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開運!ブログDEセラピー5回目です。
人に理解されていない感じがする
親が、パートナーが私の事を分かってくれていない
誰も私の事を分かってくれない
どうして私の言っていることやっていることがちゃんと伝わっていないの?
そんな思いをお持ちの方へお送りします。
今日のお題は「分かり合えない、分かって欲しい・・・そんな時に覚えておいて欲しい事」です。
なぜここでイキナリ叶恭子さんが?というのは後ほど。
★
わかってもらえた
理解してもらえた
その体験はとても素晴らしいものです。
嬉しいものです。
かけがえのないものです。
私も「理解してもらえた」と思った時のその体験と感覚が、確かに私を支えてくれていますし、
その体験を思い出すことで自分を取り戻すという事も往々にしてあります。
しかし、
「わかってもらえた」「理解してくれた」
その出来事、その気持ち、そのエネルギー
これほど中毒性の高いものはありません!!!!
特に、
「自分で決める」という事がわからない方や
不安と焦り・焦燥感の中で生きている方、
つまり「他人軸」で生きてきた方へのその中毒性は、まさに麻薬です。
理解が得られたその瞬間、「こころの隙間」「こころのブラックホール」が埋まるような感覚が、確かにあります。
しかし、時間がたつとまたすぐ隙間が空いてしまいます。
そしてその隙間を埋めるべく、他人からの「理解のエネルギー」を求めるのです。求めさまようのです。
わかってくれ
わかってくれ
わかってくれ
もっとわかってくれ
私の事を理解してほしい
理解してほしい
もっともっと理解してほしい
エンドレスに欲しい気持ちはどんどん大きくなっていく。
それは、充足するすべを知らないからです。
★「自分がエネルギーの源泉である」なんて知らないし、思えもしないから消耗していくのみで、
他者(外側の何か)から供給するしか手段を知らないのです。
その隙間を、なんとかしなければ居ても立っても居られないのです。(とめどなく出てくるのは不安・・・)
そしてもっともっと、より強い深い理解を求めて
家族やパートナーからの理解を求めて
もっともっと、、、、
いつしか「他人に理解してもらうこと」が至上の目的になってしまっていませんか?
常に「理解してくれる他人」を求め・探していませんか?
そんなあてどない中毒の旅をしていた私が提案します。
わかってもらうこと
理解してもらうこと
それを目的に生きるのはもうやめましょう。
なぜなら
理解してもらおうとすればするほど、「わかってくれてない」「違う」「そうじゃない」に敏感になるからです。
わかってもらおうとすればするほど、「相手はわかってない」というところがよく目について、敏感に反応してしまうのです。
また、一度理解してもらえたという思いが「過剰な期待」となり、「違う」「そうじゃない」「もうわかってくれていない」という絶望になるのです。
そうして理解してもらえなかった・理解されていない・・・という体験が増えていきます。
(増やしているのは自分なんだけどね)
苦しいから、楽になろうとして、求める、、、この永遠に終わりのこないループから抜け出しませんか?
覚えておいてください。
「理解してもらえた」という体験は、実は、ひとつあればいい。
たくさんはなくていいのです。
いつもいつも理解されていなくたって、大丈夫なのです。
わかってもらえていなくても、あなた自身の価値とは関係がないんです。
(わかってもらえない=価値が低い、価値がない、ではないし
わかってもらえる=価値が高い、価値がある、ではない)
ちゃんと理解されていなくても、
あなた自身にはなんの問題も差し支えもないんです。
ほんとです^^
●さて、ワークをしましょう。
いまここで、
「ああ、あの時、あの人に、もしかしたらわかってもらえたのかもしれないなあ」という経験を思い出してみたください。
私だったら
カウンセラーの〇〇さんに「うんうん」って話を聞いてもらえた、分かってもらえたと思えた。
友人のゆかこさんに「子供の時、親にこんなこと言われたんだ」って言ったら
「えっ!?何それ!!許せん!!」って怒ってくれた。なんかすごく嬉しかった。
ということが思い浮かびました・・・(´;ω;`)
★全くない、一つもない、っていう事のほうがなかなか難しいのではないでしょうか???どうでしょう??
★人に分かってもらった経験でなくてもいい。犬さんでもネコさんでもいい。天使でも神様でもいい。
さびしい気持ちの時、たまたま出会った大きな樹が「ここでゆっくりしていきなさい」って言ってくれた、とかもよいね。これも私の経験。
ここはあきらめずに、「あなたのことを想ってくれた誰か」を思い出してあげて欲しい。
「あなたの思いを受け止めてくれた誰か」の事、切り捨てずにすくい上げて欲しい。
★
うん、ありがとう。
「私にはわかってもらえたという体験がひとつでもある」と、あなたは思い出せましたね!!!
そしたらね、不思議なことに・・・
節目節目で「ああ、ちゃんと私のエネルギーが伝わったんだな(わかってくれたのかもしれないな)」という充足した瞬間がこれから訪れます。
躍起になって理解者や理解してもらえる方法を求める必要はなくなります。
そして覚えておいて欲しい、
★理解とは
あなたのエネルギーを受け取ってもらえること
あなたのエネルギーを受け止めてもらえること
なのだということを。
そして一方的な
わかってくれ
理解してくれ
は、暴力である。と思うのです。
一方的に自分だけが「貰おう・得よう」とするのは盗人です。
貰うなら払わなければならないのです(この世の仕組み)。
一方的に自分だけをわかってくれというのはあまりにも理不尽なことだと思いませんか?
そのような思いを向けられて、疲れ果ててしまった経験がありませんか?(愚痴を聞いてくれとか)
また、「あなたのことは全部よくわかります」などという戯言に騙されないでください。
そんな甘い言葉に惑わされないでください。
わかってないからそんなことが言えるんです。
「わかってほしい」という思いを否定したり、ないことにするのは違います。それはあって当たり前です。
しかし「過剰」に求める場合はエネルギーのバランスが崩れますので
自分自身の精神も不健康になりますし(くれくれ星人)
わかってくれエネルギーを向けた相手との関係性も不健全なものになります。くれくれ星人からは逃げたくなるものです。
・私は分かってもらわなければならない
・私たちは理解しあわなければならない
それもまた呪縛でしかないと思うのです。
「わかりあえなくてもいいんだなあ」
そのくらい軽い気持ちで、まずあなたを自由にしてあげてください。
分かって欲しいプレッシャーからあなたを解放してあげてください。
楽になります。
楽になれば、自然に、本当に自然に、人とつながりあうことが出来るのではないでしょうか?
自分にも他人にも、「こうあらねばならない」「こうであってほしい」という枷をかけなければ
自然に、つながりあうことが出来るのではないでしょうか?
最後に、叶姉妹の叶恭子さんのお言葉を転載します。
恭子さんの言葉はいずれも、楽になり、同時に力がわいてくる、、、そんなチカラがあります。
『わかり合えないということ』🦋✨
わかり合う
ということの難しさは
性別などのことだけではなく
日常のあらゆる関係性に
存在しています。
人は皆それぞれ
違うのですから
すべてを
不自然なまでに
わかり合おうとすることは
勘違いや温度差を
感じることなど
不必要なストレスになります。
あくまでも
ポジティブな思考で
そもそも
すべてをわかり合おうなどと
大それたことを考えずに、
むしろ
わかり合えないことを大前提に
考えてベストを尽くすと
むしろ自然で心地よい関係が
新しい可能性をうみだす
楽しさに変化します。
あなたのことは
あなたですら
まだわからないことが
あるのですから。💋✨
分かり合えない、分かって欲しい…そんな時に覚えておいて欲しい事:まとめ
①あなたの気持ち、感情、エネルギーを受け止めてくれた存在との思い出を、一つでいいから思い出してみよう。
ゼロじゃない、「一つある」それが確固たるお守りとなってくれる。
無理解に不安な時、いつでもそのお守りを思い出そう。
②分かって欲しい!が強い人ほど、相手を分かろうとしていないんだなあ。
このアンバランスさが他者との関係性を不健全にし、あなたからあたたかい繋がりを遠ざけているかもしれない。
その可能性を頭の隅に置いておこう(置いておくだけでいいよ、ちゃんと気づきが生まれてきます)。
②前提を「わかりあえなくてもいいんだなあ」にしておくのがおすすめだよ。
楽になれるから。
楽になったところから、始まるから。
今日もお読みいただきありがとうございました。
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