スケート断ちの日々 -21ページ目

勝利

私の元のホームリンク、ショッピングモールの中にあったのですが、地主がリースの更新を拒否して、閉鎖に追い込まれていました。商業スペースにして、もっと儲けようという魂胆。

このリンクは、以前にも閉鎖の危機に瀕していたのですが、現地主がショッピングモールを買い取る際、リンクのある位置には、アイスリンクまたは類似のレクリエーション施設を設けること、という利用制限の下買い取ったという経緯があるのです。

というわけで、商業スペースにするには、この縛りを解く必要がありました。

そこで市に、土地利用制限の解除を申請。もちろんスケーターのコミュニティは黙っていません。特にホッケーの人々の結束が固かったように思います。

ほぼ4年に渡る戦いでしたが、特に子供たちにとっては、大きな4年です。小学生だったら中学生、高校生は大学生や社会人になってしまいます。失われた年月の間、これまで多くの時間を割いてきた競技ができなくなった子もいたかもしれません。

地主は高額弁護士を雇い、巨額の費用を投下して、商業施設へのコンバートに尽力。スケーターグループも、地元新聞への投稿や、市の役員、市長への投書、募金で弁護士費用を募ったりと、闘いを繰り広げてきました。

何度も公開ヒアリングのようなものを重ね、先日出た最終決定は

利用制限は解除しないきらきら

というものでした。ただし条件付きで。

条件とは

リンクが営業していることフィギュア・スケート
(らしい。詳しくはまだ見ていませんが・・・)

一見簡単なことのように思えますが、アイスリンクを憎んでいるとしか思えない地主からリースをするという事実は変わらず。この先どんな妨害が待ち受けているのか、個人的にはちょと心配。ずっとクローズしていたリンクを再オープンするのに、どれぐらいの期間や費用がかかるのかも気になります。

が

オープンしたら、スケートを再開したくなるかもしれません。なんたって、リンクは会社のまん前。会社が今の場所に移転して2週間でリンクがクローズしてしまったので、移転の恩恵にはほとんど預かれなかったのですが、以前と同じく昼の時間帯に開いているなら誰もいないリンク(超気持ちいい)でストロークとエッジを地道に練習してもいいかも。

でも怪我が怖い・・・
それにもう2年以上滑っていない。
まだ滑れるのか。
滑って楽しいと思える自分がいるだろうか。
体もますますぼろになっている。

いやいや、悩むのは、リンクのオープンが決まってからにしますか。
とにかく一歩前進です。

ボストン

生まれて初めてのボストン滞在。

予約の時点でびっくりしたのは、宿泊費の高さです。シアトルやシカゴの郊外の値段しか知らなかったので、かなりショッキングなお値段でした。ということは、家賃なんかも高いはず。都会はどこでも一緒なんでしょうけど、自分が払うとなると、実感ひしひしです。

現地で観光する時間はないので、何も調べず、唯一仕入れた情報は、クラムチャウダーがおいしいらしいということだけ。公共交通機関で移動するので、路線など散々調べたけど、なんだかぴんと来ない。お天気は、最初の2日はベイエリアや日本と大差なく10度台だったのに、最後の2日はいきなり雪の予報。すごいな、ボストン。

ボストンでよかったのは、人が感じいいこと。最初に乗った空港シャトルの運転手さんも、電車の駅のおっちゃんもフレンドリーだったし、ベイカリーやレストランの人もサンフランより丁寧な印象。噂のボストン訛りは気にならなかったというか、訛り、あるの?という感じだったけど、向こうは私の日本人英語がよくわからないみたいで、聞き返されること多数。まぁ、しゃあないですね。

冬がさぶいので、当然ホームレスはいない。

ボストンの歩行者は、信号なんて気にしない。車がいなけりゃ赤信号でもどんどん渡る。子連れの人も、子供の手を引っ張って、走る走る。車もその辺わかっているのか、止まらなくてもいいのに止まってくれる。その代わりだかなんだか、歩行者へのフラストレーションを他のドライバーに向けているかのごとく、とろいドライバーがいたら、クラクションならしまくってました。

以下、市内中心部の街の印象です。西海岸より早くに開けただけあって、雰囲気が違います。

ボストンと言えば、赤レンガ。どこもかしこも赤レンガ。新しい建物は、ひょっとして赤レンガ「風」なのかもしれませんが、赤レンガ消費量全米一だろうと思わせるほどです。建物だけじゃありません。

風情はあるけどでこぼこで、旅行用のラゲッジ引っ張るのに一苦労。お年寄りは躓くんじゃなかろうか。


住宅入り口の急な階段。お引越しが大変そうです。


これは年季がはいっていそうな建物。


街の中には巨大な公園が数多くあります。巨大な公園には巨大な樹木が植わっています。

これは滞在場所近くの公園の一つ。Franklin Square。


Boston Commonというところ。写真には一部しか写っていないけど、広々とした芝生が広がっています。道路の反対側も、Boston Public Gardenという、芝生が広がった公園地帯。


街の中には古くて巨大な教会がたくさんありました。


Old South Church。バスの車窓への写り込みで妙な写真。


Copley Square。教会の名前、わかんないです。


遺跡風ですね~。立て直すんでしょうか。


サンフランシスコには、ケーブルカーの形をしたツアーバスがありますが、こちらでは船の形!

ホテルの前に、いっぱい停まっている。


なるほど、ここは船着場なのね。


かの有名なボストンマラソンが数週間後に迫っているからか、街の真ん中いたるところでジョギングをする人を見かけました。みなさん、水筒持って走るのね。雨の中でもがしがし走っていました。世界選手権公式ホテルのCopley Marriott付近は、ボストンマラソンのゴール地点だそうで、あんな中心地で爆弾騒ぎがあったなんて、びっくりです。世界選手権では、ホテルにも会場にも警官が犬連れて巡回に来ていました。何事もなくて、よかった~。


ボストンは緯度が高く、4月でも雪が降ります。しかも、普通に温暖な日の次の日突然氷点下になる。

華氏30度は氷点下です。

雪も、空気中で凍った細かい氷の粒が舞っている感じ。顔が痛い。積雪は、車に積もっている以外はほとんど見受けられませんでした。




公共交通機関は、便利でした。宿泊地最寄のバスがだめでも、ちょっと歩けば別のバスがある。電車との連携もあり。駅員さんもドライバーも親切。この街は自分の足で歩けます。


マサチューセッツ州のあたりはニューイングランドと呼ばれる地方なんですが、近辺のニューハンプシャーやロードアイランドからは車で一時間半程度。ニューハンプシャーのボランティアさんに、最初は州外から?と驚いたけど(自分もですが)、結構普通に行き来するものらしい。ボストンの人がどう思っているかはわかりませんが、周辺の方々は、ニューイングランドの同胞だと思っているフシがあります。近辺だから、生活費も安いのかと思ったけど、ロードアイランドのプロビデンスはそれなりに高いとか。住人であるバスドライバーは、いいところだと自慢していました。


歴史に詳しくない私ですが、ボストンってアメリカ独立運動の中心地なんですよね。町並み綺麗だし、見所多そう。チャンスがあればまた行きたいけど、高くて遠いからなぁ。

ちなみにMITに知り合いいたら、寮に一泊15ドルで泊まれるそうです。誰か知り合いが留学しないだろうか、って、今さら無理だな~。

夜討ち朝駆けのボストン滞在

フィギュア世界選手権が終わりました。

期間中4日間は大会ボランティアで、ボストンにて夜討ち朝駆けの日々でした。

ホスピタリティボランティアは誰にでもできる仕事ですが、アスリートに話しかけることも、写真を撮ることも許されません。何のためにそんなことするのって言われそうですが、ミーハー心は大いに満たされました。世界のトップスケーターやコーチを近くで、しかも生で見られて、普段入れないところに入れるのは、めったにない体験です。米国での世界選手権は、最近は6年に1度のサイクルなので、今回が最初で最後のボランティアになるかもしれないし、いい思い出になりそうです。

一番会いたかった羽生選手はまったく目撃できませんでしたが、これも時の運ですね。送迎シャトルで遭遇した日本人ボランティアさんによると、すごく礼儀正しかったそうです。表彰式の後も、日本国旗を肩にかけて写真を撮った後は、丁寧にたたんでいました。


羽生選手の300点超えを目撃すべくFSは会場で観戦したのですが、今回はフェルナンデス選手がやってくれました。羽生選手も人間なんだからうまく行かない日もあるでしょうし、だからこそ見る側も、わくわくどきどきできるんじゃないでしょうか。精密機械のようなジャンプを繰り出すボウヤンだって、ジャンプがうまくいかなかった。でもそこがスポーツの面白みというのでしょうか、完璧な演技の重みが一層増すような気がします。悔しい気持ちをステップに、失敗を冷静に分析して矯正し、一回り大きくなる人が、本物のアスリートなんですね。

世界をかけめぐる選手たちは移動が多く、ホテルでの食事も多い、練習も決まった時間に運行するシャトルに乗って練習リンクに行く。時間に追われるスケジュールを黙々とこなし、その上で体調を維持しなければいけないし、大会が終われば早朝のフライトに乗って帰国。ということは、眠る時間も不規則になるわけです。その上どこに行っても人の目があるわけだから、なかなかリラックスできないでしょう。宇野選手なんか、FSのために到着した会場で、待ち構えていたファンに取り囲まれたらしいです。取り巻きがガードしていたそうですが。さすがに演技前は控えるべきじゃないのかなぁ。

一つ面白い体験だったのが、添乗していたエキシの後のシャトルがVIP扱いだったこと。なんとボストン警察の車がサイレンを鳴らして先導し、車も歩行者も退けて赤信号を突き抜け、ホテルまで超特急で戻ったのでした。これって却って注意を引くんじゃないのかな。


旅行記、体験記をだらだら綴っていましたが、誰それを見た、程度の非常に内容が薄いものなので、自分の記録のみにとどめておきます。

氷点下の空港にて

ボストンは今朝も氷点下(華氏32度が、摂氏0度です)。


心配性の私は3時起き。
4時にUberを探してみます。
5時でもあまり数がいないのにうまく捕まえられるのか?

心配無用。Uber Share呼んだら、3分で来ました。
4:20には空港到着しました。すばらしー!
チェックインはすべて機械で。
だけど日本のパスポートは読み込めないみたい。
地上職員が手入力の情報をチェックして、搭乗券発行。
4:25 スーツケースを預けて検査場へ。
最後まで、スムーズな旅でした。

検査場の行列に並んでいると、ファーストクラスの列に、小塚あゆみジャッジその他のお姉さまご一行が。ファーストクラスなんですね。いいなぁ。いや、ただのゴールドメンバーかも?彼女たち、飛行距離は相当なものでしょう。

そうしていると、向こう側の入り口(そっちがゴールド?)に、濱田コーチや長久保コーチが。よく見ると、田村コーチや、宮原選手、本郷選手もいます。宮原選手は髪を結んでいなくて、めがねをかけていたので、最初はよくわかりませんでした。

同じ飛行機かしらん(わくわくラブラブ)

皆さん、朝が早いんですね。いつもこんななのかなぁ。

私の隣には、Team USAのバックパックを持った、金髪の女の子。太もも裏の筋肉が半端じゃないので、只者でないことは確かです。後でスマホで調べたら、ペアスケーターのTarah Kayneだったらしい。一人で移動?パートナーはどうした?

検査場は、並び始め4:27、通過5:05。結構かかる。

検査場を抜けたら、宮原組が、本郷組に別れを告げて、左へ行くのが見えました。我々(?)は右へ。

まずは腹ごしらえ。持参したバナナとアーモンドバーを食べる。もの足りないので、食べ物求めてうろうろ。前を歩いていた、長いダウンコートにプーマのバックパックの男性が突然踵を返しました。真正面から一瞬顔を見たら、昨日ホテルで見た大輔さんの遠目そっくりさんかなという感じ(確証ないです)。髪型似てるんですよね、この方。本物の大輔さんだったらよかったのに~!

本郷選手は売店で何か購入中。お腹すくよね。若いんだもん!私はillyでコーヒーを買い、自分のゲートの近くに席を探すと、本郷選手と長久保コーチが座っていました。きゃっ、もしかして同じ便?真正面に座るのもアレだったんで、列を一つはさんで腰掛ける。結局彼女たちはヒューストン行きの便で、先に出発してしまいました。

さっき開いてなかったLegal Seafoodが開店したので、入店してRedクラムチャウダーを注文。朝は暖かいスープに限る!結構待たされた挙句、なぜか白が出てきたので、変えてもらったんだけど、白をたべときゃよかったんです。というのは、赤が辛かったから。ボストンで感じ悪かったのはここだけ。

食べ終わったら搭乗時刻になりました。空港には早く来すぎたけど、宮原選手や本郷選手と居合わせることができたから、早起きした甲斐ありでした。


搭乗した飛行機は、なかなか離陸しません。

滑走路を進んでいると、なにやら面白い光景。


蒸気のようなものを吹き付けています。

しばらく進んで停まったところでは、緑の液体を振り掛けている。


何してるんでしょう、これ。

と、思ったら、地面に怪しい液体。当機にも何か散布されている?






終わった後は、洗車場を出た車のようです。


いや、これで終わりじゃありません。

緑の液体散布。クーラントかな?



8:01薬剤散布終了。このフライト、7:32出発予定だったのですが、まさかこんなことがあるとは。チケット購入時はこれの一本後のフライトで、Newarkで成田行きへの乗り換え時間が40分程度だったんだけど、そのままだったらとんでもないことになっていました。ボストン発が一本早くなっててよかった!

それにしても、緑の液体、どんどん流れ落ちてます。

↑フラップ出したら、かかってないとこあるし。


ただいま滑走中。ほとんど落ちてる。空港汚しただけ、というのは言いすぎ?



テイクオフしました。残ってないよ。これでいいの?




さて、Newark空港。成田便の搭乗ゲートは端っこなので、到着ゲートから延々歩きます。しつこいけど、これで乗り換え40分はありえない。

ここで朝ごはん食べてもいいな。ベルジアンワッフルがあるなら食べてやってもいいけど、どうせないでしょ?と思ったら、ありました!

しかもなんと、ハイテクカフェ。テーブルの上のタブレットで注文も支払いも出来るのですが、結局誰かに来てもらわないと、訳わからず。しかも後でレシート見たら、チップが勝手に追加されてた。非常にケシカランシステムです。テーブルの右の細長い黒い小箱がカードリーダー。



待っている間、タブレットで遊ぶ。daisuke、で検索かけようとしたら

そう来たか。

ナイフはなんと、はりぼて。プラスチックを銀色にコーティングしているだけです。こんなナイフ、本物でも武器にはならんと思うが・・
・

Newarkから成田まで、13時間55分。SFOからよりも、ちょうど時差分長いです。人生で一番長いフライトだ!と思ったけど、調べたら実は前回のSFO-HKGの方が長かった。それにしても、東海岸に住んでたら帰国大変そうです。

世界選手権見られない?

明日、いよいよ世界選手権の開幕である。
シーズン最後の大舞台。
また素晴らしい演技が、世界のトップの活躍が見られるのが楽しみ。

なのだが・・・

世界選手権のボランティアをすることになっているので
すぐそばにいるというのに見られない競技がある。

女子のショートがあっている時間なんぞ、
会場のTDガーデンでボランティアのシフト真っ最中だ。
運が良ければ、ボランティアする場所にテレビかモニターがあるかもしれないが。

エキシの時間もシフト。

金、土は、ダッシュで宿泊先に戻れば、
タイミング的には一部でもTVかストリーミング見られるかも。
しかし、スケート観戦は一日がかりの大仕事。
観戦の合間を縫って、食事の時間なんぞも確保しないといけないし
この2日のシフトは朝5時半からなので、
ヘタレの私は夜には力尽きている可能性も。

しかも寒そうだよ、ボストン。

世界選手権を楽しもうと思ってボランティアに申し込んだのだが
楽しみ方を間違えたか?

アーチェリーレッスン

グルーポンで、アーチェリーレッスンが格安になっていたので、気まぐれで購入。本日行ってみた。

ちょっと早めに着いたので、店内を見物。壁にはいろんな動物の頭が飾ってある。定番の鹿だけじゃなく、ヒツジやイノシシや、ヤギなどもろもろ。どうやら本物らしい。
「こんな飾り必要なんだろうか」
狩猟時代は弓矢は食料獲得の手段だったんだろうけど、今は肉屋に行けば、肉はいくらでも買える。享楽のために動物を追い回して殺すのはまったく不必要だ。

といいつつ剥製にゃんことハイタッチするおばかさん。(実際にはタッチしてません)



どうやら、グルーポン客はひとまとめにされていた模様で、10人前後の人間がこの日最後のセッションに集った。

まずは腕と指のプロテクターを渡される。腕プロテクターは利き手と反対の腕の内側を守るように、指のプロテクターは指抜きのようなものを利き手の真ん中3本の指にはめて、そこから伸びているひらひらが手の甲に来るように装着。

次は、矢と筒のような矢の入れ物が渡される。背が高い(=腕が長い)人には長い矢が、背が低い人には短い矢が、一人6本ずつ。筒についているフックを、利き手側のポケットにひっかけてぶら下げる。矢のパーツ名をささっと教えてくれる。

そして、弓。私は新しいことをするときは右利きか左利きかわからないのだが、取りあえず右利き用を借りる。

そして狩場に入場


(入場した時は、一番手前の的の位置に、同じ的が横一列に並べられていた。)

それからインストラクション。弓の持ち方、立ち方、構え方、弓のつがえ方。人差し指が口角に当たるところまで引く。丸い標的の下のマークを狙って撃つ。矢を回収する前は、クリア、と声をかけて、誰も撃つ用意をしていないことを確認。

6本撃ったら、ほかの人がみんな終わるまで待って、クリア!と声をかけて、矢を回収。これを何度か繰り返すのだが、弓を持つ左腕がだんだん疲れて来た。私が使っていたのはドローウェイト16ポンドの弓。この数字は弓を引くときの負荷で、数字が大きいほど矢が速くなるのだが、その分力も必要で、非力な私は人差し指が口角に当たるほど腕を引くことができなかった。それでも壊れている右肩は意外にOK。せっかくだから左も試してみたかったので、左利き用の弓に取り換えてもらう。こちらは14ポンドだった。

右でも左でも、矢を放った瞬間、反動で姿勢が崩れるのが自分でわかる。これって腕の力もだけど、コアが必要だ。

みんながある程度慣れてきたのを見たインストラクターは、それじゃみなさんあとは自由に、と言って、消えてしまった。そのうち誰かが、一番遠くの的(写真のはるか後方に見える的)に向かって撃ち始めた。つられて何人かが、遠くを狙い始める。誰も見ていないと、やりたい放題である。

私は黙々と近くの的を狙っていたのだが、「ロビンフッドだー!」との声。何事かと思ったら、なんと自分の矢を射るという珍事が起きていた。

(↓矢のしっぽに別の矢が刺さっている)


自分ではぜんぜん気づかなかったぞ・・・

インストラクターの人が、矢を回収。ノックと言う、弓の糸にひっかける部分が壊れてしまったので、交換修理。壊れたノックはお土産に。



右の方が調子よかったので、また右に戻したかったのだが、「もうあんまり時間ありませんよ」と言われ、そのまま左で続行。開始から小一時間ほどで、終了となった。

見た目より結構難しかったが、楽しかった。右でもうちょっとやってみたいので、また行くかも。着替えなくていいのが気軽でいい。動物の頭は見たくないけど。

乗り継ぎ

航空会社からメールが来た。次回帰国便のフライト時間が変更になったとの知らせ。11:15のNY出発が11:00になっていた。

この便には、ボストンから乗り継ぐことになっているのだがなんと、ボストンからの到着は10:29。ただでさえぎりぎりなのに、出発が早くなったら乗り継ぎ時間が31分しかない!しかも到着って、飛行機が地上に降りる時間で、そのあとタクシーとか、ドア開くまでの時間とか、もろもろあるわけだ。手荷物検査だってあるかもしれない。国際線の搭乗は、出発20分前には開始だが、こちらが飛行機を降りる頃にはもう他の人は乗り始めているのだ。

もしかしてまた乗り逃がして空港一泊になるのか?いや、警備が厳しい米国の空港でそれは許されないかもしれない。こんなスケジュールのフライトが売っているということは、間に合うと考えていいのか?

超特急乗り継ぎは日本では経験済み。地上職員が待機していて、名古屋を駆け回らされた。成田もダッシュしたことがある。成田のときは荷物が重いのでゆっくり走っていたら、若いお姉ちゃんが私の荷物を持って高速で走ってくれた。米国ではそこまでやってくれるのか。日系航空会社だから、ちょっとだけ希望を持ちたい。方向音痴だから誰か先導してくれないと、またゲート間違えそうだし。

とにかく、SFに戻ったら、航空会社に電話をして確認してみよう。まだ一ヶ月以上先のことなのに、憂鬱になってきた。

サバイバル2

4CC男子SPをTV観戦。

ボウヤン・ジン選手は圧巻だった。

この選手、昨シーズン見たときは、まだ素朴な少年だったが、今シーズンはいきなり顔つきが違っていた。そして、世界最高難度と言われるクワッドルッツ+トリプルトウのコンビネーションを軽やかに跳ぶとんでもない選手になっていた。彼はこれからもどんどん進化して、もっととんでもない選手になって行きそうだ。

彼の後に登場したのは、休養から戻ったパトリック・チャン選手。

「王者」と呼ばれ、世界選手権3連覇を果たした彼も、無敵ではない。トリプルアクセルは相変わらず苦手みたいだし、クワッドも100%ではない。ボウヤン・ジンのあのパフォーマンスの後に滑るのはやりにくいだろうと思いつつ見る。彼のスケーティングの美しさは健在。インタビューで、今は順位は重視していないと言いつつ、氷の質を気にするコメントを連発していたのは、葛藤の表れか。かつての王者も、新しい世代から追いつかれ、追い越されて行くのだろうか。フィギュアはジャンプだけではないところを見せてくれ!

そして後日、男子FP。

ボウヤン・ジンの精密機械のようなジャンプてんこ盛りの演技の後、最終滑走のパトリック・チャンは、ほぼ完璧なパフォーマンスで大逆転!この展開は予想していなかったが、すばらしいものを見せてくれたことに大感謝。ボウヤン・ジンのジャンプに度肝を抜かれて、これを負かすのは無理かもと思ったのだが、後から見直したら、ジャンプ以外の完成度は高くないようにも見えた。パトリック・チャンにはそれがわかっていたのかもしれない。

クワッドは跳ばないと勝てないが、クワッドだけでも勝てないのだ。



個人的好みを言えば、ジェイソンブラウン選手がクワッドをマスターしてくれることをひたすら祈るのみである。クワッドが跳べないだけで彼が勝てなくなったらもったいなさすぎる。彼には是非サバイブして欲しい。

サバイバル1

唐突だが、今年で誕生400年を迎える有田焼が存亡の危機に立っている。

某NHKの番組によると、売り上げは、2003年をピークに激減。技術を継承していく人が年々減り、業界の高齢化が進んでいる、と、まぁ、よくある話。有田焼は、光沢のある磁器と、鮮やかな絵付けが特徴である。しかし消費者の好みやライフスタイルの変化により、伝統的な有田の食器が好まれなくなってきた。加えて海外からの安価な食器にも押されている。

綺麗な食器、好きなんだけどなくなってしまうのかな?伝統芸術とも呼べるものがなくなるのは残念だ。

・・・と思っていたが、有田の人々も手をこまねいているわけではなかった。

有田焼は変わらなければならない、との決意のもと、商社手動のプロジェクトが立ち上がった。

ヨーロッパの見本市への出展や、新たな販路の開拓。ヨーロッパのデザイナーからは、料理を引き立たせるために光沢を消してくれ、との注文。しかし、伝統の技に慣れ親しんだ窯元は、納得が行かず、試作品に光沢を入れてしまう。それを見た商社の担当者は一言。「あなたの感性はいらない。」あなた方の感性で作ったものが売れるなら、現状のようなことにはなっていない、と突き刺さるような言葉。

新しい有田焼、として某スタバに並べられた食器は、光沢がなく、無地でシンプル。有田焼には見えないほど、従来のものと違っていた。若い人のウケはよさそうだが、これで差別化ができるのか?

TVでは、新しい有田の食器を20ピースも購入したご家族の夕食風景を取材。器のどこが気に入っているのか説明してくれた。デザインがシンプルで、洋食にも合う。四角い大小のお皿は、重ねたときに角がぴったり合うのだと言う。焼き物は、焼く前と焼いた後では当然サイズや形に変形が生じるのだが、有田焼の技術の高さで、完成品のサイズがぴったり合うように作られている。そして、お皿の縁の立ち上がりには、スプーンがぴったり沿う。食べ物が綺麗にすくえて使いやすい。そこまで緻密に計算されて作られているということに驚いた。

真央ちゃんのトリプルアクセルのごとく、有田焼を一番知らしめている光沢や絵。それが受け入れられないのならば、そこを変えてでも、サバイバルしようという試み。そして、それができるだけの技術力。有田焼を支える技術は、光沢や絵付けだけではなかった。ここからまた、新たな伝統を作り出して行けば、有田焼はなくならないかもしれない・・・という希望を見せて、番組は終了。

従来の有田焼を見慣れている一消費者の私でさえ、新しい有田焼を見て戸惑うのだから、長い伝統を守ってきた窯元が違和感を感じるのは尚更だろう。絵付け職人も仕事がなくなってしまわないかと、余計な心配をしてしまう。だけど、ここで伝統を絶やさないためには、変わらなければならないのだ。続けていれば、技術は継承される。伝統技術にもイノベーションは必要なのだ。

ついでに自分にも何かイノベーションの余地が残されていないか・・・
ちょっと考えてみたが、何も思いつかなかった。当然か。

インフルエンザとな?

月曜日からなんだかのどがむずむずして、咳が出て、火曜はいよいよひどくなり、熱っぽくなった。こりゃー、ただごとじゃない。また気管支炎になってあばらを折りたくなかったので、さっさと近所のお医者へ。

熱をはかったら、38.9度。あら、結構ありますね。熱っぽいどころじゃない。

すぐさま名前を呼ばれて、誰もいないレントゲン室に連れて行かれる。

「こちらでお待ちください」

えっ、隔離?

センセに呼ばれ、聴診器当てられ(センセの頭が臭かった)、細長い綿棒のようなものを鼻に突っ込まれる。

やめてーっ!!と心の中で叫び、抵抗する私。

隔離室で待つこと10分。インフルエンザA型の診断が下った。

あのー、私会社で予防接種したんですけど、あれは何だったの?タイプが違ったってこと?例年予防接種なんかしなくても、インフルエンザなんかもらったことないのに、注射したらインフルになるってどういうことよ。

山のように処方された薬の中には、かの有名な「タミフル」が。

うわー、私、異常行動しちゃうんでしょうか。わくわく音譜します。←不謹慎

一週間は隔離モードでの生活だそうです。月曜日のバレエで誰かにうつってないといいけど。