38章4節~7節)

⇒人知には常に限界があり、大局である神の計画の前には常に翻弄される。

特に人間の傲慢さに対し、神は己に対する反逆と捉える。

ここまでは来てもよいが、決して越えてはならない。

お前の誇り高き波(人知&感情)とはいえ、ここまでに限られている。

(ヨブ記38章11節)

⇒決して神との一線を越えてはならない〔宗教>科学〕。

 

 

人形峠ウラン採掘の残酷な代償〔「健康被害」と「ウラン残土」〕

世界のウラン産出地に昔からある禁忌
「入っちゃならん掘っちゃならんいじくったりしたら祟りがある」

〔日本・人形峠〕
「聖地が荒らされたら世界中に害が及ぶ」

〔オーストラリア・アボリジニ〕

 

 「もう少し時間があったら」
人類はこの言葉を繰返し、その度に文明が滅びた。
歴史を忘れた者だけが、過誤を繰り返す。

【復活の日 (1980)】

 

失敗は伝わらない~何ゆえ悲劇は繰り返されるのか?

 

 

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 『俺は地球に戻っていたんだ!

誰が滅ぼしたんだ! この地球を。

なんて事をしたんだ! ちきしょう!!

人間なんか、

みんな地獄へ堕ちてしまえ!』

【猿の惑星 (1968/米)】

 

 

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」
(ヨブ記1章21節)
 
~参考~
 

 【 逆説の十か条  】

(ケント・M・キースand マザーテレサ)

 

 

 『それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条

 

 

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1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。

 

 

2.何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

 

 

3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。

 

 

4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。

 

 

5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

 

 

6.最大の考えをもった最も大きな男女は、
最小の心をもった最も小さな男女によって

撃ち落されるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。

 

 

7.人は弱者をひいきにはするが、

勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。

 

 

8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。

 

 

9.人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。

 

 

10.世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

 

 

******************

 

原文は(1968年、当時大学生だった)ケント・M・キース

19歳の時に書いたものらしいですが、

マザーテレサが感銘を受け修道院の壁に書き、

それがのちに有名になったようです。

 

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