前回の続きです。
久保田城の続きなので、角館の武家
屋敷の紹介になります。
今回は駐車場から石黒家までです。
角館は蘆名義勝(義宣の弟:義広)
が城下町造りをしたときに、蘆名
氏の家臣達が角館に移り住みまし
た。石高が約1万6千石なので、
常陸では4万石ほどもあったので、
石高が減って角館には約200名
ほどの武士しか移住できませんで
した。
1620年に城下町が造られた時、
内町の武家屋敷は250戸だった
そうです。
角館で一番格式が高く、一番古い
武家屋敷の石黒家まで歩きました。
下図①付近の桧木内川沿いの堤に、
植えられたソメイヨシノの桜です。
(グーグルストリートビューから)
4月20日から5月5日が桜祭り
なのですが、期間中にすでにほと
んど散っています。
昭和8年に完成した堤に、昭和9
年の上皇陛下誕生記念に、2km
に渡り堤に植えられた桜です。
武家屋敷通りの枝垂れ桜は、蘆名
家が断絶し、1656年に佐竹北
家が入部してから、ほどなくして
植えられた枝垂れ桜で、その樹齢
が300年以上の老樹もあります。
現在地にある案内板です。
今回の訪問は4月下旬なのですが、
桜はほとんど散っていました。
上図①付近の桜並木です。
今年2022年は開花が早かった
ようです。
上図②から①方向です。
それでも桜まつりの期間中なので、
天候も悪く、小雨が降っています
が、駐車場はほぼ満車状態でした。
この反対側は
下図②から③方向です。
お土産店などがたくさん
ありました。
③の所に行くと(左が北)
上図③から④方向です。
雨でも祭りのような賑
やかさでした。
下図④付近です。
角館樺細工伝承館です。
まだ若い枝垂れ桜が咲いています。
下図⑤付近から⑥方向です。
ここがメインの武家屋敷通り
です。昔来たときは無かった
人力車が走ります。
(少しブレました)
⑤から少し⑥方向に歩くと
左側に角館樺細工伝承館の
正門があります。
さらに⑥の方に歩きます。
武家屋敷通りです。
武家屋敷は多くが飲食店や
お土産屋になっていました。
枝垂れ桜もほとんど散って
います。
下図右下の青柳家脇門です。
角館歴史村・青柳家の案内板です
脇門は右下です。
使用人など、日常はこちらの門を
使用したのでしょう。
下図にある青柳家の薬医門です。
幕末の万延元年、藩への功績が
認められ特別に許された青柳家
の薬医門です。門はその家の位
や威信を表すとされていた当時、
上級武士にしか許されない門で
した。
青柳藤右衛門がみちのくの地に
移り住んでから約四百年。
角館でははじめ芦名氏に仕えた
青柳家ですが、芦名氏断絶後は、
常陸時代と同様に佐竹北家の家
臣となりました。
青柳家は組頭役として、幕末の
石高は204石だったそうです。
3000坪の敷地は現在角館
歴史村になっています。
上図⑥付近の石黒家藥医門です。
門の横に表示された解説板です。
石高は150石でした。
今回はここまでで、次回に続く
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