2014年10月6日
午後。 議員会館事務所にいる。 何とかタクシーを確保して、永田町までやって来た。 天気は晴れ。 かなり暑くなりそうな感じがする。
台風は、予想より早く東京を通り過ぎたようだ。 が、暴風雨に見舞われている他の地域もある。 浸水や停電の被害も広がっている。 政府には、引き続き緊張感を持って台風対策にあたって欲しい。
NHKの国会中継を見ながら、日程をこなしている。 こうして外から国会の質疑を見るのは、本当に久し振りだ。 どうしても、自民党野党時代のことを思い出してしまう。 参院予算委員会の様々な場面が頭を過る。
TV中継の入る参院予算委員会基本的質疑で、参院自民党政審会長として何度も質問に立った。 トップバッターとしての「切り込み隊長」が山本一太の主な役回りだった。 鳩山総理、菅総理、野田総理を、TVカメラの前で激しく追及した。 曖昧な答弁には、納得しなかった。 当然、予算委員会は、何度も中断した。
参院予算委員会の自民党筆頭理事になった後も、時々、基本的質疑の質問者を務めた。 が、自分の役目は、与野党の他の理事と交渉して委員会日程を作ることと、他の自民党委員の質問に関して、委員会の現場で総理や閣僚から十分な答弁を引き出すことだった。 閣僚のいい加減な答弁は、一切、許さなかった。 大臣が質問から逃げようとしたり、質問と噛み合ない答えをした時は、予算委員長の席に駆け寄り、何度も委員会の審議を止めた。 TV中継の入らない一般質疑でも、全く同じだった。
次席の自民党理事だった礒崎陽輔参院議員(現・首相補佐官)も戦闘力抜群だった。 民主党内閣にとっては、最悪のチームだったに違いない。
過去のブログにも書いたが、けっして個々の大臣に恨みがあったわけではない。 閣僚を経験して初めて、「大臣答弁の準備がいかに大変か?」を実感した。 振り返ると、申し訳なかったと思う場面もある。 1度でも大臣をやっていたら、あそこまで徹底して出来なかったかもしれない。
野党の仕事は、政府の政策をチェックし、間違いを正すことだ。 それでも、(正直に言うが)国会で「他人を厳しく追及する」「誰かを国民の前で攻撃する」のは、けっして楽しいことではない。 ましてや、委員会で大臣のスキャンダルを追及するなんて、心地のいい作業ではない。 しかも、執拗な攻撃は、時に視聴者を不快にする。 質問者のイメージにむしろマイナスに働く場合もある。 当時、質問に立っていた他のメンバーも、きっと同じ感覚だったと思う。
それでも、「攻撃&追及路線」を貫けたのは、参院自民党の闘士たちの中に、「自民党が1日も早く政権奪還しなければ、日本は終わってしまう」という共通の危機感(=民主党政権打倒こそ国益という確信)があったからだ。 「ボクはこんなに頭がいい!」「私って、こんなに好感度の高い、いい人なんです!」みたいな自己アピール質問、カッコつけパフォーマンスは、ほとんどなかった。 それをやった瞬間に、質問の切れ味は失われる。 ポイントは、政権の政策の欠陥や矛盾を突き、大臣としての資質を問うこと。 この2つしかなかった。 政権への追及は、野党が過半数を持つ参院でやるしかないという気持ちも強かった。
特に、「適材適所」とは到底思えない閣僚たちへの追及の手は緩めなかった。 心を鬼にして、容赦なくやった。 実際、参院自民党の追及がキッカケで、何人もの大臣が辞任に追い込まれた。 結果を見れば、実は苦しかった参院での「あの常軌を逸した徹底攻撃」が、自民党の政権復帰に大きな貢献を果たしたと自負している。 質問者のしゃべった時間しかカウントされない基本的質疑の「参院方式」も最大限に活用した。 諸刃の剣ではあるが…。(苦笑)
参院予算委員会の筆頭理事として、閣僚の曖昧答弁を受け入れなかった大事な理由が、もう1つある。 それは、質問の内容や戦略を考え抜き、徹夜で準備し、悪役になることを覚悟で質問の最前線に立った同僚議員たちの努力に報いるためだ。
予算委員会の筆頭理事を終えた後、ある若手参院議員から言われた。 「先日、某委員会の質問に立って大臣を質しましたけど、結局、まともな答弁はありませんでした。一太さんが理事だったら、委員長にすぐ抗議してくれたのに、もっと突っ込めたのにと何度も思いました。」と。
追伸:
1.鳩山総理、菅総理には、本会議や予算委員会で激しい言葉をぶつけた。 それには理由があったし、後悔はしていない。 が、(今だから言えるが)野田総理を攻めるのは、ちょっぴり辛かった。 けっして嫌いではなかったからだ。
野田政権末期、予算委員会でこう迫った。 「野田総理は党首会談で、近いうちに解散すると谷垣自民党総裁に言った。本気でやるつもりがあるのか!解散を散らつかせて、誠実な谷垣自民党総裁を騙したのではないか?!」と。 野田総理は(珍しく)色をなして反論した。 「いや、そんなことは断じてない!」と。
その後、野田総理は(約束を守って)衆院を解散した。 この「谷垣総裁を騙した」という言葉については、どこかで本人にお詫びしようと思っていた。 数ヶ月前、安倍内閣の閣僚として皇居の行事に出席した。 そこで、野田元首相とバッタリ会った。 さっと近づいて、「あの時は、すみませんでした!」と率直に謝った。 野田元首相は、「え?いや、気にしてませんから!」と笑っていた。 やっぱり、山本一太よりずっとハートが大きい。 自分が同じ立場なら、けっしてこんなこと言わないもの。
2.「自分のやったことは、必ず自分に返って来る!」 これが還元の法則だ。 安倍内閣の一員になった時、野党からの反撃(厳しいリベンジ追及)を覚悟していた。 ところが、1年8ヶ月の間、いかなる委員会でも、野党の質問者から激しい攻撃を受けることはなかった。 答弁で嫌な思いをしたことは、ほとんどなかった。(???) これは七不思議の1つだ。
が、しかし、あの時の行動は、いつか必ず、何らかの形で「政治家・山本一太」に降り掛かってくるだろう。 世の中の摂理からは、逃れられない。 ただし、卑怯な手段でやられた時は、生涯をかけて「10倍返し」にする! お馴染みのシンプルな哲学だ。(笑)
「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」/「マルガリータ」/「かいかくの詩」
午後。 議員会館事務所にいる。 何とかタクシーを確保して、永田町までやって来た。 天気は晴れ。 かなり暑くなりそうな感じがする。
台風は、予想より早く東京を通り過ぎたようだ。 が、暴風雨に見舞われている他の地域もある。 浸水や停電の被害も広がっている。 政府には、引き続き緊張感を持って台風対策にあたって欲しい。
NHKの国会中継を見ながら、日程をこなしている。 こうして外から国会の質疑を見るのは、本当に久し振りだ。 どうしても、自民党野党時代のことを思い出してしまう。 参院予算委員会の様々な場面が頭を過る。
TV中継の入る参院予算委員会基本的質疑で、参院自民党政審会長として何度も質問に立った。 トップバッターとしての「切り込み隊長」が山本一太の主な役回りだった。 鳩山総理、菅総理、野田総理を、TVカメラの前で激しく追及した。 曖昧な答弁には、納得しなかった。 当然、予算委員会は、何度も中断した。
参院予算委員会の自民党筆頭理事になった後も、時々、基本的質疑の質問者を務めた。 が、自分の役目は、与野党の他の理事と交渉して委員会日程を作ることと、他の自民党委員の質問に関して、委員会の現場で総理や閣僚から十分な答弁を引き出すことだった。 閣僚のいい加減な答弁は、一切、許さなかった。 大臣が質問から逃げようとしたり、質問と噛み合ない答えをした時は、予算委員長の席に駆け寄り、何度も委員会の審議を止めた。 TV中継の入らない一般質疑でも、全く同じだった。
次席の自民党理事だった礒崎陽輔参院議員(現・首相補佐官)も戦闘力抜群だった。 民主党内閣にとっては、最悪のチームだったに違いない。
過去のブログにも書いたが、けっして個々の大臣に恨みがあったわけではない。 閣僚を経験して初めて、「大臣答弁の準備がいかに大変か?」を実感した。 振り返ると、申し訳なかったと思う場面もある。 1度でも大臣をやっていたら、あそこまで徹底して出来なかったかもしれない。
野党の仕事は、政府の政策をチェックし、間違いを正すことだ。 それでも、(正直に言うが)国会で「他人を厳しく追及する」「誰かを国民の前で攻撃する」のは、けっして楽しいことではない。 ましてや、委員会で大臣のスキャンダルを追及するなんて、心地のいい作業ではない。 しかも、執拗な攻撃は、時に視聴者を不快にする。 質問者のイメージにむしろマイナスに働く場合もある。 当時、質問に立っていた他のメンバーも、きっと同じ感覚だったと思う。
それでも、「攻撃&追及路線」を貫けたのは、参院自民党の闘士たちの中に、「自民党が1日も早く政権奪還しなければ、日本は終わってしまう」という共通の危機感(=民主党政権打倒こそ国益という確信)があったからだ。 「ボクはこんなに頭がいい!」「私って、こんなに好感度の高い、いい人なんです!」みたいな自己アピール質問、カッコつけパフォーマンスは、ほとんどなかった。 それをやった瞬間に、質問の切れ味は失われる。 ポイントは、政権の政策の欠陥や矛盾を突き、大臣としての資質を問うこと。 この2つしかなかった。 政権への追及は、野党が過半数を持つ参院でやるしかないという気持ちも強かった。
特に、「適材適所」とは到底思えない閣僚たちへの追及の手は緩めなかった。 心を鬼にして、容赦なくやった。 実際、参院自民党の追及がキッカケで、何人もの大臣が辞任に追い込まれた。 結果を見れば、実は苦しかった参院での「あの常軌を逸した徹底攻撃」が、自民党の政権復帰に大きな貢献を果たしたと自負している。 質問者のしゃべった時間しかカウントされない基本的質疑の「参院方式」も最大限に活用した。 諸刃の剣ではあるが…。(苦笑)
参院予算委員会の筆頭理事として、閣僚の曖昧答弁を受け入れなかった大事な理由が、もう1つある。 それは、質問の内容や戦略を考え抜き、徹夜で準備し、悪役になることを覚悟で質問の最前線に立った同僚議員たちの努力に報いるためだ。
予算委員会の筆頭理事を終えた後、ある若手参院議員から言われた。 「先日、某委員会の質問に立って大臣を質しましたけど、結局、まともな答弁はありませんでした。一太さんが理事だったら、委員長にすぐ抗議してくれたのに、もっと突っ込めたのにと何度も思いました。」と。
追伸:
1.鳩山総理、菅総理には、本会議や予算委員会で激しい言葉をぶつけた。 それには理由があったし、後悔はしていない。 が、(今だから言えるが)野田総理を攻めるのは、ちょっぴり辛かった。 けっして嫌いではなかったからだ。
野田政権末期、予算委員会でこう迫った。 「野田総理は党首会談で、近いうちに解散すると谷垣自民党総裁に言った。本気でやるつもりがあるのか!解散を散らつかせて、誠実な谷垣自民党総裁を騙したのではないか?!」と。 野田総理は(珍しく)色をなして反論した。 「いや、そんなことは断じてない!」と。
その後、野田総理は(約束を守って)衆院を解散した。 この「谷垣総裁を騙した」という言葉については、どこかで本人にお詫びしようと思っていた。 数ヶ月前、安倍内閣の閣僚として皇居の行事に出席した。 そこで、野田元首相とバッタリ会った。 さっと近づいて、「あの時は、すみませんでした!」と率直に謝った。 野田元首相は、「え?いや、気にしてませんから!」と笑っていた。 やっぱり、山本一太よりずっとハートが大きい。 自分が同じ立場なら、けっしてこんなこと言わないもの。
2.「自分のやったことは、必ず自分に返って来る!」 これが還元の法則だ。 安倍内閣の一員になった時、野党からの反撃(厳しいリベンジ追及)を覚悟していた。 ところが、1年8ヶ月の間、いかなる委員会でも、野党の質問者から激しい攻撃を受けることはなかった。 答弁で嫌な思いをしたことは、ほとんどなかった。(???) これは七不思議の1つだ。
が、しかし、あの時の行動は、いつか必ず、何らかの形で「政治家・山本一太」に降り掛かってくるだろう。 世の中の摂理からは、逃れられない。 ただし、卑怯な手段でやられた時は、生涯をかけて「10倍返し」にする! お馴染みのシンプルな哲学だ。(笑)
「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」/「マルガリータ」/「かいかくの詩」