日本の仏教、そして釈尊の仏教とは?(2)
世の中にはいろいろな間違いというものがありますが、間違いに気付いたら真摯に受け止め、それを正す勇気が必要です。
千数百年信じ込んでいる我々の仏教観が根本的に変わるということは受け容れ難いと思いますが、「本当の釈迦の教えは何か?」ということを求めている今治の若い人たちには、事実を知ってほしいと思います。
未来ある若者に、正しいことを正しく伝えるということは大人の義務だと思っておりますので。
この事実を知ることにより、自分自身の、そして今治地域の、新たなる第一歩が始まると思います。
次の文章は日本のインド哲学・仏教学の第一人者である中村 元、三枝 充悳両教授が書かれたものです。
「・・・言い換えれば、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の教えそのものは、現在伝えられている「阿含経」を、広義のインド学・仏教学に基づいて、充分に検討し、研究して、はじめて知られ得る。そして、その他のきわめて多数の諸経典、とくに大乗経典からは、まったく知ることができない。
ということは、反面、わが国のいわゆる常識として、広く一般に信じられているような日本人の仏教受容をめぐっての通念を根底から批判して、全面的にくつがえすことになろう。
それは、日本人一般に漠然と、わが国に伝来して継承されてきた仏教がそのままゴータマ・ブッダ(釈尊)の教えであり、読誦され、尊重された諸経典に書かれている一語一句がすべてゴータマ・ブッダ(釈尊)のことば、と信じられてきており、現にまたそのように信じられているからである。
この根本的に誤り歪められた日本人の仏教観を正し、ひるがえって、日本人が受容した仏教とはいったい何であったかを明らかにするためには、何よりもまず「阿含経」に関する正確な把握を必要とし、ついでインド仏教史の概略から大乗仏教についての概観がなされなければならない。・・・」
「バウッダ」(中村元、三枝 充悳共著 講談社学術文庫)
第二部 阿含経典 第一節 阿含経について①阿含経とは何か(1) より、抜粋
ようするに本当の「釈尊の仏教」について知ろうと思えば、それは「阿含経」に依るしかない、ということです。
では、なぜ本当の「釈尊の仏教」について知る必要があるのでしょうか?
それは、自分自身を変革し、運命を転換するには、「完全なる自己の変革」に成功された方、すなわちブッダ・釈尊の実践方法を勉強し、同じように実践すれば可能だと思うからです。
日本に仏教が伝来して千数百年。
やっと、ブッダ・釈尊の獲得されたニルバーナ(涅槃)を、我々も同じように修行し獲得することができる本当の時代がこれから始まるということです。
といいますか、もう既に始まっています。
日本の仏教、そして釈尊の仏教とは?
これまで日本が千数百年かけて中国を経由して受容してきた仏教とは何だったのか?
その答えが書かれた本をご紹介します。
この本は二人の著名な仏教学者によって書かれました。(略歴は下記をご参照下さい)
「バウッダ(佛教)」という本です。(中村元、三枝 充悳共著:講談社学術文庫 \1,400)
「バウッダ Bauddha」とはサンスクリット語で「ブッダを信奉する人」ということです。
我々日本人は果たして本当のブッダの教えを信奉してきたのでしょうか?
世界の仏教研究者がブッダのテクスト(文献)として取り上げ、研究の対象とするものは「アーガマ」のみです。
そして、今や日本の仏教学者もゴータマ・ブッダ(釈尊)を研究する際の唯一のテクストが「アーガマ」です。
仏教を信仰の対象としてではなく、今から約2,500年前に実在しインドのマガダ語といわれる言語を話されたゴータマ・ブッダを研究する時、学者が取り上げるのは「アーガマ(阿含経」という経典のみなのだということです。
ご紹介する本「バウッダ」の中にはっきりとこう書かれております。
第三部 大乗経典 第一章 「大乗仏教とは何か」の初めに、
「釈尊の教え、直接の言行を伝える文献は、またそれらを探求する唯一の資料は「阿含経」=アーガマのみであることを強調しておいた。そこでも歴然としているように、大乗仏教は、釈尊の直接の教えを伝えるものではない。」(P-224 15、16、17行)
この愕然たる事実をここで今治の若い人たちにぜひ知ってほしいと思います。
その上で、これから少しずつ本当の釈尊の仏教というものについても今治の若い人たちにこのブログでお話したいと思います。
実は私の卒業した大学は駒沢大学という仏教系の大学でしたので、一、二回生の時に仏教学を教養科目の一つとして学んでおり、仏教学の基礎は身につけております。(その時の教授は田上太秀教授)
そして、私の家は弘法大師・空海が中国の恵果阿闍梨より伝法された密教の真言宗です。
いわゆる大乗仏教と呼ばれる宗旨の一つになります。
日本の仏教の宗旨のほとんどが大乗仏教ということになります。
それに対し「アーガマ(阿含経)」は根本仏教と呼ばれます。
お大師様を尊敬していますし、家でもちゃんとお大師様を拝んでおります。しかし、現代は既に本物じゃないと生き残れない時代に入っています。
何が本当なのか、全てにおいて自分で見極めるしかありません。
今治の若い人たちよ、一緒に勉強しようではありませんか、釈尊の教えを直接伝える「アーガマ(阿含経)」について。
そして、これらの事実を知ると同時に釈尊直説の「アーガマ」にのみ書き記されている成仏法(ブッダに成るための修行法)を実際に修行して、仏の智慧を一緒に獲得しようではありませんか。
(実はお大師様はアーガマのことをご存知だったようで、ご著書「弁顕密二経論(べんけんみつにきょうろん)」の中にそのことが書かれています。詳しいことはまたこのブログでお話したいと思います)
中村 元(なかむら はじめ 、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)
インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。在家出身。
主たる専門領域であるインド哲学・仏教思想にとどまらず、西洋哲学にも幅広い知識をもち思想における東洋と西洋の超克(あるいは融合)を目指していた。外国語訳された著書も多数ある。
三枝 充悳(さいぐさ みつよし 、1923年4月18日 - 2010年10月19日)
日本の仏教学者、筑波大学名誉教授。
- Wikipediaより -
三枝 充悳教授は今月の19日に肺炎のためお亡くなりになりました。87才でした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌
武道と仏道
1977年4月に入門し、その3年後の1980年6月に初段を許されました。
私の直接の師は故・大山倍達館長でした。
そして私の直接の先輩は世界チャンピオンの中村誠先輩(現・極真会館・兵庫支部長)でした。
極真空手の稽古は大変厳しいものでしたが、念願の黒帯を締めることができました。
この厳しい稽古に耐えられたのは、このお二人のご指導のおかげと今でも感謝しております。
わが師・大山倍達館長は「空手の道は千日をもって初心とし、万日をもって極めとす」と言われました。
私も千日で初心の黒帯を取得し、それから空手の道に精進すること30年が過ぎました。
幸い私も大山館長の言われていた「万日」を過ぎました。
私なりに「空手の道」を極めたと思っております。
空手道というものは「人の道」でありますから、ただ空手が強いというだけでは「道」を極めたというわけにはなりません。
もちろん、格闘技ですから肝心の空手が弱くてはお話になりませんが、それ以上に心を鍛えること、人として成長することが大事であり、だから「空手道」なのです。
「空手の道」とは?
それは「人の道」であると同時に「武道」です。
それでは「武道」とは?
「生死に関わるような時にも自分の死をも恐れず平常心で戦う心、自分の弱い心に勝つ心」を持つことです。
しかしながら、戦うことを常に念頭に置き、相手を倒す技を磨き、実際にそれを持っている以上、「修羅の世界」すなわち「争いの世界」から逃れることができないのです。
私は空手の門に立ってから万日、30年が経ちました。
今、私は「空手の道」とともに「仏の道」に精進することを故・大山倍達館長にお許し願いたいと思っております。
何のために?
まず、醜い「修羅の世界」や「争いの世界」と縁を切りたいがためです。
次に「自分の生まれてきた理由を知り、死んだ後どうなるかを知る」ためです。
「自分の生まれてきた理由を知る」ということは「自分の不幸の原因」を知ることにもなるのです。
それだけではありませんが、それらを知ることができるのも「仏の智慧」というものなのです。
「空手の道」もそうですが、最初は「喧嘩に強くなりたい」から始まって、空手の稽古を繰り返し心身を鍛えることで、「武道を極めたい」というような崇高な精神にまで到達することができるのです。
「仏の道」もそうです。
最初は「現在の悩み、苦しみから逃れたい、解決したい。願いをかなえたい、等々」という「現世利益」から始まります。
今、生きていくうえでの悩みや問題の解決なくして、いわゆる「悟りの境地」など得られるものではないのです。
現在抱えている問題から逃げて、出家や隠遁生活するようなことではなく、娑婆世界(しゃばせかい)の苦しみや悩みと闘い、解決していく現代人こそ「仏の道」を極めることができると思っています。
「仏の道」を極めて、やがて到達すべき境地とは「生きたこの身のままニルバーナ(涅槃)の境地」に到るということです。


