3話 “ほんものの感覚世界”はどこにある? 〜グルアセ領域への招待〜
「感じて?」「思考はいらない」「ピンときた?」「直感を信じて」
…これらの言葉、よく聞くようになったよね。
でもちょっと待って。
その“感じて”って、ほんまに“感覚”なん?
「セロトニン的安心感」や「ドーパミン的ワクワク」を、
“感覚”と呼んでること、ない?
それって、たしかに“感じてる”けど、
グルタミン酸やアセチルコリンが担ってるような
「ほんまもんの感覚世界」とは、別モン。
■ グルタミン酸:知覚の翻訳者
視覚・聴覚・触覚など、五感をキャッチしてるのは「感覚神経」やけど、
その情報を“知覚”として立ち上げるのに関わってるのが、グルタミン酸。
つまり、「感覚の翻訳者」ってこと。
音や光や手触りを、“意味のある情報”として
脳に届けるために働いてるのがグル。
たとえば、
・「この音、ちょっと濁ってるな」
・「この布、手触りざらっとしてる」
みたいな、微細なニュアンスを感じ取る力にも関わってくる。
■ アセチルコリン:全自動の“調整役”
そして、その感覚を微調整しながら体にフィードバックしていくのが、
アセチルコリンの役割。
たとえば、
・空間の中でバランスを取る
・呼吸のリズムを変える
・筋肉の微調整をする
・言葉にするより前に、体が勝手に動く
そんなとき、アセチルちゃんは
意識されずに働いてる“縁の下の力持ち”。
言語化する前に「ピンときた」とか、
「気づいたら動いてた」ってときは、この子の領域。
■ 「直感スピ」とのすれ違い
いわゆる「直感スピ」的な語り口って、
“気分がいい”ことや、“心がワクワクする”ことを
「感じてる」って言いがちやけど、
それって実は、セロトニンやドーパミンの反応のことが多い。
それ、ほんまの意味での“感覚”ではないかもしれんよ?
感覚ってもっと、身体の微細な信号や違和感や、
言葉にならないレベルの気配からやってくるもんやから。
■ グルアセ領域の“ほんまもんの感覚”って?
グルアセ領域に触れてるときって、
「うまく説明できんけど、なんかしっくりくる」
「なんでかわからんけど、こっちやと思った」
「気づいたら動いてた」
って感じになる。
それ、もはや“考えた”わけでも、“気分がよかった”わけでもない。
言葉以前の、知覚と動きの統合であり、
学習の蓄積による身体知であり、
周囲の気配とのチューニングでもある。
■ 「感覚を整える」って、ここにつながる
私が伝えてる「整える」ってことは、
このグルアセ領域の感度を上げていく道でもある。
最初はノルアドで「違和感」に気づくところから。
そこからグルで「微細な感覚」を拾っていって、
アセチルで「自動的に整ってく」感覚を育てていく。
だから、最初は「手帳」でも「ルーティン」でも「深呼吸」でもええねん。
整えてるうちに、「ほんものの感覚」が育ってくるから。
■ 「感じて?」の落とし穴から抜けるために
感じる=セロ
ワクワク=ドーパ
この勘違いに気づくだけで、見える世界は変わってくる。
そして、
“感覚”の本丸は、グル×アセの連携領域にある。
だからこそ、積み重ねた知識が感覚を深めてくれるし、
感覚が言葉を育ててくれる。
この往復があってこそ、「直感」は磨かれていくんやと思う。
■ 次回予告
「“直感”と“カリスマ”のすれ違い 〜ドーパの顔してアセチルぶるな〜」
…を予定!
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