前回の続きです。
今回は函館奉行所の中編です。
⑥には御手洗いがあります。
上図⑥付近の御手洗いです。
⑦には武器置き所があります。
⑦の武器置き所です。
現在は何も置いてません。
⑧の表座敷にいくと
⑧の表座敷です。
コナンの展示があります。
劇場版『名探偵コナン 100万ドル
の五稜星(みちしるべ)』上映で、
この展示があります。
カメラを左に回すと
⑧の表座敷です。
外国領事との応接や上級役人
との会議に使われたようです。
表座敷の奥には函館奉行の
奥向き御殿がありましたが、
復元はされていません。
奥向き御殿部分を拡大すると
奉行奥向き御殿間取図です。
復元されていない函館奉行
の日常私生活の場です。
囲炉裏の間もありますね。
五稜郭タワーの模型です。
⑨付近に行くと
⑨から⑩方向です。
⑩付近から中庭を見ると
中庭は観賞用ではなく、採光や
雨水処理を目的にしています。
四方の屋根から集まる雨水を
大広間の床下を通して、南庭
に排水する構造です。
⑪の所に行くと
上図⑪から玄関方向です。
御役所調役の部屋⑫です。
この部屋にある解説板です。
江戸幕府の下部組織である、
奉行所で一番大きい事務所
でした。
この部屋にある解説板です。
今は歴史発見ゾーンと
して、各種の資料が展
示されています。
赤い矢印の方のこの部
屋に入ります。
一部だけ資料を紹介し
ます。
文久年間(1861~1863年)の函館
古絵図です。多くの外国船が港にあ
り、市街地には多くの建物がありま
す。
明治になってからの古写真です。
五稜郭以前の函館奉行所が写さ
れています。ここでも太鼓櫓が
ありました。
文久2年(1862年)の函館
古絵図です。多数の外国船が
入港し、函館山の麓にはイギ
リス・アメリカ・ロシアの領
事館が描かれています。
嘉永6年(1853年)に函館と下田の
開港が決まり、翌年1854年4月に、
アメリカのペリー艦隊が入港して、
開港地調査をしたので、函館は大騒
ぎになりました。
世界の五稜郭地図です。
日本には函館と長野県佐久市に
五稜郭があります。佐久龍岡城
の築城は1864(元治元)年のこ
とでした。築城した田野口藩は
16.000石の小さな藩でしたが、
のちに龍岡藩とあらためられま
す。田野口藩の藩主は松平乗謨
(まつだいらのりかた)で、そ
の際に乗謨が築城したのがこの
城です。乗謨は以前に幕府が招
いたフランス人士官から築城方
法を学んでいました。そして陸
軍総裁に任じられると、領地に
住む人々を集め龍岡城の築城に
着手します。その費用は当時の
金額でおよそ4万円にのぼると
言われています。
現在は郭内にあった小学校が、
少子化で閉校し、当時の建物
は食堂櫓だけが残ります。
今回はここまでで、次回に続く
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