不況になると口紅が売れる -2ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~

 この年、大学で「将棋」の講義をスタートさせた。

 日本将棋連盟の中川理事に、講師を派遣してほしいと依頼し、若年層への普及施策の一環ということでご快諾を頂いた。

 講師は将棋博士・堀口弘治七段である。

 技能だけでなく、盤上遊戯の歴史、礼儀作法、駒づくり、国際比較、将棋用語など、多角的に将棋と文化を学んでいく講義に組み立ててくれた。有難い。


 ある日のこと、大学の先輩から連絡が入り、「将棋世界」3月号を読めという。

 何と拙作が「谷川賞」を受賞していた。

 サロン入選作の中から、優秀作群とは別枠で谷川浩司九段の判定(好み?)で表彰する作品である。

 ただ、この作品は月間優秀作にも選ばれていない。

 当時谷川先生は一連のスマホ事件で連盟会長を辞任され、入院静養中であったが、あの憧れの人に拙作を見てもらっただけでも感激である。


 将棋界の暗雲を一気に吹き飛ばすかのような新星が現れた。

 14歳の藤井聡太である。

 藤井さんが詰将棋大好き人間であることを既に知っていたし、従って密かに応援していたのだが、四段昇進後の快進撃で一気に将棋ブームに火がついた。

 名古屋の詰将棋全国大会は大変なことになったと聞く。

 やはり行く一手だったかと思ったが、この年は行っていられるような状況になかった。


 4月、経営学研究所の所長に就任し、リカレント教育やら新規事業開発やらを推進する立場となった。

 また、武蔵野美術大学のデザイン情報学科で非常勤講師を担当することにもなった。

 光文社新書『応援される会社』の執筆と取材も始まる。

 さらには日本説得交渉学会の理事として、研究大会の運営や学会誌の編集にも携わるなど、スケジュールが無茶苦茶なことになってきた。


 本誌「詰パラ」の方はネタはまったくないことはないが、推敲~検討~解説~投稿という地道な作業をする時間がほとんどとれない(言い訳!!)。

 その点、スマホ詰パラは投稿が楽である。

 ストック作の焼き直しが多いが、ぼちぼちと投稿を続けた。

 

 この年、スマホ詰パラは一万題突破という偉業を成し遂げた。
 ツイッターで、ムネトキさん、みつかづさん、kisy師匠など、詰将棋作家間のやりとりが盛んになってきた。

 相互アドバイスやコラボ作にも繋がり、創作の新しい時代を予感させた。

 そういえば来年はスマホ詰パラ十周年だ、という話になり、以前からやりたかったオフ会を計画することに。

 ここでもツイッターが役に立つことになった。
 

 


▲NO.1006「万」2017.9.1掲載
 

 この年は申年。

 初形「サ」が、詰め上り「ル」になる立体曲詰を創作。

 あまりにもくだらないアイデアにつき「おもちゃ箱」には連絡しなかったが、それでも「徹人」加藤徹さんのリサーチ網はごまかせず、結局年賀詰コーナーに晒された。

 「年賀詰は、このくらいくだらないのが丁度良い」という三輪勝昭さん一流の誉め言葉?を頂き、2016年は明けた。


 さんざん古典詰将棋を並べたせいもあり、前年に「江戸時代の名人オマージュ」作をシリーズ化して、スマホ詰パラに投稿した。

 ただこの頃になると掲載までの期間がかなり長期となり、作家一人につき1月に1作という発表本数の縛りも安定してきた。

 そのため自分でも、量より質に方向を転換させつつあったようだ。


 そんな矢先に、利波偉さんから「たま研」で何か喋れとの指令があった。

 基本的に「断ることはできない」(笑)という絶対手である。

 たま研というのは、何と参加者の1/3が看寿賞作家という泣く子も黙る恐ろしい集まりであり、しかもこの年は十周年記念の会なのである。外すわけにもいかない。

 こちらが教えを乞うべき人たちばかりの前で何を喋れというのか?


 で、 たま研での無事成就を祈願し、二代伊藤宗印の墓参りに行くことにする。

 墨田区横川の本法寺というところだ。

 自分の家の墓参りもロクに行かないくせに罰当たりの身だが、しかしここに宗印だけでなく、初代宗看、印達(早世の天才・五段)、三代宗看(七世名人)、看恕(七段)、看寿(贈名人)、得寿(早世)寿三(二代看寿)、七代宗寿らが眠っていると思うと、将棋関係者、そして詰将棋作家にとっても<聖地>に他ならない。

 本来、駒の形をしていたはずのボロボロで崩れかかっている。

 300年になろうとしているのだから仕方ないところだが、何とかできないものかと思うのだが…。


 たま研では 「将棋を博打から知的文化に変えたのは詰将棋」「現代の詰将棋の礎は宗印がつくったが、当時の民間作家の影響が大きかった」「意欲の高いアマチュアこそ、真のプレイヤー」という3ポイントを中心にお話する。

 遊戯史学会とは異なる要素(宗印の創作メソッドなど)を盛り込んだため、一からの作業となったが、発表内容はこちらの方が格段に面白くなったと思う。

 内容は鈴川さんが見事にまとめてくれているので、こちらをどうぞ。


 この年の11月に武島広秋さんが「スマホ詰パラ好作選」を刊行した。

 長年のおつきあいのコネ?で、有難くも世阿弥作を3作ほど掲載してくれた。

 しかし鈴川さんといい武島さんといい、きちっと仕事をするタイプであり、こういう若い人がいるというだけで詰将棋界の未来は明るい。


 この年、手塚プロダクションとコラボして、「手塚キャラクター発想支援カード」という創造性開発ツールを作成した。

 秋から冬にかけては、これを使ってあちこちで講演とワークショップを展開した。

 


 
▲NO.8591「詰んでいるのに底歩銀冠」2016.12.20掲載

 「遊戯史学会」というユニークな学会があった。

  あった、というのは、会長の増川宏一先生の「終活」の一環で、2018年に解散したからである。

 しかし、遊びの歴史を探求する活動は大変興味深く、私も専門ではないが会員として参加させてもらっていた。

 また、二次会で増川先生から将棋の話を聞けるのが、何よりも楽しかった。

 その研究大会で、単に参加して酒ばっか飲んでないで、そろそろお前も何か発表せーよというオーダーを頂戴した(^-^;。

 

 将棋そのものの歴史については増川御大が、さまざまな発表をされている。

 大橋家の文書を読み解き、当時の将棋家が家賃収入で暮らしていたとか、ユニークな発見も多い。

 しかし見たところ、「詰将棋の歴史」についてはまだ、本学会では語られていなかった。

 もちろん『詰むや詰まざるや』などの名著をはじめとする門脇芳雄氏の業績や、「詰将棋の散歩道」を長期掲載されている磯田征一さんらの見識に、私の知識など及ぶべくもない。

 しかし、「ちょっと無理かな?」という課題を自分に与えないと全く動こうとしないタイプなので、手探りながらも進めることにした。
 

 詰将棋の歴史といえば、初代大橋宗桂に始まる献上図式であり、もちろん主役は宗看・看寿である。

 ただ、江戸期の詰将棋は格調が高い家元・名人たちの図式だけでなく、アマチュアが創作した変な作も残っている。

 そしてよく見ると、アイデアだけはこちらが先、という例も多い。

 不利先打、銀鋸、馬鋸、遠打、超手数、裸玉などなど。

 そこで、こうした趣向は、当時民間棋客が先に示し、それを将棋家の名人たちが採り入れて本格的な作品にするというプロセスがあったのではないか、という主旨の研究発表を志向した。

 そして民間の自由奔放な発想を前向きに消化し、現代詰将棋の礎を築いたのは、二代伊藤宗印(宗看・看寿の父)であったことも見えてきた。

 研究過程では、詰将棋作家の利波偉氏には大変有益なアドバイスを頂戴した。

 しかしこれは翌年開催される「たま研」発表への、恐怖の布石になっていたとは知る由もない。

 

 第27回「遊戯史学会」例会(12月5日)、「詰将棋趣向作の発展における在野棋客の果した役割」と題する発表を行い、この内容は論文として翌年の「遊戯史研究」に掲出した。
 

 2015年の研究発表のテーマといえば、①詰将棋の歴史、②変なエントリーシートへの対応策、③嗅覚・触覚・味覚のマーケティングである。

 全く一貫性も何もあったもんじゃない。

 こういうところが「研究者に向いていない」とされる点であろう。

 先日の某学会では、「あんたの研究発表はテーマが毎年激変しているが、あんたは一体何者なんだ」という有難い?質問を頂いた。
 

 スマホ詰パラではこの年から、「月刊MVPプレイヤー」の選出がスタートしている。
 


▲NO.5285「5人の戦士の犠牲の下に」2015.2.27掲載

 この年は「詰パラ」本誌だけでなく、日本将棋連盟の機関誌「将棋世界」に初入選したり、三宅英治さん(将棋を孫に伝える会)を中心に刊行されている「解けてうれしい詰将棋」にも作品を寄せたりして、一丁前に詰将棋作家っぽい活動にちらほら手を染めている。

 「スマホ詰パラ」へは前年に100作めが掲載され、勝手に「同人」を名乗っていたが、サイトへの投稿者数も増激し、掲載ペースがダウンしたのをいいことに、半年余り掲載をサボっている。

 凄い作家も現れてきたし、もう自分なんぞが盛り立てる必要もなくなってきたかな、という(相当生意気?な)意識も芽生えていた。


 ただ、恐らくこれは、前年に勤務先で就職部長に就任したため、そちらが忙しくなり始めていたせいもあると思う。

 不景気のあおりもあって、当時の就職率は惨憺たるものであった。

 就職がこんな調子だと高校の評判にも響くし、それがひいては入学定員割れの要因にもなっていたはずである。

 実はこの大学、かつては(短大時代)就職率がものすごく高く、学生は都市銀だの総合商社だのから引く手あまただったらしい。

 OBの中には税理士法人を営むなど、優秀な人も多い。

 しかし時代はとうに変わっているのに、かつての幻影ばかり引きずり、良かった頃の昔話をするだけの一部の同僚を見て、これじゃヤバイと感じた。

 どこから変えていくべきか難題であったが、面接や履歴書などのテクニックを向上させるだけでは本質的な改革にはならない。「就職手帳」を配ったり、就職課の名称を変更したりしても、そんなの所詮、上っ面の話である。

 そこで手探りながら、地元の信用金庫や中小企業と連携して学生とマッチングさせたり、日経新聞や地域NPOにもご協力頂いて新たなキャリア教育の講義科目を立ち上げたりと、教育の中身を変えていくことを軸にしながら、徐々に体制を整えていった。

 学生たちも不思議なもんで、教職員からああだこうだ言われても響かないが、社会人から同じことを言われると意識が変わったりする。

 つまり、社会(特に地元企業)と学生との接点を多角化することが最も手っ取り早い改善策だと思った。

 むろんこういうことを進めると「アカデミズムは担保されているのか」みたいな難癖をつけてくる者もいたが、そこは経営学部単科の大学だからこそ「これでいいのだ」と押し切ることができた。

 

 学内・学外のご尽力頂いた皆様のお陰で、5年後に就職率は人波に97%にまで回復し、ようやく偉そうに保護者向け就職説明会など開催できる状態になった。
 ただ、就職支援部長としては企業には頭を下げ、学生の尻を叩き、そして抵抗勢力(書生気分のボクちゃんたちとか)との闘いもあって、結構疲れていた時期でもあったなあ。

 この年くらいから、副鼻腔炎やら逆流性食道炎やら右肘腱鞘炎やらと、世間的には細かい病名ながら、仕事のパフォーマンスを著しく下げる症状に悩まされることになっていく。

 まあ、一言でいえば「年」なんですけどね…。


 スマホ詰パラではこの年から「スマホ詰パラ賞」の発表が開始された。
 下図「上を向いて歩こう」は、情けないことに、自分を鼓舞する意味で作ったあぶり出し。

 下を見るのではなく、見上げてごらん夜の星を、である。


 
▲NO.4500「上を向いて歩こう」2014.9.7掲載
 

 HNの「世阿弥」には、あまり深い意味はない。

 投稿をしようと思った矢先にたまたま世阿弥に関する本を読んでいたので、これでいいかと浅墓にネーミングしただけである。

 しかし、将棋の歴史を調べていた際に、初代名人・大橋宗桂の家系が芸能と結びついていたということを知り、この名称は無意味でもないかなあ、と思い直した。

 確かに宗桂は、将棋を一種の「芸能」として捉えていた人だと思う。

 だからこそ、エンターテインメントである詰将棋に力を注いだのではないか。


 名称といえば、本サイトが「詰将棋パラダイス」を名乗るようになった経緯について、管理人のエモン氏がブログに書いている。

 「携帯サイトでこんなことやりたいんだけど名前貸して」的な企画書を出したところ、水上CEOから「よくわからないけどまあいいよ」という電話を貰い、スタートに漕ぎつけたとのことだ。

 普通、よくわからないことは「NO」が基本だろうけど、それをどこの馬の骨かわからぬ相手にあっさり許すところに詰パラの懐の深さ?があった、ということだろうか。

 さらには、本誌webサイトからもリンクを貼ってもらったりして初動につながったと聞く。

 そして初期の頃には、須藤さんも作品を提供している。

 しかしのちのち、このスマホ詰パラから数々の作家が誕生し、詰将棋の裾野を大きく広げることになったわけだし、70万ユーザーの一部が本誌定期購入者に発展していったのだから、この名前貸しはCEOの絶妙手なのであった。


 スマホ詰パラの中で、誰がどんなHNを名乗っているかについては無頓着な方だが、一番注目してきた作家といえばやはり「名無し名人」(現「大橋宗角」)氏かも知れない。

 中合がポコポコ出てくる「飛び出す飛角」(NO.1341)でいきなりブレークしたような気もするが、ちょっとこの人は才能が違うな、と思っていた。

 のちに『スマホ詰パラ好作選』のアンソロジーでも知られる看寿賞作家・武島広秋氏である。


 この年のある日、電車の中で「スマホ詰パラ」の問題を解いているオジサンを発見し、思わずその画面をガン見してしまった。

 パズドラでもモンストでもない、スマホ詰パラユーザーとの偶然の遭遇である。

 しかしそのオジサン、飛車の「不成」がわからず、可能性のある全手を試すがダメ…首をひねりながらチャレンジする姿が愛らしかった。

 「ならずですよ、ならず…」と声を掛けようとも思ったが…そこはさすがに耐えた(笑)。

 しかしまさかついにこんな日が来るとは思わず、ひたすら感慨深かったのを憶えている。

 先日のツイッターで、kisy師匠がやはり電車内で隣に座った人がスマホ詰パラ解答中だったところに遭遇し、声を掛けようかどうしようか迷ったようなことを書いていたが、嬉しいやら気恥ずかしいやら誇らしいやら、複雑な気持ちについてはよくわかる。


 2013年12月まで掲載された世阿弥92作への総解答者数が20万近くとなるとともに、総コメント数が3000を超えた。

 

▲NO.3226「形状記憶銀冠」2013.12.13掲載