憂さ憂さうさぎ -34ページ目

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

「写真写りいいね」って、ほめ言葉? ブログネタ:「写真写りいいね」って、ほめ言葉? 参加中

「写真写りいいね」って言葉の裏。
①単純に、実物よりも写真の方が良く写っているね。
②実物は大した事ないけど、写真で見るといい感じ。
③実物もいいけど、写真だともっと素敵に写っているね。
さてどれでしょう。

いずれにしても、”実物<写真” って受け取ってしまうよね。
これって誉め言葉とは言い難いんじゃないかな。
写真は誉められているのかもしれないけど、実際にその言葉を心
で受け止める人間側は誉められていない。
下手したら、馬鹿にされていると取られても仕方ない言葉だと思う。

ここからは自分の妄想
ライバル同士の不仲なモデルがいました。
一方が、有名な雑誌の表紙を飾り、とても好評。
それを見て、悔しくてたまらないもう一方のモデルさん。
ある時、一緒のスタジオで顔を合わせる事に。
自分の写っている雑誌の表紙を見ながらニコニコしているモデル
さんに、ムカついたもう一方のモデルさんが一言。
「あらあなた、写真写りいいのね。」

これって完全に嫌みじゃない?

少なくとも自分は好意を持っている相手に対して「写真写りいいね」
とは言わないな。
冗談半分で、相手もそれを理解している場合なら言うかも知れない
けどね。



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7時半頃目が覚めた。ぬくぬくの布団の中から出たくない。

ああそうさ、自分はみの虫と呼ばれてもかまわない。

もう少し、このささやかな幸せを味わっていたい。

しかし長くは続かなかった。

友人が布団を片付け始める。自分のささやかな幸せは奪われてしまった。

愛しい愛しい布団達、また夜に会おうね。

まだ食材が心もとないという事を考えて、今朝も炊き出しに行く事にした。

実は米も3kgあるかどうかなのだ。

避難所へ到着すると、もうほとんど配り終えているようだ。

前日の御老人に偶然出会う。ご老人は、

「早く貰ってきた方がいいよ。」と声をかけてくれた。

「はい。」と言って軽く会釈し、炊き出しの場所へと急ぐ。

他の避難所で食材が少ないため、ここの避難所に炊き出しをもらいに来る

人もいるそうだ。そのため、少ない量でもがまんしてほしいとのこと。

炊き出しを受け取ると、また人気の少ない場所へ行き、友人と二人で

冷たいコンクリートの階段に腰を下ろした。

今朝の味噌汁も豆腐だらけだ。

しかし、一人分がやけに少ない。寂しい。

いつものように乾燥わかめを放り込みかき混ぜる。

お腹は満たされないが仕方ない。

体育館横の水飲み場で、飲料水を汲んで帰ろうか。

寝床制作開始。今日は昨日の反省も踏まえて、ちょっとひと工夫。

布団を敷く範囲に段ボールを敷きつめる。更にプチプチを敷き、

座布団も総動員した。『昨日は座布団けちったからな。』

その上に敷布団を敷き、寝床は完成。

あとは、枕と掛け布団を持ってくるだけだ。

頭側のすぐに手が届く場所へ、まる一日装着したままだったヒップバッグ

を置く。懐中電灯はすぐにONに出来る状態。

携帯も緊急地震速報がきたらすぐ気付くように、ヒップバッグの外側へ

ぶら下げた。

一応電気は常夜灯を点けておき、上着だけ脱いで布団へもぐり込む。

昨日とはやっぱり違う。柔らかい。それに何より温かい。

凹凸も気にならないし腰も痛くない。

ああ、これならぐっすり眠れそうだ。

テレビに東京都知事の石原慎太郎氏が映っている。

何か天罰がどうとか言っているな。ネットで調べてみた。

動画サイトに投稿されていたものを視聴する。

内容は以下の通りだ。

この津波を上手く利用して我欲を一回洗い流す必要がある。

積年たまった日本人の心のあかを。

これはやっぱり天罰だと思う。

そりゃあ、被災者の方々は可哀相ですよ。

その後の記者会見において、同氏は次のように述べている。

被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、

と言葉を添えた。

正確に言葉を聞き取って、正確に報道してもらいたい。

日本人の我欲が政治を左右している。

(例をあげる)

日本に対する天罰。

大きな反省のよすがになるのではないか。それをしなかったら犠牲者

も浮かばれない。

ここで自分は思う。石原慎太郎氏が天罰という言葉を使った事。

言葉の選択を間違ったのか?

しかし、同氏は作家として活躍し数々の賞を受賞している。

言葉のプロなのだ。そして現在は東京都知事という非常に重要な立場

にある。

多くの人が聞く事となるであろう自身の発言において、言葉のプロとして

熟慮の上で言葉を選択しているはずであり、又、そうでなくてはいけない

のだ。

同氏は過去にも、配慮に欠ける発言によりたくさんの人の心を傷つける

という事を繰り返している。

少し調べただけでも、読む事に嫌気がさすほどだ。

自分の抱いた感想は、同氏が弱者を否定し見下しているという事。

異なる文化を持つ人々に対し、敬意をもって対する事が出来ないという事。

言葉の選択において、人を労わる事を怠ることが多々あるという事。

国内外を問わず、総じて人を見下し、過激な印象を与える発言を繰り返し

ている。

彼のこれまでの発言に対して “歯に衣着せぬ発言” と評する方々もいる

ようだが、その “歯に衣着せぬ発言” で多くの人々を傷つける事が評価

されるべきなのか。また、その “歯に衣着せぬ発言” が支持を得ている

そうだが、言葉を用いて人を傷つける事が支持を得る社会など、存在して

ほしくない。

“歯に衣着せぬ” というのは思ったとおりをずけずけと言う事なのだそうだ。

ならば、彼は心の底から自分以外の人間を見下しているという事なのだ。

“天罰” は、天が下す罰。悪事に対する自然の報い。だそうだ。

ならば、この震災で亡くなった方々や被災した方々が、どんな悪事を

はたらいたというのだろうか。なぜ彼らが罰をうけるのか。

人間としてのささやかな幸せと平穏な日々、そして極稀にほんの少しの

贅沢を求めただけではなかったのか。

日本中、世界中にいる多くの人々がそうであるように。

これは決して “悪事” ではないはずだ。

本当の我欲にまみれた人間が集まる場所は、もっと他の場所にあるはず

で、その人達は、今も被災し苦しんでいる人達に目を向ける事もなく、

自己保身と金の収集に励んでいることだろう。

いつか彼らに本当の罰が与えられる事を信じている。

【補足】

この文章を書くにあたり、他人を名指しで批判する事は、絶対に避けようと

思っていた。しかし、石原慎太郎氏が今まで発言した中で問題視されてきた

事柄について調べているうちに、批判する内容を避ける事が難しくなってし

まった。

同氏は後日以下のように謝罪している。

行政の長であります私が使いました『天罰』という言葉が、添える言葉が

足りずに、被災者の皆様、国民、都民の皆様を深く傷つけたことを、

発言を撤回し、深くおわびいたします。

これまで、配慮の足りない言葉で思ったとおりをずけずけと言い続けてきた

彼が、被災者の心を傷つけるような言葉を発した事について、本当に悔いて

いるのだろうか。

自分には、彼の言葉を信じる事は難しい。

その後、石原慎太郎氏は東京都知事に再選されることとなる。

彼に自分の票を入れた方々は、どのような思いを込めて彼を選んだの

だろうか。

≪その人達こそ “我欲にまみれた” 人々だ≫という事がないようにと

願うばかりである。

電気が復旧したおかげで、いろいろな情報が入るようになった。

テレビも見られるしパソコンでインターネットも見られる。

そこに映し出される映像は、どれも酷いもので。

東北地方を中心に太平洋沿岸はみな壊滅である。

自分は、今までの人生の約半分を仙台で過ごしてきた。

だから、それなりにいろいろな所にも行った。

いろいろな思い出も出来た。


友人と電車で松島へ行き、何処を見たら良いのかもわからずに、長い階段

を上って神社へ辿り着いた。そのまま階段の最上段に腰かけて松島の

景色をただボーっと眺めて帰った。


職場でいろいろあって自分が打ちのめされていた時、友人が松島の海岸
へ自分を連れて行った。堤防の上で、「大声で叫べ!」 って言われた。
躊躇している自分を見て、先に友人が大声で叫んでみせた。
何とさけんでいたかは忘れたけど。
その後自分も大声出した。濁点つきまくりの 「あーーーーーーー!」
あまりの声の大きさに、友人もちょっと驚いていたな。

季節はずれに七ヶ浜の海岸で、こっそり花火をしたことも。

勿論近所に迷惑がかからないように、手持ち花火だ。会話をするのも

こそこそと小さい声で。


夜友人とドライブで、仙台港へも行ったな。

ただボーっと真っ暗な海を眺めて帰った。落ちたら怖いなとか言いながら。


七ヶ浜では、波打ちぎわでお約束の遊びをした。

これが意外と楽しかったっけ。


他にも結構、海に行ってるんだな。


仙台空港のすぐ横で、飛行機の離着陸を日が暮れるまで眺めた。

車の中で、ケンタッキーのフライドチキンを食べながら。


三井アウトレットパーク仙台港にも数回行った。

一度来仙した母を連れて行った事も思い出される。


それらの場所はみな津波に襲われ、今は瓦礫で覆われているだろう。


この思い出のつまった場所に、自分は二度と行けない気がする。

本心から、行きたいと思える時は来るのだろうか。