「“感じて?”の誤解:脳型で読み解く“本物の直感“とそのすれ違い7/7 | ゆるくてごめん、でも効くから!ムリせず整う からだ・こころ・脳のエクササイズ

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7話 “ルーティン”が嫌いな人の正体。
    セロ・ノル・グルで分かれる“日課”の意味

 

 

「ルーティン?そんなの感覚の邪魔でしょ?」
「え、でも日課にしないと、すぐ忘れるやん…」

 

——そのすれ違い、脳型で解けます。

 

 

■ 感じて?って言いながら、感じてない問題

 

「感じて?思考は要らない」というスタンスが流行って久しい。

確かに“感じること”が必要な場面はある。

でもさ、「手帳はダメ」「ルーティンは良くない」って、
あなた本当に感じてそれ言ってる?

 

それは「考えて出した答え」ではなく、
「自分が正しいと信じてる感覚」=“思い込み”にすぎなかった。

 

これ、実は「感じる」って言いながら、
【ノル→グル→アセチル】という“感覚の階層”を飛ばして、
ドーパミンで「私は感じてる(キリッ!)」してる状態。

だから、相手に対して的確な感覚のフィードバックができない。


 

■ 感じるにもプロセスがあるんだよ?

 

本当に“感じる”には、段階がある。

  • ノルアドレナリン型:違和感に気づく。「なんかズレてる…」

  • グルタミン酸型:情報と感覚を統合して、違和感の正体を明確にする

  • アセチルコリン型:身体ごと動く。
             考える前に反応してしまうほど“腑に落ちている”状態

 

つまり、“感じる”には
1)違和感に気づく
2)その背景を知る(思考ではなく、知識と感覚の統合)
3)理解が身体にまで落ちて、自然に動く

という順番がある。

それをすっ飛ばして「手帳はダメ」は、ただの好みか独断だよね。

 

 

■ ルーティンに込める“意図”の違い

 

ここで、「ルーティン」の話に戻る。

感覚的な人ほど、「ルーティン=感覚の邪魔」って感じるかもしれない。

でも、私たちのようにノル・グル型の人にとっては、
「ルーティン=思考の整理」だったりする。


たとえば:

  • セロトニン型:「安全確保と安定感。これが私の生きる土台」

  • ノルアド型:「違和感を避け、疲れないための構造として」

  • グルタミン酸型:「日々の行動をフィードバックして、
               成長のループをつくる」

  • ドーパ型:「飽きる。無理」

  • アセチル型:「ルーティン不要。感じたら勝手に動く」

 

このように、同じ“日課”でも、脳型によって意味がまったく違う。

だから「ルーティンなんてダメ」は、すべてを否定するには乱暴すぎる。

 

 

■ 感覚の人ほど、“構造”が必要

 

むしろ、感覚が強い人ほど「構造」で支える必要がある。

そうしないと、感覚が暴走したり、ズレたままになったりする。

 

これは、ノル・グル型の特性でもある。

「感じる」のは得意だけど、それをどう処理するか?には頭を使う。

そして、頭だけで処理しきれないものを、
“ルーティン”という形にして日々統合していく。

 

本物のアセチル型が言う「感じて」は、
それこそユタや巫女クラスの直感直結。

でも、私たちが日常で感じてるのは、
ノル→グルを通る“学習型の感覚”がほとんど。

 

だからこそ、学習に伴う“ルーティン”は、
むしろ感覚を深める手段になる。

それを「ルーティン=悪」で切り捨てるのは、
“感じて”を語るには浅すぎる。

 

 

◎まとめ:「感じて」って言うなら、まず“違和感”から始めよう

 

「感じる」って、何のために感じるのか。


「感じた」って、本当に自分の身体が納得してるのか。


それをチェックするのが、ノルとグルの出番。

 

ドーパで「私は感じてる!」と押し出す前に、
違和感→統合→全自動(アセチル)という流れを忘れずに。

 

ルーティンを否定することは、感じる準備を否定することかもしれない。


それ、ほんまに感じてる?
それとも、“感じてる風”のドーパ出し?(完)

 

 

 

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