憂さ憂さうさぎ -45ページ目

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

少し空腹を感じる。そういえば地震が起きた時、かなり遅めの昼食中だった。

用意した昼食を食べ終える前に、地震がおきたのだ。

「おなかすいたな。バナナ食べる?」と友人に聞くと、友人はほんの少し

迷った様子で、「うん、食べようか。」と言った。

二人そろってバナナを食べ、食べ終わった皮を持参したビニール袋に入れる。


それからあまり時間が経たないうちに、乾パンと水が配られた。

銀色の真空パック状態の乾パン。

水色のラベルに ”MiZu 保存水500ml” ”災害対策備蓄用” と印刷された

ペットボトル。


『保存水って、何か特殊な水なのか?』と思いながら、ラベルに印刷された

小さな文字を眺める。

  品   名 : ナチュラルミネラルウォーター

  原材料名 : 水(鉱水)

  採水地名 : 新潟県胎内市乙805番地1


どうやら、一般的な水のようだ。

ペットボトルの側面に ”25.11.30.” という印字。かなりもつんだな。


ついさっきバナナを食べたばかりだからと、一つの乾パンを友人と分け合う事に

する。もうひとつは温存。

銀色の包を開封すると、丸くて薄いビスケット状の乾パンが現れた。昔どこかで

見た小さな四角の固い乾パンとは、かなり異なる姿である。

一袋の中に思いの外沢山入っていた。

一口かじると、サクッとした食感。そのまま咀嚼 『・・・うまいな。』

想像していた乾パンとはかけ離れた美味しさだ。ちょっぴり顔がほころぶ。

そのまま二人で数枚づつ食べる。

友人は自分より背が高く体格も良いのに、食べた量はあまりかわらない。

「もっと食べたら?」と乾パンを差し出すが、「うーん、今はいいや。」という答え。

本当は、かなり参っているのかな。




もうすっかり日が落ちて、避難所の中では沢山の懐中電灯の光が踊っていた。

そのおかげで真っ暗になることはない。

もう、足の踏み場にもないほどに、体育館の床は人々で埋め尽くされていた。

かなり人が集まってしまってから、通路として青いビニールシートを床に

貼ったために、最低限の通り道が確保しきれなかったのか。


石油ストーブがいくつか配置されたが、まだ強い余震が続いているため危険

ということで、すぐには火が点けられなかった。

体育館の気温が下がるのを少しでも防ぐためにと、全ての窓に暗幕が張られ

ていく。


避難所の手伝いをしていた友人が戻ってきた。教えてもらった状況は

悪いことばかり。


友人: 「若林区役所のところまで津波がきたそうだよ。」


若林区役所といえば、自分の家からたったの 1 kmくらいのはず。

そんな所まで津波がきていたなんて・・・。一気に津波の事が身近になる。

あと少し海側に住んでいたら、自分はどんな事になっていたのだろう。

考えたくもない。


友人: 「本部には、真新しい無線機があるんだけど、使い方がわからなくて

     困ってた。」


 ・・・ コメントする気になれないな。


友人: 「指揮系統がしっかりしていないようで、作業する人達の動きが

     バラバラ。統率とれてない感じ。人は十分いるんだけど、次に

     何をするのかもわからない状態だから、とりあえず戻ってきた。」


 ノーコメント


この先、この避難所はどのようにして運営していくのだろうか。





【補足】

   海岸線  ~  若林区役所  約 8 km

    〃    ~    自宅     約 8.5 km

                ( 1:100,000地図を使用し測定 )


このブログを書くにあたり、自分なりにこの地域の浸水範囲について調べ

ました。

『若林区役所まで津波がきた』 という内容の裏付けとなる資料は見つける

事が出来ず、『若林区役所まで津波がきたというのはデマだ』 という趣旨

のものも見受けられました。

デマだという内容で書かれた方の根拠は、

    昔仙台市に住んでいたが、海岸からの距離的に考えて 云々

    区役所より海に近い学校が避難所になっている  云々

というものでした。


まず、国土地理院のホームページに掲載されている浸水範囲概況図です。

冒頭に以下の文章が記載されています。


概要:この浸水範囲概況図は、平成23年3月12、13、19、4月1、5日に国土

    地理院が撮影した空中写真及び3月19日に観測された衛星画像を

    使用して、津波により浸水した範囲を判読した結果をとりまとめたも

    のです。浸水のあった地域でも把握できていない部分があります。

    また、雲等により浸水範囲が十分に判読できていないところもあり

    ます。今後、引き続き精査していく予定です。

この内容を踏まえたうえで下にリンクしてある図を御覧ください。


http://www.gsi.go.jp/common/000060133.pdf


若林区役所の周辺は赤で着色されていません。

しかし、上記の文章でわかるとおりこの図が100%ということではありません。


地震の次の日に、以前から時々お世話になっている美容院で働いている

女の子二人連れに偶然会いました。

彼女達は、「車で若林区役所のところを見てきたが、水がきたせいで

ぐじゃぐじゃだった。」と話していました。


又、『水は低きに流れる』という言葉もあるように、一概に海岸線からの距離

で浸水地域が決まるわけではありません。標高が低い地域があれば、そちら

に向かって水は流れて行くものではないでしょうか。


現場を見た人間の話を聞くこともなく、裏付けとなる資料を見て検討したわけ

でもない。そのような状態でデマと決めるのは少々軽率ではないでしょうか?


自分自身が、若林区役所の現地をこの目で確認した訳ではないので、

『絶対に若林区役所は浸水した』 という言葉を言う事はできないのですが・・・。

離れて暮らす両親に、自分の無事を知らせたかった。

両親は携帯を持っていない。電話はつながらない。どうしよう。

とりあえず、両親の近くに住んでいる姉にメールを送ることにする。

『こちらは無事だから、母さんに伝えてほしい』 メール送信。

送信失敗。やっぱりか。


数十分後もう一度メールを送る。

送信完了。


しばらくして、姉からメールがかえってきた。

『わかった、電池ないからね~』


・・・ 冷たいな。


まあ、これで自分の無事は伝えてもらえる。よしとするか。

ずっと俯いたままの自分の視界。薄暗い体育館の床だけが映る。

その視界が急に、ほんのりと明るくなった。

明かりのもとが知りたくて顔を上げると、いつのまにか窓の外は大雪。

窓から見えるはずの外の景色は、真っ白な大粒の雪達にさえぎられ

ていた。


日の光に照らされて白く光る一面の雪。その光が、薄暗い体育館を

ほんのりと明るくするほどに、窓から差し込んでいる。


人々は、自分の上に積もった雪を払い落しながら、次々と避難所へ

入ってくる。ライフラインを全て絶たれたうえ、頻繁に訪れる余震。

”避難所へ行く” という選択をした地域の人々が、日暮れを前にして、

集まっているのだ。

みんな、自宅から布団や毛布、買い物かごにはたくさん食糧や飲み物

を詰め込んで持ってきていた。

『自分ももっと、食糧や毛布を持ってくるべきだったな』などと、少しばかり

後悔しながら、再び容赦なく降ってくる雪を眺め、『なにも、こんな日に

これほど降ることもないだろうに』と思ったりする。 しかし・・・。


人工の明かりが全くない体育館。

今、この薄暗い避難所を照らしているのは、夕方の空を舞う無数の冷たい

雪だった。



特にやる事も思いつかず、未だに何の情報も得られぬまま、ただ床を

眺めていた。会話もほとんどない。


右隣に座っていた老婦人が、「地震、マグニチュード8.8だそうよ。」と

言いながら、ラジオのスピーカーを自分の方に向けてくれていた。

情報を得る物が何もない自分達を気遣ってくれたのだろう。

好意に甘えさせていただき、ラジオから出てくる声に耳をよせる。

どうやら、普段自分達が警戒していた宮城県沖地震とは異なるらしい事、

とんでもなく大きな地震だということはわかった。


老婦人の前に座っていた年配の御婦人が小さくて薄いポータブルテレビ

を見ながら自分達に、「全国で津波注意報が出ている。」と言って、画面を

見せてくれた。

テレビの画面を覗き込むと、そこには太平洋側の海岸全てに着色された

日本地図が映っている。

詳しい事は解らないが、とにかくとんでもない事になっていると理解する。

もっと詳しい情報がほしい。携帯のインターネットはなかなか接続出来ず、

電話は勿論、メールさえ発信出来ない。自分には出来る事がない。

携帯画面を見ながら何か操作している若い男性が数人視界に入る。

ワンセグか?機種が違うと電波の入りが違うのか?それとも暇つぶしの

ゲームか?等と勝手な想像をしてみるが、今の自分は携帯バッテリーを

温存しなくてはならない。 我慢だ。


避難所に来てから、どのくらい時間が経ったのかすらわからない。

この状態では、時間という概念に意味を見い出せない。

少しずつ体育館の中が薄暗くなっていくように感じられ、『もう夕方が近

いのかな』などと考える。


窓の外では雪がちらついていた。