長野市出身。昭和28年長野県警、鑑識課に配属。

 その後、県警科学捜査研究所で定年の59歳まで鑑識畑を歩んだ。

 

 戸島さんが関わった大事件は浅間山荘事件、松川ダムバラバラ事件など。

 平成3年には昭和40年から25年間に血痕・血液検査、死体解剖の介助、記録など2万3000件もの鑑識捜査を手がけた。

 それらの事件解決に大きく貢献したとして警察庁関東管区優秀警察職員として同管区警察局長から表彰された。


 緻密で責任感の強い人柄。

「間違いは許されない」と常に口にした。 

 今回の受章を「努力が報われた」と苦労を共にした家族と喜びをかみしめていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 犯罪や非行をした人の立ち直りを支える保護司として27年間活動を続け、これまでに若者から高齢者まで約30人を担当してきた。

 罪状は暴力や窃盗、薬物などさまざまだ。
 「保護司になったばかりのころは何とか更生させようという正義感に燃えて高飛車になってしまったが、その後は一貫して対象者と目の高さを同じくして話をよく聞き、希望が持てるよう相談に乗ってきた」と話す。
 

 保護司制度は日本が世界に誇る犯罪抑止のしくみと自負。

「保護観察は清濁併せ呑む度量の広さも必要。保護観察を終えた後は普通の生活を送ってほしいと願っている」。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 障がい児を抱えながら看護師を務めた。子どもの面倒は両親が協力。

 「両親がいなかったら仕事を続けてこられなかった」と話す。
 

 上田市出身。昭和59年、国立がんセンターを振り出しに同16年に国立病院機構長野病院に出向以後は同機構沼田病院、西群馬病院、茨城東病院など10回の転勤を単身赴任で乗り切った。
 

 インフォームドコンセントの充実、がん患者の終末支援のメディカルカフェ立ち上げなど行った。

 小諸高原病院では、障がい者の虐待防止のため職員の意識高揚に向けて、全職員に自己チェック、他者チェックを定着させるなどの改革を行った。

 

 元国立病院機構小諸高原病院看護部長。

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 長野市生まれ、4歳から東御市で育つ。

 

 東京教育大学教育学部芸術学科で構成専攻。

卒業後、大分大学、静岡大学を経て、昭和55年に信州大学教育学部へ。

大学在学中にモダンアート展で初入選を果たした後、昭和48年には同展で優秀賞を受賞。

 昭和50年には同協会員となる。
 

 信州大学教育学部では、28年にわたり美術の教鞭を執る。

 思い出深いのは「平成18年の慶應義塾大学出版会刊行の遠藤周作(加藤宗哉著)の装丁画となった自身の作品」と話す。
 

 夢は、地域の子どもたちへの造形教室を開くこと。今も自宅のアトリエで創作活動に取り組んでいる。

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 平成9年5月から令和3年5月まで6期20年にわたって青木村議会議員を務め、議長も2年間務めた。


 議員として合併に反対して自立の道を選択した他、議会だよりの創刊、議場の質問席設置、村づくり懇談会の開催、議会基本条例の制定施行、一般質問での一問一答方式の採用などに尽力。

 一般質問は通算で86回行った。
 

 「選挙で選ばれる首長と議員による二元代表制は、反対意見も尊重するので独裁政治を許さないという意味でも大切」とし「議員は自分の所属する自治体はもとより、上田広域全体のことを考慮して活動してほしい」とエールを送る。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


 

 

 小諸出身。昭和62年に39歳で小諸市議会議員となり、平成23年まで計5期20年在職。

建設常任委員会や市街地活性化対策特別委員会の委員長などを歴任。

高速自動車道関連事業、本陣主屋開館、大手門周辺をはじめとした懐古園を中心に回遊できる文化施設完成などに功績。

 

 羽田氏後援会「千曲会」の小諸支部長も務め、国とのパイプ作りにも励んだ。
 当選前は建設業会社員。昭和47年から63年の健速神輿総代長、早起き野球連盟や体協の会長など地域活動にも尽力。

 「仲間と集まり語る中で、地域を良くしたいという思いを強めた。多くの方の応援に助けられた」。

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 昭和39年、野沢北高卒業後に父が営んでいた造園業「楽月園」に就業。

 

 この4年後の父他界以降も家業に情熱を注いだ。

 平成初期までに独自の竹垣「臥龍垣」を確立し、高い評価を得ている。

 

 平成22年に現代の名工として表彰され、24年には黄綬褒章を受章した。
長野県と中央の技能検定委員など数々の指導的役割も担った。

 

 平成29年から令和3年まで、日本造園組合連合会理事長を務め、日本庭園士制度創設など造園業界の後継者育成体制整備に尽力。

 

 「家族や仲間あっての受章。恩返しとして、新時代令和での日本庭園再興、世界遺産登録などを働きかけていく」と話す。

 元日本造園組合連合会理事長。

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。
受章者は、国内などの4037人。
 このうち、県内在住は57人。
 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。
 受章者の喜びの声を紹介する。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 北御牧村会議員から東御市議会議員となり通算17年7カ月務めた。

議員としてのモットーは地域住民の負託に応えること。

 

 特に心血を注いだのは、地域交流促進や経済活性化のための道路整備。

思い出深いのは、長らく取り組んだ県道東部望月線宮バイパス竣工式で、市議会議長として立ち会えたこと。
 議員当時は監査委員も経験し、市の困難な地域課題に真摯に向き合い、市との二人三脚で方向性を出してきた。

 「今後の市には、少子高齢化に伴う人口減少社会の到来で、適正な人口規模の維持と公共施設維持管理、健全財政を強く願っている」と話す。

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 国は、国家や公共の場で功績を挙げた人を表彰する「春の叙勲」を29日に発令した。

受章者は、国内などの4037人。

 このうち、県内在住は57人。

 本紙関係分の受章者は、上田市が3人、東御市3人、小諸市1人、青木村1人の計8人。

 受章者の喜びの声を紹介する。

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽