この年は申年。
初形「サ」が、詰め上り「ル」になる立体曲詰を創作。
あまりにもくだらないアイデアにつき「おもちゃ箱」には連絡しなかったが、それでも「徹人」加藤徹さんのリサーチ網はごまかせず、結局年賀詰コーナーに晒された。
「年賀詰は、このくらいくだらないのが丁度良い」という三輪勝昭さん一流の誉め言葉?を頂き、2016年は明けた。
さんざん古典詰将棋を並べたせいもあり、前年に「江戸時代の名人オマージュ」作をシリーズ化して、スマホ詰パラに投稿した。
ただこの頃になると掲載までの期間がかなり長期となり、作家一人につき1月に1作という発表本数の縛りも安定してきた。
そのため自分でも、量より質に方向を転換させつつあったようだ。
そんな矢先に、利波偉さんから「たま研」で何か喋れとの指令があった。
基本的に「断ることはできない」(笑)という絶対手である。
たま研というのは、何と参加者の1/3が看寿賞作家という泣く子も黙る恐ろしい集まりであり、しかもこの年は十周年記念の会なのである。外すわけにもいかない。
こちらが教えを乞うべき人たちばかりの前で何を喋れというのか?
で、 たま研での無事成就を祈願し、二代伊藤宗印の墓参りに行くことにする。
墨田区横川の本法寺というところだ。
自分の家の墓参りもロクに行かないくせに罰当たりの身だが、しかしここに宗印だけでなく、初代宗看、印達(早世の天才・五段)、三代宗看(七世名人)、看恕(七段)、看寿(贈名人)、得寿(早世)寿三(二代看寿)、七代宗寿らが眠っていると思うと、将棋関係者、そして詰将棋作家にとっても<聖地>に他ならない。
本来、駒の形をしていたはずのボロボロで崩れかかっている。
300年になろうとしているのだから仕方ないところだが、何とかできないものかと思うのだが…。
たま研では 「将棋を博打から知的文化に変えたのは詰将棋」「現代の詰将棋の礎は宗印がつくったが、当時の民間作家の影響が大きかった」「意欲の高いアマチュアこそ、真のプレイヤー」という3ポイントを中心にお話する。
遊戯史学会とは異なる要素(宗印の創作メソッドなど)を盛り込んだため、一からの作業となったが、発表内容はこちらの方が格段に面白くなったと思う。
内容は鈴川さんが見事にまとめてくれているので、こちらをどうぞ。
この年の11月に武島広秋さんが「スマホ詰パラ好作選」を刊行した。
長年のおつきあいのコネ?で、有難くも世阿弥作を3作ほど掲載してくれた。
しかし鈴川さんといい武島さんといい、きちっと仕事をするタイプであり、こういう若い人がいるというだけで詰将棋界の未来は明るい。
この年、手塚プロダクションとコラボして、「手塚キャラクター発想支援カード」という創造性開発ツールを作成した。
秋から冬にかけては、これを使ってあちこちで講演とワークショップを展開した。
