武道と仏道 | 相の谷古墳と乎致ノ命

武道と仏道

私は若い頃、喧嘩に強くなりたくて、当時、「地上最強の空手」を標榜していた極真空手を習おうと思い、東京都池袋にあった極真会館・総本部道場に入門しました。

1977年4月に入門し、その3年後の1980年6月に初段を許されました。

私の直接の師は故・大山倍達館長でした。

そして私の直接の先輩は世界チャンピオンの中村誠先輩(現・極真会館・兵庫支部長)でした。

極真空手の稽古は大変厳しいものでしたが、念願の黒帯を締めることができました。

この厳しい稽古に耐えられたのは、このお二人のご指導のおかげと今でも感謝しております。


わが師・大山倍達館長は「空手の道は千日をもって初心とし、万日をもって極めとす」と言われました。

私も千日で初心の黒帯を取得し、それから空手の道に精進すること30年が過ぎました。

幸い私も大山館長の言われていた「万日」を過ぎました。

私なりに「空手の道」を極めたと思っております。

空手道というものは「人の道」でありますから、ただ空手が強いというだけでは「道」を極めたというわけにはなりません。

もちろん、格闘技ですから肝心の空手が弱くてはお話になりませんが、それ以上に心を鍛えること、人として成長することが大事であり、だから「空手道」なのです。


「空手の道」とは?

それは「人の道」であると同時に「武道」です。


それでは「武道」とは?

「生死に関わるような時にも自分の死をも恐れず平常心で戦う心、自分の弱い心に勝つ心」を持つことです。


しかしながら、戦うことを常に念頭に置き、相手を倒す技を磨き、実際にそれを持っている以上、「修羅の世界」すなわち「争いの世界」から逃れることができないのです。


私は空手の門に立ってから万日、30年が経ちました。

今、私は「空手の道」とともに「仏の道」に精進することを故・大山倍達館長にお許し願いたいと思っております。


何のために?

まず、醜い「修羅の世界」や「争いの世界」と縁を切りたいがためです。

次に「自分の生まれてきた理由を知り、死んだ後どうなるかを知る」ためです。

「自分の生まれてきた理由を知る」ということは「自分の不幸の原因」を知ることにもなるのです。

それだけではありませんが、それらを知ることができるのも「仏の智慧」というものなのです。

「空手の道」もそうですが、最初は「喧嘩に強くなりたい」から始まって、空手の稽古を繰り返し心身を鍛えることで、「武道を極めたい」というような崇高な精神にまで到達することができるのです。


「仏の道」もそうです。

最初は「現在の悩み、苦しみから逃れたい、解決したい。願いをかなえたい、等々」という「現世利益」から始まります。

今、生きていくうえでの悩みや問題の解決なくして、いわゆる「悟りの境地」など得られるものではないのです。

現在抱えている問題から逃げて、出家や隠遁生活するようなことではなく、娑婆世界(しゃばせかい)の苦しみや悩みと闘い、解決していく現代人こそ「仏の道」を極めることができると思っています。

「仏の道」を極めて、やがて到達すべき境地とは「生きたこの身のままニルバーナ(涅槃)の境地」に到るということです。