テレビに東京都知事の石原慎太郎氏が映っている。
何か天罰がどうとか言っているな。ネットで調べてみた。
動画サイトに投稿されていたものを視聴する。
内容は以下の通りだ。
この津波を上手く利用して我欲を一回洗い流す必要がある。
積年たまった日本人の心のあかを。
これはやっぱり天罰だと思う。
そりゃあ、被災者の方々は可哀相ですよ。
その後の記者会見において、同氏は次のように述べている。
被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれませんが、
と言葉を添えた。
正確に言葉を聞き取って、正確に報道してもらいたい。
日本人の我欲が政治を左右している。
(例をあげる)
日本に対する天罰。
大きな反省のよすがになるのではないか。それをしなかったら犠牲者
も浮かばれない。
ここで自分は思う。石原慎太郎氏が天罰という言葉を使った事。
言葉の選択を間違ったのか?
しかし、同氏は作家として活躍し数々の賞を受賞している。
言葉のプロなのだ。そして現在は東京都知事という非常に重要な立場
にある。
多くの人が聞く事となるであろう自身の発言において、言葉のプロとして
熟慮の上で言葉を選択しているはずであり、又、そうでなくてはいけない
のだ。
同氏は過去にも、配慮に欠ける発言によりたくさんの人の心を傷つける
という事を繰り返している。
少し調べただけでも、読む事に嫌気がさすほどだ。
自分の抱いた感想は、同氏が弱者を否定し見下しているという事。
異なる文化を持つ人々に対し、敬意をもって対する事が出来ないという事。
言葉の選択において、人を労わる事を怠ることが多々あるという事。
国内外を問わず、総じて人を見下し、過激な印象を与える発言を繰り返し
ている。
彼のこれまでの発言に対して “歯に衣着せぬ発言” と評する方々もいる
ようだが、その “歯に衣着せぬ発言” で多くの人々を傷つける事が評価
されるべきなのか。また、その “歯に衣着せぬ発言” が支持を得ている
そうだが、言葉を用いて人を傷つける事が支持を得る社会など、存在して
ほしくない。
“歯に衣着せぬ” というのは思ったとおりをずけずけと言う事なのだそうだ。
ならば、彼は心の底から自分以外の人間を見下しているという事なのだ。
“天罰” は、天が下す罰。悪事に対する自然の報い。だそうだ。
ならば、この震災で亡くなった方々や被災した方々が、どんな悪事を
はたらいたというのだろうか。なぜ彼らが罰をうけるのか。
人間としてのささやかな幸せと平穏な日々、そして極稀にほんの少しの
贅沢を求めただけではなかったのか。
日本中、世界中にいる多くの人々がそうであるように。
これは決して “悪事” ではないはずだ。
本当の我欲にまみれた人間が集まる場所は、もっと他の場所にあるはず
で、その人達は、今も被災し苦しんでいる人達に目を向ける事もなく、
自己保身と金の収集に励んでいることだろう。
いつか彼らに本当の罰が与えられる事を信じている。
【補足】
この文章を書くにあたり、他人を名指しで批判する事は、絶対に避けようと
思っていた。しかし、石原慎太郎氏が今まで発言した中で問題視されてきた
事柄について調べているうちに、批判する内容を避ける事が難しくなってし
まった。
同氏は後日以下のように謝罪している。
行政の長であります私が使いました『天罰』という言葉が、添える言葉が
足りずに、被災者の皆様、国民、都民の皆様を深く傷つけたことを、
発言を撤回し、深くおわびいたします。
これまで、配慮の足りない言葉で思ったとおりをずけずけと言い続けてきた
彼が、被災者の心を傷つけるような言葉を発した事について、本当に悔いて
いるのだろうか。
自分には、彼の言葉を信じる事は難しい。
その後、石原慎太郎氏は東京都知事に再選されることとなる。
彼に自分の票を入れた方々は、どのような思いを込めて彼を選んだの
だろうか。
≪その人達こそ “我欲にまみれた” 人々だ≫という事がないようにと
願うばかりである。