2話 セロドーパ国家と“感じる”のすれ違い
感じるって、ノルアドレナリン~
グルタミン酸~アセチルコリンの連携プレーのはずが、
ドーパミン的なことが感じるってことになってる不思議。
それは、日本がセロトニン型がメインで、
サブでドーパミンを使う人が多いセロドーパ国家なので、
ノルアドレナリン+グルタミン酸な人とは、
感じることの意味が違うのです。
■セロドーパ国家=反応ファースト社会
セロドーパ国家では、
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「みんながそうしてる」から安心(セロ)
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「楽しい方が正解」だからやる(ドーパ)
この2つの“快ルート”が文化的に正当化されすぎてるから、
“ほんまもんの感覚”がむしろ「鈍感」に見えてしまう。
■感じるって、微調整できる力 やと思う
過去、ある人がこんな場面で素敵な反応をくれた。
誰かがちょっと強めの発言をしたときに、
少し間を置いてから、静かにこう言った。
「うん、それもあるね。でも、この場合はちょっと違うかも」
私はその一言に、ノル→グル→アセの流れを見た。
感じてるって、相手を見て、間を取って、微調整できる力なんよ。
■(おまけ)感じる整えワーク
舌の位置チェック(脳の切り替えスイッチ)
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舌が上あごについてる?
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先っぽだけじゃなくて、全体がふわっと乗ってる?
この状態を作ると、ノル→グル→アセの感覚ルートに入りやすくなるかも。
ちょっとした切り替えに、ぜひやってみて。
まとめ:
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「感じて?」には種類がある
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セロ&ドーパの“快”に反応するだけでは、深い感覚にならない
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アセチル的な感覚は、違和感→整理→納得のプロセスがあってこそ
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感じてる人ほど、相手の状態を見て微調整ができる
次回:「“ほんまもんの感覚”は、グルアセ領域で育つ」へつづく。
あなた自身の脳のタイプを知ると、楽しく読める構成になっています↓

