前回の続きです。
湯浅町教育員会に連絡すると、現在は
道が崩れている所もあり非公開になっ
ているとのことです。
なので、今回は周辺を回り紹介します。
次回は教育委員会の発掘調査資料から
引用して、城内を紹介します。
下図⑤のさらに枠外左側から撮影
右側の青木山に湯浅城がありまし
た。その左側に湯浅温泉湯浅城が
あります。
Google地図です。
②付近に行くと
湯浅温泉湯浅城です。
5層の天守の周囲を多聞櫓
で囲い、その多聞櫓の四隅
には2階櫓があるという、
鉄筋コンクリート造りの、
豪華な城になっています。
これは現在の湯浅城です。
上空から見た湯浅城です。
5階5層の天守が立派です。
唐破風のある玄関前から撮影
ここで宿泊したかったのですが、
時間的に田辺城跡も見学できる
ので、ここは次回来たときに宿
泊します。
下図②付近からの撮影
②付近の南側には
案内板があります。
連絡先は湯浅町教育員会で
TEL0737-63-2525です。
見学できるか調べてから行
く方がいいと思います。
上図③④の方に行くと
下図③付近から見た墓地です。
赤い塔はキリスト教関連
です。室町時代後期には
畿内周辺に多くのキリシ
タンがいました。
しかし、豊臣秀吉の時代
になると、キリシタン弾
圧を始めたので、隠れキ
リシタン化してます。
この湯浅城では記録され
た資料だけでも10回以上
の戦いがあり、戦死した
方の墓地となり、地元の
方もここを墓地として使
用したのでしょう。
④付近から湯浅城を見ると
④付近から湯浅城方向です。
この付近で小雨が降りました。
発掘調査で作られた赤外線地図
⑥付近から①方向は
上図⑥付近から①方向です。
この川は堀代わりの山田川です。
①付近に行くと
①付近の湯浅城入口です。
ここが近年地元有志の方々
で造られた登城口です。
実際の登城口かは不明です。
ここにある解説板には
湯浅城鳥瞰イメージ図です。
この入口にある測量図です。
赤い線に沿って登城できます。
登るとこのような柵があり
ここからは入れません。
今回はここまでで、次回は
発掘調査の資料を引用して
紹介します。
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