ちくま新書「考古学講義」は何人かの研究者による共著ですが、これを
まとめている北條芳隆先生がこの本の中で「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」について書かれています。
いくつか論点がありますが、古墳が巨大化するということは先代の王に対して僭越な行為(先代より大きな墓を作る行為)になることなど様々な矛盾点を紹介しています。
そして倭国の比較対象として高句麗をあげ分析しています。
高句麗は5部族による連合体であり、墓の埋葬はありったけの財宝を副葬する厚葬だったとあります。
池袋の古代史講座でこの話を紹介した時に、例として奈良県東南部の山の辺道周辺の古墳群について考えてみました。
このエリアでは纏向石塚古墳など100m前後の前方後円墳がいくつか築かれたあと、いきなり200mを越す箸墓古墳が築造されました。
そしてこの後は西殿塚古墳や行燈山古墳などの200mを超す古墳が次々と築かれています。
こうした巨大古墳が代々築かれたと、これまでは考えられてきました。
しかしもし北條先生の話のように部族間の過剰な競争による古墳の巨大化がすすんだとすればどういうことになるのでしょうか。
箸墓古墳、西殿塚古墳、行燈山古墳などそれぞれ別グループ(部族)による古墳築造ということになります。
山の辺付近の古墳群だけではなく、佐紀古墳群や大阪の古市古墳群や百舌鳥古墳群についても同様な視点で見直すと面白そうですね。