中国史家からみた魏志倭人伝 | 原島礼二、原島隆の「池袋古代史入門講座」のブログ

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吉野ヶ里遺跡の発掘をきっかけに、魏志倭人伝を読み始めました。

読み始めると、邪馬台国がどこなのかということの他にもいろいろと
興味がわいてきます。

気になったのは各国の戸数の数値です。

奴国は2万、投馬国5万、邪馬台国7万と書かれています。

最近読んだ「考古学講義」(ちくま新書)の北條芳隆さんの『古墳がなぜ巨大化したのか』で
当時の人口などが論じられていました。

邪馬台国時代の人口が180~220万人と書かれており、これは魏志倭人伝の数字を参考にして推定したとあります。

中国史の岡田英弘先生(1931~2017)の「読む年表 中国の歴史」(ワック)をみると、こうした人口数や邪馬台国までの距離や方角は政治的な意図を持って書かれているとあります。

魏志倭人伝が書かれたのは晋の時代で、皇帝となった司馬炎の祖父は諸葛孔明と戦った司馬懿(仲達)です。

この司馬懿の功績(朝鮮半島北部の公孫氏を滅ぼしたこと)を司馬懿の政敵であった曹爽の父、曹真の功績(西域、中央アジアの大月氏国を朝貢させた)と同等に書いたといいます。

つまり人口も里数もあてにならないとのこと。

もし岡田先生の言うとおりだとすれば、ヤマト説、九州説と論争していたのは実に馬鹿馬鹿しい行為になってしまいます。

ただ倭人伝には邪馬台国の場所の話以外にも、倭人の風俗習慣など興味深い内容が記されているのでまるっきり無視してしまっては身も蓋もなくなってしまうとは思いますが。

 

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