憂さ憂さうさぎ -16ページ目

憂さ憂さうさぎ

世の中は憂さだらけ!
はき出す場所のない憂さを、ここで晴らしてみましょうか。

風呂が済んで、車で送る事にする。

今日から、SEIYU系列の大型ショッピングセンターが開店するそうだ。

地震で店内がめちゃめちゃになり、今日まで店は閉まったままだった。

そこへ友人の母親が寄るというので、一緒に行く。

さて、店の状況は・・・。

店に到着。

前面にあったアーケードはかなり崩れて無くなっており、壁面には青い

ビニールシート。

ダメージは大きかったようだ。

店内に入ると、1階の食品売り場は以前の姿を取り戻していた。

品物も、驚くほど揃っている。

他店と比較して地震後の開店が遅くなった分、かなり努力したのだろう。

本当に目を見張る程の品ぞろえだった。

カセットコンロ用のカセットGET。けっこう沢山ある。

うろうろと店内物色中。

友人が自分を呼びに来た。

友人:「ちょっとーー!きてきて!」

自分:「なに?」

友人の後をついていく。

友人はある一画で止まった。

そこを見ると5kg入りの米が20袋程あった。

値段を見る。約1500円。

そして袋の真ん中に赤い半額シール。

『一体この米達に、何が起こったんだ?』

ラベルをよく見ると、“群馬県産” と表記してある。

もしかしてこの米達は、風評被害のために、半額シールを貼られる運命

に陥ってしまったのか?

しかし、米の収穫時期は秋のはず。

もうと~~~っくの昔に収穫は終わっているのだ。

放射能の影響なんて、考える方がアホらしいと思えるくらいである。

米10kgで約1500円なんて、めったにお目にかかれない。

これはもう買うしかない。

5kgの米2袋GET

少し店内を歩いていると、友人が

「さっきの米さ、もっと買ってもいいんじゃない?」

自分も同意見。

すぐに米が置いてあった場所へ戻った。

しかし、すでに米達は全て誰かの手に渡った後だった。

『ああ、夢のような値段のお米達、自分の所にはもう来てくれないんだね。』

普段自分が食べているお米より、ずっと美味いのにずっと安いあの米達に、

自分はもう二度と出会えないだろう。

今日自分の夕食となる、弁当と総菜はしっかり確保した。

寝不足の日のモチベーションの上げ方 ブログネタ:寝不足の日のモチベーションの上げ方 参加中

寝不足の時はモチベーションはあがらないな。
上げようとしてもかなりむずかしいよ。
だって、寝不足の時って頭痛して具合悪くなっちゃうから。

寝不足になるくらいなら、貫徹しちゃった方がまだ何とかなるかな。
だって、貫徹するとかなりきついのは確かなんだけど、時間が
たつと、”ハイ”になってくるんだよね。
しかも、一人で変な方向に突入しそうな感じのハイテンション。
その勢いにまかせてモチベーションも上げるしかないよね。
まあ、はたから見たら、ただの変なひと?

貫徹の時の注意点。
①集中力はかなり低い。
②やたらと明るい。
③細かい作業はムリ。
④気がつかないうちに意識が飛んでる時がある。
 で、気付いたらパソコン画面は一面、一つの文字で埋め尽くされてる。
 ペンを持っていた場合には、紙面にインクがにじんで、意味不明な
 図形が出来あがってる。
⑤夜までは身体がもたない。
等々

でも寝不足で具合悪くなるよりはいいかなぁ・・・。



4月8日。大きな余震から一夜明けた。

自分の家は昨晩のうちに復旧済み。

しかし、いつまた大きな地震が来るかわからない状況で、すっかり家の

中をきれいに片づける気にもなれない。

一説によると、大きな余震が来る周期みたいなものがあるらしい。

せっかく綺麗に片づけても、また地震でしっちゃかめっちゃかでは、気力

もやる気もそがれてしまう。

それを言い訳に、まだ家の中をこのまま放置しよう。

この日は友人の母親がシャワーを借りに来た。

友人の実家では、ガスで湯を沸かしている。

ガスはまだ復旧していないため、風呂に入る事が出来ないのだ。

友人の母親の話によると、一度スーパー銭湯には行ったそうで。

状況はかなり大変だったらしい。

銭湯を利用しようと来た客ははんぱない人数。

はじめに、数時間並んで整理券をもらい、さらに数時間後自分が入れる

頃に行ったそうだ。

入浴は時間制限付きで、30分。

しかもその時間内に着替えも済ませなければならなかったらしい。

身体を洗うのも、もうなりふり構わぬといった状況で、両隣の人が

浴びている湯の飛沫が、掛かってくるような状態だそうだ。

落ち着いてゆっくり湯につかるといった発想など、到底浮かばない

だろう。

とにかく、風呂という名の戦場といった感じか。

『今日はゆ~~~っくりと、お風呂使ってくださいね。』

幸いなことに、今回の地震では電気も水道も無事だった。

それだけでも、生活面がかなり違う。

精神的なダメージも少なくて済んだ。

地震が治まって、すぐにテレビをつける。

津波を警戒するようにとの声。

テレビの画面には、あるテレビ局内の地震時の映像が写し出されている。

物が雪崩のように崩れ落ち、棚も倒れていく。

テレビ局内の人達も慌てふためいているようだ。

震源・震度・津波等の情報とともに、同じ映像が何度も何度も繰り返し

映される。

『同じ映像ばかり、何度も見せなくていいから。』

今回は、津波は酷くなかったようだ。

とりあえず一安心。

今の状況でまた大きな津波でも来たなら、あらゆる意味でダメージが

大きすぎるだろう。勿論、精神的なダメージも。

3月11日の地震で、東日本の太平洋側のほとんどが沈下したらしい。

勿論、自分が住んでいる地域も、地盤が沈下している範囲内だ。

だから、あの時のような大津波が起こった場合、自分の住んでいる

地域が、絶対浸水しないという保証がない。

徒歩で辿り着ける川を越えると、その先の地域は比較的標高が高いようだ。

しかし、川に近付くのが良策なのか?

あの大地震の時、川の部分は、結構上流まで津波が来ていたらしい。

その影響は大きな川だけではなかったようだ。

いつまでも繰り返される同じ映像を見ながら、自分の頭の中では

“災害時のシミュレーション” という名の妄想が繰り広げられていた。

しばらくして、重要な情報が一つ。

『念のため、ガスが復旧した地域でも、ガスは使用しないで下さい。』

ガス、復旧から約二日で、一時のお別れ。

日本中のガス会社の人達が、毎日がんばって復旧してくれているガス。

テレビでその映像を見る度に、様々な意味で感謝し、感心している。

この地震のせいで、また各地でライフラインに影響が出ているようだ。

電気・水道・ガス、そして道路や構造物等の復旧に関わっている人々。

そして救助・救援、町の復旧・復興に努めている人々。

3月11日の地震以来、そんな人々に心底感心し感動し感謝している。

自分の事ながら、この気持ちを正確に “文字” で表す事が出来ない

事が歯がゆい。

この大きな余震が、そんな人達の心に影を落とす事がないようにと、

無力な自分は祈る事しか出来ないのだ。

4月7日夜。

突然大きな揺れが起こった。

いつも通り玄関のドアを開ける。

『今日の余震はかなり大きいな。』

3月11日の地震時同様、ドア枠につかまって自分の身体を支えた。

今の状況とその時の状況が頭の中で交錯する。

それと同時に、同じ程度のものを覚悟する。

揺れの大きさ長さ共に、思ったよりは酷く感じなかった。

一月近く、毎日襲ってくる余震で、感覚も神経も麻痺しているのか?

あれ以来、倒れてきそうな棚は突っ張り棒で固定したし、棚の物が落ちて

来ないように、棚の前面に紐を張っておいた。

余震で落ちてきそうな物は、ほとんど床の上に並べておいたため、

物が落ちる事もないだろう・・・と思ったが甘かった。

一番の大物、和室に置いてあったブラウン管テレビがまた、畳の上で

うつ伏せになっていた。

『おいおいたのむよ、お前が一番重いのに・・・。』

家中の固定していなかった物達も、また勝手に移動している。

賃貸だと、勝手気ままに壁や柱へいろいろぶっさす訳にもいかず、家具類

を固定する手段が乏しい。

それが弱点。

しかし、出来る範囲でいろいろ対策をしていたため、部屋の復旧には

前の時ほど苦労はしなかった。

そういえば、今日は3月11日から数えて27日目。

26日説ってやつも、軽視出来ないな。

自分は一応警戒して、出来る範囲でいろいろ対策と物資の備えをしていた。

当然、心の備えも。

備えあれば憂いなし。