角館 3 石黒家1 | みどりの木のブログ

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前回の続きです。

久保田城関連での紹介ですので、

角館城跡は次に来た時にします。

以下にある古絵図は石黒家の展示

品です。

今回は石黒家1です。

 

石黒家の薬医門です。

右端にのぞき窓があります。

 

門左側の解説板です。

 

幕末の古絵図赤枠に石黒家

の名字が書かれています。

左端の青い部分は佐竹北家

の屋敷です。

 

太赤矢印が石黒家です。

 

江戸時代の中期頃と思われる

古絵図です、この頃は石黒で

も蓮沼でもない名字の家です。

江戸時代に住む人は何度も変

ったのでしょう。

 

石黒家の石高は150石で、

佐竹北家用人で重臣でした。

1656年に断絶した蘆名

家の後に、佐竹北家を相続

した、義宣の妹の子供だっ

た佐竹義隣に従って、角館

に来ました。石黒家はもと

もと富山県の出身でしたが、

財政に詳しい「そろばん侍」

として、佐竹北家に仕官し

たようです。

初めは武家屋敷の西側にあ

る河原町に住んでいました

が、幕末の1853年に現

在地に転居しました。

この屋敷の先住人の蓮沼七

左衛門から買い受けていま

す。普通武家屋敷は藩の所

有ですが、この家が蘆名氏

の家臣であるなら、蘆名家

断絶後は個人所有になった

のでしょうか?

門の棟木板に1809年の

年号があり、かやぶき屋根

の主屋もその頃に建てられ

たと考えられます。

買い取った時と、ほとんど

間取りは同じです。

明治以降に高価なガラスを

使う建具などにリフォーム

されています。現在も石黒

さんが当主で住んでおられ

ます。なので、全て公開し

ておらず、古い部分を公開

しています。角館で座敷に

上がれる唯一の武家屋敷で

す。

幕末頃の当主は出来た方だ

ったのか、明治・大正時代

には大地主に成長します。

 

薬医門です。

 

門を入ると正面に玄関があります。

 

下図Aから正面に玄関と、

その右に脇玄関です。

 

石黒家間取り図(朝日新聞より)

 

内部の部屋から式台・玄関を

撮影したところです。

偉い人が来たときに使う玄関

なので、石黒家の方も全く使

用していないそうです。

もっぱら脇玄関を使用してい

ます。

 

下図B付近から脇玄関方向です。

 

 

 

上図C付近から見た大正期増築部分

と、その右に土蔵があります。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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