ans005_043 「意識」の入口 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

ミケ様。

お元気ですか。
にゃんこ先生です。

サクラ、散っちゃいましたね。
これから毛虫の季節。
食べやしませんが。

   ☆

最初に断っておかなければならないことがあります。

爻ホロンが深さを深めて、大成卦ホロンに至った……その先のことです。

その先の領域は「コミュニケーション・スペース」です。

以前に「コミュニケーション・スペース」は可塑(かそ)的であるというお話をしました(「ans003_07コミュニケーション・スペース」参照)。

可塑的というのは粘土のように自由に形作れて、その形が残るということです。

ですから、大成卦から先のお話は恣意的(*1)に映ると思います。

観方を変えればミケさんなりに、これからお話しする以外の構造を自由に創発してくれてかまわない、ということにもなります。

そうなるともう易システムではなく「ミケさん・システム」ですが。

  ☆

ツイストペア(「ans005_010ツイストペア」参照)は「反転」の足がかりになるホロンです。

ツイストペアはテンプレート(「ans005_024 テンプレート」参照)ではODとIに相当しますが、OD、つまり、ある特定の大成卦が個人だとすると、その個人に対応したIというのはもう一人の個人……というのは、一番わかりやすい観立てです。

観立てによってどうとでもとれます。

かならずしも自分に対応する「もうひとりの人間」でなくてもいいと思います。
こだわることはありません。

むしろIは「人間」でないことの方が多い気がします。たとえば生業にしている仕事とか、いや、別に趣味だっていいでしょう。

いやいや、仕事や趣味というカテゴリにこだわる必要もありません。
なんでもいいけど、なにか自分が打ち込んでいることとか。

とにかく、自分、人間、個人というのは、この皮膚で区切られた物理的身体、その内側の、これまた物理的な組織「だけじゃない」と、「その範囲のことだけをいうんじゃない」と気づかせてくれる「あらゆるもの」が、ODに対応するIになる可能性があると考えてください。


【fig077 見えないものに気づく】

そしてここから先の話はそういう物理的身体を越えた「自己(*2)」の話になります。

ではまた。


★コトバ

(*1) 恣意的
「わざとそうした、必然的でない」という意味。

でも「必然」ってなんだろう?

それこそ日常世界、三次元時空の制約ではないか。
「コミュニケーション・スペース」は微細で軽く、自由だ。

反面、日常的な世界から見ると、自由すぎてコンセンサスを取るのがむずかしい。

でもコンセンサスって個と個の間でとるものではないだろうか。

個の境界が限りなく希薄な「コミュニケーション・スペース」では、「コンセンサス」そのものが意味を持たない。

日常的な領域とコミュニケーション・スペース。

人間ホロンがアンビバレントなのは、いつもその両方の領域に足を突っ込んでいるからだろう。


(*2) 自己・自分

「自分」というのは、一時的な(期間限定の)境界で区分された、とりあえずはそこまでがオノレであると、日常的に思っている領域のこと。
「自」らの領「分」。

「自己」というのは真正の自分、または、それを目指そうとする方向性をもった自分ということ。
「自」らの領分を含んで越えた(越えようとしている)「己」(オノレ)。「自」と「己」は重言のような感じがするがそうでなく、後者は前者を含んで越えている。後者は前者よりホロン深度が深く、後者は前者を前提または材料またはその構成要素として成立している。「自己」はそのすべてを含む複合語になっている。
(↑と、わしは思うちょるというハナシです。一般的な意味ではないと思います。ご注意)


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